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な ぜ 政 府 が 道 路 を 作 る の か*

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な ぜ 政 府 が 道 路 を 作 る の か*

田 啓 子

はじめに

政府 の経済活動 を最低限 に抑え るとい う,アダム ・ス ミスの 「夜警国家」の 概念を理想 とした古典派的な経済的 自由主義の時代 に, フラ ンス土木公団のエ ンジニア ・エ コノ ミス トたちは,公共事業 における政府介入の多様 な形態を豊 かに分析 し,その経済的意義をすで に明 らかに していた。工業化の経済基盤 と

しての交通網の建設が公共事業の中核をな していた19世紀 の前半 において,か れ らが交通路のなかで も,運河や鉄道の費用逓減現象 に着 目 し,その結果 とし ての 自然独 占の弊害を除去す るために公的介入を要請 した ことは,すでにほか の ところで分析 した通 りであ る(1)。 もっとも,明確 な定義 こそ果 たせなか っ た ものの,ス ミス自身 も公共事業が費用逓減産業であ るとい う漠然 とした認識 は持 って いた (2)。 しか し,エ ンジニ アたちの理論的功績 は, ス ミスが示唆 し

*本稿は,パ リ第一大学に提出した博士論文Lapens6e6conomiquedesing6nieurs desPontsetChauss6esdamslap6riodedel'industrialisationenFrance 第二部第一章第一節に加筆 ・修正を加えたものである。また,この草稿の報告の機会を 与えて くれた経済理論史研究会のメンバー,とくにコメンテイターの役割を引き受けて

くださった,早稲田大学の大森郁夫氏と若田部昌澄氏に感謝 したい。

(1)栗田啓子 「公共事業と国家の経済的介入 ‑フランス土木公団のエンジニア ・エコ ノミス ト,小樽商科大学 『商学討究』第37巻第1・2・3合併号,1987 1,123

‑150頁。

(2) Adam Smith,AnInqzLiryintotheNatureandCausesoftheWealthof Nations(1776),Glasgow edition,vol.,pp.6871688andp.723。(大内兵衛, 松川七郎訳 『諸国民の富』,岩波文庫, (≡ )503頁および (四)57頁)。ス ミスは,そ れ以外にも,一国の商業を助長する公共土木事業(ibid.,,p.724,邦訳,同上,

(四)58頁)という表現を用いているが,これは,交通機関の外部効果を意味 してい ると見ることもできる。

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た内容 を費用分析 を通 じて厳密 に規定 しただけでな く,「市場の失敗」のさま ざまな場合の一般的な理論化 にまで及んでいたのである。それゆえに, ここで の課題 は,かれ らの道路に関す る考察を検討す ることによって,ス ミスが気づ いていなか った「市場 の失敗」の もうひ とつの場合,すなわち公共財 の場合 を, エ ンジニアたちがいかに認識 していたのかを示す ことになる(3)。

一般道路を公的に供給す る理 由として,現代理論では, この種の交通路を公共 財の一種 とする見方を採用 している。つまり,一般道路 は特定の利用者を排除す ることができないという意味で 「非排除性」を有 し,複数の利用者が同時に等量 の交通サービスを消費できるという意味で 「非競合性」を有 しているので,私的 な供給では不効率が生 じるとい うわけである(4)。では, 19世紀前半のフランス 土木公団のエ ンジニア ・エコノ ミス トたちは,どのように道路を捉え,その公的 供給を正当化 したのだろうか。 ここでは,消費の非排除性 と非競合性 という公共 財のふたつの現代的な定義に依拠 しなが ら,かれ らの道路に関す る考察を分析 し てゆ くことに したい。 しか しなが ら,道路の交通サー ビスの特質の解明というか れ らの意図は,運河や鉄道の場合 とは異なって,道路に関 しては土木公団 と競合 す る民間企業が存在 しなか ったために,政府の (すなわち土木公団の)介入を正 当化 しようという明確な目的意識に基づ くものではなか った。む しろ,道路の状 態の悪化を防 ぐための交通規制の是非やその方法を論議す るなかか ら,政府が一 般道路を供給 しているという事実を説明す る原理,あるいは,自由な通行を保証

(3) 政府の経済活動に関して,古典派の経済学者は,全般的には,スミスの分析水準を超 えたとは言い難い。しかし,そのなかでは,セイが国防や治安は 「公共の消費」(Say, Traitad'acoTIOTniepolitique(1803),aveclaprefacedeG.Tapinos,Paris, Calmann‑L6vy,1972,p.475)という特徴を持つと主張 している。また,プラウグ によれば,1890年代には,イタリアの財政の専門家のマツオーラが公共財の 「消費 が共同的で平等」なものであることを指摘 し,ヴィクセルが公共財に対する選好は市 場では表現されないことを明らかにしている。さらに,マーシャルが1890年の 『 済学原理』で外部効果の概念を定義 したことを考えると,市場の失敗」の分析は19 紀末になって,ようやく経済学の主要なテーマになったと言えるかもしれないMark Blaug,EconoTnicTheoTy inRetrospect(1962),4thedition,Cambridge, CambridgeUniversityPress,1985,p,596(関恒義,浅野栄一,宮崎犀‑訳 『新版 経済理論の歴史Ⅴ』東洋経済新報社,1986,964頁)0

(4)公共財の非排除性と非競合性に関して,簡潔な定義がLucWeber,L'Etat,acteur acoTWTnLque.AnalyseaconoTnLquedur∂ledel'Etat,Paris,Economica, 1988,pp.46‑48に見出される。

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なぜ政府 が道路 を作 るのか 299

す る必鰍 性が認識 されていったのである。 このように,かれ らの経済学的考察 は, つねに,エ ンジニアとしての日常の業務 と結びっいた具体的な問題か ら出発 して

いた。 したが って,当時の道路をめ ぐる問題がエ ンジニアたちの考察 にどのよ う な影響を及ぼ したのか とい う点 にも,で きるかぎり,触れなければな らないだろう

1 道路補修の問題

復古 王政以 降徐 々 に進 行 した工 業化 に伴 う大 量輸 送 ‑と りわ け石 炭 や鉄 鋼 な どの重 量 が大 きい原 材料 の輸 送 ‑の進 展 は,道 路 の状 態 を ひ ど く悪化 させ,補修費 用 を極端 に増大 させ た。 1806年 に輸 送 重量 を制 限す る 目的で 交通 規 制が 制定 され たが,技 術 上 の問題 や不正 の横 行 な どで,効 果 はあが らなか った よ うで あ る 道路 を代 替 す る もの と して大量 輸 送 を 目的 と した 運 河 網 の建 設 が1820年 代 の初 頭 の公共 事 業 の課題 とな ったの は, この よ う な事情 を背 景 に して い る しか し, 1820年 代 の後 半 には, そ の運 河 網 の建 設 も多 大 な財 政上 の困難 を抱 え,工事 が 中断 され る ことさえ起 こった。 そ の結果,道路 の有 用性 が再 認識 され,道路 交通量 が再 び増加 す る とと もに, かねてか らの懸案 だ った道路 の磨耗 が一段 と進行 してい った。

この よ うな状 況 の なか で,運 河網 の建設 と と もに,国道 や県道 な どの幹 線 道 路 の建設 ・維持 に責 任 を持 つ土木 公 団 は, なん らか の対 応策 を提 出 し な けれ ば な らなか った。 その た め‑に,す で に1814年 か ら道 路 交通 取 締 りに 関す る委員会 が頻繁 に組 織 され たの に加 え て,道 路 の磨耗 と補修 に関す る 実験 も繰 り返 し行 われ た (5) . これ らの委員会 の メ ンバ ーや実験 の責 任者 と してデュピュイ (Ars8neJulesEmileJuv6nalDUPUIT,1804‑1866)や ミ

(5)マカダム式 と呼ばれ る砕石舗装道路がイギ リスか ら導入 される以前 は,道路の磨耗 の問題 は土木公団の重要 な検討課題であ り,さまざまな側面か ら検討 された,技術的 な側面 としては,事柄の幅や積載重量 さらには速度 と磨耗の度合 との関係の解明が主 要な問題だった。比重 は少 ないとはいえ,経済的な側面 も検討 されている。 とくに, 積載重量や交通量の規制が商業の発展 に及ぼす影響が真剣に検討 された。 これ らの委 員会の意見や実験の結果については,BerthaultDucreux,1833,Dupuit,1849,1851 et1852,とりわけEmmery,1841を参照の こと。

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ナ‑ル(CharlesJosephMINARD,1781‑1870),ナヴィエ (Claude Lion MarieHenriNAVIER,1785‑1836)とい った主要 なエ ンジニ ア ・エ コノ ミ ス トが名前 を連 ねてい ることか ら窺 え るよ うに(6), この交通規制 の問題 は, エ ンジニアの道路 に関す る認識を深化 させ るとい う重要な役割を演 じたのであ

(7) 0

2 非排除性

土木公団のエ ンジニアたちは, ごく少数 の例外 を除いて,道路を人 々が 自由 に通行す るのは当然だ と考えていた (8)。 例 えば, コロメス ・ド・ジュイア ン (charlesJoseph COLOM豆SDE JUILLAN,17991?)は 「誰 にで も公 開 されて い る(publicit6 g6n6rale)とい う道 の性質」(Colom占sdeJuillan, 1836,p.13)を指摘 してい る し,ベル ト一 ・デュクリュ‑(ClaudeJeanBaptiste AlexandreBERTHAULT‑DUCREUX,1790‑1879)は道路 におけ る 「( 逮)サー ビスの包括性 (universalit6desservices)」(BerthaultDucreux, 1844,pp.9et69)につ いて語 ってい る これ らの表現 は,道路 において特定 の通行者 を排除す ることがで きない,あ るいは,排除 は望 ま しくない とい う, エ ンジニアの考 えを如実 に表 していると言え るだろ う 交通規制 に関す る委員 会 に参加 したエ ンジニア ・エ コノ ミス トの多 くが さまざまな理 由で規制緩和を 答 申 しているが,そのなかで は,ナ ヴィ工が この 「通行の 自由」の観点 を強調

(6)デュピュイは1839年の委員会で補助的な役割を果たしたあと,1842年の実験の責 任者 となり,1849年の委員長 として,交通規制の緩和を推進 した。 ミナ‑ルは, デュピュイとともに,1839年の委員会の構成メンバーであった。ナヴィ工は,1832 年の委員会の委員長で,やはり,交通規制に反対の答申を行った。ベル トー ・デュク

リュ‑は,1833年の道路の磨耗に関する実験の責任者になってる。

(7) 復古王政か ら7月王政期にかけての道路建設 ・行政については,A.BrunotetR Coquand,LecorpsdesPongsetChaussaes,EditionduC.N.R.S.,1982, pp.183‑195を参照 した。

(8) 例えば,ルクレールは,土木公団のエンジニアを用語が誕生する以前の 「真のテク ノラー ト」と規定 しながら,かれらが道路を 「公有公物に属するべきだ」と考えてい た ことを指摘 している (Yves Leclercq,Leraseau iTnPOSSible.18201852, Gen占veParis,Droz,1987,p.63)0

(5)

なぜ政府が道・路を作 るのか 301

している

道路での自由な通行 とい う主張 は,当 り前の ことなが ら,特定の利用者の排 除が容易な 自動車専用道路 とい った ものがまだ存在 していない時代 において

は,実証的な言説 のよ うに見え る。実際,コモ ワ (Guillaume Emmanuel COMOY,1803‑1885)が 「一般の道路における通行 は完全 に自由である」 (C0‑

moy,1847,pp.187‑188)と言 ったのは,そのよ うな現実を見ていたか らだ と も考え られ るOだが,その一方で, この主張が決 して現状認識の表明にとどま るものではな く,規範的な ものであった ことも否定できない。なぜな らば,一 般道路においてさえ,障壁を設 けての通行料徴収 は,道路補修費の調達の伝統 的な手段だ ったか らである。1806年の法令で通行料 は廃止 されたが,その代 わ りに,道路の状態悪化を予防す るために,すでに言及 した交通規制策が とら れることになった (9)。どちらの方法をとるにして も,道路補修の問題は,特定 の 通行者 を排 除す る可能性 を問わず にす ませ られ る問題で はなか った。 そ し て,その公的供給 もまた, この排除の不可能性か ら説明 され るはずである

公共財の公的供給 との関連では,排除の不可能性 はふっ う二種類 に分類 され る。すなわち,技術的な もの と経済的な ものである。技術的な理 由とは,国防 のように,そのサー ビスを享受す る者を特定で きないというものである しか し,一般道路 においてさえ通行料徴収が可能なように,利用者の特定 は難 しい として も決 して不可能ではないのだか ら,道路の場合に技術的な理 由は妥当 し ない。残 るのは経済的な理由,すなわち排除の費用の問題である。道路におい て特定の通行者を排除す る費用が相対的に大 きいことは容易に想像 しうるし, 実際,何人かのエ ンジニアはこの問題 に言及 している。だが,エ ンジニアたち が主張 した公的供給の理由はそれだけではなか った。そのなかには純粋 に理論 的 とは言い難 い内容 もあるが,それはそれで,当時のエ ンジニアの発想を物語 るもので もある。 とい うわけで,かれ らの論理をっ ぎの4つのタイプに整理 し

(9)通行料に関 しては,A.BrunotetR.Coquand,ibid.,p.72etpp.165‑166を参 照 の こと。

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た うえで,それぞれ分析 してゆ くことに しよう 第‑ は自然法 に関連す るもの であり,第二 は道路を自由財 として考えるものである。第三のタイプは,道路の 外部効果の存在を公的供給の根拠 に している。そ して,最後が道路における排 除費用の問題である。

2‑ 1 自 然 法

エ ンジニアたちが道路サー ビスの非排除性 について語 るとき,それがむ しろ 規範的な ものだ った ことはすでに指摘 した。なんの論証 もな しに道路の公共性 を主張するエンジニアも決 して少な くない。クール トワ (Aim6Charlemagne COURTOIS,1790‑?) は,道路 に限 らず,あ らゆ る人 間に対 して提供 しな ければな らない財 ・サー ビスというものが社会 には存在す ると考えていた。か れは交通機関の経営方法の選択 に関す る著作の冒頭で, このような種類の財 ・ サー ビスは公的に供給 されるべ きであることを強調 している。

すべての人 々の使用 に供 され るべ きものは,本質的に公有公物 (domainepublic)の うちに数え られ る。それは,その性質上奪 っ て ほな らない ものであるか ら,必ず, 自治体 の費用で建設 され維持

されなければな らないであろう (Courtois,1843,p.9)

クール トワは, これ らの財 ・サー ビスの公共性やその結果 としての公的供給 の理論的な根拠をPつざい明 らかにせず,ア ・プ リオ リにそのような財が存在 す ると言 っているだけであるO しか しなが ら, これ らの財 ・サー ビスの公的供 給が認め られ るには,少な くともその公共性があ らか じめ社会的に承認 されて いる必要がある。 この社会的な承認 という考えを前面 に押 しだ しているのが, ナヴィ工である。ナヴィェは一貫 してあ らゆる交通サー ビスの公的供給を主張 したエ ンジニアだが,道路 については,その根拠を 自然権の うちに求めている。

つまり,社会が形成 された ときに,道路上の自由な通行は,人間の基本的な権 利 として,社会的に承認 されたものだとい うわけである。

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なぜ政府 が道路を作 るのか 303

ナヴィエの発想には自然法思想の影響が濃厚に見 られるが,それが重農主義 か ら直接 に摂取 した ものか,フランス革命の理念に受 け継がれた自然権の考え 方の継承 なのか は定かで はない。だが,重農主義者の著作を直接 には読 まな か ったに して も,デュタ ンス (Joseph‑MichelDUTENS,1765‑1848)のよ うな重農 主 義 に傾倒 して いたエ ンジニ アが いた ことを考 慮 に入 れ るな ら (10),経済 に関心を持つエ ンジニアたちが 自然法思想 に基づ く重農主義の 自由主義に無関心だったことはあ りえないと言 ってよいだろ う そ もそ も,重 商主義か ら重農主義への経済政策の転換 は公共事業政策の方針を も完全 に変更 す るもので,土木公団 に多大 な影響を与 えたのである(ll)。 それゆえに,重 農主義の 「自由放任 (laissez‑faire,laissez‑passer)」の原理 は,公団のエ ンジニアに馴染み深 いものだ ったと思われ る。 このスローガ ンの後半 は,直訳 すれば,「自由に通行 させよ」とい う意味になるが,エ ンジニアたちには文字 通 りの意味で受 け継がれてい ったと言え るか もしれない.つ まり, ̀̀1aissez

‑passer''という言葉が,垂農主義者 たちにとっては,生産 ・交換 ・流通 と い う経済のあ らゆる分野における自由を広 く意味 していたのに対 し,エ ンジニ アにとっては,その同 じ言葉が限定 された内容,すなわち通行の自由だけを主 要 に表現するものに変わ っていったのである。つぎのナヴィェの文章 は, この ようなエ ンジニアの通行の自由の主張 と (おそ らく重農主義の自由主義を媒介 に した) 自然法思想 との結びつ きを明 らかに している。

「自然の権利 として,各人 は自分 の持 て るものを携 えて どこで も 通行す る自由が あ った (...) もし,社会 の利益のために,土地

(10) コクランとギ ヨーマ ンの 『経済学辞典』で,デュタンスの経済思想 (参考文献一覧 Dutens1835)は 「ケネーの学説 の焼 きなお し以外のなに もので もない」 と酷評

されている(DictioTmairedel'占conoTniepolitique,(sousladirectiondeCh.

CoquelinetGuillaumin),Paris,GuillauminetCiど,1852‑53,Ip.628)0 ( 重商主義的な土木政策か ら垂農主義的な政策‑の転換については,栗 田啓子 「土木

公団のエ ンジニア ・エコノ ミス ト ー彼 らはなぜ経済学に興味を持 ったのか‑」 『ふ らんす手帖』第12,1983 7,165‑167頁を参照 されたいo

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が誰かに所有 され,その結果,人 々が道 の上 しか通行で きな くな っ た として も,少な くとも,その道 を行 き来す る自由は保持 され るべ

きである (Navier,1830‑a,p.332)0

ナヴィ工の この文章 には, 自然法思想の特徴が はばすべて含まれている。ま ず,社会が創設 される時に人間の諸権利を尊重す る社会契約が結ばれたと想定 されている。そ して,そののち,社会の (経済的な)発展 に伴 って,私的所有 が現われてきたと考え られている。 しか し,そのような社会の変化 にもかかわ らず,創設時に社会的に承認 された自然権 は守 られなければな らない。ナヴィ 工は,通行権を このような自然権のひとつ とみなす ことによって,大部分の土 地が私的所有の もとにある現在で も,道路の自由な通行が保証 され るべ きだと 主張 したのである。 この意味で私的所有権が認め られていない道路 は,当然, 公共の所有の もとにあるにちがいない。このように,かれの 自由通行の主張 は, 社会契約 という仮想的な社会承認 一社会の創設時における公共選択 一を前提に

して,道路の公的供給を正当化す るもの と解釈で きるだろう

2‑ 2 自由財 としての道路

ナヴィ工の自然権 という純粋に経済学的 とは言い難い理由による自由通行の 主張を受 けて,非排除性の原則を道路の費用の特徴か ら説明 しようと試みたの が ミナ‑ルである。受益者負担の立場か ら通行料の設定を支持 した, この代表 的なエ ンジニア ・エコノ ミス トは, 自由通行の原理を相対化す る必要を感 じて いた。だか らこそ,かれは,ナヴィ工の主張を批判的に紹介 しなが ら, 自然権 としての通行権を認めるとして も,その権利が通用す る範囲は非常 に狭いと強 調 したのである。なぜな らば,かれにとって,代価を支払わないですむ道路 は, 費用を通行料収入 によって償却 しないですむ道路,すなわち,まった く費用を 必要 としない道路以外 にないか らだ った。 このように, ミナ‑ルは道路の費用 に言及す ることで,ナヴィエに対抗 して, 自らの主張を裏付 けようとしたので ある。

(9)

なぜ政府が道路を作るのか

「自然権 によれば,各人 は耕作地を通 ることがで きないのだか ら 道の上 を 自由に車を走 らせて もよいと言われている。 この考察 は正

しい として も,誰 の労働の成果で もな く,また維持 され ることもな いままに放 っておかれ る (舗装 していない)土 の道 に関す る限 りで ある (Minard,1850,p.84)

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この文章か ら, ミナールが,事莱上, 自由財の定義に到達 していた と言 うこ とも可能である。 ここで対象 にされている 「土の道」 とは, 「労働の成果」 と 表現 されている建設費がかか らず,また維持費 も必要 としない,獣道のような 交通路である。 このように,設置費 とい う固定費用 も維持費 とい う可変費用 も

ともにゼ ロであるな らば,そのよ うな道 は,実際,自由財 となん ら変わ りない。

それは,すべての人 々に無制限に供給 され うるだろう だが, ミナ‑ルが示唆 しているように,道路の大半 は,維持費はともか く,少な くとも費用をかけて 建設 された ものであり, とうてい自由財 とはみな しえない。そ うだとすれば, 建設費を要 した道路には自由通行の原則は適用できないのだろうか。 ミナ‑ル 自身 は,すでに触れたように,費用を要す る大多数の道路における通行料徴収 を主張 していた。 しか し,かれの主張は,すべてのエ ンジニア ・エコノ ミス ト に受け入れ られたわけではなか った。 とい うのは,道路の自由通行の可能性を 交通規制の問題 と関連 させて検討す るなかか ら,何人かのエ ンジニアが,道路 における非排除性の原則を支持すべ きふたっの経済的な理 由を明 らかに して いったか らである。

2‑3 道路の外部効果

第‑の理 由は,道路の交通サー ビスの外部効果 と密接 に関連 している。エ ン ジニアたちが具体的にどのようなことを交通路の外部効果 と考えていたのかに ついてははかのところで論 じることに して, ここでは経済の活性化 とい う外部 効果 と交通規制の問題 との関連だけを指摘 してお きたい。かれ らが とくに問題 に したのは,輸送重量 に応 じて通行料を取 り立てるといった交通規制である

(10)

306 第42巻 第2・3号

このような規制 は,道路の交通サ‑ ビスの受益者 に費用 (維持費)を負担 させ ることを目的としていた。通行料は,多 くの場合,輸送価格に転嫁 されるので, このタイプの交通規制 は,結局の ところ輸送価格の上昇を招 き,その結果 とし て,交通量の減少を もた らす もので しかない。輸送価格の上昇 に して も,交通 量の減少 に して も,いずれにせよ,交通サービスが もた らす外部効果の影響範囲 を狭めることになる。 これが,エ ンジニアたちの一般的な見解だった。 このよ うな論理か ら,交通規制 は 「生産 と消費の双方 に対 して有害である」(Navier, 1830‑,p.3)と,かれ らは結論 したのである多 くのエ ンジニアが,少な

くとも道路に関す る限 り,通行料を通 じた維持費の受益者負担 に消極的な態度 を示 し,む しろ補修の技術改良 による維持費の削減 に努めたのは, この論理 に よっていた。かれ らは,そのような努力によって通行の自由を保証 し,交通の 発展を促す ことで経済活動を促進 しようと意図 したのである。

2‑4 排除の費用

第二の理 由は,排除の費用その ものにあった。まず,極端な場合を取上げる ことに しよう 排除の費用が無限大の場合 には,特定の通行者の排除は全 く不 可能になる。 この場合 には,通行料の徴収によって収益をあげることは期待で きない。そもそ も,支払いを しない人々にサー ビスの提供を拒否で きないか ぎ り,そのサー ビスに対す る代価を要求す ることなどで きるはず もないか らであ る。コロメス ・ド・ジュイア ンが言 うように, 「誰 にで も公開されている」よ うな道路 は,料金徴収が不可能であ り,収益を もた らしえないが,それは,そ こでの交通サー ビスの消費の非排除性の結果である。 したが って,道路が収益 を うまないという主張は,非排除性の認識のひとっのヴァリアン トとして捉え ることができる。 このような考え方の代表者が,ベル ト一 ・デュクリュ‑であ る。かれは,はかの交通機関 と比べて,収益が期待で きないというのが道路の 際だった特徴だ と主張 している。

すべての交通路が収入を一般的に期待 しない ものの領域 に属 し

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なぜ政府が道路 を作 るのか

て い るとは限 らない。今 日にいた るまで, この領域 に属 して い るの は道路 だ けだが, それ もあ らゆ る国 においてそ うだ とい うわ けで も ない」 (BerthaultDucreux,1839,p.145)

307

道路がなん ら収益を うみだ さない とすれば,利潤を追求す る民間企業が道路 建設 を行 うことは実際にはあ りえないだろ う。 したが って,道路が必要 な場合 には, 自治体が建設 しなければな らないことにな る。 このように,無収益性 は 道路 の公的な供給 を正 当化す るはずである。 しか しなが ら,ベル ト一 ・デ ュク リュ‑は,同時に, この よ うな場合 に限定を付 していた。つ ま り,道路 におけ る非排除性 といえ ど も,純粋 な形で はない とい うわけである。それで は,排除 が可能 な場合,すなわち収入が期待で きる場合 には,道路の私的な供給が行わ れ るのだろ うか。

私的供給が可能だ と考え るエ ンジニア ・エ コノ ミス トは少 なか った。かれ ら は,交通規制の問題が深刻 にな ってゆ くにつれて,公的供給 の必然性をよ り明 確 に認識 してい った と患われ る この問題 は,厳密 な意味での排除の費用の問 題を提起 したのである。交通規制の最大の障害 は,規則 に違反す る通行者 を取 り締 まる (排除す る)のが非常 に困難だ とい う点 にあった。ベル ト一 ・デ ュク リュ‑が車輪 の重量超過 を測定す る橋 ばか り (pont

a

.bascule)の有効性 に 疑 問を呈 した際 に指摘 したよ うに(12), 問題 は,規制 のための費用 ‑と りわ け,規則をすべての通行者 に厳守 させ るための人員 にかか る費用 ‑が大 きい と い うことだ った。エ ンジニアの多 くが,規制 よ りも自由化を求めた, もうひ と つの理 垣は, ここにあ ったのである。

このよ うな風潮のなかで,デ ュ ピュイはさ らに論を進 め,排除の費用の概念 を一般化 した。かれによれば, 「非常 に巨額 の徴収費用が商品に対す る通行料 (徴収)にかか る」(Dupuit,1852‑53,p.848)とい うわ けで あ る。 そ して, デ ュ

ピュイは,この理 由か ら,一般道路 の建設 に限定 しなが ら,補助金の よ うな,な

(12) BerthaultI)ucreux,1833,p.4.

(12)

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ん らかの政府の財政的な介入の必要性を主張 した。つ ま り,かれ は,財政的な 援助 とい う間接的な方法 にせ よ,公的供給 ・介入が正当化 され るには,排除の費 用が相対的に大 きい とい う条件が必要 な ことを明 らか に した と言え るだろ う

このよ うに,道路 における交通規制の問題 は,エ ンジニア・エ コノ ミス トたちに 規制 の費用 とい う問題 を意識 させ,最終的 にデ ュピュイの主張 に見 られ るよ う

に,排除の費用 とい う非排除性の経済的理 由の分析を可能 に したのである。

3 非 競 合 性

いままで 4種類 のタイプの非排除性 につ いての説 明を紹介 して きたよ うに, 土木公団のエ ンジニア ・エ コノ ミス トの大部分が道路 における交通サー ビスの 非排 除性 (また は排 除 の困難 さ) とい う特 性 に容 易 に気 が つ いたの に対 し て,公共財の もうひとっの特性,すなわち,そのサー ビスの等量消費 とい う非 競合性 の性質がエ ンジニアたちの関心をひ くことはほとん どなか った。唯一の 例外 は,フー リエ主 義者 のエ ンジニ ア, ルモ ワ ンヌ (NicolasRen6D6sir6 LEMOYNE,1796‑1862)で あ る(13)0

3‑ 1 非競合性の認識 と困難性

非排除性 と非競合性 に関す るエ ンジニアの認識 の非対称性 は,道路の費用の 特質か ら説 明す ることがで きるだろ う その特質 とは,敷設 のための固定費用 と比べて,道路使用 に伴 う限界費用 とみな しうる維持費 はあ る程度 まで は確か に無視 で きるはどの大 きさだが,通行量が その許容量を超 え ると,(混雑現象 が生 じるとともに)相対的に大 き くなるとい うものである。 これ に対 して,公 共財の費用的特質 は,固定費用が 巨額であるのに比 して,限界費用がゼ ロであ るか,無視 しうるほど微少であるとい う点 にある。限界費用が このよ うに小 さ いか らこそ,公共財 は容易 に追加 的な需要 を満 たす ことがで きるのである。同

(13)フー リエ主義者 としてのルモ ワンヌの著作 に関 しては,参考文献一覧(IJemOyne, 1833,1834,1838)を参照されたい。

(13)

なぜ政府が道路を作 るのか 309 時に複数の人間による消費の可能性,すなわち非競合性 とい う公共財の性質

は,費用の このような特質によるものだった。いま説明 したようなタイプの費 用構造を持つ交通路の例 としては,橋が挙げ られ る。デュピュイの費用分析に 見 られ るよ うに(14),橋 には維持費がかか らない と一般的に考え られていた のである しか しなが ら,すでに触れたよ うに,道路に関す る当時の大問題 は 維持費の増大だったO交通量の増加 に伴 う道路状態の劣悪化 自体,交通サービ スの質の低下 とい う意味で,すでに混雑現象 と見 ることがで きるし, このよう な状況のなかで,道路の交通サー ビスの非競合性を認識す ることは無理だ と言 え るだろう もっとも,不思議な ことに,エ ンジニアたちは道路の費用分析を ほとんど展開 していない。すでに紹介 した ミナールの (自由財的な)道路の費 用に関す る言及がある くらいで,固定費用 と限界費用の区別が読み取れるよう な費用分析 は皆無 と言 ってよい。おそ らく,かれ らの当面の課題がすでに建設 された道路の維持費 (限界費用)だ ったので,建設費 という固定費用を も含ん だ全般的な費用分析の必要性を感 じなか ったのではないだろうか。エ ンジニア

・エコノ ミス トたちが交通路の費用分析に正面か ら取 り組むのは,運河や鉄道 の体系的な建設が開始 されてか らである。 ともあれ,費用分析が欠如 している 以上,かれ らには費用の特質か ら非競合性の認識 にいた る道 は閉ざされてい た。さらに,広義の混雑現象がすでに現れていたのだか ら,道路の問題の具体 的な検討か ら, この公共財の もうひとつの特徴を把握す ることはできるはず も なかったのである。

以上の理由のはかに も,土木公団のエ ンジニアたちが非競合性を認識 しえな か った原因 として,ふたっの ことが考え られる まず,社会学的な観点か ら説 明 してみよう。一般的に言 って,人は置かれている状況によって,その認識の 範囲が限定 されている。エ ンジニア ・エ コノ ミス トが置かれていた状況 とは, 交通サー ビスの供給者だとい うことである。かれ らが非排除性 とい う特性に容 易に気づ くことがで きたのは,それが通行者の排除 という供給の側 に密接 に関

(14) Dupuit,1844,pp.374‑3750

(14)

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連す る現象だ ったか らだ と言え るだろ う。それに対 して,非競合性 は,主要 に, 消費の側の現象である。等量消費が十全 に保証 されているにせよ,あるいは逆 に,維持費の問題で問われたよ うに,混雑現象 によって等量消費が (部分的に) 妨げ られるにせよ,どちち に して も消費者の側の問題だ と言 って しまうことが で きる。そ うだ とすれば,政府機関のエ ンジニアとして消費者の利益を考慮 し ていたとは言え,基本的に供給者の立場に立っエ ンジニアたちには,非競合性

とい う現象 は見えに くか ったにちがいない。

もうひとつの原因は,認識の構造 に関わ っている。すなわち,人 は異質な も の と比較す ることよって,ある一定の特徴を認識す るとすれば,差異が存在 し ない場合 には, どのような特徴の認識 も不可能 だ ということである。 このよう な考え方か らすれば,あ らゆる交通路が,度合が異なるにして も,多かれ少な かれ非競合性を有す るという事実が問題 になる。つまり,鉄道だろうと運河だ ろうと,道路 と同 じように,複数の人間が同時にその交通サー ビスを消費す る ことがで きる点では変わ りがないのである。 したが って,エ ンジニアたちに とって,利用者が競合す るか しないか とい うことは,わざわざ指摘す るほどの 特徴 にはな りえなかったにちがいない。あるいは, このように非競合性 に関す る差異が存在 しない状況では,そ もそ も非競合性 とい う現象を認識す ることす ら,かれ らには不可能だ ったのか もしれない。 この推論 は,反面,エ ンジニア たちが鉄道や運河が容易に利用者を排除で きるのに対 して,非排除性が道路に 固有の特徴だと強調 していることか らも支持 され るはずである。 このように, 社会学的な問題 にせよ,認識論上の問題 にせよ,エ ンジニア ・エコノ ミス トの 発想 は,エ ンジニアであるとい う事実に規定されていた し,公共事業の具体的 な問題の検討の枠内にとどまりがちだった。 したが って,通常のエ ンジニアの 発想を超えて普遍的な経済思想の領域 に入 るためには,なん らかの立場の転換 を必要 とした。 このよ うに考えるな らば,公共財の概念の彫豚において, この 領域を越境 して非競合性の特質を明示 したのが,社会主義者の立場を貫いたル モ ンヌだ ったの も,不思議ではないだろ う。

(15)

なぜ政府が道路を作 るのか 311 3‑2 ルモワンヌの財の分類

ルモ ワ ンヌは,1830年 に 『土木工学雑誌 (JouTnalduGenieCivil)』 発表 した 「経済学 一通行料 と公衆 の使用 に供 され るべ き所有 に関す る原理 ‑

(Economiepolitique.Principessurlesp6agesetlespropri6t6squi doivent8treA1'usagedupublic)において,誰 に帰属すべ きか とい う基 準で もって,すべての財を分類す ることを試みている。そ こでは,所有権の所 在を財の特質 に応 じて確定す ることによって,通行料の徴収や公共体の費用負 担の問題を解決 しようとす る姿勢が見 られ る。 このよ うに,かれの問題意識の 出発点 は,明 らかにエ ンジニアの ものである。 しか し,それ と同時 に,所有権 に対す る強い関心 は,ルモ ワンヌが社会主義者だ った ことと決 して無関係では あ りえない と思われ る。 ともあれ,かれによれば,すべての財 は,その性質 に 基づ いて, 「自由な公共 の財産 (propri6t6spubliqueslibres)」, 「私 的 財産 (propri6t6sprivies), 「国家の財産 (propri6t6sdel'Etat)」の三 種類の所有に分類 され る。そ して, この所有の分析 を通 じて,かれは非排除性

と非競合性 とい うふたっの消費 における特徴を認識す るに至 ったのである。

公共財 は,従来,その消費の特性 (結合消費 と等量消費)か ら定義 されて き たが (15),近年,法 の経済学 的分析が進 むにつれて,財の特質 と所有権の あ り方 との関連が検討 され るよ うにな った (16).ルモ ワンヌの所有 の分析 は, このよ うな潮流 の先馬区をなす もの と評価す ることも可能だろ う。考 えてみれ ば,公共財の特質 と所有 の問題 は密接 に関連 してい るはずであ る。なぜな らば, 第‑ に,非排除性を有す る財は,ベル ト一 ・デ ュク リュ‑が言 うよ うに,収益

(15)代表的には,PaulA.Samuelson,̀̀ThePureTheoryofPublicExpenditure",

Review ofEconomicsandStatistics,vol.36,No.4November1954,pp.387‑

889and "I)iagrammaticExpositionofaTheoryofPublicExpenditure", Review ofEconomicsandStatistics,vol.37,No.4,November1955,pp.350

‑356

(16)このことに関しては,ロバー ト・D・クークー/ トーマス・S・ユーレン (太田勝 造訳) 『法と経済学』,商事法務研究会,1990年およびアンドリュー ・リーヴ (生越 利昭,竹下公視訳) 『所有論』,晃洋書房,1989年を参照した。

(16)

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を生 じないがゆえに,誰 もそれに対す る所有権を請求 した りしないだろうか ら である。また,第二に,消費における非競合性 とは,誰 もがおな じようにその サー ビスを享受できるということである。 この ことは,逆 に言えば,誰 もその 使用権 に対す る排他的な権利を持っ ことがで きない とい うことを意味 してい る。 このように考えるな らば,所有のあ り方をそれぞれの財の性質の究明と関 連 づ けて分析 しよ うと したルモ ワンヌの姿勢 は,十分 に理解 で きるはずで ある。 それで は,かれの財の分類を実際に見てゆ くことに しよ う 公共財の 特性 との関連で は,次 のふ たっの概念 ‑ 「自由な公共 の財産」 と 「過渡 的 (biensd6plac6S)‑にかれの独 自性が鮮 明に現れている

3‑2‑1 「自由な公共の財産」

ルモワンヌは 「自由な公共の財産」をっ ぎのように定義 し,消費における非 競合性の概念を明 らかに した。

「自由な公共の財産」 とは,「ある人がそれを所有 した り,したが っ て,ほかの人より多 くの利益をひさだす ことな しに,人々に対 して満足 感を与えることができる財」である (Lemoyne,1830,p.101)0

ここでは,非所有の事実が等量消費を保証す ると考え られている。すなわち,

「自由な公共の財産」は,排他的な所有権の もとに置かれ ることな く (したが っ て,特定の消費者を排除す ることな く),複数の人間に同 じよ うに (非競合的 に)満足感 (bien‑etre)を与え ることがで きる財なのである。 この引用文 に も所有権がルモワンヌの一貫 した問題意識になっていることが読み取れるが, 所有権 と使用権の明確な区別がなされていないこと,また,あとで通行料 との 関連で明白になるように, (排他的)所有の事実がただちに排除の可能性 と結

びつ くと考え られていることに注意 しなければな らない。

つ ぎに,ルモワンヌは, 「自由な公共の財産」を,物理的な所有の可能性を 基準 に して,紬分類す る。 それによれ ば, 「自由な公共 の財産」 は,第一

(17)

なぜ政府が道路を作るのか 313 に 「所有が不可能 な」財 と,第二 に 「所有 され ることがで きる物」で はあるが

公衆の使用 に供 され るままにな ってい る」物か ら成 り立 っている。ルモ ワン ヌが,第‑の範噂に含 まれ るもの として,太陽熱 を挙 げていることか らも理解 され るよ うに, 「所有が不可能 な「自由な公共の財産」 とは,私 たちの言 う 自由財 を指 して い る。実 際,かれ は, これ らを 「利益 (avantages)」また は 「自由財 (biensユibres)と呼び変 えて さえ いるのであ る。他方,第二 の 範 噂には,具体例 と して,道路や運河が含 まれて い る。そ して,ルモ ワ ンヌは, この第二 のグループが 「その性質か らして」所有す ることがで きる財であ るに もかか わ らず,「自由な公 共 の財 産 」に分 類 され る理 由 と して,それ らが 「複 数 の人 間が同時 に享 受す る ことので きる」財であることを挙 げてい るので あ

(Lemoyne,1830,pp.102‑106)

この よ うに, ル モ ワ ンヌは明確 に,非 競 合性 を交 通 路 の特 質 と して定 義 した。 かれの説 明を素 直 に読 めば,消費 の非競 合性 が交通 路 の基 本 的 な特 徴 で あ って, この特徴 を持 っ か らこそ,交 通 路 は排 除 (所有 ) の可能 性 が あ るに もかか わ らず, 自由な使 用 (権) を保 証 す るた め に,私 的所有 に は そ ぐわ ない財 と社 会 的 にみ な されて い る とい うことにな る。 19世紀 の前 半 に交通 路 にお け る消費 の非競合 性 を指摘 しえ たの は, ルモ ワ ンヌだ けだ っ た。 もっ と も,交通 路 に限定 しな けれ ば,消費 の非 競合 性 とい う こと 自体 は, 当時 にお いて も認 識 され て いた。 か れ の 同時代 人 た ち は,非物 質 的生 産物 が複 数 の人 間 によ って同時 に消費 され る こ とが で きる こ とを看 過 して はいなか った。一例 を挙 げ るな らば,∫.‑B.セ イ は文学 や知 的 な生産物 , あ るい は科学 的 な発見 や技術 な どが, 「公 共 の消 費 (consommationpubli que)の対 象 に な る こ とを指 摘 して い る(17) 。 だが , 誰 一 人 と して , 交 通 サ ー ビス もまた交 通 路 が生 み 出す 非 物 質 的生 産 物 で あ り, そ の他 の非

(1 J.B.Say,ibid.,p.475お よびpp.196‑197を参照のこと。J.S.ミルも,収益を要 求できないというかたちで,研究などの公共性 (消費の共同性)に言及 している。

principlesofPolilicilEconomy(1848),inCollectedWorksofJohnStuart Mill,tome,Toronto,TorontoUniversityPressandLondon,Routledge

&KeganPaul,1964,BookV,Chapterxi15(末永茂喜訳『経済学原理(五)』

参照

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