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筑後蔵空米切手考

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筑 後 蔵 空 米 切 手 考

‑ 西 国 大 名 経 済 と 堂 島 ‑

は じ め に

久 留 米 藩 前 ・ 中 期 の 財 政 事 情 後 期 の 財 政 収 支 蔵 出 延 滞 事 件 で 具 現 さ れ た 筑 後 蔵 の 内 情 鶴 岡 実 技 子

四 筑 後 蔵 に お け る 手 持 屋 の 役 割 五 空 米 事 件 落 着 の 経 緯 お わ り に

は じ め に

I 江 戸 時 代 の 堂 島 米 市 場 の 機 構 を 解 説 し た 「 難 波 の 春 」 に 次 の よ う な 1 節 が あ る .

過 切 手 と 云 ふ 事 あ り ' 是 は 蔵 に あ る 所 の 米 よ り 余 分 の 切 手 を 売 出 す 事 な り ' 正 米 引 啓 も 一 時 に 来 る も の な け れ

ば ' そ れ を 見 込 ん で す る こ と と ぞ 、 し か し 、 こ れ は か ね て 触 渡 し も あ り て 決 し て な ら ぬ 事 な り 、 何 ぞ 故 障 出 来 て

露 顕 す れ ば ' 急 と 吟 味 に な り 、 容 易 な ら ざ る 筋 な れ は 、 ど こ 迄 も な き 事 に て 不 融 通 の 向 に て は 、 又 ま ま あ る 事 と

い ふ 、 E只 持 米 杯 は 肥 後 ・ 筑 前 ・ 中 国 ・ 広 島 等 の 切 手 に て 買 持 つ 様 に 蝕 渡 し あ り し 事 も あ る よ し 、 右 の 四 ヶ 国 に 続

い て は ' 肥 前 ' 夏 は 加 賀 米 な り 、 文 化 の 姶 頃 杯 に は 、 右 の 六 ヶ 国 よ り 外 に は 憶 な る 切 手 は 無 き 様 に も い ひ し と ぞ '

不 憶 と 云 ふ は 、 則 ち 過 切 手 が あ ら ん と い ふ こ と と ぞ 、 右 の 訳 故 へ 時 勢 に よ り 憶 か と お も ひ し が ' 不 憶 に な る こ と

筑 後 歳 空 米 切 手 考 (鶴 岡 ) 五 五

(3)

史 料 館 研 究 紀 要 第 二 二 号 五 六

も あ る べ し 、 扱 右 の 通 り 故 ' 歳 払 新 米 、 建 替 前 に は 是 非 過 切 手 は 買 戻 さ ね は な ら ぬ 事 な れ ど も 、 元 隠 し 事 の 上 、

買 戻 す 様 に 堂 島 へ 知 れ て は 英 国 の 米 俄 に 相 場 上 り 、 蔵 屋 敷 へ 損 を さ す 故 、 種 々 梅 暦 の 手 段 を 以 て 買 戻 す よ し な れ

ど も へ 仲 間 も ま た 色 々 工 夫 を し て 咲 ぎ 出 し 、 相 場 を 上 ぐ る 事 へ 毎 々 あ る 事 と ぞ 、 是 等 も 人 気 の 寄 り て た つ 、 正 路 (1 ) の 相 場 に あ ら ず 、 不 時 の 不 正 相 場 な る よ し

幕 藩 体 制 社 会 の 市 場 構 造 の 中 核 と し て 位 置 づ け ら れ る 大 坂 の 堂 島 米 市 場 が 果 し た 機 能 に つ い て は 、 筆 者 は 大 分 以 前 (2 ) に 旧 稿 で 検 討 し た こ と が あ る 。 そ れ は 単 に 堂 島 が 当 時 の 最 大 の 領 主 米 の 販 売 市 場 で あ ㌣ 幕 府 に 貨 幣 発 行 権 を 独 占 さ

れ て い た 諸 大 名 の 正 貨 接 待 の 場 で あ っ た と い う 問 題 だ け で は な く 、 諸 藩 の 蔵 屋 敷 が 発 行 し た 諸 種 の 米 切 手 に よ っ て 展

開 さ れ た 大 名 金 融 市 場 と し て 位 置 づ け ら れ た こ と を へ 入 替 両 替 商 加 嶋 屋 長 田 家 文 書 に よ っ て ' 拙 い な が ら 検 証 し た つ

も り で あ る 。

そ の 際 へ 当 時 大 坂 に お い て 両 替 商 を 枢 軸 と し て 極 度 に 発 達 し た 信 用 制 度 が 、 堂 島 に お け る 米 切 手 を 媒 介 と し た 証 券

市 場 を 展 開 せ ん め 、 幕 府 の 禁 制 に も 拘 わ ら ず 過 米 切 手 の 発 行 が 可 能 で あ っ た こ と 、 そ れ に よ る 越 年 米 の 擬 制 的 な 膨 張

を 指 摘 し た 。 こ の こ と に 関 し て は 、 大 坂 堂 島 に お け る 米 の 需 給 関 係 が ' ど の よ う な 要 因 に よ っ て 規 定 さ れ た か と い (3 ) う 、 堂 島 の 需 給 構 造 の 解 明 を 数 量 経 済 史 の 分 野 か ら 検 討 さ れ た 官 本 又 郎 氏 の 批 判 が あ る 。 す な わ ち ' 官 本 氏 は 大 阪 に

お け る 米 穀 の 需 給 関 係 を 示 す 指 標 と し て の 「 越 年 米 高 」 の 動 き と ' 米 価 の 動 向 と の 相 対 的 関 連 性 を 追 求 さ れ 、 大 名 の

年 貢 米 の 販 売 行 為 は 、 筆 者 が 主 張 す る 堂 島 の 大 名 金 融 と 結 び つ い た 硬 直 性 よ り も 、 よ り 市 場 経 済 法 則 が 先 行 す る こ と

を 指 摘 さ れ る 。 氏 の 論 考 に は 傾 聴 す べ き 論 証 が 多 々 あ る が ' 筆 者 が 旧 稿 で と り あ げ た 諸 種 の 調 達 切 手 の う ち に は 、 出

切 手 に よ rQ 大 名 金 融 が 抄 な か ら ず あ っ た こ と を 指 摘 し た つ も り で あ る が ' そ の 点 に つ い て 誤 解 が あ る よ う で あ る 。 小

稿 で は 文 化 十 1 年 に 堂 島 で 大 量 な 過 米 切 手 発 行 に よ っ て 取 付 事 件 を 惹 き 起 し た 久 留 米 藩 (筑 後 蔵 ) を 素 材 に 、 堂 島 に

(4)

お け る 過 米 切 手 の 1 般 性 ‑ 少 な く と も 小 稿 で と り 上 げ る 西 国 大 名 に よ る 大 坂 廻 米 は ' 極 端 に 云 っ て 過 米 切 手 の 引 換

準 備 米 と し て の 意 味 を も つ も の で は な か っ た か と い う こ と ‑ 、 そ の 過 米 切 手 が 堂 島 市 場 で 許 容 さ れ た 条 件 と 、 基 府

の 対 応 な ど の 歴 史 過 程 を 辿 る 中 か ら 、 1 九 世 紀 前 期 の 西 国 大 名 経 済 に 果 し

堂 島 の 位

匠づ

け に つ い て 再 考 し て み た い

と 思 う 。 以 下 ' 本 題 に 入 る 前 に 、 久 留 米藩 の成 立 以 後 、 文 化 期 の破 局 状 態 に 至 る ま で の

財 政 に つ い て 1 と 通 り 勝 祝

し て お こ う 。

注 倍 銀 担 保 の 米 切 手 を め ぐ っ て ‑ 」 (r 史 料 館 研 究 紀 要 J

( 1 ) 島 本 得 一 r堂 島 米 会 所 文 献 集 j 所 収 。 島 本 氏 の 解 題 に 第 二 畳 よ る と , 同 番 は r温 知 讃 軍 ︼ 所 収 の 「八 木 の は な L L と (3 ) 官 本 又 郎 r近 世 米 価 の 変 動 と 大 阪 に お け る 米 穀 需 給 殆 ど 同 一 で ' 寡 永 頃 の 成 立 と さ れ る 。 ‑ ‑ 大 阪 米 価 ・ 全 国 米 価 ・ 大 阪 越 年 米 高 の 動 き ‑ 」 (2 ) 拙 稿 「 ) 八 世 紀 以 降 の 大 名 金 融 市 場 と し て の 堂 島 1 (r 大 阪 大 学 経 済 学 」 第 二 五 巻 琴 ‑ ・ 三 号 )

︻ 久 留 米 藩 前 ・ 中 期 の 財 政 事 情

元 和 六 年 ・ 筑 後 一 国 三 十 二 万 五 千 石 の 慣 主 田 中 氏 京 城 は 柳 河 ) 除 封 の あ と を 受 け て 、 丹 較 福 知 山 か ら 入 封 し た 有 馬 氏

に ょ っ て 成 立 し た 久 留 米 藩 は ' 表 高 二 十 一 万 石 、 現 実 の 年 貢 徴 収 の 基 準 と な っ た 入 封 当 時 の 内 高 は 三 十 二 万 六 百 四 十

七 石 余 と さ れ る 。 こ の 内 高 の 査 定 に つ い て は 、 諸 雷 の 伝 え る と こ ろ に よ る と 元 和 七 年 初 入 国 の 有 馬 氏 が 領 中 に 命 じ て

碇 出 さ せ た 召 出 を 基 準 に 五 割 を 加 え た 数 字 と 云 わ れ 、 こ の 内 検 高 に 三 ツ 七 歩 の 貢 租 を 二 カ 年 課 し た と こ ろ ' 重 課 に 唱

品 晶 出 た た め , 同 九 年 四 万 石 余 を 免 除 し , 二 十 八 万 六 百 四 十 七 石 余 を 「 本 地 の 高 」 に し た と 説 明 さ れ て : ( 班

こ の 伝 来 の 示 す と こ ろ は 、 有 馬 氏 入 封 時 の 内 高 の 設 定 が 可 成 り 杜 桝 か つ 強 引 な も の で あ り 、 ど れ 程 現 実 の 生 産 力 に

筑 後 萩 生 米 切 手 考 (鶴 岡 ) 五 七

(5)

史 料 館 研 究 紀 要 第 二 二 号

照 応 し た も の で あ っ た か ' 疑 問

が 多 い と い ‑ こ と で あ る 。

﹃ 久 留 米 小 史 ﹄ に は 、 そ の 後

正 保 ‑ 寛 文 ・ 延 宝 の 間 に 精 力 的

に 進 め ら れ た 筑 後 川 そ の 他 の 治

水 ・ 用 水 工 事 に よ っ て 、 水 田 の

拡 張 が 大 規 模 に 進 行 し た と さ

れ 、 元 禄 時 の 幕 府 へ の 届 出 に

は ' 出 旦 向 ・ 開 高 の 合 計 が 二 万

第 1 表 久留米薄内高の推移

r久留米/J、史JIその他 より

九 千 石

余 と

あ り '

正 徳 四 年 の

竿 人 を

経 て

末 の 内

高 は 廃 藩

置 県

時 の

記 録 で、

拝 領 高

を う

廻 る こ と

十 五

万 六 千 石

余 の

三 六 万 六 二 七 一 石 余、

村 数 も

五 四

七 力

村 と

二 力

村 の 増 加 を

示 し

い る

(

第 l ・

第 2

天 明 )0

期 に ほ ぼ 頭 打

ち と

な っ

た 内

高 の 増 加 は、

亭 れ 以 前 に お

け る

主 の

絶 え

間 な い 増 徴 志 向 に 支

え ら

れ た も の と 思 わ れ る が 、 「 御 旧 制 第 2 表久

留米藩拝領高 と幕

部内検高の比較 . 臥 . f Z L に よ れ は ' 久 留 米 薄 の 財 用

不 足 は 早 く も 明 暦 元 年 三 代 藩 主 頼 利 が 四 才 の 幼 年 で 襲

封 し た 時 に 始 ま る と さ れ で い る 。 入 封 間 も な い 寛 永 初 年 の 飢 僅 ・ 洪 水 ・ 塩 害 と 大 坂 城 ・ 江 戸 城 御 普 郡名 村数石高石高の 寛文印知明治寛文印知明治 増加率 御 井71 l 72 石 36 , 165 . 120 石 56,528.33056.3% 御原 3 53620 , 587 .43033.304.90061.8

生 薬 545912,675.83726,882.990112.0 竹野 898912,397.81222,875.12084.5 p 山 . 秦 303012,474.14516.559.70032.8 三 瀦 12813775,389.341118,724.58057.5 上 婁 939725 , 169 . 42569 ,005. 180174 . 1 下 妻252715

,1 40 . 86 3 22 , 3 90 . 9 1 0 . 47 . 9 計 5 2 5 5 4 7 2

1

0 J OO

O . 0 0 0 1 36 6 , 2 7 1 . 7 1 0 . 平均 7 4. 4

r克文

(6)

講 役 豆 永 七 ・ 同 二 年 )' 寛 永 一 四 二 五 年 の 島 原 一 按 へ の 出 陣 等 、 西 国 大 名 に 共 通 す る 事 由 で は あ る が 、 久 留 米 藩 は

成 立 当 初 か ら 財 政 圧 迫 の 要 田 が 多 ‑ 存 し た と 思 わ れ 、 「 国 用 不 足 」 と 記 録 さ れ た 明 暦 前 後 に は ' 藩 主 の 相 次 ぐ 卒 去 (初

代 豊 氏 は 寛 永 t 九 年 没 ' 二 代 豊 税 は 明 暦 元 年 没 、 三 代 煩 利 は 寛 文 八 年 婚 姻 の 年 没 ) ' た び 重 な る 江 戸 屋 敷 の 燐 焼 (明 暦 (3 ) 三 ・ 万 治 二 ・ 寛 文 九 年 ) 、 領 内 の 水 害 等 ' 天 災 ・ 人 災 は 枚 挙 に 暇 が な い 。 「米 府 年 表 」 に は ' 尾 州 侯 息 女 が 入 輿 の 延 宝

二 年 、 在 町 よ り の 先 納 銀 の こ と を 記 し 、 翌 三 年 御 勝 手 方 差 支 え に つ き 家 中 上 米 が 始 ま っ て い る 。 簡 略 令 の 発 令 も 劾 な

く へ 延 宝 五 年 七 月 に は 大 借 の た め 、 上 方 に お け る 御 用 銀 才 覚 も 不 調 と な る 行 詰 り を み せ 、 天 和 元 年 銀 札 追 い が 始 ま っ

て い る 。

こ の 早 い 時 期 か ら の 財 用 不 足 の 実 態 を 「 大 積 り 」 と い う 予 算 書 の 数 字 で 傭 政 で き る の は 「 御 旧 制 調 苗 」 の 元 禄 二

年 ・ 同 七 年 分 を 対 照 さ せ た 「 御 勝 手 方 惣 御 積 」 が 最 初 の も の の よ う で あ る 。

な お 、 現 在 久 留 米 市 民 図 番 館 所 蔵 の 「有 馬 家 文 庫 」 中 の 「御 旧 制 調 苔 」 の 成 立 に つ い て は 、 準 者 が 採 前 の 際 ' 時 間 的 制 約 か ら 全 冊 を 通 覧 で き な か っ た た め ' 断 定 は 博 ら れ る が ' 「久 留 米 藩 一 夕 雷 」 中 に 、 十 代 洋 主 頗 永 公 の 時 へ 家 中 村 上 守 太 郎 ・ 野 崎 平 八 の 両 名 が 御 旧 制 調 役 に 任 ぜ ら れ ' 豊 氏 公 以 来 の 滞 制 規 則 を 悉 く 編 集 し た こ と が 述 べ ら れ て お り (「 久 留 米 市 話 し 下 . 編 四 〇 七 1 四 〇 八 頁 ' 四 二 二 頁 )' 天 保 一 五 年 襲 封 直 後 か ら 大 倹 令 を 以 っ て 勝 手 方 の 大 改 革 を 志 向 し な が ら 、 治 世 僅 か 三 年 で 没 し た 煩 永 の 命 に よ っ て 編 集 さ れ た も の と 思 わ れ る 。 た だ こ の 「御 旧 制 調 香 」 に 断 続 的 に 収 録 さ れ た 元 禄 以 降 の 洋 財 政 収 支 は ' 何 れ も 予 算 書 と 覚 し く ' 何 故 決 算 事 が 撃 不 さ れ て い な い の か 疑 問 の 多 い と こ ろ で あ ろ 。 或 い は 後 段 で 検 討 す る 大 阪 で の 蔵 米 販 売 上 の 諸 種 の 操 作 が 決 算 書 の 作 成 を 困 経 に し た と 推 測 す る の は 穿 ち 過 ぎ で あ ろ う か 。 他 洋 の 事 例 と 共 に 後 考 に 偵 ち た い と 思 う 。

「 当 十 月 ♂ 釆 九 月 迄 御 物 成 ・ 夏 成 銀 品 々 集 銀 ヲ 以 、 江 戸 大 坂 久 留 米 御 入 用 銀 井 借 銀 御 払 方 拒 引 凡 積 」 と 頭 容 さ れ た

該 予 算 書 は , 元 禄 三 年 度 は 同 年 十 一 月 十 八 日 , 同 七 年 度 は 同 十 月 廿 二 日 の 日 付 で 作 成 さ れ て お ㌣ 米 方 分 に つ い て は

筑 後 簸 生 米 切 手 考 (鶴 岡 ) 五 九

(7)

第 3表 元禄 3 ・同 7 年御勝手方惣 環 ( 「 御 旧制 調書」 +)

史 料 館 研 究 紀 要 第 1 三 号 六 〇

元禄 3 年 ̲ 声禄

7 年 米 : 物成 ( 御蔵 入本地 .口米共) p4 4 , 0 1 9 . 7 2 . 0, 4 4

, 3 9 5 . 0 3 0

P . 〜 ( 明所方 日米共) 7 , 3 0 9 . 9 0 0

6 , 6 7 7 . 3 3 0

・ 方 〟 〟 ( ( 本地 出 目 .ロ米共) 閲方 ロ米共) 2 6 , , 9 2 4 1 . 6 6 0 3 , 0 2 2 . 9 6 0 1 1 . 4 5 0 5 , 0 1 5 . 1 3 0 収 ̲ 御蔵給知 〝 ( 給知 畠田出 目米 ロ米共) 1 , 9 5 9 . 0 9 0 .

共一分通差上物成 日米共 2 , 8 0 6 . 8 0 0 I

、入 五分御 借米 2 0 0 0 石利足 ∴ 2 , 9 3 8 . 4 0 0∴ 2 , 9 3 8 . 4 0 0

計 ( 米大豆 ) ,6 3 , 4 2 1 . 1 3 0 6 6 , 8 1 4 . I / 4 0

俵 ニ換 算 A 1 9 2 , 1 8 5 俵

L

2 0 2 , 4 6 8 俵

栄 米大豆 品々御 払方 9 1 「

0 8 0 俵 9 2 , 5 8 0 依 方

支 上方

借銀返済分 2 0 , 0 0 0 2 0 , 0 0 0

計 B ・ 1 1 1 , 0 8 0 1 1 2 , 5 8 0

残 て ( A‑B) C 8 1 , 1 0 5 8 9 , 8 8 8

二万 収 入 暮物成米大豆 ( C) 代

銀 ∴二 8 7 2 〆 匁 , 7 0 0① 1 , 0 4 5 〟 .匁 , 6 5 0 @ 来 夏 成 銀 2 5 0 , 0 0 0 .2 5 0 , 0 0 0

薪代銀納 ( 五 カ年平均) 3 2 , 8 3 0

, 3 2 , 6 3 0 1

地顔 出供物 印銀 ( 同上)

1 0 , 1 8 0 ∴ 1 0 , 1 8 0

千 石 夫 銀 5 0 , 0 0 0L 5 0 , 0 0 0

小物成 奉行可約分 l l , 8 7 0′ l l

, 8 7 0

山 奉 行 可 約 分 5 , 8 5 0 5 , 8 5 0

竹 奉 行 可 納 分 1 2 , 4 0 0、

1 2 , 0 0 0

締 奉 行 可 約 分 、 22 3 0

2 , 2 3 0 、

在方 8可約 品 々運上銀 3

8 , 0 0 0p 3 8 , 0 0 0

給 知 音 労 銀 1 7 , 8 0 0 1 7 , 8 0 0

御 家 中 役 銀 4 0 , 0 0 0

5 0 , 0 0 0.

山札銀元利乏 内 5 3 , 0 0 0し 2 0 , 0 0 0

四歩銀元利之内 2 0 , 0

0 0 ( 1 , 1 7 1 7 3 0 5 1 , , , 0 0 2 0 0 1 0 0、

0 ) 1 , 7 3 1 , 8 1 0

在 々年延御借米銀可納分 1 0 , 0 0 0

御 家 中上 ケ̀ 計 米 D 1 , 1 5 3 6 3 0 , , 2 0 0 0 6 0

江 戸 御 入 用 銀 1 , 2 0 4 , 7 5 0 1 , 2 6 5 , 0 0 0 @ 参現御供衆苦労銀 .御借銀 .売延米代

銀等 ㌧

(8)

第 3 表 ( 続き)

元禄 3 年 l 元禄 7 年 京 都 呉 服 代

茶屋四郎左衛 門御合力金 大坂御足数万払方 在 国御作事方 井船鉱治方 二 月 ・八月造用夫銀 北 国 材 木 代 久留米 こて万御買物代

〝 御 銀奉行直払 長崎 こて御買物代紋 御 道 具 代 銀 京大坂御借銀年駅分 江戸御借金 40 0 0 両 の利銀 伊予様‑御合力銀 井米大豆 70 0 俵

計 E

方 支 也

御不足銀 E‑D l 1 , 1 2 1 , 1 9 0 】 1 , 49 6 , 1 90

江 ① 午碁助成米

6 1 . 1 0 5

×⑳

1

1

5 0 .

同大

豆2 0 . 0 0 0

俵×⑳8匁

5 0

◎ 成 暮助成米

6 7 . 8

8

0 旗×◎1 2

匁 同大

王 2 2 . 0 0 0 抜×◎

1

0

5 0

◎ 在国入用鋲を含む

@ 伊予楼 ・采女械 ・大将三者帝門励姻 娘 なお元禄

7

年払方桑計の ()内の数字は輩者計井

筑 後 蔵 生 米 切 手 考 (鶴 岡 ) 一 応 収 納 が 完 了 し て い た と み ら れ る (第 3 表 ) 。

な お 久 留 米 藩 に お け る 地 方 知 行 か ら 蔵 米 知 行 制 (4 ) へ の 移 行 は 宝 永 七 年 と さ れ て お り へ 元 禄 期 の 収

納 米 は 歳 入 分 に 限 定 溝 れ る わ け で あ る 。

「御 旧 制 調 香 」 に よ れ ば '

春 林 院 様 (初 代 津 主 豊 氏 ' 治 世 座 長 七 ‑ 寛 永 一 九 年 ' 引 用 者 注 、 以 下 匝 御 代 御 家 中 知 行

高 十 1 万 九 千 百 石 余 篭 欝 瑠 ㌍ ++ 表 地 軒 M 百 七 十 石

と申供

堤林院

様 三 代 忠 喝 治 世 寛 永 一 九 ‑ 明 暦 元 年 ) 御 代 御 家 中 知 行 高 十 五 万 千 五 百 四 十 二 石 と 相 見 、 其 他 御 用 度 之 数 相 分 不 申 供 と あ り ' 初 代 の 寛 永 十 年 に は 歳 入 地 と 給 知 高

の 割 合 は 五 五 ・ 四 と 四 四 ・ 六 と な っ て い る が ・ 二 代 持 主 の 時 期 に 給 知 高 が 二 万 六 千 石 以 上 増 加 し ' さ ら に 寛 文 六 年 一 五 万 九 ㌧ 九 九 二 石 と 前 期 に は 給 知 南 が 漸 増 傾 向 に あ っ た こ と が 知 ら れ る が ' 新 開 ・ 出 目 高 を 含 め た 蔵 人 地 と の 比 率 は 確 認 で き な い 。 元 禄 三 年 の 予 許 否 に は 物 成 高 の 各 項 目 に 免 率 の 記 城 が あ る の で ・ 当 時 の 蔵 人 地 を 推 算 し て み た の が 第 4 表 で あ る 。 最 下 段 の 役 ・ 茅 野 開 畠 田 成 に つ い で

六 一

(9)

第 4 表 元禄 3 年歳入地推計

史 料 館 研 究 紀 要 第 二 二 号

「御旧制調

」 +(久留米市民図書館所蔵有用宏文卑) 口米は物成の

0 . 0 4

として計算

六 二 は

免 の

載 が な く '

蔵 人 地

分 の

合 計 石 高

は 判

然 し な い が

一 五 万 四 五 ㌧

千 石 す れ ば と

当 時

本 地 高

へ 内 高 ) の

五 程 〇 %

度 推 定 れ と さ る 。

率 は 地 て 差 が に よ が あ 目 る っ '

本 地 が 出 目

五 五 % と

高 で 、

平 均 三

割 八

分 三 厘 い と う

率 が 得 れ る ら 。

地 の 物 成 米 の は か、 日

御 借

米 利 足 ( 七 年 度 は 一 分 通 差 上 物 成 が 加 わ る ) を 加

え た 米 方 収 入 の 総 額 は 1 九 万 ‑ 二 〇 万 俵 ( 大 豆

共 ) の 親 横 で あ り 、 現 物 払 い と 上 方 借 銀 返 済 分

( 二 万 俵 ) を 差 引 い た 販 売 可 能 量 は 八 〜 九 万 俵

の 間 で あ り 、 元 禄 三 年 に つ い て は 米 一 石 (三 俵 ) 三

四 匁 五 分 ・ 大 豆 同 二 五 匁 五 分 、 同 七 年 に つ い て

は 米 三 六 匁 ・ 大 豆 三 一 匁 五 分 の 単 価 計 算 で 、 銀

方 収 入 の 最 初 に 計 上 さ れ て い る 。元 禄 三 年

の 銀 方 収 入 の 総 額 は 1 ' 五 六 〇 貫 目 余 で あ る が

、 そ の う ち 米 ・ 大 豆 の 換 金 分 は 五 六 % 弱 、 夏 成

銀 ( 大 小 麦 ・ 菜 種 銀 納 分 ) 小 物 成 そ の 他 を 含

め た 租 税 収 入 は 一 、 二 八 六 貫 目 余 で 全 体 の 八 二 ・

四 % を 占 め へ 残 り の 一 七 ・ 五 % は 家 中 ・ 在

(10)

銀 が 圧 倒 的 に 大 き な 比 重 を 占 め 、 参 観 交 代 に 係 る 諸 ㌍ 用 を 加 え れ ば 、 そ れ の み で 銀 方 収 支 は 赤 字 と な る 状 態 で ' 最 終

的 に 計 上 さ れ た れ た 不 足 銀 は ' 元 禄 三 年 1 ㌧ l 二 1 貫 目 余 ・ 同 七 年 一 ㌧ 四 九 六 耳 目 余 と さ れ 、 こ れ を 各 年 度 の 換 金 米

単 価 で 換 算 す る と 、 三 年 度 が 九 万 七 ㌧ 四 九 五 俵 ・ 七 年 度 が 一 二 万 四 、 六 八 二 俵 分 に 相 当 す る 。 も ち ろ ん 予 許 容 と い う (5 ) 性 格 上 米 価 の 浮 動 性 を 考 慮 す れ ば (蔵 米 の 販 売 地 は 不 明 で あ る が へ 恐 ら ‑ 上 方 ) 、 幾 分 か の 修 正 が 見 込 ま れ る が 、 当 時

の 歳 入 分 の 収 納 米 が 二 〇 万 俵 前 後 で あ っ た か ら ' 少 ‑ と も 1 ・ 五 倍 以 上 の 収 納 が 必 要 と さ れ て い た わ け で あ る 。 元 禄

三 年 の 大 損 の 末 尾 に は 「 紙 面 之 通 不 足 銀 相 見 候 ' 先 年 勝 手 研 以 後 相 増 候 而 己 二 而 減 候 儀 無 之 」 と お っ て ' 借 銀 が 年 々

累 積 す る 1 万 で あ っ た こ と は 、 七 年 度 の 見 積 告 の 数 字 が 袋 付 け て い る 0

正 徳 元 年 ' 六 代 藩 主 則 経 に ょ る 御 勝 手 方 直 裁 の 宣 言 に 始 ま る 正 徳 の 改 革 は ' 大 幅 な 増 徴 を 目 的 と し た 税 制 改 革 に 最

大 の 眼 目 が 有 し た と み ら れ て い る . 久 留 米 藩 に お い て 東 応 三 年 以 後 実 施 さ れ た 土 免 制 の 実 態 は 明 ら か で は な い が 、 小

検 兄 を 併 用 し た 定 免 制 と 推 測 さ れ て い る 。 正 徳 二 年 正 月 隠 田 畑 の 内 詮 議 に 始 ま り へ 従 来 の 土 免 制 を 廃 止 し て 正 徳 二 年 (6 ) 田 畑 春 法 に よ る 検 見 取 を 採 用 ' 更 に 同 四 年 以 降 は 春 免 制 採 用 に よ る 定 免 反 取 法 が 施 行 さ れ た と い う 。 そ の 結 果 、 正 徳

四 年 の 秋 物 成 は 四 四 万 六 四 〇 〇 俵 余 と ' 茄 末 に 至 る ま で の 同 港 収 納 量 の 最 高 を 記 録 し た と い う 。 こ の 正 徳 期 の 徴 粗 筋 (‑ ) の 高 水 準 は 1 応 享 保 四 年 ま で 続 い た と さ れ る が ' 現 在 通 覧 し 得 る 事 保 1 六 年 以 降 、 段 応 三 年 に 至 る 二 二 七 年 間 の 徴 税 (8 ) 街 を 掲 示 す る と 次 の 通 り で あ る (第 6 表 ) o

「 久 留 米 藩 旧 租 要 略 」 に は 、 該 数 字 を 「 ロ 米 及 大 庄 昆 給 米 旧 恢 二 加 ( タ ル 俵 高 ナ リ 」 と 注 記 し 、 収 納 立 を 七 段 階 に

区 分 し て 年 数 を 計 上 し て い る (約 7 表 ) o 徴 税 額 最 低 の 八 万 俵 余 は 、 上 方 以 西 、 特 に 九 州 地 方 を 襲 っ た 大 飢 銭 の 享 保 1

七 年 で あ り 、 久 留 米 領 だ け で 翌 秋 迄 の 餓 死 人 は 一 万 人 余 と 伝 え ら れ る 。 同 年 を 除 け は 三 六 〜 三 九 万 俵 ( 一 二 、 三 万 石 )

の 年 が 過 半 (五 七 ・ 七 % ) を 占 め 、 そ の 前 後 の 三 〇 〜 三 五 万 俵 .・ 四 〇 万 俵 余 の 年 が 各 二 〇 年 と な っ て お り ' 四 1 万 俵

筑 後 歳 空 米 切 手 考 (鶴 岡 ) 六 三

(11)

窮6 表 久留米藩 基 蔓 欝 葺 教範額

r久留米藩

T E

lを要略

j

(

(12)

第 7 表 墓 誌1 3 6 葺致租額

散 租 額 年数 ̀

4 2 万依余

1 4 1 万俵余

4 0 万俵余 r 8

l 2 0 3 8 ‑

3 6 万俵 7 9 3 5 ‑3 0 万俵 2 1 2 9 ‑2 3 万俵 7

8 万依余 計 1 137

「久留米藩旧租要略」による

を 超 え る と 豊 作 年 ' 三 〇 万 俵 未 満 が 不 作 年 と し て 把 え ら れ る 。 俸 禄 制 移 行 後 の 収 納 高 と 、 前 の 元

禄 期 の 収 納 高 を 単 純 比 較 す る こ と は で き な い が 、 こ の よ う な 収 納 を も た ら し

た 正 徳 の 税 制 改 革 に つ い て 、 永 尾 正 剛 氏 は 「竿 入 検 地 に よ る 出 目 地 の 創 出 ・ 畝 数 把 握 と と も に 、 立 毛 良 き 所 を 坪 苅 り (9 ) L t こ れ を 総 畝 数 に 撫 ら す こ と で 増

石 を 行 な い 、 秋 物 成 の 増 徴 に 成 功 し た 」 と 増 徴 の テ ク ニ ッ ク ・ 特 徴 を 説 明 さ

れ 、 松 下 志 朗 氏 も 正 徳 改 革 の 結 果 、 著 し い 畝 数 増 を 検 出 さ れ ' 「正 徳 改 革 に よ る 年 貢 増 徴 の 志 向 は 免 率 の 増 加 を 新 し

(10 ) い 徴 租 方 法 で 実 現 さ せ た だ け で な く 、 外 延 的 に ・f 畝 数 を 著 し ‑

増 加 さ せ て 成 功 を 収 め 得 た 」 と さ れ る 。 寛 文 期 の 大 石 堰 ・ 長 野 堰 の 構 築 に 代 表 さ れ る 筑 後 川 の 治 水 工 事 に つ づ き 、

正 徳 期 の 床 島 堰 の 完 成 に よ る 水 田 造 成 の 成 功 な ど 、 同 時 期 の 生 産 力 の 上 昇 は 認 め 得 る と は 云 う も の の 、 正 徳 の 税 制 改

革 が 可 成 り の 収 奪 の 硫 化 を 伴 う も の で あ っ た こ と は 諸 氏 の 言 及 さ れ る と こ ろ で あ る O 享 保 二 二 年 二 月 、 夏 成 物 増 徴 の

目 論 見 が 、 上 三 郡 の 良 民 の 抵 抗 の 前 に 撤 回 を 余 儀 な ‑ さ れ ' 良 民 の 騒 動 に 対 し て は 不 問 に 付 し た は か り か 「 百 姓 共 至 極 困 究 之 段 上 達 不 仕 、

依 乏 御 領 中 騒 動 供 (ll ) 段 不 屈 之 至 」 と し て 、 御 郡 方 惣 才 判 が 処 断 さ れ て い る 事 実 は 、 収 奪 が 限 界 を 超 え る も の

で あ っ た こ と を 示 す も の と 思 わ れ る 。 な お 、 正 徳 四 年 に 二 五 〇 貫 目 の 定 額 銀 納 と な っ た と 云 わ れ て い る 夏 物 成 は

、 総 生 産 畳 の 十 分 1 と 認 定 さ れ た 大 ・ 小 麦 一 万 二 千 金 石 、 菜 種 千 六 百 石 余 を 銀 目 換 算 し た も の と さ れ て い る が 、 元 禄

期 の 予 井 容 で み た 通 り ' 同 時 期 に 既 に 夏 物 成 の 二 五 〇 貫 目 の 定 額 銀 納 は 定 着 し て い た よ う に 見 受 け ら れ ' 「 米 府 年 表

」 文 化 十 1 年 < 月 九 日 の 免 に 「夏 成 御 免 極 、 夏 成 の 義 年 々 豊 凶 に 拘 ら ず 、 大 凡 銀 二 五 三 貫 目 の 左 右 に つ き 以 来 不 戟 」 と

み え る か ら 、 若 干 の 異 同 は あ る も の の ' 筑 後 歳 生 米 切 手 考 高 岡 )

(13)

史 料 館 研 究 紀 要 第 ± 二 号

慕 末 ま で こ の 定 額 銀 納 は 踏 襲 さ れ た と 思 わ れ る

。.

・ 江 戸 期 に お け る 久 留 米 音 便 の 菜 種 生 産 の 実 態 は 不 明 で

ある

が (

治 初 年 に お ′い て 全

国第三位の

地 位 を 省 め る に 至 る (12 ) 同 地 の 菜 種 生 産 に つ い て 藩 が 積 極 的 に 生 産 量 の 把 垣 す る こ と を 放 棄 し て い そ しと は 、 米 納 年 貢 増 徴 の 儲 行 が 、 ・裏 作 生

産 の 存 在 な く し て ほ 実 現 し 得 な い こ f Jを ' 薄 当 局 が 認 識 し て い た か ら に 他 な ら な い と 思 わ れ る 。

,

・. 以 上 み て き た 通 り ' 増 徴 策 が 限 界 に 達 し な が ら ' し か も な お 久 留 米 藩 の 財 政 収 支 は 好 転 し 得 ず

「米 府 年 表 」 に は 、

享 保 1 五 年 の 銀 札 発 行 を は じ め 、 簡 略 令 、 在 町 先 約 銀 ・ 才 覚 金 の 賦 課 〜. 諸 役 人 の 省 滅 、 家 中 上 米 ・ 上 金 令 が ‑ り 返 え

し 記 録 さ れ 、 寛 保 三 年 大 坂 で 御 用 達 兵 庫 昆 弥 兵 衛 が 御 仕 送 り の 御 断 り を 申 出 た こ と や ' 宝 暦 四 年 在 町 人 別 銀 賦 課 に 対

し て 、 領 中 農 民 十 余 万 人 が 蜂 起 の こ と な ど を 伝 え て い る 。 .

こ の 宝 暦 四 年 の 領 民 騒 動 は 、 藩 が 在 町 1 銃 へ 対 し 1 人 別 1 カ 年 銀 札 六 匁 ツ 、 、 1 カ 月 六 分 ツ 、 毎 月 十 五 日 限 り 差 出

す べ き こ と を 命 じ た こ と に 端 を 発 し た も の で あ っ て 、 三 月 十 九 日 廿 日 頃 か ら 始 ま り ' 藩 役 人 の 説 得 に よ っ て 四 月 二 日

夜 に 鋳 っ た 騒 動 で は 「 標 掠 村 更 の 家 を 放 つ 事 六 十 三 宇 「 其 行 装 策 笠 に 鎌 を 持 ' 関 を 上 て 大 庄 星 庄 屋 用 達 之 者 等 を 打 崩 (13 ) す 」 と あ り 、 落 着 後 の 四 月 大 庄 昆 廿 五 人 閉 戸 慎 、 惣 奉 行 以 下 の 担 当 藩 役 人 は 役 義 召 放 ・ 閉 門 等 の 処 分 を 受 け た ほ か 、

在 方 騒 動 の 頭 取 ・ 桑 党 ら 三 七 名 が 刑 死 、 牢 舎 三 〇 〇 人 に 及 び 、 追 放 ・ 過 料 銭 の 処 罰 を 受 け て い る 。 こ の 騒 動 中 に 惣 郡

百 姓 中 か ら 提 出 さ れ た 臨 書 に は 「 大 庄 昆 耕 作 之 長 に 被 立 置 候 へ 共 、 耕 作 御 上 納 余 分 を 考 も 不 仕 、 剰 御 物 成 御 免 相 極 百

盛 中 零 落 困 究 、 作 物 之 養 ひ も 致 不 得 、 弥 増 実 り 鮮 く れ 儀 眼 前 の 儀 に 候 」 と 、 物 成 免 相 が 大 庄 昆 レ ベ ル で 取 極 め ら れ て

い る こ と を 示 し 、 そ の 大 庄 鼠 は 「 第 一 我 可 相 助 役 義 元 を 失 ひ ' 御 上 よ り 被 仰 付 侯 義 を 奉 相 守 と し て 却 て 御 政 道 の 妨 に

相 成 候 義 を 中 上 、 少 々 蒙 御 役 義 権 威 不 及 所 存 を 相 立 、 我 意 に 誇 り 且 対 御 奉 行 御 機 嫌 を 取 、 言 葉 を 飾 候 義 難 申 尽 候 」 と

し て 、 そ の 罷 免 を 願 出 、 か つ

(14)

今 般 被 仰 付 候 人 別 上 銀 之 義 恐 多 中 上 事 に 候 へ 共 、 御 上 御 勝 手 方 被 為 遊 御 差 支 無 余 義 被 為 被 仰 付 候 御 義 孝 承 知 候 、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 何 分 に も 致 出 精 御 上 納 中 上 庶 事 存 候 へ 共 、 数 ヶ 年 相 続 択 宅 仕 御 検 見 御 願 中 上 候 て も へ 去 る 未 年 己 釆 立 毛 不 相 応 に ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 過 分 の 上 納 仕 ' 又 為 御 救 御 銀 米 被 仰 付 候 て も 廉 直 に 割 賦 無 御 座 ' 末 々 迄 旧 道 不 仕 、 大 坂 借 用 奴 等 も 右 同 然 ' 且 御

銀 米 拝 借 之 筋 其 外 御 歎 申 上 皮 率 存 供 て も 、 御 上 に 達 至 極 延 引 仕 、 万 端 差 支 将 又 御 物 成 共 外 銀 米 共 御 上 納 仕 候 節 、

日 延 之 去 願 出 侯 て も 押 て 取 立 御 座 候 に 付 、 無 地 身 上 枯 却 任 侠 者 多 く 、 其 外 放 具 家 財 等 巳 に 売 払 過 分 之 失 却 相 立 、 (14 ) 極 々 及 田 究 、 只 今 迄 之 通 り に て は 農 業 起 取 統 乍 恐 御 歎 中 上 皮 革 存 供 ( 下 略 、 傍 点 引 用 老 )

と 年 貢 納 入 の 困 難 を 訴 え 、 つ づ け て 後 段 に は 特 に 御 廻 米 撰 立 上 納 に 際 し て 、 米 俵 撰 別 の 厳 し さ と 、 そ れ に 伴 な う 諸 負

担 の 重 さ を 嘆 じ て い る の で あ る 。

過 度 の 免 率 に よ っ て 定 免 が 継 続 さ れ た と す る 「 去 ル 未 年 」 が 何 時 の 年 を 指 す の か は 明 ら か で は な い が 、 上 引 の 享 保

1 六 年 以 降 の 徴 粗 筋 表 を み る と 、 延 事 二 、 三 年 の 二 七 万 俵 ・ 三 二 万 俵 と 不 作 年 の あ と 、 斑 延 期 が 三 五 〜 三 七 万 俵 と 中

の 下 作 、 宝 暦 元 年 に は 四 〇 万 俵 に 回 復 し 、 騒 動 の 前 年 宝 暦 三 年 に は 四 一 万 俵 ' 翌 四 年 に は 四 一 万 七 千 俵 弱 と 、 久 留 米

藩 と し て は 上 作 に 位 す る 収 納 を 記 録 し て お り 、 正 徳 四 年 改 変 の 春 免 制 採 用 の 税 法 な る も の が ' 現 実 の 作 柄 の 豊 凶 に 拘

わ り な く 、 一 定 以 上 の 物 成 収 納 を 支 え る 積 粁 と な っ て お り 、 更 に 大 庄 星 の 存 在 が そ の 補 完 装 置 と な っ て い た こ と を 窺 (15 ) い 知 る こ と が で き る 。

注 T ) 「久 留 米 藩 旧 税 要 略 」 (「 福 岡 県 史 資 料 J 第 六 韓 、 四 二 五 頁 、 r久 留 米 小 史 J 巻 八 ) (2 ) 久 留 米 市 民 図 番 館 所 蔵 「有 馬 家 文 庫 」

筑 後 歳 生 米 切 手 考 (鶴 岡 ) (3 ' r米 府 年 表 」 (r 久 留 米 市 誌 .[ 下 編 ) へ1 ) 「米 府 年 表 」 宝 永 七 年 十 二 月 の 条 に 「是 迄 地 方 よ り 直 に 受 取 侠 処 ' 地 方 よ り 御 蔵 約 に 成 ' 御 蔵 所 よ り 御 家 中 江 披 相 法 」 と あ ろ が ' 正 徳 元 年 の 御 勝 手 方 凡 領 日 録 (御 旧

六 七

(15)

史 料 館 研 究 紀 要 第 二 二 号 制 調 香 十 ) .に は 支 出 に 知 行 米 の 記 載 な ‑ ' 布 告 と 実 施 に は ' 時 間 的 ず れ が あ る と 思 わ れ る 。 (5 ) 「御 旧 制 調 書 」 十 に ' 慶 安 元 年 二 月 二 十 八 日 r西 大 名 . 衆 国 々 物 成 之 辻 ' 大 阪 上 り 払 分 之 員 数 を 以 大 横 目 録 」 な る 書 冊 か ら 筑 前 黒 田 家 ・ 柳 川 津 立 花 家 の 国 用 見 積 書 が 抄 写 さ れ て い る が ' 物 成 総 量 か ら 必 要 経 費 を 指 引 い た 残 石 は 総 て 大 坂 廻 米 す る こ と が 前 提 と さ れ て い る 。 (6 ) 松 下 志 朗 「久 留 米 藩 の 石 高 制 と 徴 租 法 」 (福 岡 大 学 「人 文 論 萌 し 第 二 巻 四 号 (7 ) 同 右 (8 ) 「御 免 極 」 と 呼 ば れ る 該 数 字 は 「米 府 年 表 」 、 r久 留 米 小 史 」 ・ 「御 書 出 之 窺 」 (r 洋 法 典 」 11 久 留 米 聾 等 に も 収 ・ 銀 さ れ て い る ' い ず れ も 原 典 を 同 じ ‑ す る と 思 わ れ る も の の , 1 三 七

間 の う ち 三 三 年 分 に つ い て 数 字 に 異 同 が あ る 。 諸 事 の そ れ ぞ れ に 原 典 か ら の 書 写 ‑ ス ' 研 刻 ミ ス の 可 能 性 も あ り 、 い ず れ を 善 本 と す る か 採 択 の 基 準 が 得 ′ ら れ な い ま ゝ 「旧 租 要 略 」 の 数 字 に 拠 っ た 。 (9 ) 永 尾 正 剛 「筑 後 菜 種 と 大 坂 両 種 物 問 屋 の 動 向 = r西 南 地 域 史 研 究 し 第 三 帝 、 1 二 ) き (10 ) 松 下 志 朗 「久 留 米 藩 の 石 高 制 と 徴 租 法 」 ( l l ) 「米 府 年 表 」 一 三 入 貢 (s u 明 治 七 年 の r府 県 物 産 表 」 を 整 理 分 析 さ れ た 古 島 敏 雄 六 八

「資 本 制 生 産 の 発 展 と 地 主 制 」 に よ る と ' 久 留 米 藩 領 の 属 す る 三 環 県 の 明 治 七 年 の 菜 種 生 産 畳 は 五 万 二 五 五 〇 石 で 全 国 第 三 位 を 占 め ' 価 格 に し て 一 八 万 六 三 〇 八 円 は 同 県 給 生 産 価 格 の 四 ・ 八 % と な っ て い る 。 な お 江 戸 期 に お い て 筑 後 菜 種 は 大 坂 に お い て 可 成 り の 比 重 を 占 め て い る が ' 明 治 七 年 の 三 拓 県 の 種 子 油 の 生 産 量 は 1 万 二 〇 九 八 石 九 九 と な っ て お ‑ 、 原 料 に 対 す る 搾 油 率 二 〇 % と す れ ば ' 1 万 〇 五 1 0 石 (5 2

,

55 0剖 × 0 . 2) の 数 量 が 得 ら れ る か ら ' 明 治 初 年 の 段 階 で は 菜 種 子 原

が す べ て 県 内 に 於 て 油 生 産 に 消 費 さ れ て い る 計 算 と な り ' 菜 種 移 出 県 と は 認 め ら れ な い 。 「米 府 年 表 」 一 七 一 貫 同 右 、 ︼ 七 二 〜 一 七 三 頁 そ の 一 方 で 農 村 の 疲 弊 は 領 内 人 口 に 現 わ れ て い る 「米

久留米滞領内人口

元禄 1 0 1 3 7 ,1 43

寛延 3 1 80 , 8 8 9

宝暦 6 1 80 , 9 21

明和 5 1 8 1 , 46 1

安永 9 1 81 , 9 5 1

府 年 表 」 に は 公 儀 届 高 の 領 内 人 口 の 所 載 が あ る が ' 安 永 九 年 に は 公 儀 届 高 の 他 に 実 数 が 記 録 さ れ 、 明 和 五 年 よ り 二 万 七 1 二 1 人 の 減 と な っ て い る 。

(16)

ニ 後 期 の 財 政 収 支

限 界 に 達 し た と 思 わ れ る 収 奪 の 実 施 に も 拘 わ ら ず 慢 性 化 し た 財 用 不 足 の 原 因 は 、

中 央 市 場 に お け る 米 価 の 低 落 ・ 領 主 の 消 費 生 活 の 膨 張 等 々 、 諸 藩 に と っ て 共 通 の 事

由 の ほ か 、 個 別 藩 に と っ て 検 討 を 要 す る こ と で は あ る か 、 当 面 ' こ こ で は 専 ら 文 化

十 1 年 堂 島 に お け る 空 米 事 件 発 生 に 至 る ま で の 後 期 の 財 政 収 支 の 面 に 眼 を 向 け よ

ぅ . 「 御 旧 制 詞 書 」 に み え る 尭 延 四 年 の 「惣 宕 」 は 作 成 月 日 が 不 明 で あ る が , 御 蔵 納

三 九 万 八 千 俵 を 予 定 し 、 七 万 三 、 二 五 〇 俵 の 不 足 が 計 上 さ れ て い る 。 支 出 の 細 目 を

省 略 し て 費 消 地 別 に 整 理 す る と 第 8 表 の 通 り で あ る 。

全 体 の 五 三 ・ 五 % を 占 め る 国 許 入 用 の 大 半 は 、 家 中 渡 し の 俸 禄 ・ 扶 持 ・ 配 当 米 等

で あ っ て 、 部 局 の 省 減 が 進 行 し て い た 当 時 、 元 禄 時 よ り は 給 知 高 の 減 少 が 推 測 さ れ

る も の の 、 頻 繁 に 行 な わ れ た 上 知 ・ 借 上 ケ 等 の 実 施 状 況 の 詳 細 が 把 え ら れ な い の

で 、 該 予 算 の 数 字 を 鵜 飲 み に す る こ と は で き な い 。 大 雑 把 に 云 っ て 、 江 戸 か ら 遠 隔

地 の 西 国 大 名 に と っ て ' 参 鋭 交 代 が 財 政 圧 迫 の 主 要 因 で あ っ た こ と は 確 か の よ う で

ぁ る 。 な お ' 史 料 の 上 で 支 出 銀 高 を 米 高 に 換 井 し て い る B 欄 の 数 値 の 合 計 は 九 万 九

千 俵 余 で あ る が 、 参 観 入 用 が 米 高 で 予 罪 化 さ れ て い る よ う に 、 親 米 の 換 貨 皿 や 換 貸

地 な ど の 説 明 は み ら れ な い 。 ま た 不 足 米 七 万 三 千 余 儀 と あ る が 、 放 見 積 容 に は , 由

然 存 在 す る 管 の 借 銀 退 所 充 当 米 の 計 上 が な い こ と か ら 、 実 際 の 不 足 街 は 更 に 増 志 す

筑 後 歳 空 米 切 手 考 (鶴 岡 ∵

第 8 表 見延 4 年惣研 く 「 御旧制調雷」+)

t A ら A+B ・ 配

分比 国 許 入 . 用 1 6 7 , 2 9 2 依 8 4 . 9 40 依 2 5 2 ,2 3 2 依

L53 . 5%

上 方 入 用 4, 7 0 0 3 0 0

5 ,00 0 1. 1

江 戸 入 用 49 , 8 1 8 9 1 4 9 , , 2 4 40 00 6 4, 0 1 8 1 3. 6

参 鋭 入 用 汁 ‑ 1 3 5 7 0 1 . , 0 8 0 1 0 0 ■ 47 11 50 1 ,2 .00 50 0 1 31 00 . 8

. 0

収納米 3 9 8 ,0 0 0 位 ‑7 3 .2 50 依不足

(17)

史 料 館 研 究 紀 要 第 二 二 号

る こ と が 察 知 さ れ る 。

以 上 み て き た 通 り 、 予 算 告 と い う 限 界 は あ る が ' 赤 字 財 政 が 常 態 の 久 留 米 藩 で は 寛 政 三 年 に 大 坂 の 堂 島 に お い て 過

米 切 手 の 発 行 に よ る 八 万 五 千 俵 余 の 蔵 出 延 滞 事 件 を 起 し て い る 。 こ の 事 件 に 関 す る 検 討 は 後 段 に 譲 り 、 こ の 事 件 を 契

機 と し て 作 成 さ れ た と 思 わ れ る 寛 政 六 年 の 予 算 書 の 内 容 を 紹 介 し て お こ う 。

天 明 二 、 三 、 六 年 の 凶 作 年 も 三 四 〜 三 六 万 俵 の 収 納 に 持 ち 込 ん だ 久 留 米 藩 は 、 諸 国 凶 作 の 年 と 云 わ れ る 天 明 七 年 は

四 一 万 俵 の 高 収 納 を あ げ て い る が 、 寛 政 二 年 九 月 御 勝 手 方 差 支 の た め ' 家 中 並 無 格 末 々 に 至 る ま で 増 上 米 を 命 じ 、 翌

三 年 一 二 月 再 び 御 勝 手 方 差 支 え が 仰 出 さ れ 、 四 年 正 月 洪 水 の た め の 公 儀 へ の 損 毛 届 高 は 表 高 二 一 万 石 の う ち 一 一 万 一

千 石 余 と な っ て お り 、 在 方 高 役 銀 の 徴 集 が 始 ま っ て い る 。 同 年 大 坂 廻 米 量 を 定 格 二 二 万 俵 と し 、 二 年 後 の 寛 政 六 年 に

至 っ て 収 納 高 の 多 寡 に 応 じ た 支 出 の モ デ ル ・ プ ラ ン が 作 成 さ れ た わ け で あ る 。

す な わ ち 、 御 蔵 納 三 五 万 ‑ 三 六 万 五 千 俵 ' 同 三 六 万 五 千 〜 三 八 万 五 千 俵 、 三 八 万 五 千 〜 四 〇 万 俵 、 四 〇 万 俵 以 上 の

四 段 階 に 分 け 、 支 出 費 目 の 額 を 按 分 し た も の で あ る (第 9 表 ) O

こ の 予 算 案 で 特 徴 的 な こ と は ' 米 方 収 支 (第 9 表 Ⅰ ) と 銀 方 収 支 (第 9 表 Ⅰ ) に 分 け ら れ て い る が 、 銀 方 収 支 に 関

し て は 、 蔵 納 高 の 多 寡 に 拘 わ ら ず 一 と 通 り の 試 算 し か 作 成 さ れ て い な い こ と で あ る 。 換 言 す れ ば 、 米 方 収 入 の 多 寡 が

貨 幣 収 入 の 多 寡 に 結 果 し な い こ と 、 す な わ ち 販 売 米 の 量 は 不 変 で あ る こ と を 意 味 す る よ う に 思 わ れ る 。

先 ず 、 米 方 支 出 (第 9 表 Ⅰ ) に つ い て み る と ' 収 納 米 高 の 多 寡 灯 拘 わ ら ず 「 定 格 渡 し 」 と さ れ て い る の は ' 別 表 A

に 示 す 通 り で あ る . 先 に 触 れ た 通 り 大 坂 廻 米 が 定 格 の 1 三 万 俵 と さ れ 、 非 米 作 地 帯 の 代 銀 納 部 分 が 大 豆 を 含 め て 1 万

四 ㌧ 七 五 〇 石 分 が 収 納 か ら 控 除 さ れ て い る 。 ま た 江 戸 藩 邸 語 の 家 人 に 対 す る 特 別 手 当 と 参 鋭 費 用 が 定 格 と さ れ 、 大 坂

の 掛 昆 米 屋 平 右 衛 門 知 行 米 と 大 庄 屋 給 米 も 、 収 納 米 の 多 寡 に 拘 わ り な く 確 保 さ れ て い る 。 廻 米 と 区 別 さ れ た 御 払 米 一

(18)

宗9 表 Ⅰ 寛政 6 年御勝手方墳 .

「 御旧制詞書十一 」( 有馬家文庫)

筑 後 歳 空 米 切 手 考 、 (払 岡 )

収納米高 定格御波方 ① 家中淡 @ ‑ a 差 引

過 不 足 御蔵約3 5 万‑

36 万 5 千位の

午 ( 23 6 5. 7 , 6 61 %) 0 依 ( 1 3 4. 2 4 4%) , 8 80 依 36 ( l 2 oo , 48 n) 0 俵 御蔵納 p 35 36 万依ニ 万位ニ / 1 / 2 , 40 0 俵不足 2 ,7 00 依余分 1 40 ,0 3

4 ( 3 7 . 1 %) 同3 8 万 5千位

以上の年 ( 2 6 3 0. 7 , 7 6 %) 1 0 ( 1 3 5 9 3 . , 3%) 8 3 4 3 ( 91 l oo , 5 粕) 0 0 3

8 万 5 千位. =/ 6 , 40 0 俵不足 同40 万依以上

の年 ( 2 5 3 8. 7 , 5%) 61 0 ( 41 1

6

8 . 5

.

%)

150

■(

4

0 1 0

5,860

0 %) I 40 万位ニ / . 5 , 80 0 供不足

定格御荘方の内訳は

別表

A

◎ 家中茨の内訳は別表

B 別表 A

寛政 6 年御勝手方御前の内米方定式御波方 内訳 御 調 米 高

江戸御扶持方 足米 御施用御手当 江戸

上方御配当 大庄

良給米

大坂米良平右衛門知行米 小払1 2 カ月 分 御 国 米

山中共外銀約分代銀御銀

払二立匿 大豆銀納分同断

御払米同断 計 家中技の内訳 御蔵 ‑36 位 約 万 3 5 5 万 千 位〜3 同36 万 8 5 千

万 5

千依 同3 依以上 8 万 5千 上 同40 万依以 知 行 方 波 高 5 8 . 9 3 9 依 6 7 , 0 8 0 依

1 5 3. 0 , 8 0 0 3 4 0 位 1 6 4,1 4 , 0 0 50 0 位

‑ 御 配 当 方 渡 掲 2

6 . 6 8 4 30 , 0 0 0 御 扶 持 方 御 波

高 2 9 ,1 5 3 32 . 6 5 4 こ 寺:社 方 御 波

砧 3 , 2 5 3 3 , 5 0 0 御 先 手 配 当 波 高 4.

7 43 1 5 , , 戸O 5 0 O 0 旋 役 知 行 配 当増 高

1江戸上方定居 日勤歩増

(19)

第 9 表 r I 寛政 6 年御勝手方御横

史 料 館 研 究 紀 要 第 二 二 号

◎ 1

億 =付

1 5

匁宛

◎ 1

カ月

3 0

〆日宛 (参 借 鋲内訳

大坂

4 0 0

〆日

下閑

5 0 0

〆日 拓本 ′

3 6 0

〆日

長崎 80〆日

田代

4 0

〆日

◎ 但御蔵納

3 5

万俵の年は

「元入断可申事」 とあ り

入 〆 目

夏物成上納銀 2 5 0 ,0 0 0 奨宝 鑑 8 6 : … 鰭 代 2 2 1 ,00

0 ① 御払米 1 0 ,00 0 俵代 1 5 0 ,

0 0 0 : ? 6 2 1

.00 0 支 出 1 2 カ月小払 . 3 6

0 ,0 0 0 ◎ 義 上

金 3 1 ,2 0 0 拝借返上

銀 . 3 0 , 00 0 各仕舞諸

方利払 8 0 ,00 0 二八月

造用夫銀 1 6 ,0 0 0 御役料表現金銀琉 5 2 ,80 0 日 田 年 妖 1 0 ,00 0 公 米 入 用 2 0 ,00 0 御 ー 給 銀 1 5

,0 0 0

計 6 1 5

,00 0 差 引 余 銀 6 i oo o 当時御借入銀高 1 ,3

8 5 ,0 0 0 ⑧

此利凡 2 0 0

, 00 0 元一割年々払 1 3 8 ,

50 0 ◎ 計 ( 毎年仕解分) 3 3 8 ,

500 代米 20,000 俵在 約4可相依可申) 七 二 万 俵 は 在 地 払 い を 意 味 す

る も の か 、 銀 方 収 入 の 中 に 、 山 中 石 代 納 値 段

と 同 価 格 で 換 算 計 上 さ れ て い る 。 結 局 収 納 高

の 多 寡 に よ る 財 政 収 支 の 帳 尻 合 わ せ は 、 専

ら 家 中 渡 し の 操 作 に よ っ て 行 な わ れ て い る こ

と を 知 る こ と が で き る 。 し か も 財 用 不 足 の 家

臣 団 へ の 堪 寄 せ が 、 ほ ぼ 限 界 に 達 し て い た で

あ ろ う こ と は ' 最 低 の 収 納 年 と 最 高 の 収 納 年

の 場 合 と で は ' 家 中 渡 し 高 に 四 万 三 千 俵 余 の

開 ら き が あ る が ' 最 高 の 収 納 年 の 場 合 で も 、

全 収 納 量 の 四 一 ・ 五 % の 支 給 す れ ば ' 五 '

八 〇 〇 俵 の 不 足 を 来 す と い う 計 算 例 が ' よ く

そ れ を 示 し て い る 。 次 に 銀 方 収 支 に つ い て

み る と ' 収 入 は 定 額 上 納 の 夏 成 銀 の ほ か ' 米

方 収 納 か ら 控 除 さ れ て い る 石 代 銀 納 分 と 御 払

米 一 万 債 分 が 計 上 さ れ て い る が ' 大 坂 廻 米 二

二 万 俵 の 販 売 分 が 収 入 に 予 定 さ れ て い な い こ

(20)

返 済 に 充 当 さ れ る と い う 推 測 も あ り 得 る と 思 う が 、 該 銀 方 支 出 の 費 目 に は 借 銀 返 済 は 見 当 ら ず ' 結 果 は 差 引 銀 六 耳 目

の 余 銀 と あ る 。

.

そ し て 借 銀 に つ い て は 別 途 に 当 時 御 借 入 銀 高 1 ' 三 八 五 貫 目 で へ そ の 内 訳 は 注 ⑨ に 示 し た 通 り 五 カ 所

で 、 下 関 に お け る 五 〇 〇 貫 目 が 最 高 で 、 大 坂 は 四 〇 〇 貫 目 で 二 位 に つ け て い る 。 こ の 返 済 に は 利 払 二 〇 〇 耳 目 、 元 入

1 割 の 年 賦 銀 計 三 三 入 貢 五 〇 〇 日 を 要 し ' 在 方 か ら 代 米 二 万 俵 ( 1 俵 一 五 匁 と し て 銀 三 〇 〇 耳 目 ) の 納 入 が 予 定 さ れ

て お り ' 収 納 が 最 低 の 三 五 万 俵 の 年 は 元 入 分 は お 断 り と な っ て い る 。

い ず れ に し て も ' こ の 寛 政 六 年 の 収 納 高 別 の 予 算 案 は ' そ の 後 数 年 間 の 奴 範 と な っ た と 見 供 さ れ ' 寛 政 二 一年 の 予

算 で は 物 成 高 凡 三 八 万 八 千 俵 余 に 対 し ' 家 中 渡 し は 1 五 万 俵 を 計 上 し て い る が ' 定 格 御 廻 米 二 二 万 俵 に 関 す る 販 売 代

銀 収 入 が 寛 政 六 年 の 予 算 案 同 様 に 計 上 さ れ て い な い こ と は 、 検 討 を 要 す る 問 題 で あ り 、 こ の 点 を 念 頭 に ' 以 下 久 留 米

藩 の 大 坂 に お け る 蔵 米 販 売 の 在 り 方 に つ い て 検 討 を 加 え て み た い 。

三 蔵 出 延 滞 事 件 で 具 現 さ れ た 筑 後 織 の 内 情

ま ず 、 久 留 米 藩 が 寛 政 四 年 上 方 廻 米 最 を 定 格 二 二 万 俵 と す る 契 横 と な っ た と 思 わ れ る 寛 政 三 年 に 起 っ た 大 坂 堂 島 に

お け る 歳 出 米 延 滞 事 件 に 照 準 を 当 て て み た い 。

こ の 「 寛 政 の 筑 後 蔵 一 件 」 に つ い て は 、 冒 て 黒 羽 兵 治 郎 氏 が 堂 島 の 米 万 年 行 司 を 勤 め た 播 磨 星 室 谷 家 に 伝 わ る 「 筑 (1 ) 後 蔵 一 件 」 な る 記 録 に よ っ て 詳 細 な 紹 介 が さ れ て い る 。 以 下 事 件 の 経 過 は 同 苔 に 拠 っ て い る 。

事 件 の 発 端 は 寛 政 三 年 六 月 二 一 日 、 堂 島 の 米 仲 買 五 四 名 が 筑 後 歳 の 蔵 元 ・ 名 代 ・ 掛 鼠 を 相 手 取 り ' 去 年 成 年 米 八 万

五 ㌧ 八 三 〇 俵 の 歳 出 不 履 行 を 町 奉 行 所 に 出 訴 し た の に 始 ま る 。 米 仲 買 が 出 訴 に 摘 み 切 る 以 前 に も 、 筑 後 米 の 歳 出 請 求

が 再 三 に 亘 っ て 交 渉 さ れ た で あ ろ う こ と は 想 像 さ れ る と こ ろ で あ っ て 、 公 儀 権 力 を バ ッ ク に 早 急 な 解 決 を 要 求 す る 仲

筑 後 戎 全 米 切 手 考 (軌 岡 ) 七 三

(21)

史 料 館 研 究 紀 要 第 二 二 号 七 四

男 ら 原 告 に 対 し て ' 地 方 役 人 は 穏 便 な 解 決 を 勧 奨 し 、 そ れ を 受 け て 同 月 末 に 原 告 ・ 被 告 双 方 連 署 の 訴 訟 取 下 ケ 願 が 提

出 さ れ 、 内 済 す べ き こ と と な っ た 。 し か し 蔵 屋 敷 側 の 境 示 す る 内 済 条 件 に つ い て 仲 買 側 と 容 易 に 折 合 い が つ か ず 、 再 LLL の 日 延 べ を 繰 り 返 え し た の ち 、 業 を 煮 し た 町 奉 行 の 桐 喝 の も と に 、 七 月 九 日 急 抱 決 着 を み た の で あ っ た 。 そ の 示 談

条 件 は 次 の 通 り 町 奉 行 所 へ 届 出 ら れ て い る 。 .乍 恐 書 附 を 以 奉 中 上 候 米 仲 買 人 之 内 五 拾 四 人

筑 後 米 蔵 出 し 滞 出 入 二 付 、 先 月 廿 1 日 蔵 元 ・ 名 代 ・ 掛 屋 相 手 取 奉 飼 止 候 所 、 早 速 右 三 人 之 老 被 為 召 出 被 仰 渡 候 二

付 ' 対 談 仕 度 趣 二 付 、 一 昨 七 日 迄 日 延 之 儀 、 右 三 人 私 共 供 々 奉 願 上 候 処 ' 御 聞 済 被 成 下 難 有 事 存 ' 段 々 懸 合 仕 候

処 ' 左 之 通

一 滞 米 俵 高 八 万 五 千 八 百 冊 俵

内 弐 千 三 百 七 拾 俵

右 は 被 仰 渡 候 持 田 米 之 分 ' 何 時 二 両 も 切 手 差 廻 次 第 可 相 渡 旨 ' 相 手 三 人 之 老 才 も 奉 中 上 候

残 八 万 三 千 四 百 六 拾 俵

・ 内 弐 万 九 千 二 百 弐 拾 俵

右 之 米 昨 八 日 二 詩 取 申 候

三 万 俵

右 之 米 今 九 日 二 詩 取 申 候

残 弐 万 四 千 弐 百 四 拾 俵

(22)

右 は 本 米 御 弘 之 内 扱 米 .ll 相 成 候 分 、 別 段 之 御 払 二 相 成 候 二 付 、 代 り 米 御 国 許 メ 御 坊 取 、 近 々 之 内 着 岸 可 致 旨 、

其 節 精 米 撰 立 御 渡 可 被 成 旨 ' 御 昆 鏑 よ り 被 仲 間 候 間 、 何 分 暫 之 所 二 俣 間 相 待 呉 供 様 、 右 三 人 を 以 被 仰 聞 慎 二 付 '

・ 私 共 儀 79 無 地 御 儀 率 存 慎 二 付 、 右 之 段 衆 知 仕 へ 御 米 到 着 迄 相 待 可 申 旨 、 対 談 相 整 申 候

右 之 通 御 威 光 を 以 追 々 米 請 取 、 相 残 り 候 俵 数 も 請 取 方 対 談 相 済 申 候 二 付 、 乍 恐 済 日 田 付 を 以 御 断 中 上 候 へ 此 段 御

聞 済 被 成 下 供 ハ 、 、 御 慈 悲 難 有 率 存 候 へ 以 上

寛 政 三 年

亥 七 月 九 日 米 仲 買 之 内 五 拾 三 人 印 (中 略 ) 右 之 通 済 口 相 違 顛 御 座 候 二 付 、 私 共 連 印 仕 、 御 断 中 上 候 、 此 段 御 聞 屈 被 為 成 下 候 ハ 、 難 有 率 存 供 ' 以 上 . ( 2 ) ︹蔵 元 ・ 掛 昆 ・ 名 代 連 署 、 略 ︺

西 御 奉 行 様

上 引 の 屈 古 で み る 限 り ' 歳 出 滞 り 米 < 万 五 < 三 〇 俵 の う ち 、 六 万 1 ' 五 九 〇 債 分 は 内 済 屈 窃 提 出 の 七 月 九 日 の 時 点

で 蔵 出 し が 完 了 し た か の よ う に 見 受 け ら れ ' 未 済 分 の 二 万 四 、 二 四 〇 債 分 に つ い て の み 、 .大 坂 蔵 屋 敷 在 庫 中 に 損 米 と

な っ た た め 、 改 め て 国 許 か ら 上 坂 の 上 引 渡 す と い う 蔵 屋 敷 の 提 案 を 、 米 仲 買 が 納 得 し た

と に よ っ て 示 談 が 成 立 し た

こ と に な っ て い る 。

し か し ' こ れ は 幕 府 の 過 米 切 手 制 禁 を 建 て 前 と す る 表 向 き の 条 件 で あ っ て 、 現 実 に 採 ら れ た 解 決 策 は 次 表 に 示 す よ

う な も の で あ っ た 。

蔵 屋 敷 が 当 面 蔵 出 し に 応 じ ら れ る 米 俵 は ' 請 求 総 校 の 僅 か 二 ・ 七 六 % の 二 ㌧ 三 七 〇 俵 の み で あ り 、 し か も こ の 分 に

筑 後 蔵 生 米 切 手 考 (包 岡 ) 七 五

(23)

史 料 館 研 究 紀 要 第 二 二 号

つ い て は 内 済 届 書 に 「 持 田 米 」 と あ る か ら

't

同 年 二 月 一 七 日 の 大

坂 町 蝕 に み え る 米 価 引 立 策 と し て 実 施 し た 持 田 米 の 調 査 に よ っ て

町 奉 行 所 に 登 録 さ れ た 切 手 米 高 、 い わ ば 在 庫 否 定 が 不 可 能 な 俵 数

と み る こ と が で き る 。 示 談 成 立 直 前 に 蔵 出 し を 約 束 し た 二 万 九 、

二 二 〇 俵 (三 四 % ) は 一 俵 二 一 匁 春 で 米 切 手 の 買 戻 し ' す な わ ち 、

そ の 時 点 で 蔵 屋 敷 の 過 米 切 手 買 戻 し 資 金 の 調 達 は 六 二 二 某 日 余 を

限 度 と し た こ と 、 残 る 五 万 四 へ 二 四 〇 俵 に つ い て は 、 三 万 債 分 六

三 〇 貫 目 を 両 替 商 の 手 形 に よ っ て 決 済 、 二 万 四 、 二 四 〇 俵 は 俵 庄 ・

柴 庄 両 名 の 保 証 の 下 に 、 在 庫 中 の 損 耗 米 と L t 代 米 を 国 許 か ら 廻

送 し 直 す こ と で 事 件 の 決 着 が つ け ら れ た の で あ る 。

度 々 拒 摘 す る よ う に へ こ の 事 件 の 翌 年 、 寛 政 四 年 に 上 方 為 登 米

を 定 格 二 二 万 俵 と し た 藩 側 の 意 図 は 伝 わ ら な い 。 従 前 の 量 よ り 増

加 し た の か 減 少 し た の か 判 断 の 根 拠 は な い が ' 前 年 の 轍 を 踏 む こ

と を 回 避 す る た め の 措 置 と す れ ば 、 歳 納 米 の 多 寡 に 拘 わ ら ず 、 最

少 二 二 万 俵 2g . 大 坂 へ 上 米 の 必 要 が あ る と 認 定 し た 結 果 と 思 わ れ

る 。 と す れ ば 、 前 々 年 寛 政 二 年 の 大 坂 廻 米 量 は 二 二 万 俵 を 割 っ て

い た で あ ろ う こ と が 想 像 さ れ 、 表 面 化 し た だ け で も 八 万 五 千 俵 余

寛政 3 年 7 月 歳出延滞示談条件 85 . 830 俵‑‑筑後歳蔵出し延滞高

内 ( 1 ) 2 . 370 依‑・ ・ 切手廻 り次第蔵出し

( 2 )29 , 220 依‑‑ 7 月 6日迄に蔵 出し ( 実は 1 俵21 匁の買戻し)

◎21 匁×29 , 220依‑61 3,620 日)

( 3 )30 , 000 俵‑・ ・1依21 匁香で蔵元名代掛良が買戻しの体裁にして

◎21 匁 ×30 ,000 位‑6 30 ,000 日を 両替商の 手形で決済.その 内訳は下記の通 り

1 50 ,000 日 米屋菩兵衛預手形 150 ,000 日 〝

50 ,000 日 天王寺良伊右布門手形 80 ,000 日 〝

1 00 ,000 日 ̲ ‑ 泉尾卯平手形 1 00 ,000 日 〝 預手形

( 4)24, 2 40 俵・ ‑・ 俵庄 ・柴正両名の買受け分 とし,但し,在庫損米 として.代

り米を国許 よ り廻送次第受取 る予定

(24)

の 歳 出 延 滞 を 起 し た 事 実 は ' 少 く 見 稔 っ て も ' 現 実 の 廻 米 畳 の 七 割 増 の 過 米 切 手 の 発 行 が 行 な わ れ て い た と 推 測 し て

大 過 は な か ろ う と 思 わ れ る 。

こ の よ う な 規 模 の 過 米 切 手 の 発 行 が ' 久 留 米 薄 に と っ て 常 態 で あ っ た の か ' 御 勝 手 不 如 意 の 冗 じ た 光 政 初 年 の 特 殊

事 例 で あ っ た か は 確 か め 得 な い が 、 二 〇 年 後 の 文 化 一 一 年 に は 筑 後 米 四 二 万 石 ( 二 一六 万 億 ) と い う 莫 大 な 過 米 切 手

が 発 覚 し て い る 。 ﹃ 堂 島 米 市 場 史 ﹄ の 著 者 を し て 「 空 前 絶 後 」 と 形 容 さ せ る ほ ど の こ の 生 米 切 手 事 件 に つ い て 、 同 時 代 (3 ) 諸 藩 の 大 坂 蔵 屋 鏑 の 内 情 に 精 通 し て い た 草 間 伊 助 は 次 の よ う に 解 説 し て い る 。

扱 又 当 二 月 頃 メ 騒 動 仕 候 ハ 、 筑 後 有 馬 様 御 蔵 米 出 切 手 之 儀 二 御 座 候 '′ 凡 其 荒 増 ヲ 尋 供 こ 、 弐 升 年 以 来 御 勝 手 向 不

如 意 之 上 ' 公 私 之 費 用 相 嵩 み 、 莫 大 之 御 借 財 二 有 之 、 必 支 卜 御 難 渋 二 付 、 六 七 ヶ 年 巳 前 メ 厳 敷 御 倹 約 被 立 ' 御 取

し ら べ こ て ' 借 財 之 分 、 当 用 年 賦 等 に 到 る 迄 、 御 断 被 仰 出 、 京 伏 見 屋 敷 も 在 役 人 四 拾 人 斗 減 シ ラ レ 、 官 主 居 大 坂

♂ 掛 ケ 持 こ て 、 万 端 厳 敷 御 仕 法 御 改 メ 被 成 候 得 共 、 公 務 用 御 用 始 メ 臨 時 物 入 多 キ 上 ' 打 続 キ 米 価 下 落 こ て ' 御 仕

送 り 始 メ 年 中 之 御 差 引 キ も 難 出 来 ' 御 仕 法 年 限 中 故 、 舘 入 始 メ 市 中 メ 之 借 財 1 銭 ソ も 放 出 来 、 依 之 年 分 之 入 用 銀

差 繰 も l 切 出 来 不 中 二 付 、 国 方 出 入 町 人 之 内 、 当 地 住 居 鉄 昆 庄 助 池 田 昆 伊 兵 衛 = と 中 老 メ 種 々 と 内 談 取 極

メ 、 蔵 米 出 切 手 を 以 ' 借 財 之 引 キ 当 と し て ' 大 坂 浜 方 井 市 中 之 も の メ 他 借 被 成 侯 、 此 出 切 手 之 儀 ハ 正 米 二 有 之

故 、 公 辺 向 キ に も 外 蔵 同 様 厳 敷 御 取 扱 之 義 ハ 、 人 々 能 ク 存 シ 居 候 義 政 慎 二 存 、 市 町 之 も の 共 皆 々 右 出 切 手 を 以 出

銀 仕 供 、 尤 比 義 ハ 外 向 キ も 可 有 之 我 、 し か と ハ 不 存 候 へ ど も 、 内 々 承 り 候 処 、 多 年 其 振 合 を 以 、 金 銀 融 通 被 成 候

趣 、 依 之 近 来 米 価 下 直 二 付 て は 、 作 廻 難 被 成 二 付 、 無 地 此 四 五 年 ハ 落 款 出 切 手 ヲ 以 借 財 有 之 趣 、 尤 空 米 之 儀 故 、

公 辺 二 相 成 り 申 候 て ハ ' 殿 様 之 首 尾 も 相 抱 り 申 事 故 ' 随 分 充 て ハ 其 僻 ヱ ハ 御 心 得 被 成 侯 穐 共 、 兎 角 御 作 廻 難 出

来 ' 年 々 之 差 引 も 難 被 成 、 無 地 差 引 之 節 も 、 右 出 切 手 を 以 御 差 引 被 成 候 横 工 相 成 候 故 、 市 中 銀 主 共 も 何 と や ら 空

筑 後 蔵 空 米 切 手 考 (鶴 岡 ) 七 七

(25)

史 料 館 研 究 紀 要 第 一 三 号 七

米 之 所 気 味 悪 敷 、 疑 迷 之 も の 共 も 有 之 候 得 共 ' 何 分 元 利 借 財 正 銀 御 津 シ 被 成 供 俵 無 之 故 ' 迷 惑 二 及 ヒ 、 市 中 御 用

金 に て 金 銀 融 通 不 宜 候 二 付 ' 弥 空 米 之 疑 惑 と 正 銀 之 不 融 通 二 田 i 申 候 二 付 ' 其 段 銀 主 共 メ 相 欺 キ 申 候 所 、 昆 敷 ♂

ハ 決 而 空 米 之 義 に ハ 無 之 、 出 切 手 相 渡 置 候 上 ハ 、 自 然 銀 主 入 用 銀 之 節 ハ 、 浜 方 こ て 売 払 立 用 可 致 候 、 借 財 限 月 返

済 之 柑 ハ ' 又 出 切 手 持 参 い た し 差 引 可 致 供 、 番 附 日 付 キ 之 違 ハ 不 苦 供 、 何 分 相 渡 し 置 供 出 切 手 之 辻 ' 持 参 有 之 供

ハ ノ、 宜 敷 被 仰 候 故 、 銀 主 之 も の 共 之 内 J 、 無 地 銀 子 入 用 之 も の ハ 浜 こ て 売 払 、 暫 立 用 仕 候 と 申 振 合 に て ' 近 来 其

相 対 を 以 借 財 有 之 分 、 叉 広 大 成 銀 高 二 御 座 候 よ し 、 右 相 対 切 手 も 本 切 手 も ' 皆 同 様 の 切 手 に 有 之 供 故 、 右 銀 主 無

地 売 払 申 候 切 手 ヲ 、 又 浜 方 買 入 、 是 を 以 両 替 方 へ 入 啓 二 差 入 、 又 ハ 此 内 御 買 米 之 公 用 二 相 成 り 居 候 切 手 も 有 之 、

種 々 と 入 組 有 之 候 得 共 、 何 分 倉 敷 之 出 切 手 二 相 違 無 之 、 又 空 米 之 所 、 相 対 に て 請 取 候 切 手 ハ 格 別 、 浜 方 二 而 相 調

候 切 手 ハ 急 皮 正 米 二 御 座 候 故 、 其 切 手 を 以 蔵 出 し に 向 ひ 候 時 、 買 手 ハ 共 通 成 レ 共 、 前 文 之 通 、 切 手 正 不 正 混 雑 い

た し 有 之 、 出 米 こ む ふ ひ 供 切 手 も ' や は り 相 対 に て 銀 主 へ 渡 し 置 候 切 手 こ て 、 渡 し 方 す み や か に 無 之 、 其 上 旧 冬

ハ 諸 星 敷 四 歩 登 せ 之 減 石 故 、 正 不 正 之 出 切 手 1 チ 時 二 蔵 出 し に 向 ひ 供 時 ハ 難 渋 眼 前 之 事 故 ' 彼 是 申 立 ' 蔵 出 し 相

滞 候 ♂ 大 モ メ と 相 成 り 、 甚 晩 方 騒 動 二 及 ヒ 、 ツ ︼ヒ ニ 市 町 之 も の ど も メ 公 辺 へ 願 出 申 供 、 此 高 凡 七 万 石 余 、 其 外 公

儀 へ 御 買 米 二 相 成 ㌢ 居 候 切 手 と 、 両 春 方 へ 入 啓 二 相 成 居 候 切 手 、 又 市 中 素 人 之 も の へ 引 キ 当 テ に 取 置 侯 切 手 と '

凡 都 合 高 四 拾 弐 万 石 之 切 手 米 之 由 、 誠 二 不 陸 不 正 之 儀 こ て ( 下 略 )

や や 長 文 の 引 用 と な っ た が 、 要 す る に 久 留 米 薄 で は 天 明 頃 か ら 捗 手 向 不 如 意 に て 借 財 が 嵩 み 、 六 、 七 年 以 前 か ら 倹

約 令 を 施 行 ' 京 ・ 伏 見 語 の 役 人 も 減 員 し て 大 坂 役 人 の 兼 帯 と す る な ど 厳 重 な 仕 法 を 実 施 し て き た が 、 公 務 御 用 ・ 臨 時

物 人 な ど に 加 え て 、 米 価 の 低 落 で 財 政 は 悪 化 の 1 万 で あ っ た 。 し か も 御 仕 法 年 限 中 と い う こ と で 、 従 前 の 借 銀 の 返 済

も 凍 結 し て い る .た め 、 舘 人 を 始 め 大 坂 市 中 か ら の 借 入 が 不 可 能 と な っ た . そ こ で 国 元 の 出 入 商 人 の ヶ ち 、 大 坂 に 出 店

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