九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
60ネンアンポトウソウノフクオカケンデノテンカイ : ケンアンポキョウトウノソシキカカテイオチュウ シントシテ
衣笠, 哲生
九州大学教授
https://doi.org/10.15017/1698
出版情報:法政研究. 42 (2/3), pp.79-112, 1975-12-25. 九州大学法政学会 バージョン:
権利関係:
六〇年安保閥争の福岡県での展開
︑千一県安保共闘の組織化過程を中心としてi
論説
は じ め に 層・︑
一 福町県安保共闘会議の結成・ω結成大会
② 結成までの経緯
二 安保共闘の組織化過程
ω 地区共闘の結成
②校区.町村共闘の結成 ㈲ 職湯での安保共闘の組織化
三 福岡県下の運動展開の特色
ω ﹁最高限実力行使決議﹂の集約
② 九州拠点の統一行動とのかかわり
㈲ 批准反対請願署名運動の展開
ゆ 三池闘争とのかかわり
㈲ 六・四︑六二.五の闘い
四県安保共闘の運動総括について
42(2r3、』・『一79)225
論説
田 第一九回拡大幹事会での総括
② 県安保共闘の性格ーカンパニア共闘の壁
㈹ 県安保共闘の財政問題
お わ り に
は じ め に
42 (2−3.●8Q) 226
一九五九年四月から六〇年七月にかけて展開された日米安全保障条約の改定に反対する運動︵以下﹁六〇年安保闘争﹂
と略称︶は︑周知のようにこの運動への参加者の規模の大きさ︑運動の質の高さなどをとってみても︑戦後史のなか
できわめて注目すべき運動であった︒
六〇年安保闘争の展開について︑全国的レベルでの作業は︑信夫清三郎氏や水口宏三氏らの手によっておこなわれ
バ りてきた︒ また︑﹃資料労働運動史﹄︵労働省︶の昭和三四年版および三五年版︑あるいは﹃日本労働年鑑﹄︵大原社会問
題研究所︶第三三集に収められている資料をとおして︑全国レベルでの概要を知ることもできる︒だが︑六〇年安保
闘争は国会を中心とした東京だけの運動ではなかった︒全国各地でそれぞれの特色をもった運動が展開された︒安保
条約改定阻止の共闘会議︵安保共闘︶の結成が全国で二︑○○○をこえ︑安保条約の改定に反対する国会請願署名が有
権者の半数に近い二︑三〇〇万に達した︒全国各地での運動の高揚が︑東京での運動に凝集されたともいえる︒
しかしながら︑地方レベルで六〇年安保闘争の展開をまとめようとする作業は遅れている︒一九七〇年に歴史科学.
協議会は︑機関誌﹃歴史評論﹄の六月号と七月号で﹁六〇年安保地域闘争史﹂を特集し︑石川︑群馬︑大阪︑愛知︑
愛媛︑静岡などσ﹁地域闘争史﹂への取りくみの成果を明与かにし穐また︑ ﹃愛媛地界十年跳に典型的にみられ
60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
るように︑かなりの県労働組合評議会︵県評︶で一〇年史や二学年史の編纂がすすめられ︑ そのなかに労働組合とく
に県評サイドから︑各県レベルでの安保闘争のまとめがおこなわれはじめてい6にすぎない︒福岡県の場合︑その作
業は非常に遅れていると言わざるをえない︒
福岡県における六〇年安保闘争の特徴の一つは︑ ﹁安保と三池﹂というスローガンがこの時期の運動の象徴とざれ
たように︑一九五九年一月から六〇年九月にかけての﹁三池闘争﹂を頂点とする石炭産業︵炭鉱︶合理化に反対する ︵4︾運動と一体不可分であった︒三池闘争については︑すでにその資料を整理する機会に恵まれたが︑安保闘争の展開に
ついてはその機会をもちあわせなかった︒今回︑福岡県における六〇年安保闘争の展開について︑一定程度の資料に
眼をと齢す機会を得ることができたので︑不充分な点が多々あることを承知のうえで︑安保条約改定阻止・廃止福岡
県共闘会議の活動を中心に︑安保闘争の展開を考察することにしたい︒
︵1︶信夫清三郎﹃安保闘争史−三五日間政局史論一﹄ ︵世界書院︑︑一九六一年八月︶は膨大な資料を駆使して︑六〇年五月か ら六月にかけての安保闘争の高揚を分析した点で︑これに匹敵するもののない︑注目すべぎ力作である︒水口宏三﹃安保
闘争史1ひとつの運動論的総括一﹄ ︵社会新報︑六八年一〇月︶は︑安保改定阻止国民会議の事務局長という安保闘争の
直接の責任者であったという著者の立場からみたユニークな著書である︒その他斉藤一郎﹃安保闘争史﹄︵一一二書房︶︑日
高六郎編﹃一九六〇年五月一九日﹄︵岩波書店︶︑などがある︒
︵2︶福富文哉﹁石川県での闘い﹂︑三上満﹁東京都文京区における闘い﹂︑小巻敏雄﹁大阪における六〇年安保闘争﹂︑五井直
弘﹁静岡県大学人安保懇談会を中心に﹂︵以上﹃歴史評論﹄一九七〇年六月号︶︑近代史文庫﹁愛媛の勤評・安保闘争一地
域人民闘争の発展1﹂︑稲垣倉造﹁統一はカー群馬の六〇年安保闘争から学ぶ一﹂︑名古屋歴史科学研究会﹁愛知における
安保闘争−安保改訂阻止愛知県民会議の活動1﹂︵以上前掲誌七〇年七月号︶︒
︵3>愛媛地評史編纂委員会﹃愛媛地学十年史﹄ ︵総評愛媛県地方労働組合評議会︑一九六六年五月発行漣A5版九二〇頁︶︒
42 (2−3 。81) 227
論説
︵4︶三池炭鉱労働組合﹃みいけ二〇年﹄ ︵労働旬報社︑一九六七年二月︶︑同﹃みいけ二〇年資料篇﹄.︵同︑六八年六月︶︒︑
一 福岡県安保共闘会議の結成
ω結成大会 一九五九年六月五日目安保条約改定阻止・廃止福岡県共闘会議︵以下﹁福岡県安保共闘﹂と略称︶の結成
大会が︑福岡市の教育会館で開催された︒結成大会に参加した団体は︑福岡県総評︑福岡地区労︑若松地区労幽山田
地区労︑大牟田地評︑田川地区労︑小倉地胆労︑福教組︑福高教組︑全農林︑九大教職組︑全港湾︑建設労などの労
働団体︑政党では社会党と共産党︑婦人団体では福岡県炭婦協︑学生組織では九学連︑西南大学自治会︑市民団体で
は福博商工会︑福岡市生活を守る会︑平和団体の関係では田川平和連絡会︑福岡県原水協︑福岡市原水協︑福岡県平
和委員会︑それに日中友好協会︑日ソ協会︑日本民主青年同盟地区準備会︑オブザーバーとして日朝協会の二八団体
であった︒
この大会は︑ ﹁民族の重大な危機にさいし︑われわれはここに福岡全県下の平和と民主主義を愛し独立達成の勝利
をめざすすべての粗壁を結集し︑安保条約の改定を断乎として阻止し︑さらにすすんで条約を廃止するまで︑団結を
固め行動を統一して闘い抜こうとするものである﹂︵大会方針書︶という立場から︑当面の行動目標計画を次のように
決定した︒
﹁①六月二十五日.第三次統一行動を全経営で実力行使で闘うよう努力する︒当日︑福岡市警固公園で全脳中央抗議集会をおこな
い︑県下各地区でも抗議集会︑デモを組織する︒
②署名・決議運動 地域︑職場︑部落︑各種団体役員会など大小をとわず︑すべての集会で安保改定阻止廃止︑実力行使支持の決
議をおこない︑岸政府につきつける︒県市町村議会に安保改定反対決議を要請する︒署名は全県民を目標にし︑とくに農民によび
42−C2:一3」82)!2£合
60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
かける︒そのため各地区共闘︑労組︑農民団体︑通勤者同盟の活動を要請し︑署名工作隊を出すよう努める︒署名用紙は各地自主
的に作成する︒ ・ 廟﹁一︑ ︐ 二.︸
③研究会.講習会をひらく各傘下団集瞥に︑または共同してひ㌘.そのた肋の甲乙を県共闘で組織し書画る.
④宣伝資料をつくる 機関紙の特記︑各団体の資料の交流あっせん︒
⑤第五飼掠永曝漿北世界大会および平和行進に積極納に参加する︒原水禁運動の中で安保改定問題を磁心κすえ△宣伝説得し︑県
民多数を行進︑大会に組織する︒
⑥各傘下団体の独自の活動を強化し︑お五識の連絡遊園密にする︒日中国交回復・朝鮮人帰国運動・日越友好運動︑旺ソ平和条約
羅運
ツくに沖縄新刑法反鮒について岐安保政定阻止の署名運動とあわせ適署名運動を濃糊す三﹁福岡訟評﹂第三二なお︑・共闘会議は︑県共闘会議︑各地区共闘会議︑各校区ならびに各町村別共闘会議までをつくり︑運動の浸透を
はかることを組織方針として決定した︒・県共闘会議の役員構成は次のとおりである︒ ・
議 長
副議長
〃
〃
〃事務局長
〃次長
常任幹事 小宮市太郎︵社会党県連委員長︶.小野 明︵福岡県総評議長︶橋詰又一郎︵社会党県連書記長︑現在民社︶大渕 正気.︵土ハ産党県委員長︶嶋崎 譲︵九大助教授・知識人代表︶江崎 ・一淳︵福岡県総評事務局長︶ ・・−・斉藤 幸︵県平和委員会︑共産党︶楢崎弥之助︵社会党県連︶
42 (2−3:・83) ,229
払酉開 説
幹
事
常 任
幹
事
福岡県における安保共闘は︑
いる︒中央の安保改定阻止国民会議が︑
の場合は地区共闘のレベルまでこの関係は貫かれている 八島 勝磨︵共産党県委員会︶広瀬 六郎︵福岡県総評副議長︶横尾万之助︵県地協︑福岡地区労事務局.長︶裏辻 敦子︵子供を守る会︶参加団体各︸名 役員構成をみれば明らかなように︑県総評︑社会党︑共産党の三団体が中核となって ︵1︶ 共産党の正式参加を認めず︑オブザー︒バーにとどめたのにたいして︑福岡県
︵表1︶︒ 社共と県総評︵地区労︶の協力を軸に県下の安保
1011 3 2012 5 1111120 7 1011112 7 22
︑42 (2−3 ・84) 230
(福岡県労働部調べ)
二
二
役
労組1社会}共産
団副人員 うち労組
−⊥ 0 1 1← り0
13
Q43 22
45,000 1,000 3,000 1,480 50,480 92
S6⑳ ㎜
9臼 1 1轟 9臼 65 1占 3 ρ015 20,000
3,100 19,100 16,881 59,181
娼硲3320 皿 n乙 n乙 2 6乙 ワ砲 りQ 3
16 17,000
25,000 5,8QO 9,500 61,000 16,000 2,600
136,900 45
U0 R3 R3 T4 P6 P0 251
1 1← −← −← 1 1⊥ り4 8
り◎ 2 993 3 3 4 0 2
15,000
900
1,100 1,600 1,700 1,100 30,000 51,400 37
U111415928
120 刺一
刎
595{ 297,961
表1 安保地区共闘構成実態
数 加
参
団体1人員
地区共闘名
50,000 1,100 4,000 19500
56,600
蜘9把︐η柵・
岡山紫木
征露筑甘
計
23,500 3,500 19,200 30,600 76,800 51
Q0 R5 Q5
@餅
川田偽首 田山嘉直
計
179500 26,000
79500
10,000 71,000
209000
2,700 154,700 50
U5 R9 S2 T9 Q3 P2
290
油倉.畑松幡賀橋 遠行
間都
門小戸十八中京
計
16,000 1,200 1,200 1,200 1,700 1,aoO う5,000
78,200 45
P3 P4 P6 P8 P3 U1
@㎜
米川川女市羽田
留︑ 後 邑
久柳大八筑浮︑大
計
366,300 計 774
合 60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
共闘が活動を展開していった点にたいして︑その活動は京都︑石川とならんで社共の統一戦線運動に先進的経験をつ
くりだしたという評価があたえられてい舞・福岡県で社共の共闘をつくりだした条件をつぎにみてみよケ︒
②結成までの経緯 福岡における安保共闘がさきにのべたような構成で結成された事情を考えるときには︑少なく
とも次の四つほどの条件を無視することはできない︒一つは︑一九五七年から五八年一月にかけての福岡県知事リコ
ール運動の経験である︒県庁汚職事件に端を発して土屋県政汚職糾明県民協議会︵県民協︶が︑五七年四月二二日に結
成された︒県民協には︑県総評︑全労︑地区労︑社会党︑共産党︑税制改革協議会︵中小企業の革新組織︶︑部落解放同
盟︑県青年婦人会議︑子供を守る会︑中立労紅などが参加した︒九月二〇日︑県民協は土屋知事リコール運動本部︵本
部長小宮市太郎社会党県連委員長︶へと改組された︒ リコール運動本部は︑二万七︑〇九〇人の署名収集人を組織する
ことによって︑=月九日のリコLル宣言のあと全県下でリコール運動を展開した︒このリコール運動は︑地区労を
42 (2−3 ●85) 231
論 説
基盤に社共をふくむすべての革新紅織の結集によって展開され穐社会党・地区労︵県総評︶主導のもとに共産党ど
⑳共闘がリコール運動でおこなわれた︒第二は︑勤評反対地域共闘の経験である︒福岡県における勤評反対闘争ば︑ 一︵4︶五八年初頭よか六〇年三月にわたって展開された︒五八年二月一四日福岡県春闘共闘会議は︑勤評反対の地域共闘組
織をリコール運動の居住地組織を基盤に確立する方針をうちだし︑福教組も三月二四日の県評議員会で地区労を中核
とする地域共闘の下に校区︑町村別の共闘組織をつくりあげる方針を決定し実行にうつした︒とぐに︑五八年五月県
教育委員会が﹁勤評規則﹂の制定を強行して以降︑評定書提出阻止の運動が地教委に集中され︑︐五八年夏秋から五九
年の春にかけて地域共闘の支援のもとに教組の勤評反対闘争が激しく展開された︒・第三は︑警察官職務執行法改正反
対共闘会議の経験である︒一九五八年一〇月岸内閣は突如として警察官職務執行法︵以下﹁警職法﹂と略称︶の改正を
ケちだした︒一〇月一三日警職法改悪反対国民会議が中央で組織されたが︑この会議は全労︑新産別との共闘のため
共産党と全学連とめ共闘の排除を決めた︒福岡県では社会党︑総評︑全労︑全農農の四団体が発起人となって一〇月
一八日警職法改悪反対福岡県共闘会議をスタートさせた︒ この会議に共産党はオブザーバーとして参加した︒甲警職
法反対の全国統一行動は︑福岡では教組の勤評反対闘争︵評定書提出阻止闘争︶と結合して展開された点に特徴があっ
た︒第四は︑露量県知事選挙をめぐっての社共協力の問題である︒リコール署名が選挙管理委員会の審査の過程で不
成立とされ︑革新の側は五九年四月の知事選にすべてをかけねばならなかった︒だが五九年忌一月に入っても知事候
補はなかなか決まらなかった︒鵜崎氏を推す総評︑社会党左派と︑幽稲富良人氏を推す全労︑全日農︑社会党右派との
対立抗争は熾烈で︑蕊月一六日社会党県連執行委員会は深夜までかかり︑ やっと鵜崎氏を公認候補と決定した︒ だ
が︑全日農はこれを不満として一月一八日鵜崎候補支持せずの爆弾声明を発表する有様で︑社会党内部の対立は ︵5︶候補決定後も尾をひいた︒社会党の選挙体制は︑全労︑全日農の支持をもつ稲富氏を鵜崎候補の選挙事務長にすえた
42 (2L7−3 ・86).232
60年安保闘争の福岡県での展開(:衣笠)
三月に入って︑やっとととのった︒このような社会党の左右の内部対立のなかで︑共産党は二月二三日福岡県知事選
挙の問題で社会党と会談し︑ ﹁社会党公認の鵜崎氏を一致して推せんし︑全民主団体とともに全力をあげて闘う﹂と ︵6︶の共同声明を発表し︑知事候補田代文久氏の出馬を断念した︒福岡県の安保共闘の結成を考えるとき︑それは全労︑
全日農との共闘を軸に共産党を排除する警職法改悪阻止共闘会議の延長線上にはなく︑リコLル運動から知事選にか
けて県総評や地公労三組合︵福教組︑高教組︑手職組︶が社会党左派との結びつきを強め︑全労や社会党右派と対立する
なかで︑共産党との共闘を容認していくという福岡県の政治構造に由来するものと言えるゆ総評と全労との敵対関係
︵総評系組合からの第二組合結成で全労が組織拡大をおこなってきたという関係︶を基底とする社会党内左右の対立を軸に︑
総評−社会党左派と共産党との共闘が︑リコール運動と知事選挙の延長線上に安保共闘として結実する︒
県安保共闘の母胎となる﹁平和と民主主義をまもる福岡県民会議﹂を構想して五九年二月二八日に開かれた﹁安保
破棄︑核武装阻止︑日中国交回復福岡県民大会﹂は︑社会党︑共産党︑県総評︑平和委員会の四団体のよびかけでお
こなわれ︑警職法のときのように全労や全a農がよびかけ団体からはずれている︒この大会で﹁平和と民主主義をま
もる県民会議﹂を組織する方針が確認ざれ︑会長に鵜崎氏が推されている︒中央の安保改定阻止国民会議の結成︵五
九年三相二八日半︑に呼応して五九年四月九日安保共闘第一回準備会が開かれ︑二五日の第二回準備会で世話人会が選
出され︑噛この世話人会が六月五日の県安保共闘の結成の中心になるが︑げここでも世話人団体に社会党う共産党︑県総
評︑平和委員会が名を連ねている︒
︵−︶︵2︶ この間の事情については水口宏三・前掲書二一〜三〇頁︑参照︒
福富文哉・前掲論文︒ 小林徹﹁安保書影の経験﹂ ︵論歴史評論﹄一九六九年六月号Y
42r(2−3 ●・87)』1233
論説
︵3︶福岡県知事リコール運動については︑嶋崎譲・衣笠﹁福岡県知事リコール運動と総選挙﹂ ︵﹃中央公論﹄昭和三三年七月
号︶参照︒
︵4︶福岡県における勤評反対闘争については福岡県教職員組合編﹃福岡県教組二〇年﹄ ︵労働旬報社︑一九七〇年九月︶第二
逸事一章︑および福岡県高等学校教職員組合編﹃福岡県高教組二〇年のあゆみ﹄ ︵労働旬報社︑一九六九年一二月︶第二
篇第一章︑第二章参照︒
︵5︶この点については嶋崎・衣笠﹁福岡県知事選挙の意味するもの﹂ ︵﹃中央公論﹄昭和三四年六月号︶参照︒
︵6︶ ﹁西日本新聞﹂昭和三四年二月二四日︒
42 (2−3 。88) 234
二 安保共闘の組織化の過程
ω地区共闘の結成 福岡県では地区戸戸闘は地区労を基盤に結成されている点に特徴がある︒県安保共闘の結成︵五
九年六月五日︶から安保第五次統一行動︵五九年八月六日︶までの間に︑小倉︑八幡︑若松︑戸畑︑山田︑田川︑直鞍︑
嘉飯︑福岡︑久留米︑筑後︑大牟田の一二地区で地区共闘が結成され︑ 大牟田市︑小倉市︑田川市︑稲築町︑ 赤池
町︑宮田町の議会では安保改定反対が決議され︑福岡市議会では核武装反対︑原水爆禁止世界大会支持︑沖縄死刑法
反対が決議された︒八月末には県下二八地区のうち一八地区に共闘会議が結成され︑九月八日の全国第六次統一行動 ︵1︶の時期には地区共闘は二五にまで拡大した︒最終的には地区共闘は二七地区で結成され︑地域の安保闘争の担い手と
なっていく︒地区共闘の組織化は一九五九年の八月末から九月はじめにはほぼ終了し︑この地区共闘を︑北九州︑筑
豊︑福岡︑筑後の四ブロックに統合していく作業も同時に完了する︒
②校区・町村共闘の結成 地区共闘の組織が結成されると︑さらに市では校区︑郡では町村を単位とする安保共闘
の組織化が展開されていった︒校区での安保共闘組織化の典型は︑大牟田市と福岡市であった︒大牟田では︑大牟田
60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
表2 県下安保共闘組織状況
(1960.3.26現在)
地区共闘熱帯固団校区i三州協1計
北九ブロック福岡ブロック筑後ブロック筑豊ブロック
門小戸八二遠行 司倉畑幡松賀橋
福二筑糸二二宗 岡屋門島木賀像
久留 大牟 八筑柳瀬大浮 米田女後川高川羽
田直嘉稲山 二士飯築田
−←璽←雪←11←−←−←21
00FOFO13
−⊥− −占46ハ0ワ臼7層2
1
1 1 1
1(準備中)1 1 1
3
1
26
5
5 1 3
Ω94111ゐ17
Qソリ0
2
1
ーウ臼
−←■←−←11 6◎PO1
1
*0 5 ︵UハOF◎3 −←り0 1 噌←﹁Un乙噌⊥−︵041
5
計
1 27
(準備中1) 81 172 13 4 297
註)1.「第13回安保共闘拡大幹事会報告」より.
2.*山田の町村共闘50という数字はミス・プリントと思われる.この 山田市の町村共闘50を差引いた数字,町村共闘の県計31,県安保共 闘総計247が実際の数字だと思われる.
42 (2−3 ●89) 235
地区労働組合評議会︵大地評︶の指導の下に︑傘下の労働者︑革新商店連盟などが中心となってリコール運動のとき説 に校区連絡協議会を全市に組織したがハこれを基盤に校区共闘への組織化がとりくまれた︒大牟田の校区共闘がリコ
ール運動の組織の活用を基本にした整然たるものであるのにたいして︑.福岡市の校区共闘の組織化はどちらかといえ 論
ば地区労の手をはなれて校区の熱心な活動家たちが中心となり︑校区の特性に対応した多様な形で歩みはじめたとい
える︒六月から九月にかけて︑箱崎︑馬出︑花畑校区では町民大会を開催し︑それぞれ約三〇〇名が集って安保改定
阻止・廃止を決議し︑堅粕︑高取︑草ヶ江︑小笹︑百道︑井尻などの校区では研究会︑懇談会などが組織され︑街頭
署名をおこなったり︑原校区でば映画と講演のタベを催したりしながら︑地域を基盤とする運動を展開し︑五九年の
九月には校区連絡会議を組織化するまでになってい璽町村共闘の典型は田川地区で︑地区内の唐薯組織化にと
りくむ一方郡内の八町村に共闘会議をつくるだけではなく︑田川市郡の小学校校区単位にまで組織の網を拡大してい
︵3︶ る︒表2は︑県下の安保共闘の組織化の状況を示すものであるが︑校区・町村レベルでの共闘の組織化には相当の不
均衡があることがわかる︒とくに︑筑後の農村や筑紫・糸島・甘木・朝倉・筑上臥豊前などの農村地区︑門司・若松・
八幡など北九州工業地帯での取組みのおくれが︑悪銀地の筑豊や大牟田地区での取りくみの前進ど対照的である︒と
はいえ︑町村・校区あわせて二〇〇を上回る共闘組織が県下に六〇年三月までにつくられたということは︑かってな
かったことであり︑安保問題にたいする地域住民の関心の強さ︑運動の地域への定着性をそこに見る思いがする︒
侮職場での安保共闘の組織化 福岡県での安保共闘の組織化をみるとき︑見落としてならなかのが︑職場レベルで
の安保共闘会議の組織化である︒この典型は︑日炭山目同松労組内の安保改定阻止坑口共闘委員会︵﹁坑ロ共闘﹂︶である︒
日炭高松には一坑︑鉱坑︑三坑と三つ坑口があり︑組合組織も︑一身支部︑三宝支部︑三二支部という形態をとって
い惹伽ζの日炭高松の÷坑で安保共闘の組織が活動家土手で結成され︑組舎の教宣だけで.はなぐ安保共闘独自の手で
42 (2−3』●90) 236
60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
教宣や署名活動が展開され︑組合員だけではなく︑炭婦協の主婦の中にまでも活動塚の組織化を追求し︑職場からゼ
ネストをうてる体制の確立をはかった︒一稼でのこのような動きは︑二坑︑三障へと拡がり︑三つの坑口での安保共
闘がつくりあげられた︒このような活動は︑県下全体には波及しえなかった︒安保闘争の展開が労働組合のレベルで
展開される以上︑ 労働組合とは別に安保共闘をつくりだす必要を感じなかったからだと思われる︒ 丁場高松一坑支
部には︑社会党および共産党の活動家が数多くいた︒その活動家たちが労働組合の教宣や行動を大切にしながらも︑
組合員とともに更に一歩前に進もうとして坑口共闘をつくった意味は︑政党と労働組合の関係を考えるばあいに貴重 ︵4︾な問題提起だと言わねばならないであろう︒
ともあれ︑県下の安保共闘の組織化は︑地区から校区・町村︑あるいは職場へとまさに理想的な姿をとって展開さ
れて行く︒リコール運動や勤評反対地域共闘︑さらには知事選対の活動などをつうじて︑好むと好まざるとにかかわ
らず地域活動を余儀なくされた福岡県の革新勢力は︑一九五八年以降の中小炭鉱の閉山による失業者の生活防衛運動︑
五九年以降の大手炭鉱を対象とする﹁十万人用人員整備﹂の閉山・合理化に反対する運動のなかで︑更に地域での活
動を多面的に要求され︑そのエネルギーが︑地区から町村・校区のレベルにまで安保共闘を組織させていくことにな
ったと言える︒
︵−︶安保条約改定阻止廃止福岡県共闘会議﹁第九回安保拡大幹事会討議資料﹂ ︵一九五洗.一二.二六︶第七頁︒
︵2︶箱崎地区安保条約改定阻止実行委員会﹁安保改定阻止実行委員会ニュース﹂翫2︵一九五九.一〇一一︶︒
︵3︶福岡県安保共闘が主催した安保改定阻止福岡県活勧者大会︵一九五九年一二月六日福岡市教育会館にご一六団体三五℃名
参加︶での田川地区共闘の報告︵﹃安保改定阻止福岡県活動者大会報告書﹄九〜一〇頁︶︒
︵4︶ ﹁我々は安保改訂阻止坑口共闘委員会を社会党︑共産党を中心にして一坑︑二坑︑三坑に組織して闘っている︒我々の経
42(2−3●91)237
論説
験で感ずることは︑県共闘︑総評︑組倉中執なぜより闘う指令が一本下りてきてもそれだけでは閥いが組まれない︒特に
安保闘争は指令だけでは︑それがどんなに秀れたものであっても闘えない︒問題は下でこれをガッチリ受けとめる体勢を
つくる活動家が必要であり︑活動家を育てる活動がどうしても必要となってくる︒職場・生産点における熱心な活動なル
には安保は闘えない︒特に年末手当と絡んだ闘争なら今でも何とかやれぬことはないが︑安保一本で闘うとなれば﹃安保
だけでゼネスト﹄となればこのことは決定的に重要な課題となってくる︒職場の一人一人が本当に自分で立ち上がる自覚
が基礎である︒このような意味で安保共闘組織はトリデである︒坑口共闘は組合の専有物ではない﹂︵安保改定阻止福岡
県活動者大会での日炭高松坑ロ共闘代表の報告﹃同報告書﹄九頁︶︒
42 (2−3 ●92) 238
三 福岡県下の運動展開の特色
福岡県下における安保闘争の展開は︑五九年六月二五日の第三次全国統一・行動からだと言ってもよい︒この統一行
動には全国響町〇〇ヵ所で一六〇万人が参加したが︑県下では約二〇万人が統一行動に参加し︑街頭デモに参加した
人数も二万五千人に達した︒県下の安保闘争は︑この第三次統一行動をとおして大衆的行動の形態をはっきりと示し・
はじめた︒第四次統一行動︵七月二五日×第五次統一行動︵八月六日︶を経て︑九月八日の第六次統一行動の中で福岡
県の運動は更に大きな前進を示した︒第六次全国統一行動は︑勤評闘争と安保闘争とが結合されて闘われた︒この行
動には全国で約三〇〇ヵ所︑約一五〇万人が参加したが︑ 県安保共闘は運動を県下全域にひろげるため︑︑各地区共
闘が一斉に行動を起こすことを主要な方針とし︑二五の地区共闘を単位に大衆集会︑講演会︑自転車デモなどを組織 ︵1︶し︑約二五万人の参加を実現した︒全国統一行動の県下での発農を順をおって記述することは紙数の関係もあってで
きないので︑ここでは県下の安保闘争の展開のなかで特徴的と思われる点をいくつかとりあげてみたい︒
ω﹁最高限実力行使決議﹂の集約 福岡県安保共闘は︑八月二〇日に開かれた第三回拡大常任幹事会で次のような
60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
ハ 方針をうちだした︒
﹁安保条約を阻止し︑廃止する力は地域職場における労働者階級を先頭とした統一行動による実力行使にある︒われわれは十月調
印を阻止するために︑スト︑デモ︑大小の集会︑抗議︑地方議会の決議︑中央議会への要請などを含あ︑あらゆる手段をつくして
闘わねばならない︒そして当面︑十月を目指し︑最高限実力行使体制の確立に向って全力をあげ︑ゼネストをも可能とする方向に
闘争を最大限にもりあげる必要がある︒
具体的には県共闘で﹃決議文﹄を印刷し︑あらゆる団体︑職場︑サークルに下し︑﹂﹃決議文﹄の内容︑決議表明に関する討議を
捲きおこし︑ ﹃実力行使による阻止﹄決意表明を指導する︒
﹃決議文﹄は県共闘に集約し︑中央の実力行使体制を強力に援助する︒﹂
この決定にしたがい︑県安保共闘は九月一日に県下各共闘会議を通じて諸単産ならびに諸団体につぎのような決議
文を配布した︒
安保条約の改定に反対し 私達は決議しま︑す
現在︑岸自民党政府が実施しようとしている安保条約の改定は︑日本国民をアメリカの防衛のための原子戦争にまきこむも
のであり︑これは戦争放棄を明記した日本国憲法に違反し核武装︑海外派兵にもつながるものです︒
そしてまた︑この改定は警職法の復活︑労働運動を始めとする民主的な運動の弾圧︑首切り︑企業合理化︑民主的教育の破
壊など︑暗い︑苦しい戦争の道につづいています︒
私達はこのような危険な道に︑日本国民を追いこめていく安保条約の改定を絶対に許すことはできません︒
42 (2−3 ●93) 239
論説
この十月に︑岸自民党政府は︑全国民の反対を押し切って安保条約を改定し︑それに調印しようとしています︒
私達は︑日本民族の運命を左右し︑私達の明日の生活を破滅に導びこうとしているこの重大な事態に際し︑あくまでこの安
保改定に反対するために︑また私達の要求である
﹃ ﹄
を貫徹するために︑最高限の実力行使を阻止する決意のあることを決議します︒
︵また各職場でこの決意を支持します︶
昭和三十四年 月 日
住 所
団 体 名 −
代表者氏名
42 (2−3 ●94) 240
︵3︶ この決議は︑九月二七日現在で一六〇団体︑最終的には七一〇の団体でおこなわれた︒勤評闘争を闘っている福教
組では一一〇の分会でこの決意表明がおこなわれたし︑地域では田川などの筑豊ブロックでもっとも徹底した職場決
議がおこなわれた︒この運動は︑九月一六日の安保共闘第二回全国代表者会議で非常に高い評価をうけ︑全国の安保 ︵4︶闘争にたいして先進的役割を果たすこととなった︒
福岡県安保共闘がこのような方針をうちだした背景には︑国鉄志免炭鉱の売山反対闘争︑大牟田︑筑豊における炭
鉱合理化反対闘争や︑筑豊における失業者の闘争︑教組の勤評反対闘争が︑県下で実力行使をともなう強力な形態で
展開され︑その運動が安保体制とのかかわりを意識するまでに安保闘争との結合を強めてきたからにほかならない︒
60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
②九州拠点の統一行動とのかかわり 福岡県安保共闘の中心が総評系組合にあることは︑表1をみても明らかであ
る︒福岡県総評加盟組合の中心が炭労︑福教組︑国鉄労組であることは︑この時期の県総評の役員構成をみれば明ら
かである︒議長に福教組︑副議長に国鉄︑事務局長︵専従︶に炭労から配置されている︒県下の安保闘争は︑五九年
秋の炭労の合理化反対︑国鉄志免鉱業所鯉山反対︑教組の勤評反対の闘争と深いかかわりをもたざるをえなかった︒
中央総評は︑炭労の合理化反対闘争を軸に安保闘争の全国的なもりあげをはかるという秋期闘争の方針を︑五九年
九月一八日の評議員会で決定し︑具体的には北九州︑北海道などに拠点闘争委員会を設置することとした︒この方針
をうけて九月一二日福岡市で九州拠点ブロック共闘会議︵以下﹁九州拠点﹂と略称︶が︑ 全国単産の下部組織および福
岡︑佐賀︑長崎の各県総評の参加のもとに設置された︒福岡県総評は︑九州拠点の事務局を兼任することとなった︒
九州拠点は︑炭労・国鉄志免の問題や筑豊の失業者の運動を中心に安保闘争との結合を強める方向で︑安保の全国
統一行動を考慮に入れながら九州拠点独自の統一行動を五九年一〇月から年末にかけて九回にわたって組織した︒県
下の安保闘争は九州拠点の統一行動への参加をとおして炭労の合理化反対闘争との結合を強めた︒
九月三〇日︑九州拠点地区労働者総決起大会が福岡市で開かれた︒大会には六︑○○○人の労働者が参加し︑①志免
売山反対︑②合理化反対︑③失業反対︑社会保障確立︑④安保改定阻止︑⑤労働基本権確立︑⑥民主教育確立︑県教
委総退陣などを決議した︒ 一〇月一〇日︑第一次九州拠点統一行動は︑四︑○○○人を県庁に動員して︑失業問題と
﹁石炭危機対策についての要求﹂を柱にした対県交渉を展開した︒一〇月二〇日の第二次九州拠点統一行動は︑同時
に安保の第七次全国統一行動でもあった︒九州拠点は︑この日﹁合理化反対︑安保粉砕総決起大会﹂を︑三池となら
んで最も緊迫している日鉄二瀬労組のある飯塚市で開催した︒この大会には炭労を中心に福教組︑全日自労︑全逓︑
自治労︑国鉄︑全電通︑全専売など三三五︑○○○の労働者が参加した︒この行動に呼応して炭労の全山一斉二四時間
42 (2−3 ●95) 241
論説
ストを中心に全産業にわたり実力行使が実施された︒第三次の九州拠点統一行動は︑一一月七日︑八日の二日間にわ
たっておこなわれた︒七日には︑田川︑飯塚︑大牟田︑八幡︑武雄︵佐賀県︶︑婦人︵田川︶の六つの分科会に五︑○
○○名を集め討議の柱として﹁①政府︑資本家の安保改定強行下での各産業における首切り合理化︑組合弾圧等の実
態とその背景およびこれにたいする労働者の闘いの現状︑②当面する安保体制下における労働者への政府・資本家の
攻撃の本質と特徴をどう理解するか︑③それぞれの産業および失業者に加えられている攻撃にたえぬき︑さらにこれ
をはね返すために︑われわれの体制と力量をいかにして強め︑全体の統一行動を発展させるか﹂の三点をかかげて論
議と経験の交流が行なわれた︒八日には三池労組のある大牟田で﹁安保改定阻止︑炭労首切り失業反対九州拠点総決
起大会﹂が開催され︑参加した七万人の労働者は︑三池の闘いと安保の闘いとの結合を訴えた﹁大牟田アピール﹂を
採択した︒第四次拠点統一行動は=月=二日におこなわれたが︑とくにこの日に実力行使を行なう炭労および官公
労︑各単産の重点職場の相互交流オルグが行なわれた点に特微があった︒ 一一月二七日の第五次拠点統一行動︵全国
第八次︶は︑ 調印を一二月一一月初旬に予定している政府にたいして︑各単産の独自要求をふくめて一大統一行動を
もって生産点での打撃をあたえようと︑民間単産は二四時間を目標に︑官公労も一−二時間の実力行使をもって闘わ
れた︒ 福岡県では ﹁安保改定︑合理化︑失業反対﹂の県内行進が九州拠点によって計画された︒=月二四日︑門
司︑大牟田︑山田︵二六日出発︶の三地区から福岡市にむけて出発した行進団は二七日福岡に到着した︒全日自労・
失業者三︑○○○名は行進団の到着をまって中央集会を県庁前広場で開催し︑対県交渉をめざした︒ さらに当日午後
三時から県庁前に五︑一〇〇〇人の労働者︑農民︑学生︑失業者の参加のもと︑九州拠点と県安保共闘主催の県中央集
会をひらき︑ ﹁安保改定調印交渉を即時打切れ﹂ ﹁炭労への首切り合理化反対︑失業者に職と生活を保障せよ﹂など
を決議した︒この集会に三〇〇名の農民がむしろ旗をかかげて参加した︒この日︑大牟田︵四万︶︑田川︵一万︶︑直方
42 (2−3 。96) 242
60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
︵三δ○○︶︑山田︵三︑○○○︶などでも地区集会がもたれた︒ 一二月一〇日の九州拠点第六次︵全国第九次︶の統一
行動︑一二月二二・日の拠点第八次︵全国第一〇次︶の統一行動は︑炭労のストライキを中心に展開された︒拠点第七次
の統一行動は三池労組への指名解雇がおこなわれた一二月一一日の翌日︵一二日︶に︑時間外職場集会と五〇〇名の
オルグ団の三池への派遣という形でおこなわれた︒拠点第九次統一行動は︑拠点第八次︵全国第一〇次︶統一行動の翌日
(一
月二一二日︶県議会での給与条例の改悪阻止を目標におこなわれた︒教組︽高教組︑聖職︑炭労︑全日自労をはじ
めとする各単産の労働者二万人は福岡県議会をデモで包囲して︑給与条例改悪案の提案を阻止することに成功した︒ ︵5︶ このような九州拠点の統一行動を軸に︑安保と合理化との結びつきが理解され︑県下の安保闘争は五九年の後半に
急速な発展をみせていったと言える︒
③批准反対請願署名運動の展開 新安保の批准段階を迎えた︑六〇年二月三日県安保共闘は︑第一一回幹事会で国
民会議がうちだした三月中旬を目標に安保批准反対の請願署名を一千万集めようという方針を積極的に支持し︑福岡
県での目標四三万を自ら一五〇万にひきあげ︑総人口の三分の一をメドに三月一杯に一大署名運動を展開し︑﹁国民 ︵6︾与論﹂を自らの側に獲得するという方向をうちだした︒一五〇万の署名は︑有権者の三分の一を目標としたリコール
署名をはるかに上回るものであった︒安保共闘に結集する活動家が︑個別訪問をおこない︑ひとりひとりを説得して
署名を集める以外に︑この目標はとうてい達成されない︒ それだけの活動家を組織しているかが問題となる︒ まさ
に︑地域共闘の真価がこめ署名活動のなかで問われることとなった︒大牟田では一〇万を目標に︑田川ではリコール ハァね署名の二倍を目標に署名活動にとりくんだ︒三月半ばには︑国民会議による三月末の割当目標四三万にせまる三五万
の署名が集められ︑最終的には県下の署名は八六万をこえた︒その内訳は︑表3の示すとおりである︒大牟田は一四
万の署名を集めることに成功した︒産炭地の中間・遠賀地区ではリコール署名を上回り︑田川でもリコール署名とほ
42 (2−3 ●97) 243
O
ぼ同数の七万五千を集めた︒産炭地の嘉飯︑それに農村地区の浮羽などではリコール署名にほぼ見合う署名を集めてい
るが︑北九州五市と農村地域では署名の収集が産炭地にくらべ非常に大きな落差を示しているという以外にない︒署
名運動の展開のなかに︑各地区での安保共闘の活動力を判定する一つの基準が示されているように思えてならない︒
ω三池闘争とのかかわり 三池鉱業所は六〇年一月一五日三池労組にたいしロック・アウトにでた︒三池労組はこ
論説
表3 安保請願署名・カンパ集約状況
(1960.6.30現在)
池の北の隠子労剖署名釧カン・qiリ…レ署名
門小戸早早 司倉陽解松
中間・遠賀 京都・三等
福宗古粕甘糸 岡像賀屋木島
大牟田 久留米 八全階大地筑黒浮田嘉直山 女高川川後紫木羽川飯鞍田
その他
14,076 3,299 3,749 32,840 14,360 39,020 19779 71,105
911
11,491 1,364
718
17,199 139,874 7,558 2,477 2,512
20
1,44298 109
14,311 74,738 65,959 32,291 4,275 250,758
7,000
1,600 2,000
350
2,174 10,000
300
360
1,000 30,000
2,338
15,000
6,000
17,933
蹴蹴謝鋤㌫脳丁丁㎜㎜脱鰯鵬枷謝旗㎜謝㎜下川粥下馴門下伽 娼弱以622629認鵬爲329⑳m45η妬m8166皿3η拓圏駈お
計 863・24・196・・55}1879・・8・
註)1.署名数,カンパ額は安保阻止廃止福岡県共闘会議 第18回斡事会提出資料による.
42 (2.一3 ,98) 244
60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
れにたいして全面ストライキで対処した︒三池労組にたいする会社側の切崩し工作が活発となった︒三月一七日三池
に第二組合が結成された︒三月二八日の三川鉱での第二組合の強行就労︑三月二九日の久保清氏刺殺事件と暴力団の
介入によって︑三池闘争の様相は一変した︒第二組合の就労にたいして︑組合の側はピケの強化で臨んだ︒九州拠点
傘下︑とくに福岡県評傘下の労働者は三池支援のオルグの中心となった︒三池支援のオルグはそれぞれの職場にもど
って職場活動の積極的担い手になり︑﹁三池を守る会﹂の組織者となり︑安保闘争の積極的担い手になって活躍した︒
﹁三池と安保﹂との結合が︑このような形で各地にみられはじめた︒このことが︑県安保共闘の第一四回拡大幹事会 ︵8︶︵六〇年四月九日︶でも直鞍での経験を中心に具体的に論議され︑ ﹁当面の闘争にあっては︑三池闘争を安保と正しく
結合ざせて闘うことは非常に重要となっている︒三池闘争のなかから︑要心の反動的性格とその本質︑即ち安保
の全貌が浮び上り︑大衆の前に暴露されているのだ﹂という点が確認されている②
また県安保共闘は︑三池闘争と安保闘争との結合を国民会議にたいして積極的に提起した︒六〇年二月三日の第一
一回幹事会は︑国民会議がうちだした安保批准反対の県内行進に三池の闘いのスローガンを入れるよう国民会議に要
請をおこなった︒第二組合の三川鉱強行就労︑久保刺殺事件の直後の三月三〇日には﹁全国民の安保闘争で三池の労
働者を勝利させよう﹂との訴えを全国に発し︑四月八日の第一四回拡大幹事会では藤林あっせん案をめぐる炭労第一・
四回臨時大会にたいして﹁三池を守れ﹂の要請をおこなうことを決めた︒さらに四月二五日の国会請願に参加した福
岡県代表団︵五八名︶は︑三池闘争と安保闘争を正しく結びつけよという申し入れを国民会議に行なったが︑その
なかで﹁三池における敵の攻撃は︑まさに新安保体制の狂暴化した権力の全面的攻撃であり︑これと闘わずして新安
保を阻止することはできないこと︒同時に︑新安保を闘わずして三池における勝利をうることは困難であること︒こ
の相互の関係を全国の民主勢力がはっきり自覚し︑安保と三池を同じ敵の同じ本質からくる攻撃としてうけとめ︑反
42 (2−3 ●99・) 245
論説
を三池に注ぐ運動を組むことしを強調し︑ ﹁五月一〇日前後にはこんどこそ︑本当にゼネストをかちとること︵この 撃を組織すること︒ここに運動が強力に発展する基礎がある︒だから三池闘争を安保闘争としてもり上げて全国の力闘いのなかで三池と安保の結合を飛躍的に強化すること︶︑そのために全国単産の意志を集約﹂ することを強くうち ︵9︶だしている︒
同時に︑第一四回拡大幹事会︵六〇年四月九日︶では三川鉱強行就労事件で次のような反省をおこなっている︒ゴニ
川事件で大牟田に五千名の警官の集結を許したことは︑われわれの弱さとして真剣に考えねばならない︒これと期日
を合わせていっせいに行動に立ちあがれば︑これだけの敵の集中的弾圧を許さなかったであろう︒今後はこの面の戦
術も充分考慮す麓と・三池と安保の園係を警努の動員を軸にとらえか芒ている・そして・曲事百・笙五
次全国統・一行動︵四・一五︶にむけて各地区共闘はかならず地域集会を開き︑劇デモを計画し︑早急にデモ届を警察に出
し︑三池への不当弾圧への抗議を行なうことなどの要請を︑県共闘会議議長の名でおこなっている︒そのなかで二
五日頃は︑三池第二組合が警察の強力な支持により強行入坑をはかる可能性があり︑ζれを阻止せんとする三池の労
働者︑全国のオルグ団の抵抗に対し敵は全県下の警察権力を動員してこれを排除︑弾圧せんとしている︒われわれは
三池に当日警察権力が動員され集中されるのを再び許してはならない︒四・一五安保批准阻止の県下いっせいの地域
集会は︑この敵︵警察︶の力を大牟田に結集することを阻止し︑勢力を分散させる役割を果すだうねと︑四ご五
闘争の発展が三池の闘いと結びつきうる問題をこのように強調している︒
⑤六︒四︑六・回五の窪い 五月一九日の強行採決に抗議する運動は県下でも高まった︒六月四日のゼネストを中
心にした五月三一日から六月一〇日にいたる第一七次全国統一行動が展開された︒ 六・四ゼネストは県下では︑ 炭
労︑合化︑全国金属などの民間単産の二四時間あるいは時限スト︑公労協の時間内職場大会︑福教組︑高教組の始業
42 (2−3 .100) 246
60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
時から一時間の職場大会︑ 自治労福岡市従連の三時間︑ 要職の二時間︑大牟田︑小倉︑門司市職の一時間の実力行
使などとなった︒ この日︑県下二一の地区で﹁安保条約批准阻止︑国会解散︑.岸内閣退陣要求﹂総決起大会が開か
れ︑二〇万近い県民がデモに参加した︒福岡市で開かれた安保批准阻止福岡県集約大会は市役所前に総評傘下の労働
組合︑中立組合︑大学教授団︑宗教団体︑農民団体︑中小商工団体協議会︑九学連︑子づれの母親︑高校生二〇σ名
など三万人を集めて午後一時過〇分から開かれ︑商店街のなかをデモ行進した︒博多駅では夕方から乗客大会が開か
れ︑組合が列車の車体にはりつけた安保阻止︑岸内閣退陣︑国会解散のビラを駅側がはがしたことで駅長にはげしい
抗議をおこなっている︒ また︑昼の大会に参加できなかった労働者や市民五︑○○○人は午後六時から昼と同じく福
岡市役所前に集まり︑総決起大会をおこない︑デモ行進を行なった︒
六・一五の第二次全国ゼネストは︑炭労︑全鉱などの二四時間スト︑国労の香椎︑大牟田駅でのストライキを中心
に全単産が実力行使にはいった︒国鉄の闘争には前夜から徹夜のピケと坐り込みに大量の労働者が参加してその成功
を支えた︒六・一五には県下五〇ヵ所で﹁安保批准阻止︑岸退陣︑国会解散要求﹂の決起大会が開かれ︑実力行使と
集会デモに五〇万をこえる労働者︑農民︑市民︑学生が参加した︒とくに︑県下五〇ヵ所の地域で集会がおこなわれ
たということは︑従来集会やデモのおこなわれなかった農村地区にまで運動が拡がったことを物語るものである︒三
井郡北野町︑糸島郡前原町︑山門郡三橋町︑筑紫郡二日市町など県下の農村地区の各地で︑はじめて決起大会とデモ ︵12︾がおこなわれた︒安保闘争はかってない拡がりと高まりを︑六・一五の第二次全国ゼネストで示したといえる︒
︵−︶ ﹁第九回県安保拡大幹事会討議資料﹂ ︵一九五九・
︵2︶ ﹁第三回拡大幹事会報告﹂ ︵五九・九・一一︶
︵3︶前掲﹃第九回拡大幹事会討議資料﹄九頁︒ =一・二六︶五〜八頁︒
42〒i2−3 蔓101) 247
説 論
︵4︶第三回拡大幹事会は︑第二回全国代表者会議にたいして次のような意見を表明した︒
﹁現在決定的事態にそなえ地道に下から積み上げている最高限実力行使体制を基盤とした県民各階層の闘争意欲を国会闘
争に解消させることなく労働者階級の当面する合理化︑失業︑ 民主的権利などの諸問題をかかげる実力行使の力を結集
し︑安保改定阻止の目標で最高限の実力行使を行ない︑改定をあくまで強行しようとする岸政府に大打撃を加えねばなら
ない︒中央国民会議は︑生産点を中心とした共闘体制に支えられた最高限実力行使による安保調印阻止の方針を出してい
るがその時期設定ならびにその指導についてあいまいであり消極的である︒この点を明らかにすることは福岡県の運動を
すすめるためにも必要である︒
われわれは重大な意義のある第二回全国代表者会議においてスローガンについての部分的な意見の不一致︵﹁岸内閣打倒﹂
のスローガンをかかげるかどうか一引用者︶の調整に時間を費やすのではなく︑当面する重大な時期に安保改定阻止と
いう基本的な意見の一致にもとづいて正しく進路を定めて前進するための具体的な行動方針について意見の一致をはかる
ために討議を集中するよう希望するものである︒﹂︵﹃第二回全国代表者会議参加に関する第三回拡大常任幹事会決定i
福岡県下における安保改定阻止廃止の闘争について﹄五九・九・一一︶
︵5︶九州拠点共闘ブロックの活動については ﹃福岡県総評第=回定期大会報告書﹄︵︸九六〇・八︶︑福岡県労働部労政課
﹃昭和三四年秋季年末闘争について﹄ ︵昭和三四年=一月︶参照︒
︵6︶ ﹁第=回安保共闘幹事会議案﹂ ︵六〇・二・三︶
︵7︶ ﹁福岡県安保改訂阻止共闘ニュース﹂第五こ口一九六〇・二・二五︶
︵8︶ ﹁第一四回拡大幹事会報告﹂ ︵六〇・四・九︶のなかでは次のように述べている︒﹁現在は〃総資本対総労働の対決で
はなく︑ 〃総資本対人民の対決だ︒例えば直黒で安保共闘参加の居住の人達六〇名ばかりが三池に入り﹃何クソ︑ヤル
ゾ﹄という気になって帰ってきた︒そして今地域に﹃三池を守る会﹄をつくる活動をしている︒職場地域で三池を守る闘
いをくみ︑その敵の攻撃の本質である安保に反対する闘いと結合させていくことが当面の闘争で重要な課題になっている
ことが確認された︒﹂
︵9︶春闘九州拠点ブロック共闘会議﹁共闘ニュース﹂第二〇号︵一九六〇・五・三︶
︵10︶ ﹁第一四回拡大幹事会報告﹂
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︵11︶ ﹁第一五次統一行動に向けて︑四・一五闘争を勝利させよう﹂ ︵一九六〇・四.
︵12︶福岡県総評第一一回定期大会への﹃経過報告﹄の中の﹁六︑安保反対闘争﹂の項︑
高教組二〇年のあゆみ﹄の﹁安保闘争﹂の項参照︒ 一︶﹃福岡県教組二〇年﹄および﹃福岡県
四 県安保共闘の運動総括について
60年安保闘争の福岡県での展開(衣笠)
ω第一九回拡大幹事会での総括 県安保共闘会議は︑七月四日の拡大幹事会で︑名称を﹁安保破棄福岡県民共闘会 ︵1︶議﹂と改めた︒八月八日に開かれた第一九回拡大幹事会は︑一年有余にわたる安保闘争の総括の方向を示した︒
それは﹁安保闘争の中で自覚された問題点H今後の安保闘争にかけられた課題11﹂という題目のもとに︑①﹁労働
者の統一について聴労働運動内部の問題点11﹂︑②﹁世界の民主勢力︑労働者階級との連携について﹂︑③﹁民主主
義擁護の闘いと安保破棄の闘いについて﹂の三つの柱から構成されているが︑もっとも多くのスペースをさいている
のは﹁労働者階級の統一について﹂の項である︒ここで︑企業主義が民間単組の政治ストへの結集を妨げたが︑安保
闘争の経験はこの克服の方向を示したとして︑つぎの三つの柱︑④﹁労働戦線の統一行動について﹂︑◎﹁合理化問題
について﹂︑⑳﹁政治闘争と経済闘争について11企業主義を克服する方向H﹂という順に論議をおこなっている︒ま
ず④では﹁安保反対の点で一致点を見出しながらも︑全労︑新産別を含む全労働者階級の統一行動を組むにいたらな
かった﹂点を運動の弱点として把えている︒そして◎の合理化問題では︑ ﹁今度の政治ストの主要勢力は官公労﹂で
あか﹁民間重要単産の参加が弱かった﹂ために︑政府をゆさぶることはできたが﹁独占自体に生産点において強力な
打撃を与える﹂ことによって﹁階級的力関係を決定的に変換させる﹂ことができなかったことを反省している︒そ七
て︑民間重要単産が合理化攻撃を集中的にうけ企業のワク内でこれに対処しようとした結果︑安保闘争への立ち
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論 説
あがりが困難であったことを卒直にみるならば︑民間企業の反合理化闘争は企業のワクをこえた産業別の合理化
闘争として展開されねばならず︑それは新安保体制と直接に対決するという意味で︑安保破棄の重要な闘争の一つと
して位置づけねばならない︑と県共闘は強調している︒この闘いのなかで企業主義の克服が現実的課題となってくる
が︑その克服の方向は◎の﹁政治闘争と経済闘争﹂のなかで論じられている︒ここでは次のような議論がおこなわれ
ている︒ ①﹁こんどの安保闘争の注目すべき経験の一つは︑かってない多数の労働者が企業のワクをのりこえて国民全体の要望に応え政治
ストを闘ったことである︒﹂
②﹁この経験は労働者階級︑民主勢力全体の敵が非常に明確になり︑共通の敵が明らかになった時︑このような政治目標に対する
闘いでは企業をこえて闘うことを示している︒そしてこれを激励し︑鼓舞したものは労働者階級をおしつつむ国民諸階層との統一
行動である︒﹂
③.﹁このことは︑階級的立場に立ち︑全体的な敵を明確にすることが企業主義克服の第一条件であることを教えている︒合理化︑
賃金問題などの経済闘争では安保のように共通の敵が明確になりにくいことも確かである︒しかし日本の労働者階級は安保で企業
主義克服の第一歩をふみ出したのである︒﹂
④﹁労働者がこのように全国民的︑全階級的視野に立って敵をとらえ︑これとの闘いを意識する過程で︑身近の職場における諸要
求をかちとる闘いを今までの企業のワクの中でとらえていたスケールを︑脱皮することが可能となる︒﹂
⑤﹁賃上げ︑最賃︑合理化︑失業︑社会保障等の闘いを︑このような方向で組みあげる意識的な指導の中で企業主義︑企業組合の
脱皮も現実の問題となってこよう︒﹂
⑥﹁そして民主勢力全体の共通の敵を明らかにする具体的なとりくみこそ〃安保破棄の必要を民主勢力自身の思想とする闘いに
ほかならない︒ちなみに安保闘争全体の成果を充分に理解できず ﹃安保闘争は負けた﹄ というとらえ方をするものが一部にある
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が︑このような局部的現象を一般化するような理解の仕方は︑企業主義︑組合主義と無縁なものではない︒﹂
﹁全国民的︑全階級的視野﹂に立って﹁共通の敵﹂を明らかにすることが︑企業主義を克服する第一の条件であり︑
この条件は安保下履のなかで整ったというのが︑ 県安保共闘会議の総括の基本だと考えても間違いはなさそうであ
る︒この総括について意見をのべることはさしひかえるが︑たとえば︑具体的諸課題を﹁このような方向で組みあげ
る意識的指導﹂が必要とこの総括は強調するが︑それは誰によって担われるのかという点にはふれていないという点
だけは指摘しておきたい︒それは社会主義政党によって担われるのか︑それとも安保共闘の強化によって担われるの
か︑明らかではないように思われる︒
②県安保共闘の性格iカンパニア共闘の壁 県安保共闘の斉藤事務局次長は︑県安保共闘の性格を結成のときか
ら﹁一時的な統一行動組織ではなく︑安保条約の廃止をかちとるまでの長期の統一闘争組織﹂だと確認してきたと︑ ︵2︶蜘 五九年一二月六日の安保改定阻止福岡県活動者大会での﹁県下の安保闘争経過報告﹂のなかで強調している︒
展 ﹁県安保共闘は安保問題を軸として︑ さらに労働者階級をはじめ農民︑市民︑中小企業など国民各層の地域的︑ 全 開. 六〇年三月一四日開催の第一一回幹事会でも︑ ﹁福岡県安保共闘の発展と体制の強化﹂が議題にとりあげられ︑①
依
勲国北諸要求をとりあげ︑安保条約体制そのものに対決する闘いの全体的中心として役割を果さねばならなくなってい の
論る﹂︑6﹁県安保共闘は条約廃止まで共闘する.︑と︑安保条約に関連する問題はすべてとりあげて闘うことを結成に
物 当って確認している﹂︒ ③県総評も一月二九日の第一六回評議員会で各種共闘組織︵民主諸団体︶の一大結集組織に
欄よって平和と民主主義と生活を守る闘いを統A・していく必要を痛感し︑西月上旬を目途に各団体で討議を進める﹂
噸という方針を決定して匿などの諸条件から﹁県安保共闘を恒常的共闘組織として確瑠k.四月上旬をめどに
6 ﹁諸団体の検討をまって︑新しい共闘の性格を確認し︑体制を強化する﹂ことを決定した︒各種の共闘を安保体制と42 (2−3 ●105) 251