軽 太 子 物 語 論 1 『 古 事 記 』 の 構 造 に 関 連 し て 1
27
0
0
全文
(2) 80. 早稲田商学第305号. おほまへ. かく. をまへ寸くね. かなとかげ. かど. こ. いた. ひさめム. かれ うた. まかたでまゐ止昔い. 前小前宿彌の家を囲みたまひき︒爾に共の門に到りましし時︑犬く氷雨零りき︒故︑歌日ひたまひしく︑. 大前 小前宿彌が 金門蔭 かく寄り来ね 雨立ち止めむ. みやひと. 宮人の. あゆひ. 仁すず. かk. 落ちにきと. 正やひとぶり. 脚結の子鈴. みやひと. まゐき. 里人もゆめ. さとぴと. まを. 宮人とよむ. お悟きみ. いろ世. そ一いく吉. や. とうたひたまひき︒爾に共大前小前宿爾︑手を挙げ膝を打ち︑藤ひ詞那伝︑歌ひ参来つ︒其の歌に日ひしく︑. も. や. わら. あれ. たてまつ. といひき︒此の歌は宮人振たり︒如此歌ひ参帰て白しけらく︑﹁我が天皇の御子︑伊呂兄の王に兵をな及りたまひ. 一砲. まゐで. た. ﹄まつ. 一コ. た. そ︒若し兵を及りたまはぱ︑必ず人咲はむ︒僕捕へて貢進らむ︒﹂とまをしき︒爾に兵を解きて退き坐しき︒故︑. をとめ. なが. さ. 波佐の山の. 軽嬢子ども. は. 鳩の. 下泣きに泣く. Lた. 大前小前宿彌︑其の軽太子を捕へて︑率て参出て貢進りき︒其の太子︑捕へらえて歌日ひたまひしく︑ かる. 天飛む 軽の嬢子 いた泣かぱ 人知りぬべL. あまだ. かるをと め. 串. 寄り寝てとほれ い よ. したたにも. とうたひた重ひき︒叉歌目ひたまひしく︑ あまだ. 天飛む 軽嬢子. み. 鳥も使 ぞ. 亡.つ. 拍. 聞えむ時は あまだぷo. 鶴が音の. ふなあま. がへ. こ. わ. 我が名問はさね. わ. たたみ. そと悟Lの. 我が畳ゆめ. こと. 言をこそ. 畳と言はめ. 我が妻はゆめ. とうたひたまひき︒故︑其の軽太子は︑伊余の湯に流しき︒亦流さえむとしたまひし時︑歌日ひたまひしく︑ あまと. 天飛ぶ. はぶ. い帰り来むぞ かたお. 船鉄り ひたぶO. 島に放らぱ. とうたひたまひき︒此の三歌は天田振なり︒叉歌目ひたまひしく︑ おほきま. 王を. しの. 蠣貝に. 加些﹂がひ. あ. あひねの浜の. あしふ. 足踏ますな. う. た. あかして. とほれ. とうたひたまひき︒此の歌は夷振の片下ろしなり︒共の衣通王︑歌を献りき︒其の歌に日ひしく︑ たつく吉. ○ち. 夏草の. げ長 く な り ぬ. 山たづの. 迎へを行かむ. 待つには待たじ. といひき︒故︑後亦恋ひ慕ひ堪へずて︑追ひ往きし時︑歌日ひたまひしく︑. 君が往き. 221.
(3) はつせ. こ. こ. お借を. 大峡には. あ. いくひ. いも. 上つ瀬に も. おも. はたは. だ. 5. た. をを. まくい. ﹂. よみ. .つま. ま. 思ひ妻. LO. 国をも偲はめ. ︵﹃古事記﹄下巻より︶. 読歌なり︒. 家にも行かめ. 斎村には 鏡を懸け 真代には 真. か. 思ひ妻あはれ. 幡張り立て 大峡にし なかさだめる. 真代を打ち. 後も敢り見る. のち. さ小峡には た. も. ムた. ありと言はぱこそに. 下つ瀬に. 起てり起てりも. Lも. あ. 吾が思ふ妻. 斎拭を打ち. た. 幡張り立て 梓弓. あ.っさ. 臥やる臥やりも. 泊瀬の山の. とうたひたまひき︒故︑追ひ到りましし時︑待ち懐ひて歌目ひた重ひしく︑ く. 隠り国の. 一﹂も っく. あはれ 観弓の. かみ. な. 鏡如す. み.つか. 吾が思ふ妹. 泊瀬の河の. とうたひたまひき︒叉歌目ひたまひしく︑. 隠り国の たま. 玉を懸け 真玉如す 加 く. とうたひたまひき︒如此歌ひて︑即ち共に自ら死にたまひき︒故︑此の二歌は. じめ. に. 現代においても大いに人の興をそそり得るものとなっている︒. その禁忌を侵犯する主人公が天皇に次いで最も尊貴な皇太子であるというさらに過激な衝撃を用意したこの物語は︑. う点にある︒インセストという人問杜会に普遍の禁忌を主題にした︑それだけでも充分衝撃的であるのに加えて︑. この物語の第一の特徴は︑言うまでもなく︑記紀伝承中唯一と杢言える︑近親相姦を主題にした悲劇であるとい. ︵以下カルノオホイラツメ︶との近親相姦の物語である︒. 安康却位前に位置づけられた︑允恭の皇太子木梨之軽太子︵以下カルノミコ︶を主人公とするその同母妹軽大郎女. かるの曲唱い・箏つめ. ﹁木梨之軽太子物語﹂︵以下カルノミコ物語と略︶とは・﹃古事記﹄下巻允恭天皇の条︑正確に言えぱ︑允恭没後︑. は. 第二の特徴は︑割注を除く原文︵大系本による︒以下同じ︶物語全体で八百八十六字という比較的短い︵ちなみ. 22C. 軽太子物語論 81.
(4) 82. 早稲田商学第305号. に同じく記の短編である女鳥王物語は四百七十五字︑志毘臣物語は三百三十九字である︶物語でありながら︑実に. 合わせて五百七十二字の長短十二首の歌謡を含んでおり︑その歌謡が主人公の心情表白となって︑それを契機とL. つつ物語が展開する歌物語といえる形をとっている点である︒したがって︑三百十四字の地の文はいたって簡略化 された表現で単純な展開をもつ︒. それ故に︑この物語の考察にあたっては︑当然のことながら上記二点を中心に論述されねぱたらず︑管見に入っ たいくつかの論文もまたその例外ではない︒ω. それらの論文も含めて︑およそカルノミコ物語に言及した論考には︑ほぼ以下のような傾向がみられる︒第一の. 特徴についての論点は︑イソセストタブー及びその侵犯の︑日本古代杜会におげる意味と古代王権の構造との関連. におげる把握にある︒第二のそれについての論点は︑歌謡と地の文とのつきとはたれのそれぞれの歌謡の分析に通. しての考究とそれによる当物語の文学的達成の確認及びその成立伝承塞盤等の推定への展開にある︒. ところで︑本稿は︑副題に﹁﹃古事記﹄の構造に関達して﹂と掲げたように︑﹃古事記﹄を一つの意志によって貫. 徹された統一体と考え︑その構造の中で︑当該のカルノミコ物語がいかなる有機性を付与せLめられているかを問. うことに焦点を合わせているものである︒その主題にてらせぱ︑第一の特徴についての論点に中心を置くべく︑た. かんずく︑インセストタブーと古代王権の構造のからみこそ最も重視しなげれぱならないであろう︒したがって︑ 第二のそれへの論及は︑第一の考察に関連する範囲に止めざるを得ない︒. さて︑第一の特螢に関しての現時点での研究成果は︑ωその細要は後章に譲るとして︑概略以下の如く整理する. ことができよう︒すなわち︑インセストタブーは︑いうまでもなく古代日本にも外婚制を積極化するための機能を. 有するものとして存在したこと︑集団を維持する力として強い規制力を持ったこと︑その侵犯は集団の安全を危く. 219.
(5) する呪術的意味をもち厳罰をもって報いられたこと︑などが認められている︒次いで近親相姦の悲劇物語は︑王権. がその宗教的呪術的超越性を保持し続けるために︑それ自身の内都において自ら悪を為すことで現世の汚稼を負う. 貴種を次々と生み出し中央から周縁へそれを放遂し淀げれぱならない故に語られる︑神話をも含めた一連の﹁祓 い﹂の語りの一つである︑ことが確認されるものである︒. 右の二点は細都の意見の異同はともかくも各研究者が繰り返L独自の視点からアプローチした結果確認されてき. たところであり︑おおかた認定されるべきものである︒しかし︑それはそれとLて前述の如く︑本論が主題とすべ. き範囲︑とくに﹃古事記﹄の構造に関連していうたらぱ︑後老の点は一前提にすぎず︑ことあらためて言うまでも. ないことであって︑次の間題は直ちにその前方に待ち構えている︒すなわち︑神話における近親相姦の語りと目さ. れるイザナキイザナミの国生みとカルノミコ物語と関係は如何なるものなのか︑なぜカルノミコ物語は下巻に位置. づけられているのか︑という大きた問題である︒言い換れぱ︑カルノミコ物語は︑記全体の中で如何なる構造性を. 担っている︑担わされているのかということである︒その他︑物語自体の内部構造の間題として︑同母兄妹の名の. 間題・流刑地の問題・妹が兄を追って流刑地へ赴くことの間題・心中の問題等を挙げることができよう︒そして︑. 神代と人代との構造. これらの問題は当然前の記全体の構造の間題へはね返ってくるはずのものなのである︒. 二. イザナキ・イザナミの国生み神話とカルノミコ物語との関係を論ずるというと︑いささか突飛な感じがしないで. もない向きもおられるであろう︒しかし︑前章で述べたように︑イザナキ・イザナミも同母兄妹と考えるならぱ︑. 国生みに至る両者の結婚は近親相姦と認めざるを得ない︒そうすると︑国生み神話もカミノミコ物語も︑近親相姦. 218. 軽太子物語論 83.
(6) 84. 早稲囲商学第305号. を扱った語りということでは︑全く同じである︒だが︑同じ題材を扱っているからという単純は理由で︑この両老. を採り上げようというのではない︒しかも︑同じ近親相姦を扱っているからとて︑両者が関係があるとするのも何. か飛躍があるように思われる︒さらに︑関係ありとするたらぱ︑どのような関係を保有しているといえるのか︒以. 上のような疑念を解くためには︑まず関係ありとする予測の根拠を呈示しなけれぱなるまい︒その根拠とは︑これ. も前章で簡単に述べた︑﹃古事記﹄を一つの意志のもとに仕上げられた統一体とする見方にある︒. 筆者が﹃古事記﹄をどう見るかということはすでに繰り返L論じたところであるが︑論拠を明確にするために︑. あらためて略述しておきたい︒すなおち︑基本的に﹃古事記﹄は︑古代王権がその宗教的呪術的超越性をもって全. ての空間を覆いかつ時間を貫くことを︑語るものである︒そのためには︑ミクロからマクロに至る全空間を同心円. 的同一構造︵入れ子式ともいえる︶を有する単一の構造原理に貫かれた複合的な聖なる祭儀的構造空間に整合化し. て語る︒その空間穣造を基盤として︑繰り返しの不可能なケの時聞を︑それは当然それとLて一方ではあらしめな. がら︑神代以来の聖性を継ぐ王の存在そのものの力で永遠に始原に回帰し再生する時間に組みかえては︑現世をよ. みがえらせるという秘蹟を開示するのである︒それ故に︑王権は現世に君臨することが︑可能なのである︒つまり︑. たかまがはら. ハレとケの原理を独占することだと言い換えてもよいであろう︒ おたつみ 古代王権の宇宙は︑王の君臨する地上であり現世である﹁中つ国﹂を申心として︑その水平軸上の四方に海神の. くに. 君臨する﹁海原﹂という他界を︑垂直軸上の上方に正統の神々の君臨する﹁高天原﹂と下方に異端の神の君臨する. ﹁黄泉の国﹂︵根の国︶なる他界を配列していると考えられる︒働﹁黄泉の国﹂の位置については︑異説もあるが︑. よみ. それは原﹁黄泉国﹂伝承ともいえる数箇の伝承のうちの一つが保有Lた位相性の根跡といえるのではないか︒記紀 の主張する字宙構造は︑右のように考えるべきである︒. 21フ.
(7) 一フラス. .イナス. 水平軸上の四方の他界の聖性の正と負の両端を︑﹁中つ国﹂を中心に九十度回転させ︑正を上方へ︑負を下方. へ移動して垂直軸上の正なる他界﹁高天原﹂と負なる他界﹁黄泉国﹂を定置した︒かくLて︑﹁中つ国﹂は八方を. 他界に囲まれた現世空間となる︒ケの現世空間へ︑これらのハレの他界から︑さまざまな祭儀を媒介として関係を. ケ. ^. レ. 持つ聖なる老が来臨し現世を動かす︒故にこの現世を﹁うつしよ﹂と呼ぶ︒ωこの空間関係は共時的である︒こう. した現世対他界の空問構造を︑王権の語りはまず神代に定まったこととする︒なぜなら︑神代つまり神の世界こそ. ケ. 現世の全ての聖なる規範であるからである︒. 現世には︑のがれがたい二度と繰り返すことのたい時聞なるものが存在する︒永遠不変の神の世界に対置された. 逐次可変の人の世界である︒これが︑王権の語りに︑神代というハレと人代というケの対置を導入せざるを得ない. ように仕向ける︒空間構造を時間構造に置換するのである︒そして︑王権は︑この時聞に生き続けなけれぱ︑現世. に君臨することができない︒Lたがって︑王権の語りは︑神代を聖なる規範とし︑人代において人の姿をとり人の. 条件を具有する天皇なる存在が︑如何に聖なる宗教的呪術的超越性を保有L続げるかを事実として保証する必要が. あるのである︒現実とLては︑そのような聖性の獲得及びそれによって可能となる現世再生は︑さまざまた祭儀の. 実修を通じて︑たとえぱ大嘗祭とか大祓とか︑なされるわけであるが︑その繰り返しを繰り返せない時間にくりひ ろげて具体化して確認するには︑歴史という語り以外にはない︒㈲. そうすると︑共時的に他界︵ハレ︶が現世︵ケ︶のできごとの根拠となることが︑語りの上では通時的に神代 ︵ハレ︶が人代︵ケ︶のできごとの根拠となるという形をとることなのである︒. ﹃古事記﹄に却してみれぱ︑上巻︵神代︶が中・下巻︵人代︶に対する関係が右のそれに当る︒ただ言うまでも. ないが︑上巻と中.下巻は古今の関係にはない︒上巻は︑中・下巻の歴史のあらゆる時点に対して常に共時的に存. 216. 軽太子物語論 85.
(8) 86. 早稲田商学第305号. かれ. も. 在する︒一例の挙げれば︑中・下巻におげる歴代天皇の死は︑上巻におげる︑妹コノハナサクヤビメを留めて姉イ みいoち ハナガヒメを返したホノニニギヘのオホヤマツミのうげい︑﹁天つ神の御子の御寿は︑末の花のあまひのみ坐さむ﹂. に根拠があることは︑﹁故︑是を以ちて今に至るまで︑天皇命等の御命長くまさざるなり︒﹂で明らかである︒かく しも して︑現世たる﹁中つ国﹂は常に﹁天の下﹂︑高天原の下つ国とLて存続する︒. 以上のように︑神代と人代との関係の構造を把えれぱ︑本章冒頭において述べたが如き﹃古事記﹄上巻イザナキ. ・イザナミの国生み神話と下巻カルノミコ物語の近親相姦のテーマを共有すると考えられる二伝承間には︑ある種. 近親相姦のハレとケ. の関係あり︵それはおそらくハレとケの関係と推定されるが︶としなげれぱならたいであろう︒. 三. イザナキ・イザナミの二神が同母兄妹であり︑二神の結婚が近親相姦と認められることは︑最近では︑西郷信綱. ・益田勝実両氏の論とその両論をさらに検討確認展開させた保坂達雄氏の論によって︑ほぼ疑問の余地はないとし. てLかるべきである︒その他︑多くの創成神話・洪水神話を検討する比較神話学の立場からも︑二神兄妹説は主張 されている︒㈹. 今紙幅の都合もあって︑それらの所論を検討しなおす余裕もないし︑またその結果も細部に異論はあるものの上. 記の大筋において変更はあるまいと思われるので︑簡単に三氏の所論の要点によって三神の同母兄妹と認められる. せ. いも. 根拠を挙げてみる︒ 一 イ芋ナキ ・イ廿ナ⁝ 天地開閣神話の神世七代の記事に︑﹁次に伊邪那岐神︑次に妹伊邪那美神﹂とあって︑その﹁妹﹂は︑妻を指す. 語では在く︑あくまでも﹁兄﹂に対する﹁妹﹂であるごと︒歌語とLての﹁妹﹂は﹁妻﹂を指し得るが︑散文脈で. 215.
(9) は例外なく﹁兄弟﹂に対する﹁妹﹂である︒西郷論が︑﹁イモと妻は自由に交換し3る同義語であるかのごとく見. なす向きが多い︒しかし第三老の立場から︑または地の文や散文脈において︑妻のことをイモといった例は一つも. あをかLきおのみ二と. ない︒﹂と述べていることは重大な指摘である︒伽記には︑その他にもイザナミを﹁その妹﹂と記している箇所があ. ムた肚Lら. る︒保坂論は︑右の事実を奈良朝の公式記録である戸籍帳においても確かめている︒. ﹃書紀﹄本文には︑二神を兄妹とする記事は見当らないが︑第一の一書に︑﹁此の二の神は︑青橿域根尊の子 いろも なり︒﹂とあり︑黄泉の国訪間講の第九の一書に︑﹁伊装諾尊︑その妹を見まさむと欲して︑﹂その他第十の一書に. 同様の記事があることも︑重要な論拠となる︒紀の本文は︑特に二神の兄妹である点を主張しようとはしていな つ い︒その理由は定かではないが︑記と比較して正史としての公的面︑言い換えれぱ日常性︵ケ︶に即いたその本質. によるものであろう︒近親相姦禁忌は︑日常の次元の規範であるから︑その性質が紀の日常性重視と照応して︑神. 話の正脈たる本文においては二神の結婚からそうした禁忌侵犯の色彩を払拭しようとしたと思われる︒だが︑右に ギ ・︷ 挙げた如く︑一書は逆に強く禁忌侵犯であることを主張しているかの如くである︒以上︑岐美二神を同母兄妹と認 めるのが︑神話の文脈に忠実な理解とされねぱならない︒. 近親相姦が杜会的禁忌として汎世界的且つ汎時代的に存在することは︑いまさらに論ずる必要はあるまい︒古代. 日本において︑かつて同母の兄妹・姉弟間の結婚が認められていたのが︑古代の近代化に伴っていつガ禁忌となっ. たというような説があったようだが︑今日否定されている︒文化人類学・動物杜会学等の指摘によれぱ︑⑧猿の杜. 会にも近親婚を回避しようとする仕組みがあるそうだが︑それを考えれぱ︑人間集団の成立とともに近親相姦禁忌. は存在したとすべきで︑近親婚が否定されていない岐美二神の神話と否定されているカルノミコ物語の両老を発展 段階的にとらえようとする説は成り立つべくもない︒. 214. 軽太子物語論 87.
(10) 88. 早稲田商挙第305号. であるとすると︑近親婚はなぜ神話においては否定されずに天地創成につながり︑人代の伝承においては禁忌と なって死の不毛につたがるのかという疑間に当然逢着する︒. 神話と禁忌について︑西郷説は︑古代杜会におけるヒメヒコ制に見られる血縁による深い宗教的呪術的紐帯に結. ばれた兄と妹の関係という一つの現実の二つの現われと見る︒益田説は︑両老は全く異質のものであって︑前者は. 源初の時点︑ものの始めとしての一へ遡及しようとして生み出した幻想であり︑後者は経験的にさぐり出した杜会 維持の優生学的選択であるとする︒倒. 両説への疑問とその検討は今は控えるが︑当否いずれにしろ︑こうした見解は︑﹃古事記﹄という一書の中での. 岐美二神の神話とカルノミコ物語の相反した関係の説明には︑そのままでは適応しない︒なぜならぱ︑そこには記. という統合体を目指した一貫した冒的意識という契機が介在してい在いからである︒つまり︑両老はそれぞれ別の. 視点からとらえ︑その存在の意義を個別に定立するのではなく︑相反する両者を貫く一つの非現実的な︑王権の物 語りとしての論理が必要とされるからである︒. 両説への疑問とその検討を詳細に行なった保坂論は︑神話と禁忌の関係を︑宗教学・文化人類学の成果を導入し. つつ︑現実とその﹁逆立﹂としでの神話ととらえている︒ωこれは︑前二説より一歩抜きん出ようとした魅力的な 結論である︒. 集団の維持発展のための積極的規律として近親相姦禁忌はまさに現実︵ケ︶の次元のものであり︑現実の男女の. 性関係を規制するということは︑ケの生を支配する生産のカをもコントロールしているといえる︒インセストタブ ーは︑ケそのものの象徴ともいえよう︒. ところで︑ケと対置されているハレぱ︑ケとおのれを峻別し強い呪カを獲得するためにしぱしぱケと全く相反す. .213.
(11) る相貌を帯びる傾向がある︒たとえば︑ケにおげる出生の方程式を否定することが︑ハレの力を身につげた超常老. の出生をもたらすという図式である︒神話・伝説に多く見られる異常出生講は︑この類である︒ケの強烈な破壊・ 否定こそ超越的なハレの次元の確立であり︑霊力の力強い再生である︒. ケそのものの象徴であり︑ケの生産の根源の力の秩序づげでもある近親親姦禁忌を侵犯することこそ︑古きケの. 破壊でありあらたなケを生み出すためのハレの装置たり得ると考えられるのである︒ケの通常た性関係による出産. では︑ケの次元にあり得る通常の者つまり人間しか生むことができない︒通常を否定した異常な性関係こそ人間を. 超えた存在を生む可能性を獲得する︒ お居中Lまくに 岐美二神のそれについていえぱ︑その結婚が近親婚なる故にこそ︑人間どもの住む現世たる国土﹁大八嶋国﹂と. 神冷を生むことができる︒逆にいえぱ︑人間ならざるものを生む国土創成は︑近親婚によらざるを得ないという考. えがあり得るのである︒そうするとこの近親相姦は国土創成のための神の聖なる犯しの行為であるということにな. る︒固岐美二神のそれは創造故の聖なる犯しであったが︑現実のそれは禁止され︑その侵犯は杜会的制裁を受げる. という関係には︑一つの近親相姦のハレとケにおげる逆転︑保坂論の説くような﹁逆立﹂の原理が認められるので ある︒. その逆立の関係に見られるハレとケの相反状況が︑岐美二神の神話とカルノ︑ミコ物語の関係に照応し得るのでは. ないか︒﹁逆立﹂なるが故に︑神話では生み直しという祓いを前提として国生みという異常出産の創造が成就され. るが︑物語は︑逆に異常性交が前提となって祓いとしての追放と死の破滅が成就されるのである︒一方ば祓いが前. 提となり︑逆に他方は祓いが結果なのである︒記における神話と人代の伝承とはハレ・ケの関係にあることを前章. で述べた︒天地創造のためのハレの次元での正なる行為とLて神話の近親相姦は語られ︑人代の伝承はそれがケの. 2I2. 軽太子物語論 89.
(12) 90. 早稲田商学第305号. 次元での禁忌に違反し︑現世に汚稜をもたらし現世の衰弱を招く負なる行為故に︑不毛なる近親相姦の罪と罰を語. らなげればならないのである︒﹃古事記﹄の順序に従えば︑近親相姦は国土や神々を生みなLた神の聖なる行為故 に︑人代では禁忌となるのである︒. ところで︑古代宮廷におげる祭儀の過程の中に儀礼としての近親相姦を想像したのは折口信夫であった︒幽また︑. 文化人類学の記録にもそうした事例が報告されている︒㈹前述のように神話はハレの観念のカテゴリーに入る︒祭. 儀もハレの次元に構想されたものであり︑神話と祭儀が共生構造を保有する所以はすでに説かれて久しく︑学問的. 発想の基盤として認定済みである︒その考え方に拠れぱ︑近親相姦神話の存在は︑儀礼としての近親相姦の存在を. 想像せしめる︒近親相姦的状況を設定した儀礼は︑おそらく現世の国土の再生を幻視したものであったろう︒そし. て︑それが実修される際には必ずや︑岐美神話また世界の多くの洪水神話が語るように︑近親相姦によって生じる. 罪稼を祓う礫祓の儀礼が付帯したにちがいたいのである︒ ︑ 聖なる犯しである近親相姦儀礼には︑一方で裏ともいえる負なる罪穣を生む故の形代による藤祓の呪術があり︑ ︑ 他方で表とLての正なる国土再生の祝福されるべき出産の模倣的呪術があったと想像される︒そうした儀礼として. の聖犯の両義性を︑岐美二神の近親相姦神話にうかがうことができる︒. 現世においては︑祭儀はあの世のできごとハレとして現世のケのできごととは区別され︑括弧の中に入れられて. いる次元である︒したがって︑神話は前述のように︑このハレが歴吏という時間帯の上にくりのべられたときに獲. 得した一つのスタイルだといえる︒人代の伝承は︑おのれが括弧に入れたハレに取り残されたケといえよう︒ケは︑. ハレを恋う︒神話の捉え返しが人代たる所以であろう︒カルノミコ物語はこの聖犯神話に照射され意味づげられた 近親相姦の逆転再神話として存在するのだということができる︒. 211.
(13) 四. 再神話の構造. 主人公カルノミコが︑神話におげるスサノヲ以来の王権の霊威の非日常的諸力の正と負の負の側面を担って︑自. ら罪を犯すことで稜れを負って他界へ放逐され浄化を果たす犠牲の神と人の系譜に列なる存在であることは論を侯. つまい︒スサノヲが王権の日常を超越する聖なる宗教的呪術的霊威の負性の神話的始源であれぱ︑中巻以降の人代. においてさまざまな罪稜を負って悲劇的な末路をたどる皇統譜に列する人々は︑王権が時間を通して負い続げてい. かなげれぱならないものとして自らに課したそれを現世において果たすべく運命づげられた者たちである︒両者は︑. そのように﹃古事記﹄の体系上に位置づげられている存在なのである︒幽カルノミコも︑そうLた一形象であって︑. ほはoくに. 拍oかたすくに. 現世における近親相姦の罪稜を自らの侵犯によって一身に負って中央から放逐され︑遂には死によって他界へ赴き︑ さが. 現世の浄化を果たす聖なる犠牲である︒. スサノヲがその負なる性故に︑父神イザナキからその統始を委任された﹁海原﹂から﹁批国︑根堅州国﹂へ追放. されるという神話の筋書が︑この世の罪稜が水の流れに従って海底へ祓われるという宮廷儀礼としての﹁大祓﹂の. 呪術的過程と照応することは︑㈲すでに説かれて久しく︑その犬筋は学界の承認するところといえる︒スサノヲ以. 後の悲劇的末路をたどる犠牲者の多くは︑︒この神話のバターンに多くその類似性を負っているといえるが︑カルノ. ミコ物語こそ︑スサノヲ神話に膚接したものである︒当該の物語が前述のようにハレの近親婚神話のケにおげる再. 神話としての性格をもつとともに︑そうした大祓神話ともいうべき語りの再神話とLての構想をも合わせもつこと. 1. 一. を︑こ㌧﹂に少Lく検討しておく︒そのことで︑カルノミコ物語が王権の人代におげる聖なる語りとして如何なる機. 能を負うものであるかが︑明らかになると考える︒. 210. 軽太子物語論 91.
(14) いまLみこと. わきおい. 5なぱら. 巳とよ. よ. 命は︑海原を知らせ︒﹂という﹁事依さ﹂L︵委任︶に背いて︑﹁命させし国を. 209. スサノヲは︑父イザナキの﹁汝 よろず. 知らずて︑︵中略︶晴きいさち﹂﹁青山﹂を﹁枯山﹂となし︑﹁河海﹂をことごとく﹁泣き乾﹂﹂てしまった︒その. ﹁罫け﹂もまさにこのような悪として允恭死後の真空状態に誘発するのである︒この悪の呪的意味は︑この状況設. れと符合する︒神話は︑アマテラスの籠りによって天上天下が闇となり諸悪がはびこったと語るが︑カルノミコの. 天皇死後の空位期間は︑統治空間が呪術的た霊的危機に陥るとぎであった︒それは︑アマテラスの天の石屋戸隠. が背くというように杜稜を危機に陥れることにもなる︒. 序を保証する要である︒その人物が父の服喪中に禁忌を犯すことは︑父の委任に背反し︑﹁百官及天の下の人等﹂. かなめ. 団の安全を脅かすものと考えられていた−﹂とは︑前章にも述べた︒皇太子カルノミコは︑天皇崩後の王権の安寧秩. うし︑しかもその相手が同母妹というのでば︑いっそうその侵犯の罪の重大性が問われるであろう︒禁忌侵犯は集. 神記や崇神紀四十八年の条の記事でも推測される︒服喪はB常生活の停止であるから︑性的交渉は当然禁忌であろ. 生前父自らの意志によって太子と定められていたであろうことは︑允恭紀二十三年の記事でも確かあられるが︑応. うちに︑同母妹に﹁罫げ﹂たというのである︒﹁日継知らすに定まれる﹂というが︑父允恭の没後のことではなく︑. たは. しめすに定まれる﹂という皇太子の立場にあり危がら︑﹁未だ位に即きたまはざりし間に﹂という父の喪の男げぬ. 父に背くこと・罪稜によって現世の秩序を破壌することは︑カルノミコの場合も同様である︒彼は︑﹁目継知ら. になされてはいるのだが︑要は彼が罪穣を負って根の国へ去るといラ神話的穣想に拠るものである︒. ノヲの母神にあたるイザナ︑︑・が亡くなっていて︑彼がその亡母を慕うという表面飽なストーリー展開の蓋然性の上. ﹁批の国根の堅州国﹂へ行ぎたいといヶおのれの内的欲求なのである︒もちろん︑この理由の設定は︑すでにスサ. 硅暗. 結果︑悪神と万の妖が満ちみちたと︑神話は譲る︒そして︑彼がそのようにぜずにはいられなかった理由は︑. 兜. 早稲田商学第305号.
(15) 定によって照らし出されるようになっているのである︒. そして︑スサノヲが﹁海原﹂という水を介在させながら彼方の﹁根の堅州国﹂へ去ったように︑カルノ︑ミコもま. た海の彼方の﹁伊余﹂へ流されるのである︒このように︑喫祓の祭儀の構造論理と遇程にそのストーリーの展開を. 負うスサノヲ神話とカルノミコ物語は︑基本構造において︑多くの一致を見出すことができる︒両者の違いは︑神 さ 硅 ぴ め. 話と人代の伝承という差にすぎない︒. 筆老はかつて︑記の沙本毘売物話に言及して︑㈹その基本構造が穀母神の死と穀童神の誕生という新嘗の儀礼の. 一環に依拠するものであって︑コノハナサクヤビメの火中出生課と二重撮しになっていることを指摘したことがあ. る︒そこで説き明かされていることは︑サホビメは王権の内なる異端︑悪として滅びながら︑天皇の子としてのホ. ムチワケを火中において出産することによって︑正系の中に聖なる﹁ホ﹂︵穀神の記号︶として浄化再生するとい. うことであった︒婁言すれぱ︑正統により異端として分類され死んでいく者がその異常なる悪の力によって逆に正. 統の側の守護神︑善たる強力なる霊として再生するという論理なのである︒王権が自ら生み出Lた内なる負を終局. 的には正化する仕掛けが開示されている︒そのように︑王権は両義的世界を統合するのである︒. 人代の﹁語り﹂は時間の秩序によって表現されることは前述したが︑その縦の蒔間を全て横に割って︑神話の始. 原の時に重ね合わせ︑王権の時間と空問の支配を完遂しようとするのが︑この神話の再神話ともいうべき仕組みで あった︒. スサノヲ神話とカルノミコ物語の関係は︑右のような例の一つと考えられる︒カルノ︑ミコ物語が︑スサノヲ神話. と同様に大祓の祭儀にその伝承的原像を負うものであることは︑紀の記事がこの近親相姦事件がト占によって露見. Lてカルノオホイラツメが伊予の国へ流されたことを︑允恭二十四年﹁夏六月﹂と記していることでも︑充分に確. 208. 軽 太子 物 語論. 93.
(16) め. さかO. お括いらつめのひ出みヒ. 既に盛にして︑. みこころ. 垣とほと. 昆あ直L. おも硅. おも︷. 徒に. いたづら. いきど胆り. 殆に死するに至りまさむとす︒ここに以為さく︑. た肚. 207. かめられるであろう︒大祓は六月と十二月である︒十二月とされずに六月とされたのは︑天皇の御膳の汁が冬でも. ないのに凝固した不思議に合わせるためである︒その異常のト占によって︑禁忌侵犯は露見する︒記と異なり︑紀. はそうした祭儀的約東を目常的次元のものとして説明しようとする傾向が薯しい︒ちなみに︑前述のサホビメの滅. 亡も︑紀は十一月のこととLて記述している︒これも︑新嘗の祭の期日に合わせて︑その意味を説明しようとした. 下巻の位相性. ものと考えられる︒カルノ︑ミコ物語は︑人代における王権の現世空問の浄化の聖なる機能を語る︑罪穣の祓いの物 語である︒. 五. カルノ︑︑︑コが同母妹に﹁軒げ﹂た理由を︑記は語っていないが︑﹁罫げて歌日ひたまひしく﹂という地の文に続 らるは く第一の歌謡に︑﹁我が泣く妻を昨夜こそは安く肌触れ﹂とあり︑第二の歌謡にも︑﹁愛しとさ寝しさ寝てぱ﹂とい. つお. う心情表現をカルノ︑︑︑コのものとして用意しているところをみれぱ︑記がこの近親姦を主人公個人の愛情の抑えが. も︸﹂. たい発露として設定していたことは疑えない︒紀は︑﹁太子︑恒に大娘皇女と合せむと念す︒罪あらむことを 誌そ. 畏りて黙あり︒然るに感でたまふ情︑ っ払. の光︑衣より通り出づれぱなり﹂と名の由来を付加しているのは︑同様の配慮と考えられる︒. 皇子女を列挙した条に︑カルノオホイラツメの別名として︑﹁衣通郎女﹂なる別名を用意し︑その割注に︑﹁その身. そと居Lのいらoめ. し︒﹂と彼女が美人なることを記して︑それをカルノミコの思慕の蓋然的理由としているようである︒記も︑允恭の. 空しく死なむよりは︑刑有りといふとも︑何ぞ忍ぶること得むとおもほす︒遂にひそかに通けぬ︒乃ち椙懐少しく またか胆よ 息みぬ︒Lとその個人的愛情のありようを心理的に詳述Lようとしている︒さらには︑﹁同母妹軽大娘皇女亦艶妙 や. 94. 早稲田商学第305号.
(17) ﹁罫げ﹂の当事者が美しい男女であるとする設定には︑三浦論が指摘するように︑ω悪という睡しめられた負に︑. ︑. ︑. 美という逆の尊い価値を付与することで︑犠牲の慰撫鎮魂を果たそうとする語りの意図があるであろう︒また︑そ. の皇子たちが悪という負を負うと同時に美という正を負わされること︑つまり価値観念の両義を統合することが︑ 王権の超越性の一面を顕示することにもなったからであろう︒. それはそれとして︑この設定は︑上述のように︑近親相姦という重大な罪を承知の上であえて犯すに至る動機と ︑ Lて︑それなりの大きた理由がたげれぱならないと考えた故と思われる︒王権の負を負う犠牲老だからといって慰. 撫鎮魂のために︑全てを美しき着に仕上げているわげではない︒少女と見まがうほどのヤマトヲグナにはそうした か旺え 根跡がうかがえないわげではないが︑一方ではヤマトタケルとなれぱ力よく鼎を挙げるほどの偉丈夫のイメージを. もつ︒また︑一例を掲げれぱ︑おのれの意志を貫いて仁徳の妃となることを拒否Lて遂に身を減ぽしたメトリノオ. ホキミにも︑そうした美化は見当らない︒とすれぱ︑やはりカルノミコ物語の美男美女という設定にはそれなりの. か. 胆きらぎら. おo. あ. 理由があったとすべきである︒身の光衣を通すほどのかぐや姫のようなエロチシスムを発散する美しい妹故に兄は. こがれ︑その兄がまた﹁容姿佳麗し︒見る老︑自づからに感でぬ︒﹂︵紀︶故に妹も兄を許すのだと︑享受老に納得. されるのである︒両人はおたがいを意志的に愛情の対象として選択Lたことにたるのである︒だからこそ︑妹は流. された兄を追い慕って伊余へ赴くという筋立てになり得る︒その納得が︑罪を犯すにおもむかしめる個人の愛情と. いうものにリアリティを与え︑その避げがたい運命的な力の存在に畏怖させるのである︒そのための美化なのであ る︒. 記におげるカルノオホイラツメの美女化は︑おそろしい近親相姦を主人公カルノミコの個人の愛情の発現ととら. えるための仕組みである︒岐美二神の国生み神話となんと異たることか︒二神の近親婚には個人的感情の介在する. 206. 軽太子物語論 95.
(18) 96. 205. 余地などない︒天地創造のための聖婚であり︑神の使命であるからである︒. スサノヲ神話に見るように︑抑止され難い私の個の感情の発露は︑現世︵共同体的集団が幻視されている︶の危. 機を招来する︒私の個の愛清の発露の結果とLての近親相姦の罪は︑伸哀記の記事や大祓の祝詞で知られるよう注. 公に対する私なる個という観念を成り立たせたのは︑王権の近代である︒古代王権が自己の専制を図るために推. う観念に基づくものであった︒㈹. である︒㈱また︑顕宗記における雄略陵破壊に関しての兄オケの弟天皇ヲケに対する諌言も︑私に優先する公とい. ることを欲しない個に見覚めた一人の女として呈示されている︒それ故に︑彼女は破滅しなげれぱならなかったの. れは彼女が王権の聖なる呪的意志によって成り立っている後宮を愛情渦巻く日常の修羅場と見ていたことを意味し︑ むな 大后の嫉妬をはぱかる仁徳を呪的王ではたく一個の男と見ていたことになるのである︒メトリは︑已れを虚しうす. えぱ︑前掲のメトリノオホキミは︑仁徳の求婚を拒否する理由として︑大后イハノヒメの嫉妬をあげているが︑そ. ﹃古事記﹄下巻における罪と罰は︑多くこの公と私なる個の対立に原因を置く物語において語られている︒たと. はそこにある︒. たいのだから︑生じた個の間題は直ちに公という政治にかかわらざるをえない︒近親相姦が太子争いにからむ必然. 王権とは︑本来個の存在しえない土壌であろう︒個の成り立ちえないところに個が生じれぱ︑個を容れる論理が. るのである︒王権は︑現世の公を危くする私なる個の発現を否定し排除しようとする意志をあらわにする︒. 私である個の情の発露が︑公である集団の存続を危くするのである︒ここには︑私対公︑個対集団の関係において ︑ 主題がとらえられているのであり︑私である個は︑公である集団の中において負なるものとして位置づけられてい. 現世の危機を必ずもたらすものなので︑カルノミコ物語においても煎章で見た如くになるのである︒婁言すれぱ︑. 早稲田商学第305号.
(19) 進した律令制確立への遣程こそ︑古代におげる個の成立への過程と重層する︒大化の改新以後の私有地私有民の否. 定︑古代豪族の解体と官僚化︑官吏登用の制度がそれぞれ契機や挺子となって︑個の覚醒をうながしたと考えられ. る︒王権は︑おのれの支配の徹底化を図る近代組織という仕掛けが予期せずに生み出した個なる人間の自覚という. 申. −﹂れ. すべ. おのれの内なる反体制的なものと対決したけれぱならなくなった︒﹃書紀﹄推古十二年四月の十七条憲法第十四に. ﹁私に背きて公に向くは︑是臣が道なり︒凡て人私あるときは︑必ず恨あり︒﹂とあるのは︑右の事情に即応した︑. 現実の次元における諭告であろう︒ かな ﹃古事記﹄下巻は︑そうした王権の近き代の様相に応った語りとして構想され︑構造化されたものである︒近き. 代の状況に即応した王権の聖たる超越性が具体化されねばならない︒そのように仕上げることで︑中巻との差違も. 明確化され︑そのことで空間と時間を超えて現世を始原に回帰させつつ君臨する王権の宗教的呪術的超越性が実在. することになるのである︒下巻の死の物語が公の遭徳に対する私なる個の情の発露の罪と罰を語るものであるに対. Lて︑中巻のそれはたとえぱ公の祭祀︵サホビメ物語︶といったような宗教的な侵犯の罪と罰を語るものであっ. た︒勘中巻におげる伸哀天皇の死と下巻におげる安康天皇の死なども︑神による被殺と人による被殺という一対比 かな によっても充分右の中巻・下巻の対比的構造に適うものとみることができよう︒ヤマトタケル物語なども︑およそ そのような中巻の全般的傾向に適合しているものである︒. 個の覚醒をうながした近代において︑伝統的本源的禁忌であった近親相姦は︑はじめて個の人間との関りにおい. てその道徳的意味をとらえ直されるべきであったのである︒おおげさにいえぱ︑近代はこの禁忌の一つの危機でも. あったのであろうか︒近代におげる近親相姦の罪と罰をあらためて語る;早とされるカルノミコ物語の悲劇は︑ま さに下巻において語られるべきものなのである︒. 204. 軽太子物語論 97.
(20) 98. 早稀田商学第305号. 六 ﹁カル﹂. の構造性. カルノミコ・カルノオホイラツメの﹁カル﹂が地名の軽に由来するものであるとか︑御名代部と定められたと伝. える軽部に由来するものであるとかを考証しようというのではない︒また︑斉明天皇の行幸地︑額田王の歌で知ら. れる伊余の地が五・六世紀から中央の管割下にあって行宮があったらしいなどというつもりでもない︒﹁カル﹂と. ﹁イヨ﹂が︑人名と地名でありながら物語の中でどのような構造的た意味を負っているのかを考えてみたいのであ. る︒それが︑カルノミコ物語の王権の語りとしての構造上の有機性にどのように寄与しているかを明かすものにな. ると思われるからであり︑反射的に一見してそれと判別できたい物語の部分構造を照らし出す手がかりになるとも 思われるからでもある︒. 上巻の神名が構造的意味を負うものであるということは︑あらためて言うまでもないが︑中・下巻における人名. もまた構造的な意味を負うものであるらしいことは︑たとえぱ次のような例からも充分想像されるところである︒. 中巻ヤマトタケル物語における主人公タケルは︑西征においてはヤマトヲグナという名の少年英雄である︒少年. 英雄は恐れもためらいも知らずおのれの闘争本能の赴くままに残酷無惨に行動する︒その彼が︑クマソタケルから そんたく ヤマトタケルなる名を奉られて帰還した後︑さらに父から東征を命じられ︑ヤマトヒメを訪ねて父の気持ちを付度. して歎くというように変身しているのである︒未成年が成人となり人としての心を知るということであろう︒西征. と東征の内容も右の状況に応じている︒剛ということは︑﹁ヤマト﹂を措くとしても︑ヲグナとタケルという名はと. もに物語の内容に適合した猛々Lい英雄の記号でありながら︑未成年と成年という段階を分担していると考えられ る︒. 203.
(21) 下巻メトリノオホキミ物語におけるサザキ・メトリ・ハヤブサという鳥の名をもつ三人の主要登場人物とシビノ. オミ物語のシビ・オフヲという魚の名をもつ二人の人物は︑天なる鳥の名をもつ老が皇族で︑地なる水に棲む魚の. 名をもつ老が臣下という対比の下に構造化されていると考えられる︒㈲古代人にとって名は霊魂︵チ︶という実体 であることを考えれぱ︑右の考えは充分成り立ちえるであろう︒. カルノミコ物語の内容に対して︑﹁カル﹂という名も何か象徴的関係をもっているのではないか︒記の人代の伝. 承において︑流刑に処せられた皇子は︑カルノ︑ミコ以外に誰一人として存在しないのである︒この事実は重視Lて よい︒. ﹁カ・ル﹂の音韻それぞれにおいて甲類・乙類の違いはないのであるから︑﹁カル﹂の音には︑﹁刈る・借る・猟. る・枯る・潤る・離る・か︵着︶る﹂︵記紀・万葉の用例は多数につき省略︶などの意味が考えられるし︑歌謡に. ﹁天飛むかる﹂とあるのを鳥の飛翔のかろやかさととれぱ﹁かるし﹂の語幹であって︑文字通り﹁軽﹂の意もあろ. うかと考えられるのである︒しかし︑カルノミコが罪稜を負った流離の主人公であることを考え合わせれぱ︑およ. そ﹁枯る︵潤るは同義︶・離る﹂の意味がイメージとして連動してくるであろう︒カルノミコの禁忌侵犯は︑現世. ︵ケ︶の衰弱破滅︑すなわちケガレ︵気枯れ︶をもたらす恐るべき行為であった︒人心の離反とそれに続く太子争. いの戦いはこれを意味する︒スサノヲの涕泣が青山を枯らし︑海河を潤らしたことに符合する人代のできごとなの 加 である︒また︑カルノミコは︑第二の歌謡に﹁率寝てむ後は人は離ゆとも﹂と言立てもした︒﹁離ゆ﹂は﹁離る﹂. ︑. ︑. ︑. でもあるが︑その言立てを契機としてそのように人心も離反した︒この物語の主人公は︑現世に﹁枯る・離る﹂を もたらすカルノミコ︵王権の負を負う皇子︶とLて形象されているといえよう︒. カルノミコといえぱ︑持統女帝の孫︑草壁皇子の子に軽皇子︵後の文武天皇︶があることが直ちに想起される︒. 202. 軽太子物語論 99.
(22) 100. 20l. この軽皇子は祖母持統・母阿閉皇子らを中心とする宮廷の期待を一身に集めた存在であった︒そのような皇子に︑. 右のような違想を与える不吉た名をつげるであろうかという疑間が当然うかぶであろう︒その結果として︑カルノ. ︑ミコの名とカルノミコ物語の榛造的関係は否定されかねないが︑二つの点から反論できそうである︒一つは︑実名. と物語中の名は成り立ちの動機が異ること︒実名は︑養育の氏・部︑その所在の地名等に由来することが多いので. あろうし︑物語のそれは幻想とその連想の交錯によって織りなされるものである︒また︑実名においても︑あらか さる じめ祓い︑そして死と再生の意味をこめて汚れた名を与えておいたであろうことは推測可能である︒柿本獲の例な. ど︑それであろうか︒このように考えれぱ︑後世の軽皇子の実在は先の考えに低触したいであろう︒. カルノ︑ミコの名のこうした記号的な意味合いには注意が払われていないが︑それは允恭天皇の事蹟の記事に︑. ﹁木梨之軽太子の御名代として︑軽部を定め﹂とあるのに目を奪われているからである︒このような記事は︑﹃古. の構造性. 事記﹄のハレの論理の抽象性をケの実在と化するための仕掛けなのではないか︒そうした仕掛げの有効性は注目に 値いする︒. 七 ﹁イヨ﹂. 主人公カルノミコの流刑地とされる﹁伊余の湯﹂は︑どのように考えられるであろうか︒記神代における地名が神. 畦oま. そのように性格づけることは︑とりもなおさずそれぞれのレベルを通していずれの場合も中央となる宮所の地また. 葛城・播磨の他界性・周縁性について論じたところであるので今は省略する︒ωそLて︑語りの中でそれらの地を. かっらき. 話の空間構造のそれぞれ一端を担う重要な記号であることはすでに論証済みであるが︑困人代におげる地名もそれ へぐり ぞれの物語の中で︑神話論的空問記号として機能している例を挙げることができる︒そのことについては︑平群・. 早稲田商学第305号.
(23) は大和があらためて相対化され中央としての威力を回復することになるのである︒地方の他界性・周縁性を語るこ にぎた. づ. とが︑相対化される中央の活性をとり戻すことたのである︒. 伊予の熟田津は古代の四国北岸航路の重要な寄港地の一つであったらしい︒㈲もちろん中央におげるそういう著. 名性がこうLた物語にその国名を登場せしめる一因となっていることは︑否めない︒しかし︑物語の構造という視. 点に立てぱ︑伊予はまず罪稜が水を媒介にして祓われるのにふさわLい水を越えた彼岸の他界であることが指摘さ 畦ぶ れる︒第八の歌謡に︑﹁大君を島に放らぱ﹂とあるのを見ても︑罪穣が水に流され︑水の彼方の底つ国へ呑みこま. れるという大祓の祝詞の筋書に︑この物語のシチュエーショソは適合することが理解されよう︒流刑の地とLて︑ い よ それは︑国生み神話の姪子の流L捨てと響き合っているように思われる︒そして︑伊予は用例でも知られるよう. に︑㈱表記﹁弥﹂によって美称﹁いや﹂にも通じる︒何に対して﹁いや︵よ︶﹂の意味が掛かってくるのかわからな. ゆあ王. みそ. いが︑祓いの効果へのいっそうの期待をこめた理言としての連想されたものとまず考えられる︒ ゆoi﹂ほり. ﹁湯﹂は必ず沐浴が連想される︒沐浴はもちろん汚稜を水の霊力で流す藤ぎであるが︑その喫ぎによって浄化さ. すぺ. くす. れ再生更新が果たされもする︒お談えむきに︑﹃逸文伊予国風土記﹄の湯郡の条に︑オホナモチノ︑ミコトが死んだ ひた スクナビコナノミコトを生き返らせようとして︑犬分の速見の湯を引いてその湯にスクナビコナを漬し沐浴させた やまひ. ひとぴと. い. たも. くすo. と︸﹂ろ︑何事もなかったように生きかえったという伝承が記されている︒その伝承は﹁凡て︑湯の貴く奇﹂きことは︑. 神世の時のみにあらず︑今の世の疹痢に染める万生︑病を除やL︑身を存つ要薬と為せり︒Lと結んでいる︒異郷. の湯へ沐浴に出かけるのは︑湯治という療養の理由もあったであろうが︑聖地籠りとLての他界へ入っての死と再 き 生の呪術的な意味も大きかったと推測される︒箭明紀の有馬の湯への行幸・斉明紀の紀伊の湯への行幸・前掲﹃逸. 文伊予国風土記﹄の伊予の湯泉の記事の行幸伝承などから︑古代王権の温泉信仰を想像することができる︒﹁伊余. 200. 軽太子物語論. 101.
(24) 102 早稲田商学第305号. の湯Lは︑﹁弥︵いや︶の湯﹂でもあって︑湯の復活再生の呪力がいっそう強く︑特に尊ぱれていたにちがいない︒. そうであれぱ︑カルノミコが伊余の湯へ流されたという伝承には︑罪稜を負った皇子の湯の呪力による祓いと復. 活再生の願いが託されていたのでばないだろうか︒カルノミコ物語はミコ兄妹の心中で結ぱれるが︑二人の死後の. 霊の鎮魂を意図したのが︑流刑地の祝福された条件なのである︒その地で死ぬことが︑魂の復活再生を保証するの である︒. ﹃古事記﹄の人代の悲劇物語の結末には︑そうした鎮魂と復活再生の仕掛げが用意されている︒それにも中巻・. 下巻では前者がより霊的再生への︑後者がより鎮魂への指向が強くうかがえるというそれぞれ異なる位相性が設け. られている︒中巻サホビメ物語では︑異端としてのサホビメは火中に死んで︑生まれ代りとしてのホムチワケを正. 統の子として残すことでその鎮魂と再生が実現する︒帥ヤマトタケル物語では︑異端タケルは死んで白鳥となり︑. その子タラシナカツヒコが天皇︵伸哀︶にたることで正統に復活し︑鎮魂が果される︒神によって死を給うた伸哀 たまくLろ. お借ぜて. は︑その子ホムダワケ︵応神︶が天皇にたり︑鎮魂と復活が成る︒下巻メトリ物語においては︑メトリの死後その. 腕にはめていた王釧を奪った追討将軍山部大楯は︑皇后イハノヒメにその罪を糾弾されて死刑となり︑鎮魂が果さ. れる︒鰯皇后の前夫の子によって穀された安康天皇の鎮魂は︑弟雄略による暗殺者の殺害によって実現され︑雄略. によって殺されたイチノベノオシハノミコの鎮魂と再生は二子オケとヲケの即位によって成就される︒ ︑ これら自らの犯しその他によって王権の負を負う犠牲者の霊魂への慰撫鎮魂とその復活再生を物語ることが︑王. 権の宗教的呪術的超越性の顕揚と正統の保全のために語りの必要とするところであった︒近親相姦の罪稜の祓いを. 語るカルノ︑ミコ物語の結尾にも︑当然そのような仕掛けがあって然るべきなのである︒. 199.
(25) 八 まとめとして. ︑. ︑. ﹃古事記﹄下巻に記されるカルノミコ物語は︑人の代の現代に直接する近き代の一つの罪と罰の物語であり︑上. 巻の国生みの岐美二神の神の代におげる神の正なる近親相姦の神話と﹁逆立﹂する人の現世におげる負なる近親相. 姦の物語であった︒そLてまた︑この物語はスサノヲ神話における自ら罪穣を負って罪稜とともに他界へ去る犠牲. の祓いと復活の人代における再神話としての機能をも二重に保有しているのでもあった︒それは︑上巻対中.下巻. の構造性を通して︑全ての時間を貫き全空間に遍在する王権の正と負の聖なる宗教的呪術的超越性を語る﹃古事. 記﹄の一つの物語としてのカルノミコ物語の有機性の存するところでもある︒カルノ︑ミコの﹁カル﹂も︑禁忌の侵. 犯が現世にケガレをもたらす故の﹁枯る﹂と違想されていた︒カルノ︑ミコはまさにそうした現世の祓いの物語の主 人公とLて形象されたのであった︒. 近親相姦の禁忌が侵犯の強い危機に曝されるのは︑個の覚醒が促進された王権の近き代であった︒カルノ︑︑・コ物. 語の兄妹相姦の個人的導機は︑まさに右の状況に適うものであり︑この物語の下巻への位置づけを説明していた︒. 王権は︑こうした物語を語ることによって︑自らの現世箸臨の強化が可逆的に生み出した内側からおのれを食い破 ︑ ろうとする歪みとして人問的たるものを克服しようとするのである︒自らが生み出した負を圧殺することの帳尻を. 合わせることが︑犠牲の慰撫鎮魂︑死後の霊の復活再生を予祝することである︒カルノ︑ミコの祓いと復活再生の表. 象としての伊余の湯への流刑は︑右のような権力の仕掛けであり︑裏にその鎮魂の無気味さをのぞかせる︒. ﹃古事記﹄悲劇物語の代表ともいえるこの物語も︑また王権の語りの一環としての最も典型的構造を保有するも のであった︒. 198. 軽太子物語論. 103.
(26) 七四年九月︒. 本稿は昭和五十八年度早稲田大学商学部魔野研究振興基金による成果の一部である︒. 三浦佑之﹁軽太子軽大郎女の伝承﹂﹃日本文学﹄. 七三年︒. 七七年︒. 七四年九月︒. 七七年︒. 197. 付記 注ω. 七五年九月︒. 七六年︒. 中西 進﹁古事記抄−允恭記1﹂関西大学﹃国文学﹄五二号 守屋俊彦﹁軽太子と軽犬郎女﹂﹃目本書紀研究第九冊﹄. ② 西郷信綱﹁近親相姦と神話ーイザナキ・イザナミのこと−﹂﹃古事記研究﹄ 七六年︒. 筥崎博生﹁古代日本に於ける近親相姦禁止の機能と罪の意識構造﹂﹃国学院雑誌﹄七五巻九号. 五八年︒. 七九年︒. 七九年二一月︒. 保坂達雄﹁兄と妹−習俗と神話の構造試論﹂﹃シリiズ・古代の文学3文学の誕生﹄. 益田勝実﹁読 み ・ 潜 在 へ の 旅 ﹂ ﹃ 秘 儀 の 島 ﹄. 岡正雄その他 ﹃ 目 本 民 族 の 起 源 ﹄. ωに同じ︒. 今西錦司﹃人間社会の形成﹄NHKブックス40. ②西郷五九頁 ︒. ②保坂に同じ︒. ②西郷・益田に同じ︒. 六七年︒ 八二年︒. 七一年︒. 稔﹁残響の彼方−神話の宗教学的試論1﹂﹃講座宗教学4秘められた意味﹄東京大学出版会 七一年︒. 古橋信孝﹁古代天皇制の構造−古代共同幻想論﹂﹃古代歌謡論﹄. 山口昌男﹁天皇制の深層構造﹂﹃知の遠近法﹄ 七八年︒. 西郷信綱﹁須佐之男命−罪の化身﹂﹃古事記の世界﹄岩波新書. 山口昌男﹃アフリカの神話的世界﹄岩波新書. 折口信夫その他﹁源氏物語研究﹂﹃折口信夫全集ノート編第一五巻﹄中央公論杜. 薗田. 六六年︒その他︒. 古橋信孝﹁歴史意識の変容﹂中西進編﹃上代目本文学史﹄有斐閣. ③に同じ︒. 都倉﹁吉代王権の字宙構造﹂﹃早稲田商学﹄二八一号. 及びωの諸論︒ (6)(5)(4)(3〕. ⑪⑩(9)(8)(7). ⑭⑬⑲. 104. 早稲田商学第305号.
(27) 七三年︒. 都倉﹁﹃古事記﹄におけるスサノヲとヤマトタケル﹂﹃早稲田商学﹄二九〇号 七九年九月︒. 西郷信綱﹁大嘗祭の構造−目本古代王権の研究−﹂﹃古事記研究﹄. 八三年二一月︒. 六七年︒その他︒. 七七年︒ 八二年一〇月︒. 都倉﹁倭建命﹂﹃古代の文学3古事記﹄早稲困大学出版部. 西郷信綱﹃古 事 記 の 世 界 ﹄ 岩 波 新 書. 都倉﹁志毘臣物語論﹂﹃星−稲田商学﹄二九八号. 八木充編集﹃古代の地方史2山陰・山陽・南海編﹄朝倉書店 いよよさや. 七八年︒. 七七年︒. 七六年︒. 八一年八月︒及び③︒. 七六年︒. 都倉﹁古代王権の国土とその継承o・o﹂﹃早稲田商学﹄二八六号・二九二号 ⑲・陶に同じ︒. いや. 藤岡謙二郎編﹃古代日本の交通路皿﹄大明堂. ⑯に同じ︒. ﹁相見し妹は弥年さかる﹂︵万葉集巻二・二一一︶﹁弥清けくなりにけるかも﹂︵万葉集巻三二二ニハ︶. 八○年二一月・八一年一二月︒. 都倉﹁景行天皇と倭建命−王権の正と負1﹂﹃講座目本の神話6古代の英雄﹄有精堂. ⑯に同じ︒. 都倉﹁衰那命物語論﹂﹃早稲田商学﹄三〇二号. 都倉﹁女鳥王物語論﹂﹃日本文学研究資料叢書古事記・目本書紀皿﹄有精堂. ω三浦に同じ ︒. 都倉﹁沙本昆 売 物 語 論 ﹂ ﹃ 日 本 文 学 ﹄. ㈱⑳⑲⑯⑰⑲⑮ ⑳陶 鱒鯛. 鶴㈲鯛 ⑬に同ら. 196. 軽太子物語論. 105.
(28)
関連したドキュメント
「自然・くらし部門」 「研究技術開発部門」 「教育・教養部門」の 3 部門に、37 機関から 54 作品
県) が総務大臣杯の栄冠に輝きました。優勝が発表 された瞬間、張り詰めた空気から一転、客席から歓 声が沸き起こりました。優勝したおおむら太鼓連く じら太鼓は、12
・私は小さい頃は人見知りの激しい子どもでした。しかし、当時の担任の先生が遊びを
1−5 通関担当部門又は前記
フラミンゴ舎 平成18年に寄付金とサポーター資金を活用して建
微小粒子状物質( PM2.5 )とは、大気中に浮遊している粒子状物質のうち、粒径 2.5μm (マイクロメートル、 1μm は 1mm の千分の
ノッチタンク2基の天板ハッチ部蓋および天 板がずれ、降雨により放射性物質を含む雨
フラミンゴ舎 平成18年に寄付金とサポーター資金を活用して建