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生活保護ケースワーカーの 資格制度に関する歴史的考察

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要 旨

 本稿では,日本における生活保護ケースワーカーの資格制度に関する歴史的考察を行う.その際,関連す る事件と政策を分析の対象とした論考を展開する.

 本稿では,生活保護ケースワーカーに関わる事件として,福祉川柳事件と小田原ジャンパー事件を取り上 げる.それらの事件が発生した背景や,両事件の共通点について考察を行ったところ,両事件の背景には,

社会福祉専門職の資格制度に関する課題,国による生活保護適正化政策や生活保護ケースワーカーの任用に 関する問題等があることが明らかになった.

 一方,福祉川柳事件から小田原ジャンパー事件の間には,社会福祉基礎構造改革が断行され,福祉利用者 を主体とする社会福祉のシステムが起動するようになった.小田原ジャンパー事件においては,その調査報 告書のなかで,それまで一般的であった生活保護受給者との表現を,生活保護利用者に変更している点は,

今日における社会福祉の利用者観の一端を示しているといえる.

 これらの事件は,今日における生活保護行政や生活保護ケースワーカーの置かれた課題や未来を考えるう えで,多くの教訓を与えてくれている.これらの歴史から教えられたものをどのように解釈し,活かしてい くのかは,社会福祉実践に携わる職員や研究者にとって,これからの課題となるであろう.

Ⅰ はじめに

 生活保護ケースワーカーの資格制度を歴史的視点か ら分析するにあたり,本稿では,関連する事件として 福祉川柳事件と小田原ジャンパー事件を取り上げる.

 福祉川柳事件とは,1993(平成5)年に『公的扶助 研究』第154号の誌上に掲載された〈休憩室〉「文学ノー ト ・ 第1回川柳大賞」計89句について,その内容が差 別的なものであると福祉関係団体から抗議を受けたこ とをマスコミが報道し,社会問題化したものである.

 『公的扶助研究』は,民間の社会福祉研究運動団体の ひとつである「公的扶助研究全国連絡会」(略称 ・ 公扶

研連)が発行したものである.公助研連は,全国の福 祉事務所ケースワーカーを中心に,1963(昭和38)年 に結成された歴史ある研究運動団体である.活動の出 発点となったのは,同年に東京社会事業新人会と神奈 川県の福祉主事有志らによって呼びかけられた「全国 セミナー」であった(杉村 2007:255).このセミナー は,「120名の参加を全国から得て,若干参加をことわ らざるを得ないほどの盛況」であったとされている(白 沢 1970:114).公扶研連は,熱意ある全国の公的扶助 に関連するケースワーカーが集結している団体であっ たと言えよう.

 福祉川柳事件発覚後,公扶研連は全面的に謝罪を行

立正大学社会福祉学部社会福祉学科

キーワード:生活保護ケースワーカー,福祉川柳事件,小田原ジャンパー事件,社会福祉主事,生活保護適正化政策

生活保護ケースワーカーの 資格制度に関する歴史的考察

―関連する事件と政策の分析を中心に―

田 中 秀 和

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い,組織体制や規約等の改編を実行した.今日では,

新たに公的扶助研究連絡会(略称 ・ 全国公扶研)とし て再建されている.

 事件の発覚から四半世紀が経過した今日,生活保護 行政やその実務を担う生活保護ケースワーカーに対す る社会からの眼差しは,依然厳しいものがある.それ は,近年の新人ケースワーカーが,自身の仕事を「敬 遠される職業」と感じていることからも,その一端を 知ることができる(塚本 ・ 小嶋 2014:86).また,こ の事件は,生活保護ケースワーカーが抱えている業務 量やその専門性に関する議論を行うきっかけとなる一 面を有していたにも関わらず,事態は好転するどころ か悪化への道を歩んでいるように感じられる.

 一方,2017(平成29)年に発覚した小田原ジャンパー 事件は,福祉川柳事件発生から約25年の時を経て,改 めて生活保護ケースワークを担う職員と,生活保護行 政のあり方について問題提起を行っている側面を有す る.

 生活保護ケースワーカーが関わる事件を主題とする 先行研究には,生活保護ケースワーカーが被害者となっ た事案に関するものがある.それは,2005(平成17)

年に長崎市において発生した生活保護担当窓口職員が,

相談者に刺殺された事件を扱った寺久保のものである.

そこでは,事件発生の理由を個人レベルに留まらず,

生活保護行政の「矛盾」として把握すべきであること が提起されている(寺久保 2006:21−30).また,近 年における生活保護をめぐる事件を取り上げたものと して,2015(平成27)年に,東京都立川市において生 活保護打ち切り後,受給者が自死した事件と,2014(平 成26)年に発生した,千葉県銚子市における母子心中 事件を取り上げた石坂による研究がある.そこでは,

これらの事件はいずれもソーシャルワークの介入があっ たにも関わらず,当事者あるいは,その家族が生命を 絶たれる結果となったことを受け,「社会福祉 ・ 社会保 障制度とソーシャルワークの根本的改革を迫られてい るのではと考えざるを得ない」としている(石坂 2018:

88).

 本稿では,生活保護ケースワーカーと,それを担っ ている行政機関に対して世間から厳しい眼差しを向け られた福祉川柳事件と小田原ジャンパー事件の経過を,

生活保護ケースワーカーの任用資格である社会福祉主 事制度に関する歴史と,生活保護「適正化」政策に焦 点をあてて辿ることにより,その共通点と相違点を明

らかにすることを試みる.そこでは,寺久保の先行研 究同様に,事件の発生理由を個人レベルの特殊なもの として処理することなく,社会的な問題であるとの視 点から,その背景等の考察を行う.

 また,それらの事件を通して,生活保護ケースワー カーや,福祉行政機関が抱えている問題ならびに,福 祉政策に関する課題について論考を行うことによって,

今後の生活保護ケースワーカーを含めた社会福祉士や ソーシャルワーカーの専門性向上と養成教育の充実,

任用促進,生活保護行政が抱える問題の解決 ・ 緩和を 目指した議論等が進展することを目指す.

Ⅱ 福祉川柳事件の経過

 福祉川柳事件の源流を遡ると,1992(平成4)年に 東京都の A 区福祉事務所に勤務するケースワーカーら が開催した忘年会にたどり着く.そこでは,「文学ノー ト ・ 第一回川柳大賞」との名称で,ワーカーらが日々 業務のなかで感じている不満や怒り,哀しみなどを川 柳で発表しあい,出来栄えのよい作品に対して投票を 行い,順位づけを行うコンクールが行われた.

 そこでは,大賞の前書きとして,以下のような記載 がある.

  怒り,哀しみ,嗤い,驚き,冷や汗かいて,呆れ 返った数々のエピソードを胸に秘めながらも,職場 の外では話題に出来ない因果な商売.これら門外不 出の思いは,あなたの脳みその片隅で密かに増殖し つつ,狂気となって表に出る日を待っている.

  積もり積もれば,胃に穴があくほどの毒気を持っ たそのエキスを,五七五の川柳に託して表沙汰にし,

成仏させてやろうではあ~りませんか.

 *注意事項 関係者以外には副作用が強いため,特 に管理職,マスコミ関係者等の目に触れぬよう御 注意下さい.

 投票の結果,「訪問日 ケース元気で 留守がいい」

が得票数18票で1位を獲得した.ここでは,計89句が 川柳として作品化されたが,得票数0であった14句を 除く75句が記録として残された.以下,得票数が多かっ た川柳は以下の通りである.

 2位 15票「金がない それがどうした ここくんな」

 3位 13票「やなケース 居ると知りつつ 連絡票」

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 4位 12票「きこえるよ そんなにそばに こなくても」

 5位 11票「記録書き つじつま合わせに 四苦八苦」

 上記の通り,福祉川柳事件は,東京都内にある特定 の福祉事務所にその発端がある.これが如何にしてマ スコミに大きく取り上げられ,社会問題化する「事件」

に発展したのであろうか.

 福祉川柳事件に関する詳細な先行研究は,大友信勝 によって1冊の書籍にまとめられている(大友 2004).

この事件は,発生から一定の時間が経過し,今日にお いてはすでに決着したとの見方も可能である.しかし,

大友は,「社会的事件は組織論の立場からみれば決着し たことであっても研究上はなお検証すべき課題が残さ れている」としている(大友 2006:42−48).また同 氏は,「福祉川柳の企画のそもそもの発想は,愚痴を理 解し合い,乗り越えていこうというところからの出発 であり,逆に荒廃しているという受け止め方を社会的 にされようとは考えてもいなかった」と,当時の関係 者の考えを代弁している(大友 2004:111).一方,荘 田は,福祉川柳全句に目を通し,現場の生の声をその まま誌面に反映させたいと思った編集長にとっては事 件の経過は,「驚天動地,全く予期しない展開となって いったのだと思う」としている(荘田 1995:24−36).

副田は福祉川柳事件の分析のなかで,福祉川柳は,日々 の業務におけるストレスに苦しむケースワーカーの支 援,救済を目的として明確に意識して仲間集団のなか でつくられたものであるとしている(副田 2008:65).

久田は,福祉川柳事件と公扶研連について,「この事件 は,もっとも良心的で,仕事に熱意をもって取り組ん でいるケースワーカーが結集しているとされるグルー プが,起こした差別問題」であり,それが「プライド をもって仕事をしている現場のワーカーたちの痛手を,

いっそう大きいものにした」としている(久田 1994:

9−10).三矢は,自身の生活保護ケースワーク実践報 告のなかで,福祉川柳事件について触れ,「うっせきし た思いをあのような川柳に託すところにまで歪んだ精 神状態に追い込まれている現場ケースワーカーの状況 にこそ,どうか注目していただきたい」としている(三 矢 1996:119).

 事件当時,『公的扶助研究』を発行していた公扶研連 では,編集委員会が機能しないなかで機関誌編集責任 者の山本太郎が実質ひとりで企画,編集作業等を行っ ていた.

 山本は,当時の編集事情について,以下の4点を述 べている.①長期にわたる機関誌編集で無理に無理を 重ね,刊行後の見直しを行う余裕がなかった.②福祉 川柳は新人のケースワーカー向けで,新人の困った気 持ちが出ていて,現場の厳しい仕事の裏面を伝えてい るので良いと思った.しかし,結果的には,個人作業 の判断ミスで失敗であった.③福祉川柳の掲載は,機 関誌の読者を新人にも拡大するために行ったものであ るが,その方法を誤った.④厳しい現場の状況を重視 し,川柳を掲載したが,人権意識が低いと批判された.

当事者を研究運動の中軸に据える点が欠けていた(大 友 2004:72).

 福祉川柳を掲載した『公的扶助研究』第154号は,障 害者団体の代表を務めていた小川正の知るところとな り,その怒りを買った.それは,機関誌を発行した公 扶研連に直接向けられるのではなく,「福祉行政の差別 と偏見」に抗議し,社会的アピールを行ったうえでそ の行動を正すことを優先させることとなった(大友  2004:12).

 1993(平成5)年6月14日に行われた,障害者団体 による厚生省記者クラブでのプレス発表の後,報道機 関は迅速に翌日以降の新聞等において,福祉川柳とそ れを詠んだケースワーカー,機関誌を発行している公 扶研連を非難する記事を掲載した(朝日新聞 1993a:

31),(毎日新聞 1993a:30),(読売新聞 1993:31).

公扶研連は事件の対応に追われ,障害者団体 ・ 社会運 動団体等への謝罪,『公的扶助研究』第154号の回収と 差し替え等を行った.さらに,公扶研連の活動は休止 に追い込まれ,活動の再開は,1995(平成7)年の再 建総会まで待たなければならなかった.

 福祉川柳事件は,生活保護ケースワーカーや福祉事 務所に対する世間からの非難を呼び起こし,上記のよ うに大きな騒動に発展した.この事件では,事件に因 縁をつけ,街頭宣伝活動や福祉団体の弁護士に暴力を 加えたとして,逮捕者も発生している(毎日新聞 1994:

11).

 ここで登場している福祉川柳は,もちろん称賛され るものではないし,これに関わった者や,生活保護に 関する事務を司っている福祉事務所に対して,批判が 寄せられることはもっともなことであった.

 しかし,福祉川柳事件は,熱意ある生活保護ケース ワーカーの研究運動団体が起こしたものである.熱意 あるワーカーたちの団体がなぜこのような事件を起こ

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したのか.その背景を探ることは,今後の生活保護行 政や生活保護の在り方を考えるうえでも重要なことで ある.当該事件を扱った当時の新聞記事のなかには,

「(事件は)責められても仕方がない.でも,国の生活 保護行政にも目を向けよう.福祉事務所で担当者がど のように扱われているかも知ってほしい.川柳を作っ た職員たちの感覚よりも,彼らを追い詰めているもの にこそ,問題の本質が隠れている」との記述がある(毎 日新聞 1993b:4).また,実際に生活保護行政の現場 で働いている職員からの,「福祉と聞けば,美しいもの と連想されるが,生活保護の場合,精神的にも体力的 にも担当者にかかる負担は相当なものがある.時には 酒を飲んだ人などから脅迫まがいなことを言われたり,

暴力を振るわれそうなこともあ」り,「言葉が問題なの ではなくて,福祉職場の現状や制度の在り方から問題 をとらえ直してほしい」との問題提起がなされている

(朝日新聞 1993b:5).

 本稿も上記と同様の見解をもつものであり,以下で は,事件の背景に迫ることとする.

 福祉川柳事件は上記のような経過を辿ったが,この 事件が発生する原因は,バブル経済が崩壊して間もな い当時の社会経済状況,個々の生活保護ケースワーカー が抱えるストレス等多様なものが考えられる.本稿で は,その原因のひとつとして,生活保護ケースワーカー の資格制度に関する問題を取り上げる.それは,当該 事件の背景には,長年に渡り議論されてきた生活保護 ケースワーカーの専門性に関する問題が大きく影響し ていると考えるからである.そのため,次節では,生 活保護ケースワーカーの任用資格である社会福祉主事 に焦点をあてて考察を行う.

 社会福祉主事制度の成立過程や歴史,その変遷過程 等を辿ることは,ここで主題として取り上げている福 祉川柳事件の解明には必要不可欠な作業である.当該 資格がもちあわせている「曖昧さ」は,現在において も解消されることがないまま今日を迎えており,それ は,福祉川柳事件発生要因の一翼を担うものとなって いるといえる.

Ⅲ 福祉川柳事件と生活保護ケースワー カー ―社会福祉主事制度との関連

 福祉川柳事件は,機関誌編集体制の脆弱性と,それ を企画 ・ 編集する側(編集責任者)の意向と受け止め る側(世間)との乖離によって,引き起こされ,障害

者団体による抗議によって大きな社会問題へと発展し ていった.

 メディアは,事件発覚後,一斉に公扶研連や川柳を 詠んだとされるケースワーカーたちを非難する報道を 繰り返した.それは,上記の福祉川柳は,生活保護受 給者の人権を踏みにじる許せないものであるとか,ケー スワーカーの人間としての温かい心が感じられないと するものであった.また,これらの福祉川柳は,「人間 自体への冒とくと同時に,川柳に対する冒とくであり,

芸術 ・ 文化に対する冒とく」とする意見もある(寺久 保 1993:136−139).また,「福祉川柳問題が発生した とき,ほとんどの自治体 ・ 福祉事務所は『内なる川柳 問題』を隠蔽し,自分たちの身の回りでは,利用者の 人権が守られているような態度を決め込んだ」とされ る(下村 2007:210).

 もちろん,本稿で取り上げている福祉川柳は,決し て称賛されるべきものではない.しかし,なぜこのよ うな川柳が詠まれることになったのか,その背景を探 ることは生活保護ケースワーカーが置かれている社会 環境や,その専門性を考えるうえで必要な作業である.

大友の指摘通り,「このような川柳を詠まなくてもすむ ような『仕事づくり』こそが課題」なのである(大友  2009:52).本節では,福祉川柳事件発生の一側面とし て,生活保護ケースワーカーの任用資格である,社会 福祉主事制度について考察を深める作業を行う.

 日本の生活保護制度は,第二次世界大戦後,1946(昭 和21)年に制定された生活保護法によって運用されて いる.この法律は,欠格条項や被保護者の保護請求権 を認めないなどの特徴をもっていた.その後,1950(昭 和25)年には生活保護法の改正が行われ,欠格条項の 削除や被保護者の保護請求権を認めることとなった.

同法は,改正を繰り返しながら,今日に至るまで生活 保護制度を支える根幹となる法律として機能している.

 一方,生活保護ケースワーカーは,社会福祉主事任 用資格との関連が深い.社会福祉主事任用資格は,第 二次世界大戦後,占領期の1950(昭和25)年に制定さ れた「社会福祉主事の設置に関する法律」により,生 活保護法の実施に携わる職員,すなわち主に福祉事務 所の専任職員に必要な資格として規定された.社会福 祉主事は,それまで生活困窮者に対する対応を担って きた民生委員に代わる職員として,その役割を期待さ れた.民生委員制度の前身である方面委員は,笠井信 一が岡山県知事として済世顧問制度を設立したことを

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起源として,大阪府知事であった林市蔵によって,そ の礎が築かれた(田中 2018:96−99,小笠原 2013).

済世顧問制度の成立に携わった笠井は,制度創設当初 より地域住民との個別的な関わりを重視しており,後 のケースワークにつながる土台となった(山本 2012a:

55).笠井は,済世顧問に対し対象者を「教化,指導に より,貧困状態から脱却させること」を目指していた

(山本 2012b:118).また,方面委員は,「日本で初め てソーシャルワークを実践した」(三島 2017:148)と いわれ,「典型的なソーシャル ・ アクションを行った」

(吉田 1966:27)ことにより,生活保護法の前身とい われる救護法の実施にも貢献した(副田 2007:467).

その一方,当時の状況においては,「方面委員制度のほ かに実践を期待する制度がな」く,方面委員が行うケー スワークは,「保護だけでなく,援助が必要な状態にあ る人を『独立して困らない』人間像に『自発的』に変 容するために教え導くという『個人生活への管理的介 入』を行う可能性を有していた」とされている(岩本  2011:45−46).

 上記は,「戦争中,戦時国策へ協力をおこない,戦争 遂行への寄与に終始する形をとっていたといわれてお り」,GHQ(連合国最高司令官総指令部)にとって望ま しいものではなかった(橋本 2011:13)とする評価に 繋がっていく.

 さらに,方面委員制度は,「占領軍の福祉担当官の母 国,アメリカ合衆国の経験による限り理解困難」(高澤  2001:304)であり「不可解」なものであった(田中  1991:53)とされる.当時,「国家責任の明確化を実現 した公的扶助(生活保護法)が制定されたにもかかわ らず,制度の運営に携わっていた民生委員の根本的思 想は,1800年代後半に制度化された恤救規則の『人民 相互の情誼』と何ら変わらないもので」,「生活保護行 政では日常的な人権侵害が発生することになった」(村 田 2018:167).

 社会福祉主事制度が成立するまでには,「わが国古来 の隣保相扶」に合致することや,「人件費,事務費等の 節減」等の理由により,民生委員がこれまで通りの任 務を遂行したほうがよいとする社会福祉主事「廃止論」

も検討され(寺脇編 2013b:201),その名称も「社会 事業主事」との呼称案があった(寺脇 2013a:11).こ のように紆余曲折の末,社会福祉主事制度が成立した.

社会福祉主事の誕生により,民生委員は,それまでの 補助機関から協力機関へと切り替えが行われた.しか

し,この切り替えは一枚岩では行われなかった.日本 側は,社会福祉主事制度に対する不安から,民生委員 を「福祉行政の場から完全に排除」したのではなく,

「活躍」を期待した(加川 2017:11).さらに,民生委 員の立場からも,「濫救,漏救なく人格的に適正な人物 を選べるか」,「役人的対応で十分に要保護者に接して いけるか」,「役人が移動を常とする状況から,その担 当地域を十分熟知できるか」等について,社会福祉主 事に対して批判の声が挙げられた(六波羅 1985:54).

しかし,「民生委員を生活保護行政の補助機関として公 的性格を強化することは,戦時下の方面委員制度が歩 んだ道を繰り返すことにな」る側面も有していた(小 笠原 2012:97).

 このような経過のなかで,民生委員の役割について,

「厚生省は,GHQ と生活保護制度の第一線の補助機関 である民生委員との板ばさみのなかで,結局玉虫色の結論を出さざるをえなかった」のである(村上  1987:241).社会福祉主事制度が誕生した直後,民生 委員には,「福祉事務所の監督を受け現代のサービスの 原理にもとらないように」,「指導の押しつけ,一方的 指示,説教,優越的な態度や圧迫等」を行わないこと が期待されていた(黒木 1953:21).これらの制度変 遷は,「『戦後体制』は戦前社会事業の全否定のうえに 形成されたわけではない」ことを表しているといえよ う(岩田 2016:118).

 社会福祉主事が設置された理由として木村は,「生活 保護事務全体をつうじての科学化がおこなわれ,専任 の職員を置かなくては,その事務が量的に処理できな くなつたばかりでなく,生活保護法の実施について有 数適正にしようとするならば,この専任の職員が,質 的に専門的な技術をもつているものであるべきなので,

これが民生委員の事務補助職員の設置の要求となり,

これが一歩をすすめて,専門社会事業職員設置という 世界の趨勢におうじる社会福祉主事の設置にまで発展 してきた」ことを挙げている(木村 1951:77).

 社会福祉主事誕生の背景には,アメリカから構想を 持ち帰った黒木利克の尽力がある.黒木は,「福祉地 区」に置く福祉事務所の「ゼネリックなワーカー」と しての社会福祉主事を構想していた(秋山 2007:20).

黒木は,社会福祉主事制度ならびに福祉事務所が誕生 した理由として,「益々専門技術化してゆく公的扶助行 政を円滑に運営するための現実的要請」を挙げ,「公的 扶助行政のよって立つ近代民主主義的原理に立脚し,

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これらを行政運営の上に具現するための方法として当 然の要求に基くもの」であるとしている(黒木 1955:

9).

 本制度が成立した当時,社会福祉主事として任用さ れた者は,「社会保障 ・ 社会福祉の新たな制度を築き,

切り開いてゆくんだ.と職場の全員が,責任感と熱情 に燃えていた」(桂 2008:64).しかし,その実態は,

担当するケースの多さ,次々とワーカーの肩にのしか かってくる雑務などが「理想にもえたワーカーの上に 重々しくのしかかって,彼らの理想と現実の間に板挟 みとし,その意欲を失わせることになった」のである

(仲村 1960:357).

 社会福祉主事は,1951(昭和26)年の社会福祉事業 法制定によって,その位置づけを強化した.なぜなら,

「この法律の制定は,ソーシャル ・ ワークに必要な概念 と役割を立法化することで日本の社会福祉に専門的な ソーシャル ・ ワークを恒久的に根づかせる」という GHQ の試みが結実したものであるとされているからで ある(Tatara 1997:129).占領初期において,GHQ は,「当時のわが国における未熟な社会福祉従事者への ケースワーク技術の導入は時期尚早だと考えられてい た節が」あったとされる(田中 2005:232).

 しかし,その後,GHQ の社会事業教育訓練係長で あったフローレンス ・ ブルーガーが日本の公的扶助領 域にケースワークの考えを根付かせ,社会福祉専門職 を導入しようと試みた.ブルーガーは,日本の社会事 業教育にもケースワークを中心とするソーシャルワー クを重視したカリキュラムを導入し,その定着を図っ た(阿部 ・ 渡邊 2013:59).「国は,社会福祉主事を養 成するにあたり,社会福祉の専門職として,一定の知 識や技術を備えた人材を養成することを目指していた」

(新保 2010:16).だが,社会福祉主事制度は,日本に おいて GHQ の思い描いたようには成長しなかったの である.

 上記のような課題を内包し続けた社会福祉主事制度 は,2000(平成12)年に制定された社会福祉法に引き 継がれ現在に至っている(坂下 ・ 田中 2011:79−94),

(田中 2017:5−15).

 村田は,社会福祉主事が制度創設時から十分に定着 しなかった理由として,市町村から独立した福祉事務 所を設置し,社会福祉専門職としての社会福祉主事の 配置を目指す黒木利克と,行政に社会福祉専門職を置 くことに強く反対した当時の自治庁,大蔵省,全日本

民生委員連盟の意見相違を挙げている(村田 2018:

262−263).その結果,社会福祉主事制度は妥協を余儀 なくされ,その役割や専門性が今日に至るまで曖昧な ままである.

 一方,伊藤は,社会福祉主事制度について,出発し たときから2点の課題を負っていたという.その1点 目は,専門性がきわめて曖昧なまま,官僚機構の中に 位置づけられたこと.2点目は,専門性が曖昧な一方 で社会福祉主事が「ケースワーカー」と称され,公的 扶助の支給とケースワークという,宿命的に背反する 2つの役割を負ったこと,を挙げている(伊藤 1996:

246).

 社会福祉主事制度は,誕生から時間を経るにつれて,

社会福祉施設の施設長や生活相談員等の基礎資格とし ても準用された.平野は,社会福祉主事の専門性が担 保されていないながらも,福祉事務所以外にも準用さ れていった原因として,措置制度を基軸とする当時の 社会福祉の基礎構造を挙げている.社会福祉基礎構造 改革以前,「相談援助は公的機関の独占場であり,公的 機関の措置が適切であれば理論上は支障はなかったの である」(平野 2007:63).

 時を経て,時代が1970年代に至ると,1971(昭和46)

年に中央社会福祉審議会の「社会福祉職員問題専門分 科会」が「社会福祉士法制定試案」を発表した.そこ では,福祉事務所の生活保護ケースワーカーは,4年 制大学水準における社会福祉専攻者に相当する「社会 福祉士(一種)」と規定されていた.同審議会では,社 会福祉主事について「専門職とはほど遠い」と認識し ていた(三浦 1987:256).

 しかし,同試案は,社会福祉士に一種 ・ 二種との区 別をつけることに対し批判が集中したため,制度実現 には至らなかった(浅原 2017:39−64).そのため,

ここでも社会福祉主事制度は大きな制度変更をするこ となく,存続された.時を同じくして,福祉事務所創 設20周年にあたる同年には厚生省(当時)が,「新福祉 事務所運営指針」を発表し,社会福祉主事制度につい て疑問を投げかけているものの,その改革は着手され ることがなかった(六波羅 1994:73).

 1987(昭和62)年になって,ようやく「社会福祉士 及び介護福祉士法」が制定され,社会福祉士というソー シャルワーカーの国家資格が誕生した後も,法に規定 された科目のうち3科目以上を修めれば資格が取得さ れるため,「3科目主事」と揶揄されるほど,その専門

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性に疑問が残る社会福祉主事制度が,大きな制度改革 を経ることなく今日まで続いている.そのことに対し ては,同資格の意義を見出すことができず,廃止も視 野に入れて検討する必要があるとの意見や,社会福祉 主事に代わって,社会福祉士の任用拡大を望む見解な どが提出されているものの,現状は変化していない(青 木 2017:273).「社会福祉主事という資格そのものに 対する評価は,時代とともに低下してきていることは 否めない事実となっている」のである(潮谷 ・ 上原  2003:94).また,制度発足から今日に至るまで「3科 目主事」であることに変化はなく,制度が「形骸化し た状態からは抜け出せないでいる」のであり(佐光  2002:36),現状,「わが国の生活保護行政(公的扶助)

を担っている生活保護ケースワーカーの多くは,社会 福祉の専門教育を体系的に受けていない」のである(内 田 2007:24).また,「社会福祉主事資格が専門職の実 質的な底上げを果たしてきた」(京極 1987a:43)側面 があり,「従来の社会福祉主事資格制度が,必ずしも十 分でなくてもそれなりに有効に機能してきた」ところ があるとしても,今日では「3科目主事」では対応で きない時代となっている(京極 1987b:58−59).「現 行の社会福祉主事資格の取得は安易すぎ,また個別処 遇などの対応を行う職員たる要件としては低すぎる」

のである(三和 1986:62).

 福祉川柳事件が発生した当時も,「ケースワーカーを 含めた福祉専門職に教育体制の確立を本格的に,行政 ぐるみでやらないといけないと思う」との意見は表明 されている(久田 ・ 大澤 ・ 大友 1994:71).しかし,

この課題は今日まで改善されず,本稿において後にみ る「小田原ジャンバー事件」においても,この問題点 は顕在化することとなる.「社会福祉主事問題は,少し も解決されずに存続しているとも言える」のである(三 和 1998:291).

 以上により,福祉川柳事件の背景には,当時の生活 保護ケースワーカーが置かれた社会福祉専門職の資格 制度に関する課題が見いだされた.生活保護ケースワー カーの養成システムは,福祉川柳事件を考察するうえ で考えなければならない一側面であろう.

 一方,福祉川柳事件が起こった背景として考察する 必要のあるもう一方の側面は,当時の生活保護制度に 関する政策環境についてである.次節では,福祉川柳 事件が発生した原因のひとつとして,当時の生活保護 制度に関わる福祉政策を考察することで,福祉川柳事

件への理解をより奥深いものにしていくことを試みる.

Ⅳ 福祉川柳事件の背景にある生活保護 政策 ―「保護適正化」の荒波のなかで

 これまで述べてきたように,日本の生活保護システ ムは,第二次世界大戦後に制定された「生活保護法」

を拠り所として今日に至るまで運営されている.今日 では,格差と貧困に関する議論が高まるなかで,「生活 困窮者自立支援法」や「子どもの貧困対策の推進に関 する法律」等の生活保護法に関連したシステムも構築 されている.しかし,そのなかで生活保護制度は,か つて恤救規則や救護法と呼ばれた制度にそのルーツを 有し,生活に困窮した際に日本国憲法第25条に規定さ れている「健康で文化的な最低限度の生活」を営むた めの最後のセーフティネットとして,現在においても 大きな役割を果たしていることは相違のない事実であ る.

 生活保護制度は,第二次世界大戦後の混乱のなかで,

その歩みを始めることとなった.その算定方式は,マー ケットバスケット方式→エンゲル方式→格差縮小方式

→水準均衡方式と変化する.福祉川柳事件が起こった 1990年代前半における算定方式は,水準均衡方式であ り,その方式は今日に至るまで変化していない.福祉 川柳事件が起きた当時,高度経済成長は終焉し,時代 はバブル経済からその崩壊へと進んでいった.安定し た経済成長が見込めず,福祉の普遍化が図られはじめ た一方で,財政は逼迫していた.生活保護の算定方式 が,格差縮小方式から水準均衡方式へと変更されたの は,1986(昭和61)年であった.この方式変更につい ては,「水準均衡方式とは格差縮小方式の延長で,単に

『格差縮小』を『水準均衡』に言い換えた,というのが 適切である」と評価されている(岩永 2011:231).

 福祉川柳事件当時,国は財政再建が求められるなか で,少子高齢化は進展した.家族を「福祉の含み資産」

とする日本型福祉社会論は,その在り方を再検討せざ るを得ない時期に差し掛かっていた.このような背景 のなかで,生活保護制度も,そうした影響を受けざる を得ない状況となっていたのである.日本政府は1980 年代から,福祉の普遍化を進める一方で,「増税なき財 政再建」を進めるべく第二次臨時行政調査会を設置し,

社会保障の対象を「真に救済を必要とする者」に絞り 込むとする選別主義的アプローチを打ち出した(宮本  2017a:20).

(8)

 こうした時流に則った政策で,福祉川柳事件にも大 きな影響を与えたと考えられるものに,通称「123号通 知」の存在がある.これは,1981(昭和56)年11月17 日に行われた,社保第123号厚生省社会局保護課長 ・ 監 査指導課長通知「生活保護の適正実施の推進について」

を正式名称とするものである.生活保護制度は,「123 号通知」以前にも,第一次「適正化」(1954年~1956 年)ならびに,第二次「適正化」(1964年~1966年)政 策を経てきており,この通知は,生活保護行政を再び,

「適正化」へと推し進める原動力となった.

 「123号通知」が発表された直接的な契機のひとつは,

1980(昭和55)年に和歌山県御坊市にて発生した,暴 力団員が生活保護費でナイフを購入し,銃刀法違反で 逮捕された事件である.これによりメディアは,生活 保護不正受給問題に関する報道を行った.これらが,

翌年の「123号通知」に結び付くことになる(稲葉  2013:50).

 「123号通知」は,次のような特徴を有し,その後の 生活保護第三次「適正化」政策を推し進める根拠となっ たのである.

 1.生活保護申請時に,申請に係る世帯の資産 ・ 収 入について詳細な申告書の提出を求め,かつ,記 載内容が事実に相違ない旨記入し署名押印しても らうこと.

 2.福祉事務所において保護の適用に関し必要な資 産 ・ 収入のため,預金,稼働収入等について,銀 行,信託会社,社会保険事務所等,関係先への照 会について,申請者から同意書を提出してもらう こと(岩永 2011:219).

 このような特徴をもつ「123号通知」は,生活保護不 正受給の抑制を目標としたものとして解釈することが 可能である.副田は,この時期における生活保護の不 正受給対策について,「80年から83年にかけての不正受 給対策は,それに続く低保護率期の生活保護行政,さ らには現在までの時間域の生活保護行政のありかたに とって予兆の意味をもっていたのではないか」と述べ,

「123号通知」を含む当時の生活保護政策が,今日まで その影響力を有していることを明らかにしている(副 田 2014:279).

 「123号通知」は,当時の生活保護ケースワーカーに も大きな影響を与えた.大友は,厚生省(当時)監査

指導課が発表した1985(昭和60)年度の生活保護不正 受給等に関する発表を用いて,当時の政策に批判を行っ ている.ここで取り上げた厚生省監査指導課による発 表では,不正受給の発生率は実人員で0.06%,世帯数 では0.1%である.これに対し,大友は以下のように述 べている.

 監査指導課があらゆる監査指導を行い,全国の都道 府県 ・ 政令市,そして福祉事務所を指導し,総力をあ げて発見した不正受給件数の実数は以上の数字であり,

得たものと「適正化」でおびやかされる手続き的権利 や後退する現場職員の専門性を考慮するとき,失うも のの大きさは検討の対象に全く入らないということが 許されるべきことであろうか(大友 2000:266).

 上記の指摘は,当時の生活保護行政が,「漏給」の防 止よりも,「濫給」を阻止することに焦点を当てていた ことに起因して行われていることを示している.当時 は,生活保護の抑制こそが,「生活保護適正化」政策と して推進されていた.このような生活保護抑制政策は,

上記のように1950年代から繰り返し行われ,「生活保護 適正化」によって,「保護の抑制を強化してきた」歴史 を有する(黒川 2018:60).

 「123号通知」は,生活保護ケースワーカーに,不正 受給の防止や,生活保護費の抑制を現場で働くワーカー に常時意識させることに繋がったといえよう.大友は,

上記で述べた厚生省(当時)からの監査について,「監 査が社会福祉専門職に当事者管理の先入観と偏見を持 ち込み,専門性の変質と後退を促し,当事者に寄り添っ た実践を困難にする障壁をつくった」と述べている(大 友 2014:31).

 「123号通知」が出された1980年代の社会福祉は,「社 会福祉士及び介護福祉士法」の成立(1987年)や「高 齢者保健福祉推進10ヵ年戦略」(1989年)などにより,

社会福祉における普遍主義が探究された一方で,「同じ 行政機関によって,救貧的な選別主義が強化され,福 祉サービスのダブルスタンダードがつくられ」たので ある(大友 2005:19).生活保護の対象者は,「理解で きぬ他者」かつ「社会の最底辺の人びと」であり,彼 らが不正受給やモラルハザードを起こさぬよう生活保 護を「適正実施」する方向に当時の政策は導かれたと いえる(金子 2012:68−74).「123号通知」が出され た1980年代の生活保護制度は,「劣化の一途」をたど

(9)

り,生活保護を「申請段階で事前に拒否するいわゆる

『水際作戦』の手法が定着した」と言われている(仁平  2014:288).

 当時の社会状況と「123号通知」の連関について,副 田は,「1980年代初頭は,福祉見直しが政策化し,行財 政改革がはじまり,革新自治体,労働組合などの対抗 勢力が衰退してゆく時代状況である.そこで出された 123号通知は,その本来もつ意図をこえて,水際作戦の 強化や辞退届の乱用を加速させたと思われる」と述べ ている(副田 2013:40−41).「生活保護の『適正化』

は,生活保護制度を憲法に基づく権利の体系から,前 近代的 ・ 惰民論の体系へ全面的復活をもたらそうとす るものであった」とする藤城の指摘も鋭いものがある

(藤城 2012:5).一方,寺久保は,「生活保護適正化」

政策を推進する当時の厚生省に対して,「不正受給」に は並々ならぬ熱を入れながら,本来行うべきである生 活保護を必要としている人々に対する制度を知らせる 努力には熱心ではないとしている(寺久保 1988:218).

 また,「123号通知」は,生活保護ケースワーカーの 役割を,受給者に対して丁寧なケースワークを行う者 から,利用者に対して事務的に保護の要否を決定する 者へと,その重点の変更を迫るものであった.高間は,

「123号通知」とケースワークの関係について,「惰民養 成排除そのもののための生活保護制度となり,ケース ワークは不正受給防止のための資産調査の手段と化し た」との評価を与えている(高間 2016:43).「123号 通知」を含む,一連の「生活保護適正化」政策は,生 活保護「ケースワーカーを中心とした福祉事務所の労 働者に対する攻撃と管理化」をもたらした(戸田  1982:45).大友は,「生活保護適正化」期における生 活保護ケースワーカー(社会福祉主事)と福祉事務所 の特徴について,「適正化」期は「社会福祉主事の仕事 を資産,収入のチェックとその調査に偏重させ,生活 問題を全体的にみる視点を歪めさせる」こと,ならび に,「被保護層の手続的権利を形骸化させながら,福祉 事務所内部の管理機能が強化される過程であること」

を挙げている(大友 1984:54).

 ケースワーカーの役割に関しては,第二次世界大戦 後,ケースワーク思想が日本に輸入され,普及してい く過程において,すでに有識者による役割認識の相違 があった.当時,社会政策論を重視する今岡健一郎や 孝橋正一と,占領期においてケースワーク教育の推進 を目指した F. ブルーガーとの間でみられた認識の違い

(小池 2007:122)は,今日における生活保護ケース ワーカーの職務内容に関する矛盾に関する課題の原型 であるといえよう.

 占領期を終えた日本の社会福祉学では,「社会福祉本 質論争」が行われ,生活保護ケースワーカーの役割に 関しては,「仲村 ・ 岸論争」が有名である.この論争 は,1956(昭和31)年から1963(昭和38)年に,当時 の生活保護費抑制政策を,その背景のひとつとして展 開された.この論争は,「『制度 ・ 政策としての公的扶 助』と『社会福祉援助としてのケースワーク』の位置 づけ,関連をめぐって議論され,研究者や現業者に波 紋を投じた」とされる(金子 2009:149).この論争が 行われたのは,日本国憲法に規定されている「健康で 文化的な最低限度の生活」(生存権)を争い,「人間裁 判」とも呼ばれた朝日訴訟が行われていた時期と重な る(朝日訴訟記念事業実行委員会編 2004).また,朝 日訴訟が行われていた当時にはすでに,本稿にて主題 としている公扶研連の萌芽形態があり,研究者ととも に活動を展開していたとの歴史証言がある(小倉  2009:165).

 「仲村 ・ 岸」論争の焦点は,「生活保護法第1条の解 釈,つまり『最低限度の生活を保障する(最低生活保 障 A)』と『自立を助長する(自立助長 B)』との位置 づけをめぐるものであ」る(加藤 2005:88).ケース ワーカーの役割を重視する,当時,日本社会事業短期 大学教授であった仲村優一と,公的扶助とケースワー クの厳格な分離を強調した,当時,中部社会事業短期 大学教授であった岸勇との論争は,「『心情的』『教条 的』アプローチであり,日本の公的扶助対象者の持っ ている『客観的事実関係』の把握より出発した理論」

ではなかったため,発展しなかった(白沢 1968:132).

また,「両者は問題のたて方,その解決の次元において 根本的に異なる」(小倉 1962:187)ため,議論がかみ 合わない側面もあった.

 ケースワークを「惰民養成防止」の手段と捉えてい た黒木利克によって,構想された社会福祉主事制度と,

「自助」原理が組み込まれた生活保護法(村田 2014:

81−89)の矛盾が,上記論争が発生する誘因のひとつ となったと推定される.

 上記のように「仲村 ・ 岸」論争は,「消化不良」の側 面が残るものの,今日においても本論争は,その意義 を失っていない.生活保護行政と生活保護ケースワー カーの関係について,「政策主体 ・ 政策支持母体の問題

(10)

認識と保護を必要とする生活困窮者並びに生活保護ケー スワーカーの問題意識は相反する形で現れるのは当然 である」(中里 2008:28−50)との指摘は,福祉川柳 事件が発生した当時の生活保護ケースワーカーのジレ ンマがいかに深刻なものであったかを想像させる.

 池谷は,今日では「水際作戦」と呼ばれる違法な生 活保護申請抑制を,「生活保護適正化」政策が推進され ていた1980年代には厚生省が先頭にたって,全国の福 祉事務所において実施するよう推進していたことを報 告している.また,そこでは,「適正化の推進による福 祉事務所への影響は大きく,それまでの『建前』とし てはあったケースワーカーと被保護者との信頼関係を 前提とした生活保護行政は否定され,要保護者を保護 から排除することが福祉事務所の業務であるとの認識 も生じている」との指摘も行っている(池谷 2017:41

−49).

 一方,「123号通知」と福祉事務所の関係について,

「あくまで『暴力団などの不正受給を防止』のためとい うものの,現実には,受給者や申請に訪れる生活困窮 者に対して,結果として,保護を打ち切ったり,受け にくくさせるような状況を,福祉事務所に強要するこ とになった」との水島からの指摘は,的を得たもので ある(水島 2014:211).さらに,山本は福祉川柳事件 に関連して,ケースワーカーの変化について,「少なく とも私どもがケースワーカーをやっていたころは,厚 生省の実施要領とか保護課長通知をそのまま適用した のでは,地域の住民の最低生活が守れない.何とか抵 抗しようというのだけはあったつもりです.ところが,

国から言われたことをそのままやっていることが正し いので,それに合わない住民,生活保護世帯を敵視す るような思想になってしまっている」と述べている(山 本 1994:31).

 「123号通知」からしばらくして,「その時々に対処し なければならない社会問題を厚生(労働)省当局がい かにとらえていたかを知る絶好の書である」(多田  2018:ⅱ)とされる厚生白書の1985(昭和60)年版で は,「白書ではじめて生活保護の不正問題に言及し,

『適正な制度運営の実施』という小見出しを新設した」

(朱 2018:172).厚生白書の一連の「生活保護適正化」

政策への支持は,その後も継続される.1986(昭和61)

年の白書では,「保護の申請時等における助言 ・ 指導の 徹底」と「就労指導等による自立助長の推進」を,1987

(昭和62)年における同書においては,生活保護廃止処

分と組織的な取り組みの強化を挙げ,1988(昭和63)

年における白書では,生活保護受給要件の確認として

「扶養関係の調査」を追加した(朱 2018:172−173).

 その頃,福岡県では,奥田八二知事在任期間(1983 年~1995年)において,「123号通知」の受け入れをひ とつの要因として,生活保護費の割合が1984(昭和59)

年の7.03%をピークに顕著に減少に転じ,1990(平成 2)年以降は3%台にまで減少したことが報告されて いる(篠原 ・ 山田 2018:3−14).

 これら一連の取り組みによって,生活保護の被保護 者数は,1984(昭和59)年の1,469,457人をピークとし て,1995(平成7)年には,882,229人まで減少するこ ととなった.このことは,「123号通知」が長期に渡り 生活保護行政に影響を及ぼしていたことを示している といえよう.

 これまでの記述により,福祉川柳事件の背景には,

これまで述べてきた「123号通知」を中心とする「生活 保護適正化」政策の影響があることが明らかになった.

山本は,福祉川柳で詠まれた職場の実態や人間に対す る感性について,「今日の福祉攻撃の中で作り出されて いる『歪み』」との認識を示している(山本 1993:

44−47).一方,松岡は,「福祉川柳事件は,生活保護 行政の『濫給防止』的制度運用の結果である」と指摘 している(松岡 2007:81).これらの記述は,福祉川 柳事件が,「123号通知」の影響を受けた証であると言 えよう.福祉川柳事件を取り上げた当時の新聞記事の なかにも,「暴力団の不正受給を防ぐために,あるいは 公費負担を軽減するために『福祉切り捨て』が現場で 横行していないか.中央と地方の方針が現場にのしか かり,申請者や受給者をただ疑惑の目でみる風潮が,

こんな川柳につながったのではないか」と,事件の背 景に当時の福祉政策の影響を指摘するものがある(毎 日新聞 1993c:5).

 ここまでの論述によって,福祉川柳事件は,川柳を 詠んだ個々の生活保護ケースワーカーの責任を追及す るだけで解決に至る問題ではなく,その背景にある生 活保護ケースワーカーが置かれている政策動向や専門 性を追求していく必要性のあることが明らかになった.

同様の指摘は,福祉川柳事件が起こって間もなく開催 された学術誌『ソーシャルワーク研究』創刊20周年記 念シンポジウムにおいても,行われている.西野は,

「ひとり川柳の作者や公扶研連の自己批判のみ問題を矮 小化させてはならないのです.ワーカーの専門職化は

(11)

もちろん,教育的スーパービジョンさえ満足に実施し ていない状況を放置したまま,生活保護という福祉の 原点を委ねてきた日本の社会福祉の総体,その本質こ そが相対的に問われなければならない」と述べている

(西野 1994:201).

 以上のように,福祉川柳事件は,生活保護に携わる ケースワーカーを起点として,社会問題化された.そ こには,生活保護行政や生活保護ケースワーカーが置 かれていた,当時の厳しい政策環境があったといえる.

髙田は,「123号通知」を発端とする「生活保護適正化」

政策は,それ以前の「適正化」政策に比べ,その内容 ・ 期間ともに異常なものとなっているとしているとし,

「123号通知」の影響が今日まで続いているとの見解を 示している(髙田 2008:47).この指摘は,これまで の論考を強化するものであるといえよう.

 当該事件が発生してから四半世紀が経過した今日,

この事件を起点として,生活保護ケースワーカーを取 り巻く環境はいかに変化したのであろうか.この間,

北九州市では,生活保護に絡む孤立死が相次いで発生 するなど,依然として生活保護「適正化」政策の影響 は続いている.北九州市では,「ヤミの北九州方式」と 呼ばれるシステムを採用し,事前に生活保護申請や保 護廃止の件数を設定していた.この対応は,研究者か らの厳しい批判を受けることとなった(本田 2010:

90−97).また,NPO 法人「自立生活サポートセン ター ・ もやい」をはじめとする市民団体や弁護士から も抗議の声が挙がった(大山 2008:55−57).北九州 市の生活保護行政は,厚生労働省の生活保護政策を充 実に実行したものであり,生活保護行政のモデル地方 自治体として評価されてきた(戸田 2017:26).

 また,2012(平成24)年には,高額所得者である芸 能人の母親が生活保護を受給しているとの報道がなさ れたことを発端として,生活保護受給者へのネガティ ブなイメージが再生産されていくことになった(今野  2013:16).

 上記の北九州市のような対応が,例外ではないとい うことを明らかにしたのは,次節において取り上げる,

福祉川柳事件から24年の時を経て発覚した小田原ジャ ンバー事件である.同事件は,上記にて取り上げた,

生活保護受給者へのネガティブなイメージ=スティグ マを増幅させる機能をも果たしているといえる.これ らの事件は,福祉川柳事件での教訓と反省を活かしき れていないものであるといえよう.

 福祉川柳事件と小田原ジャンバー事件は,発生時期 は異なるものの,両事件とも,生活保護ケースワーカー が,世間から非難の対象となったという,類似してい る側面を有している事件である.次節では,小田原ジャ ンパー事件の分析を行うことにより,福祉川柳事件と の類似点や相違点等を明らかにしていく.

Ⅴ 小田原ジャンパー事件と生活保護 ケースワーカー

 小田原ジャンパー事件は,2017(平成29)年に新聞 報道によって世間に発覚した(毎日新聞 a 2017:28),

(朝日新聞 a 2017:2),(読売新聞 2017:11).この事 件は,神奈川県小田原市の生活保護ケースワーカーが,

「生活保護なめんな」,「不正を罰する」などの生活保護 受給者に対して威圧するような言葉がプリントされた ジャンパーを着用して,生活保護世帯への訪問を繰り 返し行っていたものである.この事件は,生活保護や,

その利用者に対する否定的な価値観が顕在化したもの であるといえよう(山田 2017:43).また,この事件 におけるジャンパー問題は,「生活保護受給者に対する ストレートなヘイトスピーチであり,人権侵害」であ り(堅田 2018:93),「〈望ましいソーシャルワークの 倫理〉とは別の価値 ・ 倫理が優先される現代の福祉政 策の歪みから生じたものである」といえる(金子  2018:180).

 一方で,「市民からは,職員の行為を批判する声と同 時に擁護する声も上がった.生活保護の『不正受給』

の厳しい取り締まりを求める世論だ」とする報道も行 われた(朝日新聞 2017b:3).それに対して,「職員 を擁護する市民の声には,今は生活保護を利用してい ない自分も,病気や失業などの予期せぬトラブルで,

いつ受ける立場になるか分からないという視点がない」

との指摘がなされている(毎日新聞 b 2017:10).

 この事件では,小田原市が事件への反省と今後の生 活保護の方向性を検討するため「生活保護行政のあり 方検討会」を設置,その委員として生活保護利用者の 権利擁護に取り組んできた元ケースワーカーの森川清 弁護士,元生活保護利用者の和久井みちる氏を委員と して登用した(小久保 2017:16).同検討会の座長で ある井出英策は,「ケースワーカー(担当職員)を非難 して幕引きではない.その行動の背景に,役所の中で の立場がどうだったか,耐えがたい労働環境はなかっ たか.同種の問題は全国で起きているかもしれない」

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