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国 民 革 命 期 に お け る 瞿 秋 白 の 知 識 階 級 観

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国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三〇一

国民革命期における瞿秋白の知識階級観

陳      正     醍

一.は じ め に

  瞿 秋 白 に と っ て、知 識 と 知 識 人 の 問 題 を め ぐ る 思 索 は 終 生 の 課 題 で あ っ た と 考 え ら れ る。 《新 社 会》雑 誌 に 拠 っ た そ の 言 論 活 動 の 当 初 か ら、瞿 は 知 識 人 の 境 遇 に 関 心 を 寄 せ て お り、一 九 一 九 年 に は「中 国 知 識 階 級 的 家 庭」を 書 い て、新 道 徳 ・ 新 信 仰 の 創 造 に よ る 知 識 人 の 救 済 を 唱 え て い た

つ、ロ シ ア に お け る 知 識 人 論 と ロ シ ア 革 命 後 に お け る 知 識 人 を め ぐ る 状 況 の 一 端 を 紹 介 し て い る

級 与 労 農 国 家」と 題 し た 文 章 を 発 表 し て、 「文 学 の ロ シ ア」 「社 会 思 想 の ロ シ ア」の 伝 統 へ の 自 ら の 関 心 を 表 明 し つ 後も続き、最初のソ連滞在中の一九二二年には、 《晨報》への政治・外交・経済記事の送稿の合間を縫って、 「知識階

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。知 識 人 の 社 会 的 役 割 と 活 路 に 関 す る 考 察 は、そ の

識私有制の廃止」を主題として、知識の共有の成立可能性や知識の社会的配分における平等の実現可能性、また、知 「知 識 是 贓 物」 (一 九 一 九 年)で あ る。プ ル ー ド ン の「所 有 は 盗 み」に イ ン ス ピ レ ー シ ョ ン を 得 た こ の 論 考 で は、 「知 白の考察は知識人という存在にとどまらず、 「知識」そのものへも向かっていた。最も象徴的なのは、 《新社会》期の

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。加 え て、瞿 秋

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三〇二

識 の 配 分 の 不 平 等 に 由 来 す る 富 の 配 分 の 不 平 等 の 解 決、と い っ た 問 題 す ら 取 り 上 げ て い た

とその克服という問題意識が投影されている。 えば、彼自身がその一員であった、伝統社会における支配階層たる士大夫読書人の系譜を引く中国知識人の「原罪」

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。こ こ に は、総 じ て 言   ソ連滞在中に共産党に入党したことによって、瞿秋白の知識人をめぐる思索にはマルクス主義の階級論の観点が組 み込まれることになる。とは言え、この時期に書かれた「知識階級与労農国家」においては、社会階級としての知識 階級と思想的流派としての知識階級という、知識階級をめぐる二種の分析視角が示されており、社会経済階級的分析 とは異なる、知識人問題に対する瞿の持続的な問題関心を見て取ることができる

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  共産主義活動家としての決意と結合した知識人観が示されるのは、一九二三年の帰国当初に発表した「政治運動与 智識階級」である。この中では、なお初期に抱いた知識人問題の意識の名残りも垣間見られるものの、知識階層には 「軍 閥 や 財 閥」の 手 先 と な る か「平 民 大 衆」の 代 弁 者 と な る か の 二 つ の 選 択 肢 し か な い と い う 見 解 が 基 調 を な し、社 会 変 動 に お け る 非 中 心 的 社 会 集 団 と い う 位 置 づ け に 基 づ く 知 識 階 級 観 が 示 さ れ る こ と に な る

国知識人の諸課題をめぐる思索は後景に退いているように見える。 の自己措定のもとで、中国革命に関わる多くの言論が発せられることになり、表面的には、士大夫読書人に根ざす中 がそれ自体として展開されることはなかった。この間、プロレタリア陣営に身を投じ革命運動を推進する一員として て、それまで抱えていた知識人問題の探究にあたかも決着を付けたかのように、その後、国民革命期には、知識人論

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。こ の 文 章 に よ っ

  しかし、国民革命期の瞿の論考に、知識階級に関して付帯的に言及しているものが皆無というわけではない。そこ で小稿では、それらの文章の中で述べられている、知識階級の位置づけおよび知識階級が抱える問題をめぐる見解を 拾い出し、中国国民革命期において、瞿秋白が知識階級に関してどのような観点を持っていたのかを検証することに したい。

  死を覚悟した一九三五年、瞿秋白は自らの人生を振り返りつつ「多余的話」を書き残す。この遺稿の中で彼が、プ ロレタリアートの意識を十分に持てなかったことに言及して、その阻害要因となった自らの出自である読書人階層の

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国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三〇三

問題を再び掘り起こしている

持され伏在していたことを窺わせる要素に光を当てる作業を試みることにする。 秋白が知識階級に言及している、体系的に探究を深められることはなかったものの、初期に抱いていた問題意識が保 上げない。ここではさしあたり、一九二〇年代後半の中国国民革命期における革命運動をめぐる諸論考を対象に、瞿 に国際共産主義運動を覆っていた何らかの思想的傾向を反映していたものなのか、という問題は、本稿では直接取り の程度初期の瞿秋白の考察における枠組みの延長線上にあったものなのか、あるいは、どの程度一九二〇・三〇年代 った中国共産主義運動の「前衛」党集団としての一般的課題の指摘でもあったと見ることができる。このことが、ど に対する特殊個人的な自己批判であるのみならず、初期指導者の人的源泉を旧士大夫読書人階層に置かざるを得なか

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ことはよく知られている。これは、瞿自身の「プロレタリア戦士」としての「欠陥」

二.階級分析の中での「知識階級」

  マルクス主義を受け入れた瞿秋白は、中国革命運動に関する理論活動の中で、中国の社会階級の分析に着手してい る。そうした作業は帰国直後の一九二三年から始まっており、 「中国資産階級的発展」 (一九二三年六月) 、「孫中山与 中国革命運動」 (一九二五年二月) 、「国民革命運動中之階級分化」 (一九二六年一月)等、多くの論考が発表されてい る が、最 も ま と ま っ た 形 で 呈 示 さ れ た の は、一 九 二 七 年 二 月 の「中 国 革 命 中 之 争 論 問 題」で あ っ た

な 独 立 し た 階 級 分 析 の 対 象 に は な っ て い な い。ま た、中 国 共 産 党 内 の 指 導 の 問 題 を 扱 っ た 第 五 章 で は「婦 女 問 題」 、 民無産階級」 、「民族資産階級」 、「中国無産階級」と「国際無産階級」等々である。知識人階層は上述の諸階級のよう よ び 階 級 変 動 は、 「官 僚 資 産 階 級」と「貴 族 地 主 階 級」 、「巨 商 買 弁 階 級」と「小 資 産 階 級」 、「農 民 の 階 級 分 化」 、「遊 として社会経済的階級区分を行い、各階級に関してその実態と特徴を詳述している。具体的に言及されている階級お た彭述之に対する大々的な批判を展開したものとして知られている。この論文の中で、瞿秋白は中国社会の現状分析 第五回大会の会期中にパンフレットとして配布もされたこの労作は、当時、陳独秀とともに党中央の指導的地位にい

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。中 国 共 産 党

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三〇四

「青 年 問 題」 、「民 族 問 題」の 各 節 が 立 て ら れ て い る に も 拘 ら ず、知 識 人 問 題 は 焦 点 化 さ れ る こ と が な い。中 国 革 命 の 戦略を扱った第四章の第四項目「小資産階級」の中で、瞿秋白は「知識階級」には「意図的に言及してこなかった」 と言明し、それが「各社会階級に分属する」存在であって、特に五・三〇以後は階級分化が進んだからであるという 理 由 を 示 し て い る

うのみで、独立した「階級」とは見なしえない存在、というマルクス主義の理論的枠組みに沿ったものと言えよう。 。こ の 見 解 は、以 前 か ら 打 ち 出 さ れ て い る、他 の 階 級 に 依 存 し て そ の 利 益 を 代 弁 す る 役 割 を 負

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  それでもなお、瞿は現状の知識人の中に、 「智力労働者」や「自由職業者」を見出す。前者の実例としては「教員」 や「団 体 職 員」が 挙 げ ら れ て お り、彼 ら は 一 面 で は「被 雇 用 者」と し て 認 識 さ れ て い る も の の、同 時 に そ の 地 位 は 「手 工 業 職 人 小 資 産 階 級 に い く ら か 似 て い る」も の と さ れ る

に、一 部「ブ ル ジ ョ ア 階 級 的」な「貴 族 式 の 自 由 職 業 者」も 存 在 す る

つに分けられ、大部分は非常に貧しく、雇用されている智力労働者に近いが、他方でブルジョア的生活の発展を背景

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。医 師、弁 護 士、芸 術 家 と い っ た「自 由 職 業 者」は 二

結する視角が据えられている反面、生産手段の所有とは別個の、単なる「貧富」の尺度も用いられている。

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。こ こ で は、被 雇 用 者 と い う 生 産 関 係 に 直

  「中 国 革 命 中 之 争 論 問 題」で は こ の 他、第 五 章 第 五 節 の「青 年 問 題」に「学 生」に つ い て の 言 及 が あ り、そ の 中 で、学 生 大 衆 は「知 識 階 級 の 中 で 最 も 流 動 的 な 部 分 で あ る」と 捉 え ら れ て い る。そ の 理 由 と し て 挙 げ ら れ て い る の は、学 生 に は 確 定 し た 階 級 利 益 が な く 右 に も 左 に も 移 ろ い や す い 点 で あ る

固とした独立的な階級とは区別して取り扱う観点が貫かれている。

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。こ こ で も、知 識 階 級 を、そ れ 自 体 確

  こうした、基本的階級に分化して行く流動的存在であって、独立した(もしくは主要な)階級として取り扱うには 及ばないという認識が示される一方で、瞿秋白の論著の中には、実際に「知識階級」を他の諸階級と並置して扱って いる記述も散見される。

  「孫

中 山 与 中 国 革 命 運 動」で は、 「平 民」 (庶 民)と「満 州 貴 族」 ・「士 大 夫」階 層 と の 対 立 を 前 提 と し た 上 で、 「平 民」内 の 諸 階 級 に つ い て 分 析 し て い る が、そ こ で は 資 産 階 級、遊 民 無 産 階 級 等 と 並 ん で「半 欧 化 し た 知 識 階 級 と 軍 人」を 一 項 目 と し て 取 り 出 し て い る。も っ と も、こ の 階 層 に 関 し て は、 「独 立 し た 政 治 集 団 を 持 た ず」 、「民 族 資 産 階

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国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三〇五

級」 「小 資 産 階 級」 「大 商 人 階 級」 「軍 閥 階 級」等、他 の 階 級 の 意 識 を 代 表 し た り 他 の 階 級 に 紛 れ 込 ん だ り す る も の で、 「決 し て 頼 り に な る 革 命 勢 力 で は な い」と 捉 え て お り、根 底 に は 前 述 の 知 識 階 級 観 が 横 た わ っ て い る と も 考 え ら れる

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  その他の事例では、まず、 「世界的及中国的赤化与反赤之闘争」 (一九二六年六月)において用いられている「中等 階 級、知 識 階 級」あ る い は「中 等 技 術 知 識 階 級」 (智 力 労 働 者)と い う 言 葉 が あ る

テ リ」が そ れ に 当 た る と さ れ る 階 級 で あ る

る階級と被搾取階級とのあいだで中間的位置を占めているような、社会経済的集団」であり、例としては「技術イン う 用 語 は、ブ ハ ー リ ン が『史 的 唯 物 論』の 中 で 示 し た「階 級」五 類 型 の 一 つ「中 間 的 階 級」を 想 起 さ せ る。 「命 令 す 一 つ と し て 捉 え る も の で あ る が、基 本 的 階 級 と す る 理 解 で は な い。 「中 等 階 級」も し く は「中 等 技 術 知 識 階 級」と い

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。こ れ は 知 識 階 級 を「階 級」の

的階級の間にあって絶えず「動揺」する存在でしかない

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。ブ ハ ー リ ン に よ れ ば、そ れ は、当 該 の 社 会 の 性 格 を 特 徴 づ け る 基 本

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  も う 一 つ の 事 例 と し て は、 「国 民 革 命 中 之 農 民 問 題」 (一 九 二 六 年 八 月)の 中 で、 「国 民 革 命 は 各 階 級 の も の」と し た 上 で、都 市 の 小 商 人、労 働 者、農 民、小 資 産 階 級 等 と 並 ん で 挙 げ ら れ て い る「革 命 的 知 識 人」が あ る

立したカテゴリーを与えられているようにも見える。 の「革命的知識人」は「階級」として規定されていると見なすことはできないであろうが、他の階級と区別された独

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。こ こ で

  全体として見れば知識階級は、小資産階級の一部ないし、せいぜい中間的階級と位置づけられ、各階級に分化して 行く存在という定式化がなされていると言えよう。なお、こうした見解は瞿秋白だけのものでなく、例えば、当時の 中国共産党内の理論家の一人であった彭述之の論にも示されていた

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  「知 識 階 級」に 関 連 し て し ば し ば 取 り 上 げ ら れ る、も う 一 つ の 重 要 な カ テ ゴ リ ー は「遊 民 階 級」で あ る。こ れ は、 「北京屠殺与国民革命之前途」 (一九二六年四月)でのように「知識階級と遊民階級」という形で並列される場合もあ れば、前述の「孫中山与中国革命運動」でのように「遊民無産階級」として「知識階級」とは明確に区別された項目 に 分 類 さ れ て い る 場 合 も あ る

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。と こ ろ が、 「中 国 革 命 中 之 争 論 問 題」で は、中 国 の 社 会 経 済 的 階 級 を 分 析 し た 第 一

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三〇六

章 で「遊 民 知 識 階 級」 (ル ン ペ ン ・ イ ン テ リ ゲ ン ツ ィ ア)と い う 用 語 が 使 わ れ て お り、そ れ は ま た、高 等「遊 民 無 産 階級」 (ルンペン・プロレタリアート)と言い換えられる存在とも述べられている

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  瞿 秋 白 は 高 等「遊 民 無 産 階 級」の 説 明 中 で「宙 ぶ ら り ん の 高 等 流 氓」と い う 言 葉 も 使 用 し て い る

生 ま れ た、と 述 べ る

紳階級」の零落と農民階級の破産により、中国社会には二種類の遊離分子、すなわち「高等流氓」と「下等兵匪」が 等流氓」という表現は、すでに一九二三年の「政治運動与智識階級」にも現れている。瞿は、二十世紀に入って「士 の「流 氓」は 無 頼 漢 と い う よ り は 無 業 者 の 意 味 で あ り、遊 民 と 同 義 の 用 法 で あ る と 考 え る こ と が で き る。実 は、 「高

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が、こ の 場 合

機 体 内 の 活 力」と し て「膨 張 発 展」中 の「新 し い 知 識 階 級」と は 対 比 さ れ る 存 在 と し て 描 か れ て い る

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。た だ し、こ の「高 等 流 氓」は、こ の 論 文 で は「旧 い 知 識 階 級」と 位 置 づ け ら れ、 「新 経 済 有

〔没落した〕士紳」ないし「破産失業した小紳士」として定義されているのである

で 見 る よ う に、 「中 国 革 命 中 之 争 論 問 題」で は、高 等「遊 民 無 産 階 級」は、 「新 式 知 識 階 級」の 来 源 た る「破 落 戸 の

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。一 方、後

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  さ て、 「ル ン ペ ン ・ プ ロ レ タ リ ア ー ト」も ま た、ブ ハ ー リ ン が『史 的 唯 物 論』で 取 り 上 げ て い る 階 級 類 型 の 一 つ で、 「階 級 か ら 脱 落 し た 諸 集 団」を 構 成 す る 存 在 で あ る。そ れ は、乞 食 や 階 級 脱 落 的「ボ ヘ ミ ア ン」等 々 と と も に、 「あ ら ゆ る 社 会 的 労 働 の 範 囲 か ら は じ き だ さ れ た 人 び と の 範 疇」に 属 し て い る、と さ れ る

生 産 的 階 級 で な く、自 分 た ち の 生 存 諸 条 件 に よ っ て 相 互 に 結 び つ き 共 同 労 働 等 に 慣 れ て い る 階 級 で は な い 点 に あ ある階級ではない)であるところは、プロレタリアートと共通している。プロレタリアートとの最も重要な相違は、 ト と は 異 な る。だ が、 「貧 困 階 級」で あ り、ま た 私 的 所 有 と 結 び つ い て い な い 階 級(物 質 的 生 存 の 基 礎 が 私 的 所 有 に タリアートと同等であるが、資本主義社会において経済的に搾取されていない階級であるという点でプロレタリアー えば、ルンペン・プロレタリアートは、資本主義社会において政治的に抑圧されている階級であるという点でプロレ

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。ブ ハ ー リ ン の 説 明 に 従

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  「ル

ン ペ ン ・ イ ン テ リ ゲ ン ツ ィ ア」と い う カ テ ゴ リ ー は、ブ ハ ー リ ン の『史 的 唯 物 論』の 当 該 箇 所 に は 見 え ず、近 似の表現と思われる「ボヘミアン」が用いられているのみである。瞿秋白は一九二七年の論考では「ボヘミアン」と

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国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三〇七

い う 用 語 を 使 っ て い な い が、後 に 魯 迅 の 雑 感 文 を 論 評 し た 著 述 の 中 で、近 代 中 国 に お け る「小 資 産 階 級」に 属 す る 「知 識 階 層」の 二 類 型、す な わ ち 農 民 と の つ な が り を 比 較 的 保 っ て い た 人 々 と、よ り 都 市 化 ・ 近 代 化 さ れ た 知 識 青 年 との二つに言及した際に、後者の集団を特徴づけるものとして用いている。郭沫若ら初期創造社のメンバーを典型と し て 思 い 浮 か べ て い た で あ ろ う こ の「ボ ヘ ミ ア ン」と い う 存 在 は、 「小 資 産 階 級 の 放 浪 知 識 青 年」と も 言 い 換 え ら れ、ま た、中 国 の 歪 な 資 本 主 義 関 係 の 発 展 過 程 に よ っ て「軌 道 か ら 排 斥 さ れ た」孤 児 と も 定 義 づ け ら れ て い る

となっているものと考えられる。 こ う し た「知 識 階 層」は、 「小 資 産 階 級」に 分 類 さ れ て い る と 同 時 に、他 方 で「階 級 脱 落」的 な 側 面 を 意 識 し た 理 解

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  以上から、 「遊民知識階級(ルンペン・インテリゲンツィア) 」という用語こそ直接の由来を見出だせないものの、 ブハーリンの示す階級類型「ルンペン・プロレタリアート」が、中国近代の知識階層に関する瞿秋白の一連の議論の 背景をなしていることが見て取れよう。ブハーリン(一八八八―一九三八)は、一九三〇年代以降のスターリンの実 権掌握に伴って共産主義運動史の記憶から一時抹殺されざるを得なかった人物であるが、一九二〇年代中期のコミン テ ル ン に お け る そ の 声 望 は 揺 る ぎ の な い も の で あ っ た

ハ ー リ ン だ っ た

コ ミ ン テ ル ン の「中 国 情 勢 問 題 に 関 す る 決 議」 (一 九 二 六 年 一 二 月)を ス タ ー リ ン と 並 ん で 理 論 的 に 主 導 し た の も ブ

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。瞿 秋 白 の「中 国 革 命 中 之 争 論 問 題」執 筆 の 契 機 と な っ た

程度『史的唯物論』に依拠していると見られるなど、ブハーリンから受けたと見られる影響は小さくない

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。ま た、瞿 の 場 合、上 海 大 学 に お け る 講 義 の 一 つ《現 代 社 会 学》 (一 九 二 四 年)の 記 述 が か な り の

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  瞿 秋 白 の 著 述 で は、し ば し ば「多 余 的 人」 (余 計 者)に つ い て の 言 及 が 見 ら れ る

「高等遊民」という定義は、その基盤の上にマルクス主義的な階級分析を加えたものと位置づけられよう。 ー リ ン に 拠 ら ず と も 広 く ロ シ ア の 思 想 と 文 学 か ら 吸 収 し え た 観 念 で あ る が、 「ル ン ペ ン ・ イ ン テ リ ゲ ン ツ ィ ア」や

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。「余 計 者」は、む ろ ん、ブ ハ

  以上見たように、総じて言えば、生産手段の所有もしくは生産関係上の立場という観点からの社会集団の分析にお いては、知識階級は、たとえ一個の階級として取り上げたとしても主要な階級とは見なせず、したがって当然革命を 牽 引 す る 階 級 で も な く、社 会 の 発 展 と と も に 他 の 階 級 へ と 分 化 し て 行 く 存 在 で あ る、と い う 認 識 が 再 三 説 か れ て い

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三〇八

る。それはおおむね、 「小農階級」や「中間階級」を含む「小資産階級」と見なされたり、 「遊民的無産階級」の「高 等」版と見なされたりしたのであった。

  と こ ろ で、一 九 二 三 年 の「政 治 運 動 与 智 識 階 級」の 中 で も、瞿 秋 白 は、同 様 に 知 識 階 級 の 分 化 に 言 及 し、一 部 は 「無 産 階 級」の 前 衛 と し て 革 命 運 動 を 牽 引 し、ま た 一 部 は「資 産 階 級」的 な 存 在 や そ の 代 弁 者 と な る、と 語 る。こ こ でも確かに、知識階級は政治的闘争の中で、あくまで「補助的な役割」を果たすに過ぎないという結論が呈示される が、同時に、知識階級は他の階級への分化を促す社会発展が進展していない時代、すなわち「まだ生産制度が完全に 発 達 し て 絶 対 的 に 平 等 な 教 育 が 可 能 と な っ て い な い 時」に は、 「往 々 に し て 社 会 文 化 を 代 表 す る 地 位 に 立 つ」の で あ り、そ れ は 決 し て 誇 れ る よ う な こ と で は な い も の の、そ れ ゆ え の 責 務 を 負 う べ き も の と い う 捉 え 方 も な さ れ て い る

の定義の影と同時に、革命運動の指導層を構成する知識人の存在についての注目を読み取ることができる。

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。こ こ か ら は、瞿 秋 白 が 一 九 二 二 年 に 示 し た 知 識 階 級 に 関 す る 社 会 経 済 階 級 と 思 想 的 流 派 と の 二 つ の 側 面 か ら

  「政

治 運 動 与 智 識 階 級」に お け る 瞿 秋 白 の こ う し た 認 識 に は、よ り 突 き 詰 め て 考 え れ ば 当 然 提 起 さ れ ざ る を 得 な い、次の二つの問題が潜んでいたものと思われる。一つは、中国の新時代の知識階級も、旧体制のもとで「社会文化 を代表する地位」にあり多かれ少なかれ社会の支配階層の一員であった「過去」を引きずっているのではないかとい う問題。もう一つは、そのような出自を背景にして形成されてきた新しい知識階級がせいぜい副次的な存在であるの だ と す れ ば、工 場 労 働 者 層 が 十 分 に 形 成 さ れ て い な い 過 渡 期 に お い て、 「無 産 階 級」の「前 衛」た る「党」は、現 実 にいったいどのような人々によって構成されることになるのか、という問題である。

  既に述べたところから明らかなように、一九二七年の「中国革命中之争論問題」では初期の段階で示唆されていた 知識人の前衛性の問題は表面から消え去っているように見える。もともと社会の最重要の基本的利害対立を特徴づけ る階級ではなく、それら基本階級に分化して行く運命にあり、決して革命を牽引する固有の立場を有する存在ではな いと考えられるからである。他の階級に分化して行く存在と見なされる限りでは、知識階級固有の意識は問題になら ず、結局は無産階級か資産階級か、もしくは中間階級あるいは遊民無産階級か、そのいずれの立場に立つかという問

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国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三〇九

題に解消する。そして、共産党内で活動をする革命的知識人である以上は、彼らは無産階級の意識を抱いているはず だ と い う こ と に な る。し か し な が ら、 「中 国 革 命 中 之 争 論 問 題」で は、瞿 秋 白 は 単 に 動 揺 す る「中 間 的」性 格 あ る い は分化して行く傾向だけでなく、同時に、伝統社会における知識階層すなわち士大夫読書人層の性格を保持している 側面にも言及しており、さらには、革命運動の指導層の問題を扱う時に、その成員が実は「知識階級」に属している 場合に生じる諸問題に、暗黙のうちに触れているように思われる。次節では、これらの問題を見て行きたい。

三. 「新式知識階級」の来源およびその影響

  瞿 秋 白 は、 「新 式 知 識 階 級」の 来 源 の 一 つ を「破 産 失 業 し た 小 紳 士」に 見 出 す。そ し て、こ の 破 産 失 業 し た 小 紳 士 は「小農階級」の一部分であると認識される。これら「小紳士」や「中農」を含む小農階級は「資産階級の性格」を 持 つ の で あ る が、そ の「遊 民 化」し た 子 弟 は 革 命 軍 隊 に 派 遣 さ れ、革 命 戦 争 を 始 め た、と 説 明 さ れ る

も見える

戸」は「高等ルンペン・プロレタリアート」すなわち「ルンペン・インテリゲンツィア」層を形成する、という記述 箇 所 に は、 「寒 士」士 紳 階 級 が 小 農 状 態、甚 だ し く は 実 質 的 に 小 作 農 の 地 位 に ま で 落 伍 し、そ う し た 大 多 数 の「破 落

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。ま た 別 の

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。彼らを瞿は、前述したように「宙ぶらりんの高等流氓」などと呼ぶ

士紳」と「破産失業した小紳士」とは、特に区別されて使われていないものと思われる。

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。なお、 「破落戸の〔没落した〕

  その上で瞿秋白は、こうした没落した士紳が革命に多くの悪影響を及ぼす存在であることを指摘している。彼らは 革 命 陣 営 に 孔 教 を 持 ち 込 み、そ の 思 考 様 式 は「恐 る べ き〝人 の 師 た る を 好 む〟書 生 主 義」で あ り、 「四 角 四 面 の 諸 葛 孔 明 式 の 自 惚 れ」で あ り「軍 師 の 態 度」で あ る、と さ れ る。そ し て、 「世 間 を 渡 っ て き た」放 浪 生 活 に よ っ て「政 客 主義」を身に付けるとともに、この「書生主義」からは「訓政期」という考え方が生じるという指摘がなされる

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  ここで語られる「革命陣営」は、辛亥革命期から国民革命期にかけての革命諸団体ないし国民党を念頭に置いてい る も の と 思 わ れ る。 「孔 教」に 関 し て は、新 文 化 運 動 の 中 で は そ の 思 想 内 容 に 対 す る 批 判 が 多 く 見 ら れ た が、瞿 秋 白

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三一〇

が 思 考 様 式 面 の 影 響 に 着 目 し て い る 点 は 特 徴 的 で あ る。 「書 生 主 義」に 付 随 し て 用 い ら れ る「諸 葛 孔 明」等 の 表 現 は、後 述 す る よ う に 後 の「多 余 的 話」に お け る 記 述 に も 現 れ る が、そ れ 以 外 に「 《魯 迅 雑 感 選 集》序 言」の 中 で も、 辛 亥 革 命 期 の 士 大 夫 階 層 の 分 岐 を 論 じ る 際 に、次 の よ う な 形 で 持 ち 出 さ れ て い る。 「文 明 商 人 と 維 新 紳 董 と の 間 の 区 別は、単に、紳董は、満清が二回目の中興をなし康有為・梁啓超によって曾国藩・左宗棠・李鴻章の事業を継承する こ と を 希 望 し た の に 対 し て、商 人 の 意 識 代 表(や は り 士 大 夫 で あ る)は、自 分 自 身 が 大 権 を 独 占 す る 諸 葛 亮 と な っ て、四 億 人 の 阿 斗 を 名 義 上 の 主 人 に な ら せ る と い う 別 の 解 決 策 を 考 え つ い た、と い う 点 に あ る だ け だ っ た

らは、孫文を代表とする国民党系の政治家の主張が想起されるであろう。 「主権者」を利用して実質的な独裁者たらんとする野心家の比喩として使われている。また、 「訓政期」という用語か で は、諸 葛 亮 は「軍 師」と 言 う よ り は、 「民 主 主 義」体 制 に お い て、無 能 な 飾 り も の(阿 斗)に 過 ぎ な い 名 目 上 の

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。」こ こ

  こ の よ う に、 「書 生 主 義」と「政 客 主 義」に 関 連 す る 記 述 は、辛 亥 革 命 期 以 来 の 革 命 運 動 史 な ら び に 中 国 近 代 の 士 大夫読書人階層の思想史に対する瞿秋白の関心を背景にしていることが見て取れる。だが、 「中国革命中之争論問題」 のこのくだりでの言及は、同時に、瞿にとって中国共産党内の理論上の「論敵」と設定された彭述之を批判する伏線 としての意味も兼ねていた。

  瞿秋白は、 「政客主義」と「訓政期」という旧来の革命派に向けられていると思われる記述に続いて、 「無産階級党 内」に も こ れ ら の 思 考 様 式 が 波 及 し て い る、と 指 摘 す る。い わ ゆ る「訓 練 主 義」が そ れ で あ り、そ こ で は 官 僚 的 な 「紀 律」の 解 釈 と、研 究 の な い「研 究 サ ー ク ル 制 度」が 実 行 さ れ て い る、と 述 べ る

変観」として特徴づけられる。そして、共産党内の組織紀律を取り上げた、同じ章の「官僚式の紀律観と流氓式の紀 ていたにも拘らず北伐の成功を目の当たりにして今度は軍閥に対する寝返り工作に注力し始めるような「政客式の政 任じ、誰に対しても「科学的革命方法」の公式を押しつけようとする「書生式の革命観」と、当初は革命軍を軽視し 「彭 述 之 主 義 の 戦 略」の 批 判 の 形 で 具 体 的 で 詳 細 な 議 論 が 展 開 さ れ る。瞿 に よ れ ば、そ れ は、自 ら「教 師」を も っ て 加えられることはないが、これらの主張に関連するものとして、中国共産党の党内問題を扱っている最終第五章で、

37

。こ の 節 で は そ れ 以 上 の 説 明 が

(11)

国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三一一

律観」の節では、書生式の革命観から「官僚式の紀律観」が生じ、党の「命令」は、理由が示されない単なる軍事式 の命令となること、また党内の教育も大半が注入式で啓発式ではない「童子師式の宣伝教育方法」が取られること、 が 指 摘 さ れ る

れ る

独特の傾向、すなわち会議と個人批判を柱とする「訓練」という、特有の手法を念頭に置いた評語であるものと思わ 的には、モスクワの東方労働者共産主義大学(クートベ)での中国人学生の党組織(中国共産党旅莫支部)における

38

。「訓 練 主 義」と い う 用 語 の 意 味 は、こ の 最 終 章 の 記 述 の 内 容 か ら も 窺 う こ と が で き る が、よ り 直 接

当時の仲間から「孔夫子」というあだ名を付けられもしていた、と言われる

39

。彭 述 之 は、ま さ に ク ー ト ベ に お け る「指 導 者」の 一 人 で あ っ た 上、そ の 読 書 人 と し て の 出 身 背 景 に よ り、

40

  このように、指導部を担っている知識人が士大夫読書人時代からの「孔教」風の思考様式を無産階級党内にも持ち 込んでいる、と瞿秋白が主張する時、その背後には多分に「彭述之主義」攻撃の策略としての意図が潜んでいた可能 性を考慮すべきかも知れない。だが、党内主導権争いを優位に進めるための戦術的な要素の比重や、彭述之批判にお ける現状認識の正確性あるいは論旨の妥当性といった問題は別にして、瞿秋白が指摘している、中国共産党中央の指 導 方 法 の 問 題 点 と 中 国 近 代 の 知 識 人 階 層 の 性 向 と の 関 連 は、 「教 師 面」の 態 度 や 上 意 下 達 の 命 令 に 見 ら れ る 権 威 主 義 的態度にあったと考えられる。

  党 中 枢 の 体 質 批 判 を 行 う に 当 た っ て、 「官 僚 式」の 硬 直 し た 指 導 を 単 に そ れ 自 体 と し て 攻 撃 す る の に 比 べ て、新 文 化運動期の改革派にとっての打倒対象であった「孔教」を背景とした「書生主義」を持ち出すことは、確かにその批 判の意義をより強く印象づけることができたであろう。だが、そうした効果を別にすれば、書生主義批判が実際に意 味していたのは、この言葉にかぶせて用いられていた修飾語、すなわち「人の師たるを好む」という態度の問題であ っ た と い う 一 面 も あ り そ う に 見 え る。こ れ は、 「諸 葛 孔 明 式 の 自 惚 れ」 、「軍 師 の 態 度」 、「童 子 師 式」等 の 一 連 の 用 語 からも醸しだされていると言えよう。この点で、瞿秋白の示した「書生主義」への嫌悪は事実上、個性もしくは気質 の違いに根ざしていたと見ることができるのかも知れない。鄭超麟は、東方労働者共産主義大学に在学していた中国 人留学生の集団を、彼らの性格と立場に即して、命令をする「指導者」とそれに従う「大衆」とに区分し、かつ、こ

(12)

三一二

のような体制が確立する以前の「闘争」に言及している。鄭がモスクワに移ってきた時には決着がついていたという そ の 闘 争 は、 「自 由 を 愛 し、権 威 に 反 抗 す る が」 、「優 柔 不 断 で 空 論 に 傾 く 嫌 い」の あ る「高 邁 な 理 想 主 義 者」の タ イ プ と、 「粘 り 強 く、沈 着、果 敢 だ が」 、「知 識 は 浅 く て 権 威 を 崇 拝 し、す ぐ に 権 威 に 屈 服 す る」タ イ プ の 人 間 と の 間 の も の で、前 者 の 多 く は 敗 北 し ク ー ト ベ を 去 っ て 行 っ た の だ っ た

て「師 団 長 の よ う」あ る い は「旧 時 の 中 学 の 学 監 の よ う

かったが、授業の通訳に携わっており、鄭超麟が加わる以前の留学生集団の様子を直接知る立場にあった。鄭によっ

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。瞿 秋 白 は 東 方 労 働 者 共 産 主 義 大 学 の 学 生 で は な

白 が「多 余 的 話」の 中 で 自 身 が「王 者 の 師」や「諸 葛 亮」を め ざ し て い た の で は な い こ と を 強 調 し て い る

どちらかと言えば権威に反抗する内面性を持っていた瞿にとって、反感を覚えるものだったと推測できる。後に瞿秋

42

」と 形 容 さ れ る 彭 述 之 ら「指 導 者」の 気 質 と 振 舞 い は、

の表明でもあったろう。 自分が陳独秀後の「指導者」の役割を担ったとは言え、そうした権威志向の考え方とは一線を画していたという意識

43

の は、

  もちろん、権威主義的な指令と権威への崇拝・屈服という組織の体質が、すべて成員の気質や態度に由来していた と言うことはできないだろうし、また、モスクワの中国人留学生の雰囲気が中国共産党の組織全体の問題に直結して い た か ど う か は 断 定 し 難 い で あ ろ う が、い ず れ に し て も、 「平 等 な 社 会」を 目 指 し て 活 動 す る は ず の 集 団 内 部 で の 指 導者層の「大衆」に対する意識のあり方が問題であったことは疑いない。瞿秋白は、彭述之がその「教師面」や上意 下達の命令といった姿勢のゆえに、他人を支配したがり博学ぶる傾向を持ち、対内教育においては啓発的な形を取る ことができず対外宣伝においては大衆を動かす力に乏しい、結局は自らの「正しい」思想を公式主義的に下級党員と 大衆に「教導する」ことを通して「革命」の成就を目指すことになる、と批判する

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  さらに言えば、権威主義的な党指導という問題点は、実際には士大夫読書人由来の「書生主義」とは異なる要因を 含 ん で い た か も 知 れ な い。瞿 秋 白 自 身、 「彭 述 之 主 義」に お け る「官 僚 式 の 紀 律 観」を 取 り 上 げ、党 の「命 令」が 単 な る 軍 事 式 の 命 令 と な っ て い て、そ の 結 果 大 衆 同 志 が 建 議 力 に 欠 け 革 命 意 志 に 欠 け る と 論 じ た 際、彭 述 之 ら が「典 拠」と し て 用 い た ブ ハ ー リ ン の 見 解 と さ れ る「硬 直 化 し た 公 式」に 言 及 し て い る。す な わ ち、 「国 家 は 階 級 的 で あ る

(13)

国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三一三

ゆえ、政治とは階級独裁である。階級は党の指導に服従するものであるゆえ、階級独裁は党の独裁である。党は党機 関が指導するものであるゆえ、党機関独裁である。党機関は一委員会書記が責任を負うゆえ、書記独裁である」とい う も の で あ る

と瞿は指摘する

45

。し か も、も と も と 共 産 党 内 で 適 用 さ れ る 次 元 の こ の 原 則 が 党 外 の 大 衆 に ま で 演 繹 さ れ て し ま う、

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  ここで論じられているプロレタリア階級とその「前衛党」との関係の問題は、ブハーリンの『史的唯物論』では、 最終章「階級と階級闘争」の中の「階級・党・指導者」と題する節で取り上げられている。ブハーリンは、一階級内 の成員が非同質性をも有するからこそ恒常的な指導組織が必要となると主張し、労働者階級の闘争の指導を行う最も 前衛的で、最もよく訓練された、最もよく結束した部分が党なのだと言う。だが、プロレタリアートの前衛である党 の内部でさえ、完全な同質性が保たれているわけではない。これが、多かれ少なかれ固定した独立の指導幹部集団た る「指 導 者」が 必 要 と な る 基 本 的 な 原 因 な の で あ る

な り、単 な る 生 産 要 素 に 転 化 し て し ま う の で あ る

ない。もしも党が破壊されれば、労働者階級は、対自的階級としての階級すなわち意識的独立的な社会勢力ではなく と も よ く 表 現 し て い る 指 導 者」と さ れ、そ れ ゆ え、 「党 の 独 裁」が「労 働 者 階 級 の 独 裁」に 対 置 さ れ る こ と は あ り 得 主 義」の 発 想 と し て 概 括 し た よ う な 上 意 下 達 の 党 組 織 で は な い。す な わ ち、 「よ い 指 導 者 は、党 の 正 し い 傾 向 を も っ

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。も っ と も、ブ ハ ー リ ン の 説 く と こ ろ は、瞿 秋 白 が「彭 述 之

のいずれがより強力であるかが、将来の社会のあり方を決める、とされるのである

り、それに依拠してはじめて労働者階級の中から技術者と組織者が拡大再生産されうる。そして、これら二つの傾向 避 的 に 存 在 す る と い う 困 難 が 想 定 さ れ る。そ れ と 対 立 す る の が、生 産 力 の 増 大 と 教 育 の 独 占 の 廃 絶 と い う 傾 向 で あ 衆となっていない労働者階級の中に「退化」の傾向、すなわち階級的萌芽としての指導層が分離して行く傾向が不可 のではなくなるという意味で解消されうる。もっとも、そうした社会の実現に向かう移行期においては、同質的な大 するという構造は、将来、組織者・管理者があり余るほど存在するような社会においては、指導的集団が固定的なも

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。さ ら に、階 級 は 党 を 通 し て 統 治 し、党 は 指 導 者 を 通 し て 統 治

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  「党

の 正 し い 傾 向 を も っ と も よ く 表 現 し て い る 指 導 者」の 存 在 を 前 提 と す る 党 組 織 の あ り 方 に つ い て 言 え ば、瞿 秋

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三一四

白は、一九二三年の「鄭訳《灰色馬》序」の中で、ルナチャルスキーの論に依拠しつつ、ロシア社会革命党の党体質 と の 対 比 で こ う し た「民 主 集 権 制」の 党 運 営 に 比 較 的 楽 観 的 な 期 待 を 寄 せ て い た

りに対して面子を重んじるがゆえに検討を怠る「自己批判」の欠如をも問題にする

ていたのかは、確定しがたい。また、瞿は党指導部に対して疑問を呈することが許されない状況を指摘し、戦略の誤 主義」の姿勢を揶揄するものに過ぎなかったのか、それともブハーリンの理論の中身そのものへの批判を射程に置い ンの「公式」に対する言及は、理論を暗記対象の「公式」と捉えて、融通の効かない適用にとどまっていた「彭述之 現状を批判した時、瞿がこの組織原則そのものに対する疑念を抱き始めていたのかどうかは不明瞭である。ブハーリ

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が、一 九 二 七 年 に 中 国 共 産 党 の

はり知識階級の母体としての破産失業した小紳士階層の「書生主義」の思考様式に見出されることになるのである。 導部の「訓練主義」的「官僚式の紀律解釈」 (さらには「流氓式の紀律解釈」 )に由来するものとされ、その淵源はや 的体質への批判が予想され得るにも拘らず、この状況自体も組織原理に内在するものと分析されることはなく、現指

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。この先には、党の「一枚岩」

  もう一つの展望、すなわち、生産力の増大と教育の独占の廃絶に伴って労働者階級の中から管理者・組織者が拡大 再生産されることが、将来の社会における階級の解消にとって不可欠であろうという見通しは、一九二三年の「政治 運 動 与 智 識 階 級」の 記 述 の 中 で は、前 に 引 用 し た 通 り、 「知 識 階 級 は、ま だ 生 産 制 度 が 完 全 に 発 達 し て 絶 対 的 に 平 等 な 教 育 が 可 能 と な っ て い な い 時 に、往 々 に し て 社 会 文 化 を 代 表 す る 地 位 に 立 つ」と い う 裏 返 し の 形 で 言 及 さ れ て い た

れ ば な ら ず、そ う し て こ そ 資 本 主 義 文 化 の 悪 影 響 に 抵 抗 で き る、と い う 見 解 を 紹 介 し て い る

術、自分たちの道徳習俗を持たねばならず、かつまるごとの人生観と社会主義の原則をも把持して全てを総合しなけ 闘争だけでは労働者大衆は完全に解放されず、プロレタリアートは自分たちの文化、自分たちの科学、自分たちの芸 を呈示している。そして、先駆者の一人と位置づけるベスサリコ(一八八七―一九二〇)に即して、経済的・政治的 文章において、行く行くは労働者階級の中から社会全体の文化活動を牽引する人材が輩出するであろうという未来図

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。ま た 近 接 す る 課 題 と し て、瞿 は 同 じ 年 に、ソ 連 の プ ロ レ タ リ ア 文 化 運 動 に 貢 献 し た 二 人 の 人 物 を 取 り 上 げ た

ロレタリアートは独立した文化を創造する必要がある、という考え方である。興味深いことに、瞿は文中で、労働者

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。煎 じ 詰 め れ ば、プ

(15)

国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三一五

階級出身のこの作家が、西欧の社会主義政党の同志たちが往々にして「資本主義的」要素を保持している状況に違和 感 を 抱 い て い た こ と、ま た、か つ て 彼 が マ ハ ー エ フ シ チ ナ(マ ハ ー エ フ 主 義)に 傾 倒 し て い た こ と に 触 れ て い る

る、と い う 点 に あ る

めに闘争しているに過ぎないのにも拘らず労働者階級を経済的束縛から解放すると唱えているのは甚だしい欺瞞であ ではなく、肉体労働者を搾取する余剰価値の占有者である、それゆえ、彼らの政治的勢力が自己の物質的な利益のた

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。マ ハ ー エ フ 主 義 の 主 張 の 特 徴 は、知 識 は 生 産 手 段 の 一 つ で あ る か ら イ ン テ リ ゲ ン ツ ィ ア は 単 な る 智 力 労 働 者

アが十分にプロレタリア化されている必要性を示唆してもいる。 インテリゲンツィアではなくプロレタリアート自身である必要性、もしくは最低限、指導に当たるインテリゲンツィ 観点は、政治革命・経済革命に続く「文化革命」の必要性を提起していると同時に、これらの革命過程全般の主体は のかは、はっきりしない。ともあれ、プロレタリアート自身によるプロレタリアート文化の創造というベスサリコの

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。ベ ス サ リ コ が ど の 程 度 ま で マ ハ ー エ フ 主 義 の 影 響 を 拭 い 去 る こ と が で き た と 目 さ れ て い た

  確かに「中国革命中之争論問題」では、瞿秋白は中国共産党指導部の欠陥をただちに指導層が「知識階級」出身で あることそのものには求めていない。党指導部が実質的に知識人階層から構成されているとは述べていないし、そこ に問題があるとは語っていない。建前から言えば、こうした知識階級は既述の如く、瞿の認識では五・三〇以降分化 傾向を強めて「各社会階級に分属する」存在となっている。從って、論理的には既にプロレタリア階級に分属してい る知識人を想定することができる。これは、党指導部のメンバーの出自が「知識人」であったとしても、彼らは「党 の 正 し い 傾 向」を 表 現 す る、す な わ ち プ ロ レ タ リ ア ー ト の 意 識 を 保 持 し そ の 利 害 に 忠 実 に 活 動 方 針 を 示 す は ず で あ る、と い う ブ ハ ー リ ン ら の 主 張 と 整 合 す る で あ ろ う。し か し 他 方 で、 「彭 述 之 主 義」批 判 の 中 で 展 開 さ れ る 書 生 主 義、政客主義等々の要因が、知識階級の来源である「破産失業した小紳士」階層の特質として呈示されている以上、 実質的に、党指導部がなにがしか知識階級という出自に由来する問題点を抱えているという指摘がなされていること に な る。こ れ は、 「階 級」と し て は 解 消 す る と 主 張 で き た と し て も、そ の「体 質」が 温 存 さ れ る 可 能 性 に は 留 意 し な いわけには行かないという観点を意味しているであろう

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(16)

三一六

四.結     び   国民革命期における瞿秋白の知識人論の基幹には社会経済的階級論があり、そこでは知識階級は各主力階級に分属 し、それぞれの利害の代弁者として機能するものと把握される。したがって、プロレタリアート陣営に加わった知識 人 は こ の 階 級 の 意 識 を 抱 き そ の 利 益 の た め に 活 動 す べ き も の と 想 定 さ れ る こ と に な る が、他 方 で、 「書 生 主 義」と 概 括される、知識階級の来源たる「破産した士大夫階級」の特質が革命陣営にもたらす悪影響の存在が指摘される。そ れは主として党指導層の官僚主義的・権威主義的体質に向けられていたが、同時に、労働者と知識人との関係をめぐ る問題も意識されていた可能性がある。知識人が労働者階級の利害のために闘うのは、あくまで過渡期における「代 弁 者」 「代 理 人」の 立 場 に お い て で あ り、本 来 は プ ロ レ タ リ ア ー ト 自 身 が そ の 任 を 担 う 必 要 が あ る と す れ ば、重 要 な 課題は、いかにして労働者の中から数多くの革命活動家、党幹部を育て、労働者の中から文化運動の担い手を次々と 生み出す社会を創りうるかというところに置かれるであろう。この観念は、一九二七年以後も課題であり続けたもの と見られる

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  同時に、士大夫読書人階層の崩壊に伴って形成された新しい知識階級もまた、過去からの負の遺産を克服すべきも のとされる。この課題に関して「中国革命中之争論問題」の中で強調されていたのは「書生主義」に見られる思考様 式や組織内での振舞いの側面であったが、瞿秋白にとっては、知識階級に内在するもう一つの課題、すなわちその生 活スタイルや労働意識の側面の問題もなお懸案であったと見られる。既述のように、五・三〇以降の急激な階級分化 の中で知識階級がしだいに各社会階級に分属して行く傾向を指摘し、瞿は「智力労働者」の存在に言及していた。実 は、この智力労働者に関しても、瞿秋白は「だが、かれらの紳士式の生活と心理を忘れてはならない」と注意を喚起 し て い る の で あ る

士が革命陣営に持ち込んだ思考様式と態度を指していることがわかる。他方の「生活」に関しての括弧書きは「長衫

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。「心 理」に は「書 生 主 義、投 機 的 政 客 主 義」と い う 括 弧 書 き が あ り、上 述 の 破 産 失 業 し た 小 紳

(17)

国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三一七

を着る」というもので、肉体労働の現場からの乖離、もしくは「搾取階級」としての生活態度を意味しているものと 思われる。   既述の通り、一九二三年の「政治運動与智識階級」の中で瞿秋白は、生産制度が完全に発達して絶対的に平等な教 育が可能となっていない段階で、知識階級が「往々にして社会文化を代表する地位に立つ」ことを、決して誇れるよ うなことではないがそれゆえの責務を負うべきものと論じていた。すなわち、知識階級が「知識」を有して文化を代 表することができるのは、往時の士紳にあっては優越的な権利を享受しつくしているからであり、同様に「現代の学 生は生産の余剰 ― 勤労平民の汗と血 ― の利益を受けているから」に他ならない。それを踏まえて、瞿は、勤労平 民 に 対 し て 知 識 階 級 が 負 う べ き「重 大 な 責 任」を 訴 え る

がゆえに余剰価値の占有者となっているという、前述のマハーエフ主義の主張との共通点も見出せる。 承 に は、 「知 識 是 贓 物」に お け る 問 題 意 識 が 伏 流 し て い る と も 考 え ら れ る し、ま た、生 産 手 段 と し て の 知 識 を 有 す る に 対 す る 持 続 的 な 懸 念 が 埋 め 込 ま れ て い る に は 違 い な い。 「心 を 労 す る」階 層 対「力 を 労 す る」階 層 と い う 構 図 の 継 いった「良心」のみに頼る見解を否定するところにあるとは言え、ここには、知識人が抱えている負の遺産そのもの

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。こ の 論 文 の 主 眼 は、知 識 人 が 自 ら の 責 任 を 自 覚 す る と

  「中国革命中之争論問題」においては、

「紳士式の生活」の問題はこの「智力労働者」を取り上げたくだりで一言触 れられたにとどまり、 「紳士式の心理」のように彭述之主義批判の文脈で相関する議論が展開されることはない。 「紳 士式の生活」の側面は、ここでは、一般的な知識人の特徴の一つとして呈示されていて、これがどの程度、党の活動 家 な い し 指 導 層 に 関 わ る 問 題 と 認 識 さ れ て い る の か は 不 明 で あ る

を確認する上で、微かではあるが確かな手がかりを残しているものとも思われるのである。 な性格の文書の中で「紳士式の生活」の問題も含む形で敢えて注意を喚起していたことは、瞿秋白の問題関心の持続 部層の「書生主義」的思考様式の指摘が中心となるのは、ある意味で当然だったと言えよう。だが、逆に、そのよう った以上、破産失業した紳士階層に由来する「新式知識階級」が革命陣営にもたらす悪影響として、もっぱら党指導

60

。中 国 革 命 運 動 の 戦 略 を め ぐ る 論 争 が 主 眼 で あ

(18)

三一八

注(

( 簡化字表記は日本における通用字体に置き換えた。 1) 瞿秋白「中国知識階級的家庭」、《瞿秋白文集》政治理論編第一巻(人民出版社、一九八七年)、一八頁。なお、文献名中の

2) 瞿秋白「知識階級与労農国家」、《瞿秋白文集》政治理論編第一巻、三六三―三七〇頁。

3) 瞿秋白「知識是贓物」、《瞿秋白文集》政治理論編第一巻、四〇―四六頁。

4) 前掲「知識階級与労農国家」、前掲書、三六三頁。

5) 瞿秋白「政治運動与智識階級」、《瞿秋白文集》政治理論編第二巻(人民出版社、一九八八年)、一―五頁。

6) 瞿秋白「多余的話」、《瞿秋白文集》政治理論編第七巻(人民出版社、一九九一年)、七一九、七二一頁。

( 八七頁所収。 国革命運動」は同第三巻(人民出版社、一九八九年)、七六―九八頁、「国民革命運動中之階級分化」は同第三巻、四五七―四 お、「中国資産階級的発展」は、《瞿秋白文集》政治理論編第二巻(人民出版社、一九八八年)、八七―一一〇頁、「孫中山与中 7) 瞿秋白「中国革命中之争論問題」、《瞿秋白文集》政治理論編第四巻(人民出版社、一九九三年)、四三四―五五九頁。な

8) 前掲「中国革命中之争論問題」、前掲書、五一二頁。

( 搾取しもしなければ、自分の労働を他人に搾取されることもない」存在と捉えている。 9) 同前。興味深いことに瞿秋白は、小資産階級の中でも「独立した」小商人や小手工業者らを、「幸いなことに他人の労働を

10) 同前。

11) 同前、五四四頁。

12) 前掲「孫中山与中国革命運動」、前掲書、八四―八五頁。

13) 瞿秋白「世界的及中国的赤化与反赤之闘争」、《瞿秋白文集》政治理論編第四巻、二九五、二九九頁。

( 巻、青木書店、一九七四年)、三七二ページ。以下、引用は日本語訳による。 Государственное издательство,1923,стр.334.ブハーリン著、佐野勝隆・石川晃弘訳『史的唯物論』(現代社会学大系第七 14Н. Бухарин, Теория исторического материализма: популярный учебник марксистской социологии, Москва: ) 

15) 同前書、三八三ページ。

16) 瞿秋白「国民革命中之農民問題」、《瞿秋白文集》政治理論編第四巻、三九一頁。

(19)

国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三一九 (

17) 彭述之「誰是中国国民革命之領導者」、《新青年》季刊第四期(一九二四年一二月)、一二頁。

( 八五頁。 18) 瞿秋白「北京屠殺与国民革命之前途」《瞿秋白文集》政治理論編第四巻、三七頁。前掲「孫中山与中国革命運動」、前掲書、

19) 前掲「中国革命中之争論問題」、前掲書、四五七頁。

20) 同前。

21) 前掲「政治運動与智識階級」、前掲書、二頁。

22) 同前、三―四頁。

23) 前掲「中国革命中之争論問題」、前掲書、四五二、四五七頁。

24) 前掲『史的唯物論』、三七二―三七三ページ。

25) 同前書、三七八―三七九ページ。

( として捉えている。 であるが、石濱の場合は「ルンペン・インテリゲンチャ」の激増を「資本主義の今日の段階が生んだ社会的必然現象」の一環 聞、一九三一年四月一五日―一七日)に見える。この文章も基本的にブハーリンの「ルンペン・プロレタリアート」論の紹介 四頁。なお、「ルンペン・インテリゲンツィア」という用語は、日本では石濱知行「社会遊離群の社会的意義」(大阪朝日新 26) 瞿秋白「《魯迅雑感選集》序言」、《瞿秋白文集》文学編第三巻(人民文学出版社、一九八九年)、九九頁および一一三―一一

( 七ページ。   革命』(未来社、一九七九年)の「終章歴史におけるブハーリンとブハーリン主義」から知ることができる。四八〇―四八 27) ソ連におけるブハーリン評価の概略については、スティーヴン・F・コーエン著、塩川伸明訳『ブハーリンとボリシェビキ

( 共(布)与中国革命麹案資料叢書第四巻、北京図書館出版社、一九九八年)、三―四頁参照。 28) 中共中央党史研究室第一研究部編訳《聯共(布)、共産国際与中国国民革命運動(一九二六―一九二七)下》(共産国際、聯   ハーリンの理論の影響が窺える。瞿秋白《餓郷紀程一三》、《瞿秋白文集》文学編第一巻(人民文学出版社、一九八五年)、 四年三月)、三二―三七ページで示した。その他、《餓郷紀程》の中での「社会心理」と「社会思想」との関係の叙述等にもブ 相違については、拙稿「上海大学時期の瞿秋白について(中)」、『茨城大学人文学部紀要(人文学科論集)』第二七号(一九九 29) 瞿秋白《現代社会学》、《瞿秋白文集》政治理論編第二巻、三九五―四八五頁。《現代社会学》と『史的唯物論』との対応と

(20)

三二〇

九三頁。(

30  ) 瞿秋白《赤都心史》「三五中国之〝多余的人〟」、《瞿秋白文集》文学編第一巻、二一八―二二〇頁。

31) 前掲「政治運動与智識階級」、前掲書、四頁。

32) 前掲「中国革命中之争論問題」、前掲書、四五二頁。

33) 同前、四五六―四五七頁。

34) 四五七頁。また、孫文のあだ名であった「草薬郎中」(やぶ医者)という表現も用いられている。

35) 同前。

36) 前掲「《魯迅雑感選集》序言」、前掲書、九八―九九頁。

37) 前掲「中国革命中之争論問題」、前掲書、四五七頁。

38) 同前、五三八―五四三頁。

(北京 理論研究もせずにひたすら会議で「個人批判」を行っていた「訓練」の様子について述べている。鄭超麟《鄭超麟回憶録》 39) 鄭超麟は、旅莫支部内では、「師団長」(あるいは「教師」)のような「指導者」が「大衆」に命令したこと、また、活動も

東方出版社、一九九六年)、五七―六〇頁および六六―六八頁。長堀祐造・三好伸清・緒形康訳『初期中国共産党群像 1

 

  トロツキスト鄭超麟回憶録』(平凡社、二〇〇三年)、一二五―一二九ページおよび一四〇―一四二ページ。また、クートベの旅莫支部に倣って組織されたモスクワ中山大学の旅莫支部においても、その責任者任卓宣の「訓練」中心の指導方針が多くの学生の批判を浴びて旅莫支部の解散(一九二六年)につながったとされる。曹仲彬・戴茂林《莫斯科中山大学与王明》(黒竜江人民出版社、一九八八年)、四四―四九頁。(

くクートベやモスクワ中山大学での中国人留学生の有り様を諷刺しているものと推測できる。前掲注( 「研究のない『研究サークル制度』」という指摘に関連してカール・ラデックの評語が引用されているところから見ても、同じ KnijnitchestvoKrujkovshtcheraそれぞれ、(ママ)というローマ字表記のロシア語が、括弧書きで注記されている。また、 40)前掲《鄭超麟回憶録》、六〇頁。前掲訳書、一二九ページ。なお、瞿の文章中、「書生主義」と「研究サークル制度」には、

( あることに留意が必要である。前掲《莫斯科中山大学与王明》、四六頁参照。 知識階級の悪影響が取り除かれるべきだという観点は、旅莫支部の「訓練」重視の規則の中でも同様に強調されていたもので 37)参照。もっとも、

41) 前掲《鄭超麟回憶録》、五七―五八頁。前掲訳書、一二六―一二七ページ。

(21)

国民革命期における瞿秋白の知識階級観(陳)三二一 (

42) 同前、六〇頁。同前訳書、一二九ページ。

43) 前掲「多余的話」、前掲書、七〇四頁。

44) 前掲「中国革命中之争論問題」、前掲書、五四一―五四三頁。

45) 同前、五四〇―五四一頁。

46) 同前、五四一頁。

47) 前掲『史的唯物論』、四〇〇―四〇一ページ。

48) 同前、四〇一―四〇二ページ。

49) 同前、四〇四―四〇六ページ。

50) 瞿秋白「鄭訳《灰色馬》序」、《瞿秋白文集》文学編第一巻、二六九頁。

51) 前掲「中国革命中之争論問題」、前掲書、五四〇―五四一頁。

52) 前掲「政治運動与智識階級」、前掲書、四頁。

( る。一五七―一六三ページ。 コに関しては、A=ルナチャルスキー著・原暉之訳『革命のシルエット』(筑摩書房、一九七三年)の中に人物スケッチがあ 53) 瞿秋白「赤俄新文芸時代的第一燕」、《瞿秋白文集》文学編第二巻(人民文学出版社、一九八六年)二五六頁。なおベスサリ

( 主義批判」の思想である。 Machajski(、一八六六―一九二六。マハーエフはロシア語風に転訛した呼び名)等が唱えた、反知識人の傾向を持った「社会 54) 前掲「赤俄新文芸時代的第一燕」、前掲書、二五六頁。「マハーエフシチナ」は、ポーランド出身の労働運動家マハイスキー

cialism,Pittsburgh:UniversityofPittsburghPress,1989,pp.51,55.を参照。 MarshallS.Shatz,Jan Wacław Machajski: a radical critic of the Russian intelligentsia and so-要部分をなしている。また、 ,1910Объ Интеллигенцiиび六七―六八ページ。この書物(原題)は、「マハーエフシュチナとは何ぞ」と題する上篇が主 55) イワーノフ・ラズームニク著(三宅賢訳)『インティェリゲンツィヤ』(大日本文明協会、一九二四年)、四三ページ、およ ざ「専制体制」に代わる民主的な国家・社会を構築するにあたって、その権威主義的な秩序意識ゆえに「実質的には『インテ ら、「知的な誠実さ」「ラジカリズム」「モラリズム」といった独特のメンタリティをもった独自の階層であったと同時に、い 56) 長縄光男はロシアのインテリゲンツィアに関して、それがもともと特権を与えられた「圧倒的な少数」の国民に属しなが

参照

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