︿論説V
フ ィ リ ピ ン 刑 事 手 続 に お け る デ ュ
そ の 課 題 1
・プロセスと池 田 秀 彦
5 目次
一はじめに二刑事手続に関する人権規定の沿革三最高裁判所の苦悩⁝無令状の強制捜査に関する三つの最高裁判例
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四デュー・プロセスに対する批判
O無令状逮捕
⇔告発手続・証人との対面
日保釈
五デュー・プロセス擁護論からの反論
O法執行官・施設・予算の問題
⇔フィリピン人の気質
匂証人保護
㈱保釈
六おわりに
一はじめに
フィリピンの現行憲法たる一九八七年憲法は﹁何人も適正な手続によることなしには︑生命・自由・財産を奪われ
ない﹂(第三条第一節)と定める他︑﹁何人も法の適正な手続によらないで刑事犯罪の責を負わされることはない﹂
こ(同条第一四節第一項)として︑刑事手続におけるデュー・プロセスの原則の採用を宣言している︒そしてデュー・
プロセスの具体的内容をなす諸権利についても非常に詳細な規定を置いてその保障を図っている︒
ム り筆者は︑かつて別稿でフィリピンの刑事手続における被疑者︑被告人の人権保障の状況を明らかにするために︑憲
法︑法律および裁判所規則(以下︑規則と略す)といった法制面について検討を加え︑フィリピンの刑事手続がアメ
リカのそれに強い影響を受けていることもあり︑全般的には︑法制面での人権保障がかなり手厚いものであることな
どを指摘した︒
しかし︑刑事手続におけるデュー・プロセスの要請が犯人処罰の要請との問で︑時として緊張関係に立つことがあ
るのはいうまでもない︒殊に︑マルコスの独裁体制崩壊後の︑安定とはほど遠い政治状況下において︑また周知のご
とく我が国とは比較にならないほどの犯罪発生率に苦悩する状況下で︑デュー・プロセスの要請に応えること︑即ち
被疑者︑被告人の人権に十分な配慮を払いながら適正な訴追︑処罰を行うことの難しさは容易に想像がつくのである︒
そこで︑本稿では︑エドユサ革命後のデュー・プロセスを巡る議論状況を紹介し︑若干の検討を加えることとする
が︑その予備的作業として刑事手続に関する憲法上の人権規定の沿革を簡潔に紹介し︑併せて︑エドユサ革命後︑人
権保障との関係で議論を呼んだ最高裁判所の判例を検討しておくことが有益であろう︒
二刑事手続に関する入権規定の沿革
フ ィ リ ピ ン刑 事 手 続 に お け る デ ュ ー ・プ ロ セ ス と そ の 課 題
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フィリピンの刑事手続は︑}八九八年にフィリピンの宗主権がスペインからアメリカ合衆国に移ってから以後約半世紀に亘るその統治を受けた関係で︑アメリヵの法制度の影響を強く受けている︒このことは︑個々の手続規定に関
してだけでなく︑憲法上の刑事手続に関する人権規定についてもいうことができる︒
きフィリピンの憲法史を鳥鰍すると︑﹁八九八年以後の憲法史において重要なものは︑一〇年後の独立を予定した一
九三五年憲法︑マルコス独裁体制下の一九七三年憲法︑そして一九八六年のエドユサ革命を経て制定された現行憲法
たる一九八七年憲法である︒
るレ一九三五年憲法では︑アメリカ憲法体制が全面的に導入されたのであるが︑その刑事手続に関する規定は︑字句の
上でも︑極めて似通った箇所がある︒この憲法は︑第四条の﹁権利の章典﹂の見出しの下︑刑事手続に関する多くの
人権規定を置いている︒具体的には︑デュー・プロセスおよび法の下の平等の保障(第一節第一項)︑不合理な捜索︑
逮捕および押収の禁止(同第三項)︑通信の秘密(同第五項)︑事後法および権利剥奪法の制定の禁止く同第=項)︑
意に反する苦役の禁止(同第=二項)︑へービアス・コーパスの令状を請求する権利(同第一四項)︑刑事手続におけ
るデュー・プロセスの保障(同第一五項)︑保釈の権利(同第一六項)︑無罪の推定の原則︑事件の性質と原因につき
告知を受ける権利︑迅速な公開裁判を受ける権利︑証人と対面する権利および自己のために強制的手続により証人を
求める権利(同第一七項)︑自己負罪拒否の特権(同第一八項)︑不当に多額の罰金および残虐な刑罰の禁止(同第一
九項)︑二重の危険の禁止(同第二〇項)︑貧困の故に裁判を受ける権利を害されないことの保障(同第二一項)に関
する規定が設けられている︒
一九七三年憲法では︑アメリヵのエスコビード判決(一九六四年)やミランダ判決(一九六六年)に影響を受けて︑
ら 第四条の﹁権利の章典﹂の中に︑黙秘権︑弁護人依頼権および国選弁護権並びにその告知を受ける権利の保障(第二
〇節第二段)並びに﹁自由意思を損なう拷問・強制・暴行・脅迫・威嚇﹂の禁止(第二〇節第三段)︑違法収集排除
法則(第四節第二項︑第二〇節第四段)に関する規定が新たに付け加えられたほか︑従来の﹁迅速な公開裁判を受け
る権利﹂とは別に︑司法機関︑準司法機関または行政⁝機関による事件の迅速な処理を受ける権利(第一六節)が保障
された︒
ア 一九八七年憲法では︑マルコス政権下の甚だしい人権侵害の反省を踏まえて︑刑事司法に関する人権保障が拡充さ
れ︑第三条の﹁権利の章典﹂の中に︑新たに︑黙秘権等を侵害した場合の﹁刑事的民事的制裁および拷問等の被害者
や家族に対する補償と復権﹂(第一二節第四項)︑政治的信条を理由とした拘禁の禁止(第一八節第一項)︑死刑の原
則的廃止(第一九節第一項)︑﹁受刑者︑被拘禁者に対する肉体的精神的苦痛を目的とした刑罰の行使︑および非人道
的条件のもとでの劣悪な刑罰施設﹂の禁止(第一九節第二項)を謳った規定が置かれた︒このほか︑通信の秘密に関
し一九三五年憲法(第四条第一節第五項)と一九七三年憲法(第四条第四節第一項)では﹁通信の秘密は︑裁判所の
適法な令状によるか︑公共の安全および秩序の維持のために必要とされる場合でなければ︑侵されない﹂とされてい
たため︑警察官は︑裁判官の令状がなくとも﹁公共の安全および秩序の維持のために必要﹂であると判断すれば︑関
係者の郵便物を開披することができた︒一九八七年憲法ではこれを﹁法律の定めるところにより公共の安全および秩
序の維持のために必要﹂と改め︑警察官による恣意的な運用が行われないようにした(第三条第三節第一項)︒
三最高裁判所の苦悩‑無令状の強制捜査に関する三つの最高裁判例
フ ィ リ ピ ン刑 事 手 続 に お け る デ ュ ー ・プ ロ セ ス と そ の 課 題
9 マルコス政権下で制定された一九七三年憲法は︑先に見た如くに︑多くの人権保障規定を有していたが︑周知のよ
うに︑反体制派およびその疑いのある者に対しては︑公然と軍︑警察等により日常的に人権侵害が行われていた︒一
九八七年憲法は︑この反省を踏まえ︑より詳細な人権規定を置いたのであるが︑マルコス政権下で政治化した軍の存
在は︑アキノ政権のみならず︑最高裁判所も無視できるものではなかった︒ここに憲法の番人としての最高裁判所の
苦悩がある︒これが如実に表れているのが次の無令状での強制捜査に関する判例である︒
)(8)一く色∋Oコ甘Φ<暫9Φ≦=9(
これは︑次のような事案であった︒即ち︑警察がマニラ首都圏で検問所を設け︑令状なしに車や歩行者を止めて︑
捜索を行ったのに対し︑二人の申立人が道路上に障害物を置いて無令状で捜索することを禁止するように最高裁判所
に求めた︒申立人によれば︑これらの根拠のない路上障害物を置いた上での捜索は︑それ自体基本的な市民的権利の
侵害を含むだけでなく︑脅迫と迷惑行為(げ㊤困餌o職o陸bPΦ口廿)でもあった︒
一九八九年の最高裁判所判決の多数意見は︑検問が異常な時期に︑合理的制限内で行われたのであれば︑合憲であ
り︑当時︑共産主義者や軍の反乱分子の都市部への攻撃が治安の脅威となっていたのであるから︑﹁異常な時期﹂に
あるといえる︑とした︒そして︑このような﹁異常な時期﹂において当該捜索は︑合理的に行われたと見なされた︒
この様な見地から︑多数意見は︑この事件では︑不合理な捜索と押収から保護される不可侵の権利について定めてい
る憲法第三条第二節の違反はない︑とした︒そして︑説示の中で﹁国家が自らの存在を保護し︑そして公共の福祉を
促進する国家の固有の権利と︑他方︑合理的に行われたとはいえ令状によらない捜索に対する個人の権利との問では︑
前者が優越する︒全ての国家権力が濫用されやすいのと同様に︑軍による検問所の配置は︑軍人により濫用されやす
い︒しかし︑検問がこうした異常な時期に︑合理的限界内で行われたのであれば︑それは︑市民にとっての不便さ︑
不愉快な思いおよびいらだちという犠牲を払って︑我々が平和で秩序ある社会のために支払う費用の一部である﹂と
して︑個人の権利よりも﹁平和と秩序﹂という国家︑社会の利益に重きを置く判断を示した︒
これに対し︑○霊N裁判官とGQ舘臼δ昌8裁判官の二人の裁判官が反対意見を述べた︒O霊N裁判官は﹁さらに悪いこ
とは︑捜索と押収が相当な理由の証明なしでも︑いわんや必要とされる令状なしでも︑合理的であると確定的に宣言
されることである﹂とし︑さらに﹁我々は︑自らの権利について用心深くないならば︑⁝⁝警棒と有刺鉄線の暗い時
代に逆戻りするかもしれない﹂と警告を発した︒ω舘巳88裁判官は﹁捜索令状がないことだけで⁝⁝検問所での捜
索を不合理にする﹂し︑﹁捜索の合理性を立証する責任は︑国家の側にある﹂と述べた︒
)(9)一一〇⊆①NOコく亀OΦ<刷一5(
この事案は︑次のようなものであった︒即ち︑一九八七年にマニラ首都圏で兵士と警官が一連の軍事行動を行い︑
その結果︑ある地域が急襲され︑居住者は︑怒鳴られたり︑ドアを叩いたりして起こされた︒そして︑男性達は︑戸
外にでるよう命じられ︑拳銃を突きつけられた上︑刺青等について調べられた︒家屋の捜索が行われたが︑何人かの
居住者は︑兵士らが金銭や貴重品を盗んだと抗議した︒殴打や暴行行為が行われ︑多くの人が逮捕され︑その多くは
短期間で釈放されたものの︑長い間拘禁された者もいた︒
複数の住民から構成される申立人達は︑この種の軍事行動を禁止し︑これが行われる場合でも地域の指導者達の協
力を得て︑居住者に自発的に協力するよう説得した上で行なわれるよう︑最高裁判所に申立を行った︒もっとも︑被