「アジアにおける宗教・政治・経済の関係性についての研究」プロジェクト
カトリック教会のインカルチュレーションに 関する一考察
―普遍性と多様性のはざまで―
岡 光 信 子*
The Catholic Church and Inculturation:
Disputes between Universality and Diversity
OKAMITSU Nobuko The Catholic Church advocates universality among the Christian denominations.
According to the doctrine of the Catholic Church, the particular Church that actually performs the mission in a particular area is called a Local Church. It follows that the Catholic Church makes a Local Church mission whilst maintaining the universality of the Catholic Church as well as adapting to local cultures. This paper will study the way that the Catholic Church enables the coexistence of universality and diversity by including the word “inculturation” in its mission.
After the Second Vatican Council, the Catholic Church officially admitted that the faithful should understand the message of the Christ in the context of their own cultures. This means that the Catholic Church has accepted the particular phenomena known as “inculturation”, and the diversity of Local Churches is allowed. A Local Church pursues its mission reflecting the traditions and customs of the particular region as well as maintaining universality as the Catholic Church.
If a Local Church is extremely localized, there is a possibility that a Local Church loses its relationship with not only other Local Churches but also with Vatican. If this happens, a Local Church ceases to qualify as part of the Catholic Church. In the history of the Catholic Church, particular Local Churches which separated from the Catholic Church were dismantled as a result of the weakness caused by isolation. A Local Church faces a conflict between its own identity and the universality of the Catholic Church.
キーワード:カトリック教会,地方教会,普遍性,多様性,インカルチュレーション Key Words : Catholic Church, Local Church, Universality, Diversity, Inculturation
* 中央大学政策文化総合研究所客員研究員
Visiting Research Fellow, The Institute of Policy and Cultural Studies, Chuo University
Ⅰ は じ め に
普遍主義を標榜する宗教には,理念的で普遍的な側面と実践的で地域的な適応を伴う側 面があり,それらの間に葛藤や緊張関係が生ずる事例がしばしば見られる.特に,宗教が 発祥の地から異なる文化圏に伝播する場合,教義や儀礼が現地社会の文化的文脈に応じた 様式で提示されることがあり,当然のことながら,その宗教の普遍的な側面と地域適応に 関連した問題が生じることがある.
キリスト教のような世界宗教が,宣教地の事情に即して適応する性質をもつことはかね てから指摘がなされている(アマラドス 2004:184).キリスト教の歴史において信仰が 文化と出会うことは現実であり,教会は,宣教地における文化的局面をより明確に,また それが普遍的な問題であることを認識すべきだという意見がある(Crollius 1978b:134).
現在,キリスト教は世界各地に広がり,宣教地において文化の影響を受けない純粋なキリ スト教は存在しないという指摘すらある(ヴァンデンフェルス 1991:98-99;増田 2004:
105-114).
キリスト教の諸宗派のなかで,カトリック教会は,「普遍性」を標榜する宗教である.カ トリック教会は実際に宣教を行う教会を地方教会1)と定義し,カトリック教会の宣教は地 方教会が教会の普遍性を維持しながら行うという構図のもとになされている.
第 2 バチカン公会議以降,カトリック教会は,人々がキリストのメッセージを自文化の 文脈の中で理解する手段として,インカルチュレーション2)という言葉で表現されている 現象を肯定し,典礼を含めて地方教会ごとに「多様性」を許容している(戸口日出夫 2008:
i-xxiii).現在,カトリック教会は,「普遍性」と「多様性」という相反する特徴を内存さ
せながら宣教を行っている.それゆえ,カトリック教会は,「普遍性」と「多様性」の間に ある葛藤や緊張関係を絶えず抱えることになる.
本論文の目的は,「普遍性」と「多様性」を併存させるカトリック教会を取り上げ,先行 研究を辿りながらインカルチュレーションの問題について考察を行うことにある.これに より,特定の宗教の問題を離れて,宗教が世界化するという現象の背後にある問題の究明 に見通しを得ることができると考える.
Ⅱ カトリック教会の「普遍性」と「多様性」
カトリック教会の教会論によれば,カトリック教会の「交わりと一致」の要と見なされ る普遍教会および実際に宣教を行う地方教会が存在する.地方教会は,カトリックとして
の「普遍性」を体現する普遍教会を内在させながら,同時に各々の土地の伝統や文化を反 映させるという意味で「多様性」が確認される.それゆえ,カトリック教会は,「普遍性」
と「多様性」という矛盾する方向性を併存させる宗教組織である.
ここでは,カトリック教会の特色である「普遍性」と「多様性」,およびカトリックの教 会論における普遍教会と地方教会について述べる.
1.カトリック教会の「普遍性」
「カトリック(Catholic)」は,ギリシア語の「普遍」を表す言葉に由来し,「すべてに 及ぶ」「すべてを含む」という意味である.カトリック教会が信仰と教理を解説するものと して刊行している『カトリック教会のカテキズム(Catechismus Catholicae Ecclesiae)』3)
によれば,カトリック教会は 2 つの意味で「普遍」であるとされている.第 1 に,「教会の うちにキリストが現存されるので」普遍であると述べられている.さらに続けて「キリス ト・イエスのおられるところ,そこに普遍教会があります」という聖人の言葉を引き,「教 会はキリストのからだとして,その頭に結ばれて,すべてにおいてすべてを満たしている かたの満ちておられる場」として説明がなされている.教会の「普遍性」は,教会が誕生 した日とされている聖霊降臨(Pentecost)(Ekstrom 2002:216-217)の日から続いてい るとされている(『カトリック教会のカテキズム』830).
第 2 に,『マタイによる福音書』(28:19)を参照しつつ,「キリストによって全人類に 派遣されているから」教会が普遍であるとしている(『カトリック教会のカテキズム』831).
教会の使命についても普遍的なものとする意味づけが与えられている.教会の普遍的な 使命とは,「救いを告げ知らせること」(『救い主の使命』31 ),「キリストを知らないすべ ての人に福音を述べ伝えること」,つまり様々な場所において宣教活動を行うことである
(『教会の宣教活動に関する教令』10 ).キリストから派遣された教会は,すべての人と諸 国民に神の愛を現し,かつ伝えるために宣教活動を行わなければならないものと理解され ている(『教会の宣教活動に関する教令』10).
カトリック教会は,様々な地域で宣教活動を行う中で,教会の「普遍性」を維持する指 標として,普遍的な立法,および教会の信仰と教理に関する解説書を有している.立法と 解説書は,教会の最も重要な使命とされている「すべての被造物に福音を述べ伝えること」,
および「キリスト者の信仰における一致」の指針となり(『エヴァンジェリイ・ヌンチアン ディ』77;『教会の宣教活動に関する教令』6),教会の「普遍性」の拠り所となっている.
『教会法典(The Code of Canon Law)』は,カトリック教会の独自の法・規範の総体 およびカトリック信仰の内容を示した要理書であり,カトリック東方教会を除いた全カト リック教会が従う手続きや規律に関する法集成であるという意味で,普遍的な立法
(Universal legislation)とされている.1983 年 1 月 25 日に公布された現『教会法典』は,
第 2 バチカン公会議の精神に基づいて作成された(Cordien 1999:4-7).
『新教会法典』は,ラテン教会のみに適用されるものである.カトリック東方教会の法典 としては,1990 年 10 月 18 日,『カトリック東方教会法典(Codex Canonum Ecclesiarum Orientalium)』(略称CCEO)が公布され,1991 年 10 月 1 日に執行されている(マディ ー 2002:1289-1290).
『カトリック教会のカテキズム』は,教会の信仰とカトリック教理に関する解説書であ る.地方教会においてカトリック教理を教える,または地域の実情に則したカテキズムを 作成する際,『カトリック教会のカテキズム』を参考書として使うことでカトリック信仰の 調和と一貫性(「普遍性」)が示される(教皇ヨハネ・パウロ 2 世 2002:5 )と考えられ ている.このように,カトリック教会は全教会の指針となる法規と要理書を有し,「教会と しての統一性」を維持しているのである.
2.普遍教会と地方教会
ここでは,地方教会の「交わりと一致」によって生まれるとされる普遍教会(Universal church)と実際に宣教を行う地方教会(Local church)について解説を行う.
a)普 遍 教 会
普遍教会は,「空の鳥が来て枝に巣を宿すほどの大きな木」[『マタイによる福音書』13:
32]に例えられるような,キリストが望んだ境界も国境も存在しない教会の姿と捉えられ ている.境界や国境は人間の心と魂の中にあるが,それに対して教会は人間を分ける障壁 を克服する存在であるという(『エヴァンジェリイ・ヌンチアンディ』61;Instruction on the Roman. Liturgy and Inculturation 22).
カトリック教会の教会論(Ecclesiology)によれば,普遍教会とは,すべての地方教会 の「交わりと一致」とによって構成される教会の実体となる.普遍教会における地方教会 の交わりまたは一致は,同じ信仰と共通の洗礼だけでなく,聖体と司教団に根ざしている という(Letter to the Bishops of the Catholic Church on Some Aspects of the Church Understood as Communion 11-14 ).各地方教会は普遍教会から決して離れることなく,
普遍教会は,各地方教会によって具現化するということから,両者の間には密接な相関関 係があるとされている(『教会憲章』23;『エヴァンジェリイ・ヌンチアンディ』62;Letter to the Bishops of the Catholic Church on Some Aspects of the Church Understood as Communion 9;岩島 1996:204-205).
普遍教会は,ローマ教皇を中心とした全世界に及ぶ統治と指導によって具体的に示され るという(『カトリック新教会法典』第 331 条;第 333 条).ローマ教皇は,教皇庁(Curia
Romana)を介して普遍教会に対する業務を行うことから(『カトリック新教会法典』第 360 条),教皇庁は普遍教会の機関となる.シノドス(SYNODUS)と呼ばれる世界代表 司教会議は,信仰および倫理の擁護と向上,教会規律の順守および強化のためにローマ教 皇を補佐する役割を担っており,常設の事務総局を有することから普遍教会の機関である
(『カトリック新教会法典』第 342 条;第 345 条;第 348;タナー 2003:14-15).公会議
(CONCILIUM OECUMENICUM)は,立法権あるいは行政権をもち,そこでの決定事
項が普遍教会の決定事項と見なされることから,普遍教会の機能と言える(岩島 1996:
205;タナー 2003:15).カトリック教会の教会論の見解によれば,普遍教会は,具体的 な機関と機能を介して地方教会の中に具現化していることになる.
かつて,普遍教会が実在する西洋的な教会と同一視されていた時代があったが(Divarkar 1978:229),今では普遍教会は,重要なすべての要素をもってその姿に似せて形作られて いるとされる地方教会の中に本質とともに在し,両者の間には内在的な関係が指摘されて いる(『教会憲章』23;『カトリック新教会法』第 368 条;Letter to the Bishops of the Catholic Church on Some Aspects of the Church Understood as Communion 7;『カト リック教会のカテキズム』832-835).
b)地 方 教 会
地方教会は,特定の時代に特定の場所に存在する教会(Clark 1978:217),つまり実在 しかつ実際に宣教を行う教会である.地方教会は,その内部に普遍教会が存在しかつ活動 しているとされている(Letter to the Bishops of the Catholic Church on Some Aspects of the Church Understood as Communion 9).
教会法によれば,地方教会とは,第一に教区を指し,司教とキリスト信者の共同体とさ れている.教区は,司教(bishop)が司祭団の協力のもとに統治する教会行政区域である
(『カトリック新教会法典』第 369 条).別段の定めがない限り,高位区,大修道院区,使徒 座代理区,使徒座知牧区が地方教会とされている(『カトリック新教会法典』第 368 条;
『カトリック教会のカテキズム』833).ローマ教皇だけが,教区の設立,境界変更,分割,
統合,廃止に関する最終決定権をもっている(『カトリック新教会法典』第 373 条).地方 教会の裁治権者(ordinary)は司教である.ローマ教皇の権威は全世界の教会に及ぶのに 対し,地方教会の裁治権者である司教のそれは教区だけに限られている.
全世界の地方教会は,バチカンが定めた法規と要理書を規範として普遍教会との交わり と一致の中で,地域ごとの特徴を活かした宣教を行うことが保証されており,各地方教会 には「多様性」が認められる.かつて,キリスト教の宣教には,西洋的キリスト教を絶対 視するがゆえに諸民族の文化が無視されることがしばしば見られ,宣教地に西洋的な教会 を移植する政策が行われていた(Angrosino 1994:824-825).
こうした状況において,カトリック教会は,第 2 バチカン公会議において宣教地におけ る文化の尊重を強調した.公会議以降,カトリック教会は,宣教が行われる各国の社会・
文化的な事情に配慮を示し,典礼秘跡省の定めた諸規則を遵守する限りにおいて,地方教 会が典礼の中に土地の習慣や伝統を採用することを容認している(『典礼憲章』37, 40;
Pathil 2002:404).
現在,地方教会は,それぞれが置かれた文化の文脈の中で,その場所の伝統や慣習を反 映させながら宣教を行っている.地方教会は,かつてのような画一的な姿から教会の「多 様性」を体現するようになった.地方教会の「多様性」は,神の言葉を種とするなら,そ れから発芽した木に例えられている.種は土壌に適応しながら生育するため,種は同じで も成長した木には同じものが一本もない.それと同じように,地方教会は,同じカトリッ ク教会でありながらそれぞれの地で異なる姿で成長していくというのである(Divarkar 1978:229-230).
しかし,地方教会が極端に現地適応してしまうと,他の地方教会ともローマとも関係を 失うことになり,結果的にカトリック教会でなくなる可能性が生まれる(Clark 1978:
220).地方教会は,カトリック教会としての「普遍性」と「多様性」の均衡を保ちながら 宣教を行わなくてはならないのである.そのため,地方教会が「普遍性」を失うと分離や 分裂を招き,「多様性」を失うと地方教会が存在する地域の歴史・文化とかけ離れた存在と なるおそれがある(Crollius1978b:134;Letter to the Bishops of the Catholic Church on Some Aspects of the Church Understood as Communion 8;ハンロン 2001:426).
この危険性は,教会の中核を成すバチカンも認識している.教皇パウロ 6 世が 1975 年に 発布した使徒的勧告『エヴァンジェリイ・ヌンチアンディ』の中で,カトリック教会の歴 史において,普遍教会から分離した地方教会が孤立による弱体化を免れず最終的には解体 していること,地方教会は普遍教会とのつながりを通して豊かな遺産を引き出し,信者た ちの利益に資することが述べられている(『エヴァンジェリイ・ヌンチアンディ』64).
Ⅲ インカルチュレーション
第 2 バチカン公会議以降,カトリック教会の宣教政策は,宣教地に西洋的な教会を移植 する方式から地方教会における現地文化を尊重する方向に転換した.宣教政策の転換によ り,カトリック教会は人々が自文化の文脈の中でキリストのメッセージをより深く理解す ることを重視するようになり,その有効な手段としてインカルチュレーションが注目され るようになった.ここでは,福音と文化の対話と称されるインカルチュレーションについ て述べる.
1.インカルチュレーションの概念
インカルチュレーション(inculturation)という用語は,1960 年代から「カルチャー
(文化/culture)」と「インカーネーション(受肉/incarnation)」の合成語として使わ
れ始めたものである.現在,インカルチュレーションは,宗教(キリスト教)が宣教地に おいて土地の習俗や伝統を受容するだけでなく,土地の文化そのものも変容する現象と理 解されている.インカルチュレーションという用語は,宗教(キリスト教)が異質な要素 と接触して変容するという意味を含むがシンクレティズムの代用語とは見なされず,福音 と文化とのダイナミックな関係を表現する新造語として,主に神学(Theology)および宣 教学(Missiology)において用いられている(Chupungco 1988:11;宮越 1990a:24).
2.インカルチュレーションの研究 a)用語の変遷
インカルチュレーションという用語が定着する以前,教会と宣教地の文化における相互 作用は,アダプテーション(adaptation)またはアコモデーション(accommodation)と いう用語で表現されていた.これら 2 つの言葉は,主に 19 世紀から第 2 バチカン公会議前 後まで使用されていた(Clark 1978:212 ).両者の明確な区別は難しいというが(宮越 1990c:40-41 ),概してアコモデーションはアダプテーションよりも穏やかな表現として 用いられていた(Chupungco 1988:11-13).
アダプテーションおよびアコモデーションの示す内容は,西洋教会の姿を外見だけ現地 風に変えて移植するものであり,福音と文化との表面的な接触を表すにすぎず(Crollius 1978a:722-723),宣教における文化の役割が積極的に提示されにくかったという(Mannion 1990:308-309).特にアダプテーションは,典礼の中に文化的な要素を採用する場合,そ の要素が内側から典礼の一部とならない形で用いられる時に使われていた.そのため,ア ダプテーションという用語が示す内容は,典礼の表面的な変化にすぎないという批判にさ らされるようになる(Chupungco 1988:13-15).そして,アダプテーションおよびアコ モデーションは,あたかも文化をモノのように扱ったヨーロッパ中心の布教方法を連想さ せることから(アーバックル 1991:69),全く使われなくなったのである(Clark 1978:
212).
次に,「インディジェナイゼーション(indigenization)」について解説する.インディ ジェナイゼーションの意味は,福音が人々に理解できる方法で伝えられ,個人と社会に変 化を呼び覚ますこととされていた(Hiebert 1984:289).インディジェナイゼーションと いう用語は,最初の 4 文字INDIがインディアン(Indian)を連想させる(Clark 1978:
213).そのため,インディジェナイゼーションの同族語は,インディジェナス(indigenous)
という言葉と関連する語彙だけに限定される傾向にあり(Crollius 1978a:723),その語 彙をもって意味しようとすることと語彙のもつニュアンスの間に隔たりが目立つことがし ばしば見られた.さらに,その言葉自体が奇妙で醜い響きをもち,横柄なニュアンスを含 むようになったので徐々に使われなくなった(Clark 1978:213;Angrosino 1994:825).
また,文化人類学からアカルチュレーション(acculturation)という語彙・概念を借用 していた時期がある.アカルチュレーションは,文化変容と訳される言葉だが,異なる文 化同士の接触の結果,一方もしくは双方の文化が変容することを意味する.神学的に言え ば,救いのメッセージである福音は,普遍的なものであり,いつの時代でもどの場所にお いても変わらない.そのため福音と文化の出会いは,単に両者の表面的な変容ではなく,
固有の典礼を生み出すような創造性を導き出すものであるという(宮越 1990c:41-42).
福音と文化は,豊かで創造的な関係を築き得るものであることから,単に文化間の接触か ら生じる文化変容を意味するアカルチュレーションの語は使用されなくなった(Crollius 1978a:723-724).
さ ら に コ ミュ ニ ケー ショ ン 論 の 用 語 で あ る コ ン テ ク ス チュ ア ラ イ ゼー ショ ン
(contextualization)という語彙が用いられていた時期がある(岸本 1989:7).コンテ クスチュアライゼーションは,キリスト教の共同体が,それが存在する環境の中で生きる ことを意味する言葉であり,福音と文化の関係を表現する用語の条件を満たしていた(Clark 1978:213).解放の神学者たちがコンテクスチュアライゼーションを好んで使っていたが,
バチカンは政治問題に敏感なこともあり,公文書にコンテクスチュアライゼーションを用 いなかった.そのため,次第に解放の神学者以外はこの語を使わなくなった(Angrosino 1994:825).
上記のような用語の変遷を経て,インカルチュレーションが,インディジェナイゼーシ ョンおよびコンテクスチュアライゼーションの 2 つの意味を含む言葉として登場した
(Angrosino 1994:825).インカルチュレーションは,「個人が自己の文化の一員となる過 程」と規定された文化人類学のエンカルチュレーション(enculturation)からアイデアを 借用している.インカルチュレーションは,教会が人々の文化の一部となる過程と規定さ れ,教会とその地の文化(その土地の人々の文化)との密接な関係を表現する言葉として 捉えられている(Crollius 1978a:723-727).それゆえインカルチュレーションは,「福音 と文化の対話」とも称されるのである.さらに,インカルチュレーションは,その用語の 響きからキリストの受肉(incarnation)という神秘を連想させることから神学的な要素 も含まれると捉えられ,神と人との関係全般に係わる用語と見なされている(Chupungco 1988:16).
以上のように,キリスト教の歴史における福音と文化の出会いを説明するために,複数
の用語が用いられてきたが,神学等の見地から最終的にインカルチュレーションという用 語とその概念に落ち着いた.
インカルチュレーションという用語・概念が広く知られるようになったのは,プロテス タントの宣教師G. L. Barneyが 1973 年に行った一連の講義からと言われている.インカ ルチュレーションという用語の普及は,イエズス会士を中心としたカトリック教会のサー クルが中心となった(Angrosino 1994:830).特に,1974 年から 1975 年にかけて開催さ れたイエズス会の総会は,イエズス会のサークル以外にもインカルチュレーションという 用語が広く使われる契機となった(Crollius 1978a:722).
b)インカルチュレーションのプロセス
ここでは,インカルチュレーションのプロセスに関して,CrolliusとPhanという 2 人 の神学者によるモデルを示し,各モデルがインカルチュレーションという用語で表す内容 を明らかにする.
イエズス会士のCrolliusは,インカルチュレーションの研究に論理的基礎づけをした先 駆的な神学者の 1 人として知られている.Crolliusによれば,地方教会におけるインカルチ ュレーションは,①翻訳(translation),②同化(assimilation),③変容(transformation)
という 3 段階のプロセスがある(Crollius 1978a:733-734).
「翻訳」は,インカルチュレーションの第 1 段階にあたり,以下のように説明される.宣 教地では,キリスト教は外来文化の伝播として捉えられることから,教会が初めて新しい 文化と出会う時,キリスト教のメッセージは異文化の形式で示されており,キリスト教は 土地の文化に馴染まないよそ者と同じと見なされる.宣教師と土地のキリスト教徒が互い の文化要素を同化する過程の中で,徐々に文化変容が見られるようになり,この過程が「翻 訳」と呼ばれる.「翻訳」は,福音が現地の人々が理解できる形で提供され,福音が文化の 中に入り込むことによって,文化が福音を受け入れる下地が整えられる段階にあたるとい う(Crollius 1978a:733;宮越 1990c:43-44).
インカルチュレーションの第 2 段階になると,教会に所属する現地民の数が増え,特に 邦人聖職者が増えてくるようになれば,教会は地元文化に同化する傾向を示し始める.こ の過程が「同化」と呼ばれる.同化の主な作用因は,地元文化に根ざすものであることか ら,インカルチュレーションは既に始まっていると理解される.しかし,宣教を始めたば かりの若い教会(地方教会)は,受け身的に地元文化に同化する傾向が見られるという
(Crollius 1978a:733).
第 3 段階は「変容」の過程である.この段階になると,教会は文化の変容に大きな役割 を果たし,文化の刷新が積極的に見られるようになるという.この段階において,キリス ト教のメッセージは,地元文化の表装をもって語られており,もはやよそ者とは見なされ
なくなるという(Crollius 1978a:733-734 ).Crolliusは,インカルチュレーションをキ リスト教が文化的な表装をはぎ取って,新しい文化の中でキリスト教の命を社会に満たす ことと規定した(Crollius 1978b:138-139 ).Crolliusは,教会がその地の文化の一部と なる過程をインカルチュレーションと見なしており(Crollius 1978a:723-727),福音が 文化の奥深くにまで入り込んで浸透するという意味でインカルチュレーションを文化の福 音化と捉えている.
さらにCrolliusは,インカルチュレーションを「翻訳」,「同化」,「変容」の段階を経て
キリスト教の信仰が土地の文化と統合するだけでなく,地方教会と普遍教会が統合する過 程であると指摘している(Crollius 1978a:735).ここで,カトリック教会の教会論にお いて普遍教会が地方教会の中に在すという前提が想起される.
Crolliusは,インカルチュレーションを地方教会と普遍教会との統合の過程と捉え,こ のような統合は,キリストに結ばれた新しい一致と共同体を生み出し,普遍教会をさらに 豊かにするという(Crollius 1978a:733-735).
1994 年 1 月 25 日,教皇庁の典礼秘跡省が公布したInstruction on the Roman Liturgy
and Inculturationは,典礼におけるインカルチュレーションに関するカトリック教会の
公式見解である.その指針によれば,インカルチュレーションの第 1 段階は,聖書の現地 語への翻訳であるという.例えばキリスト教の歴史の初期において,ユダヤ世界とギリシ アの知識が出会い,聖書がギリシア語に翻訳されたことでより豊かになり,これによって 新しいインカルチュレーションの形式が生み出されたという.聖書の翻訳は,人々が自分 の言葉で福音の内容を理解することを可能にし,典礼のインカルチュレーションのプロセ スにおいて欠くことのできない第一段階であるという(Instruction on the Roman Liturgy and Inculturation 9-28).
インカルチュレーションの次の段階は,教会がそれぞれの地域において文化的な影響を 受け,教会の中でキリスト教の祝典の形式が創造されるだけでなく発展していくことだと いう.この段階では,教会は現地の言葉を典礼に採用しており,各地域において社会的に 大切な事項にはキリスト教的意味が与えられ,教会の典礼はその地においてよそ者ではな くなっているという.典礼は文化を尊重するだけでなく純化と聖化する方向に導き,キリ ストによる救いのわざは,様々な国や時代,さらに様々な文化の教会の中で残っていくと されている(Instruction on the Roman Liturgy and Inculturation 9-20).
Instruction on the Roman Liturgy and Inculturationにおいて,インカルチュレーシ ョンによって示される内容は,福音が文化と接触することで豊かさを増し,最終的に文化 が福音化されることである.
最後に,アメリカでカトリック社会思想(Catholic social thought)を教えるPhanに
よれば,インカルチュレーションとは,①福音が特定の文化の中に埋め込まれる,②文化 を福音の中に取り入れる,という 2 重のプロセスから成るという.インカルチュレーショ ンの結果,文化は福音によって内側から変化し,福音は文化が新たな福音の理解と福音に 基づく生き方の様式をもつことでさらに豊かになるという.それゆえに,インカルチュレ ーションの最終的な結果として,現状の文化および従来どおりの福音の理解や福音的生き 方を超える新しいものが生まれるという(Phan 2003:5-6 ).Phanは,インカルチュレ ーションを,文化と福音が接触することで一方だけでなく双方が豊かになるという福音と 文化のダイナミックな関係を表す言葉として用いている.
上記のように,インカルチュレーションという用語が示す内容は,三者三様であっても 福音と文化との接触による相関関係を表しており,統一的な見解が見られる.
c)インカルチュレーションの類型
ここでは,Angrosinoが規定した分類に基づいて,インカルチュレーションの類型とそ れぞれの類型に該当する事例について紹介する.Angrosinoは,インカルチュレーション の類型として,①動的な等価性(dynamic equivalence),②創造的な同化(creative assimilation),③有機的な発展(organic progression)の 3 つを提起している(Angrosino 1994:825-827).
彼によれば「動的な等価性」とは,現地文化の要素の中でローマ様式と同等の意味・価 値を有するものが,ローマ様式の代用として用いられることである.この場合,典礼の性 質と調和する文化要素だけが,ローマ様式の代わりに採用されるという条件が付与される.
それらの文化要素は,キリスト教のメッセージを十分に伝えられるものに限定されるとい う(Chupungco 1988:19).
例えば,ミサの中で行われる「平和の挨拶(a sing of peace)」は,同じ信仰のもとに 人々が一致するしるしと規定されており,必要があれば互いの和解が求められる(タルタ リ 1998:34 ).平和の挨拶として,欧米では握手が,インドや日本では手を合わせる行 為が一般的である.
ここではAngrosinoが「動的な等価性」の事例として挙げた,ザイールで行われる平和 の挨拶について紹介する.ザイールでは「平和の挨拶」の場面で,参加者は「私はあなた に対するすべてのことを洗い流します」と言いながら共通のボールで手を洗う.手を洗う 儀礼(洗浄式)は,アフリカの諸文化において罪の許しを強く宣言する儀礼として理解さ れており,その内容は「平和の挨拶」の趣旨と同様の意味をもっている.それゆえザイー ルの文化的文脈の中で,ミサの中の洗浄式は,「平和の挨拶」の本来の意義に叶うものであ り,ローマ様式の代用になるのである.
次に,「創造的な同化」について述べる.「創造的な同化」は,現地の慣習や習慣を聖化
してキリスト教の典礼とすることだという.クリスマスは,異教徒の冬至の祭りがイエス の誕生祭として祝われるようになった「創造的な同化」の典型的な事例にあたるという.
イエスの生誕祭とされているクリスマスは,元々は宣教地の慣習であった行事が聖化され て,キリスト教の典礼として執行されているのである.
Angrosinoによれば,アメリカでは,世俗的な祝日に典礼的地位が付与されたものが多 く見られるという.それらは,「何かの思い出とする」または「何かを感謝する」という世 俗的な行為に崇高さが付与された結果として生じたもの,つまり信徒が世俗的な記念日や 感謝祭と典礼とを結びつけて祝うようになったものが大半であるという.例えば,マーテ ィン・ルーサー・キングの祝日は,世俗的な祝日であるが,カトリック教会では兄弟愛を 強調する,または人種差別に対する罪を心おきなく話すミサを計画する特別な機会となっ ている.
最後に「有機的な発展」について述べる.第 2 バチカン公会議の中で提言されながらも 諸刷新の中に取り入れられず,そのまま提言として残った概念がいくつかある.「有機的な 発展」とは,それらの概念を完結する方法として提案されたものだという.
例えば,公会議以降,成人入門式が復活したことは「有機的な発展」に相当するという.
本来,成人が洗礼を受けるまでの数ヶ月は,非キリスト教徒が徐々に教会に慣れ親しむ期 間とされていた.しかし,何世紀にもわたって幼児洗礼が慣習化するようになると,この ような制度は廃れていった.成人の場合,洗礼式の前に教会の一員となる手続きは,司祭 との個人的な勉強を行うことを意味していた.
入門式に典礼的地位が与えられるようになったのは,第 2 バチカン公会議が新成員を教 会に迎えることの重要性を明確にしたからである.これ以降,地方教会は新しい入門式の 様式を模索するようになり,それぞれの地域の必要に応じた入門式が行われるようになっ た.例えば,アメリカにおける成人を対象とする入門式は,グループ勉強会,分かち合い,
一連の諸儀礼から構成されている.このような入門式のあり方は,参加者自身がグループ を支え,公に自己を顕示する機会が含まれるため,現代のアメリカ文化と調和した入門式 となっているという.
Ⅳ 第 2 バチカン公会議以降のカトリック教会に見られる刷新と インカルチュレーション
ここでは,カトリック教会が第 2 バチカン公会議を招集するに至るまでの経緯,および 公会議によって教会にもたらされた刷新について述べ,カトリック教会におけるインカル チュレーションの意義について論じる.
1.第 2 バチカン公会議以前のカトリック教会
最初にアーバックルによる分類に従って,第 2 バチカン公会議以前のカトリック教会の 宣教史における福音と文化との関係について述べる.アーバックルは,教会における福音 と文化の関係を,①「教会が文化に対して比較的自由な態度をとっていた時代」(14 世紀 まで),②「文化への自由が失われた時代」(15 世紀から 20 世紀まで),③「文化への自由 の回復が行われ始めた時代」(1900 ~ 1965 年)に分類した(アーバックル 1991).
「教会が文化に対して比較的自由な態度をとっていた時代」において,宣教活動は,時間 をかけて,ある行為・表現に含まれる非キリスト教的意味を,キリスト教的意味に置き換 えながら行われていた.例えば,ギリシア・ローマでは,筋肉疲労を回復するために体に 油が塗られていた(塗油).教会は,この慣習を利用して,塗油の行為を筋肉疲労の回復か ら精神が霊的に癒されることに置き換えて「病者の塗油」という秘跡にした.
同様に,教皇グレゴリウス 1 世(540-604)は,イギリスの宣教を担当していた宣教師 に宛てた手紙の中で,現地の神殿をそのまま保存し,そこに収められている偶像を破壊し て代わりに聖壇をしつらえ,そこに聖遺物を収めるように指示した.教皇は,このように 現地の神殿を温存し崇敬の対象を置き換えるだけで,人々は違和感なく礼拝の場所に集ま り,次第に真の神を礼拝するようになると自ら助言している.
「文化への自由が失われた時代」は,ヨーロッパの植民地拡張時代と重なっている.その 時代,宣教師たちは,征服者と同じように現地人および現地文化に対して非寛容で偏見に 満ちた考えをもっていた.この時代の宣教は,西洋的教会を布教地にそのまま移植するこ とに終始し,宣教地の伝統・文化に対する配慮はなされなかった.このような宣教政策は,
インポジション(imposition)と呼ばれ,西洋(ローマ)様式をそれぞれの土地の言葉に 翻訳して,形式を変えずにそれらを施行するにすぎなかった(Angrosino 1994:824-825).
1623 年,バチカンは,他民族を蔑視する宣教姿勢を変えるために布教省を設けた.1659 年,布教省は,教会の使命は信仰をもたらすことであり,諸民族の風習,習慣は不道徳な ものでない限り,廃止も破壊も諫める声明を出した.しかしバチカンの声明にもかかわら ず,宣教地において西洋中心主義の風潮は改まらなかった.この背景には,教会は世界の どこにあろうとも典礼様式,法規,倫理面にいたるまで同じで,教会の「普遍性」を西洋 的教会と同一視するという事情があった.それゆえ宣教する側が現地社会に適応すること はなく,キリスト教に改宗する者がヨーロッパの信仰様式をそのまま受け止めることが当 然視されていた.
19 世紀になると,宣教を目的とする修道会が多数設立されるが(田丸他 2000:103),
宣教地では,宣教師の不足が深刻な問題となっていた.西洋人宣教師たちは,現地人に対 する偏見と西洋文化優位の思いを依然として抱いており,現地人聖職者には補佐的な役割
しか与えられない状況が続いていた(田丸他 2000:106-109).宣教活動は,依然として 教皇を頭とする位階制度をもつ西洋の教会を移植する方法で行われていた.このような状 況ゆえに,中国やインドのように独自の高い文化をもつ国々やイスラム世界では,キリス ト教の宣教は功を奏しなかった(ラーナー 1981:12-13).
最後に,「文化への自由の回復が行われ始めた時代」について述べる.19 世紀末になる と,現地文化を蔑視するような宣教方法の見直しが行われるようになった.この時代には,
宣教地において土地の文化を守る権利が強く主張され,布教関係の記事の中で「アダプテ ーション」や「アコモデーション」という言葉がよく使われていた.教会は,宣教におけ るヨーロッパ中心主義を自己批判しておきながら,教会の運営は依然としてヨーロッパ中 心に行われ,典礼や司祭養成の方法は画一的なものであった.
20 世紀になると,西洋では自然科学の発達に伴ってキリスト教の世界観の限界が露呈し 始め,キリスト教は,植民地主義の片棒を担いできたという批判にさらされるようになっ た.そして,第 2 次世界大戦後,世俗化の波が一気に押し寄せると人々は急速に宗教に関 心を失っていった.宣教の現場では,教会が使う言葉と現実との間に隔たりが強く意識さ れ,典礼や教会の組織構造が現地事情に合わないことも指摘されるようになっていた(田 丸 2000:110-114).
2.第 2 バチカン公会議以降のカトリック教会の刷新
第 2 次世界大戦以降,アジア・アフリカにおいて植民地の独立とともにナショナリズム の気運が高まった.世界情勢がめまぐるしく変化する中,カトリック教会は,ヨーロッパ 中心主義から脱皮することを決意し,現代社会との「対話」の方針を打ち出した.1962 年 10 月 11 日,教皇ヨハネ 23 世は,教会の刷新を目的とした第 2 バチカン公会議を招集した.
第 2 バチカン公会議は,その地の文化に順応する「世界の教会」に生まれ変わることを 打ち出した歴史的な会議である.この公会議の中で,初めて宣教地出身の司教が,教会の 最高指導者である教皇とともに決断を下す一員として迎えられた.その意味で,第 2 バチ カン公会議は,世界的規模の代表者による会議であった(ラーナー 1981:4-9).
いかなる時代いかなる場所においても,教会の課題は,福音を広めるというキリスト教 の宣教である.第 2 バチカン公会議は,教会に課せられた使命に立ち返り,キリスト教を 欧米以外の地に根付かせるために,つまり「世界の教会」を世界の至る所で実現するため に,地方教会における宣教の多元性(多様性)を促した(ラーナー 1981:13-9 ).宣教 の多元性は,教会が各国,各民族の文化と伝統を尊重し,地方教会の典礼・職制・信仰の 実践における地域的特徴を容認する中に見出されるものであり,地方教会の多様性を認め るものである(岩島 1996:391;佐々木 1986:80,154).
公会議以降,地方教会が教会法の運用やその他の教会の実践面において地域性を尊重し,
典礼が画一的なローマ様式からそれぞれの地域に望ましい形に変更が試みられるようにな った(Angrosino 1994:825).多様性の容認により,地方教会は,初めて普遍教会との一 致を保ちながら宣教活動に地域性を反映させることが可能になった.つまり,福音と文化 の関係が再認識され,いわゆるインカルチュレーションが注目されることになったのであ る.
インカルチュレーションの議論は,第 2 バチカン公会議以降も継続し,教会において長 期的・徹底的な議論のテーマとなった(Phan 2003:4).議論の進行と並行して,カトリ ック教会は,地方教会における「多様性」を尊重する方針に従ってインカルチュレーショ ンを推し進めることになり,現在に至っている.
ここで強調しなくてはならないことは,「福音と文化との対話」とされるインカルチュレ ーションが具体的な形で観察されるのは,実際に宣教が行われる地方教会であるというこ とである(Phan 2003:9).カトリック教会が第 2 バチカン公会議を契機にインカルチュ レーションを容認する方針に転換したからこそ,地方教会は地域性を反映した宣教を行え るようになったのである.
第 2 バチカン公会議の成果は,宣教地の伝統・文化の尊重だけでなく,教会がカトリッ ク至上主義から他宗教の価値を認め宗教間対話に道を拓いたことにも認められる.カトリ ック教会がカトリック以外の宗教の価値を評価するのは,教会の教理史上初めてのことで ある.そのことは,公会議の公文書のひとつである『キリスト教以外の諸宗教に対する教 会の態度についての宣言』において明文化されている.さらに,公文書の『教会憲章』,『宣 教についての教令』,『現代憲章』の中に,神の救いの意志が普遍的であることが明記され,
キリスト教以外の宗教にも救いの啓示が存在する可能性が認められることになった(ラー ナー 1981:9;タナー 2003:152-154).
Ⅴ カトリック教会のインカルチュレーションへの対応
今日,宣教におけるインカルチュレーションは,カトリック教会だけでなくプロテスタ ント教会にとっても不可欠かつ本質的な条件となっている(Phan 2003:5 ).ここでは,
カトリック教会の公文書におけるインカルチュレーションに関する記述を辿りながら,カ トリック教会のインカルチュレーションに関する対応について明らかにする.
1.カトリック教会の公文書とインカルチュレーション
宣教の歴史において,西洋的キリスト教の優越視ゆえに諸民族の文化が無視されたこと,
および教会が宣教地(地方教会)の伝統・文化に順応した宣教活動に否定的であったこと は既に述べた.カトリック教会は,こうした従来の流れを断ち切るために,宣教地におけ る文化の尊重を強調し,第 2 バチカン公会議以降,教会が地方教会の宣教活動におけるイ ンカルチュレーションを許容するようになった(『典礼憲章』37,40;Pathil 2002:404).
特に地方教会は,宣教活動において文化的問題を回避できない状況にあることから,イ ンカルチュレーションの問題は緊急課題となっていた.カトリック教会の宣教方針の転換 により,地方教会において観察される変化はインカルチュレーションの事例と見なされる ようになり,それらは教会の新しい選択肢として容認されるようになっていく(Crollius 1978a:729).
しかしながら,公会議以降,「インカルチュレーション」という用語そのものが教皇庁の 公式文書や教皇文書の中で使用されるのには,一定の時間を要したことを指摘しなければ ならない.1974 年,アジア司教協議会連合の第 1 回総会は,インカルチュレーションの問 題を取り上げた.アジアの教会は,常に多宗教・多文化という環境の中に置かれており,
現地社会の文化と対話は必要不可欠なものであると言明した(宣教司牧司教委員会 1976:
57,84;西脇 1992:102-103).
アジア司教協議会連合は,第 1 回総会の宣言文の中で,地方教会のことを土着化した教 会,すなわちインカルチュレーションした教会と明記した.この宣言文は,その後のバチ カンの公文書や教皇文書に影響を与え,特に教皇の使徒的勧告『エヴァンジェリイ・ヌン チアンディ』で大きな成果をもたらした(西脇 1992:102-103).
1975 年 12 月 8 日,教皇パウロ 6 世は,アジア司教協議会連合の成果を受けて,使徒的 勧告(Apostolic exhortation)『エヴァンジェリイ・ヌンチアンディ』を公布した.教皇 は,この使徒的勧告の中で,インカルチュレーションという用語の使用は敢えて控えたも のの,「文化の福音化」の問題を取り上げ,地方教会は宣教活動において宣教地の文化を利 用する必要があることを明確にした(『エヴァンジェリイ・ヌンチアンディ』20;西脇 1992:
103;Phan 2003:27).
カトリック教会の公式文書でインカルチュレーションという用語が最初に採用されたの は,1977 の第 4 回世界司教会議の宣言文においてであった(西脇 1992:103).また,教 皇文書においてインカルチュレーションが初めて使用されたのは,1979 年 10 月 16 日に公 布されたヨハネ・パウロ 2 世の使徒的勧告『カテケージ・トゥラデンデ(Catechesi
trandende)』においてである.第 2 バチカン公会議から 10 年以上を要したが,カトリッ
ク教会は,公文書でもインカルチュレーションの問題を取り上げるようになり,インカル チュレーションは重要な課題と見なされるようになっていく.
1985 年,第 2 回世界代表司教特別会議では,最終報告書にインカルチュレーションの項
目が設けられた(西脇 1992:103-104).教皇ヨハネ・パウロ 2 世は,1990 年 12 月 7 日 に公布した回勅(Encyclical Letter)『救い主の使命(レデンプトーリス・ミッシオ)』の 中で,地方教会の宣教において,教会は必然的に様々な文化に出会い,文化と福音の出会 であるインカルチュレーションを必要なものと明言した.インカルチュレーションは,『救 い主の使命』の中で以下のように規定されている.
「[インカルチュレーション]とは[人間のいろいろな文化のなかにキリスト教を入 れることやキリスト教のなかで融合することをとおして,その文化の実際の価値を親 しみをもって変容させる方法]だからです.……中略……しかし,同時にそれは,キ リスト教の信仰の独自性と清らかさにおいて決して妥協できないもので,困難な過程 でもあるのです.」(『救い主の使命』52).
カトリック教会は,『救い主の使命』の中で,インカルチュレーションが教会の考え方や 実践にも関係していることを認め,福音がインカルチュレーションをとおして文化の中に 組み込まれることで人々と教会との結びつきが強められると明言した.さらに,インカル チュレーションによって,教会は地方教会の文脈に沿う形で自己表現が可能になると明記 された.普遍教会は,インカルチュレーションによって表現形式,礼拝,神学,キリスト 教的生活などの諸分野において豊かになるとされ,教会はインカルチュレーションを宣教 の効果的な道具として認めたのである(『救い主の使命』52).
1994 年典礼秘跡省が公布したInstruction on the Roman Liturgy and Inculturationに よれば,典礼のインカルチュレーションは,文化の中に福音を受肉させ,同時に教会の生 活の中にこれらの文化を導入することとされている.インカルチュレーションは,文化的 な価値とキリスト教の統合およびキリスト教を様々な文化に移植することによって,正真 正銘の文化的な価値を奥深くまで変化させることであるという(Instruction on the Roman Liturgy and Inculturation 4).
1999 年 11 月 6 日,教皇ヨハネ・パウロ 2 世は,使徒的勧告『アジアにおける教会』の 中で,キリスト教が外来の宗教とみなされ,多民族・多宗教が共存するアジアの地方教会 において,インカルチュレーションはキリスト教の信仰を自文化の文脈の中で理解できる 手段であると述べた(『アジアにおける教会』21).さらに,典礼が人々を養う源となるた めに,典礼におけるインカルチュレーションは,伝統的な文化価値,シンボル,儀礼の分 野にとどまるのではなく,アジアの国々が直面している弱者(貧しい人,移住者,難民,
青年と女性)への配慮が必要であると,一歩踏み込んだ発言をしている(『アジアにおける 教会』22).
『アジアにおける教会』において,インカルチュレーションに関する見解は,①福音との 互換性(compatibility with the Gospel),②普遍教会の信仰との交わり(communion with the faith of the universal church),③ 教 会 の 伝 統 に 対 す る 絶 対 的 服 従(full compliance with the church’s tradition),④ 人 々 の 信 仰 を 強 め る 視 点(a view to strengthening people’s faith)の 4 点に要約することができる(『アジアにおける教会』
22;Phan 2003:28-29).
教皇ヨハネ・パウロ 2 世は,アジアにおけるインカルチュレーションの重要な要素とし て,宣教する者の養成のあり方についても言及している.これまでの宣教者の養成方法は,
西欧の形式やプログラムに従っていたが,アジアの現状および文化を踏まえた養成プログ ラムを採り入れる工夫が必要だというのである.また,宗教多元的な世界であるアジアに おける宣教は,宣教者は自分たちが奉仕している宗教だけでなく自分たちの回りの人々の 宗教や文化的遺産にも敏感であるべきだと明言している(『アジアにおける教会』23).
カトリック教会の宣教は,長い間,ヨーロッパの宗教をヨーロッパ以外の地域に移植す るだけでなく,ヨーロッパの文化(ローマ様式)の輸出とも見なされてきた.宣教地にお ける宣教政策の矛盾が表面化したことで,教会の刷新を目指した第 2 バチカン公会議が招 集され,公会議から 30 年以上の年月を経て,カトリック教会は公式文書および教皇文書の 中で,インカルチュレーションを宣教における重要な要素と正式に認めたのである.
2.カトリック教会が公認するインカルチュレーションの手続き
カトリック教会は,第 2 バチカン公会議において,典礼のインカルチュレーションが様々 な文化に属する人々が必要とする司牧上の問題に対応することを認識していた.典礼秘跡 省は,各国または各地域の司教協議会(episcopal conference / conference of bishops)が インカルチュレーションの仕事を統治できるようにInstruction on the Roman Liturgy and Inculuturationを公布した(Instruction on the Roman Liturgy and Inculuturation 70 ).この指針は,ローマ式典礼とインカルチュレーションに関するカトリック教会の公 式見解であり,そこには地方教会の典礼におけるインカルチュレーションに必要な手続き が述べられている.
カトリック教会は,聖書を含む教義や儀礼に関する書物を現地語に翻訳することをイン カルチュレーションの第一段階と見なしており(Instruction on the Roman Liturgy and Inculuturation 9;28;53),各地方教会で使われている現地語による典礼書は,典礼のイ ンカルチュレーションの一例を示すものである.
司教協議会は,典礼書に関して地域の伝統や実情に適合する規範を設定する権限をもっ ている.司教協議会の決定事項は,教皇庁から承認された場合にのみ法的拘束力をもつ.
典礼書に関して司教協議会が決定することができる事項は,①信者が行うジャスチャーと ポーズ,②祭壇と聖書を崇敬する方法,③入祭の歌,聖体拝領の歌,④平和の挨拶,⑤聖 杯を拝領する場合の条件,⑥祭壇と備品の材質,⑦聖具の材質と形状,⑧祭服,⑨聖体拝 領の方法,となっている(Instruction on the Roman Liturgy and Inculuturation 54).
地方教会が現地語版の典礼書を使用するには,以下のような手順が必要とされる.司教 協議会で認可された現地語による典礼書が,必要書類とともに典礼秘跡省に送られる.こ の時,典礼書における適応(変更)の部分には簡潔かつ正確な説明が添付され,認可済み の典礼書から借用した箇所と新たに創作された箇所が表示さなければならない.教皇庁の 認可を受けた後,司教協議会は典礼書が有効になる法令と日にちを交付する(Instruction on the Roman Liturgy and Inculuturation 62).
次に地方教会が典礼様式を変更する手続きは,以下のようなものになる.司教協議会は,
国もしくは地域レベルの典礼委員会に,地域の伝統や人々の精神性の理由から祭儀におけ る適切な変更について検討させる.司教協議会は,典礼委員会の結果を受けて,典礼秘跡 省に典礼の変更案を提示する.典礼秘跡省は,司教協議会と一緒に提案を審議した後,司 教協議会が提案した変更を試行する期間を認可する.試行期間終了後,司教協議会は典礼 の変更の適性についての結論を典礼秘跡省に報告する.典礼秘跡省は,提出書類を審査後,
典礼の変更に同意する法令を出す.これによって,典礼の変更を申し出ていた地域で典礼 を変更することが可能となる.典礼における変更は信者および聖職者を含む共同体に告知 され,必要に応じて典礼の中に変更が導入される(Instruction on the Roman Liturgy and Inculuturation 62-69).
典礼秘跡省は,インカルチュレーションを肯定し,地方教会における典礼の多様性が豊 かさの源泉となる可能性について言及しているが,地方教会にはローマ式典礼との一致,
普遍教会との一致,聖徒につながる信仰との統合性を尊重することを明言している
(Instruction on the Roman Liturgy and Inculuturation 70 ).教皇庁を介して手続きを 行ったものだけが,カトリック教会が公認するインカルチュレーションの事例であり,そ れらは普遍教会との「交わりと一致」を満たしたものとなるのである.
Ⅵ ま と め
インカルチュレーションに関する研究の多くは,これまで主に神学や宣教学においてな されており,観念的なレベルで議論が進められてきことから,宣教の現場である地方教会 におけるインカルチュレーションの実例をもとに論じられることは極めて稀であった.そ のため,インカルチュレーションの類型やプロセスについて言及される場合でも,具体的