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対聯故事 秀才 と老百姓 の問 に - 対聯研究 ノー トその

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対聯故事 秀才 と老百姓 の問 に

‑ 対聯研究 ノー トその 2 ‑

木 之 内 誠

1

対聯 は今 日の中国語 に よる文芸 の世 界の中で,最 も広範 な作者 を擁す る文 芸 ジャンルの一つ となってい る。 とりわけ, 中国の文芸活動 の本 流 と冒され て きた詩歌文芸 の中では, その存在 は決 して無視 で きないだけの量的 巨大 さ を持つ。例 えば現在, どれほ どの数 の伝統的古典 形式の詩が実作 されてい る だろ う。 あ るいは現代詩 の作 品が獲得 しえてい る読者の数 は どれ ほ どだろ う か。それ らと対比 して考 えるとき,その存在 の大 きさ とい うものにつ いては, 事 はか な りに単純 な明 白さを示 してい る。

これ までに残 されている対聯 の稔数 は,一説 に二十万副 を越 える ともいわ れ る 。 1) しか し,対聯 とい う文芸 のあ りよ うか らすれば,こ うした数字 をあげ るこ と自体 それほ ど意味のあ るこ ととはいえないだろ う。在来作 品の集計 と して もこの数字が さほ ど確 か な根 拠 を持 ち得 ない うえに,現在盛 んに制作 さ れ続 けてい る対聯作 品に よって, その稔計 は不 断にふ くれあが ってい るのだ か ら。例 えば,1 988 年 の春節 を前 に して行 われ た中央電視 台他 主催 の対聯 コ

ン クー ル 「 大 団円迎春徴聯」 では, 中国全土か らそ して在外華 人か らも,短 期 間に八万副 もの対聯作 品が寄せ られてい る. 2) ̲ あ るいは, 1 981 年 1 月,伝 州 の海鮮 レス トラン翠 園酒家 の開店記念の対聯募集 には,半 月間に三万二千 余 りの応募作 があった とい う。 3)

1 )常 江 「 対聯常 識」 ( 『 名聯鑑 賞辞典 』黄 山喜社 ,1 9 8 8 . 付録) での推計。

2) 『 対聯 』1 9 8 8 年 第 2 期 ,p.4 に紹介。

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現存す るス トソク, そ して流通 す るフ ロー の絶対 量 にお いてか くも膨大 な もの とな る対聯作 品群 も, それ らが作 られ,書かれ,読 まれ, 聞か れ る とい う実 践的状況 に頗 ら して見 る とき,決 して均質 な塊 として とらえ られ る もの ではない こ とを我 々 は知 らされ る。 また, く 作 品〉とい う便 利 な言葉 も対聯 を 対 象 とした ときには,現代 の小 説や唐代 の詩編 な どにつ いて使 う場合 の よ う に は,有効 に機能 しては くれ ない よ うに見 えて くる。

対聯 につ いて, 「 独 立 して使 用 され る対 をなす句」とい う定義付 けが ひ とま ず可能 とな るだ ろ う 。 4) 古典律詩 な どの一部 をな しうる対 句が,個別 に一対 の み で単純 に完結 した形 態 で作 品 として成 立 してい る とい う意味 で, ここでは 一 応

独 立使 用」 とい う言 い方が で きるのだが, それが どの よ うに 「 独 立

してい るか と見 るな らば, その様相 は実 に多様 な ものが あ るこ とが容 易 に観 察 され る。

現代 人 に とって例 えば唐代 詩歌 が そ うあ るよ うに, 対聯作 品 も文 字 に よる 芸術 としての性質上 当然 なが ら,書物 の上 の詩編 としての存在 形態 を持 ち う る。 一冊 の書物 に ま とめ られ た個 人作 品集 の 中に並べ られ た一群 の対 聯 を, 我 々 は一 人の読者 として杜 甫や李 白の詩 と同様 に鑑 賞す るこ とが で きるO例 えば 『 郭沫 若橡聯輯 注 』 5) や 『 林 則徐聯 句類集 』 6) とい った書名 の もとに。 そ の数 は,正統 的古典 詩文 の個 人集 のお びただ しさ とは比べ よ うもな く少 ない

ものではあ るのだが。

書物 の上 で読 まれ る対聯 の形 態 として もっ と一般 的 なの は, 『 古今 対聯大 観 』で あ る とか 『 古今名 人対聯 葉選 』な どの タイ トルの もとに,様 々 な作 者, 時代 , タイプの対聯 を広 く絵合 集成 した ものだ。 民 国期 ,つ いで 「 改革 と開 放

の この十年 間 に, この種 の対聯 書 として 多 くの類 書が世 にでて い る。 7)

3 )広州 『 羊城晩報』1 981 年 4 月 22日掲載の記事による ( 張其中収集整理 『 対聯叢 話』四川人民出版社,1 983 所収) 0

4 )余徳泉 『 対聯縦横談』上海古籍出版社,1 98 5 ,p. 1 . 5) 薩嘉突 巨韓 , 拠抄本 油 印 ,1 9 5 8.

6 )曲樹程,楊芝明編,山東教育出版社,1 9 83 .

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しか し,対聯 は書物 の上 でだけ読 まれ る く 作 品〉 では ない。 それ よ りむ し ろ,本 のペー ジを抜 け でた外部 の生活世 界のなか で,街行 く人の 日常 的 な経 験 として眼に入 って くる文字 として あ るこ と■ が, その常 態 としてあ る文芸 で あ る。 またそれ は時 に,建築 の. 装飾 の一部 とな り, また街 頭 の露店 に な らぶ 商 品 として, その場 で制作 され売買 の対象 とな る。 また一定 の状 況 の もと, 人 と人の間にや りと りされ る贈 答 品 ともな る 「 物」 であ る。

対聯 は,専 門作家 の書面文芸作 品か ら交際上 の贈 答 品‑ と, 言語芸術 とし ての極 遠 に容易 に到達 して しま う 「限界芸術 」であ る。鶴 見俊輔 のい った 「 生 活 の様 式 であ りなが ら,芸術 の様 式 で もあ るよ う. な両棲 類 的位 置 を 占め る限 界芸術 の諸種 目 」 8) のひ とつ としての性格 を色濃 く帯 びて い る。

対聯 の位 置の 「 両棲類性 」 は, ちなみ に対聯 に関す る書物や論文 が どん な 分 類上 の扱 い を受 けてい るか を見 るこ とか らも明 らか だ。例 えば, 古典 的分 類法 に したが って排列 され た叢書分類 目鼻 の 『中国叢書掠. 録』 では, 「 子部, 芸術 類,遊芸之属 」 の 中に将棋,酒令,挙 な どの遊戯種 目とな らんで, 言葉 の遊戯 として謎語,詩鐘 な ど と共 に置か れ てい る。新刊書籍 速報 の 『 全 国新 書 目』 では 「 散文 ・雑著」類 の末尾, 「民 間文 学」類 の直前 にはめ こ まれ る。

『中国古典文 学研 究論文 索 引 』 9) では, 「民間文学」の後 に置か れ た最後 の 中項 目 「 詩文詞 曲総論 及 びその他 」 の なか に小 項 目 「 対聯 」 をたて る。並 ぶ小 項 目は 「謎語」, 「 捻集」, 「 翻 訳」 な どだ。 さ らに 「 作 家作 品研 究 」 の部 では ま た別 に明清 の各作 家 の下 に個 別 の論文 が置か れ てい る。

この よ うに,対聯 は書 目の 中で も一定 の居場所 を もてず に, 時々 にあ ち ら こち らにい ささか 身の置 き所 な しとい う風情 で組 み込 まれ てい る。

その さまは,作 品ない し物 としての対聯 その ものが,現実 の生活世 界 内で

7 )拙稿 「 対聯関係書籍分類 目

」 ( 小樽 商科 大学 『 人文研 究 』7 9 韓 ,1 9 90 所収) 参 照 。

8 )鶴見俊輔 「 芸術の発展」 ( 『 限界芸術論』所収) 0

9 )中 山大 学 中文 系 資料 室編,広 西 人民 出版社 ,1 9 84 .

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様 々 な状 況下 に組 み込 み可能 な, 開かれ た態様 を示 して い るこ ともパ ラ レル の関係 に あ る。

「 独 立 して使 用 され る対句」た る対聯 は, しか し純粋 芸術 として孤 高の 「 独 立 」 を保 つ ため ではな く, まさにその道 に さまざまな活動領 域‑ の接合 を可 能 にす るべ く,書面 か らの脱 出 を成 し遂 げ た文字 たちなの であ る。

以下 の小論 は, 「限界芸術 」としての対聯 の対聯 た るゆ えん, ない しその面 白さの 中心 とも見 え る 自在 な組 み込 み可能性 , 自由聞達 な ポジシ ョニ ングの 一端 を 「 対聯故事 」 にみ よ うとす るもの であ る。

対聯故事 とは, その名 の通 り対聯 の もつ面 白さを話 の妙 味 の中心 にす えた ものだ。 そ こか ら中国の人々が どんなふ うに対聯 を経験 し,感 じてい るのか をみ るこ とが で きるだ ろ う。

数字 ない し数 十字 の字句 その もの を独 立 した作 品 として,切 り放 して読 ん だだけ では現 れて こない対聯 の面 白さ,妙 味 を 「 対聯故事 」 の 中に見 よ う。

中国 とい う言語実 践 の場 に あっては, この状 況依 存性 は古典 詩歌 の まわ りに も常 に見 えか くれ して いた ものであ る。

2

対聯故事 その もの を読 ん でみ る前 に,対聯 と対聯故事 の関係 につ いて少 し 考 えてお きたい。

人々の前 には まず, 言葉 自体 , さ らにその言葉 を書 き付 け た紙,板 自体 と しての対聯 が あ る。 テキス トとその物理 的支 え としての二枚 の紙, あ るいは 木板 な どの物 的存在 として場 の 中にあ る対聯 であ る。そ して それ に付着 して, 二次的 に生 み 出 され流通 してい く文字 ない し言葉が あ る。最初 の場 に置かれ

た対聯 が, 固有 の場 と状 況 を離 れて再 消 費,鑑 賞 され るため には, あ る程 度

必然的 に副次 的 を言葉 が対聯 自体 に付着 して くるこ とに もな る。 そ うでなけ

れば,状 況依 存性 の極 め て強 い対聯 は, その面 白さを二次的 な受容 者 た る一

般読者 には伝 えに くいか らであ る。 言語 テ キス トそれ 自体 の 自立性 は,例 え

ば近代 小 説 な どと比較 すれ ば,対聯 にあっては相対 的 に低 い。 こ うして付 着

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して きた言葉,対聯 が そのテ キス トの周囲 に増殖 させ た二次. 的 なテキス トの 一部分 として, ひ とまず 「 対聯故事 」 を見 るこ とが で きるだ ろ う。

この よ うな,対聯 の側 か らの伝達 上 の要請 として派生 した副次 的 テキス ト とい う性格 は, 「 聯話」 にお いて強 くみ られ る。 「 聯 話」 とは,文字教養 人 を 読者 として文語体 で書かれ た対聯 をめ ぐる評論, 逸話,趣 閏の記 録 であ る。

その最初 の集成 として, 十九世 紀半 ば逆光年 間 に出た梁章錐 の 『 橡聯 叢話』

が あ る。 『 橡聯 続話』, 『 極聯三話』と続 く彼 の聯 話集 には,先 立つ筆 記類か ら 引 いた もの を含 め て,総計一千則 あ ま りの種 々の聯 話が書 き留め られ てい る.

唐代 に繁栄 した詩文芸 が, 晩唐 に 『 本事 詩』 を産 み,続 く末代 に至 って詩 人の逸事や詩 の評論 を集め た 「 詩話」 の ジャンル を確 立 した よ うに,清代 に 大 いに普及発展 を遂 げた対聯文芸 も,十九世 紀半 ばになって 「 聯話 」 を生 み 出す に至 った。 その後, 民国期 には呉恭 亨 『 対聯 話』,楊l # 昌 『 西湖聯 話』な

ど多 くの類書が 出てい る。

これ らの聯話 では,聯話 の筆 者 自身の作 を含 む対聯作 品の紹介, あ るいは 評論 としての文 言 を費や してい るこ とが 多い。 日 く, 某所 の某事 で我 が友人 の某 氏が こんな対聯 を作 った云々。 確 か に固有 の場所 に さ らされ る対聯 では, その対聯 を読者 に紹介 しよ う とすれ ば,制作 にあた っての時,場所,状釈 を 説 明 しなければ,対 聯 の字句 自体 の意味が十分 に伝 わ らない こ とに な る。

これ に対 して,一般 民衆 の間に も,対聯 に関す る大 量 の説話,伝 説が伝 え られてい る。 「民 間対聯故事 」 と呼 ばれ る もの であ る。

ここでは聯話 の場合 と違 って,対聯 はその周 囲 に二次的 な文 言 をめ ぐらせ る言表 の核 とい うよ りは, む しろ物語展 開上 の道具 立 てのひ とつ として登場 す るこ ととな る。詩 句 としての対聯 の言葉 よ りも, それ を一つ の構 成要素 と

したス トー リー 自体 の面 白さに興 味 は集 ま り,筋立 ての重 み 「 故事性 」が強 まる。例 えば聯話,特 に名勝聯 に ちなんだ聯話 な どでは,動 きを持 った人の 姿 は登場せ ず,対聯 その もの を鑑 賞 させ よ う とす るのに対 し, 民間の故事 の

中では人物 の動 きが なければ話 は成 立 しない。

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* * *

この十年 ほ どの間 に,中国では対聯故事類 を集 め た通俗 的読 み物 が ,3 0 以上 も刊行 されてい る。 そ こには文 人逸事 的 な聯話 と,本来 の意味 での民間 故事 とが取 り混ぜ て収 め られて い る。

こ こで主 に素材 を採 ろ うとしてい る 『 対聯 ・民間対聯故事 』誌 も,文 革期 のゆ りか え しの よ うに起 こった,対聯 を含 む 旧文化一般 に対す る再 評価 ムー ドの中 で ,1 9 8 5 年 1 月 山西省 大原 で発刊 され たユニー クな隔月刊 誌 であ る。

対聯 につ いての最初 に して唯一 の全 国的定期刊行物 で あ るこの雑 誌 は,装 丁 もなか なか変 わっていて,二つ の表紙 とタイ トル を持つ。右 め くり縦書 きの

『 対聯 』 と,左 め くり横 書 きの 『 民 間対聯 故事 』とは, 中央 に墨跡 の写真版 な どの 『 聯墨線』のペー ジを挟 んで各 3 2 ペー ジ背 中合 わせ に一冊 の雑 誌 を構 成 してい る。 判型 も横長 の三 十二 開 ( B6 大) とい う, あ ま り類例 の ない もの

この雑 誌 が その編集方針 の一つ とす る 「 雅俗 共賞 の風格 の提 唱」 は,研 究 誌的 な 『 対聯 』の 「 雅 一教養 層」に対 して,通俗 読 み物 的 な 『 民間対聯故事 』 の 「 俗 一大 衆

との体 裁 の上 での独特 の共 存形態 に も現 れ てい る。 いわば雅 俗 の摸す る ところに独 自の領 域 を持つ対聯 とい う形式 の 「 両棲類 的」 な性格 が, 自ず と編集者 に この一 風変 わ った体 裁 を選 ばせ た とい って もいい。

『 対聯』誌 の部分 では,主 に作 者文芸 としての対聯創作 に関 しての検討 が行 われ, 『 民 間対聯故事 』の方 では, 無名 の民衆 たち を享受者 として きた限界芸 術 としての対聯 の面 目が, 「 故事 」をは じめ とす る種 々の通俗 的 な文芸形式 の

なか に見 られ る。

読者対象 としては,都 市 と農 村 の文化館 ( 姑 ・ 室)や各種倶 楽部 の工作 者, 中小 学教 師, 引退後 の老 人,農村地 区の幹部,農 民や労働 者 の対聯一般 愛好 者 を想定 し, 「 写対子,練書法, 講故事 ,婁聯語」とい う実用 的 な 目的,効能

を挙 げて,読 者 に定期購読 を呼 びか けてい る。 1 0 )

そ して, この雑 誌の執筆, 投稿 者 に して も,専 門の研 究者 ・作者 な どでは

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な く, いわゆ る 「 業余 」 アマ チュアの 「 文 史愛好者」や 「 写作 愛好者」が 中 心 とな って い る。誌上 の各編 の末尾 に記 され た彼 らの 「 所属単位 」か ら,現 在 の対聯文芸 の社会 的 な位 置 をあ る程度 うか が い知 るこ ともで きるよ うだ。

その幾 つか を書 き出 してみ る と,

○小 ・ 中学,教 師進修 学校,郷鎮 企業幹校 ,採油廠 学校 ,針 織廠 技工学校 , 県教 育局 な どの各種 の教 育関係機 関

○県文化局, 県文化館, 市文化局 な ど大衆文化 活動 を指 導す る行政組織

○人民 日報機動 記者組, 山西 日報記群部

○県委宣伝 部, 県委組織部, 県党 史弁公室,部 隊政治部宣伝科

○県志弁公 室, 県文物管理所 ,郷政府,郵 電局,保健 童 占 な ど県級以下 の幹部 が 目につ く。

そ して特 に所属単位 名 を明記 しない ものは,農 民や 引退 した老 人 たちの投 稿 であろ うか。

彼 らの 多 くは,ロー カルな郷村社会 の 中にあって,文芸専 門家 と一般大衆,

「 雅 」「 俗 」 の間の 中間層的位 置, ない しその摸 す る界面 に身 を置 く人々 であ る。

彼 らが,対聯 その もの, そ して対聯故事 な どの制作 と流通伝承 の経路 の な か で,一定 の位 置 を占め て い る とい うこ と。 そ して, その位 置 は, 明清代 の 郷村社会 の なか で, かつ て あ る種 の人々が 占めて いた場所,機 能 を祐補 とさ せ る もので もあ る。

ここに毎号数 編ずつ掲載 されてい る 「 対聯故事 」 の各編 につ いてみ る と, それ ぞれの長 さは四百字か ら七,八百字程 度 の比較 的短 い ものが 多い。現代 の大衆 の生活 を話 の素材,背景 とす るいわゆ る 「 新故事

とともに, 旧時代 か ら語 り伝 え られ た 「 伝 統故事 」 を も収 め るが, 口述者か らの採集,整理 の プ ロセス を踏 んで ま とめ られ た こ とを明記す る ものばか りではな く, 民間文

1 0 ) 『 対 聯 』1 987 年 第 5 期 「 聯 墨 線 」欄 。

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学 のい う口承性 は不 明確 な ものがか な り含 まれてい る。 む しろセ ミプ ロ的書 き手 に よ る 「 故事文学」 的 な通俗読 み物 とみ なした方が適 当な もの も多い。

しか し,近年 雨後 の筒 の よ うに出版 されて い る故事選 の類 の書物 に取 られ る話 には,他 書か らの引 き移 しが 多いのに対 して, この 『 民間対聯故事 』誌 では,講述 者 を明 らか に した ものや新作 が 多 く, 捻 じて生 きが いい 。 11) 八十年 代 の 「 文化

」, それ を上 か ら覆 う大波 の よ うな市場経済状 況 の加 熟 した進行 ぶ りな ど, そ こには対聯 の今 をか い まみせ て くれ る証 言が満載 されてい る。

末代 に形 をな し, 明清代 に広 が りと深 み をま した対聯 が,現在 なお ジャンル として生成発展 の過程 にあ り, その生命 力 を枯 れ させ ていない こ とを, それ らは如実 に物語 ってい る。

日常 の世 界 に組 み込 まれて あ る状 態 で, いわば 「 根付 き,泥付 き」 の まま の対聯文芸 の現状 をみ る上 で, 『 対聯 ・ 民間対聯故事 』誌 の諸編 は,恰好 の素 材 を提供 して くれてい る。

小論 では,以下主 に この雑 誌 に材料 を採 って, そ こに掲載 され た 「 対聯故 事 」 の趣 向 を読 む と̲ ころか ら,対聯 が持 つ独特 の面 白さが どの よ うに見 えて

くるのか, い ま しば ら く関心 を向けてみ よ う。

3

ここに取 り上 げ よ うとす る対聯故事 は, その な りたち としては,歴 史上 の 人物 の実話 に基づ く伝 説 に類す る もの もあれば,架 空の人物 を主 人公 に紙 の 上 で創作 され た通俗文学 の作 品 と呼ぶべ き もの もあ る。 その成立, 来歴 は必 ず しも単一,均質 ではない。 しか し, いずれ に して もこれ らの故事 の様 々 な 趣 向は,話 を聞 く人々が い ったい対聯 の どん なあ りよ うにつ いて面 白さを感 じてい るのか,そ して故事 を紡 ぎ語 ろ うとす る ものが対聯 の どん な持 ち味 を,

ll) 「 本誌は新創作 と新捜集整理の対聯稿 を主 とする。すでにあちこちの雑誌等で使

いまわされた内容の原稿は発表 しないよう。 」などと編者が紙面で投稿者にたび

たび注意 している。

(9)

聴衆の興味 を引 くプ ロッ トに結 びつ け られ る と考 えたのか を,異境 の我々に も教 えて くれ てい るのは確 か なのだ。

* * *

対聯故事 には, どんな人物が登場す るのだ ろ うか。 当然,役 回 りとして ど うして も欠かせ ないのは,文字 の形 に書かれ た ものであれ,口頭 の聯 であれ, 筆 を振 るって文字 を書 き, また即興 で句 を口ず さむ,対聯 の制作者 であ る。

そ して,張 り出され,声 を響 かせ た対聯 を, その眼で見,耳 で聞いて,何 らかの反応 を起 こす享受者 た ち。 また,時には,対聯 の制作 を主人公 に依頼 す る金持 ちの クライアン トも登場 して くる。

明,清代 を通 じて一般 民衆 に も身近 な存在 となっていった対聯 だが, その 措辞用語 は, あ くまで古典 的詩文 の文 言 を基本 とし,平灰 をふ まえた対句法 と相 まって,その制作 には一定 の古典 的文字教養 を要求 され る。対聯が,「そ の根 を文学芸術 の範 噂 に張 り, その花 を民 間群 衆文化 に向か って咲 き広 げ

る 」 12) と言 われ るゆ えん であ る。

旧中国 を時代 背景 とす る伝統故事 の中で,対聯 の作 り手 として しば しば登 場 す るのが, いわゆ る 「 秀才

たちであ る。彼 らは,官僚支配階級 にその予 備 軍 として連 なる官職補任候補者層の メンバー であ る。科挙 の受験勉 強 を通 じて培 われ る古典 的文字教養 は,彼 らを知 的エ リー トとして,大衆か ら分離 させ る。詩文制作 の専 門技能 を持 つ読書人階層 に とって対聯 は, 日頃の修養 の成果 のあ くまで一種 の余 技 として生み出され るにす ぎない もの とされ る。

秀才 たち, そ して よ り明確 に支 配階級の一月 であ る各 ランクの地方官 たち とともに,伝統対聯故事 中の人物 の常連 として登場す るのが「 教書先生」 ,村 塾 の教 師たちであ る。秀才や地方官僚 らが,知 的 な面のみな らず, それ と同 時に政治権 力的 な意味 で も,大衆 に優越す る もの として現れて くるのに対 し

1 2) 郎合成 「 文化貼応加 強対聯文化建 設」 『 民間対聯故事 』1 98 8 年 第 1 期 。

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て,村塾 の教 師たちには, 民衆 に対す る政 治的支配被支配 の関係 は顕在化 し ていない。 そ うした意味 で,寺子屋 の先生 たちの故事 の 中での役 回 りは,秀 オ らのそれ ともか な りに異 なった もの とな るこ ともあ る。

清 の乾隆年 間,名 高 い文人の鄭板橋 が 山東 で県の長官 をしていた とき の こ と, あ る 日一 人の 「 教 書先生」が,雇 い主か ら学識不足だ と言いが か りをつ け られて,一年分 の謝金 「 八 吊」八千文 を不 払 いの まま追 い出 され よ うとしてい る と訴 えて くる。 鄭板橋 は, この老先生 の力 を試 そ う と対聯 で問題 を出す。部屋 に掛か っていた灯篭 を指 さ して,

四面燈,単層紙,輝輝 堤燈,照遍東西南北,

とい う上聯 を示 して,対 にな る下聯 をその場 で作 らせ る。老先生 は, しば ら く考 えた後, 自分・ の境遇 を織 り込 んで こんな答 を出す。

一年学,八 吊銭,辛辛苦苦,歴尽春 夏秋冬。

これ を聞いた鄭板橋 は, この教 師の力量 を認めて雇 い主の金持 ちを罰 し,契約 の謝金 を払 わせ る。 13)

この話 には,財 力 を持つ もの,知識 を もつ もの, そ してそれ を超越 し調停 す るメタ知性 としての高名 な文 人が登場す る。対聯故事 の主 だった役者 の顔 ぶれ としては, あ とは したたか な多数 派 た る「 老百姓」,民衆 の出番 を待 つ だ けだ。

教育 システムの民間‑ の普及浸透 は,対聯 の時代 明清代 を特徴づ け る大 き な社会 的現象 であ る。実用 レベ ルの読 み書 きを私塾 で習 う子供 の数 は,都 市, 農村 を問 わず大幅 に増 えてい く。 14)

伝 説対聯故事 と題 して 『 民間対聯故事 』誌上 に掲載 された次 の ような話 は, 塾 の教 師 と漁民 たちを主人公 として,郷村へ の教育 の普及 を背景 としてい る。

1 3 ) 周延湘 「 鄭板橋出聯断案」『 民間対聯故事 』1 9 8 8 年第 2 期。

(11)

その昔清朝 の頃, 江西 は都 陽湖 のほ と りの人 口二百人余 りの漁村。村 の漁民 た ちは,読 み書 き・ 計算が 出来 ないばか りに,街 に魚 を売 りに行 っ て も, みすみす損 をさせ られ てばか りい る。 そ こで,彼 らは後 継 ぎの子 供 た ちには読 み書 きを習 わせ ねば と決意 し,村 の両堂 に塾 を開 き,省府 南 昌か ら薄 とい う先生 を招 いた。しか し,この教 師 は,自分 の学 識 を誇 っ て村 人 を見下 してい る倣倣 な男 だ った。字 な どは知 らないが なか なか に 才 気 あ る村 の若 者 が, あ る 日この教 師 の高慢 の鼻 をへ し折 れ な いか と

図 って,対聯 問答 を仕掛 け る。「 誰 も下 の句 の継 げない片割 れの上聯 が あ るん ですが,先 生 の学 識 で うま くま とめ て もらえな い もの で しょ うか ね」。若 者 の挑戟 的 を 口ぶ りに機嫌 を悪 くした教 師は,売 り言葉 に買 い言 葉 で 「も しで きなければ教 室 の梁 に首 を くくってや るわい」 とまで言 っ て しま う。 そ こで若者 の唱 えた上 聯 は, 「 杯 漏漏 乾船漏満」。 同 じ文字 を 三度重 ねて読 み込 んだ この 「 重 言」聯 にか な う下聯 を,教 師は どうして

も答 え られず,逆上 して その晩つ いに首 を吊って死 んで しま う。

村 人 は,後任 の教 師 を探 し求 め て,今 度 は大金 を積 んで景徳鏡 か ら単 とい う教 師 を呼 ん で来 る。前任 者 の幽霊 な ど恐 れぬ単 は,両堂 に住 み込 む。 あ る夜,彼 の机上 の灯芯 が一 陣の風 に吹か れて危 う く消 えそ うにな る。これ を見 た彼 は,は た と気付 いて叫 んだ。「出来 たぞ,灯 吹吹規火吹 紅, だ」。

この後,村 人 は この教 師 を尊敬 して,塾 には ます ます生徒 が増 えた。

そ こで村 人 は,通 学 の路 をさえ ぎる川 に橋 をかけ, これ に 「 恩 師橋・ 」 と 名付 け た。 15)

14) 清末には,基礎的な読み書 きを教 える塾の普及分布は,学齢の男児の三分の一 ないし二分の一 を収容す るまでに達 していた とい う推計がある 。Eve l yn S . Ra ws ki , " Ec onomi cand Soc i alFoundat i onsofLat eI mpe r i alCul t ur e , "

Po pul a rCul t ur ei nLa t eI mpe r i a lChi na ,e d.Da vi dJ ohns on ( Be r ke l ay:

Uni ve r s i t yofCal i f or ni aPr e s s, 1 9 8 5 ),p. l l .

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94 人 文 研 究 第 8 1 輯

知 識 と生活 ‑ 「 雅 」 と 「 俗 」 の出会 うゾー ンに実 践 的場 を広 げ る対聯 とい う文芸 は,故事 の話 の 中 で も知 的 エ リー トと民衆 が 言葉 の技 芸 を介 して 出 会 ってい る。 その 出会 いは, お互 いに とってそれ ほ ど幸福 な もの であ った と

はいえないか もしれ ないが。 この話 の漁民 た ち と二人 の教 師 との関 わ りか た は, 民衆 に とっての 「 知 」 の獲得 に対 す るア ンビバ レン トな関係性 を暗示 す るよ うだ。

文 人 た ちの側 か らの対聯 をめ ぐる逸話 の記録 であ る 「 聯 話」 の なか に はほ とん ど見 るこ との なか った民衆 の姿が, ここには現 れて い る。 そ して また文 人 自身の姿が,対聯 故事 では民衆 の側 の 目か ら, 「 聯 話」での 自画像 とは ひ と 昧違 った もの として,描 かれ語 られ るこ とにな る。

文才 を頼 み ひけ らかす 「 秀オ 」 を農 民や 子供,女 が機知 を もって噸弄す る 対聯故事 は数 多い 。 16) 優 越的位 置 を 占め る者 に対 して,劣 弱者 とみ な され る もの た ちが, 時 あって その立場 を逆転 させ る。 その結未 には決 まって,公衆 の前 でへ こまされ て ぐうの音 も出せ ず, す ごす ご と退散 す るエ セ秀才 の後 ろ 姿が あ る。

そ こに展 開 され る対聯 問答 は, 時 に文化 的エ リー トと非 エ リー トとの,価 値づ け られ た文 言の生成能 力 とその生成物 とい う 「 文化 資本」 をめ ぐる闘争 の様相 を呈す る。

明清代 を通 じて進展 した民衆層 の識字化 が, こ うした故事 の社会 文化 史的 背景 をな してい る。少数 のエ リー ト教養 人 と非エ リー ト大 衆 の間の,文 言 の 操作能 力 の上 での決定 的 な開 きは, この時代 を通 じて,相 対 的 にはその差 を 縮 めて い る。故事 の 中で民衆側 が,読 書 人 たちに対 して時 にはゲ リラ的,敬 発的 な勝利 を収 め もす るのは,彼 らの実 力 の上昇 をあ る程度 反映 した逸話 と み な しうるのだ ろ う。

1 5) 呉慶福 「 漁民聯話 " 恩師橋

」『 民間対聯故事』1 98 8 年 第 5 期。

1 6) 王慶新編著 『 古今神童才女巧対』山東人民出版社,1 9 88 では, こうした子供 「 神

童」 ,女 「 才女」 を主役 とす る故事,伝説が集め られている。

(13)

昔,一 人の老石工 が,橋 を築 き上 げ るたびに,対聯 の上 の句 を書 き出 して,通 りかか る人 に, これ と対 に な る下聯 を も とめ ていた。 この話 を 聞 いて, あ る秀オ が 出向いてい く。秀才 「 石工 ふぜ いが,文墨 を もて あ そぼ うとい うのか」。石 工 「いえいえ, ほんのてす さびで して」。受 けて 立 とうとい う秀オ に うなが されて,石工 が示 した上聯 は,

開大 山,有 削 、 石 ,修 扶橋,舗 平路,通 南通北,

「 大,小

「 技,平

「南,北」とい う三組 の反義語 を組 み込 んだ この上 聯 に,秀才 は落 ちつ き無 く長 い こ と考 えあ ぐねていたが, 一 向に下聯 を 接 げ ない。そ こ‑竹 を担 いだ篭職 人周 りの人垣 を分 けて歩 み 出た。「あん

たに出来 ん よ うな ら, わ しが ひ とつ

とい って吟 じたのが, 妖長竹 ,劃壇蔑,挽 円圏,箆屈桶 ,装 束装 西。

これ を聞 いた まわ りの衆 は こぞってほめ そや し,石工 は 「 兄弟, なか なかや る じゃないかね」 と篭職 人 に声 をかけ る。 17)

石工 と篭職 人が交 わ した この聯語 は,文 人 たちが その学殖 を誇 るよ うな古 典 的文 藻 を駆使 した ものな どではない。 しか し, 山か ら石 を切 り出 し橋 を作 り,竹 を裂 いて ひ ご を作 り篭 を編 む とい う彼 らの 日々 の生産 活動 を素 朴 に 語 って, その まま見事 に対句 をな してい る。 そ して,秀オ が 自負す る正統 的 文化 に対 す るカウンター カル チ ャー の勝利 を詣歌 す るo ここで,石 工 た ち と 秀オ を引 き合 わせ たのは,対 とな るこ とを求め る言葉,対聯 であ る。それは, 読書 人 と大衆 とい う二つ の言語世 界 に またが って繁茂 す る圏域 を持 ち,両者 の遭遇す る時, 双方 に言葉 の技 を競 わせ るこ とに もな る種 目なのであ る

こ うした民衆 のた まさかの勝利 の逸話伝 説 を生 み なが ら も, しか し,総体 としての民衆層 は結局 の ところ受動 的 な受容 者 として,文字教養 層 に よって 囲 い込 まれて いった とい うべ きなのだ ろ うか。

1 7 ) 「 蔑 匠巧村石 匠」 尚文化 編著 『 古今対聯故事選』洛陽 ・春 風文芸 出版社 ,1 9 84 ,

p. 1 6 0 .

(14)

96 8 1 輯

識字率 の向上 は, 日常生活 の諸場 面 での文字 の使 用 を広 く促 し,逆 に識字 以前 の郷村社会 にはなか った文字 の専 門家‑ の依 存 の局面 を生 み 出す。非識 字大衆 は もとよ り,簡単 な読 み書 きは出来 て も詩 は作 れ ない非エ リー ト識字 層 も, よ り高次 のエ リー ト識字層 の文 人,秀才 あ るいは教 師 な どの専 門家屑 を殊 介 として,文字 に書かれ た対聯 の制作 に関与す るこ とにな る。 そ うであ るか らこそ逆転 の モチー フは,読書 人階層 の優 越支 配 の下 にあ る故事 の聴衆 にい っ ときカタル シスの解放 を もた らしたわけで もあ るのだ ろ う。

* * *

これ までにみ た伝 統故事 の なか で秀才や村塾 の教 師 らがつ とめ て いた役柄 を,新 故事 では誰 が 引 き受 け るこ とにな るのだ ろ うか。

革命 と戦争 の時期 を時代 背景 とす る故事 では,共産 党 の工作員や八路軍幹 部 な どが, それ までの文 人,秀才 の位 置 に登場 して くる。往 々 に して噸昇 の 対象 とな る旧文 人 ら と違 って, 当然彼 らは 「 正 面人物 」 としての役 割 を果 た す こ とにな る。

現代 の対聯故事 で は, 県級 の国家幹部,農村 で一般 大衆 と密着す る基層幹 部や小 中学校 の教 師 た ちが,対聯 の作 り手 の常連 として現 れて くる。

中秋節 の晩,村 の小学校 の先生 た ちが 月見 の会 に集 って い る ところへ, ひ と りの教 師 の遠縁 の親戚 にあ た る村 の党支部書 記がや って くる。親戚 同士 の彼 ら二人の対句 の応酬 で一座 は大 いに盛 り上 が る. 1 8 )

小 学教 師だ とい う筆 者 の本来 の執筆 意 図 は ともか く,私 には無惨 に もばか げた話 として しか読 め ないのだが,何 人かの対聯制作者 の登場す る故事 とし て もう一 つ 引 こ う。

1 8) 襲本正「 老師賞月書聯対 」 『 民間対聯故事』 1 9 8 8 年 第 5 期 に教師対聯故事 として。

(15)

戟争 で傷 病軍人 とな った親 子二代 の解放 軍兵士 とそれに嫁 いだ妻 たち に周 囲の人々か ら時々の対聯 が送 られ る話。婚礼 を数 日後 に控 えて志磨

して行 った朝鮮 戦争 で片腕 を失 って復員 した劉青 山に,以前の婚約 者 は 結婚 に二 の足 を踏 む。気 を もむ親戚 たち。村 の婦女聯合会 主任 が割 に嫁 ぐ。その婚 礼 の宴 に私 塾 の老先生 が祝 いの喜聯 を持 って くる。時 は流れ, 割 の息子が 中 ソ国境 の 「自衛 反撃戦」 で片 目を失 明。凱旋慰労歓迎会 の 席上,小学校 の老教 師が功 績 を称 え る対聯 を彼 に献 ず る。そ して次 には, 娘 が 中越 国境 の老 山戟線 で右 足 を地雷 で吹 き とば した兵士 と結婚 す る0 春 節 に帰郷 した彼 らの ところに,郷 の党委 書記が年始 に訪 れ春聯 を持参

す る。村 の衆が 門前 に張 り出 され たの を見 たの は こんな対聯 だ った。

父征 戟子征 戦婿征 戦 父子婿 同征 戟, 母 賢良娘 賢良女 賢良母娘女 皆 賢良。 19)

もちろん 「 老 百姓」一般庶 民 も, 自ら筆 を とって対聯 を書 き記 し張 り出す 主体 として現 れ る。

『 民間対聯故事 』誌 の一読者 は,湖 北省 の 山間の小 集落 に興 った最近 の 「 対 聯熟」をこ う伝 え る。 「 全村二十五戸, 百七 人の部 落 に, 三十一 人 もの対聯愛 好者 が い る。彼 らは夏 の夕涼 みや冬 の炉端 に三 々五 々寄 り集 まっては,対聯 を吟 じ批評 しあ う。年 越 しともなれば,対聯熟 はいや ま し, 家々の大小, 前 後 の門 口には,彼 らの 自撰 自筆 の春 聯 が貼 り出 され る。」2 0 )

こ うした対聯 ブー ムは,農村 のセ ミプ ロ的対聯作者 の実 入 りをなか なか の ものに して い る らしい。農村社会 内部 でい まや ひ っぼ りだ このスペ シャ リス トとなった対聯制作 者 た ちの現況 の一端 を我 々 に窺 い知 らせ て くれ るこんな 記事 もあ る 。 「 十一期 三 中全会 以降,農 村 の家 々 で,そ して また商工業 者 らの 間 で も,各種 の対聯 の使 用 の機会 と頻 度 は大 いに増 えてい る。 四川省合 江県

1 9) 劉建斌「 両代戊辺効 中華」『 民間対聯故事 』1 9 87 年第 4 期 に新編対聯故事 として。

2 0) 呉秋券 「 吟対撰聯在 山村熟起

」『 民間対聯故事 』1 987 年第 2 期。

(16)

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を例 に取 る と ,72 の行政郷, 4 カ所 の僕 ,郷場 40 数 カ所 か らな るこの県 だけ で,対聯 の制作 と販 売 に従事 す る ものが三 百人 ほ ど もい る。彼 らの毎 月の一 人 あた りの収 入 は六,七十元 にな り,春 節 の書 き入れ時 には百元か ら二百元 に も達 して い る

」 21)

や は り誰 しもが,気 の利 いた対聯 を自分で 作 れ るわけでは ないのだ。一定 程度以 上 の文 字教養 を持つ もの と持 た ざる もの との間に横 たわ る溝,潜在 的 な矛盾相 克 は現代 中国, こ とにその農村部 では決 して解 消 して い るわけでは ない。教 育 の絶 対 的貧 困は,知 識層 と大衆 をかつ ての秀才 と老 百姓 の よ うに 隔て続 けてい る。文化 的上 層か ら下層‑ と広 まった 「 沈降文化財 」 としての 性格 は,対聯 に依 然 として深 く刻 印 されてい る。

しか し,公刊 され る印刷 物 の中で我々が眼 にす る現代 の対聯故事 には,伝 統故事 に緊張 を与 えていた しか けの一つ であ った読書 人 と大衆 との遭遇 と逆 転 のモチー フは もはや現 れ るこ とはない。 それ にか わ って為政者側 か らの政 策宣伝 や, それに対 す る大衆 の 自己保 身的 な支持 表 明が, さ りげな く或 いは あか らさまに まざれ こんでい た りす るの を見 るばか りだ。

4

場 に掛 け られ書かれ た文字 の形 を取 る対聯 の 中では,二つ の詩 句 は左右 そ れ ぞれの位 置 で空 間的 な対応 を してい る。 口頭 的 な状 況 の なか で それ は, 時 間的 に引 き続 いて行 われ る二者 に よる掛 け合 い, 応答 の形 を取 って現 れ る。

対聯故事 の 中には, オー ラル モー ドの対聯 「 応対 」 を扱 うものが 多い。 民衆 の中で語 り聞か れ る とい う故事 の メデ ィア本来 の特 質 か らして もそれ は 自然

どの よ うに下聯 をつ なげ るのか を懸念 しなが ら,話 の続 きに興 味 を引 き継が され るこ とに な る。

21 ) 宋希 文 「 把農 村対聯水 平提 高一 歩 」 『 対聯 』1 9 87 年 第 4 期 。

(17)

主 人公 は「 触景生情」, その場 の情景 を見 て とっさの機 転 を働 かせ て解 答 を 兄 いだす。下聯 が聴衆 に示 され る前 に提示 され る情景 は,応対 に苦 しむ主 人 公 に とって救 いの綱 であ るの と同時 に,話 の聞 き手 に とって もここで主 人公 と一 緒 に考 え る ヒン トを与 え られ た事 にな る。課題 の解 決 を遅延 して その間 に聴衆 の参加 を呼 び込 み, しか るの ち急転 直下 の解決 で 決感 を味 わわせ る と い うしかけであ る。

掲 げ られ た書跡 としての対聯 も, その制作 の過程 を語 る故事 の 中では,や は り二人の人物 の 口頭 での応酬 の作 とされてい る もの も多い。 ここでは,対 をなす詩 句 は, あ る場 面 で対 の存在 とな ってい る二人 の個 人の間に,綾 な る 言葉 の掛 け合 い として立 ち現 れ る。対聯故事 はその詩 的 な言葉 の生 み 出 され て くる現場 の報告 で もあ る。

対聯 の応答性 は,二 人の掛 け合 い とい う点 にお いて, 「 相 声」 ( 漫才) とも 相性 が いい。 『 民間対聯 故事 』誌上 には,対聯 を題 材 に した 「 相 声」の台本 が, 毎号 の よ うに掲載 され て もい る。 そ して,例 えば,二者相対 して交互 に手 を 進め てい く囲碁 とい うゲー ム も,掛 け合 いの対聯 と自然 な取 り合 わせ を見せ

るこ と が あ る 22)

しか し,対 にな りたが る言葉 としての対 句 の応答 に, なに よ りふ さわ し く 物語 を引 き寄せ るの は, それが一対 の男女 の仲 を と りもつ棋介物 としての働

きを見せ る場合 だ ろ う。上聯 を出 して, 下聯 を答 え させ る口頭聯 の応酬 は, 様 々 な形 を とって縁 をつ な ぐ言葉 として男 と女 の間に入 り込 む。

新 故事 では,夫婦や婚 約 者 同士 の 日常 的背景 を持 ったや りと りとして 口頭 聯 をか らめ た話 も多い。 以下 は, 軍 に所属 す る投稿 者が 『 民間対聯故事 』誌 に寄せ た 「 生活対聯故事 」 か ら。

妻 は農 家 の出で初 級 中学卒 の学歴 しか ないが,対 句 を作 るのが得 意 だ。

2 2 ) 「 垂釣対囲棋」は,蘇韓 と黄庭塾の対局 という設定の故事。前掲 『 古今対聯故事

選 』所収 。

(18)

loo 人 文 研 究 第 8 1 輯

夫が休 暇 を取 り,雨 の 中わが家 に帰 り着 く。興 に まかせ て夫 が 「 泥 寧路 遥,難 阻夫妻 団円」 とや る と, 妻 は即座 に 「 迷 豪雨至,書有全豪歓楽 」 と受 けて ま とめ る。妻 が食事 の支度 を始 め る と, それ を見 て夫 は 「 一 日 三餐,柴米油塩 」と口に出 してみ る。妻が 慌てず騒 がず答 えて言 うには,

「 両地千里,筆 墨紙硯 」。 わが家 でみ る月に 「 今 晩 月真 円」 と感 慨深 げな 夫 に対 して, 妻 は「明天 日更短」, あなた と一緒 の時間は特別早 く過 ぎて い くの よ, と甘 えてみせ る。 23)

婿・ 選 びの条件 として女 の側 か ら上聯 を示 し, それにふ さわ しい下聯 を男に 求 め る とい う筋立 ては,伝統故事 で見 られ る。 あ るいはその類形 として,新 婚初 夜 の閏房 の入 り口で新 妻が新郎 に対聯 で難題 を出 し, 出来 なければ部屋 に入れ ない とい うよ うな趣 向 もしば しば使 われ る。 川劇や越劇 な どの伝 統劇 の ラブ ロマ ンスの舞 台に もプ ロ ッ トの味付 け として 同様 の趣 向が登場 す る。

川劇 『 三難新 郎』 では,新 妻 の蘇小味 が上聯 を出 して,オ 子 を 自任 す る新郎 に難 問 を仕 掛 け る。 困 って い る新 郎秦少涯 に新婦 の兄 の蘇輪 が助 け船 を出 し て,小石 を池 に投 げ こむ。 その ヒン トではた と気づ いた秦少瀞 は見事 下聯 を 答 えて,や っ と寝室 に入 るこ とを許 され る。 24)

婚 礼 の習俗 のひ とつ として 「 喜聯 」言祝 ぎの対聯 を双方 の家 の 門 口な どに 貼 り出すのは, 中国各地 で一般 的 に行 われ て きた習慣 だが,票 南の少数 民族 自族 の婚俗 には故事や 舞 台の上 でろ た よ うな 口頭 の聯 語 のや りと りが実 際 に 行 われ る とい う。婿側 が嫁 取 りに女 の家 にや って くる と,花嫁側 の親戚 や友 人が次々 に上聯 を出 して婿側 に答 を要求 す る。 これ に答 え られ ない と男の側 は宴 席 に入れて もらえない。 男の側 では, これに備 えて詩文 の教養 に通 じた 人 を同行 す るこ とも多い。 25)

2 3) 共進文 「 妻対情意深」 『 民間対聯 故事 』1 9 88 年第 5 期。

2 4) 王朝聞 「由対聯 引起 的思考

『 対聯』1 98 7 年 第 2 期 か ら引用。

25) 楊発祥 「自族婚聯趣談

『 民間対聯故事』1 9 87 年第 5 期。

(19)

これに対 し, 広東 ・ 広西一帯 の婚礼 で行 われ ていた 「 龍燭対」 の習俗 では, 同様 のや りと りが文字 を介 して取 り交 わ され る。嫁取 りの 日に男の側 か ら持 ち込 まれ る品々 の 中に,一対 の特大 の蝋燭 が含 まれていて, その片方 には男 の側 で金文字 で上聯 を書 き込 んでお く。 もう一本 の紅 い蟻燭 には,花嫁側 に これ にか な う 「 答対

を書 き入 れ て もら う。 白族 の場合 とは男女 の立場 が入 れ替 わ ってい る。 その文 句 は,普通 は 「同心永結, 比翼斉 飛」 とい った常套 的 な ものが 多いのだが, 時 に は相 手方 の教養 レベ ル を試す よ うな難度 の高 い もの を人 に頼 んで作 って もら うこ ともあ った。花嫁側 で も対抗 して大金 を出 して先生 を呼 んで来 た り, 人 をや ってあ らか じめ男側 か ら上聯 を聞 きだ して お こ うとした りす る。これ に まつ わ る逸話,故事 も伝 わ ってい る。その モチー フはや は り,経 済的知 的優 越 を見せ つ け よ うとす る側 に対 して, 下層 に位 置 付 け られ る貧農 ,子供 や花嫁 自身が見事切 り返 す下聯 を作 って人々の喝采 を 浴 び る とい うお な じみの もの であ る。 26)

* * *

文字 に書 き記 されて場 に さ らされ た対聯,書 記 モー ドの対聯 に まつ わ る故 事 につ いてみ た とき, そのプ ロ ッ トの趣 向は 自然 と対聯 の物 的 ・情報 的 な存 在形態の特性 に負 うところ大 とな る。 その公 開性 に連 なって発生す る常 な る 付 加 ・変更可能性 が クロー ズア ップ されて くる。

例 えば,一度 張 り出 され た対聯 の字句 に, 時 を隔てて また別 の文字 が書 き 足 され た り,読 点が打 ち変 え られ た りす るこ とに よって意味 を更新 し,張 り 出 され た場所 に関 わ る人 たちの運命 に波乱 を起 こす。公 然 と書 き出 され た文 字 が, その後作 者 またあ るいはそれ以外 の その場 に関 わ る者 の手 に よって改 変 を受 け る過程 の面 白さ。 オー ソ ドックスな作者文芸 には乏 しい可塑 的性格 を対聯 は持 って しま う.対聯 の形式 には五,七 言の古典 定型詩 の よ うな一句

26) 菓旭 明 「 龍 燭 対 広 東 卑 西婚 俗 的 " 挿 曲

」 『 民 間対聯故事 』1 989 年 第 5 期 。

(20)

102 人 文 研 究 第 8 1 輯

の字数 に堅 い枠が ない こ とか ら, この ような書 きた しを常 に受付 け可能 とし てい る。この とき対聯 は絶 え ざる変更 を受 け付 け る開かれ た存在 としてあ る。

さ らに,書 くこ と,刻 む こ とその ものか ら発す るなにか根源的 な面 白さの よ うな もの を,話者 あ るいは作者が それ を意識す る しない とに関 わ らず,請 は 自ず と帯 びて くるよ うだ。例 えば こん な話。

国共 内戦下 の 1935 年 の こ と,村 の若 い石工 の王小聡が,その村 を通過 した紅 軍 を称 え る対塀 を作 って, 山に生 え る茅 を束ねて筆 とし,赤土 を 溶 いて朱墨代 わ りとし,紅軍の宣伝局 に頼 んで道端 の岩壁 に書 き付 けて もらう。 国民党 は この石工 に, その文字 を削 り取れ と命ず るが,彼 は逆 に夜 中に これ を岩 に刻 み込 んで村 を立 ち去 る。怒 った国民党の役 人 はセ メン トで文字 を埋 め させ るが,解放後 また村 に戻 った石工 は これ をまた もとに彫 り戻す。 27)

場 に書 き付 け られた文字 が帯 び る場所 の力 を借 りて,対聯 は様 々 な働 きを す る。

次稿 では対聯 と場所 との絡 み合 い,対聯 の トポグラフィー に焦点 を合 わせ て, その諸相 を観察 してみ るこ とに しよ う。 ( つづ く)

27 ) 徐文仲 「 小石 匠整聯頭紅 軍」 『 民間対聯故事 』1 98 8 年第 4 期。

参照

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