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ルッジエーロの自由主義論

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129 

ルッジエーロの自由主義論

手 塚 真

1 .   はじめに

本稿は, G・デ・ルvジエーロ『ヨーロッパ自由主義史』(Guidode Ruggiero Storia del  liberalismo, 1925 本稿ではその英訳 TheHistory of EUROPEAN LIBERALISM, translated  by R. G.  Collingwood, published as Beacon Paperback in 1959を利用した。なお,本書か

らの引用においては,そのページを引用文のあとに括弧に入れて記す〉の一部を整理しつつ,

紹介するものである。 1925年1月にはムッソリーニのファシスト独裁宣言が出された。ナポリ 出身の著者ノレッジエーロの状況への態度表明として出版された本書は,ヨーロッパ自由主義研 究の古典としての地位を占めている。だが,いまだ十分には紹介されているとは言えない。だ から本書を紹介することにはそれなりの意義があると考える。紹介が本書の一部だけに限定さ れるのは,紹介者の関心がまきにそこにあるからである。つまりドイツ自由主義が紹介者の関 心の対象であり,その問題が紹介の中心となる。

内容に入る前に本書の構成を簡単に説明しておこう。本書は「18世紀」と題された90ページ ほどの序を含めて三部構成である。序では, 18世紀になって明確に意識されるようになった自 由の諸局面の特徴が,その封建社会にあるルーツと関連づけられつつ析出されている。第一部

「自由主義の歴史的諸形態」では19世紀のイギリス,フランス, ドイツ,イタリアの自由主義 が歴史的に分析されている。そしてこの国別の分析を踏まえつつ改めてヨーロッパ的現象とし ての自由主義の意義をまず確定し,さらには他の社会的・政治的諸勢力との関係を分析するこ とによって一層その意義を鮮明にした上で,それが直面している危機とその将来の展望を見通 しているのが第三部「ヨーロッパ的意味での自由主義」である。本稿では,まず第二部で示さ れる自由主義の概念とそのナショナリズムとの関係を確認し,その上でルッジエーロがドイツ

自由主義の中に見出した問題性を確認する。

2 .  

自由と自由主義

(1)  自由とは何か

フランス自由主義とイギリス自由主義は, 18世紀には対立し合っ℃いた。自由という言葉に 込められた意味が異なっていたからである。フランス自由主義の問題は「単数の自由」であっ

(2)

130  立教経済学研究第44巻 第3号 1991年

て,これは「人間性の本質」「人格」を意味した。イギ、リス自由主義のそれは「複数の自由」

で、あって「個々人の諸権利・諸特権」を意味した。フランス自由主義からすれば, 「複数の自 由

J

は「全体としての社会に犠牲を強いて少数者が享受する諸特権であって,その完成は多数 者の奴隷イヒを,したがって人間の人格の核心である貫の自由の破壊を意味した」(348)。逆に イギリス自由主義からすれば, 「単数の自由」は「実際の強制力と保障とを欠いた抽象的権利 であり,またすべての歴史的な保障と強制力を非合理的で不公平な特権であるとして破壊して しまうことによって,諸個人を識別できない原子の寄せ集めに,つまり専制政府の餌食となっ てし まい易いものに変えてしまうものであった」(同〉。この 2つの自由概念は,ノレッジェーロ によれば,対立し合うものではなく,むしろ相互補完的な関係に立つものであった。荷者の総 合の上でこそ,人聞にとっての自由の意味が開示されるのである。 「形式的概念としての単数 の自由は,複数の自由が諸特権・諸独占に臨落するのを防ぐために必要である。それは,複数 の自由をいま一度その源泉に結び付け,人間の人格の中で,それらと自分自身とを永遠に更新 して行く。つまり,…ーそれらの権利を世襲的譲渡物という受艶的状態から取り戻L,すべて の歴史的権利の永久の起源が人聞の意識の中にあることを開示するのである。だがまた,経験 的個別主義としての複数の自由は,単数の自由が抽象的公式に形極化するのを防く、、ために必要 である。それらは内容を用意する。内容のない形式は空虚である。それらは理性の一般的表現 に諸利害の色調を与え,また対象の所有を前提にしていることで,権利の主張をより容易にす るのである」(348‑9。)

以上のように自由とは,ルッジエーロによれば,人格を中心とする権利概念であって,その 形式は人間の抽象的権利としての「人格」,またその内容は個々人によって具体的に主張され る「諸権利」であるとされている。自由の形式たる「人格

J

は「諸権利」とし、う内容を持たな ければ,空虚なものとなる。逆にまた,自由の内容たる「諸権利」は,根源的な人間意識に直 結する「人格」によって形式を与えられていなければ,たんなる諸特権となる。ところで,こ の権利としての自由がし、かなる力を発揮しうるかは,それが置かれている状況によって左右さ れるであろう。ルッジエーロは「否定的自由」と「肯定的自由」の対比を通して,この点の検 討を試みている。

「否定的自由」というのは18世紀の自由観である。この場合,自由とは「好き勝手なことを する能力」「自分の活動を他人によって妨害されない権利」を意味する。この自由は内容を有 せず,抽象的能力を形式的に主張するだけのものであり,建設的な住事に関与することはない。

むしろその意繋ば否定的ないL批判的であるととにある。 「18‑t!t杷の自由主義の旺盛な活力は その論争的調子に基づいている。それによって自由主義は厳格な習慣と権威の世界を攻撃・破 壊し,そしてこの破壊の中で、新たに生じた大童の個人がはじめて自分の生を生きることができ るように解放したのであった

J

(351)。18世紀までの自由は抽象的で形式的なものであること によって,伝統的社会を批判し破壊することができた。そしてこの自由は近代的諸個人を生み

(3)

lレッジエーロの自由主義 131  だし,彼らを自らの内容として獲得することによって, 19世紀の「肯定的自由」へと発展して ゆくのである。

19世紀の観念では,自由は「自ら決定するという能力,したがって自分自身の意識による自 発的な行為によって,実際の生を捕らえているさまざまのしがらみ束縛を超えようとする能 力」(同〉である。この自由にとっては,外的強制がないということは表面的なことにすぎな い。大事なことは,自然に存する依存関係を廃して, 「自分自身と他人とに対する義務の意識 によって自発的に是認された依存関係」 (同)に身を置くことである。つまり, 18世紀の自由 のように一切の権威・法律を自由な活動に対する障害として否定するのでなく,それらの起源 を「自分自身の精神の奥底」=「良心」に置くことであり,そしてまさにこのように各人の良心 を各人の権威・法とすることの中に, 「たんなる自己本位の要求を超えた人間的生の組織化の 要求」(352)が含意されているのである。換言すれば,連合という形で人々を結合させる力を 自由は持っているのである。自由が創造する諸連合の中で最も高度で複雑なものが国家である。

18世杷の観念によれば,自由V'i.自然のものであった。家族・社会・国家といった連合は,この 自由を抑圧し放棄させるものであった。 19世紀の観念によれば,そうした連合を通してこそ人 はより自由となってゆくのである。こうして, 「国家からの自由」に代わって「国家による自 由」という観念が生じるのである。

以上のように, 18世紀と19世紀の時代から「否定的自由

J

と「肯定的自由」とは抽出され,

そして時代的に先行した前者は「劣等な自由

J

,後者は「成熟した自由

J

とされている。だが,

その関係は,後者の出現するとともに前者が完全に消え去るといったものではない。前者とい えども「精神的・自発的生の,つ主り真の自由の一端を担っている」(356)ので、あって,精神 的発達の最高段階にあっても,それは維持されなければならない。それは「精神が受動的な停 滞状態に陥ってしまわなし、」 〈問〉ために必要なのである。このように発展段階を異にする 2 つの自由が同時に存在することによって生じる問題を解決するものが,きさに自由主義精神な のである。

(2)  自由主義

yジエーロによれば,自由主義精神のさまざまな実現形態を表現するものが白由主義であ る。自由主義の定義が多様であるのは,実現形態が多種多様であるからである。そこでかれは,

自由主義を次の5つの昂面で検討している。

a)自由という事実の認知

これは自由主義が成り立つ前提条件である。というのは「自由である人だけが他人の自由を 認知することができ,また知的で、自律的な人格の価値を自ら経験した人だけが,一個の人格と して自己主張する他人の権利を理解することができる」(358)からである。この場合に大事な ことは,認知が自由をたんに対象として観察することではなく,自由への尊敬を含意している

(4)

132  立款経済学研究第44巻 第31991

ということである。それは自由の認知が「人間としての同一性への根源的感覚

J

(同〉に基づ くものであるからであり,この感覚が人間を人間にとって神聖なものとするのである。

b)方法としての自由主義

自由主義は孤立的行為としての自由の認知だけでは不十分である。 「他人の精神過程を再構 築し,その目的と桔果を評価する能力」 (同〉とならなければならない。この能力が自由主義 の方法である。自由主義はこの能力が万人に備わったものであるという,つまり「人間の個性 の形成は自由の仕事である」 〈同〉とし寸立場をとる。だから一方では自由を「精神の授ける 恩恵の対価として課される労苦

J

(359)と同一視し,他方では「自らのイメージに合わせてす べてのものを形づくろうとする性急な道徳主義のおせっかい,そして命令によって人聞を発展 さぜようとする啓蒙専制主義の倣慢」(同〉にたいしてほ反対するのである。換言すれば, 自 由主義の方法とは,自らの努力と勤勉だけが人格を向上させるものであるということを教える ものである。

c〕政党としての自由主義

自由主義の方法を政治の世界で擁護するのが自由主義政党である。その機能は批判的・論争 的であることにある。つまり「自由が活力・信頼・合意を呼び起こし,自発的精神に基づく連 合・協同体を創造する」(同)という信念に拠って,「個人の活力の伸長に対して有害に作用す

る人為的な障害の除去」 〈同〉を目指し℃行動するものである。

自由主義政党は自由主義と完全に一致しているわけではない。この政党は政権の座に着くと,

それまで、の批判的な情熱を失って堕落してしまうからである。その場合,自由主義精神は対立 政党に現れる。 「諸個体の生は競争を通して発展する」(361)という自由主義政党自身の立場 からすれば,個体としてのこの政党の発展にとっても競争相手となる政党がまた必要なのであ る。換言すれば,自由主義政党といえども全体の一部でしかないのであって, 「その強さ,そ してまたその弱さは部分的であることにあるのである」(同〉。自由主義政党と反対政党との対 立・闘争は自由主義によって総合される。この総合を示顕するのが「諸政党の対立し合うエネ ルギーの合力としての統治活動」(362)である。

d)統治の術としての自由主義

自由主義の統治=政府はできるだけ干渉せず,対立し合う諸利害の相互の抑制によって均衡 がもたらされるようにする。政党と異なる統治の総合的性格は, 「万人のために統治し,万人 の利害を考慮する」 (同〉という点にある。そのために必要なのは反対意見を公平に軒酌しこ れと和解することであり,とくに大切なのは少数者の利害に配慮することである。こうした統 治を成り立たせるのは「保守の原理と前進の原理とを,歴史的伝統と根掠的創意とを統一する 能力」(向〉である。この能力によって可能なことと不可能なことが識別され,あらゆる議論 が許される。こうして「明日の統治の精神的豊かさを支えることになる積極的な探求心と新し いものへの愛と創意への信頼とを,社会組織の中に保持する」(363)ことになるのである。

(5)

ノレッジエーロの自由主義 133  e)自由主義国家

統治術としての自由主義は自由主義政党の政府=統治の占有物ではなく,この政党と反対政 党との開の政権交替の運動を通して現れてくるものである。換言すれば,政府=統治は次々と 異なる政治見解によって運営されてゆくのであるが, 「この変動の中にあっても不変であり続 けるものがあり,これが次第に威信と権威とをもって自己主張してくる」(同〕ようになる。こ れが自由主義国家なのである。その本質は「歴史形成体」であるということであって,その形 成には何世代もの政治家たちが関与したので、ある。

このように,個人のレベルでの自由の認知として始まった自由主義は,次第にその領域を拡 大してゆき,最終的には自由主義国家という形でその実現を見るのである。ルyジエーロはこ の自由主義国家の機能を具体的に検討することによって,自由主義により一層明確な輪郭をあ たえている。

自由主義国家の第一の機能は政治的機能である。これは経済,行政,文化,軍事などの諸利 害を総合するということであって,そのために重要なのが人民の代表によって構成される議会 である。議会活動を通して諸利害は総合され,そしてこの総合によって国家はまさに統一体と

して現れる。この統一体としての国家は「その中にすべてのものが入っている容器といった抽 象的で不確定なものでなく,時間と場所と主義と様式によって鋭く個別化されたものであって,

その眠りで人民全体の歴史と状況に規定された分割不可能な行為を表現することになる」(364。) 第二の機能は法的機能である。これは,政治的機能によって与えられた統合を,法組織によっ て「外部からの干渉に対して消極的に防衛すること」(366)である。この機能を概念化したも のが「法治国家論」であって,個人の権利の法的保障を基礎づけている。個人の権利が保障さ れなければならないのは,それが私的権利であるからではない。それは「近代的個人は本質的 に政治的な存在であるとしづ事実」(367)に基づく。だからこそ個人の権利はまた同時に義務 として現れる。権利=義務は「人民の市民的成熟のしるし」 (同〉を意味する。第三の機能は 社会的・文化的機能であって,教育活動を通して「諸個人および彼らの作る自由で自発的な諸 連合の活力を増加し強化する」(369)ことである。

3 .  

自由主義とナショナリズム

(1)  国民概念の形成

個人主義に立脚する自由主義にとっては,国家は契約によって諸個人が統一することによっ て形成されるものであった。したがってそこでは国民というものが問題にされることはなかっ た。国民の重要性を最初に指摘したのは19世紀初頭の反動的な思想家たち,とくにドイツ=ロ マン派の人々であった。ルッジエーロによれば,自由主義はそうした反動的な国民概念を批判 的に摂取しつつ自らの国民概念を構築していったのであった。

(6)

134  立 教 経 済 学 研 究 第44巻 第3号 1991年

国民を成立させるものとしてドイツエエロマン派は,人種,言語,宗教,習慣,制度といった 歴史的な諸要因の意義を強調するとともに,遠い過去にまで、遡ってそれらを熱心に研究した。

だが,歴史的諸要因は国民の必要条件ではあっても十分条件ではなし、。というのは,速い過去 のものが現在において存在しうるためには, 「現在の何ものかによってその生を取り戻されて いる」(40むことが必要で、あるからである。国民が生きた統一体として存在するためには,

「統一する力,すなわち過去を把らえ支配する現在の能力」 (同〉として存在しなければなら ない。そして国民を国民たらしめるこの力を,ルッジエーロは「国民性 nationality」とよび,

「さまざま心理的諸要因と雑多な生の諸経験とをー箇の個体の人格へと形づくる」 〈同〉もの であるとする。このように国民を個人と同様の人格として把握することによって,自由主義は 国民の発展を個人のそれと類似的に把握することになるのである。

ところで人格としての国民を具体的に基礎づけるものは「自発的で自律的な合意」でなけれ ばならない。つまりそれは,その上に国家を築くための一回限りの契約的な合意とは異なり,

「不断の歴史の中で現在を過去と統一するとし、う無言の行為の連続」(410)として存在してい なければならない。だからこそ国民は国家以上の価値を有するものと見なされるだけでなく,

時には国家と対立するものとして理解されたのであった。だが,自治能力をもった自律的統一 体としての国民とは,それ自身の中に国家を包含するものでもあった。つまり国民は「国民国 家」として形成されなければならないのである。そして実際また「この新しい国民国家を目指 して自由主義は,その否定的批判的段階を後にして,前進していった」(同〉。自由主義の最高 の実現形態としての自由主義国家は,まさに具体的には「国民国家」として現れることになる。

だからこそ, 19世紀の自由主義はドイツやイタリアにおいては,政治的統ーを目指した国民運 動と深く結びつくことになったので、ある。また自由主義は個人のために定式化された諸原理を 国民に適用することによって,国際政治に倫理的な原理を用意することにさえなった。すなわ ち,経済的・文化的交流による諸国民の平和共存が,また国民の内政への不干渉が原理として 確立きれた。 「この点で唯一正統化きれる種類の戦争は,それによってある国民の政治的統ー がもたらされる国民戦争である」(412)とされた。要するに,自由主義にとって理想的な国際 関係とは,国家=政府によってなされる政治というものが不必要となって国民の相互関係が一 種の社会となること, 「政府間よりも人民聞に存在している関係から自発的に,有機的に成長 してくるところの,より分節化されより自由な形での社会」(413〕となることであった。

(2) ナショナリズム

だが, 19世紀の現実は自由主義の理想を否定する方向に向かった。 「自由・平等の原理が個 人から国民へと拡大されてゆく場合,それを越えると適用できない点がある」(413)からであ る。偲人の上には法的な自由・平等を保障する機関として国家が存在するが,国家へと組織さ れた国民の上にはそうしたものがなし、。国民の自由は,それゆえに,勝手な行動をとる自由と

(7)

ノレッジエーロの自由主義 135  なってしまうのである。また「個人の人格

J

に比べて「国民の人格」というのは定義が

E

愛昧で,

それだけ問題を発生させることになる。こうして自由主義は,ルッジエーロによれば, 「個人 の自由」を確保するためにその力点を「国家からの自由」から「国家による白出」へ移行させ ていったのと類似した形で, 「閏民の自由」の確保のために国家の行なう政治を次第に容認す るようになっていったので、ある。

ところで国家というのは,たとえそれが国民国家であっても国家として認められる限りでは,

「不確かな国民的感情をしばしば震関する固有の『理性』をもっ」 (415)。だから自由主義の 仕事それ白体は, 「国家理性に拠る旧い政治と国民性に拠る新しい政治との間の慎重な妥協に 限定された」 (同〉にしても,自由主義が現実の国際問題に直面して国家に固有の機能を承認 したことは,結果的には国際関係に伝統的な国家の原理を持ち込み,本来の国民の原理を放逐 させてしまうこと意味した。こうしてそれぞれの国民の活動は他の国民に敵対するものとなる。

ルッジエーロはこの段階の政治の理論的表現を「ナショナリズム」とよぶ。

ナショナリズムという概念は,ルッジエーロによれば,国民の原理を二重の意味で否定する ものであった。なぜなら,ある国民の他の一切の国民に対する支配権の主張へとそれは理論的 に発展してゆき,その結果として「支配国民と被支配圃民との両方の国民性を否定する」(同〉

ことになるからである。換言すれば,ナショナリズムというのは「きわめて異質な諸要素を吸 収することによって必然的に窮地に陥ってしまう」(416)概念なのである。だからまたルッジ エーロは「ナショナリズムとし、う用語は,まさに超越的な国民国家supra‑nationalStateを表 現する帝国主義というより適切な用語によって取って変わられる」 (同〉ことが,望ましいと するのである。

ノレッジエーロはナショナリズムのもたらす問題性を国際政治レベルだけでなく,国内政治レ ベルにも看取する。問題は,それが国家原理の観点から全体としての国民を一握りの政治家の 意思に服従させるために,政治が権威主義的,専制的なものになる点にある。その結果として 生じてくるのが, 「その国の最も反動的な政党とのさまざまのヨーロッパ=ナショナリズムの 同盟, したがってまたあらゆる自由主義の見解に対する敵対」 (同〉である。こうした傾向を 最も典型的に示したのが,ルッジエーロによれば, ト、イツzナショナリズムであって,これは 第一次大戦中,プロイセンのユンカ一層の勢力に依拠しつつ,国民性の原理を否定する中央ヨ

ーロッパ国家構想を打ち出したのであった。

4 .   ドイツ自由主義の問題

yジエーロが19世紀のドイツ自由主義の問題として挙げるのは,理論としてはカントやへ ーゲルやイェリネクによって最高の水準のものが与えられていながら,現実としてはその発展 が軍められている点である。つまり自由主義の発展がロマン主義と結び付けられ,そしてナシ

(8)

136  立教経済学研究第44巻 第31991

ョナリズムに急速に傾斜していったことである。以下ではナショナリズムへの傾斜の問題に限 って,ルyジエーロの説を検討してみよう。

プロイセン自由主義は,ナポレオンの率いるフランス寧にプロイセン軍が1806年のイエナ・

アウエルステットの戦いで敗北したことを契機にして生じた。 「ナポレオンのくびきを振り払 うという仕事」ぐ217)によって鼓舞されたとの自由主義は,当然ナポレオンの没落とともに費 退していったが,その最後に結実させたのが1818年の関税法であった。これはプロイセン自由 主義だけでなくドイツ自由主義にとって重要な意味をもっ法律であった。自由貿易の原理に立 つこの法律は,自由への感情よりはプロイセンの経済的利害によって制定されたものであった が,これが核となって1834年にドイツ関税同盟が成立したからである。まさにそれは「国民的 統一のための手段としての自由の重要性」(240)を歴史的に証明するものであったのである。

事実,自由主義的見解の流布していた西南ドイツの諸郊では,自由の理念と国民の理念とが関 税同盟を通して融合され,そしてさらには自由の運動を推進することによってこそ国民的な統 一運動においても指導権を握ることができるという思想が現れたのである。この思想が,三月 革命期(1848/49年〉のフランクフルト国民議会にその頂点をみる国民的な自由主義運動を支

えたので、あった。

この運動は失敗に終わったが,その最大の原因はルッジエーロによれぽ,プロイセンの反動 的姿勢にあった。 1840年にプロイセン国王となったフリードリヒ=グィルヘルム4世は,中世 の復活を夢想する「遅れてきたロマン主義者」であって, 「20年の治世の間におけるフールジョ アジーの偉大な発展を視野に入れることができなかった」(243)。こうしたプロイセンの反動 に直面して自由主義陣営は,革命期に穏健派と急進派に分裂した。穏健派はプロイセン国王の 自由主義への転向に期待した。つまり国民議会によってドイツ皇帝となるチャンスが国王にも たらされた場合には,国王はその支配者としての利害関心から自由を認める気になるであろう,

と考えたので、ある。それに対して急進派は反動的なプロイセンを無視して統一事業を推進して,

自由主義ドイツのなかにプロイセンを解消してしまおうとした。この二派が国民議会におけて 対立した。多数派は穏健派であった。そこで国民議会は白由主義的なドイツ帝国憲法を作成す るとともに,プロイセン国王をドイツ皇帝に選出した。しかし,プロイセン国王は国民議会の 提案を拒否した。こうして国民議会によるドイツの国民的統一に向けた試みは挫折に帰のであ

った。

Jレッジι一戸はドイツの国民的な自由主義運動の負の遺産を,とくに急進派の運動の結果の 中に看取する。急進派の主張はプロイセンでは,国王のロマン主義の影響外にあって国民的統 一の希望を自由主義者と共有していた政治家たちを,自由主義から遠ざけることになった。彼 らの特徴は現実主義的であることであった。 「強大なプロイセンの覇権が真の統一の唯一の保 証であり,プロイセンの勢力だけがドイツの多数の小領邦を永続的に統一し,無政府的な分立 状態を克服L,休眠している政治的感J情を呼び起こすことができる

J

ぐ244)と判断していた。

(9)

ルッジエーロの自由主義 137  だからまた彼らは,プロイセン国王の反動的政治に対しては,一方ではこれを時代遅れのもの

と見なしつつも,他方ではその中に「自由主義の分解力に対抗し,将来の仕事のためにプロイ セン国家を現状のままで保全する方法」 〈同〉を見い出していたのである。こうして自由主義 の国民観とは対立する国民観が、国王の中世的ないしロマン主義的た閏民観を介しつつ獲得き れてゆくことになった。ルッジエーロは,その完成をピスマルクの国民概念に認める。

ピスマルクの国民概念はロマン主義のそれと類似した歴史的前提から導出されているが,過 去に対する不毛な思い入れや消極的な賛美に尽きるものでない。むしろそれは「その何世紀も の伝統から引き出される力を,現在の時点に,将来に向けて, ドイツ人民の拡張と支配に向け て結集した」 (同〉ものであった。つまり国民は権力の手段として重要視されているのである。

彼がロマン主義の国民概念を摂取するのは,その保守的なエネルギーがドイツ国家の建設に役 立つと考えられる限りにおいてであった。だからまた急速に成長しつつあるフツレジョアジーの 意義を無視することもなかった。むしろピスマルクは自らの考えをブルジョアジーに吹き込み,

そして停滞した土地貴族を活性化させる前進的勢力としてそれを利用しようとしたのであった。

こうしてドイツでは,ルッジエーロによれば,英仏の自由主義が中産階級の経済生活をひな型 にして国民概念を形成していったのとは逆に,先に国民概念があってそれに合うように中産階 級の経済生活が形成されることになった。つまり「ブルジョアジーは既存の消耗しきった諸勢 カと結合させられ,そうして各階級ば共通の目的のために貢献すべきである」(245)ときれる ことになった。そしてこうした体制が,ルッジエーロによれば,反自由主義的=帝国主義的な 保護主義で生み出すのである。

ところで保護主義の体制を最初に定式化したのはフリードリヒ・リストの著書『経済学の国 民的体系』 (1841年〉であった。このリストの保護主義と反自由主義的=帝国主義的なそれと の関係を,ルジエローは問題している。そもそもリストは保護主義を主張する場合,これを反 自由主義の主張から慎重に区別しようとしていた。つまり自由は国民的ユネルギーの源泉とし て位置づけられており,また工業に対する保護が必要なのは,工業の発達が人民を自由主義的 に教育するからであった。このように日ストの保護主義は,それが前提にしている自由主義的 な思想のゆえに,はじめから明確に反自由主義の立場をとのビスマルクの帝国主義的な保護主 義から区別されると, Jレッシエーロはする。だがまたルッジエーロは保護主義としての両者の 同質性にも注目する。それは経済を国民に従属させる点である。まさにリストの保護主義の議 論で lま「経済が国民的組織に従属させられている。否,経済だけでなく,人民の他のエネルギ ーがすべて同様に摂われている」(246)。確かに自由の価値は重視されているが,それば閏民 の国民国家としての形成に寄与する限りにおいてであった。 「自由は,農業や工業や知的文化 と同様に,高次の国民的目的にとっての手段としての価値をもっ」 〈同〉という限り日おいて 評価されているにすぎなし、。まさにこうした点でルッジエーロは, 「国民性とし、う偶像にすべ ての価値を従属させ犠牲にする」 (同〉というナショナリズム=帝国主義に特有の思考様式を

(10)

138  立 教 経 済 学 研 究 第44巻 第31991

リストの中にも見出だすのである。要するにPストの保護主義は,彼自身の主観においては自 由主義に与するものであったが,客観的にナショナリズム=帝国主義に立つものであって,し たがって結果としては反自由主義的な保護主義に道を聞くものであった。

こうしてドイツでは,三月革命の自由主義的な国民運動が挫折に帰すると,ナショナリズム が優勢となった。そこでは統一問題が国民問題としてではたく,すなわち国民の自律的な統一 体ニ国民国家への発展の問題としてではなく,武力によって解決される純粋の権力問題として 把握されるようになった。そして結局, ドイツ統一は, 「人民の合意の表明つまり『古臭くな った』自由主義の精神の援助の完全に排除し,ナショナリストの現実政治 Realpolitikと結び っくJ(251)ことによって,ピスマルク=プロイセンがその軍事力にものを言わせてドイツ帝 国を創設するとし、う形で,達成されたのであった。こうして成立したいわゆる「ピスマルク帝 国」においては,国民の自治能力は基本的に問題とならない。確かにピスマルクは,普通選挙 というきわめて民主的な基盤に立脚する帝国議会の存在を認めた。だがこれは彼がナショナリ ズム=帝国主義の観点からして,そうした議会が「帝国を強化するのに有効な手段」(246)で あると判断したからであった。議会制度を通して国民が政治的に成熟することを求めていたわ けではない。だからこそピスマルクは議会に統治機能を認めなかったので、ある。この「ピスマ ルク帝国」における制限された立憲主義は,ルyジエーロによれば, 「人民を永久に政治的未 成年として運命づける」(271)ものであった。

ナショナリズム==帝国主義に支配された「ピスマルク帝国」の問題性は,ピスマルクの退陣 後にまさに露呈することになった。ルッジエーロはこう指摘する。 「ビスマルクの指揮の下で,

高度に組織化された機構の中で、仕事を行なってきた技術的・行政的官吏には,創造的任務を遂 行する能力がないということが, 明らかとなった」(247)。したがってまた「政府は技術的・

官僚的職能に堕落し,完全に王権に依存するものとなって,王権の気まぐれな主導に服従しな ければならなくなった」(271)。 また第一次大戦において明らかになるドイツ帝国の覇権主義 は,統一問題を軍事力によって解決したドイツ=ナショナリズムの帰結であって,それは国際 関係上の問題をも軍事力によって解決しようとする試みであった。ナショナリズムは「国民を 国家の権力のひとつの要素としてのみ把らえる」(247)ものである。ドイツ帝国はまさにそう した思考によって「国民を攻撃と征服の武器へと変え,したがってさまざまの国民の共存の可 能性を生み出す基盤つまり国民の理念を破壊」 (同〉しようとした。つまり「将来に対する野 望のためにドイツ人民の伝統的歴史的性格を犠牲」 (同〉にしようとしたのであった。

ドイツ帝国の国民国家としての欠陥を直視しつつその批判的克服をめざしたのが,マックス

・ヴェーパーで、あった。ルッジエーロはとくに1918年に発表された『新秩序ドイツの議会と政 府

J

を「ドイツの新たな政治的・議会主義的な方向づけと一致するものであり,戦後の自由主 義の最大の功績であるJ(274)として高く評価している。ヴァイマル共和国に関してはまだそ の

E

確な評価を下すことはできないとしつつも,またこの国が内外の諸問難によって危機に晒

(11)

ルッジエーロの自由主義 139  されていることを認めつつも,ノレッジエーロは「旧体制において否定されていた政治に関する 自由主義教育を自ら獲得してゆくというドイツ人民の能力にとっては,諸徴候は好都合である う」 (同〉と結論して, ドイツ自由主義の分析を終えている。この結論はルッジエーロ自身の 願望でもあったであろう。その後のドイツの歴史は,周知のように旧体制にも増して自由主義 と国民性を徹底的に否定するナチズムを生み出すことになった。だが,このナチズムの問題は 披の視野の外であった。

5 .

小 括

以上のように,ルッジエーロは19世紀のドイツ自由主義の問題をナショナリズムの問題と関 係させつつ適確に分析しているが,自由主義とナショナリズムとを結合させた政党である「国 民自由党 Nationalliberale」の問題をそれ自体として検討していない。最後に,そのことの意 味を,つまりルッジエーロのドイツ自由主義論において残された問題を,簡単に検討しておこ

う。

ルッジエーロが「国民自由党」をそれ自体として取り上げなかったのは,彼がこの政党を自 由主義政党として認めなかったからであろうか。ルッジエーロの自由主義観からすれば,自由 主義体制としては不完全であった「ピスマルク帝国」に対して自由主義政党たるものは,批判 的な態度を取るべきであった。しかし「国民自由党」はピスマルクの与党として機能した。確 かにこうした点からすれば,ルッジエーロはこの政党を自由主義政党と見なすことに障践した かもしれなL、。だが,彼にとって問題であったのはこの政党が与党として機能したか否かとい うことよりも,むしろ自由主義とナショナリズムとが結合しうるか否かということにあったで あろう。

国民観ないし国家観に関して言えば,自由主義は国民を個人と同様の人格として認め,そう した国民が自律的に発展することによって形成されるのが国民国家であるとする。それに対し てナショナリズムが問題とするのは権力国家であって,国民はそうした国家を構成するひとつ の要素であるにすぎない。国民を主,国家を従として把らえるのが自由主義であるとすれば,

逆に把らえるのがナショナリズムである。自由主義とナショナリズムは対抗的な関係にあり,

その意味ではこの2つを結合するのは困難である。自らの思想的基盤を自由主義としたリスト がドイツの国民的課題を強く自覚し,保護主義を定式化することによって,結果としては反自 由主義的なナショナリズムの台頭に力を貸すことになったのは,まさに結合の困難さを証明す るものであろう。ナショナリズムが国家原理を優先するものである限り,自由主義との結合は 不可能なのである。ピスマルクは国家原理に立脚して現実主義的に,そして権力主義的に政治 を行なった。こうしたピスマルクの与党としての働く「国民自由党」を,ルッジエーロはナシ ョナリズム政党と見なすことはあっても,自由主義政党と見なすことは決してなかったで、あろ

(12)

140  立教経済学研究第44巻 第3号 1991

う。

自由主義とナショナリズムをルッジェーロのように定義する限り,この2つを結合すること はそもそも不可能であった。ナショナリズムが自由主義と結合しうるためには,国民原理に立 脚するものとならなければならないが,これは自由主義との結合ではなく,自由主義そのもの であることを意味するからである。ルッジエーロは国家原理に立脚するナショナリズムを,国 民原理に立脚する自由主義と対立させることによって,ナショナリズムの問題を浮き彫りにし ようとしたのであった。こうした整理の仕方は,ファシズムの台頭しつつある時代に対する態 度表明としては意味をもったであうが,自由主義とナショナリズムの結合ないし両立の問題を 解決するものではないだろう。そもそも白由主義の最高の実現形態である自由主義国家は「国 民国家」として現れるのであったとすれば,ルッジエーロは自由主義とナショナリズムの結合 ないし両立の可能性を否定していたわけではないといえようが,この点を彼は明確にすること なかった。その可能性の根拠を明確することはわれわれに残された問題であるといえよう。

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