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マカレンコ教育学の構造

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マカレンコ教育学の構造

―「指導論」における集団主義教育の意義について―

熊   谷  忠   泰

1.問題の所在一主題の意味

 戦後,「ガイダンス」からの発展として起った「生活指導」は,近時「学習指導」への 関心の高まりとともに,急速にその影をひそめつつあるように思われる。あたかもそれに 拍車をかけるように,学習指導要領の改訂によって,これまでの「特別教育活動」は「特 別活動」と改称され,かなりの内容的な編成替えが行なわれた。しかしこれは単に名称変 更と編成替えだけに止まるものだろうか。かつて昭和36年ごろ,「生活指導」が「生徒指 導」と呼称替えされ,期せずして「自主性」「主体性」「創造性」などの語が広く喧伝さ れたとき,ちょうどその頃生活指導の一環として今や本格的な展開を示そうとしていた集 団主義教育が,いつしか方法主義の三内に逼塞し,やがて「学級つくり」という枠内で自

ら諦観のポーズをとって今日にいたったという例がある。

 もし人がそうした事実の存在を肯定するとすれば,改めていまその理由を問うことは,

決して無意味なことではないであろう。そしてこのことと生活指導の消滅(とも見られる 現状)とは全く無関係なこととは思われない。

 ともあれ,「生活指導」は,言葉の表面的な使用において一般にいわれている意味とは 異なる意味で,教育上依然として重要であることは変りはない。にもかかわらず,もし自

らの無知と迷いにおいて,「生活指導」が今日を招いているのであれば,それは自己のよ ってもって立つ根源を正しく認識すべきであろうし,また不測の外圧によってこの結果が もたらされたものであるならば,いま一度,根源認識の再確認によって自らの存在意義を 正当に主張すべきであろう。このような意味を含めて,生活指導の根幹と深いかかわりを

もつ集団主義教育,特にその実践上の代表的人物であるマカレンコ(1888,3〜1939.4)の 教育体系を再検討することは,この二品に重要なことであろうと思われる。

2. 「経験」から「理論」へ一マカレンコの時代

 10月革命ののち,ロシヤは「戦時共産主義時代」といわれる文字通り苦難にみちた時期 にはいる。敗戦と革命の後に続く混乱もさることながら,それに一層の拍車をかけたもの は諸外国の反ソ的な弾圧干渉とそれに結びついた国内反革命派との永い戦いであった。ロ シヤ研究家として世界的に著名なバーナード・ペアーズ(B.Pares,1867年生)①はそ の当時(1922年ごろ)のロシアの情勢をつぎのように書き残している。

 「⊂子ども達の〕家族はすでに戦争と飢謹のため軌道をはずれていた。かなり長期間にわたり,浮  浪児の群はあちらこちらに放浪し,その数は数十万に達し,ありとあらゆる犯罪にそまり,あらゆ  る病毒に感染した。これは社会の最大の傷口の一つだった。ついに,それにはしっかりした措置が  とられた。ボースタル式ではあるが,典型的に人間味のあるロシヤ式な方針の感化院が設置され,

 それは実際おどろくことには,真に性格をつくりあげる学校となった。」②③

(2)

 そのころ,正確には1920年,クリューコフ国民教育部員からボルターヴァ教育施設(ゴ ーリキー記念コローニヤ)主任として赴任したマカレンコは,当時の自分の心境をこう述 べている。

  「10月革命ののちには,わたしの前にかつて見たことのない見とおしが開かれた。わたしたち教師  は,当時,そういう見とおしに,我を忘れるほどに酔っていた。そして,実をいえば,さまざまな  夢を描いて少なからずまごつきました。」④

  「まごつき」ながらも彼は,その後1937年,49才でモスクワ郊外に著作と講演に残る生 涯を送るべく移転するまで,一貫して浮浪児・法違反児を収容する施設の指導者・行政官

として偉大な足跡を残した。

 ゴーリキー記念コローニヤにひきつづいて1928年から約8年間,マカレンコがその畢生 の力を注ぎ今日子の名を不滅ならしめている「ジェルジンスキー記念コムーナ」の経営に ついて,文豪ゴーリキーは次のようにその功績を讃えている。1953年1月30日付のマカレ ンコ宛の手紙に彼はこう書いている。

 「12年間あなたは働らき続けられました。そのお仕事の結果の価値は無限です。……きわめて引き  な意義をもつ,そして驚ろくほど成功したあなたの教育学的実験は,わたしのみるところでは世界  的な意義をもつものであります。」⑤

 この評価は決して誇張ではない。マカレンコがのちにジェルジンスキー記念コムーナの 実践をまとめて『塔の上の旗』 (1938年)を書いたとき,その編集者の一人も彼の業績に ついてこう述べている。

 「ジェルジンスキ 一記念コムーナにおけるマカレンコの働らきは,かれによって究明された教育理  論の最高の実践であり,共産主義的児童教育に関する深遠精緻な科学的理論の創造をめざすかれの  教育活動の絶頂点であった。」⑥

 以上の評価とその評価の内容から想像されるように,彼の教育実践はつねに理論の創造

      ロ

と密接していた。今日みられる彼の数多くの労作のなかで特に重要な「ソビエト学校教育 の諸問題・テーゼ」 (1938年) および「ソビエト学校教育の諸問題・講話」 (1938) や

「教育経験からのいくつかの帰結」 (1938年〜9年),また「教育学と倫理学との諸問題 に関する報告と論文」 (1937年〜8年)などの骨子となったとみられる「訓育過程の組織 方法論」 (1935年〜6年)こそは,まさに彼がジェルジンスキー記念コムーナを退いた直 後,その貴重な体験のすべてを暖めながら書かれたものであって,彼の経験から理論への 道程を明瞭にたどることのできる代表的な一つの労作である。

 しかしながらソビエト集団主義教育理論,なかんずく青少年教育の理論が彼一人の力に よって完成したと速断することは慎まねばならないだろう。だがそれにもかかわらずこの 種の実践の定着に彼の力があずかって大きかったことは,また否定することはできない。

国内戦終焉後10年経ったころのロシヤの浮浪児教育はまことに大きな転回をとげた。僅か 10年たらずである。革命直後の混乱のなかから微かにその曙光を見出しながらも,戦乱 を避けて本国に引き揚げたB.ペアーズは,混乱の漸く治まった第二次五ケ年計画実施下

(1933年〜1937年)のソビエトへ再び帰ってきたが,その時彼の眼に写ったものは次のよ うな光景であった。

 「無規律の時代は過去の中にうずめられた。浮浪児や宿なしほとうの昔に街頭から一掃され,……

 これらの感化院は性格をつくりあげる真の学校だったので,浮浪児の中には……コムソモールのき  わめて重要な人物に立身した者もあった。 ……いまではあらゆる学校に,子供は彼らの両親,教

(3)

 師,一般に年長者を敬うべしという銘がかけられるようになった。……わたしはこれらの変化の生  み出した規律を実地にみた。……子供たちの問には,たくましい創意と活発な興味があったが,こ  れは革命前にはほとんど見られなかったことである。他方,秩序という点では,これ以上望み得ぬ  ほどであった。」⑦

 ペアーズが再訪後のソビエトで新たに見出したものは,1922年の国内戦終了後,国内政 治の諸方面にわたる革命政府の懸命な収拾策と(教育をも含めた)再建策の諸成果の一端 であったが,そのころ(1935年)マカレンコはジェルジンスキー記念コムーナを去ってキ エフに移った。マカレンコが活躍したこの期間,正確には1920年から1935年までのソビエ

トは,実にあらゆる面においてめざましい躍進をとげた時代であった。

 根底から破壊された経済の立ち直りをはかるための私的資本主義の復興を地盤として,

生産の社会主義的部分を早急に成長させようとしたN.E.P政策(1921年〜1927年),こ の政策は「生きるため」と「革命を成功させるため」に他のすべての政策に優先して生産 と経済復興に重点がおかれたが,これに続く第一次(1928年〜1932年)および第二次(19 33年〜1937年)の五ケ年計画では,単に経済政策に止まらず,それの実施の推進力となる 人的開発を目指す教育政策もまた同時に強力に推し進められた。すなわちこの二つの計画 は,それを通じて電力計画を含む国家全体の経済計画の樹立と国の工業化ならびに農村集 団化がその三大支柱となったので,そのために第一次計画では工業化のための労働力供給 と工業技術者の養成が,第二次計画では農工業における集団化のための新しい労働方式

(たとえばスタハーノブ運動)の採択など,直接に教育と深いかかわりをもつ問題が当面 する課題となった。⑧

 ところで,ソビエト教育界は,N.E.P時代を通じて1930年代のはじめころまでおおむ ね欧米教育学の支配下にあり,ことにプラグマチズムの影響は大きく,その理論面への影 響は,当時右翼日和見主義的偏向と呼ばれた「生物学主義的教育理論」(カラシュニコフ,

ピンケヴィチなど)として,他方では左翼日和見主義的偏向と呼ばれた 「学校死滅論」

(シュールギン,クループニナなど)としてあらわれていた。さらに実践面ではプロジェ クト法の採用と系統的教授の軽視というかたちであらわれていたが,またソビエト自体の 国内的要請としては,農村集団化の進行によって1929年から農村斗争を対象とした政治的 教材の強化政策,つまりレーニンの教示に反した政治主義的誤謬があらわれていた。現実 のこのような好ましからざる情況のなかで,上述の第一次五ケ年計画の「全面的集団化」

という課題と関連して「学校の総合技術教育化」という課題が提起された。しかし教育の 現場は, この課題に充分に応え得ようとはとても期待できなかったのである。そういう ことからその欠陥を打開するために,哲学におけるレーニン的段階をもじって,いわゆる

「教育学におけるレーニン的段階」⑨と呼ばれる時代を迎えることとなる。

 この「段階」の最大の特色は,政治の優位という方向で教育学の政治的性格ないし党派 性を確立しようとしたことにあったが,その趣意を具体的に表現したものが1931年9月の

「小学校と中学校とについて」と翌年8月の「教育課程と生活規準とについて」の「決 定」であり,そしてそれにひきつづく「教科書について」(1933年),「市民史」「地理 の教授について」 (1934年)および「教育活動の組織と内部秩序について」(1935年差な

らびに注目すべき最後の「児童学的傾向について」 (1936年)の一連の諸「決定」であっ た。これらの諸「決定」は, (それなりの欠陥も含み後に4958年以降のフルシチョフ改革

(4)

をもたらしはしたが)今日なおソビエトでは大祖国戦争で独力よくナチス・ドイツを倒 し,現代の科学技術の成果を生みだしたものとして高く評価されている。そしてその基底 をつらぬく観念は,教育学は政治性を明らかにすることによってはじめて科学性を獲得し 得るというレーニン的発想のもとに,生活主義から教科主義への転換と,教育および教授 における教師の指導性の強調にあった。マカレンコが「自分の経験の発展のなかで,わた しが深く信じるようになり,その後実践によって確かめられたことは,全集団から個人へ の直接的な〔教育的影響の〕移行というものはないのであって,教育学的な目的をもって 特別に組織された第一次集団の媒介をとおしての移行があるだけであるということであり ました」⑩というとき,その「教育学的目的をもって特別に組織された」という表現のな かには,実に多くの含みをもつものであることが感得される。

 革命と国内戦とのあの混乱の時代と,それにつづく挙国的な国家的集団化の時代,さら には長いロシヤ史全体を通じて教育上もっとも激しい変革のおこなわれた時代,これがま さに1920年から1936年までの時期であるが,この全期間を通じて「少なからずまごつき」

ながらも教育実践面では最も困難な浮浪児教育に挺身し,教育政策の向う方向を正視しな がら「集団化」という国家的要請に見事に応え得た彼の思索と実践とは,決して単に経験 のみから発したものとは思われない。そのことについて彼はつぎのように示唆している。

 「ソビエト的な教育学的法則の土台は全経験の帰納でなけれぼならない。それの経過自体のなかに  おいても,結果のなかにおいても,点検された全経験のみが……選択と解決とのための資料をわれ  われに委ねてくれることができる。」⑪

 この「点検された全経験」とはいったい何なのか。思うにそれは,われわれが彼の「経 験」を根底から支える彼自身の確乎たる「理論」を充分に理解したときはじめて,その意 をよく把え得るような「もの」なのではないであろうか。

3.マカレンコ教育学の基礎一歴史的・社会的決定論

 矢川徳光氏は「ソビエト教育学における決定論の方法論的意義について」という論文の なかで,ソビエト教育学においては弁証法的史的唯物論こそがその基本的な方法論であり,

そしてその方法論を組み立てる一つの重要な軸として歴史的・社会的決定論が大きな役割 を果していることを述べ,その説明のためにマカレンコのつぎの文章をあげている。⑫  「教育学的作用の弁証法性はきわめて大きいから,どのような手段も,もしその作用がそれと同時  に用いられる他のすべての手段によってコントロ 一ルされないなら,肯定的なものと推定されるこ  とはできない。人間は部分,部分で育成されるのではない。それは,自分がうける影響の総和によ  って,総合的に創造されるのである。だから個々の手段はいつも肯定的でも否定的でもあることが  できる。決定的なモメントは,その〔個々の手段の〕直接の論理ではなくて,調和的に組織された  諸手段の全体系の論理と作用とである。」⑱

 だがわたしは,矢川氏とは別の見方でこの文章を以下の説明のために分析することとす

るQ

 さて,たしかに矢川氏もいい,また周知されてもいるように,ソビエトにおいては弁証 法的史的唯物論は単に教育学に限らず,広くすべての学問を通じてその方法論とされてい るが,いまそのような眼でマカレンコの上掲文を読むとき,そのなかには多くの重要な示 唆を含んでいるように思われる。しかしさしあたり必要な点だけを指摘すると,それは,

(5)

第一に教育学的作用が非常に大きな弁証法性をもつということ,第二に従ってその作用は 以下の二重の意味において総合的であるということである。「二重の意味」とは,1は教 育学的作用がその理論的な側面においていわゆる「決定論」的意義をもつこと,2は教育 学的作用の在り方として,つまり教育の方法的な側面からみて,それ自体調和的・組織的 な体系性一個々の手段相互および手段と全体の論理との連関性一をもつことをいう。そこ で本項では主として第二の1の「決定論」的意義について述べながら,第一の弁証法性を 証しし,次項において第二の2の教育の体系性(合目的性)について触れることにした

い。

 弁証法的史的唯物論の一つの重要な軸としての「決定論」については,レーニンが『唯 物論と経験批判論』で述べているアヴエナリウス=マッハ流の機械的決定論と,いわゆる 歴史的・社会的決定論とがある。前者は現象あるいは原因とその究極の結果との間に直接 的な依存関係の存在を設定しようとするものであって,この種の決定論は,古典力学では 一定の近似性をもって力学的な運動には適用され得たが,生物現象に対しては,生物に対 する外的諸条件の効果が生体の内的諸条件に依存するという理由によって適切な説明を与 え得なかった。しかもなおこの種の決定論は,生物では外的諸条件によって生体内部に新 たな諸性質が形成されるという事実を看過することによって,一転して非決定論にそれを 正当化するための根拠を与えるという危険性すら包蔵しているのである。これに対して後 者は生体における内的諸条件の意義を認めるとともに,それと外的諸条件との相互連関を

強調するものであって,従って外的に条件づけられるということと内的に発達するという こととの間にはいかなる対立もあり得ないとする立場をとる⑭。 この定式をエス・エリ・

ルビンシュティンG889〜1960)は「外的原因は内的条件を媒介として作用する」@と命        ●  ・題化している。

 ルビンシュティンの命題から直ちに想起されるものは,レーニンのつぎの反映論であろ

う。

 「認識は人間による自然の反映である。しかしそれは単純な,直接的な,全体的な反映ではなくて,

 一連の抽象からなる過程であり,諸概念や諸法則などの定式化,形成からなる過程である。そして  これらの概念や法則など(思考,科学=「論理的理念」) もまた,たえず運動しi発展している自然  の普遍的な合法則性を条件的,近似的に包括するものである。」⑯

 この文章のなかには弁証法的唯物論の精髄や歴史的・社会的決定論への予見など,非常 にすばらしい,貴重な示唆が潜んでいる。

 第一に,ここでは認識は主客の合致とか概念の発展などではなくて,「自然の反映」と してとらえられ,しかもそれが「人間による」反映という自然(客観)と人間(主観)と の相互連関性の強調がみられ,そしてその主張のなかで,認識の弁証法性と「存在」の地 盤としての唯物論の立場とが示されていることである。この場合「反映」とは客観が鏡に 映ずるというような機械的・物理的作用としての単なる投影をいうのではなく,ある外的 作用をうけるものの内的性質を通して屈折された反映をいうのである。それが「人間によ

る」というのは,反映が人間の「内的性質または内的諸条件を通して屈折される」という 意味である。ここで「内的性質・内的諸条件」とは個人の素質,性質,状態および心理的 活動などを含んだ「一連の抽象からなる過程」として明白に示されている。そして「一連 の抽象からなる」とは素質,性質,状態および心理的諸活動などがそれぞれ,それぞれ自

(6)

体として作用するのではなく,すべてが渾然として「一連」的に,たとえばパヴロフのい う「分析器による作用」として相関的に活動し,作用することを意味する。しかもその結 果が直ちに「反映」として現われるのではない。「諸概念や諸法則などの定式化,形成」

一それはパヴロフのいわゆる「系」から「系活動」の成立として「つみ重ねの方式」の過 程をへて「反映」するのである。むろん「定式化,形成」という表現は,反映の過程で人 間自らの内部に「動的定型」つまり「新しい系性」が形成されることを意味する。なお注 意すべきことは,認識は単に「反映」の段階で止まらないということである。それはさら に,それ自体「たえず運動し発展している自然」の「普遍的な合法則性」を不断に包括し ながら「思考,科学一論理的理念」へと高まっていくのである。以上を要するに「反映」

とは,自然が人間の内的諸条件を「生きたフ。リズム」として自然とより真実に照応したも のとなっていく人間主観の活動であり,その過程であるということである。レーニンのこ の弁証法的唯物論的認識論としての「反映論」は, 「自然」という外的諸条件と, 「人 間」の内的諸条件とをそれぞれの「自体性」を認めながらも,その優iれた弁証法性におい て相互連関的にとらえようとしたものにほかならない。このことは,レーニン自身がさき の文章の欄外にとくに「注意」として,「ヘーゲルはただこの論理的理念,法則性,普遍 性を偶像視している」と書き加えていることからも推察することができる。

 以上の説明からほぼ明らかになるように,レーニンの文章から受ける第二の意味は,決 定論の予見,というよりはむしろその理論の定型を置明したということである。従って決 定論が,人間の生体機構と活動との神経生理学的な究明をとおしてセチェノブ=パヴロラ 理論によってその真理性を確証されたということから,パヴロフはレーニンのこの反映論 と深い関連をもつこととなる。パヴロフがイ・エム・セチェノブ(1829〜1905)の理論を 発展させることによって高次神経活動の究明のなかで明らかにした反射の機構は,行動主 義のいわば機械論的とでもいえるく刺戟一反応〉の図式とは質的に全く異なるものであっ

た。

 周知のとおり,パヴロフ学説の最も重要な部分は,脳髄の諸過程の機構の研究であっ た。すなわちパヴロフは,脳の中心的な興奮と制止の過程とこれを土台とする心理状態の 発生とを理論づけたセチェノブの 「中間の環」を発展させ,それを神経過程の内的法則

(興奮と制止,拡延と集中,それらのものの相互誘導の法則)として確定させ,そして外 的刺戟に対する/固体の応答はすべてこの内的法則により神経過程の内的な相互関係に媒介

されて現われるとしたのである。⑰ルビンシエティンもいうように,パヴロフ学説が「生 体とその生活諸条件との関係をば,その合法則性において明らかにしているのは,……こ の学説が,この関係を媒介しているところの諸過程の内的相互関係をあばきだしているか

らに外ならない。」⑱

 いまこの観点から人間の「思考」活動をみれば,それは何よりも脳髄の神経学的諸過程 によって内的に限定されるということになる。思考はまずその対象によって規定される が,その対象は思考活動の結果を直接的に規定するのではなく,間接的に,つまり思考活 動の内的法則性を通じて規定するのであって,思考はその合法則性に従って対象をつくり 変え,思想的に再構成するのである。人間の思考の特殊性は,それが思考する人間と感覚 的に知覚される現実との問の相互関係であり,さらにそれが「言語」として表出されると き,それは言語のうちに「客観化」され,「社会的に仕上げられた知識の体系」との間の

(7)

相互関係であるという点にある。⑲

 このようにして,人間の「思考」の発達から「言語」にいたるまでの理論に関するパヴ ロフ学説は,人間存在の社会性と密接するものである。「まさにコトバこそがわれわれを 人間にした」という彼自身の根本思想がこのことを端的に示している。⑳この新たに付加

された「社会的なるもの」は,人間が動物とことなるものであることを示すとともに,人 間の五官の社会的被制約性が同時に五官に新しい質を付加すること,つまり社会的被制約 性と社会的創造性との相互関連のなかで五官が形成され,発達してきたことを意味し,ま た五官のこの形成過程が人才の認識能力の被制約性を含意するものであることを意味す る。⑳こうしてパヴロフ学説は,「弁証法的=唯物論的に理解された〔レーニンの〕反映 論,および決定論とまさに合法則的に結合」 (ルビンシュティン)⑳し,その基礎のうえに 立って人間の思考および認識過程の合法則性をば,それを媒介し規定する内的諸条件と外 的諸条件との間の合法則的な相互関係を明らかにすることによって把握するための理論的 基礎を与えたものであるということができる。

 以上からつぎのような結論が導き出される。すなわちそれは,パヴロフによっていみ じくも証明されたように,反映論によって典型的に示された弁証法的唯物論的認識論は,

「人間」従って「社会的なるもの」の科学的認識の合法採卵を明らかにするものであり,

そのことから必然的に,その「社会的なるもの」の諸関係が歴史的発展過程の諸法則によ ってつらぬかれていることを明らかにするということである。そしてこのことは,弁証法 的唯物論のなかに歴史的・社会的決定論がしっかりとくいこみ,その認識を可能ならしめ る中心的な軸を形成しているということに外ならない。その構造はきわめて優れた弁証法 性を示すものであって,それゆえにこそこの種の決定論は,人間存在の現状は合法則的な 歴史的必然性の結果であるとみる。そこで人間は自らその必然性を認識し,そのうえで現 実に対する一つの決断を下すことを採択することができるということのなかに,「意志の 自由」を見出すことができるというのである。この弁証法的唯物論的二歴史的・社会的決 定論の定式を青少年教育の原則的テーゼの一つとして,マカレンコはつぎのように表現し ている。

 「一定の状況のなかでは人間は虚偽(非真理)を口にすることができないという確信が,誰も虚偽  を語らないということにたちいたらしめる。」⑳

 これは決定論の定式一つまり外的な諸条件の影響が人間の心の内的機構を屈折して彼ら に新しい事情(行動)を作り出していくという定式を見事に表現したものであるとともに,

従ってさらに,外的な諸条件がむしろ人間の倫理(社会的なるもの)を制約するという思 想をもあらわしたものに外ならない。

4.集団主義教育の構造一その決定論的意義

 本項で解明すべき点は,前項のはじめの部分でマカレンコの文章から得た彼の教育学の 主要性格のうち,第二の教育学的作用の総合性,なかんずくその体系性に関してである。

換言すれば,これまでソビエト諸科学の方法論的基礎としての歴史的・社会的決定論が優 れて弁証法的唯物論的であり,それゆえにそれは,論理的には反映論に,実証的にはパヴ ロフ学説に支えられながら極めて高度の「社会性」と,従ってまた「倫理性」とを包含す るものであることを述べてきたが,本項では視点を教育学の問題領域に限定して,集団主

(8)

義教育が確実に決定論的基礎をもつとの仮説のもとに,その論理構造を検証しようとする ものである。従ってこの場合,具体的には集団主義教育の「手段と全体的論理」との相互 連関的な体系性およびそれを一貫する決定論的性格を摘出することによって,この課題に 応えることとなるであろう。

 さて,断片的にではあるが,マカレンコはしばしば教育作用の「弁証法性」と「合目的 性」について述べている。 しかしその場合,たとえば「教育手段の合目的性と弁証法性 一これがソビエト教育のシステムの土台にならなくてはならない」⑳というときでも,そ の表現は単純に受けとられてはならないのだということをまず知るべきである。というの は,彼においては合目的性と弁証法性との間には,論理的な次元的差異があるように思わ れるからである。いま,それを彼自身に語ってもらうことにしよう。

(1) 「教育過程の目的が,教育の組織により,また個々の教育者によって,いつでもはっきり感じら

        ロ    

 れていなくてはならない。それら〔の目的〕が教育学的作業の基本的な下地でなくてはならない。

 そして,明らかな目的を感じていないでは,どのような教育活動も不可能である。」⑳

(2) 「何よりもまず,それ〔教育過程の論理〕はどこまでも合目的的でなければならないし,従って        ロ       り   じ

 どのようなものであれ,紋切型が作用することを許してはならない。……あれこれの手段の適用範  囲は,状況・時・個人と集団との特殊性に応じ,実施者の才能と準備とに応じ,もっとも近い目標  に応じ,終ったばかりの事態に応じ,……拡張されることも……縮少されることもある。教育学以  上に弁証法的な科学はない。」⑳

   コ  の   コ   

㈲ 「教育過程のこのような〔副次的な目的は,その可能性を主目的との照応から検討するという〕

 弁証法性は,手段の全体系に関する大きな包括的な注意を,教師に必然的に要求するものである。

       の

 手段の体系自体は……たえず変化しゆき,発展していくものである。……教育手段のいかなる体系  も,永久不変なものではありえない。……手段の体系は運動の必然性を反映し,古びた不必要な手  段を放棄していくように構成されていなくてはならない。」⑳

(4) 「一般的にみて,教育学はもっとも弁証法的で,可動的な,もっとも複雑で,多様な科学であり

       ●   ●   ●   ●

 ます。」@

 生のままの文豚をたどろうとしたために長い引用とはなったが,以上の四つの文章から 端的につぎのようなことが読みとられる。まず直観的にうけとられるよみのうえの順序と

しては,合目的性が弁証法性を先導するとみられるかのようであるが,さらに深く考える と,合目的性は教育作用または過程の実践上の方向指示の役割を果すものであり,これに 対して弁証法性は教育または教育学を考察する場合の方法論的な姿態を示すものであると いうことである。従って具体的には,前者からは,目的に導かれないような如何なる手段 または方法もあり得ないし,後者からは,如何なる手段または方法も絶対不変のものでは ないという実践的原則が導き出される。それ故にマカレンコの文章は,実践的な次元から と方法論的次元からとの二重のよみを必要とする。そして特に弁証法性に関しては,前者 以上の深いよみが要求されるように思われる。

  (1)弁証法性について

 弁証法性がよみの深さを要求するという理由は,たとえば上掲引用(3)に見られるのであ るが,手段の体系が「変化しゆき,発展して」「運動の必然性を反映」するというよう に,それは単に「教育過程」の弁証法的構造を意味するだけでなく,文章の奥に明らかに

「反映論」または決定論的な「運動の必然性」を含意した深い考慮からの表現がなされて

       ロ      り       

いるということからである。こうした事例についてはこの外にも,たとえば「わたしの教

(9)

育経験からのいくつかの帰結」 (1958年)という論文のなかで,彼が「集団一それは社会 的な生きた有機体であります」⑳と述べている個所に,つぎのような「註」が付加されて いることからも明瞭にうかがえる。

 「ここの〃社会的な生きた有機体、という術語は,……〔レーニンが,弁証法的方法は、社会を,

 機能し,発展しつつある生きた有機体として観察するように義務づける、とした〕社会発展の法則  が自然科学的法則の力を支配するということを示すことを意図しているものである点を考慮すべき  である。」

 上に例示した二つのマカレンコの表現を,この「註」に述べられているような観点から 考察すれば,それらはもはや単なる弁証法を,ではなく,明らかに弁証法的決定論を指向

し,またはそれを無謬として発言されているとみないわけにはいかない。もしそうであれ ば,弁証法性とは,「過程」に関する弁証法的構造を超えたところの科学に関する方法論 的性格の存在を照示するものであり,従って歴史性・社会性を含意する決定論に直結する ものであることが感得される。さきにも引用した一人間は部分,部分で育成されるのでは なく,総合的に創造されるものであるから,手段の肯・否を決定するものは,「調和的に 組織された諸手段の全体系の論理と作用とである」という一文章において,究極において 何が「調和的」であり,そしてまたその「論理」を決定するのか,ということになると,

ついにはそれぞれの教育の歴史性,および社会性であるといわなくてはならないであろ う。前項でも明らかにしたように,「弁証法性」は単に概念の発展を対象とする観念弁証 法でない以上,それはこの現実の世界と人問とをそのあるがままの相において把える歴史 的・社会的弁証法,すなわち決定論的性格をもつ弁証法でなくてはならないのである。そ れは,限定された領域の自然の機械論的論理を超えた「社会的なるもの」の運命を支配す る歴史的な合法則性を明らかにするものでなくてはならない。教育とは本来,まさにそう した論理に支えられて「変化しゆき,発展して」「運動の必然性」をたどるものではない であろうか。

 マカレンコは,このような弁証法性の存在を示すことばとして,しばしば秩序,体系,

システム,組織,調和,論理,依存(相互)関係などの語を使用している。これらは,そ れぞれ異なった意味で一般に使用されてはいるが,彼にあってはそのいつれもが「弁証法 的であること」「弁証法性をもつこと」において同一である。⑳従って「人は依存関係の 一定のシステムのなかにいる人間として成長していく」⑳というとき,第一には,個人が 他の人びととの間に弁証法的な依存関係をもつということと,第二には,「システム」つ まり一定の「社会の組織性」,それは歴史的・社会的なものであるが,それを「反映」

し,その結果自らを変革しながらもなお人間としての「意織地」「社会性」の優i位を確立 していくという決定論的意味をもつことを表明する。この意識性・社会性の優位の確立と は,人が単に組織のなかに順応するということではなく,システムを反映させながらも自

らの意識のなかでそれを「屈折」させることによって新たな行為,徳性,人格性を創造 し,積極的に組織に適応していくことを示すものである。

 弁証法性をここまで追求してくると,そこから必然的にそれと「合目的性」との連関が 明らかとなってくる。個人としての人間がシステムのなかで,「反映」と「屈折」という 複雑な機能を経て意識性と社会性とを確立していくという過程が,まさに歴史的・社会的 な合法則性の必然の論理によって一貫され,もし人がその論理を深く,正しく認識してお

(10)

れば・人は必ずやその論理をあらためておのれの主体的な問題として目的的に追求するで あろう(マカレンコは,これがソビエト政治の原理と伝統であるといっている)ということであ る。以上の論理を,マカレンコはもっと具体的に, 「まず第一に, このひろい領域〔ソ ビエト連邦のひろい社会生活一わたしたちの社会を他のどのような社会ともはっきりと区 別している原理と伝統とをもつ領域〕の意義は,教育の目的の構造自体のなかにあらわれ

る」⑳と述べている。彼は教育の目的は,どのようにか任意に描かれた特定の人間像を追 うことではなく,歴史的社会のもつ独自の原理と伝統の意義を「主体的な問題として」追 及することであるというのである。それは,一つの社会とそこにおける教育とが,まさに 決定論的な弁証法性の論理によって一貫されているという確信をもった者にして,はじめ ていい得ることではないであろうか。

  (2)合目的性について

 以上から,マカレンコにおける「合目的性」は,教育学の科学的な方法論である弁証法 性の自体的特性としての歴史的・社会的決定論からの必然の帰結として現われるものであ

るということが明らかとなる。彼において,一この思考過程は,現実的には一定の社会また は国家の歴史的社会的な合法則性にもとつく政策決定,つまり「政治」となって現われ,

そして政策実施の一機能としての教育において,合目的的手段の構成と深いかかわりをも ってくることとなる。

(1) 「わたしたちは人間をただたんに教育するということはできません。わたしたちは一定の政治的  な目的を自分のまえに立てないでおいて,教育の仕事をおこなうという権利をもっていません。」轡

(2) 「その〔実践的〕教育学は,わたしたちの政治的要求から,しかも弁証法的に出発しなくてはな  りません。」⑭

 決定論一政治一政策実施機能としての教育という論理過程にしたがえば,教育のいかな る分野においても教育手段の問題解決は政治とかたく結合している課題である。そこで,

教育理論と政治との結合が必然的に教育学の合目的性を規定するということになるのであ る。従って政治以外の任意の諸科学は,教育目的を決定する場合(たとえば観念哲学や倫 理学などが目的を規定する場合)でも,教育技術を構成する場合(心理学や生物学が教育 技術の基礎になる場合)でも,すべて「ソビエト社会の政治的な事情が要請する目的に純 粋に奉仕するもの」⑳に限られる。彼を含めてソビエトの教育界が,いわゆる「児童学」

を排除したのは,一つにはここにその理由をもっている。「目的志向性を欠いた教育学理 論のよい例証は近ごろなくなった児童学であります。」⑳と彼は書いている。

 では彼の集団主義教育理論と以上の合目的性とは一体どのようなかかわりをもつのだろ うか。詳論すれば,つぎのようにいい直すことができよう。いわゆる「合目的性」とは,

一般論的に教育が単に目的的に運営されることを要求するだけに止まらず,さらに「教育 の目的」は政治目的に,政治目的はさらにソビエト社会のもつ「原理と伝統」に合致しな くてはならないということであって,そしてこのような「要求」が出される根拠は,上 述したように政治や「原理と伝統」がまさに歴史的・社会的決定論によって人間を含む世 界の歴史的社会的合法則性を具現したものであるとされていることにある。そこで一口に

「合目的性」という場合でも,二つのことが考えられる。一つは「手段」が目的を志向す るという実践上の合目的性と,他は目的自体が,たとえば近い目的から遠い目的へ,低い 目的から高い目的へと究極的には最終目的を志向しながら一つの層化構造を形成している

(11)

という構成的な合目的性とである。ところで,集団主義教育において「手段」が合目的的 でなければならないということは,他の教育理論と同様,あらためて触れるまでもないこ とであろうし,じっさいこれまでにも弁証法性の説明に関連して述べてきた。従って,上 の半間に対して,ここで特にとりあげねばならない問題は,集団主義教育の実践が「弁証 法的決定論を基礎とする政治理念の構造」といかに関わりをもっかということであろうと 思われる。

 結論を急ぐようだが,端的にいえば,逆説的な表現ではあるが,集団主義教育こそはま さにそのような教育を意図して組織されているといえる。真のソビエト的集団の性格(集 団主義教育の最終目的)について,マカレンコはつぎのように述べている。

 「集団のなかで,共通の目的と部分の目的,個人の目的との間に,もしこの対立が感じられるとす  れば,その集団は……組織されかたが正しくないのであります。そこで,個人の目的と共通の目的  とが一致しているばあい,どんな不調和もないばあい,そこにのみソビエト的な集団があるのであ  ります。」⑳

 真の集団にあっては諸目的間の層化構造のなかに不調和はあり得ないとするマカレンコ の発想のなかで,いわゆる三つ(共通,部分,個人)の目的は単に広狭の量的な差異のあ る目的ではなく,質的に異なる次元にある目的だということにまず注目されなくてはなら ない。彼によれば,⑱「個人的な自分自身の希求」はまさに個人の「心理的欲求」である が,「部分の目的」は「自分の第一次集団の希求」であって,それはすでに心理的な次元

をこえた「倫理的なもの」⑳であり,さらに「共通の目的」はもっと高次元の歴史的社会 的合法剛性につらぬかれた政治目的でなければならないのである。それ故に諸目的間の調 整は,後述するように,同一次元での「妥協」ではなくて,基本的な「要求の高まり」を 介してのみ可能となるのである。もし三者間に不調和が生じた場合は, 「共通の目的が

わたし個人の目的をも規定しなくてはなりません。共通の目的と個人の目的とのこの調和 が,ソビエト社会の性格であります」⑳ということになる。この明快な論理,ここに彼の

「合目的性」の構造の曇りない一つの相がみられる。この論理の明快さ,つまり諸「目 的」間の「合目的性」は,それでは一体どこからくるのだろうか。

 彼によれば,⑪それは他の社会とは異なった「ソビエト社会の依存関係の別種の連鎖」

からくる。 「それは,単なる群の中にいるのではなく, 組織された生活の中にいて,一 定の目的に向って努力している社会成員たちの依存関係」である。この「依存関係の別種 の連鎖」こそ,弁証法的決定論に支えられた政治によって構成されるのではないであろう か。そこで,これに対比して「ブルジョア社会の教育は」一と彼はこう述べている。

 「それは個人の教育であり,その個人を生存のための恥辱に適応させることであります。……その        コ   

 ような個人には,そのような斗争に必要な性質が伝達されねばなりません。・・…・好編にたけて,世  渡りのうまい外交家という性質,……自分自身のための孤立した斗士という性質であります。」⑫  いわゆる「自由」ではあるが「個人」主義的な社会とは異なった「依存関係の別種の連 鎖」をもつ社会の教育,集団主義教育では,上述のような諸目的間の調和を達成した真の 集団を組織するために,換言すれば「合目的性」をその教育実践において子どもたちに自 ら体得させるために,「見とおし路線」を育てることを重視する。彼は「人間を教育する とは,彼の中に見とおし路線を育てることを意味する」⑱とすらいっている。ここで「見 とおし」とは,組織,秩序,システム……の「微妙な網の目」⑭を見とおすこと,つまり

(12)

複雑な社会の諸関連のなかで精密な将来計画を樹てることである一といちおういっておこ

う。

 それは,近い見とおし一中間の見とおし一遠い見とおし,個人的見とおし一集団的見と おし一社会的見とおしなどの段階があるが,要するに「つねに生活にむかって鼓舞し,全 集団の見とおしを1頂次に拡大し,それを全連邦の見とおしにまで導かねばならない。」⑮ そのためにはまず「新しい見とおしの組織化」から,ついで「すでに所有されている見と おしの利用」をへて,そして「より価値ある見とおしの順次的なおきかえ」に進むことが 肝要である。

 「見とおしの教育は,広汎な政治教育の仕事のきわめて重要な段階である。なぜなら,それはいつ  そう広い見とおし一われわれの全連邦の将来への一自然的,実践的な移行の役割をはたすものであ  るからである。」⑯

 さきに「見とおし」のいちおうの意味を述べておいたが,しかし見とおしの内容が漸次豊 富になり,深化したことが明らかとなった今では,それは単に計画の問題領域に止まるも のではないということが判明するであろう。マカレンコ自身もいっていたように,見とお し路線を育てることは,まさに教育することと同義である。従って見とおしの教育は,教 育における「合目的性」を,単に方法,技術または理論としてでなく,それの基本的な構 造的次元において,しかも実践を通して子どもたちに体得させようとする最も高度な政治 的(政治ではない!)教育に外ならない。そこで,この教育の弁証法的な高まりは,手段 の見とおし(計画化),目的の見とおし(目的構成)をへて最後に歴史的必然の見とおし

(決定論的基盤に立つであろう政治への科学的見とおし=真の合目的性の発見)にまでい たる過程をとらなくてはならない。

 こうして,教育における合目的性,見とおし路線の教育,そしてそれらを目指す集団主 義教育はまさに弁証法的である。そしてこれらは渾然として「集団」の教育のなかに具現

する。

 「集団教育は,第一次集団をとおすことだけでは遂行されえないものであります。なぜなら…〔そ  のような〕集団の申では,家庭的性質があらわれるものであって,完全にソビエト的な教育である

       リ  ロ

 とは呼ぶことのできない性質の教育が行なわれることになる……からです。自分の利益の源を,素  朴な〔個人的な〕交通におくのではなく,もっと深い社会的な総合におくような大きな集団をとお

       の   ロ       ロ   コ   リ       コ

 す〔そういう見とおしを立てる〕ことによってはじめて,ひろい政治教育への移行が可能なのであ        ●  ■  ●  o

 ります。」⑰       。

 下点は筆者が付したものであるが,その部分の前後の文詠と上述の説明とを対照しなが ら検討していくと,この文章は非常に意味の深い,そしてきわめて重要な文章であること がよくわかっていただけると思う。ではこのような教育を実際に行なう「集団」は,どの

ような特性をもち,そして教育的機能をもつのであろうか。

 (3)集団の教育的機能

 マカレンコによれば,集団は何よりもつぎのような特質をもつものとされている。⑱  1.集団は目的・労働・組織の共通性を通じて人びとを統一する。

 2.集団は他の集団と有機的に結合しながらも,なお全体社会の一部としてそれに対し て第一義的な義務を負うている。

 5.集団は社会的有機体として,そのなかに管理と調整のための機関をもち,その機関 は集団の合目的性一同志ならびに集団決定への服従・責任および一致という諸原則一に従

(13)

って運営される。

 4.特にソビエト集団は,世界人類の団結という人間解放のための原則に立って結合さ れなくてはならない (筆者註一「ソビエト集団」と限定して考えなくて,「真の集団」とよみ代え たほうがよいであろう。)。

  「集団は,児童学者が教えていたように,相互に作用しあう個々の人びとの単なる集 合,単なるグルーフ.ではありません。集団一それは,組織されており,集団の機能をそな えている個人たちの目的志向的な統合体であります。」⑲このように,集団は組織的,機 能的,目的志向的な統合体でなければならないので,教育上「児童集団における最大の苦 心,最大の困難が,つまり対等関係でなくて服従関係を創造するということが,あるので あります。同志は同志に服従することができなくてはなりません。単に服従レなくてはな

らないというのではなくて,服従することができなくてはならないのであります。」⑩  他から命令されての「服従」ではなく,自発的可能性としての「服従」は,各成員が単

なる個人的な友情・愛情・隣…人関係などによってではなく,むしろもっと高度の結合環,

つまり「自分の任務や態度,義務,名与によって集団に結合されている」⑪ことによって はじめて生じるものである。そしてこの「環」が集団の単なる結合のための要素であるこ とから,さらに集団を実際に動かしていく(=集団の各成員を義務感によって動かしてい く)実践的契機へと発展していくとき,そこに明瞭に当該集団の特殊な「スタイル」 (と マヵレンコがよんでいるもの)が確定する。 「責任感がなくてはほんものの仕事はありえな いのであります。……〔だが〕その責任は全集団の責任と統一されていかねばなりませ ん」。 この個人の責任と全集団の責任との統一において, 「服従」は「任務,態度,義 務,名品」と結びついて生じるのである。そこで「すべてこのような責任をもとにして,

……d事のスタイル,集団のスタイルが創造されていく。」⑫のである。「実践一それは       ●   ●わたしが仕事のスタイルと呼んでいるものであります。」⑬

 集団が責任感と服従とによって単に結合される状態から,実践的な「スタイル」を示し はじめるやいなや,集団はみずからの「規律」を露呈しはじめる。しかしマカレンコにあ っては,規律は通常一般に考えられているような外部的・抑圧的・権力的な規律一それを

   レ  ゾ  ム

彼は「きまり」と呼んでいる一とは全く異なるものであることを知らなくてはならない。

  レ ジム

 「きまりは何よりもまず手段であり,それを用いて集団が行動の外的なわくを組織し,被教育者各  個をしてこのわくに内的な申味をもりこませるものである。」⑭

 しかし「規律」は,そのような手段では全くない。

 「規律は教育的作用の総和の産物であります。そのなかには,陶冶の遇程も,政治教育の過程も,

       の        

 性格形成の過程も,……ふくんでい〔る総和の産物であり〕ます。」曾

 「規律は集団の顔,それの声,それの美,それの活動性,それの表情,それの信念であります。集  団のなかにあるすべてのものは,終局的には,規律という形式をとります。」⑯

      

 「規律」が集団をつくるのではなく,逆に「集団」は規律となって現われる=「終局的 には規律という形式をとる」という論理は,まさしく歴史的・社会的決定論の論理の具現       の   レジム

に外ならない。マカレンコは「きまり」と「規律」とを峻別するが,必ずしも前者を排撃す るのではない。それは「手段」として,あくまでも「集団が作る行動の外的なわく」とし て,最終的には各個人がその「内的な中味」をもりこまなくてはならないと考えている。

ただ古い教育上の観念のように,それが教育上唯一最高のものと考えることを拒否するに すぎない。だが問題は「外的なわく」がどのようにして「内的な中味」を盛ることになる

(14)

のかということであろう。それは,すでに述べたように,論理的には「一定の状況内では 人間は虚偽を口にすることができないという確信が,虚偽を語らしめなくする」という集 団内での,外部からの刺戟の「屈折」を通して,それが逆に集団と個人の意識性を高め,

その結果が「規律」つまり「中味」となってあらわれると考えなくてはならない。マカレ ンコ自身はこの事情を,「集団における理解と外的形式との弁証法的な調和」の論理をも

       ■   ■       ●   ●   ●   ●

って説明する。

 「わたしたちの規律一それは完全な意識性と明確さ,完全な……すべてのものに共通な理解と,・

       ●   6  …完全に精確な外的形式との〔弁証法的な〕結合であります。」⑰

      の  ひ   

 ところで,規律が外部的な統制や規制の形式ではなく,むしろ集団内の意識性や共通理 解の発露として,外的形式と自らにして調和したものであるとするならば,その規律を欠

く者は,単なる(外的なものへの)反抗者ではなく,むしろ(みずからの内的なるものへ の)責任を守らない背任者,同志に服従しない異端者として「社会(集団)に反する行為       レ シ  ム

をする人間」@であるといわなくてはならない。それは所与の「きまり」に従わないより ももっと悪質な,みずからと同志に背く偽善的な背徳者である。それ故に彼も「われわれ の社会の規律一それは道徳的,政治的現象である。」⑲といっている。

 「道徳性のいかなる来世的な基礎付けからも解放されている社会主義社会においては,規律は技術  的なカテゴリーではなく,必ず道徳的なカテゴリーとなっていく。」⑳

 マヵレンコはここで,「道徳性の来世的な基礎付け」=宗教と道徳とを対比して,その ような宗教から解放されているから「規律」は道徳的カテゴリーであるといっているが,

この点の疑義を無視しても,上述の説明からみて,規律は本質的に道徳的カテゴリーであ ることはまちがいない。そこで,規律が道徳的カテゴリーであるというとき,本項のはじ めに引用した「服従することができなくてはならない」という命題の意味が大きく浮かび 上ってくる。すなわち「できなくてはならない」というのは,「できる」という可能性へ の信頼をふまえて,しかし今はまだ「できていない」ので,「できなくてはならない」と いう人間本質への要求が表明されているのである。しかもこのテーゼの優れている点は,

「しなくてはならない」という他律的・一方的な命令でなく,「できる」のだという主体 的人間への信頼があることである。それは,理想への発展可能性を含む「現実」の人間に 対して,可能性をもつがゆえにきびしく「理想」の実現を要求することである。これはま さに教育作用の基本構造であるといわなくてはならない。こうした可能性への信頼と発展 への要求の切点に位置するもの,それがマカレンコ教育学の本質である。

 「信頼と要求」については再び詳述することにして,なお残る問題は,彼が子どもたち に対して「規律」を一般的命題として提出する個所で,「規律は要求されねばならない」

@といっているのは,これまでの論旨とちがって一見他律的な印象を与えはしないかと思 われる点である。「教育の総和」としての規律が果して「命題」として与え得るのだろう か。・しかし,この問題を解明する一つの手がかりがある。それは,彼にあって規律は単に

       

「道徳的なもの」に止まらず,さらに「政治的なもの」としての意味をもち,その場合と くに「合目的性」の層化構造に従って上位集団の優位ということから,この二者間に序列 がつけられると考えられることである。

 「こんにちでは,わたしは集団の利益の優先ということは,最後まで,あえて容赦なく最後までつ  らぬかれねばならない……という考えかたに傾いています。」⑫

 「ソビエト的規律一それは克服の規律,斗争と前進運動との規律,何ものかへの志向の規律,この

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