商業 政策 の基 礎︵ 二︶
商 業 政 策 学 の 系 譜
− 体 系
︑ 文 献 及 び 方 法
−
川 田 俊 昭 Qu
i be ne d is ti ng ui t, b en e do ce t.
﹁よく弁別する者はよく教ゆ︒﹂
︵W・ゾムバルト﹁三つの経済学﹂より︶
一 嘗って︑竹内謙二氏は︑その著﹁商業政策﹂︵昭和五年改造杜版経済学全集第十六巻︶の冒頭︑次の様に述べられた︒
商業政策学の系譜 七五
経 蛍 と 経 済
七六
﹁﹃商業政策﹄の扱方は様々にして︑未だ一定のシステムある訳ではない︒例えば︑先づ商業の本質を論じ︑次に
対内及び対外商業政策に分説する方法もある︒或は﹃商業政策﹄と言う題の下に︑専ら対外商業政策のみを取扱い︑
対内商業政策には全然触れぬ方法もある︒或は又﹃国際貿易﹄と言う表題の下に︑二部に分ち︑第一に﹁対外商業政
策﹄を説き︑第二に﹃国際貿易の理論﹄を扱う方法もある︒カッセル教授︑ジlド教授の如きは即ちこの方法を採る
もの
であ
る︒
今割当てられたる頁数以内において︑商業の本質︑対内ならびに対外商業︑および国際貿易の理論までも︑
叙述しようとすれば︑それは勢い甚だ広く且つ浅き粗描に終るであろう︒よって私は興味の中心を或一方面に集中し
ようと考える︒すなわちカッセル︑ジlド教授等の採る万法と叙述の仕方とを参考として︑而もその中専ら﹁対外商
一通
り
業政策﹄に限り述べようと思う︒﹂
﹁商業政策﹂(学)の方法に関する限り︑氏の斯かる観察乃至考察がかなり一般的にして八便宜的Vな妥当性を有つ
こと︑従って例えば︑竹内氏よりまさに三十年を経た今日︑桑原晋氏の﹁商業政策﹂(昭和三十五年戦後吾固にお
ける﹁商業政策﹂と銘打った唯一の出版)において︑全く同様の観点が踏襲せられていること︑(同書一四│五頁)
又︑故なしとしない︒
私も又︑私自身の片々徴々たる研究に照して︑商業政策(学)に関する斯かる視点の一般的妥当性をーーかなりの
便宜性に於てではあるが││肯定︑確信する者である︒即ち││
今日にして尚﹁﹁商業政策﹂の扱方は様々にして︑未だ一定のシステムある訳ではない﹂乙と︒
商業政策に分説する方法:::一商業政策一と言う題の下に︑専ら対外商業政策のみを取扱い︑対内商業政策には 商業政策の諸学説を︑主要にして体系的なものに限定する場合︑﹁先づ商業の本質を論じ︑次に対内及び対外
全然触れぬ方法:::﹁国際貿易﹄と言う表題の下に︑二部に分ち︑第一に﹃対外商業政策て伊﹄説き︑第二に﹁国
際貿易の理論﹄を扱う万法:::﹂として夫々特徴的に例示され得ることcωしかも竹内氏が例証として示された八三つの方法Vは︑更にその地位が強調され得ること︒換言すれば商業政
策の主要学説││﹁商業政策の諸体系﹂を八方法上V︑原理上弁別すれば︑大略三つの典型に分ち得ること︒ω如上の考慮は︑今日も又妥当性をもつこと︒依然として有効である乙と︒
もっとも︑私見によれば︑竹内氏の見解には修正乃至補正さるべき若干の項目がある︒即ち││
) 4
・ ・
A
︐ ︐ . ︑
八第一の方法Vというべき││﹁先づ商業の本質を論じ︑次に対内及び対外商業政策に分説する方法﹂におけ
(2) る﹁商業の本質﹂論とは︑その実﹁対内商業﹂本質論を出づるものでないζ
と ︒
八第二の方法Vというべ
L A
‑ ‑
﹁﹁商業政策﹄と言う題の下に︑専ら対外商業政策のみを取扱い︑対内商業政
策には全然触れぬ方法﹂も︑その実︑対内商業本質論(商業本質論)を基礎としていたこと︒事実︑対内商業へ
の言及を怠らず︑又怠り得なかった方法上の八必然性Vを有していたこと︒
(3)
八第三の方法Vというべく││﹁﹁国際貿易﹄と言う表題の下に︑二部に分ち︑第一に﹃対外商業政策﹄を説
き︑第二に﹁国際貿易の理論﹄を扱う方法﹂は︑むしろ第一に﹁国際貿易の理論﹂︑第二に﹁対外商業政策﹂︑
即ち﹁理論﹂が﹁政策﹂に先行し︑前提されるのが一般的であったこと︒又そこに方法上の必然性があったこと︒
而して更にG
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∞∞ム)以上に良き一般的典型が他にあった乙と︒‑ c
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︒︒
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(4)
きれ
︑ ド教授等の採る方法と叙述の仕方とを参考﹂とされ乍ら︑しかも﹁国際貿易の理論﹂を没却﹁カッセル︑ジl
﹁専ら﹃対外商業政策﹄に限り述べよう﹂とされる乙とが︑実は第三の方法の誤認乃至その価値の無視を
商業政紫学の系譜
七 七
経 営 と 経 済
意味すること︒ω﹁割当てられたる頁数以内において︑商業の本質︑対内ならびに対外商業︑および国際貿易の理論までも︑
通り叙述しよう﹂と(意思)されたこと︒換言すれば折角の第一︑第二︑第三の方法をその弁別以前の状態││
‑t;
7¥
八混沌Vに戻そうとされた乙と口そうしようとされ﹀ば︑文字通り﹁それは勢い甚ピ広く且つ浅き組描に終るで
あろう︒﹂それは竹内氏のみに限らず︑商業政策学者の通弊である(と私は信じる)が
i
1それがため商業政策の
概念を︑殊にその発生的根拠において︑或は方法的(論理的)根拠において極めて暖味模糊たらしめる︒││商
業政策(学)の解体︒それは恰も吾固における﹁経済原論﹂︑﹁経済学史﹂なる珍学科の八何でもや主義V︑八
百貨主義Vと軌を一にするものである︒
万法(思考形式)上︑異る種類︑性格のもの冶八常識的V混靖は︑八学問Vの名において飽迄乙れを避くべき
であ
る︒
I
・カ
ント
の謂
う︑
﹁諸学の限界が混請されるならば︑それは学問の増大ではなくして崎形化であるよ
商業政策(学)の八歴史Vを尋ねるならば︑五口々は果しなき人間思想の瞭野を遠く初径うこと冶なろう︒ましてそ
の八体系Vを求めることは到底不可能といって差支えない︒カント流にもじれば︑五口々の認識界の認識界も﹁広漠と
加うるに商業政策(学)が︑重要な意味では︑商業学(貿易論)︑経して荒れ狂う大洋に固まれたる弧島である︒﹂
済学(国際経済学)︑経済政策学︑その他所謂﹁経国済民﹂の学││の原初形態として在った歴史的事情が一層その
困難を助長する︒ー
ll
・スミスの経済学が重商主義批判を端緒した乙とを想え︒しかも﹁五口々は︑屡々居もしないA
黒猫を見つけようとして︑暗闇の中を捜し回っているのである︒﹂
カf
﹁混沌のなかに科学はあり得ないよ従って
私は
︑
一見極めて安易乍ら︑方法上︑便宜上の措置として︑
﹁商
業政
策﹂
(出
向富
島巴
名0
5‑ w‑ gB B2
巳巳
句︒
‑古
可)
と銘打った文献にその始源を求め︑しかも﹁商業政策学﹂の名に値する体系的︑模範的なそれを手掛りとして︑今日
に至る商業政策(学)の系譜を綜観︑粗描(スケッチ)したい︒
一九
O
年より一九三0年代にかけて出版された﹁商業政策﹂の八体系的取扱いV︑乃至八名著Vと言わるべき決O
定的なものを三つ挙げるならば││‑
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門出
向富
島巴
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ω句 ︒
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而してこの問︑商業政策(学)の基礎は一応固まったといってよい︒所調商業政策(学)の﹁古典﹂である︒方法
上︑原理上ブ乙の学問の有つあらゆる可能性は一応検証されたのであり︑良かれ悪しかれ︑今日に至るその発展の方
途も八法則Vとして定礎されたのである︒
私見によれば︑それら三著が八第一の方法V︑八第二の方法V︑八第三の方法Vを︑夫々代表するのである︒
﹁方今商業政策に関する一部の纏りたる名著としては︑先づ米人﹃フィスク﹄氏の
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B52︒
巳包
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2と填人﹃グルンツェル﹂氏の∞
3ZB
品︒
同国
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仏巴
唱︒
E停とを挙げざるを得ず︒﹂││とは明治四十五
年(一九一二)︑松崎寿氏の﹁解説フィスク氏商業政策﹂序言において述べられたところであるが.
ラll│R・F
・ハ
ロッ
ド︑
B・ォlリンと共に﹁近代貿易理論を代表する﹂││の﹁名著﹂
更に私はハl
パ
UO
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件 ︒ 円 ロ
ω立 ︒ ロ
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商業政策学の系譜
七 九
経 営 と 経 済
7¥ O
国自
円四
Zi
‑‑
それを﹁商業政策の著書﹂と見ることに異議ある人も決して少くないと推うがーーを附加することによ
って︑その完全を期したのである︒
尚グルンツェルについては
開︒
︒ロ
︒百
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司円
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昨日
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その他があり︑フィスクについては彼の死後
同 ロ 件 ︒
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品︒
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∞ω∞ P・S‑スによる同書の改訂(一九二三)が行われたこと︑パl
副題
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ロ件
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又ハ
lバラーについては同書の英訳
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があることも必須の参考といえよう︒
而して今日吾々が八新しいV商業政策(学)の八体系的V著書を求めるならば︑﹁商業政策﹂書の霧散︑消滅して
いることに気付くであろう
ol
ls
戦後ドイツにおける国
ωロ仏己唱︒言停﹁教科書﹂の復活は︑特殊なケlスとしてこ
れを問わない︒果して︑商業政策(学)は一塵も止めず消滅し尽したのであろうか︒否!
むしろグルンツェル
Il
‑‑
フィスク││ハlバラ!と発展して来た最後の様態たるハl
バラ
lの方法が︑更に洗練され︑その適用の範域をも広
く深く地歩を固め来ったことを発見するであろう︒即ち八貿易理論及び貿易政策Vとしての貿易論︑即ち﹁外国貿易
論﹂
︑
﹁国際貿易論﹂又は﹁国際経済学﹂と呼ばれるもの﹀現代的誕生がそれである︒
諸多の文献中︑一方﹁理論﹂︑他方﹁政策﹂より斯かる八新しいものVに迫る好個の手立としてはーーー
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ロ巳
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︒ロ
︒自
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ω
そして吾々の所調八古典Vと八新しいものVとの間にあったもの︑換言すれば八過渡的なものV︑それを代表する
ものとしては││
ゎ・ 司・
ω回
丘 何 回
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一 ︑
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︒ハ
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︒︒ 同z m
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︼円
︒︒ 芹ア 一∞ M ω
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四
0・一∞
ω ω
・
同時期(ということは︑欧米より一期八流行V
が遅れてーーの意)の本邦文献としては││
関
﹁商
業経
済政
策﹂
(明 治三 十九 年) 津 村
秀松﹁商業政策﹂
(明 治四 十四 年)
上田貞次郎﹁商業政策﹂
(昭 和五 年) 平 野
常治﹁商業政策概論﹂
(昭 和十 二年 )
戦後のものとしては︑前述せる
桑 原
晋﹁商業政策﹂
豊吉﹁貿易政策体系﹂
(昭 和三 十五 年)
の他に
油 本
(岡 和二 十四 年)
井向
鹿松﹁外国貿易論入門﹂
﹁乙の書はエンケの著書によっていると思われる﹂
(回 和二 十四 年)
いづれも戦後の出版乍ら︑そのタイトル﹁商業﹂︑﹁貿易﹂(国際商業)の象徴する︑八古典V三
著への対照は実に見事なものである︒即ち桑原氏のそれがグルンツェルに︑油本氏がフィスクに︑向井氏がハlパラ 乙れら三著は︑
ーに夫々最も近い八方法Vを採っているーーという乙とが出来るからである︒
商業政策学の来譜
y、
経 営 と 経 済
入
八第一の方法Vを代表するグルンツェル﹁商業政策体系﹂
(∞
三件
︒自
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同国
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向日
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︒
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は︑第一篇﹁圏内商
(E 52
出g
品︒
‑名
0 5
跨)︑第二篇﹁外国商業政策﹂
頁数にしても第一篇と第二篇は半々である︒第一篇就中開EZ伊丹ロロ聞の諸項目は││
業政
策﹂
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5
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商業及び商業政策(国g含
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ロ仏
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商業の概念及び意義
2
商業の変様
3
商業政策の課題
E
商業の発達
古代の商業
2
新時代の商業
3
現代の世界貿易
即ちグルンツェルの商業観︑商業本質論が乙︑に展開されている︒而して﹁序論において与えられた概念規定に基
き︑その範障に入ってくる現象を体系︒つけようとする理論は︑最初に規定せられた概念によってその方法ならびに内
容が決定せられる︒﹂││私が序論乃至概念規定を八方法上V尊重する所似である︒﹁概念規定は序論であるとともに
結論
であ
る︒
﹂
︿第二の方法Vのフィスク﹁国際商業政策﹂(同E2ロω巴
︒ロ
巳わ
B︒
B2
巳巳
可︒
ロ巳
2 )
︑殊にその第一章吉可︒品・
C2FOロは︑グルンツェルの何百芯伊丹ロロmに酷似している︒即ちli
2
概商業の意義
説 3
商業の客体
4
商業の分類
5
商業の政治学
6
商業の政治的規制
7
古代商業の一般的性格
8
古代商業の発達
9
中世の商業政策
10
商業の発達
宜な
るか
な︑
フィスクはその序文に於て言う︑﹁著者はグルンツェル氏の名著∞可
ωZ B
品︒
同国
ωロ
宏一
︼名
︒E
符 に
負う所が砂くない﹂と︒もっとも︑フィスクの場合︑全篇が関税政策論︑貿易制度論等を中心とする﹁外国商業政策'一
論即ち八貿易政策論Vである︒それは恰も﹁貿易論といえば︑貿易︑為替取引の実務書か関税政策論かであった﹂数
十年前の学問的情況と一種共通するもの(一種の暗示)を含んでいる︒換言すれば︑ハl
パラーへの途はフィスク(
本邦では︑近年乍ら︑平岡謹之助﹁貿易政策論﹂昭和三十一年 或はフィスク的なもの︑例えば巧・国・国
22 Em og
品︒
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25p吋叶FOハU 2 0
回 目 BE op Mロ
仏包
・一
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・
がその著しい典型である)において既に半ば聞かれ
ていたーーということが出来る︒
商業政策学の系譜
7¥
経 営 と 経 済
人 四
際貿易の理論﹂
用理論﹂と副題)である︒ 八第三の方法V
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ハ
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パラ
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﹁国
際貿
易﹂
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品 ︒
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︑第二篇﹁貿易政策﹂
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至﹁
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商業
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第一
篇﹁
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国際貿易の概念規定
古典派理論
2
資本及び労働の国家的被拘束性
3
古典派概念規定に対する反対
4
他の概念規定
E
政策家の立場からの国内商業と外国商業
国際貿易理論と一般経済理論との関係
5
一般理論の特殊としての国際貿易理論
2
以下の研究への計画
即ち
ハ
l
パラ
iの場合︑前二者に比し特徴的なことは︑
理論たるや巳
‑ m o E
E ロO
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止 丘 四 回
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ω八理論Vが八政策Vに先行すること︑しかもω
その
(一般経済理論)の﹁一特殊化﹂としてあることーーである︒而し
て以上二点に関する限り︑R・v・
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‑ボルヒト││国
ωロ
品己
ω勺 ︒
z t w ‑ Z F Z
の開拓者の一人︑グルンツェルの先
駆者︑フィスクにとってはグルンツェル同様模倣の的となった人
ll
の
が ︑
ω第一篇﹁商業﹂論︑第二篇﹁商業政策﹂論であり︑しかもω第一篇の理論が商業経済学のそれであること
出向
富島
巴ロ
ロ仏
国
ωロ 品 ︒
‑ 2
︒o
z z w ( 一 ∞ ∞
∞ )
ーーと全く対照的である︒尚ボルヒ卜における第二篇の大綱はlj
2
一般商業政策
圏内商業政策
外国商業政策
以上︑グルンツェル︑フィスク︑
3
ボ ル ヒ ト
﹁商業及び商業政策﹂
(一
入九
九)
学一
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一
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58
門 戸
︒ 一
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対外
同︼o ‑
ご 一口 同
ハ!?フl三者の関係を︑ボルヒ卜の場合も加え︑簡単に表示すれば
l l グ ル ン ヅ ェ ル
﹁商業政策体糸﹂
こ
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一 )
対 内
炉ー‑ t;"
対 外
同︼O
戸 伊 丹F W
但し斜線白部分は概念規定に関わる本質論││国内外を
問わず﹁商業の本質︑形態を論じたもの﹂
商業政策学の系譜
フ イ ス グ
﹁国際商業政策﹂
(一
九O
七)
ハ1
パラ
1
﹁国 際貿 易﹂
(一
九三
三)
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感
経 済 学 → 対 外
旬︒
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外、
五
経 蛍 と 経 済
人
/ 、
四
商業政策とは何か︒平野氏﹁商業政策概論﹂第二章第四節﹁商業政策の意義及び体系﹂
││﹁商業政策とは︑国家が︑国民の経済生活の維持発展のために︑内外の商業(国内商業及び国際貿易)に対して (同書五十四頁)によれば
直接的に施す所の手段の総体を云う︒﹂
商業政策の八政策主体Vは﹁国家﹂であり︑八政策目的Vが﹁国民の経済生活の維持発展﹂︑よって商業政策││
﹁その主体及び目的は一般経済政策と共通である︒﹂
市して政策目的││﹁八吾々の欲するものは何かV(目標)の究明は︑社会科学の領域を越えて倫理学の分野に入
ってしまうよそれが﹁公共の福祉﹂
(G
・v
‑
シュモラ
l)
であ
れ︑
﹁経 済的 厚生
﹂で あれ
︑
﹁人間活動の究極目標
を評価することは社会科学の仕事ではない︒﹂(ボl
ルディング前掲書二頁
) M
・ウ ェ
lパ!の言葉を用いれば乙う
である
ll
﹁経験科学は何人にも何を為すべきかを教えることは出来ず︑ただ彼が何を為し得るか︑及び││事情に
よっては
ll
何を意欲しているかを教えることが出来るに過ぎないよ
( g o o z o E z z g
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戸間︾
02
2ω
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開ユ 円︒ ロロ 片岡 ユタ コ山 口九 千)
﹁目的に関する論評︑即ち人々の正しい欲求の対象は何かという
議論は︑科学者の領分というより哲学者或は神学者の領分なのであるこ││ボlルディングは﹁経済的進歩﹂︑
経
済的安定﹂︑﹁経済的正義﹂︑﹁経済的自由﹂の四つの﹁目標﹂を掲げているが︒同様にして八政策主体V自体の分
析︑即ち﹁政策に関りをもっ人々の組織或は集団はいかなる性格のものか﹂という問題についての研究は︑政治学︑
社会学等他の部門科学の領域に属する︒
斯くて八政策手段
Vl
│政策客体に対して﹁直接的に施す所の手段の総体﹂と︑八政策客体
Vl l
﹁内外の商業(
園内商業及び国際貿易)﹂が︑商業政策(学)固有の問題領域として残るとと﹀なる︒﹁商業政策とは商業に対して
直接的に加えられる経済政策である︒凡そ商業は人類の文化生活と極めて密接なる関係に在り︑従って経済政策の各
部門︑即ち農業政策︑工業政策︑金融政策︑交通政策︑社会政策等々は勿論政治上︑軍事上︑文化上の凡ゆる国家の
政策は悉く商業に対して多少の程度に於て影響を及ぼすものである︒乍併︑此等の商業に対して間接的に影響する所
の政策を悉く商業政策と称することは出来ない︒只商業に対して直接的に加えられる政策のみを商業政策と称するの
である︒故に例えば商業に関する一般法律制度を改善し︑商業教育を振興し︑或は銀行金融制度を改善し︑交通機関
の発達を促進する政策の如︑きは︑何れも商業の発達に大に貢献するものであると雄も︑商業に対して直接施される政
策ではないから乙れを商業政策と称することは出来ない︒﹂(平野氏前掲書同頁)要約しよう︑
牧入︑通信等に関する大凡の政治的規制は商業に影響あるは云う迄もないが︑唯直接に
( E 2 2
‑ 可)意識的に商業に
影響するもの冶みが︑商業政策の範囲に属する︒故に商業政策は法律︑制度及び商業を統御する統治権の作用たる行
政手段との三要素から成り立つ︒﹂(フィスク前掲書八l九頁)
而して従来の商業政策(学)では概して
﹁教
育︑
私有
財産
︑
八政策手段Vに問題を集中していた(即ち技術論)と
いう乙とが出来る︒しかし商業政策(学)の対象として最も強調さるべきは八政策客体Vであり︑最も強く要請さる
べきが八理論V即ち意識された政策客体の充分な分析であるーーというのが私の強い確信である︒ (就中吾国では)
﹁政策と原理は別
個のものではない︒経済政策の原理は経済学の原理なのである︒﹂
商業政策が飽迄﹁政策﹂である限り︑その論点が八政策V即ち政策手段に集中され来ったのも︑或意味では︑至極
当然といえよう︒しかし有効な政策︑合目的々な政策手段とは︑それがまさしく適当
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仲間ロ
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すると乙ろの政
策客体(政策対象及びその八与件Vとしての政策の場)の充分な知識︑適確な分析を八基礎Vとせずには︑文字通り
商業政策学の系譜
八 七
経 営 と 経 済
入 入
有効︑合目的々(Nd︿2
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忠岡)な政策︑政策手段たり得ない︒││﹁経済政策の研究は︑経済の諸原理を解明すr
るい
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ボールディングの詩(?)に説く知く││
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これは自明である︒しかし﹁あまりに自明な命題であるために︑それが真理だということを多くの人々が忘れてし
まっているのであるo
﹂政策学における政策客体の知識乃至分析の意義││ボ
lルディングは乙れを﹁恒等関係﹂
(E OE Eo ω)
という言葉で次の様に説明している︒(前掲書三│八頁)
﹁経済的宇宙は︑社会におけるすべての経済量││すべての価格︑賃銀︑利子率︑所得︑資産︑財産権︑租税︑支
出︑証券及び財の消費量︑あるいは蓄積量等々ーーを並べあげるととによって記述出来るo﹂
の様な無数の量のいかなる組合せでも︑あるいは経済的宇宙のいかなる八状態Vでも︑それが基本的恒等関係をおか
生産
量︑
しかし﹁と
す様であれば︑明らかに成り立たないのであるo﹂つまり﹁恒等関係によって︑社会的或は経済的宇宙が限定され︑
そこにものととの起り得る可能領域が決まる︒つまり不可能領域が規定されるのである︒﹂それを無視したいかなる
八政策Vも﹁成り立たないのである︒﹂
といって斯かる﹁恒等関係﹂は特にむつかしい定式化を意味するのではない︒むしろ﹁自明な命題﹂ばかりといっ
て差支えない︒﹁いくつかの例をあげてみよう︒吾々が消費する量と蓄積する量との合計は︑生産量より多くても少
くてもいけない︒純資本は︑純資産の増加以上に増加することは出来ない︒労働︑土地︑資本という資源の許す範囲
を越えて恒常的な生産を続けることは出来ないc生産プラス輸入が︑消費プラス輸出を越えないならば︑吾々は資本
蓄積をすることが出来ないし︑従って将来の生産を増加させることも出来ない︒国際牧支のすべての勘定が同時に黒
字になる乙とも出来ないし︑すべての国が同時に国際収支の黒字をもつこともできない︒:::﹂
勿論﹁恒等関係がすべて自明だというわけではない︒そして︑それを発見し叙述するのが経済分析或は社会分析の
即ち普通﹁経済分析﹂と称せられるもの︑定式化︑換言すれば八政策の基礎Vとして
の八理論
V(
﹁純粋経済学﹂的なもの
ll
これに経済社会学的︑﹁国民経済学﹂的なものをも私は附加したい)がそ
れである︒而も理論は更には﹁提案された一連の政策の意図する様々の結果について︑それが果して達成されるかど
うかの確率を評価するために:::同時にその提案自体の価値を評価する助けにもなるのである︒﹂││理論が確立すれ
ばそれを﹁商業政策の効果の吟味にも容易に応用できる︒﹂(科学的価値判断の可能性)
もっとも﹁経済的宇宙中の蓋然性の最も高い部分を明らかにしたとしても︑最善の政策は何かという問題を︑未だ
解決していない︒というのは︑蓋然性領域のなかだけを考えてみても︑システム中の各種変数と政策との組合せ方は
無数にあるからであるこ而して﹁その蓋然性の範囲を更にせばめて︑合理的な政策の選択範囲を明確につかまえる
ことが出来るかどうか︑ということが近年多くの注意を引いて来た︒八厚生経済学Vとして知られる経済分析の領域
は大部分乙の問題に携っている︒﹂
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lーが︑それが例えヒントの一つであったにせよ︑ボールディングの言う如く︑五口
々の折角辿って来た考え方を︑直ちに﹁厚生経済学﹂に結びつける容易きについては︑私は甚しい疑惑と爵踏とを感
じざるを得ない︒兎もあれ商業政策(貿易政策)上︑同様視点を有つ八新しいVものとしては
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主要任務の一つなのであるこ
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商業政策学の系譜
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