改正保険法における今後の課題について
福 田 弥 夫
■アブストラクト
平成22年4月1日から保険法が施行されたが,これは主要な法律の現代語 化の作業のひとつである。短期間のうちに法の制定が可能となったのは,損 害保険契約法,生命保険契約法そして傷害保険契約法について,すぐれた 試案 がすでに存在していたことも一因である。保険法が新たに導入した 規定のうち,他人を被保険者とする死亡保険契約において,一定の場合に被 保険者からの保険契約者に対する解除請求を認める被保険者の解除請求権に は,被保険者からの請求にもかかわらず,保険契約者が解除をしない場合の 問題があり,関連して保険者の調査義務の問題もある。保険契約者の差押債 権者等が保険料積立金のある死亡保険契約の解除をした場合,保険金受取人 の意思によって当該契約を存続させるための制度としての介入権には,保険 契約者変更の効果が伴わず,別の債権者による再度の差押えの危険性が存在 している。この他にも多くの課題が残されている。
■キーワード
改正保険法,解除請求権,介入権
1.はじめに
日本大学法学部の福田でございます。本日は韓国保険学会で報告する機会
*この論文は,日本保険学会から派遣されて平成22年5月28日の韓国保険学会で 行った報告によるものである。
/平成23年4月5日原稿受領。
を与えてくださいまして心よりお礼を申し上げます。
さて,本日の私の報告のテーマは 改正保険法における今後の課題につい て でございます。ご承知の通り日本では本年の4月1日より新しい保険法 が施行されました。この新しい保険法が抱える課題につきまして,新保険法 が導入した二つの新しい規定を中心に報告をさせていただきたいと思います。
2.法改正の背景
まずこの改正の背景を簡単にトレースさせていただきます。今回の改正は 民法や刑法などの主要な法律の現代語化の一連の作業の一つであります。日 本の法律は,1946年7月に制定された 郵便法 以降はすべて ひらがな
口語体 によって表記されています。それ以前に施行された法律はすべて カタカナ 文語体 の表記となっております。法律はその適用を受ける国 民のためにあるのであり,できるだけ一般の国民にわかりやすいものである べきで,このような片仮名・文語体の法律の存在は問題があると指摘されて おりました。ところが,これを改める場合には形式だけでなく内容も改める べきであるとの建前論が強く,見直しは進まなかったのです。そのような中 で,1995年には刑法が口語化されましたが,これは内容自体の改正には踏み 込みませんでした。同様に商法や民法が現代語化されましたが,これも内容 自体に特に踏み込んだものではありません。2005年には会社法が公布されま したが,これは従来の商法会社編に大幅な見直しを加えた大改正でありまし た。保険法はこの会社法の改正と同様に,現代語化にとどまらず,内容自体 にも大幅な見直しを加えた改正となりました。
この保険法の改正作業は極めて短期間のうちに行われています。それは,
すでに研究者を中心としたグループによって 損害保険契約法 生命保険 契約法 そして 傷害保険契約法 についてすぐれた 試案 が公表されて おり,これを議論のベースとして改正作業を行うことが可能であったからで した。たとえば損害保険契約法改正試案は,1964年に発足した研究会による 研究成果であり,長い間温められてきたものでありました。実に40年以上に
わたる保険法研究者や実務家による共同研究の成果が保険法改正として花開 いたといえます。もっとも,これらの試案に含まれていた規定がすべて取り 入れられたかというとそうではありませんで,たとえば生命保険契約法の改 正試案には含まれていた 被保険者の書面による同意 も,議論が分かれた ようでございますが,結局は導入が見送られております。
このような試案を前提に,法務省の法制審議会の審議が始まる前に,商事 法務研究会において検討会が開催され,一定の方向性が決まった段階で2006 年9月6日に法務大臣から保険法の見直しに関する諮問が出されました。法 務大臣の諮問の内容は, 広く社会に定着している保険契約について,保険 者,保険契約者等の関係者間におけるルールを現代社会に合ったものとする 必要があると思われるので,見直しのポイントに記載するところに即して検 討の上,その要綱を示されたいというもので,見直しのポイントの第一は規 律の内容の現代化,第二は現代語化その他の改正でありました。これを受け て,法制審議会における審議が2006年11月から2008年1月にかけて開催され ました。途中,2007年8月8日には中間試案が取りまとめられて公表されて パブリックコメントの手続きに付され,2008年1月には 保険法の見直しに 関する要綱案 が決定され,法務省はこの要綱を踏まえた法律案の立案作業 に入ったわけでございます。この法案は閣議決定ののちに第169国会に提出 され,衆議院及び参議院で審議がなされ,5月30日に参議院本会議で可決さ れ法律として成立し,6月6日に公布されました。学界からは衆議院の法務 委員会において東京大学の山下友信教授が参考人としての意見陳述を行い,
参議院の法務委員会では私が参考人として意見陳述を行いました。
法の施行が本年4月1日となったのは,約款等の整備に時間が必要とされ たからです。
3.改正保険法の特徴
改正保険法の特徴を5点に絞って簡単にお話ししますと,現代的な保険取 引に適合した規律の整備につきましては,約100年前に制定された商法保険
編の規定は,現代の保険取引には適合しない部分が多く,傷害疾病保険の規 定なども設けられておらず,今回新たに規定が設けられました。保険契約者 の保護の強化につきましては,紛争となりやすい告知義務につきまして,こ れを質問応答義務に変更すると同時に,保険募集人等による告知妨害の規定 を設けております。片面的強行規定の導入につきましては,商法の任意法規 性から,消費者に不利な約款規定が設けられるのを防止する目的がございま す。保険契約当事者以外の第三者との法律関係の規定の整備につきましては,
責任保険において問題となる被害者の権利を明確にしてあります。最後の保 険契約と共済契約の一元的な規律ですが,共済契約も実質保険にあたるもの と考え,実質が保険契約である限り同じルールを適用して契約者の保護を図 る目的がございます。
4.解除請求権
それでは,保険法が新たに導入した規定の中から,被保険者の解除請求権 と介入権について問題点を考えたいと思います。新保険法の第58条は,被保 険者による解除請求を規定してございます。これは,他人を被保険者とする 死亡保険契約において,一定の場合に被保険者から保険契約者に対する契約 の解除請求を認めるものです。ご承知の通り,他人を被保険者とする死亡保 険契約には,被保険者の死亡を故意に惹起する危険性などが存在しますから,
これを自由に締結することは認めず,アメリカなどの英米法系の国では被保 険利益の存在が,そしてドイツやフランスなどの大陸法系の国では被保険者 の同意が要求されております。日本は旧商法の674条において被保険者の同 意を要求するという大陸法系の立場を採用していましたが,保険法も38条に おいて被保険者の同意を必要とする立場を採用しました。この被保険者の同 意ですが,一度与えた同意を被保険者が撤回できるのかという問題があり,
中間試案の段階では同意の撤回を認める規定の導入が検討されていりました。
しかし,保険契約の安定性を欠くなどの理由から同意の撤回は認めるべきで はないという見解が強く,最終的には被保険者の同意の撤回規定は設けず,
一定の場合には被保険者から保険契約者に対して契約の解除を請求できると いう規定が設けられることになりました。
被保険者からの解除請求は無条件ではありません。解除事由として58条第 1項第1号は,57条1号と2号をあげております。保険契約者又は保険金受 取人が,保険金の取得を目的として被保険者を死亡させ又は死亡させようと した場合,これが57条1項です。そして,保険金受取人が当該生命保険契約 に基づく保険給付の請求について詐欺を行い,又は行おうとした場合,これ が57条2項です。58条1項2号は,いわゆるバスケット条項で,包括的な内 容です。具体的にはどのような場合がこれに当たるかが問題となります。例 としては,保険契約者又は保険金受取人が保険金取得目的で被保険者以外の 者を殺害した場合などが考えられます。
第3号は,保険契約者と被保険者の親族関係が終了するなどして,同意を 与えた基礎的な状況が変化した場合です。離婚等による身分関係の変動がそ の例となります。
被保険者は保険契約の当事者ではございませんので,保険者に対して直接 請求をすることは認められません。そのため保険契約者に請求する形になっ ています。解除請求の要件を満たした請求が被保険者からなされた場合,保 険契約者は解除権を行使する義務を負担すると考えられますが,解除権を行 使しない場合が問題です。その場合には,民事執行法174条1項に規定する,
被保険者が保険契約者を被告として保険契約者の意思表示に代わる裁判を求 め,その判決によって直接保険者に対する解除請求を行うこととなります。
本条の規定には何ら問題はないように思われますが,解除事由が発生し,
被保険者が直接保険者に解除を請求した場合はどうするかという問題があり ます。58条1項1号又は2号の解除事由は,保険者による解除事由でもあり ますから,そのような請求を受けた場合に保険者には調査をする義務がある でしょうか。実は,具体的な刑事事件になっていれば別でしょうが,そこま でに至っていない場合,どの程度なら保険者が調査する義務を負担するかは 大きな問題です。さらに,被保険者が保険者との身分関係変動を証明する書
類を直接提出してきた場合,一切受け付けず保険契約者を介して請求せよと 拒絶すべきでしょうか。拒絶すべきではないとした場合,それでは個別的事 情を何処まで保険者が調査すべきなのかという問題も発生します。実務的に はこの規定はかなり難しい問題点を含んだものとなっております。
5.介入権
次に介入権の規定です。これは,保険契約者の差押債権者等が保険料積立 金(キャッシュバリュー)のある,死亡保険契約の解除をした場合に,保険 金受取人の意思によって当該契約を存続させるための制度です。これを介入 権としています。
保険契約者の債権者が解約返戻金請求権を差し押さえ,取立権に基づいて 保険契約の解除をする場合や,保険契約者について破産手続開始の決定があ り,破産管財人が保険契約を解除する場合,解約返戻金請求権の質権者が保 険契約の解除をする場合,そして保険契約者の債権者が保険契約者の任意解 除権を代位行使する場合などがあります。そして,いったん契約が解除され てしまうとその契約は復活できませんし,被保険者の健康状態や年齢等によ っては,二度と生命保険契約に加入できなくなる場合もあります。さらには,
加入できたとしても高額な保険料が必要となる場合もあり得ます。そこで,
そのような場合には保険契約を存続させて保険金受取人の生活を保障するよ うな制度設計が必要ではないかということが指摘されました。そこで,一定 の要件の下で保険契約の解除の効果が生じないものとすることによって,保 険契約を存続させる制度としての介入権が導入されたのです。これはドイツ 法に倣ったものです。
介入権の対象となる保険契約は死亡保険契約のうち保険料積立金があるも のに限定されます。この様な保険は一般に長期間のものであって,保険の再 加入が困難な場合もあり遺族の生活保障を考慮する必要があるからです。介 入権を行使できる者は保険金受取人のうち解除の通知の時において保険契約 者もしくは被保険者の親族又は被保険者である場合に限定されます。これは,
これらの者を保護する必要性が高いからです。
この解除権の行使には保険契約者の同意が必要とされます。これは,保険 契約者の意思を尊重するためです。さらに,一項に定める期間が経過するま での間に,解除通知の日に解除の効力が生じたとすれば保険者が支払うべき 金額を,介入権者が解除権者に支払わなければなりませんが,これは解除の 効力が生じないとするためには解除権者の利益を実現する必要があるからで あり,その金額は基本的に解約返戻金相当額となります。また,保険者に対 する通知を要求しているのは,保険者が二重弁済の危険にさらされることを 防止する趣旨です。
この規定にも何ら問題は無いように思えますが,実は大きな問題がありま す。それは,介入権の行使によっては,保険契約者の変更の効力が生じない ことです。保険金受取人が介入権を行使したところ,次に別の債権者が出て きて再度差し押さえを行う場合が考えられます。そのため,本来的には介入 権者に保険契約者が変更されたものと見なす旨の規律を設ける必要がありま した。しかし,そのような規定を設けることは制度自体が複雑になりすぎる 等の理由から現在の形になっております。
実務的には非常に問題のあるところで,保険契約者自らが保険契約者変更 の手続きを直ちに取る必要があるのです。
以上,改正保険法の課題の中から,被保険者による解除請求と介入権につ いてお話をさせていただきました。日本の保険法は規定ぶりからも分かるよ うに保険契約の基本的なルールを定めているに過ぎず,かなりの部分が約款 や業界のガイドラインに委ねられています。このような規定のあり方につい ては疑問を提示する見解もあります。ともあれ,改正法の課題をひとつずつ 解決して行くほかはないというのが今の私の考えなのです。ご静聴ありがと うございました。
(筆者は日本大学法学部教授)