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Research on Vocalization – The point-of-view of school music education to appreciate the necessity of vocalization education–

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Academic year: 2021

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(1)

はじめに

 私は教員養成大学において,小学校音楽科に関連する音楽科教育の授業を担当している。これら の授業においては,音楽教育系音楽選修以外の学生も受講しており,毎年発声指導は欠くことので きないものとなっている。なぜなら,小学校音楽科にとって「歌唱」は重要な領域であり, 「うみ」 ,

「かたつむり」といった児童と歌う共通教材においてすら,学生からの,高い声が出ない,もっと 良い声になりたい,声がかすれる,音程があわないなどといった問題に答えることが多いからであ る。

 また一方で,教員の方々からもポリープや,声の使いすぎで声が嗄れたり,時によっては全く出 なくなってしまうといった問題に関して相談を受けることが多い。

 この私の体験を裏付けるように,耳鼻咽喉科の医師の立場から米山文明は,小学校などの低学年 の約

2

割に学童嗄声(子どものしわがれ声,かすれ声)があること

1)

や, 『一日

5

分のトレーニング で声と歌にもっと自信がつく本』

2)

のなかで,就職して

2,3

年のうちに約

2

割の教員がのどを壊し たり,ポリープをつくって教員をやめるといった点を指摘しており

3)

,具体的な対処の方法を提示 しつつ,発声教育の必要性を力説している

4)

こういった事情に勘案して,耳鼻咽喉科の先生方のご 指摘も参考にしながら,私はもう一度音楽科教育の立場から発声について考えてみる必要があるの ではないかと考えるようになった

5)

 ここで米山による,発声教育を確認してみよう。すなわち「教育課程において,短い時間でもよ いから,声の出しかたを教えていればこんなことにはならないはずです。正しい発声法を習ってお けば,大きな声を出しても,のどを壊すようなことはありません。それなのに,生まれたままの地

発声に関する研究

−音楽科教育の立場から発声教育の必要性に鑑みて−

山口(藤田)文子*

(2007年11月30日 受理)

Research on Vocalization – The point-of-view of school music education to appreciate the necessity of vocalization education–

Ayako YAMAGUCHI (FUJITA)*

(Received November 30, 2007)

茨城大学教育学部音楽教育講座(〒310-8512 水戸市文京2-1-1; Seminar of Music Education, Faculty of Education, Ibaraki University, Mito 310-8512 Japan)

*

(2)

声で怒鳴ってしまうから,すぐにガタがきてしまうのです。 」

6)

として,発声の教育の必要性を説い ている。そして, 「……ボイストレーニング,あるいは発声教育を,話し声も含めて日本の小学校教 育から取り入れるべきだと思っています。 」

7)

と述べている。米山は, 「いまこそ「発声」の教育が求 められている」として発声教育について力説している

8)

。つまり,米山による発声教育とは,話し 声,歌う声を分けず,声の出し方全般について扱う教育一般をさすといえよう。

 従って,ここでは,音楽科教育の立場からこの問題を扱い,特に発声,地声(表声) ,頭声,胸式 呼吸,腹式呼吸などといった音楽科教育の歌唱法における基本的な事柄を整理し,様々な発声につ いて具体的な事例に触れ,望ましい発声のあり方について探っていくこととしたい。

1.発声とは何か

 声を出すこと。ここでは特に,話し声,歌う声の両方を扱うこととする

9)

2.地声と頭声 について

 教科書等を参考にすると,日本的な発声で,生まれつきの声である地声(表声)

10)

と,同じく日 本的な発声である,比較的高い方を出す時用いる裏声

11

,ヨーロッパの発声であるベル・カントに おける頭に共鳴する頭声

12)

,同じくベル・カントの頭声と胸声の間である中声・胸腔に響かせて出 す割合に低い声である胸声

13)

とに分けられる。両者の違いは,前者において,のどが開いていない のに対して,後者ではのどが開いていることにあるとされている

14

。長谷川

15

は,この問題に関し て,この分け方では,かえって喉に力が入る恐れがあるとして,前者は気管が緩んでいない,後者 は,気管が緩んでいるというとらえ方が適切であるとしている

16)

3.呼吸法について

 ここでも教科書等を参考にすると

17)

,望ましい呼吸法は,息を吸ったときに胸が膨らむ胸式呼吸 ではなく,息を吸ったときお腹が膨らむ腹式呼吸であるとされている

18)

4.様々な発声について

 ここでは,4.

1.地声(表声)を多用している例(能)

,4.

2.頭声的な声を多用している例(川上

弥栄子の小学生の合唱指揮) ,4.

3.頭声を多用している例4.3.1.ウィーン少年合唱団,4.3.2.マ

リア・カラスを,実際の音楽の聴取に基づいて取り扱うこととする。

(3)

4. 1.  地声(表声)を多用している例(能)について

 ここでは,能・狂言から能「柏崎〜古式」の

19

発声について取り上げる。シテ・花若ノ母の登場 から発声を探ってみよう。 「これなる童どもは何を笑ふぞ,なに物に狂ふがをかしいとや」という場 面では,足腰の強い支えと息をつめた緩んでいない発声気管が感じられる。典型的な日本の発声で ある地声(表声)を多用している例であるといえよう。

4. 2.  頭声的な声を多用している例について

 ここでは,川上弥栄子の小学生の合唱指揮で, 「海はまねく」を取り上げる

20

。平成元年告示の学 習指導要領に準拠した合唱である。合唱している全員の音色はそろっており,ビブラートは入って いない。音程も確かである。また,地声は独特の発声訓練により完全に払拭されており

21)

,頭声的 な声に統一されている。音楽の幅や気管の緩みといった点で,自由な表現に対する要求について は,今後さらなる発展が期待される演奏である。

 現在の平成十年告示の学習指導要領では,自然で無理のない声で歌うことが指示されているが,

こういった頭声的な声を踏まえて地声,裏声など日本の発声をも射程にいれた発声がめざされてい るのが現状である。

4. 3.  頭声を多用している例について

 ここでは,ベル・カントにおける理想的な発声について頭声を多用している例を中心に取り上げ る。

4. 3. 1.  ウィーン少年合唱団

 周知のようにウィーン少年合唱団は,1498 年にオーストリア皇帝マクシミリアン一世によって,

ホーフブルク王宮の宮廷内礼拝堂のための専属合唱長が任命されたのがきっかけで生まれた。初代 合唱長となったゲオルク・スラトコニアのもとで

6

名の変声期前の少年達が配属され,現在にまで 継続する合唱団の原形が示された

22)

 このようにして生まれた合唱団であるが,発声についてはどうであろうか。ここでは

1983

年に録 音された, 「主よ人の望みよ喜びよ〜カンタータ第

147

番より(J.S.バッハ) 」

23)

について述べる。

 声は完全なベル・カント唱法によっており,頭声,中声,胸声ともに豊かな響きをもって息にのっ て表現されている。気管は緩んでおり,理想的な発声の一つであると考えられる。

4. 3. 2.  マリア・カラス

 彼女は,ソプラノ歌手として一世を風靡した女性であるが,最も得意としたレパートリーの一つ

であるオペラ『トスカ』よりトスカのアリア「歌に生き,恋に生き」について取り上げる

24)

。最初

のピアニッシモで始まる「Vissi d arte vissi d amore」から,気管が十分緩んでおり,吐く息と同時

に息に乗せる形で声が表出される。けして太くあたる形ではないが,純度の高い演奏で,ヴァム

ザー

25

の言う小さいメカニズムに静かに息が流れる形ではじまり,後半の「Signor」におけるクラ

イマックスへ向けて,様式感正しく息による芸術が継続される。

(4)

5.望ましい発声について

 今までの発声法でしばしば取り上げられてきた,支えという考え方は

26

,正しく用いないと,力 が入りすぎて息を止めてしまい, (米山の言うとおり)逆効果という結果になることがある。私の 知っている限りでも,のどを痛めているケースが多いのが実情である。その中で,特にストゥル ナート

27)

や,長谷川

28)

,ヴァムザー

29)

は支えという考え方から開放され,息にのせるをコンセプ トに発声を展開している。特に長谷川はサモーシの歌唱法と教授法について, 「足,尻,腹,胸,背 骨,首周辺,肩,腕とすべてを捨て去っていく感覚で練習していく。これは「支え」てしまって頭 部と腹部が互いにリンクして自由さを失った状態を解くのに有効な練習方法である。 」

30)

として,

「支え」による弊害を除去する方法を具体的に示している。

 私はここで,声帯障害を治療することができるとされるウィーンのヴァムザー教授の発声を取り 入れることで,そういった癖をなくし,さらなる向上を目指すこととした。柔らかく透明な,サ行 を中心とした発声練習は,導入として適切であり,息を止めない,小さいメカニズムで話すように 歌う歌唱法と共に,非常に有意義であった。この発声は,私の授業において小学校音楽科のみなら ず,独唱,合唱においても大きな効果をあげている。

 なお,この望ましい発声についてのより詳細な検討は別の機会に行うことして,本論では根本的 な考え方を確認するにとどめる。

6.発声に関する確認事項として

 以上の検討から,児童生徒,教員共にリラックスして息を止めずに話し,話すのと同じように歌 うこと, 「歌とは高度なおしゃべりであること」 ,無理をしないこと,のどを休ませること,常に発 声に注意を向けるよう支援すること,教員の側では教授内容,方法の改善を試みることなどがあげ られる。

7.まとめにかえて

 私は発声に関して,もう一度発想の転換をする必要があるのではないかと考える。

 つまり,はじめにでとりあげた,声の量的な使いすぎによってできたとされる(米山によれば)学 童嗄声も,地声でどなってしまうことが原因とされる(米山によれば)教員側ののどの障害も,真の 原因は, 「声」に対する意識の問題にあるのではないかと考えるからである。

 すなわち, 「声」とは,一人一人がアイデンティティ(ここでは自己同一性,自分が自分であること と捉える)を確認するかけがえのないものであり,児童生徒,教師共に,一度壊してしまったら,完 全には元に戻らないこともあるものである。発声教育は,この楽器を大切にすることを再認識するこ とからスタートすべきではないかと考える。

 筆者は今後も,この「声」をどうやって守り,生かしていくかに取り組んでいきたいと考えている。

(5)

※ この論文は

2007

6

30

日に行われた教育実践学会大会における口頭発表に加筆修正を加  えたものである。なお発声に関して,サモーシ先生の下でヴァムザー教授と兄弟弟子である,

 茨城大学教育学部教授,声楽家長谷川敏先生より,貴重なご助言をいただきました。

1)『小学生の音楽授業2』(ビクターエンタテイメント株式会社 ,VIVG-50040,1988年.)

2)三笠書房,2002.ちなみに,筆者はこの本を教育学部の皆さん全員に読んでほしい本として,2005年発行の

「教育学部100冊の本」のなかで推薦しておいた。

3)同上書,p.34.

4)同上書,pp.37〜40,76〜78,84〜87,87〜91,99〜120,177〜179など。

5)拙稿「声帯の健康の立場から考えた小学校音楽科の「歌唱」について−米山文明『一日5分のトレーニング で声と歌にもっと自信がつく本』をてがかりに−」,『茨城大学教育学部紀要』(教育科学)56号(2006)pp.

131‐139。

6)同上書,p.36.

7)同上書, pp.40.

8)同上書, pp.37〜40.

9)新村出編,『広辞苑』(岩波書店,1998年),p.2158.

10)金田一春彦他編,『新明解国語辞典』(三省堂,1981年),p.475.

11)西尾実,岩淵悦太郎編,『岩波国語辞典』(岩波書店,1963年),p.84.

12)金田一春彦他編,『新明解国語辞典』(三省堂,1981年),p.818.

13)同上書,p.281.

14)『中学生の音楽 23下〔教師用〕』教育芸術社,27教芸音楽810,p.83.

15)長谷川敏,茨城大学教育学部教授,声楽家の養成に優れると同時に,発声障害を治療することで有名であっ たウィーンのラヨス・サモーシ教授の直弟子,声楽家。

16)この問題に関しては,筆者が直接長谷川から聴取した。

17)岩崎洋一,『初等科音楽教育法』(音楽之友,2004年),p.64.『中学生の音楽 23下〔教師用〕』教育芸術社,

27教芸音楽810,p.83.

18)岩崎洋一『初等科音楽教育法』(音楽之友,2004年),p.64.

19)2007年5月19日¼NHK教育 15:00〜17:00.

20)『小学生の音楽授業7』(ビクターエンタテイメント株式会社,VIVG-50045,1988年.)  21)『小学生の音楽授業2』(ビクターエンタテイメント株式会社,VIVG-50040,1988年.)  22)『ウィーン少年合唱団』(テレビ朝日,1996年),p.29.

23)『アヴェ・マリア,ハレルヤ〜カレーラス,ウィーン少年合唱団』(PHILIPS, PHCP-20247,1984年)

24)『la callas…toujours』(東芝EMI株式会社,TOBW-3523,2001年).

25)長谷川敏「Bel Cantoその歌唱法と教授法に関する一考察―サモーシ理論に基づく体験的声楽理論の展開―」

『茨城大学教育学部紀要』(人文・社会科学・芸術)第44号,1995,p.19.に示された,ウィーンのラヨス・

サモーシ教授の直弟子。声帯障害を治療することができるとされる(若い世代のためのヨーロッパ文化運動

〔E.K.F.D.J.G.〕の議長ユッタ・ウンカルト・ザイフェルトの証明書より)。筆者は,2004年,2005年,

2006年の3回,クロイツァー・涼子(レオニード・クロイツァーの姪。声楽家)の招きで来日したヴァム ザーのゼミナールを受講し,2005年にはディプロマを取得した。

26)フレデリック・フースラー/イヴォンヌ・ロッド=マーリング著須永義雄/大熊文子=訳『うたうこと』(音 楽之友社,1988年),フックス著・伊藤武雄訳『歌唱の技法』(音楽之友社,1978年),リーザ・ローマ著/鈴 木佐太郎訳『発声の科学と技法』(音楽之友社,1977年)など。

(6)

27)アンネット・カズエ・ストゥルナート『ウィーンわが夢の町』(新潮社,2006年).

28)長谷川敏「Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察――ヨーロッパ歴代の名テノール,33 人の演奏分析を通して――」『茨城大学教育学部紀要』(人文・社会科学・芸術)第41号,1992,pp. 15-33,

「Bel Cantoその歌唱法と教授法に関する一考察―サモーシ理論に基づく体験的声楽理論の展開―」『茨城大

学教育学部紀要』(人文・社会科学・芸術)第44号,1995,pp. 19-40,「Libero Canto―ラヨシュ・サモシの歌 唱法と教授法」『茨城大学教育学部紀要』(人文・社会科学・芸術)第56号,2007,pp. 33〜45.

29)25)参照。

30)長谷川前掲論文(2007), p.43.

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