「知的生産の技術」をめぐって
著者 森 雅秀
雑誌名 文化資源情報論
巻 2013
号 2
ページ 25‑44
発行年 2012‑03‑25
URL http://hdl.handle.net/2297/34373
第2章 「知的生産の技術」をめぐって
森 雅秀
1.はじめに
「知的生産の技術」というのは、梅棹忠夫の有名な本のタイトルである。この本が 出版されて以降、おびただしい数の類書が世に出た。その元祖とも言える本書はベス トセラーかつロングセラーとなったが、それをしのぐ部数の本もいくつもある。数年 に一度は、この手の情報整理術や情報管理術の本がブームになるようだ。ちょうどそ れは、収納法や片付け術、さらには捨てる技術といったテーマが『クロワッサン』や
『オレンジページ』などの雑誌、とくに女性をターゲットとした雑誌で特集を組まれ るのに似ている。あるいは、単行本でもこの手のテーマの本が頻繁にベストセラーに 名を連ねていることと同じであろう。もっとも、「知的○○」と名のつく本や情報管 理関係の書籍は、ビジネス書として刊行されることが多く、おそらくその場合は、男 性の読者が占める割合の方が高いであろう。雑誌と単行本という形態の違いはあって も、人間は、とくに日本人は整理や片付けの本を読むのが大好きなのだ。
注意しなければならないのは、この手の本や雑誌が主眼を置いているのは、「きれ いに整頓された部屋(情報)」であって、そこから何か生み出すのではないことであ る(「美しい部屋」とかは生まれるかもしれないが)。梅棹の本が「知的生産」と銘打 たれていることはきわめて重要である。整理することには創造力は必要ない。整理さ れた状況は何を創造するためであるかを意識しなければならない。そして、従来はブ ラックボックスのような創造の場について、「技術」という視点を持ち込んだことが 画期的だったのである。ここで取り上げる梅棹以外の著作についても同様である。創 造をともなわない整理は単なる趣味やこだわりの世界である。学術的な成果を問うた めには、情報がきれいに整理されていようがいまいが、そんなことは関係ない。むし ろ、過去の学問的成果という情報に縛られず、そこからどれだけ飛躍できるかが、真 に創造的な仕事においては重要である。
本章では、梅棹の『知的生産の技術』をはじめとする「知的生産」にかかわる代表 的な著作を取り上げ、その内容を紹介する1。そこには単なるノウハウ本やビジネス
1 土屋(2002)所収の「『人文・社会科学の技術ツール』参考文献開題」(pp. 28-34)には、この
書は含まれず、すでに一定の評価をかちえている本がほとんどである。それぞれの中 で言われていることは共通することも多いが、著者の学問分野、執筆された時代、社 会的な立場などから、独自の主張も読み取れる。そのどれに共感するかは、読み手の 意識、あるいは単なる好き嫌いによるであろう。絶対的な基準や黄金律などは存在し ない分野である。自分にあった「知的生産の技術」を生み出すためのヒントになれば それでよいのである。
2. 梅棹忠夫『知的生産の技術』
古典的名著である。この種の本の先駆的存在 であり、数多くの類書を生んだが、その先見の 明、斬新さ、そして志の高さは、今なお群を抜 いている。「知的生産」という用語そのものも梅 棹の造語であるので、元祖とか本家と呼ぶべき である。「知の冒険者」「知のプレイボーイ」「知 的生産の神様」などは、梅棹の異名としてしば しば用いられる。類書の中で何か 1 点を選べと 言われれば、ベストワンに推す人は現在でも多 いであろう。
本書が類書と決定的に異なるのは、技術を教 えると見せながら、一種の感動を与えるところ にある。感動という言葉がありきたりならば、
「気持ちを高ぶらせる」とでも言い換えることができる。刊行されてすでに半世紀以 上たつが、これまでいったいどれだけの人が、この本を読んで、知的活動に向かって 邁進したであろうか。2010年に梅棹が世を去ってからも、梅棹を取り上げた本や雑誌 がつぎつぎと刊行されていることからも、ずば抜けた影響力を持っていたことにあら ためて気づく2。
若い学生たちには、この本を試金石のように読んでみることをすすめる。この本を 読んで、ある種のときめきを感じなければ、それは学問を志したり、研究者になるた めの資質が欠落していることを示す。
本書がもっとも大きなインパクトを与えたのは、すでに取り上げた京大式カードで あろう。ここには梅棹の情報管理のエッセンスが詰まっている。本文から該当する記
分野の関連文献が簡潔に紹介されている。本章で取り上げた文献も大半が含まれる。
2 山本(2012)、『考える人』(No. 37)、『梅棹忠夫:地球時代の巨人』(KAWADE夢ムック 『文 藝』別冊)など多数。国立民族学博物館では2011 年に梅棹忠夫をテーマとした特別展を開催 した(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会編 2011)。
述をいくつか紹介しよう。
「カードについてよくある誤解は、カードは記憶のための道具だ、というかんが えである。・・・これはじつは、完全に逆なのである。頭の中に記憶するのなら、
カードにかく必要はない。カードにかくのは、そのことをわすれるためである。」
(梅棹 1992、pp. 48-49)
「カードの操作のなかで、一番重要なことは、組みかえ操作である。知識と知識 とを、いろいろに組みかえてみる。あるいはならべかえてみる。そうするとしば しば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいも かけない関係が存在することに気がつくのである。そのときは、すぐにその発見 をもカード化しよう。そのうちにまた、おなじ材料からでも、組みかえによって、
さらにあたらしい発見がもたらされる。これは、知識の単なる集積作業ではない。
それは一種の知的創造作業なのである。」(梅棹1992、p. 51)
「カード法の初心者は、たいてい1枚のカードにたくさんのことをかきすぎて失 敗するようだ。おもいきって、ちいさい要素にわけた方が成功する。1枚のカー ドに1行しかかいてなくてもかまわないのである。カードをけちっていたのでは、
カードはつかえない」(梅棹1992、p. 50)
「自分の知識や思想を、カードにしてならべてみると、なんだ、これだけか、と いう気がして、自尊心をきずつけられるような気がするのである。・・・カードを つかうには、有限性に対する恐怖にうちかつだけの、精神の強度が必要である。」
(梅棹1992、p. 54)
「だいじなことは、カードをかく習慣を身につけることである。どうしたら、そ の習慣が身につくか。根気よくつとめるほかはないのだが、たとえば、つぎのよ うな方法はどうだろうか。それは、おもいきってカードを1万枚くらい発注する のである。1万枚のカードを目の前につみあげたら、もうあとへひくわけにはゆ くまい。覚悟もきまるし、闘志もわくというものだ」(梅棹1992、p. 56)
この文章を読んで、1万枚のカードを作った人は相当な数にのぼるであろう。その 一人であるジャーナリストの山根一眞は、後に次のようなエピソードを記している。
「はじめてお目にかかった梅棹さんに、・・・夢中で十数年に及ぶ梅棹式仕事術と の格闘をお話しした。そして、十四年を経過した「その後の知的生産の技術」に ついてお話ししていただけないかと、切り出した。・・・このことがきっかけとな って、私は自称、梅棹さんの弟子となった。そしてあるとき、思いきって「私は B6カードを先生がおっしゃるように一万枚も買って、結局破綻しました」と、白 状した。すると、「そうや、それでええのや」とおっしゃった。つまり、B6 カー
ドを手掛けることは、各人が自分なりに情報整理とはどういうものかを学ぶこと に意味がある。あなたはそれによって自分なりの整理法を見つけた、それでいい のだ、というのである。この懐の深い言葉には、唸った。」(山根 1992、pp. 7-8)
刊行からの歳月は、さすがに、この本の内容を、一部、時代遅れにした。とくにパ ソコンの存在の有無は決定的であろう。それでも、本文中には「コンピューターがひ とり一台になって使いこなす時代がくるまではもう少し時間がかかるであろうが」と いう記述もあり、すでにその時代を予見していたことにも驚く。パソコンなき時代の 代表的なトピックが、タイプライター、とくに「かなもじタイプライター」である。
しかし、これをあつかった章にも、耳を傾けるべき内容が多く含まれる。梅棹が提 唱する日本語ローマ字書きや、かなによる表記(わかちがきを含む)は、日本語の表 記を考えるときに有益である。石川啄木はローマ字で日記をつけたことが知られるが、
その後の彼の日本語は、それまでのものとくらべて格段に上達したというエピソード も興味深い。
梅棹自身の文章も日本語表記の実践例として見ることができる。ローマ字やかなに よる表記を経て到達した梅棹の文章は、日本語としてもきわめてレベルが高い。独特 なのは漢字とかなの使い分けであろう。原則として、梅棹は和語(訓読み)はすべて ひらがなで、漢語は漢字で表記する(例外もある)。そのため、「走る」とか「学ぶ」
といった小学校の低学年で習うような漢字もひらがなになる。しかし、それは単なる 機械的なルールなのではない。実際、この表記法をまねしても、同じような読みやす い文章は絶対に書けないし、むしろかえって読みづらくなる。梅棹はこの法則を守っ ても読みやすい文章になるように、徹底した語彙の選択と、文章の組み立てをおこな っている。それと同時に、句読点の打ち方にもきびしい注意を払っている。その結果、
高度な内容でありながら、きわめて読みやすい名人芸とも言うべき文章が生み出され たのである。梅棹の本を開くと、ページの文字がゆったりならんでいることに気がつ く。これは、必要以上に漢字を用いないことの表れであるが、このような印象(「字 面が白い」と編集者などは言う)は、人に文章を読ませるための決定的な要因となる。
梅棹が本書で提唱する方法が、すべて絶対的に正しいわけではない。たとえば、山 根が告白しているように、京大式カードも人によっては有効ではないこともある。あ るいは、文章を書くときに用いる「こざね法」もそうである。情報をこまかくぶつ切 りにして、ならびかえたところで、論文や本という一個の構築物はなかなか生まれな い。これは、やはり知的生産の方法として広く知られている川喜多二郎のKJ法など にもあてはまることである3。立花隆は KJ法を評して、「あれは頭の悪いもののやり
3 川喜多(1967)において提唱されたKJ法も話題になった「知的生産の技術」であるが、本稿 では取り上げない。
方である」と切り捨てている4。
しかし、本書が安直なマニュアル本でないことは、梅棹自身も何度もくりかえして 述べている。それよりも、学問的な情報にどのように向き合うべきかを、ひとりひと りが考えるきっかけになることを願っている。そして、それは実際、大きな反響を呼 んだ。
『知的生産の技術』の続編を求める声も大きく、梅棹自身もいったんはそれに取り かかった。しかし、その試みは3回で中断し、一冊の本として続編を刊行するには至 らなかった。その内容も、前著ほどの評判を呼ぶことはなかったようである。『梅棹 忠夫著作集 第11 巻 知の技術』に収められているその内容は、以下のとおりであ る。
第1回 『知的生産の技術』の反響
第2回 「しらべる」ということ、または文献検索 第3回 ひく本 リファレンス・ブックについて
『知的生産の技術』の続編と呼ぶべき著作は、むしろ『研究経営論』『情報管理論』
という二書である。1989年と1990年に岩波書店から続けて刊行されている。いずれ も書き下ろしではなく、それまでに梅棹が発表してきた文章で、知の技術をあつかっ たものをまとめ、ふたつに分けた刊行物である。梅棹が創設にかかわった国立民族学 博物館にかかわる文章が多く含まれるのも特色であるが、この組織の設立と運営こそ が、梅棹にとっての「知的生産」だったのである。
『研究経営論』にふくまれる「国立民族学博物館における研究のあり方」は、若手 の研究者や大学院生にはぜひ読んでほしい。「インセンティヴ」「外部評価」「テニュ アトラック」「業績の公示」「競争的原理」など、現在の大学でもっとも声高に言われ ている項目がつぎつぎに登場する(用語は異なることもある)。初出の文章が発表さ れたのは1977年であるが、すでにそのときから梅棹は、大学や研究機関のあるべき姿 を見すえていたのである。あるいは、日本の高等教育機関の行政方針が、梅棹のめざ す方向に近づいてきているのかもしれない。
なお、梅棹自身の著作は、そのすべてではないが、著作集として重要なものは読む ことができる5。著作目録も国立民族学博物館から刊行されている6。いずれも知の巨 人の全貌を知るための手がかりとなる。
4 立花(1984: 150-151) 本章第5節も参照。
5 梅棹(1989-1993) 6 梅棹他編(2009)
3. 木下是雄『理科系の作文技術』
梅棹の『知的生産の技術』が理念や志を説く 知的生産のバイブルであるとすると、木下の
『理科系の作文技術』は、より具体的、実践的 なアドバイスをおこなう指南書である。
タイトルにある「理科系」という語にだまさ れてはいけない。むしろ、私は文系だから関係 ないと思っている学生や研究者ほど、このよう な本をしっかり読んでおくべきである。一般に、
学問の世界では文科系よりも理科系の学術論 文の方がレベルが高い。もちろん、異なる分野 のあいだで論文のレベルを云々するのは無意 味かもしれない。しかし、論文としての完成度 といった観点からすれば、文科系の論文にはそ れがかなり欠けているものがあることは、いわ ばこの世界では常識である。とくに人文系の論
文はそれが著しい。世界的な競争の中で、つねに最新の成果を、しかも多くの場合、
英語で発表しなければならない理科系に対して、文科系、とくに人文学の研究者が、
身内のような国内の少数の研究者を相手に、エッセイ(日本語的な意味での)のよう な文章を連ねているようなことがしばしばある。「理科系の作文技術」を身につけな ければならないのは、文科系の研究者であるという逆説的な状況が、時代とともによ り顕著になっているのである。
本書はタイトルにあるように、情報の収集や管理よりも、それをいかに表現するか にテーマをしぼっている。その内容はきわめて具体的である。「作文技術」を説くだ けあって、文章も研ぎすまれていて、読んでいて心地よい。
重要な指摘は無数に含まれているが、そのいくつかをかいつまんで紹介しておこう。
ひとつは文章の組み立て方である。これは、文章は論理的に書くと言い換えること もできる。学術的な文章が論理的であるのは当たり前と思うかもしれないが、現実に 学生のレポートなどを見ていると、いかに論理的な文章が少ないかを痛感させられる。
論理的な文章の反対は非論理的な文書であろうが、むしろ情緒的、感傷的な文章がそ れにあたるであろう。要するに「感想文」なのである。
そうならないように、著者の木下は具体的なポイントをいくつもあげていく。文の 長さと構造、はっきり言い切る姿勢、事実と意見の区別等々である。とくに起承転結 などに代表される論理構造は、文章を書く者たちすべてが心がけなければならない。
ばらばらの細かい内容を列挙した上で、それをまとめるようなタイプの文章(木下の
ことばでは「逆茂木の文章」)ではなく、巨視的な視点から細部に展開するような文 章(同じく「レゲットの樹」)をめざすことは、すべての基本である。
受け身の文章を避けることも、くりかえし強調されている。なかでも「〜と考えら れる」「〜と思われる」といった責任を不特定の者に転嫁するような表現は、意識し て避けなければならない。最近の学生のレポートによく見られるのは、これらとなら んで「〜と言えるであろう」といったタイプの表現である。「言える」ということば の使い方自体にも落ち着きの悪さを感じるが、それに加え「あろう」という語尾で、
無責任さがさらにふくれあがる。
「はっきり言い切ること」はその対極にあるが、日本語の場合、それはひとつの文 をどのように終わらせるかという問題である。本書ではないが、以前に読んだ英語の 文章術の本にも、「明確な形で述べなさい」という心得があった7。そして「不要な語 は削れ」とも強調されていた。probably や perhaps などの副詞はもちろんであるが、
would, should, could, may, might, canなどの助動詞も要注意である。これらが日本語の
曖昧な語尾に相当する。
論理的な文章を書くときの別のアドバイスとして、木下の文章をあげておく。
「理論と呼ぶにふさわしい理論を述べる文章では、内容 −−論理の組み立て−− に よって記述の順序がきまってしまうので、文章論としてはほとんど議論の余地が ない。ただし、同じ前提から出発して同じ結論に到達する論理の筋道は必ずしも 一つでない(初等幾何の証明問題の解法は一つとかぎらない!)研究者が最初に その結論にたどりついた筋道が最短経路であることはむしろ例外で、多くの場合 に、結論に到達してから振り返って道をさがすと、もっとまっすぐな、わかりい い道がみつかるものである。論文は読者に読んでもらうものだから、自分がたど った紆余曲折した道ではなく、こうしてみつけた最も簡明な道に沿って書かなけ ればならない。」(木下 1981: 48-49)
これも重要な指摘である。われわれは、ともすると、論文とは自分の考えた結果を 書いて発表するものだと思いがちである。しかし、それはしばしばひとりよがりな思 考である。論理的な展開をくみかえて、あらゆる可能性を探りながら、その中で最も 説得力のある筋道を示さなければならない。このときに重要な役割をはたすのが、論 理的なものの考え方であり、それは数学的思考法と言い換えることもできる。その点 でも、文科系の研究者に最も必要なのは、あるいは最も欠落しているのは、理科系的 な思考訓練なのである。
ひとつひとつの文の書き方や用語法などについても、同書はきわめて多くの情報を
7 Strunk & White(1985: 54-58) 同書には他にも有益なアドバイスが多数含まれている。その 多くは日本語にもあてはまる。
提供する。文章は短く、格は正しく、簡潔、明確を心がけることからはじまり、漢字 の用い方や区切りの記号にいたるまで、さまざまなポイントがわかりやすく示されて いる。必要以上に漢字を使わない文章が「字面が白い」と言われることも、私は本書 ではじめて知った。漢字ではなくひらがなで書く表現の具体的な例(p. 151)は、そ のまま学生のレポートを書くときのルールにしたいものである。
さらに、基本的な校正記号、投稿原稿の図や表の作り方、キャプションの付け方な どは、大学院生で、これから原稿を学術雑誌に投稿しようとする人には、ぜひ目を通 してほしい。雑誌の編集をしていると、本業の研究者であっても、見ると思わずため 息が出るような、すさまじい原稿を送りつけてくる人がいる。パソコンを使えばきれ いに仕上がっていると思い込んでしまうようであるが、むしろ逆で、パソコンのデー タの方が、原稿の欠陥はよりはっきりと見える。基本的なルールを知らないことは校 正についても同様で、校正記号も知らずに自分勝手な方法で朱を入れる研究者がどれ だけ多いことか。『校正必携』のようなすぐれたマニュアルがあることを、もっと知 るべきである8。
著者の木下は物理学者であるが、本務校の学習院大学を退職してからは、日本語の 表現について積極的な発言をおこなっている。そのおもなものは『日本人の言語環境 を考える』(木下是雄集 3)としてまとめられている9。本書の続編として、あるい は本書を生み出した思考の軌跡を知るためにも格好の書である。筆者の気概や潔さを 深く感じ取ることができる。
4. 渡部昇一『知的生活の方法』
まぎらわしいタイトルの本である。梅棹の
『知的生産の技術』とは三文字(活、方法)し か違わない。「技術」と「方法」は類義語で入 れ替え可能である。しかし、両者は対極的な位 置にある。木下の『理科系の作文技術』とも正 反対である。渡部の本は徹頭徹尾、文系の著者 による文系の読者のための本である。梅棹のそ なえている学際的な研究志向や、複数の研究者 による共同研究といった研究方法も、渡部の眼 中にはない。研究とはあくまでも個人の知的な 営みであり、その目的は自己の知的好奇心の充 足以外、何ものでもない。
8 日本エディタースクール(1995) 9 木下(1993)
筆者の渡部は上智大学の英語学の教授を長くつとめていたが、その分野にかぎらな い広範な著作活動で知られている。その生産力は退職後も衰えず、おもに保守派の評 論家として、現在でも活躍中である。
本書の『知的生活の方法』は1976年に初版が出ている。当然、梅棹の『知的生産 の技術』よりも後の出版である。渡部自身、このベストセラーについて知らないわけ もなく、おそらく企画をたてた編集者も、それを十分、意識していたはずである。と ころが、おもしろいことに、渡部の著作の中に梅棹やその著作についての具体的な言 及はまったくない。完全に無視されているのである。しかし、批判的な見解は有して いたようで、とくに梅棹のカードシステムを念頭に置いて、その方法が有効ではない という評価を下している。もっとも、これはカードを既存の情報の蓄積のために用い る方法で、梅棹自身、このようなカードの使い方は提唱していない。また、渡部は本 や論文の執筆においては、カードやファイリングシステムの有効性を認めて、むしろ 利用することをすすめている。
渡部の『知的生活の方法』もこの種の本のベストセラーのひとつである。その人気 の秘密は、すでに述べたように、この本が完全に文系向きの本だからである。より正 確に言うならば、本ための本だからである。
本書を貫いているテーマをひと言で表せば、「本とどうつきあうか」である。どの ように本を読むか、本を楽しむためにどのような気構えが必要か、本を読むための最 適な環境はどのように整えるべきか、読んだ本はどのように残しておくか、このよう な疑問に対して、筆者は自分の経験に即して、明快な判断を示す。すなわち、本を読 むことから始まり、本に書かれている情報の抽出法、本の保管の仕方、書庫の設計、
さらにはその生活環境を生み出すための毎日の習慣、食生活、夫婦の関係にまで筆は 進む。それがいかに名人芸であろうと、読者はその強い姿勢についついひきこまれる。
逆の見方をすれば、それだけ人は本が好きなのである。
本は魔物である。知らないうちに増え続け、ついには生活基盤そのものまでむしば んでしまう。そして、それがわかっていてもなお、本の魅力にあらがうことはできな い。U. エーコの『薔薇の名前』さながらに、命とひきかえに人は本を集めていく。
渡部自身もそのひとりであろうが、その習性を知り抜いた上で執筆された本書は、
本に魅せられた人にとっては、実に共感できる内容なのである。そして、文系の研究 者、とくに人文学の人たちは、程度の差こそあれ、たいていが本が大好きな人である。
そういう意味で、本書は人文学を専攻する人にとって、もっとも身近なテーマをあつ かい、もっとも示唆に富む内容を持っているかもしれない。ただしそれは、斬新なア イディアを発見するための本ではなく、自分自身と同じ志向、もしくは悩みを持つ者 との共感の書であることを意味する。
本書には続編として次の2冊もある。
渡部昇一 1979 『続・知的生活の方法』講談社学術新書
渡部昇一 1981 『発想法:リソースフル人間のすすめ』講談社学術新書 いずれも同じ路線で書かれており、読み物としてはおもしろいが、あとになるほど実 用性は逆に少なくなっていく。
なお、渡部のこれらの本では、ときおり女性に対する差別的な記述が見受けられる。
作者自身の個人的な信条を述べているのはわかるし、それを許容するような時代の作 品であったかもしれないが、現代のわれわれの目から見ると、さすがに言い過ぎの感 がある。この部分だけでも改訂すべきであろう。
5. 立花隆『「知」のソフトウェア』
著名なジャーナリストによる「知的生産」の 本である。著者の立花隆は、つねに現代的な問 題をいち早くとらえ、話題の書を提供し続けて いる。現代日本の代表的な知識人と目され、膨 大な数の著作がこれまでに出版されている。本 書は立花の代表作ではないが、自らの手の内や 舞台裏を明かした本として、立花のファンにと っては、ある意味、必読書である。
立花の本の魅力のひとつは、そのぐいぐい引 き込まれるような勢いのある文章である。次の 文は、本書の中からとった例であるが、立花ら しい思い切りのよさがよく感じられる。
「本というのは、一ページ目から読みはじ めて、最後のページまで読むものなのだ、
というような固定観念は捨てることである。ではどこが必要で、どこが必要でな いかをどうやって見分けるか。何より重要なのは、自分が何を必要としているの かを明確に認識しておくことである。なんでもないことのようだが、これが一番 重要なのである。」(立花 1984、pp. 18-19)
このような内容が本書には無数にちりばめられている。世俗的な権威や世間一般の 評価に対する辛辣な姿勢は、ジャーナリストとしての立花の真骨頂であるが、それは 情報整理術についても十分に発揮されている。梅棹の京大式カードについては、試し にやってみたが、時間がかかりすぎて、バカらしくなってやめてしまったが、早くや めてよかったと思うとにべもないし、川喜多二朗のKJ法にいたっては、すでに述べ たように、「頭の悪い集団が考えるときだけしか役に立たない」と一蹴している。そ
して、情報整理の極意として、次のような警告を発している。
「資料の整理と保存にかける手間は少なければ少ないほどよい。・・・資料の収集整 理という作業を一度組織的にはじめてしまうと、だんだんそのこと自体が自己目 的化してしまって、かんじんの本来の目的(アウトプット)を忘れてしまうとい うことがしばしば起こるからである。」(立花 1984、p. 34))
立花の立場はあくまでもジャーナリストである。これは、これまでに取り上げてき たフィールドワーカーの梅棹、理系の科学者の木下、文献学者の渡部のいずれとも異 なる。トピックはつねに現代的で、しばしばセンセーショナルである。それをみつけ るための独特の嗅覚をそなえている。そのため、その情報源は文献や実験ではなく、
人や組織であり、間接的な情報も新聞や雑誌、統計データなどの、ある意味、生きた ソースである。それは人文学の多くの研究者にとっては、かなり縁遠い存在である。
本書から学ぶべきことは、このような情報収集の方法ではなく、何かものごとをし らべるための「かまえ」のようなものである。取材をするときに事前にどれだけ準備 すべきか、データを入手するためにけっして妥協してはならない、情報の持つ見せか けの真実にだまされてはならないなどといった心がまえが、圧倒的な説得力を持って、
読者に迫ってくる。それはジャーナリストの世界だけではなく、知的な活動をするあ らゆる人々に共通する「かまえ」なのである。
立花の基本的なスタンスとして、人間のもつ潜在的能力が、知的な活動に大きなウ ェイトを占めていることがあげられる。そのため、たとえば文章を書くときのアドバ イスとして、全体の構成をきっちり決めるのではなく、流れを重視せよと述べている。
しかし、これは立花のように、ある種、天性の文筆能力がある者の「わざ」である。
たいていの人は、それは大学生や研究者も含め、論理的な文章を書くときには、やは り全体の構成をあらかじめ準備しておいた方がよい(立花は「コンテ」と呼ぶ)。
立花が、よい文章を書くための訓練として、できるだけよい文章をたくさん読むこ とをあげているのは正しい。おそらくそれは、よい文章をたくさん読むことで、自分 の中で文章のリズム感や、息の続き具合や切れ目が、無意識のレベルで身につくので あろう。立花はこれに続けて、自分で書いた文章を頭の中で何度も読み返し、すっき りした自然な流れになるまで何度も手を入れるように述べている。しかし、これはよ い文章が自分の身についていなければあまり効果がない。自分の文章がすっきりした 自然な流れになっているかどうかは、それを測る尺度をそなえていなければ、けっし てわからないのである。このようなところからも、立花が対象としている読者のレベ ルが、一般の人たちではなく、ある種のエリートであることがわかる。
6. 野口悠紀雄『「超」整理法』
著者の野口悠紀雄は経済学者である。これま でにあげた「知的生産」関係のいずれとも、専 門分野が異なる。本書の特徴に即して言えば、
効率化の占めるウェイトが大きく、理論化にも すぐれている。コンピューターを研究にも生活 にも活用している点もあげられる。これまで取 り上げた本が、パソコン普及以前に書かれてい るのに対し、本書が出版された1990年代前半 は、すでにパソコンが一家に一台、あるいは一 人に一台の時代になりつつあり、インターネッ トの普及も進んでいた。
野口自身が「あとがき」に紹介している、本 書誕生のいきさつがおもしろい。「私が『整理 法』について書きたいといい出したとき、私の
まわりのすべての人は、驚き、かつ呆れ、あるいは、私の正気を疑った」というのだ。
皆、整理法とはほど遠い著者の仕事場を知っていたからである。しかし、そこはした たかな筆者である。これまでの整理法では整理できない理由を逐一検討し、最終的に は「整理しないことが、もっともすぐれた整理法である」という逆説的な結論に達し たのである。
そこから「『超』整理法」というタイトルも生まれた。ひところ流行した「超」の 名を冠した命名法は、野口のオリジナルではないだろうが、その代表例のひとつとな っている。実際、本書は中公新書のベストセラーの中でも、最上位のひとつにあげら
れている。
野口の提唱する「超」整理法はいたっ てシンプルだ。A4 サイズの紙がちょう ど収まる封筒(正確に言うと「角形2号」)
を準備して、その中に特定のテーマの書 類を入れて、内容を右端に書き、書架に ならべるだけである(図 1)。ポイント は、新しいファイルができれば、つねに 書架の左端に入れて、内容にしたがって 分類しないことである。こうすると、新 しいファイルほど左に置かれ、古いファ イルは次第に右に移動していく。古いフ 図 1 袋ファイル(『「超」整理法』より)
ァイルを取り出して、書棚に もどすときには、最新のファ イルと同じように左端に入 れる。結果として、すべての ファイルは使った順番とい う時系列でならんでいくこ とになる。これを野口は「押 出しファイリングシステム」
と呼ぶ(図2)。
この方式の画期的なとこ ろは、整理をしなくても、時 間順の配列という秩序化が
なされることである。多くの整理法の本は、資料の整理のノウハウを説くが、これは 逆に、資料をより見つけにくくしている。資料の分量が少なければ整理は有効である が、それが大量になればなるほど、整理を必要としつつ、同時に整理が混沌を生み出 すという一般的な体験に根ざしている。これを完全に逆転させたのである。
押出しファイリングシステムのもうひとつ有効な点は、使わなくなって右に移動し ていったファイルは、一定時間の後で廃棄の対象としてチェックされることである。
書架の右端に移動しているということは、すでに長期間にわたって使用しなくてもよ かったファイルであることは明らかで、その大部分は、実際、不要となった書類なの である。なかには、それでも廃棄することができない重要なファイルも含まれるが、
そのような資料は「神様ファイル」と呼んで、まとめておき、使わないが捨てられな いという別扱いにすればよい。「押出しファイリングシステム」という名称は、この 作業も意識した命名である。
野口はこれに「ポケット一つ原則」というルールも組み合わせている。押出しファ イリングシステムは、分類しないことが最も重要なルールである。人間はそれでも分 類することを完全に捨てることができず、つい分類してしまうが、これがシステムの 破綻につながる。ファイルをさがすときに、めざすファイルが必ず「そこにある」と いう確信を持てることこそが、押出しファイリングシステムの強みなのである。
野口自身のことばから、押出しファイリングシステムを紹介する文章をふたつあげ ておく。
「押出しシステムを最初に出発させるときには、一挙に大量のファイルを作らな ければならない。このとき、机の上に分類の山を作ってから、というようなこと はしない。とにかくファイルとしてまとまるものは片っ端から最小単位で封筒に 入れる。・・・普通の整理法では、まず秩序を作ってから収納する。それに対して、
図 2 押出しファイリングシステム(『「超」整理法』より)
押出し方式では、まず収納して、あとで秩序を作る。何も考えずにとにかく収納 し、処置は後でゆっくり考えるのである。この点はきわめて重要だ。」(野口 1993、
p. 56)
「時間軸による検索は、きわめて強力である。なぜなら、①使用する書類の大部 分は、最近使ったものの再使用である。②人間の記憶は、時間順に関しては強い」
(野口 1993、p. 83)
この押出しファイリングシステムが画期的であり、多くの人たちに受け入れられた ことは、本書がベストセラーになったことからもよくわかる。一時期、文具店から角 形2号の封筒が姿を消したという話も、野口がのちに書いている。もっとも、野口は、
郵便などで使われていた封筒を再利用することをすすめているのであるが、それでは 足りない人や、きれいな封筒を使いたかった人がたくさんいたようだ。
本書の初版は1993年11月で、すぐに話題になり、私も購入した。1994年2月の版 で、初版からわずかに3ヶ月しかたっていないが、すでに11刷であった。さっそく 押出しファイリングシステムを取り入れ、その有効性を知り、以来20年近くたつが、
現在でも基本的には書類の整理法として活用している。長く使い続けても破綻するこ とのない整理法として、やはりすぐれたシステムであることはたしかである。ただし、
いくつかの点で自己流の変更を加えている。
ひとつは「ポケット一つ原則」を厳密には守っていないことである。すべての書類 を押出しファイリングシステムにまとめることは、やはり困難であった。たとえば、
大学教員の仕事には、研究、教育、大学事務(行政)の大きく三つの領域があるが、
これらはかなり性格が異なる。研究のための資料収集は、短時間で集中的におこない、
その量も角形2号の封筒には収まらないことも多い。しかも、論文や本を執筆してし まえば、後はその大半が不要になる(研究者によっては大切にとっておくかもしれな いが)。
教育についてはさらに複雑である。ノートや配付資料などからなる講義資料は、学 期中は毎週増え続ける。しかし、授業が終われば、次に同一のテーマで授業をおこな うまでは、休眠状態になる。一方、個別の学生の指導のために、一人ずつファイルが 作ってあるが、大学院生と学部生とでは、その資料の分量や使う頻度は一定ではない。
大学事務については、教授会や各種委員会などの配付資料が、会議のたびに一定量 ずつ増えていくため、これも封筒にすぐに収まらなくなる。各種の申請書などの事務 提出書類は、一件ごとの量はわずかであることが多いが、近年、その種類は増加の一 途をたどっている。
このような状況に即して、私はいくつかのファイルは「ポケット一つ原則」を破っ て、別立てにしている。まず、書き終わった論文や本の資料は、その時点で別の場所 に移動してまとめている。講義資料は、はじめから封筒に入れずに、二穴のパイプフ
ァイルに綴じている。半期の授業で、5cm のパイプファイルがほぼいっぱいになる。
学生ごとのファイルは、封筒のまま書棚の別のところにまとめている。学生はアポイ ントを取って訪れるとはかぎらず、即座に対応することも多いが、そのときに押出し ファイリングシステムの資料の中から、目的のファイルを見つけ出すのはかなり困難 であるからだ。
教授会や各種委員会の会議資料も、二穴ファイルに時間順に綴じて、別立てにして いる。その委員会が終了したり、年度がかわれば、古い資料はたいてい廃棄する。重 要なものもあるが、基本的に会議資料は事務の方で保管されているし、最近は PDF ファイルでウェブ上にあげられているものも多い。われわれがアーカイビストになら なくても、大学の運営はきちんと進んでいくのである。
事務関係の書類でもうひとつ別立てにしているのは、科研費(科学研究費補助金)
に関する書類である。採択中の課題の書類は、頻繁に取り出す必要があることと、事 務書類や研究会資料など全体がかなりの分量になるためである。また、過去の科研費 関係の資料は、採択、不採択にかかわらず、すべてまとめてとってある。とくに、不 採択の申請書は、捨ててしまう人も多いかもしれないが、内容に手を入れて、再び申 請のできる「アイディアの泉」である。実際、過去の不採択であったテーマを、種別 や分野を変えて、もちろん内容も手直しして、採択された経験も何度かある。
これらの変更点は押出しファイリングシステム全体を大きく変えるものではなく、
軽微な手直しである。このような自分にあったモディフィケーションと組み合わせる ことで、野口のシステムを応用していけばよいのである。
野口の押出しファイリングシステムの発想の背景にあるのは、パソコンによるデー タ管理である。時間順にファイルがならび、使わないファイルほど、リストの後ろに 回るという、パソコンのデスクトップでの配列法が、ちょうど書棚に置き換えられる のである。野口のパソコンの利用法は、本書刊行後の大きな流れ、すなわち、軽量化、
低価格化によるさらなる普及、大容量の記憶メディアの出現、さらにはクラウドサー ビスなどに合致するものである。インターネットが情報収集や発信の基本になること も、ほぼ見通されている。
パソコン上のファイルのならべ方について、簡単にふれておこう。
パソコンのファインダーでファイルを時系列にならべることは、必ずしも一般的で はない。ウィンドウズの場合、ファイル名のみを示す簡略な形式と、ファイル名以外 にも作成日時、ファイルの種類、大きさなどを示す詳細のふたつがある。学生の利用 法を見ていると、簡略ですませていることが多いようだ。アイコンで表示させている 人も多い。これに対し、Macintoshは、これらの方式に加えて、カラム形式といって、
階層的に左から右のカラムに順に移動させる方式があり、経験上、使い勝手としては、
これが最も優れていると思う(図3)。カラムの中をどの順序にするかは、ユーザーで 設定できるようになっている。ファイル名、作成(変更)日時、種類、大きさなどか
ら選ぶことができる。三つ目以降はあまり選択肢とはならないと思うが、ファイル名 か時系列かは、好みがわかれる。私は基本的にはファイル名とし、ファイルを時間順 にならべるときには、ファイル名のはじめに時間順のシリアルナンバー(01、02、03 等)や、日付を入れるようにしている。なお、押出しファイリングシステムの中に、
パソコンのファイルやフォルダと同一案件のファイルがある場合は、両者の名称を統 一しておくとよい。パソコン上に実際と同じファイリングシステムができあがること になり、必要とするファイルを実物でもパソコン上でも探しやすくなる。
7. 外山滋比古『思考の整理学』
外山の『思考の整理学』はロングセラーであるとともに、一時期、爆発的に売れた ベストセラーでもある。2000年代前半のことで、そのときのキャッチコピーは、たし か「東大生協で最も売れた本」であった。実際は、東大生協が火付け役になったので はなく、盛岡市の書店員による手書きのPOP「もっと若いときに読んでいれば・・・」
がきっかけになったらしいが10、大学生協も含め、加速度的に日本各地の書店で売り 上げを伸ばした。現在は少し沈静化しているが、それでもコンスタントに出ている。
10 朝日新聞(2013年2月9日付け 別刷Be)「再読 こんな時 こんな本:読み直す平成ヒット 本」による。
図 3 カラム形式のファイル表示
本書は初版が1983年で、「ちくまセミナー」
の創刊時の一冊である。出版当初から好評であ った。このシリーズは倒産後の筑摩書房が、再 生の期待を込めてはじめた企画のひとつで、そ れに十分こたえる結果となった11。1986年には
「ちくま文庫」の一冊として版をあらため、現 在ではこの文庫版が入手できる(私の使用して いるのも、1990年の第19刷の文庫版)。
いずれの版も安野光雅による装丁であるが、
安野はちくまセミナーやちくま文庫をはじめ とする当時の筑摩書房の出版物に大きくかか わっており、安野のデザインが新生筑摩のイメ ージを作り出していった。本書はいわばその看
板のひとつとなる出版物であった。本書の売れ行きにも、安野の装丁がかなり貢献し たのではないかと思う。
大学生協や装丁の話はさておき、本書を読んでみると、意外におとなしい内容であ ることにむしろおどろく。30あまりの項目が立てられ、発想法とその展開の仕方、資 料の集め方と整理法、そして発表の方法などが順に取り上げられている。ただし、全 体は体系的に組み立てられているわけではなく、各トピックの表題を見ても、その中 身まではなかなかわかりにくい。随筆風の文章が、それぞれ独立してならんでいるよ うにも見える。ひとつのトピックから次のトピックへのつながりも明瞭ではなく、通 読してもなかなか全体像はつかみにくい。『思考の整理法』というのは、全体の最大 公約数的なテーマに思えてしまう。
筆者の外山は『知的創造のヒント』などの類似の本をすでに発表しており12、本書 はその後継に位置する。また、本章でこれまで取り上げてきた類書の多くも、本書の 刊行時にはすでに存在していた。自作を含め、それらをひっくり返すほどの新しい「整 理学」を期待する方が無理なのかもしれない。
本書がヒットした背景は、書店の戦略は別にして、むしろ、この「古さ」が見直さ れたと見るべきであろう。パソコンへの言及もほとんどなく、インターネットやEメ ールもまったく登場しない。インターネットで情報を収集する昨今の大学生の目には、
本書の内容は「古き良き時代」の優雅な学問の生活に映る。ノスタルジックな雰囲気 を味わいながら、理想の学問の姿をそこに見いだしたのである。これは別に皮肉でも なんでもない。真理を追究し、新しい事実を発見することは、いつの時代でも学問の 基本である。そのオーソドックスなあり方を、筆者は洗練された文章で説いているの
11 永江(2010) 12 外山(1977)
である。
筆者の外山はもともと英文学や英語学を専門としている。そこから文化論や日本語 表現にも領域を広げ、多くの著作を発表している。奇しくも渡部昇一とよく似た立場 であるが(渡部よりも若干、年上)、ふたりの著作には同じような空気を感じる。渡 部の文章から「あく」を取り、洗練さを高めると外山の文書になる(あくまでも、私 の個人的な印象であるが)。人文学の研究者にとって、親しみを感じる点でも、ふた りの著作は共通している。
本書のトピックは、ほとんどが6頁にまとめられている。外山はこの6頁をじつに 巧みに使っている。卑近な事例をエピソードにひいたり、自身の経験をさりげなく示 しながら、問題の本質に導いていく。譬え話もうまい。不思議なことに、それは英語 の文章に見られる論理性よりも、むしろ、日本語の文章の持つ情緒的な雰囲気を強く 感じさせる。本書が広く受けいれられたのは、このような一種の「あたたかみ」が、
類書の中で抜きんでていたのであろう。誰でもこのような文章が書けるとは思っては いけない。決まったページに収めるだけでも至難の技である。
8. 酒井寛『花森安治の仕事』
本章の最後に取り上げるのは、知的生産とは まったく無関係に見える本である。この本のど こにも「知的生産」はもちろん、「論文の書き 方」も「発想法」も「情報整理術」も書かれて いない。テーマはひとりの編集者の生涯である が、その人物もアカデミックな世界に生きたわ けではない。
作者の酒井寛は朝日新聞の記者(執筆当時)
で、本書もはじめは朝日新聞の家庭欄の連載記 事であった。連載終了後、単行本にまとめられ、
朝日出版社より1988年に刊行された。連載時 より話題を集めていたようで、単行本刊行の翌 年の1989年には第37回エッセイスト・クラブ
賞を受賞している。その後、1992年には朝日文庫の一冊として、文庫版が出ている。
この本で語られる花森安治は、戦後を代表する編集者である。現在も刊行されてい る『暮しの手帖』の創設者であり、30 年にわたって編集全体を統率した。創刊号が 1948年で、その生涯を閉じた1978年までのあいだに、『暮しの手帖』は152号を数え たが、そのすべての編集を、花森は陣頭に立って指揮した。『暮しの手帖』は戦後の 日本の出版文化を塗り変えた雑誌のひとつである。社会に与えた影響は、今では考え
られないほど大きかった。戦後の日本人の意識に「暮らし」という概念を植え付けた のが、この雑誌であるとも言われている。
酒井の文章はジャーナリストらしく、読みやすい。エピソードを連ねながら花森の 人となりを、読む者にくっきりと浮かび上がらせる。文庫本で200ページあまりなの で、一息に読めてしまえる。しかし、本書は単なる読み物として終わらせるにはもっ たいない魅力を持っている。
花森が『暮しの手帖』を発行し続けた背景にあるのは、おそらく「だまされないこ と」と「正しく伝えること」という信念であろう。このふたつは別々のことではなく、
表裏一体である。花森が戦時中に大政翼賛会の宣伝部に所属していたことは有名であ る。戦後の『暮しの手帖』の刊行は、このときの負の記憶を抜きにしては語れない。
戦争遂行のプロパガンダに無批判にかかわったことへの猛烈な自己批判が、その生涯 を貫いていたのである。
「だまされないこと」のターゲットは、権威や権力であり、固定観念、さらにはあ らゆる常識である。花森時代の『暮しの手帖』の看板だったのは「商品テスト」のコ ーナーである。文字どおり、商品の仕様や耐久力のテストからなるが、実験室のよう なところでおこなう科学者のテストではなく、できる限り実際の使用に近い状態で、
何十回、何百回というテストをくりかえすのである。ベビーカーのテストのために、
実際にでこぼこ道を 100km 歩いたという伝説もある。商品テストについて酒井は一 章をさき、くわしく述べているが、それは商品テストこそが『暮しの手帖』がいかな る雑誌であるか、そして花森が何をめざしていたかを示す格好の素材だったからであ る。
そして、正しいこと、明らかになったことがわかれば、それを正しく伝えなければ ならない。次の文章は、酒井が紹介する花森のことばであるが、正しく伝えるために 何が必要であるかをよく示している。
「よい文章とは、自分の考えていることを、相手がそのまま受け取ってくれる文 章のことだ、と花森は言った。わかりやすいことば以外は使うな。ぜんぶ、ひら 仮名で書いてみて、そのままでわかる言葉を使え。最小の漢字で書き、漢字は画 のすくないものを使え。改行を多くしろ。やさしい言葉で怒れ。」(酒井 1992: 37)
もちろん、花森が編集した『暮しの手帖』と、われわれが書く論文や学術書とのあ いだには、読者層ひとつとっても、大きな違いがある。それに応じたトピック、文体、
語彙などがあるであろう。しかし、固定観念や常識を疑い、厳密な実証を経た上で得 られた結論を、可能な限り正確にかつわかりやすく伝えるという点では、何らかわり はない。「知的生産の技術」とは、つきつめれば、そういうことなのである。そのモ デルとして、本書は大きな示唆を与えてくれる。
『考える人』No. 37, 2011 年夏号(梅棹忠夫の追悼特集と、小特 集として「花森安治と戦争」を掲載している)