• 検索結果がありません。

私のポワチエ留学記

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "私のポワチエ留学記"

Copied!
2
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

私のポワチエ留学記

人文学部助教授 高 名 康 文

この度、在外研究の機会を得て、平成15年4 月より、平成16年3月まで、フランスのポワチ エ大学中世文化研究所に滞在した。当研究所に 長期滞在したのは、これが二度目である。とい うのは、東京大学博士課程の学生であった平成 8年10月より平成11年2月まで、ここで博士課 程の学生として学んでいたからである。留学当 時からの指導教官であるガブリエル・ビアンチ オット先生は定年退職なされたが、後数年は後 進の指導にあたれるということで、今回も先生 のお世話になることになった。

残念なことに、最初の3ヶ月ほどは生活に追 われることになった。まず、4月はフランスの 学年暦でいえば終わりにあたるため、同行した 妻がフランス語を学ぶ環境を大学の語学講座以 外に探さなければならなかった。また、出発前 に指導教官を介してポワチエ大学の国際交流課 に紹介してもらった部屋では、入居して早々に 問題が生じた。引越しを宣言した段階で、大家 が契約書に定められた以上の違約金を要求して きて、その上こちらが契約書云々と言い出すと

「お前のフランス語は分からない」と言ってと ぼけるので、妻の家庭教師まで巻き込んで『狐 物語』のルナールとイザングランばりの阿呆ら しい紛争を繰り広げる羽目に陥った。引越しが 完了した頃には6月も終わろうとしていた。こ の段階で国際交流課にメールで事実の報告をし たが、返ってきた返事は「その大家とは7年間 のつきあいがあるが、一度も問題はなかった」

というもの。「指導教官が絡んでいるので、誰

も 文 句 が 言 え な か っ た と い う こ と で は な い か?」と返事を出したが、梨のつぶて。気がつ けば、研究者も学生もヴァカンスに入り、大学 都市であるポワチエは閑散としていた。

日本でも報道されたそうだが、昨年のフラン スは観測史上最大の猛暑で、気温は連日40度弱 になった。フランスの大半の家庭がそうである ように、我がアパートにもクーラーがついてい ないため、部屋では勉強どころの騒ぎではない。

いっそのこと南仏の海岸にでも出かけたくなっ たが、8月の国際学会に発表のエントリーをし ていたので、それまでの遅れを取り戻すべく、

近所で唯一冷房が効いている市立図書館に毎日 出かけて準備することになった。思い返せば、

前の留学の際、大寒波でアパートの水道管が凍 結した時も、この図書館のトイレに通ったの だった。

ある日、仏和辞典を片手に勉強する学生を見 つけて声をかけたところ、果たして法学部の博 士課程に在籍する日本人だった。彼の紹介で、

傍らにいたフレデリックという法学部の若手の 助教授とも知り合いになった。かつて北海道に 一年間留学して、その際日本人には大変に親切 にされたので、日本の研究者と知り合えて嬉し いと言ってくれた。博士論文を公刊するので、

夏中ポワチエに留まって原稿の手直しをしてい るということである。私に「困ったことはない か?」と聞いてくるので、率直に住居のことを 話したところ、大家のことはもちろんとして、

フランスの大学の外国人研究者へのホスピタリ 海外レポート

― 6 ―

(2)

ティーについても断罪し始めた。私はかつて日 本で学生であった頃、交換留学で来たフランス 人の学生を研究室をあげて世話をした経験を話 し、「そう言われれば『その通り』としか答え ようがないが、こちらは外国人としてフランス でフランス文学を学ぶ身である。こちらで博士 論文でも書かなければ、世話をする価値がある とは認められないということでしょう」と答え た。これに対して、法学部の日本人学生が、「私 は、民法学者としてフランス法を学んでいます が、果たして日本にいた時、アジアから来た留 学生に対して親切であったかと、自分に問うと 心が痛むんです。」と言ったことが今も鮮明に 思い出される。

その後、法学部の二人には、妻ともども実に よくお世話になることになった。図書館のロ ビーでコーヒーを片手に、また時にはカフェで ビールを飲みつつ、よく話したものである。フ ランスの大学の法学部では、研究者の在外研究 にあまり積極的ではないらしく、若くして留学 の機会を与えられた私はずいぶんと羨ましがら れたものだ。彼は実に多くの学内の雑務を引き 受けているということであった。フランスの研 究者は、日本と較べれば授業以外の業務が少な いと思い込んでいた私には意外なことであった。

ベルギーでの国際学会での発表を無事に済ま せ、9月に入ってからは、妻が語学学校に通う ようになったこともあり、心置きなく研究に没 頭できるようになった。朝9時に妻を語学学校 に車で送った後、夕方までその脇にある図書館 で過ごすことが日課であった。中世研究所の図 書館ではなく、ここに通い出した理由は、R. Bel- lon氏による『狐物語』に関する1300枚に渡る 国家博士論文(未公刊)のマイクロフィッシュ があったためである。Bellon氏の学識には、学 術雑誌に掲載される論文を介して既に触れてい たが、この大論文は前の留学時代は審査後間が なかったためアクセスが不可能であり、かつ福

岡大学で勤め出してからの4年間は多忙のため 手が回らない状態であった。この度、初めて読 み通してみて私の研究テーマである「『狐物語』

におけるパロディー」を論ずる際には不可欠の 論文であったことが分かり、これに言及せずに 論文を発表してきたことに対し忸怩たる思いを 抱いた。

勉強の合間には開架図書をよく見て回った。

中世ヨーロッパ史のコーナーに行くと、『狐物 語』に出てきて、これまで私が解釈に悩まされ てきた告解、巡礼、聖遺物信仰といった当時の 宗教的慣習に関する基本研究書がごく親しみや すい形で並べられており、やがて、一日の半分

はBellon氏の論文、あと半分はこれらの図書

を読むことに費やすようになった。法学部の二 人も、ここによく通っており、勉強や仕事の合 間に顔を出してはお茶に誘ってくれた。

総合図書館では嬉しい再会もあった。かつて 中世研究所の図書館員であったポルさんがここ に勤めていたのだ。図書館員として大変に有能 かつ勉強を惜しまぬ人で、当時の学生は皆世話 になっていたのだが、癌を患ったとのことで突 然入院し、以後音信不通になっていたのだ。ど うなったかと心を痛めていたのだが、難病を克 服して今度は総合図書館に勤めていらした。現 在は、映像資料を担当しているとのことで、日 本の映画について熱心な質問を受けた。開架図 書の充実も、ポルさんのような図書館員に負う ところが大きいに違いない。

始まりは良くなかったものの、様々な出会い や再会のお陰で、在外研究の後半は充実した毎 日を送ることができた。車でサン・サヴァンな どポワチエ近郊の中世の教会や遺跡を回ること もでき、中世人の営みを身近に感じる機会も持 てた。秋のサルラ、冬のドルドーニュからカル カッソンヌへの旅も思い出深いものである。末 筆になるが、このような機会を与えて下さった 福岡大学の皆様に深く感謝申し上げる。

― 7 ―

参照

関連したドキュメント

 音楽は古くから親しまれ,私たちの生活に密着したも

老: 牧師もしていた。日曜日には牧師の仕事をした(bon ma ve) 。 私: その先生は毎日野良仕事をしていたのですか?. 老:

手話の世界 手話のイメージ、必要性などを始めに学生に質問した。

子どもたちは、全5回のプログラムで学習したこと を思い出しながら、 「昔の人は霧ヶ峰に何をしにきてい

海なし県なので海の仕事についてよく知らなかったけど、この体験を通して海で楽しむ人のかげで、海を

一貫教育ならではの ビッグブラ ザーシステム 。大学生が学生 コーチとして高等部や中学部の

なお、保育所についてはもう一つの視点として、横軸を「園児一人あたりの芝生

 学部生の頃、教育実習で当時東京で唯一手話を幼児期から用いていたろう学校に配