〈原著論文〉
高齢者と紙芝居
紙芝居の歴史とともに歩んだ人たち ※
堺 正 一※※
はじめに
筆者もいわゆる高齢者*の一人で高齢者施設の利用者とほぼ同時代の文化を共有している。
数年来ボランティアとして高齢者施設等で毎月定期的に紙芝居を上演している。認知症の兆候 が見られる利用者も少なくないが,私の持ち時間60分の間中集中し,互いに目と目が合いうな ずいたり,涙をぬぐったり,また時にはおなかを抱えて大笑いしたりなど,過剰とも思える反 応を見せてくれる。観客は例外なく昭和という激動の時代を生き抜いてきた人たちで,紙芝居
というメディアには特別な感情を持っている。(*WHOの定義:65歳以上)
筆者も家の近くの空き地にやってくる紙芝居に胸を躍らせた世代である。いわゆる街頭紙芝 居である。昭和15年生まれの山本武利はその著書で,双方向性,対面性をもつ紙芝居というメ ディアについて次のように述べている。
貧しい空間で,貧しい家庭の子が,貧しい予算でつくられたメディアに接した。しかし それは演じ手と観客が一体化しやすい双方向性,対面性構造を持つメディアであった。一 体化した両者にとって,一度その味を覚えると捨てられない。心理的・精神的に豊かなメ ディアとなった。紙芝居屋は子どもを喜ばせる工夫をした。かれらには戦後に見られた演 じ手よりも下町のオーラを愛する下町出身者が多かった。子どもはおじさんのパーソナリ ティーと同一化し,遊び仲間たちとおじさんの到来を毎日待っていた。手作りの作品を楽 しみ,おじさんの演技がすばらしければ,拍手を送る。おじさんも子どもの反応に敏感に 対応するパーフォーマンスを行う。そして終了後,子どもはその日の感激を仲間と共有し つつ,明日以降の展開を語り合った。紙芝居は彼らを心情的に結び付ける共感のメディア だったのである。観客と演者,観客と観客が,うら淋しい都市の空間を紙芝居の熱狂的な
※ZらθRεpoγご。πルかP切br1ηαηcεげんα襯面励。∫ノbr∫乃θ・49εゴーL醒ηg重層(αη2 3励α∫0ア喀伽∫θ4∫η∫ぬ。槻Erα 加」@αη一
※※shoichi sAKAI立正大学社会福祉学部社会福祉学科 キーワード:紙芝居,双方向性,高齢者,視覚障害者,合理的配慮
一1一
演劇的空間に変えた。(山本2000pp.158−159)
戦中,戦後を生き抜いてきた人たちは,ほぼ例外なく街頭紙芝居の影響下で育った人たちで ある。今日では紙芝居は主に保育所,幼稚園で教材として利用されているが,最近では高齢者 ケアの現場でも広く活用されるようになり,すそ野は拡大しつつある。
本レポートでは昭和という時代を生きた高齢者と紙芝居というメディアとの関わりについ て,ほぼ同じ時代を共有した筆者が一紙芝居実践者の立場から報告したい。
1.紙芝居上演レポート
ここ数年来,筆者は子どもから高齢者まで広い年齢層を対象に紙芝居を上演している。上演 場所も演目も観客層によって様々である。主たる対象を高齢者に,年間の上演回数は40回をこ
えている。
会場では子どもの頃の戦争体験を昨日のことのように語り出す者も多い。紙芝居と何十年ぶ りに出合い,戦争の悲惨さ,平和の大切さ,命の大切さを現代の子どもたちに語り継ぐことに よって,高齢者は自尊心,自己肯定感を高め,生きる喜びを実感してもらえるのではないか,
という期待を筆者はもっている。
筆者は心身に障害のある子どもの教育に長年携わるかたわら,紙芝居をはじめ,人形劇,ペー プサート,パネルシアター,絵本の読み聞かせに取り組んできた。その中で,特に紙芝居に着 目したのは,観客と演じ手とが向かい合う双方向の共同作業の結果として,「共感」のうえに 成り立つメディアという点である。演じ手が観客と対面し,その反応を確認しながら,紙芝居 の世界に招き入れ,共同作品としての紙芝居の世界を創り出すことができる。(まつい1998
pp.16−18, 2006 p.7)
観客を紙芝居の舞台に集中させることができるかは,紙芝居の特性を理解した演じ手が,観 客のニーズを読みとり,その上で演目を選択し,周到な準備がなされているかにかかっている。
いうまでもなく演じ手の力量が左右するため,実際に舞台を使っての事前準備は欠かせない。
あわせて,過去の入生を共に考える幕間のショートトークは観客の関心を舞台に向けるうえで どうしても必要である。
筆者が定期的に演じる場所は主に高齢者施設で,利用者の中には,90歳をこえる者から認知 症の兆候が見られる者も多い。
図1に見られるように,いわゆる 高齢者 たちは,昭和5年の紙芝居誕生から,第2次世界 大戦及び戦後の荒波をもろに受けながら,紙芝居の盛衰と共に歩んできた人たちである。当時 の子どもたちは街頭紙芝居に夢中になり,その後の学童疎開の厳しい生活の中で演じられる国 策紙芝居にわずかな慰めを見出さざるを得なかった。
そして終戦。人々は混乱のさなかに復活した「黄金バット」,「少年タイガー」,「丹下左膳」
一2一
図1 高齢者の生きた時代と紙芝居の変遷略年表
昭和元(1926)「立絵紙芝居」*業者増大 *現在のペープサートに類似 〃 5(1930)現在の形式の紙芝居(街頭紙芝居)誕生 急速に普及 「魔法の御殿」「黄金バット」他
〃8(1933)教育紙芝居登場する
キリスト教紙芝居「ダビデ伝」他5作品に続いて多数 仏教紙芝居
〃 9(1934)教材紙芝居登場 託児所,幼稚園,小学校
〃15(1940)街頭紙芝居衰退の傾向(ベテラン紙芝居師の出征が主因)
〃!6(!941)国策宣伝紙芝居の出現と急速な普及 「靖国の父」「翼賛紙芝居 コドモ隣組」他 〃20(1945)終戦とともに国策紙芝居消滅
(GHQの命令以前に保身のために自主廃棄)
〃21(1946)街頭紙芝居復活と隆盛
保育紙芝居・小学校教材紙芝居活用活発化 〃24(1949)東京の紙芝居師:3000人以上 全国で約5万人 〃26(1951)小学校での紙芝居の活用激減
(文部省による紙芝居の扱いが「備品」から「消耗品」になる)
〃27(1952)平和紙芝居登場「平和の誓い⊥平和教育とタイアップ 〃28(1953)テレビの出現と受像機の普及に伴い紙芝居衰退へ 好景気に伴い紙芝居師の転職顕著
〃32(1957)街頭紙芝居師の激減
(東京の紙芝居師:昭和31年2600人⇒32年800人)
〃34(1959)保育紙芝居普及に努力
〃35(1960)テレビの普及が100万台突破,紙芝居離れが進む 〃44(1969)紙芝居の復活,各種講座,セミナーの開催 ⇒各種手作り紙芝居コンクールの開催 平成元(1989)日本固有の紙芝居文化を外国へ普及活動 (ベトナム,ラオス)
平成13(2001)ヨーロッパ諸国へ普及活動 (オランダ,イタリア,フランス)
高齢者ケアとしての紙芝居開始 〃17(2005)紙芝居研究会等,各地で活動が活発化 〃25(2013)大規模な紙芝居研究会
(紙芝居サミット,全国紙芝居祭等の開催)
. 買
嵩飴者が生まれ︵育ち︑h生活しでぎた時代 .
3
等の街頭紙芝居につかの間の娯楽を見いだし,その人気は昭和30年代のテレビの普及まで続い た。(加太2004pp65−93)いわば紙芝居の歴史が,高齢者が歩んだ青春時代そのものなのである。
(石山2008p.115)これが高齢者が紙芝居に特別の思いを抱く理由の一つである。
2.なぜ私は紙芝居を演じるか
筆者は紙芝居を演じる理由を問われることが多い。「時代遅れ」「マイナーなメディア」「技 術も経験もいらない低劣なメディア」という先入観からか,好奇の目を向けらることがある。
たとえ高齢者の間で紙芝居に根強い人気があるとしても,それは単なる郷愁に過ぎないとの指 摘である。そこには世界に誇れる日本固有の伝統文化という認識はない。急速にデジタル化,
国際化が進む現代社会において,事実時代遅れでマイナーな情報メディアであろう。その単 純な手法は,映画やテレビのアニメに比較し,時代にそぐわないのではないかという意見であ
る。
一方,科学技術万能の風潮に対する疑問の声があがっている。アナログの持つ長所が見直さ れつつあるのも事実である。特に東日本大震災,福島原発事故はこれまでの我々の生き方その ものに疑問を投げかけている。
演じ手によって紙芝居を演じる理由は多様である。結果として地域おこし,高齢者ケア,情 操教育に資することがあれば好ましいことであるが,それはあくまでも結果であって,必ず
しも目的ではないと筆者は考えている。それでは演じる目的は何か。
特に高齢者に演じるときは,演じ手と観客,観客相互間が作品に対して共感し,そのコミュ ニケーションを通して,自尊感情や自己肯定感を高めることが,筆者が紙芝居を演じる動機と なっている。紙芝居は高齢者とともに 幸福感 , 充実感 を共有できる空間であり,時間である。
作品世界を共有する観客の生き生きした表情,目の輝きは何物にも代えがたい。思い出すのも 辛い波瀾万丈の戦争体験や明日への不安を紙芝居世界に昇華させ,今生きているという事実に 感謝と喜びを見いだすという他のメディアには見られない可能性がある。
目の前の観客と演じ手とが向かい合い,対面性・双方向性から生じる共感の中で,「画面」,「語 り⊥「抜き方」との絶妙なコラボレーションにより醸し出されるのが紙芝居独特の世界である。
これはテレビ,映画などの一方向のメディアでは作り出すのが難しい時空でもある。
戦火が激しさを増す中で紙芝居師は出征してしまい,また商売のもとである駄菓子が手に入 らなくなり,街頭紙芝居は急速に衰退していった。一方,政府や軍部は街頭紙芝居の人気と感 化力に目をつけ,そのノウハウを国策紙芝居の戦争プロパガンダに引き継ぎ,国民全体を戦争
に駆り立てる手段としたのである。
しかし,戦争遂行の道具と化した紙芝居であったが,この時代の唯一の 娯楽 として,子ど もから大人までの飢え乾いた精神を満たしていった哀しい現実がある。
昭和19(1944)年,政府は主に都市部の国民学校初等科の3年生から6年生の集団疎開を決
一4一
回した。その数45万から50万と言われている。親元を離れた学童たちは乏しい食糧の中で厳 しい集団生活を送らざるを得なかった。その不便な生活の中での最大の楽しみの一つが戦意高 揚のための紙芝居であった。(横須賀2008p.73)
75歳以上の高齢者は,遠い昔のことではあるが学童疎開先での紙芝居の経験を鮮明に記憶し ている。戦争が激しくなると,すでに街頭紙芝居は街角から消え,もっぱら地域の世話役や教 師たちが集会所や学校で演じる国策紙芝居だった。その「軍国美談」が子どもたちにとっては 唯一・最大の楽しみであり,心身共に成長盛りの子どもたちに戦争賛美の価値観・人生観を植 えつけていった。(鈴木2009pp.89−91)
そして,終戦とともに復員兵の就職難の影響で,手持ち資金なしに始められる職業として紙 芝居師は急増し,街頭紙芝居は勢いを盛り返したのである。
昭和初期に出現した街頭紙芝居は昭和30年代中ごろのテレビの急速な普及と好景気に逆比例 して衰退していった。しかし,紙芝居とともに苦楽を共にしてきた世代が高齢者で,潜在意識 として,その記憶は生き続けているのだろう。特に戦中戦後の体験を描いた作品に対しては,
B4版の小さな舞台にもかかわらず,食い入るように見入る様子からも,特別の存在であるこ とがうかがえる。
平和を訴える紙芝居への高齢者の反応は想像をこえるものがある。さらに最近では日本の古 典を扱った成人用の作品も出回るようになり,紙芝居は子どものための文化から,高齢者の文 化へと,さらに年齢を問わないユニバーサルな文化へとその領域を広げつつある。(石
山 2008 p,174)
3.紙芝居の概観
高齢者に紙芝居を演じるにあたって,他のメディアと比べ,紙芝居の独自性及び優位性は何 であるかを明確にしておきたい。高齢者の心をとらえて,半世紀以上も昔の感動を昨日のこと のように思い出させてくれる紙芝居の秘密を解き明かすためにも歴史と現状と課題の全体像を 把握する必要がある。
紙芝居の利便性の特質として次の5点があげられる。(船木・安藤2012p.30)
①形式が簡単で,いつ・どこでも,誰でも実演できる。
②経費もかからず,入手しやすい。
③小さな集団に対してメディアとしての効果を発揮できる。
④影響力が大きく,メッセージが伝わりやすい。
⑤児童の興味関心を引き出しやすい。
情報メディアとしては,きわめて単純でアナログであるために,短期間に,しかも容易に全 国に普及し,日本文化史上に前例のない大きな影響をもたらした。
現在の形式の紙芝居が誕生したのは,映画が明治29(1896)年に日本に入ってきてから,遅
一5一
れること30数年,昭和5(1930)年のことである。最初は駄菓子を売るために,客寄せとして 演じられ,続いてこの人気と感化力に目をつけたキリスト教やイム教関係者が布教用に紙芝居を 活用するようになり,保育現場などに向けても急速に普及していった。
昭和12(1937)年の日中戦争,さらに昭和16(1941)年の第2次世界大戦勃発により本格的 に戦争プロパガンダとして盛んに利用されるようになった。これがいわゆる国策紙芝居で,戦 争遂行のための皇国史観に基づく思想統制の手段として紙芝居は想像以上の役割を果たすこと になった。
終戦と同時に,国策紙芝居関係者はGHQの処罰を恐れて,自ら廃棄に走り,間もなくGHQ から廃棄処分命令が出された。そのため国策紙芝居は大量に印刷され全国に流布されていたに もかかわらず,現存するものはわずかである。(石山2008pp 114−115)
一方,戦争が激化するに従って衰退していった街頭紙芝居は,終戦直後からは引き揚げ者や 復員兵などの失業者にとって,手っ取り早い職業として復活した。東京都だけでも昭和30年代 のピーク時には3000名もの街頭紙芝居師がいた(全国では5万人)。
紙芝居師が生活していくためには,収入源である子どもたちの歓心をひこうと,次第に刺激 的な表現に満ちた作品が増えていった。一方では演じ手と子どもとの濃密なコミュニケーショ ンが確立し,エネルギッシュな上演は,子どもたちの心をつかみ,絶対的な人気を獲得したの である。
次第に低劣・俗悪な要素を含むいわゆる「エロ・グロ・ナンセンス(erotic+grotesque+non−
sense)」といった方向に走る紙芝居が登場し,教育上好ましくないとして,社会問題になった。
姑にいびられて死んだ母親の胎内で死肉を食って生まれてきたという「ハカバキタロウ」といっ た怪奇ものが続々と登場し,人気を博していった。(加太こうじ2004pp84−86)
この街頭紙芝居に対抗して,その有効な情報メディアとしての機能を取り入れた形で,教養 的,道徳的内容を意識したいわゆる教育紙芝居が台頭してくる。しかしテレビが登場する昭和 30年代初頭までは,街頭紙芝居の人気が衰えることはなかった。
戦中・戦後の混乱した時代,子どもは街角で,宗教施設で,学童疎開先で,地域の集会所で 紙芝居と深いかかわりを持ち,人々の記憶に深く刻まれていった。楽しみといえばこの紙芝 居だけであった。
ここで,鈴木常勝の研究成果を踏まえて,紙芝居を概観してみよう。(鈴木2009p.113)
紙芝居というメディアは①娯楽,②学習教材,③思想・文化の宣伝・普及に有効である。こ の図2における「演じ手の意識」は「芸人魂」と「指導者意識」の2つに分けられる。
芸人魂とは「観客を楽しませる心」である。昭和初期に始まった紙芝居草創期においては,
演じ手の中には映画トーキーの普及により活動弁士の職を失った者や元寄席芸人もいて,儲け ること以上に客を楽しませることに誇りをもって上演する姿も見られた。指導者意識とは「観 客に教え込もうとする姿勢」である。
芸人魂は紙芝居誕生以来の原点といってもよい。しかし,入気が高く,感化力に富む紙芝居
一6一
芸人魂
手作り紙芝居
演
紙芝居屋の紙芝居
手書き紙芝居
(演じる動機)
文化運動
宣伝紙芝居 国策・軍国紙芝居 左翼紙芝居 宗教紙芝居
演じ手の意識
教材紙芝居
→
指導者意識
〔演じる動機)
営 業
印刷紙芝居
図2 紙芝居の全体像
(鈴木常勝「紙芝居がやってきた1」を参考に筆者が作成)
は,教育,思想統制の有効な手段として,あらゆる場面で活用されることになった。
また演じる動機には「営業(利益追求)」と「文化運動(豊かな文化的素養の向上)」がある。
営業とは紙芝居制作者が収益をあげるために行う「紙芝居の制作・販売」や街頭紙芝居師によ る「駄菓子の販売」である。商売にならなければ紙芝居を作らないし,その収入で生活できな ければ廃業することになる。
比較的歴史は新しいものの,日本独自の文化であり,今日世界に進出しつつある日本の伝統 芸である紙芝居を概観した。偶然にもその歴史は現在の高齢者が歩んできた時代と重なり,そ のまま高齢者の人生とも言える。次に述べるように,筆者の紙芝居と紙芝居の幕間をつなぐトー クは過去と現在を結びつける役割として重視してきた。これが小さな思い出をきっかけに記憶 を掘り起こし,想像力を働かせるツールの役割を果たしている。
4.高齢者と紙芝居
平成26(2014)年現在で84歳の人が生まれた昭和5(1930)年に,今の形の紙芝居いわゆ る平絵(巻物や綴じた本ではなく一枚一枚バラバラな絵カード状のもの)が初めて紙芝居とし て登場した。これがいわゆる今日の紙芝居で,この手描きの原画だけの街頭紙芝居に続いて,
各種の印刷紙芝居が作られるようになり大量に流布するようになった。
その意味で,既に図1で示したように高齢者にとって,紙芝居というメディアは特別な意味
一7一
を持つ。以下,筆者の高齢者施設で紙芝居実践例を紹介する。
【高齢者施設での上演の例】
利用者の年齢は70代後半から90代で,いわば戦中,戦後に生きた世代である。いずれの施設 でも職員からは「利用者のほとんどは,認知症の兆候が見られるので,集中できるのはせいぜ い20分ぐらいのもの」との助言がある。しかし,実際に演じてみると,持ち時間の60分間は,トー クを交えた3篇ほどの紙芝居の上演で,あっというまに過ぎてしまい,長すぎるという印象は
ない。(遠山2006pp.134−135)
筆者の紙芝居上演の目的は「紙芝居セラピー」といったものではない。「娯楽」に徹し,観 客である高齢者と対面し,コミュニケーションを通して共感することである。高齢者の中には,
表情も乏しく,ただ漫然と余生を送っていると感じられる姿も見受けられる。今求められるの は,高齢者の自尊心,自己肯定感言い換えれば今生きていることへの充実感である。そのた め高齢者施設での上演は,高齢者が歩んだ時代背景を踏まえた配慮が求められる。
以下,筆者自身の紙芝居上演の流れと内容である。対象は通所して入浴,食事の提供機能 訓練介護等のサービスを受けている利用者である。
【上演例】
上演日時:平成24年12月14日 14:30〜15:30 上演施設:(社会福祉法人)Aデイサービスセンター 観客数:約40名(利用者35,職員5)
演目
(1)「フクチャントチョキン」作:横山隆一 日本教育紙芝居協会 昭和15(1940)年
(2)「大品謹から人々を救え!」(二宮金次郎が成人してからの活躍を題材とした紙芝居)
制作:神奈川県 平成20(2008)年
(3)「なんにもせんにん」作:巌谷小波 童心社 平成12(2000)年 展開
(1) 「フクチャントチョキン」(国策紙芝居)の上演 ・上演前の一ロトーク
戦後『毎日新聞』に連載された4コマ漫画「フクちゃん」(1956〜1971年連載)の話題 を提供する。戦前にも「フクチャントチョキン」といった国策紙芝居があったことを紹介 し,演者と観客観客同士がともに生きた戦前戦後の混乱した時代を振り返る(観客ほぼ 全員からこの漫画の主人公及び作者・横山隆一のことを思い出し,「懐かしい」という声 があがる)。
・紙芝居の内容
戦争遂行には軍艦や飛行機や弾を造るのにお金が必要である。それを聞いたフクちゃん
一8一
は,貯金することを思いつき,節約して貯金はどんどん増えていく。お爺さんにすすめら れて,フクチャンは「支那事変国債」を買う。紙芝居は日本人みんなが心を合わせ,
一億一心貯金をして,戦地で戦っている兵隊さんのお役に立とうと呼びかける。
・上演後の一ロトーク
小さな子どもにも,戦争遂行のためにお国に役立てる人間像を目標に掲げていた時代も あったことを互いに回想し,戦中・戦後の社会に思いを馳せる(ここでは,詳しい内容に 触れず苦しかった戦時体験への共感と平和の大切さを確認するにとどめる)。
(2)「大錦饅から人々を救え!」の上演
・上演前の一口トーク
尋常小学校(国民学校)には,二宮金次郎の銅像があったこと,戦争が始まると銅像は 武器を造るために供出してしまったために,今ではほとんど見られなくなってしまったこ とを回顧する。尋常小学校の修身教科書(巻3)に二宮金次郎のことが比較的詳しく載っ ていること,唱歌教科書の中にも出てくることを伝える。修身の教科書の現物を提示し,
その一部を朗読し,小学生のころを思い出してもらう。
・紙芝居の内容
(神奈川県制作の紙芝居)
二宮金次郎が成人後,各地で飢謹に苦しむ人たちを救ったという史実と報徳思想につい て考え,日本の偉人に思いを寄せる。
・上演後の一塁トーク
「尋常小学唱歌(巻2)」から「二宮金次郎」の歌詞をプリントし,配布する。全員で大 きな声で歌う。明治時代の唱歌にはこの歌とは別に「二宮尊徳」があったことを伝え,日 本人にとっていかになじみの深い人物であったかを回顧する。
(3)民話「なんにもせんにん」の上演
・上演前の一口トーク
小学校低学年向きの懐かしい民話であるが,明治の代表的児童文学者の作品で,年齢を 問わず親しめる。比較的堅い印象の「大飢饅から人々を救え!」を見て多少疲れを覚えた 後なので,ほっとできる作品で気を楽にして鑑賞してもらう。
・紙芝居の内容
働くのが嫌いな若者が,怠け者の精にとりつかれて自分の家まで奪われそうになった。
そんな中で汗をかいて働くことに喜びを見出した時その貧乏神の「なんにもせんにん」
は逃げ出したという民話調の童話で,汗を流し働くことの喜びを扱った子ども向きの作品 だが,年齢を問わず楽しめる。
・上演後の一望トーク
一9一
若いころ働き詰めであったという高齢者に,今健康でいられること,生かされているこ との喜びを分かち合い,次回の紙芝居でも,みんなが元気で,再び会えることを約束して 終わる。
【上演後の感想】
この実践から,予想以上に高齢者は紙芝居に集中して鑑賞していることがわかる。鑑賞態度 及び反応はまちまちに見えるが,食い入るように紙芝居に見入る人,涙を流して紙芝居の世界 に浸っているなど,思いは様々である。しかし,生きた時代の社会背景を共通に持ち,演じ手 と観客が向かいあって共感の世界を共有できたとき,思いがけない反応に出合うことは珍しく
ない。
紙芝居が終わった後「おれは50銭もって紙芝居を見に行ったものだ。」という声があがる。「わ たしのときは5銭」「おれは1銭だった」という声と同時に,こどものように目を輝かせて紙 芝居屋が売る駄菓子の話に花を咲かせ,当時の話題に話がはずむ。水飴,酢イカ,酢コンブ等々 の声が…。水飴を2本の箸でこねる仕草をしながら説明する人もいる。「おれのうちは貧乏だっ たから,いつも ただ見 [」
あるとき同じ会場で演じた「お茶にしましょ」という紙芝居の画面に丸い ちゃぶ台 の絵が 出てきたことがある。「なぜちゃぶ台は丸いのか」を問いかけてみた。そして筆者が「昔は家 族が多かった。だから5人の家族でも8人でも,10人をこえても,ちゃぶ台が丸ければ何人で も一緒に食事ができるから…」と説明すると,うたた寝していたと思われた102歳の男性が大 きな声で「それだけじゃないよ。俺たちが小さいころは一つ部屋が寝室だったり,居間だっ たり,食堂だったり,なんにでも使うから,ちゃぶ台は毎日出したり片付けたりの繰り返しだ から,丸ければコロコロ転がせてらくに出し入れができるからだよ。」この時の観客の顔はみ な輝いている。
同様のことがたびたび見られる。「な一るほど。さすが人生の大先輩1」見ていないようで も紙芝居はしっかり「見て」いたのだ。紙芝居には不思議なカがあるようだ。
5.平和を考える紙芝居
終戦を迎える8月は特別な月である。戦時中の苦しい体験のある高齢者を対象に演じる時,
観客の関心は極めて高く,演者と観客,観客同士の共感が持てるテーマである。筆者が日頃上 演している平和に関わる紙芝居を整理してみよう。
(D 国策紙芝居(戦争協力紙芝居)
第2次世界大戦中,国策紙芝居の国民への感化力は絶大なものがあった。終戦直後,GHQ
は国策紙芝居が国民を戦争に駆り立てる重要なメディアであったことにはじめて気づき,戸惑
一10一
いをかくさなかった。
GHQは新聞や放送などの主要なメディアに対して事前の情報収集と分析が周到におこなわ れ,占領一ヵ月ほどの間に敏速に発行禁止・活動禁止の対応をした。一方,紙芝居というメディ アについての実態の把握は皆無に近く,その影響力の大きさに慌てふためいたのである。(山 本2000pp.3−8)
昭和12年に日中戦争以降政府の意向を受けた紙芝居出版元が,戦争遂行のための思想統制 のために,戦争プロパガンダを意図した作品を次々に出版した。1作品だけで1万7千部も印 刷流布されたものもあり,観客動員数1800万人に達するケースもあった。(山本2000p54)
終戦直後,GHQによる処罰を恐れ,出版関係者は自ら大量の紙芝居を廃棄し,続いてGHQ から廃棄命令が出されたため,全国に出回っていたほとんどの紙芝居が廃棄され,現存する数 はごく限られている。
筆者所蔵の国策紙芝居の中から次の4点を紹介する。いずれも戦前の日本の国家体制の基礎 と価値観について国民を徹底的に教化する意図で作られたものである。街頭紙芝居の人気とそ の感化力をもつノウハウを,戦意高揚のために学校,地域社会の隣組等でも活用したものであ
る。
・「微笑む三野」:日本軍が進出した中国の人たちの宣撫工作*に使命を負った女医の姉と軍 人の弟の人生を通し,日本軍の中国進出の正当性を訴える作品。東亜国策絵芝居協会制作 (*占領地区の住民に占領政策を理解させ人心を安定させること)
・「家」:戦前の日本の国体の礎である家制度取り上げ,国のためにすべてを奉げることの意 義を訴えた作品。「家を守る」ということから「国を守る」ために命を奉げる心構えの大 切さを説いている。家族愛というテーマを通して,人々を戦争遂行に導く作品である。日 本教育紙芝居協会制作
・「櫛」:極貧の母子家庭に育った小学生が,運動会のために新しい運動服を母にねだるが…。
母は祖母の形見の櫛を売り,その金で運動服をそろえる。成長した少年は出征し,戦闘の 合間に,よく似た櫛を見つけ,感謝の言葉を添えて日本の母のもとに送る。どんなに苦し くても日本国民として戦争遂行に協力することを義務として描くとともに,この母と子の 深い情愛が強い日本兵の源になっていることを訴えている。日本教育紙芝居協会制作 ・「神風の飯沼正明」:日本と西欧をつなぐ南方空路の開発に成功した日本人飛行士と科学日 本の粋を集めた純国産の優秀機『神風』を紹介し,日本人の優秀さとこの飛行士が,最後 は御国のために戦死したことを賛美する戦意高揚のための作品。日本教育紙芝居協会制作 いずれも戦意高揚戦争協力を目的としており,いわゆる平和紙芝居ではないが,第2次世 界大戦を振り返り,平和を考える教材という意味で意義のある作品である。日本人を戦争に駆
り立てる重要な役割を担った国策紙芝居である。
一11一
(2)街頭紙芝居
戦争が進むにつれ,紙芝居師は出征し,その数は激減する。同時に街頭紙芝居の画家たちは,
国策紙芝居制作に引き抜かれてゆき,街頭紙芝居は急速に衰退していった。戦争の残酷さを描 いた自由社制作の街頭紙芝居「平和への祈り」は,広島の原爆による被災を生々しく扱った作 品である。しかし,それはあくまでも子どもを集めて,駄菓子を売るための手段であったが,
戦後間もなくの国民の反戦・平和への強い願いをよく伝えている。今日の平和を考える教材と しても貴重である。
(3)印刷紙芝居
(*街頭紙芝居が手描きの原画!点の流通だったのに対し,印刷され,広く流布した紙芝居を「印 刷紙芝居」という。)
国策紙芝居もこれに該当するが,ここではその他の印刷紙芝居について述べる。昭和23年の
「鐘の鳴る丘」(菊田一夫原作 日教組推薦),25年の「この子を残して」(永井隆原作)などが ある。(船木・安藤編2012p,64, p.78)日本国憲法の平和主義が熱く語られた時代を反映して,
いずれの作品も戦争の悲惨さを訴え,平和を願う内容であり,高い文学性を持つ作品である。
筆者が「この子を残して」を上演した時のこと,ある女性は涙をぬぐい,ある人は目頭を押 さえ「戦争はまっぴらだよ。永井先生と私の人生は同じ1」と漏らした一言が印象的であった。
(4)現在の平和紙芝居
平和憲法のもとでは,同様に反戦・平和の重要性を伝えるメディアとして,今日でも大いに 活用されている。一般に平和絵本は子ども対象であるが,平和紙芝居はたとえ子ども向けのも のであっても,年齢に関係なく全世代を対象に演じることができる。いわゆる「平和紙芝居」
という領域が,確立されているといってもよい。
代表的なものとして,童心社の「平和かみしばいシリーズ」の3点を挙げておく(いずれも 2005年発行)。高齢者が目を凝らして鑑賞できる作品である。高齢者が食い入るように見入っ ていた作品である。
・「二度と」:松井エイコ 脚本・絵 1945年8月,世界初の原子爆弾が広島と長崎に落とさ れ,人も動物も何もかもが命を失った。もう二度と原爆を落とさないで1と悲痛な叫びを あげる。小学生以上であれば,年齢に関係なく鑑賞できる作品。
・「のばら」:小川未明 原作,堀尾青史 脚本,二つの国の国境をそれぞれ守っている年寄 りと若者の兵隊は,ふとしたことで仲良くなった。戦争が起きて敵同士になった二人は…。
戦争の不合理を訴える。子ども向けの作品。
・「平和のちかい」:稲庭桂子 脚本,佐藤忠良 絵 1945年8月6日,世界で初めての原子 爆弾が広島に落とされた。25万人以上の犠牲者。その子ども達の体験から平和への祈りを 語りかける。
一12一
(5)「かわいそうなぞう」の紙芝居と平和教育
この童話「かわいそうなぞう」は平和教育の教材としても多くの学校で用いられてきた。国 語教科書にも載り,外国でも出版されているベストセラーである。
童話と絵本は今日でも複数の出版社から刊行されている。しかし紙芝居版の「かわいそうな ぞう」はまったく手に入らなくなった。在庫がなくなったためではない。このベストセラーの 一つである紙芝居「かわいそうなぞう」を紙芝居界から引き揚げられたと考えるのが妥当であ る。理由を考えてみたい。
各地で平和紙芝居コンクールが開催されるなど,紙芝居関係者は平和問題には特に関心を 払ってきた。印刷紙芝居関係者がこぞって,戦争遂行に協力する国策紙芝居を出版し,そこか
ら生活の糧を得ていた史実に対する反省にある。
教育紙芝居界のリーダーの一人であり,前述の「平和のちかい」の脚本を担当した童心社編 集長の稲庭桂子は長い紙芝居人生を振り返って次のように述べている。
「…それでね,決心したんです。残るいのちを,愛するすべての人たちを奪った戦争をに くみ,平和をまもるために,ほんの小指の先ほどでも役立てようって,おのれを捨てるこ とが,その時点でのおのれのねがいだったんですね。できることはたった一つ,戦前から やってきた紙芝居,だれも引き受けてのない縁の下の力持ち……それで,はまりこんだん ですね。…」(大賀編1978pp29−30)
戦前の紙芝居が果たしてきた戦争プロパガンダの役割の反省に立って,「平和を守るために
…役立てよう」という思いが多くの紙芝居関係者の問で今日まで引き継がれている。
実は,童話「かわいそうなぞう」(土屋1982pp7−16*初版本1970年金の星社)には重要な 部分の歪曲が見られること,それに加えて戦時中は作者が軍部等の意向を受けて紙芝居を統制 する責任的地位にあったことが指摘された。終戦とともに,一転して平和をうたう童話を書い たのである。しかし,あの時期に上野動物園の猛獣を殺害しなければならない逼迫した状態に なかったこと,政府の命令ではなく,東京都の役人の指示よって戦争の緊張感を高め,戦意を 高揚することが目的での殺害だったことが明らかになった。(鈴木2009pp.110−1!9)この事実 はNHK特集「そして,トンキーもしんだ一 子が父からきくせんそうどうわ一」(1982年8月 13日 総合テレビ)によって広く知らされた。(たなべ1982p36)
童心社の紙芝居「かわいそうなぞう」が販売中止になったのとほぼ同じ頃,インターネット 上にあった別の「かわいそうなぞう」の紙芝居も削除されている。
史実と異なる記述があることを指摘されて久しい。NHKが大々的に取り上げ,全国に放送 され,話題になったケースなので関係者が知らないはずはない。
2013年8月15日(木)TBSラジオで,96歳になった秋山ちえ子が,平和を訴えるために,例 年通り,この童話「かわいそうなぞう」を生放送で46回目の朗読をした。紙芝居の世界と他の メディアとの戦争・平和に対する温度差は顕著である。絵本は相変わらずベストセラーを続け,
二百数十万部を売りあげている。
一13一
紙芝居と他のメディアとの違いは,戦争遂行に多くの国民を駆り立てるうえで重要な役割を 果たしたという史実に対する反省による。「かわいそうなぞう」の作者は,日本少国民文化協 会に勤務し,国の戦争遂行という方針にそぐわない紙芝居をチェックし,排除する責任を負っ ていた一人であったという事実にもかかわらず,稲庭のような戦争協力への後悔と反省を踏ま えた平和への決意は見られない。
(6)戦争を振り返る紙芝居
終戦記念日を迎える8月の紙芝居公演は,特に高齢者対象の場合,つらかった戦時中の話題 を避けては通れない。
雲母書房発行の「老人ケア紙芝居シリーズ」の「峠の老い桜」(2011),「父のかお母のかお」
(2010)の2作品に対しては,高齢者の興味関心は高い。戦中戦後の苦しく,悲しい思いを体 験者自身が描いているため,自分の過去と重なり,共感するためである。また,その平和を願
う人々の思いに観客も演じ手も共鳴することが上演そのものを盛り上げている。
「父のかお母のかお」の脚本を書いたときわひろみは,その作品のコメントの中で次のよう に述べている。
(高齢者に)むかしの話を聞くと決まって出てくるのが戦争体験。戦争を知らない世代に は想像もできないような事実が昨日あったかのように,次から次へと語られます。人をめ ちゃくちゃにした悲しみと怒りの根源になった戦争,思いはいつもそこに帰るのです。し かし,どの人も最後はきっと「戦争はもうこりごりだ。平和がいいよ。」と言葉を結びます。
戦争のことをまったく知らないではお年寄りを本当に理解するのは難しいことです。(と きわ2010紙芝居4枚目)
戦後に育ち,戦争の悲惨さを知らない世代の人たちが戦争体験者から,話を直接聞くことは 有意義である。一方,高齢者には戦争を知らない世代に語り継ぐ大切な役割があることを伝え ることも,筆者の責任であると考えて演じている。この高齢者のほかには伝えることができる 人たちはいないからである。
話題が戦争・平和に移ると,普段とは違った表情を見せる高齢者の姿がある。平和問題は忘 れられない体験であり,決してあの悲惨な時代を繰り返してはいけないといった高齢者の願い と訴えは社会資源としても貴重である。そこには高齢者の自尊心,自己肯定感,自己有用感を 自覚し,満たされた表情が見られる。
いわゆる「平和紙芝居」とは何か,という質問に答えるのは難しい。世界平和の問題戦争 反対をストレートにテーマにした紙芝居だけが平和を語り伝えるとは限らない。平和の大切さ を学び,戦争のない世界の創出に資する紙芝居を「平和紙芝居」と称するとするならば,日本 がなぜ無謀な戦争に突入していったか,国民がそれを止めることができなかった背景を伝える 国策紙芝居は貴重な史料である。
さらに①街頭紙芝居に描かれた戦争の悲惨さ,②戦後の反戦平和を訴える紙芝居,③市販の
一14一
いわゆる 平和紙芝居 ,それに④戦争体験者である高齢者のケアを目的とした紙芝居も「平和 を考える紙芝居」として貴重な学習教材である。今後の資料の整理が望まれる。
6.視覚障害者と紙芝居
視覚障害者が演劇,映画,テレビ等を鑑賞できるための配慮は徐々に進んでいる。しかし,
いずれも一方向性のメディアであり,副音声による登場人物や情景の説明である。紙芝居の特 性は演じ手と観客の間の対面性と双方向性にある。この観点から,双方向のコミュニケーショ ンを前提に演じられる紙芝居は,視覚障害者にとってのバリアを改善できる可能性がより大き いと思われる。
もともと街頭紙芝居の裏面の説明文は,あらすじがメモ書き程度に記されているにすぎず,
ときには説明文はなく白紙状態であった。紙芝居では説明文を「読む」とは言わず「語る」・「演 じる」と言うのは紙芝居師が想像たくましく大胆に演じ,臨場感を盛り上げるからである。こ れが子どもたちを紙芝居の虜にしたのだ。(戦争を遂行するための国の意向を国民に伝えるこ とを目的とした国策紙芝居では,アドリブは禁止され,演じ手は舞台の裏に隠れて裏の説明文 を忠実に,しかも淡々と読むことを求められた。安易な方法でもあるため,一部の教師が今日 でも,この演じ方に頼っている。)
筆者は全盲の堀越善晴さんの美術鑑賞の感想に一つのヒントを得た。その一部を引用したい。
わたしは全盲ですが,美術館に行って絵を見るのが好きです。見える人と一緒に行って説 明をしてもらい,自分でイメージをふくらませます。そのさい,客観的で技術的な説明は あまり用をなしません。できるだけ主観的で感覚的なもの,例えば,作品の前で「わっ」
と言って,飛び上がってほしいのです。(用美社1985p94)
筆者は全盲者の「見るのが好き」という思い,臨場感を共有する思いを大切にして,これか らも紙芝居を演じていきたい。
(1)視覚障害者が紙芝居を鑑賞することは可能か
紙芝居は物語の場面をバラバラの何枚かの紙に描かれた絵を一枚ずつスライドさせて,見せ ながら,語り聞かせる演劇的パーフォーマンスである。絵と脚本と演じ手の三者が一体となっ た演芸で,その要素の一つが「絵」であるため,一般的には視覚障害者には無縁な表現形式と 考えられてきた。
筆者は埼玉県深谷市にある盲老人ホームで開催された第3回全国盲人演劇祭において視覚障 害者を対象に紙芝居を演じたが,この試みはある種の常識への挑戦であった。主催者から依頼
を受け,ためらいながらも上演を引き受けたのには,次のような理由がある。
紙芝居は絵がなければ成り立たない演芸である。一方,臨場感のある演じ方をするには図3
−15一
① 声
・会話(せりふ)
・語り(地の文)
・擬音・擬態
臨場感
② 間
・息継ぎの間
・話が変わる間
・ドラマを生かす間 ・余韻を残す問 ・期待の間
③ 抜き
・抜く ・サッと抜く ・ゆっくり抜く ・途中で止める
・動かす
・上下・左右・前後・揺らす・回す
図3 紙芝居の 臨場感 を演出する基本
(子どもの文化研究所2011p22,長野ヒデ子2013 pp.13−20所収の右手和子氏の研究成果を参考に筆者が作成)
が示すように「声」「間」「抜き」が3要素としてあげられる。特に声と問の取り方が上演の成 否をにぎっている。目からの情報収集が難しい視覚障害者に,絵による以外の方法で,どのよ
うにカバーできるかの課題である。
(2)臨場感をいかに視覚障害者に伝えるか
視覚障害者が紙芝居を鑑賞するための,いわゆる合理的配慮について考えてみたい。
紙芝居には視覚以外からは登場人物・背景等の情景を理解するのが難しいと思われる場面が ある。その場合,言葉による説明,拍子木,オノマトペや画面の微小な動きから出る臨場感を 意識的に高めることにより,欠ける視覚情報をある程度補えば,視覚障害者も紙芝居の鑑賞は 可能,との仮説をたてた。これを実証するために,筆者が盲人演劇祭で紙芝居の上演を試みた。
その根拠の一つになった資料は,下記の厚労省のアンケート調査の結果である。
日常生活に必要な情報の80%以上は視覚を通して取得していると言われ,視覚障害が情報障 害と言われる理由である。一方,視覚障害者が日常的にテレビから多くの情報を得ていること は周知の事実である。
視覚障害者の情報源を調査した厚生労働省による「平成18年身体障害児・者実態調査結果」(複 数回答)がある。
1位 テレビ(一般放送)66.0%
一16一
2位 家庭・友人 55.7%
3位 ラジオ 49.3%
4位本・新聞・雑誌26.9%
5位 録音・点字図書 14.8%
テレビの一般放送がラジオの1.4倍近いという事実は意外であるが,全日本視覚障害者協議 会会長の山城完治氏は「テレビはラジオよりも番組が豊富。ニュースも原稿を読むだけのラジ オに比べ,臨場感がある」ことをその理由にあげている。視覚障害者にとっても視覚情報は,
決してゼロではないのである。
映像情報が主流のテレビ視聴が視覚障害者にとって他のメディアより多い理由の「臨場感」
について注目してみたい。図3の紙芝居を演じる際の「臨場感」を演出する基本が示すように
①声,②問,③抜きの機能的統合があって初めて本来の紙芝居の特性が発揮できる。この臨場 感は,紙芝居が特有の演者と観客との対向性と双方向性を持ち合わせたメディアであることか
ら,いっそう高めることが可能になる。演者と観客,観客同士の共感のエンターテインメント であることを考えると,視覚障害者にとって,困難を伴うにしても紙芝居は有効な情報メディ アの一つと考えることができる,というのが,筆者が今回の視覚障害者に紙芝居を演じること になった主な理由である。
(3)中途失明と先天盲について
一口に視覚障害者といっても障害の状態は一人ひとり異なる。生まれながらに目が見えない 先天盲と,ある時期まで見えていた中途失明とでは視力以外の感覚を用いての情報収集にして
も大きな違いがある。
紙芝居の鑑賞において,少しでも「見る」という経験をした途中失明者と生まれながらに「見 る」という経験のない人ではその差は大きい。目の不自由な人は見える人より,視覚以外の感 覚が洗練されていることは広く知られていることである。
目も耳も言葉も不自由であったヘレン・ケラーが,自然の美や芸術を愛し,音楽を愛したと いう事実には,無限の可能性を覚え,勇気を与えられる。
失明した時期も重要である。発生時期は,人生の半ばの40歳代からの発生が最も多く,全体 の40%を超えている。(厚生労働省「平成13年度身体障害児・者実態調査」)また,年齢分布は実に 40歳以上が全体の80%を,60歳以上だけでも60%を超えている。
視覚障害者全体では,事故や病気のために中途失明した者が多く(85%以上),60%以上が 40歳以上で視覚障害者になった人たちである。生まれながら,または3歳未満に失明した割合 は10パーセント程度であり,90パーセントの視覚障害者はものを見た経験があると言われてい る。失明以前に取得した視覚情報量に比例して具体的情景をイメージできるので,若干の説明 をくわえることにより紙芝居の世界に入りやすくなる。
例えば「大きな鳥居が見える」という説明も,過去に鳥居を見た経験がある中途失明者にとつ
一17一
ては,情景を思い浮かべるのは容易であるが,生まれながら,あるいは幼い時に失明した人に は,正確なイメージをもつのには困難が伴うことはやむを得ない。
さらに,筆者は場面に応じたきめ細かな合理的配慮によって,いっそう紙芝居の鑑賞が可能 になるという仮説をたて,視覚障害者を対象とした上演を試みた。
(4)全国盲人演劇祭での紙芝居上演
全国盲人演劇協会主催の「第3回全国盲人演劇祭」での筆者の紙芝居上演の体験報告し,課 題を振り返ってみたい。
筆者は特別出演ということで,紙芝居「生きているってすばらしい! 一丁保己一の青春一」
を上演した。(*他の紙芝居部門出演者は視覚障害者)脚本,絵とも筆者の手作り紙芝居で,内容 は江戸時代後期に活躍した全盲の学者の青春時代に受けた いじめ , 差別 を乗り越え,輝い た人生を送ることができた物語である。観客のほとんどは視覚障害者であるため,盲目の大学 者・塙保己一についての情報を持ち合わせているという点で,鑑賞のレディネスはできていた。
【作品のあらすじ】
目も耳も言葉も不自由だった世界的偉人,あのヘレン・ケラーが人生の目標とした日本 人がいた。その人の名は塙保己一。江戸時代後期に活躍した全盲の学者で,今から270年 ほど昔,現在の埼玉県本庄市の農家に生れた。幼くして失明したが,江戸に出て学問の道 に進んだ。
目が見えないために,ときにいじめられ,差別され,数えの16歳のときには将来を悲観 して,自殺未遂事件を起こしたこともあった。今でいえば中学3年生か高校1年生の年齢 である。しかし,ある出来事を境に大きな夢に向かって歩み始めた。
その青年時代の辛い経験の中から,《世のため,後のために》生きようと決意し,その 後の人生は輝いたものになった。日本各地に出向いて,散逸のおそれがある貴重な本を探 し出しては,後世に確実に伝えていこうと,苦労の末に出版したのが『群書類従』という 670冊からなる大文献集である。
これは日本の文化史上前例のない偉業であり,あまりにも大きな文化事業であったため に,目が見える学者たちでさえ誰一人手を付けようとしなかったのである。
(5)紙芝居の上演を終えて
観客が視覚障害者であり,紙芝居というメディアの主要部分の一つが「絵」であるというの が最大の課題である。福祉施設職員の石井良信さんは次の言葉は一つの手掛かりになる。「紙 芝居は心で見て,心で聞く。ですから視力障害の方も,聴力障害の方も,深い認知症の方にも
しっかり伝わるのです。」(遠山2006p.136)
上演の結果はどうであったか。盲学校の生徒及びその卒業生,中途失明者,一般客としての 高齢者の反応を見てみたい。
一18一
伝統的に通常の紙芝居はB4版(25.7 cm×36.4 cm)であり,観客は小さな舞台を囲んで至 近距離から鑑賞することを前提にしている。適性観客数は,状況にもよるが40名程度と考えて いるが,当日は240名定員のホールに分散して着席していた。視覚障害者でなくても,後部座 席からは画面を見るのは難しい。
しかし,視覚障害者を意識して,できるだけ会話中心にストリーを組み立て,画面でなけれ ば伝えられない個所は言葉で説明を加え,場面の転換時には拍子木を打ち,意識的にオノマト ペを活用するなどの「臨場感」を高める配慮をした。
その結果,演じ手である筆者には上演中の会場からの反響は感じることができた。テーマも 全盲の学者が青年時代の差別等の辛い経験を乗り越え,輝く人生を全うしたという逸話であっ たためか,視覚に障害のある観客の反応も感じ取ることができた。後部座席の晴眼の高齢者か らも,むしろわかりやすかったとの感想を聞くことができた。視覚障害者を意識した上演で,
図らずも障害のない高齢者からのそれ相応の評価を得ることができたのは収穫であった。
この結果から,次のような一応の結論を得た。
①紙芝居は必ずしも視覚障害者に無縁な情報メディアではない。何らかの配慮をすること によって,視覚障害者も晴眼者とともに紙芝居の鑑賞に参加できる。
②視覚障害者に配慮された紙芝居上演は,高齢者や子どもにとってもわかりやすい。いわ ばユニバーサルデザインの理念とも合致するものである。
今回の上演によって,少なくとも合理的配慮があれば可能であるという方向性を見い出す きっかけとなった。まだ緒に就いたばかりで,海のものとも山のものとも言えず,見極めはで きない。しかし,今後とも,この挑戦を続けていく意義は実感しており,試行錯誤を繰り返し ながら,進んでいこうと考えている。
おわりに
筆者は,認知症の兆候が見られる高齢者,知的障害者,視覚障害者等に紙芝居を上演してい るが,朗読絵本の読聞かせ,ビデオ鑑賞等とは異なる観客の反応を実感している。その主な 理由の一つは紙芝居がもつ対面性,双方向性による豊かな臨場感の創出にある。
もう一つの理由は,現在の高齢者の生まれ育った時代と社会が,紙芝居の歴史とそのまま重 なるという事実である。本レポートでは,特に平和への願いを戦争を知らない世代に伝えるこ とによって,高齢者の自尊感情,自己肯定感を高めるうえで果たす紙芝居の役割を,筆者の実 践を中心に述べた。波瀾に富んだ人生を乗り越えてきた先輩たちに輝いた人生を全うしてほし いとの願いからである。
高齢者施設の利用者の多くが,年齢相応の特徴が見られ,集中できるのは20分程度と施設職
員から聞かされているが,実際には60分の上演が終わると,「もう,終わり1?」との表情を見
せることも珍しくない。上演の合間のわずかな時間の筆者のトークが紙芝居の内容理解には有
一19一
効なのではないかと感じている。だれにとっても波瀾万丈の昭和という時代を生きてきた高齢 者に,当時の紙芝居ほど心を湧き立たせる思い出はないのだろう。
街頭紙芝居の終わりの口上は決まって「続きは,明日のお楽しみ1」であった。高齢者施設 利用者のほぼ!00%が,この口上に胸をふくらませ,紙芝居のヒーローに明日も会えることを 楽しみに子ども時代を送った人たちである。街頭紙芝居の中には「黄金バット」のように全巻 で1000回から3000回以上もシリーズで連続した理由は,この点にある。街頭紙芝居には観客を 引きつけ離さない「明日につなぐ希望」という魅力が内包されていた。紙芝居はそのDNAを 受け継いでいることを,誰もが無意識に受け止めていると感じるのである。
この わくわく感 こそが,明日への生きる希望へつながるものである。高齢の方たちに1日 1日をこんな思いで送っていただくことを願って,筆者は紙芝居の上演を,今後も続けていく つもりである。
【参考文献】