企葉と地域社会
77企業と地域社会
桜井克彦
一 序
二 企業利益と地域社会利益との対立 三 地域社会に対する企業責任 四 現代企業と環境汚染問題
一 序
現代の大企業は,その内外をめぐるさまざまな利害関係者に直面してお り,これら利害関係者の利益を尊重し促進することを要請されている。かか る利害関係者のうちの一つに地域社会が存在する。企業もしくはその工場設 備が位置しているところの特定の地域社会は,企業の大規模化に伴い地域社 会に対する経営決定の影響が増大するにつれ,ますます企業活動への関心を 深めてきており,企業はその存続・成長のためには,地域社会の期待に対す る配慮を不可避的たらしめられつつある。本稿では,現代企業が直面してい るところの対地域社会責任について若干の検討をしたい。
二 企業利益と地域社会利益との対立
企業の大規模化に伴い地域社会に対するその影響が増大してきていること は,あらためて指摘するまでもない0企業の盛衰は地域社会の経済に対して 重大な係わりあいを有しており,地域社会はその経済的福祉を企業の政策決 定に大きく依存している。企業の活動はまた,いわゆる公害問題,ないし環 境汚染問題を惹起しており,この問題に対する社会的関心が増大しつつあ
る。このように企業が地域社会の経済的支柱となり地域社会に対するその影
響が増大するにつれ,地域社会は企業に対しさまざまな要求もしくは期待を
有する至っている。
しかるに,企業の観点からは地域社会というものは,企業が奉仕すべき多 様なク勺レープの一つに過ぎない。企業は,株主,従業員,消費者をはじめと するさまざまなクツレープの期待に直面する
oのみならず,企業が係わりあう 地域社会は,しばしば複数である。かくて,地域社会と企業との聞には深刻 な利害対立が存在するのである
D本節では,乙のような対立の不可避性,および対立問題の根の深さをロン
(1)グの所説のうちに知ることにしよう
oかれはかなりに伝統的な企業観および 経済観に立つとともに問題をかなりに政治学的観点から考察しており,乙の 点でかれの所説には多少の問題も存在するが,しかしながら,それは地域社 会と企業との聞の利害対立の存在を明らかにしているといえよう口
ロングは,まず,企業と地域社会との間の利害対立の可能性を指摘する。
「会社と地域社会なる問題は,グアテマラにおいてであれニューヨーク州 l 乙 おいてであれ,程度は異るが性質は異らない。いずれの場合も土地のひとび とは,地域に結び、つく共通の運命を受け入れないような,つまり,その利害 関係者の指示に応じて荷をまとめて立ち去るほどにその根が浅いような機関 に,関心を抱く
O経済的な存続と成長に関心を抱くエンティティとして会社 は,もしそれが利潤最大化と損失の最小化というその目標を達成せんとする ならば,地域的に可動でなければならない。地域への忠誠と会社への忠誠と は対立しうる
D地域社会にとっての善と会社にとっての普は,必ずしも一致
( 2 ) しないのである。」
ロングにあっては経済の現実およびあり方についての伝統的見解に基い て,かかる対立は不可避であり,かっ止むをえないとされている
oかれは いう。
「……しばしば事実がごまかされたり非難されるのだが,会社は,抜け目
なくかっ合法的に出来る丈かねを儲けるととに従事している
O乙れが,資源
の最適配分を達成せんとするその機能化が意味するととである。会社は生産
の諸要素の可動性に関心を抱くのであり,その目的を,つまり利潤の確保と
損失の回避とを達成するためにそれらをその土地および他のところで結合し
企業と地域社会
79ょうとする
O経済的諸資源を最適に配分するというその機能の遂行を試みるにあたって 会社は,経済学者が厳格さと呼ぶところのものに直面する
oこれらの厳格さ は,旧式の管理,旧式の労働,もしくは旧式の立地からなるかもしれない。
……そのなかであなたがかねを儲けるところの,そしてあなたに依存するよ うになっているところの共同体は,見殺しにし難い。だが,遅かれ早かれ会 社は,存続のためにかねを儲けねばならない。感傷はある点までは,無害な 賀沢か P R上の必要物であるかもしれない。その点を越えてはバランス・シ ートが組織と立地を指令せねばならないのであり,さもなくば競争に敗れる
(3)
であろう。」
「資本主義社会においてはわれわれは,企業経営者が利潤の慎重な追求に 際して資源を配分することに依存している
D一般にシステムは,企業者達が そのコストを競争的たらしめその企業を効率的ならしめることができる程度 に従って,効率的である。かれらの忠誠の作用は,かれらの会社に対してで
なければならぬ。かれらが地域社会に関する配慮をば会社の利1[i~へのその関心に優らせしめる程度に従って,かれらは会社に危害を加える
oより重要な ことにはかれらは一国および世界の経済に危害を加える
D資 本 主 義 の 論 理 は,利潤の追求を通じて資源の最適配分を求める
D他の諸考慮が侵先を認め られるとき,水増し雇用,不適切な立地,もしくは他の高コスト要因が経済
(4)
の競争的有効性を損うであろう
oJそして,かくのごとき利害対立は自然には解決されえないとされる
o iひ とびとが実現を求めるすべての価値の間に自然的調和が手近に用;なされてい
(5)
ると考えることは,根拠がない。」
さてロングは,とりわけ地域社会の政治的機能の支配者と経済政能の支配 者との問の歴史的な分化が,地域社会と企業との利害対立,ないし地域社会 に対する企業の無関心さを今日もたらしているとみる
Dかれはいう。
「紳士階級もしくは向人大名による支配という昔日には,地域社会の指導 ( 6 )
者連は,地域に対する強い同一視を有する土者の家族連であった。
Jiます
ます,
12高の経済的な権力と威信とを占める地位は,全国的な諸会社の階級
(7)
制度のうちにある
oJ rその結果は,支配的階級と地域社会におけるその態 度との奇妙な断層である
o最高の経済的な威信の地位にあるひとびとが地域
( 8 ) 社会に密接にコミットをしていないということを,それは志味する
oJそしてロングは,土着の家族経営的企業から全国的規絞の大企業へという 企業の一般的パターンの変化によってもたらされた,地域社会に対する企業 のこの無関心が,地方自治に,ひいては立志民主{聞に与える影響を重視する。
すなわち,かれは地域社会の価値と企業のそれとの対立の存在なる現状が有 しているところの政治的意味をめぐって,つぎのようなことを述べている口
r..
・
H・自治的な地域社会は,英米の政治的文化の価値枯造の中で,そして 実際,西欧文明の多くで,政治的な善である
o……自治的な地域社会は,積 極的な市民連の側における,諸価値の政治的な成就への意義ある積極的参加 を可能ならしめる制度である
oさて,乙のことが会社と地域社会にどう関係、があるのか。第ーに,会社は 指導者的才能の貯水槽である
Dそれ自身の経済的利己において,それは利用 可能な最良の才能を求めてアカデミックな労働市場を探索する
o……会社は 社会の潜在的な指導者の主要な割合を吸収する,もしくは吸収しようとする のみならず,それは地域社会において,最高の地位に関して重要にして増大 する割合を獲得している
o加えて,私的な官の衰退に伴って,その上層のひ とびとの祝儀と俸給は地域社会の慈善活動の主要な資金源である
o地域社会 の民間的な文化と厚生への資金供給におけるこの支配的地位のほかに,地域 社会の物質的福利が依存すると乙ろの経済的な諸決定が存在している。
……会社経営者のジレンマは,自分達をば第一次的に地域社会の市民とみ る(つまり土着のひとびとを指向する)か,第一次的に会社の市民とみる
( 9 ) (つまり,究極的には呉邦人にとどまる)かどうかである
o J「もし経済を政治と分離できるならば,生産と配給の効率を泊大し維持す
るために諸資源を再結合するというその仕事を行なっている,自由に漂う会
社経営者は,なんら問題を提示しない。不幸にも,そのような分離は行ないえ
ない。……会社は,そこから重要な指導的任務が期待されているところの地
位と権力を大いに提供している。それ故,会社経営のメンバーは,否応なしに
企業と地域社会
81地域社会の統治的エリートのメンバーである
oもしかれらがその指導的機能 の遂行を拒否するならば,かれらは真空を創り出すのであり,その真空は他 のひとびと(社会の地位階層におけるその位置が自分達をして企業指向的文 化を疑わしめるような,そして,経済に対する直接的関心のその欠如が,仕 事の世界でなにができるかに関して自分達を誤り導くようなひとびと)によ
って充されうるに過ぎない。
・・アリストテレスが以前に認識しているように,少くとも公的生活にお ける,より責任ある役割において必要とされるところの,余暇,保障,およ び,粗野な金銭的関心からの自由のためには,ある経済的財産が必要であ る
Oもしかかる余暇,金銭,威信,尊敬,および保障を提供する地位が会社 不在地主の駐在機関の子中にあるならば,誤った管理と,土着住民の不満な
( 1
) 0らびに反乱という歴史的相似物が適例である
oJロングは,企業による対地域社会責任,とりわけ政治参加責任の引き受け の必要性を以上のように強調する。しかし,かれによると現実にはそのよう な責任引き受けは充分にはみられず,一極の「植民地主義」が地域社会をめ
ぐって企業には存在する
Dすなわち,企業経営者はかかる責任履行の熱なももたないし,また,理論 の欠如および、現実の競争の中でそうせざるをえない。
「多分,
1930年代以降の,地域社会における最も志義深い変化は,地方的 舞台に対する会社経営者の権力の漸次的な衰退である。経営者がますます,
不在所有者の代理人となり,
Jjiなる波り烏として政治の熱の回避と口あたり の良い
PR的イメージの維持とに勤勉に努めるようになるにつれ,かれら
( 1 1 )
は地域のことがらに関する芯志と権限を失ってきた。……
JI地域社会にお
ける会社経営者のあいまいな地位は,解決が困難である。一方では,その威
信ある経済地位によって,かれらは背の紳士と商人もしくは製造家の責任お
よび指導的役割の相続人であると恕定されている
O他方では,会社の役員と
して,かれらの(命理と│児心はそのサービスに結びつけられている
O対立がみ
られる場合には,地域社会よりも,むしろ会社がかれらの最高の価値となり
そうである
Qこのことを知りつつかれらは,地元民の不
{i?と不
j111jを招来して
いる
o地域のリーダシップの責任を放棄しようという試みは,経済的名士は 市民の指導者であるべきであるという,共同体の
iZの管理は共同体の利益と 一致すべきであるという強い要求と街突する
oむろん,会社の富は会社のも のであり共同体のものではないというのが,バナナ産出国のみならず地域社
( 12 )
会における会社の正確な立湯である
D……
J I地域社会志識の責任に関する 苦痛を伴わずに慈悲深く権力をいかにして保持するかについて依然として事 業家が暗に夢想しているところの,古典的経済学の理論は,より現実主義的 にして満足しうる理論によっては決して置き代えられていない。……他方で は,もし会社がその至高の職務が効率的にして成功する企業であるべきこと を忘れるならば,会社にとってのみならず,より大きなものに,そして,地
( 1
3)域社会にとってさえも,実際的危険が存在する
o……」
しかしながら,地域社会にもそれ自体のいい分が存在する。裂するに,経 営者における価値対立の問題がやはり出現するのであり,経営者はその解決 に関心を払わねばならないのであって,乙の点をロングはつぎのように結論 する
o「会社経営者の二重性は残る。会社の奉仕者として,ならびに,国民的お よび全般的な経済の暗々担の奉仕者として,かれは地域社会の要求および客 観的長所を冷静かっ客観的に眺めねばならない。しかしながら,地域社会に おける最高地位のグループとしてかれは,共同体の共通の運命をともにし,
共同体運営なる長期的責任にコミットすることを期待されるであろうし,そ れに違反すれば呉邦人的略奪者であると考えられるであろう。会社は権力,
すなわちひとびとその共同体との生活に対する権力を担っており保持してい る
oひとびとと共同体は,権力が責任ある具合に行使されることを不可避的 に要求するであろう。会社経営者は,史上の多くの他の権力保持者と同様,
二人の主人つまり会社と地域社会に奉仕することを要求されている
o奉仕は 困難である
O妥協と調停が,殆んど不可避的である
o一つのことが明らかな ようにみえる
Dすなわち,会社は,現代の企業指向的文化の公共的に受け入 れられた指導者的役割を地域社会では占めえず,また,役割従事が意味する
( 1 4 )
責任を回避しえないのである口」
企業と地域社会
83ロングは,企業と地域社会の関係、について以上のように論じている
oかれ は企業と地域社会の関係を歴史的・経済的に眺めつつ,企業と地域社会との間 の対立の不可避性と深刻性を,また,企業による地域社会への配慮の必要性 ないしは地域社会の政治・経済問題への関与の必要性を説く。かれの見解が 全面的妥当性をもちうるかは,むろん問題が存在する。かれは企業と地域社 会との聞の利害対立を,企業による営利追求と地域社会の利益との聞の対立
・矛盾として解する。また,企業による政治参加の必要性を説くかれの見解 は,社会における企業の機能の正当性ないし必然性について考察すると,き 微妙な問題を有することが判明しよう
Oつまり,企業による不当な政治干
( 1
) 5渉の危険性の存在であり,かかる危険の一つは温情主義の危険である口これ
らの問題にもかかわらず,かれの所説は地域社会に対する企業責任の主要性 を理解するうえで,かなりに示唆に包むといえよう。
註
(1) Norton E. Long,
in The Annals of the Amerkan Academy of Political and Social Science, 1962, PP. 118'‑""'127.
(2) Ibid.
,
p.119. (3) Ibid.,
p.119. (4) Ibid.,
p.119. (5) Ibid.,
p.119. (6) Ibid.,
p.120. (7) Ibid.,
p.120. (8) Ibid.,
p.121 .
(9) Ibid.,
p.123. (10) Ibid.,
PP.124'""'‑'125. (11) Ibid.,
p.125.(
1
2) Ibid.,
PP. 125,‑...., 126.(
1
3) Ibid.,
p.126.(
1
4) Ibid., p.127.(
1 ) この点についてはt 5 l l l稿「社会的責任と責任否定論
J,経営と経済,
125号 ,
を参照のこと。
三
地域社会に対する企業責任現代の企業が地域社会に対して負う責任の本質を更に理解するためには,
かかる責任がなに故生じておりその性格はなんであるのか,また,責任の具 体的内容はどのように理解されうるかが,問われねばならなし可。イーノレズは 責任の論拠についての検討を中心に,地域社会に対する企業責任を考察して
(1)
いるが,かれによる検討は上記の問題に対する解答への手掛りを提供してお り,はじめに責任の論拠と本質についてのかれの所説をみていこう
Oイーノレズは,地域社会に対する企業責任が企業もしくは経営者によって主 張される論拠として,三程のものを挙げている。
第一のものは,責任受け入れは企業にとって引き合うというものである
O「よく運営される会社はみな,効果的な地域社会関係プログラムのためにか なりの努力を払っている
Oというのは,これは
J慎重な経営者の不可欠な職能 である
O……そのようなプログラムに対する支出は原則として,必要な予算
( 2 )
綱目として正当化される口……通常,報酬は支出を正当化する
oJ Iより良 い労働者の雇用,回転率と欠勤の減少,仕事の満足とモラーノレとの改善,売 上の増大,および,会社に対する地域社会のより良い理解と受け入れとの創
(3}
造」といった明確な利益が存在するのである口
第二のものは
Iギプ・アンド・テイク」のそれである。
r地域社会関係 のプログラムに対する論拠はまた,会社と地域社会の聞の如き相互間の義務
( 4 )
に基いて主張しうる
oJ企業は,学校,教会,地方自治体,公益事業,社会 奉仕機関に対し,それぞれのサービスを通じて自己に便益をもたらしてくれ ることを期待し,その代りに,地域社会は企業に,規則的な雇用・良い作業 条件・公正賃金・仕事の満足,商品と用役の地元購入・地元での貨幣流通の 増大,慈善や文化の計画への寄付,税の支払,清潔にして魅力的な事業所を
(5)
期待するのである。
第三のものは,良き会社市民たるべきことに基くそれであり,要求されて
いるがためではなく正しいがために責任を履行するというものである
o Iこ
れは,殆んど代償物論議ではない。ここでは,大変異る論義領域に移ってい
íÌで~~と地域社会 85
る
O地域社会責任の論拠は,アリストテレストのコイノニア的な論拠に,す なわち真の市民たることにとり必要な道徳的徳をもっ隣人たちの友愛なる論 拠になる
O会社は,功利主義的な生産者達の集り以よのものであるところ
(6)
の,一撞の団体なのである。」友情ないしコイノニアは正義のきづなで固め られているのであって1"されば,地域社会において会社市民の感覚をはぐ くむと(この程の論議で〉考えられているものは,共通的な正義感における この同族性である。会社の責任が指示するものは,単なる親近さをば,つま り,隣人は隣人の権利を尊重すべきであり,また会社の地方工場‑が地域社会 と並置されているという事実をば越えたものである
D実に,会社隣人は,公 益に対する良心的な関心をばその仲間の市民とともにしているひとびとの団
( 7 ) 体なのである
oJイールズは第三の事
il類の論議をめぐって,そのような概念が経計者界で広 く受け入れられているとはいえず,経営者はしばしば,地域社会にとって党 大ならざる決定を下さざるをえないことを指摘しつつ,つぎのようにいう。
「事実は,国内および閏外の多くの場所に設備をもっ最大の産業会社ば通 常の意味の 市民"ではないということである
o会社市民たることの義務も また単に,それが工場や他の設備の諸所在地でもっている地域社会義務の合 計ではない。最大の会社は,多くの国々に散在する顧客,株主,従業員,お
( 8 ) よび仕入先を伴う,世界の市民なのである
oJ以上が,責任の論拠をめぐってのイールズの見解の概要である
o以下,か れの見解を参考‑にしつつ,責任の本質と内容を明らかにすることにしたい。
はじめに,企業が地域社会に対して負う責任の木質もしくは論拠について である
oイーノレズは企業の側における,責任引き受けの論拠として,利潤への貢 献,相互的義務,および共同体的義務の三程を挙げており,かれ自身として ははじめの二つの立場を採るように思われる
oはじめの二つの論拠は,いず れも企業側の便益と地域社会側のそれとの相互関述の存在を念頭に置くもの であり,論拠をこのように解する責任論はいわば広義のギプ・アンド・テイ
ク論といいうる。共同体的義務感に基く支任論が,企業側によってのみなら
ず,むしろ地域社会側によって主張されることは,前節のロングの所説のう ちにも明らかであるが,それはギブ・アンド・テイク論とは明確に対照的で ある
oそれでは責任の論拠として,ギブ・アンド・テイク的な論拠と共同体 的義務の論拠のいずれが妥当であろうか。もしくは,他の論拠が考えられる べきであろうか。
責任の論拠が単なる規範論的観点からではなく客観的必然的観点から主張 せられるべきことはいうまでもないのであり,この志味では上の二つの範時 の論拠は必ずしも全面的に適切であるとはいえないであろう
o現代の大企業 が地域社会からその遂行を期待されており,かつ遂行が不避的であるところ の責任は,必ずしもその全てが企業にとって便益をもたらすものではない。
企業はその遂行が自身にとり利益とはならないような責任をも課せられつつ あることは,例えば社会の圧力の中で企業が環境汚染に対する配慮を要詰せ られるに至りつつあることのうちにも切らかである
o他方,共同体的義務の 責任を企業が要求されているとみることも,社会が企業に対して期待すると ころの機能的役割を考えるとき,必ずしも適切ではなし、企業は第一次的に は社会の経済的機能を担当するのであり,共同体的義務のごとき包括的・全 面的な責任の遂行は要求されていない。企業が果さざるをえない責任には限 界が存在しており,乙の点については本節の終りで触れる乙とにする。
結局,現代企業の対地域社会責任の本質と論拠は,企業の存在と決定が地 域社会に対して及ぼしているところの社会的な影響のうちに求めうるであろ う口前節の冒頭で指摘したどとし地域社会の経済的盛衰のいかんは企業活 動のそれと密接に結びつくに至っており,地域社会はその経済的福祉を企業 の政策に支配されるに至っている。また,企業はその排水・煤煙,等によっ て地域社会のひとびとと自然に対して大きな損害を与えうる
Oこのように企 業の行動は地域社会に対して大きな影響を及ぼしうるのであり,かかる影響 刀ないし支配力の存在のうちに対地域社会責任の論拠を求めうるのである
O地域社会はそのような支配力に即応する責任の受け入れを企業に要求してお
り,企業はかかる要求に応えることを不可避的たらしめられているのであ
る。ととろで,企業は地域社会に対してのみならず他の諸グループに対して
企業と地域社会
87も,同様な支配力を有しており,ここから,支配力なる責任論拠は,企業を めぐる諸グループ全てと企業との関係についても妥当するといわねばならな
(9)
つぎに地域社会に対する企業の責任の内容はひとまず,企業がその地域社 会の正当な期待もしくは要求に応えていく乙ととして理解しうるであろう
oこの場合,地域社会の正当な期待とは,地域社会が当然に企業に対して課し うるところの,そして企業がそれの充足を不可避的たらしめられているとこ ろの客観的にして必然的な要求であり,なんらかの倫理的ないし規範的観点 に立脚するいわゆる"正しい"期待を指すのではない。
それでは,かくの如き対地域社会責任は,より具体的にはどのように示さ
( 1
日
れうるであろうか。ゴイダーはそのような責任の主たるものとして,醜悪な 工場建造物の建設を避けること,煤煙および底芥の無制限な排出を抑制する こと,河川の汚染および自然の景観の破壊を避けること,および、温情主義の
{11)
危険を回避する乙とを挙げている。また,イールズによって検討がなされて いた,対地域社会責任の本質をめぐる上述の諸説の一つでは,雇用の提供,
商品とサービスの購入,文化事業ならびに慈善事業に対する寄付,税の支払 も地域社会の期待として挙げられていた。結局,地域社会に対する企業責任 の具体的内容は,つぎのごとく示しうるであろう
Oすなわち,責任の範時の第一は,いわば積栴的な程類の責任であり,それ は主として経済的性格の責任である
Dかかる責任としてはまず,企業ないし その地方工場の存続・発展を通じて,雇用の提供,商品とサービスの購入,
地方自治体への税の納入,等を積根的 l 乙促進することが存在しよう
oまた,
地域社会からの貢献に対応する企業寄付,あるいは,地域開発等をめぐって の地方自治体の行政担当者への積極的協力も,この桓の責任 l 乙挙げうるであ ろう
oこれらの責任は,企業の決定が地域社会の経済的・文化的な福祉に対 して与えている影符の大きさに,換言すると,企業に対する地域社会の依存 の度合が大なることに起因するものである口
責任の箱専の第二は,いわば消極的・禁止的にして,主として非経済的な
種類のそれである白この程の責任には,地域社会の良好な自然環境の保持へ
のもしくは環境汚染問題への配慮および,過度の責任受容の回避ないしは温 情主義の回避を指摘しうる
Oこれらの禁止的責任のうち,いわゆる環境汚染 問題に対する企業責任は,ますます主要性を帯びるに至っている
O要するに,企業は,地域社会へのその係わりあいにおいてそれが必然的に 直面するところの諸期待に,経営政策を通じて積極的に応えていかねばなら ないのである
D同時に,地域社会に対する責任の積極的な履行は,販売高の 増大,良質な労働力の確保,等さまざまな形で企業の諸活動に望ましい効果 をもたらし,企業の存続・成長に寄与するであろう
Oところで責任の内容を以上のごとく解するにあたって,一・二,留志すべ き点を指摘する必要がある
o第一は,地域社会に対する企業責任と他の企業 責任との聞の重複の問題である。例えば,雇用の維持・拡大の責任は従業員 に対する企業責任の基本的なものでもあり,それを地域社会に対する責任の 一部にも含めることは厳密には対従業員責任と対地域社会責任との問に重複 をもたらす。かかる主複は企業ないし経営者の責任を,企業をめぐる諸クゃル ープに対する責任として把握せんとするならば,なるべく回避することが望 ましいともいいうる
Oしかしながら,企業の活動によって重大な影響を蒙る グループのーっとして地域社会が存在しており,かかる地域社会の構成員が 一面では,企業の従業員であり,
m賀者であり,仕入先であり,また公共的 サービスの提供者でもある以上,企業責任におけるそのような主訟の存在は さほど問題はないであろう。
第二は,前節でも触れたごとく,地域社会に対する企業責任には限界が存 在することである。かかる限界の一つは,企業活動の社会的な正当性ないし 必然性からもたらされる口対地域社会責任を含めて企業責任は,究極的 l こ は,社会のひとびとが企業に期待するところの役割もしくは機能によって限 定されてくるといわねばならない。つまり,地域社会が企業に対して諒しう
るところの要求,あるいは企業が地域社会に対して,行うべき,もしくは行
う乙とが許される行為は,社会の普遍的な価値によって規定されざるをえな
いのであり,ここから,地域社会に対する企業責任にも限界が生ずることに
なるのである
C社会における企業の正当な機能は,第一次的には経済的であ
企業と地域社会
89る
O企業はなによりも財貨と用役の生産と配給を,ならびにその乙との反面 としての所得の配分をその機能として課せられている。そして地域社会に対 する企業責任は,それがこのような第一次的な企業機能と係わりあうとき に,すぐれて妥当性をもちうるといえよう
O例えば,企業寄付に対する地域 社会の期待は,もしそれが企業は富むという理由のみによってなされるなら ば,正当性ないし必然性をもちえないであろう。
限界の他のものは,企業がさまざまなクゃループと係わりあっているという 現実から生ずる。地域社会の正当な期待は,他のグループのそれと競合する のであり,ここから経営者は諸ク
Vレープの多様な期待を調整せざるをえな い。つまり,地域社会に対する責任の履行には,この意味の限界も課せられ
(12)
るのである。
詮
(1) Richard Eells,
The Meaning of Modern Business,
1960. (2) Ibid.,
p.258.(3) Ibid.
,
p.258.( 4 )
Ibid.,
p.259. (5) Ibid.,
p.259.( 6 )
Ibid.,
p.260.( 7 )
Ibid.,
p.261 .
(8) Ibid.,
PP. 261‑‑‑‑‑262.(9)
支配力と責任との関連については,
Keith Davis and Robert L. Blorn‑ strorn,
Business and It
s Environrnent,
1966,に詳しい。なお,拙稿
「現代企業と支配力
J,経済科学,
17巻
2号,を参照のこと。
(
1
0) George Goyder,
The Responsible Cornpany,
1961(喜多了祐訳
「第三の企業体制一大企業の社会的責任
‑J,昭和
38年) .
(11)同訳書,
31頁
‑‑‑‑‑42頁 。
(
1
) 2なお,企業責任の一般的性格については,拙稿「企業目的と社会的責任一一 両者の関連についての一考察
J,ビジネス・レビュー,
19巻
2号,を参照のこ
と 。
四 現代企業と環境汚染問題
地域社会に対する企業責任の重要なものの一つに,地域社会の良好な自然 環境の保護に対する責任を挙げることができる
O乙の起の責任は近年,いわ ゆる産業公害問題,あるいは,広くは環境汚染問題が社会的関心を集めるよ うになるにつれて,ますます重要となりつつある
oつまり,企業は環境汚染 の回避に努めなければならないのである
D環境汚染問題は,企業と地域社会 との関係をめぐる問題というよりは,人類とその環境との関係、に関する問題 であるが,しかしながらそれは,地域社会に対する企業問題とも密接に係わ
りあうのであって,その志味で,最後に環境汚染問題をとり上げたい。
企業がその活動の過程において汚水や煤煙等の排出,醜悪な建造物の設 置,その他によって地域社会のひとびとに有形・無形の被害を与え,しかも 企業自身による損害負担がしばしばみられないという現象が,経済学におい ても社会的費用
(socialcost)の問題として論ぜられていることは周知のご とくである
O社会的資用の概念は論者によって具るが,例えばカップは,社 会的費用を「生産過程の結果として第三者または社会が去るところの,そし てそれに対して私的企業家に責任を負わせるのが困難であるところの,あら
(1)
ゆる有害な結果および損失」として定義しており,かかる社会的費用の発生 の源泉に関して,社会的費用の一部はその源泉を個別産業にもち,特定の生 産過程および経営実践に跡づけうること,他の社会的資用は,一般に受け入 れられている諸制度や政府の政策の所与の枠の中での競争的組織の作用から
( 2 )
生じてくることを指摘する
Dカップその他の諸論者によって挙げられている ( 3 )
社会的資用は, ミハルスキーの整理に従えば,つぎのようである
o1 . 業務災害,職業病および婦人年少労働による人間の被害
2.大気および水汚染による負担
3.
土地資源およびエネルギー源の早期採掘と泊渇ならびに勤物の濫獲と 絶滅
4.
過度伐採および土地侵蝕と土地酸性化
5.過度の技術進歩
企業と地域社会
6.
失業
7.
独占的行為と競争的宣伝
8.小売のかけ値
9.
不完全な交通手段体系
10.
不充分な研究組織と技術的可能性の不充分な有用化
11 . 産業の過度集積と無計画的建設
91
12.
それが経済的助成の分野において国庫に肩代りされる限りので創業費 と営業経費
(4) 13.
社会秩序維持のための一般費用
このような社会的資用の概念は,それが大気・水の汚染,自然の破壊,産 業の過密化,等の問題を
J及う点では,企業の対地域社会責任を論ずるにあた り有用性はもっ。しかしながら,かかる概念は,経済の不効率の問題などを も抱摂する概念であり,ある;立味では甚だ広い概念であって,ここでの目的 にとっては,人間環境を生態学的観点から眺め人間による自然的環境の破壊 を扱うところの, 環境汚染
(environmental pollution)なる概念の方が,
より適切であると思われる
O( 5 ) デヴィスらはその初版を「企業とその環境」と題するかれらの著書の第二
(6)
版において,タイトノレを「企業,社会,およびその環境」と改めるとともに 内容にもかなりの修正を加えているが,第二版の特徴の一つは「生態学と環 境汚染」なる章が新たに設けられていることである。かれらはそこで,企業 と環境汚染の関述を中心に環境汚染問題について論じており,以下かれらの 所説を眺めよう
Oはじめにデヴィスらは,生態学的観点から人間環境を眺めることの今日的
怠義を概ねつぎのように強調する
Dすなわち,生態学は生物とその環境との
関係に関心をもつが,それはすべての生物が他の生物と関連を有するととも
に,これらすべての生物が同様にその物理的環境と関連を有していることを
ば,それによってわれわれが知りうるところの椛造を捉供する。かかる生態
学ならびに環境特質がすべてのひとびとの関心を集めつつある
o人類が世界
中で程々の程度の生態学的危険に面していることは殆んど疑いのないところ
であって,生態学のシステム概念は,人類が行っている無思応な自然域政の危 険性を示すとともに,自己に有利なようにその環境を英知をもって人類が改 善しうることをも示すのである
Oそして,この芯味では,生態学的危機は人
(7)
類が直面している危険をのみならず,機会をも志味するのである口
生態学と汚染をめぐりデヴィスらは,生態学的システムにおける企業,汚 染の歴史的眺望,および、汚染制御へのアプローチという三つのことがらを中 心に論を進めており,はじめに,生態学的システムにおける企業についての かれらの所説をみていこう
oさて,この点に関してかれらは,第ーに,生態系の複雑さを挙げている
Dすなわち,かれらはいう
I生態系とは,生物および無生物の両者のトータ ノレな生態学的共同体である。生態系についての主要な点は,その測り知れな い複雑さと相互依存性である。人類は,かれが行なう行為のおのおのが生態 系の生命の述錦上の他の多くの出来事と複雑に結びついていることを,ちょ
うど今,理解するようになりつつある
oこうした錯雑さが専門家によって理 解されてこなかった以上,事業家も同様に自己の行為の影響をしばしば理解 してこなかった。理解の欠如は, .最善の:立図でさえも,予測せざる,そして 望ましからざる結果をもたらすかもしれないということを芯味するのであ
(8)
る。」そして,デヴィスらは企業活動その他の人間活動が,事前の
d慎重な予 測と対策にもかかわらず,しばしば特定地域の生態系に,人間にとってプラ スもしくはマイナスの予想外の効果をもたらすことを,ナイル河のアスワン
・ダム建設,あるいはメキシコ湾における石油とガスの採掘によって例示す ( 9 )
る
oこのように生態学的システムは複雑であるが,デヴィスらは第二に,かか
る生態学的システムにおける人間活動が,ある程度の環境破壊をかなり不可
避的に伴うことを指摘する
oかれらはそのような環境破壊を社会的マイナス
(Social Trade‑offs)と呼び,その概念に二つの範時を識別する
I生態
学的システムにおける人間活動は通常,社会的マイナスを合む。これらの社
会的マイナスには二程のタイプが存在する
D第 ー に , 優 先 性 選 好 が 存 在 す
る
Dすべてのことを同時にはなしえない。もし人聞がその時間と資源を,例
企業と地域社会
93えば大気汚染の減少に割当てるならば,その場合にはかれは,水の汚染の減 少,教育の改善,もしくはレクリエーション旅行のために,より少い時間と
UO)
資源をもつことになる
q……
J[""第二の種類の社会的マイナスとは,総国民生 産
(GNP)と対比させるためにあるひとびとが,総国民副産物と呼ぶこと を選んだものである。総国民副産物なる概念は,人類がその利益のために行な うなんらかの主要な活動はまた, トータノレな生態系になんらかのマイナスの 結果をもたらすであろうということを怠味している
o例えば,都市の蘇生の ためにスラムの除去がなされるとき,ひとびとの移動,社会共同体の変化お
(11)
よび,いくらかの歴史的造産の破壊がもたらされるのである
O……」デヴィ スらはこのように二程の社会的マイナスの範時を指摘するが,後者は,社会 的マイナス全体を規定する概念であり前者は社会的マイナスの程類の決まり 方に関述する概念であるといえよう。そしてデヴィスらは,かかる社会的マ イナスがかなりに不可避的なものではあるにしても,行為決定に際しては行 為のプラス面と,その反面としてのマイナス面との評呈が必要であることを 強調する[""上述の状態の多くは,それらに対して十分な時間とかねを割当 てることで制御しうるが,しかしながら,なんらかの主要な企業活動もしく は社会活動がいくらかの総国民副産物を生むことは疑いない。ひとは諸代替 案からの選択に際しては,システム全体を考慮した場合に自分が最大の純益 をもたらす諸代替案の一つを選択しているということを確かめるべきであ る。われわれは,一つの"最善"の選択を行なうべきであると主張すること が,無形にして予測不可能な余りにも多くの将来の出来事が大部分の社会的 選択には存在するがために,理想主義的であると信ずる
o人類は,生態系全 体についての注芯深い調査と未知のものへの用心深い予測とに基づいて,よ
(12)
りよい諸代替案の一つを選択することで,賢明に行動しているのである。」
第三にデヴィスらは,生態学的システムが企業によるいくつかの汚染行為
を高度にパブリックの自に触れやすくしていることを指摘する
o[""企業の観
点からは,生態学の顕者な特質は生態系の内部におけるいくつかの機能思化
がパプリックの自にとまるということである
ok~ の丘 lこ対する石炭採掘の傷跡,工場の作業場の醜思さ,下町の商業地域の路上の周を知ることは,容易
である口ひとは製紙工場や未処理の汚物,水の汚染による死魚、がもたらす悪 臭を投ぐととができる。乙のような情況はまた……,もしパブリックが可視 的な汚染を企業と結び、つけうるなんらかの方法が存在するならば,企業のイ メージに対するその効果の点で,全く主大である。
一般に企業は,他の制度よりもその汚染に関して目にとまりやすく,かく てパブ、リックの批判をより家りやすい。工場よりも実際には大気を汚染しつ つあるかもしれない,何千もの家庭石油暖炉からの廃棄物よりも,工場の煙
U3)
突の黒色もしくは黄色の煙の方が認識が容易である
D……」
デヴィスらは生態学的システムの構成者としての企業を中心に,人間活動 と環境汚染の関連を以上のごとく論ずる
Oところで,環境汚染問題の今日的 意義をよりよく理解するためには,問題を歴史的展望の中で眺める必要があ ることはいうまでもないのであって,デヴィスらはつぎに汚染の歴史的眺望 を行なう
Dかれらはまず,環境汚染が
20世紀になって新たに生じたものではなく人類 は有史以来その環境を汚染してきた乙と,自然もまた火山活動による大気汚 染等のごとくさまざまな形で地球の汚染を行なってきていること,しかしな がら
18世紀以降に汚染の加速化がもたらされ,汚染問題が重大化したことを
( 1 4 )
指摘する口 「汚染は人類の歴史の初期以来存在したが,それは通常さほど忠 義をもたなかった。首都圏附近の汚染飲料水,火山噴火による破壊,および 花粉アレノレギーのごとき,二・三の主大な問題が展開したに過ぎなかった。
しかしながら,
1700年以降,汚染の重大さを根本的に変えたところの三つの 付加的要因が生起したのである
Dそれらは,人聞がその環境の中で快適に生
(
1 5 )
活することを可能ならしめている自然の微妙なノイランスを覆えした。」そし
て,デヴィスらはかかる要因として,産業草命,生活水準の高度化,および
人口の爆発的増加を挙げる
Oすなわち,工場は不完全燃焼によるその動力獲
得によって大気を汚染しており,産業の複雑な化学的過程は,土地・水・大
気を汚染する望ましくない副産物と廃棄物を出す。また,産業の機械的過程'
は , @,煤,醜い屑を出す。また,産業草命の随伴物としての農業草命は,殺
虫剤による過剰殺りく,悪臭,主主畜工場ーからの屑,等を生んでいる
oまた,
企業と地域社会
95工業化による生活水準の大幅な上昇は,消費の量と質の向上に伴う個人的廃 棄物の増大をもたらす。また,消費の増大は,工業生産の増大に伴う汚染物 の増大をも意味するのである
D最後に,経済的ならびに医学的進歩の結果と しての人口増加のスピード・アップは,土地・大気・水に対する汚染物の増
( 1
日 大を意味する。
そしてデヴィスらは,汚染が世界的問題であるという
o I突に,汚染は世 界的な問題である
Oロシアではヴォルガ河の漁師が,化学工場の排出する 廃棄物が蝶鮫を殺しキャビアの産出を脅かしていると非難している
Dスカン ジナヴィアの製紙工場は,パノレチック海を汚しつつある。日本の交通巡査 は,ある繁華街の交叉点のラッシュ・アワーに酸素マスクの利用が可能であ る
D西部アメリカの諸都市はスモッグで危険にさらされている
oイタリアの 絵画と記念建造物は,工場の煙により浸食されつつある
Dインドの都市のス ラムのごとく,世界の貧困地域においてさえ,民衆の群がりが,土地の汚
( 1 百 染,水の汚染,および屑と汚物の悪臭を生んでいる
oJ以上のようにデヴィスらは汚染問題の歴史的眺望を行なったあと,汚染制 御に対してなされているアプローチについて論じている。
まずかれらは,汚染には火山爆発によるものや季節的出水による河の濁り のどとし自然的なものがあり,これは一時的なものであって正常な生態学 的過程によって解消されるであろうこと,また,他の汚染は人為的なもので あり,人聞による対策がとられないなら,より永続的であるかしばしば再発 すること,そして,殆んど例外なく,治療的なアプローチよりも予防的アプ
( 1
8)ローチがベターであることを指摘する。そして,汚染制御に対して向けられ
つつある多様な努力の存在は,多元主義が機能している好例を芯味するとい
う 口 「汚染制御に対する諸努力は,多元主義がその欠陥と力の両者を示しつ
つ作用している顕著‑な例を提示している
D努力の主複,混乱,および絞慢な
対応がみられる。しかしながら,賢明な対抗的諸権力,具った才能とアプロ
ーチの勢揃い,および,積極的な参加からもたらされる創造性と熱中がまた
存在するのであって,これらには,政府の呉った諸部門,建築家・労働・企
業の諸グループのごとき関心を具にする専門家クツレープ,自然保設主義者,
日 目 および近隣のひとびとのグループが含まれる
o ……」そのようなクツレープなどによって用いられている,汚染制御へのアプロー チは,デヴィスらによると以下のようである
Qその一つは,潜在的な汚染要素を無害のもしくは望ましい副産物へと変え るところの技術工学的対策の探究である
O灰の飛散,ガス,熱,放射線のご とき汚染的副産物を伴わない動力源としての燃料電池の開発への努力は,そ
聞 の一例である
o別のアプローチは,汚染を阻止もしくは除去しようという,企業による自 発的な行為である。多くの企業は対抗的な圧力の下で製造過程の汚染制御に 資金を投下しつつあり,汚染制御を事業遂行の賀用のーっとして認識しつつ ある
O企業のあるものは,その製品に対して汚染制御的配慮を行なう
Oある 企業は,汚染制御設備とサービスを事業とし,それによって所得を挙げてい 。
1)る 。
更に,企業聞の対抗的権力の存在がみられる
O具ったタイプの企業は,具 る環境条件を願うのであり, したがって,強力な対抗的圧力が企業自身の内 部で生起する
O例えば,湖を汚す化学会社と漁民との利害対立は,後者をし て前者への対抗的圧力をもたらしめる
Oそして,もしパブリックが汚染制御 に強い関心を抱き,汚染反対活動を行なう企業グループに強い支持を与える ならば,かかるグループは,汚染を行なう企業に汚染減少を強いるであろ
つ口ω
釣りびと,キャンパー,ボート愛好家,自然愛好家一般といった,森林保 護論者もまた,団体化し政治に働きかけることなどによって,環境破壊の阻
間 止に効果を挙げている。
最後に,政府による規制と行政的コントローノレが存在する口政府は,汚染 制御に関して主要な役割を有しているのであり,それは多様な方法で汚染制
凶)
御に関してその影響を行使する
D政府がとるアプローチのいくつかは,つぎ のようである
O1
1 . 司法裁判所で強制可能な法律的基準
2.
司法裁判所で強制可能な基準を設定するかもしれないところの行政委
企業と地域社会
97貝 会
3.
新しい建造物もしくは新しい製品に対してある汚染基準にかなうこと を要求するところの,区域設定その他の規制(新工場の廃物排出もしくは新 型車の排気放出のごとき)
4.
汚染制御設備に対する税制面のインセンティブ(加速度償却もしくは 税納入の繰り延べのごとき)
5.
汚染制御設備の設置に対する補助金の付与
6.
報告を作成し規制を勧告しパブリシティの圧力を行使するところの,
監視と調査の機関(環境特質に関する審議会のごとき)
7.
調査ならびに政策指導のための協力的グループ(全国産業汚染制御審 議会のごとき)
8.
違反者に対する政府契約ならひ、に他の特権の拒否(もしくは恐らく,
政府による退役軍人の優先雇用に類似する,非汚染者への特権)
9.
新しい制御諸方法の開発のための研究補助金,およびそれらを業務で テストするための突出補助金
10.
汚染の排出に対する固定的賦課金(煙突からの有者煙
lトン毎lこ,も しくは河川に投棄される化学的廃棄物 l ガロン毎にある金額のごとき)であ
(25)
り,ヨーロッパのある河川の汚染の減少に有効なアプローチである
oJかくてデヴィスらは,汚染制御対策をめぐってつぎのように結論する
C「二つの点がこの論議から引き出される
O第一は,生態学的諸問題の複雑さ と多様性である
O安易な解決策は存在しない。経済的な解決策は存在しな い。情況の中には多くの未知数が存在している以上,多様なアプローチと人 間の最苦‑の創造的才能とが必要である
O調査が,それが可能な場合にはいつ
(26)