• 検索結果がありません。

―インド人男性と結婚した日本人女性の事例から

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "―インド人男性と結婚した日本人女性の事例から"

Copied!
146
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

2016

年度(平成

28

年度)

東洋大学 社会学部社会文化システム学科 卒業論文

国際結婚の中の異文化

―インド人男性と結婚した日本人女性の事例から

2016

12

23

日 提出

社会学部 第

1

部 社会文化システム学科 学籍番号

1520130083

長澤桃香

(2)

(要旨)

インド本国の文化は、食でも結婚でも日本の文化とは大きく異なる。しかし、筆者が 3 年次に行った東京都のインド人コミュニティの調査では、日本で生活するインド人は、日 本に適応しながら、彼らの背景にあるインド本国の文化と在日インド人コミュニティにみ られるインド文化の両者を包括する「インド文化」の中で生活していた。

本論の目的は、「インド文化」という日本文化とはかなり異なった文化的背景を持つ男性 と結婚した日本人女性が、出会いから結婚、出産、子育てという結婚後の生活をどう経験 しているのか、その実態を明らかにすることを通して、国際結婚という文化的背景の異な る男女の結婚における、日本人女性の「インド文化」への対応とそのプロセスを明らかに することである。そのため、第1に東京都におけるインド人コミュニティでの3つの宗教 寺院やインド人学校でのフィールドワークから、在日インド人男性の「インド文化」を把 握した。第2に、インド人男性と結婚した、日本に居住する日本人女性6人とその夫2人 を対象に、出会いから結婚、現在に至るまでの軌跡に関してのインタビュー調査を行った。

本論では、第Ⅰ章で第1に日本における国際結婚の歴史的変遷と現状を述べ、日本の国 際結婚を概観し、第2に国際結婚に関する先行研究の整理をし、第3に本論の位置づけと 調査概要を示す。第Ⅱ章では、第1に在日インド人の歴史的変遷と、東京都江戸川区のイ ンド人コミュニティの概要を述べる。第2に調査対象となったインド人夫の来日動機を、

3にインド人夫にみるインド文化と日本文化への志向を説明した後、第4に筆者による フィールドワークに基づき、東京都インド人コミュニティにおいて「インド文化」の核と なっている宗教施設として、ヒンドゥー教の「ハレー・クリシュナ寺院」、シーク教の「グ ルドワラ グル ナーナク ダルバール 東京」、ジャイナ教寺院を取り上げ、その宗教的 実践について説明する。第Ⅲ章では、筆者のインタビュー調査に基づき、調査対象の夫婦 の出会いから現在に至るまでの国際結婚の軌跡を読み取る。第Ⅳ章では、それを踏まえて、

調査対象の日本人女性の「インド文化」への対応とその差異を生み出す要因を考察する。

結論として、インドに対して関心がありそれに関する行動を「インド志向」、インド以外 の国に対して関心がありそれに関する行動を「海外志向」とすると、結婚前の人生の中で 形成された海外志向とインド志向の有無によって、結婚前に「インド文化」への不安を持 つか否かが決まっていた。そして結婚の成立の過程では、彼女たちは、インド本国の結婚 に関わる文化を取り入れているわけではなかった。以前に夫以外のインド人との結婚が破 談になった女性は、インド本国の結婚に関わる文化が障壁となった。結婚後は、「夫の日本 文化志向」「夫の寺院通い」「妻を交えたインド人との交流」という要因によって、仏教を 信仰する日本人女性の「インド文化」の受容には3段階の差異が生み出された。

(3)

目次

はじめに ... 1

Ⅰ 国際結婚に関する研究と本論の位置づけ ... 2

1 日本における国際結婚... 2

(1) 法制度の歴史的変遷 ... 2

(2) 国際結婚の現状 ... 7

2 国際結婚に関する先行研究の整理 ... 9

(1) 国際結婚を総体として論じた研究 ... 9

(2) インド系の異人種結婚と国際結婚に関する研究 ... 10

(3) 日本人の国際結婚の具体的事例に関する先行研究 ... 10

3 本論の位置づけと調査概要 ... 12

Ⅱ 東京都のインド人コミュニティと「インド文化」-宗教寺院のフィールドワークから ... 16

1 在日インド人の歴史的変遷 ... 17

2 インド人夫の来日動機... 18

3 インド人夫の2つの文化への志向 ... 24

4 東京都のインド人コミュニティにおける宗教施設 ... 29

(1) ハレー・クリシュナ寺院(ISKCON寺院) ... 29

(2) グルドワラ グル ナーナク ダルバール 東京(シーク教寺院) ... 30

(3) ジャイナ教寺院 ... 33

(4)

Ⅲ 日本在住のインド人男性と日本人女性の結婚の軌跡 ... 35

1 日本人のインド人観 ... 35

2 夫との出会い ... 37

3 結婚への道のり ... 53

(1) 国際結婚の決断 ... 53

(2) 結婚への苦悩 ... 63

4 結婚後の生活スタイル... 73

(1) インドでの生活 ... 73

(2) 生活環境 ... 75

① 職業 ... 75

② 人間関係... 80

(3) 宗教的実践 ... 91

① 寺院とお祈り ... 91

② 食 ... 96

③ 衣 ... 103

(4) 子どもの教育 ... 109

① 学校の選択 ... 109

② 宗教教育... 113

(5) 各文化に関する捉え方 ... 119

5 将来の展望 ... 128

Ⅳ 考察 ... 129

1 結婚前の「インド文化」への対応 ... 130

2 結婚への反対に見られる「インド文化」への対応 ... 131

3 結婚後の「インド文化」への対応 ... 133

おわりに ... 137

参考文献 ... 139

(5)

1

はじめに

本論の目的は、「インド文化」という日本文化とはかなり異なった文化的背景を持つ男性 と結婚した日本人女性が、出会いから結婚、出産、子育てという結婚後の生活をどう経験 しているのか、その実態を明らかにすることを通して、国際結婚という文化的背景の異な る男女の結婚における、日本人女性の「インド文化」への対応とそのプロセスを明らかに することである。ここでの「インド文化」とは、夫の背景にあるインド本国の文化と在日 インド人コミュニティにみられるインド文化の両者を指すものとする。

インド本国の文化は、日本の文化とは大きく異なる。例えば、食文化1つ取っても、イ ンドでは手を使って食べる習慣がある一方で、日本では箸を使って食べることが一般的で ある。結婚に関しても異なり、松尾[2013]は、インドの婚姻のルールとして、最も大き な規制はカースト内婚であるという。婚姻は親族や近隣に住む知り合い、父の友人を通し てもたらされ、婚姻の成立を左右するものはダウリーと星占いである。ダウリーは、女性 が結婚に際して持って行く持参財のことであるが、婚出する娘に対する財の生前分与とい う意味がある。内容としては、現金や金のほか、サリーをはじめとする衣服、装飾品、食 器類、バイク、自転車等、多岐にわたる。女性側は他にも婚約式や結婚式にかかる費用を すべて負担し、新郎側からの贈り物の半額をダウリーとして相手に返金しなければならな

い[松尾2013]。一方で日本では、上述のような婚姻のルールも特になく、恋愛結婚が主

流である。

筆者は、3 年次に東京都のインド人コミュニティについて調査を行った。日本で生活す るインド人は、日本に適応しながら、インドの文化も取り入れて生活していた。ジェンダ ー問題に興味のあった筆者は、それではインド人と国際結婚をした日本人は、日本に居住 しながら、日本とインドの2つの文化の間で、それぞれの文化をどう位置付け、どう取捨 選択して生きているのだろうかという疑問を抱くようになり、卒業論文のテーマとして取 り上げた。

本論では、まず議論の前提として、国際結婚をめぐる法制度や現状を調べ、国際結婚と はどのようなものなのかを明らかにする。そして、東京都のインド人コミュニティにおけ る筆者が3年次から実施したフィールドワークに基づいて、在日インド人コミュニティに おけるインド文化について、その核となっている宗教施設である3つの寺院での宗教的実

(6)

2

践について検討する。具体的には、ヒンドゥー教の寺院「ハレー・クリシュナ寺院」(以下、

ISKCON 寺院と表記する)、シーク教の寺院「グルドワラ グル ナーナク ダルバール

東京」(以下、シーク教寺院と表記する)、ジャイナ教寺院である。その上で本論では、筆 者が20167月~9月にかけて行った、インド人男性と結婚した、日本に居住する日本 人女性へのインタビュー調査6事例から、国際結婚の実態を捉え、出会いから現在までの 国際結婚の軌跡における日本人女性の「インド文化」への対応と、その差異を生み出す要 因を考察することを目的とする。

本論の構成は次の通りである。第Ⅰ章では、第1に日本における国際結婚の歴史的変遷 と現状について述べ、日本における国際結婚を概観する。第2に国際結婚に関する先行研 究の整理をし、第3に本論の位置づけと調査概要を示す。第Ⅱ章では、第1に、在日イン ド人の歴史的変遷と、東京都江戸川区のインド人コミュニティの概要を述べる。第2に調 査対象となった日本人女性と結婚をしたインド人男性の来日動機を、第3に調査対象のイ ンド人男性のインドと日本という2つの文化への志向を説明した後、第4に筆者によるフ ィールドワークに基づき、東京都インド人コミュニティにおいて「インド文化」の核とな っている宗教施設としてISKCON寺院、シーク教寺院、そしてジャイナ教寺院の3つの 寺院を取り上げて、その宗教的実践について説明する。第Ⅲ章では、筆者によるインタビ ュー調査に基づき、インド人男性と日本人女性の夫婦の出会いから結婚後の現在に至るま での国際結婚の軌跡を読み取る。第Ⅳ章では、それを踏まえて、インド人男性と結婚し日 本に居住する日本人女性の、出会いから現在に至る「インド文化」への対応とその差異を 生み出す要因を考察する。

Ⅰ 国際結婚に関する研究と本論の位置づけ

本章では、議論の前提として、第1に日本における国際結婚の歴史的変遷と現状につい て述べ、日本における国際結婚を概観する。第2に国際結婚に関する先行研究の整理をし、

3に本論の位置づけと調査概要を示す。

1 日本における国際結婚

(1) 法制度の歴史的変遷

(7)

3

まず、日本での国際結婚の法制度の歴史を確認することで、日本社会の国際結婚とはど ういうものなのか、それに対する考え方がどのように変化してきたのかを考えていきたい。

嘉本は、次のように述べている。「「国際結婚」は、日本産である。」[嘉本 2001:3]。 日本の慣習では、外国人と結婚することが「国際結婚」である。しかし、外国において「日 本的な国際結婚」はただの「マリッジ」と呼ばれるそうだ。つまり、両者の国籍が異なっ ても「普通の結婚」ということになる。日本人は「国籍」を重要視して「普通の結婚」と

「そうでない結婚(=国際結婚)」とを分けているが、海外では社会内部の「人種、民族、

宗教、文化、エスニシティ」という差異を重要視している。これらが異なる結婚を、「イン ターマリッジ」と呼び、「配偶者選択に適したものとして文化的に想定されている家族出身 のものどうしの婚姻ではなく、異なる内集団と外集団の出身のもの同士が婚姻すること」

(R・マートン)と定義されている。国境が戦争によって度々変更されてきた社会におい て、強く意識される「普通の結婚」との境界線は国境ではないのである。日本の国際結婚 も一種の「インターマリッジ」ではあるが、外国と比較した場合、その「普通の結婚」と の境界線が異なる。なお、外国での「インターマリッジ」は日本では「雑婚」と訳されて いた[図1参照]。

次に、日本の国際結婚の歴史について検討する。嘉本[2001]は、国際結婚とは近代国 民国家が制度としてその婚姻を認めて、さらに片方ではなく両方の国家が認めて初めて成 立するものであると定義している。ここでは嘉本の研究[2001]に則り、両方の国家が正 規の婚姻と認めた時を国際結婚の誕生とし、それまでの国際結婚を「国際結婚」とカギか っこを付けて表記する。また、嘉本は1600年代から1899年の国際結婚の誕生までを、歴 史的出来事とともにその変遷を追っているが、ここでは時代の流れをさらに3つに分けて その変遷を追うこととする。

1に、鎖国以前である。鎖国以前は、近代国民国家におけるような婚姻制度はなく、

幕府は国際結婚に関して無干渉の立場を取っていた。そのため、西洋人男性と日本人女性 の婚姻を禁止することはほとんどなく、実際に婚姻関係にあったと考えられる男女関係が 存在している。江戸時代には大名や公家、武士たちの婚姻は届出制で許可が必要であった ものの、庶民の婚姻には規定がなく、階層や地域によって多種多様であった。南蛮人との 間に生まれた子どもは、養子という形で長崎に存在し、海外にいた日本人とも自由に文通 をしていたと考えられる。また江戸時代には戸籍制度がなく、何をもって「正当な婚姻」

といえるのか、その具体的な成立要件は特定できないが、外国人と婚姻することは可能で あったと考えられる。

(8)

4

2に、鎖国期である。幕府はキリシタンへの警戒から鎖国政策に着手するとともに、

異国人間関係へ介入する。例えば、外国人の渡航を長崎県の出島と唐人屋敷に制限し、「種 子1」と呼ばれる血統の混血児を親とともに国外追放した。そして、男女関係を遊女との関 係に限定した。さらに、日本人の海外渡航も禁止された(以下、「海禁」と表記)。インの ベクトルの限定とアウトのベクトルの遮断により、結果的に「国際結婚」の成立そのもの を妨げることになる。

3に、開国期である。幕末になると、外国からの外圧が開国を余儀なくさせた。開国 は、外国人男性と交わる日本人女性の範囲を、玄人の「遊女」から、素人の「名附遊女2」、

「ラシャメン」「傭妾3」と拡大させた。そして1867年(慶応3年)の英国領事からの問 い合わせをきっかけに、幕府は身分の差別なく「国際結婚」を認めた。日本人同士の結婚 が身分の差別なく許されたのは1871年(明治4年)であり、「国際結婚」は最初から機会 均等であった。明治政府は1872年(明治5年)に、壬申戸籍によって、日本人同士の婚 姻の管理を始め、翌年の1873年(明治6年)には、いわゆる内外人民婚姻条規、太政官 布告第103号を成立させ、日本人女性に「正妻」の地位を認めた。

ここで、内外人民婚姻条規について少し述べておきたい。これは、日本で最初に「国際 結婚」に対してなされた法的な取り決めである。外国人と結婚する日本人女性は「日本人 タルノ分限」を喪失し、外国人が婿養子になる場合、「日本人タルノ分限」を得ることが定 められている。ここでは国籍と戸籍が区別されることなく、「日本人タルノ分限」として表 現されており、言い換えれば、嫁ぐ者に結婚相手の国のそれが両方同時に付与される。し かし、この時の日本は、憲法や民法、国籍法、帰化法もなく、さらに不平等条約も改正さ れていなかった。その点で日本は「文明国」(西洋型近代国民国家)と言えず、外国人居留 地内の婚姻は許されていたが、イギリス等からはそれが法的効力を持つ正式な「国際結婚」

と認められなかった。なお、日本人男性が外国人女性に婿入りすること、日本人が外国人 の親へ養子縁組することは許されておらず、いかなる場合においても日本人男性は「日本 人タルノ分限」を放棄することはできなかった。「海禁」解除によって留学等で海外に渡航 する、すなわちアウトのベクトルに乗った日本人男性と、現地で出会った外国人女性の「国 際結婚」カップルを生み出すこととなるが、日本人男性の外国への単独帰化はことごとく 認められなかったのである。

また嘉本は実際に、史料から当時の「国際結婚」を集計しているが、この時代の「国際

1母に日本人、父に西洋人を持つような子ども。「南蛮種子」「紅毛種子」と呼ばれた。

2 公娼である遊女ではなく、名義だけ遊女屋に籍を置いて、唐人や紅毛人と関係した素人の者。

3 「やといめかけ」「ようしょう」と読まれたと思われる。名附遊女、ラシャメン、傭妾(洋妾)との間 に厳密な区別があったかどうかは不明。

(9)

5

結婚」総数は、不許可になったケースも含めると265件である。その内訳は、外国人男性 に嫁いだ日本人女性は72%、日本人女性に婿入りした外国人男性は6%、日本人男性に嫁 いだ外国人女性は22%であった。このことから、アウトのベクトルに乗って渡航した日本 人男性ではなく、インのベクトルに乗り来日した外国人男性が日本人女性を娶る形で「国 際結婚」はリードされていたといえるだろう。そして1899年(明治32年)、日本は憲法 や民法、国籍法などの西洋型近代国民国家が必要とする諸法律を施行して、念願の条約改 正を実現させる。こうして、日本は「文明国」の仲間入りを果たし、国際関係を築くこと ができると認められ、国際結婚は誕生した[嘉本 2001]

ここからは、日本における国際結婚の誕生後の歴史である。工藤[2008]によると、1899 年(明治32年)の領事裁判権の撤廃により外国人居住地が廃止され、これを機に外国人 登録の規定が定められていく。同年の国籍法の制定により、父系血統主義が提唱され、婚 姻・養子縁組といった身分行為による国籍取得が定められた。1950年になると、同法は改 正され、外国人と結婚した日本人女性の国籍変更は不要となったが、子の国籍に関する父 系血統主義は維持された。なお、日本人女性を持つ外国人男性の方が、日本人夫を持つ外 国人女性よりも、滞在許可の取得が難しいといった、外国人配偶者の滞在許可取得の男女 差が露呈した。これは、外国人の妻の経済力は問われないためである。外国人男性と結婚 した日本人女性が日本で夫子とともに生活基盤を築くのは、非常に不利な状況であった。

しかし、1981年の出入国管理令の改正により、日本人の配偶者や子としての在留資格が新 設され、日本人女性を持つ外国人男性が日本に住むための道が切り開かれていく。さらに 1984年の国籍法の一部改正により、父系血統主義が完全になくなり、父母両系主義となる。

日本人女性と外国人の夫の間の子には、自動的に日本国籍が付与されることとなった[工

2008:78-80]。以上のように、国際結婚や国籍に関する取り決めは時代とともに改正さ

れ、日本人女性が国際結婚をして日本での生活を選んだ場合、家族は日本国籍を取得する ことができる社会に変化してきた。[表1参照]。

1 日本と外国における「普通の結婚」と「そうでない結婚」

(10)

6

出典:嘉本伊都子『国際結婚の誕生』をもとに筆者作成。

1 国際結婚に関する法制度の変遷

1635年 鎖国/海禁

1636年 「南蛮種子」の国外追放/出島の完成

1639年 「紅毛種子」の国外追放/出島へ「遊女」差出 1689年 唐人屋敷の完成/唐人屋敷へ「遊女」差出 1853年 開国/ペリー来航

1854年~ 各国と和親・修好通商条規の締結

(不平等条約・外国人居留地の誕生)

1866年 海禁解除

1867年 英国領事の問い合わせ→「国際結婚」公認へ 1868年 明治維新

1872年 壬申戸籍

1873年 内外人民婚姻条規(太政官布告第103号)成立

→「国際結婚」の制度化 1889年 帝国憲法 発布

1898年 民法・法例施行

▼日本の結婚

▼外国の結婚 国際結婚(異国籍同士)

雑婚(異人種や 異民族同士)

インターマリッジ

=国際結婚(異人種や 異民族同士)

マリッジ

=普通の結婚

(異国籍同士含む)

普通の結婚

(11)

7

1899年 国籍法 制定/条約改正・外国人居留地の廃止 1950年 国籍法 改正

1981年 出入国管理令 改正

「出入国管理及び難民認定法」となる 1984年 国籍法 一部改正

出典:嘉本伊都子『国際結婚の誕生』

工藤正子『越境の人類学』をもとに筆者作成。

(2) 国際結婚の現状

では、次に日本における国際結婚の現状について検討する。山田・開内は、次のように 述べている。「平成20年の「人口動態統計(保管統計表)」で国外の国際結婚をみると、

妻日本人と夫外国人というカップルが約69%も占めている。そして、平成20年の国内と 国外の全体の年間婚姻件数を合算すると、国際結婚の占める割合は約6.5%になる。この ような傾向は2005年以降恒常化していて、国内と国外を合算した国際結婚の年間婚姻件 数は、日本人が関係した婚姻件数は、日本人が関係した婚姻件数全体の6%から7%をつ ねに占めている。この数字はこれから結婚するカップルが20組あったら、国際結婚が1 組か2組くらい存在していることを意味している。国際結婚は特別なこととは言えないだ ろう。」[山田・開内 2012:47]。2005年以降、日本では一定の割合で国際結婚がなされ ている。国際結婚は身近なものになりつつあるようだ。

開内[2012]によると、日本国内では日本人女性の国際結婚は過去20年間で、年間約 5000組で推移しており、日本国外では日本人女性の国際結婚は過去20年間で2倍から3 倍に増加し、過去5年間では年間約8000組で推移している。国際結婚は、国内よりも国 外が多い現状がある。

開内[2016]は、国外の国際結婚が多い要因として、日本人女性が国内で活用しきれ なかった人的資本を国外で活用しようとした可能性を挙げている。開内氏が20104月 から20131月にかけて、香港・シンガポール・バンコク・イスタンブール・カッパド キア在住で国際結婚をしている日本人女性78人に行った調査では、最終学歴が大学、大 学院である女性が各調査地で70%前後と高水準であった[開内 2016]。このことから、

日本国外で国際結婚をする女性は高学歴である傾向が見られる。そして結婚前から、語学 留学や仕事のための海外在住を経験しているケースが多く、グローバルに活動している点 で彼女たちは人的資本が高いといえる。

(12)

8

他方、現在の日本は、男女平等を作り出すための努力をしているが、苦戦している。男 女の社会進出の平等の本質を「男性と女性が社会的に、いかに平等な待遇を受けているか」

と定義し、GGI4(ジェンダー・ギャップ指数)、GII 5(ジェンダー不平等指数)、HDI6(人 間開発指数)の3つの指標を用いて、男女共同参画白書の平成22年度~平成26年度のデ ータを比較すると、いずれも日本のGGIの順位はHDIGIIの順位と比べて著しく低く なっていた。このことから、日本は人間開発の達成度では実績を上げているが、政治・経 済活動や意思決定に参加する機会においては、国際的に男女間の格差が大きいと考えられ、

過去5年間では大きな改善はなされていないということが判明した[内閣府男女共同参画 局]。

以上のことから、男女の社会進出には隔たりがあると考えられる。しかし、女性たちは 社会進出を望んでいないために、このような結果を日本社会にもたらしているわけではな い。社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)(独 身者調査)」の「女性の理想とするライフスタイルコースに関する調査」では、「両立」(結 婚し子どもを持つが、仕事も一生続ける)及び「再就職」(結婚し子どもを持つが、結婚あ るいは出産の機会にいったん退職し、子育て後に再び仕事を持つ)を選択する者が2010 年時点でそれぞれ30%を超えており、増加傾向にある。このことからも、女性は社会に積 極的に関わろうとしている姿勢が見られる。政府は「2020年30%の目標7」などと対策を 講じてはいるものの、大きな成果をあげられていないのが実情である。前述の国際結婚の 変遷でも見られたように、法制度では男女は平等であり人的資本を活かす機会があるが、

実情は異なるのかもしれない。

最新の「人口動態統計(保管統計表)」を参照すると、2015 年(平成 27 年)における 日本国内の婚姻件数は総数635,156組で、その内訳は日本人同士の婚姻が614,180組、国

際結婚は20,976組である。そのうち、夫が日本人の場合は14,809組で、妻が日本人の場

合は6,167組である。ちなみに、日本における外国人同士(夫婦とも外国籍)の婚姻は3,589

組であった。同年の日本国外の婚姻件数は総数11,516組であり、日本人同士の婚姻が2,104

4 Gender Gap Indexの略。世界経済フォーラムが各国内の男女間の格差を、経済分野、教育分野、政治 分野及び保健分野の4分野のデータをもとに数値化しランク付けした指数。0が完全不平等、1が完全平 等を意味する。

5 Gender Inequality Indexの略。国連開発計画(UNDP)による、国家の人間開発の達成が男女の不平 等によって、どの程度妨げられているかを明らかにするもの。

6 Human Development Indexの略。GIIと同様、国連開発計画(UNDP)による、「長寿で健康な生活」

「知識」及び「人間らしい生活水準」という人間開発の3つの側面を測定し数値化した指標。具体的には、

出生時の平均寿命、知識(平均就学年数及び予想就学年数)、1人当たり国民総所得(GNI)を用いて算 出している。

7社会のあらゆる分野において、2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%程度と する目標。

(13)

9

組、夫が日本人の場合は1,579組で、妻が日本人の場合は7,833 組である。平成20年と 比べれば、国内と国外の全体の年間婚姻件数を合算すると国際結婚の占める割合は約

4.7%と減少気味だが、日本国外の妻日本人と夫外国人というカップルは約 83.2%と増加

しており、国内の国際結婚の場合の29.4%をも大きく上回る。なお、件数でも国内よりも 国外の方が上回っていることが分かる。特に、日本国内の国際結婚と日本国外の国際結婚 に変わった傾向は見られなかった[人口動態調査]。

2 国際結婚に関する先行研究の整理

国際結婚に関する研究は、国際結婚を総体として論じた研究と、インド系の異人種結婚 と国際結婚に関する研究、国際結婚の各事例に関する研究の3つに分けることができる。

(1) 国際結婚を総体として論じた研究

1に、国際結婚について社会学的に論じている研究や国際結婚がなぜ生じるのかにつ いて論じた研究である。

嘉本は、国際結婚について歴史社会学的視点から研究を行っている。嘉本[2001]は、

どのような経緯で、なぜ、いつごろ日本に国際結婚が誕生したのか、あるいは、国際結婚 と単なる結婚との間に引かれた境界線や、国際結婚と近代国民国家との間の関係を問うて いる[嘉本 2001]。そして、国際結婚の誕生の確立までを嘉本[2009]は国際結婚を「近 代国家日本の国籍(戸籍)を所有するものと、それを所有していない「余所者」の男女の 婚姻」と定義したうえで、国際結婚の誕生から変遷を近代国家の「余所者」の管理とその

「男女のセクシュアリティの管理」の仕方に着目して論じている。日本の女性たちは「専 業主婦と夫、そして平均的に子ども2人」という西洋的な近代家族に見られるモダニティ を形成しており、国際結婚をそれの実現のために利用した。つまり、モダニティの希求の 結果、女性たちは村落から都市部、あるいは「余所者」のいる地理的な空間移動を行い、

家族形成を行ってきたのである[嘉本 2009]

山田・開内[2012]は、日本人男性の非婚化傾向に対し、日本人女性はアジアのエリー ト男性との結婚傾向を指摘している。「絶食系男子」と「なでしこ姫」の2つの造語に集 約されている社会現象は、日本の雇用慣行に起因する。「絶食系男子」は「好きな女性がい ても告白せずに様子を見ている恋愛に消極的な「草食系」にとどまらず、そもそも異性と の交際を諦めている、または女性との交際を面倒くさいと言って恋愛欲求すらもたない男

(14)

10

性」、「なでしこ姫」は「海外に活躍の場を求める日本人女性」、本書ではとりわけ「アジア に飛び出し国際結婚し活動する日本人女性」と定義している。非正規雇用の増加に見られ る雇用慣行の歪みが若者や女性に集中し、女性はその上方婚志向も相まって国内で幸せな キャリアパスを描けずアジアへ向かい、男性は女性の願望に自分がそぐわないことを感じ て絶食化する[山田・開内 2012]。

カティブ-チャヒディ他[2005]は、女性がよそ者を配偶者として選択するのはなぜか を明らかにするため、国際結婚を果たした様々な国籍の女性19人にインタビュー調査を 行っている。なお、この中に日本国籍の者は含まれていない。夫に惹かれた理由は、文化 的な特徴というより個人的資質が要因であり、女性自身のパーソナリティや置かれている 状況が結婚相手の選択の鍵になっている。なお、インタビュー調査とパーソナリティ・テ ストの結果から、女性たちには共通の性質が見られた[カティブ-チャヒディ他 2005]。

(2) インド系の異人種結婚と国際結婚に関する研究

2に、インド系の異人種結婚と国際結婚に関する先行研究から、インド人の国際結婚 の事例を検討する。

柴田[2005]は、ガイアナにおける「インド系」と「アフリカ系」の異人種結婚から、

固定観念が配偶者の選択を規制すると述べた。1980年の国勢調査によると、ガイアナには

「インド系」が51.38%、「アフリカ系」が30.46%と多く存在している。両者はガイアナ の政治・経済史を背景に、互いに否定的な固定観念(人種偏見)を増大させ、両者間の異 文化結婚へと人々を導くことを妨げた。[柴田 2005]

ジョシ、クリシュナ[2005]は、夫の合同家族と同居する外国人妻について考察してい る。専門職のインド人男性と1970年代中頃に結婚した大卒の、イギリス人女性20人と北 アメリカ出身の女性 10 人にインタビュー調査を行い、その結果を大卒で専門職のインド 人女性 30 人に議論させ調査をまとめた。彼女たちの日常的な行為の相違がインドと文化 的に異なった考え方と結びついており、このことは彼女たちが異なった期待と経験をして きているため、しばしば軋轢を引き起こす[ジョシ、クリシュナ 2005]

(3) 日本人の国際結婚の具体的事例に関する先行研究

3に、日本人の国際結婚を取り上げた事例研究である。これらの研究は更に、夫婦が 日本国外に居住しているケースと、夫婦が日本国内に居住している、あるいは日本国内に

(15)

11

居住するケースを研究の中に一部含むケースに二分することができる。まずは、前者のケ ースについて述べる。

サンダース宮松[2010]は国際結婚を果たしており、世界中からの多くの移民が集まる カナダであっても決して異人種との結婚に対して寛容ではなかったが、半世紀の間に国際 結婚をめぐる状況は変容したと述べる。このような国際結婚の実情を踏まえた上で、カナ ダにおける日本人男性移住者とカナダ人女性の国際結婚、日本人女性移住者とカナダ人男 性の国際結婚について、文化の相違を感じる時やその時の心境を夫側と妻側の双方に対し て質問紙調査を行い、事例を紹介している[サンダース宮松 2010]

鈴木[2012]は、異文化間結婚を果たし、成人初期に母国から配偶者の出身国(文化)

に文化間移動している当時40代~70代の女性たちに調査を行った。「異文化間結婚」とは、

異なる文化的背景を持つ男女間の結婚を意味する。文化的アイデンティティを「自分があ る特定の文化集団のメンバーとある文化を共有しているという感覚・意識」(文化的帰属 感・意識)と位置づけ、インドネシアに文化間移動をした異文化間結婚日本人女性の研究 を基盤に、米国・豪州に文化間移動をした異文化間結婚日本人女性(戦争花嫁)の研究、

日本に文化間移動をした異文化間結婚外国人女性の研究を加え、彼女たちの文化的アイデ ンティティに関して総合的・多面的に検討している[鈴木 2012]

浅井[2016]は、戦後国際結婚をして渡米した日本人女性のための支援を目的とした NPO法人「ひまわり会」の運営に携わっていた。浅井は、彼女たちの記憶を後世に歴史 として残すために、2004年に行った10人のオーラルヒストリーを報告している。彼女た ちは、1950年代~70年代初頭にかけてアメリカ人と国際結婚を果たし、その後渡米して いる[浅井 2016]

宮西[2012]は、200510月~2008年12月の海兵隊基地内でのフィールドワークに 基づき、米軍兵士と沖縄女性との結婚生活における葛藤や対立について男女双方の視点か ら、軍隊を人類学の対象として位置付けて考察している。外国人軍人妻や国際結婚に関す る先行研究を受け、外国人妻たちの多様性、結婚生活の否定的な側面(離婚や別居生活等)、 軍隊と結婚・家族生活への影響、男性側の視点の考察の不十分さを指摘し、その点を自身 の研究で検討している[宮西 2012]

濱野[2014]は、2007年8月~2008年7月にかけて行った、シドニーに在住する日本 人女性結婚移住者たち22人のインタビューを考察している。この場合の結婚移住者とは、

現地配偶者との婚姻が永住の要因となった人を指す。なお、調査対象者はウェスタンシド ニーのペンリス市にある現地の日本人永住者たちの団体「ペンリス日本(人)コミュニテ ィ」の参加者で、中心となった世代は30代~40代である。濱野は、彼女たちの移住に至

(16)

12

るプロセスが多くの先行研究の結論と一致することや居住地の選好がエスニックな文化に 配慮したサービスを受けられるコミュニティと離れることを言及し、彼女たちのアイデン ティティの再構成について述べている[濱野 2014]

次に、夫婦が日本国内に居住している、あるいは日本国内に居住するケースを研究の中 に一部含むケースである。

竹下[2004]は、結婚満足度を数量的に分析し、さらに結婚生活の状況を知って満足度 の規定要因を理解するために、インタビュー調査を行った。調査対象は主に、台湾に居住 する台湾人男性と日本人女性のカップルと、日本に居住する外国人ムスリムと日本人女性 のカップルである。前者は戦前から存在する組み合わせだが、後者は1980年代半ば以降 増加した組み合わせである。どちらのカップルにおいても、それぞれの社会の家族規範や ジェンダー規範が結婚満足度に影響していた[竹下 2004]

レフシン[2005]は、1993年~94年にデンマークにて26~65歳のデンマーク人と日 本人の男女26人にインタビュー調査を行った。そこから、現地に居住する日本人とデン マーク人のカップルが、どのように自らのジェンダーとアイデンティティを認識している か、また現地のライフスタイルや生活条件がカップルの取りうる選択にどのような影響を 及ぼしているのかを検討した。男女平等を作り出す努力をして成功したデンマークでは、

妻のジェンダーアイデンティティが結婚におけるジェンダーの役割の配分を決定している。

なお、日本に居住する同じ組み合わせのカップルの傾向と考察を述べた上で、夫婦同士の ジェンダーの役割期待が全く適合しない場合は離婚に至る可能性も指摘している[レフシ ン 2005]

工藤[2008]は、1980年代から90年代に「出稼ぎ者」として来日したパキスタン人男 性たちと結婚した日本人女性たちの事例を取り上げている。工藤によると、結婚は社会的 背景だけでなく、意識の変容の含めたプロセスであり、結婚後は理想や知識を解釈しなお していくプロセスである[工藤 2008:82-83]。パキスタン人男性との結婚による女性た ちの生活世界の変容が、日本からパキスタンへ、非ムスリムからムスリムへ、という単な る移行ではなく、結婚生活を経て新たな重層的世界を構成し、自己変容のプロセスに繋が っていると述べている[工藤 2008]

3 本論の位置づけと調査概要

ここでは、前節で整理した先行研究に本論を位置づけてその意義を述べた後、本論の基 づく調査の概要を説明する。国際結婚に関する先行研究は、国際結婚を総体として論じた

(17)

13

研究と、インド系の異人種結婚と国際結婚に関する研究、日本人の国際結婚の具体的事例 に分けられた。国際結婚は、世界がより緊密化していく近代化の中で生まれ、日本でも女 性たちが理想を追求するプロセスの中で普及していったと考えられる。そして、日本人女 性の国際結婚について取り上げた事例研究は多く存在していた

本論と最も関係の深い研究は、日本における日本人女性とパキスタン人男性の国際結婚 を論じた工藤の研究[2008]である。工藤[2008]は国際結婚を通して、夫の背景にある 文化に対応した日本人女性のアイデンティティの再構築に焦点を当て、労働力の再配置や 人の移動といった背景、つまり外国人労働者という国境を越えた労働移動を契機とする国 際結婚について人類学的に考察している。そのため、国際結婚における、夫の背景にある 文化との対応の過程で、女性たちの意識や生活実践がどのように再形成されていくのかに 注目している点で本論と共通点がある。しかし、工藤の研究[2008]では、夫の信仰宗教 がイスラム教のみである。本論で取り上げるインド人男性は、ヒンドゥー教、ジャイナ教、

シーク教の3 つの宗教を信仰している。また、工藤[2008]によると、パキスタンには、

「イスラーム婚姻法」という、イギリスの植民地支配との関わりの中で形成されたイスラ ーム法の伝統を継承したものがある。パキスタン人との結婚ではこれが適用され、ニカー

(婚姻契約)とニカー・ナーマ(婚姻契約書)の提出が婚姻要件とされている。この婚姻 契約を交わすにあたって、ムスリム男性は同じムスリムまたは「啓典の民」(ユダヤ教徒・

キリスト教徒)の女性との結婚でなければならないという規定を満たす必要があるためで ある。よって、日本人女性は夫と同じイスラム教への改宗が必要になる。しかし、本論で 取り扱う3つの宗教には、このような規定はなく、日本人女性の改宗は必要ではない。こ の点から、日本人女性には多様な選択肢がある点で異なる。さらに工藤の研究[2008]で は、居住地が分かっている調査対象者32人のうち日本を拠点として生活している者は22 人であり、全員日本に在住しているわけではない。本論で取り扱う事例は、2016年末の時 点で全員日本に在住している点でも異なる。このことから、日本に居住しながら国際結婚 の中に含まれる異文化に対してどう対応しているのかその多様性を、ケースごとに明確に 検討することができる。

以上のように、本論では、インド人男性と結婚した日本人女性が、出会いから現在に至 る国際結婚の過程で「インド文化」にどのように対応したかに焦点を当てて、詳細にイン タビュー調査を実施し、国際結婚の実態を捉えたことによって、国際結婚をした日本人女 性の夫の「インド文化」への対応の多様性を描きだすことができる。あまり取り上げられ てこなかった日本国内に居住する日本人女性の国際結婚に注目し、その中でも文化的背景 の差異の大きい文化との接触をもたらすことが予想されるインド人男性との国際結婚を取

(18)

14

り上げる。また、東京都のインド人コミュニティにおけるフィールドワークを実施し、特 にその中心にある3つの寺院での宗教的実践について明らかにした点やインド人学校や国 際学校での教育の現状を踏まえている点、さらに夫2人にもインタビューをした点も本論 のオリジナリティである。「インドでの生活」、「生活環境」として「職業」「人間関係」、「宗 教的実践」として「寺院・お祈り」「食」「衣」、「子どもの教育」として「学校の選択」「宗 教教育」、「各文化に関する捉え方」と様々な文化的要素を取り上げて検討する。

本論ではそれを明らかにするために、次のように調査を行った。まず、在日インド人男 性の背景にある「インド文化」を把握するために、東京都におけるインド人コミュニティ に関する調査を実施した。具体的には、インド人が多く集う宗教施設やインド人が多く通 う学校を複数回にわたり訪問し、参与観察やインタビュー調査を行った[表 2 参照]。宗 教施設は、ヒンドゥー教の寺院「ハレー・クリシュナ寺院」(ISKCON寺院)、シーク教の 寺院「グルドワラ グル ナーナク ダルバール 東京」(シーク教寺院)、ジャイナ教寺 院の3つである。各寺院の説明は、Ⅱ章にて後述する。学校は「Global Indian International School」(以下、GIISと略記する)、「India International School in Japan」(以下、IISJ と略記する)、「TATHVA International School」(以下、TATHVAと略記する)の3校で ある。GIIS と IISJ はインドのカリキュラムである CBSE(The Central Board of

Secondary Education)を採用しているインド人学校であるが、TATHVACambridge

IGCSE(International General Certificate of Secondary Education)という国際的なカ リキュラムを採用しておりインド人学校ではない。しかし、インターナショナルスクール

であるTATHVAには、多くのインド人生徒が在籍している。

本論の基づく中心的データは、日本在住のインド人男性と結婚した日本人女性6人とそ の夫2人へのインタビューである。調査対象者の獲得には、筆者自ら、各宗教の寺院に何 度も足を運び、訪問を通して出会ったインド人に直接協力を依頼したり、あるいは知り合 いの方を紹介していただいたりした。その結果、調査に至らなかったケースも多数みられ たが、6組の夫婦に調査協力をいただき、2016年7月~9月にかけて調査を実施した。調 査はインタビュー形式で、1組につき約2時間である[表2参照]。インタビュー内容とし ては、居住地や家族構成などの基本情報、夫婦の出会いから結婚に至るまで、結婚後の生 活については宗教的実践や友人関係、子どもの教育等を中心にお話を聞いた。そしてイン タビュー内容は全員にご了承いただき、録音させていただいた。これにより、本人の語り 口調から文化への対応を読み取ることに成功した。インタビューをした場所は、夫の宗教 の寺院内や、夫婦の自宅や勤務先、ファストフード店など様々である。

インタビュー対象となった夫婦の属性を以下にまとめた。調査対象者の名や、聞き取り

(19)

15

に置いて言及された人々の名は、匿名性を確保するためにアルファベットで記号化してお り、調査対象者の場合はA~Fまでのアルファベットを用いた。また、対象者の営む商店 や自宅が位置する市町村についても、極力匿名性に配慮し、部分的に言い回しを変える等、

インタビューのデータに処置を施している。今回の調査では、結婚年や居住地、夫の宗教 にもばらつきがあり、様々な事例を集めることができた。なお、妻A・夫Aは個々にイン タビューを行っているが、妻B・夫Bは同時にインタビューを行っている[表3参照]。

2 調査概要

日付 対象 調査時間

2015630GIIS「あいうえおの会」ボランティア同行 3時間

2015725

江戸川総合人生大学 学園祭参加(市民ホール)

ISKCON寺院 参与観察・インタビュー

お祭り(東京都江東区東大島駅前)

8時間

2015103GIIS日本人職員へインタビュー調査(GIIS) 1時間半 20151013日 GIIS「あいうえおの会」ボランティア同行 3時間 20151023日 IISJ職員へのインタビュー調査 (IISJ) 1時間 20151027日 TATHVA教員へインタビュー調査 (TATHVA) 2時間

2015118ISKCON寺院 参与観察 1時間

20151212日 TATHVA「Winter Music Concert」見学 8時間 2016221日 シーク教寺院 参与観察・インタビュー調査 3時間 2016521日 開内氏による国際結婚の講演会 公聴(東洋大学) 1時間半 2016626日 シーク教寺院 参与観察 2時間半

201673ISKCON寺院 参与観察 2時間

2016710日 ジャイナ教寺院 見学会参加 1時間半 2016724日 シーク教寺院 参与観察・インタビュー調査 3時間

2016728日 夫A インタビュー調査(ジュエリーショップ) 1時間半

2016810日 妻B・夫B インタビュー調査(ファストフード店) 2時間半

2016814日 ジャイナ教寺院 参与観察 1時間

2016821日 妻C インタビュー調査(妻Cの自宅) 2時間

2016825日 妻D インタビュー調査(ISKCON寺院)

ISKCON寺院「ジャンマアシュタミー」参与観察 6時間半

(20)

16

201693日 妻A インタビュー調査(菜食レストラン) 2時間半

201695日 リトルインディア東京 代表インタビュー調査

(ファミリーレストラン) 1時間半 2016916日 インド料理店 訪問(東京都K区) 1時間

2016918日 妻E インタビュー調査(シーク教寺院)

F インタビュー調査(シーク教寺院) 3時間半

出典:自身の調査のデータを基に、筆者作成。

注)()内は、調査場所を示す。

3 調査対象者の属性

調査者 結婚年 居住地 夫の宗教 夫の職業 子ども 妻A・夫A 2002年 東京都 ジャイナ教 飲食店・宝石店経営 12歳 妻B・夫B 2002年 埼玉県 ヒンドゥー教 飲食店経営(2軒) 小4・中1 C 2005年 東京都 ヒンドゥー教 飲食店勤務 2歳・8歳 妻D 2015年 静岡県 ヒンドゥー教 工場勤務 ―

E 2002年 埼玉県 シーク教 配送業 小3・小5 F 2013年 茨城県 シーク教 建設業 1歳・2歳

出典:自身の調査のデータを基に、筆者作成。

Ⅱ 東京都のインド人コミュニティと「インド文化」

-宗教寺院のフィールドワークから

本章では、第1に、在日インド人の歴史的変遷と、東京都江戸川区のインド人コミュニ ティの概要を述べる。第2に調査対象の日本人女性のインド人夫の来日動機を、第3に調 査対象のインド人夫の2つの文化への志向を説明した後、第4に東京都のインド人コミュ ニティにおける「インド文化」の核をなす3つの宗教寺院での宗教的実践について、筆者 のフィールドワークに基づいて検討する。インド人男性と日本人女性との国際結婚におけ る、日本人女性の夫の「インド文化」への対応を検討することを目的としている本論にと って、在日インド人コミュニティにおけるインド文化を検討することは必要不可欠である。

(21)

17 1 在日インド人の歴史的変遷

インド人の日本への移住の歴史を遡ると、日本が開国した後、貿易港である神戸と横浜 にインド人商人が居住しはじめた。1923年に関東大震災が起こると、被災した横浜のイン ド人商人が神戸へと移住し、その後は、神戸が日本最大のインド人集住地となった[南埜

ほか 1999、南 2005]。彼らは、インド国籍ではなく、同一宗教、カースト内で対面接

触による緊密なローカルネットワークを維持し、自分たちの場所を形成してきた[澤・南

2003、2005]。その後、1980年代半ばから東京都のインド人が増加し、1990年代に

は東京都が兵庫県を上回まわるようになった[澤・南埜 2009]

在日インド人増加の背景として、次のようなことがあげられる。近年の経済のグローバ ル化の中、資本の流動性が高まると同時に、人の流動性も高まっており、インド系移民に おいても空間的再編成が進んでいる。移民の発生は、世界的な経済・政治の動向といった 外的営力と、送り出し国の経済や政治状況といった内的営力の相乗作用によってもたらさ れる。送り出し国のインドに目を向けてみると、経済の自由化は1980 年代から進められ ていた。しかし、中東産油国への出稼ぎ移民を除けば、現在と比べれば移民の規模や範囲 は限られていた。冷戦構造の崩壊や湾岸戦争などの影響を受け、1991 年には外貨備蓄が 底をつく経済的危機の事態に直面し、インド政府は経済政策を転換して資本主義経済原理 を大幅に取り入れた「新経済政策」を打ち出した。以降、インドは先進工業国からの外資 の導入により急激な経済成長を経験することとなった。また、南インド・バンガロールな どから高学歴のIT 技術者の欧米や日本への移動が顕著となってきた[澤・南埜 2009]。 このような背景によって、在日インド人人口は増加傾向にある。

4 在留資格別(主要5在留目的別)在日インド人人口 (単位:人)

在留資格/年 20122013201420152016

家族滞在 5,392 5,519 5,698 6,183 6,713

技術・人文知識・国際業務 4,144 4,280 4,740 5,121 5,618

永住者 3,936 4,100 4,390 4,742 5,145

技能 3,798 3,795 3,781 4,070 4,431

留学 670 711 786 907 1,100

総数 21,654 22,232 23,411 25,309 27,592

(22)

18

出典:法務省「在留外国人統計」2012年、2013年、2014年、2015年、2016年版 をもとに、筆者作成 。

4からも、在日インド人の数は増加してきていることが分かる。特に増加してきてい るのは、技術者や国際業務に携わるインド人である。また、単身赴任ではなく、家族と共 に日本に住むインド人や、永住者の数も増えてきていることが分かる[表4参照]。

東京都の中でも、近年、江戸川区に住むインド人が年々増加している。小山田[2007]

によると、特に西葛西や船堀などの西葛西周辺に IT 技術者が集中している。グローバリ ゼーションの進展により先進国間で行われている人材獲得競争、そして人口減少によりIT 技術者の労働力不足に対応するために、日本政府はインドに注目し、法制度の諸改正を行 い、2001年に滞在日数90日、有効期間3年の短期滞在のビザ(商用目的)をインド人IT 技術者に発給することを決めたのである。西葛西において特にインド人が集住している地 域は、駅南側の清新町の公団住宅である。これらの公団住宅の家賃は3LDKで平均12

~16万であり、インド人の多くが働いている外資系金融が立ち並ぶ大手町、インド大使館 がある九段下、その他飯田橋や日本橋などを通る東京メトロ東西線沿線のこの駅周辺の街 区は、都心と比べると安い。もともとは「ウィプロ」「インフォシス」などのインド系企業 が社宅として利用するために清新町の公団住宅を多世帯契約したことが集住のきっかけで あったが、その後は口コミによる集住が増加しているという。

昨今の集住は、西葛西在住のインド人が、後から来る同僚のために自宅の近隣で家を探 すことが多く、その結果として同地域への集住化が強まってきているといえる。また、イ ンドでも「西葛西」が知られるようになり、日本に来て家を探す人は西葛西から探し始め る傾向がある。特に、家族を伴って来日する人々は、日本語ができない専業主婦にとって 安心して住める場としてこの地域を選んでいる。このように移住や定住の際に互いに助け 合うために、移民自身が西葛西のインド人コミュニティを発達させたといえる[小山田

2007]。その集住地区周辺には宗教施設、インド人学校が設立され、ディワリ祭り等のイ

ンド本国の文化に根差す祭りも実施されている。

2 インド人夫の来日動機

では、調査で取り上げた日本人女性と結婚したインド人男性6人は、どうして来日した のか。彼らは来日時期がそれぞれ異なり、最も来日の早い夫は 1990 年代、最も来日の遅 い夫は今年であった。彼らはIT技術者として来日したわけではない。ここで、夫 2人に

(23)

19

行ったインタビューに基づき、来日の動機を検証する。

以下、教科書体のフォントで書かれた部分が、インタビューからの抜粋である。そして、

必要と判断した場合のみに、インタビューデータ中に筆者による補足説明を()で示した。

なお、Aさん、Bさんは妻を指し、夫を指す場合は「Aさん夫」「Bさん夫」等、明確に「夫」

と表記することとする。

事例1:A さんの夫の場合

私は高校のときから、日本語勉強始めたんですね。あのー、うちの父親が国会議事 堂に勤めてて。で、本当にもう、今から 80 年前くらい。日本語ちょーっとだけ勉強し たんですよ。本当にもう何回かしか。インドにある日本大使館でね。≪中略≫その日 本大使館がやってる、日本文化情報センター。まあどこの国でもあるものなんですけ どね。旅行者が行ったりとか、小さな図書館があったりとか。で、そこで週に 2 回、

あの 2 時間。週に 2 時間、1 時間 1 時間くらい。一応 3 年間は行ったんですね。でもあ の、高校のときのも、あれ勉強とか、あと大学のいろいろあったんで、全部は通えな かったんだけど。でも多分言葉には強かったかもしれない。行かなくても、優秀でし たよ僕。【A さん夫】

Aさんの夫は、高校生の時から日本大使館で日本語を勉強していた。全部通うことはで きなかったが、日本語をどんどん覚えていった。日本語を勉強するきっかけは何だったの だろうか。

(父は)まあ一応国会議事堂で働いてたんだけど、でもあの魅力的じゃないかなっ て思って。多分おんなじ…あの、考え、種がうちにも撒かれちゃって。で、これから、

多分あの時ね?あの時の考えですよ、80 年代のこと。あの、そう 80、80、ちょうど 80 年ごろ。あのーなんでかというと、私の二人先輩もいるんですよ、姉たち。彼女たち も、二人とも日本語勉強しました。どっちも 3 年くらい。で、1 人の姉は、今インドで 旅行代理店やってます。もう 1 人は今、国会議事堂で働いています。やはりお父さん が、そのとき考えが、日本とインドは関係良くなるんじゃないかなっていう、ちょっ とまあ先が読めたか、見えたか。結構賢かったんですね、うちの父親が。あのー本当 に優秀な方で。もうあの、言葉では、尊敬の言葉はもう足りない、辞書には載ってな いくらい、そんくらい尊敬したいんですよね、父のことは本当。まあそれがひとつの

(24)

20

(理由)。で姉たちは日本語勉強してて、たまにはね、日本人と会ったりとか。まあそ れをちょっと、その日本人と姉の間の会話を見て、言ってることはわからなかったん ですよ僕は。でも分かりたくて、知りたくて、イライラしちゃって。それが僕は、僕 が勉強しますよって話ね、これが。まあそれがきっかけ、その嫉妬。【A さん夫】

きっかけは2つあり、1つは父への尊敬であった。父は国会議事堂で働いており、その 影響からか2人の姉も日本語を習っていた。Aさんの夫は、日々日本に魅力を感じていた。

もう1つは、家族が日本語をしゃべれたことへの嫉妬であった。

1990 年初めて日本に来たんですよ。そう、大学生のときだった。まあ日本は行きた くて行きたくて、行きたくて行きたくて。しょうがなかったんですよ。楽しかったよ、

楽しかった。あの、やっぱり今まで聞いてたことだけね、実際実物ね。触れたり、感 じれたり、良かったんですよ。だからまあ最初のね、印象は忘れられないね。≪中略

≫実はあの、日本語勉強してるときに、日本インドで Japan month。Japan month ね、一ヶ 月やったんですよ。そのときは茶道とか、裏千家とか能とか、いろんな日本のそうい う文化の。そういうときに大使館から、あの頼まれたんですよ。付き合ってください、

日本人とね。だから硬く、何でもいいからとりあえず付き合ってくれみたいな感じで。

でちょっといろいろあの、デリーとかねアグラとか、ちょっと行ったり来たりやって たんですよ。たまたまそういうところでね、インドにある昔大きな旅行会社?やって た、日本専門やってたところが、そこの社長と出会ったりとかして。そこの社長が僕 のこと気に入って、第一回目は僕は日本往復、経費、全部彼の負担だったんですよ社 長さんの。でも僕は彼の社員でもなかった、何でもなかった、どうも関係なかった。

でもあなたそんなに行きたいなら、うちでいいよって。【A さん夫】

初来日は、1990 年。大学生の時で 1 か月ほど滞在したそうだ。きっかけは、大使館の

Japan month。そこで旅行会社の社長との出会いを果たし、その社長がAさん夫の日本へ

の渡航に関わる費用の全額を出してくれた。後にAさんの夫は、その会社で働くこととな る。初めての日本は最高であった。

えっと僕は、2000 年に会社を作ったんですよ。まあ昔からね、うちのあの親戚がね、

結構宝石やってるところが。まあうちの父親は国家公務員だったんだけどね。でもう ちのお父さんのお父さん、おじいちゃん、はやっぱり商人だったんですよ。上の兄貴

参照

関連したドキュメント

二つ目の論点は、ジェンダー平等の再定義 である。これまで女性や女子に重点が置かれて

 問題の中心は、いわゆるインド = ヨーロッパ語族 のインド = アーリヤ、あるいはインド = イラン、さ らにインド =

以上を踏まえ,日本人女性の海外就職を対象とし

カバー惹句

はありますが、これまでの 40 人から 35

ピンクシャツの男性も、 「一人暮らしがしたい」 「海 外旅行に行きたい」という話が出てきたときに、

ISSJは、戦後、駐留軍兵士と日本人女性の間に生まれた混血の子ども達の救済のために、国際養子

 2016年 6 月11日午後 4 時頃、千葉県市川市東浜で溺れていた男性を救