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脱戦後の日本社会におけるバブル崩壊後の失敗と挫 折のかたち

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Academic year: 2021

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著者 原 宏之

雑誌名 明治学院大学教養教育センター紀要 : カルチュー

ル = The MGU journal of liberal arts studies : Karuchuru

巻 2

号 3

ページ 58‑81

発行年 2008‑03‑31

その他のタイトル Defeats and Frustrations in the Japanese Society After 〈Post‑War〉

URL http://hdl.handle.net/10723/3192

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脱戦後の日本社会におけるバブル崩壊後の失敗 挫折のかたち

原  宏之   

本 論 は 思 想 史 の 立 場 か ら の 文 化 の 系 譜 の 考 察 で あ る

︒ 一九八〇〜一九九〇年代論として︑特定の場所と時間に限定 された話題をとりあげる︒

一 九 八 〇 年 代 と 一 九 九 〇 年 代 は︑ 双 子 の デ ィ ケ ー ド と い え る︒陽と陰︑ 希望と失望という対照的な双子であると同時に︑ 切り離せない連続性を含んでいる︒八〇年代のハレの雰囲気 は︑バブルへと向かい︑やがてバブルに包まれる好景気に支 えられていた︒経済的な期待感が未来への希望でひとびとを 輝 か せ な が ら︑ ネ ガ テ ィ ヴ な 部 分 は 覆 い 隠 さ れ て い た︒ ﹁ 高 度 経 済 成 長 ﹂ と い う 戦 後 の 神 話 が︑ わ た し た ち 日 本 人 の プ ラ イ ド で あ り︑ そ れ は 第 二 次 オ イ ル シ ョ ッ ク を 抜 け 出 し て︑ 一九八四年︵昭和五九年︶から一九八六年︵昭和六一年︶の 前バブル段階には輸出拡大を背景としながら﹁経済大国︵一 流 国 ︶﹂ と し て 強 烈 に 意 識 さ れ る よ う に な り︑ ま た 一 九 八 七 年︵昭和六二年︶から一九九〇年︵平成二年︶の実質経済成 長率が二度も六 % を超えるという経済面でのバブル期にもは や揺るぎないものとなった︒ 経 済 力 に よ り 得 た 自 信 は 当 然 の こ と な が ら︑ 経 済 力 の 低 下 により根拠のないものとなる︒ゼロ年代にまでつながる世界 自由市場︑民営化︑サービス・情報産業社会による労働形態 の不安定化など︑一連のネオリベラリズムは一九八〇年代か ら世界的に準備されていたものであったが︑好景気に支えら れているうちは︑日常の生活面︑文化面にその負の部分は目 立つことなく︑社会は祝祭の雰囲気に満ちていた︒一九九一 年︵平成三年︶のいわゆるバブル崩壊により好景気が一気に 不況に転換したときに︑景気を素材としたはりぼては一気に 崩れ去り︑九〇年代の社会は八〇年代の負の部分が剥き出し に表に出る陰惨な空気に包まれることになった︒経済的な豊 かさ︵これは必ずしも︑個々人の富裕の感覚にはつながらな い財政規模の数字だ︶が支配的な価値であった戦後は︑戦後 を脱する八〇年代︑そして九〇年代にもやはり受け継がれる のであり︑九〇年代の﹁ポストバブル﹂にわたしたちの価値 観の転換は生じなかった︒なんとかして景気回復をし︑また 経 済 成 長 を 続 け れ ば ︑﹁ あ の 懐 か し い 幸 福 な 過 去 ﹂ が 戻 っ て くると信じられたのだ︒上に挙げた要素のグローバル化によ る世界経済の転換のなかで︑九〇年代の不況脱出はなかなか

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うまくゆかない︒九〇年代の特徴として出てくるものは︑ほ と ん ど が 八 〇 年 代 に 準 備 さ れ た も の で あ る の だ が︑ そ れ は ネ ガ を 現 像 す る と き に ︑ バ ブ ル 崩 壊 と い う 必 然 的 で は あ る ものの突発的な事故によりポジが真っ黒になってしまったよ うな︑地続きの関係に両者はある︒これを突破するのは︑小 泉純一郎首班の自民党・公明党の連立政権が︑構造改革など の一連のネオリベラリズムをもはや隠さずにポジティヴに語 る二〇〇二年体制︵高校生・大学生などの若者層が︑もはや 八〇〜九〇年代の景気の転覆に影響を受けていない時代︶に よるのであるが︑まずはこうしたことを前提とした上で︑主 に 文化の側面から八〇年代と九〇年代を振り返ることに しよ う︒

第一節 バブル前夜の社会風景

図1 は︑ 一 九 八 〇 年 代 か ら 二 〇 〇 〇 年 代 前 半 ま で の︑ 実 質 経済成長率︑前年度比の地価変動率︑三月期で調整した完全 失 業 率 を グ ラ フ で 表 し た も の で あ る︵ 地 価 は 国 土 交 通 省 の データーをもとに﹁三大都市圏﹂の用途別からの平均値︑失 業率は統計局労働力調査のデーターを使用︶ ︒グラフを見て︑ ひと目でわかるのは︑一九八六年から一九九一年にかけての 異常なまでの地価の上昇率と︑その後約十五年間の低迷ぶり の対照性である︵ちなみに 二〇〇六年度に ようやく上昇傾向 に 転 じ て い る ︶︒ 株 価 の 上 昇 と 下 降 は ほ ぼ 地 価 変 動 率 と 同 じ 軌道を描いており︑両者の暴落による資産の喪失は経済成長 率に反映している︒このグラフの異常さは︑二〇〜三〇 % 台 で変動した地価と同じ軸で見ても︑確実に景気循環の乱調が 見てとれることにあるだろう︒そうして考えると︑不景気か ら遅れてバブル崩壊の余波のように事後的に高まる︑九〇年 代 後 半 か ら 〇 〇 年 代 に か け て の 失 業 率 の 高 さ の 切 迫 も 理 解 さ れ る と い う も の だ ろ う︒ 株 価 や 地 価 の 上 昇 に よ り︑ わ た したち日本人︵所有者や資本家が日本人であることがあたり まえであった当時︶の資産は︑目に見えないかたちで急激に

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経済成長率 地価変動率 失 業 率

2005 2004 2003 2002 2001 2000 1999 1998 1997 1996 1995 1994 1993 1992 1991 1990 1989 1988 1987 1986 1985 1984 1983 1982 1981 1980 膨張して︑また目に 見えないかたちで消 失した︒経済面での 金融活動︑産業面で のサービス & デジタ ル商品︑それらの生 活への反映︵土着意 識や他者関係の透明 さ︶は︑この時代の 特徴であり︑わたし たちがモノの威力に 直面し︑あらためて 敗北感を感じるには 九〇年代後半のはじ まる一九九五年をま

図1

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つ必要があるが︑ これについては後で詳述することとしよう︒

九 一 年 は 景 気 循 環 の 上 で も 株 価 や 地 価 の 上 で も︑ 通 常 バ ブ ル 景 気 が 崩 壊 し た 年 と い わ れ る︒ し か し な が ら 文 化 と 生 活 の 面 で は︑ そ の 影 響 は い つ で も 経 済 よ り 遅 れ て や っ て く る︒ 一九九三年︵平成五年︶のマイナス成長を前に ︑失業率の増 加など︑ ﹁失われた一〇年﹂ を実感する一九九二年 ︵平成四年︶ から一九九五年︵平成七年︶を︑便宜的に 九〇年代前半︑失 業率が三 % を超え︑オウム騒動︵地下鉄サリン事件など︶と 阪神・淡路大震災に見舞われた一九九五年以降を︑九〇年代 後半と本論では呼ぶことに する︒

本 論 で 考 え る 八 〇 年 代 と は 一 九 八 〇 年 か ら 一 九 九 一 年 ま で の時代である︒詳しい時代の分割は拙著 ﹃バブル文化論﹄ ︵慶 應義塾大学出版会︑二〇〇六︶に 譲りたい︒ここではバブル 文化期にいたるまでの道筋を振り返ることに しよう︒

一 九 八 〇 年 代 が ど こ か ら は じ ま る の か を 客 観 的 に 位 置 づ け るのはむずかしいし︑あまり意味のない議論である︒あいま い な い い 方 を す る な ら ば ︑﹁ シ ラ ケ ﹂ と い う 用 語 で 総 括 さ れ る 一 九 七 〇 年 代 的 な 停 滞 の 時 期 を︑ 活 気 あ る﹁ 明 る い 社 会 ﹂ へと乗り越えてゆくのが八〇年代的なものである︒一九六〇 年代的なものの名残りとしての全共闘世代や革新自治時代の 敗北や挫折感︑長い﹁戦後﹂という意味での高度経済成長時 代に拍子を切るような二度のオイルショック︑また物的豊か さの裏返しである若者の無気力や無関心︑フォークソングか らニューミュージックへ︑マルクスやサルトルにインスパイ アされた政治哲学や実存主義的人文学の衰退︑それらを引き 受けるかたちでの非政治的な漫画や演劇︑実験音楽の新たな アングラ化など︑七〇年代的なものとしてひとまず形容でき るものを超克してゆく過程から︑一九八〇年代ははじまった といえ る

バ ブ ル 景 気 へ と い た る 前 の 旧 時 代 的︵ 戦 後 的 ︶ な も の と 新 時 代 の 予 感 が 共 存 す る 八 〇 年 代 の ち ぐ は ぐ な 感 じ は︑ 一九八二年︵昭和五七年︶あたりを便宜的に 回想してみても よくわかるだろう︒ 芸能界では中森明菜や小泉今日子など ﹁花 の 8 2 年組﹂と呼 ば れる大型アイドルが多数輩出され︑一度 否定されたはずのアイドル文化が開花する推進力となる︒ま た︑若者の人文書離れを救うかのように ニューアカデミズム ︵ 略 し て﹁ ニ ュ ー ア カ ﹂ と 呼 ば れ る ︶ と い わ れ た︑ 哲 学︑ 精 神分析︑人類学などが融合する新たな人文知のあり方が現代 思 想 と し て 日 本 で 大 流 行 す る よ う に な る

︒   ま た 本 格 的 な 和 製 パ ソ コ ン PC-9801 ︵ ホ ー ム パ ソ コ ン と 呼 ば れ た ︶ が 発 売 さ れ るなど︑ O A ︵オフィス・オートメーション︶が本格化する 時期でもありながら︑夕張新炭坑閉山を巡る労働争議で社会 が揺れもした︒死者三三名を出したホテル・ニュージャパン の火災事件では︑この東京の有名ホテルにしてみても︑法令

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違反のずさんな防火設備しかないことが明るみになり︑戦後 近代のはりぼてのひとつが崩された︒若者たちに最初のテニ スやスキーのブームが到来しながらも︑同時に大学新卒の就 職活動はとても厳しい年でもあった︒フジテレビの長寿番組 ﹃ 笑 っ て い い と も ﹄ の 放 送 開 始 も こ の 年 で あ り︑ い ま で は 忘 れられた人気番組に萩本欽一の番組が並んでいたことなどか らももわかるように︑現在の新たな時代の脈動が確実に感じ られながらも︑同時に戦後を引きずっていたといえる︒

N H K の﹃ 日 め く り タ イ ム ト ラ ベ ル ﹄ の 昭 和 五 七 年 特 集 ︵ B S 2 ︑二〇〇七年六月二日放送︶で︑編集・再放送された 八二年当時の成人式の報道では︑新成人が︑あまり新聞も読 まないし政治に関心もないがこれからもたなけれ ば ならない とインタビューに答えている︒七〇年代︑八〇年代︑九〇年 代︑ そ し て 現 在 と︑ 若 者 の 政 治 意 識 の 低 下 は﹁ 6 8 年 5 月 ﹂ のパリから先進諸国へと拡がった﹁自由﹂を求めての政治変 革の大運動︵日本では全共闘運動︶の挫折以来一貫している

―― 近年ではフランスを中心にこの学生・労働運動自体がそ の後の新自由主義体制を生んだのだという否定的な議論が高 まっている が

︑この点は日本でも議論されてしかるべき点で あり︑ その際の問題は﹁自由﹂とはなにかということである︒ 当時はロッキード事件の裁判中であり︑現在にいたるまでの 政権与党中枢の腐敗状況に関する嫌気と問題意識が相半 ば し ているとも考えられる︒だが︑この関心はないが関心をもた ね ば な ら ぬ と い う︑ ﹁ が ﹂ の 義 務 感 は そ の 後 バ ブ ル 景 気 の 到 来とともに忘れられてゆき︑九〇年代にも︑ごく一部のネオ ナショナリズムと結びついた歴史観を欠いた政治感情を別に すれ ば ︑引き継がれてゆく︵この﹁が﹂の意識が復活するの はゼ ロ年代の二〇〇二年体制への危機意識によると考えられ るここ数年の傾向である︶ ︒ 同 番 組 で 再 放 送 さ れ た 八 二 年 の 特 別 番 組﹃ し あ わ せ ふ う に 生きてます﹄には︑当時の流行ファッションであるスタジャ ン︵スタジアムジャンパー︑袖部分に革が使用されるように なるのはバブル景気の頃である︶をまとった若者たちがスタ ジオに 集まっている︒性意識調査をめぐる議論のなかで︑ア ナ ウ ン サ ー が︑ ﹁ セ ッ ク ス ﹂︑ ﹁ 性 行 為 つ ま り 性 交 ﹂ な ど と︑ 直接的なこと ば を用いていることが︑ いまの管理 ︵コントロー ル ︶ 社 会 時 代 の 窮 屈 な メ デ ィ ア 表 現 と 較 べ て 印 象 的 で あ る︒ あ る 女 性 が 語 る︑ ﹁ 最 後 ま で と っ て お い て た い せ つ に し て お く と い う の で は な く て で す ね︑ 早 く 売 っ て し ま え と い う ね︑ ︹そういう傾向が周囲に多い︺ ﹂ということ ば の︑ていねいな ﹁ 語 調 ﹂ と 露 骨 な︵ つ ま り 正 し い ︶﹁ 内 容 ﹂ の ち ぐ は ぐ さ や︑ 七三分けのヘアに銀縁めがねの青年が﹁セックスは人間関係 の潤滑油です﹂という無邪気とはいえない﹁性の自由﹂の観 念も︑いまから観れ ば ルックスとこと ば のギャップがなんと も 滑 稽 で あ る も の の︑ ﹁ 6 8 年 5 月 ﹂ 的 な﹁ 自 由 ﹂ の 観 念 が ここにも浸透しており︑さらに少なくとも表現の上ではより 自由で実現の度合いではより窮屈であることが露呈されてい

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る︒後で見るように︑九〇年代以降︑この﹁自由﹂はもはや 前提であり当然のことであるが︑監視はより厳しく︑内面化 された規範︵監視の視線を逃れる自己︶と現実の行為︵規範 を破る自己︶との間で︑若者はさまようように なる︒

N H K 青 年 意 識 調 査 に よ れ ば ︑ い ま の 自 分 の 生 活 に 覚 え る の が︿ 充 実 感 ﹀ で あ る か︑ そ れ と も︿ 虚 無 感 ﹀ で あ る か と の 問 い に 対 す る 答 え は︑ こ の 時 期 に 明 瞭 な 変 化 が 見 ら れ る︒ 一 九 七 二 年︵ 昭 和 四 七 年 ︶ の 回 答 は そ れ ぞ れ 一 六 % / 三六 % ︑七六年︵昭和五一年︶が二三 % /二六 % と︑虚無感 が 高 い の に 対 し て︑ 一 九 八 一 年︵ 昭 和 五 六 年 ︶ の 調 査 で は 二 七 % / 一 六 % と︑ ﹁ 充 実 し て い る ﹂ と 答 え る 若 者 の 数 が 大 き く 上 回 る よ う に な る︵ ち な み に 二 〇 〇 七 年︵ 平 成 一 九 年 ︶ の調査では︑一六 % /二九 % と︑再び﹁虚無感﹂が高くなっ ているが︑ これはまさに 物質的豊かさの限界点︵近代の限界︶ や地球温暖化などの問題から由来する将来への希望のなさが 反映しているのだろう︶ ︒ こ の 八 二 年 と い う﹁ 充 実 感 ﹂ を も つ 若 者 の 私 生 活 の 一 端 が︑ 同 番 組 で 紹 介 さ れ て い る︒ 六 畳 間 の ア パ ー ト に 住 む 二 一 歳 の 短 大 卒 生 O L の 生 活 が レ ポ ー ト さ れ て い る︒ 月 の 生 活 費 は 一 三 万 二 〇 〇 〇 円︑ 内 家 賃 は バ ス・ ト イ レ 付 き で 四万五〇〇〇円で︑親から二万五〇〇〇円の援助を受けてい る︒ ボ ー ダ ー の 長 袖 T シ ャ ツ に 黒 い パ ン ツ︵ ま る で 現 代 の よ う ︶ と い う 出 で 立 ち の こ の 女 性 は︑ ピ ン ク な ど を 基 調 と し た フ ァ ン シ ー な 室 内 に 座 り︑ 大 型 の コ ン ポ︵ ﹁ ス テ レ オ ﹂︶ や︑赤いスキージャンパー︑テニスラケットなどをカメラに 向 か っ て 紹 介 し て い る︒ ﹁ ま あ こ の 部 屋 で わ た し が 一 番 大 事 に し て い る も の は ス キ ー の 板 と あ と は 〜 ベ ビ ー ボ ー ド︑ こ れ は サ ー フ ボ ー ド の 小 さ い や つ で す︒ [ ⁝ ] こ の 前︵ 友 だ ち と︶ふたりでねえ︑ラルフ・ローレンのジャケットを買いま した︒見てください︵笑︶ ︒これはけっこう高かったんです︒ 四 万 九 〇 〇 〇 円? ち ゃ ん と キ ャ ッ シ ュ で 買 い ま し た︵ 笑 ︶︒ わたしはあんまり永くこの一人暮らしというのはしたくない です︒つまり!それは結論からいうと︑早く結婚したいなあ と 思 っ て い ま す よ ﹂︒ 一 人 暮 ら し の 電 話 所 持 率 が 四 〇 % だ っ た時代の︑平日の O L 生活と終末のスキー︑サーフィン生活 をする女性の本音である︒

し か し な が ら こ の よ う な 慎 ま し や か で あ り な が ら も 夢 を 見 る生活が︑日本の全地域・全階層に広まっていたわけではな い︒この年のキーワードのひとつに﹁校内暴力﹂がある︒

さ き ほ ど の O L の 部 屋 に あ っ た﹁ ス テ レ オ・ セ ッ ト ﹂ で あ るが︑実はこの年の一月五日という正月もそうそうに︑青森 県でこれを巡る殺人事件が起きている︒高校二年生 ︵一七歳︶ の少年が母親に﹁ステレオを買え﹂と家庭内暴力を繰り返し た末︑父親により絞殺された︒東京都の中学生が級友の食事 に﹁水銀﹂をいれたり︑小学校六年生が三名が教師の顔面に

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殴る蹴るの暴行を加えるなどの事件も起きていて︑さほど和 やかな時代でもなかったようである︒ こ の 頃 中 学 生 に よ る 校 内 暴 力 事 件 が 増 加︵ 全 体 の 九 六 % ほ どが中学校︶して問題視されるようになる︒同年の上半期に は九八九件︑補導者四六〇五名︑この内角材やバッドを使用 する対教師暴力は四割で被害が多い︒喫煙などの素行不良に 注意された腹いせに集団でリンチを加えるなどのパターンが 多 い︒ な か に は 生 徒 五 〇 人 が 教 師 に 暴 行 を 加 え た 例 も あ る︒ 首都圏でいうと︑埼玉県︑千葉県︑神奈川県などの郊外型住 宅街が中心であるが︑農漁村にも拡大した︒内臓破裂や骨折 などの重傷を負う教師が相当数出るようになり︑足立区の中 学三年生のように傷害により生徒が逮捕されるケースも表れ る︒暴走族や校内暴力の問題は︑一九八五年あたりから卒業 式に警官の警備を依頼する中学校が激減したことからもわか るように︑バブル景気の到来の引き潮のように沈静化に向か う︒少なくとも表立ったかたちで級友や教師を﹁なぐる﹂と いうことは少なくなる︵この表向きの﹁学校化社会﹂の完成 が現代のイジメにケータイのような不可視のメディアが利用 されることと関係ないとは言い切れないだろう︶ ︒

臨 教 審 な ど の 影 響 も あ り 一 九 八 四 年 頃 か ら の 論 調 は︑ ﹁ 江 戸 時 代 の 寺 子 屋 の 教 育 ぶ り を 記 録 し た 資 料 に は︑ 子 ど も を 殴 る な ど と い う や り 方 は︑ つ い ぞ 出 て こ な い ﹂︵ ﹃ 朝 日 新 聞 ﹄ 一九八四年一二月一四日朝刊︑社説﹁殴るのは﹃教育﹄だろ う か ﹂︶ と い う よ う な︑ 教 師 に よ る 生 徒 の 体 罰 を 批 判 す る 方 向 に 傾 い て ゆ く︒ こ の と き に 批 判 さ れ る の が︑ ﹁ 教 育 熱 心 な あまりに⁝⁝﹂という学校側の﹁言い訳﹂とされるものであ るが︑ここには真実がまったくないと言い切ることなどでき ない︒そもそも集団で武器をもって向かってくる生徒たちの 凶暴化から︑中学校は修羅場となった︒生徒の教育に熱心な のは︑生活指導などを担当する体育教師などが多かった︒彼 らは体を張って︑生徒が暴力をふるうことをふせいだ︒また 生徒たちが反発したのは︑教師たちの体罰ではなく︑内申書 に代表されるような管理教育と︑ 規則の適用のあいまいさ ︵理 由や根拠が示されない罰︶であった︵進学しない中三生をケ アする教師は︑件の﹁教育熱心な﹂タイプだった︒より巨視 的に見れ ば ︑社会の仕組み自体が進学コースに乗った学歴に よるしか成功がないかのような︑管理型産業社会へと向かっ てゆくことにたいする不満がその根にはあっただろう︒バブ ル 景 気 に よ り 目 の 前 か ら は 見 え な く な っ た 学 校 社 会 の 問 題 は︑体罰の厳禁に代表されるような︑教師の自縄自縛︑日教 組への圧力に見られるような中央権力による教育の管理化に より︑九〇年代以降の教育問題の地下水脈となる︒

も っ と も バ ブ ル 文 化 を 準 備 す る の は︑ 景 気 局 面 だ け で は な い︒経済状況が文化の基盤であるにしても︑文化が景気の将 来を予感のように先取りすることもある︒一九八三年の嘉門 達 夫 の ヒ ッ ト 曲﹁ ヤ ン キ ー の 兄 ち ゃ ん の 歌 ﹂︵ 作 詞 ― 嘉 門 達

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夫 ︶ は︑ ﹁ 不 良 ﹂ を 指 す 大 阪 の ヤ ン キ ー と い う こ と ば を 一 躍 全国に拡げた︒ ﹁ヤンキーの兄ち ゃ んは⁝⁝﹂ ではじまる節に︑ ツバをはく︑まゆ毛そる︑そり込みいれる︑斜めに なったメ ガネかける︑ウンコすわりする︑婦人モンのサン ダ ルはくな どの不良の特徴を羅列する繰り返しの歌で︑不良文化をパロ ディに するようであり︑それでもよいと肯定するものでもあ る 両 義 的 な 歌 で あ っ た︒ ﹁ う ん こ す わ り ﹂ と は︑ ま る で 九 〇 年代後半の﹁ジベタリアン﹂のようでもあるが︑九〇年代後 半との相違は︑特殊な﹁不良﹂の素行であるのか︑若者に 一 般化された素行であるかとの点に あり︑このことは若者文化 の変遷を考える上で示唆的である︒

さ て フ ァ ン シ ー な O L の 部 屋 と︑ 生 徒 と 教 師 が 殴 り 合 い を する中学︑こうした混沌とした時代は︑同時に 管理型権力が 最初の確実な一歩を踏み出すときでもあった︒福岡発羽田行 きの日航機︵現 J A L ︶が︑羽田沖に急に逆噴射︑旋回して 墜落した︒ボイスレコー ダ ーから﹁機長やめてください﹂と いうこと ば が判明し︑流行語となる︒不謹慎ではあるが︑小 学校のちびっ子から居酒屋の中年まで ﹁機長やめてください﹂ とふざけあうようになる︒この事故の原因は機長の精神疾患 ︵ 分 裂 病 ︶ で あ っ た︒ い ま で は あ た り ま え に な っ た 企 業 に お ける﹁メンタルヘルス﹂の問題が︑顕在化しはじめるストレ スの時代のはじまりでもあった ―― 近代の豊かさのなかに垣 間見られたほころびは︑八六年〜九二年頃のバブル文化によ り覆い隠されることになるのだが︒

第二節 バブル バブル崩壊

景 気 が 社 会 の ひ と び と の 希 望 や 自 信 を 左 右 す る こ と は 間 違 いない︒また文化の傾向が︑七〇年代後半ロンドンの不況と パンク・ファッションの関係に 見られるように ︑経済動向か ら政治変動へ︑そして影響を受けやすい若者文化へと伝播す ることも間違いない︒一九八六年から一九九二年頃まで見ら れた﹁バブル文化﹂も︑好景気が全般的な﹁明るい社会﹂を 支える現象であった︒ よ く 知 ら れ る よ う に バ ブ ル 景 気 の き っ か け と な る の は︑ プ ラザ合意による急激な円高である︒八〇年代のはじめから日 米 貿 易 摩 擦︵ 日 本 の 対 米 貿 易 黒 字 の 増 大︑ 経 常 収 支 の 黒 字 ︶ は懸案事項であった︒日本車をハンマーで破壊する米国の失 業者たちのパフォーマンスがテレビ中継され︑当時の社会に ショックをあたえたこともあった︒ 日本経済は円高に より ﹁内 需拡大﹂の方向で景気を安定させる政策を余儀なくされてい た︒プラザ合意の翌年一九八六年に は︑一時的な円高不況が あったものの︑生産拠点の海外化に ともなう投資伸張︑とり わ け 公 定 歩 合 の 漸 次 的 引 き 下 げ︵ 五 % か ら 二. 五 % ま で へ ︶ などの金融緩和により︑金融や証券︑不動産などのキャピタ ル・ゲインを原動力に 消費拡大をもたらし景気は大きく上向 きになりバブル景気 ︵過剰貨幣供給つまり市場でのカネ余り︶

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に突入する︒当時の上向きの好況はそのまま浮ついた社会の 空気となり祝祭的な消費を煽る︒また円高により︑食品から 貴 金 属︑ 衣 服︑ 自 動 車 な ど ま で︑ 欧 米 の 輸 入 商 品 が﹁ イ ン ポートもの﹂と呼 ば れて人気を博すようになる︒カタカナ語 が氾濫しはじめるのもこの頃からであり︑人気職業としてツ ア ー コ ン ダ ク タ ー や コ ピ ー ラ イ タ ー な ど が も て は や さ れ た︒ ファッション関係のいわゆるブランド商品は︑現代ほど高額 高級化していなかったものの︑エルメスやシャネル︑ヴィト ン︑ティファニー︑アルマーニなどの﹁定番﹂が︑一般の学 生や会社員︑主婦に浸透した︒バブル景気の生活への反映は 一九八八年︵昭和六三年︶ともなると誰にも実感されるよう になる︒大学生たちは︑情報 ・ 商品アイディアの宝庫として︑   イ ベ ン ト へ の 出 資 や﹁ 接 待 ﹂   な ど 企 業 か ら 厚 遇 さ れ︑ 会 社 の 役員たちはいまでは一様に削減された﹁接待費﹂を使い銀座 やキタ新地の高級クラブで数十万もの酒を呑み︑一般社員た ち は 学 生 た ち に 入 り 交 じ っ て チ ェ ー ン 店 化 し た 居 酒 屋 か ら ディスコへとはしごをし︑会社から配布されたタクシー・チ ケットで帰宅する夜を過ごすようになる︒銀座などの盛り場 では︑ タクシーに乗るために一︑ 二時間待たされることもあっ た︒ ﹁ ト レ ン デ ィ﹂   で あ る︵ 流 行 の 先 端 に 乗 っ て い る ︶ こ と が な に よ り も 善 い と さ れ︑ 誰 も が 新 し い も の を 欲 し が っ た︒ それは︑景気はますますよくなり︑技術革新は生活をますま す 快 適 に す る と い う 信 念 に 支 え ら れ て お り︑ ﹁ 夢 の 未 来 ﹂ の 幻想をみなが共有した時代の話である︒ 一 九 八 九 年︵ 平 成 元 年 ︶ は︑ 国 内 で は 昭 和 天 皇 崩 御︑ 世 界 ではベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦の終焉など︑ひとつ の 時 代︵ ﹁ 戦 後 ﹂?︶ の 終 わ り を 予 期 さ せ る に 十 分 な ニ ュ ー スがあった︒だが景気は衰えることなく︑翌一九九〇年︵平 成二年︶五月には大昭和製紙社︵現日本製紙︶の名誉会長が ゴッホ作﹃ガシェ博士の肖像﹄を八二五〇万ドル︑ルノワー ル作﹃ムーラン・ド・ラ・ギャレット﹄を七八一〇万ドルで 落 札 し た 上 に ︑﹁ 自 分 が 死 ん だ ら︹ こ れ ら の 名 画 も ︺ 一 緒 に 焼いてくれ﹂と発言したことが問題視されたことからも推察 されるように︑どこかおかしいという感覚は巷に あったよう である︒ ﹁アッシー君﹂ ︵﹁足﹂ に使う男友だち︶ ︑﹁メッシー君﹂ ︵﹁飯﹂をおごらせる男友だち︶などのこと ば が流行した頃の 話である︒女子大生ブーム︑女子高生ブームと八〇年代に つ づいた芸能人ではなく素人的なタレント人気の流れで︑この 時期に は民放女子アナウンサーがタレントに なりはじめてい た︒ 先 ほ ど 話 題 に し た 大 学 生 た ち で あ る が︑ 当 時 は 渋 谷 が 若 者 の メ ッ カ と な り︑ ﹁ 渋 カ ジ ﹂ と 八 九 年 頃 か ら 呼 ば れ る よ う に なるファッションが流行する︒ファッション・リー ダ ーは青 山学院の大学生と高校生たちだった︒八〇年代の流行ファッ シ ョ ン は 画 一 的 で︑ 渋 カ ジ︵ 渋 谷 カ ジ ュ ア ル ︶ の 時 代 な ら ば ︑ヨーロピアン・ジーンズにラルフ・ローレンのポロシャ ツ や ブ レ ザ ー と い う 組 み 合 わ せ で あ っ た︒ 件 の フ ァ ッ シ ョ

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ン・リー ダ ーたちは︑ポロシャツのブランドを米国製ラコス テ や フ レ ッ ド・ ペ リ ー に 変 え た り︑ リ ー ヴ ァ イ ス の 5 0 1 や 5 0 5 のウォッシュなしジーンズを汚してヴィンテージ風 にはいたり︑次世代の古着ブームにもつながるような方向へ と︑つぎからつぎへと一般と区別されるスタイルを好んで発 案 し て い っ た︒ だ が︑ ﹁ 渋 カ ジ ﹂ も︑ 雑 誌 な ど メ デ ィ ア を 通 してファッション・スタイルからライフ・スタイルへと一般 化するにつれて︑山の手私立学校風の﹁内輪﹂のスタイルか ら︑埼玉県や千葉県など近郊の若者を渋谷に集める誘惑に変 わ り つ つ あ っ た︒ ﹁ チ ー マ ー﹂ と 呼 ば れ る︑ 渋 谷 セ ン タ ー 街 にたむろする若者たちが現れてきた頃には︑この傾向はすで に明らかだった︒彼らは郊外都市から週末の夜に︑ハイラッ クスやラウンド・クルーザー︑パジェロなどの車高を上げて 大型アンプとスピーカーを積んだ改造 4 W D 車で︑渋谷に集 まってくる新しい不良である︒センター街でアイスクリーム を食べていた若者が︑突然四駆車から降りてきたチーマーた ちに殴る蹴るの暴行を受けるなどの事件も発生するようにな る︒ フ ァ ッ シ ョ ン か ら 見 せ も の と な っ た サ バ イ バ ル・ ナ イ フ︵電車のなかでも平気で腰のベルトにぶらさげていた︶は 九 一︑ 九 二 年 頃 か ら 渋 谷 チ ー マ ー に 普 及 し︑ そ の 後 若 者 一 般 に広がり現在でも殺傷事件の凶器となっている︒

さてバブル崩壊は突然やってくる︒一九九〇年 ︵平成二年︶ 初頭の米国の金利上昇の影響︑さらにより深刻なことに日米 構造協議の不安感が拡大し︑四月には円安︵一ドル=一六〇 円︶ ︑株価暴落︵東証平均︑二万八〇〇〇円台︶ ︑債券安の三 重苦がはじまる︒この気配による︑日本から米国への投資資 金の流出はきわめて敏感で大規模なものであった︒なお悪い ことに︑湾岸戦争による石油価格上昇を懸念するあまり公定 歩合に引き上げが八月に行われた︒この年︑四万円到達も間 もないといわれた株価が︑ 半値近くまで落ち込むことになる︒ また不思議なほどのタイミングで︑四月のトリプル安の直前 に︑土地取引融資の総量規制が大蔵省︵当時︶から金融機関 に通達され︑急激な融資抑制により資金調達がままならなく な る︒ 前 年 度 に 住 宅 地 で 五 六 .一 % の 上 昇 率 を 示 し た 地 価 は︑ 九二年︵平成四年︶にはピーク時と比較して三〇〜四〇 % も 下落することになる︒これが︑九〇年代末からゼ ロ年代前半 にかけて日本経済を苦しめることになる金融機関の不良債権 処理問題につながってゆく︒だが︑当時のひとびとの情緒は ﹁ や が て 回 復 す る ﹂ と い う 暢 気 な も の だ っ た︒ た だ し 若 者 を 中心としたバブル文化の消費を牽引した西武︑そごう︑丸井 のような百貨店は︑すぐさま影響を受けた︒前者のふたつは 二〇〇〇年︵平成一二年︶前後に経営再建にはいることにな る︒また新卒採用も︑九三年頃から急速に悪化し︑ゼ ロ年代 も後半になるまで回復されることはなかった︒

経 済 面 で の バ ブ ル 景 気 の 背 後 に ︑ 当 時 わ た し た ち 日 本 人 が 見ずにいたものが︑その後の﹁失われた一〇年﹂という世界

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自由市場主義︑グローバル化と並行する不況また現在の諸問 題に直接関係していることが最近ようやく議論されるように なった︒バブル景気は︑単なる日銀・大蔵省︵当時︶の金利 政策︵公定歩合引き下げから不動産貸出の総量規制まで︶に 左右されたものではなく︑その背景に は日本型経営と呼 ば れ るもの︵メーンバンク制度︑終身雇用・年功序列賃金︑企業 内福祉など︶が世界で高く評価されたことによる信用の高ま りや︑ やがて﹁護送輸送船団﹂と揶揄されることになる政治 ・ 行政による産業振興と国民生活の双方に配慮する社会形態に よる安定感などがあった︒これらの特徴は︑米国をはじめと する他国の圧力のなかで︑一連の規制緩和︑民営化︑グロー バル・スタン ダ ードの強制︑自由貿易の徹底などにより崩壊 してゆくのであり︑ それは八〇年代の中曽根内閣の一連の ﹁民 活﹂政策などからはじまり︑ゼ ロ年代の郵政改革をはじめと す る﹁ 構 造 改 革 ﹂ ま で つ づ き︑ そ れ ら が 今 日 の﹁ 格 差 社 会 ﹂ や﹁プレカリアート﹂問題を引き起こしている︵たとえ ば 労 働 者 派 遣 法 は バ ブ ル さ な か の 一 九 八 六 年 に 施 行 さ れ て い る ︶ ことを節の締めくくりに 指摘してくことに しよう︒ バブル景気の立役者であった大勲位 ・ 中曽根康弘元首相 ︵在 任期間一九八二年〜一九八七年︶は︑愛国主義者・改憲論者 として知られるが︑それと同じほど熱烈なレーガノミクス支 持者︑つまり確信的な新自由主義者であった︒中曽根内閣の 方針は︑九〇年代の財政収支と景気対策の間に動揺した経済 政策の失敗の連続︑ゼ ロ年代の構造改革時代と︑現在にいた るまでの日本政府の政策の基本方針を︵未来から来る不可視 だが監視する︶ ﹁亡霊﹂ ︵ J ・ デリ ダ ︶のように規定している︒ 中曽根は国鉄︵ J R ︶︑ 電電公社︵ NTT ︶︑ 日本専売公社︵ J T ︶の民営化に象徴される市場主義を進めた︒またバブル景 気の立役者でもある︒これらも米国の意向を受けてのことで あろうが︑年次要望改革書大規模小売店法︵通称大店法︶の 骨抜きの進行も︑実質的に は海部内閣︵一九九〇年︶での日 米構造協議の調印と年次改革要望書の受けいれ開始が直接的 な要因ではあるが︑きっかけは同じ﹁亡霊﹂の到来であると い え る︵ 漸 次 的 な 改 正 の 後 一 九 九 八 年 に 全 面 廃 止 ︶︒ 八 〇 年 代末からジャスコなど郊外大型スーパー・量販店が地方に進 出をはじめ︑九〇年を経てトイザらスなど海外の大型店も出 店するようになる︒大店法の無効に より︑消費はショッピン グ・モール中心のものとなり︑地方の商店街の﹁シャッター 通り﹂への変貌や地方都市の中心/郊外の関係など︑風景か ら生活パターン︑社会構造まで︑日本社会のあり方を一変さ せ て し ま う こ と に な る︵ ﹃ 朝 日 新 聞 ﹄ 二 〇 〇 七 年 九 月 八 日︑ 朝刊︑一三面を参照︶ ︒

第三節 九〇年代前半︑資本主義下の剥き出しの生

一 九 九 二 年 に な っ て も 生 活 や 文 化 の レ ベ ル で の バ ブ ル 文 化 の 喪 失 感 は︑ ﹁ 失 わ れ た 一 〇 年 ﹂ を 信 じ る ほ ど に ま で 高 ま っ ていなかった︵前年に 米国を風靡した ダ グラス・クープラン

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ド﹃ ジ ェ ネ レ ー シ ョ ン X ﹄ や︑ ﹁ ど う も︑ ど も︑ ど も︑ ど ん だけどん底?﹂と歌ったニルヴァーナほどには︑先進諸国で 共有されることになる近代の行き詰まり感︑グランジな感覚 は︑ 受 け い れ ら れ て い な か っ た の だ︑ バ ブ ル 文 化 の 日 陰 の 孤 独 者 た ち を 励 ま し つ づ け た ブ ル ー ハ ー ツ が﹁ 泣 か な い で 恋 人 よ ﹂︵ 作 詞   真 島 昌 利 ︶ を 最 後 に 第 一 線 か ら 消 え つ つ あ っ て も︑ Z A R D が﹁ 揺 れ る 想 い ﹂︵ 作 詞   坂 井 泉 水︑ 売 り 上 げ 一三九万枚︶でひとびとを癒すにはまだ一年あるのだから︶ ︒ この年のほのぼのとした雰囲気は︑名古屋市在住の一〇〇歳 の 双 子 女 性﹁ き ん さ ん ぎ ん さ ん ﹂ が テ レ ビ 出 演 な ど で 国 民 的人気者となったことに象徴される︒だが︑東京でいうなら ば ︑上野公園︑新宿駅西口︑隅田川沿いなどに︑ ダ ンボール ハウス ︵ホームレスの寝場所︶ が拡がってゆく︒山谷や寿町︑ 釜ヶ崎などの寄せ場は︑建築工事の激減などの影響から︑機 能 し な く な り つ つ あ り︑ 現 在 の 失 業 の 街 に 変 わ り つ つ あ っ た︒一九九四年︵平成六年︶には﹁就職氷河期﹂が流行語大 賞となるが︑この頃には誰もが殺伐とした不況の空気を実感 したことだろう︒渋谷の井の頭線駅近く︑新宿歌舞伎町など で︑やくざな仕事に従事する日本版ギャング少年ともいえる ジャージ姿の若者たちが見かけられるようになる︒バブルの 金銭感覚から抜け出せなかったのか︑俗に C R 機と呼 ば れる 一攫千金型のデジタルパチンコが﹁黄門ち ゃ ま 2 ﹂などの人 気機種とともに大流行するのもこの年である︒ 一回当たれ ば ︑ そのまま三〇〜四〇回の大当たりにつながり︑二〇万円以上 の﹁景品﹂を獲得することもあれ ば ︑一日で一〇万円以上も 損失することもある大博打である︒パチンコ店のレディース 向けサービス︑インテリアなどの高級化が進むものの︑会社 員︑主婦︑無職などの常連のなかに は︑すぐ近くの消費者金 融の会員であることも少なくなかった︒ また同じこの年︑ ゲー ムセンターではセガの﹁ヴァーチャファイター 2 ﹂という 3 D 格闘技ゲームが大流行する︒ボタンのちょっとしたタッチ などから繰り出される必殺技など︑熟練するに 連れて強くな り︑なおかつ︵見知らぬひととの︶対戦型なので︑中毒気味 に 通い詰める会社員︑学生など︑一〇代から五〇代まで大流 行した︒

バ ブ ル 景 気 の 崩 壊 か ら 遅 れ て 一︑ 二 年 で バ ブ ル 文 化 に 綻 び が 見 ら れ ひ と び と は 多 少 不 安 を 感 じ る よ う に な る︒ 四 ・ 五 年 も経つとバブル文化の破綻は誰の目に も明らかに なる︒この ずれの構造に︑九〇年代の︿殺伐/クール﹀のなかに も前期 と後期が見え隠れする︒この頃の九〇年代前期は︑あらゆる 輝きが色あせてゆく過程ではあったが社会はまだ砂漠となっ た わ け で は な い︒ ﹁ 戦 後 ﹂ に 一 貫 し て 追 求 さ れ︑ バ ブ ル 期 に 絶頂を見た︑経済成長により豊かになるという﹁欲望﹂は疵 付 け ら れ︑ 社 会 の 辺 幅 修 飾 の ひ と つ ひ と つ が 剥 ぎ 取 ら れ て ゆ く︒   欲 望 は 比 較 的 長 期 の 将 来 に わ た る 活 動︵ 日 常 生 活 の パ ターン︶の方向性を定めるものであると同時に︑近視眼的な 欲動の発露を抑制し︑ 欲動を束ねる役割をしている︒ したがっ

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て欲望を欠いた無秩序な欲動は︑刺激−反応的な思慮のない 行動の炸裂にもつながる ︵後の文脈にも関係することとして︑ フロイトが指摘した﹁文化﹂が有する︑殺人や近親姦などの ﹁ 禁 止 ﹂ の 声 の 衰 え と 並 行 す る 現 象 で あ る ︶︒ パ チ ン コ や 格 闘ゲームに湯水のように金を使う姿は︑ときには相手の目の 前で財宝を粉砕して威力を示すという北米先住民の儀礼ポト ラッチのような︑破滅的な贈与を連想させる︒そもそも資本 主義的な近代社会のなかに︑破滅とまではいわなくとも︑蓄 積された巨大なエネルギーが負に反転する蕩尽的な傾向が孕 まれていることを︑当時の光景は事物教育のように教えてく れる︒欲望とは︑幸福で全能の幼児期にもたらされた﹁充足 体験﹂を︑言語的規範に機制されたおとなのやり方ではなく て︑非社会的なあり方で再構成しながら充足しようとする情 欲や渇望の動きのことでもある︒カード購入したパチンコ玉 のじ ゃ らじ ゃ らと流れ出る映像や︑両替機で一万円札を両替 した百円玉の嵐の映像は︑バブルというわたしたちの幸福体 験を再現するように知覚からパチンコやゲームに惑溺する欲 動的な行動へと走らせたのだろうか︒バブルの記憶痕跡がも た ら す 欲 望 は︑ ︵ 知 覚 同 一 性 の つ ね と し て ︶ 明 ら か に 狂 っ て いる︒だが資本主義社会︵つまりわたしたち先進諸国の近代 における平均的生活の来歴︶ はつねに︑ 秩序維持的な働き ︵自 己保存欲動︶に対抗するかのように︑秩序破壊的なリビドー ︵ 欲 動 の エ ネ ル ギ ー︶ を 内 包 し て い る も の な の だ︒ 資 本 主 義 の政治経済体制がときに権力による秩序維持をはかろうとす る動きが目に立つのは︑それが資本主義そのものの本質であ るというよりも︑資本主義に不可避な秩序維持の傾向の欠如 のためなのである︒資本主義の運動と切り離すことのできな い ﹁進歩﹂ というわたしたちが共有する幻想も︑ そのリビドー 的なエコノミーを基盤とするものなのであ る

さ て こ う し て 文 化︵ ア ー チ ス ト ︶ は い つ も 政 治 の 世 界︵ 権 力者︶に従属している︒わたしたちが求めるアートは︑わた したちの情緒に発するのであり︑その情緒は社会の趨勢に 規 定されがちである︒社会のかたちを定めるのは︑政治や経済 である︒だから先に述べた文化・生活面での現象は︑原則と して︑ある政治や経済の布置に より︑つまりその従属的関係 やその反発的関係により定められていることに なる︒

八 〇 年 代 末 か ら 九 〇 年 代 前 半 に か け て︑ 日 本 の 政 治 は 大 き く動揺した︒ バブル景気のさなかの一九八八年 ︵昭和六三年︶ ︑ ベンチャー企業からの転換期に あったリクルート社が︑当時 の首相・竹下登︑蔵相・宮沢喜一︑自民党幹事長・安部晋太 郎︑また中曽根元首相など︑自民党政権の真の中枢の秘書や 家族に及ぶまで︑関連会社リクルートコスモス社の未公開株 を ば らまいていた︑大疑獄事件いわゆるリクルート疑惑が発 覚する︒バブル崩壊後の一九九三年八月には︑ ﹁五五年体制﹂ 後初の政権交代となる︑ 細川内閣︵諸政党連立から新進党へ︶ が発足する︒冷戦下に 外国政府機関から援助を得ていない政

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党による本格新政権と期待されたが︑政治資金の疑惑などに より︑新進党政権は崩壊︒一九九四年六月に︑自社さ︵自民 党・ 社 会 党・ 新 党 さ き が け ︶ の 連 立 政 権︵ 首 班・ 村 山 富 市 ︶ が 誕 生 す る︒ 戦 後︑ 政 権 を 失 っ て か ら も︑ 一 .五 大 政 党 制 な どと揶揄されながらも︑日本を代表する野党であった社会党 が︑宿敵の自民党と組んで与党になったのである︒このこと は︑ 政 治 の 変 革 を 求 め る 市 民 に と り 裏 切 り と 受 け 止 め ら れ︑ 経済の変化による政治意識の歴史的低下は要因としてあった ものの︑日本人の政治への不信と無関心を加速させることに なる︒ 文 化 や 生 活 の 面 で も︑ わ た し た ち は 九 〇 年 代 に 多 く の﹁ 戦 後﹂的なものを失ったけれども︑それはまったく新たなモノ を獲得した時代でもあった︒ケータイ︵一九九三年︑第二世 代︶ ︑インターネット︵一九九四年︑一般向けサービス︶ ︑カ ラオケボックス︵一九九二年︑通信カラオケ登場︶⁝⁝︑だ がまた道徳︑ 公共意識︑ ゆとり︑ 金や仕事や住処︵自己破産︑ リ ス ト ラ︑ ニ ー ト︑ フ リ ー タ ー︑ ホ ー ム レ ス ︶︑ 規 範︵ 学 級 崩 壊︑ 不 可 解 な 犯 罪 ︶ を 失 っ た と も い わ れ る︒ こ の こ と は︑ テクノロジーが精神を駆逐したという技術決定論ですますこ とができるのだろうか︒

第 一 に︑ 失 っ た も の と し て 列 挙 し た も の の な か に も﹁ 少 年 犯罪の凶悪化﹂や﹁学力低下﹂ ︑﹁性意識﹂のように専門家の な か で そ の 事 実 性 や 善 悪 を め ぐ っ て 論 争 の あ る も の も あ る︒ 第二に ︑﹁ゲーム脳﹂のように それらの現象へのテクノロジー の影響についてもなおさらのこと論争的な状況に ある︒筆者 は︑第一の点については︑ほぼ認める立場であるし︑第二の 点についてはやや否定的であるものの︑技術決定論ではなく て︑人間と技術の関係が変わりつつあると言い換えるのが望 ま し い と 考 え て い る︒ ジ ル ベ ー ル・ シ モ ン ド ン 風 に い え ば ︑ い つ の 時 代 で も 技 術 と 精 神 は 横 断 個 体 化 transindividuation の関係にある︒精神と技術は︑一方の個体︵存在︶が他方の 環境であるという意味である︒精神が立ち上がるのと同時に 技術は立ち上がる︒かつては主体が技術を有用に利用すると いう道具的に考えられいた関係が︑いまでは再考を迫られて いる︒またもしも両者が横断個体化の関係にあるなら ば ︑精 神と呼んだわたしたち人間主体の個体性や︑人間のあいだで の 個 体 化 も な に ら か の 変 容 を 迫 ら れ て い る と い う こ と に な り ︑ こ れ が 第 一 の 点 に 関 わ っ て い る と 推 測 す る こ と も で き る

こうした状況のなかで ﹁社会﹂ や ﹁文化﹂ についての語りは︑ 動揺を隠せずに混乱した議論を生み出してきた︒ただし︑あ らゆる社会的規範や文化像の大変貌に ︑不況という希望のな い生活状況が荷担していたことはまちがいないし︑その影響 をまっさきに受ける将来の担い手たちである若者に ついての 語りに こそ︑議論の混乱の特徴が現れていたといえる︒この ような対立の背景には︑ネオリベラリズム的価値観を逆説的 に も不況が後押しし︵経済成長と自由競争が自己の生存の袋

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小 路 か ら の 脱 出 口 だ と 信 じ る こ と ︶︑ た と え ば 大 学 制 度 の な かでの文学部の失墜と社会科学に特徴的な﹁科学主義﹂の普 及といった知の変容という大問題が含んでいた︒

九 〇 年 代 の﹁ 情 報 の 多 様 化 ﹂ の 傾 向 を︑ ﹁ デ ー タ ー ベ ー ス 化 ﹂ や﹁ デ ー タ ー ベ ー ス 型 世 界 ﹂ の 語 で︑ い ち 早 く 察 知 し た の は 東 浩 紀︵ ﹃ 動 物 化 す る ポ ス ト モ ダ ン ﹄︑ 講 談 社 新 書︑ 二〇〇一︶ある︒このメタファーは︑情報コンテンツに限ら ず商品一般の多様化による︑わたしたちの社会のアーキテク チャーの変容を鋭く指摘している︒たとえ ば データーベース そのものを思い浮かべてほしい︒ここではパソコン上のもの ではなく︑資料分類カード時代のもの︑カードを収納する引 出しが縦と横に無限に伸張してゆく巨大な書類棚である︒

た と え ば ︑ X 軸 は 渋 谷 系︑ 裏 原 系︑ あ る い は 癒 し 系︑ ス ピ リ チ ュ ア ル 系 な ど︑ さ ま ざ ま に メ デ ィ ア に よ り 増 幅 さ れ た ジャンルを指すとしよう︒もちろん︑米国八〇年代調などと い う も の も あ る だ ろ う︒ Y 軸 は︑ 恋 愛︑ 人 生︑ 生 活︑ 芸 術︑ 音 楽︑ 学 問︑ 文 学︑ 政 治 な ど の 制 度 的 な カ テ ゴ リ ー と す る︒ これらの引出しで︑音楽であり渋谷系であれ ば ︑その箱には オリジナル・ラブやフィッシュマンズのカードが溜められて いる︒ データーベース社会という帰結は︑ 大量生産の時代に マス ・ マーケティングに源泉をもつ︑欲動のコントロールの成果に ほ か な ら な い だ ろ う︒ わ た し た ち の 欲 求 は︑ わ た し た ち の 願望として未来から到来し︑欲望を未来へと向けて現在を機 制 す る︑ 本 来 の 文 化 的 な あ り 方 で は も は や な く な っ て い る︒ な ぜ わ た し た ち は 期 待 や 希 望 を 失 っ て し ま っ た の だ ろ う か︒ 八〇年代から九〇年代への転換に顕著であるトリックル・ ダ ウン式の流行のねつ造によるマス・カルチャーから︑顧客特 化︵カスタマーイズ︶やピンポイント型のマーケティングに よる商品の氾濫と新商品のサイクルの加速は︑文化産業のみ ならずあらゆる産業 ︵スティグレールが ﹁ハイパー産業社会﹂ と呼ぶもの︶が加担する 管 理 社会の産業面を完成させっつあ る︒   情 緒 を コ ン ト ロ ー ル し︑ 消 費 行 動 を 統 制 し︑ イ ノ ヴ ェ ー ションすらも︑新製品のサイクルにより厳密に計算される社 会である︒わたしたちの本来のリビドーの備給は方向を喪失 し︑その場限りのナルシシズム的個人︵ C .ラッシュ︶の快 楽の供給につねに不満を抱きながら︑社会全体を長期的にな がめたときには産業により外界から﹁脱備給﹂されている状 態にすらある ︵缶 ・ ペットボトルいりの日本茶は伊藤園の ﹁お 〜いお茶﹂が一九八九年発売開始︑その後お茶戦争ともいわ れる時代になり︑いまでは約一六〇種の茶類が販売されてい るが︑しかし一六〇種類の茶をわたしたちが望んでいるので もないし︑衝動的に欲求するのでもないことは明かである︶ ︒

九 〇 年 代 に は 平 均 視 聴 率 二 〇 % を 超 え た ド ラ マ が︑ 五 〇 以 上もあるが︑わたしたちはそのほとんどを覚えていない︒カ

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ラ オ ケ に 行 っ て は︑ 限 ら れ た 数 の ド ラ マ 主 題 歌﹁ Say  Yes  ﹂ ︵﹃ 1 0 1 回 目 の プ ロ ポ ー ズ ﹄︶ ︑﹁ True  Love ﹂︵ ﹃ あ す な ろ 白 書﹄ ︶︑ ﹁愛が生まれた日﹂ ︵﹃そのうち結婚する君へ﹄ ︶を懐か しく歌う︒それらの歌は︑ドラマで聴いたことがない場合で あっても︑時代に共有された名残りとしてわたしたちの記憶 痕 跡 を 賦 活︵ 再 想 起 ︶ さ せ る 懐 か し い﹁ 対 象 ﹂ な の で あ る︒ わたしたちは︑ ひとびとのリビドーが束となり社会の﹁欲望﹂ すなわち未来を形成していた時代︑取り戻しようもない八〇 年 代 以 前 の 映 画 や ド ラ マ︑ 音 楽 を リ メ イ ク し な が ら﹁ 対 象 ﹂ とし︑そこに﹁固着﹂を生じさせ︑精神分析的な意味でも歴 史的な意味でも︑ ﹁退行﹂の時代にはいりつつある︒

フ ラ ン ス の 哲 学 者 ベ ル ナ ー ル ・ ス テ ィ グ レ ー ル は ︑二 〇 〇 一 . 九 .一 一 事 件 の 後 ︑ ポ ピ ュ リ ズ ム 化 す る 大 統 領 選 と 政 治・ 社 会 一 般 の 動 向 を 批 判 す る 一 連 の 著 作 を 旺 盛 に 執 筆 し て い る︒ ここ数年のスティグレールの社会批判の論点を要約するとつ ぎ の よ う に な る︒ テ レ ビ 放 送 を は じ め と す る 受 動 的 メ デ ィ ア︵ ﹁第三次過去把持﹂ ︶に よる大衆の人工的な時間の均質化 ︵シンクロニゼ ーション︶があり︑ 産業管理および産業ポピュ リズムにより︑絵を描く︑文章を書くなどの伝統的なひとび との表現活動が失われている︵ ﹁象徴の貧困﹂ ︶︒このことは︑ 表現した対象に自己が反映されているからこそ愛するという ﹁ 根 源 的 ナ ル シ シ ズ ム ﹂ の 喪 失 を 招 い て い る︒ 自 己 を 愛 せ な い か ら 他 者 を 愛 せ な い と い う 社 会 の 紐 帯 の 綻 び が 見 ら れ る︒ また根源的な問題は︑未来を希望するという﹁欲望﹂こそが 社会的なもの︵他者との関係︶を構成しているのだが︑産業 的ポピュリズムによる管理︵コントロール︶により︑ひとび とは単なる本能的な欲動に身を任せてしまっている︒欲動を 束ねる欲望が崩壊しているために︑資本主義社会の原動力そ のものであるリビドーのエコノミーが崩壊し︑ 社会は停滞し︑ 希望のない︑ 欲動的な︑ ﹁ゼ ロ度の思考﹂の時代を迎えている︑ というものである︒

一 九 八 〇 〜 一 九 九 〇 年 代 の 日 本 社 会 を 現 在︵ 二 〇 〇 七 年 ︶ の 視 点 か ら 鳥 瞰 す る な ら ば ︑ こ の ス テ ィ グ レ ー ル の 社 会 批 判のある部分が︑きわめて明瞭に歴史的プロセスとして現れ る︒また重要なことは︑スティグレール自身は︑フランス社 会がとりわけ危機にあると思っているのだが︑八〇年代以降 のネオリベラリズム的グローバル化のなかでは︑どのような 先進諸国であっても︑また中国のようにこれから先進諸国と なろうとする国々でも︑基本的にフラット化された世界で同 一の問題と歴史プロセスを歩んでいるということである︒第 二次オイルショックを抜け出して︑バブル景気へと躍り出る 一九八〇年代の日本は︑産業的資本主義の絶頂︵可処分所得 の増加と︑ 商品のヴァラエティ化︑ 多様な消費生活など︶を︑ 他 国 よ り も わ か り や す い か た ち で 先 導 し て い た か も し れ な い ︒

八 〇 代 の サ ー ビ ス 産 業 の 伸 張 や 目 新 し い 輸 入 商 品 の 日 常 化

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は︑九〇年代の不況期にあっても︑止まらない流れとしてま すます加速する︒八〇年代に は﹁欲望﹂の対象であったサー ビス & 商品は︑ 九〇年代に なり ﹁終わりなき日常﹂ ︵宮台真司︶ を演出する飽和点に達し︑ごくあたりまえのものでありなが ら︑そこから抜け出すことはできない耽溺に わたしたちをと らえている︒九〇年代末からゼ ロ年代に なり︑若者だけでは なく︑三〇歳代や五〇歳代の大人が︑電車内で﹁ケータイを 注意された﹂などの理由から︑衝動的な暴力行為に 走るとい う事件が複数あった︒これらは徴候でしかないかもしれない が︑車内で携帯電話を使用するに 際してのルールの意味を意 識・思考として理解し︑相手の注意をこと ば として論理的に 解釈していれ ば ︑突発的な暴力という︑欲動のほと ば しりそ のもののような事態に はいたらないだろう︒また九州で︑テ レ ビ の 修 理 を 依 頼 し た が 直 っ て い な か っ た こ と に 腹 を 立 て︑ 量販店のガラスの正面から自動車で突入した老人の暴挙はき わめて象徴的である︒テレビという欲動に のみ訴えかけるメ ディアに耽溺するあまり︑ 思考を経ない欲動 ﹁見たい﹂ が︑ ﹁見 られない﹂の禁止のリミットを破り︑自動車で店を破壊する というきわめて衝動的な行動に 出るのである︒

わ た し た ち を 現 在 取 り 巻 く メ デ ィ ア 環 境 が︑ ﹁ 象 徴 の 貧 困 ﹂ を 生 ん で い る︒ だ か ら こ そ︑ 現 代 の 歴 史 を 書 く も の に と り︑ メディアは重要な一次資料なのである︒さらにドラマや映画 のなかで︑わたしたちが消費し忘却したものもあれ ば ︑わた したちがそこに愛着をもちつづけるものもある︒九〇年代の 現象を考える際に︑現在からの歴史的距離により︑そのよう な選別の意味を考えることはたいせつである︒

映 像 ド ラ マ は︑ 世 間 の 欲 望 や 社 会 の 空 気 の 方 向 を 読 み 取 り 先取りして表現するというだけではなく︑とりわけ﹃高校教 師﹄ ︵テレビ︑ 野島伸司脚本︑ 伊藤一尋プロデュース︑ TB S ︑ 一九九三︶の場合のように入念な取材にもとづいたものもあ り︑確証的な関係資料と相互比較することで︑ドキュメント ︵記録資料︶として使用できるものである︒ ﹃高校教師﹄が放 映されたの九三年は︑ 阿部和重が ﹃アメリカの夜﹄ で書いた ﹁小 春日和﹂が終わろうとしていた時期である︒この小説の主人 公は渋谷 see d ホールの展示室で︑イスに腰掛けて室内係 をしながら読書をするのを楽しみとしていたのだが︑ある日 突然︑勤務中の読書が禁止される︒平成不況のなかで︑今日 にいたるまで︑職場や学校のあらゆる息苦しさとなっている 規則の圧迫の象徴である︒

こ の ド ラ マ は シ ョ ッ キ ン グ な 話 題 を い く つ か 扱 っ て い る︒ た と え ば   近 親 姦 や 女 子 高 教 師 に よ る 生 徒 の レ イ プ︑ 教 師 と 生徒との恋愛︑同性愛などである︒近親姦というテーマ自体 は︑時代の特徴ではない︒普遍的な禁止であるからどの時代 にも侵犯が見られるものである︒だが︑このドラマのなかで は近親姦も︑学校という場の息苦しさ︑少年や青年であるこ

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との弱さを増加させる装置のひとつでしかない︒一七歳の主 人公二宮繭︵桜井幸子︶は父親との近親姦に悩みながら﹁助 けて﹂というメッセージを︑ 新任教師の羽村隆夫︵真田広之︶ に送りつづける︒近親姦やレイプという︑ 屈折や挫折の﹁傷﹂ からやがて物語は羽村と二宮の純粋恋愛の物語へと昇華して ゆく︒その周囲の出来事も︑忠実に時代の﹁雰囲気﹂を表現 している︒教師にレイプされた一七歳の相沢直子 ︵持田真樹︶ は妊娠してしまう︒だが︑このことを公にすれ ば 自分は世間 のくだらない興味本位の視線のまととなってしまう︒また生 徒たちを一様に﹁退学﹂という最大の罰︑人生のレールから 脱線させる罰が恐怖の支配をしている︒生徒をほんとうに思 う体育教師は︑体罰教師として生徒のみならず同僚の教員た ちからも鼻つまみ者にされている︵このことはすでに指摘し た 八 〇 年 代 前 半 の 校 内 暴 力 の 経 緯 が 関 係 し て い る ︶︒ 法 や 校 則 の よ う な あ ら ゆ る 規 則 が︑ ﹁ 管 理 ﹂ や﹁ 監 視 ﹂ に よ り 機 能 不全に陥っている絶望的な世界である︒このなかから二宮た ちの純粋恋愛は︑浄化された暖かい聖域へと立ちのぼってゆ く︒これは同時代の視聴者たちの多くが見た憧憬の象徴かも しれない︒羽村は二宮とうまく向き合えず︑ふたりの関係は 紆余曲折する︒あるときには︑二宮は電話ボックスからテレ ク ラ に 電 話 を し︵ ケ ー タ イ の な い 時 代 だ ︶︑ 会 社 員 風 の 中 年 男と待ち合わせするが︑家族でも会社でもそういう場がない の か︑ こ の 男 が 二 宮 に 会 っ て は じ め た の は﹁ 説 教 ﹂ で あ る︒ このドラマは九三年という早い時期にもかかわらず︑管理社 会の行きにくさを描いている︒リビドーの行き場のなさ︑わ た し た ち の 寄 る 辺 な さ︑ 感 性 は 支 配 さ れ か か っ て い る︑ ︿ わ れわれ﹀を喪失しつつある︑そうした時代に共有された精神 を︑逆説的にもこのテレビ ・ ドラマが表現しているのである︒ 九三年といえ ば ︑まだバブル崩壊の影響は生活レベルまで達 していないけれども︑ある予感のような時代精神がそこには あった︒脳天気なバブル文化の人工的環境により︑伝統共同 体的関係の鎖が破綻していたことを︑バブル崩壊によりわた したちは知らされるのである︒

さ て︑ ﹃ 高 校 教 師 ﹄ と﹃ 失 楽 園 ﹄ の 間︑ 一 九 九 三 年 と 一 九 九 七 年 の 間 に は︑ ︿ 一 九 九 五 年 ﹀ が あ る︒ こ の 年 に ︑ 阪 神淡路大震災が生じる︒そこでの生きるか死ぬかの避難と救 助 の 活 動 に 見 た︑ 相 互 扶 助 の 関 係 を︑ ﹁ 人 情 が あ っ て う ら や ましい﹂といわしめた莫迦げた精神構造がこのときにあった とだけ︑ここでは指摘しておこう︒

こ の 砂 漠 の 先 に オ ア シ ス は あ る の だ ろ う か︒ ﹁ 失 わ れ た 一〇年﹂や﹁空白の一〇年﹂といわれる一九九〇年代の日本 社会を生きた者の多くは︑砂漠を歩く実感と見えない未来の 不安を一度くらいは感じたことがあるだろう︒バブル景気崩 壊後の不況のなかで︑ 中年層は大量に解雇︵リストラ︶され︑ 若 年 層 も 就 職 難 に あ え い だ︒ 同 時 に︑ 世 界 的 な 潮 流 と し て︑ グローバル化とネオリベラリズムの拡大があり︑社会保障費

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の削減︑自由競争社会の本格化などの余波も受けることにな る︒貧困や将来への失望から︑家庭︑学校︑社会と︑どこの 場でも暗く殺伐とした空気が支配することになり︑この人間 関係のぬくもりの消滅が︑ますますとひとびとを鬱屈とされ るのであった︒その帰結は︑サブカルチャー︑インターネッ ト︑現実政治にまで蔓延するネオナショナリズムの擡頭︑学 校でのいじめ問題から家族間の殺人︑公共性のマナーの崩壊 など伝統的共同体規範の破綻など︑は ば 広い現象となって表 れることになる︒

し か し な が ら 九 〇 年 代 は 二 〇 〇 〇 年 代 の 現 在 と 比 較 し て も︑天然資源の枯渇︑人口問題︑地球温暖化など︑明かな物 的行き詰まりが深刻になっていたとはいいがたい︒景気に心 性が左右されながら︑ハルマゲドンを渇望するアニメや宗教 団体など︑スピリチュアルな次元での﹁終末感﹂がひとびと を支配した時代だといえるだろう︒

節  半︑ の剥き出しの生

一 九 九 七 年﹁ 援 助 交 際 は 売 春 で す ﹂ と い う 大 阪 府 警 の ポ ス ターが貼り出される︒リストラが失業であるのと同様に︑援 助交際ということ ば の軽さがこの傾向を助長しているという わけだろう︒実際に一九九六年頃から︑中学生や高校生が二 〜五万円ほどの金銭と引き替えに︑ヌード写真を撮影させた り︑ 性的行為を提供する ﹁援助交際﹂ が社会問題になっていた︒ 援助交際のネットワークは︑テレクラなどの電話サービスや デートクラブのようなハコものが中心だったが︑友人の口コ ミ︵ 客 の 紹 介 ︶ も 少 な か ら ず あ っ た と い う︒ ﹃ 失 楽 園 ﹄ も そ うだが︑大人も子どもも死の欲動に忠実なはかないセックス に耽溺していたのである︒ イ ン タ ー ネ ッ ト の 普 及 以 前 に︑ ダ イ ヤ ル Q

︵一九九一︑ NTT ︶が人気となった︒パーティーラインやツーショット︑ 伝 言 ダ イ ヤ ル な ど 多 様 な サ ー ビ ス で︑ ﹁ ナ ン パ ﹂ 目 的 の 利 用 も多かったというが︑ 高額な利用料の支払いや Q

で 知 り 合 っ た人間の売春や殺人事件など︑現在のある種のインターネッ ト・サービス︵ ﹁出会い系サイト﹂ ︶が生む犯罪が︑メディア そのものの批判に至る傾向が見られた︒ また援助交際につながるような︑ 素人の性風俗として︑ ﹁ブ ルセラ﹂があった︒使用済みのブルマーやセーラー服をブル セラショップに売り︑ショップはマニアに売るという仕組み で あ る︒ ビ デ オ も 登 場 す る よ う に な り 社 会 問 題 と な る︒ ﹁ ブ ルセラビデオ﹂とされるア ダ ルトビデオに関して︑一九九三 年 五 月︑ 撮 影 者 の 通 称﹁ ブ ル セ ラ 帝 王 ﹂ が 逮 捕︑ そ の 後 八 月にはビデオを販売していたブルセラショップ﹃ R ﹄渋谷店 も古物商法違反で摘発される︒出演していた女子高生たちも 一 〇 〇 人 規 模 で 補 導 さ れ た︒ こ れ を き っ か け と し て︑ ワ イ ド シ ョ ー や 週 刊 誌 を 中 心 に﹁ ブ ル セ ラ 女 子 高 生 ﹂ が 大 々 的

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に 報 道 さ れ る よ う に な る︒   一 九 九 三 年 頃 か ら︑ 渋 谷 道 玄 坂 や 新 宿 歌 舞 伎 町 の 賃 貸 マ ン シ ョ ン で の 経 営 が 広 ま る   ブ ル セ ラ ショップには︑デートクラブを兼ねたところも多く︑援助交 際の問題とまちがいなく重なっている︒指名料五〇〇〇円程 度 で︑ 集 ま る 女 子 高 生 と デ ー ト さ せ る と い う ふ れ こ み だ が︑ 実際には二万円程度で売春をしているケースも多いことが明 らかになっ た

︒  

先 に 言 及 し た ふ た つ の ド ラ マ は︑ 九 〇 年 代 に 特 徴 的 な も の であったとしても︑平均視聴率二〇 % を超えるドラマが五〇 本以上︵!︶もあった時代としては︑誰に でも共有されるも のではないだろう︒東京の山の手系大学で行ったポスト団塊 ジュニア世代の若者︵二〇歳〜二五歳︶を対象とする小規模 の調査︵母数一〇〇弱︑二〇〇七年実施︶では︑ ﹃高校教師﹄ に つ い て は 若 干 の 支 持 が 見 ら れ る ほ ど で︑ ﹃ 失 楽 園 ﹄ は 関 心 がないかまたは嫌いという回答がほとんどであった︒いまで は D V D 視聴が一般化し︑興味深いことに放送によるリアル タイム世代の支持ときわめて違う評価が見られ︑世代ごとの 特定の時代の文化商品の﹁定番﹂がまったく違うように 認識 さ れ る 場 合 も あ る こ と だ︒ ﹁ 九 〇 年 代 を 代 表 す る ド ラ マ ﹄ と の 設 問 で は︑ ﹃ ロ ン グ・ バ ケ ー シ ョ ン ﹄ と の 回 答 が 圧 倒 的 多 数であり︑当時小学生から中学生までの間に あった学生たち がリアルタイムで熱心に 視聴していたとは考えに くいことか ら︑両親の世代の支持や︑その後のアカデミックやジャーナ リスティックな言説による﹃ロング・バケーション﹄の共記 憶 ︱ 神聖化に影響されていると考えられる︒だが︑重要なの はあれだけヴァリエーション豊かなテレビ・ドラマが開花し た時代であっても︑その人気や熱狂は放送クールを中心とす る一過性のものであり︑ 一〇年経て ば ほとんどが﹁なかった﹂ ことになるという﹁加速された文化﹂の特徴性である︒ 同 じ 調 査 で 音 楽 に 関 し て︑ ﹁ 九 〇 年 代 を 代 表 す る ア ー チ ス トは?﹂との質問にたいして︑最も多い回答がサザン・オー ルスターズであるという︑まるで情緒が一九八〇年代に回帰 するような結果が見られた︒スピッツとの回答はなく︑ミス ター・チルドレンでさえ︑ごく少数の回答に留まった︵三位 の安室奈美恵よりも︑ S PEED が上位であったのは︑彼ら との年齢差の近さが原因として考えられるだろう ―― ちなみ に そ の 下 の 世 代 で は ミ ス チ ル や ス ピ ッ ツ が ま た 好 ま れ て い る︶ ︒いずれにしても︑中島みゆきという回答もあるように︑ 時代は一回りして︑九〇年代という情報の嵐が過ぎたあとに は 持 続 に 耐 え る﹁ 定 番 ﹂ が 再 選 別 さ れ た と い う べ き だ ろ う︒ 当時の視聴率二〇 % ドラマがつぎつぎと忘却の淵に 消失して ゆく一方で︑ ﹃恋人よ﹄ ︵一九九五年︑野沢尚脚本︑喜多麗子 プロデュース︑フジテレビ︶のように当時はヒットしなかっ たものの︑小説のように プロットがしっかりした古典的﹁物 語﹂はゼ ロ年代になり︑再放送や D V D 視聴が可能となると 若者を中心に根強く支持されるように なる︒ 一 九 九 〇 年 代 後 半 と い え ば ︑ こ の 世 代 の 若 者 た ち に と っ て

参照

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