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早十一月二十五日稜行早十一月二十五日稜行

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(1)

早十一月二十五日稜行

(2)

第四號目次

 ○免疫論       中濱東一郎 ○狗倭病二就テ     藤井伊之吉

 ○徴兵捻査ノ覗力試瞼二於ヶ〃管見

岡本京太郎

 ○卵巣腫瘍刻出術傍観記事   河 合   麿

 ○心臓位置ノ破格ト肋膜炎合併ノ實験

末岡外次郎

吐二要ル§死二例畝㌔久詳臓

・副長甕筋二撃  鋼♂監惣蜘

抄  録

○常度下体温

O

失ノ診断64債値

松原三郎

  録

 ○古加因局所麻酔法ノ進歩

○赤痢病源二就テ

漫  録

 ○断々

中雑詩

O

腸漫鍮

○白山紀行

雑  報

O

十件

宵  告

 ○歎件

 沼曹 六

 シ橋吉田松勢加

本田中原川

喜一  南

久幡次鐵漁 三成郎腸夫耶

(3)

ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ

非サルカ柳力記シテ示致ヲ乞フ爾

◎常度下髄温

温oo口99日巴Φ因8壱︒§日駕﹁暮烏は左の

に於て之を見る

 ●抄  録

病の経過中及経過後

二︶沸経系の或疾病

三︶身体に急劇の作用︵創傷︑腹膜炎︶を受け

  たる時

四︶無熟性悪液病 十一

(4)

  鎌

 ︵五︶急性衰弱歌態︵下痢︑出血︶

 ︵﹈ハ︶山反膚⁝の総=化

 ︵七︶劇烈なる奪温

 ︵八︶藥品の作用及中毒

度を奪却せは体温大ユ沈降すると稀なら

す冷氣の大道に⁝横臥し冷水に入ウたる者の如し

精の作用を爺ぬる時n更に降温し二十四

度に至o泥る者能く候復したる報告あり叉治療

及冷器法の感用あよう三九ー四

度よ◇三六ー三五度に下るを見る此の場合ゐ

降温著大ならさるも屡々虚脱症歌を俘ふ乙巴

あ∧ソ

に低温を見る乙と鮮なからす劇烈なる

下痢に於て然う赤痢様下痢︵三五度︶軍純の急性

及慢性腸炎︵三六⊥二五度︶重症虎烈拉磯作︵三

四︑入度︶に見る所なo叉大出血後例n外傷的出

宮出血︵三五︑二度︶腸結核患者血便後︵三六

十二

度︶胃癌患者吐血後︵三四度︶の如し

及重症貧血に於ても低温Y示し癌腫︵食 胃︑腸︑肝︶は三六⊥二四度良下り死期に虚脱 欺Y曇す肝硬化︑慢性腎炎︑汎登性澱粉憂性

ー三四度︶萎縮哺乳見︑重症糖尿病・ニニ五

度︶悪性貧血の末期︵三四度︶屯叉下降す是れ酸

能の遅緩︑慢性滋養不給︑中毒作用︵例は潰

欄せる新生物に於て︶に由る其他輕症の原曇及

績曇貧血例は萎黄︑病後候復期︑衰弱したる比ト

姪見︑轡幽病︑麻癖狂も下降する乙巴多し 礎は常度下隈温を現はす乙ヒ牢なる し然れ巴も血行障碍によう酸素撮取歓乏せ

は体温曇生の減少する乙巴勿論なウ心臓辮膜病

に於て代償機障碍時に降温ー回復せは叉卒常ゐ

す其他信帽辮閉鎖不全︵三五度︶気道狭窄︵三

四︑二度︶も下降するか如し

中橿祠経系諸病に降温するは頗る興味あ﹀て病

(5)

機直接に温中橿或は脈管肺経Y襲いて温調節を

素観するに由るならん結核性腐膜炎︵三九度よ

う三六ー三五度︶漿液性階膜炎︵三五︑五⊥二四︑

度︶腐出血︵三〇︑三度︶磯松塞︵三四度︶二

孚は心臓病の血行障碍に由る︶階腫瘍︵三五︑一

分︶腰脊髄梅毒及ひ癩狂者の進行性硫醇も下降

し﹁ライソハルド兵は後者の二二︑三−=一︑四

分Y示ーたる二患者Y實験せウ此れ從來獲見せ

られたる髄温の低下中最も甚しき者にして温調

節中櫃の障害に由るもの参らん脊髄損傷は屡々

昇騰ー嚇癖性偏頭痛登作︵三六度︶は下降す又知

を刺戟せは血温減退し創傷︑外科術︑腸籍

頓︑腎石猫痛︑胆石疸痛の如し内穿行︑腹膜炎︑蓄

便性盲腸炎叱一時低温に至る乙とあう

或る皮虜病殊ゐ汎登温疹︑葬嚇疹︑硬皮病︑廣汎

火傷︑熟獲皮膚炎よ騰温の下るは皮膚の充血ユ

由6温放散の増加するに原因するるらん

  鎌

執…

病の経過中体温の沈降は注目Y要し脱熱せ

は常度に止らすして爾更に宇乃至二度以下ゐ沈

降する乙と多し一般に熟の連綿急速に解脱する

麻拉利亜︑膿毒熱︑日哺潮熱は沈降著しきも虚脱

を登せす反之解熟急るるも間断ある者及解熟緩

る繊維性肺炎︑麻疹︑膓窒扶斯︑實扶的里︑丹

毒は下降著ーからす亦解熱後艘温久Lく常度下

まる竜のあう膓窒扶斯︑熟性膓胃加答見︑肺

炎︑實扶的里︑麻疹︑痘瘡︑問歌熱等の如き其他熟

病の経過中常度下に下る乙と稀をらす殊に膿毒

症︑腎孟炎︑腎孟腎炎︑肺炎︑は時々大に昇降す稽

留性熟病は治療及隈内解熟機轄︵出血︑穿行︶に

關せすして賠温低下を來す乙と空なう

病の死前譜温低下は緊要にして肺炎︵三八︑よ

う三四︑二分︶敗血病︵四〇よう三六度︶多襲性骨

炎︹三五︑八分︶肺炎合併の實扶的里︵三九よう 三五︑二分︶急性粟粒結核︵三五度︶の如く多くは

 五十三

(6)

  録 を俘ふ 作用に由る騰温沈降は屡實験し燐中毒︵三 度⊥二三︑三分︶は酸化機衰易に由う祠経毒及

筋毒は皮膚血管鑛張の由κめ温放散Y増加せしむ

るに由る酒精︵三五︶亜篤魯必浬︵三五︶莫爾比浬

五︑ニー三四︑入分︶石炭酸中毒︵三五二分︶の

解熱藥中に於て安知比林︑安知歌貌林︑撒里矢爾

は新陳代謝の減却及皮膚血管の援張によ◇て

解熟し規尼混n唯組織内の登温を減却せしむる

なう 属の新陳代謝及腰温に及ほす影響は未泥詳

ならさるも乗剤n久しく連用せn時にょり艘温

を減却し慢牲鉛及砒石中毒の髄温憂化ハ不明な

自家中毒に於て常度下賠温を示す竜の少るから

す是れ血液憂調の温中橿Y侵すに由るならん尿

症n三八度よφ三四度に低下する之εあう糖

尿病性昏睡は三三⊥二二度に下6一種の酸類中

Lなム7と一云〜ハ黄疽に〃於て鵠温一一=ハ虚反脈⁝搏五二至 る事あるは胆汁酸瞳類の血中に入りて温 調 管運動中橿を刺戟するに由るなう

顯を括約せは常度下体温の源因左の如

 ︵一︶直接の奪温

 ︵二︶多量の体液亡失

 ︵三︶慢性貧血︑悪液及滋養不給

 ︵四︶重症の血行障害

 ︵五︶中櫃祠経系統の諸病

 ︵六︶知費祠経の刺戟及脈管蓮動紳経病

 ︵七︶廣汎なる皮膚病

 ︵入︶熱性病の経過中及解熱後

 ︵九︶毒物及髄内化生毒の作用

ピ竜健康人にして常度下体温︵三六度位︶を

(7)

示す乙とあるも毫屯其源因を証明する能はす蓋

し人種︑氣候︑年齢に從ひ体温に・少許の差あるは

なφ一般に健康人は朝⊥ハ時に卒均三六︑五

︑要之常度下体温は普く世人の信するよ◇は多く 時に三七︑二分を示す者多し る屯のにして且つ絶割68ゐ悪徴●リピ言ふを す亦虚脱なる名爾Y一定の体温と聯合し一ご十 度以下の体温を虚股温参うと言ふか如き﹁ウ

リソヒ﹂氏の古説は妥當壱らさるか如ー

此れ体温著く下降するも虚脱を曇せす重劇の虚

に陥るも常温度或は高度に止るものあるを以

てなう故よ常度下体温は衰弱家或は悪液質に曇

して再ひ常度ゐ復せさる瘍合Y除くの外は豫后

凶なるを示すも未た瀕死の兆にあらさる壱0

十一號︶

◎膝蓋腱反射消失の診断的償値

因は諸家説を異にし穿ひ氏は反射説

●抄  鎌 刺戟脊髄ユ來ウ次て四頭股筋の収縮する主の已 主張す而て﹁エルプ﹂氏は普通の反射作用によう を唱蓮し腱反射の擾見者ス菖菩巴氏は筋肉説を

う然れとも反封者曰く膝蓋腱反射ハ通常皮膚

戟に由る反射よ参大に短時間ユして來ク術

ほ膝蓋腱の帥経Y切蹴するも反鷹あるを以て他

あらんピ亦筋肉説ユよれは緊張せる腱に

蒙る動様筋に波及して収縮Y來すもの易うピ近

來Ω︒包霧﹁ガワース﹂氏ゐよれは患者をLて下肢

を懸垂せしむる時は筋n緊張し局所の刺戟に封

して過敏となう爲めk筋収縮を生するをりと其

詰95氏ぱ臨床上の實験に徴し反射作用溺

失せる患者は腱反射も共に消失するを認め腱反

射曇生は筋の緊張︐分布祠経︑脊髄の作用完全参

るを要する之巴Y説きたり

膝蓋腱反射中橿は第三及四腰帥経の起根部にし

て腰部膨大なう巴す若し⁝脳より來る抑制繊維を

十五

(8)

  鋒 す時は腱反射充進す帥ち側索硬化症の如し亦

消失は末梢紳経炎︑筋肉病︑脊髄病に來る

竜病寵部の異るに從ひ衙諸種の徴候を併曇L脊

角を犯す小見硫癖ぱ筋及骨の榮養憂化Y生

し後索を犯す脊髄努は運動︑鰯雇一︑厘畳︑温畳︑筋

神を失ひ末梢紳経炎の如き知寛及運動繊維の犯

さる1度の異るに從ひて知箆消失するも蓮動依

る之とあり亦實扶64里亜麻癖の如く運動繊

維の犯す事著しけれは運動系の兆候を呈す其他

及深反射は常に相提携をる主のにあらす脊髄

努ハ表反射のみ存し㊤身不途症n深反射のみ存

する乙どあるか如し

祠経炎にーて實質炎なれは反射全く滑失する主

間質炎は却つて充進し叉た運動祠経を犯す時は

曼のみ依然たる屯知寛紳経なれは全く之れに

脚氣症は曽品氏に援れは多登性末梢紳経炎よし

て初め健反射梢や山几進する逃多くn全く滑失し

なるに由うて脊髄努と鑑別する

乙巴蓉易なり亦癩病は諸家め説によう末梢紳経

炎にして健反射清失するも近來鈴木重道氏の報

よれは却つて腱反射の充進する竜の多し巴 巴も未た確信を措く能はす 癖は初め上肢に來クて伸筋を侵し末期に 至◇下陵に及へは腱反射漕⁝失す是れ筋の歳削に

因るも畢寛祠経炎に基つくなう故に末期に於て

は其鑑別に苦む乙とあう亦痴痛及歯齪炎等にょ

◇て之に類似せる進行性筋萎縮巴識別し易し蓋

L本症の病理ハ今爾ほ一定せすして﹁ラィデシ﹂

ぱ第一期に末梢蓮動祠経の憂性萎縮第二期

筋肉萎縮を登する愁の巴し﹁レマーク﹂氏は脊

髄の前角炎に基つくものとせ6是れ一筋属の歳

を見るにょる参らん

實扶的里は我國にありてハ病勢只九咽頭及喉頭

(9)

局せるもの≧如−然れ巴も﹁ドンネ〃﹂氏の

臨床的實瞼報告にょれハ病初他の紳経症状を曇

さる前或は初曇症歌とーて膝蓋反射の消失を すものなう巴且つ病勅よク必す腱反射の消

夫は咽頭實扶的里写るや否やY定るゐ足ウ街ぼ

経系の犯されたるヒきは病初必曇の症歌にし

て豫后上著しき關係なしと亦﹁ブツザルド﹂氏の

究に操るに此の反射消失は本病初曇の兆候と

して必曇し本症全治する鴨反射消失は持績する

よ﹀脊髄螢の共同運動障碍巴誤認する乙とあ

λリ⁚ζ然れ巴も又筋肉の収縮的物質減少のため収縮力

となDて反射沿失する事あう例は筋病性筋 筋肉肥大症の如し往々前角炎に績 する筋萎縮ピ誤認する乙巴ゐ名も臨床上容易

に34噺するを得可L

尿病よ於てn必す腱μ射油失を招くものにし

  鎌 ん亦﹁トムソシ﹂氏病も﹁ブッザルド巳氏は腱反射 質の減少によるか或は末梢性沸経炎ユ基くなら て其源因は全身衰弱のため四頭股筋の収縮的物

る本症Y實験せるに由う該病を以て筋

肉的疾病な﹀ピ説け◇

嚇酔藥のため一時膝蓋腱反射の治失するこ巴あ

う叉癩痴及卒中曇作時及輕症の熟性病に於て腱

する之とあ4然れ巴も解熟せは奮に復

し或は却て充進す睡眠中叉た腱反射Y見すして

眠の度に比例す

於て腱反射障碍を招くものは脊椎骨及骨 自巳の疾患なうヒす就中脊椎骨瘍は

來る乙と多きを以て下宇身灘換及 射充進を登するも腰推部に生するときは膝 射中櫃の腰膨大部Y犯すを以て下牢身不

途及腱反﹁射消失を見るへし其の他一の新生物亦

然り﹂ 小見麻癖は多くは腰膨大部に來う両

十七

(10)

  錬

側を犯せハ下宇身 逐︑腱反射浩失︑下肢筋肉巖

削Y磯をる屯脊椎部なるときは其症飛上肢ゐ限

う膝蓋腱口射の憂化を生逆る乙ピなし は一特徴にして後角及

ご氏索を侵を葡詩によう破格的に却

て腱反゜射の山几進・をる︑とあク是れ脊椎硬化を合併

をるものならん﹂ 脊椎炎及脊椎膜炎は腱反射

沿⁝失ヤをる乙巴勘なしL 脳旧脊椎多曇性硬化n一

充推丁をるも腰膨大部Y犯・を時n譜⁝失し

診断に苦しむ事わう﹁ブツザルドし氏の論擦ゐよ

るに該硬化症に於て一側或は両側の健反射滑失

し其消失側にき誓よ冨・︒︒を存キる事あるは腰

部の前角を犯し同時ゐ側索に侵襲を蒙むれ よ移徴候な巴云へう﹂ 進行性筋萎縮は

前角Y犯かして筋肉滑削し下肢に波及せは反射

く消失をるも同時に側索を犯を時n却て充進

壱へL蓋し進行性筋萎縮︑側索硬化︑球硫癖の三

は互に合併そる乙と多lL ﹁バスチアヅ﹂氏

n

炎に於て膝蓋腱反射

る兎のを實験せう然れとも﹁ヂヤクソ

よれは脊椎の外傷に因をる震控症は腱  一時滑⁝失︑をるも直ちに恢復・をるものなAソ巴 ふ﹂ 先天性遺鱒性共同蓮動障碍症郎ち﹁フ

リードリッヒ﹂氏病に於ては初期に腱反射捕失.

滞︑眼球震湯工︑共同運動障碍を登苫をるも脊 椎勢の如く眼筋硫癖︑覗祠経炎︑及知魯〃螢養異常

を招く乙となー﹂ 由富箆p︹6弓曽冨σ§冒及﹀盲×財

・。冨9雷 は共同運動障碍を來たし爲めユ脊椎勢

及﹁フリードリッヒ﹂氏病に類似を渇屯元來

宮図首審日芭Φ慨曽は後索及側索の疾病な%によ

う腱反射山几進及知昼脱失を曇を渇を以て鑑別キ

を得﹂ 小脂の疾患ハ牲々腱反射消失及共同

蓮動障碍を來・をも頭の位置及強迫的位置にょク

壱るを得可し︵醤海時報第百六十六七號︶

(11)

郎抄鎌

因局所麻酔法ノ進歩

 曹六

十四年因竺3氏か古加因の局所麻酔

作用を登見したる以來濫潮の勢を以て外科65手

術の範園ゐ横溢ー從來落痛的手術を施すに際し

患君の楚痛を減少せしむる目的を以て行はれた

る紳経厭 迫法駆血68嚇酔法及冷却硫⁝酔法は殆ん

と其位置を奪nれ﹁ク・ールノチール﹂及﹁ク・

ールエチール﹂の如きは種々不便なる徽に於て

臆の外に駆遂せられ古加因は實に局所廠酔藥

中の覇王巴るれう然して無二の廠酔藥として稀

用せる︑﹁グロ・ブオルム﹂の恒域すらも狭むる

に琵れう  ●雑  鎌

此の如くして古加因の慮用日一日よ盛なるに從

て其注射の方法及ひ藥液稠度の上に大なる改艮

を受けたう而して注射の方法に關係ーて現今浸

潤嚇癖甘完§庄︒5碧§浮Φ・︒︷Q及所轄麻癖園曇︒︑

§窪曽器︒︒昏Φ︒・⁝Φの二あるを見る

潤麻癖noりo巳o⁝合氏の曇明せる所④して爾來 多く之れY用ゐ膿中殆んと之れを用ゐるに適 さる所をし只た厚靭頭皮掌腰の如き或は疲痕

きピきに甚泥注射の閤難を戚する乙と

あ∧・OO昆員氏は一千八百入十七年に於て一知魔柿

経の周園よ四%の古加因水Y注射壱れは其全分

時の知畳麻癖を來をを見瀧0尤

も注射部の上に於て駆血帯Y置く之巴を要を氏

は鼓に外上臆皮紳経を用ゐたら但し氏は其登見

 五十九

(12)

雑  錬

を實用に供せさうし氏の後に所轄麻癖に就て少

しく述へπる人︵霊忌m号σe︶あうたれ巴主世人の

を喚起せ壱却て所轄硫癖の存否を疑ふ者あ

るに至れ0其后印ΦO冨氏其他諸氏にようて登達

る古加因麻癖は只軍純の局所浸潤硫癖にーて

因捕の百分比例﹁シユライヒ﹂氏溶液

O︑一ー○︑二%︶巳比し甚た強し今日に於ては

如斯強液の無用なる乙と疑を容れ壱とそ﹁シユ

ライヒ﹂氏モ叉所轄硫癖に就て少く辿へたる乙

巴あれとも純粋なる所轄麻癖を磨用せるは實に

9δ曇氏ユーて氏は藪年前既に﹁ハルレ﹂病院の

患者に就て充分の實験をなせ6氏か實競は

昆8氏によ﹀て世に公にせられだ6局所浸潤 巴所轄麻癖との匿別術未た十分36明ならさ 巴も指趾に於ける所轄麻癖の方法ユ至ては今

11街遵守する所なう

之を抄録すれは︵一︶一%の古加因水にて侮時各

Y

L得︵二︶所轄麻癖は只血行を

し得且つ紳経吻合Y全く遮断し得る所にの 實に行はれ得郎之れに適するものは手指巴

う︵三︶局虚浸潤廠癖は注射后直に麻癖を すれ巴も所轄麻癖は注射後五分時間以上の経 過を要す乃ち指又は趾を麻癖せしめんには護談

管Y以て其基磯部を緊絞し其端を足關節叉は腕

關節に於て結合し置き密に護護管に接して其指

趾︶尖側ゐ注射器を指︵趾︸尖に向けて注射す注 は四條の紳経幹に雁し四個所ゐ之を行ふ一%

加因水にーて一所に﹁プラワーッ﹂氏注射器 分一ー孚箇宛とす︵故に全量○︑〇一ー○︑〇 因蝿なう︶L此四個所の注射は必要なる

もの参う何となれは唯肢節の一側に於て手術す

る塒に於ても神経の末梢吻㊨Y遮断せさるへか

らさるを以てるう

♂09冨氏は無盆にも二%古加因水を用ゐ血行

(13)

Y

ε認めさクし然れピも此事甚た必要

なれは此法Y試みんとする人は必す血行を断ち

必す指趾に限り之を施すへし血行を絶たす

或は指趾の他に之を用ゐれは其効を見さるるう

指趾の他あ強て適當の部を求むれ・は之に接する とす之を嚇湊せーむるには例へn手に

あうては上膳叉は前膳Y護護管にて緊縛し手背

て四條の紳経幹の周園に注射を施すに わう

癖の利溢とする所は︵一︶用量の僅少なる

爲め其中毒を避くるを得︵二︶注射は之れを健康

纏諭警饗芸旅︶姦んと奪與へし て璽を以て注鷺よ羨痛︵難麟鍛

めす︵三︶局所注射の爲め膿を駆て炎症を鑑Uる

し︵中外聲事新報四百十六號診療新報 欄よo摘鎌︶

余は屡木村恩師の﹁ポリクリニックしに於て此所

  鎌

痩Y陰茎に感用する時は全く無痛的に陰菓 噺術すらも行ひ得る乙ピを諭されカるを聞け

0き然らは郎ち之れ迄諸氏か所轄麻痩は指趾に

◇て施し得へし巴云へるものに陰窒の一腐域

を加へ得る篭のなるを信す

国︒︒日碧合氏は自著の軍陣外科學局所硫酔の條下

古加因注射法を述へて曰く藥謝は之れを損傷 られさる皮膚に塗布する屯其の効を奏せさる

を以て之れを感用せんkは注射にようて皮下に

持來されさるへかちす而して其方法は五ー十%

を以て充されカる﹁プラワツッ﹂氏注射器

を麻疫を望める匿域の周園二一二所よ刺入し問歌

的ユ注射すへLと余は此の怯を以て所轄硫癖を

し身体の凡ての部分に行はんとする主の巴 せう 因溶液の稠度に關しては今よ6七入年前に

用ゐし竜のn今日の如く稀薄をるものにはあら

十一

(14)

●雑  録

して大抵十−五%のものなウき明治二十三年

西暦一千八百九十年︶佐藤進博士の古加因實験 中には.⁝⁝余か最一初外科手術に使用せる古 因の量は方今用ゐる所の屯のに比すれは稽多 うー是れ﹁コーニング﹂氏に擦うしものにし

て創ち一〇%古加因溶液一回の量二箇乃至三四

箇を各部に分配ーて注入せう然れと兎近來用ゐ

る所の量ぬ五%溶液二箇乃至三四箇を各部に分

1て注入するにあ◇此法に握れは大約五六分 を経るの后麻癖の効を収むる之ヒを得へし⁝

と記載されき然れピも其後古加因申毒の詳細に

究されし結果其稠度Y稀簿にLて其効力を旺

らLめんピ企てたう而して此の企圓は無益

ならキして古加因麻癖の上に大なる利猛を與へ

因師酔法に供せし溶液は圭に冷液のみ

なうしか一千入百九十六年弓ぎも︒・・富氏は撮氏

度ー五十五度の温液を用ゐて頁効を得たう

巴云ふ液の稠度は○︑四10︑五%にーて氏は其

力の速且確なるを証せんか爲ユ両側蜜践脱腸

を手術せし一例を引鐙せう郎ち左側は大綱﹁ヘ

ヤ﹂なうしか撮氏五十ー五十五度の温液を して︵古加因の量は三︑五仙瓦︶百五十瓦の

綱を切除し一大脱腸嚢を摘出せLも患者毫竜疹

を訴へさりき次て右側の盲腸脱出を手術する

因液を注射せしに患者n皮膚Y切開す

るに當て既に疹痛を訴へ古加因五︑五仙琵を用

ゐしにも拘沿らす硫酔不充分なりき︵順天堂讐

究會雑誌二百四十入號抄録轄載︶

﹄9亘昌・晶氏は手術上局 を硫癖せしむる目的に現今に至る迄使

用せる二%の古加因溶液の代うユ﹁コカイヅ︑オ

イカイシ﹂溶液を鷹用せん乙巴を勤奨せ6蓋し

は古加因の宇はに之と同量の﹁オイカイソ﹂

(15)

を加へたるものにして其知曼を嚇癖せしむる作

用は二%古加因溶液よ参は少からすして﹁オィ

カイヅ﹂の中ヨ﹄舜性に至うては僅に少し巴す此故

ユ本混和液Y使用せんには二%の古加因同債溶

を用ゐ古加因の極量︵○︑〇五︶に達するゐ先

泥ち其大量を浩費するY得可し﹂氏は﹁コカイ

イカイン﹂散を爾用せ◇其庭方左の如し 古加因 掴酸オィヵイン  各○︑〇五

散を貯へ置き使用前ふ蓑沸せる蒸溜水五

をへし此散は叉粘合藥を性加す

る乙巴無くして強睡をるによ◇て小板に作る乙

巴を得へし︵醤海時︷報百山ハ十山ハ號⁝抄鎖随﹇載︶

に於て施行し得らるへき程の小手術に於て

は先つ巧ホ使用キれは軍純なる古加因溶液にし

て一%を超ゆるの必要を見さるか如し

ユ付て

嘗て泰西の諸家熟帯地方の赤痢は−一種の﹁アメ

  鍮

因する乙巴Y公膳するや我か北里博士ば 赤痢屯同しく﹁アメバ﹂に因壱る乙とを唱 實地上に証明したう然るに中濱︑緒方博士 は研究の結果﹁アメバ﹂Yも登見した◇巴錐と

も﹁アメバ﹂n軍に副作用をなすユ止まう且つ普

膓加答見等にても曇見壱るものにして眞の原

因は必を一種の嵐菌に依る乙とを唱へたう︑然

るに近日東都の某氏よう野田教授にあてたる通

信の端に北里博士は﹁アメバ﹂説を捨て≧徽菌説

を取ム・實に近來其の病原たる一種の徽菌を機見

うと﹂鳴呼日るらすして吾人n博士の薪新参

る報告を耳にするを得むなク

〆ピ〆

断 々

 南  耶

六十三

(16)

●漫  録

綿 なる聲學の研究を爲さんヒするもの耕 周到なる藥學の亭説Y知らんとするもの若1

くn現代の聲藥學をして猶螢達進歩せしめんと

るものは其の國語の外叉外國語の智識Y有せ

さるへからす況んや我聲藥學か晩近驚く可き進

をなせしn主として外國語の影響によるユあ らすやての新らしき登明中我か讐藥學界み於けるも

ほと其勢力の大にして影響の著しきものnあ

らー故に筍も此の閃電迅雷的の聲藥學界の趨勢

に俘ひ進歩に後れさらん巴せn力めて泰西大家

高論を讃み卓説を聞かさる可らす若し此時に

當て外國語に於ける素養なく造脂参くんハ幸に

して親切なる翻課のあらさる以上は周到なる紹

介あらさる以上は趣味ある理論竜利益ある學説

も透に全く之れを知ら噺して止まんのみ

吾人は諸君か外國語ー少くピも濁英の二國語ー

に於ける其智識と實力εを緬養−以て現代の聲

藥學をして更に振興の期蓮に會せしめん事を希

るものなウ

は諸君か其正學課の傍ら務めて語學の研鍛 熱申せられん事Y切望するものなうo

  學 るる巖塊を疏解して燦燗たる精金を得揮朧 る賓珠を熾灼して無影の氣艘を生し︑氣騰︑氣

艘巴逢ムて液騰ピなう︑液鷺︑液腰ヒ逢ムて固艘

を化生し其際明光Y放ち鳴響を登し激熱し冷却

し染彩し槌色す是れ其の識る可らさる所︑観る

はさる所︑一種露妙深遠の﹁機﹂あクて存する あちすんnあらす 界の物質何物か此化學的抱合よ6組織構造せ

られざる既ゐ化合す其間た又泥彼の露活微妙の

機﹂の羅秘合菩せられすんnあらず

       

學ハ永遠に廣ろく無限ロ深し今物質Y

(17)

う抱合し分折し之れY静思し淡考す幾多の趣 と快樂あう此間の消息敢て局外者の知る所ユ

あらず化學者リーピヒー9曰く﹁化學n人智の極

め難き造化の驚く可き事物に常う最屯適當の明

解を與ム﹂と

は實に吾人よ哲學的の幽奥秀る観念と高潔

るる慰籍とY與ム

學巴名士 人n有名なる文學者及政事家にして屡々化學

ものあるを見る

今よう参十年前愛蘭アヴオシデールの或る⁝魏々

巴して雲ゐ饗ゆる高塔の絶頂に眼も眩らみ足も

震ムY物巴もせず快然として打ち跨れる青眼美

髪の︼童あう前に馬鈴薯を煮るに用ゆる一個の

鍋を据へ之れよ焙立つ石炭を満たし或る鉛の を熔かさん巴して毫も余念函きもの≧如し 蘭土無冠王愛蘭黛領袖パーネルか猶其幼

漫  鎌

弾丸の最簡軍なる製法n熔隔せる鉛を高 よう滴下せしUるああδと云ムY聞き是を實

試めさんか爲め斯くn高き梯子を馨ち危き を這ひて鍾に來れるるう渠れか科學に封す

る嗜好の熱心n幼時猶斯くの如きものあうき渠

學の嗜好は寧ろ先天的の主の壱うき其年

し後も渠れか唯一の娯樂ぬ藪阜的書籍を讃

巴化學的實瞼を行ふにあ6き嘗てパー不ル委

員會議中渠れか其手を釣う纏帯にかけて出席せ

しが人ハ大に之れを怪み且つ驚ける色あう然か

もZハ是れ刺客よ逢ひしにもあらす撰畢争の車

よ◇落ちー︐にもあら宇只或る鏑塊を熔隔Lて之

を試験するH際誤て其手を硝酸にて=焼きしも

なうしヒ 英國文學の互人サミユル︑ジヨンジ

は其晩年一種の厭世的所謂安心を説くに及ん

て渠をが唯一の娯樂轡散とせしハ亦力⁚只だ化學

  六十五

(18)

  錨

験ゐあうしのみ而して彼か此嗜好は千七百 年ポールハーヴ侍を著し1時に胚胎すと

は極めて狼籍散逸ー卓上ユは幾多

藥罎Y陳へ室内異臭に充ち被艶は劇剤の爲め

汚さる彼は日夕此の裡にあ◇て試験管を手にゑ

試藥瓶を取う或は抱合し或は分折するY以て無

ピせ0

世界の見﹂﹁猫逸の花﹂るる大々64詩人ゲーテも 内部kあうては叉化學熟心家の一人をうしな

う彼は猫う化學のみならす錬金術鑛物學にも通

し叉顯微鏡學にも精しかうき其解剖學に於ては

恥骨﹂H曇見を以て名高く植物學に於ては﹁植 醇論﹂の出板を以て顯はる理學に於ては嘗

て大に﹁光學﹂﹁色學﹂に就てニュートソ派と論争

る虚あうき彼は斯ぐH如く幾多只科學に精通

し研鍛する所あうしか化學も亦彼H最も深く造

し所乃一科なウ彼が化學に於けるや解剖學

 六十六

若くは物理學ユ於けるが如く敢て姻然巴

ーて見るへきもHはなかうしピハ云へ然かも彼

時ズビールマソ氏ふ就て其碧切なる化學 講義及實験Y傾聴せし以來そH老年ゐ至る迄 は決tて之巨を螂ぎりしな◇常R間断なく倦

く孜々螢々として之れが研究に勉めた6し

は毫も凝なき事實るウ巴す

斯くの如く烈火熱血の愛蘭政界の首將も只一の

冷々然だる化學者のみ謹嚴剛直をる英國文壇の

も亦た一の無邪氣なる化學者のみ濁◇其後

者にあうてn軍に化學のみに限らホ総ての所謂

科學﹂k於て最も熱心なる最屯鏡意なる一箇H

な﹀しなう

斯くの如く幾多の名士が消閑の飴技として化學

間ユ出入し絨想獣思以て其緻密巴沈重と静瀟

とを養ふは之を現代の所謂政事家及文學者か孜

々として將に其忙殺せら巨んとするに比し其優

(19)

る慮果して幾歩彼等か能く陰淡なる議場を其眠

◇よう醒まし幽轡なる文壇を其死よ◇活かすも

因て來る所あらすんはあらす

  ー     ︒丁八1︒

中⁝雑詩  

川漁夫投

駿  雨

電光願爲震白雨洗乾坤窓外生涼氣日晴鮎摘喧

  夜 奏幽貨簾外微風興自長冷氣如秋雁罷扇

竹陰深虞月蒼々

茎雨過動清香具個蓮花似六郎池上夙多新月夕

向人楚々淡明粧

書山水

山腹柴門一院深松聲幌々在遙林吟人展席詩思好

竹高梧澗水薄

 吊友人矢ロ君

  録 鶴聲且惹士林悲 落花撲面悼君時玉樹潤罹逝若期埋骨夜蛋室帳々

矢口君を惜みて

筆なけて悲ーむ雁乃別色かな  小 袖 生

ロ雄司君

きや虫H音ーけき淺芽生H 巴消にL君そかなしき 日ようは誰巴かた♪てなくさ貧ん

H

なしにして

秋に富み將に大になすあらんとして此

事あう悲哉

  ◎鎮腸漫録   松原銭腸

 ︵其五︶夏H小川

賎H乙女か繰る糸乃  永き日影も傾きて

夕日いろ世る山邊よう ふるや夕立一Lき0

く雲の涼しさよ

渇浴に月を砕きつ3  今日の塵をや清めけク

(20)

  錨

をびく蚊遣を後に見て纒ムめ輕るき蝉衣

詮乃歌を身ゐしめん

青葉Y屯渇≧十六夜月 照すなうけ6隈屯なく

星の眞砂のいや清く  流乃底ゐ香へるは

彼75世乃夜をも守るかや

葉虫籠手に持ちて

笑める無邪氣さn

は蹄らヒ昔には

く手をふさぐ蓮花

なびくそ糸柳

書ける文乃行先は

流の末や見伝わかぬ

もゆる螢の飛びかふは

れうて此世ゐ迷ふかや

も見ゆるなる

しき妻や宿るらん

れの乙や乙女等の

ち巴ても

くも床しきニツ三ツ

面に垂巨つ羅やかに

岸をうつむる葦の葉に

冑々流る星かすの

を漏る≧灯の影に

末野を風の吹くなべに

折クく笑みの聲もせぱ

面の花も見よ巴かや

てらす螢乙そ

小舟の心地すめるらめ

よしや玉を︑を籠とても

螢n狂ふうなゐ見の

又も行くなう卿がく塗

更け行く鐘を歎ねつ︑

す×む挟に風かろく

夏はなが巨ぬ逝く水に

心よか︑ち雲もなく

月の桂は澄みまさう

末ゐ宿る由もが参

よとの鐘に送ら巨つ

妹のつミにと手を伸べば

音ーて散詮Z露一ツ

◎白山紀行

燃わつ滑つ︺叉も缶つ

まに々鑑ら色つ︑

く床の懸しきか

靡く團扇に吹か邑つ︑

巴う泥×すむ九木橋

月に浮乏てま晋うめは

夜孚の白玉香ふまで

あは丑今宥n露ヒな6

せめてn猫う待ち詫る

あなや螢の夫なちて

橋吉田 本田中 喜 一 久幡次 三誠郎

(21)

活液の氣象を養成し敢往進取精祠Y獲揮・を

るにあらさ色ハ博識俊才の域に至はの報難ユ堪

る能n︑を又驚天動地の偉業を企て鬼紬町を泣か

ーむるの大英.雄天巧を奪ふの大豪傑ピなるを得

さる函ウ然ウ而ーて其氣象を養成ー此精棘を螢

揮せんには孜々机上の硬學に待し鴻儒ピ談そる

らく山水の勝鹿Y陵渉−以て膿心を鍛錬

を可ー而るに博識俊才の著ハせし書冊は求むる

易きも英雄豪傑賞したる山水は探くるに難き

Y如何にせん蓋し牝陸の地勢は是等勝匿の山水

に乏しからす其聞に偉人傑士を多く生せしめた

るなり加賀の白山越中の立山突兀とじて雲表R

聾ゐ簸雲の四時滑退壱る乙巴なく南北相封時し

て互に優劣を争ひ能登の海水超然別天地Y劃ー

て風景明媚眺望絶佳此の高山巴併せて北陸技三

Yなを筍も身此山水の氣を稟け此北陸あ生

を受くるもの量斯大観Y一見せすして可るちん

●漫  鎌

ね嘗て好時期を得壱毎に嬬に以て憾ξ

なす今・鼓に明治丁酉九月時や至ウけん期や熟し

けん吾々の學年は既に辛して局を結ひ夏期休暇

月最中巴な色う藪百の全友暑を避けて或

は故山に省し或は温泉に浴−古跡を訪ひ名所よ

任・を於此乎警勃の氣姻霞の癖 ん已欲して自ら禁をる能はキ途に意機相投

ー乃ち余等外一名ξ共に白山絶行を企て衆議一

決明午前四時犀川橋上に相會せんZピを約す時

ユニ十三日午后五時

日 集合の約遅差漸くにして犀川橋上を

出襲せしは午前五時十五分酎う天氣清朗和照一

黙の繊砦を止めす恰も春色の閑麗なるか如し一

行n健脚輕く雑談濃かに十藪町を過き地黄煎郊

出つ芝ハ責頃の青田香稻正に實うて穂頭重

く風ユ從つて動提する歌恰も碧海の春潤を曇U

し一つ屋︑窪︑高尾を経て額谷に到δ村内の 十九

(22)

漫  録 肚前に休憩す葛暫時四十万︑曾谷︑坂尻︐月橋︑等 を経八時五分鶴水に達を此日在郷軍人の簡

閲鮎呼の爲め鶴來へ集合するものに出會を回顧

芝は彼等は征清の軍に加はう櫛風沐雨邪寒隆

暑を侵ー飢寒飢凍ゐ堪へたる主のにして勿織袴

章を帯ム渇あれは凱旋解散時に賜は

うー.軍服を着三をるもあう赤帽美男の近衛あろ・昔︻

高の砲兵あり殊に荷呉座口軍帽を戴きカる は一笑に堪へ泥6鶴來は山間の一小都邑にして

商業繁盛就中姻草製造の業大ゐ畿達し町民過宇

之に從事じ本年政府の姻草専費所を此地に設置

ーは其所以ならん白山比群棘肚に参奔稻々久

して一行の安全を所る夫差よう路を韓し西南に

向ふ層障重轡手取川Y狭み山勢の起伏する様頗

る奇観なう中嶋村Y過く時に左側山腹よう藪十

を探掘するを見る十時に直海村

口到う暫時休憩す邑は梢々察腹を訴ふ依て⁝携ふ

る所杖行厨を出し其宇を喫し相促して乖岡江津

を過き吉岡の小祠よ休憩す折節一僕を従へだる

有髪の田舎紳士祠前を通過し一行に向ひ﹁ドナ

タモ﹂巴語を交へ去渇是芝恐くハ近郷の竹庵様

ならん乎行く乙と数町手取の水洗梁困絃封岸の

松林慕均然巴ーて好藁實に愛・をへL正午吉野へ着

巳金澤を距渇七里なう一小亭ロ休憩して饒牢の

厨を尽くー吉野の清幽を探らんと亭圭に尋ね

既に通過せしと云ム依て蹄路の樂とな1此地

を曇妥炎威堪へ難く苦汗下う王漿流る行く乙と

忽ち沿々流々掬壱へきの響あφ是れ手取の 源にーて水は清冷潟を聲キるに足る佐良市

原を経て下木滑村に至芝は潟溢々甚し肪て民舎

ゐ一腕の無心に預る其味實に美ユLて廿露街且

及ふへくもあらす土瓶を轄する乙と藪回三時四

冴木滑新村あ到きハ道岐れてニピ易う漠迷ひ

ー略村民の親切あよウ安きを得泥う夫れより深

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