• 検索結果がありません。

Ⅰ. はじめに私は今回 いわゆる 地域政党 と呼ばれている政党を取り上げる 地域政党とは国の一部の地域で活動する政党又は政治団体のことを指し 便宜上 政党 という呼称は使っているが 政治団体のうち 所属する国会議員 ( 衆議院議員又は参議院議員 ) を 5 人以上有するものであるか 近い国政選挙で全

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Ⅰ. はじめに私は今回 いわゆる 地域政党 と呼ばれている政党を取り上げる 地域政党とは国の一部の地域で活動する政党又は政治団体のことを指し 便宜上 政党 という呼称は使っているが 政治団体のうち 所属する国会議員 ( 衆議院議員又は参議院議員 ) を 5 人以上有するものであるか 近い国政選挙で全"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

『「首長新党型」地域政党勢力拡大の理由 ~「地域密着型」地域政党との比較で探る』 一橋大学 社会学部3 年 4109193A 堀江梨沙 〈目次〉 Ⅰ.はじめに Ⅱ.「地域密着型」の政党が誕生した背景 (1)1990 年代における自民党の弱体化 (2)無所属議員・首長の増加 Ⅲ.従来型の「地域密着型」政党の検討 (1).生活者・市民ネットワークの活動 (2)沖縄社会大衆党の取り組み (3)従来の地域政党が抱える共通課題 Ⅳ.「首長新党型」の地域政党の台頭~大阪維新の会と減税日本を軸として (1)二党の性格の違い (2)二党の共通点 (3)「首長新党型」地域政党躍進の理由 Ⅴ.「首長新党型」の地域政党が抱える問題点 (1)二元代表制が崩れる危険性 (2)大選挙区制と親和性がない「首長新党型」 (3)首長への依存度の高さ Ⅵ.おわりに

(2)

Ⅰ.はじめに

私は今回、いわゆる“地域政党”と呼ばれている政党を取り上げる。地域政党とは国の 一部の地域で活動する政党又は政治団体のことを指し、便宜上「政党」という呼称は使っ ているが、「政治団体のうち、所属する国会議員(衆議院議員又は参議院議員)を5 人以上 有するものであるか、近い国政選挙で全国を通して2%以上の得票(選挙区・比例代表区い ずれか)を得たもの」という公職選挙法における政党の定義を満たしている団体はないた め、実際は地方政治団体に留まっているというのが現状である。 最近地域政党として注目されているのは、大阪市長の橋下氏が率いる「大阪維新の会」 や、名古屋市長の河村氏が率いる「減税日本」である。しかし、地域政党と呼ばれる政党 自体は最近になって登場したものではなく、以前から存在してきた。なお、「地域政党」と 一括りに呼ばれる政党の中にも、神奈川ネットワーク運動に代表されるような「地域密着 型」の政党から、大阪維新の会に代表される「首長新党型」の政党までそれぞれの党に特 色がある。 しかし、地方議会において地域政党の議員が占める割合が現在のように大きくなったこ とはない。そのため今回は、従来の「地域密着型」の政党の活動と、現在の「首長新党型」 の地域政党と比較することにより、現在地域政党が勢力を伸ばすことができた理由を探っ ていく。なお、「首長新党型」と呼ばれる地域政党については近年登場した形態の政党であ るため、従来の地域政党との比較をする先行研究は少なく、この論文を通して勢力伸長の 新たな理由を見つけることを目標としている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Ⅱ.「地域密着型」の政党が誕生した背景

(1)1990 年代における自民党の弱体化 1980 年代前半まで、日本の地方政治は、国からの裁量的な補助金に地方自治体が大きく 依存する状態であった。そのため、地方自治体にとっては、その補助金の配分に裁量を持 つ政権党である自民党と深い関係を結ぶことが重要であった。実際に、有力な自民党議員 の地元自治体や自民党議員の数が多い地方自治体に優先的に補助金が配分され、補助金を 手厚く受けた地域では自民党の得票率が高くなるという現象が起きていた。 しかし、1980 年代後半以降から進められた補助金の改革によって、国から地方自治体に 対する裁量的な補助金の規模は縮小した。このことは、中央で決定される地方の事業の比 重が下がり、地方自治体の一般財源によって行う事業が拡大することを意味する。地方の 利害に基づいて財政資源の配分が行われる余地が拡大すると、住民にとっては、前述した ように地方選挙において自民党議員に対して投票するインセンティブが薄れるため、地方 議会における自民党議員の数は減少する。 下のグラフは1969 年から 2006 年までの都道府県議会、全国市議会における党派別の人数

(3)

を表したグラフである。ここから、自民党が現代に至るまで、大きく議員数を減らしてい ることが分かる。 【都道府県議会議員の所属政党別人数】 自民 社会・社 民 民主 公明 共産 民社 諸派 無所属 1969 1655 553 104 54 107 51 106 1977 1655 437 196 112 105 103 138 1984 1607 394 216 106 104 80 365 1989 1440 469 217 141 101 50 426 1995 1407 306 188 114 2 115 649 2002 1335 89 193 194 176 109 699 2006 1268 57 443 207 115 544 資料出所:1995 年までは自治省選挙部「選挙時報」、2002 年、2006 年自治省・総務省ホームページ(そ れぞれ12 月 31 日現在) 【全国市議会議員の所属政党別人数】 自民 社会・社民 民主 公明 共産 民社 諸派 無所属 1969 3479 1859 1202 650 473 51 10052 1977 2332 2062 1776 1387 591 80 11691 1984 2410 1947 1852 1592 701 50 11279 1989 2260 1880 1924 1711 659 46 10749 1995 1730 1415 1799 1690 578 197 11865 2002 1550 501 540 1925 1882 231 11693 2006 1344 327 918 2145 1876 182 13340 資料出所:1995 年までは自治省選挙部「選挙時報」、2002 年、2006 年自治省・総務省ホームページ(そ れぞれ12 月 31 日現在) (2)無所属議員・首長の増加 これらの図から、自民党が減少するのと反対に、無所属議員の数が増加していることも 分かる。これは、自民党の力が弱まることにより無党派層が増加したと考えることができ るのではないだろうか。実際に無所属の議員が増加していることから、地方の住民は議員 が既存政党と結びついていることをあまり重視していない事が分かる。神奈川ネットワー ク運動に代表される地域密着型の地域政党は、無党派層でありながらも、地元の政治に感 心を持っている層に受け入れられたのではないかと推測することができる。

(4)

また、1995 年の統一地方選挙では、東京都の青島幸男、大阪府の横山ノック、三重県の 北川正恭などが無党派を標榜して勝利を収めたということも既存政党にはないものを求め る国民の意見が反映された形だと考えることができる。砂原庸介は、これらの「無所属知 事の勝利は、知事選挙に大きな影響を与え、中央とのリンクを強調して自民党の看板を掲 げることよりも、無党派を標榜して既存政党との違いを強調する方を選挙戦略として重要 視する流れができた」iと述べている。 このことから、従来型の地域政党は、利益誘導政治の終焉によって生じた地方における 自民党の勢力の弱体化を背景に、既存政党との違いが求められる中で登場したと推測する ことができる。

Ⅲ.従来型の「地域密着型」政党の検討

前章では利益誘導政治の衰退から地方における自民党の勢力が弱まったことにより、逆 に「既存政党との違い」を求める声が高くなった事が分かった。この章では、その流れの 中で「新しい政治活動の形」として登場した生活者・市民ネットワーク運動と、戦後間も ない時期から沖縄の日本復帰を目指して「土着型」の政党として登場した沖縄社会大衆党 の活動について取り上げる。そして、これら従来型の地域政党が抱える課題について検討 することにより、大阪維新の会や減税日本のように、「首長新党型」の地域政党が議会にお いて多数の獲得した理由を探ることができるのではないかと考えている。 (1).生活者・市民ネットワークの活動 ネットは、都市型コミュニティのネットワーク運動である。生活クラブ生協によって支 えられ、市民によって作られたコミュニティ運動が基盤となっている。現在、ネットワー ク運動から都道府県議会、全国市議会に参加している人の数は以下のとおりである。 【全国議会における市民政治ネットワーク運動所属の議員数】 合計115 人 資料出所:全国市民政治ネットワークホームページ 都道府県議会 市議会 区議会 町議会 北海道 2 7 埼玉 3 千葉 2 16 神奈川 1 17 2 東京都 3 32 19 長野 3 1 福岡 5 1 熊本 1 合計 8 84 19 4

(5)

この市民ネットワーク運動は、「代理人運動」という形式をとり、主婦を主体とした生活と 密着した「生活政治」と言われる政治を行なってきた。代理人運動とは、消費者・納税者・ 生活者がネットワークを作り、生活者の「代理人」としての議員を議会に送り出す運動の ことである。この運動は、代理人である議員を最長でも3 期 12 年までで交代させることに よって、議員の特権化せず世代交代を進め、常にその時代の生活のニーズを捉えられるよ うな仕組みを作ったり、議員報酬に応じて市民の活動資金のためのカンパを行うなど、プ ロの政治家によって行われる政治に歯止めをかけ、市民が自分の暮らしている地域に責任 をもって自治していくことを目指している。 生活政治の理念のもとに展開された代理人運動の成果は大きく、女性たちの生活を変化 させたと同時に、議会や行政の変化をもたらした。例えば、女性たちは自ら調査や市民活 動を通して眼に見えてきた課題を議会や行政との話し合いで解決するようになった。また、 行政では賄えない要求についてはワーカーズコレクティブといった事業体を作り、自ら解 決していくことを目指した。代理人を持つことによって、ネットワーク運動の女性たちは 自らの要求を議会や行政へ反映させられる可能性が高まったと考え、議会と市民活動を横 断しながら活動を行った。 また、当初は単一争点型の運動が主として行われていたネットワーク運動だが、徐々に 地域課題一般に対処できる包括政党へと変化していった。これは、1991 年の統一地方選挙 を境に、地域ネットワーク運動は議員や地域ネットの数が飛躍的に伸びたからである。ま た、「1990 年半ばになると地域ネットワーク運動は、地域ネットごとの政策形成能力を高め ると同時に、ローカルパーティとして神奈川NET への統合も強まる。」(朴 2005)。ii このように、地域ネットワーク運動は、特定の土地における政治のみに固執するのでは なく、国民の生活に根ざした「生活政治」という手法を各地域のネットを通じて全国的に 展開させることを目標としており、国政への参画も視野に入れて活動しているが、未だに 「大阪維新の会」のような大きな影響力は持っていないのが現状である。 ●ネットワーク運動が抱えていた課題 ここでは、1980 年代以降の地域ネットワーク運動の活動を検討し、時代ごとにネットワ ーク運動が抱えていた課題を見つけていくことで、現代の「首長新党型」の地域政党では その課題はどのように解消されているか、あるいは残存されているのかを知るための検討 材料とする。 1980 年代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1980 年代以降に地域ネットワーク運動が掲げていた政治方針は、政治契約という形式で あった。政治契約とは、地域ネットワーク運動が政党ではなく政治家個人と契約を結び、「ア マチュアの手によって国家を制御する道筋を形成する」(1986 年6月 30 日、NET15 号)

(6)

手法である。これは、あらゆる団体と局面によって柔軟に政治契約を結ぶことを可能とす ることにより、既成政党のような硬直化が防がれるという点が利点として行われていた。 また、「この方針は支持政党なし層が圧倒的に多い地域ネットワーク運動が、会員の政党ア レルギーを最小化しながら、政党政治に自らの政治課題を入れ込むための戦略とも捉える ことができる。」(朴 2005)iii しかし、地域ネットワーク運動は政治家個人と契約を結ぶが、多くの政治家は個人とい うより政党に拘束されているため、地域ネットワーク運動の政治的テーマを党や国会で優 先することはできない。また、自民党の一党優位体制の中では、神奈川ネットワーク運動 から議員を議会に送り出しても、1 人会派議員に質問時間はあまり与えられない。つまり、 生活の中から生まれる課題を解決するために政治に参画したとしても、地域ネットワーク 運動が送り出した「無所属市民派」の議員にできることは、行政の情報を市民に公開し、 市民運動の力で行政に働きかけることだけであった。そのため、大きく意見を発信するこ とが出来ず、もともとの支持母体であった生活クラブ生協の外側まで支持基盤を広げるこ とができないという課題があった。 1990 年代以降・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 社会契約による国政への参加が厳しいことを判断し、1997 年に神奈川ネットワーク運動 は、議員や会員の民主党への入党を進める方針を出した。ここでの狙いは、民主党を通じ て地域ネットワーク運動の政策や意見を国政に反映していくことであり、中央政党を通じ た地域課題の解決を目指したのである。しかし、民主党との間に政策的な差異があること を主張した他の地域ネットワークの反発や、民主党における地方政党との役割分担がうま く行かなかったこともあり、国政への進出は失敗に終わった。 ●ネットワーク運動の政治活動が広がらなかった原因 ここでは、地域ネットワーク運動が展開してきた生活政治の理念が、国政参入に生かさ れなかった理由を考える。大きな要因として、「代理人と地域ネット」という仕組みを軽視 し、政治活動の拡大を目指したことによって会員と議員に政治意識の乖離が生じたことが 挙げられる。 代理人を議会に送り出した地域ネットワークは、既成政党に所属しておらず、一人会派 の議員の議会における影響力は小さいということを知った。そのため、議会における影響 力を向上させるために、議員複数化、交渉会派の構成など「数を増やすこと」に全力を尽 くした。実際に、議員を増やすことは、運動の中で浮き彫りになった地域に存在する様々 な政治的課題を解決していく過程で必要なことである。 しかし、地域ネットワーク運動において、議員活動の強化が必ずしも基盤である市民活 動の拡大と連動しているとは言えない。地域ネットワーク運動の趣旨は、市民が地域の政 治へ参加して地域の課題を決めていくことだが、運動が進む中で市民は再び様々な階層に

(7)

分化するのである。例えば、議員や政策担当の役割を担っている人は、比較的多くの時間 を政治活動に費やすため、プロ化していき、普通の会員はその議員や地域ネットワークの 活動を応援する「支持者」となる。これは、「議員と後援者」の関係に近くなることを意味 し、「ネットと代理人」という全員参加型の政治を掲げる地域ネットワークの理念とは反す る構造になる。このことから、「ネットと代理人」という支持母体と近い関係を保ちながら、 議会において勢力を伸ばしたり、国政に視野を広げることの難しさが存在することがわか る。地域ネットワーク運動は、一部の政治に強い関心のある活動家の会員は強い連帯を持 つ組織を創り上げたが、そこに会員を巻き込むことは出来なかった。地域の人々の生活に 基盤を持って形成された団体だからこそ、その基盤と切り離されると政治権力拡大の実現 は難しいということができる。 ●現在の地域ネットワーク運動 現在、地域ネットワーク運動はローカルパーティへ回帰し、議員立法と首長選挙に積 極的に取り組んでいる。首長選挙への取り組みは、国政参加の失敗からの方針転換として、 地域ネットワーク運動の問題解決能力を高める手法として進められているが、未だに成功 例はなく、自前の候補を出して首長の座を奪い取ることの難しさを示している。今後こう した方針がどのように展開するかは観察する余地がある。 (2)沖縄社会大衆党の取り組み 地域ネットワーク運動が特定の地域に限った活動にとらわれず、主婦によるコミュニテ ィを基盤に、生活の中で勢力を広げ、国政に参加することを目指したのに対し、沖縄社会 大衆党は沖縄の日本本土への復帰を唯一最大の目的とした「土着政党」として1950 年に誕 生した。そのため、沖縄の本土復帰が果たされた際にはその役割を終えると思われていた が、日本に復帰した際も住民が望んでいた「無条件全面返還」でも「核抜き本土並み復帰」 でもなかったため、更に「県民開放のための運動」を継続することを決定した。 本土に復帰したことにより、多くの政党は本土政党へ系列化されていったのに対し、沖 縄社会大衆党は、土着政党として議会の中で自立した立場を維持することになり、現在も 活動を続けている。しかし、沖縄が復帰する以前よりも、本土系列の党の発言力が強くな っていた。 このような状況で沖縄社会大衆党が担っている役割を、彼谷環は論文中で「『沖縄住民全 体の調和と統合の実現』を目的とする社大党(沖縄社会大衆党)が、沖縄の特殊な利益を まとめるという観点で他の革新野党との間のパイプを果たしている」ivと指摘している。 つまり、沖縄社会大衆党は、既存政党に所属しないことによる発言力の低下を、超党派 的に国民の生活を考える視点を持ちながら他の既存政党をまとめていくことにより、「土着 政党」としての存在感を確保してきた事がわかる。 しかし、現在も沖縄県議会においては沖縄社会大衆党所属の議員は48 人中 5 人のみであ

(8)

り、議会において勢力を拡大できないという課題は抱えている。 (3)従来の地域政党が抱える共通課題 前項で、地域ネットワーク運動と沖縄社会大衆党という二つの地域政党の取り組みにつ いて考えてきたが、ここから、従来の地域政党が共通して抱えていた課題について検討す る。どちらの政党にも共通する課題として、既成政党の後ろ盾がなく、議会に送り出せる 人数も少ないことによる議会における発言力の低下というものがある。そして、この課題 を地域ネットワークは、自らが推薦する首長を誕生させることにより解決しようとしてい るが、未だに成功はしていない。一方で、沖縄社会大衆党は、「土着政党」ならではの視点 を生かし、他の野党をまとめる役割は果たすことでこの課題を乗り越えようとしている。 では、現在勢力を伸ばしている「首長新党型」が議会で勢力を伸ばしているのはどのよ うなことが理由となっているのだろうか。この章で明らかにされた従来の地域政党の抱え る課題を明らかにした上で、検討していきたい。

Ⅳ.「首長新党型」の地域政党の台頭~大阪維新の会と減税日本を軸として

ここでは、前章で述べたような地域政党の課題を乗り越えて登場した新たな形式の地域 政党である首長新党型の政党について詳しく検討していく。特に、近年勢いを増している 大阪市長の橋下氏が率いる「大阪維新の会」と、名古屋市長の河村氏が率いる「減税日本」 を首長新党型の代表的な党とし、それぞれに見られる共通点や相違点について考える。 まず、それぞれの党の結党理念や主要政策から、党の位置づけについて考えていきたい。 【大阪維新の会】 ホームページに掲載されている基本的立場と理念は以下のとおりである。 「ローカルパーティ『大阪維新の会』」は、国の政党とは一線を画し、国の政党の枠組み にとらわれない政治団体である。設立目的は、『広域 自治体が大都市圏域の成長を支え、 基礎自治体がその果実を住民のために配分する』新たな地域経営モデルを実現することで ある。福祉、医療、教育、安心・安 全等に係る住民サービスの向上こそが地方政府の存在 理由であるが、そのためには、圏域の競争力の強化と成長が不可欠なのである。「大阪維 新の会」は、『大阪再生マスタープラン』が示す大阪の危機と潜在可能性、大阪再生の枠 組み、また、政策マニフェストに賛同する者により構成され、『大阪再生マスタープラ ン』 に掲げる新たな大都市自治制度を実現するための活動母体となる。」v この基本的立場から、大阪維新の会は、大阪という地理的特性を意識しながらも、市民 の生活の中で現れてきた課題を解決するという下からの要請を達成するべく誕生した地域 ネットワーク運動のような党ではなく、「新たな地域経営モデルを実現し、それを住民に還 元する」という理念に共感して集まった政治家達による上からの改革を目指す政党である

(9)

ことがわかる。 【減税日本】 主要な政策としてホームページに掲げられているのは以下の4点である。vi ①各種減税の実現 地方税を 10%、消費税を 1%減税することを目指し、財源は全て行財政改革によって賄 うとする政策。 ②議員のパブリックサーヴァント化 議員の家業化、指定制化をストップし、報酬を下げることを目標とする。 ③心の住民自治の推進 学区単位の地域委員会に予算と権限を与え、住民に身近な公共サービスを住民自身の手 で築かせる。また、寄付文化の醸造により税金ではなく寄付で行政の一部が賄われる社会 を作ることを目指す。 ④税源、課税権の異常を含む地域主権の推進 国から地方への税源移譲により、地方の政治を強化する。 上に挙げた減税日本の政策を見ると、名古屋という地域と密接に関わる政策ではなく、 普遍的な「減税」という目標を第一に掲げている政党であり、「地域政党」としての特色が 薄い正当であることが分かる。また、この減税日本の党としての政策は、河村氏が名古屋 市長に立候補する際に掲げたマニフェストと大部分で重複する。つまり、減税日本は首長 である河村氏のマニフェストを実現するための政党という側面が大きいということができ るだろう。 (1)二党の性格の違い 前に上げた政策を比較すると、大阪維新の会は基本的立場において「ローカルパーティ」 ということを強調しており、政策も既存政党とは異なり、大阪という地域性を政治の中に 組み込んでいくことを重視していることが分かる。一方で、減税日本は愛知や名古屋に固 有の政策を唱えるのではなく、河村氏が主張する「減税」という普遍的な目標のもとに集 まった地域的な特色を持たない政党であることが分かる。 (2)二党の共通点 二つの党で共通しているのは、どちらの党もポピュリスト的な党首が大きな発信力を持 っており、その党首が掲げるマニフェストを実現することを党の存在意義の第一義として 掲げている点である。 また、これら二つの党には、選挙をパフォーマンスとして利用し、都道府県議会と市議

(10)

会の両方で勢力を拡大してきたと同時に、「政令指定都市」と「都道府県」という二段階で 首長を政党から出しているという共通点もある。例えば、河村氏は自らの「市民税10% 削減」などの政策が名古屋市議会の反対と修正を受けると、市議会解散のリコール請求運 動を組織し、自らも視聴を辞職することで、愛知県知事選挙と、名古屋市長選挙・また、 市議会の解散請求の是非を問う選挙を同時に行った。その結果、河村氏と連携を表明した 大村氏が愛知県知事選に当選し、名古屋市長には河村氏が再選し、市議会の解散も成立と いう結果になった。そして、その後に行われた名古屋市議会議員選挙では、河村氏が率い る「減税日本」は、改選前の1議席から28 議席となり第一党に躍り出た。 また、氏も同様に、知事に就任してから結成した大阪維新の会で、2010 年 4 月の統一地 方選挙では大阪府議会109 人中 57 人、大阪市議か 86 人中 33 人を当選させ、一大勢力を 築き上げた。また、大阪市長選挙に自ら出馬し、大阪府長にも大阪維新の会の幹事長であ る松井氏が当選した。 (3)「首長新党型」地域政党躍進の理由 では、なぜ地域政党がこれほどまでに躍進したのだろうか。この理由としては3点考え られる。①政権交代によって民主党が政権党になったにもかかわらず、生活が大きく変化 しないことに不満を持っていた無党派層が、第三の選択肢として地域政党を選択したこと。 ②「減税」や「大阪都構想」など分かりやすい事柄を争点化したこと。③ポピュリスト的 な代表を掲げている上、その代表が首長に就任しているため、党としての意見を発信する 場が多くあることである。 今回は特に③に関して注目したい。前章で、従来の地域政党が抱えている問題点は、議 会において議席が獲得できず、発言力が低下している点にあった。しかし、「首長新党型」 の地域政党では、首長が主導的に結成した政党であるため、地域政党でありながら議会に おける発言力を確保できる点に大きな強みがある。このことは、地域政党が推薦する首長 を議会の長に据えるという地域ネットワーク運動が行おうとしていたことが、首長が主導 的に地域政党を作ることによって、結果として実現した例だと考えられる。 つまり、「首長新党型」の地域政党が都道府県議会、市議会で議席を多くとり、勢力を増 すことができた原因は、従来の地域政党には出来なかった大々的な政党の意見発信を、首 長を通じて行うことができた点が大きいと考えることができるだろう。

.Ⅴ「首長新党型」の地域政党が抱える問題点

(1)二元代表制が崩れる危険性 首長新党型の地域政党は、首長と地方議会が一体化することによって、迅速かつ抜本的な 改革が行われるのではないかという期待を抱かれている。しかし、一方で「地方の二元代 表制危うくなるのではないか」という危惧がある。(河村 2011)viiつまり、議会の多数派 を首長の政党が占めることにより、議会がチェック機能としての果たすことができない危

(11)

険性があるということである。特に、既存政党などに所属している人が多くいる市区町村 長と異なり、都道府県知事は無所属がほとんどである。このことは、都道府県議会におい て議会のチェック機能としての役割が重視されていることを表していると考えられる。現 状として議会の多くを地域政党が占めている以上、選挙を通じて国民が担うチェック機能 の役割も大きくなるのではないだろうか。 (2)大選挙区制と親和性がない「首長新党型」 地方議会議員選挙は複数人区制を原則とする「大選挙区制」である。これは、幅広い住 民から得票を得なければならない小選挙区制と違い、一定の支持者を集めることさえ出来 れば議席を獲得することができる。そのため、国政政党が議論しない「隙間」を訴える特 定争点を訴えることで票を集める地域密着型の地域政党には有利に働く。しかし、現在の 特定争点が解消され首長が安定した議会運営を目指す立場になった時、首長新党型の政党 には特定争点を打ち出すことができなくなるため、不利になるだろう。(河村 2011)viii (3)首長への依存度の高さ これは、政党の勢力を伸ばした人気がポピュリスト的な首長の人気に大きく依存してお り、地域政党としての政策的な個性が、首長の掲げるマニフェストと連動した形のみでし か打ち出されていない点がある。そのため、首長の支持率が下がったり、辞任したりした 時に勢力が弱体化する危険性がある。

Ⅵ.おわりに

この論文では、地域政党と呼ばれている政党に関して、従来の「地域密着型」と現在勢 力を増している「首長新党型」という二つの類型に分けて検討してきた。そして、「首長新 党型」の政党が現在勢力を増している理由はどこにあるのかを、従来の地域政党との比較 を通じて考えた。その中で、二類型の大きな違いは、「地域密着型」の地域政党が議会にお ける発言力を確保するのが困難で、支持基盤以外の市民の勢力を拡大できなかったのに対 し、「首長新党型」の地域政党は結党当初からポピュリスト的な首長が党の意見を発信した ことにより、党の政策が多くの人に認知された点にあることが分かった。また、政権交代 によって政治の変革を期待していた国民が失望し、自民党でも民主党でもない第三の選択 肢を切望していた国民の思いと合致したということも首長新党の躍進の追い風となったと いえるだろう。 しかし、「首長新党型」の政党には最後に扱ったような課題も多い。特に、首長が議会第 一党の政党の党首であることは、地方における民主主義に支障を来す可能性もある。ただ、 これまで国民が求めていた変革を実現する可能性を秘めていると考えられる。そのため、 この論文を執筆している時点では、まだ首長新党の勢いは増しているが、今後首長の動向 によって首長新党型の地域政党がどのように変化していくのかに、継続的に注視していく

(12)

べきであろう。 i砂原庸介「地方における政党政治と二元代表制」『レヴァイアサン』47 号、2010 年、94 頁。 ii朴姫淑「地域ネットワーク運動における生活政治の拡大と障害」『ソシオロゴス』29 号 2005 年、172 頁。 iii朴姫淑、前掲書、175 頁。 iv ・彼谷環「地方の『声』を聞く組織」『法学セミナー』1993 年 9 月、22 頁。 v 大阪維新の会 HP〈http://oneosaka.jp/about/〉参照 vi 減税日本 HP〈 http://genzeinippon.com/〉参照 vii河村和徳「地域政党の新時代到来?」『地方自治職員研修』2011 年 4 月、34 頁。 viii 同上、33 頁。 文献リスト ・浅野詠子「地域政党「維新」が大躍進、試される府市再編での住民参加」『地方自治職員 研修』2011 年 6 月、50-52 頁。 ・小沢隆一「いま『民主主義を鍛え直す』ということ」『前衛』2011 年 10 月、194-205 頁 ・河村和徳「地域政党の新時代到来?」『地方自治職員研修』2011 年 4 月、32-34 頁。 ・彼谷環「地方の『声』を聞く組織」『邦楽セミナー』1993 年 9 月、18-22 頁。 ・砂原庸介「地方における政党政治と二元代表制」『レヴァイアサン』47 号、2010 年、89 -107 頁。 ・住沢博紀「地域政党と移行期の民主主義」『政策科学』2004 年 3 月、21-39 頁 ・高寄昇三『翼賛議会型政治・地方民主主義への脅威』公人の友社、2011 年。 ・朴姫淑「地域ネットワーク運動における生活政治の拡大と障害」『ソシオロゴス』29 号 2005 年、163-179 頁。 ・御厨貴『変貌する日本政治』勁草書房、2009 年。 ・森正「地域政党の行方が政治改革の試金石となる」『エコノミスト』2011 年 3 月 29 日、 80-87 頁。 ・矢部拓哉「地方自治の変動を考える」『住民と自治』2007 年 11 月、26-33 頁。 ・山田達也「「地域政党」の動向」『都市問題』1995 年 7 月、57‐67 頁。 ・総務省HP「地方公共団体の議会の議員及び長の所属党派別人員調等」(平成22 年 12 月31 日現在)(アクセス:2012 年 3 月 20 日) 〈http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/chihou_h17/index.html〉 ・大阪維新の会HP「大阪維新の会とは」〈http://oneosaka.jp/about/〉(アクセス:2012 年

(13)

3 月 20 日)

・沖縄社会大衆党HP〈http://www.okinawashadai.com/〉(アクセス:2012 年 3 月 20 日) ・減税日本HP〈 http://genzeinippon.com/〉(アクセス:2012 年 3 月 20 日)

参照

関連したドキュメント

第四。政治上の民本主義。自己が自己を統治することは、すべての人の権利である

結果は表 2

大統領を首班とする文民政権が成立した。しか し,すでに軍事政権時代から国内各地で多発す

他方, SPLM の側もまだ軍事組織から政党へと 脱皮する途上にあって苦闘しており,中央政府に 参画はしたものの, NCP

 過去の民主党系の政権と比較すれば,アルタンホヤグ政権は国民からの支持も

税法律主義の適用であるが,国家の側からすれ いとする「適正手続の保障の原則」が挙げられ

供することを任務とすべきであろ㌔そして,ウェイトの選択は,例えば政治

して活動する権能を受ける能力を与えることはできるが︑それを行使する権利を与えることはできない︒連邦政府の