ペスタロッチ主義唱歌教育論に関する予備的考察 音楽教育史におけるペスタロッチとフレーベル・その2一
山 口 文 子*
(1998年10月6日受理)
Introduction concerning a Discussion on the Theory of Pestalozzisch Vocal Education:Pestalozzi and Froebel in the History of Music Education H
Ayako YAMAGucHI*
(Rece量ved October 6,1998)
はじめに
本論文は,音楽教育史におけるJ.H.ペスタロッチとF。W,A.フレーベルとの関係を探る一連の作業 の一環である。
ペスタロッチが長年の思想上・実践上の苦闘を経て「直観」を中核とする教育理論を樹立したこ と。フレーベルが思想形成の初期においてペスタロッチの実践や理論に学び,やがて「直観」を批 判的に継承した「予感」を軸とする幼児教育の理論と実践に行き着くこと。以上のような展開を軸 に,教育史上一般における両者の関係については,まだ未解明な部分を残しながらも,一応の通説
的な理解が形成されてきている。しかしながら,音楽教育史という限定的な視角から両者の関係を考えるならば,未解明な点はい
っそう多く,かつ複雑である。音楽教育史上にあってペスタロッチと言えば,彼自身の音楽教育に関する関心や見解とともに,
M.T.プファイファーやH.G.ネーゲリなど,ペスタロッチの実践に協力したり思想に共鳴したりした
人々の活躍もあって,唱歌の分野を中心に「ペスタロッチ主義」あるいは「ペスタロッチ式」の音
楽教育が19世紀を代表するもののひとつとなっている。そこでは, 単純で基礎的なものから順次,複雑で応用的なものへ といった指導の展開が柱となっており,後にその機械的,訓練主義的な性
格が批判されてゆくことにもなる。他方,フレーベルは,ペスタロッチと比べれば「音楽教育」という角度から光を当てられること は少ないが,主に幼児を対象とする包括的・総合的な教育活動としての「遊戯」を支える主要な要 素の一つに音楽を位置づけ,そこでは遊戯全体を通した幅広い教育目標の達成とともに,音感や旋
*茨城大学教育学部音楽教育講座(〒310−0056茨城県水戸市文京2−1;Seminar of Music Education,
Faculty of Education, Ibaraki University, Mlto, Ibaraki 310−0056 Japan
律感,リズム感等の形成もめざされていた。
以上のように,音楽教育をめぐっては対照的とすら言い得る相違を帯びた両者の関係にっいて,音 楽教育の観点から注目し,究明してゆこう,というのが本研究の問題関心である。
以上のような問題関心の下,前稿1)においてはフレーベルのイフェルテン滞在(1805年,1808〜1810
年)を中心とした両者の具体的な接触を,主にフレーベル側からとらえる角度で検討した。その結 果,ペスタロッチとフレーベルが,後者の側からの必然性をもって出会い,数年間におよぶ密接な 思想上・実践上の関係を経て,後者の前者に対する強い共感をも伴った訣別へと至った,という経
緯を確認した。端的に言えば,フレーベルはペスタロッチの教育全般に関しては,「神・自然・人間」の関係追求というフレーベル自身の関心からして,その「(内的)統一性の欠如」あるいはその基底
にある「存在論的基礎の不完全さ」を批判し,それが彼らの訣別の主な要因となっていた。具体的
には,算術の授業などに即して教授の技術的な機械化などが批判されていた2)。けれども,音楽教育について見るならば,フレーベルの眼に映ったイフェルテンの音楽教育は,唱 歌を中心として,他の教科・領域と同様に 単純で基礎的なものから順次,複雑で応用的なものへ
といったペスタロッチの方法原理に貫かれたものであったにもかかわらず,少なくともこの時期に おいては一切の批判的な見解が表明されることなく,ほぼ全面的に称賛されているようである。こ
うした問題をどのように考え,解釈したらよいものだろうか3)。前稿で浮き彫りになったこうした問題を考えてゆくうえでは,幾つかの新たな課題が解決されね
ばならない。本論文以降当面は,まず,イフェルテンの学園において主にネーゲリとプファイファーによって担われたペスタロッチ主義の音楽教育の理論と実践それ自体を姐上に乗せ,検討してゆ
くことを課題としたい。そこでは,その代表的成果である1810年公刊のr唱歌教育論』一正式な 表題は『ペスタロッチの基本原理に基づいてプファイファーが教育学的に基礎づけ,ネーゲリが方
法的に論述した唱歌教育論』4)一に関する検討が中心となろう。本論文においてはまず,ペスタロッチ主義唱歌教育論に迫ってゆくための予備的な作業として,
1.ネーゲリとプファイファーに関する伝記的な事項を整理するとともに,2.彼らの手によるr唱 歌教育論』の全体的な概略を検討することを課題としたい。
1.ネーゲリとプファイファーについて
.すでに述べた通り,本論文以降の作業においては当面,フレーベルとの関係云々からは基本的に
は一旦離れて,専らペスタロッチ側の音楽教育論それ自体に関する検討が課題となる。その際ぺ
スタロッチ自身の著作にもrリーンハルトとゲルトルート』(1781年〜1787年),「メトーデ」(1800 年),『ゲルトルートはいかにその子らを教えるか』(1801年)など,音楽教育に関する若干の記述が散見されないわけではない一これらの記述に関する検討は,続稿で行なう予定である一のだが,
まずもって主要かつ中心的な検討の題材となるべきなのは,『ペスタロッチの基本原理に基づいてプ ファイファーが教育学的に基礎づけ,ネーゲリが方法的に論述した唱歌教育論』(1810年:以下,r唱
歌教育論』と略記する)である。しかしながら,この二人の著者,ネーゲリとプファイファーに関
しては,これまでもあまり立ち入った検討がなされずにきた。伝記的な事項に関しても,不明な点
が少なくない。ここではまず最初に,このネーゲリとプファイファーに関してわかっている基本的
な事項を整理しておくこととしたい。(1)H.G.ネーゲリについて5)
ネーゲリ(Hans Georg Mgeli:1773〜1836)は,18世紀から19世紀にかけて最も著名なスイスの音楽
教育家であり,作曲家であるとされている。ペスタロッチの下では,イフェルテンの学園における
音楽教育を担当した教員である。早期より音楽(理論書,歌曲,唱歌など)の才能を表し,1805年に「児童唱歌研究所」を創設したが,この頃からペスタロッチの教育精神に共鳴して,プファイファー
とともに,ペスタロッチ式の教育原理に基づく音楽教育の方法を築きあげようとした。主著は,プ
ファイファーとの共著による前記『唱歌教育論』であり,その正式な表題にあるように,「プファイファーが教育学的に基礎づけ」たのに対して,ネーゲリは「方法的に論述した」とされている。そ
の内容の骨格は,本論文の2.や続稿で詳細に検討してゆく通り,ペスタロッチ式の教授方法,つまり基礎練習から段階を踏んで課程を完成させる方式を音楽学習,特に唱歌学習に適用したものであ った。このネーゲリとプファイファーによって,唱歌は単に宗教教育の一環として以上の意味を獲 得することとなり,人間教育のための一教科としての位置を占めるようになってきた,とされるこ
とすらある。さらに,ネーゲリは1809年,「体育」と「人間性」をテーマにr芸術科学的唱歌教授法』を著している。このように彼は,ヒューマニストであり,またロマンチストで,自らの音楽的才能 を生涯を通して教育に捧げた点で,音楽教育の偉大な先駆者であったとされる。また一方で,彼は
今日の鑑賞教育の創始者とも言うべき人物としての一面も持っており,1826年にはr音楽鑑賞読本』を出版している。また,彼の「すべての人たちの音楽」をあざす理想は多くの合唱団を誕生させた
ほか,合唱曲や歌曲,ピアノ曲などの作品も作曲している。わが国の音楽教育との関連で言えば,このネーゲリとプファイファーの音楽教育法は,伊沢修二 により明治初期の日本の音楽教育界に紹介されて,大きな刺激を与えている。今日でもネーゲリの
美しい唱歌の旋律は歌い親しまれており,幾つかの教科書にも載せられている。さらに,フレーベルとの関連で言うなら,二度目のイフェルテン訪問中の1809年,フレーベルは ペスタロッチについての報告書一前稿でもとりあげたシュヴァルツブルク=ルードルシュタット
(Schwarzburg−Rudolstadt)侯妃宛て「ペスタロッチに関する報告」6)一をまとめ,そのなかでネー ゲリとプファイファーの音楽教育の理論と実践法についても極めて具体的に紹介,「歌える母親なら
ば誰でもその子どもを… この支持に従いさえすれば,たやすく歌えるようにすることができるだ ろう」という触れ込みをそのまま借りるなどして絶賛し,この二人から強い影響を受けたと述べて
いる。
(2)M.T.プファイファーについて7)
プファイファー(Michael Traugott Pfeiffer:1771〜1849)は,ネーゲリとともにペスタロッチの音楽
教育を支えた音楽教育家である。彼は,最初から音楽の教師だったわけではなく,普通の教師とし
てペスタロッチ的な教育精神に従い,広く子ども達の教育に情熱を注いだ一『唱歌教育論』にあっ
て「プファイファーが教育学的に基礎づけ」たとされているのも,彼のこうした守備範囲の広さを
示唆していよう一が,後に音楽を専門とする教師に転じた。1822年以降は師範学校の唱歌教師とな
り,唱歌法の実践研究に没頭してゆくことになる。ネーゲリとの共著r唱歌教育論』は,当時の名
著として広く読まれた。ペスタロッチがその教授法で指示したような,基本練習だけを継続的に授
けて,その後に実際の唱歌に入るという方法は,今日から見れば子どもの音楽への興味・関心を無
視した形式的な指導であり,19世紀の中期にはヘンチェルらの反対によって改められてゆく。が,当時における多くの教師達の無計画・不確実な音楽指導に一つの指針を与えた方法として,その歴史 的意義は大きいとされる。このプファイファー式唱歌法の原理は,わが国では昭和時代に入ってか
らもなお熱心に支持されていた方法である。また,フレーベルとの関連で言えば,前記「ペスタロッチに関する報告」においてプファイファー
はネーゲリとともに絶賛されており,そこでフレーベルは彼らの唱歌教授法を「プファイファーの
唱歌教育法」と読んでいる。さらに,プファイファー自身の発言を,断片的ながら参照しておこう。まず,自らの唱歌教育論
とペスタロッチの方法原理や精神との関連について,1807年に以下のように述べている。「私はあなた〔一ペスタロッチ〕の学院を離れて以来,子どもが可愛いい人形を持って遊ぶよ
うに,唱歌の教授を基礎づけ編成するという,あなたにとってはよく知られた試みをしてきた のであります。すなわち,唱歌において,また唱歌からあなたの方法の創造的精神が脈打ちま すように,同様に,教授の手段は粗雑で粗い雑多な不協和音ではなく,また,基礎教授におい ては余分の媒介によって純正な和音が妨げられたり,破壊されてはならないということであります」8)。
「私が同門のなかでペスタロッチの愛と友誼を得るに値するためには,私は最も貧しく無視され ている子ども達に歌を教えることによって,正当に役に立つでありましょう。子ども達は唱歌 を必要としているし,美しいものを必要としているからであります。唱歌は最も金銭のかから ない美であります」9)。
そのうえで,彼プファイファー自身の音楽教育の立場は,以下のように述べられている。(1)人
は,教育される以前には,内部に宿り,まったく奇妙な動きである悟性,感情,意志といった三つ
の動輪を働かせる。(2)教育の固有の目的は〔以上のような〕三つの音を調和させることであり,三つの動輪を一つにすることである。(3)芸術特に音楽は感情の陶冶に属している。(4)音楽は美 と崇高への感情,総じて,美的・道徳的・宗教的な感情に対する感受性を活気づけ,鋭敏にし,強
化するlo)。このようにプファイファーは,ペスタロッチ的な原理がめざす悟性・感情・意志の調和的 な発達にあって,音楽教育は主に感情の陶冶をめざすものである,と位置づけているのである。以上のように,ネーゲリとプファイファーに関してわかっていることは決して多くはない。が,こ
こで整理した彼らの経歴,立場や背景をも理解の助けとしながら,次に,彼らの共著による『唱歌
教育論』そのものへと迫ってゆこう。2.ネーゲリ・プファイファーの唱歌教育論について
ここでは,以上1.で見てきたネーゲリとプファイファーの二人によるr唱歌教育論』(1810年)を
対象に据え,その概略を把握することとしたい。その際各論的な内容に関わる詳細な分析は続稿
以後に譲り,ここではその基本的な骨格を検討することに留めよう。なお,1810年公刊のr唱歌教育論』を検討するうえでは,同じ二人が前年の1809年にr音楽新聞
(Altge〃2eine Musikalische Zeitung)』および『週報(〃bc舵鋸加のμr賜8π∫c他ηわ嗣研8)』上に連載公表
した「唱歌教育論」一正式な表題は「プファイファーの考案にもとついて,ペスタロッチ,プファ イファー及び彼らの友人の名前で,ネーゲリによって芸術学的に表現されたペスタロッチ主義唱歌
教育論(Die Pestalozzische Gesangbildungslehre nach Pfeiffers Eτfindung kunstwissenschaftlich darstellt im Namen Pestalozz童s, Pfeiffers und ihrer Freunde, von Hans Georg Nageh)」一も,深い関連を有する題材
として参照していく必要があると思われる。そこで以下,代表的な先行研究と目される河口道朗H)の 作業の成果をも活用しながら,まず(1)「唱歌教育論」(1809年)について,次に(2)r唱歌教育論』
(1810年)について,順に検討してゆくこととする。
(1)「唱歌教育論」(1809年)について12)
翌年刊行の単行本r唱歌教育論』に先立って雑誌に掲載されたこの論文は,序論的な部分に続い
て,大きく Gymnastik と Humanistik の二部構成をとっている。この Gymnastik と Humanistik は,ネーゲリとプファイファーに特有の概念であり,その含意は必ずしも明確でない。しばらく,彼 らの論述に耳を傾けてみよう。まず, Gymnastik についてであるが,「音楽は美的・時間的な存在であるGymnastikに対する全
般的な関係において高めることができる」とされたうえで,論文の前半部分がこの Gymnastik に 関する論述にあてられている。そこでは,唱歌教育の基礎が音楽と Gymnastik との連関に見いだ
され, Gymnastik がその機能のうえから「下部」と「上部」の二層に分けられている。「下部」と は肉体の機能的訓練とみられ,音声器官の訓練やピアノ演奏のための手指の練習など有機体の強化,鼓舞迅速化であるとされる。「上部」は,それらを起点としてそのうえに全体的に実行,完成する
べき機構(の形成)であるとされる。そして,「下部」に対応しては,音の音響的・力動的・感覚的 といった性質にもとつく音の認識(および操作)の基礎的な論理が展開され,「上部」に対応しては,音楽の二つの要素であるリズム(律動)とメロディー(旋律)に着目し,律動法と旋律法に根ざし て,より全体的・総合的に音楽をとらえる道筋が展望されているのである㌔
*さしあたり以上のように整理してみたものの,この「唱歌教授法」(1809年),とりわけその Gymnastik の部分に関しては,難解かつ抽象的で未解明な諸点を多く残している。ひとつに は,「時間芸術」としての音楽が「生の過程としての時間的現存を直観にもたらす」とか,特 に「上部」の訓練が「有機体の本質としての自己の直観(Selbstanschauung)を促進する」と かいった言い回しを通して示唆されながら必ずしも分明ではない,ペスタロッチの「直観」概 念との関連である。また,もうひとつは, Gymnastiゼの「下部」と「上部」とを理想的に結 びつける方法として「舞踊(Tanz)」が挙げられている点である。音楽と「身体性」との関連
は,フレーベルにおける遊戯の一部,とりわけ『母の歌と愛撫の歌』や「運動遊戯」を想起
すれば筆者にとって極めて重要な関心事であるが,ここでは未だ深入りできない。いずれも,以後の課題として残したい。
次に, Hulnan三stik についてであるが,それは Gymnastik の基礎のうえに立って,歌詞を伴う
唱歌を教授し,人間性の形成をめざすという,唱歌本来の内容に係わる教育の段階であるとされて
いる。言わば音楽的な基礎練習の段階が Gymnastik であり, Humanistik に至って初めて歌詞の 内容とも関連した学習に進む,と要約することが可能であろう。以下の一節からは, Gymnastik齢の「下部」→「上部」→ Humanistik という指導の進展を,かなり明瞭な形で読みとることができる。
「唱歌教育には,目的に適ったリズムとメロディー,およびリズム・メロディーの練習を手段と する生徒の Gymnastik の力量が先行する。我々はそれぞれの段階において,まず良い抑揚,
正確な発音で歌い,シラブルで発音することを教授し,そのほかには,声が使えるようになり,
拍子と音が確実になるまでは広げすぎて疲れないようにしなければならない。そして,生徒の 器官が機能するようになるだけでなく,器官の組織自体が段階的に単一なものになってようや く,より芸術的なリズムとメロディーを十分に操作し響かせる。そして,そうしたことに浸っ
て;生徒に音と言葉を統一してその多様性を与え,唱歌をあたえる位置に到達するといえよ
う」13)。
以上をもって,ネーゲリとプファイファーの「唱歌教育論」(1809年)の方法を「テトラコルドと
か単なる音階の音を器官およびその組織体によって直観させる段階から,歌詞を伴うより高度で多
面的な学習の段階へ」14}という手順で捉えることは妥当であると考えられる。(2)r唱歌教育論』(1810年)について
上で概観してきた「唱歌教育論」に続き,翌1810年に単行本として公刊されたこの著作は,序文 と30項目ほどの短い「教師のための一般的規則」の後,本論部分は「一般的音声教授」と「特殊的
音声教授」から成っている。最初に,構成の概要を示しておこう。「一般的音声教授」
第1部 リズム法の基礎理論あるいは音の長短の関係の教授と練習
第2部旋律法の基礎理論あるいは音の高さと深さによる音の諸関係における教授と練習 第3部強弱法の基礎理論あるいは強さと弱さによる音の諸関係の教授と練習
第4部音の要素の方法的結合,あるいはリズム法,旋律法,強弱法による音の諸関係の教授と
練習第5部 記譜の技法,あるいは音と音の諸関係の把握,総括および記述の教授と練習
「特殊的音声教授」
第1部唱歌の音と言語表現の方法的結合 第2部音楽の重さと言葉の重さの方法的結合
第3部音芸術と詩芸術の基本的結合第4部音楽の芸術作品の演奏入門,あるいは学校の芸術学院への編制
まず,前半部をなす「一般的音声教授」の方から見るなら,第1部から第3部まではそれぞれリズ ム法旋律法,強弱法の「基礎理論」あるいは「教授と練習」が順に展開されている。その教授の
プロセスは,たとえば第1部のリズム法においては,「君達はいままで,どのような音を学んだか?」「3種類の音を学びました。」「この3種類の音を,『ゆっくり』r中ぐらい』r速く』と名づけよう。そ して,これらの音を記号によってしっかりと記憶に留めるようにしよう。何種類の記号が必要か?」
「3種類です。」「(黒板に4分音譜を書いて)ここに何があるか?」「ひとつの記号です。」「この記号 は何を意味するか?」「ひとつの音です。」「こんな記号を音譜と言う。この音譜は君達がすでに知っ
ている,ゆっくりした音を意味する。(4分音譜を消して8分音譜を書き)これは中ぐらいの音を意
味する」15)…といった,教師と生徒の間で想定される典型的な問答の形式をとって描写されてゆく。第2部ではリズム法が16),第3部では強弱法が17),それぞれ単純な要素から徐々に複雑なパターンへ という,ほぼ同様な展開で教授される。そのうえで,第4部では,それまでに学習した音の長短,高 低,強弱という三つの属性を結合して把握することになる18)。さらに第5部では,前半部「一般的音 声教授」の言わば総決算として,記譜法が学ばれるのである19)。以上のように,全体として,長短,
高低,強弱といった音の感性的直観→それらの結合による音の芸術的(技術的)直観→記譜を通し
た音の概念への到達という流れで基礎的な教授が展開されている。次に後半部,「特殊的音声教授」を見ると,「一般的音声教授」においては登場しなかった歌詞の
部分がクローズ・アップされてくる。すなわち,第1部から第3部までにおいてはいずれも,唱歌の
音楽的な部分と詩(歌詞)的な部分との間の(方法的あるいは基本的な)「結合」が課題とされてい る。すなわち,第1部「唱歌の音と言語表現の方法的結合」では,それまで専ら単独にとりあげられていた音楽的な側面と,はじめて顧みられた詩的な側面との関連づけ,つまり音楽と言葉あるいは
テキストとの関連づけが課題とされている2°)。また,第2部「音楽の重さと言葉の重さの方法的結合」においては,韻律の「長い/短い」を「重い/軽い」と表現し,韻律における音と語の関連づけを
中心的な課題としている2D。さらに,第3部「音芸術と詩芸術の基本的結合」においては,音と語と の「強い/弱い」という側面での対応関係に目が向けられている22)。そして最後に,第4部「音楽の 芸術作品の演奏入門,あるいは学校の芸術学院への編制」において,学校における唱歌教育の改革・向上のために,学校を「芸術学院」としてゆく方向で,その実践的な諸課題が提起されているので
ある23)。
以上のように,このr唱歌教育論』(1810年)における前半部「一般的音声教授」と後半部「特殊
的音声教授」との関係は,すでに見た「唱歌教育論」(1809年)における前半部 Gymnastik と後半 部 Humanistik との関係と,ほぼ対応していると言えそうである。前半部において,音あるいは専ら音楽的な諸要素や側面に関する基礎的な訓練がめざされ,後半部に至ってはじめて言語的・詩的 な諸要素や内容との関連づけに力点が置かれる,といった手順である。以上のような基礎的・体系 的な手順に従って,最終的には総合的な唱歌教育を実現・完成させることを,ネーゲリとプファイ
ファーは企図していたと言ってよかろう。小括
以上,本論文においては,ペスタロッチ主義の唱歌教育論の形成を実質的に担ったと目されるネー
ゲリとプファイファーに関する伝記的な諸事項を整理するとともに,彼ら二人の共著による「唱歌 教育論」(1809年)およびr唱歌教育論』(1810年)の基本的な骨格を検討してきた。彼らの唱歌教 育論に関する各論的な立ち入った分析作業を続稿に持ち越しているため,ここで結論めいたことを 述べるのは早計である。従ってここでは,現時点において可能な限りでの仮説的な展望や課題に関
する若干の整理だけを行ない,本論文をしめくくっておくこととしたい。第一一に,ネーゲリおよびプファイファーの唱歌教育論の骨格に表れた,その根本的な特質につい
てである。「唱歌教育論」(1809年)とr唱歌教育論』(1810年)とに共通して,前半部一これは教
授の段階にほぼ対応しているから,基礎的な教授の段階と言い換えて支障はあるまい一においては
徹底して,音あるいは音楽を諸要素・諸単位一長短・高低・強弱あるいはリズム(律動)とメロデ イー(旋律)といった一に分解し,そしてそのうえで専ら音楽的な側面内部における統合・総合化
が図られていた( Gymnastik /「一般的音声教授」)。そして,後半部(言わば応用段階)において初めて歌詞の持つ詩的側面に目が向けられ,前半部で重視された音楽的な側面との結合,すなわち
唱歌教育としての完成が論じられていた( Humanistik /「特殊的音声教授」)。このような,音楽教育における言わば 基礎練習重視 型とでも言うべき特質(それが後年機械的だとか無味乾燥
だとかいう批判も受けるのだが)を,その骨格からも鮮明に読みとることができた,と言ってよか
ろう。
第二に,上のような特質とも関連しつつ,ネーゲリおよびプファイファーの唱歌教育論とペスタ ロッチの教育理論との相関をめぐる問題である。上述の特質は,それに 単純で基礎的なものから 順次,複雑で応用的なものへ という表現を与えればなおさら,ペスタロッチ主義全般の教授原則 に照応するものであると言えそうである。しかしながら,少々触れたことだが,ネーゲリおよびプ ファイファーの唱歌教育論とペスタロッチのとりわけ「直観」概念との関連をめぐっては,まだ不 鮮明な点を残している。ペスタロッチとネーゲリ・プファイファー,そして他の(知的な)教授領
域と唱歌あるいは音楽という領域との間で,「直観」をめぐる異同はいかなるものか,多くは唱歌教 育論に立ち入った分析を加える続稿以後の作業にまつ他はない。第三に,ともにネーゲリとプファイファーの共同作業の所産である「唱歌教育論」(1809年)と『唱 歌教育論』(1810年)との間の関係についてである。両者の間においては,基本的な骨格のうえで相
当の共通点・同型性を確認することができたが,また若干の意味合いの違いも存在しているように
思う。前者が理論重視/後者が教師向けの実践重視という重点・性格の相違も感じられなくはない。あるいはまた,表題から窺われるような,前者においてはプファイファーが考案・ネーゲリが芸術 学的に表現/後者にあってはプファイファーが教育学的基礎・ネーゲリが方法,といった分担関係 も実質的な相違に結びついているのだろうか。いずれにせよ,難解ながら興味深かった「唱歌教育
論」(1809年)での Gymnastik / Humanistik という対概念が,1810年に至って少なくとも表面上は放棄されたかに見える点などを中心に,両者それぞれの内容に立ち入った検討がさらなる課題
となろう。
以上のような展望・課題をもとに,続稿以降の作業において,ペスタロッチ主義唱歌教育論の根
本へいっそう迫ってゆくこととしたい。注
1)山口文子「音楽教育史におけるペスタロッチとフレーベル。研究序説」r茨城大学教育学部研究紀要(教 育科学)』第47号(1998年3月),59−73頁。
2)同上論文,61−67頁。
3)同上論文,67−70頁。 ,
4)G・・α・8わ 伽8・1・み…α・ゐP・・ ・1・撫伽伽・磁…岬・8・9ε・c励・9・滋癩…M」・加θ 7・α・9・∫∫珍伽
〃2θ∫04」5chわεαrわθε∫θ∫voηHαπ∫ム颪{葦8ε1ご(Ztirich:1810).
5)浜野正雄i『音楽教育学概説』(音楽之友社,1991年新版),25頁;供田武嘉津r世界音楽教育史』(音楽之
友社,1976年),149,150〜153,156,252頁。
6)舳nge(H「sg・)・F・ ・4・た励跳8・一吻・4・8・細・・3・罐・・(B・・li・・F・k・imili・d・uck・・nab戯1966),
1.Abt,1.Bd., SS,154−213(小原國芳・荘司雅子監修『フレーベル全集』〔玉川大学出版部,1977年〕第1巻,
248−338頁).
7)浜野正雄「音楽教育学概説』(音楽之友社,1991年新版),25頁;岩波書店編集部r西洋人名事典(岩波書
@店,1988年》973頁;供田武嘉津r世界音楽教育史』(音楽之友社,1976年),149,15砿151頁。
8)河口道朗r近代音楽教育論成立史研究』(音楽之友社,1996年あ85頁。
9)同上書,85頁。
10)同上書,85−86頁。
11)河口道朗「プファイフェル/ネーゲリ唱歌教育論の構成と特徴」(同上書所収〔第1部第2章:91−122頁〕)。12)この「唱歌教育論」の内容に関しては,河口同上論文(91−100頁)に多くを負っている。
13) Di・P・・t・1・zzi・ch・G・・a・gbildung・1・h・e nach Pf・iff・・s E・fi・d・・g k。n、twissen、ch、a.1童。h d、,st,11t im N。m。n Pestal°zzis・Pf・iff・・s und ih・e・F・eu・d・…nH・n・G…gNag・1P, M匁・用・∫・・禰κ・1誌・乃・Z。吻。8 N。砿18・9,
S.831(河口同上論文,97頁より重引).
14)河口同上論文,97頁。
15)σε∫αη8わ鉱冨πη85 θぬrε(1810),SS.12−13.
16)a.a.0., SS.41−70.
17)a.a.0.,SS.71−82.
18)a.a.0., SS.83−109.
19)a.a。0.,SS.110−160.
20)a.a,0., SS.160−183.
21)a.a。0.,SS.184−198 22)a.a。0., SS.199−208.
23)a.a.0.,SS.209−224.