植民地時代と現在 : 国家の教育,村の学校 ―パプ アニューギニア ナカナイ族の小学校―
著者 山路 勝彦
雑誌名 国立民族学博物館研究報告別冊
巻 021
ページ 197‑212
発行年 2000‑03‑21
その他のタイトル Colonial Days and the Present : Education
Policy and a Rural Elementary School: A Case
Study from the Nakanai of Papua New Guinea
URL http://doi.org/10.15021/00003512
山路 国家 の教育,村 の学校
国家 の教 育,村 の学 校
パプ ア ニ ュ ー ギ ニ ア ナ カ ナ イ 族 の 小 学 校
山 路 勝 彦*
は じめ に
1 ナ カナ イ族 とそ の近 況
Ⅱ 制 度 と して の学 校 の 沿 革
Ⅲ 学校 の カ リキ ュ ラ ム
Ⅳ 国家 の教 育,村 の 学校 お わ りに
は じ め に
パ プ ア ニ ュ ーギ ニアの 国 家 体制 は,よ く知 られ て い る よ うに地 方 分 権 制 度 に基 づ い て い て,国 家 を形 成 す る19の 州 に は政 策 決 定 の うえで 多 くの権 限 が 委 譲 され て い る。
しか しなが ら,小 学 校 な どの学 校 教育 は 中央 の政 策 の も とで運 営 され て いて,国 家 を 単 位 と した 統 制 下 に 置か れ て い る。教 員 の養 成 と資 格 付 与,教 員 の給 与 体 系,カ リキ ュ ラ ムの 決 定 な ど,主 要 な 事 項 は 国 家 の 管 轄 す る権 限 に 属 して い る(Bray 1984)。 多 くの 国 と同 じ よ うに,国 家 建 設 の基 盤 作 りに 青 少年 の育 成 が 位 置 つ け られ てい るか ら で,パ プ ア ニ ューギ ニア で も学 校 教 育 は そ の一 翼 を担 って い る。 とは い って も,学 校 制度 そ の もの が西 欧 か らの制 度 的 輸 入 で あ るか ら して,い くつ もの難 問題 を 抱 え る こ とに な る。1974年 に ポ ー トモ レス ビーで 開 催 され た第8回 ワイ ガ ニ ・セ ミナ ー では, 教 育 理 念 や教 授 法,あ るい は地 域 社 会 に お け る学校 教 育 な ど,多 彩 な面 にわ た っ て こ の 国 が 抱 え る教 育 上 の諸 問題 が討 論 され た(Brammal&May 1975)。
そ れ か ら10年 た ち,社 会 的 ・経 済 的 変 化 に応 じて,学 校 教 育 が 近 代 的 な知 識 と技 能 を授 け る機 関 と して定 着 して くる と,教 育 を め ぐる議 論 も多 様 な 側面 で深 化 して くる。
大 学 教 育 を 含 め エ リー ト養 成 の 問題 や 近 代 的 職 種 の獲 得 と教 育 の関 わ り具 合 な ど,現 代 社 会 の 抱 え る問題 が提 起 され て も くる。 例 えぽ,パ プア ニ ュー ギ ニ ア大学 教 育 学 部
*関 西学院大学社会学部
Key Words : Nakanai, elementary school, curriculum, English education, modernity and tradition
キ ー ワ ー ド:ナ カ ナ イ 族,小 学 校 教 育,カ リキ ュ ラ ム,英 語 教 育,近 代 と伝 統
国立民族学博物館研究報告別冊 21号 の 研 究 会 で議 論 され る題 目 も,こ の よ うな現 代 的 関 心 に 裏 打 ち さ れ て い た(Bray&
Smith 1985)。 しか しなが ら,90年 代 に 筆 者 が パ プ ア ニ ューギ ニア の一 地 方,西 ニ ュー ブ リテ ソ州 で実 見 した 現 実 は,伝 統 と近 代 の相 克 を 交 え つつ,学 校 教 育 が未 だ定 着 し てい な い 状 況 で あ った 。 そ の 現実 は,一 面 では 国 家 形成 の難 題 を突 きつ け て い る よ う で もあ った 。 以下 の議 論 は,筆 者 が試 み た 野 外 調 査 に 基 づ き,西 ニ ュー プ リテ ソ州 の ナ カ ナイ 族 の 小学 校 を取 り上 げ,そ の教 育 内容,そ して 地域 社 会 との関 わ りを論 じる 試 み であ る。
Ⅰ ナ カナイ族 とそ の近 況
パ プア ニ ューギ ニア のす べ て の地 域 が そ うで あ る よ うに,西 ニ ュー ブ リテ ソ州 で も 多様 な言 語 集 団 が 共 住 す る地 域 で あ る。 公式 文 書 で ナ カ ナイ 族 と表 記 され る集 団,あ
るい は ロ ソと 自称 す る集 団 は そ の なか の一 つ で あ る1も それ は,言 語学 的 に は オ ース トロネ シア語 族 に 属 し,ア ウカ,マ ウ ト ト,ビ レキ とい う方 言 群 を 抱 え もつ 比 較 的 少 数 の 集 団 で あ って,そ れ ぞ れ は数 十 か ら百 キ ロ メ ー トル と,互 い に か け離 れ た 地 域 に 住 ん で い て,し か もそ れ ぞ れ の 周 囲 に は ま った く異 な る,非 オ ー ス トロネ シア系 統 の 言語 集 団 が取 り囲 ん で い る とい う複 雑 な環 境 に 置 かれ て い る。
最 初 に,こ の論 稿 の 主 人 公 で あ る ア ウカ系 住 民 の認 識 して い る周 辺 の 言語 集 団 を列 挙 して み た い。
ナ カ ナ イNakanai族(た だ し 自称 は ロ ソRoso族):
ピ レキBireki ア ウ カAuka マ ウ ト ゥ ト ゥMaututu マ ソ セ ンManseng族:ア ヴ ェ レAvere ア タAta族 :ワ シWasi マ ム シMamusi族 :サSa
こ の う ち,ナ カ ナ イ,マ ソ セ ソ,ア タ,マ ム シ は 「人 々(ア ヴ ァ ラ ル ワavararu‑
wa)」 を 指 す 言 葉 で,エ ス ニ ッ ク集 団 に 該 当 す る 。 これ に 対 して,ビ レキ,ア ウ カ, マ ウ ト ゥ ト ゥ,ア ヴ ェ レ,ワ シ,サ は,す べ て 「否(つ ま り英 語 の ノ ー,No)」 の 意 味 で あ る が,通 例 は 言 語(ア ヴ ァ カ ラ ラavakarara),も し くは 方 言 の 分 別 に 従 っ て
山路 国家 の教育,村 の学校
彼 らは 呼び 慣 わ され て い て,そ の 時 に用 い られ る名 称 で あ る。 これ らの 集 団 は,現 在 で は多 くが 山 間部 か ら街 道 沿 い に 移住 して き て,な か に は一 つ の村 に い くつか の言 語 集 団 が共 住 す る場 合 も見 られ る よ うに な った。 しか し,か つ て は言 語 集 団 ご とに領 域 を 区別 し,通 婚 さえ も稀 で あ った 。 この移 住 の契 機 に は,キ リス ト教 の 布 教 が 関係 し て い る。
この地 域 で キ リス ト教 の二 大 勢 力,カ ト リッ クと メ ソ ジス トの教 派 が 布 教活 動 を 開 始 した のは,両 大 戦 間 で あ る。 初 期 の うち は,宣 教 師 た ち は 山奥 で の活 動 を余 儀 な く され た が,1940年 代後 半 に至 る と,教 会 関係 者 は布 教 の 実 を あ げ るた め,人 々 に説 い て,街 道 沿 い に 移 住 し宗 派 の 同一 性 を も とに した 集 住 村 落 を形 成 す る よ う促 した。 こ うして,複 数 の 言 語集 団 を抱 え込 む 集 落 が随 所 に見 られ る よ うに な り,現 在 で は相 互 の通 婚 も行 わ れ る状況 に な った 。
こ うした 居 住 地 の移 動 の後 に,近 年 で は人 々 の生 活 様 式 も大 き く変 わ った。 一 つ の 象徴 的現 象 と して 出産 慣 行 を 取 り上 げ れ ば,60歳 代 以 上 の女 は ブ ッシ ュで 子生 み を し た経 験 を持 って い るが,そ の娘 以 降 の世 代 で は 出産 は も っぱ ら病 院 での 営 み で あ る。
昔 な が らの生 業 とい え ぽ,タ ロ,ヤ ム,そ してサ ツ マイ モ な どの芋 栽 培 で あ り,こ の 限 りで は以 前 は 自給 自足 的 な農 業 が 中 心 で あ った。 と ころ が,道 路 網 の 整 備,そ して 市場 経 済 の浸 透 は 農業 の あ り方 を 変 え,比 較 的 最 近 で は パ ー ムオ イ ル,カ カオ な ど換 金 作物 の栽 培 が 始 ま って い る。 州 政府 も農 地 の貸 与 を 行 い,村 人 にパ ー ムオ イ ル な ど の栽 培 を奨 励 す る。 こ う して現 金 収 入 の道 が 開 か れ る と同 時 に,米,缶 づ め,ビ ール, そ して洗 剤 な どの 日用 品 が大 量 に 流 入 す る よ うに な り,各 村 に は小 規 模 な 自営 的 な 小 売 り店 も現 れ る。とは い って も,州 都 の キ ンベ近 郊 に見 られ る大 規 模 な プ ラ ンテ ー シ ョ ソ農業 と比 べ る と,個 人 単 位 の零 細 農 業 の域 を 出 な い実 状 は否 定 で きな い 。 そ の状 況 は,市 場 経 済 へ の 離 陸 は端 緒 につ い た ぽ か りと言 った ほ うが適 切 で あ る。
Ⅱ 制度 としての学校 の沿革
パ プ ア ニ ュ ー ギ ニ ア で の 学 校 教 育 は,す べ て の 近 代 的 な 国 民 国 家 と 同 じ く,国 家 機 関 の 一 翼 を 担 っ て い る 。 現 在(1994年 以 降)で は8年 制 の プ ラ イ マ リ ー ・ス ク ー ル (primary school)と い う 名 称 が,そ れ 以 前 は6年 制 の コ ミ ュ ニ テ ィ ・ス ク ー ル (community school)と い う名 称 が 与 え られ て い た 学 校 は,言 う ま で も な く 国 家 が 管 掌 す る 教 育 制 度 で あ る 。 こ の 制 度 が 確 立 さ れ る 以 前,あ る い は 確 立 さ れ た 後 で も辺 ぴ な 山 間 部 で は,子 ど も た ち の 教 育 は キ リス ト教 会 の 布 教 活 動 の 一 環 と して,村 ご と
国立民族学博物館研究報告別冊 21号 の教 会 が 中 心 に な り,ビ レッジ ・ス ク ールvillage schoo1と い う名称 の施 設 で行 わ れ て いた 。 もち ろん組 織 的 に カ リキ ュ ラ ムを組 む ことは な く,算 数 な どの簡 便 な実 利 的 知 識 を 教 授 す る こ とが 中心 で あ った。 同時 に聖 書 の 講 話 も主 要 な 目的 で あ った。 教 材 は英 語 の 出 版 物 を利 用 してい た が,生 徒 の能 力 に 合 わ せ,ナ カ ナ イ語 と ピ ジ ン語 との 併 用 が 試 み られ て い た。 パ プ ア ニ ュ ーギ ニ アが 独 立 国 家 と して誕 生 す る以前,山 間部 に住 む ナ カナ イ族 ア ウカ方 言 群 で の教 育 活 動 を 村 落 ご とに概 括 してみ た い。
ビビ シBibisi村:
山 間部 に あ った この 村 で は,1960年 に メ ソ ジス ト教会 が 「ピ ビシ ・ヴ ィ レ ッジ ス クール 」 を 設 立 し,こ の学 校 は62年 まで 続 い て い た 。 簡 便 な 英 語 の テキ ス トを 宣 教 師 や 地 元 の識 者 が ナ カ ナイ 語 に 訳 して 子 ど もた ちに 教 え て い た 。 数 学,保 健,農 業 な ど の実 利 科 目を 教 え る と と もに,聖 書 な どの 宗 教 も講 話 して い た 。 時 と して 宣 教 師 は トー ライ 語 も交 え,聖 書 の 話 を して い た 。 とい うの も,こ の 地 域 で の 布 教 活 動 は,ト ー ライ 族 の 住 む ラバ ウル を 本 拠 地 と して い た か らで あ る。
ウ ムUmu村=
や は り山 間 部 に あ った この 村 に は,1963年 に メ ソ ジ ス ト教 会 に よ って 「ウ ム ・ヴ ィ レ ッ ジス ク ール 」 が 設 立 され,翌 年 まで 開校 され て い た 。 オ ー ス トラ リアで 出 版 され た 英 語 の 本 を 教 材 と し,宣 教 師 や 村 の 有 識者 が 中 心 とな って ナ カナ イ 語,ピ ジ ソ語 を 用 い て 授 業 し て い た。 この 村 は,地 震 の被 害 の た め,80年 代 に 次 に 述 べ る ワシ ラオ 村 の 隣 りに 移 住 して い る。
ワ シ ラオUasilao村:
大 戦後 に 建 立 され た ワ シ ラオ 村 は,ア ウ カ系 統 とア タ系統 の メ ソジ ス ト教 徒 が 共 同 して 建設 した 村 で あ る。1957年 に 「ワ シ ラオ ・ヴ ィ レ ッジ ス クー ル」 が設 立 され た 。 街 道 沿 い に建 立 され た た め生 活 の便 利 さ が あ り,そ の後 ウム村 を 含 め,他 の ア ウ カ系 統 の 人 た ち も この近 隣 に 移 住 して 来 る。70年 代 に ワ シ ラオ ・コ ミュ ニテ ィ ・ス ク ール が 公 的 教 育 機 関 と して設 立 され る と,近 隣 の村 落 も校 区 に もち,こ う して ア タ系 とア ウカ 系 との 複 数 の言 語 か ら構 成 され る複 雑 な構 成 に な った 。
この ワシ ラ オ小 学 校 は,そ の後 この 地 域 の教 育 機 関 と して 中 心 的 な役 割 を果 た して い く2も も っ とも こ の学 校 自体 は,1994年 に新 た に学 制 改革 と して再 編 され た8年 制 の プ ライ マ リー ・ス ク ール が 近 隣 村 に 登 場 す る こ とに よ って 廃 校 に な った が3),そ れ まで は この地 区 の 学校 教 育 の拠 点 で あ った。 ワシ ラ オ小 学校 の特 色 は,教 師 と生徒 と
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の双 方 が 多 言 語 的 に構 成 され て い る こ とに あ り,そ の 意 味 で は典 型 的 な パ プア ニ ュー ギ ニア の学 校,そ の もの で あ った 。 そ こで,こ の学 校 に 焦 点 を絞 り,学 校 の あ り方, 例 え ぽ教 育 内容 と方 法 を通 してパ プ ア ニ ュー ギ ニア が抱 え る諸 問題,す なわ ち,地 域 生 活 と国 家 との関 係 を 考 え て い きた い。
最 初 に 教 員 の横 顔 を紹 介 して お きた い 。 ワ シ ラオ 小学 校 の 校 長(現 在 は ラ ロポ 小学 校 長)は,山 奥 に住 む ア ウ カ系統 の村 に生 まれ た40歳 代 後 半 の 人 物 で あ る。 彼 は,末 端 部 で の行 政 的権 限 は持 って い な い が,近 代 的 教 育 を 受 け た知 識 人 と して村 落 で は声 望 を集 め てい る人 物 で あ る。 個 人 的 力量 に よっ て富 を 築 き,そ の富 を 村 人 に分 配 す る こ とに よ って政 治 力 を発 揮 す る とい う伝 統 的 な メ ラネ シ ア型 とは異 な った タイ プの指 導 者 と して,村 落 の諸 行事 で は発 言 力 を持 って い る。 メ ソジス トの伝 道 者 で あ った父 の影 響 で キ リス ト教 の素 養 を幼 く して身 に 付 け た彼 は,成 長 して ラバ ウル市 の カ レ ッ ジ を卒 業 し,教 員 に な った とい う経 歴 を持 って い る。 この略 歴 が 示 す よ うに,彼 は キ
リス ト教 の伝 統 と英語 での 教 養 を 身 に付 け た 新 しい 型 の知 的 指 導 者 の 一 員 で あ る。
生 徒 の場 合 と同 じよ うに,教 員 の 出 身地 も また 変 異 に富 ん で いて,ア ウカ系 統 の こ の校 長 の ほか に,ア タ系,同 じナ カナ イ族 の ビ レキ系,そ して ブ ー ゲ ソ ヴ ィル 島 な ど パ プ ア ニ ュー ギ ニ ア の他 の地 域 の 出身 者 と,多 様 な言 語 集 団 の 出身 者 で構 成 され て い る。 これ か ら類 推 され る よ うに,多 民 族 国 家 と して の パ プ ア ニ ュ ーギ ニアで は複 雑 な 教 育 問 題 が 生 じる。 生 徒 と教 員 との双 方 が と もに 複数 の言 語 使 用 者 か ら構 成 され て い る とい う事情 は,後 にみ る よ うに学 校 での 教授 方 法,そ して 生徒 の学 習 態 度 な どに 複 雑 な状 況 を 作 り出 して い る。
Ⅲ 学 校 の カ リキ ュ ラ ム
パ プ ア ニ ュ ーギ ニ アの 学 校 制 度 は,90年 代 前 半 で は6学 年 制 の 小学 校community schoolを もち,こ の小学 校 卒 業 者 に は4学 年 制 の 中学 校(provincial high school)が
開か れ て いた 。 他 の地 域 と同 じ くワ シ ラオ小 学 校 は2学 期 制 で,第1学 期 は1月 末 に始 ま り6月 末 に 終 わ り,2週 間 の 休 暇 を挟 ん で,第2学 期 は7月 第2週 に 始 ま り12月上 旬 に 終わ る。 学 校 は 月 曜 日か ら金 曜 日まで の週 五 日制 で,日 課 は朝 の7時45分 か ら校 庭 で の 国 旗掲 揚,国 歌 合 唱 で始 ま る。 そ れ らは ま さ し く国 家 に よ る儀 礼 行 為 に ほ か な らず,こ の よ うな儀 礼 行 為 か ら も学 校 教 育 が新 興 独立 国家 パ プ ア ニ ュ ーギ ニ アの 国 家 意 識 を高 揚 す る契 機 と して位 置 づ け られ て い るの を知 る ことが で き る。
学 科 目を主 体 と した授 業 は8時 か ら開始 され る。 もち ろ ん学 年 ご とに授 業 科 目・そ
国立民族学博物館研究報告別冊 21号 して 時 間割 は異 な るが,全 学 年 を通 じて 言 え る こ とは,近 代 的 な科 学 的 知 識 を生 徒 に 付 与 す るの が主 要 目的 で あ る と向時 に,英 語 教 育 と宗 教 教 育 との比 重 が大 きい とい う 特 色 が あ る。 表1で 例示 す る の は第4学 年 の 時 間 割 で あ るが,カ リキ ュ ラ ムの組 み 方 は 全 学年 を通 して基 本 的 に は 同 じ特 徴 が 認 め られ る。
この 時 間割 通 りに授業 が進 行 す る ので は な い が,学 校 側 と して生 徒 に何 を教 授 し よ うと して い る か は,こ の表1か ら分 か る。 まず 第一 の特 色 と して,英 語 学 習 の比 率 が 高 い こ とが指 摘 され る。時 間 割 で リー デ ィソ グ,リ ス ニ ング,ラ イ テ ィ ソ グな どと記 され て い る科 目は 「英 語 」 に つ い て であ り,「読 み 」,「話 す」,「聞 く」,こ とに力 点 が
表1 ワシ ラオ小 学 校 の 時 間割(4学 年)
7.45‑8.00 8.00‑8.15 8.15‑‑8.30 8.30‑8.45 8.45‑9.00 9.00‑9.05 9.05‑ 9.20 9.20‑ 9.40 9.40‑10.00 10.00‑10.15 10.15‑10.30 10.30‑10.45 10.45‑11.00 11。00‑11.30 11.3(》‑12.00 12.OO‑12;30 12.30‑ 1.00
1.00‑1,30 1.30‑2.00
Mon.
assembly read三ng
maCS
b/cast spehing talking writing
Tue.
assembly reading
listening
Wed.
assembly reading
oral expr.
Thu.
assembly reading
oral expr.
Fri.
school devotion
reading
let's speak English
spelling talking writing
spe皿ing talking writing
spelling talkil19 writing
sp/dict.
talking writing receSS
Christian education
writing maCS com.1ife
oral expr maCS phy.edu.
writing maCS
phy.edu
science
phy.edu.
reading
listening phy.edu.
lunch
maCS
com」ife
maCS
exp.art
w/comp.
com.life
maCS healt11
exp. art
agricul.
注)略 記 号 説 明
b/cast=broad cast, com.life=community life w/comp=writing composition, exp. art=expressive art oral expr=oral expression, phy. edu=physical education
山路 国家の教育,村 の学校
置 か れ て い る。 英 語 の 時 間数 は合 計 で670時 間 で,総 時 間 数1,650の うち,4割 を 占め て い る こ とか ら,そ の比 重 の 高 さが分 か る。 イ ギ リス,そ して オ ース トラ リア の植 民 地 で あ った この 国 は,現 在 で も英語 を公 用 語 と してい て,学 校 教 育 もそ の 影響 下 に置 かれ てい るわ け で あ る。
英 語 教 育 の 偏 重 は,英 語 の時 間 割 が多 い のみ な らず,社 会 科 や 数 学 の時 間 で さえ, 使用 言 語 が ほ とん どが英 語 で あ る とい う事 情 に も表 れ て い る 。入 学1年 生 の 時 か ら, 教 師 はほ とん どの 時 間 を英 語 で話 し,英 語 で板 書 し,生 徒 は それ を ノ ー トに 英語 で筆 記 す る とい う よ うに,授 業 は進 行 す る。卒 業 後,上 級 学 校 へ の進 学 を希 望 す れ ば,英 語 で の入 学 試 験 を 受 け な けれ ば な らな い 。最 初 か ら最 後 まで,学 校 は 英 語 漬 け で あ る。
第二 の特 色 と して は,キ リス ト教 関 係 の 科 目が毎 日組 まれ て い る こ とであ る。 月 曜 か ら木 曜 日 まで の 「キ リス ト教 教 育 」 は 聖 書 の朗 読 や 賛 美 歌 の 練 習 の時 間 であ り,金 曜 日の朝7時45分 か らの30分 間 は,先 生 と生徒 が教 会 の活 動 に つ い て話 し合 う時 間 で
あ る。 パ プア ニ ュー ギ ニア で は植 民 地 時 代 に キ リス ト教 の布 教 が 始 ま り,今 では 多 く の地 域 で そ の教 会 が 生 活 の 中 心部 に根 を 下 ろ して い る。 そ の キ リス ト教 会 は布 教 を す る傍 ら,宣 教 師 た ちが 中 心 に な って西 欧 的 知 識 を 植 え付 け る教 育 を して きた歴 史 が あ る。 そ の 歴史 は無 視 す る こ とは で きず,現 在 で も学校 教 育 に反 映 され て い る。
学 校 で 習 うキ リス ト教 関 連 科 目は,単 な る教 養 の域 を越 え てい て,実 学 的 意 義 が あ る。 日曜 日ご との礼 拝 は言 うに 及 ぼず,地 域 社 会 の係 わ る様 々 な行 事 に は最 初 に ミサ が捧 げ られ る場 面 が 多 く,こ の機 会 とば か り生 徒 た ちは賛 美 歌 を歌 う。 小 さい ときか らの賛 美 歌 の学 習 を通 して,人 々は キ リス ト教 に馴 染 ん で い る と言 え るほ どで あ る。
第 三 の特 色 は,学 校 が近 代 国家 の な か の一 機 関 と して 設立 され て い る こ とに 関連 し て い る。 国民 国 家 を 打 ち立 てた あ らゆ る国 で は,国 民 を 統 合す る機 関 と して 学校 教育 を 制 度化 して きた 。 学校 教 育 が 国家 理 念 を植 え付 け る思 想 教 育 の場 と して,あ るい は 国 民 統 合 を果 た す た め の知 的機 関 と して 設 立 され た歴 史 は,日 本 を は じめ 多 くの 国 で 見 る こ とが で き る。 そ の た め の 国家 意 志 を 反 映 す る特 別 な カ リキ ュ ラムが 組 まれ る こ とが あ った が,他 方 で,西 欧 で展 開 した 近 代 的 知 識 の教 授 を 行 うとい う性 格 も,あ ら ゆ る国 で 共 通 して 見 出 され る。数 学 や 理 科 な ど,普 遍 性 を追 求 す る科 目が存 在 す るの は,そ のた め で あ る。 ワシ ラナ小 学 校 で は合 計 で210時 間 と,他 の 科 目に 比 して 数 学 の時 間 が 多 い の が 目立 つ。 こ こに は,近 代 的 知 的 施 設 と して学 校 が 位 置 づ け られ てい
る,と い う特 色 が あ る。
この第 三 の 特 色 と関連 させ て言 え ば,社 会 科 や 理 科,あ る い は保 健 な どの科 目も近 代 的知 識 を 授 け る道 具 と見 る こ とが で き る。 社 会 科 は,地 域 社会 や 国家 の仕 組 み に直
国立民族学博物館研究報告別冊 21号 接 関 わ る教 材 であ るか ら,国 家 が 望 む 国 民 像 を 直接 的 に映 し出 して い る と言 え る。 と りわ け 小学 校 の高 学年 に ま で進 む と,生 徒 の理 解 力 に合 わ せ て 国家 作 りの骨 格 を説 明 す る内容 が盛 られ る よ うに な る の で,こ の種 の研 究題 材 と して教 科 書 の分 析 は好 都 合 で あ る。 そ こ で,学 校 で の教 科 書 を 検 討 し,ど の よ うな知 識 が教 授 され てい るか考 え て み よ う。 この 村 の 学 校 で も,パ プ ア ニ ュ ーギ ニア教 育 省(Department of Educa‑
tion)で 作 成 され た,次 の よ うな教 科 書 が 使 用 され て い る4も 主 な 教 科 書 の題 目 と簡 単 な 内 容 を紹 介 して み た い。
Land and Life in PNG(4年 級)
地 勢 。 動 植 物 。 ニ ュ ー ギ ニ ア 各 地 の 景 観 。 Transport in PNG(5?年 級)
輸 送 手 段 の 今 昔 。 Early Times(?年 級)
先 史 時 代 の 生 活 。 農 耕 生 活 。 ハ イ ラ ソ ダ ー と 沿 岸 部 の 生 業 。 Using Our Resource(?年 級)
鉱 山 資 源 。 高 地 の 資 源 開 発 プ ロ ジ ェ ク ト。
National Govern〃lent(5年 級)
国 会 議 員 の 選 挙 。 中 央 政 府 の 組 織 と機 能 。 国 旗 と 国 章 。 The Resources of PNG(5年 級)
土 地 と森 林 ・鉱 物 資 源 。 Government in PNG(6年 級)
通 史 的 に み た 伝 統 的 な,も し くは 植 民 地 時 代 の 行 政 組 織 。 現 代 の 国 会 組 織 と 中 央 政 府 の 役 割 。 州 政 府 の 意 義(地 方 分 権decentralisation政 策)。
Money(6年 級)
貝 貨 か ら始 ま っ て 貨 幣 の 歴 史 。 現 代 の 通 貨 。 銀 行 の 役 割 ざ The Story of our Pas t(7年 級)
先 史 時 代 。 植 民 地 時 代 。 第 二 次 世 界 大 戦 。 独 立 。 Papua New Guinea」rts Land and Peoρle(7年 級) 自 然 環 境 と土 地 利 用 。
People and Places(7年 級)
村 落 生 活 の 成 り立 ち 。 ソ マ リ ア,イ ン ド,イ ギ リス の 村 落 。 ポ ー トモ レ ビ ー の 都 市 コ ミ ユ ニ ア イo
Families(7年 級)
家 族 の 意 義 と類 型 。 社 会 と 家 族 。 結 婚 と 家 族 問 題 。
山路 国家の教育,村 の学校
社 会 科 の教 科 書 は 身 の 回 りの地 理,歴 史 か ら始 ま って,し だ い に新 興 国 家 の 成 り立 ち を教 え る 内容 とな って い て,あ わ せ て 家族 な どの現 代 的 問題 に ま で進 ん で い く。 全 体 と して は,近 代 国 家 と して の パ プ ア ニ ュ ーギ ニア を いか に 生 徒 に教 え るか に 関 心 が 払 われ て い る,と 言 え る。 す で に先 行 研 究 が指 摘 してい る よ うに,パ プ ア ニ ュ ーギ ニ アの教 育 体 系 は 「基 本 的 に は西 欧 の 制 度 と哲学 の も とにあ り,西 欧 式 の 経 済 に役 立 ち, 西 欧式 の知 識 の 伝 達 に連 動 して い る」(Romaine 1992:78)。
近 代 社 会 を 扱 う科 目は,「 保 健 」 に も見 る こ とが で き る。 例 え ば,5年 生 の 教 科 書 は2冊 用 意 され て い て,目,耳,鼻,歯,頭 な どの病 気 の 簡 易 な 処置 を扱 った 教 科 書 と と もに,タ バ コ,酒,ビ ン ロ ウの害 毒 を 指摘 す る教 科 書 も採 用 され て い る。 メ ラネ シ ア人 の 目常 の嗜 好 品 と して喜 ぼれ る ビン ロ ウは,最 近 で は 喉 頭 ガ ンを誘 引 す る発 ガ ソ物 質 と して宣 伝 され る よ うに な っ てい るが,学 校 教 育 は 一 早 く近 代 医学 の知 識 を 広 め よ う と してい る。 こ うして保 健 ・衛 生 の観 点 か ら,学 校 は 近 代化 教 育 の拠 点 に な っ て い る。
最 後 に,第 四 の 特 徴 と して,こ う した 近 代教 育 の補 完 と して 実科 教 育 の 「農 業 」 が 組 まれ て い る ことが 挙 げ られ る。 わ ず か な時 間 とは い え,金 曜 日の午 後 に組 まれ た こ の授 業 で は,生 徒 た ち は 学校 の菜 園 で果 樹 そ の 他 の栽 培 に 励 む こ とに な っ てい る。 そ の収 益 は生 徒 た ち に,例 え ぽ運 動 具 代 と して還 元 され る こ とか ら,子 どもた ち の楽 し み の場 と もな って い る。 ほ とん どの家 庭 が 農 業 を営 ん で いて,そ の知 識 は 親 か ら得 る こ とが で きる ので,教 師 は何 も農 業 指 導 を す る必要 もな く,そ の 状況 か らす れ ぽ 余 分 な授 業,あ る いは 娯 楽 性 の 強 い科 目 とい う印象 を与 え やす い 。 しか しなが ら,こ の授 業 は別 の意 義 を 持 って い る。 学 校 教 育 も生 徒 を取 り巻 く生 活 環 境 か ら完 全 に遊 離 して は成 り立 たず,人 々が 農 業 に依 存 して い る現 実 を反 映 せ ざ るを え な いわ け で あ る。 そ の 事 実 は,近 代 知 を 教 え 込 む こ とを基 調 と して い て も,現 実 の 生 活 実体 を無 視 しては 教 育 が成 立 しえな い こ とを物 語 っ て い る。
これ に 関連 して 言 えぽ,し ぼ しぼ授 業 が 戸 外 で もたれ る例 が あ り,そ の機 会 に教 師 は 生徒 と一 緒 に ナ カ ナイ 族 や近 隣 社 会 の風 俗 習慣 を話 し合 う場 を設 け て い る。 伝 統 的 な婚姻 儀 礼 や 母 系 トーテ ム制 度 な ど が話 題 に 上 り,児 童 の関 心 も呼 び起 こ され る課 外 授 業 で は あ るが,こ れ な ど も,学 校 教 育 の カ リキ ュ ラ ム もまた 現 実 の 生活 基 盤 を無 視
で きな い とい う例 で あ る。
国立民族学博物館研究報告別冊 21号
Ⅳ 国家の教育,村 の学校
ワ シ ラオ小 学 校 の社 会 科 の授 業 で は,伝 統 と現 代 を 対置 させ,M伽 砂 とい う教 科 書 を 用 い て近 代 社 会 の仕 組 み を 教 え た り,Government in PNG/Nationat Govern一
ment とい う教 科 書 を通 して民 主 主 義 の仕 組 み と理 念 を 教 え た りす る教 育 が な され て い る。 この ほ か に,数 学 な どの教 科 目を あげ れ ば,近 代 の知 識 体系 の基 礎 は 十 分 に 与 え られ る こ とに な る。 近 代 的 国 家 と して のパ プ ア ニ ュ ーギ ニ アを 生 徒 に教 え込 も う と す る教 師 の 努 力 は,た だ 授 業 で の営 みだ け で は 終 わ らな い。 何 人 か の教 師 は,教 室 の 壁 に パ プ ア ニ ューギ ニア の世 界 との 係わ りを 図 示 す るポ ス タ ー を張 り巡 らす こ とで, 近 代 を教 え込 も うと熱 心 であ る。
例 え ば,・3年 生 の 教室 には パ プ ア ニ ュ ーギ ニ アを 中 心 に据 え た世 界 地 図 が張 られ て い て,世 界 の大 都 市 の名 前 が 太 字 で 書 き込 まれ て い る(表2)。 そ の都 市 は ア メ リカ, オ ース トラ リア,ヨ ー ロ ッパ の も ので あ り,そ れ ら と並 ん で,日 本 の東 京 と大 阪 とが そ の地 図 に は書 き込 まれ て い る。 小 学校3年 生 の水 準 では,世 界 地 図 の認 識 が簡 単 な のは 当然 で あ る と して も,さ しあた り,こ の描 写 か ら二 つ の事 実 が指 摘 され る。 第 一 に,欧 米 に 比重 が置 か れ た世 界 認 識 が 強 調 され て い る ことで あ る。 教 師 自身 の個 人 的 指 向性 が あ るに して も,英 語 を媒 介 として宗 主 国 オ ー ス トラ リア の世 界 認 識 が 直輸 入 され て い る と,そ の記 述 か ら読 み とる こ とが 可能 で あ る。 そ の 事 実 は,今 なお 植 民 地 的 状 況 が健 在 で あ る こ とを告 げ て い る。 第 二 と して,欧 米 の ほ か に ア ジ ア では 日本 だ け を記 して い る書 き方 が 印 象 的 で あ る。 日本 との 関係 が深 い の は,第 二 次大 戦 で パ プ ア ニ ューギ ニ アが 日本 軍 の戦 場 に な った とい う体 験 的事 実 に も よ るが,欧 米 と と もに 日本 が 記 され て い るのは,明 らか に経 済 関 係 を 基礎 に お いた 世 界 認 識 を生 徒 に吹 き込 む意 図が あ って の こ とで あ る。 そ の教 室 には,ま た パ プア ニ ューギ ニ アの輸 出国 が 図 解 され た ポ ス タ ーが張 られ て い る(表3)。 そ の ポ ス タ ーを 見 て,例 え ぽ銅 な どの 産
表2 小学 校3年 生 の 教 室 に張 られ た ポ ス ター,「 世 界 の 都 市 」 パ プ ア ニ ュ ー ギ ニ ア ラ バ ウ ル,ラ エ,ゴ ロ カ,ポ ー トモ レス ビ ー
ア メ リ カ サ ソ ・フ ラ ン シ ス コ,ロ ス ・ア ソ ジ ェ ル ス,ニ ュ ー ヨ ー ク オ ー ス トラ リ ア ブ リ ス ベ ン,シ ド ニ ー,キ ャ ソ ベ ラ,メ ル ボ ル ソ
ヨ ー ロ ッパ ス ト ッ ク ホ ル ム,ハ ン ブ ル グ,ア ム ス テ ル ダ ム,ロ ソ ド ソ,パ リ, ミ ラ ノ,ボ ル ドー
日 本 :東 京,大 阪
山路 国家 の教育,村 の学校
表3 小 学校3年 生 の 教 室 に張 られ た ポス タ ー, 「輸 出 国 」
E.E.C.
イ ギ リス
日本 ア メ リカ
オ ー ス トラ リ ア:木 材,
コブラ,コ ー ヒ ー,コ コ ア, ゴ ム
:茶,除 虫 菊,コ ブ ラ,コ ー
ヒ ー
:コ ブ ラ,魚,木 材
:コ ブ ラ,ゴ ム,木 材
ゴ ム,コ フ フ,コ ー
ヒ ー
品 が な い 不 思 議 さは 問 わ な い と し て,こ の表 を通 して分 か る こ とは, 経 済 関 係 を 通 し て 世 界 と パ プ ァ
ニ ュー ギ ニア との係 わ りを知 らせ よ うとす る教 師 の 姿勢 で あ る。
この よ うな ポ ス タ ー は,壁 に張 ら れ た 絵 画 と同 じ く,生 徒 に と って格 段 に意 識 さ れ る こ とは な い代 物 か も 知 れ な い。 しか しな が ら,こ の よ う な知 識 も知 らず 知 らず の うち に は生 徒 に 感化 を及 ぼす はず で,外 国 につ いて の 情報 源 の 乏 しい社 会 で は有 効 な教 育 手 段 と して価 値 が あ る。 何 気 な い教 師 の 日常 活 動 に も, パ プア ニ ュー ギ ニ アを 近代 世 界 との係 わ りの な か で教 え よ うとす る教 師 の営 み が 表 れ て い る。
教 室 に張 られ た ポ ス タ ー とい え ぽ,ほ か に もい くつ か見 られ る。 そ の なか に は 端 的 に 学 校 の教 育 方 針 を掲 げ た もの もあ る。 す で に 見 た よ うに,ワ シ ラ オ小学 校 では キ リ ス ト教 と英 語 の比 重 が 大 きい とい う特 色 が あ り,そ の 特 色 を織 り込 ん だ うえ での 近 代 教 育 が 目標 で あ った。 こ こに興 味 あ る資 料 が あ る(第4表)。 そ れ は,5学 年 の 教 室 の壁 に 張 られ た ポ ス タ ー で,こ の学 校 の教 育 目標 を 掲 げ た標 語 が 書 か れ て い る。
標 語 とは あ くまで も 目標 達 成 のた め の歌 い文 句 で あ るか ら,こ の壁 に張 られ た標 語 も学 校 側 の 目指 す 努 力 目標 にす ぎな い,と 言 え るか も知 れ な い。 しか しな が ら,こ の 標 語 は 先 の 時 間 割 に 見 られ た 教 育 方針 を見 事 に要 約 して い る。英 語,数 学,キ リス ト 教 を 柱 と した カ リキ ュ ラム編 成 は,こ う して 日常 的 に も生 徒 の 目に触 れ なが ら,強 調 され てい る。い や が うえに も,生 徒 に と って の 日常 性 は教 室 空 間 に 埋 め込 まれ てい る。
表4 5年 生 の 教室 に張 られ た ポ ス タ ー
目的:子 ど もた ちを 道徳 的 に,身 体 的 に,社 会 的 に,精 神 的 に発 達 させ る こ と。
目標:1す べ て の 子 ど もの学 科 知 識 を 向上 させ る。
2 十 分 な知 識 の 宗教 教 育 を与 え る。
3子 ど もた ち の 態度 や行 動 が 社 会 的 に 高 く評 価 され る よ うにす る。
4 高 水 準 の 英 語 が話 せ る よ う奨 励 す る 。
対 象:学 年 末 ま でに,す べ て の 子 ど もは 次 の こ とを 習得 で きる よ うにす る。
1英 語 の読 み 書 き と会話 が正 確 に で き る よ うに す る。
2四 則(加 減 乗 除)の 計 算 を使 って数 学 の 問題 が正 し く解 け る よ うにす る。
国立民族学博物館研究報告別冊 21号 そ れ な らぽ,学 校 側 の用 意 す る知 的 操 作活 動 を生 徒 側 は どの よ うに受 け とめ て い る の で あ ろ うか 。
こ こで,こ の地 域 の言 語 地 図 を想 起 して い た だ きた い。 この近 辺 で話 され て い る 日 常 言 語 は ナ カ ナイ 語,ア タ語 な ど多 様 で あ る し,教 師 もパ プ アニ ューギ ニ アの 各地 か ら赴 任 して来 て い るの で,学 校 内 で飛 びか う言 語 は 複雑 で あ る。この よ うな状 況 では, 各 自が在 地 語 を 使 う限 り,学 校 内 の会 話 は成 立 しな い。 た い て い の人 々が 話 せ る言 語 とい え ぽ,ピ ジ ン英語 が あ る。 この ピジ ンを使 えば,日 常 会 話 で意 思 の 疎 通 が 図 れ な い とい う事 態 は 避 け られ る。 とこ ろが,授 業 で使 用 され る言 語は 公 用 語 と して の 英 語 で あ り,英 語 の方 が ピジ ンよ り格 式 が 高 い言 語 と い うこ とで,教 師 も英 語 を多 用 す る。
英 語 学 習 を強 調 す る建 て前 か ら言 って も,英 語 の多 用 は 避 け られ な い こ とで あ る。
1983年 に制 定 され た 「教 育 法 」 では,そ れ ま で の英 語 偏 重 教育 を修 正 し,「英 語 」,
「数 学」 な どを 除 い た 「非 主 要 科 目」 で の在 地 語 授 業 を認 め て い る。 そ の背 景 に は, ブ ー ゲ ソ ヴ ィル 島 民(北 ソ ロモ ン州)や エ ソガ族(南 ハイ ラ ソ ド州)が 試 み た 教 育 で の 「分権 化 」 運動 が あ る。 す で に70年 代 に,ブ ー ゲ ソ ヴィル で は小 学 校 の カ リキ ュラ ム編 成権 を州 政 府 の 管轄 に置 き,在 地 語 を導 入 して の授 業 が 取 り入 れ られ て いた 。 政 治 の 水 準 で の地 方 分 権意 識 が,教 育 面 で も地 域 色,も っ と正 確 に言 えぽ エ ス ニ ッ クな 水 準 で の特 色 を 生 み 出 して いた 。 地 方 分権 政 治 を標 榜 す る中 央政 府 と して も,こ うし た 動 きに 同調 せ ざ るを得 な い社 会 的 事 情 が あ った か ら であ る。
これ に対 して,複 雑 な言 語 構 成 を とる ワシ ラオ 小学 校 で は 在地 語 の取 り込 み は 不 可 能 で あ った。 も っ と も学 校 の授 業 で,実 際 に,時 と しては ピ ジ ソ も使 用 して い る。 し か しな が ら,使 用 テキ ス トは英 語 で書 か れ て い る し,教 師 自体 が英 語 教 育 を 受 け て き て 英 語 を得 意 と して い る背景 もあ り,教 師 の立 場 か らす る英 語使 用 の便 利 さは疑 えな い 事 実 と してあ った 。 中学 へ の入 学 試 験 は英 語 で 出題 され る とい う事 情 もあ り,こ う
表5 ワシ ラオ 小学 校 生 徒 数 (1992年9月 現 在)
学 年
1 2 3 4 5 6
生徒数
44 38 26 23 21 16
して 勢 い,英 語 偏 重 の教 育 は 続 行 して い か ざ るを え な か った 。
当 然 予 想 され る よ うに,こ の よ うな状 況 は, す べ て の 生 徒 に と っ て満 足 を もた らす も の で は な か った 。 入 学 した て の,ABCの 初 歩 さえ も知 ら な い 生 徒 に と っ て,英 語 で の 算 数 の授 業 は 苦 痛 そ の もの で あ っ た に 違 い な い し,実 際 に 苦 痛 を 申 し立 て る子 ど もは 少 な くは な い。
こ う して,入 学 早 々か ら脱 落 して い く生 徒 が
山路 国家 の教育,村 の学校
現 れ て くる。表5は,1992年 当 時 の,ワ シ ラオ小 学 校 の在 籍 生 徒 数 を表 して い る。 そ れ に よ る と,1年 入 学 時 の生 徒 数 は44人,そ れ が4年 生 で は ほ ぼ半 分,卒 業 時 の6年 生 徒 数 は3分 の1以 下 の数 値 に な る。 この在 籍 数 の極 端 な 減少 は,入 学 児 童 の 数 が年
に よって 増 減 が あ る とい うので は な く,学 年 が進 む につ れ て生 徒 が学 校 か ら脱 落 して い くこ とを 意 味 して い る。
確 か に パ プ ア ニ ュ ーギ ニアで の生 徒 の就 学 率 は高 くない 。1970年 代 に おい て さえ, 全 国平 均 で は,入 学 した 生 徒 の うち,6年 間 の過 程 を 終 えた者 は7割 程 度 に す ぎず, 中学 進 学 者 は25パ ー セ ソ ト,12年 の過 程 を 終 了 した者 は8パ ー セ ソ ト,大 学 卒 業 は1 パ ー セ ソ トにす ぎ な い(Bray 1984:10)。 この よ うに 全 国 的 に も,就 学 率 は低 い の だ が,そ れ に も増 して,'ワ シ ラオ小 学 校 で の 生 徒 の脱 落 率 は 高 い 数値 を示 してい る。 こ の数 値 は異 常 と も思 え るほ どで あ る。
生 徒 が学 校 か ら脱 落 して い く理 由は,も ち ろ ん英 語 が不 得 手 とい うだけ では ない 。 生徒 た ち には 学校 か らの脱 落 を釈 明す る理 由 が あ る し,学 校 側 もそ の釈 明へ の 反 論 も あ る。 校 長 の言 い分 は,こ うで あ る。 す な わ ち,「 脱 落 す る生徒 は怠 け 者 だ 。 そ れ に, 子 ど もが学 校 に来 な くな るの は,親 が 怠 け て い るせ い もあ る。 親 が 子 ど もに畑 仕 事 を させ た り,育 児 の手 伝 い を させ た りして,学 校 に は 行 か な くて も よい,と 言 って い る。
と くに,女 の子 は 結婚 して よそ に 出 るか ら教 育 は 必要 な い,と 言 って い て,ふ ま じめ だ 」 と。 あ る いは また,こ うも言 う。 す な わ ち,「 政 府 は 生 徒一 人 当 た り20‑30キ ナほ どの 援 助 を して い るの で,親 は1年 に10(現 在 で は25)キ ナの 授 業 料 を 払 うだ け であ る。 そ れ な の に,そ の10キ ナ が 高 い と言 う。 い い 加 減 な話 だ」 と。
これ に 対 して,怠 け 者 扱 い に され た 生 徒 に も反 論 は あ る。 曰 く,「 英 語 の授 業 は分 か らな い し,つ ま らな い 。 さぼ って い る と,先 生 は 棒 で尻 を叩 くので 恐 か った し,校 庭 の 草 刈 や大 木 の切 り倒 しを させ られ る ので,学 校 に 行 くのは いや に な った」 と。 こ の よ うに して脱 落 した 生 徒 は,大 人 た ち に混 じって 農 作業 を し,あ る いは狩 猟 に参 加
し,ま た は大 人 た ち の談 笑 に 耳 を傾 け,村 人 の一 員 と して伝 統 的 な生 活技 能 を 身 に付 け な が ら,日 常 生 活 を 送 って い る。 村 の生 活 は,最 近 に な ってや っ と換 金 作物 が導 入 され た ば か りで,市 場 経 済 の荒 波 に は さほ ど曝 され て は い な い。 こ う した 状 況 で は, 村 で 一 生 を送 る限 り国家 社 会 を論 じな くて も暮 ら して い け るわ け で,学 校 で の知 識 や 技 能 は 無 くて も生 活 は 可 能 で あ る。 脱 落 す る生 徒 を 迎 え 入 れ る環 境 は,い つ で も用 意 され て い る。
子 ど もの 教 育 とい えば,か つ ての 厳 しい禁 忌 を失 い なが ら も,伝 統 的 な 若 者 宿 の 習 慣 は今 だ に 機能 して い る。この 施設 に滞 在 して いれ ば,村 の少 年 た ち は 大 人 に混 じ り,
国立民族学博物館研究報告別冊 21号 世 間話 に耳 を傾 け なが ら,村 で生 きて い く うえ で の生 活 の知 恵 を学 ぶ こ とが で き る。
か つ て は,割 礼 を 終 え た 男子 のみ が 寝 泊 ま りで きた の に対 して,今 で は幼 児 も,そ し て 女 で さ え も出入 りが 可 能 に な った こ と で,若 者 宿 はか え って 身近 か な存 在 に な って い る。 学 校 教 育 とは 次 元 の違 った 知 識 と技 術 を再 生 産 してい く場 は,こ の よ うに 保 た れ て い る。
将 来 を考 えれ ぽ,市 場 経 済 の浸 透 は 避 け て 通 れず,一 定 の 知識 水準 とそ れ に 伴 う技 術 の習 得 は必 要 と され る こ とで あ るか ら,学 校 か らの生 徒 の脱 落現 象 は大 き な社 会 的 問 題 に な らざ るを 得 な い の は必 至 であ る。 脱 落 して い く理 由は ど うで あれ,こ の村 の 小 学校,と い うよ りもパ プア ニ ュー ギ ニ アが 抱 え る大 き な問 題 は,生 徒 の大 半 が 英 語 に よる学 校 教 育 につ い て い け な い とい う事 情 に 原 因 を持 って い る。 学 校 教 育 で はパ プ ア ニ ュー ギ ニア の社 会 や文 化,地 理 や 環 境 に つ い て詳 しい知 識 が 与 え られ るに もか か わ らず,新 興 国家 の将 来 を考 え る と,低 い就 学 率 を抱 え る現 状 は 大 きな問 題 点 を残 し て しま うに違 い な い。近 代 的 知 識 を血 肉 の 通 わ な い英 語 教 育 を 通 して しか 与 え る こ と の で き な い難 しさが,こ こに は あ る。
加 え て,小 学校 卒 業 後 の中 学校(ハ イ ・ス ク ール)へ の 進学 率 が低 い とい う現 象 も, 教 育 の大 衆 化 を阻 む 原 因 に な って い る。 中 学 校 に 入学 す る には 厳 しい試 験 を通 過 す る 必 要 が あ り,数 少 ない 小学 校 卒 業 生 のな か で も,す べ て が進 学 で き る もの で は な い。
進 学 で きな か った 生 徒,そ して脱 落 した 子 ど もは,少 数 が町 で の職 業 訓練 所 に行 くに して も,そ れ 以外 の大 多数 は村 に留 ま って 農 業 を 営 む こ とに な る し,ま た それ で 当然 と考 え る人 々 は多 い。産 業 構 造 の未 成 熟 さに 起 因 して,地 域 生 活 圏 の拡 大 が阻 まれ て い る 背 景 が あ り,そ れ が学 校 教 育 を停 滞 させ る原 因 に な っ て い る。
しか しな が ら,近 代知 を教 え る学 校 は,村 落 水 準 で の伝 統 を 決 して否定 す る もの で な く,か え って共 存 を 図 って い る と思 え る節 が あ る。 確 か に 学 校 で は 近代 の衛 生 思 想 を教 え込 も う と し,ビ ン ロ ウの害 毒 を 教 えて い るけれ ど も,授 業 は 知識 の授 受 の場 で しか な く,生 活 の場 で この よ うな近 代 的 知 識 の 実 践 を押 し進 め る も ので は な い。 顔 や 手 足 に 入れ 墨 をす る習慣 は存 続 して お り,日 本 で は 明 治 の頃 に 野 蛮 な習慣 と して排 撃 され た歴 史 が あ った の とは対 象 的 に,こ の習 慣 の 存在 に対 して は,こ の地 の学 校 は決 して 異 を 唱 え な い。言 い換 え る と,村 落 の伝 統 的 な習 慣 や 知識 の体 系 を維 持 した ま ま, 学校 で の知 識 の体 系 は 存在 して い る,と 言 った方 が よい。両 者 は排 除 し合 うこ と な く, 共 存 して い る とさ え考 え られ る。 村 落 生 活 に しっか りと根 付 い て い るキ リス ト教 を取
り上 げれ ば,さ ら に両 者 の 関 係 は は っ き りと して くる。
キ リス ト教 の布 教 は 決 して 古 い もの では な い が,現 在 では,単 に 日曜 日の礼 拝 だ け
山路 国家の教育,村 の学校
でな く,多 様 な機 会 に キ リス ト教 は顔 を のぞ か せ てい て,人 々は 一 週 に 何 回 も賛 美 歌 の練 習 に 明 け暮 れ て い る。 この よ うな現 実 を直 視 す れ ば,学 校 で の キ リス ト教 教 育 と 村 落 での 生 活 とは,互 い に補 完 し合 って い る とさ え言 え る。学 校 は近 代 的 知 識 の導 入
も図 るが,そ の反 面,農 業 の 実 習 な どを通 して伝 統 的 知 識 の 体系 に も考 慮 の余 地 を与 え て い る。 とす れ ぽ,学 校 教 育 は 先 祖 か らの生 活 世 界 に 敵 対 す る こ とな く存 在 して い る こ とに な る。 学校 教育 が十 分 に 定 着 しな い 現実 の背 景 に は,近 代 的 知 識 と技 能 を 発 揮 しえ な い社 会 的 制 約 が あ る と ともに,新 興 国家 の理 念 を歌 い上 げ る こ とに 先 だ って, 学 校 そ れ 自体 が 祖 先 伝 来 の世 界 に 包 摂 され て い る と い う図式 が 存 在 して い た の で あ る。
お わ り に
今 ま で記 述 して きた 事 柄 を,違 う表 現 で整 理 してみ よ う。伝 統 的 な 「民 俗一知 」 の 世 界 は,近 年 の市 場 経 済 の浸潤 に あ い なが ら も,こ の ナ カナ イ族 では 未 だ に 保 たれ て い る状 況 に あ る。 そ の 「民俗 一知 」 は,若 者 宿 な どで生 活 す る こ とに よ って,子 ど も た ちは 体 験 を 通 して 身 に付 け て い った し,今 で もその 機 能 は 失わ れ て い な い。 この よ うな状 況 の世 界 に,近 代 的 な知 識 と技 能 の修 得 とい う国 家 か らの要 請 が 義 務 的 に な さ れ た 時,多 くの あ つ れ きが生 み 出 され て い く。 近 代 の教 育 とは,小 学 校 とい う学 習 空 間 を設 定 し,読 み 書 きを主 体 と した勉 強 の場 を設 定 す る こ とで存 在 意 義 を 持 って い る。
しか も,国 家 に よる教 育 は,国 家 統 合 の要 に 教 育 を位 置 づ け る こ とに よ って成 立 して い る。 とす るな らぽ,国 家 に よ る近 代 の教 育 とは,「 国 民 」 とい う均 質 な成 員 を作 り 出 す こ とに 目的 が あ る と言 え る。 この意 味 では,国 家 の与 え る知 識 は,村 落 とい う生 活 空 間 か ら飛躍 した,い わ ぽ 記 号 化 した知 識 にほ か な らな い。
こ うした 国家 の要 請 に村 人 が どの よ うに対 応 す るか は,興 味 深 い考 察 を必 要 とす る。
将 来 の 出世 を も くろ ん で,教 育 を エ リー ト養 成 の場 と して活 用 す る戦 略 を 採 用 す るの も一 つ の方 法 で あ る。 ナ カ ナイ 族 の村 に も,実 際 に高 等 教 育 を 目指 し,将 来 は 教 員 に なれ る よ う努 力 す る子 ど もが い る こ とは,確 か で あ る。 しか しな が ら,圧 倒 的 多数 は
「伝 統 細 」 の世 界 に意 心 地 の よ さ を見 出 して い る。 記 号 化 され た知 の体 系 よ りも, 生活 体 験 に基 づ く知 の重要 性 の方 が 意 味 を 持 って い るか ら であ る。 今後,こ の両 者 の 関 係 が どの よ うに展 開 して い くのか,注 目 され る と ころ で あ る。
注
1)ナ カナ イ族 は お そ ら くは 近 隣 社 会 か ら付 け られ た 名前 で あ っ て,自 称 は ロ ソで あ る。 しか し,こ こで は ナ カ ナイ とい う名称 が慣 用 語 に な って い る の で,こ の 用 語 を 踏 襲 した。
2) こ こで は 便宜 上,コ ミュニ テ ィ ・ス クール も プ ライ マ リ ・ス クー ル も 「小学 校 」 とい う名 称 を 当 て て い る。
3) こ の プ ライ マ リ ・ス クー ル の 名 称 は,Lalopo Primary School。1994年 に設 立 され,八 年 制 の小 学 校 。 た だ し6年 級 ま で の授 業 料 は25(キ ナ),7,8年 級 は200(キ ナ)で あ り,ま た 7年 級 へ の進 級 には テ ス トが あ り,実 質 的 に は6年 制 の小 学 校 に ハ イ ・ス ク ール(中 学 校) が接 続 してい る こ とに な る。 実 際 に,7年 級 へ の進 学 で ふ るい 落 と され る 生 徒 もい る。 ワシ ラオ小 学 校 よ りも規 模 が大 き く,通 学 児童 も さ らに 広 域 か ら来 て い る。 ち な み に ラ ロポ小 学 校 の教 員 構 成 は,1994年 当 時,ナ カ ナイ 族4人,ブ カ島 民1人,ト ー ライ族5人 で あ った。
4)パ プ ア ニ ュ ーギ ニア の教 科 書 は立 教 大学 の豊 田 由貴 夫 教 授 か ら借 用 させ て 貰 った。 感 謝 し た い。
文 献