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評論・社会科学 89号(よこ)(P)/4.徐

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──今日の表現形式はいかにして成立したか──

園(ジョ

エン)

(社会学研究科メディア学専攻博士課程後期)

はじめに

現在,新聞連載の子ども漫画というと,まず頭に浮かんでくるのは,「サザ エさん」(『朝日新聞』)や「ちび丸子ちゃん」(『東京新聞』)のような,毎日の 新聞紙面に現れる,セリフを括る風船形の吹き出しが用いられる 4 コマ漫画で あろう。日本漫画の神様と呼ばれる手塚治虫は,新聞の 4 コマ漫画「フクちゃ ん」(『東京朝日新聞』昭和 11 年)の模写から漫画作家人生を始めたという。 彼のデビュー作「マアチャンの日記帳」も「フクちゃん」に似た 4 コマ漫画で あった(1)。手塚治虫につづくストーリー漫画界の旗手であった石森章太郎は, 小さい頃から 4 コマ漫画を描き,雑誌『毎日中学生新聞』や『漫画少年』に投 稿した。彼は自分のデビュー作「二級天使」のことを「4 コマをつないで一本 の長い話」(2)と説明している。藤子不二雄,赤塚不二夫,寺田ヒロオらが応募 し,そこから彼らが巣立った『漫画少年』の投稿欄も,その中心は 4 コマ漫画 であった。 このように,戦後ストーリー漫画の基礎を作ったこれらの漫画家は,そろっ て吹き出し付きの 4 コマ漫画に基礎を置いている。言い換えれば,新聞という メディアで形成されたこのような漫画形式は,戦後ストーリー漫画を基礎づけ ているのである。さらに現在では,漫画文化が急速に発展するなかで,4 コマ 漫画も一つのジャンルとして確立された。掲載媒体は新聞以外に,4 コマ漫画 専門雑誌や単行本など数多くある。 ―111 ―

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しかし,今日の漫画の形式は,新聞連載子ども漫画が誕生してから使用され てきたわけではない。それは新聞および漫画文化の発展につれ,日本伝統の絵 物語や西洋のコミック・ストリップの形などに影響されつつ,次第に変化し定 着してきたものである。現在漫画研究が盛んに行われているなかで,戦後の漫 画の表現手法についての研究が多く見られるが,もっと長い歴史を持つ戦前に おける漫画作品を対象にした,その表現形式の歴史や変遷についての記録と論 述は多くない。 本研究では,戦前・戦中における新聞連載子ども漫画に遡って,主に掲載頻 度,コマ数,説明文と吹き出しの使用という 3 つの面から考察と分析を行う。 それによって新聞連載子ども漫画の表現形式の変遷を明らかにし,さらにその 変化の原因を見つけたい。

1.新聞連載子ども漫画の定義と研究対象

新聞連載子ども漫画とは何かを最初に定義しておく。まず,掲載場所は新聞 というメディアである。次に「連載」とは,同一の主題,または同一の主人公 をもつ漫画が数日以上にわたって掲載されることをいう。このような作品は毎 回の内容が繋がるもの,いわゆる長編連載もあれば,毎回完結し一回で一つの 短いストーリーを描く短編連載もある。第三に,子ども漫画とは,一般的に 「子どものために描いた漫画」,または「子どもが読む漫画」と言われているだ ろうが,創作者側からいうと「特別に子どもだけのために描いているのではな い」という見方もあり,読者側から見れば大人も子どもと同じように楽しめる 作品も少なくない。特に婦人と子どもの識字率が高まるにつれて,新聞読者層 が一層広がり,もともとエリートの男性に読まれていた新聞は,家族全員が楽 しむものになり,家庭漫画がしばしば新聞に登場するようになった。したがっ て,漫画の中に子どもが主人公,または主人公の一人として描かれているもの は子ども漫画に属すると考えられる。 以上の三点を踏まえて,本研究では「新聞連載子ども漫画」を以下のように ―112 ―

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定義する。新聞連載子ども漫画とは,新聞というメディアに連載される,子ど も,または子どもを含む家庭を意識して創作された漫画作品である。 ここでいくつか具体例を見てみよう。例えば「太郎のタビ」(『報知新聞』大 正 14 年),「スピード太郎」(『読売新聞』昭和 5 年),「フクちゃん」(『東京朝 日新聞』昭和 11 年)などは戦前の新聞連載子ども漫画の代表作である。これ らの作品は,同時期に新聞に掲載された「男やもめの厳さん」(『読売新聞』昭 和 7 年),「人生五十から」(『国民新聞』昭和 9 年),「陽気な後家さん」(『東京 毎夕新聞』昭和 10 年)などのような大人向けのストーリー漫画との分別が容 易であろう。 さて,新聞連載子ども漫画の定義を踏まえて,本研究ではどのような範囲を 考え漫画作品を選定すればよいか。まず新聞の種類については,子ども漫画が 新聞に掲載され始める明治 30 年代から大正期を経て,第二次世界大戦が終結 する昭和 10 年代後半にかけて,東京で刊行された主要日刊全国紙(3),『時事新 報』『万朝報』『読売新聞』『東京朝日新聞』『国民新聞』『東京日日新聞』『報知 新聞』『東京毎夕新聞』の八紙を選定する。 これらの新聞に掲載された子ども漫画について,さらに漓コマ数が二つ以上 あり,ストーリー性のあるもの,滷同一の主人公,または同一の主題で,10 回(4)以上連載されるものという二つの選定基準を設けた。 戦前・戦中を範囲に調査した結果,表 1(論文末に添付)に示されている 191 の新聞連載子ども漫画を分析対象としてピックアップした。以降,表中の漫画 を取り上げ,年代順に時期区分を設けながら,その表現形式の推移を論述して いく。

2.絵物語の形式──明治 35 年∼大正 12 年

日本は明治維新を経て,近代国家への道を歩み始め,政治や宗教,文化の面 で著しい変化が見られた。日本で大人向けの政治・風刺漫画が新聞紙面に掲載 されはじめたのは明治期に入ってからである。民衆思想の発展につれて,庶民 ―113 ―

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の社会的地位が高まり,民衆,婦女,子どもも新聞読者層に引き入れられる。 とりわけ明治 5(1872)年に学制が発布されてから,子どもたちは学校に行く ようになり,子どもの方が,当時の一般的な低いリテラシー状況と比べ,優位 とたった。このような時代背景のなかで,明治 35(1902)年に子ども向けの 漫画が本格的に新聞紙面に登場し,日本の新聞連載子ども漫画の幕を開いた。 同年から大正 12(1923)年にかけては,新聞連載子ども漫画の黎明期・成長 期に当たると考える。本章ではこの時期の漫画の表現形式を見てみよう。 2. 1 総合漫画欄と子ども漫画 日本で最初に新聞紙面に漫画欄が設けられた のは,明治 35(1902)年 1 月 12 日,『時事新 報』に日曜日ごとに掲載された「時事漫画」欄 である。「時事漫画」欄は紙面一面のスペース を全部占め,その中には鋭く辛辣な風刺漫画も あれば,民衆の生活を面白く表すユーモアに富 んだ漫画もあり,大人向けの漫画もあれば,子 ども漫画もある。このような 2 つ以上の漫画が 同時に掲載される欄のことを本研究で「総合漫 画欄」(5)(図 1)と呼ぶ。同欄で掲載された「凸 坊」という名前を持つ男の子を主人公にした漫 画(『時事新報』明治 35 年,表 1 : 1(6))は,初期の子ども漫画として長く連載 され,以降の作品に大きな影響を与えた。 「時事漫画」欄は大変人気になり,その成功がほかの新聞社に刺激を与え, 第一次世界大戦終結後,同じような新聞漫画欄が次から次へと生まれた。例え ば,大正 8(1919)年『万朝報』の「日曜漫画」欄,大正 11(1922)年『国民 新聞』に設けられた名前が付けられていなかった漫画欄,また翌年に『報知新 聞』にも「日曜漫画」欄が設けられた。これらの欄はいずれも「総合漫画欄」 の形を持って,毎日曜日に漫画作品を掲載している。「ヌー坊の世界」(『国民 図 1 「総合漫画欄」の「時 事漫画」(M 36/5/3) ―114 ―

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新聞』大正 11 年,表 1 : 5)や「ダダちゃん」(『報知新聞』大正 12 年,表 1 : 9)などの作品はそこから誕生した初期の子ども漫画である。 2. 2 コマ数と配列 次に各漫画作品のコマ数と配列を見てみた い。この時期の作品はコマ数が 1 コマから 30 数コマまで自由に設定され,中には 4 コマの作 品も多く見うけられるものの,4 コマの形式は まだ定番として定着していない。具体的な例で 言えば,「ヌー坊の世界」(前掲同,表 1 : 5) は 4 コマ,「不思議の島」(『万朝報』大正 11 年,表 1 : 6)は 8 コマ,「漫画太郎」(『東京毎 夕新聞』大正 11 年,表 1 : 8)は 10 コマ(図 2),「ダダちゃん」(前掲同,表 1 : 9)は 3 コ マというふうにまちまちである。 コマ数と同様に統一されていないのは,コマ の配列である。縦の形や横の形,二列または三列に分ける形,さらにフィルム のようで漫画欄の右,下,左,上の枠に沿って一周まわっているなど,不規則 な形が見うけられる。 2. 3 説明文と吹き出し 「説明文」とは,コマの横に添える物語のプロットを説明する言葉のことで ある。「吹き出し」とは「言葉が書きこまれた雲状の空間,会話文を囲った枠 線のこと」(7)であり,英語の翻訳として「バルーン」(balloon)と呼ばれること もある。現代漫画にとって「吹き出し」は不可欠のものだが,黎明期の漫画は 吹き出しより説明文のほうが圧倒的に多く使われている(前掲図 2 を参照)。 説明文の使用が主流であるのは,日本の美術絵画史の中に長い歴史を持ってい たことが原因になるだろう。 図 2 「漫画太郎」10 コマ (T 11/12/01) ―115 ―

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例えば奈良時代に制作された「絵因 果経」(図 3)は,巻物の下段に経文 を書写し,上段に経文の内容を説明し た絵画を描いている。平安時代に制作 される絵巻は,下絵をあしらった料紙 に書かれた詞書と,それに対する絵を 交互に配する独特の様式を生み出し た。そして,室町時代から江戸時代に かけて成立した「御伽草子」の中で傑作として位置付けられている「十二類絵 巻」では,絵の空白に文字が書かれている。江戸時代に入って,風俗を紹介す る咄本では挿画の占める分量が文字よりも多く,上段が文字,下段が絵画とい う形になっている。さらに明治 10 年代に刊行された時局風刺雑誌『団団珍 聞』や『驥尾団子』に掲載された風刺漫画にも説明文が多く付けられていた。 一方,子ども向けの絵物語や絵本,漫画も,このような伝統的な説明文の付 け方を受け継いでいく。例えば,江戸時代の草双紙,「桃太郎」「舌切り雀」 「猿蟹合戦」など子どもに読ませる昔話である「赤本」と呼ばれる初期の作品 群は,絵を中心にして仮名で筋を書き込んだものである。明治時代の子ども向 けの雑誌や絵本にも,説明文の使用がしばしば見られる。こうした伝統を引き 継ぎ,明治後期に出現した新聞連載子ども漫画にも絵に説明文を添えるという 手法が取り入れられたと考えられる。 ところが,同時期の欧米のコミック・ストリップでは事情が違った。アメリ カで最初に現れた新聞漫画と思われる「黄色小僧」(Yellow Kid, 1896=明治 29 年)には,数が多くなかったけれども,吹き出しが使われていた。そして早期 の作品を見てみると,例えば「カッツェンジャマー・キッズ」(The

Katzenjam-mer kids, 1897=明治 30 年)や,「バスター・ブラウン」(Buster Brown, 1902= 明治 35 年)(図 4),「リトル・ジミー」(Little Jimmy, 1904=明治 37 年),「ポ リーと仲間たち」(Polly and her Pals, 1912=大正元年)などは,すべて吹き出 しを付けている。

図 3 「絵因果経」(奈良時代)

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実は明治末期に日本の漫画にはまったく吹き出しが使用されなかったわけで はない。西洋の漫画の一要素として使われていた吹き出しの形式に影響された 日本の作品も見受けられるが,当時日本の漫画読者が伝統的な絵物語風の「説 明文」に馴染んでいたため,吹き出しは普及せず,説明文の形が圧倒的に多く 利用されていた。

3.関東大震災後の変化──大正 12 年∼昭和 12 年

次に,大きな変化のおこった時期について述べていく。大正 12(1923)年 9 月 1 日に起こった大地震が東京・横浜を中心に未曾有の被害をもたらした。震 災のため,古き良き東京の街並が失われ,なかでも各新聞社がほぼ例外なく壊 滅してしまった。震災後に復旧した新聞はしばらく震災関係の報道や写真で占 められたが,連載漫画が次第に紙面にもどり,暗い生活の中で頑張っている 人々に笑いを提供し,彼らを慰めたり励ましたりしていた。 同年から昭和 12(1937)年までの時期は,新聞連載子ども漫画の発展期・ 繁栄期に当たり,この時期において漫画は作品数も増加し,種類や形式も豊富 になっていた。新聞連載子ども漫画は関東大震災をきっかけに,それ以前にみ られた漓週に 1 回の「総合漫画欄」,滷コマ数が自由設定,澆説明文付きとい う,3 つの漫画連載の形式が大きな変化を見せ,面目を一新することとなっ た。本章では震災後の大正 12(1923)年 9 月から日中戦争が始まる昭和 12 図 4 “Buster Brown”(1902=M 35) ―117 ―

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(1937)年 7 月にかけての 138(表 1 : 14∼150)(8)の新聞連載子ども漫画を対象 にして,その表現形式を述べていく。 3. 1 毎日連載の子ども漫画 震災直後,新聞用紙も人手も不足していたの で,従来の「総合漫画欄」は版面の大きさが著 しく小さくなった。震災の前に版面全体或いは 半分を占める総合漫画欄が四分の一ないし五分 の一ほど狭くなり,さらに『国民新聞』,『万朝 報』の総合漫画欄は震災後数ヶ月を経てから姿 を消す。それに代わって,毎日 1 つの漫画しか 載せない新しい形式,「単品漫画欄」(9)が現れ た。 はじめて「単品漫画欄」の形で毎日掲載され たのは『東京朝日新聞』の「正チャンの冒険」 (大正 12 年,表 1 : 14)(図 5)である。震災後,もともとの掲載誌『アサヒグ ラフ』が一時休刊することになったため,「正チャンの冒険」が本紙に移り, 新聞紙面の一角に置かれ,毎日続くようになった。同作品は面白いストーリー 構成や洗練された画風で大変人気を博し,その「単品漫画欄」の掲載形式も当 時の読者にとって新鮮なものであった。 それに続いて,震災後に日単位で連載される漫画は急増する。震災前に週単 位で連載された「ヌー坊の世界」(前掲同,表 1 : 5)と「のんきな父さん」 (『報知新聞』大正 12 年,表 1 : 12)も,掲載頻度が毎日に変わっていく。先 に述べた大正 12(1923)年から昭和 12(1937)年にかけての 138 の漫画を対 象にして計算してみると,日単位で連載されるものは 101 あり,73.2% を占め るが,週単位のものは 37(10)あり,26.8% を占める(図表 1) 対照的に西洋では,同じような掲載頻度の変化がすでに起こっている。アメ リカでは,「黄色小僧」(Yellow Kid, 1896=明治 29 年),「カッツェンジャマー 図 5 「単品漫画欄」の「正 チャンの冒険」T 12 ―118 ―

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日単位掲載101、 73.2%

週単位掲載37、 26.8%

・キッズ」(The Katzenjammer Kids, 1897=明治 30 年)をはじめとする 初期の新聞連載子ども漫画が,日曜 日の付録版に掲載されていた。1907 年(日本の年号では明治 40 年)に 「マットとジェフ」(Mutt and Jeff )

がその掲載形式を打ち破り,最初の毎日連載の漫画となる。以降,毎日連載の 形式が次第に普及していったのである(11)。アメリカのジャーナリズムの父親と 呼ばれる Frederic Hudson はコミック・ストリップについて,「誰も週に一回 の笑いは待てない。(コミック・ストリップは)コーヒーとともに毎日われわ れを楽しませなければならない。」(12)と述べた。 一方,日本では震災前に同じような動きがみられた。大正 11(1922)年か ら『東京毎夕新聞』に連載され始めた「忍術修行−毎夕太郎」(翌月 22 日から 「漫画太郎」に改名)は,当時唯一の例外として週に 2 回で掲載されていた。 同作品に対する「読者より」というタイトルの読者の投稿欄には,もっと掲載 頻度を高めてほしいという要望が多く見られる。例えば掲載 8 回目の「読者よ り」には,「毎夕太郎を毎日のせて下さい」という投稿がなされる。こうし て,漫画の発展に加え読者からの要望に応じ,漫画の連載頻度は次第に週単位 から日単位に変わっていった。 掲載頻度が高まるにつれて,紙面配置の上でも一つの変化が見られる。明治 ・大正前期における子ども漫画の掲載場所は,例えば「時事漫画」欄(『時事 新報』)や「日曜漫画」欄(『万朝報』と『報知新聞』)のような,大人漫画と 子ども漫画が混在される「漫画欄」が多い。その一方で,震災後,特に昭和以 降,掲載場所は子どものために設けられる欄,または婦人・家庭に向ける欄が 多くなっていく(表 2)。そして,表 2 に示されているように,週単位で掲載 される漫画は「子ども欄」,日単位で掲載される漫画は「婦人・家庭欄」に置 かれる傾向が見られる。しかし,週単位のものが次第に減少するにつれて,子 ども漫画は「婦人・家庭欄」で連載される こ と が 次 第 に 定 着 し , 昭 和 12 図表 1 日単位と週単位の掲載漫画の比率 ―119 ―

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(1937)年以降,戦争期に入ると,子ども漫画がほとんど「婦人・家庭欄」で 連載されるようになる。 子ども漫画が婦人・家庭欄に毎日掲載されるようになるのは,新聞が一家の 主人しか読まないものから,家族全体の読みものへの変化をも示している。山 本武利によると,明治後期から「商工,知識人階層を中心に新聞を購読する世 帯が増加し,また教育の普及で婦女子のリテラシーも向上したため,家庭読者 も必然的に増加する」(13)。このような社会背景のもとで,また厳しい販売競争 のなかで,各新聞社は読者を引きつけるために積極的に子ども・婦人・家庭欄 を創設した。さらに大正後期,社会における子どもへの関心が一層高まり,大 正デモクラシーを背景にした童心主義,自由画運動が盛んに行われる。新聞社 は子ども読者層を満足させるため,優秀な漫画作家を起用し,数多くの子ども 漫画を掲載する。漫画の掲載頻度が週一回から毎日に増加するのも,新聞の競 争力を高めるための手段の一つだといえよう。 3. 2 4コマ漫画の大量出現 4コマ漫画は西洋に誕生したものといわれる。日本では,近代漫画の祖とい われる北沢楽天が,明治 38(1905)年に創刊された第一次『東京パック』(14) 掲載した男の子「茶目」を主人公とする漫画シリーズは,合計 95 のうちに,51 も 4 コマ漫画である。これらの漫画は日本における新聞連載 4 コマ漫画の基礎 表 2 震災後の子ども漫画の掲載場所 週単位の「子ども欄」と作品例 日単位の「婦人・家庭欄」と作品例 新聞 漫画作品名 掲載欄 新聞 漫画作品名 掲載欄 時事新報○ 万朝報 東京毎夕新聞 報知新聞 国民新聞 読売新聞 東京朝日新聞 東京日日新聞 ピー坊物語(T 12) ホウスケ(T 14) まんがのくに(S 5) 武チャン(S 5) パチクリ名探偵(S 6) 兄を訪ねて(S 6) チビ助とマメちゃん(S 7) ドブンジャブン(S 11) 時事漫画 コドモ万朝報 子供ページ コドモ コドモページ よみうり少年新聞 コドモページ コドモクラブ 報知新聞 万朝報○ 東京日日新聞 時事新報 東京毎夕新聞 国民新聞 読売新聞 東京朝日新聞 太郎のタビ(T 14) オートバイのフウ吉(S 4) ガソリンお吉(S 6) ニヤンペイさん(S 8) ハナクロブカチャン(S 9) 朗らかポンちゃん(S 9) 流線太郎(S 10) 養子のフクちゃん(S 11) 家庭 コドモページ 家庭娯楽 婦人と家庭 家庭 婦人家庭 婦人 家庭 ○ 『時事新報』は「時事漫画」欄(週一回),『万朝報』は「コドモページ」欄(毎日)に子ども漫 画を連載する。 ―120 ―

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となるといえよう。北沢楽天に続き,現代漫画の父と評される岡本一平も,大 正初期の雑誌『漫画』に西洋漫画をヒントに子ども向けの 4 コマ漫画を描い た。 一方で,4 コマ漫画が新聞紙面に大量に出現するのは大正 12(1923)年震災 後のことである。コマ数の変化を見るために,「のんきな父さん」(前掲同,表 1 : 12)が分かりやすい例として挙げられる。ここで図 6 を参考にしながら説 明していこう。 「のんきな父さん」は大正 12(1923)年 4 月 29 日連載されはじめる時に 8 コマであり,四列二行で配列される。コマの読む順序は日本の読書習慣に合わ せ,右上のコマより,上から下,右から左へ読ませる。連載第 6 回に吹き出し の中のセリフは縦書きから横書きに,左から右へ読ませるようになるにつれ 図 6 「のんきなとうさん」のコマ数の変遷 8コマ(T 12, 06, 09∼)→6 コマ(T 12, 10, 21∼)→4 コマ(T 12, 11, 26∼) ―121 ―

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4コマ漫画103、 74.6% 4コマ以外の漫画 34、25.4% て,第 8 回からコマの読む方向も左から右へと変化する。8 コマの構成が関東 大震災まで続き,震災後まもなく復活した「のんきな父さん」は,大正 12 (1923)年 10 月 21 日連載第 17 回からコマ数が 6 コマに減り,コマの配列は三 行二列になる。一ヵ月後の 11 月 26 日に,同漫画は「日曜漫画」欄の枠からは み出し,毎日掲載になるにつれて,コマ数がさらに 4 コマに減る。また,田の 字の形で配列され,左から右,上から下へ読ませるようになった。こうしてこ の漫画の形式は定着し,以降の 3 年間ずっと続いていくことになる。 このように,早くも大正 12(1923)年に「のんきな父さん」は,毎日連 載,4 コマ,吹き出しを用いるという現代の新聞連載漫画の特徴をそなえる。 コマと文字を読む順序は,当時唯一「左から右へ」という西洋風の形式を採用 したものである。また,田の字の形に並べられるコマの配列法も,当時の新聞 に転載されたアメリカ漫画の形に影響されたものと考えられる。 「のんきな父さん」が 4 コマ漫画になる一ヶ月前に,「正チャンの冒険」がす でに 4 コマ漫画として毎日連載されている。この二つの大ヒット作品の影響 で,4 コマ漫画が雨後の竹の子のように現われる。大正 12(1923)年から昭和 12(1937)年にかけての 138 の作品の中に,4 コマ漫画が 103(15)もあり,74.6 %を占める(図表 2)。さらにこれらの 4 コマ漫画のうちに 92 の作品が日単位 で連載され,ほぼ 9 割を占めている。つまり,毎日連載の 4 コマ漫画が次第に 新聞子ども漫画の主流になるのである。 4コマ漫画は落語に影響される「起・承・山・落」の技法(16)を持ち,読者に 気楽なユーモアを提供する。その短 く洗練されたストーリー展開が新聞 というメディアの速報性・簡潔性に 合うため,現在に至って,4 コマ漫 画は新聞連載漫画の代名詞になった といっても過言ではないだろう。 図表 2 4 コマ漫画の割合 ―122 ―

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吹き出し63、45.6% 説明文53、38.4% 両方とも使う19、13.8% 両方とも使わない3、2.2% 3. 3 「吹き出し」を用いた漫画の大量出現 次に説明文と吹き出しの用い方について見てみよう。先に言及した「のんき な父さん」は,西洋の漫画に影響される,日本の新聞に最も早く現れた吹き出 しのみを用いる連載漫画である。前節で見たように,同作品はコマの配列が右 から左へという日本の読書習慣から西洋の習慣に従うようになるにつれて,セ リフの文字の並べ方もいきなり左からの横書きになった。 それに対して「正チャンの冒険」(前掲同,表 1 : 14)は,説明文から吹き 出しへ変わる過渡的な作品として,形式が定着するまで紆余曲折を経た。周知 のように「正チャンの冒険」は海外の漫画からヒントを得て創作された作品で ある。その西洋風のファンタジー溢れるストーリーだけではなく,形式も手本 となるイギリスの新聞連載子ども漫画「ピップ,スクィークとウイルフレッ ド」(Pip, Squeak and Wilfred, 1919=大正 8 年)を模倣し,説明文と吹き出し を同時に用いていた。竹内オサムによると,同作品はコマの配列,説明文の位 置,吹き出しに書かれるセリフの言葉などの面で,さまざまな試行錯誤を重 ね,「海外の漫画の影響を受けながら,本来の日本語表記の縦書きの習慣が, ずっとこのマンガのコマ構成を呪縛していた」(17)という。 「正チャンの冒険」の影響で,それ以降も説明文と吹き出しを同時に用いる 漫画が見られる。例えば「オートバイのブウ吉」(『万朝報』昭和 4 年,表 1 : 41)や「コロコロボール」(『東京朝日新聞』昭和 6 年,表 1 : 60)はそうであ る。しかし,この過渡的な表現形式は長く続かず,吹き出しのみ用いられるも のが圧倒的に増えていく。 新聞連載子ども漫画は説明文と吹き出しの使用状況によって,四つの種類に 図表 3 吹き出しと説明文の使用状況 ―123 ―

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説明文が付けられている 漫画 吹き出しが付けられている 漫画 1 1 2 2 3 3 分けられる。漓吹き出しが付けられているもの,滷説明文が付けられているも の,澆説明文と吹き出しが両方とも用いられるもの,潺説明文と吹き出しが両 方とも用いられていないもの,つまり文字補助なし絵だけでストーリーを語る ものの四種類である。大正 12(1923)年から昭和 12(1937)年までにおける 138の作品を分類してみると,図表 3 のような結果が出た。漓の形式で描かれ る漫画作品は 63 あり,45.6% を占める。滷は 53 あり,38.4%,澆は 19 あ り,13.8%,潺は 3 あり,2.2% である(18) 一見して,吹き出しを利用するものと説明文を利用するものはほぼ等しい割 合で見られるが,しかしここでさらに詳しくみると,吹き出しの形式と説明文 の形式は時代の流れにつれて,それぞれの比率が大きく変化していく。 大正 12(1923)年から昭和 12(1937)年までの期間を,満州事変が発生す る昭和 6(1931)年で二分して計算してみると,図表 4 で示されているよう に,この時期の前半(系列 1)には,吹き出し対説明文の比率が 67%(作品数 は 16 : 24)であるが,後半期(系列 2)には 168%(作品数は 47 : 28)にな る。さらに昭和 10(1935)年から(系列 3)計算すると,比率がより一層高ま り,367%(作品数は 33 : 9)になる。 こうして,関東大震災後,特に昭和 10 年代後半に入ってから,吹き出しの 形が急速に普及され,説明文に取って代わる趨勢が見られる。 さて,同時期にもう一つ注目すべき子ども漫画の掲載媒体──『少年倶楽 図表 4 吹き出しと説明文の比率の変化 系列 1:大正 12 年 10 月∼昭和 06 年 09 月 系列 2:昭和 06 年 10 月∼昭和 12 年 07 月 系列 3:昭和 10 年 01 月∼昭和 12 年 07 月 ―124 ―

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部』という雑誌に掲載される漫画は,どのような表現形式を持っているのであ ろうか。竹内オサムの研究によれば,大正 3(1915)年から昭和 20(1945)年 までに掲載された漫画を,表現形式に注目して時代を輪切りにすると,次の四 期に分けられる。漓短編中心の時期(大正 3 年∼11 年),滷絵物語形式による 長編漫画の時期(大正 12 年∼昭和 5 年),澆コミック・ストリップ形式による 漫画の時期(昭和 6 年∼14 年),潺リアルな画風の絵物語が主流となる時期 (昭和 15 年∼20 年)(19)である。 ここで特に滷と澆の時期に注目したい。滷の「絵物語形式」は説明文が用い られること,澆の「コミック・ストリップ形式」は吹き出しが用いられること だと理解すれば,雑誌で吹き出し形式が多くなってくるのは昭和 6(1931)年 頃からである。一方,先に分析したように,新聞連載子ども漫画の方が,明治 後期から大正 12(1923)年頃までは説明文形式の漫画の時期,大正 12 年特に 関東大震災以降は次第に吹き出し形式の漫画の時期に入ることが分かった。つ まり,漫画における説明文が吹き出しへ変化し始める時期は,雑誌より新聞の 方が一歩早かった。 また,説明文形式の漫画と吹き出し形式の漫画が共存する時期を経て,説明 文形式が吹き出しにとって代わられる時期を見てみても,同じような結果が出 る。例えば潘郁紅の『少年倶楽部』についての研究によると,『少年倶楽部』 では説明文形式が「勢力を失ったのは一九五〇年代末と言え」(20),即ち昭和 30 年代頃である。それに対して,次章で述べるように,それより早くの昭和 10 年代にすでに,新聞連載子ども漫画に見られる説明文形式は姿が消えていった のである。 しかしそうはいっても,新聞・雑誌・単行本という三つの媒体に掲載される 子ども漫画,特に大ヒット作品が,お互いに影響しあうことはいうまでもな い。例えば新聞の子ども漫画は,昭和 6(1931)年以降吹き出しの形式がより 一層急速に増加するのは,同年『少年倶楽部』に連載され始めた人気漫画「の らくろ」の影響が大きかったと考えられる。 ―125 ―

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3. 4 カタカナの文字表記 関東大震災後,上に見てきた漓週一回→毎 日,滷コマ数自由設定→4 コマ,澆説明文→吹 き出しの三つの要素が変化を見せた以外に,も う一つの変化が起こった。 大正以前の新聞連載子ども漫画に書かれる文 字は一般的な漢字仮名交じり文であったが,大 正後期になって「正チャンの冒険」(前掲同, 表 1 : 14 ) を は じ め と し て ,「 ピ ー 坊 物 語 」 (『時事新報』大正 12 年,表 1 : 15)や「チミ 子ちゃん」(『東京日日新聞』大正 13 年,表 1 : 20)なども,みなカタカナ文表記になってい く。また,「ヌー坊の世界」(前掲同,表 1 : 5)は,震災前には説明文が漢字 仮名交じり文であったが,大正 13(1924)年に毎日連載,説明文付きという 形になると,文字がカタカナ表記に変わったのである(図 7)。 秋田喜三郎の『初等教育 国語教科書発達史』(21)によると,日本の小学校国 語教育,特に仮名についての教育は,明治 20 年代から昭和 10 年代にかけての 長いあいだに,小学校低学年に最初に片仮名を教えていたという。この教育方 針にしたがって,大正期に新聞の子ども欄にカタカナ表記の児童詩や物語が現 れる。さらに,カタカナ表記が子ども漫画の中にも採用されるようになってい くのである。この変化は,子どもの読者を考慮に入れ,低年齢の読者の識字力 に応じるためでもある。

4.戦中における形式の定着──昭和 12 年∼昭和 20 年

昭 和 期 に 入 っ て , 軍 部 に よ る 急 進 フ ァ シ ズ ム の 台 頭 の な か で , 昭 和 6 (1931)年に満州事変,12(1937)年に日中戦争,16(1941)年にはついに日 本は第二次世界大戦に突入して太平洋戦争が勃発した。日中戦争開始から第二 図 7 カタカナ表記の吹き 出 し 「 ヌ ー 坊 の 世 界」(T 13/11/9) ―126 ―

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次世界大戦終結までの昭和 10 年代は,新聞機関にとって「統制時代」であ り,新聞紙および新聞社の数が大幅に減らされるうえに,報道制限も非常に厳 し か っ た 。 子 ど も 向 け の 読 み 物 も 検 閲 の 対 象 に 入 れ ら れ , 特 に 昭 和 13 (1938)年に「児童読物改善ニ関スル指示要項」や「紙芝居検閲制度」が出さ れ,低俗なる講談本,漫画,紙芝居などが発行禁止にされる。その一方,戦争 を美化するものが数多く発行され,新聞連載子ども漫画にも,例えば「爆弾探 偵長」(『報知新聞』昭和 12 年,表 1 : 153),「大和家の翼賛日記」(『読売新 聞』昭和 15 年,表 1 : 175)のような国策を反映したものが多く現れる。 新聞連載子ども漫画は,戦時下にその成熟期を迎えた。各新聞社は専属の漫 画家を起用し,自らの漫画作品を大切に育てていく。そして,漫画を掲載する 作品数も表現形式も次第に定着するように な っ て き た 。 本 章 で は 昭 和 12 (1937)年 7 月から終戦までの総計 41 の子ども連載漫画を対象にし,その形式 を見てみよう。 4. 1 毎日連載の定着 戦争が始まると言論統制や漫画発禁の原因もあり,また,新聞用紙などの資 材が不足になったため,新聞のページ数が激減し,総合漫画欄の姿が消える。 連載漫画が単品漫画として,スペースは少なくなり,文字報道の隙間に入れ込 まれている状況ではあったが,毎日の紙面に掲載される。この時期における 41 の漫画のうちに週単位のものは一つしかなく,ほかのすべてが日単位であり, 以降毎日連載の形式が継続され現在に至っている。 4. 2 4コマ漫画の定着 コマ数については,昭和 12(1937)年から新聞連載漫画は 4 コマの構造が すでに定着した。41 の作品の中で 37 が 4 コマ漫画(図 8)であり,9 割以上 を占める。残りの作品は 3 つが 3 コマであり,「日ノ子日太郎」(『読売新聞』 昭和 13 年,表 1 : 158)だけは週単位掲載で,8 から 12 コマまで構成される。 そして,コマの配列は,33 の作品が縦に並べられる。縦方向は,日本の新聞 ―127 ―

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における文字の方向と一致し,読者にとって読 みやすいため,現在までも使われ続けている。 4. 3 吹き出しの定着 この時期における新聞連載漫画は,「ダーち ゃん進軍」(『東京日日新聞』昭和 17 年,表 1 : 191)が文字を使わず絵だけで描かれていた以 外,例外なしに吹き出しが付けられていて(前 掲図 8 を参照),説明文の形が見られなくなっ た。 このように,新聞連載子ども漫画の表現形式 はさまざまな試行錯誤を経て,今日のように定 着したのである。

5.新聞連載子ども漫画の表現形式の変遷と文化的背景

これまで 2 章から 4 章にわたって検討してきたように,新聞連載子ども漫画 の表現形式の変遷過程において,大正 12(1923)年,関東大震災の際,形式 に大きな変化が見られる。つまり,大正 12 年ごろは決定的な転換点となると 考えられる。それはなぜであろう。本章では文化の面からその原因を考えてみ たい。漫画の表現形式の変遷は同時代の文化環境と密接な関連をもち,とりわ け児童文化と西洋文化の影響が色濃いと考える。 川勝泰介によると,大正期の文化主義の風潮と児童中心主義教育思想の流れ の中で「児童文化」という語が使われ始め,この用語が最初に使われたのは大 正 11(1922)年に出版された『文化中心綴方新教授法』(峰地光重)だとい う(22)。用語の成立は,社会における児童文化への関心が高まってきたことを示 図 8 「毎日連載,4 コマ, 吹き出しを使用する」 作品例「フクチャン部 隊」『東京朝日新聞』 (S 13/1/3) ―128 ―

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しているに違いない。「児童文化」という用語の誕生には,大正期のなかばに おこった児童文芸運動が直接関わりあう。大正後期から子ども向けの雑誌や書 籍,活動写真などの「マスコミ児童文化」が整いだす。このような恵まれた文 化環境の下で,新聞連載子ども漫画も児童文化の一種として発展期・繁栄期を 迎え,急速な成長を見せたのである。それゆえに漫画はもともとの表現形式を 突破し,さまざまな新しい形式を試みるなかで,次第に今日のような表現形式 が成立したのである。 また,アメリカをはじめとする西洋のコミック・ストリップからの影響も無 視してはいけない。大正後期は日本人の生活スタイルが大きく変わる時期であ る。第一次世界大戦後に生活改善の合理化運動が起こり,洋服,洋食が普及さ れはじめ,文化住宅もつぎつぎに建てられた。震災後の社会状況については竹 村民郎が次のように記述している。 大正十三年の日本はアメリカの文明社会をモデルとして,震災復興の真 最中であった。(略)こうした状況の下で日本の大衆は神経過敏になっ て,伝統的生活スタイルに,アメリカニズムを接木することに夢中になっ ていた。(23) 竹村民郎『大正文化 帝国のユートピア──世界史の転換期と大衆消費社会の 形成』 このように,関東大震災,特に震災後に起こった都市復興は,日本社会や 人々の生活スタイルがアメリカのモダン生活へ移行する契機を作ったといえる だろう。ちょうどこの時期に,日本の新聞に西洋の漫画が数多く転載されてい る。 大正 12(1923)年,日本の新聞紙面にアメリカ漫画が姿を現し始める。『国 民新聞』に転載された「リトル・ジミー」(Little Jimmy, 1904=明治 37 年)を はじめとして,『東京日日新聞』の「ポリーと仲間たち」(Polly and her Pals, 1912 =明治 45 年)や,『東京朝日新聞』の「親父教育」(Bringing Up Father, 1913

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=大正 2 年)などのアメリカ漫画は,いずれも毎日連載の吹き出しを用いた 4 コマ漫画である。これらの漫画は吹き出しの読みやすさと共に早いテンポ,4 コマで構成される短く洗練されたストーリー展開を持ち,当時日本の読者の間 で大変人気を呼んだ。 同年 9 月に大震災が起こったため,震災後に改めて新聞紙面を作る際をきっ かけに,日本の新聞漫画も,人気を博した西洋漫画の形式を参考にしたと考え られる。しかも子ども漫画だけではなく,「シャン子と職業」(『国民新聞』昭 和 5 年)や「串差おでん」(『東京毎夕新聞』昭和 9 年)などの大人向けのスト ーリー漫画も西洋風の形式を採るものが多く見られる。こうして,西洋のコミ ック・ストリップを手本にした漫画の表現形式が次第に読者に浸透し,定着し ていくのである。戦前・戦中における新聞連載子ども漫画の表現形式の変遷過 程は,伝統的な形式と西洋のそれが衝突したり融合したりする過程であり,同 時に漫画読者の視点からいえば,読者が新しい形式に適応したり受け入れたり する過程でもある。 外来文化を積極的に採り入れ,それによってまた自らの文化を進化させると いう日本的な文化発展パターン,および日本における伝統文化と西洋文化の二 重構造が,新聞連載子ども漫画の形式の変遷過程にも見ることができるといえ よう。

おわりに

本論文では,新聞連載子ども漫画が出現してからその形態が定着するまでの 表現形式の変遷を見てきた。明治末期から大正初期にかけては,新聞連載子ど も漫画は週に一回掲載され,しかも伝統的な絵物語の影を脱することができ ず,コマ数が不確定であり,絵の横に文字が羅列される形が多かった。大正後 期になると,児童文化の発展と西洋文化の移入のなかで,新聞連載子ども漫画 は西洋漫画に影響され,特に大正 12(1923)年関東大震災後に,毎日掲載の 吹き出しを用いる 4 コマ漫画が大量に現われる。それから新しい形式が圧倒的 ―130 ―

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な勢いで普及し,昭和 10 年代の戦争期に定着し,現在でも受け継がれてい る。 明治後期から昭和 10 年代にかけての,ほぼ半世紀の期間に試行錯誤を重ね て定着してきた新聞連載子ども漫画の形式は,さらに戦後の漫画の発展に影響 を与える。その影響関係の具体的検討は別稿で論じなければならないが,多く のストーリー漫画家がその活動の初期に,吹き出しが用いられる 4 コマ漫画の 創作を訓練したのは,まぎれもない事実なのである。 表 1 新聞連載子ども漫画の表現形式 No. 新聞名 開始年月 タイトル 頻度 コマ数 吹 説 1 時事新報 M 35/09 不定(主人公:凸坊) 毎週 不定 ○ 2 時事新報 T 03/07 不定(凸坊と茶目) 毎週 不定 ○ 3 万朝報 T 08/06 不定(凸坊と茶目) 毎週 不定 ○ 4 万朝報 T 08/06 不定(動植物など) 毎週 不定 ○ 5 国民新聞 T 11/02 ヌー坊の世界 毎週 4 ○ 6 万朝報 T 11/03 不思議の島 毎週 8 ○ 7 万朝報 T 11/07 金色の小人 毎週 6, 8 ○ 8 東京毎夕新聞 T 11/10 忍術修行−漫画太郎 週 2 回 10 ○ 9 報知新聞 T 12/04 ダダちゃん 毎週 3 ○ 10 東京毎夕新聞 T 12/04 少年探偵−漫画次郎 週 2 回 8 ○ 11 東京毎夕新聞 T 12∼ 団子串助漫遊記 ○ 12 報知新聞 T 12/04 呑気な父さん 毎週 8, 6 ○ 13 報知新聞 T 12/06 ひよこ 毎週 4 ○ 14 東京朝日新聞 T 12/10 正ちゃんの冒険 毎日 4 ○ ○ 15 時事新報 T 12/11 ピー坊物語 毎週 4 ○ 16 時事新報 T 13/03 ひとり娘のひね子さん 毎日 4 ○ 17 東京日日新聞 T 13/04 時計とよっちゃん 毎日 2 ○ 18 読売新聞 T 13/06 女学校出の文ちゃん 毎日 4 ○ 19 国民新聞 T 13/06 ポチの生活 毎日 4 ○ 20 東京日日新聞 T 13/11 チミ子ちゃん 毎日 4 ○ 21 東京日日新聞 T 14/01 木兎小僧一代記 毎日 4 ○ 22 国民新聞 T 14/01 アン坊の画帖 毎日 4 ○ 23 報知新聞 T 14/02 太郎のタビ 毎日 4 ○ 24 万朝報 T 14/03 ホウスケ漫画 毎週 6, 4 ○ 25 時事新報 T 14/04 底抜け鈍チャン 毎日 4 ○ 26 国民新聞 T 14/04 新桃太郎日記 毎日 4 ○ 27 万朝報 T 14/06 (毎回違う) 毎週 4 ○ 28 国民新聞 T 14/08 海の便り,山の便り 毎日 4 ○ 29 国民新聞 T 14/09 オモチャの兵隊 毎日 4 ○ 30 万朝報 T 14/10 豪傑ゆう坊 毎週 4 ○ 31 東京日日新聞 T 15/03 (毎回違う) 毎週 3, 4 ○ 32 国民新聞 T 15/08 タンクのモーちゃん 毎日 3 ○ 33 時事新報 S 02/01 お伽漫画 毎週 9 ○ 34 読売新聞 S 03/07 紙上映画 毎週 7 ○ 35 時事新報 S 03/11 とんだはね子嬢 毎週 6 ○ 36 万朝報 S 03/12 新猿蟹合戦 毎日 2 ○ 37 万朝報 S 04/01 フラフラパンちゃん 毎日 4 38 万朝報 S 04/02 チュウチャン日記 毎日 4 39 報知新聞 S 04/04 ボクラの健ちゃん 毎週 4 ○ 40 読売新聞 S 04/06 なし 毎週 4 ○ 41 万朝報 S 04/04 オートバイのブウ吉 毎日 5 ○ ○ 42 万朝報 S 04/05 万チャンノリュウグウ見物 毎日 5 ○ ○ ―131 ―

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43 万朝報 S 04/06 パー公とピー公 毎日 4 44 国民新聞 S 05/01 チビ助武勇伝 毎週 5 ○ 45 東京毎夕新聞 S 05∼ まんがのくに 毎週 3 ○ 46 国民新聞 S 05/05 トン吉ハネ子腕白日記 毎週 5 ○ 47 読売新聞 S 05/06 ノンキナトウサン 毎日 4 ○ 48 報知新聞 S 05/09 武チャンの 毎週 4 ○ 49 国民新聞 S 05/11 どんぐりピエロ 毎週 5 ○ 50 国民新聞 S 05/11 リキちゃんの世界めぐり 毎日 4 ○ 51 読売新聞 S 05/12 スピード太郎 毎週 8 ○ 52 時事新報 S 06/04 ハナコサン 毎週 2 ○ 53 時事新報 S 06/04 ハナタカヂイサン 毎週 2 ○ 54 東京朝日新聞 S 06/05 ネズミの日記 毎日 4 ○ ○ 55 国民新聞 S 06/05 まんぐわのくに 毎週 4 ○ 56 東京日日新聞 S 06/06 武チャンノ探偵長 毎日 4 ○ 57 国民新聞 S 06/08 パチクリ名探偵 毎週 5 ○ 58 東京日日新聞 S 06/09 ガソリンお吉 毎日 4 ○ 59 報知新聞 S 06/09 新ちゃんの∼ 毎週 6 ○ 60 東京朝日新聞 S 06/11 コロコロボール 毎日 4 ○ ○ 61 東京朝日新聞 S 06/12 ポンスケ・タヌキ 毎日 4 ○ ○ 62 読売新聞 S 06/12 兄を訪ねて 毎週 6 ○ 63 東京朝日新聞 S 07/01 オイケノソウドウ 毎日 4 ○ ○ 64 報知新聞 S 07/01 ドンガラケー坊 毎週 4 ○ ○ 65 東京朝日新聞 S 07/02 日出チャンとギン公 毎日 4 ○ ○ 66 東京朝日新聞 S 07/04 ちょんちゃん物語 毎日 4 ○ ○ 67 読売新聞 S 07/04 河童河太郎 毎週 8 ○ 68 東京日日新聞 S 07/04 ボクの探偵 毎日 4 ○ 69 時事新報 S 07/05 人造犬ペロチャン 毎日 4 ○ ○ 70 東京朝日新聞 S 07/05 チビ助とマメちゃん 毎週 6 ○ 71 東京日日新聞 S 07/06 冒険太郎 毎日 4 ○ 72 東京朝日新聞 S 07/06 ボンゾウとスイ子さん 毎日 4 ○ ○ 73 報知新聞 S 07/06 オリンピック選手カポチャン 毎日 4 ○ 74 国民新聞 S 07/07 日の丸キャンプ 毎日 4 ○ 75 国民新聞 S 07/08 世界名作絵物語 毎日 4 ○ 76 東京日日新聞 S 07/08 フクロ千平 毎日 4 ○ 77 報知新聞 S 07/09 学校と家庭 毎日 4 ○ 78 東京日日新聞 S 07/10 紙芝居ポンポンポン助 毎日 4 ○ 79 東京日日新聞 S 07/12 トン平武者修行 毎日 4 ○ 80 国民新聞 S 08/01 ロイド眼鏡のおじいさん 毎日 4 ○ 81 報知新聞 S 08/01 アッパレドン・ジャン 毎日 4 ○ ○ 82 読売新聞 S 08/02 珍発明の珍助 毎週 6 ○ 83 報知新聞 S 08/02 金チャンの仲よし 毎日 4 ○ 84 報知新聞 S 08/03 ピンチャンポンチャン 毎日 4 ○ 85 報知新聞 S 08/03 ヨーヨー太郎 毎日 4 ○ ○ 86 東京日日新聞 S 08/03 チンドン小僧 毎日 4 ○ 87 報知新聞 S 08/04 一年生トンチャン 毎日 4 ○ 88 報知新聞 S 08/04 学校の日記 毎日 4 ○ 89 時事新報 S 08/05 ニヤンペイさん 毎日 5 ○ 90 東京日日新聞 S 08/06 ○助漫遊記 毎日 4 ○ 91 国民新聞 S 08/09 日の丸ポン吉 毎日 4 ○ ○ 92 東京毎夕新聞 S 09/01 イヌワカマル 毎日 3 ○ 93 東京朝日新聞 S 09/01 新イソップ物語 毎日 4 ○ 94 読売新聞 S 09/02 パン太の冒険 毎週 8 ○ 95 報知新聞 S 09/03 家庭音頭 毎日 4 ○ 96 東京毎夕新聞 S 09/03 ハナクロブカチャン 毎日 3 ○ 97 東京朝日新聞 S 09/04 赤ノッポ青ノッポ 毎日 4 ○ 98 読売新聞 S 09/04 おてんばチャッピー 毎週 9 ○ 99 東京日日新聞 S 09/05 ひょう助爺さん 毎日 4 ○ 100 東京朝日新聞 S 09/06 ペコ・ポンポン 毎日 4 ○ 101 東京毎夕新聞 S 09/07 泣き虫ピーチャン 毎日 3 ○ 102 東京日日新聞 S 09/07 狸の武者修行 毎日 4 ○ 103 国民新聞 S 09/08 朗らかポンちゃん 毎日 4 ○ 104 報知新聞 S 09/08 とんまノ象ちゃん 毎日 4 ○ 105 国民新聞 S 09/10 チョイスケ武者修業 毎日 4 ○ ○ ―132 ―

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106 報知新聞 S 10/01 ポンチャンとノラ 毎日 4 ○ 107 国民新聞 S 10/01 ピンちゃんポンちゃん 毎日 4 ○ 108 東京日日新聞 S 10/01 兎と狸の非常時歩哨線 毎日 4 ○ 109 東京日日新聞 S 10/03 ダルマの御隠居さん 毎日 4 ○ 110 東京朝日新聞 S 10/04 発明ハッチャン 毎日 4 ○ 111 国民新聞 S 10/06 キンちゃんの兵隊さん 毎日 4 ○ 112 読売新聞 S 10/06 連続冒険漫画−流線太郎 毎日 4 ○ 113 読売新聞 S 10/07 日の丸太郎 毎週 8 ○ 114 国民新聞 S 10/07 クリ坊の漫遊記 毎日 4 ○ ○ 115 東京日日新聞 S 10/07 チョン子とカバスケ 毎週 14 ○ 116 国民新聞 S 10/08 ぼくらの探険 毎日 4 ○ 117 国民新聞 S 10/09 健チャンの冒険 毎日 4 ○ 118 時事新報 S 10/09 ナンドウコテノスケ 毎日 4 ○ 119 国民新聞 S 10/10 カワイイオマハリサン 毎日 4 ○ 120 東京日日新聞 S 10/11 カバスケ大将 毎日 4 ○ ○ 121 国民新聞 S 10/11 カタメの小犬 毎日 4 ○ 122 東京日日新聞 S 11/01 新版富士之巻狩 毎日 4 ○ 123 時事新報 S 11/01 透明レンタイ 毎日 4 ○ 124 報知新聞 S 11/01 北極王 毎日 4 ○ 125 東京朝日新聞 S 11/02 江戸ッ子健ちゃん 毎日 4 ○ 126 報知新聞 S 11/03 小天狗マメ丸 毎日 4 ○ 127 国民新聞 S 11/05 マン吉とマリ子 毎日 4 ○ 128 報知新聞 S 11/05 突進太郎 毎日 4 ○ ○ 129 時事新報 S 11/06 半休さん 毎日 4 ○ 130 国民新聞 S 11/06 日本太郎 毎日 4 ○ 131 東京日日新聞 S 11/08 児童漫画物語−水の柱 毎日 4 ○ 132 報知新聞 S 11/09 風船おてくちゃん 毎日 4 ○ 133 東京朝日新聞 S 11/10 養子のフクちゃん 毎日 4 ○ 134 東京朝日新聞 S 11/10 フレッシュマン新童君 毎日 4 ○ 135 東京日日新聞 S 11/10 トラ吉一代記 毎日 4 ○ 136 東京日日新聞 S 11/12 少年英雄伝 毎週 8 ○ 137 東京日日新聞 S 11/12 ドブンジャブン 毎週 6, 9 ○ 138 東京日日新聞 S 11/12 探偵太郎 毎週 10 ○ 139 東京日日新聞 S 11/12 ヘソ子と茶ァ坊 毎週 6 ○ 140 報知新聞 S 12/01 ウラシマ次郎 毎日 4 ○ 141 国民新聞 S 12/01 トタンノトン太 毎日 4 ○ 142 東京朝日新聞 S 12/01 世界めぐり 毎日 4 ○ 143 報知新聞 S 12/01 ほがらか一家 毎日 4 ○ 144 東京日日新聞 S 12/01 チャッピーフーチャン 毎週 4 ○ 145 東京日日新聞 S 12/02 半ちゃん捕物帳 毎日 4 ○ 146 報知新聞 S 12/02 蛸の八ちゃん 毎週 8 ○ 147 国民新聞 S 12/03 はりきりハッちゃん 毎日 4 ○ 148 報知新聞 S 12/03 お小姓カブ丸→槍投げ太郎 毎日 4 ○ 149 東京日日新聞 S 12/04 動物園の豆園長 毎週 7 ○ 150 国民新聞 S 12/06 トンチ小僧−股旅行進曲 毎日 4 ○ 151 東京朝日新聞 S 12/08 末っ子ゴロちゃん 毎日 4 ○ 152 東京日日新聞 S 12/08 半ちゃん豆日記 毎日 4 ○ 153 報知新聞 S 12/08 爆弾探偵長 毎日 4 ○ 154 国民新聞 S 12/09 はりきり−サンチャン 毎日 4 ○ 155 東京日日新聞 S 13/01 バンザイ太郎 毎日 4 ○ 156 東京日日新聞 S 13/02 ブウチンターチン 毎日 4 ○ 157 国民新聞 S 13/04 一年生ノカッチャン 毎日 4 ○ 158 読売新聞 S 13/06 日ノ子日太郎 毎週 8, 12 ○ 159 国民新聞 S 13/08 ヘイチャン伝 毎日 4 ○ 160 国民新聞 S 13/11 日の丸坊や 毎日 4 ○ 161 東京日日新聞 S 13/11 オ留守居バンチャン 毎日 4 ○ 162 報知新聞 S 13/12 ニコニコマルチャン 毎日 4 ○ 163 東京日日新聞 S 14/01 ネコ七先生 毎日 4 ○ 164 国民新聞 S 14/03 ヒィフゥみよチャン 毎日 4 ○ 165 報知新聞 S 14/06 頑張り部隊 毎日 4 ○ 166 国民新聞 S 14/07 興亜太郎満州見物 毎日 4 ○ 167 報知新聞 S 14/08 小粒のコタちゃん 毎日 3 ○ 168 国民新聞 S 14/09 8ミリ八ちゃん 毎日 4 ○ ―133 ―

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謝辞 本稿は日本児童文学学会第 123 回関西例会(2009 年 1 月)で発表したものに加筆修 正したものである。本研究および本稿の執筆にあたって,竹内オサム教授より多岐に わたる貴重なご指導をいただいた。この場を借りて厚く御礼を申し上げます。 注 盧 竹内オサム『手塚治虫−アーチストになるな−』ミネルヴァ書房,2008, p. 39 を 参考にした。 盪 石森章太郎「石森章太郎氏のこと」『石森章太郎集』筑摩書房,1969 と石森章太 郎『ぼくの漫画ぜんぶ』広済堂出版,1977 を参考にした。 蘯 小野秀雄『日本新聞史』良書普及会,1949 と山本武利『近代日本の新聞読者層』 法政大学出版局,1981 を参考にした。 盻 連載回数があまり少ない漫画は人気にならない,代表性が低いと考えられ,本研 究では,新聞漫画の掲載形式の変化をより明確にみるために,10 回以下のものは 除いた。 眈 「総合漫画欄」は筆者の命名である。 眇 「表 1 : 1」とあるのは,作品の表 1 における番号をさす。「:」の後ろの数字は表 1の番号欄に対応した数字である。以下同。 眄 竹内オサム『マンガ表現学入門』筑摩書房,2005, p. 15。 眩 138 の作品とは,表 1 における 14∼150 番の 137 の作品プラス「ヌー坊の世界」 169 国民新聞 S 15/02 がんばりクラブ 毎日 4 ○ 170 国民新聞 S 15/04 塗り絵漫画−花園物語 毎日 4 ○ 171 国民新聞 S 15/06 ボクチン武勇伝 毎日 4 ○ 172 読売新聞 S 15/07 アコチャン日記 毎日 3 ○ 173 東京日日新聞 S 15/09 仲よし隣組 毎日 4 ○ 174 東京日日新聞 S 15/12 子供漫画−子宝進軍 毎日 4 ○ 175 読売新聞 S 15/12 大和家の翼賛日記 毎日 4 ○ 176 国民新聞 S 15/12 翼賛一家−イネコちゃん 毎日 4 ○ 177 報知新聞 S 15/12 トンカラチャン 毎日 4 ○ 178 東京毎夕新聞 S 16/01 翼賛一家 毎日 4 ○ 179 国民新聞 S 16/03 小国民一年生 毎日 4 ○ 180 読売新聞 S 16/04 エンちゃん進軍 毎日 4 ○ 181 国民新聞 S 16/07 八ツの海 毎日 4 ○ 182 報知新聞 S 16/07 アセダク五人組 毎日 4 ○ 183 東京日日新聞 S 16/07 おたこさん 毎日 4 ○ 184 報知新聞 S 16/09 ゲンキナニコチャン 毎日 4 ○ 185 国民新聞 S 16/10 工夫するトンチャン 毎日 4 ○ 186 東京日日新聞 S 17/01 ヨイコの家 毎日 3 ○ 187 東京日日新聞 S 17/03 ウータン大将 毎日 4 ○ 188 国民新聞 S 17/04 南北問答 毎日 4 ○ 189 報知新聞 S 17/04 サブチャン・マコチャン 毎日 4 ○ 190 東京日日新聞 S 17/07 月月金チャン 毎日 4 ○ 191 東京日日新聞 S 17/10 ダーちゃん進軍 毎日 4 表中 M=明治,T=大正,S=昭和。「吹」=「吹き出し」を用いるもの。「説」=「説明文」を用 いるともの。 ―134 ―

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で計算した。「ヌー坊の世界」は大正 11 年から週に一回連載されていた。震災後 の大正 13 年から毎日連載に変わり,翌年まで総計 159 回連載され続けた。 眤 「単品漫画欄」は(2. 1 にある「総合漫画欄」と同様に)筆者の命名である。一つ の作品が新聞紙面のある領域を占有するものを指す。 眞 「ソコヌケドンチャン」は大正 14 年からの一年間は日単位,それ以降のほぼ七年 間は週単位で連載されていたので,週単位として数えている。

眥 Coulton Waugh,“The Comics”,New York, Macmillan, 1947 を参考にした。 眦 原文は「No one can wait a week for a laugh ; it must come in daily with our

cof-fee.」である。Cartoon America : Comic Art in the Library of Congress, Edited by Harry Katz, Harry N. Abrams, Inc. 2006, p. 130

眛 山本武利『近代日本の新聞読者層』政法大学出版局,1981, 2006 年第 9 刷 p. 196。 眷 清水勲によると『東京パック』は第一次(明治 38 年 4 月 15 日∼45 年 5 月 1 日),第二次(明治 45 年 6 月 1 日∼大正 4 年 12 月 20 日),第三次(大正 8 年 8 月 1 日 12 年 6 月 1 日),第四次(昭和 3 年 7 月 1 日∼16 年 3 月 1 日)に分けられ る。 清水勲「解題」『覆刻 東京パック 第八巻』龍渓書舎,1985。 眸 「太郎のタビ」は大正 14 年の一年間は 4 コマ,翌年からは 2, 3 コマに変わった が,ここでは 4 コマ漫画として数える。 睇 阪本一郎によると,新聞 4 コマ漫画の表現のレトリックとして「起・承・転・ 結」という漢詩の技法が用いられているが,実際に調査してみると「起・承・山 ・落」という落語の技法に傾いている。 阪本一郎「漫画の文法とその読みのモデル」『読書科学』第 17 巻第 2 号,1973, p. 57。 睚 竹内オサムの「『正チャンの冒険』の変容過程−初出作品の検討と単行本化の問 題−」『マンガ研究』第 11 号,2007 年 3 月 31 日発行,p. 54。 睨 同一の作品が掲載途中で吹き出しまたは説明文の使用形式が変わる場合は,掲載 期間の長い方を主な形式として数えた。 睫 竹内オサム『子どもマンガの巨人たち−楽天から手塚まで−』三一書房,1995, p. 193。 睛 潘郁紅「日本大衆児童文学雑誌における視覚物語の様相−『少年倶楽部』(改『少 年クラブ』)を中心に−」東大比較文学会『比較文学研究』第 89 号,2007, p. 137。 睥 秋田喜三郎『初等教育 国語教科書発達史』文化評論出版社,1977 を参考とし た。 睿 「KINDERVULTURE 川勝泰介研究室児童文化学研究資料室」に掲載されている, 「『児童文化』関係文献資料・目次(一)−一九〇九年∼一九四五年−」を参考に ―135 ―

(26)

した。 http : //www.eonet.ne.jp/˜kinderculture/shiryouroom 1−1.htm(2001 年 8 月 25 日)な お,この資料は名古屋経済大学・市邨学園短期大学幼児教育研究会発行の『幼児 教育研究紀要』12 号から 14 号にも発表している。 睾 竹村民郎『大正文化 帝国のユートピア−世界史の転換期と大衆消費社会の形 成』三元社,2004, p. 119。 参考文献 論文 阪本一郎(1973)「漫画の文法とその読みのモデル」『読書科学』第 17 巻第 2 号 竹内オサム(2007)「『正チャンの冒険』の変容過程−初出作品の検討と単行本化の問 題−」『マンガ研究』第 11 号 潘郁紅(2007)「日本大衆児童文学雑誌における視覚物語の様相−『少年倶楽部』(改 『少年クラブ』)を中心に−」東大比較文学会『比較文学研究』第 89 号 著書

Coulton Waugh(1947),“The Comics”,New York, Macmillan

秋田喜三郎(1977)『初等教育 国語教科書発達史』文化評論出版社 石森章太郎(1969)『石森章太郎集』筑摩書房 石森章太郎(1977)『ぼくの漫画ぜんぶ』広済堂出版 小野秀雄(1949)『日本新聞史』良書普及会 清水勲編(1985)『覆刻 東京パック 第八巻』龍渓書舎 竹内オサム(1995)『子どもマンガの巨人たち−楽天から手塚まで−』三一書房 竹内オサム(2005)『マンガ表現学入門』筑摩書房 竹内オサム(2008)『手塚治虫−アーチストになるな−』ミネルヴァ書房 竹村民郎(2004)『大正文化 帝国のユートピア−世界史の転換期と大衆消費社会の 形成』三元社 滑川道夫(1970)『児童文化論』東京堂出版 山本武利(1981)『近代日本の新聞読者層』法政大学出版局 Webページ 京都女子大学発達教育学部児童学科児童学第三研究室「KINDERVULTURE 川勝泰介 研究室児童文化学研究資料室」http : //www.eonet.ne.jp/˜kinderculture/shiryoushitsu. htm(2001) ──────────── ※ 2009 年 7 月 30 日受付,査読審査を経て 2009 年 9 月 9 日受理 ―136 ―

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The Transition of Newspaper Comic Strips’ Style

──How today’s style formed──

En Jyo

Particularly, comic strips today usually 1)are serialized on newspapers every-day, with a continuing character and story, 2)are formed by four continuing frames, called“four-frame comic strip”, and 3)use“speech balloons”to show characters’ dialogues. However, in the early stage of 20th century, when comic strips first ap-peared in Japan, they usually 1)were serialized once a week, mostly on Sunday, 2) had unfixed number of frames, 3)had captions under or beside every frame instead of speech balloons. The purpose of this study is to understand why and how comic strips in Japan changed their styles.

In this paper, I picked up 191 comic strips published in main newspapers in To-kyo from 1900 to 1945, discussing the transformation of their style. In conclusion, I find out that the year 1923, when Kanto earthquake happened, is a major turning point, and in 1930s it was finally shaped into today’s style. In this process, the de-velopment of children’s culture and the comic strips’ style in the western countries exerted a lot of influence.

Key words : comic strip, four-frame, speech balloon, children’s culture, western

in-fluence

参照

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