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精神保健福祉システムの変容と精神障害者家族研究

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(1)

精神保健福祉システムの変容と精神障害者家族研究

著者 南山 浩二

雑誌名 人文論集

巻 50

号 1

ページ A1‑A19

発行年 1999‑07‑30

出版者 静岡大学人文学部

URL http://doi.org/10.14945/00006779

(2)

精神保健福祉 システムの変容 と 精神障害者家族研究

(D

1.なぜ 家族 なのか

障害者基本法 (1993年)において、精神障害が、身体障害・知的障害 と同様 に、社会福祉の対象であることが明示 された。 この ことをうけて、精神保健法 が精神保健福祉法 に改正 され、精神障害者の「社会復帰」「社会参加」が基本命 題 となった。収容治療 中心の施策か ら、「医療 と福祉」を両輪 とする施策への転 換 は、「病院か ら地域へ」とい う流れを急速 に形成 し始 めている。 ここ近年の展 開は、長期在院者の入院医療費問題 を、根源的理由 としつつ も、精神障害者の 人権擁護や コ ミュニティケアが重要であるとの認識の高 まりな ど、精神医療 に 内在する諸問題 を解決すべ きとの主張が混在 しなが ら押 し進 められている。

確かに、「病院か ら地域へ」とい う流れ は、入院期間 を短縮 し、病院 を生活の 場 としない思想 を、精神医療内部 に定着 させたかにみえる。 しか し、あまりに も未熟なコ ミュニティケアシステムや社会資源の実状 を反映 し、社会的入院 と され る患者数 に、顕著 な減少傾向が見 られず、退院 して もまもな く再入院 とな る事例―いわゆる「回転 ドア現象」一が、増加 しているとの指摘 もある(氏,

1997)。

そ して、未だ、地域での精神障害者者の生活の場 の中心 は、家族 なので

あ り、依然 として、「病院か家族か」とい う二者択一的な状況か ら、完全 には脱 しえていない(2)。

では、 日本の精神保健福祉 システムが、急速 に変容 しつつある今 日、 どのよ うな問いをたてることがで き、そして また、たてることが必要なのか。ヽその間 いの一つ として、家族 を とりあげることにしよう。

なぜ、今 あ らためて家族 なのか。その理 由を次のようにい うことがで きよう。

時代、時代の精神障害の社会的位置の変遷 に伴いなが ら、その時々の方法 によっ て、精神障害者 と家族 は結びつけられて きたのであ り、近代 とい う歴史 に限っ

浩 山

(3)

て も、精神障害者への社会的対応の諸相 において、家族 は重要な位置 にあ り続 けた(石

,1988:16)の

である。「 コミュニティケア」「社会復帰」「社会参加」

が、キーワー ドとして浮上 している今 日において も、主要な回路である法制度、

精神医療や福祉 システムな どによって、家族 はその範囲 と役割 を定義 され、精 神障害者 と結びつけられているのだ。すなわち、その結びつけられ方、そ

して、

実際の障害者・家族の営みに着眼 し、浸透 しつつあるコ ミュニティケアの理念・

実態 との関連や整合性 を検討す ることが、 これ までの精神医療 を中心 とした排 除の機制 を相対化 しうる展開であるか どうかを問 うことの一部 をなす と思われ るか らである。

本論では、 まず、近代 日本 における精神障害の社会的位置 と家族責任の変遷 を確認 した上で、今 なお、様々な回路 によって水路付 けられている、家族の今 日的位置 を浮 き彫 りにする。そして、主 として、1980年代前後か らなされた家 族社会学 における諸研究の レビューを通 じて、 これ まで精神障害者 と家族が ど のように捉 えられて きたかを整理することとしたい。最後 に、以上の2つの作 業の結果 をつ きあわせ ることによって、精神障害者家族研究の課題 を呈示する こととしよう。つ まり、地域へ とい う流れにおいて、家族 をどう捉 え直すか と い うことである。

では、 まずはじめに、精神障害の社会的位置の変遷 をた どりなが ら、家族 に どのような責任が課 されてきたかをふれ る。そして、過去の軌跡 をふ まえなが ら、今 日、 どのような局面 を迎 えているのか考 えてお こう。

2.精神 障害 の社 会 的位 置 と家族責任 の変遷

さきに述べた ように、精神障害が、知的障害・ 身体障害 と同 じく「障害」で あるとみなされ、社会福祉の対象 として捉 えられたのは、 ご く最近の ことであ り、 しか も、医療の対象であることが明確化 され始めたの も、第二次世界大戦 後 になってか らの ことであった。近代 日本 において、久 しく精神病者 は、治安 維持 を目的 とした隔離・拘禁の対象であったのであ り、「反社会的存在」 として の位置 を付与 されていたのである。

精神病者への対応のあ り方 を定 めた 日本最初 の法律「精神病者監護法」

(1900

)や

、 この法律の運用綱領くりの内容か らも明 らかなように、精神病者 は、当初 か ら警察の管理下 にあった。精神病者 は、「監護」、つ まり、拘禁の対象であ り、

「監護義務者」である「家」の成員が、警察の許可 をうけた うえで私宅 内に拘

‑2‑

(4)

禁す ること

(私

宅監置)が、主たる対応であったのである

0。

その後、「精神病 院法」(1919:大

8年 )に

よ り、国家責任の一部が明確化 され、都道府県が精 神病院 を設置す ることな どを定 めた ものの、病院設立 は進 まず、実 に、第二次 世界大戦後 に至 るまで、私宅監置が主要 な対応であ り続 けたのであった。

つ まり、医学の未発達、未熟 な医療・生活保障 システムの実状 な どを背景 に、

「家」 は、「反社会的存在」 とみなされた精神病者 を、隔離・拘禁する位置、 も う少 しすすめて言 えば、「国家 の支配構造 の最末端 の担 い手 として、社会の治 安・秩序維持 をはかる機構」

(石

,1988:19)と しての位置 にあった というこ

とがで きる。

こうした精神病者の位置 とそれにもとづ く対応のあ り方が、大 き く変わ るの は、戦後の「精神衛生法」 (1950年 )の 制定 まで待たなねばな らなかった。私宅 監置が廃止 され

(0、

患者の精神病院以外への収容が禁止 とな り、ようや く、精神 病 は、他の身体的疾患 と同 じく、医学的治療が可能 な「病気」 として、明確 に みなされることになったのである。 しか しなが ら、 この法の多 くの部分が、事 実上、患者本人 の意思 によらない強制入院 を規定するものであった ことか らも、

戦後 において も、なお、精神病 は、隔離・ 拘禁 の対象 とい う姿勢が、基本的に は踏襲 され続 けていた といえるのではなかろうか。

また、この法 により、導入 された保護義務者

0制

度 は、家族 に、治療 を受 けさ せ る義務や 自傷他害防止義務 な どを課 した。強制入院(0の一形態 として もうけ られた「同意入院」

0は

、本人が入院 を拒否 した場合、家族の同意があれば、入 院 させ ることがで きる とした ものであ り、本人の意思 を、家族の意思 に置 き換 えた ものであうた。精神病者 を隔離・ 拘禁す る位置 は、家族か ら精神医療 に移 された。 そのかわ り、家族 は、患者の意思 を代弁す る位置、そして患者の治療 過程や生活全般 を管理 し、精神医療 と患者 をつな ぐ位置 におかれた とい うこと がで きる。

その後、 日本では、欧米諸国の動向に反 し、精神病床数の急増がはじまる。

「小 さな閉 じこめ」の時代 は終焉 を迎 え、「大 いなる閉 じこめ」へ と進んだ (金

,1982)。

病床数増加 を指図 した国庫補助政策、医療法特例 によリー般病院に 比べはるかに少ない医療 スタ ッフの配置が容認 された こと、病院 にいるのが患 者 に とって最善の選択 とす るパ ターナ リステ ィックな発想が、「精神病院 ブー ム」 と呼ばれ るほ どの病床数急増 を導いたのである。

通院治療 を可能 にしたはずの抗精神薬 も、時 には、入院患者 を拘束す る手段 と化す こともあった。そして、精神病院で、「医療」の名の もとに、実際に行わ

(5)

れていることが、様々な形で、あいついで告発 された、あるいは露呈 したく

10。

1964年のライシャワー事件後 の精神衛生法改正 お よび保安処分論議 の台頭 を 契機 として活発化 した、法曹界、弁護士会な どの精神障害者の人権擁護への取 り組み。国連NGOによる日本の精神医療批判。家族会運動の全国的広が りと 組織化 を基盤 とした国・ 行政への発言権 の増大。生起 した これ らの出来事 な ど の積み重ねによって、1980年半 ば以降、日本の精神保健福祉施策 の潮流 は、大 きな変化 を経験することとなるのである

(全

家連,1997a)。

1987年の「精神保健法」への改正では、第一条 に「精神障害者等の福祉」 と あるように、 はじめて「福祉」の文言が記載 され、社会復帰 に関す る規定が盛

り込 まれ、精神障害 を福祉の対象 とす る方向性がはじめて示 された といって よ い。入院 は、本人の同意 による任意入院が原則 とな り、患者の治療拒否権が、

事実上認 め られ、旧法 において手薄だった患者の人権擁護の観点 も取 り入れ ら れた。そ して、精神保健法が精神保健福祉法

(正

式名称「精神保健及び精神障 害者の福祉 に関する法律」

)に

改正 された。法名称 に も「福祉」が明記 され、内 容 に「精神障害者等の自立 と社会参加の促進のための援助」が加わ り、各種社 会復帰事業の法定化、市町村の役割の明確化な ど、地域社会 に重点 をお く規定 が大幅 に加わったのである。 また、 自己決定 を中心 にお く自立概念が、精神障 害領域 にも、徐々にではあるが浸透 しつつある。

では、1980年半 ば以降、家族 は どう位置づけられていたのか。依然、意思 を 代弁す る位置、治療経過や生活全般 を管理する位置 にあった といえるだろう。

「保護義務者」規定 は、存続 され、のちの精神保健法見直 しにおいて も「保護 義務者」 とい う名称が「保護者」 に変更 された ものの、その義務規定等 にはほ

とん ど変更が加 えられ ることがなかった ことか らも明 らかである。

こうした家族の位置づけへの異議申 し立て も起 こっている。1990年代 か ら、

家族会が保護者規定全廃 にむけた運動 をはじめた

(全

家連,1997:107)。 患者 とされた人々の意思 を「精神症状」の もとに回収 し無効化する。その上で、患 者 の意思=家族の意思 とい う図式の もとに、患者の意思が不在のまま、医師一 家族間で治療上の決定がなされる。 そして、 この ことが通例化 した。 とくに医 療保護入院の同意権 は、本人の意思 に反 した決定 を家族 に強いることを含んで お り、障害者 と家族間に、必然的に亀裂 を生 じさせ る原因の一つ ともなってい る。家族が治療のみな らず生活全般 を管理 し決めることは、障害者が決めるこ とを完全 に排除するものであるとともに、本来な らば、医療や コ ミュニティケ ア システムな どにむけられるべ き要請 まで もが、家族責任の うちに隠薇 され う

(6)

ることを意味す る。家族会 によるこうした問題提起 は、換言すれば、家族の定 義 と障害者 一家族の関係性の再編 を、法制度 を中心 とした諸回路 に対 しもとめ

る主張 ということがで きる。

3,精神 障 害者 家族 への社 会 学 的 アプ ロー チ

近代 という歴史 に限定 して も、精神障害の社会的位置 とそれにもとづ く社会 的対応のあ り方、家族の位置 について変遷 の過程 をみ とめることがで きた。そ れでは、 こうした変移 を背景 として、 これ まで精神障害者家族が、社会学の立 場か らどの ように捉 えられて きたのか、家族社会学 を中心 に見てい くこととし

よう。

従来、精神障害、 とりわけ分裂病 と「家族」 に関連 した研究 は、主 として精 神医学領域 を中心 に押 し進 め られて きた さらいがある(前

0石

原・大島,1987:

50)。

しか も、遺伝論や病因論 としての家族への接近であった り、あ くまで も、

円滑な治療過程 を保持す るための協力者 として家族 を位置づ ける研究が、その 動向の主流 をしめていた といえるのではないか。それに対 し、社会学の立場か らの接近 は、 まず、家族 を社会 システム として捉 える家族 ス トレス論、あるい は、個人 ンベルのス トンスヘの社会学的アプローチに依拠 し、家族 を「生活す る主体」「ス トンスを受 ける主体」 として措定 した ことに大 きな違いがある。

その萌芽 は、袖井

(袖

,1968,1974)による研究 な どに見出す ことがで き るが、継続 して活発 な研究がなされ始 めたのはようや く1980年頃 になってか ら の ことであった。プライバ シー問題 な どを背景 に、実施が難 しかつた全国調査 が、1985年、全家連 によ り行われた こと、そ して、 この調査の計画の実施・集 計・ 公表過程 に社会学者が参画 した ことを契機 に、活発化す ることとなる

(岡

上・ 大島・ 荒井

,1988)。

(1)「

生活す る主体」「ス トレスを受ける主体」 としての家族

「精神障害者の問題 は従来医療問題 として考 えられ、 また語 られ続 けてきた。

だが、多 くの人達が長期間 にわたる療養

(再

発再燃 も含 めて)を必要 としてい る実態か ら、患者及び彼 を囲む家族が次第 に中高年齢化 している現実 を多 くの 医療関係者 も強 く感 じていた。 それは戦後飛躍的な発展 を とげた とい う向精神 薬 の開発や治療技術 を自画 自賛す る精神医療及び行政関係者 の触れ られた くな い現実の側面である。その中で、精神医療の限界 をどう線引 きするか、その線

(7)

以降の問題 にどう対処 してい くかが大 きな課題 である。 この認識が この調査の 出発点であった。」(石原・ 滝沢,1979:1)

これは、1979年に出された精神障害者家族へのインタビュー調査の結果 を と りまとめた報告書の冒頭 に記 されている言葉である (石原・ 滝沢

,1979:1)。

退院 といえば戻 るところは家族。地域 には、家族のほかに生活の拠 り所 とな り うる場 も希少であった といってよい。当時の医療サイ ドの家族への期待 も大 き い ものであった。 このような状況では、家族が障害者 を受 け入れ ることを拒否 すれば、その ことは精神病院 を生活の場 としつづけることを意味 していた。「家 族が引 き取 らないか ら、われわれが家族のかわ りに世話 をしているのだ。」精神 医療が、本来の意味での「医療」の枠 をこえて肥大化 してい くことへの批判 に 対 し、医療従事者たちの答 えは、 この ような ものにな りやすかったのだ。精神 医療 の範囲 を限定す ること、家族 の限界 を示す こと、 そして、 そこか ら抜 け落 ちた部分 については、福祉的対応が必要 とする石原 と滝沢の主張 は、当時の実 状 に対 し、大 きな疑間を投 げか けた ものであった とい うことがで きるだろう。

こうした問いかけの もとに、1980年頃か ら行われ始 めた、精神障害者家族研 究 は、家族 を、ただ単 に、障害者 の地域生活 を支 える資源の一つ としとらえて しまうのではな く、「生活す る主体」「ス トンスを受 ける主体」 と考 えたのであ る。 ヒル

(Hill,1949)な

どによる家族 ス トンス論や、 ラザルス (Lazarus et al,

1984)の

ス トレス研究 な どの理論的実証的な蓄積 を積極的に取 り入れた ことで、

単純集計 の羅列 にもとづ く冗長 な記述 に とどまっていた先行研究の限界点 を克 服 し、家族の実状 を、体系的 に理解す ることがで きるようになったのである(石 ,1982b。 ,石原・大島,1984.,大,1987.,南,1995,1996b,1998.,

三野,1993,1997.,)。 これ までに、家族が、将来への見通 し不安 を中心 に、生 活全般 にわたって深刻 なス トレス状況 にあ り、病状 を含めた本人の状態が、家 族 のス トレス状況 を大 きく規定 していること、それに加 え、家族内外の資源状 況 も大 き く関与 してお り、地域社会か ら孤立化 しやすい ことも状況改善 を難 し

くしている一つの原因であること (石原・ 大島,1984.,大,1987.,南,

1995)、

障害者への共感的態度や、犠牲感や扶養意識 な ども、ス トレス状況生起

に関与 していること(石,1982b。 ,石原・大島,1984.,大,1987.,南,

1998)な

どが明 らかになっている。 こうした知見 は、それ まで経験的には知 ら れていた家族の実状 を、 よリー層明確 に示 してお り、家族への支援の方法や具 体的な制度・サー ビスを模索す るための素材 として、多分 に実践的インプ リケー

‑6‑

(8)

シ ョンを持 ち合わせていた といえよう。

また、一連の研究が、石原が開発 した「(家族 の

)生

活困難感」尺度、「(家 の障害者 に対す る

)共

感度」尺度 な ど(石

,1982a,1982b)(1⇒

をもちいてお り、知見の追試や体系的集積が可能 となった ことも特筆すべ き点であ り、その 後 も継続 して、尺度の改良や新たな尺度の開発 (石原・大島

,1984)(1の

、理論枠 組 みの精緻化 (大,1987.,南

,1995)(1の

が行われている。

その他 には、地域間比較の方法 を取 り入れ、家族資源や社会資源の状況、伝 統的家意識 な どの社会規範が維持 されている程度 な どの地域差が、家族 ケアの 実状 に与 える影響 を検討す る研究 も行われた (石,1982a,1982b,1996.,

大島,1987.,竹

,1997)。

石原 は、地域間における家制度の偏在が、家族扶養のあ り方にもた らす差異 について検討 している。 その中で、家制度の伝統の強 さは、家族 による障害者 の扶養 を維持するものの、規範の拘束性 という側面か ら、困難感 を伴い易い と いうことや、人 口あた りの精神病床数が、拡大家族形態が多 く伝統的家意識が 維持 されている地域 ほど、圧倒的に少 ない ことを示 している。 これは、当時、

医療従事者 によって賛美 されやすかった扶養規範 の限界や、精神病院が家族の 扶養機能の安全弁的役割 を果た していることを示唆す るものである(石

,1982

a,1982b)。

すでに述べたス トンス研究や、精神病 の経過の長期化 に伴 う障害 者・ 家族の変化や親 の高齢化の問題、 きょうだい世代へのケアの継承の難 しさ を論 じた研究 (石,1982b,1988b.,石 原・南山,1993)な どとともに、家 族への過乗Jな期待 を相対化す る役割 を十分 に果た したのではないか。

地域比較研究 には、その他 に、都市部 (神奈川県川崎市

)と

農村部 (長野県 東信地区)の比較 (大,1992a)、 都市 内部(サ

│1崎

市)を 、工業地域

('H崎

)、

商工業地域 (幸区・ 中原区・ 高津区)、 住宅地域 (宮前 区・多摩 区・麻生区)の 3つに地域 区分 し比較分析 を行 った研究(大,1992b)、 全国調査の結果 を家 族会所在地 の人 口規模別 に分析 した研究

(竹

,1997)などが あ り、 こうした 研究 は、地域特性 にみあった社会資源のあ り方 を示唆 し提言 しうる研究であっ た とい うことがで きる。

12)家

族ケアが障害者 に もた らす結果

先 に見てきた ように、家族 を「生活す る主体」「ス トンスを受 ける主体」と措 定 し行われた諸研究 は、家族 の困難 な状況 を明 らかにし、その状況が容易 には 解決 しえない ことを立証 した ことで、「病院」「家族」 にかわる第三の選択肢の

(9)

必要性 を主張 しえた ものであった。

こうした研究 にも批判 はあった。ス トレス、 とくに負担 とい う概念がすでに

「 ケアはたいへん」「ケアを要す る人 を家族 に持つ ことは困難」と価値付 けられ ているとい う批判である。 しか しなが ら、 この批判 の背後 に「家族 なのだか ら 不満 を表出すべ きではな く、すすんでケアに向か うべ き」 という暗黙の前提が 潜 んでいたのではなかろうか。留意 しなければな らないのは、「 ス トンス」「負 担」 という概念ではな く、家族ケアのあ り方 を、家族側 にもた らされ る結果だ

けにもとづ き判断することの限界性

(10な

のである

(南

,1998)。

1980年代半 ば頃か ら、従来 の<障害者→家族

>と

い うベ ク トル に加 え、<家

族条件→障害者の状態、入院期間

>と

い うベク トルヘ と研究の射程が広が り始 めた。

その一つは、障害者の退院後の再発再燃 に着 目した研究である(前田・大島・

石原,1987.,大島・ 岡上・ 石原,1992.,大,1992.,大島・ 岡上他

,1992)。

特 に、分裂病 な どは、再発可能性が高 く、その要因 として、過度のス トレス負 荷があげられ る。すなわち、障害者の地域生活が、順調 に継続 され るか どうか は、障害者 に過度のス トレスを与 えない ような環境 が得 られ るか どうか にか かっているということである。退院後の生活の場 とな りやすい家族が、果た し てそのような場 とな りうるのか。家族が、再発可能性 を高める要因の一つであ るならば、なぜそのような ことになるのか。 この研究の関心 はこの ような とこ ろにあったのだ(1つ。現在、 この新たな研究動向は、感情表出

(Expressed Emo‐

tion)研

究の成果 をとりいれなが ら、大 きな進展 を見せている(大島・岡上 ほか:

1992)。

その知見 は、障害者のコミュニティケア継続 を可能 にす るような家族条

件 の導出を可能 としてお り、実践的な試みである家族支援 プログラムに も結 び ついている

(全

家連 :1997d)。

今一つは、社会的入院 と家族条件 との関連 を問 う研究である (大島・ 岡上 :

1992)。

すでに述べて きた ように、精神病院 は、治療機関 という枠 を大 き く越 え

た様々な機能 を担 って きた。その一部が、入院治療が必要ではない障害者の生 活 の場 となっていた ことであ り、この ことを正 当化す る根拠 として、しばしば、

精神医療 の側か ら、「家族 の受 け入れ拒否」が示 されてきた。 こうした主張につ いて、大島 と岡上 は「家族 は、本当に精神病院に代わって精神障害者 を地域で ケアす る能力や条件 をもっているだ ろうか」(大島・ 岡上,1992:479)と疑問 を呈 している。そして、長期入院 と短期入院かをわ ける家族条件 として、「家族 の受 け入れ意識」が大 き く寄与 していること、家族の劣悪な資源条件が、「家族

‑8‑

(10)

の受 け入れ意識」 に対 し、一定の規定力 を有 していること、 といった知見 を示 した上で、次のように述べている (大島・ 岡上,1992:487)。

「受 け入れに消極的な意識 を家族が持つ こと、それが直 ちに精神病院への長期 入院 につながって しまう現状の問題点 を指摘 しないわけにはゆかない。 もし病 院 に代わ る生活施設や精神障害者向けに配慮 された公営住宅 な どが十分 に用意 されていれば、家族が仮 にどのような意識 を持 っていようと、長期間の医療が 必要 な ものは長期間の入院 をし、短期間の医療的介入で回復す るものは短期間 の入院 をす るはずである。 それが、医療 の本来的な姿であることはあらためて 言 うまで もない (傍点 は筆者 による

)」

(大島・ 岡上

,1992:487)

家族の実状 を考慮 しない、あるいは、地域資源の脆弱 さに対す る認識 の薄 さ。

そ して、家族 に観念的に扶養能力 を期待 し、入院か家族かの二者択一 を迫 るこ とは、長期入院者の退院促進 には決 してつなが らない ことを示 した ものであっ た。先 に示 した「再発」 に焦点 をあてた研究 において も、家族が再発可能性 を 高めて しまう背景 には、深刻 な資源状況が大 き く関与 していることが指摘 され ている (大島・岡上他、

1992)。

「再発」「入院期間」 とい う臨床的なメル クマー ルを取 り入れた ことで、精神医療 に対 し家族の限界性や地域資源の重要性 を、

より効果的 に主張することがで きるようになったのである。

4.新た な る射程

まず、前章 までを簡単 にまとめてお こう。

2章

では、近代 日本 における精神 障害の社会的位置 と家族責任の変遷の軌跡 を概観 した。精神障害者の社会的位 置の重心 は、大 まかにいって、治安 の対象、医療の対象、福祉の対象へ と変化 した ことが明示 された。一方、家族 は、概 して、隔離・ 拘禁する主体か ら、患 者 の意思 を代弁す る位置、治療経過や生活全般 を管理す る位置 に移行 して きた といえるだろう。 そして、今 日、家族会 による運動や、当事者運動の活発化、

医療全般 にお ける情勢変化、福祉領域 における自立概念の普及 な どを背景 に、

障害者―家族の関係 は、さらに進んで、障害者 の自己決定 を基盤 とした関係へ と 模索が始め られているのではなか ろうか。

また、

3章

で検討 された、精神障害者家族研究の動向は、 こうした家族責任 の変遷 に呼応する形、あるいは先行す る形ですすめ られて きた といってよい。

(11)

なぜな らば、先行研究 に通底 していた関心 は、その時々において、法制度や医 療・ 福祉 システム、文化 な どの回路 により、定義づけられ期待 された

<家

>

像が、家族 にとって担いきれない ものであることを示す ことにあ り、その<家

>像の再編 を主張す るための素材 を提供 し続 けて きた ともいえるか らだ。 と するな らば、おのず と、 とりくむべ き課題がみえて こないだろうか。

すなわち、地域生活 を中心 にお くこと、 自己決定の尊重が、進 め られている のならば、その ことが、実態 とかけ離れた、空虚 な ものにな らないためにも、

次の ことを問 う必要があるということだ。今、現 に水路づけられている、「 ケア される存在/ケアする存在」「意思 を代弁 される存在/代弁す る存在」(治療過 程や生活全般 を)管理 される存在/管理す る存在」 といった障害者 一家族の関 係性 をこえて、障害者・ 家族が、 それぞれの立場か ら、お互いの関わ り合いを 再編 してい くことがで きるか どうか を、実際の双方の営みに即 して、検証する ことではなかろうか。 この提案 は、従来の家族研究の知見 を、「入院」や「再発」

といった障害者の状態だけではな く、 さらに、その意味世界 も含 めた上で、再 検討することを示 している。 もちろん、障害者・ 家族が、強い られ る関係性か ら離れ、相互関係 を再構築す る営みを阻害する障壁 も、依然、多い。社会資源 の質の問題、あるいは未整備、保護者規定 など法制上の位置づけや、社会文化 的な扶養規範の存在、欠格条項の存在、精神障害 に対する偏見・ 差別 な どの間 題群 を、改めて この文脈で問い直 し、その解消の糸 口をさぐることである。

当事者運動の担 い手の一人で もある広田は、精神障害者の親たちに向かって 次のように言 う (広,1998:18)。

「 この子 を残 して死ねない」と思いつつ、その子の生 き方 をさせず、世間体 ばか りを気 にして暮 らしている。そ して子供 に何 もさせずに、何で も自分でやっ て しまう。それ も文句 を言いなが ら。私 は自分の体験 を通 じて、ぜひ親が生 き ているうちに子供の生 きたいように生 きさせてほしい と思います。失敗 もさせ ていただ きたい。」(広,1998:18)。

彼女の言葉 には、多 くの気づ きが与 えられ る。障害者の生 き方 を妨 げること。

世間体 にしばられること。何 もか もかわ りにやって しまうこと。失敗 を許 さな い こと。親たちが、「 この子 を残 しては死ねない」とまで、障害者の ことを思い なす営みが、障害者 に とって、抑圧的な もので しかない ことを示 している。 こ うした親たちの営みは、石川がいう「「障害児の親」 としての適切 なふ るまい」

‑10‑

(12)

に他 な らない。すなわち、「近代社会が親、とりわけ母親 に要求す る一般的な役 割 を増幅・ 拡大 させた もの」であ り、愛情深 く、子供 の世話 に責任 をもち、社 会の迷惑 にな らぬ よう子供 を監視 しつづ ける親た ることである。(石

,1995:

36)。

親たちが、 こうした「障害児の親」としてのふ るまいか ら自由になること、

そして、 その上で、障害者 との関係性 を再構築す ること、今、 この ことが、障 害者の側か ら強 く求め られているのではないか。

5。

「滑 らか な物語 」 か ら離 れ る こ と

精神病院でのケアが全盛であった時代 に生 まれた、精神病 に関す る社会学の 議論 は、「社会学」とい う知の領域 に とどまらない意味 を持 ちえていた といえる だ ろう。

シェフは、「精神病」を個人の行動の性質 とみるのではな く、規範 との関わ り において逸脱 とみなされることが、精神病の本質であるとした。医学的診断 と い う手続 きによって、ある個人 に「精神病」 というラベルが貼 られると、社会 の反応、すなわち、ステンオタイプ化 された「精神病」イメージにその人が同 調す ることへの社会的期待 と、その人 自身の学習 によって、逸脱行動 は固定化・

安定化 してい くのだ とした。精神病 を、実体 としてではな く、意味的な産物 と しての側面 を強調 したその主張 は、精神医療の管理下 にお くことによって、「精 神病患者」が創出 され るとい う事態 を明示 した ものであったのだ (Sceff,1966=

1980)。

また、ゴッフマンは、入院患者の意味世界 を基点 に、全制的施設である精神 病院の

<あ

るが ままの姿

>を

浮 き彫 りにした。被収容者の自己が、無力化 され てい く「剥奪過程」一被収容者の自己 を維持 していた文化や役割の剥奪 と社会的 差異の平準化 一 と、被収容者の自己 を、「被収容者」という空虚な管理 しやすい カテゴ リーに隠薇 した上で、あ らためて施設管理 に従1原な自己をつ くりあげて い く「 自己の再組織化過程」 とい う導出された2つのライン。 ゴッフマ ンが、

描 き出 した精神病院の様相 は、治療施設であるはずの精神病院が、新たなる病 理 を創 出す る場 で ある ことを痛烈 に示 した もので あった

(Goffman,1961=

1984)。

こうした、1960年前後 に登場 した社会学の議論 は、リベ ラ リズム とともに反 施設主義 イデオロギーの根拠 とな り、脱施設化 の進展 に一定の役割 を果た し、

精神医療 の「権威 の失墜」 とい う事態 を招来 したのであった。 この ことは、精

(13)

神医療の「加害者性」 を顕在化 させ、精神医療 におけるパ ターナ リズムの正当 性 をゆるが し、後の、患者の治療拒否権や 自己決定権 に関する議論へのコンテ

クス トを、準備 した ものであったのである (熊

,1987)。

アサイラムか らコ ミュニテ ィヘ とい う大 きな潮流 を迎 えた今 日、社会学研究 は、何 を問 うことがで きるのが

10。

フーコーによれば、施設ケアか らコミュニ ティケアヘの移行 は、「解放」ではな く、地域社会の「監獄化」に過 ぎない とい うことになろう。確かに、今 日の障害者福祉施策の主要命題 となっている「 ノー マ リゼーション」「社会復帰」「社会参加」 も、障害者 を社会か ら隔離・ 排除す ることへ決別 を告げた言葉 として捉 えることがで きようが、具体的な意味内容 をもたない、空虚な ことば として、連呼 され るきらいがある。例 え具体的な内 容 を伴 っていて も、それは、あらか じめ、非障害者 とは区別 され制限 された期 待、すなわち「障害者役割」 とで もい うべ きものを具現化するもので しかない ことが多い。 この ことは結果 として、精神障害者 を、家族や地域社会の内側 に 閉 じこめることにしかな らず、 コミュニティケアヘの上ヒ重の移行 は、解放では な く地域社会の監獄化であるという主張は、充分、妥当な もの として認 めるこ とがで きる。

しか しなが ら、今 日、社会学 に求められているものは、未だ繰 り返 されがち なこうした記述 に満足す ることであろうか。いや、む しろその先 にある、見 え ざるまなざしに対抗する諸々の営みやその営みを支 える制度0文化の生成過程 を析出 してい くことではなかろうが1つ。 そして、障害者 による「 自己決定」の 尊重が、現 に、決め られ る人/決め られない人 とい う線引 きの問題 をうみ、 自 己決定の対局 に保護 をおかざるを得 ない こと、 自己決定 を過大 に評価す ること が、障害者の存在 を排除あるいは否定す る暴力 にな りうることな どについて、

改 めて俎上 にのせ、議論 を始めることが必要なのではないか。 もちろん、 自己 決定 とともに、保護 とい う名の もとに精神障害者 に対 し行われた、そして、行 われていることに関す る吟味が、 まず もとって、取 りかかるべ き事案 といえる のではあるが。

家族研究 において も同様 の ことがいえよう。 日本の障害者の自立生活運動の 中で、家族 は乗 り越 えるべ き存在 として捉 えられた。家族 とい う空間において 起 きる事柄すべて一た とえ障害児 (者)殺しであって も一が、「家族」「愛情」

「社会的対応の遅れ」 によって正当化 されて しまうことに対する、一つの答 え であつた。時 として、何かをきっかけに、それが「運動」 とくくられ るほどの ものでな くて も、家族が、見 えぎるまなざしとそれに対抗する力が激 しく措抗

‑12‑

(14)

す る場の一つ として、鮮明に立 ち現れ ることがある。親たちの中にも、 この こ とに気づ き、受 け入れ、家族 のあ り方 を問い始 めているもの もいる。

確かに、 これ までにも、家族が家族のあ り方を問 うことはあった。 しか し、

明 らかに、今行われ始 めている家族の問いか けは、それ とは、異なる地平 に立 っ ている (全家連

,1997a:183)。

その営みは、家族のあ り方 を、社会資源の未 整備や社会の無理解 さのみに直結 させて納得 しようとす るものではない。 それ は、法制度、精神医療や福祉 システム…な どによって定義 され期待 される家族 像 とともに、内なる障害観・ 障害者観か らはなれ ることをも含んでいる。 そし て、く家族〉=親とい う範囲 を超 えて、 きょうだいな どによるセル フグループ設 立の動 きも活発化 している (南

,1999)。

立岩 は、 これ まで、 日本で、「障害者の自立生活運動」といえばアメ リカやス ウェーデンの ことばか りが紹介 され、日本で1970年代 か ら行われ、後の運動へ と変容 しなが ら引 き継がれた「 自立生活運動」の歴史が如何 に消去 されてきた かを論 じた もののなかで次の ように述べている。

「…… この ように、存在 した活動 は現れて こない。 これは、その主張 を肯定す るか どうか とは別の、事実認識の問題だか ら、指摘 してお く。 けれ どそれだけ ではない。 それ を始 めさせた この社会の必然があ り、それを進めた具体的な力 があ り、苦闘があ り、試行錯誤があった ことが伝わ らない。様々な「流行」や

「流れ」と同 じようにしか、「規制緩和 は世界の趨勢」といった水準で しか、「 自 立生活」 もまた捉 えられないだろう。それは、例 えば「障害者福祉」 を学ぶ人 達 に とって、運動 を受 け継 いでい く人たちに とって、 よ くない。「流れ」や「 ト

レン ド」や「時代」、「だか ら」 と言 う時、間われるべ きことは実は何 も問われ ていない。「 どうも世間 はこうい うことのようだか ら、 こう言えばいい らしい」

ぐらいの ことにしかな らない。 この時 に、力 は奪われて しまい、受 け継 ぐべ き ものを受 け継 ぐことも、間 うべ きことを問い続 けることも、できな くなる。そ れ は嫌だ と思 うのなら―もちろん「純粋 な知的好奇心」で もか まわない一、 こ の章の冒頭 に述べた ことだが、滑 らかな物語か ら逃れて、あった こと、あるこ とを調べ ることである。もう一つは最初か ら考 えることである。」(立,1999:

89‑90)。

流行 にのる。あるいは、現実か ら遠い ところで「あった こと」「あること」を 消去 しつつ声高 になされ る議論 の危 うさ。「滑 らかな物語」か ら離れて、 まず

「あった こと」「あること」を丹念 に拾い上 げてい くこと。 もちろん家族 をとり

(15)

あ げ る場 合 にお い て も、 この姿 勢 で始 め る こ とで あ る。

□ 注

(1)本

論で、精神障害 という場合、主 として「精神分裂病」で、社会生活上、様々な困難 を抱 えている人々のことをさしている。なお、 「 システム」という表現 を用いることについては、

現状の医療・保健・福祉の実状や連携のあ り様 を考えた場合、ためらいもあった。 しか し、

内実はともか くとしても、現在、 「システム」化への志向が高 まっているとの判断か ら用い

た。

(2)岡上・ 大島・ 荒井

(1998)、

全家連 (1993,1994,1997a,1997b,1997C)な どを参照 の こと。

(0 

アメ リカで、特 に

1970年

代 か ら、州立精神病院 を中心 に急激 に進行 した脱施設化 の動 き は、精神医療ユーザー とその周辺 に大 きな変化 をもた らした。多 くのユーザーの生活環境 は 施設か ら地域 に移 った。外来患者 プログラムは、力動精神医学的精神療法の理論 よ りも精神 薬理学的処置 に依拠 したケアマネージメン トに重点 を移行 させ、ユーザー は、精神科医・セ ラピス トよ りも、ケアマネージャー、ソーシャル ワーカー、看護者、リハ ビリテーション相 談員か ら多 くのサー ビスをうけることとなった。クック らは、精神保健 システムが、過去

40

年間 に施設 ケア を中心 とす るシステムか らコ ミュニテ ィケア を中心 とす るシステムヘ と急 速 に変容 を とげて きた現状 において、 コ ミュニテ ィケア に関す る社会学的研究 は緒 につい たばか りである と指摘 している (Cook&Wright:1995:95)。

(4)その規則 の正式名称 は『警視庁令第

41号

 精神病者私宅監置室公私立精神病院公私立病 院 ノ精神病室 ノ構造設備及 ビ管理二関スル取締規則』 (1904年)である。

(5)監護法第一条 に「精神病者ハ其 ノ後見人、配偶者、四親等内ノ親族又ハ戸主ニオイテ之 ヲ 監護スル義務 ヲ負 ウ」とある。 また私宅監置の原型 は、近世 に始 まった とされ る「入檻」で ある といわれ る。明治期 に入 ってか らも、私宅監置 は一つの方法 として行われていたが、精 神病者監護法 は、恣意的 に行 われ る可能性 を もっていた私宅監置 に関す る規定 を法定化 し た。なお、当時の私宅監置の実状の一端 を知 ることがで きる調査報告書『精神病者私宅監置 ノ実況及 ビ其統計的観察』によれば、調査対象 となった多 くの患者が、あ くまで も当時の水 準 とはい え、医療的治療 を受 けていなか った ことがわか る。

(6)事実上、私宅監置 と同 じ方法が、昭和

30年

代 しば ら くの間、存続 していた との証言が、

精神科医 によってなされてい る

(金

子嗣男

,1982『

松沢病院外史』 日本評論社)

(7)保護義務者 は後見人、配偶者、親権者、 その他 の扶養義務者 をさす。 (22条)

(8)そ

の他 に、強制入院 として、都道府県知事命令 による「措置入院」が もうけられた。

(9)「 精神病院の管理者 は、診察 の結果、精神障害である と診 断 した者 につ き医療及 び保護 の

(16)

ための入院が必要であると認める場合において保護義務者の同意があるときは、本人の同 意がな くともその者 を入院させることができる」 (精 神衛生法

 

第 33条

)

10  朝 日新間に、1970年 3月 5日 か ら7回 にわたって連載 された大熊一雄 による 「ルポ精神病 棟」 、1984年 3月

14日

朝 日新聞で報道 された報徳会宇都宮病院事件「患者 2人 に 「死の リン チ」一宇都宮の精神病院で看護職員、金属パイプなどで殴打」など。

CD  この調査にあたって、それまでの精神障害者 0家 族に関する調査の方法論・集計上の問題 点を指摘 し、それ らを克服する方策 を処 している点でも評価できる。一つは、これまでの調 査は、 「調査の目的によるだけでな く調査可能性 という点に制約 されて、対象者が限定 され た り (た とえば、入院患者のみ、措置入院者のみ

)、

どの範囲に調査票を配布 したか母集団 との対応がたどりにくい場合など」のサンプルの範囲・抽出方法の問題があった ことであ る。この問題 を解消するために、熊本・宮城二県下の全精神科医療機関に対 し、病床数 と外 来延患者数の統計 に従って、調査対象数を比例割当し、入院・外来双方をカバーする対象者 を抽出している。その他には、これまでの調査の結果のとりまとめは、単純集計にとどまっ てお り、変数間の分析がなされていなかったので、各変数間のみならず地域間比較分析をも 行 った ことである。

障害者の自律 に対する家族の「消極的態度」、家族内の資源量の程度 を把握する「家族内 資源」 、家族の支持的ネッ トワークを測定する尺度などが開発 されている (石 原・大島

,1984) a31 

大島は、それまでの研究成果 をふ まえ、家族 を「援助者 としての家族」と「生活者 として

の家族」の両面から捉えることを提案 している。前者の家族の援助者 としての機能を「協力 度」 (家 族の援助協力行動数

)に

、後者を、ケアの負担が家族生活 に及ぼす影響 として「困 難感」に操作化 し、さらに、家族の障害者に対する受け入れ意識 として「共感度」を加 え、

これら二つの要素から形成されるものを「家族の協力態勢」と呼び、変数間の関係の明確化 を行っている (大 島 ,1987)。

00  こうした限界性は、次に示すような、障害者の親たちに対する批判の意味するところと通 底 しているのではないか。

「多 くの親たちが持つ障害者観 は「何 もできない、依存するだけの人」 「保護されるべき 人」という健常者のもつ、一般社会の障害者観でしかない。この価値観を受け入れている限 り、親が障害者 (子

)の

ことを思ってどんなに社会に福祉充実の要求をした としても、その 要求は「障害者の自立」を援助するものではな く、親の負担を軽減するためだけの社会シス テムづ くりで しかない。………。 「 ・ ・異議申し立て力をもたない家族に囲い込 まれた障害者は 自立するためには、その価値観 と闘わな くてはならない」 (要 田

,1994:74)

09  筆者 も、親たちが、

Role Captivity(役

割 に囚われた身 )に 陥ることが、親だけではな く、

障害者にとって も、ス トレス状況をもた らす可能性があることを示唆 した (南 山 ,1998)。

(17)

00 Cookら

は、重篤な精神病患者に関する社会学的研究の障壁 となっているものとして次の 4つ をあげている。一つは精神病を思 う人々へのアクセスの難 しさである。二つ日は、社会 学者 自身が精神病や精神病患者 と家族に対するスティグマに満ちた態度 を学習 し内面化 し ている場合が少なくないことである。そして、生物学、遺伝学、精神薬理学の進歩に伴い、

社会学者が、研究を進めて行 くにあたって必要 となる精神病 をめ ぐる知識が軒並み増大 し たこと。最後に、ゴッフマンなどによる質的研究により導かれた知見は、精神病や精神病患 者についてより肉迫 した理解 を可能にしたが、今 日では、こうした質的研究が置かれている 状況が厳 しいということである

(Cook&Wright:1995:95)。

以上の 4点 は、いずれ も、

日本の家族研究にも通 じる障壁 といえるのではないか。

l171  こうした本論の関心を、福祉制度 との関連において、展開する場合、以下に示す杉野の主

張 と共有する部分が大 きい。

「個々の福祉制度を「富の再分配装置」としてだけではな く福祉ヘゲモニーの再分配装置 としても評価 してい く作業が不可欠である。この意味で、クライアントの尊厳や主体性およ び政策立案者 と専門職の主導権や「応責性」

Accountabilityと

いった非貨幣的価値の格差お よびその再分配をいかにして社会福祉学の射程 にとりこむか という点において、従来 にも 増 して社会学理論 との交流が求められているのである。 」 (杉 野

,1994:28)

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*E― mai1/[email protected]

*本

研究 は平成

10年

度〜

11年

度文部省科学研究費奨励 A「 精神障害者―家族の相 互関係 と家族ケアに関する研究」の成果の一部である。

*脱

稿後、保護者の義務規定内容が、一部、改正 された。その改正内容 についての

検討 は、残念なが ら今後の課題 ということになる。

参照

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