明 諮 三 十早十一月二十五日稜行
◎ 十 全 雑會 誌 第四號目次
◎ 原 著 及 實 験
○免疫論 中濱東一郎 ○狗倭病二就テ 藤井伊之吉
○徴兵捻査ノ覗力試瞼二於ヶ〃管見
岡本京太郎
○卵巣腫瘍刻出術傍観記事 河 合 麿
○心臓位置ノ破格ト肋膜炎合併ノ實験
末岡外次郎
・ 嘔吐二要ル§死二例畝㌔久詳臓
・副長甕筋二撃 鋼♂監惣蜘
◎ 抄 録
○常度下体温
O
膝 蓋 腱 反 射
消失ノ診断64債値
似
上
松原三郎
◎ 雑 録
○古加因局所麻酔法ノ進歩
○赤痢病源二就テ
◎ 漫 録
○断々
○
暑中雑詩
O
鐵腸漫鍮
○白山紀行
◎ 雑 報
O
藪十件
◎宵 告
○歎件
生 沼曹 六
シ橋吉田松勢加
本田中原川
喜一 南
久幡次鐵漁 三成郎腸夫耶
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ
ニ非サルカ柳力記シテ示致ヲ乞フ爾
録
◎常度下髄温
常 度 下 体温oo口99日巴Φ因8壱︒§日駕﹁暮烏は左の 場
合に於て之を見る
●抄 録
(一
)熱
性病の経過中及経過後
(二︶沸経系の或疾病
(三︶身体に急劇の作用︵創傷︑腹膜炎︶を受け
たる時
(四︶無熟性悪液病 五十一
●
抄 鎌
︵五︶急性衰弱歌態︵下痢︑出血︶
︵﹈ハ︶山反膚⁝の総=化
︵七︶劇烈なる奪温
︵八︶藥品の作用及中毒
直 に
温度を奪却せは体温大ユ沈降すると稀なら
す冷氣の大道に⁝横臥し冷水に入ウたる者の如し
殊
に
酒精の作用を爺ぬる時n更に降温し二十四
度に至o泥る者能く候復したる報告あり叉治療
上 冷 浴 冷 水 枕 子及冷器法の感用あよう三九ー四
〇度よ◇三六ー三五度に下るを見る此の場合ゐ
ぬ降温著大ならさるも屡々虚脱症歌を俘ふ乙巴
あ∧ソ
大 亡 液 後に低温を見る乙と鮮なからす劇烈なる
下痢に於て然う赤痢様下痢︵三五度︶軍純の急性
及慢性腸炎︵三六⊥二五度︶重症虎烈拉磯作︵三
四︑入度︶に見る所なo叉大出血後例n外傷的出
血 子宮出血︵三五︑二度︶腸結核患者血便後︵三六
五十二
度︶胃癌患者吐血後︵三四度︶の如し
悪 液 病及重症貧血に於ても低温Y示し癌腫︵食 道胃︑腸︑肝︶は三六⊥二四度良下り死期に虚脱 症欺Y曇す肝硬化︑慢性腎炎︑汎登性澱粉憂性
(三
五ー三四度︶萎縮哺乳見︑重症糖尿病・ニニ五
度︶悪性貧血の末期︵三四度︶屯叉下降す是れ酸
化 機能の遅緩︑慢性滋養不給︑中毒作用︵例は潰
欄せる新生物に於て︶に由る其他輕症の原曇及
績曇貧血例は萎黄︑病後候復期︑衰弱したる比ト
昆 姪見︑轡幽病︑麻癖狂も下降する乙巴多し 重 症 血 行 障 礎は常度下隈温を現はす乙ヒ牢なる か 如し然れ巴も血行障碍によう酸素撮取歓乏せ
は体温曇生の減少する乙巴勿論なウ心臓辮膜病
に於て代償機障碍時に降温ー回復せは叉卒常ゐ
復す其他信帽辮閉鎖不全︵三五度︶気道狭窄︵三
四︑二度︶も下降するか如し
中橿祠経系諸病に降温するは頗る興味あ﹀て病
機直接に温中橿或は脈管肺経Y襲いて温調節を
素観するに由るならん結核性腐膜炎︵三九度よ
う三六ー三五度︶漿液性階膜炎︵三五︑五⊥二四︑
四度︶腐出血︵三〇︑三度︶磯松塞︵三四度︶二
孚は心臓病の血行障碍に由る︶階腫瘍︵三五︑一
分︶腰脊髄梅毒及ひ癩狂者の進行性硫醇も下降
し﹁ライソハルド兵は後者の二二︑三−=一︑四
分Y示ーたる二患者Y實験せウ此れ從來獲見せ
られたる髄温の低下中最も甚しき者にして温調
節中櫃の障害に由るもの参らん脊髄損傷は屡々
昇騰ー嚇癖性偏頭痛登作︵三六度︶は下降す又知
麗 祠 経を刺戟せは血温減退し創傷︑外科術︑腸籍
頓︑腎石猫痛︑胆石疸痛の如し内穿行︑腹膜炎︑蓄
便性盲腸炎叱一時低温に至る乙とあう
或る皮虜病殊ゐ汎登温疹︑葬嚇疹︑硬皮病︑廣汎
火傷︑熟獲皮膚炎よ騰温の下るは皮膚の充血ユ
由6温放散の増加するに原因するるらん
●
抄 鎌
執…
牲病の経過中体温の沈降は注目Y要し脱熱せ
は常度に止らすして爾更に宇乃至二度以下ゐ沈
降する乙と多し一般に熟の連綿急速に解脱する
麻拉利亜︑膿毒熱︑日哺潮熱は沈降著しきも虚脱
を登せす反之解熟急るるも間断ある者及解熟緩
徐
るる繊維性肺炎︑麻疹︑膓窒扶斯︑實扶的里︑丹
毒は下降著ーからす亦解熱後艘温久Lく常度下
に 止まる竜のあう膓窒扶斯︑熟性膓胃加答見︑肺
炎︑實扶的里︑麻疹︑痘瘡︑問歌熱等の如き其他熟
病の経過中常度下に下る乙と稀をらす殊に膿毒
症︑腎孟炎︑腎孟腎炎︑肺炎︑は時々大に昇降す稽
留性熟病は治療及隈内解熟機轄︵出血︑穿行︶に
關せすして賠温低下を來す乙と空なう
熟病の死前譜温低下は緊要にして肺炎︵三八︑よ
う三四︑二分︶敗血病︵四〇よう三六度︶多襲性骨
髄炎︹三五︑八分︶肺炎合併の實扶的里︵三九よう 三五︑二分︶急性粟粒結核︵三五度︶の如く多くは
五十三
● 抄 録 重 症 の 虚 脱を俘ふ 毒 物作用に由る騰温沈降は屡實験し燐中毒︵三 七 度⊥二三︑三分︶は酸化機衰易に由う祠経毒及
筋毒は皮膚血管鑛張の由κめ温放散Y増加せしむ
るに由る酒精︵三五︶亜篤魯必浬︵三五︶莫爾比浬
(三五︑ニー三四︑入分︶石炭酸中毒︵三五二分︶の 如し
解熱藥中に於て安知比林︑安知歌貌林︑撒里矢爾
酸は新陳代謝の減却及皮膚血管の援張によ◇て
解熟し規尼混n唯組織内の登温を減却せしむる
なう重 金属の新陳代謝及腰温に及ほす影響は未泥詳
ならさるも乗剤n久しく連用せn時にょり艘温
を減却し慢牲鉛及砒石中毒の髄温憂化ハ不明な
参自家中毒に於て常度下賠温を示す竜の少るから
す是れ血液憂調の温中橿Y侵すに由るならん尿
五 十 四 毒症n三八度よφ三四度に低下する之εあう糖
尿病性昏睡は三三⊥二二度に下6一種の酸類中
毒Lなム7と一云〜ハ黄疽に〃於て鵠温一一=ハ虚反脈⁝搏五二至 に いたる事あるは胆汁酸瞳類の血中に入りて温 調 節 及 血管運動中橿を刺戟するに由るなう 以 上
の 論顯を括約せは常度下体温の源因左の如
し ︵一︶直接の奪温
︵二︶多量の体液亡失
︵三︶慢性貧血︑悪液及滋養不給
︵四︶重症の血行障害
︵五︶中櫃祠経系統の諸病
︵六︶知費祠経の刺戟及脈管蓮動紳経病
︵七︶廣汎なる皮膚病
︵入︶熱性病の経過中及解熱後
︵九︶毒物及髄内化生毒の作用
然 れピ竜健康人にして常度下体温︵三六度位︶を
示す乙とあるも毫屯其源因を証明する能はす蓋
し人種︑氣候︑年齢に從ひ体温に・少許の差あるは
勿 論なφ一般に健康人は朝⊥ハ時に卒均三六︑五 分 夕
︑要之常度下体温は普く世人の信するよ◇は多く 六時に三七︑二分を示す者多し 見る屯のにして且つ絶割68ゐ悪徴●リピ言ふを 得す亦虚脱なる名爾Y一定の体温と聯合し一ご十 六度以下の体温を虚股温参うと言ふか如き﹁ウ
シ
デ ルリソヒ﹂氏の古説は妥當壱らさるか如ー
此れ体温著く下降するも虚脱を曇せす重劇の虚
脱に陥るも常温度或は高度に止るものあるを以
てなう故よ常度下体温は衰弱家或は悪液質に曇
して再ひ常度ゐ復せさる瘍合Y除くの外は豫后
の凶なるを示すも未た瀕死の兆にあらさる壱0
(濟
生 學 舎 新 事 新 報 第
五十一號︶
◎膝蓋腱反射消失の診断的償値
腱 区射 の 原因は諸家説を異にし穿ひ氏は反射説
●抄 鎌 刺戟脊髄ユ來ウ次て四頭股筋の収縮する主の已 主張す而て﹁エルプ﹂氏は普通の反射作用によう を唱蓮し腱反射の擾見者ス菖菩巴氏は筋肉説を
せう然れとも反封者曰く膝蓋腱反射ハ通常皮膚
の
刺戟に由る反射よ参大に短時間ユして來ク術
ほ膝蓋腱の帥経Y切蹴するも反鷹あるを以て他
に
源
因あらんピ亦筋肉説ユよれは緊張せる腱に
蒙る動様筋に波及して収縮Y來すもの易うピ近
來Ω︒包霧﹁ガワース﹂氏ゐよれは患者をLて下肢
を懸垂せしむる時は筋n緊張し局所の刺戟に封
して過敏となう爲めk筋収縮を生するをりと其
他
問詰95氏ぱ臨床上の實験に徴し反射作用溺
失せる患者は腱反射も共に消失するを認め腱反
射曇生は筋の緊張︐分布祠経︑脊髄の作用完全参
るを要する之巴Y説きたり
膝蓋腱反射中橿は第三及四腰帥経の起根部にし
て腰部膨大なう巴す若し⁝脳より來る抑制繊維を
五十五
● 抄 鋒 侵す時は腱反射充進す帥ち側索硬化症の如し亦 腱
反射
消失は末梢紳経炎︑筋肉病︑脊髄病に來る
竜病寵部の異るに從ひ衙諸種の徴候を併曇L脊
髄 前角を犯す小見硫癖ぱ筋及骨の榮養憂化Y生
し後索を犯す脊髄努は運動︑鰯雇一︑厘畳︑温畳︑筋
神を失ひ末梢紳経炎の如き知寛及運動繊維の犯
さる1度の異るに從ひて知箆消失するも蓮動依
然 たる之とあり亦實扶64里亜麻癖の如く運動繊
維の犯す事著しけれは運動系の兆候を呈す其他
夫及深反射は常に相提携をる主のにあらす脊髄
努ハ表反射のみ存し㊤身不途症n深反射のみ存
する乙どあるか如し
祠経炎にーて實質炎なれは反射全く滑失する主
間質炎は却つて充進し叉た運動祠経を犯す時は
知曼のみ依然たる屯知寛紳経なれは全く之れに
反す
脚氣症は曽品氏に援れは多登性末梢紳経炎よし
五 十 六
て初め健反射梢や山几進する逃多くn全く滑失し
知 昼 脱 失 の 特 異なるに由うて脊髄努と鑑別する
乙巴蓉易なり亦癩病は諸家め説によう末梢紳経
炎にして健反射清失するも近來鈴木重道氏の報
告 によれは却つて腱反射の充進する竜の多し巴 然 れ巴も未た確信を措く能はす 鉛 毒 麻癖は初め上肢に來クて伸筋を侵し末期に 至◇下陵に及へは腱反射漕⁝失す是れ筋の歳削に
因るも畢寛祠経炎に基つくなう故に末期に於て
は其鑑別に苦む乙とあう亦痴痛及歯齪炎等にょ
◇て之に類似せる進行性筋萎縮巴識別し易し蓋
L本症の病理ハ今爾ほ一定せすして﹁ラィデシ﹂
氏 等ぱ第一期に末梢蓮動祠経の憂性萎縮第二期
に
筋肉萎縮を登する愁の巴し﹁レマーク﹂氏は脊
髄の前角炎に基つくものとせ6是れ一筋属の歳
痩を見るにょる参らん
實扶的里は我國にありてハ病勢只九咽頭及喉頭
に
限局せるもの≧如−然れ巴も﹁ドンネ〃﹂氏の
臨床的實瞼報告にょれハ病初他の紳経症状を曇
せさる前或は初曇症歌とーて膝蓋反射の消失を 來 たすものなう巴且つ病勅よク必す腱反射の消
夫は咽頭實扶的里写るや否やY定るゐ足ウ街ぼ
紳 経系の犯されたるヒきは病初必曇の症歌にし
て豫后上著しき關係なしと亦﹁ブツザルド﹂氏の
研究に操るに此の反射消失は本病初曇の兆候と
して必曇し本症全治する鴨反射消失は持績する
によ﹀脊髄螢の共同運動障碍巴誤認する乙とあ
λリ⁚ζ然れ巴も又筋肉の収縮的物質減少のため収縮力
不 全となDて反射沿失する事あう例は筋病性筋 裟 縮 症 及 催 性 筋肉肥大症の如し往々前角炎に績 曇する筋萎縮ピ誤認する乙巴ゐ名も臨床上容易
に34噺するを得可L
糖 尿病よ於てn必す腱μ射油失を招くものにし
●
抄 鎌 ん亦﹁トムソシ﹂氏病も﹁ブッザルド巳氏は腱反射 質の減少によるか或は末梢性沸経炎ユ基くなら て其源因は全身衰弱のため四頭股筋の収縮的物
の 清 失 せる本症Y實験せるに由う該病を以て筋
肉的疾病な﹀ピ説け◇
嚇酔藥のため一時膝蓋腱反射の治失するこ巴あ
う叉癩痴及卒中曇作時及輕症の熟性病に於て腱
反 射 消 失する之とあ4然れ巴も解熟せは奮に復
し或は却て充進す睡眠中叉た腱反射Y見すして
睡眠の度に比例す
脊 髄
に於て腱反射障碍を招くものは脊椎骨及骨 膜 並 に 脊 椎自巳の疾患なうヒす就中脊椎骨瘍は 最
主
脊 椎 部
に
來る乙と多きを以て下宇身灘換及 腱 反射充進を登するも腰推部に生するときは膝 蓋 腱 反 射中櫃の腰膨大部Y犯すを以て下牢身不
途及腱反﹁射消失を見るへし其の他一の新生物亦
た 然り﹂ 小見麻癖は多くは腰膨大部に來う両
五十七
● 抄 錬
側を犯せハ下宇身 逐︑腱反射浩失︑下肢筋肉巖
削Y磯をる屯脊椎部なるときは其症飛上肢ゐ限
局 せう膝蓋腱口射の憂化を生逆る乙ピなし 脊 椎 努 ゐ 於 て 反 射 清 失は一特徴にして後角及
「ブ
ル ダ
ッご氏索を侵を葡詩によう破格的に却
て腱反゜射の山几進・をる︑とあク是れ脊椎硬化を合併
をるものならん﹂ 脊椎炎及脊椎膜炎は腱反射
沿⁝失ヤをる乙巴勘なしL 脳旧脊椎多曇性硬化n一
般
に
反 射充推丁をるも腰膨大部Y犯・を時n譜⁝失し
診断に苦しむ事わう﹁ブツザルドし氏の論擦ゐよ
るに該硬化症に於て一側或は両側の健反射滑失
し其消失側にき誓よ冨・︒︒を存キる事あるは腰
膨 大部の前角を犯し同時ゐ側索に侵襲を蒙むれ 渇 によ移徴候な巴云へう﹂ 進行性筋萎縮は
前角Y犯かして筋肉滑削し下肢に波及せは反射
全く消失をるも同時に側索を犯を時n却て充進
壱へL蓋し進行性筋萎縮︑側索硬化︑球硫癖の三
五 十 八 者は互に合併そる乙と多lL ﹁バスチアヅ﹂氏
n背 部 及 頸 部 全 横 径 性 脊
椎炎に於て膝蓋腱反射
の 滑 失 せる兎のを實験せう然れとも﹁ヂヤクソ
ヅ
」 氏 によれは脊椎の外傷に因をる震控症は腱 反 一時滑⁝失︑をるも直ちに恢復・をるものなAソ巴 言ふ﹂ 先天性遺鱒性共同蓮動障碍症郎ち﹁フ
リードリッヒ﹂氏病に於ては初期に腱反射捕失.
言 語 澁滞︑眼球震湯工︑共同運動障碍を登苫をるも脊 椎勢の如く眼筋硫癖︑覗祠経炎︑及知魯〃螢養異常
を招く乙となー﹂ 由富箆p︹6弓曽冨σ§冒及﹀盲×財
・。冨9雷 は共同運動障碍を來たし爲めユ脊椎勢
及﹁フリードリッヒ﹂氏病に類似を渇屯元來
卜宮図首審日芭Φ慨曽は後索及側索の疾病な%によ
う腱反射山几進及知昼脱失を曇を渇を以て鑑別キ
渇を得﹂ 小脂の疾患ハ牲々腱反射消失及共同
蓮動障碍を來・をも頭の位置及強迫的位置にょク
認 識壱るを得可し︵醤海時報第百六十六七號︶
以 上 二 項
松 原 三郎抄鎌
綾
録
◎ 古 加因局所麻酔法ノ進歩
生 沼 曹六
千一
八 百 八十四年因竺3氏か古加因の局所麻酔
作用を登見したる以來濫潮の勢を以て外科65手
術の範園ゐ横溢ー從來落痛的手術を施すに際し
患君の楚痛を減少せしむる目的を以て行はれた
る紳経厭 迫法駆血68嚇酔法及冷却硫⁝酔法は殆ん
と其位置を奪nれ﹁ク・ールノチール﹂及﹁ク・
ールエチール﹂の如きは種々不便なる徽に於て
記臆の外に駆遂せられ古加因は實に局所廠酔藥
中の覇王巴るれう然して無二の廠酔藥として稀
用せる︑﹁グロ・ブオルム﹂の恒域すらも狭むる
に琵れう ●雑 鎌
此の如くして古加因の慮用日一日よ盛なるに從
て其注射の方法及ひ藥液稠度の上に大なる改艮
を受けたう而して注射の方法に關係ーて現今浸
潤嚇癖甘完§庄︒5碧§浮Φ・︒︷Q及所轄麻癖園曇︒︑
§窪曽器︒︒昏Φ︒・⁝Φの二あるを見る
浸潤麻癖noりo巳o⁝合氏の曇明せる所④して爾來 人多く之れY用ゐ膿中殆んと之れを用ゐるに適 せさる所をし只た厚靭頭皮掌腰の如き或は疲痕 組 織
の 如きピきに甚泥注射の閤難を戚する乙と
あ∧・OO昆員氏は一千八百入十七年に於て一知魔柿
経の周園よ四%の古加因水Y注射壱れは其全分
布 圃 域
に 三 四 分時の知畳麻癖を來をを見瀧0尤
も注射部の上に於て駆血帯Y置く之巴を要を氏
は鼓に外上臆皮紳経を用ゐたら但し氏は其登見
五十九
●
雑 錬
を實用に供せさうし氏の後に所轄麻癖に就て少
しく述へπる人︵霊忌m号σe︶あうたれ巴主世人の
注 意を喚起せ壱却て所轄硫癖の存否を疑ふ者あ
るに至れ0其后印ΦO冨氏其他諸氏にようて登達
せる古加因麻癖は只軍純の局所浸潤硫癖にーて 且
つ 其 古 加因捕の百分比例﹁シユライヒ﹂氏溶液
(O︑一ー○︑二%︶巳比し甚た強し今日に於ては
如斯強液の無用なる乙と疑を容れ壱とそ﹁シユ
ライヒ﹂氏モ叉所轄硫癖に就て少く辿へたる乙
巴あれとも純粋なる所轄麻癖を磨用せるは實に
9δ曇氏ユーて氏は藪年前既に﹁ハルレ﹂病院の
外 來患者に就て充分の實験をなせ6氏か實競は
】、
。昆8氏によ﹀て世に公にせられだ6局所浸潤 麻 癖巴所轄麻癖との匿別術未た十分36明ならさ れ巴も指趾に於ける所轄麻癖の方法ユ至ては今
11街遵守する所なう
之を抄録すれは︵一︶一%の古加因水にて侮時各
六 十 部
に 所
轄麻
癖Y起
L得︵二︶所轄麻癖は只血行を
全 絶し得且つ紳経吻合Y全く遮断し得る所にの み 確實に行はれ得郎之れに適するものは手指巴 足 趾
参う︵三︶局虚浸潤廠癖は注射后直に麻癖を 生すれ巴も所轄麻癖は注射後五分時間以上の経 過を要す乃ち指又は趾を麻癖せしめんには護談
管Y以て其基磯部を緊絞し其端を足關節叉は腕
關節に於て結合し置き密に護護管に接して其指
(趾︶尖側ゐ注射器を指︵趾︸尖に向けて注射す注 射は四條の紳経幹に雁し四個所ゐ之を行ふ一%
の
古 加因水にーて一所に﹁プラワーッ﹂氏注射器 四分一ー孚箇宛とす︵故に全量○︑〇一ー○︑〇 二 の 古 加因蝿なう︶L此四個所の注射は必要なる
もの参う何となれは唯肢節の一側に於て手術す
る塒に於ても神経の末梢吻㊨Y遮断せさるへか
らさるを以てるう
民♂09冨氏は無盆にも二%古加因水を用ゐ血行
遮
断Y
必 要ε認めさクし然れピも此事甚た必要
なれは此法Y試みんとする人は必す血行を断ち
且 つ
必す指趾に限り之を施すへし血行を絶たす
或は指趾の他に之を用ゐれは其効を見さるるう
指趾の他あ強て適當の部を求むれ・は之に接する 手 足 の 部とす之を嚇湊せーむるには例へn手に
あうては上膳叉は前膳Y護護管にて緊縛し手背
手
掌
に 於て四條の紳経幹の周園に注射を施すに わう所
轄 麻癖の利溢とする所は︵一︶用量の僅少なる
爲め其中毒を避くるを得︵二︶注射は之れを健康
部 に
纏諭警饗芸旅︶姦んと奪與へし 於て璽を以て注鷺よ羨痛︵難麟鍛
めす︵三︶局所注射の爲め膿を駆て炎症を鑑Uる
の 恐 れ 参し︵中外聲事新報四百十六號診療新報 欄よo摘鎌︶
余は屡木村恩師の﹁ポリクリニックしに於て此所
●
雑 鎌
轄硫痩Y陰茎に感用する時は全く無痛的に陰菓 切噺術すらも行ひ得る乙ピを諭されカるを聞け
0き然らは郎ち之れ迄諸氏か所轄麻痩は指趾に
限◇て施し得へし巴云へるものに陰窒の一腐域
を加へ得る篭のなるを信す
国︒︒日碧合氏は自著の軍陣外科學局所硫酔の條下
に古加因注射法を述へて曰く藥謝は之れを損傷 せられさる皮膚に塗布する屯其の効を奏せさる
を以て之れを感用せんkは注射にようて皮下に
持來されさるへかちす而して其方法は五ー十%
の 溶 液を以て充されカる﹁プラワツッ﹂氏注射器
を麻疫を望める匿域の周園二一二所よ刺入し問歌
的ユ注射すへLと余は此の怯を以て所轄硫癖を
折 衷し身体の凡ての部分に行はんとする主の巴 せう 古 加因溶液の稠度に關しては今よ6七入年前に
用ゐし竜のn今日の如く稀薄をるものにはあら
六十一
●雑 録
すして大抵十−五%のものなウき明治二十三年
(西暦一千八百九十年︶佐藤進博士の古加因實験 報 告中には.⁝⁝余か最一初外科手術に使用せる古 加因の量は方今用ゐる所の屯のに比すれは稽多 量 るうー是れ﹁コーニング﹂氏に擦うしものにし
て創ち一〇%古加因溶液一回の量二箇乃至三四
箇を各部に分配ーて注入せう然れと兎近來用ゐ
る所の量ぬ五%溶液二箇乃至三四箇を各部に分
配1て注入するにあ◇此法に握れは大約五六分 時を経るの后麻癖の効を収むる之ヒを得へし⁝
と記載されき然れピも其後古加因申毒の詳細に
研究されし結果其稠度Y稀簿にLて其効力を旺、
盛 るらLめんピ企てたう而して此の企圓は無益
ならキして古加因麻癖の上に大なる利猛を與へ
たり 從 來 古 加因師酔法に供せし溶液は圭に冷液のみ
なうしか一千入百九十六年弓ぎも︒・・富氏は撮氏
六 十 二 五 十度ー五十五度の温液を用ゐて頁効を得たう
巴云ふ液の稠度は○︑四10︑五%にーて氏は其
効力の速且確なるを証せんか爲ユ両側蜜践脱腸
を手術せし一例を引鐙せう郎ち左側は大綱﹁ヘ
ル ニヤ﹂なうしか撮氏五十ー五十五度の温液を 注 入して︵古加因の量は三︑五仙瓦︶百五十瓦の
綱を切除し一大脱腸嚢を摘出せLも患者毫竜疹
痛を訴へさりき次て右側の盲腸脱出を手術する
忙 冷 古 加因液を注射せしに患者n皮膚Y切開す
るに當て既に疹痛を訴へ古加因五︑五仙琵を用
ゐしにも拘沿らす硫酔不充分なりき︵順天堂讐
事 研究會雑誌二百四十入號抄録轄載︶
一千
入 百 九 十 七 年
戊﹄9亘昌・晶氏は手術上局 虚 の 知 豊を硫癖せしむる目的に現今に至る迄使
用せる二%の古加因溶液の代うユ﹁コカイヅ︑オ
イカイシ﹂溶液を鷹用せん乙巴を勤奨せ6蓋し
此 液は古加因の宇はに之と同量の﹁オイカイソ﹂
を加へたるものにして其知曼を嚇癖せしむる作
用は二%古加因溶液よ参は少からすして﹁オィ
カイヅ﹂の中ヨ﹄舜性に至うては僅に少し巴す此故
ユ本混和液Y使用せんには二%の古加因同債溶
液を用ゐ古加因の極量︵○︑〇五︶に達するゐ先
泥ち其大量を浩費するY得可し﹂氏は﹁コカイ
ソ
、
オイカイン﹂散を爾用せ◇其庭方左の如し 舗 酸古加因 掴酸オィヵイン 各○︑〇五 以 上
の散を貯へ置き使用前ふ蓑沸せる蒸溜水五 立 方 仙 迷 に
溶 解をへし此散は叉粘合藥を性加す
る乙巴無くして強睡をるによ◇て小板に作る乙
巴を得へし︵醤海時︷報百山ハ十山ハ號⁝抄鎖随﹇載︶
外 來に於て施行し得らるへき程の小手術に於て
は先つ巧ホ使用キれは軍純なる古加因溶液にし
て一%を超ゆるの必要を見さるか如し
◎ 赤 痢 病 原ユ付て
嘗て泰西の諸家熟帯地方の赤痢は−一種の﹁アメ
●
雑 鍮
バ
」 に因する乙巴Y公膳するや我か北里博士ば 本 邦 の赤痢屯同しく﹁アメバ﹂に因壱る乙とを唱 又へ實地上に証明したう然るに中濱︑緒方博士 等は研究の結果﹁アメバ﹂Yも登見した◇巴錐と
も﹁アメバ﹂n軍に副作用をなすユ止まう且つ普
通膓加答見等にても曇見壱るものにして眞の原
因は必を一種の嵐菌に依る乙とを唱へたう︑然
るに近日東都の某氏よう野田教授にあてたる通
信の端に北里博士は﹁アメバ﹂説を捨て≧徽菌説
を取ム・實に近來其の病原たる一種の徽菌を機見
せうと﹂鳴呼日るらすして吾人n博士の薪新参
る報告を耳にするを得むなク
曼〆ピ〆
◎断 々
ぽ 外 國 語 の
修養
迦 南 耶
六十三
●漫 録
細 緻 綿 密なる聲學の研究を爲さんヒするもの耕 新周到なる藥學の亭説Y知らんとするもの若1
くn現代の聲藥學をして猶螢達進歩せしめんと
するものは其の國語の外叉外國語の智識Y有せ
さるへからす況んや我聲藥學か晩近驚く可き進
歩をなせしn主として外國語の影響によるユあ らすや総ての新らしき登明中我か讐藥學界み於けるも
のほと其勢力の大にして影響の著しきものnあ
らー故に筍も此の閃電迅雷的の聲藥學界の趨勢
に俘ひ進歩に後れさらん巴せn力めて泰西大家
の高論を讃み卓説を聞かさる可らす若し此時に
當て外國語に於ける素養なく造脂参くんハ幸に
して親切なる翻課のあらさる以上は周到なる紹
介あらさる以上は趣味ある理論竜利益ある學説
も透に全く之れを知ら噺して止まんのみ
吾人は諸君か外國語ー少くピも濁英の二國語ー
六 十 四
に於ける其智識と實力εを緬養−以て現代の聲
藥學をして更に振興の期蓮に會せしめん事を希
望
するものなウ
吾 人は諸君か其正學課の傍ら務めて語學の研鍛 に熱申せられん事Y切望するものなうo
② 化 學 疎 粗るる巖塊を疏解して燦燗たる精金を得揮朧 たる賓珠を熾灼して無影の氣艘を生し︑氣騰︑氣
艘巴逢ムて液騰ピなう︑液鷺︑液腰ヒ逢ムて固艘
を化生し其際明光Y放ち鳴響を登し激熱し冷却
し染彩し槌色す是れ其の識る可らさる所︑観る
能はさる所︑一種露妙深遠の﹁機﹂あクて存する にあちすんnあらす 世界の物質何物か此化學的抱合よ6組織構造せ
られざる既ゐ化合す其間た又泥彼の露活微妙の
「機﹂の羅秘合菩せられすんnあらず
於 鼓 乎化學ハ永遠に廣ろく無限ロ深し今物質Y
取う抱合し分折し之れY静思し淡考す幾多の趣 味と快樂あう此間の消息敢て局外者の知る所ユ
あらず化學者リーピヒー9曰く﹁化學n人智の極
め難き造化の驚く可き事物に常う最屯適當の明
解を與ム﹂と
化 學は實に吾人よ哲學的の幽奥秀る観念と高潔
るる慰籍とY與ム
③ 化學巴名士 吾人n有名なる文學者及政事家にして屡々化學
に
親
むものあるを見る
今よう参十年前愛蘭アヴオシデールの或る⁝魏々
巴して雲ゐ饗ゆる高塔の絶頂に眼も眩らみ足も
震ムY物巴もせず快然として打ち跨れる青眼美
髪の︼童あう前に馬鈴薯を煮るに用ゆる一個の
鐵鍋を据へ之れよ焙立つ石炭を満たし或る鉛の 塊を熔かさん巴して毫も余念函きもの≧如し 是 れ 愛蘭土無冠王愛蘭黛領袖パーネルか猶其幼
●漫 鎌
時 人 が弾丸の最簡軍なる製法n熔隔せる鉛を高 所よう滴下せしUるああδと云ムY聞き是を實
際 に試めさんか爲め斯くn高き梯子を馨ち危き 屋 根を這ひて鍾に來れるるう渠れか科學に封す
る嗜好の熱心n幼時猶斯くの如きものあうき渠
れ か 科學の嗜好は寧ろ先天的の主の壱うき其年 老
ひし後も渠れか唯一の娯樂ぬ藪阜的書籍を讃
む巴化學的實瞼を行ふにあ6き嘗てパー不ル委
員會議中渠れか其手を釣う纏帯にかけて出席せ
しが人ハ大に之れを怪み且つ驚ける色あう然か
もZハ是れ刺客よ逢ひしにもあらす撰畢争の車
よ◇落ちー︐にもあら宇只或る鏑塊を熔隔Lて之
れを試験するH際誤て其手を硝酸にて=焼きしも
のなうしヒ 叉 十 八 世 紀英國文學の互人サミユル︑ジヨンジ
プは其晩年一種の厭世的所謂安心を説くに及ん
て渠をが唯一の娯樂轡散とせしハ亦力⁚只だ化學
六十五
● 漫 錨
の
實験ゐあうしのみ而して彼か此嗜好は千七百 三 十 九年ポールハーヴ侍を著し1時に胚胎すと 云 ふ 彼
か書
齊は極めて狼籍散逸ー卓上ユは幾多
の藥罎Y陳へ室内異臭に充ち被艶は劇剤の爲め
汚さる彼は日夕此の裡にあ◇て試験管を手にゑ
試藥瓶を取う或は抱合し或は分折するY以て無
上 乃
樂ピせ0
世界の見﹂﹁猫逸の花﹂るる大々64詩人ゲーテも「 其内部kあうては叉化學熟心家の一人をうしな
う彼は猫う化學のみならす錬金術鑛物學にも通
し叉顯微鏡學にも精しかうき其解剖學に於ては
「恥骨﹂H曇見を以て名高く植物學に於ては﹁植 物 化醇論﹂の出板を以て顯はる理學に於ては嘗
て大に﹁光學﹂﹁色學﹂に就てニュートソ派と論争
する虚あうき彼は斯ぐH如く幾多只科學に精通
し研鍛する所あうしか化學も亦彼H最も深く造
脂 せし所乃一科なウ彼が化學に於けるや解剖學
六十六 植
物學
若くは物理學ユ於けるが如く敢て姻然巴
ーて見るへきもHはなかうしピハ云へ然かも彼
か 其 少時ズビールマソ氏ふ就て其碧切なる化學 乃講義及實験Y傾聴せし以來そH老年ゐ至る迄 彼は決tて之巨を螂ぎりしな◇常R間断なく倦 怠
なく孜々螢々として之れが研究に勉めた6し
は毫も凝なき事實るウ巴す
斯くの如く烈火熱血の愛蘭政界の首將も只一の
冷々然だる化學者のみ謹嚴剛直をる英國文壇の
互 人も亦た一の無邪氣なる化學者のみ濁◇其後
者にあうてn軍に化學のみに限らホ総ての所謂
科學﹂k於て最も熱心なる最屯鏡意なる一箇H「
科 學
者な﹀しなう
斯くの如く幾多の名士が消閑の飴技として化學
の間ユ出入し絨想獣思以て其緻密巴沈重と静瀟
とを養ふは之を現代の所謂政事家及文學者か孜
々として將に其忙殺せら巨んとするに比し其優
る慮果して幾歩彼等か能く陰淡なる議場を其眠
◇よう醒まし幽轡なる文壇を其死よ◇活かすも
杖 亦 其因て來る所あらすんはあらす
ー ︒丁八1︒
◎
暑中⁝雑詩
勢川漁夫投
駿 雨
電光願爲震白雨洗乾坤窓外生涼氣日晴鮎摘喧
夏 夜 村 荘 清 夜奏幽貨簾外微風興自長冷氣如秋雁罷扇
竹陰深虞月蒼々
灰 池 蓮 数茎雨過動清香具個蓮花似六郎池上夙多新月夕
向人楚々淡明粧
書山水
山腹柴門一院深松聲幌々在遙林吟人展席詩思好
修竹高梧澗水薄
吊友人矢ロ君
●
漫 録 鶴聲且惹士林悲 落花撲面悼君時玉樹潤罹逝若期埋骨夜蛋室帳々
學
友矢口君を惜みて
筆なけて悲ーむ雁乃別色かな 小 袖 生
悼
矢ロ雄司君
思きや虫H音ーけき淺芽生H 露巴消にL君そかなしき 明日ようは誰巴かた♪てなくさ貧ん 學
の
窓H
友なしにして
憶 君 術 春 秋に富み將に大になすあらんとして此
事あう悲哉
◎鎮腸漫録 松原銭腸
︵其五︶夏H小川
賎H乙女か繰る糸乃 永き日影も傾きて
夕日いろ世る山邊よう ふるや夕立一Lき0
峰
行く雲の涼しさよ
渇浴に月を砕きつ3 今日の塵をや清めけク
六 十 七
●
漫 錨
をびく蚊遣を後に見て纒ムめ輕るき蝉衣
流詮乃歌を身ゐしめん
青葉Y屯渇≧十六夜月 照すなうけ6隈屯なく
星の眞砂のいや清く 流乃底ゐ香へるは
彼75世乃夜をも守るかや
笹葉虫籠手に持ちて
互
に笑める無邪氣さn
我は蹄らヒ昔には
行く手をふさぐ蓮花
誰なびくそ糸柳
書ける文乃行先は
流の末や見伝わかぬ
もゆる螢の飛びかふは
れうて此世ゐ迷ふかや
碧 葉 越 にも見ゆるなる
樂しき妻や宿るらん
歌
ふれの乙や乙女等の
賎… の れ だ
㊧ 繰 ち巴ても
険くも床しきニツ三ツ
水面に垂巨つ羅やかに
岸をうつむる葦の葉に
冑々流る星かすの
葦
屋を漏る≧灯の影に
末野を風の吹くなべに
折クく笑みの聲もせぱ
水面の花も見よ巴かや
浮
卿てらす螢乙そ
小舟の心地すめるらめ
よしや玉を︑を籠とても
螢n狂ふうなゐ見の
又も行くなう卿がく塗
更け行く鐘を歎ねつ︑
す×む挟に風かろく
夏はなが巨ぬ逝く水に
心よか︑ち雲もなく
月の桂は澄みまさう
葉末ゐ宿る由もが参
寝よとの鐘に送ら巨つ
妹のつミにと手を伸べば
音ーて散詮Z露一ツ
◎白山紀行
六 十 八 燃わつ滑つ︺叉も缶つ 水
のまに々鑑ら色つ︑
露
るく床の懸しきか
靡く團扇に吹か邑つ︑
ひ巴う泥×すむ九木橋
月に浮乏てま晋うめは
夜孚の白玉香ふまで
あは丑今宥n露ヒな6
せめてn猫う待ち詫る
あなや螢の夫なちて
橋吉田 本田中 喜 一 久幡次 三誠郎
雄 拙活液の氣象を養成し敢往進取精祠Y獲揮・を
るにあらさ色ハ博識俊才の域に至はの報難ユ堪
ゆる能n︑を又驚天動地の偉業を企て鬼紬町を泣か
ーむるの大英.雄天巧を奪ふの大豪傑ピなるを得
さる函ウ然ウ而ーて其氣象を養成ー此精棘を螢
揮せんには孜々机上の硬學に待し鴻儒ピ談そる
の
外 須らく山水の勝鹿Y陵渉−以て膿心を鍛錬
を可ー而るに博識俊才の著ハせし書冊は求むる
に易きも英雄豪傑賞したる山水は探くるに難き
Y如何にせん蓋し牝陸の地勢は是等勝匿の山水
に乏しからす其聞に偉人傑士を多く生せしめた
るなり加賀の白山越中の立山突兀とじて雲表R
聾ゐ簸雲の四時滑退壱る乙巴なく南北相封時し
て互に優劣を争ひ能登の海水超然別天地Y劃ー
て風景明媚眺望絶佳此の高山巴併せて北陸技三
大 観
Yなを筍も身此山水の氣を稟け此北陸あ生
を受くるもの量斯大観Y一見せすして可るちん
●漫 鎌
や
余 等 未ね嘗て好時期を得壱毎に嬬に以て憾ξ
なす今・鼓に明治丁酉九月時や至ウけん期や熟し
けん吾々の學年は既に辛して局を結ひ夏期休暇
の
於 正月最中巴な色う藪百の全友暑を避けて或
は故山に省し或は温泉に浴−古跡を訪ひ名所よ
遣
ひ
各 其 好 む 虚 に任・を於此乎警勃の氣姻霞の癖 禁 せん已欲して自ら禁をる能はキ途に意機相投
ー乃ち余等外一名ξ共に白山絶行を企て衆議一
決明午前四時犀川橋上に相會せんZピを約す時
ユニ十三日午后五時
二 十 四日 集合の約遅差漸くにして犀川橋上を
出襲せしは午前五時十五分酎う天氣清朗和照一
黙の繊砦を止めす恰も春色の閑麗なるか如し一
行n健脚輕く雑談濃かに十藪町を過き地黄煎郊
外
に出つ芝ハ責頃の青田香稻正に實うて穂頭重
く風ユ從つて動提する歌恰も碧海の春潤を曇U
か 如し一つ屋︑窪︑高尾を経て額谷に到δ村内の 六十九
● 漫 録 肚前に休憩す葛暫時四十万︑曾谷︑坂尻︐月橋︑等 籔 村を経八時五分鶴水に達を此日在郷軍人の簡
閲鮎呼の爲め鶴來へ集合するものに出會を回顧
す芝は彼等は征清の軍に加はう櫛風沐雨邪寒隆
暑を侵ー飢寒飢凍ゐ堪へたる主のにして勿織袴
に 二 三 の
動章を帯ム渇あれは凱旋解散時に賜は
うー.軍服を着三をるもあう赤帽美男の近衛あろ・昔︻
章 丈高の砲兵あり殊に荷呉座口軍帽を戴きカる は一笑に堪へ泥6鶴來は山間の一小都邑にして・
商業繁盛就中姻草製造の業大ゐ畿達し町民過宇
之に從事じ本年政府の姻草専費所を此地に設置
せーは其所以ならん白山比群棘肚に参奔稻々久
して一行の安全を所る夫差よう路を韓し西南に
向ふ層障重轡手取川Y狭み山勢の起伏する様頗
る奇観なう中嶋村Y過く時に左側山腹よう藪十
の 役 工 盛 に 石 材を探掘するを見る十時に直海村
口到う暫時休憩す邑は梢々察腹を訴ふ依て⁝携ふ
七 十
る所杖行厨を出し其宇を喫し相促して乖岡江津
を過き吉岡の小祠よ休憩す折節一僕を従へだる
有髪の田舎紳士祠前を通過し一行に向ひ﹁ドナ
タモ﹂巴語を交へ去渇是芝恐くハ近郷の竹庵様
ならん乎行く乙と数町手取の水洗梁困絃封岸の
松林慕均然巴ーて好藁實に愛・をへL正午吉野へ着
巳金澤を距渇七里なう一小亭ロ休憩して饒牢の
行厨を尽くー吉野の清幽を探らんと亭圭に尋ね
り既に通過せしと云ム依て蹄路の樂とな1此地
を曇妥炎威堪へ難く苦汗下う王漿流る行く乙と
一里
忽ち沿々流々掬壱へきの響あφ是れ手取の 一水源にーて水は清冷潟を聲キるに足る佐良市
原を経て下木滑村に至芝は潟溢々甚し肪て民舎
ゐ一腕の無心に預る其味實に美ユLて廿露街且
及ふへくもあらす土瓶を轄する乙と藪回三時四
十冴木滑新村あ到きハ道岐れてニピ易う漠迷ひ
ー略村民の親切あよウ安きを得泥う夫れより深