精神障害(うつ病)による自殺と 保険者免責
長谷川 仁 彦
■アブストラクト
保険法・保険約款で免責とされる 自殺 は,被保険者が故意に自己の生 命を断ち死亡の結果を生ぜしめる行為であり,死亡者の自由な意思決定に基 づきその者の身体動作により死亡の結果を来たすべきときを指すとされる。
一方,精神病その他の精神障碍中または心身喪失中の行為による自殺は 自 由な意思決定能力 を欠いたものであり免責事由には該当しないとするのが 通説・判例である。
近時,自殺者のうち概ね1/3に当たる約1万人が精神疾患を原因によるも のとされ,それらを原因とする自殺が全て意思決定能力を喪失ないし減弱し たうえでの自殺とはいえない。しかし,精神疾患の一つであるうつ病によっ て行為選択能力が相当制限されたうえでの自殺は 自由な意思決定 を欠い ていることになるので,免責となる 自殺 にはあたらないと考えられる。
■キーワード
自殺,自由な意思決定能力,うつ病等精神疾患
はじめに
生命保険契約(2条8号)は 保険契約のうち,保険者が人の生存又は死 亡に関し一定の保険給付を行うことを約するもの(傷害疾病定額保険契約に
145
*平成23年6月4日の日本保険学会関東部会報告による。
/平成23年9月7日原稿受領。
欧文のやり方 例Laws,.-欧文の中の数字11.,‑ “”
該当するものを除く。) と定義付けられ, 死亡 の事実が生じたときは,
契約当事者の一方である保険者に保険金支払の義務が生じる。 死亡 につ いては,通常,その事故の発生の原因を問わないとするのが原則であるが,
法は生命保険契約の本質を構成する偶然性,射倖性,あるいは制度のもつ公 益性に鑑み,さらに規定を設けて,保険給付を行う責任を負わないこととす る 法定免責事由 を定めている。
保険法・保険約款にいう免責となる 自殺 は,自分の生命を断つことを 意識したうえで死亡の結果を招く行為といわれ,精神障害を原因とした自殺 は 自由な意思決定 を欠くものであり,旧商法,保険約款の免責事由であ る自殺に含まれないとする通説・判例は変更すべき理由は認められない。
ところで,平成21年の警察庁自殺白書の統計資料では,10,022人╱33,987 人(29.5%)が精神疾患を原因・動機としている。そして,精神疾患は,う つ病によるとされるものが6,949人(69%),統合失調症が1,394人(14%),
アルコール依存症336人(3%),薬物乱用63人(1%),その他の精神疾患 1,280人(13%)とされている。
さらに,国の自殺対策 として, 自殺総合対策大綱 (平成19年6月)で は ,うつ病等の精神障害と自殺の関係を示し,うつ病対策を通じた自殺防 止の大きな柱の一つとしている等から,従来からの通説・判例の考え方に影 響する懸念がある 。
1) 国としての自殺対策 平成18年6月・ 自殺対策基本法 制定,平成18年10 月・ 自殺対策基本法 施行,平成19年6月・ 自殺総合対策大綱 を閣議決定,
平成20年10月・ 自殺対策加速化プラン を自殺総合対策会議にて決定,平成 22年2月・ いのちを守る自殺対策緊急プラン を自殺総合対策会議にて決定。
2) 第2自殺対策の基本的考え方…1.社会的要因も踏まえ総合的に取り組む
<社会的要因に対する働きかけ> <うつ病の早期発見,早期治療>など,2.
国民一人ひとりが自殺予防の主役となるよう取り組む 等他4項目。
3) 自殺総合対策大綱(平成19年6月8日)の自殺について, 大多数は,様々 な悩みにより心理的に追い詰められた結果,うつ病,アルコール依存症等の精 神疾患を発症しており,これらの精神疾患の影響により正常な判断を行うこと ができない状態となっていることが明らかになってきた。 多くの自殺は,個
そこで,本稿では,うつ病の影響を受けての自殺が,保険法・約款上の免 責事由の 自殺 に当たるかを検討したい。
1.被保険者の自殺
⑴ 自殺免責の趣旨
生命保険契約において,被保険者が自殺したときは,保険者は保険給付を 行う責任を負わないと規定されている(保険法51条1号)。その趣旨は,生 命保険契約が保険契約の当事者の相手方又は第三者の人の死亡に関して一定 の保険給付を行うこととしていることから,射倖契約として信義誠実が確保 されることを要請されるとともに,その死が被保険者の意思に委ねられる ことによる保険金の不当目的利用の防止すること ,にある(最判平16.3.25 民集58巻3号753頁)。一方,保険金受取人による被保険者の故殺免責(同法 51条3号)と異なり,自殺免責規定は,公益に基づく強行規定であるとする 必要はないとされている 。これらから,生命保険約款では,責任開始期以 降の一定期間内の自殺のみを免責とすることに限定している 。
ア 自殺の意義
ア)保険法(旧商法)および保険約款にいう 自殺 は,被保険者の自ら の自由意思で自己の生命を断つことをいうものと解すべきであり,意思無能 力の状態における行為や精神病等による心神喪失中の行為によって自由な意 思が阻害されている場合に引き起こされたときは,免責事由の自殺には該当 せず,保険者は保険金給付義務を負うとするのが確立した判例・通説である (大審院大正5.2.12(民録22輯234頁) ,大判昭和13.6.22判決全集5輯13号
人の自由な意思や選択の結果ではなく,様々な悩みにより心理的に 追い込ま れた末の死 ということができる。 としている。
4) 阿憲 保険法概説 (中央経済社,2010)237頁。
5) 山下友信 保険法 (有斐閣,2005年) 465頁。
6) 自殺免責期間は,責任開始期後2年以内とする保険者が24社,3年以内とす る保険者が14社(平成23年4月現在,執筆者調べ)。
7) 本件において,秋田地判大正4年7月1日は 被保険者の死亡は麻痺狂なる
14頁,大判昭和15.7.12判決全集7輯25号5頁)。
したがって,自殺とは被保険者が故意に自己の生命を断ち死亡の結果を生 ぜしめる行為であり,被保険者の自由な意思決定に基づきその者の身体動作 により死亡の結果を来たすべきときに免責となる。一方,意思無能力者,精 神病その他の精神障碍中または心身喪失中の自殺行為は自殺にはあたらない ので,保険法・保険約款に定める免責事由には該当しないとされてきた 。 その後の判例においても同旨を述べている(別表 精神障害による自殺を巡 って争われた裁判例 参照②大阪地判昭和48年2月12日など〔以下別表掲載 裁判例は○番号と裁判所,判決年月日で表示〕)。
なお,昭和20年代以降で,精神病などにより精神障害中または心神喪失中 の自殺とされた判決例は1事案である(⑨大阪地判平成11年9月28日)。
イ.保険法・生命保険約款上の自殺免責の課題
統合失調症は,若年層で生じやすく幻覚や妄想を発症する頻度も高く,こ の疾患の幻覚や妄想によっての自殺は,保険法上の自殺には含まれない。近 時は,うつ病により自殺するケースが認められ,自殺者全体の2割を占め約 7,000人弱がその影響によるとされている(前述警察庁資料)。
そこで,うつ病の影響によって正常な認識・判断能力,行為選択能力が著 しく制限され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害さ れている状態で自殺が行われたき,自殺を意図した故意があったといえるか が問題となる( 大分地判平成17年9月8日は,被保険者の自殺時にうつ病 が精神・心理状態に相当の影響を考え,自由な意思決定能力が制約を受けた として,保険者の免責が認められないとした )。
精神病により自ら縊死を遂げたるものにして自殺なることは…診断書…を総合 してこれを認定するに十分なりと判示し,被保険者の死亡が精神病者なるに拘 らず尚自分の意思決定に因る自殺に基づくものなりと認定し(たるは)法規の 解釈を誤るか,または理由の不法あり。破棄を免れざるものとす 。
8) 山下友信・米山高生 保険法解説 (有斐閣,2010.4,〔後藤元〕430頁は,
統合失調症その他の精神障害中の自殺は含まれない。。
9) 後藤・前掲注8)430頁。
また,確立した判例・学説の自殺の定義は,前ア項で述べたとおりである。
ところが,平成20年10月閣議決定の 自殺総合対策大綱 の 自殺の基本認 識 は,多くの自殺は 個人の自由な意思や選択の結果 とされていたこと につき, 様々な悩みにより心理的に追い込まれた末の死 というと定義し た。これが保険法上の自殺に該当するかなど新たな課題が生じてきた。
なお,保険における 自殺 に関しては,各国の法制度は多様である 。 これはそれぞれの国の国民の宗教観・倫理観などによるところが大きいと考 えられる。日本においては,自殺について文化と捕らえ,他のキリスト教国 等犯罪とする国々とは異にしている 。
2. 自由な意思決定によらない状態での自殺 とは
うつ病等病的障害によって自由な意思決定できない状態での自殺とはどの ようなものか等判決例を基に考察する。
10) 海外の事情…ドイツ保険契約法では,次のような規定が存在する。同法161 条(自殺)にて ①死亡事故のための保険において,被保険者が保険契約締結 の時から3年を経過する前に,故意に自殺をしたときは,保険者は給付義務を 負わない。その行為が,自由な意思決定を不可能にする,精神活動の病的な障 害状態においてなされたものであるときは,この規定は適用されない。 (新井 修司・金岡京子共訳 ドイツ保険契約法(2008年1月1日施行) ㈳日本損害 保険協会,㈳・生命保険協会2008年)と定義されている。フランスの保険法典
L.
132‑7条は, 死亡保険は,契約当初2年以内に被保険者が自由な意思によ り意識的に命を絶ったときは効果を生じない。 と定めている(山野嘉朗 保 険契約者と消費者保護の法理 成文堂・2007年245頁)。フランス法典では,民法の定める立証責任の原則に従い,意識的自殺の立証 責任も保険者に課されることになった。イギリス法は,約款に免責期間につき 明示的に定めてある場合には,被保険者の自殺が,正常な状態でなされたもの であろうと精神障害中になされたものであろうと,その期間内に発生した場合 には,保険者は免責される。
11) イギリスでは1961年8月3日に改正自殺法(Suicide Act)が施行されるま で,自殺は犯罪とされていた。一方,日本では,徳川時代に男女の相対死に対 する禁令。それは家族制原理に基づく社会秩序維持のため性風俗を取締まるこ とに主眼があった。
⑴ 判決例の分析
精神障害中の自殺 によるものか否かを巡って争われた裁判例は次のと おりの分類となる 。
a.統合失調症・うつ病などの治療歴はなく自由な意思決定に基づく自殺 b.統合失調症・うつ病などの治療歴はないが衝動的な精神障害によって
の自殺
c.統合失調症・うつ病などの治療歴があるが自由な意思決定に与える影 響が決定的でない自殺
d.統合失調症・うつ病などの治療歴があり自由な意思決定能力の喪失・
制約された中での自殺
別表に掲記した裁判25件を上記にしたがい分類した。
a.の分類(統合失調症・うつ病などの治療歴はなく自由な意思決定に基 づく自殺)は,原告が,被保険者の異常行動・言動等により自由な意思決定 を欠いた自殺として訴訟提起したもので,裁判所は,被保険者には医師に受 診した事実も認められないこと,その言動や行動等からはいずれも自由な意 思決定に基づく自殺であるとする。また,自殺の動機も,それぞれ了解可能 な動機(被保険者が病気,負債・借金,拘置所に拘束中など)を有している とした。
b.の分類(統合失調症・うつ病などの治療歴はないが衝動的な精神障害
12) 吉田明 生命保険契約をめぐる問題点 (日本経済評論,1981年)166頁を参 考に分類。
分類 法・約款上の自殺 非自殺
a. ② ④ ⑥ ⑩
b. ①
c. ⑤ ⑦ ⑧
d. ③ ⑨
17件 8件
によっての自殺)
裁判例①は,うつ病などの治療歴は認められないが,自殺前に身の回りを 整理していない,また,地上12メートルの高さのベランダからの飛降りは自 殺手段としては異常な行為等を理由として,被保険者は意識喪失状態におい ての行為であるとして免責事由である 自殺 に当たらないとした 。
a.b.の分類は,うつ病などによる治療歴がない者の自殺については,
被保険者が自殺直前における極めて異常な行動・言動が認められる場合とか,
裁判例①のように他動原因がなく衝動的な死亡を選択する行為がない限り,
自由な意思決定による自殺であるとしている。
c.の分類(統合失調症・うつ病などの治療歴があるが自由な意思決定に 与える影響が決定的でない自殺)について,11件が該当する。これら事案の 被保険者は,抑うつ気分などを愁訴して医師に受診し, うつ病 等の診断 をされているが,遺書の存在や明確な動機が認められ,自殺当時において意 思決定能力に大幅な制限を与えるほどの影響が認められず,被保険者の言 動・行動などに異常性が認められていないという客観的な事実をもとに判断 し, 自由な意思決定 によるものと判示している。
d.(精神障害,うつ病などの治療歴があり自由な意思決定能力を喪失・
制約された中での自殺)は,保険約款の免責事由の 自殺 には当たらない とされた事例である。
d.の分類中の⑨事案は,被保険者は統合失調症にて治療中で,言動が異 常・幻聴が生じている状態で, 自由なる意思決定を欠いた もので免責事 由にいう 自殺 には当たらないとされたことは,前述のとおりである。
13) 鴻常夫 発作的精神障害中の動作に起因する死亡 生命保険判例百選(増補 版)(別冊ジュリス№97,1988)148頁。飛び降り自殺は,縊死に次ぐ自殺の手 段方法であること,また,自殺する前の被保険者の行動,言動等に特段の異常 は認められていないことから,被保険者は,相当に神経が疲労していたとはい え,深夜偶々ベランダに出たか塔に上って,感傷に陥り発作的に飛び込んだに 過ぎず,被保険者の精神病などの自傷行為によるものとは認められないと批判 されている。
つぎに,③ の事案は,いずれも被保険者は うつ病 とか うつ状態 等と診断されている。③は,歯科医として従事中の被保険者が,
自殺手段の異常性(頚動脈を切る)等から内因性うつ病によるもので,自由 な意思決定によるとはいいえないとした, は,被保険者は自殺当時,是非 弁別能力を欠いた状態下にあったとはいえないが,被保険者がそううつ病に よって自殺念慮に抗し切れずに死亡の結果を認識しつつも自殺を実行したも のであるが,自殺行為を思いとどまらせる抑止力が阻害された行為も 自由 なる意思 を欠いたもので免責事由の 自殺 には当たらないとした, は,
遷延性うつ状態で週1回通院していたが,特に動機など他動的原因もなく突 発的に海に飛び込んだもので,被保険者の疾患を原因として行為に及んだも のとした, は,被保険者には,うつ病発症後うつ病の基本症状がいくつも 発現し,奇異な行動の他,第三者からみてもその言動及び精神状態に異常性 を覚知させるほどであったことから,自殺行為時,うつ病は,重症かこれに 近い程度であった可能性が高く,自殺行為に関しては自由な意思決定能力が 著しく減弱していたものとみるのが相当であると判示された, は,言動・
行動などから,被保険者は境界型人格障害と想定され,被保険者の自由な意 思決定によるものとは認められないとした。 は,被保険者が男女関係の縺 れから,4年強の間に4回にわたり大量服薬し,適応障害,興奮状態などで 6回入院したり,また,転落時もこれら精神障害状態は被保険者の自由な意 思決定を減弱させるものであった。自殺行為時の被保険者の状態につき,医 師は境界性パーソナリテー障害・双極性感情障害であったと診断している。
以上の6事案は, 自由な意思決定 能力が喪失もしくは減弱したため,
自由な意思決定能力が相当制限されていると判断されている事案である。
⑵ 自由な意思決定 による自殺
自由な意思 は,社会生活の上での一定の制約の中で 強制・束縛・制 限されていない意思 と理解される。その下での 自殺 のみが免責事由に 該当するかが問題となる。先に見たとおり,うつ病など精神障害に罹患して
いる被保険者が自己の生命を断ったとき,裁判例は 自由な意思決定 があ ったか否かの判断は,被保険者が精神障害等の疾患に罹患しているという事 実のみによるものではなく( ),当該疾患の自殺当時の程度,
当時の状況(行動・言動など)など総合的にみて評価している(後述する)。
自由な意思決定ができない状態 とは,うつ病など精神障害状態でⅰ)
意思決定能力を喪失していたとき,ⅱ)意思決定能力が著しく減弱していた ときとされ,これらはいずれもがうつ病等により故意に自己の命を絶つとす る意思能力の喪失・減弱を意味すると解される( 大阪高判平15.2.21 う つ病が…自由な意思決定能力を喪失ないしは著しく減弱させた結果,(自殺 行為に)及んだものと認められる , 東京高判平13.7.30 意思能力の欠如 ないし著しい減弱 など)。
さらに,被保険者がうつ病など精神障害によって行為の選択する能力につ き自由な意思決定が制限されているときは, うつ病など精神障害に大幅に 支配されているため自由な意思決定ができない状態(意思決定不能状態) といえる( 大阪高判平15.2.21 正常な認識,行為選択能力が著しく阻害 され,あるいは自殺行為を思いとどまる精神的な抑止力が阻害されている状 態で自殺行為に及んだ場合であると言えて,本件保険約款の免責事由たる故 意 に よ る 行 為 に 該 当 し な い。, 大 阪 高 判 平16.12.15, 大 分 地 判 平 17.9.8)。なお,不安神経症,うつ病に罹患の事実は認めるもそれらに影響 された自殺であっても被保険者本人の意思に基づく自殺と認めているものも ある(⑦鹿児島地判平7.6.23, 高知地判平16.4.23,22東京高判平18.11.
21 自殺がうつ病の一種であり,本件自殺とうつ病との間に因果関係が認め られるとしても,被保険者がうつ病による精神障害のため正常な判断能力を 失って,自由な意思決定能力を喪失し又は著しく減弱した結果によるもので はなく,会社の業績不振,将来に対する不安焦燥感によって自殺に及んだも のである。)。
しかし, 自由な意思決定 といいえるためには 心神喪失中あるいは心 神減弱 には限らず,うつ病によって意思決定能力が制限された中での自殺
は, 自由 が制限された中でのものであることから自殺事由に含まれない と解される。
3. 自由な意思決定 による自殺か否かの判決例の判断枠組み
判例の多くは,うつ病などの精神障害の程度・影響などを個々的に斟酌し,
精神医学的知見があればそれを参考にし,被保険者の精神医学的な状態を把 握のうえ,自殺当時の前後の精神・心理状態を多面的に検討し,精神障害等 うつ病によって 自由な意思決定ができない状態 か否かを判断することと している( 東京高判平成13.7.30, 大阪高判平成15.2.21, 大分地判平 成17.9.8他)。
総合的に判断するために考慮すべき事項として,⑴医学的知見を前提にし て,⑵言動・行為等の法律的判断によるとしている。
それぞれの判断すべき事項は,次のとおりである。
⑴医学的知見 ①精神障害の程度
⑵法律的判断事項 ②うつ病罹患前の被保険者の本来の性格・人格,③自 殺行為に至るまでの被保険者の言動及び精神状態,④自殺行為の態様,
⑤他の動機の可能性, 等の事情を挙げた。
⑴ 医学的知見
①うつ病など精神障害の程度
ア.うつ病など精神障害についての医学的知見について
一般に,自殺する人のうち,精神障害を有する者は約3分の1といわれて おり,うつ病罹患者の自殺率も15%といわれている。また,一般に,うつ病 の回復期においては,良かったり悪かったりの変動が起きやすく,不安定な 状態の時であり,現実生活の復帰を目前に,不安感,焦燥感,挫折感を持ち やすいことから,自殺について要注意時期といわれている。そして,うつ病 によって自らの命を絶った多くの症例が紹介されている ほどでその疾患 14) 岩波明 うつ病 (ちくま書房,2009年)17頁などうつ病による自殺等多く
による自殺への影響は大きい。
前述のとおり,自殺が企図する者の多くがうつ病などの精神障害にあるこ とに照らすと,うつ病・精神障害の軽重にかかわらずそれによって起因する 自殺企図行為を全て免責事由の 自殺 によるものではないと評価すること は当事者の合理的意思に反するものであって妥当ではないと理解される(
東京地判平17.12.28)。うつ病などにつき,その状態が軽度の場合はともか く,重度やそれに近い状態のときは,うつ病に支配される可能性が高いので,
一般的には自殺への影響がより大きいとされている( 大分地判平17.9.8)。
イ.うつ病の程度
うつ病は,気分障害,思考障害,意欲及び行為障害,身体症状を主症状と するうつ状態を主体とする精神障害である。そして,抑うつ症状を呈する患 者の初診診療科は,内科への受診が64%,その他精神病院,心療内科への受 診は10%程度である ところから,一般的には抑うつ症状の初期は内科医 に受診し,その後内科医の紹介などにより精神神経科専門医に受診するケー スが多いようである 。
被保険者の医学的知見を把握するとき,精神神経科専門医に受診したとき は,被保険者の精神障害の程度は専門医の所見によるが,その他は専門外の 医師の診断のときは,その所見には幅が見られると思われる。そこで,当該 被保険者がうつ病などの程度を把握するため(医学的知見),客観的に判断 できる臨床症状の組み合わ せ(操 作 的 診 断 法)を 採 用 し た の がICD‑10
( 疾病及び関連保健問題の国際統計分類:International Statistical Classi-
fication of Diseases and Related Health Problems
) とアメリ カ 精 神の症例を紹介。
15) 白水知仁 日本保険医学会報告資料(平成22年10月7日)抑うつ症状を呈す る患者の初診診療科について,内科64%,婦人科10%,脳外科8%,精神科6
%,心療内科4%,その他8%。
16) 白水・前掲注15)。
17) 異なる国や地域から,異なる時点で集計された死亡や疾病のデータの体系的 な記録,分析,解釈及び比較を行うため,世界保健機関憲章に基づき,世界保
医学会(APA)の 精神障害の診断・統計マニュアル (
DSM‑Ⅳ) があ
る。本稿では,ICD‑10によってうつ病の程度を考察した。そこで,ICD‑10 を見ると,うつ病は,気分障害の中のうつ病エピソードに分類され,最も典 型的な症状としては,抑うつ気分,興味と喜びの喪失,活力の減退,自己評 価と自信の低下,罪責感と無価値観,将来に対する希望のない悲観的な見方 よる易疲労感の増大や活動性の減少があり,他の一般的な症状としては,集 中力と注意力の低下,自傷あるいは自殺の観念や行為,睡眠障害,食欲不振 があるなどの症状を分類してその程度を認定する。うつ病による医学基準は,前記した現在の症状の数,タイプ及び重症度を含む複合的な臨床判断により 軽症,中等症及び重症に区別することができる 。なお,精神病症状を 伴う重症うつ病エピソード(ICD10
F32.3)は精神障害によって自由な意
思決定能力を欠くケースが多く認められる。先の裁判例から見るに,被保険者のうつ病が 少なくとも中等症以上
健機関(WHO)が作成した分類。
18)
DSM−Ⅳとは,アメリカ精神医学会(APA
)の 精神障害の診断・統計マニ ュ ア ル (
Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders
)。各 精神障害毎に操作的診断基準が設定されており,アメリカ国内だけでなく,世 界的に非常に広く用いられている。この診断基準によれば,うつ病は軽度,中 等度および重度に分けられる。19)
ICD‑10の F3の気分障害のうちの F32(うつ病エピソード)は,以下の基準
を設けて,軽症,中等症,重症が区別されている。20) 労働者災害補償保険法12条の2の2第1項の 故意 の解釈に関連し,解釈 にあたり,労働基準局通達平成11年基本第544号及び第545号が,業務による心 理的負荷により
ICD‑10の F0から F4に分類される精神障害が発病したと認め
られる者が自殺を図った場合には,精神障害によって正常の認識,行為選択能 力が著しく阻害され,または自殺行為を思いとどまる精神的な抑止力が著しく 阻害されている状態で自殺が行われたものと推定するものとしている。しかし ながら上記通達は,同法同条項の 故意 の解釈に関し,労働者が業務の結果,精神障害をきたし自殺した場合の業務起因性の判断基準について,使用者が労 働者を雇用する関係にあり,労働者に対し安全配慮義務を負うことをふまえ,
その処理を直接実施する労働基準監督署の職員が迅速・適正に対処できるよう 一定の基準を策定しようとする趣旨である。
重症かそれに近い程度であった可能性が高い ときは,そのうつ病によっ て被保険者の自由意思が制限されたものによる可能性が大である。
以上から,うつ病の状態が軽度の場合は別として,中等症以上,重症かそ れに近い程度のときは,これら精神医学上の分類を前提として,自殺当時の 精神・心理状態を多面的に検討し(法律的判断要素),自由な意思決定能力 につき評価する 。
⑵ 法律的判断要素
医学的知見を単一の理由として自由な意思決定能力の喪失・減弱,制約さ れたとすることはできず,法律的な観点から評価する必要がある( 東京高 判平13.7.30は, 激烈型で中程度 とする鑑定意見があるが,客観的な事実 を踏まえ,自由な意思決定ができたとしている)。
①うつ病罹患前の被保険者の本来の性格・人格,
うつ病罹患後の性格や人格が,従前と比べて大きな変動が認められる場合,
自殺行為が本人の人格の発現と見られる病的要因が大きいということができ る。
②自殺企図行為に至るまでの被保険者の言動・行動および精神状態
被保険者の言動・行為の異常性,精神状態の異常性(自傷行為の有無)な どは,自殺当時の被保険者本人の自由な意思決定能力の有無を判断する材料 として裁判所は重視している。また,被保険者は家族・勤務先その他におい てコミュニケーション(意思疎通)が取れていたか,また,被保険者の自殺 21) 東京高判平成18年11月21日,東京地裁平成18年4月26日 一般に自殺の多く が何らかの精神障害に起因するといわれていることに照らすと,本件もうつ病 という精神障害に起因し,その回復期にあるも自殺のすべてが本件免責条項に いう自殺に該当しないと解するのは相当でなく,自殺が本件免責条項にいう自 殺に該当しないというためには,被保険者の自殺に至るまでの言動及び精神状 態,…本性,自殺の態様,自殺の動機の有無…他の動機の可能性等の事情を考 慮して,うつ病により被保険者の自由な意思決定能力が喪失し又は著しく滅弱 した結果,本件自殺に及んだものと認められるかが,必要であると解するのが 相当である。。
する直前の受診時の状態などから,自由意思のもとで行為選択能力があった か否かの判断材料の重要な事項としている。
さらに,判読可能な遺書を残した被保険者は,その内容が合理的であると きはうつ病などによる影響は少なく自由な意思決定によるものと裁判所は評 価している。
③自殺企図行為の態様(死亡の手段と方法)
自殺の手段では,縊死(45%),飛び降り(8%),一酸化炭素中毒(4
%)で,この三者は三大自殺手段といわれている,その他の手段としては,
入水,薬物・毒物,鉄道,火傷,切傷,銃などがある 。
事前準備の要否(要の例:練炭での一酸化炭素中毒等,不要の例:飛び降 り,飛び込み 等)によって,事前準備することは自由な意思決定に基づく 行為と評価する判断材料の一つとされている 。
④自殺の動機の有無
動機の存否は,被保険者本人の自由意思による行為と評価される重要な要 素である。その動機が社会的,経済的,心理的・身体的状況の変化の有無
(リストラ,がん・難病による疲労感等),家庭内トラブルなど動機が合理的 であるときは自由な意思決定による自殺と評価している。
⑤近隣風評・目撃者談等からみた場合自殺当時の明瞭な精神障害
以上のとおり,⑴医学的知見を前提に⑵法律的判断によって, 自殺時に,
うつ病など精神病その他の疾患によって,自己の行為を理解できず自己の生 命を絶つという認識ができない状態または自己の行為の選択を抑制できない
22) 斉藤学 うつ病 と自殺 (日本保険医学会誌第103巻4号,2005年)298頁。
23) 精神障害の中でも例外が認められる。すなわち,自殺のための事前準備があ るとしても,境界性人格障害に罹患している者の縊死は,ザイルを事前準備す る病癖があるようであるところから,慎重さが求められる。
24) 2011.6.1発表の警察庁のまとめによると,2010年の自殺者32,552人で,自 殺の動機は,健康(46%),経済・生活(24%),家庭(9%),勤務(6%),
男女(2%)問題の順であった。
状態に陥った状態 に当たるかを検討する 。
4.自殺の有無と, 自由な意思決定ができない状態 の有無の立証 責任
自殺についての立証責任が保険者側, 自由な意思決定ができない状態 での自殺の立証責任が保険金請求者側にある(山下友信・前掲)。
この 自由な意思決定ができない状態 での自殺の立証責任を果たしてい ないという理由で保険者を勝訴させた 大阪高判平17.3.17がある(もっと も,この判例は,諸事情を総合的に判断した結果, 自殺が精神障害中の動 作に基づくことを認めるに足りない としている)。
5.今後の課題
⑴ 自由な意思決定ができない状態 とは,被保険者のうつ病などの精神 状態がⅰ)意思決定能力を喪失していた場合,ⅱ)意思決定能力が著しく減 弱していた場合,ⅲ)うつ病など精神障害によって行為の選択が自由な意思 決定が制限されている場合があたることとなるが,一方で,行為の選択が制 限されたものとの区分けは必ずしも明確ではないから,自殺行為前・当時の 本人の状況,行動,言動などを細かに確認し,個別具体的に判断する要があ る。これらの積み重ねによって客観的に確認すべき事項などを明らかにする 要がある。また, 自殺総合対策大綱 が定義する 自殺 との調整も必要 となろう。
25) 被保険者が,自殺の際,精神病その他の精神疾患又はこれに準ずる事由によ って,自己の行為の意味を理解できない状態又は自己の行動をコントロールす ることが困難な状態にまで至っている必要があるとする見解(猿木秀和事例研 レポ171号(2002年), 精神障害に大幅に支配されているために自由な意思決 定ができない状態 を基準とする見解(中込一洋事例研レポート174号(2002 年)。
26) 白水知人 昨今の自殺と生命保険 保険医学会報告資料,2010。
⑵ うつ病など精神疾患と告知事項
まず,うつ病など精神神経病に罹患している人の自殺者は,うつ病(内因 性および反応性)では15%,アルコール症依存症(とくに末期や肝硬変の発 症時期)では15%,統合失調症では10%,精神病性人格障害で5%,麻薬中 毒者では10%,そして神経症となる 。これらは,精神障害患者は一般の集 団に比較して常に高い死亡率を示している 。
そこで, 統合失調症 うつ病 神経症 については,危険発生の可能 性が高いことから,保険者はこれら病歴につき告知事項としている。これら 疾患は,アルコール依存症,薬物常用などが伴うことが往々に見受けられる が,薬物の常用・中毒,覚醒剤・麻薬については告知事項としていない保険 者が多い(アルコール依存症などの薬物の常用や中毒(依存)の有無は告知 事項としている)。
保険者は,個人情報,犯罪行為を告知されたときの取扱いを懸念し告知事 項から削除した経緯があるが,保険事故の発生の危険性は高く,告知事項と するのが妥当である。また,薬物常用が社会問題化しつつある中で犯罪者集 団を構成する危険もあるので,反社会勢力の排除の観点からも必要である。
また,近時,多様化する精神疾患の中で境界性パーソナリテー障害による 自殺行為も問題視され,自殺と精神障害とは切り離せずなお留意していく必 要がある。
(筆者は公益財団法人生命保険文化センター勤務・国士舘大学法学部講師)
27) 保険医学 (株式会社南江堂,2003年)286頁。
28) 前掲注27)283頁。
判示内容被保険者の身体状況,異 常言動等,遺書の存否通院加療・診断名自殺・非自 殺・手段裁判所判決日№ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦
昭和28年11月27日 下級裁判所民裁判例集4巻 11号1770頁 昭和48年2月12日 判タ302号274頁 文研判例集第2巻43頁 昭和54年4月13日 文研判例集第2巻226頁 昭和57年4月16日 文研判例集第3巻187頁 昭和55年10月31日 文研判例集第2巻340頁 昭和61年10月13日 文研判例集第4巻409頁 平成4年2月3日 判時第1442号147頁 平成7年6月23日 生保判例集第8巻156頁
東京地裁 大阪地裁 大阪地裁 大阪高裁 大阪地裁 大阪地裁 東京地裁 鹿児島地裁
非自殺 飛込み 自殺 縊死 非自殺 頚動脈切傷 自殺 焼死 自殺 海の中で溺 死体で発見 自殺 焼死 自殺 縊死
精神病などの加療な し うつ病の治療歴はな い。 内因性うつ病 精神病の罹患の事実 はない。 医師に不眠,盗汗等 の心的症状を訴える。 治療歴なし。 不安神経症と診断
神経質・小心 (遺書なし) 帰宅後に疲労を訴え,言 動にやや奇異な点が見ら れた。(遺書なし) 死亡日前日にうつ病を再 発し,歯科診療に従事。 (遺書なし) 生活苦,結婚生活も悲観 的等,自棄的な行為。多 少精神不安定。 (遺書なし) 家出翌日に従業員を解雇 する会議が予定。(遺書 なし。財産状態を記載し たものはあり) 死亡直前から家族と連絡 不通,疲れた…との メモがあり。 焦燥感,不眠症状,動悸 を訴え。愛人・会社の問 題につき悩む。
自殺手段が異常。発作的精神陣碍 中の動作に基因する死亡。 がんに罹患の心配や勤務先の 配置換えなどに不満などの動機あ り,自殺と認定した。 内因性うつ病による精神障害中に おける動作による死亡。 心神喪失の状況にあったことまで は認められないとして自殺。 うつ病的傾向はあったが,自殺時、 精神障害中とは認められない。 多額の借金,長女が身体障害者、 被保険者も肝硬変などを苦慮,覚 悟の自殺。 不安神経症や恐怖症は,判断能力 失うほどのものではなく,自殺で ある。
別表精神障害による自殺を巡って争われた裁判例平成23年8月作成