1.はじめに
筆者は本務校である東京都内私立大学文学部専門科目の一部において、毎回の授 業の終わりに振り返り活動を行ってきた。ここで言う振り返り活動は、学習者自身に よるその日の学習活動についての自己評価のことであった。自己評価の対象は単に その日の内容が理解できたかという知識・スキルの習得だけでなく、動機づけや態度、
共感やリジリエンスといった情意的要素も対象としていた。さらに、授業の多くをグ ループワークで進めていたので、自己評価をする際に同じグループで学んだ他の学 習者から、その日のグループワークにおける自分の学習活動についてコメントをもら うことにしていた。学習者はそのコメントにも目を通した上で自己評価をし、次回の 授業、グループワークにどのように臨むか抱負や決意を書いた。学習者の自己評価 を観察する過程で、自身を過大にあるいは過小に評価する場合があることに気づい た。本稿では、自己評価においてバイアスが実際に発生するのか、そのバイアスは 本人にどのような影響を与えるのか、そしてどうそれに対処すべきなのかを論じる。
これを通して今後の自己評価を含めた振り返り活動の質を高め、学習者の成長に寄 与したいと思う。
2.自己評価について
教育において評価とは教育活動の中でどのような学びがなされ、どのように学習
自己評価における バイアスの発生とその対処
尾崎
秀夫
者が成長をとげたかの確認であり、その結果の教育的活用と言える(梶田
, 2007
)。自己評価では、評価の対象と主体の両方が自分自身となる。評価には、総括的評価、
形成的評価、持続可能な評価等の分類があるが、自己評価は持続可能な評価に属し、
評価でありつつ学習の一部としても機能する(
Carr, 2017
)。自己評価が学習の一部 として機能することは、学習者が自己評価を通して認知や行動に変化を起こし自律 学習者へと成長することに見て取れる(菅沼, 2013
)。自己評価には、自己報告(佐野, 2000
)、ポートフォリオ(村川, 2001
)、質問紙(物井他, 2017
)、自己テスト、Can-do
リストや相互評価(Oscarson, 1997
)など多様な方法があるが、いずれにおいても自 己評価の肯定的な影響を見込んでの取り組みと思われる(Everhand, 2015
)。しかし、自分を自分で評価する時、その評価はどれくらい正確なのかという問題 がある。自己評価とパフォーマンスの関係を分析した研究によれば、両者の相関は 概して低い(
Mabe & West, 1982
)。その理由の一つに、自己評価にはダニング=ク ルーガー効果が働くことが指摘されている(西村, 2018
)。ダニング=クルーガー効 果とは、自己評価にかかるバイアスのことで、能力の乏しい者が過大に自己を評価 する傾向のことを言う(高沢, 2019
)。同時に能力の高い者が過小に自己を評価する 場合があることも知られている(高橋, 2001
)。ダニング=クルーガー効果の原因は、「自己の能力を正確にモニタリングするためのメタ認知能力の不足」(高沢
, 2019, p.
104
)のためと考えられている。自己評価にかかるバイアスについて、高橋(
2001
)が他者評価と関連付けて興味 深い指摘をしている。それは、自己評価において過大評価、或いは過小評価する者が、他者評価の内容が自分にフィードバックされた後に取る行動の違いである。自分を 過大に評価する者は、他者評価(本人の評価より低い)の内容を伝えられると、自己 評価を下方修正するという。その後、その姿に接してか、他者評価は向上し、ビジ ネスにおいてこのタイプの管理職は業績を挙げるという。反対に、自分を過小評価 する者は、他者評価(本人の評価よりも高い)の内容が本人に伝えられると、いった ん他者評価に合わせようと上方修正するものの、その後他者評価が変わることはな く、ビジネスにおいてこのタイプの管理職は業績を下げてしまうという。
これらは自己評価と周囲の評価の整合性を保とうとする個々人の反応の違いであ
るが、高橋(
2001
)では自己一貫性理論(Korman, 1970, 1976
)を用いてそのメカニ ズムを説明している:他者評価と自己評価の結果が大きく食い違うことは認知的不協和状態を引き 起こすため、対象者本人は、他者評価の結果に一貫するよう自己評価を調整 していく。さらに、自己評価が他者評価より高かった場合には、そのギャッ プを埋め合わせるために、認知面だけでなく行動面でも自己の行動を修正し ていこうと動機づけられるのである。(
p. 70
)自己評価と周囲の評価に差が生じた際に、適切な調整が成されるか否かが、本人 の本来の能力の発揮に影響を与えるようである。いずれにしても、過大評価者が謙 虚に自身を見つめ直し、自己評価を下方修正しつつも、本人が望んでいたとおりの 能力を発揮していくのに対し、自分を過小に評価することは、一見謙虚で慎ましく、
美徳に思えるが、行き過ぎる場合はその人が本来持っている能力の発揮を抑制し、
ひいては健全な成長を妨げてしまうかもしれない。
従って、自己評価において、バイアスを排除し、より正確な評価ができるよう学習 者を導くことが極めて重要となる。高沢(
2019
)では、社会人基礎力についての大学 生による自己評価に際し、「自分に正直に回答してください」(p. 105
)と教示すること で(正直教示)自己評価の精度が上がったことを報告している。自分の学びや成長を 正確に把握するには、メタ認知能力の育成が欠かせないが、自己評価と、他者評価 や或いはより客観的な評価の両方を、個々の学習者がどのように突き合わせ、どの ような行動を取ればよいのか、それについて助言することも重要である。その際には、行動指標に基づく客観的なデータを参照しながら、自己評価と隔たりがないか検討 することも奨励される(高沢
, 2019
)。これらについて、具体的な方法がより多く試み られることが望まれる。3.問題
自己評価に際しては、バイアスのないより正確な評価を下すことが望まれる。バイ アスがかからないよう働きかけること、また万一バイアスがかかった場合には、本人 に対し適切な対応を取る必要があると考えられる。ただし、その具体的な方法につ
いては、十分に開発されているとは言い難い。このような課題に対し、本稿では自己 評価において現実にバイアスが発生したかどうかをまず検証し、発生した場合には、
どう対処するべきかを検討する。まず、筆者が担当した都内私立大学文学部専門科 目において実施した自己評価にバイアスが生じたかどうか検証する。そのために、自 己評価にかかるバイアスを操作的に定義し、実際に自己評価においてバイアスが生 じたかどうか判定する。続いて、自己評価にバイアスがかかっていた場合、どのよう に自己評価の調整を行い、その後の行動を変えていくことが可能なのか考察する。
4.リサーチクエスチョン
自己評価について概観し、問題を整理した後、以下のリサーチクエスチョンが提 起された。
自己評価に過大、過小評価といったバイアスは発生するか。
5.方法
リサーチクエスチョンに解答するため、自己評価と客観評価の得点を得る必要が あった。それらは
2018
年度春学期筆者の担当した東京都内私立大学文学部専門科目 において得た得点を用いた。当該専門科目は、履修者11
人(2
年生5
人、3
年生2
人、4
年生4
人、そのうち男子2
人、女子9
人)週1
回15
週の科目であった。自己評価は質 問紙に回答することで実施された。質問紙は5
件法6
項目の質問と他者からのコメン ト、および次回の授業に向けての決意・抱負を記す欄からなっていた。履修者は5
件 法6
項目の質問紙に最大13
回回答したが、履修者により回答した回数に違いがある ため、平均点を自己評価の得点とした。また、途中から欠席が続いたり、質問紙の 提出漏れなどがあったりしため、11
人中8
人の質問紙への回答を対象とした。6
項目の質問は、単にその日のトピックをどの程度理解できたかどうかを問うだけ でなく、人間的特質について働きかけることができたかも問うていた。これらの項目 はLeighton (2015, 2020)
1のPUPAE
プロセスを根拠として設けられた。下に1本稿における
Leighton
氏の学習ラインやバタフライモデルについての記述は、Leighton
(2015, 2020)
以外に2014
年以降筆者がLeighton
氏と交わした私信、SNS
を用いたディス カッション、直接の対話にも基づいている。PUPAE
プロセスのステージと人間的特質、および自己評価の各項目との関係を示す。PUPAE
プロセスについて触れておくと、Leighton (2015, 2020)
は、人がある知識 やスキルを習得する過程を学習ラインとして定義しているが、簡潔に記すと以下のよ うになる。学習ラインは5
つのステージからなる。それらは、Purpose/Passion, Understand/Plan, Act, Evaluate, Embed
(頭文字を取ってPUPAE
プロセスと呼ばれ る)であり、学習の準備段階では目的(Purpose
)の確認と動機付け(Passion
)の高揚 を図り、次に自分と他者の役割を理解し(Understand
)、タスク遂行の計画(Plan
)を 立てる。それらを経て初めて実行(Act
)に移り、実行には必ず評価(Evaluate
)を含め、必要な修正を施す。評価については、教師の裁量により自己評価のみの場合もあれば、
自己・他己の両方を含めた評価となることもあるし、より客観的な評価のこともある。
そして、実行と評価、修正を何度でも繰り返し、目標とする知識やスキルを定着さ せる(
Embed
)。PUPAE
プロセスの各ステージに人間的特質を当てている。Leighton (2015, 2020)
では学習と人間的特質の深化を同時に図ることを目指し、このアプローチをバタフラ表
1.
PUPAE
プロセスと人間的特質、及び自己評価項目の関係ステージ 人間的特質 項目
Purpose/Passion Courage
事前1.テキストの理解はどの程度できていま すか。
事前2.グループワークに臨む態度(積極性)は どの程度整っていますか。
Understand/Plan Compassion
事後1.グループに貢献できたと思いますか。事後2.自分の役割を果たせたと思いますか。
事後3.グループのメンバーは互いに協力でき たと思いますか。
Act Resilience
Evaluate
Embed Wisdom
事後4.今日のトピックについて深められたと思いますか。
イモデルとして提示している。それによると、
Purpose/Passion
のステージでは、そ こから新しい知識やスキルの習得に取り掛かるのだが、その新しい知識やスキルに 対し心を開くことが大事であり、それにはCourage
を要する。Understand/Plan
のス テージでは自分と他のメンバーの役割を理解し計画を立てる。自分は何をして、人 には何をしてもらうか考えるのにCompassion
が求められる。自分のことだけでなく 人のことを思わなければならないからだ。Act/Evaluate
のステージは失敗を犯しても 何度でも繰り返さなければならない。そこにResilience
が必要となる。最後のEmbed
のステージに至り、意図した知識やスキルを得る。何をどのようにして得たのか正しく知ることが
Wisdom
となって蓄積される。当該科目で実施した自己評価はPUPAE
プロセスの5
段階に対応する人間的特質について評価したことになる。なお、本研究における自己評価の得点としては、事後の
4
番への回答のみを用いた。下に 述べる客観評価とそろえるため、100
を基準に平均点を調整した。客観評価は、科目の最終評価とした。科目の評価は課題、小テスト、プレゼンテ ーション、自己評価シートの提出、定期試験を総合し判定した。
100
を基準に各評価 項目にあらかじめ定めていた重みをかけパーセントとして算出した。このパーセント を客観評価の得点とした。さらに、自己評価における過大、過小評価の操作的定義を高橋(
2001
)の例に従い、以下のように定めた。自己評価から客観評価を減ずることによって得た乖離得点を 標準偏差で割り
z
スコアを算出した。z
スコアが1.5
を超える場合過大評価、逆に-1.5
を超える場合、過小評価とした。過大、過小評価に該当する者が出た場合、自己評 価にバイアスがかかったとみなした。6.分析結果
リサーチクエスチョン:自己評価に過大、過少評価といったバイアスは発生するか。
表
2
に記述統計量を示す。自己評価と客観評価の平均点は接近していることが分 かる。表
2.
調整済み自己評価、客観評価の平均点、標準偏差(n=8
)続いて、表
3
に8
人の履修者の自己評価におけるバイアスの度合いを示すz
スコア の分布を示す。表
3.
自己評価にかかるバイアスこの結果からはバイアスの基準となる±
1.5
を超えるものはいなかったので、自己 評価におけるバイアスはなかったと言える。しかし、基準値の-1.5
に近い履修者がい たことが確認された(z = -1.45
)。データを確認したところ当該履修者の客観評価は 最上位に属していた。従って、この履修者の場合、十分すぎるほど優秀であるにも 関わらず、自己評価では相当に過小評価していたことになる。また、1.25
を示した履 修者もおり、元のデータを確認したところ、客観評価は上位に属していたが、自分 ではそれ以上に評価をしていたことになる。これらを鑑みると、自己評価において過 大、過小評価というバイアスが緩やかにかかっていたことがうかがえる。平均点
調整済み自己評価 客観評価 標準偏差
88.47 86.21 10.27
-1.9
〜-1.4
〜0.9
〜-0.4
〜0
〜0.4 0.5
〜0.9 1.0
〜1.4 1.5
〜1.9
合計-1.5 -1.0 -0.5 0
n 0 1 1 1 0 4 1 0 8
7.議論
本稿における小集団でも自己評価にバイアスがかかる傾向が示されたが、自分を 過大にまたは過小に評価することは、個人の傾向性として避けがたいことかもしれな い。問題は高橋(
2001
)における指摘のように、自己評価と客観評価の違いの受け止 め方とその後の行動である。特に自分を過小評価する者は、周囲の高い評価にもか かわらず、せっかくの能力を発揮せずに終わることが懸念される。客観評価の内容が本人に戻された後の認知と行動の変化について、山川(
2018
) の学習における問いと関係性の役割を示したモデルを使うとうまく説明することがで きる。以下にそのモデルを示す(図1
)。図
1
学習における問いと関係性の役割(山川, 2018, p.309
)①観察
②違和感
③問い 違和感無
強化 自分
従来認識
従来行動 メンタルモデル
心理的安全性
未知なる部分に飛び込む 他者に対して自分の心を開く
⑤行動の変化
①'観察
③'問い
⑥関係の変化
④インサイト
(認知の変化)
④'恐れ(執着)から の自由
問いを立てるプロセス 関係性を創るプロセス Growth Mindset
自分 世界 他者 自分
世界 他者
過大評価者は、客観評価の内容が自分に示された時、自分をあらためて見つめな おす(①観察)。すると、それまで抱いていたメンタルモデル(過大な自己評価)に違 和感を覚え(②に該当)、「これでよいのか」と問いを立てる(③)。次に、その違和感 から脱却するため、認知的変化を起こし(④)(つまり
Growth Mindset
の獲得)、新 たなメンタルモデルを構築する。以上は問いを立てることが契機になって生じた認知 的変化である。山川(2018
)はこれを非認知能力でいう内省的知能に関わるプロセス と論じている。続いてGrowth Mindset
に基づく新たなメンタルモデルは行動の変化 を生む(⑤)。つまり、未知の領域に飛び込み、他者に対して自分の心を開く。その 結果、⑥関係の変化に結び付く。ここからは関係性を創るプロセスに関わるが、山 川(2018
)はこれを非認知能力でいう対人的知能にあたると述べている。対人的知能 に基づく行動により、他者と世界との関係の修復に成功し、心理的安全性を獲得する。ビジネスであれば業績が向上する。自分と他者、世界との健全な関係を築いた自己 はあらためて自分を観察する(①’)。更新されたメンタルモデルに対し問いを発し
(③’)、一段と恐れや執着から離れ(④’)、行動の変化、関係の変化へと正のスパイ ラルへと入る。
過小評価者も、過大評価者と同様に、客観評価の内容が自分に示された時、それ まで抱いていたメンタルモデルに違和感を覚え、「これでよいのか」と自問し、その 違和感から脱却しようとするだろう。一時的にでも自己評価の上方修正が成される のはこのためだ。しかし、その後の認知や行動の変化は、過大評価者のそれとは相 当に異なるのだろう。認知的には
Growth Mindset
ではなく、Fixed Mindset
への後 退が起き(ドゥエック, 2016
)、行動的には自分の境界を決して越えることはせず、他 者に心を開くこともしない。従って、自分・他者・世界の関係において心理的安全 性を獲得することはなく、常に不安を抱えることとなる。その結果、ビジネスにおい て業績が下がることがあっても不思議ではない。過小評価者は負のスパイラルに陥 ってしまう。以上が、客観評価の内容が本人に戻された後の認知と行動の変化が生 じるメカニズムである。ここで指摘したような、特に過小評価者に見られる悪循環を止めるためには何が 必要なのだろうか。この点について山川(
2018
)の、対話による内と外との統合という主張にまず注目したい。そこでは、ヴィゴツキーによる言語の社会的起源を援用し つつ、他者との対話が同時に内への対話へと進み、他者との関係の調整と自己の同 定が同時進行するとされている。ここで想起されるのが、学習者同士の相互評価で ある。この場合、第三者に対する評価を匿名で後から届けるような形態ではなく、あ る活動に共に携わった者同士が活動終了後に対話しながら相互に評価する方がふさ わしい。そこで学習者はその日の振り返りを外的対話として相手と共有する。その行 為が内的対話としても取り込まれ、他者との関係の調整と自己の同定が同時進行す る。従って、学習者同士の対話を介した相互評価は、過小評価者が自力ではできな い認知・行動レベルの変化を起こすのに有効かもしれない。ただし、過小評価者が 簡単には達成できない認知・行動レベルの変化を、実際に起こそうと思うほどの強 い動機づけが相互評価だけで与えられるかは不明である。
ところで、対話による内と外との統合による変化は、対話に参加している双方に 生じるであろう。その変化は一方に認められると他者評価となって本人に戻される。
しかも、それが双方向に生じる可能性がある。この双方向のフィードバックは、対話 を介した相互評価を仮に毎回相手を変えて複数回行うとすると、より重層的になる。
このようなある集団における構成員同士の相互作用(この場合は相互評価)から、構 成員を認知・行動レベルの変化へと向かわせるような状況が生じるなら、これは複 雑系の創発という現象と言ってよいかもしれない(小林
, 2007
)。そのように仮定す ると、学習者間のフィードバックを伴った相互作用の他にもこれを創発と見なせる特 徴があるであろう。小林(2007
)によれば、非平衡状態の開放系においては、対称 性を破る不安定性が現れることがある。そこに生じた小さなゆらぎが要素の相互作 用によって増幅され、臨界点を超えると高次の秩序が生じるという。これを、対話を 介した相互評価にあてはめてみると、対話の機会を持ち、他者評価を受け入れるこ とが外に対して開かれていることを意味する。しかし、自己評価は他者評価と必ず しも一致しない。そこでは自分を過大に、あるいは過小に評価する場合があるからだ。ここに対称性は破られ不安定性が生じる。この状態に何度も陥ると、ある時点で臨 界点に達し新たな認知・行動レベルの変化が生じる。以上のように、対話を介した 相互評価による学習者の認知・行動レベルの変化は創発という現象になぞらえると
うまく説明できる。
ただし、臨界点に達すると高次の秩序が生じるというのは、自然界であれば相転 移が生じることと言えるだろうが、例えば水が氷になったり、水蒸気になったりする のは、環境の大きな変化に適応した結果である。教育や学習においてはこれに匹敵 する条件は何になるだろうか。この点、
Graves
(1974
)は、人が成長する上で避ける ことのできない危機的な状況や挫折について言及している。危機的な状況や挫折そ のものというより、それに続く生化学的な変化が人を成長させると言うが、危機に直 面したり挫折を経験したりすることなしに人は成長しないのだ。この危機的な状況や 挫折が、過小評価者が負のスパイラルから抜け出ようとする強い動機づけを与える かもしれない。なお、学習者が取り組む活動は学習者がそれまでに得た知識や経験だけで対処で きる内容ではなく、例えば問題解決型タスクの中で、それまでとは違う向き合い方で 活動や他の学習者に臨める活動がよい。学習者はそのような状況に置かれることで、
新たな環境に適応することが求められる。その適応の過程には、他者との関係の調 整も自己の同定の再構築が含まれることが期待できるからだ。さらに、そこで容易に は課題を達成できない困難に直面することが望ましい。
今後必要なことは、上記の条件を備えた環境を用意して、学習者が対話を介して 自己評価、他者評価を行う中で客観的なデータを収集することである。その中で、
自己評価にバイアスがかかる学習者が存在した場合、対話を介した自己、他者評価 の過程で、どのような認知・行動レベルの変化が生じたか、或いは生じなかったか を探る必要がある。そうして得た結果から、認知・行動レベルの変化が学習者に生 じるプロセスを新たなモデルとして提示しなければならない。
8.まとめ
本稿では、自己評価にかかるバイアスが生じたかどうか検証し、それにどう対処 すべきかを考察した。自分を過大にまたは過小に評価することは個人の傾向性とし てやむを得ないことかもしれない。しかし、問題はむしろ客観評価との差に接したと きの過大、過小評価者が取る認知と行動の違いであった。特に過小評価者は、現状
を変えることができず、負のスパイラルに陥ることが懸念された。それに対し、対話 による相互評価、複雑系の概念を応用し、学習者が認知と行動において変化を生み やすい学習環境づくりを提案した。実際にその中で、自己、相互評価を学習者に実 践してもらい、自己、相互評価活動の質の向上とモデルの構築に進みたい。
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