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ネパール:国、現代社会と支援

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ネパール:国、現代社会と支援

宇 田 和 子  埼玉大学教育学部英語教育講座

伊 藤 ゆ き  元バルクマリ大学日本センター

竹 下 万 生  上越教育大学大学院教育科学研究科

キーワード:ネパール、教育、移民労働、ボランティア、支援

1.序章(宇田和子)

 第二次世界大戦終了後、日本は世界の国々と次第に国交を回復して行った。そうした中、ネパ ールと日本は1956年という早い時期に外交関係を樹立し、両国の戦後の交流史は長い。そして、

埼玉大学とネパールにあるトリブバン大学は2002年に学術交流協定を締結し、13年にわたる交流 の歴史を持つ。この間、留学生の交換、そしてカトマンズ研修旅行が実施されてきた。2つの国 と2つの大学は、長く親密な連携を維持してきたのである。

 このような背景のもと、2014年4月、元埼玉大学特任教授を勤めた後、トリブバン大学分校バ ルクマリ大学日本センター長としてネパール学生の日本語指導にあたってきた伊藤ゆき博士が、

3年間のセンター長任期を終えて帰国した。ネパールは、マスコミによる一般情報が入りにくい国 である。伊藤博士の帰国をとらえ、目下のネパール状況を広く日本の人々に知ってもらうことは、

意義あることと考えられた。埼玉大学教育学部国際交流委員会は講演会を企画し、教育学部長裁 量経費を受け、2014年10月12日、14:00~16:00、「現代ネパール理解講座」を主催した。駐 日ネパール大使館と日本国際協力機構(JICA)の後援を頂戴し、会場もJICA東京国際センター、

セミナー・ルームとすることができた。

 「現代ネパール理解講座」は5つの講演で構成された。1“Key-Note Speech”マダン・クマール・

バッタライ(駐日ネパール連邦民主共和国大使)、2「東アジアおよび中印関係におけるネパール の立場と今後の展望」高橋邦夫(日本総合研究所国際戦略研究所副理事長)、3「ネパールの概況 とJICA支援の動向」新藤はるか(JICA南アジア部南アジア第四課主任調査役)、4「ネパール社 会の最新事情:教育および海外出稼ぎ問題を中心に」伊藤ゆき(元バルクマリ大学日本センター長)、

5「ネパールの留学事情およびボランティア活動について」竹下万生(上越教育大学大学院学校 教育研究科院生)。司会は宇田和子が務めた。

 本論説は、上記の5つの講演をもとに、ネパールという国とネパールの社会や支援の現状を、

文字の形で記録にとどめたものである。文字で記載しインターネット上に公開することは、ネパー ルを広く一般に知ってもらうことに役立つだけでなく、ネパール研究に携さわる人々に有益である と考えられたからである。本論説は、まずネパールという国を概説し、次に現在ネパールに焦点 が置かれた伊藤講演、竹下講演を収録した。

埼玉大学紀要 教育学部,64(2):189-197(2015)

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2.ネパール概説(宇田和子)

2-1.地理と気候

 ネパールは現在、正式国名を「ネパール連邦民主共和国」という。この名が表すように、

この国は多くの政治区域と多くの民族の集合体である。立憲議会制共和主義を掲げ、首都はカト マンズである。

 国土面積は147,181㎢、北をチベット自治区に接し、そして東南西の三方向をインドに接した内 陸国である。水面積率はわずか2.8%。少数の川と湖沼があるのみで、海に面してはいない。この ような地理的状況のため、海路にてネパールに入ることはできず陸路が主体となるが、陸路はイ ンドを通ることとなる。こうした交通事情のため、貿易相手国はインドが最大となり、世界の他の 国々との貿易を行う際もインドを通過しなければならない。インド経由の貿易は、インドの貿易規 制に合致する必要があるためインドとの交渉の手間が必要であり、そしてまたコストも高くなる。

しかし、空輸がさらに高いことは言うまでもない。国内輸送は、水運は成り立たず鉄道も普及して いないため車輸送となり、輸送コストはすべてにおいて高い。

 国土は横に長く縦に短い。しかし短い縦方向には極めて大きな標高差が存在する。北端はヒマ ラヤ山系であり、標高8,000mを越す山々が並び、高山気候である。南へ下って行くと丘陵地帯と なる。首都カトマンズは南北のほぼ中央にあって丘陵地帯に属するが、標高1,300mで盆地である ため、一日や季節による温度差は大きい。南へさらに下ると高温多湿で肥沃な平原地帯となる。

小さな国土面積において、標高最高はエベレスト山の8,850m、標高最低箇所は70mであるから、

ネパールは多様な気候が急展開する急斜面上に存在していると言える。国が5つの開発地域に分 けられて14県が置かれ、さらに75郡という小区分に分けられているのは、こうした変化の多い気 候と、そして多くの民族が生活しているためである。

2-2.歴史

 ネパールに人が住み始めたのは、発掘された石器から、紀元前3万年頃と推定される1。有史時 代は、古代、中世、近・現代の3期に区分される2

 古代期は、インド・アーリア語族のリッチャヴィ王族がカトマンズ盆地を中心に支配した5世紀 から9世紀である。

 中世前期に入り、まずデーヴァ王朝、次にマッラ王朝となったが、全国を統治する力は無かった。

中世後期も小王国分裂の時代であった。中央勢力のマッラ朝でさえ、1619年までには、バクタプル、

カトマンズ、パタンの三つの都王国に分裂していた。

 しかし1769年、ゴルカ王がカトマンズとその周辺を統一し、近代期となる。ゴルカ朝は領土拡 大政策を取り、現在のネパール全土はほぼゴルカ朝の支配下に入った。しかし1846年、軍務大臣 ジャンガ・バハドゥル・ラナが、王を傀儡とするラナ専制政治を開始した。

 ラナ専制政治は104年間続いたが、反ラナ運動が強まり、1951年に王政復古となり、立憲君主 制を謳う現代期が始まった。1959年にはネパール初の総選挙が行われ、1962年には新憲法が制 定された。ところがこの年、シャハ王が国王親政を開始し、国王を頂点とするパンチャーヤト制度 を導入した。しかし1990年1月、第1次民主化運動が起きたため、11月に10代国王ビレンドラ・

シャハは立憲君主・主権在民・議会政治を柱とする新憲法を発布し、1991年には総選挙が施行さ

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れた。が、依然、政情は定まらず内閣交代が相次ぐ中、1996年、マオイストが武装反政府運動を 開始した。そして2001年、ビレンドラ国王夫妻が、推定によれば皇太子によって王宮内で銃殺され、

弟ギャネンドラが王となり、ネパールは再び絶対王政へ戻ることとなった。しかし2006年、7党 連合がゼネストを呼びかけ絶対王政に反対し、国王は民主化を宣言し、マオイストたちとは包括 的和平協定が合意され内線は終結し、コイララ政権が誕生した。2008年、政憲議会投票が実施され、

ネパールは「連邦共和制」を宣言し、ギャネンドラ国王は王宮を去った。

 ネパールには民主主義の歴史が無いため、連邦共和制を実行する力が無く、首相の交代が相次ぎ、

2014年現在、ネパールは暫定憲法のもとで暫定政府が置かれているのが現状である。こうした政 治不在が、ネパールの経済と生活の進展を阻んでいることは否めない。

2-3.民族、カースト、宗教、生活

 ネパールはアジア大陸の中央部に位置した内陸国であるため、多くの民族の往来と定住が容易 な国であった。そして現在、この小さな国には、インド・アーリア系、チベット・ビルマ系、モン ゴロイド系など125の民族が生活している。この民族区分は使用言語を指標としたものであるから、

ネパールでは125の言語が使用されていることである3。しかし公用語はネパール語で、古代イン ドで発達したデヴァナガリ文字で表記される。15歳以上の識字率は、2011年国政調査によれば、

男女平均66%にすぎない。初等教育の当初就学率は90%であるが、貧困のための中途退学が多く、

そしてまた進級試験に合格できない生徒があるため留年率が高い。留年生徒があることと、中途 退学生が復学して来ることのため、同一学年内で生徒の年齢差は大きい。

 ネパールを考察する際、カースト制度は看過できない。1963年、新しい“Muluki Ain”(民法)

が導入されて、全ての人々が平等であると法文化された4。その結果、カースト制は法律上は存在 せず、そしてカースト意識は薄れてきたが、依然として潜んで作用している。21世紀の今日、5 大カースト:バフン(僧侶で最上階級)、チェトリ(支配者と戦士階級)、ネワール(民族であるが 諸カーストを含み、一つのカーストとして意識される)、マトワリ(飲食関係従業階級)、ダリット

(不可触階級)が、意識されている5

 宗教はヒンズー教徒80%、仏教徒10%、イスラム教徒4%である6。釈迦の生誕地はネパール のルンビニである。ルンビニは1997年ユネスコにより世界文化遺産とされ、観光名所として喧伝 されている。

 産業化が進んでいないため、国民生活は貧しい。2013年名目GDPは193億ドル、GDP構成は 2013年において農林業35%、製造・建設業15%、小売り業13%であり、GDPの30%を海外へ出 稼ぎしている労働者からの母国送金に拠っている7。ネパール統計局によれば、2013年おける国民 一人当たりのGDPは703ドル、GNIは730ドルと極めて低く、1日2ドル未満で生活する貧困層 は国民の70%を超えている8。潜在力ある産業は水力発電と観光であるが、インフラが整っていな い・産業を育てるために必要な産業が育っていない・民主的な政治が機能していないため開発は 進まない。

2-4.祭祀と芸術

  多民族で多宗教であるネパールは、祭祀・祭礼の宝庫である。毎年秋に10日間開催される大 祭「ダサイン」は、国を挙げてのヒンズー教の祭りである。国の祝日期となっており、家族親戚 が集合するため休暇の期間となっている。祭りはダサインのみではなく、種々の祭りが数多く、年

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間を通して行われている。

 祭礼に踊りと音楽と食べ物は付き物であるため、ネパールの人びとの生活に音楽・歌・踊り・

祭礼用の食べ物は根付いている。「サンギート」は、演奏に合せて歌って踊るネパール独特の芸術 ジャンルであるが、多様な祭り・民族があるため、サンギートにおける個々の踊りも歌も多様であ る。

 しかし、伝統文化と現代文化がせめぎ合うのが世界の現代の一般である。ネパールの伝統的な 祭祀・踊り・歌・食べ物は、世界中から入って来るライフ・スタイルや文化により、衰退しつある9。 特に都市部においては、現代の西洋音楽やディスコが盛んとなっている。食生活においても、伝 統的な「ダル・バート」は基本として存在しているが、都市部では世界各地の料理が入り、欧米 風の菓子、チャイに代わるコーヒー、そしてファースト・フードが人気である。

3.ネパール社会の最新事情:教育および海外出稼ぎ問題を中心に(伊藤ゆき)

3-1.ネパール社会における援助の意味

 ヒンズー国家には宗教に裏づけされたカーストと呼ばれる社会・経済階層があり、社会秩序維 持を容易にすると同時に、貧者の職業保障というセイフティーネットの働きをしてきた。富者が貧 者に喜捨するのは当然であり、富者の輪廻転生後(後生)を担保する名誉ある行為とされている。

この論理によると、内陸開発途上国(LLDC)であるネパールが、先進国に援助の場を提供するこ とで、先進国の余剰物資の処理を「援助」と言う名の名誉に換え、同時に、先進国の産業に寄与 する。つまり、貧者ネパールと富者先進国の利害は一致することになる。ネパールでは、1956年 の第1次国家5か年計画から今日に至るまで60年間、国土開発予算の大半が外国援助で賄われて きた。外国の民間援助も医療・教育を中心として最北の過疎地域まで入り込み、政府負担を軽減 してきた。日本人の多くも最貧国への援助とは金や物を与えることと勘違いしてきた。しかしネパ ールは、GDP等の数値・物質の量・生活の利便性を基に先進国と比較すれば最貧国に見えるが、

内部に生活してみれば、甚大な自然被害は少なく、食料は自給自足されており、決して貧しくはな い。

3-2.格差社会の実態

 カースト社会とは格差をもって秩序となしており、人々の生理的な深部まで格差感覚が浸みこ んでいる10。現在のネパール社会では、おおむね3つの格差が認められる。1つ目は宗教的浄性に 基づいたもので、権力格差、経済格差および教育格差とほぼ連動している。2つ目は性差であり、

女性は不浄であり独立した存在とはみなされない。3つ目は地域格差である。情報、政治、経済、

文化等、あらゆる富は人口の15%が居住する都市部に集中し、85%の地方は伝統的な地域権力や 民族慣習による価値観によって支配されており、開発への意欲よりも昨日と同じ生活が優先され ている。

3-3.マオイストによる武装反政府運動(人民戦争)後の社会変容

 過去のネパールでは、ほぼ10年ごとに反権力闘争が繰り返されてきた。そのたびに被抑圧民族 や下位階層は社会変革への期待を持ったが、結局はブラーマン権力の再強化という形で裏切られ てきた11。しかし、1996~2006年にわたる人民戦争を経て社会にもたらされた変化は少なくなか

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った。

 1つ目は、教育の普及である。僻地まで人民裁判や権利意識教育が浸透し、ユネスコの「万人 のための教育(EFA)」活動と相乗して教育効果が上がった。

 2つ目は、被抑圧民族および女性の中に権利の意識が覚醒したことである。親の相続に関して は法律上男女同一になった。しかし、内戦中にレイプされた女性たちが求めた補償をTRC法判で 不問に付したり、新憲法案の中に父親がネパール人でない子を持つシングルマザーには母子とも に国籍を与えないとする条項が盛り込まれるなど、男性優位社会は健在である12

 3つ目は、カースト隔壁の一部瓦解である。従来、上位階層は下位階層の職業を不浄とし、職 業を侵すことを恥としてきた。しかし、昨今、下位階層の職業(清掃業、食肉解体業、鍛冶屋業 など)にビジネスの可能性が発見され、職業が奪われるなど、カースト社会のセイフティーネット 機能が崩れ始めている。他方、生活様式の変化により、下位階層者が富裕になり、大臣になる者 も出てきた。ところが、マオイストが推奨したインターマリッジ(異階層間婚姻)は、血や水の穢 れに対する拒否感が強く、未だに同一階層間婚姻の慣習は崩れていない。

 4つ目は、少子化である。幼少から高等教育まで英語教育を施し、留学または海外出稼ぎに出 すことを望むと、田畑を担保に借金をするほどの投資が必要となる。このため、子供は1~2人に 止められる。女性公務員も、2人までは産休を取れるが、それ以上は退職勧告が出される。平均 寿命67.9歳(2011年)、平均年齢21.6歳(2010年)であることから、早晩、少子高齢化が問題と なるだろう13

 5つ目は、ジェネレーション・ギャップの拡大である。現在22歳以下の若者は、内戦の政情不 安の中で生まれた。宗教に基づく共通価値観が社会常識であった時代の大人とは明らかに異なる。

IT普及以前と以後の世代と言うこともでき、性の開放も含めて親世代が若者をコントロールでき なくなっている。さらに、世俗国家となり、急激に流入してきたキリスト教の影響がヒンズー社会 を揺るがしている。

3-4.教育インフレと出稼ぎ

 2009年に定められた新教育制度は、幼児教育2年、基礎教育8年(旧初等5年+前期中等3年)、

中等教育4年(旧前期中等2年+2年)と高等教育である。中等教育の途中10年教育終了後に全 国統一高等学校卒業資格試験(SLC)がある。西欧教育制度と整合させるためにプラスされた2 年間をプラス・ツーと呼んでいたが、新制度では中等教育に組み込まれた。しかし、地方では未 だに旧制度で行われ、+2の多くが私立学校で授業料が高いため、進学者が少ない14

 ネパールにおける教育の理想像は、1)幼児から英語の成績が良いこと、2)SLCにファースト・

ディビジョン以上で合格すること、3)奨学金で欧米へ留学するか、軽労働高賃金を得られる国 へ長期間移住し母国へ送金すること、4)カトマンズに両親のための土地と家を購入し、老後の 安泰を図ることである。

 これらの理想を達成するために、少子化は既に進んでおり、2歳からの英語教育を掲げる高額 のモンテッソリー幼稚園が流行している。また、公立校より私立校(ボーディング)が好まれ、欧 米大学に直結した有名校に殺到する。就職後高収入が見込まれる医学部、看護学部の授業料は高 額だが人気がある。休日の多いネパールでは、年間6か月しか授業がない上、有名校以外は教科 書の全暗記方式で、学校は試験を行い認証を与える存在にすぎない。女子の場合は、よりよい結 婚条件を得るために高等教育機関へ進むが、学習意欲は低い。私立学校ビジネスが大盛況な一方で、

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無料の公立校しか通わせられない家庭では児童の教育が継続できない事態が生じている。小学校 は義務教育とされ入学率のみ喧伝されるが、脱落者が多く、教育の二極化が顕著になっている。

3-5.ネパール国民が望む援助とは何か

 1970~90年代のネパールにおいて、日本は最大の援助国であった。現在使用しているダム、道 路、橋梁、信号などのインフラは日本の援助に依るものが多い。しかし、既に大半の国民は日本 という国名を知らない。現在、最大の援助・投資国は中国であり、インドを凌いでいる15。国が望 む援助と国民が望む援助は必ずしも一致しないが、国民にとっての関心事は3点に絞られる。

 1点目は、長期安定的な出稼ぎ機会の提供である。ネパールの経済は海外送金がGDPの23.8%

を占め、出稼ぎ送金に依存した経済構造である16。韓国とは経済連携協定(EPA)が締結され、毎 年5万人を越える韓国語既習者が受験し、1万人に労働ビザが支給される。同一職種であれば、

企業や勤務地域を特定されず、ネパールの2~3倍の給与(6万円程度)が得られることになっ ている。さらに、経験者は通算10年の就労機会が得られる。東南アジア各国が経済成長を遂げ、

それらの国々では安価な労働力が得難くなってきている現在、日本は出遅れている。現段階でネ パールは、フィリピン、インドネシア、ベトナムとの間でEPAを締結しているが、日本とはEPA を締結していないため、ネパールの若者は人材派遣会社に高額な手数料を支払い、留学ビザか研 修ビザで来日するしか方策が無い17。当然、2~3年の滞在では投資資金を回収できない。ネパー ルの現場では、長期滞在策として、1)日本女性と結婚して永住ビザを得る、2)難民申請をし て審査期間3年間に稼ぐ、3)不法残留する、という方法が周知されている。平成24年に日本の 入国管理局が不法残留者に対する扱いを緩和するや、直ちに人材派遣会社や日本語学校に情報が 行き渡った。現在日本に居住するネパール人は35,000人と公称されているが、実際には5万人程 度ではないかという海外在住ネパール人協会(NRN-J)関係者の言もある18。早急にEPAを締結し、

ビザの目的に則した来日方法の設定が望まれる。

 2点目は、ネパールへの直接投資による雇用機会の創設である。2011年に、ネパール投資委員 会が外国投資法を制定した。2014年には、ネパールAOTSによる「ネパール投資ガイド日本語版」

も出版された19。規定によれば、小規模業種以外100%投資を可能とし、5年間の滞在ビザを与え、

利益は外貨で本国へ送金可能としている。外国企業を誘致することで、国内雇用機会を拡大し、

社会への刺激を求めている。外国人にとっては、6~12時間の計画停電、飲料水不足、ガソリン・

石油の入手困難、高いPM2.5数値など、多くのリスクがあり、対費用効果は決して安価とは言え ない。しかし、ネパールは援助よりビジネスで、対等な経済関係を望んでいる。

 3点目は、簡便な技術移転である。ネパールの国内企業が育たない大きな原因は、カーストの浄・

不浄感覚に深く関わる。土や油にまみれた現場仕事は不浄とされ、上位階層者にとっては恥とさ れる。留学して得た博士号も技術知識も、口で命令するだけでは下位階層者へ伝えることはでき ない。一方、現場仕事をする職人は教育を受けていないため、大型バスやトラックの小さな部品 まで手作りして完成させる能力がありながら、アイディアを生み出し、仕事内容のイメージを描く ことができない。彼らの間をつなぐ外国人技術者と技術移転方策が望まれる。さらに、パテント に対する保護意識と制度が不十分で、模倣が当然とされる社会は問題である。

3-6.おわりに

 援助は、一方的なものであってはならない。ネパールの国民が望み、社会の活性化に利すると

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同時に、日本と日本国民をまた利する援助でなければならない。同じ目の高さに立ち、今まで見過 ごしてきた双方のポテンシャルを生かすことが必要である。

4.ネパール留学事情(竹下万生)

4-1.はじめに

 日本人がネパールに留学する場合、欧米諸国や一部のアジアで学べるような先進性を求める状 況とは異なり、社会学や文化人類学におけるフィールドワーク、公衆衛生や教育普及活動などの 実践の場として留学を利用するケース、またはバックパッカーやビジネスマンがビザ目的で留学す るケースなどが見受けられる。後者についてどのような方法があり、どのような人が利用している のかをここで紹介する。

4-2.交換留学

 もっともスタンダードなネパール留学の方法として、交換留学があげられる。ここでは、ネパー ル最大の国立大学であるトリブバン大学を例に紹介したい。2014年10月現在、日本国内でトリブ バン大学と交換留学協定を結んでいるのは、埼玉大学、京都大学、天理大学、立教大学、大阪産 業大学、北海道大学、創価大学、島根大学、宮崎大学、香川大学、関西学院大学、千葉大学、信 州大学の13大学である。協定校の数のわりに、交換留学実績は2014年では僅か2名の交換成立と 非常に数が少ないのが現状である。

 トリブバン大学で使用されている言語は、主にネパール語と英語であり、授業によってその割 合は偏る。いずれにしろネパール語に慣れない日本人学生にとっては内容を理解することが困難 であり、言語のハードルが留学者数実績につながる理由として考えられる。

 また、日本の大学と比べ、外国人留学生の受け入れ体制が不十分で、留学手続きにおける事務 のレスポンスの遅さ、外国人留学生用のカリキュラムの欠如、快適とは言い難い学生寮など、留 学生が学業に集中できる環境とは言いづらい。

 しかし、大学間協定はトリブバン大学本部と結ばれているため、交渉次第で附属のビサバサ・

キャンパスでネパール語を学ばせてもらえることも可能である。

4-3.私費留学(特定の勉学を目的とした留学)

 私費留学では、現地の外国人コースに直接入学し、学生ビザを取得し、長期で学業にとりくむ ことが可能である。例えば、上述したビサバサ・キャンパスは日本人の利用者が多く、学生ビザ を得て長期滞在をしつつネパール語を学び、ボランティア活動やビジネスを行っている人も少な くない。学費は650ドル/年で、ネパール国内の銀行デポジット3,000ドルを提示すれば誰でも入 学できる。

 他にもカトマンズ大学芸術学部でも、ビサバサ・キャンパス同様に日本人学生が多く、学生ビ ザを得て長期滞在をしつつ、週に数回デッサン、写真、塑像等を学ぶことができる。登録料は 12,000ルピー、学費100ドル/月、ネパール国内の銀行デポジット3,000ドルを提示すれば誰で も入学できる。

 ただしこれらの私費留学では、学生ビザを得ることができても、学位取得には結びつかないの で注意が必要である。

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4-4.私費留学(研究・調査を目的とした留学)

 トリブバン大学Center for International Relationsが、学生・研究者等を大学へ所属させ活動 を支援してくれる。出身大学の推薦と所定の書類を提出する必要がある。中長期的にネパールを 研究する人はこの制度を利用するケースが多く、日本人も数名所属している。登録料は100ドルか ら220ドル程度(所属課程により異なる)。指導担当者に四半期に一度報告義務があり、学生ビザ が取得可能である。ネパール国内の銀行デポジット3,000ドルを提示する必要がある。

4-5.留学としてのボランティア

 上記2~3節で紹介した留学方法は、ネパールへの関心がある程度有り、それなりの期間を設 定して選択される場合が多い。しかし、関心の無かった学生にネパール留学への関心を喚起する には、まず興味を抱かせることが大事だと考えられる。動機付けとして役立ち、学生の裁量が非 常に大きく、留学として支援してくれる制度について以下、紹介したい。

(1)制度「トビタテ!留学JAPAN」20

 意欲と能力ある全ての日本の若者が、海外留学に自ら一歩を踏み出す気運を醸成することを目 的とした、産官学一体となった留学支援制度。(2014年開始)

(2)特徴

・資金面、精神面、キャリア面での手厚いサポート

・多岐にわたる活動を留学として認定(インターンやボランティアでも可能)

(3)実例

 私は第一期の奨学生として採用された。ネパールでの美術教育活動ボランティア、孤児院での 図画工作指導ボランティア、教育制度や美術(情操)教育の実態調査を目的とした活動が留学と 認定され、渡航費上限10万円、活動費月額12万円を得る事が出来た。期間は春休みを利用した2 ヶ月間である。

4-6.おわりに

 日本とネパールの関係は、宗教の関係、ODA対象国としてのつながり、ビジネス、出稼ぎなど 多様であるが、学生レベルでのつながりは非常に希薄である。私は埼玉大学学部生の頃、偶然ネ パールと関わるきっかけに恵まれたが、当時、私の周囲でネパールに関心を持つ学生は皆無であ った。この章でネパール留学の様々な方法を紹介したが、これらを利用して学生レベルでの日本 とネパールの関係が今後広がっていくことを願いたい。

5.結論(宇田和子)

 ネパールの地理、歴史、社会と文化を背景に、教育や労働、留学やボランティアの最新情報を 伝える生の声を聞いてみると、現代ネパールの現状と問題、そして国際交流のあるべき姿が見え て来る。依然として残る階級・性・地域格差。しかし変化もあった。教育は普及し、権利意識は 高まり、カースト制度は弱化した。少子化が進み世代格差は増大し、モラル・教育方法・労働形 態は変容した。社会・生活・経済は変わりつつあるが、政治制度の整備は進んでいない。それが ため、経済進展も進まない。そして、海外からの援助に依存してきたネパールという国は、自力 で歩む力を欠いている。

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 しかし援助は本来、援助される側の真の活性化と自立化に供するものでなければならない。そ れと共に、援助する国々は、援助される国々を自国の利益を生み出す場としてはならない。援助と は、双方が双方の立場を尊重し、双方が必要とする事項を供給し合い、世界全体の生活水準の底 上げを図るものでなければならない。

 ネパールの現状を知るために、そして日本とネパールの協力により世界の生活水準の底上げの 一端を担うために、必要なことは両国間の行き来である。政治・外交・貿易・学術を通し、生身 で双方を体験し合うこと、生身で双方の現状と必要を知り合うこと、双方からの学びを活かした 将来像を描くこと、そして将来像を目指した努力こそが求められるものである。

 参考文献

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3.「ネパール共和国2011年国勢調査」、JICA国別援助研究会、『報告書』、2003年、参照 4.John Whelpton, A History of Nepal, Cambridge U. P., 2005, p.156

5.Kazuki Kataoka, “Nepal’s Business Online”, http://www.funaisoken.me/k-kataoka/? p.246 および、山本勇次・村中亮夫、「ネパールのカースト序列意識の客観性と恣意性」、『立命館大学人文 科学研究所紀要』、102号、2013年、pp.129-174

6.神藤はるか・JICA南アジア部南アジア第四課編、「ネパールの概況とJICAの支援概要」、2013年、

p.4

7.同上資料、p.8 8.同上資料、p.3

9.日本ネパール協会編、『ネパールを知るための60章』、明石書店、2012年、p.225

10.山本勇次・村中亮夫、「ネパールのカースト序列意識の客観性と恣意性」、『立命館大学人文科学研究 所紀要』、102号、2013年、pp.129-174

11.西澤憲一郎、『ネパールの社会構造と政治経済』、勁草書房,1987年、参照

12.AFP BB News, 2014年12月24日 17:52、http://www.afpbb.com/articles/-/3035102 13.ネパール中央統計局、“Statistical Pocket Book Nepal 2013”、資料(2)、(3)

14.浜田清彦,「ネパールの教育・留学事情~海外留学ブームの中で~」、ウェブマガジン『留学交 流』、2014年6月号、vol.39、pp.32-38および、Tribhuvan University, Academics, http://

tribhuvan-university.edu.np/

15.『産経新聞電子版』、2014. 12. 26, 21:25、http://www.sankei.com/world/news/141226/

wor1412260044-n1.html

16.在ネパール日本大使館編、『図説 ネパール経済2013』、在ネパール日本大使館、2014年、http://

www.np.emb-japan.go.jp/jp/pdf/economy2013.pdf

17.アジア開発銀行、「アジア経済見通2014年改訂版概要:アジアとグローバル・バリューチェーン」、

2014年、参照

18.法務省、「在留外国人統計 資料(6)」、2013年、参照

19.Nepal AOTS Alumni Society (NAAS)・ネパールAOTS同窓会編、『ネパール投資ガイドブック2014 年版』、2014年

20.文部科学省、「トビタテ!留学JAPAN」、http://www.tobotate.mext.go.jp/、参照

(2015年3月27日提出)

(2015年6月10日受理)

参照

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