第8回モンゴル学術交流会 : 「和光大学モンゴル祭 り2003」の一環として (アジア研究交流フォーラム )
著者 呉人 徳司
雑誌名 東西南北
巻 2004
ページ 156‑162
発行年 2004‑03‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00002970/
二〇
〇 三 年一 一 月 二九 日
︵ 土︶ に
︑ 和光 大 学 で﹁ 第 8 回モ ン ゴ ル学 術 交 流会
﹂ が 開催 さ れ た︒ 今 回 の学 術 交 流会 は 和 光大 学 総 合文 化 研 究所 と 同 学術 交 流 会の 母 体 とな っ て いる
﹁ モ ンゴ ル 民 族文 化 基 金﹂ が 共 催し た も ので あ る
︒同 大 学 は二
〇
〇
〇年 か ら 毎年
﹁ 和 光大 学 モ ンゴ ル 祭 り﹂ を 開 催し て お り︑ 今 回 はモ ン ゴ ル民 族 文 化基 金 の 要請 を 受 け︑
﹁モ ン ゴ ル祭 り 2 00 3
﹂の 一 環 とし て 共 催が 実 現 され た
︒ 当日 は 朝 から あ い にく 冷 た い雨 が 降 り続 く 天 気に も か かわ ら ず
︑和 光 大 学の 先 生 方︑ モ ン ゴル 語 や モン ゴ ル の歴 史
︑ 文化 に つ いて 勉 強 して い る 日本 人 学 生︑ モ ン ゴル に 関 心の あ る 社会 人
︑ 日本 各 地 の大 学 か らこ の 日 のた め に 集ま っ て きた モ ン ゴル 人 留 学生
︑ ま た︑ す で に日 本 の 大学
︑ 会 社な ど で 働い て い るモ ン ゴ ル人 な ど
︑合 計 八
〇数 名 の 方が 参 加 した
︒ ここ に
︑モ ン ゴ ル民 族 文 化基 金 学 術 部の 担 当 者と し て
︑﹁ 第 8 回 モン ゴ ル 学術 交 流 会﹂ で の 発表 内 容 等に つ い ての 概 略 を紹 介 さ せて い た だき た い
︒
当 日 は午 後 一 時二
〇 分 から
︑﹁ モ ン ゴル 祭 り
﹂の 第一 部 と し 03 て モ ン ゴル 学 術 交流 会 が 始ま っ た
︒総 合 司 会は 和 光 大学 表 現 学 部 教 授 の松 枝 到 先生 が お 勤め に な った
︒ ま ず最 初 に 三橋 修 学 長 か ら モ ンゴ ル 英 雄叙 事 詩
﹃ゲ セ ル
﹄を 具 体 例に あ げ
︑口 承 文 芸 に つ い ての 興 味 深い お 話 を含 め た あい さ つ があ っ た
︒続 い て
︑
﹁ モン ゴ ル 民族 文 化 基金
﹂の 理事 長 で
︑和 光 大学 の 非 常勤 講 師 で も あ る バー
・ ボ ルド ー 氏 が︑
﹁基 金
﹂の 活 動 や目 標 に つい て の 簡 単 な 紹 介を も っ て︑ 開 会 のあ い さ つと し た
︒ 交 流 会は
︑ 研 究発 表
︑ 研究 動 向 報告
︑ 特 別講 演 の 三部 構 成 で 行 な わ れた
︒ ま ず
︑千 葉 大 学大 学 院 博士 後 期 課程 の ボ ルジ ギ ン
・オ ル ト ナ ス ト 氏 が﹁ モ ン ゴル の 牧 畜文 化 に おけ る 馬 の聖 別
︱ ウジ ュ ム チ ン 地 域 を中 心 に
︱﹂ と い うタ イ ト ルで 発 表 した
︒ オ ルト ナ ス ト 氏 は 内 モン ゴ ル
・シ リ ン ゴル 盟 西 ウジ ュ ム チン 旗 出 身で
︑ 日 本 語 で も 二冊 の 詩 集を 出 版 して い る 詩人 で も ある
︒ 氏 の発 表 は
︑ 遊 牧 民 はな ぜ 馬 を聖 別 す るか と い う問 題 提 起か ら ス ター ト し
︑
ア ジ ア 研 究 交 流 フ ォ ー ラ ム
第 8 回
モ ン ゴ ル 学 術 交 流 会
﹁ 和光 大学 モン
ゴル 祭 り2 0 03
﹂の 一 環と して 呉人 徳司
・ 東 京外 国 語 大 学ア ジア
・ア フリ カ 言 語文 化 研 究 所
モ ンゴ ル 語 で聖 別 を 意味 す る セテ
ル︵seter
︶と いう こ と ばの 由 来
・意 味
︑ 馬の 聖 別 の準 備
︑ ラマ
︵ 僧 侶︶ の 役 割︑ セ テ ルの 種 類
︑地 域 に よる 相 違
︑聖 別 さ れた 馬 に 対す る タ ブー な ど
︑馬 の 聖 別に 関 す るモ ン ゴ ルの 伝 統 儀式 を ま とめ て 紹 介し た
︒ オル ト ナ スト 氏 は
︑こ の 数 年間 の 現 地調 査 の 資料 に 基 づき
︑ 出 身地 で
あ る 内 モン ゴ ル のウ ジ ュ ムチ ン 地 域で 今 も 行な わ れ てい る 馬 を 聖 別 す る儀 式 を
﹁火 星 に おけ る 馬 の聖 別
﹂︑
﹁北 斗 七 星に お け る 馬 の 聖 別﹂
︑﹁ オ ボー 祭 り にお け る 馬の 聖 別
﹂︑
﹁ 諸 仏 にお け る 馬 の 聖 別
﹂と い う 四種 類 に 分け
︑ そ れぞ れ の 特徴 や 聖 別す る 時 期 な ど に つい て 詳 しく 説 明 した
︒ 馬 の代 わ り にバ イ ク や車 が 交 通 手 段 とし て よ く使 わ れ るよ う に な る と とも に
︑ 馬の 数 が 激減 し て い る 内 モン ゴ ル の中 で シ リン ゴ ル 盟 の 東
・西 ウ ジ ュム チ ン 両旗 は
︑ 今 も 一 番多 く 馬 を放 牧 し てい る 地 域 で あ る︒ オ ル トナ ス ト 氏の 発 表 は︑ 近 代 化が 進 む 内モ ン ゴ ル社 会 に お い て
︑馬 を 聖 別す る 伝 統行 事 が 活 発 に 行な わ れ てい る ウ ジュ ム チ ン 地 域 に焦 点 を 当て た 学 術的 研 究 と し て
︑会 場 の 聴衆 の 関 心を 引 い た︒ 二 番目 に
︑ 東京 大 学 大学 院 博 士 後 期 課程 の ボ ルジ ギ ン
・セ ル ゲ レ ン 氏 が﹁ 1 9 30 年 代 初期 日 本 の 対 内 モ ン ゴ ル 認 識
︱
﹃ 現 代 史 資 料
﹄ を中 心 に
︱﹂ と い うタ イ ト ル で 発 表を 行 な った
︒ セ ルゲ レ ン 氏 の 発 表を 要 約 する と
︑ 以下 の 三 点
に まと め ら れる
︒ 一
︑満 州事 件 前 後 の東 部 内 モ ンゴ ル に関 す る 日本 語 資 料 につ い て 一九 三 一 年九 月 一 八日 か ら のい わ ゆ る満 州 事 変の 前 後
︑東 部 内 モン ゴ ル にど の よ うな 勢 力 が存 在 し
︑ど の よ うな 動 向 であ っ た かに 関 す る日 本 語 で書 か れ た資 料 と して は
︑ 一九 六
〇 年代 前 半 以 後 日 本 現 代 史 を 網 羅 す る 形 で 編 纂 さ れ た 膨 大 な 資 料 集 の
﹃ 現 代 史資 料
﹄全 四 五 巻 が最 も 詳 しい
︒ と りわ け
︑一 九 三
〇 年代 初 期を 対 象 とし た 第 七巻 と 第 一一 巻 が 重要 で あ る︒ 二
︑関 東 軍内 部 に お ける
﹁ 蒙古 独 立 軍﹂ に 対 す る認 識 の相 違 と 変 化 満州 事 件 以前 は 関 東軍 参 謀 であ っ た 板垣 征 四 郎は
︑ 石 原 莞爾 の
﹁戦 争 史 大観
﹂ を 支持 し
︑ 後に 関 東 軍は 石 原
・板 垣 コ ン ビの 戦 略 に よ っ て︑ 満 蒙 領 有 と い う 方 向 に 暴 走 し た
︒ そ の 核 心 は
﹁ 関 東 軍 満蒙 領 有 計画
﹂ で ある
︒ 満州 事 件 発生 直 後
︑関 東 軍 は早 速 蒙 古独 立 軍 の支 援 に 乗 り出 し た︒ 具 体 的に 言 え ば︑ ガ ン ジュ ー ル ジャ ブ は
︑関 東 軍 か ら軍 事 顧問 と 武 器の 提 供 を受 け た
︒彼 は 自 ら﹁ 蒙 古 独立 軍
﹂ を 組織 し
︑長 年 の 念願 で あ った 中 国 から の 独 立を 試 み た︒ しか し
︑ 後に
﹁ 蒙 古独 立 軍
﹂を め ぐ って
︑ 関 東軍 内 部 で 意見 の 不一 致 が 生じ た
︒ 蒙古 軍 を 正規 軍 隊 とし
︑ 軍 規を 正 し た いと い う石 原 参 謀の 意 見 と︑ 蒙 古 軍を
﹁ 政 権樹 立 に 関係 あ る 独 立運 動
﹂の 中 で 位置 付 け
︑モ ン ゴ ルの 特 殊 性か ら モ ンゴ ル 軍 の 扱い に 配慮 し た いと い う 片倉 参 謀 の方 針 の 二つ の 構 想が 存 在 し
︑時
に は 対 立ま で 起 きて い た
︒ 三
︑満 州 事 件後
︑東 部内 モン ゴ ル で活 躍 し た二 つ の勢 力 に つ い て 満 州 事件 直 後 の関 東 軍 が︑ 東 部 内モ ン ゴ ルの 治 安 維持 を 任 せ ら れ る 勢力 と し て蒙 古 独 立軍 に 一 定の 信 頼 を置 い て いた こ と は 確 か で あり
︑ こ のよ う な 形で あ れ
︑歴 史 の 舞台 に 出 現し た こ と は 大 き な意 味 を 持つ も の であ る
︒ 当 時 のモ ン ゴ ル社 会 の 支配 基 盤 をな し て いた の は 各盟 旗 の 王 公 た ち であ っ た
︒東 部 内 モン ゴ ル の独 立 は 最終 的 に は実 を 結 べ ず に 終 わっ た が
︑そ の 後
︑蒙 古 独 立軍 は モ ンゴ ル 王 公ら と の 連 帯 や 彼 らの 信 頼 を勝 ち 取 り︑ 王 公 たち と 並 んで
︑ 間 違い な く
︑ 東 部 内 モン ゴ ル のも う 一 つの 政 治 勢力 で あ った
︒ セ ル ゲレ ン 氏 の発 表 は
︑こ の よ うに 日 本 側の 資 料 を精 読 し て︑ 満 州 事 件前 後 に おけ る 東 部内 モ ン ゴル が 抱 えて い た 複雑 な 情 況 を 整 理 し︑ 日 本 支配 時 代 を前 に し たモ ン ゴ ル人 の 各 勢力 の 対 応 を 分 析 した
︒ 最 後 の研 究 発 表者 は 内 モン ゴ ル 大学 助 教 授で
︑ 昨 年の 九 月 に 日 本 学 術振 興 会 外国 人 特 別研 究 員 とし て 来 日し
︑ 現 在は 東 京 外 国 語 大 学ア ジ ア
・ア フ リ カ言 語 文 化研 究 所 の共 同 研 究員 を 勤 め る ソ ド ビリ グ 氏 で︑
﹁清 朝 末 期の 対 モ ンゴ ル 政 策に つ い て﹂ と い う タ イ トル で 研 究発 表 を 行な っ た
︒ソ ド ビ リグ 氏 は
︑モ ン ゴ ル の 近 代 史︑ と り わけ 清 朝 末期 に モ ンゴ ル で 実施 さ れ た政 策 に つ い て 研 究を 重 ね
︑二
〇
〇 一年 に 北 京の 人 民 大学 清 朝 歴史 研 究 所