Title
ダパオでの活動
Author(s)
組原, 洋
Citation
沖縄大学地域研究所所報(28): 13-25
Issue Date
2003-02-28
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/8766
Rights
沖縄大学地域研究所
ダパオでの活動
組
原
洋
1.移動児童館活動
私は2001年度に学外研究でダパオに滞在 した。現地での受 け入れ先 は 日本 フィ リピ ンボランティア協会 (JPVA)とい うNGOで、 JPVAはダパオの 日系人会 と非 常に密接な関係がある。場所 も隣 り合わせである。 ∫PVAの 日本の事務所は東京都 調布市のつつ じヶ丘にある、延浄寺 とい う浄土真宗のお寺の中にある0 JPVA会長 がこの寺の住職 の網代正孝氏なのである。 私は99年 9月末に初めてダパオに行き、 1泊 した際に、 日系人で、現在は 日本国籍 を取得 している田中愛子 さんにあったのがきっかけで、翌年 3月か ら4月にかけて、 再訪 し、この ときもわずか
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泊だったが、やは りたまたま、すでに故人 とな られた萩 尾幸利氏や、網代正孝氏等にあった。 萩尾氏は初代 フィリピン日系人会会長で、同氏の ことは天野洋一 「ダパオ国の末帝 たち」 (風媒社 ・90年) を読んで知 っていた。 田中愛子 さん と同 じく残留 日系人であ る。 ダパオには戦前、 2万人 をこえる 日本 か らの移民が住 んでいて、多 くはアバカ (マニラ麻)を作っていた。 中でも沖縄か らの移民が多かった。満州国になぞ らえて、 「ダパオ国」 といわれるほ どの隆盛ぶ りだった。 日本の敗戦 とともに、 日本人は引き 揚げざるをえなかったが、現地人の妻 と、子 どもたちの一部は残留 した。 しか し、 日 本人の血 を引いていると分かれば殺 され るので、隠れて生きなければな らなかった。 このよ うに、残留 日系人は 日系であるとい うこと自体を隠 さねばな らない ところか ら 出発 したが、皮肉なことに、いつの間にかフィリピンから日本に出稼 ぎす る時代になっ て しまっている。90年の出入国管理法改正で、 日系であれば どんな仕事で も合法的に できることとなった関係で、 日系であるとい うことは逆に一種の特権 に変わ り、 うら やま しが られることとなっている。そのため、 日系であることの証明を得 よ うとす る 人があとを絶たないが、 日系であることを証明す るものは意識的に抹殺 してきたのだ し、 日本 との連絡が取れない人 も多い。萩尾氏はそ うい う日系人の歴史の生き字引み たいな人だったのだが、私があってか らち ょっと後の同年5月14日、75歳で急逝 され た。全 くびっくりした。 私はダパオの町 も気に入 って、 ここで生活 してみたくなったので、沖縄大学の学外 研究制度 を利用 させてもらうことに し、その後 も何度かダパオを訪れ準備 を進 めた。 予定の1年間でやろ うと考えて最初に着手 したのは移動児童館活動である。私は専 門としている法の比較文明論 と関連づけなが らずっ と社会教育に関心を持 ち、調べてきたが、ダパオで公共図書館が根づいていないことに不思議な感 じをもった。 まわ り の人にきいてみても誰 も図書館に行ったことがない とい うし、そもそも公共図書館が あるのか どうかさえはっき りしなかった。フィ リピンは長 らくアメ リカの統治下にあっ たのだ し、フィリピンの一番下の地方政府単位 であるバランガイ レベルでの 自治体活 動 も盛んだ ときいてきたので、身近な ところに公共図書館があるのではないか と漠然 と思っていたのだが。その後調べてみた ら、ダパオ市にかな り大きな本館 と、 4つの 分館があること、本館には20年 も前 に 日本か ら寄贈 されたバス型のブ ックモー ビルが あることも分かったのだが、やは り、一般市民の生活の中に公共図書館が入 り込んで いるとはいいにくい状況である。 とにか くブ ックモー ビル をや ろ うにも本が少なす ぎ る。本の貸 し出 しは無理だ とすれば、紙芝居のよ うなものになるのではないか。 こ う い う考 えを01年は じめに網代氏に話 した ところ、同趣 旨の活動がこれか ら始められ よ うとしてい ることが分か り、私 もそれに加わ らせていただ くことに した。試験的に開 始 したのは同年
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月である。 この活動のための軽貨物 タイプの車 も日本か らの援助で ち ょうどこの頃入 った。 やってみ るといろいろ難 しい問題 が多いO例 えば、何語でやればいいのか とい う問 題 がある。 実際にはこの活動はCMU
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とい う貧困地域 の医療や保健活動 を してい るNGO
と共同で運営 していたが、そ うい う現場で話 され ている言葉 はおおむね ビサヤ語である。だが、学校ではフィリピン語 としてタガ ログ 語が教え られているほか、英語教育 もな されている。 これは私 自身の間層でもあった。 例 えばかつてブラジルに住んだ ときは基本的にポル トガル語が出来ればよかった。だ か らその準備 をしてか ら行 った。今回、何語 をやっていけばいいのか迷 って、何 もし ない うちに住む ことになった。標識 とか看板 とか読めない と困るので、最′J、限タガロ グ語の基礎 をや ろ うか とは思 うのだが、何 とな く英語ですんで しまった りして、 どう も上達 しない。私は難聴なので、いっそ手話 でもや ろ うか と思 うこともあるぐらいだ った。 紙芝居の内容なんかも難 しい。 1回 1回、考 え考え しなが ら決めていっていったが、 どうい うものが喜ばれ るのか最初はよくわか らなかった。紙芝居制作のために、香嶋 愛 さん とい う、も う3年間 ぐらいダパオの孤児院等でボランテ ィア活動 をしてきた女 性 を雇 ったが、彼女 と相談 しなが らできるだけフィリピンの民話等か らも作成するよ う心がけた。 また、本が少ないことと貧困 とを単純に結びつけていいのか どうかもはっき りしな かった。実際に活動 を してみて感 じるのは、確かに、活動の一環 としておかゆを作っ て食べてもらえば喜ばれはするが、おかゆなどそっちのけで、私が 日本か らもっていっ たけん玉に熱中す る子 も結構いるし、極限的な飢 えとい うの とはだいぶん様子が違 う。 ただ文化的な活動の経験がない とい うだけなのではないか。 で も、子 どもたちが熱心にきいて くれているのは、言葉は分か らなくても十分に感 一 14-じることが出来た し、活動中の写真 を 日本の友人、知人に送 ると、みんなのんび りし て楽 しそ うで少 しも悲惨な感 じが しない と言われ、実際私 も楽 しかった。 「ダパオに住む」 とい う、生活面について も予想以上 に愉快 にスター トできた。基 本的にはダパオの人々がかもし出す開放的な空気によるもの と思われ る。 ダパオ市の 図書館長か ら、 「ダパオの歴史」 とい う題 の英語 の本 をいただいたが、 この本では、 ダパオは外国人 も含む他地域か らの移住者が中心になって作 られた町であるとい うこ とが強調 されている。実際、 よそ者 にも住みやすい空気があると思 う。みな素朴で、 親切である。 アグダオ公設市場前でひげ剃 り用 の鏡 を買った とき、 12ペ ソ (1ペ ソ-2.5円) とい うのを20と聞き違 えて20ペ ソのお札 を出 した ら、後 ろか ら走 って追いか けてきておつ りを8ペ ソ渡 して くれた。 もちろんダパオは外国だか ら、 日本では考 え らえないよ うな トラブルはある。が、私はもめ事処理が専門であることもあって、楽 しみなが ら経験 してきている。 また、町のサイズがすてきにいい。 ケーブルテ レビやインターネ ッ トがちゃん と利 用できる程度 に便利な都会である。 にもかかわ らず、散歩 してみ るとあちこちに緑が あって心を和ませて くれる。散歩がて ら市場 に行 けば新鮮な食べ物が驚 くほど安 く売 られている。食べ物は基本的に沖縄 と似てお り、それ よ りも うち ょっ とバ ラエテ ィー がある。 こ うい うふ うだか ら外国に来た とい う感 じが余 りしない。 それでも数 ヶ月いた らだんだんアラが見え始 めた。例 えば24時間ほどの断水がけっ こうある。 口コミで情報が入 る。また、住み始 めてちょっとしてか ら選挙があって、 ダパオ市長がかわったが、こちらでは職員の多 くが入れ替えになるそ うで、 2ケ月間 ぐらいだろ うか、ゴミの収集 がなくて、町中が汚 くなっていた。 あちこちで勝手にゴ ミを焼いていた。 ちなみに、 ここのゴミの出 し方は、木の枝の先 とかにぶ ら下げる方 式である。地面に直接置 くとゴキブ リやネズ ミがす ぐにやって くるだろ うし、雨 も多 いか ら、合理的な方式だと思 う。沖縄な どでもやった らいいかも しれないが、ぶ ら下 げるといっても、 日本の場合家庭 ゴミも相当大 きいか ら、ぶ ら下げる場所探 しが難 し い。なお、 こちらでは、家庭 ゴミを出す とき分別は全然ない。 どうしても日本に帰 らない と都合が惑いよ うな問題 も出てきた。私が経験 したのは、 1つは、パ ソコンの故障である。 6月 中旬に、キーボー ドのiがなかなか入力できな くなった。普通に打つ と iが皆抜 けて しま うのである。 「愛抜 きの文章」 な どと言 っ ていたが、人名などになると冗談 じやない。実は、夜 中に打っているときに故障 した のだが、その ときは頼まれて、戸籍 を急いで英語に翻訳 中だった。人名か らiが抜 け た りす ると、まった く話にな らない。校正チェ ックが大変である。故障の原因だが、 蚊か虫が入 り込んだのだ と思 う。 こち らで多い被害は、蟻がパ ソコン内部に入 り込む と、プラスチ ックをか じって しま う。卵 を産んで しまって、内部で増殖す ることもあ るらしい。 も う
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つ多いのは電圧被害で、変圧器 はついていても電圧の変化に十分対 応できない。 ノー ト型の小 さなパ ソコンの場合、修理は 日本でや った方がいいだろ うと勧 め られて、 6月未に帰国 した際に修理 に出 した。 ところが、修理す るのに 3週間 かかると言われ、やむな くも う
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台買った。 も う1つは歯である。オース トラリア産の ビフテキを自分で焼いて一生懸命か じり ついている うちに、前上歯に埋 めてあった ものが落ちて しまった。 これ もいろいろ意 見を聞いてみたが、 とにか くこち らでは簡単に抜いて しま うので、 日本でや った方が 無難 とい う意見がほ とん どだった。 こういったことでちょいちょい 日本に帰 るものだ か ら、たぶん皮 肉を込めて、また帰 るんですか、 とか と言われていた。 日本に帰 ると、 いつ もダパオの 日系人か ら頼まれた用事があって、忙 しかった。 移動児童館 については、ちょっとや っている うちに、貧困集落 とは言って も、子 ど もたちの多 くは学校 に通っていることがだんだん分かってきた。 フィリピンは 4月 と 5月が夏休みなので、最初そのことに気づかなかったのである。でも、学校 に行 って いない子 どもが多 くいる地域 も存在す る。そ うい う地域で活動できないか と、6月に 入ってか ら候補地探 しを した。 山間部 とかの-き地が典型であろ う。 しか し、治安 に 問題 のあるところが多 くてなかなかこれ は とい うところが決まらず、新 しい活動地が 決まってきたのは 8月前後になってか らである。 この過程でいろいろな人や組織にぶ つかって、私 には非常に勉強になった。 まず、 CMUの無料検診地点になっている関係 か ら、 6月20日、ダパオ中心部か ら 2時間半 ぐらい東方の海岸沿いに行 った ところにあるハ ウス ・オブ ・ジョイに行 った。 ここにちょうど図書館ができた ところだった。八角形の形のお堂みたいな建物で、周 囲に棚 を作って本が置かれていた。英語の本のほか、タガログ語のものも相 当あった。 運営の中心になっている松居友 さんがち ょうどいて、直接お話を聞 くことができた。 たんに読ませ るだけでな く、た とえば自分で作品を作った りす るよ うなことまでや る らしい。規模壮大な話に とにか く仰天 して、夢 中でムー ビーに撮った。松居 さんのお 父 さんは元福音館書店社長の松居直氏で、直氏がこの図書館 を寄贈 された とい うこと だった。 また、英語の本 を 5箱、今ニュージー ラン ドか ら送っているところだとい う ことだった。説明を受 けた後で、松居 さん と雑談す る うち、彼が沖縄の宮古地方の池 間島で調査 を して本を書かれた ことが分か り、 さらにびっくりした (書名 は 「沖縄の 宇宙像」で、洋泉社か ら99年に出版 されている)0 それか ら、- き地 とい うと、だいたい環境関係 のNGOの活動領域 と重なって くる。 そ うい うこ とで 、 ダパ オ の 中心 部 か ら1
時 間 ほ ど北 西 に行 ったカ リナ ンに あ る CA SEDOとい う環境 関係 のNG Oに も何 度 か行 ってい ろい ろ話 を聞 い た。 CA SEDOでは伐採 されて裸 になった熱帯林の再生等をやっている。私は、環境教 育 と重なる内容の紙芝居 を作 りたい ものだ と思い、試みていた。 それか ら、海外協力隊の藤 田友子 さんの紹介で、カ リナンか らさらに奥にいった ク ビアンとい う谷底の村 にも行った。 ここには、馬で山道をお りていった。閉 じられた 空間に住んでいるのに、子 どもも大人 も人なつっこかった。みな親戚みたいなもの ら - 16-しいのに、教会は3つに分かれ、ほぼ同数ずつだ とい うか ら面 白い。 ここで も活動 を す ることになった。 この よ うに、片道2時間 も3時間もかか るよ うな ところにあちこち通 っていたので あるが、実は、学校 に行 っていない子 どもたちの問題 との関係 では、ダパオの都市中 心部、 と りわけアグダオ公設市場 に接 したあた りが問題 の多い ところである。 8月頃 か らここで独 自に リサーチ活動 を始 めた。 これ は本集 め とも関係 がある。本 が足 りな い とい うことで、友人の島清 さん と一緒 になって沖縄 で声 をかけた ら、大量の本が集 まってきた。英語の本である。呼びかけに応 えて くれた方々のために もこれ らの有効 活用 を考 えない といけな くなったが、アグダオのよ うな都市部で試み るのが よ り効果 的であろ う。 移動のための乗 り物 については、まず 4月下旬 に 自分の車 を買った。 スズキの軽 ワ ゴンなのだが、車体枠だけこち らで選び、あ とは 日本か ら持 ち込 まれ た部品を組 み立 てて 2- 3週間でできあがる。 14万5000ペ ソ (36万2500円) だった。 車は結構 高い。 運転は、香嶋愛 さんの彼氏である通称 トトさんがや って くれ ることになった。 トトさ んは免許 を取得 したばか りで、 しか も日本 の よ うなちゃん とした教習 を受 けたのでは ないか ら当初は冷や汗 ものだったが、 じきに上達 した。 トトさんは紙芝居 にも興味を 持って くれて、いつ も手伝 って くれた。 また7月に入 って 自転車 を買った。私 の下宿 はア グダオ市場 にも近い中心部 にある が、散歩 を繰 り返す うちに、 もっ と動 きたい とい う欲求がふ くらんで きた。3×7-21 段変速 ギア付 きで6000ペ ソ (1万5000円) だった。 マル コポー ロホテル のプール の会 員になっていたので、そ こに行 った り、市場 に行 った りす るのに使 っていたC調子に 乗 って、 1時間余 りかけて CMUまで行 った りも したが、長距離では走 りやす い とは 言えない。圧倒 的に車庫先であることのほか、ほこ りの多いのが問題 である。 もの も らいができて しまった。 2.サ ンアン トニオバランガイ 10月18日頃に、沖縄か ら送った英語の本 が着いた。全部で約1万3000冊 にな るとい う本の うち、絵本等子 ども関係 の本 をCM Uで受 け入れた。 CMUで準備 した場所で は入 りき らないため、一部は私の下宿 に置いて登録作業を した。 いい絵本が多かった。 リサーチ活動 をや り始 めたアグダオでは、最初、不登校児 を対象 に教育活動 を しよ うと考 えたが、 日本のよ うな不登校児のためのフ リースクールな どち ょっと考 え られ なくて、義務教育はあ くまで義務 として徹底的に行 われ るべ きである と考 え られてい る。それで、NGOとして関与できるのは、就学前 のデイケア (こち らでは老人のた めの事業ではない)が準義務化 されてい るので、それ に行 けない子 どもたち と、あ と、 小学校 のあとい きな り高校 であるが、や めて しま う青年 が多 く、それ- の授産教育が
大きな課題である。 この うち、デイケアについては、こちらは 6月が学年開始の時期なので、それまで 試鼓的にや ってみるとい うことでや り始めた。先生 として 8月に雇 ったルース さんが たまたま、アグダオ地区にあるサンアン トニオバ ランガイにあるプロテスタン ト教会 に通っている関係で、同 じ教会に通 っているサンアン トニオ老人会長エステ リー ト・ プェナ さん と知 り合いになった。エステ リー トさんを通 して、バランガイキャプテ ン と知 り合いにな り、その結果、バランガイか ら土地 を提供 してもらえたo もともと老 人会が使 う予定だった土地だが、費用が集 ま らないため放置 されていた。そこに小 さ な建物 を建てた。建築費は7万ペ ソだった。バ ランガイか ら、個人 としてや るのでな く組織の形 に してほ しい といわれ、 「組原 ラーニングセ ンター」で どうか と提示 され たので、その名前でや っている。希望者が多 く、午前 と午後の
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クラス、それぞれ20 数名 で うち切 った。それ以上入 らないのだか ら仕方がない。私 としては、主に、 自治 体 と関係 を持つ手段の1
つ として考 えていて、なかば遊びの心境だったのだが、お母 さんたちは真剣そのものである。まだ試験期間だか ら修了証明は出せない と言ってい るのに、わ ざわざ正規の 自治体デイケアセ ンターか ら移 ってきた子 どもも5名いたこ とがあとで判明 した。何か、ダパオにある 日系人スクールの分校 と勘違いされた面も あるらしい。説得 したがそのまま残 っている。か くして、セ ンター主宰者 とな り、そ の結果、ク リスマスパーテ ィも主催せ ざるを得ない立場になった。パーティのために 求められた出費は、黒豚の丸焼き (レチ ョン)代金で、2400ペ ソだった。でもパーティー で挨拶等は何 もしなかった。 こちらには、お しゃべ り上手な人はた くさんいるか ら、 別に困 らない。 授産の方について も、具体的な話はい くつかある。例 えば、韓国か ら寄贈 された ミ シンが10台、サンアン トニオバ ランガイ事務所の隣の建物に置かれているが、今は使 われていない。講師料 (といってもせいぜい月1万円ちょっとなのだが)が払 えない ためだそ うだ。 もったいない話であるが、ものを提供 してそれで終わ りにす ると続か ない。 コンピュータ学校は面白いかも しれない。聞いた話では、ダパオは人件費が安 いため、手の込んだホームページ作成等で定評があるそ うだ。 こちらでは、小 さなもめ事等はまずバランガイで調停裁判がなされる。毎 日のよう に 日程が入 っているので、11月か ら時間が空いているときに傍聴 をさせてもらうよ う になった。具体例は次項にま とめて掲げる。 テ ロ事件の影響で、ダパオ も一時危険度2の観光旅行延期勧告地域にな り、 日本で 切符 を買 う際には自己責任で旅行す る旨の書面に署名 させ られた。 12月に入 って危険 度は1に下がったそ うだが、大丈夫ですか、 とい うお伺いをかな りいただいた。私の 場合、それ よ り、東京 とダパオのパ ソコンが コンピュータウィルスにや られてまいっ た。 12月2日夜、東京 にいた ときに、添付文書だけで本文のないメール を うっか り開 いて しまった。添付文書を開いても何 も出て こなかったが、英語でデイケアセ ンター ー18-とか と表題があったのでダパオか らの連絡 と思 っていた。 ところが翌朝、友人たちか ら私名義の ウイルス添付文書が送 られてきた と教 えられて感典 したことが分かったC 私のパ ソコンのア ドレスに登録 された方々のかな りに自動的に ウイルス文書が送 られ た模様である。ダパオでは、留守番 の愛 さんはファイル を開かなかったそ うだが、専 門の方の話では、プ レヴュー を見るだけでも感染す ることがあるらしい。東京の方で はす ぐに対応できたが、ダパオではそ うもいかず、メールが再び使 えるよ うになった のは12月14日になってか らである。 ウイルスなんて風邪みたいな もんだろ うと思って いた ら、ダパオで使 っていたパ ソコンは使用不能になった。それ以上に、他人に迷惑 をかけるってのは非常に疲れた。それ に、ネ ッ トワークでつな ぐのは非常に便利であ るが、ダメになった場合の危険の大き さも痛感 した。 こんなでコンピュータ学校なん か出来るのだろ うか。 年 を越 して、02年の 1月後半か ら2月は じめにかけて、老人介護施設 を訪問 した0 私は 2月15日に沖縄の那覇市総合福祉セ ンターで 「子 どもの福祉 と老人の福祉」 とい う題の講演 を行ったが、その準備のためである。 アグダオのサンアン トニオバ ランガイでや っている組原 ラーニ ングセンターは、た またま、サンアン トニオ老人会長のお世話になったため、老人会 と共同でや る形になっ ている。 このラーニングセンター と対 になる形で、その後、バ ランガイが建物 を建て て くれて、 これ も自由に使 えることとなったので、沖縄か ら寄贈 された英語の本の う ち私の下宿に置いてあったものを置いて、子 ども図書館 に した。図書館 の番 とい うか、 いつ も見て くれ る人は老人会の役負 を しているル ク レシア ・カモ ロさん (73歳)にお 願い した。彼女のお孫 さんは組原 ラーニングセ ンターで学んでい る。両建物間の屋根 付き空間は現在、老人会の集 ま り等に利用 されている。 フィリピンでは、老人がだいたい家族 とともに住んでいることか ら、 どんな活動 を やっても子 どもと老人 とが一緒になることは多 く、老人は社会の中でそれな りに重ん じられていると感 じられる。 こ うい う状況なので、老人介護施設はわずかである。 フィ リピンには国立の老人ホームは3つ しかない とい う。マニラ、サンボアンガのほか、 ダパオか ら車で1時間余 り行 ったタグムにあ り、 1月23日に訪問 した。 タグムか らさ らに車で1時間余 り行 ったモ ンカ ヨの支部 も2月1日に訪問 した。また、ダパオ市立 cosuGianCenterfortheElderly (CoSu.Gianとい うのは、敷地寄贈者 である中 国人の名前である) も 1月30日に訪問 した。 これ らの施設 は、老人 にも余 り知 られて いない し、収容 している老人 はタグムが83人、モ ンカ ヨが14人、coSuGianCenter が10人で、い くらフィリピンの平均寿命 が70歳前後であるといっても、 これでは とう てい足 りない。 しかもこれ らはいずれ も、もともとはNGOが始めたものである。 しっ か りした国の政策がない と、今後急速 に問題が深刻化す るのは 目に見えている。収容 老人は、家族か ら捨て られた人、あるいは家族 がいない人が多 く、全国か ら来てい る。 男女半々の感 じだが、女性の方が圧倒的に元気である。地域 との交流等は特に認 め ら
れなかった。運営の特色 としては、アメ リカの影響で、専門職制度が取 られているこ とが挙げ られ る。 サ ンアン トニオバ ランガイのあるアグダオ地区はダパオでも貧困な人々が多い地域 であるが、だか らこそ地域 としてまとまることの重要性 をはっきりと課識 した リーダー が出て くるのではないか。 フィリピンは発展途上地域の通例で、金持ちと貧乏人 とが はっき り分かれている。 国全体 としてはそ うい う状況を克服 しない と十分な発展は期 待できないだろ う。 移動児童館活動 も従来通 り行 っていた。 フィ リピン民話か らつ くった 「ピン トン」 が記憶 に残 っている. ピン トンはい じめ られっ子。 しか し、動物が好きで、動物の言 葉 も分かる。森の中のお じい さん (デ ィワタといわれる仙人)を訪ねると、光 り輝 く バナナのつぼみを手に入れれば、願いがかな うといわれ る。 ビン トンは途中、川で岩 につまずいて倒れている水牛 (カラバオ) を助 ける。水牛か ら上手に助けて くれた と はめ られ る。光 り輝 くバナナのつぼみが見つかった。 しか し、水牛が言 うには、つぼ みを取って しまえば、バナナの木は枯れて しま うと。 ピン トンはつぼみを取 らない こ とに決 める。子 どもたちの描いた絵 を見 ると、ちゃん と話は理解 できたよ うである。 これ に対 して
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」 (与 える木 ;邦訳では 「おおきな木」
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は欧米で は非常によく読まれている し、 日本でも有名だが、子 どもたちの反応は今ひ とつだ し、 cM Uスタッフのみな さんもや りたが らなかった。確かに、小 さな子が多 く、難 しす ぎる。 しか し、その分、お母 さんやおばあさん等の付 き添いが多い。それ らの大人に はどうだったのだろ うか。カ リナンの先 にあるラクソンでは、たぶんちょっとぼけて いると思われ るおばあさんもいて、子 どもたちと一緒に参加 していた0 それか ら、何度か通 ううちに、 クビアンには、かつて、沖縄出身者が多数住んでい たことが分かってきた。そ して、戦争が終わる間際に、 日本軍がこの近 くに財宝を隠 した とい う話があることもきいた。いわゆる 「山下財宝」である。戦時中ウピアンに 避難 してきて住んでいた沖縄二世の輿儀安二 (フィリピン名マヌエル) さんにダパオ 市内の 自宅で会って、話をきいた。輿儀 さんのお父 さんは沖縄 ・本部の渡久地出身、 お母 さんはこち らのバ ゴボ族の女性である。お父 さんは戦争が終わって半年たった頃 フィ リピン兵に殺 された。輿儀 さんは、財宝を隠 した とい うのは本 当だ といい、彼 自 身、 5
年前に宝探 しに行 ったのだそ うである。昔の食器等がみつかったそ うだ。縁 を 感 じて、 クビア ンにデイケアセ ンター を建て るための くぎ と トタン板 を寄贈 した。1
万円ほ どだった。 組原 ラーニングセ ンターについては、ルース さんに月4000ペ ソ (1万円)の月給 と、 12月のボーナス1
ケ月分の計13万円を払い続 ければ継続できる。最低でも、今学んで いる子 どもたちがすべて小学校 に入学 して しま う04年3月までは続 けたい。生徒のお 母 さんたちは継続 に全然不安を感 じていないよ うで、制服 を作って、組原 ラーニング セ ンターのマー クも考案 して入れ ような どと話 し合っていて、これではとて も裏切れ -20-ない。子 ども図書館については、バ ランガイではボランティアを配置 して くれ るとい うし、サンアン トニオ老人会長 も、アグダオ地区全体の老人会長が
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月に急死 したあ と新会長に決まったよ うで忙 しいのだが、協力 して くれてい る。バ ランガイ とは土地 利用協定を結んで、1
年 ごとに更新 してい く。 これか ら沖縄 でNPO
を立ち上げる予 定であるが、これ らの組織 も関与できるよ うな協定内容に した。ダ ウンタウンの弁護 士事務所で公証 してもらった.私の下宿には、友人である松 山順一 さんが引き継 いで 住んで、この関係 のこともやって くれてい る。松 山さんには、85年 に彼が海外協力隊 員だった ときにブラジルでは じめて会った。農業が専門である。 3.バランガイ裁判傍聴記録抄1
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月7日 朝9時半過 ぎか ら、アグダオ地区サンアン トニオバ ランガイ事務所で調停裁判 を見 学。 2件あ り、 2件 とも被 申立人は同 じ女性であ り、似たよ うな内容であった。調停 員は1名で女性。 ビサヤ語で行われた内容 は、愛 さんによればおおむね次の通 り。 最初の申立人は母親 と娘。主張では、携帯メール にいやが らせの文章が入 るほか、 夫の悪 口を言った り、娘がふ しだ らだ といい、それで娘はいろいろ言われて傷ついた、 と。それに対 して、被 申立人の主張では、悪 口の中には、H とい う別 の女性 を通 して のものがあるが、それは関知 していない、 しか し、直接悪 口を言ったことについては 謝 ります、 と。 申立人 も受 け入れ 円満解決 となった。調停員が書記の女性 に手短 に伝 えると程な く調停書ができて、両当事者がサイ ン した。 申立人はComplaint、被 申立 人はrespondentとされている0 2件 目は、申立人の女性 と、あ と、付 き添い らしい女性。M とい う申立人 によれば、 被 申立人Gは、 1日に30回 も電話 をかけてきて、Mが電話 を使 えないほ どである。そ して、悪 口といやが らせ をば らま く。 これ に対 して、Gによれば、M側が先 に接近 し てきた。Mの夫がGに対 して積極的で、迷惑をこ うむった、 と。 GはM の夫 と2年前 に知 り合 ったが、最初は結婚 していない もの と思わ されていた。Mの夫に対す る しつ けが悪いのも問題である、 と。MによればGはMの近所の人にも電話 をかけた ことが ある。 Gによれば、Mの夫 を助 けているだけです、 と。以前、MはMのすんでいる別 のバ ランガイに訴えたこともあるが不適法で却下 された らしい。それで、今回の訴え となった。MがGに、Mの夫 との関係 は どのよ うなものなのか と問いただ したのに対 して、G
ははっき り言わず、M
の夫か ら直接聞けばいい といって、携帯電話 をかけ始 めたがかか らない うちにもっとちゃん とした手続 きでや りま しょうとい うことになっ て手続 き続行 となった。調停 と言っても2種類 あるよ うだ。mediationと conciliation。バ ランガイの手続 きで解決 しない ものは裁判所に行 く。悪 口関係の事件が一番多いそ うである。全 く噂
に満 ち満 ちた社会 らしい。 11月8日 午後2時にアグダオのサ ンアン トニオバ ランガイ事務所。 2時半頃か らバ ランガイ 裁判 を
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件傍聴。 1件 目は、J
さん とい う女性がBさん とい う男性 を訴 えた。 J
さんは夫 と一緒に着 席 した。調停負 は皆制服 を着た男性 で、4人 もいた。 内容は、ハ ラスメン トである。 申立人のJ
さんによれば、 Bさんは夜 中の2時半頃に、いす にのって、J
さんの家の 窓か ら家 の中をのぞいた ;はっき りBさんだ と分かった、間違 いない。 これに対 して、 被 申立人のBさんによれば :自分は妻子 もい るのでそんなことは していない ;当 日の その時間に妻 と友人のバースデーパーテ ィに行 っていたので妻 も一緒だったのに、な ぜ 自分だけ訴 え られない とい けないのか ;夕方4時頃か ら酒 を飲んでいた。 これ に対 して、J
さん :かつて Bさんの妻 に木 を家 に投げ られた ことがある ;Bさんはガ ラス のない ところか らのぞいていたので、はっき り判別 できた。酒 を飲む と自己制御 でき ない人物である。調停負 の 1人がい うには :今回が初 めての ことではない。子 どもも いるのに、刑務所 に行 った ら誰が面倒見 るのか と、訓戒。結局、2
度 とや らない、そ してお詫びす るとい うことでま とま り、Bさんは立ち上がって謝 り、J
さん夫婦 と握 手 した。 ち ょっ とで書類はできあが りそれ に各 当事者 と4人の調停員が順 に署名 した。 10日後 に調停書がもらえるとの ことだった。 2件 目は、借金 を返 さない金銭 トラブル。 申立人は男性、被 申立人は女性 で、カラ オケをや ってい る。調停負 は、 1件 目の うちの3人。借金額は1190ペ ソ。今は金 はな いので、11月末 に200ペ ソ、残 りは12月 中にバ ランガイに払 う、それ を申立人が受 け 取 る とい うことでま とまる。被 申立人 には子 どもが 3人いて、23歳 と18歳の子 どもが これか らジャバユキ さんになる予定で、すでに手続 きを してい るとい うことだった。 11月9日 9時 にサ ンアン トニオバ ランガイ事務所 に行 く。バ ランガイ裁判 を2件傍聴。 1件 目は、 申立人側 は24歳の男性Clと、そのおば さんC2。被 申立人側 は、20歳男 性(Rl)と16歳男性(R2)、 Rlの母、R2の母。 も う1人被 申立人R3 (23歳) がいる が、欠席。調停負 はバ ランガイキャプテ ン1人。 フィ リピンの成年 となる年齢 は男21 歳、女18歳 である。 申立内容 は、C2の家の窓が鉄棒で割 られた とい うことと、C1は C2宅 に一時滞在 中であるが、Rl、2、3か らリンチ された とい うことである。 Rl、2、 3は今回が初 めてではな く、常習だそ うで、Rlな どは落ち着 き払 っていた。 R1、2は、 窓を割 った ことと、 リンチ した ことは認 めているが、ただ、 どこを誰が殴った とい う 点についてはお互いに責任 のなす り合いを してい る。 Rl、2、3は酒 を飲む。その他、 被 申立人側 は、Rl、2、3がC1に対 して悪 口を言 った とい う点は認 めていないO今回 ー22-は、R3が欠席 したことか ら手続 き続行 となったが、バ ランガイ キャプテ ンは、 Rl、 2、3の行為 は犯罪であるので、刑事手続 きを取 ることもできるとい うことと、Rl、2、 3は別 々のバ ランガイにすんでい るが、そのいずれ のバ ランガイ に訴 えるこ とも可能 であるとの説明を した。 2件 目は、借金 を返 さない とい う申立。 申立人は、夫(cl)と妻 (C2)、被 申立人R は、Clのい とこの嫁 さん。調停員はや は りバ ランガイキャプテ ン1人。 申立内容 は、 CらはRに、96年に 1万5000ペ ソ貸 した ;その後Rは5000ペ ソ返 したが、 Cらは98年 にまた5000ペ ソ貸 したので、 1万5000ペ ソが返 されないままになってい るとい うもの である。 Rは借 りた金 を又貸 しして利子 でも うけている。 この件 について、Cらは一 度訴 えたが、ちゃん と調停書 を受 け取 らなかった。 しか しや っぱ り請求す るとい うこ とで再び今回訴 えた。 Rは返 さなかった理 由 として、子 どもが入院 した ことをあげて いる。その他 にRは、 Cらの養子に1000ペ ソ返済 したほか、何度 も少 しずつ支払 って、 現在の残額 は6038ペ ソである と主張 している。 Cらはこれ を争 っている。バ ランガイ キャプテ ンは様 々な返済秦 を次々に出 したが、 RはなかなかOKせず、そ して、 Cl には払 って もC2には絶対払わない とい う。結局 Cらは解 決す るな ら5000ペ ソでいい といい、毎月末 に200ペ ソずつ支払 ってい くことで合意ができた。
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月1
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日 9時半か ら、サ ンアン トニオバ ランガイ事務所で調停裁判見学。 申立人 Cも被 申立 人Rも若い女性で、友人のよ うに見える。裁判の場でも雑談 していて、とて も申立人 ・ 被 申立人 の関係 には見 えない。 CはRに1500ペ ソ貸 したが、700ペ ソ しか返 さないの で、8月14日にバ ランガイ裁判の結果、 9月15日か ら少 しずつ返す ことになったが、 返 さないので申 し立てに及んだ。 キャプテンはRに 5日以内に返す よ うに といったが、 Rは今金がないので返せない と。そのかわ りRはカメラを持 ってきていた。 キャプテ ンがオー クシ ョンにかけるといった らCがカメラがほ しい とい うことで、値段交渉が 始 まるO は じめ1500ペ ソとRが提示 した ら、 Cは高い と。800で ど うか とい うと今度 はRが安い と。 1200、1000と順 に提示 されたあ と、1100ペ ソでま とまった。 12月23日 に、Cはバ ランガイ事務所で300ペ ソと引き替 えにカメラを受 け取 る。 あ と、家が焼 けたので焼失証明書を出 してほ しい とい うお願 い と、バ ランガイ警備 隊負 になるための講習 を受 けたい とい う相談等があった。 バ ランガイ裁判は、 申し立て費用50ペ ソだが、実際には払 えない人が多 く、その場 合 タダでや っているそ うである。1
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日 10時か ら、サ ンアン トニオバ ランガイ事務所で調停 を傍聴。カ トリック教会付属 の 学校の隣にある自動車工場のペ ンキの臭いやび ょう打 ちや ラジオの騒音 に対す る対策を求めたものだった。被 申立人側か らは さしたる異議 もな く、和解案が成立 した。利 害関係 人 として来ていた近所 のAmelioV Salvador氏 (PrudentialifePlansとい う 保険会社勤務の人)が調停後、一緒に近 くの小学校 に行 こ うと誘 う.歩いてす ぐo校 長室に行 った ら、女の先生はさっそ く、何 を援助 してもらえますか と来た。校長室に
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台 コンピュータがあ り、若い先生 と生徒2
名が使 っていたので、聞いてみた ら、こ こは貧 しい地区だが、小学校の時か らコンピュータ教育を しよ うとい うことになって、 予算 申請 しているがなかなか もらえなくて、この 1台 しかないのだそ うである。何台 でもいいが、 もし援助 してもらえるな らとてもうれ しい とのことだった。そのために コンピュータ専門の先生 も雇 ったのだそ うである。面白い話ではなかろ うか。沖縄か ら送れ るか も しれ ない と思 ったが、税金 の こととかい ろいろあ ることを言 うと、 salvador氏は、氏の奥 さんの兄弟が税関で、相談に乗って くれるとのことである。小 学校のあと、同氏の自宅にも連れて行かれた。バ ランガイ事務所の裏が今 日の調停の カ トリック教会であるが、同氏の 自宅はそのす ぐそばで、教会は見えたが、 自動車工 場は裏側 になるそ うで見えない。奥 さん も紹介 された。広い家で、カローラがあった。 使用人 も2人いた。お金持 ちと思われ る。 こんなに金持 ちな ら、 自分で援助 した らよ さそ うなものだが。1
月31日 今 日の事件 は、ちょっと変わっていて、学校の生徒がイ ンターネ ッ トカフェに出入 りす るとい うことで親 か らpTAに苦情がいき、 PTA会長 (この前調停 で会った血elioVSalvador氏)か ら訴 えた ものである。相手方 として、 2つのイ ンターネ ッ トカフェの経営者たちが来ていた。生徒 は、 8時か ら5時までは学校があ り、 リサー チか、ない しは先生 と一緒に授業の一環 としてでなければインターネ ッ トカフェに来 れないはずである。 店側 によれば、クラスがあるときでもない と言 ってくるか ら分か らないそ うである。 バ ランガイの調停員の意見は、学校があるときは店に入れ るべきではな く、学校か ら 生徒 にもきちん と話すべきであると。昼 ご飯 を食べずに通 う子 もいるとい うことであ る。だか ら昼休み もあま りよくない と。進級できなかった子 もいる。店側 の言い分は、 生徒は とにか くリサーチがあると言って くる し、入れないように しても別の店に行 く か ら、何 も変わ らない。入れなければ商売ができない し、基本的にこれは親 の責任 で はないか。 PTA会長が言 うには、親の責任 といっても、仕事があるか らいつ も見て いるわけにはいかない。おばさんの調停員が、昔はインターネ ッ トなんかな くて、制 服で うろ うろ しているだけで怒 られたのに、今は、私服 を鞄に入れて着替 える、 とい う。バ ランガイキャプテ ンの奥 さんも出席 していて (親 として)、イ ンターネ ッ トで いい ことは何 もない、食べない し、勉強 しない し、家には帰ってこない し、 と一番強 硬な意見を述べる。 - 2
4-結局、店側 が、学校 を休んで くる子 は入れない、それで も来た ら両親 に知 らせ ると い うことになった。休み時間に来た場合 出入 りをチ ェック し、子 どものサイ ンを取 る。 テス ト期間中はハー フデーだが、昼か ら勉強 しない とい けないか らダメ。昼休み と5 時以降は基本的に学校 ではな く親の責任 である。学校で も今度2月27日のPTA会議 でこの件 を報告す る。以上。 3月1日 申立人が欠席 で、被 申立人、その友人 と、友人の母親 が出頭。被 申立人の言い分は 次の通 り。被 申立人 は ドライバーで、木 ・金 ・土 ・日と