医療化社会の思想 と行動 ( 倫理学)
医療化社会に臨んで
五十嵐 靖 彦
1 .は じめに‑ 「 医療化社会」 とは
「 高齢化社会 a gi ngs oc i e t y 」 ( 高齢化率 7‑14%) と 「 高齢社会 a ge ds oc i e t y 」 ( 高齢化率 14% 以上) と い う言い方がある。そ うす る と 「 医療化社会」 とは、英語では me di c a l i zi ngs oc i e t y とで も言 えばいい だ ろ うか。 もっともこの場合 には何% といった数字的規定はないが。そ もそ も 「 医療化社会」 とい う用語 自体必ず しも市民権 をえたポ ピュラーな言葉ではないか もしれない。ただ し、「 社会の医療化 Me di c a l i za t i onofs oc i e t y」 ない しは 「 医療の社会化 Soc i a l i za t i onofme di c i ne」 い う類語はかな り早 くに 提唱 されている ( 参考文献 1 、2) 。 この場合には、( 医療が市場原理 に委ね られて売 り手 ( 医療側)
と買い手 ( 患者側) との間の完結 した個人関係 として 自由主義的に行われ るのではな く、そ こに第 三者 としての社会が否応な く介在 して くる社会、従 って結果的には社会 自体 も医療によって深 く影 響 を受 け変容 して こざるをえない とい う関連が仕上が っている社会) といった意味のよ うである。
確かに、 特 にわが国ではその兆候は数多 くみ られ る。例 えば、国民皆保険制度の保障によってかか っ た医療費の過半以上が公費で賄われ る し、ある種の疾病 ( 伝染病 ・遺伝病 ・精神病な ど) にあって は患者個人の 自由が社会的に束縛 され る。 また、近年の世界一 となった平均寿命の伸びや少子高齢 化、国民医療費の増大による国家財政の圧迫、病気予防や健康増進 ・福祉増大等‑の医療 目標のシ フ トア ップ、それ に伴 う医療関連産業の発達、医療従事者の増加な どまさに医療の進歩による社会 的イ ンパ ク トその ものであろ う。 こ うして医療 とい う、限 られているはずの分野の社会的比重が大 き くなっている状態、それが 「 医療 の社会化」現象 とい うわ けである。
類語 としての 「 医療化社会」 も当然なが らこれを踏 まえた概念であ らざるをえないが、 もしこれ に微妙な種差 を加 える とすれば、社会化の現象を医療 を施す側か らではな く、医療 を受 ける一般国 民側か らみれば ど うなるか とい う視点か と思われ る。つ ま り、医療専門職 としてでな く、門外漢 と して 日常生活を送 っている市民が医療 とど うかかわ っているかを反省的に眺めた場合、上にみた現 象が どう見えて くるか、であろ う。す る と若干違 ったニュア ンスがでて くるのではないか。そ うし た視点か らみる と、以下の よ うな昨今の社会風潮がイ メージ として浮かんで くるO医療化社会 とは、
一口に言 えば、「 医療が診療所 とか病院 とかの専門の医療施設 に限定 されず、広 く人々の 日常生活に
浸透 している社会」のことである。つま り、医療化社会では、人々は医療づいてお り、毎 日ジ ョギ
ング しよ うとか、 自然食品が どうの、賞味期限が ど うの と、なにか と健康に気遣い、 自分な りに病
気予防や悪化防止、健康増進に努めようとす る。 当然なが ら病院な どで診療を受 けた場合に も、 自
己に関す る医療情報 には大きな関心を抱 き、時に開示を求めた り、プライバシーの権利を主張 した
り、治療 に疑義があれば訴えた りす る機会 も多 くなるOいわゆる民度が高いわ けである。医療化社
会にあっては、国民の医療 に関す る関心や意識が高いか ら医療専門家たち もうかつな ことはできな
い。実験研究に しろ、臨床に しろ、十分患者の人権 を尊重 した進め方をす るよ う気をつけざるを得
ない。医療 ミスに至 っては、いつ内部告発によってマスコ ミに流 され るか も知れない。現に多 くの
医療 ミスが これ によって告発 されている。 こ ういった人権配慮 を担保す るために大きな医療機関で
は、院内に医療専門家以外の メンバーを加えた倫理委員会 を設置 し、新 しい実験な り治療法や研究
な りに関 して審査 を受 けることによって、社会常識か ら遊離 しない よ うな体制を取 っている ところ が多い。 もっとも、だか らといって、専門医療人が考えている医療 と門外漢が考えている医療 とが 直ちに同 じもので、知識量での程度の違い しかない、等 とい った ことは意味 しない。む しろ逆に医 療人の考 える論理や常識 と専門外の一般人の受け とめるそれ とが、 しば しば食い違 うか らこそ、誤 解や医療不信が起 こることが多い。医療が 日進月歩に進歩す る医科学 と連動 しているが故に社会 と 医療 とが不断にぎ くしゃ くしたダイナ ミックな関係をな している。 この点は後 に触れ ることになる が、さし当た って医療化社会の大 ざっぱなイ メージとしては、「 国民の大多数が多かれ少なかれ医療 人化 している社会」 としておきたい。なお、今一つ断 ってお くと、 日常 自分な りに健康に気を配 っ ているか らといって、必ず しも羅病率や受診率が減少 した、 とい うわけではない。む しろその点で は逆に上が っているのである ( 図表 1 文献 3) 。なぜか と言えば、健康に気を使 うか らこそ心配や 予感が働 き医療機関を訪れ る機会 も多 くなる し発見率 も高まるわけだ し、また、常時ではないに し ろ一定期間をおいて定期的に受診 しなが ら薬剤 をもらった り、 自宅処置 を行 った りして 自分な りに 日常は管理 しているケース も多いか らである。
医療化社会は、聖俗 の峻別 を廃 し、普遍祭司主義 に立 ってカ トリックキ リス ト教を俗人宗教化 し たプ ロテスタン ト的世界にた とえ られ るか もしれない。勿論そ こにあって もそ うだが、最終的には 専 門職 の世 話 にな らざるをえな
いだ ろ う。そ うではあって も、そ うな る前 に素 人 な りにで き るだ け医療 にコ ミッ トし、用心を怠 ら ないわけである。
こ うした現 代 の 医療 化社 会 を 前に して、い くつか考えるべ きこ とがあるが、まずは、 ど うして こ うい う国民 総 医療 人 化 の社 会 に なったのか、である。
図表 1 年次別患者数 ( 全国推計 ・単位千人) 総数
昭和 5 9 年 7 6 9 8. 7 6 2 8 0 6 9. 5 平成 2 年 8 3 6 6. 3 5 8 4 0 2. 4 8 8 81 0. 3 1 1 8 31 8. 6
入院 外来
1 3 4 3. 8 6 3 5 4. 9 1 4 3 6. 0 6 6 3 3. 5 1 5 0 0. 9 6 8 6 5. 4 1 4 2 9. 5 6 97 3. 0 1 4 8 0. 5 7 3 2 9. 8 1 4 8 2. 6 6 8 3 5. 9 厚生労働省 「 患者調査」より抜粋 2. 医療化社会 を招 いた要因
これにはい くつか要因があるが、 さし当た って考 え られ るのは次の 6 点か と思 う。
( 1 ) 生活水準の向上
生活が貧 しければ、衣食住全般 に渡 って選択肢 は限 られて くる。病気になる、な らないの前に先 ず生きなければな らない。栄養が ど うの、不衛生だ等 と言 ってはい られない。その 日を凌 ぐのに精 いっぱいな らば、健康や病気に気遣 ってい られないだ ろ う。わが国で も戦後 の 1 0 年間 くらいはそれ に近い状態だ った し、今 日で も世界の中ではこ うい う状態の国がある0
( 2 ) 医療情報 の普及
豊かにな って くれば当然 ライフスタイル 上の選択肢 も増 える し、教育水準 も上が る。健康や長生 きに関心を寄せ るよ うになる。マ スコ ミの発達 もあって、そ うした関心に応 える健康や医療に関す る情報が広 く出回るよ うになる。国民は 日常的に、健康に有害な食品や、不衛生な環境に目を光 ら せ るよ うにな り、また定期的に健康診断を受け、病気予防や早期発見に配慮す るよ うになる。
( 3) パターナ リズムか らイ ンフォーム ド・コンセン ト‑
「 医療化社会」化の大きな要因 として、特に 2 0 世紀後半における、医師 ・ 患者関係の新 しい倫理の 確立を指摘できるO これは、パターナ リズムか らインフォーム ド・コンセン ト‑の流れ、 とも表現 できよ う。従来は、生命に関与する高度専門職 としての医業は聖職祝 され、いわば上意下達的な医 師患者関係が一般的であった。医師には誠心誠意患者の利益 ( 病気予防 ・健康回復 ・生命延長 ・守 秘)に奉仕す る とい った高潔な倫理性が要求 され、だか らこそそれが尊崇の源泉 ともな っているの だが、 こ うしたパターナ リズムの常 として説明責任の免除 ・過誤の隠ぺい ・密室医療 ・患者の人権 無視 ・一方的な信頼の要求等の悪弊 と両立できないわけではない.第 2 次大戦 中のナチズムの非人 道的な人体実験の暴露 をきっか けにそ うしたパターナ リズムに潜むマイナス面が厳 しく断罪 され、
医患関係の新 しい倫理 としてイ ンフォーム ド・コンセン トが通例 とな った。医療側には、患者の人 権や 自己決定権の尊重 と説明責任、情報開示、 より厳 しいプライバ シーの尊重 とが求め られるよ う にな ったのである。 この精神は、ニュル ンベル ク綱領、 ジュネーブ宣言、‑ル シンキ宣言等多 くの 倫理 コー ドに表現 されている。以上の背景か ら患者側は何か と医療情報に触れ る機会が多 くな り、
いやで も医療づいて くる訳である。
( 4 ) 高齢社会化
医療が発達 し、生活が豊かにな って くる と、当然国民の平均寿命は伸びて くる。 これ また当然な が ら老齢化 して くる と怪我 を した り、感染 した り、身体のあちこちの結構や組織が痛んできた りす る。寄る年波 による心身の弱体化は自然の生命現象であ り、直ちに病気 とい うほどではない。仮に 病気だ として も病院での治療 によって ど うなるもので もない程度の病気 もある。弱体化のスピー ド をできるだけ遅 くした り、 自宅での病気管理 を行 った りする上で も、高齢社会に生きる多 くの国民 は医療づか ざるをえない。
( 5) 急性病か ら慢性病‑
現代医療の一つの特徴は、感染症な どの急性病か ら慢性的な生活習慣病に病態構造の力点移行が 見 られ ることである。かつての結核や レプラ、性病等は恐い病気ではな くな り、成人病 と言われ る 糖尿病、高血圧症、心臓病、脳 出血などが病気分布の上で大きな位置を占めるよ うになった。昭和 4 0 年代頃か ら 3 大死因は心臓病、脳血管障害、悪性新生物になっている。反面、エイズや医原病、
エボラ熟な ど新 しい難病 も出てきている。
( 6 ) 医療費の高騰
高齢社会では国民医療費は、鰻登 りに上が ってい く。 ちなみに、 GNP に占める医療費の割合は、
1 9 6 0 年度 3%、7 0 年度 4. 6 %、8 0 年度 6. 5 % と上昇の一途を辿 っている 。1 9 9 0 年度には、 7% で約 2 0
兆円、国民一人 当た り 1 8 万円、 うち 2 8%が老人医療費である。近年では3 0 兆円近 くに達 し、一人 当 た り 25 万円の負担 となっているよ うである。国民皆保険制度 を しくわが国で こんなに医療費がかか るよ うでは国家財政が破綻 しかねない とい うことで、 自己負担率を増や した り老人無料枠 を減 じた りす る政策を取 る一方、ク リティカルパス導入 によって入院期間の短縮化を図る等 している現状で ある。 これでは益々在宅ケアを励行せ ざるを得ない。
以上 「 医療化社会」化を招いた引き金 と思われる要因をい くつか列挙 したが、中には、原因 とい うよりもむ しろ結果 といえるもの もあるが、 しか しその結果がまた原因をなす とい う関係があるわ けである。
3. 医療化社会の逆行現象
ところが、逆説的な ことだが、病気が重 くなって最終的に病院な どの専門職のお世話 になる とい うの とは別に、 ことごとくプ ロまかせ とい う分野がある。い うまで もな くそれは、誕生 と死 とい う 生命の両端に関わる出来事である。本来誕生 も死 ( 病死や不慮の事故死、 自殺等の偶然死は別 とし て) も自然現象であって異常 とい うことではない。現に昔は助産婦の助 けで 自宅で出産す るケース や家族親族に見守 られた中での 自宅の畳の上での死が普通だ った。それが近年ではほ とん どの新生 児が病院 で誕 生 し、ほ とん どの老 人が病 院や施 設 で死 を迎 えるので あ る。 「 誕 生や 死 の医療 化 ( me d i c a l i z a t i o no fb i r t ha n dd e a t h) 」現象 と言 っていいか も知れない。 ここで も宗教 を引き合いに出 せば、葬式仏教化 した仏教 に死者を送 る儀式を一切お香せす る風潮にた とえ られ るか も知れない。
出生や死にいたるプ ロセスを専 ら医療施設に委ねるのである。その実体をデータ として少 し確認 し てみ よ う。
図表 2 ( 文献 3)は、わが国における医療施設内での誕生数の割合の推移を示 した ものだが、昭 和25 年に4. 6%であったのが年々増加 し、平成1 1 年度では99. 8%になっている。つま り市部、郡部を
図表 2 施設内 ( 病院、診療所、助産所)における出生割合 ( %)の年次比較 昭 和 2 5
年 (19 5
0)30 (