私の回想(杉山) 四四九 私の回想(杉山) 四四九
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(2) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 四五〇. えて頂きました︒但しその頃の私には法史学は何と手数のかかる難解な学問だろうぐらいにしか考えることが出来ま. せんでした︒この年の十二月に日本は米英などと戦争に入り︑翌年には初空襲がありました︑私たちは大いに張り切. ってとびまわったりして居りました︑戦争の恐ろしさなどを︑まだ感ずる事が出来なかったのです︒繰り上げ卒業で. 一九四三︵昭和十八︶年九月に卒業をし︑半年たたない内に北支派遣の春二九八一部隊に現役兵として入営しまし. た︒任地は万里の長城がすぐ近くをはしる景色の良い所でしたが︑相手は精強をもってなる共産第八路軍で︑まだ一. 本立の兵隊にならないうちから戦死者が出るしまつに︑果して無事で再び東京の土がふめるかと思うと︑望郷の念に. 居ても立っても居られないこともありました︒甲種幹部候補生になり︑旅団討伐の途中から東京の陸軍電波兵器練習. 部へ入学の命令が下り︑雲の上を歩く様な気持で︑国分寺の同部に入学しました︒やる事は電波兵器で法学部出身の. 私にはチンプンカンプンで大いに閉口しましたが︑ビリでも︑どうにか卒業し見習士官になり︑任地の名古屋で敗戦. をむかえ少尉の軍服を着けて︑帰京いたしました︒まっ先に母校にとんで行き︑江家先生にお会い出来た時は涙が出 るくらい嬉しい気がいたしました︒. 復員の時︑陸軍から千円近いお金をもらったので︑これだけあればと渋る母親をくどき大学院に入学しました︒し. かしインフレの進行などで経済生活はメチャメチャになってしまいました︑一九四六︵昭和二一︶年から特別研究生. として文部省が若干研究費を出してくれたので大変助かりました︒翌年に助手にして頂き︑法史学の勉強に専念する ことになり︑手あたり次第歴史の本を乱読しました︒. 一九四九︵昭和二四︶年︑新制大学発足と同時に﹁講師﹂になり法学部の日本法史のゼミおよび文学部の﹁法学﹂.
(3) の講義を担当いたしました︒この頃どう考えても納得出来ない疑問があり︑勇を鼓して仁井田陞先生を訪ね︑疑問と. 思っていることを尋ねましたところ︑長時間にわたり教え下さいました︒この時の感激は今でも忘れません︒また石. 井良助先生は︑論文の一字一句をなおして下さいました︒有難いと思いました︒いま︑その先生方の年頃に私もなり ましたが︑後輩諸君にどれだけのことが出来ているかを考えますと漸憶にたえません︒. 一九五二︵昭和二七︶年︑助教授になりましたが︑この年の初冬︑母を亡くしてしまいました︒一九五六︵昭和三一︶. 年︑教授になり若干生活も安定し︑研究に講義にと日々を送って居りましたが︑世間の方では安保条約問題に至る前. ゆれになる様な事がずい分起って来ており︑学内においても民主化の運動が活濃になり︑それらについての教員のグ. ループが種々の活動を始めました︒六〇年安保の経験により早稲田でも﹁組合﹂をつくらなければとのうごきがあ. り︑私も御手伝をし六一年には﹁教員組合﹂が出来ました︒﹁組合﹂誕生をみながら一九六二︵昭和三七︶年三月在外. 研究のため神戸から貨物船でハンブルクに向い︑この年はミュンヒェンに居りました︒帰りもアメリカをまわり︑こ れまた貨物船で翌年の早春帰京いたしました︒. 学校へ還って来たら︑当時の有倉第二法学部部長から教務主任をやれと言われ︑他ならぬ有倉先生からの命令なの. で︑教務主任をやりましたが︑この間に大学騒動があり︑あげくの果には一九六六︵昭和四一︶年の六年から九月まで. 第二法学部長にさせられてしまいました︒また大学院委員として︑この頃委員長の外岡先生の御手伝をして居ります︒. ﹁組合﹂のおかげで︑学部外にも心を許せる多くの友人が出来︑その連中にすすめられて一九七〇︵昭和四五︶年. 四五一. には︑教員組合の執行委員長になりましたが︑この年︑それまでの論文を集めて一冊の本にし︑これによって法学博 私 の 回 想︵杉山︶.
(4) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 四五二. 士の学位をいただきました︒一九七二︵昭和四七︶年には︑大学院法学研究科委員長になり︑大学院間題について委. 員の中山和久教授などと大いにふんばりました︒一九七九︵昭和五四︶年には法制史学会の理事に選出され現在に至 っております︒. おかげ様で三人の孫にめぐまれ︑また数匹の猫や犬にかこまれて居りますし︑学部や大学内外の先生方や︑また日. 本法史研究室の後輩の諸君と学問のみならず他の生活も楽しくのびのびやって居ります︒法史学の研究は︑これから. が本番だし︑お迎えが来るまでは︑研究者としては現役だと思って居ります︒また私は︑私たちが参加したあの戦争. で亡くなった多くの方々の代りに戦争の無惨さなどを若い人々に伝え︑これからの人生を少しでも戦争反対のお役に 立つよう頑張っていくつもりで居ります︒こんごともよろしくお願いいたします︒. ︵おわり︶.
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