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密教研究 Vol. 1928 No. 31 003長谷部 隆諦「印契の研究書 P30-49」

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印 契 の 研 究 書 三 〇

今 私 が"mudaries な る 印 契 の 小 著 葎 紹 介 ず る 所 以 は 、 現 に 印 度 に 大 乗 佛 教 徒 が な い ご 言 ふ 事 と 印 契 の 書 は 故 土 宜 大 僧 正 の 佛 國 に お け る 四 度 印 圖 公 刊 の 外 他 に 此 種 の 獲 表 書 ( 日 本 々 除 く ) が 録 い と い ふ 事 と 現 に 南 洋 の バ リ 島 で 古 く 印 度 か り 渡 つ た 人 種 の 、 而 冷 佛 印 二 敢 徒 が 相 並 び て 三 密 双 修 の 形 式 の も と に 印 契 な 便 用 し て な ろ 事 は 鮒貫 に 驚 ろ く べ き 現 象 で 、 而 し て そ れ が 十 八 契 印 々 も 具 足 し か ぬ る 原 始 的 の も の で 有 る ご い ふ に 至 つ て は 、 少 く と も 私 の 興 味 為 惹 き つ く る に 十 こ 分 で あ る と 言 ふ 事 、 先 づ 此 等 の 三 條 件 が 私 な む て 解 説 的 に 此 一 書 々 本 誌 に 紹 介 ぜ し む る 理 由 で あ ろ 。 但 し 原 書 は 高 野 山 大 墨 に は 必 す 有 ら う か ら 私 の 此 の 解 謬 比 較 し て 研 究 し て 貰 ひ れ い 。 第 錫 珍 ら し く も 瑞 典 の 謁 家 に し て 亦 族 行 家 で も あ る Tyna de kleen 嬢 は 、 舞 踏 の 研 究 こ い ふ 因 縁 か ら 自 然 に 印 契 に 渉 り を つ け 、 南 洋 の バ リ (じご 島 ) 島 で 種 々 苦 心 の 結 果 其 腱 の 僧 侶 の 實 修 し て ゐ る 印 契 を 研 究 し 、 其 れ を 六 十 葉 の 寓 眞 書 こ し て 説 明 を 附 し た も の にA. J. D. Campebell. の 有 盆 な る 序 説 を 懇 頭 に 附 し 、 以 て 一 書 を 成 し た も の が 此 の"Mudus" で あ る 先 づ カ ム ベ ル 氏 の 序 説 の 要 黙 を 抄 説 す る 。 埃 及 、 波 斯 及 び 其 の 東 方 ご の 間 に お け る 海 路 交 通 の 最 初 が 相 當 の 根 擦 に 因 つ て 今 よ り 三 千 年 の 往 昔 に 立 ち 露 り 得 こ す れ ば 印 度 ご 東 印 度 群 島 こ の 交 通 も 略 同 様 で あ る 事 が 推 定 し 得 ら ると 課 で あ る 。 此 の 問 題 は 暫 く 別 ビ し て 、 此 慮 に 北 印 度 の 定 佳 者 等 が 少 な く ご も 西 洋 紀 元 一 世 紀 の 頃 已 に 瓜 畦 に 波 つ て ゐ だ 事 は 確 實 の 様 で あ る が 、 而 も 彼 等 は 優 勢 な る 婆 羅 門 激 ご 大 乗 佛 敷 の 芽 生 え ご を 同 時 に 瓜 畦 に 請 來 し 、 其 後 約 五 百 年 間 は 専 ら 婆 羅 門 敷 が 此 島 の 宗 教 を 支 配 し た 、 ご 言 つ て も 此 の 時 未 開 の 土 着 民 が 以 前 よ り 信 じ て ゐ た 精 羅 説 (Animis ) を 総 て 放 棄 し た こ 言 ふ 意 昧 で は な い 。 僧 て カ ム ベ ル 氏 の

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餅 説 に 依 ら ば 印 度 か ら 瓜 畦 へ の 此 の 最 初 の 移 佳 者 を 傘 ひ た 頭 目 は 西 印 度Gujerat 州 の 王 子Aji saka で 有 つ て (私 に 言 ふ V. S. の 印 度 史 に は 此 年 代 を 西 暦 七 五 年 又 は 七 八 年 こ す) 其 の 祀 先 の シ ァ カ 族 (Saka 隷 蔚 。sakeわ は 、 西 暦 紀 元 前 一 四 〇 -二 二 〇 年 頃 巳 に 西 北 印 度 健 駄 羅 (Gandha) の 希 臓 バ ク ト ジ ア 王 國 に 侵 入 し て ゐ 把 が 、 其 の 後 月 氏 族 (Yuclh-chi) ぼ な る 遊 牧 民 群 の 一 團 に 追 は れ 其 の 厭 出迫 に 堪 ね す し て 途 に Gujerat 州 に 移 佳 す る に 至 つ だ の で あ る 。 此 の 事 實 の 有 つ て 後 、 幾 世 紀 か を 経 て 即 ち 西 暦 六 三 〇 年 頃 シ ァ カ 族 は 更 に 前 回 よ り も 大 規 模 に て 瓜 畦 に 移 住 し た の で 有 る が 、 此 の 時 彼 等 は 印 度 に お い て 優 に 登 達 せ る 大 乗 佛 敏 を 彼 の 島 に 導 き 入 る 、 ご 同 時 に 、 健 駄 羅 に 於 け る 希 朧 佛 敏 風 の 建 築 術 を も 彼 の 地 に 傳 へ た の で 有 る 。 私 は 此 所 に 断 片 的 で は あ る が シ ァ カ 族 に 就 い て 特 に 数 言 を 附 加 す る 。 ( 此 の 附 加 は 紹 介 者 の 説 で あ る) △ シ ア カ 族(Sakas 塞 又 は 繹 迦 こ も 音 講 し 得 べ し) は ト ル キ ス タ ン 、 ア フ ガ ン 、 ペ ル シ ャ 及 び ロ ン ァ 等 の 土 耳 其 民 族 で 、 古 代 の 遊 牧 民 で あ る △ V. ス ミ ス の 古 代 印 度 史 に 依 ら ば 、 西 印 の 度 Surashtra 或 は"Kathiawaar" に 於 け る シ ァ カ 族 の 太 守 ( ず ト ラ プ ご 稽 す) は 西 暦 三 九 〇 年 頃 笈 負 多 朝 の 月 護 第 二 世 超 日 大 王 (Cikamaditya) に 征 服 せ ら れ た 。 △ 此 の シ ヤ カ 族 ご 佛 敏 の 租 師 を 出 だ し た 繹 迦 族 ご を 同 一 種 族 に 考 へ て 、 因 果 關 係 を 附 す る 學 者 ( M. W 氏) も 有 る が 、 シ ァ カ はCikamaditya で 繹 尊 の 種 族 はCikamaditya で あ る か ら 私 は 此 學 者 の 義 を 取 ら の 。 併 し 此 學 者 は 言 ふ 、 即 ち 繹 迦Cikamaditya は Saka 族 を 耐 先 ざ す 。 而 し て 此 のCikamaditya は 臼 い 皮 膚 の 種 族 で あ る 。 摩 翠 の 法 典 一 〇 の 四 四 に は

Pauudrkas Odrss, srvidas

(

掌ールヤ

難)

Kambojas (濁 澱 晒 労) Odrss, srvidas 因はOdrss, ( 誤 和 雲-曲 に謂遜 欝) Odrss, srvidas ( 騨 翻 曽-薄 盗 蠕) 自 霧 (渦 浅 欝は) Odrss, as 等 の 諸 族 ご 一 緒 に 記 載 せ ら れ て を る 。 而 し て ク ル ー カ (Odrss, srvidas) は 此 シ ァ カ 族 な る 名 調 は 彼 等 の 佳 居 せ る 地 方 の 名 に 因 ん だ も の で 、 刹 帝 利 族 の 堕 落 し 泥 も の で 有 る ご 説 朋 し て を る 。 斯 く て 印 契 の 研 究 書 三 一

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印 契 の 研 究 書 三 二 此 の 學 者 は 言 ふ 、 即 ち シ ヤ カ 族 は 恐 ら く ア ー ル ヤ 族 以 前 に 印 度 に 貰 が つ て ゐ た 日 鴛 鍵 霧 猶 鵬靱 族 或 は 印 度 ス キ チ ア 族 ご 同 一 で 有 つ て 最 後 に 超 日 大 王 の 爲 に 滅 ぼ さ れ た も の で 有 る ざ 。 私 に 言 ふ 難 靱 即 ち 目 鴛 ぴ鷲 な る 語 は ﹃ 懐 桿 の 人 ﹄ を 意 昧 す る が シ ア カ 即 ち にOdrss, srvidas のSak な る 動 詞 は ﹃ 強 き ﹄ 又 は ﹃ 力 あ る ﹄ を 意 味 す る か ら Saka は ﹃ 強 き 者 ﹄ ご 言 ふ 男 姓 名 詞 で あ る 。 こ れ は 附 録 で あ る 。 △ 此 所 に 言 ふ 所 の シ ァ カ 族 は 毘 灘 祭 富 蘭 那 の 中 に 、 十 六 の シ ァ カ 族 が 案 陀 羅 族 の 後 に 出 で と 地 上 の 王 君 こ な る ご 説 い て 有 る 。 其 の シ ヤ カ 族 の 意 味 で 靱 入 又 は 印 度 ス キ チ ヤ 族 ご 言 ふ の が 此 れ で あ る 從 て 佛 敷 を 創 め た シ ア ー キ ヤ 即 ち 繹 迦 族 で は 無 い 。 更 に 言 は ゾ 茄 所 に 謂 ふ 所 の シ ア カ 族 は 雑 阿 含 経 第 二 十 五 に 佛 教 迫 害 者 の 四 王 こ し て ﹃ 西 方 鉢 羅 婆 ﹄ ﹁ 北 方 耶 繋 那 ﹄ ﹃ 東 方 兜 沙 羅 ﹄ ご 共 に 基 げ て あ る ﹃ 南 方 繹 迦 ﹄ 族 で あ る 事 は 疑 ひ 無 い 。 街 墾 考 の 爲 に 附 加 す べ き は 、 西 暦 七 十 入 年 よ り 開 始 せ る シ ァ ヵ 紀 元 は 迦 風 色 迦 王 に 創 ま る ご 言 ふ 學 者 も 有 る が 、 大 王 は 月 氏 族 に 馬 し 寧 ろ シ ァ カ 族 ご は 不 倶 戴 天 の 敵 で あ る か ら 此 の 説 は 成 立 せ ぬ 從 て 此 紀 元 は シ ァ カ 族 が 西 印 度 カ ー テ ア ー ツ ー ル 地 方 に 移 つ て 塞 前 の 威 を 揮 つ だ 其 の 時 を 紀 念 し た も の で あ ら う。 △ 特 に 一 言 し だ き は 、 玄 弊 の 西 域 記 三 、 烏 侯 那 国 奮 ∂ 、箇 望 ) の 條 を 見 る に 繹 迦 族 は 僑 薩 羅 國 王 毘 盧 繹 迦 の た め に 滅 ば さ れ 、 其 の 一 人 遁 れ て 烏 侯 那 國 に 入 り 、 藍 勃 盧 山 の 池 邊 で 龍 族 の 王 女 を 姿 り 、 更 に 此 の 國 の 王 を 斬 つ て 自 ら 國 王 ご 成 り 、 其 の 龍 女 生 む 所 の 王 子 即 位 す 、 之 れ 上 軍 王 な り 云 々 ご 有 る が 、 君 し 此 の 傳 説 に 見 得 る 繹 蓮 族 が 佛 激 の 開 租 に 關 係 あ る 種 族 な り こ す れ ば 上 述 或 る 學 者 の 説 の 如 く 繹 尊 の 種 族 は シ ァ カ (診 す ) 族 の 末 奇 で 謂 ふ 駈 の 輻 靱 人 君 し く は 印 度 ス キ チ ヤ 人 ご 同 一 種 族 ご 成 り 而 し て 途 に 超 日 大 王 の た め に 最 後 の 止 め を 刺 さ れ た 事 に 成 る が 、 私 は シ ア カ ご シ ァ ー キ ャ ご 文 字 の 異 な る 如 く 種 族 も 亦 異 つ て を る ご 信 す る も の で あ る。 △ 少 な く こ も 今 言 ふ シ ァ カ 族 は 前 に 一 言 し た 通

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り 西 暦 紀 元 前 一 四 〇 年 頃 ( 前剛 一 七 四-一 六 ○ 年 頃 と も い ふ) 當 時 希 臓 族 の 本 糠 地 で 有 つ だ と 見 得 べ き バ ク ト リ ァ に 已 に 侵 入 し て ゐ だ が 、 此 の 遊 牧 民 が 一 方 月 氏 族 に 追 は れ な が ら 他 方 希 朧 族 を 追 ひ つ ど 其 の 後 漸 次 印 度 に 下 つ て 摩 だ 道 筋 は naryn 河-uppe Jaxartes 認 方-カーツエル ー バー マイル ーヤッンケルカーツエルー の 西 ハ ン ツケッー ムワート の 驚 聡 ーベジヤーワル こ 言 ふ 順 路 を 取 つ て 來 た の で あ る が 彼 等 は 北 印 五 河 地 方 即 ち 。ハ ン ヂ ア ブ の 竺 刹 戸 羅( Tayila) 及 び 中 印 耶 牟 那 河 の 岸 な る 秣 菟 羅 (Mathura) に 首 領 を 畳 い だ や う で あ る 。 併 し シ ァ カ 族 が 最 も 威 力 を 揮 っ だ の は 彼 等 の 一 大 支 瀕 が 漸 く 西 し て ス ラ ー ス ラ (Mathura) 即 ち カ ー チ ア ー フ ー ル (KMathura) 孚 島 に 入 つ て か ら 後 の 事 で 、 印 度 史 家 の 言 ふ 所 に 依 ら ば 之 れ が 西 暦 二 世 紀 の 頃 で あ る 。 併 し シ ア カ 族 が 甚 だ 多 く 印 度 民 化 せ る 時 に は 刹 帝 利 族 と 認 め ら れ. だ と い ふ 程 に も 高 等 遊 牧 民 で あ る 彼 等 は 術 婆 羅 門 族 の 階 級 制 度 を 蔑 親 し 謂 ふ 所 の 天 啓 の 聖 典 を 無 親 し 、 以 て 異 國 の 異 風 を 極 め て 疏 外 し 、 痛 く 嫌 忌 せ し 結 果 は 其 の 他 の 諸 因 縁 ご 相 侯 つ て 途 に 超 日 大 王 の 世 に 至 り 國 輝 圭 義 の だ め に 印 度 か ら 其 の 勢 力 を 矢 墜 し だ の で 有 る 。 斯 く て 此 の シ ア カ 族 は バ ク ト ジ ァ の 根 源 地 及 び オ ッ ク ス ス 河 の 漢 谷 か ら 健 陀 羅 及 び カ ー チ ア ー ワ ー ル 地 方 を 遮 し て 大 い に 活 躍 し 、 紀 元 七 世 紀 に 至 つ て 其 の 末 孫 は 遙 か に 瓜 畦 に 渡 つ だ の で あ る が 、 此 の 渾 ㌘動 の 根 跡 は タ ク シ ラ 、 タ ク チ ・ バ ヒ 及 び 其 の 他 迦 灘 彌 羅 地 方 に 於 け る 佛 敏 の 堂 塔 ご 瓜 畦 の 有 名 な る ポ ロ ・ ブ ド ワ ル 殿 堂 (紀 元 八 世 紀 の 後 宇 に 建 造 せ ら れ だ) こ の 間 に 見 得 る 相 似 相 叉 は 岡 一 性 を 比 較 吟 昧 す る 事 に 依 て 有 力 な る 鍵 鎗 を 猶 る こ ご が 出 來 る 。 借 て 瓜 睦 の 彿 教 は 紀 元 第 五 世 紀 か ら 第 十 世 紀 に 渡 る 五 百 年 間 は 印 度 激 よ り 一 暦 贋 き 範 團 に 渉 つ て 認 め ら れ て ゐ だ や う で あ る が 、 印 度 敷 は 其 後 に 至 り 却 て 官 邊 の 宗 敷 こ し て 回 復 せ し め ら れ だ 。 今 日 か ら 考 ふ れ ば 妙 に 不 思 議 で あ る が 、 瓜 畦 に 於 け る 佛 敷 ご 印 度 敏 は 無 論 相 互 に 勢 力 の 消 長 は 有 り し も の か ら 坤 度 及 び 尼 波 羅 に 於 け る と 同 様 何 等 の 印 契 の 研 究 童 臼 三 三

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印 契 の 研 究 書 三 四 講 議 璽 闘 を も 起 こ す こ ご 無 く 爾 々 相 並 び て 敷 説 の 實 修 を 績 け て 來 た の で あ る 。 然 る に 西 暦 一 二 九 五 年 頃 マ ヂ ア 。ハ ヒ ッ ト(Maja-Pahit) な る 印 度 人 系 の 王 朝 が 、 瓜 畦 に 勢 力 を 得 て ゐ た が 、 同 一 四 七 八 年 回 々 敷 徒 の 侵 入 に 依 て 理 由 も 無 く 冤 解 滅 亡 し た 。 今 此 所 に 注 意 す 可 き は 此 の 事 實 の 有 り し 以 前 巳 に 其 腱 の 高 等 階 級 に 薦 す る 者 等 は 瓜 畦 の 東 方 バ リ 島 に 渡 り 其 の 末 育 が 今 現 に 生 存 し て を る こ い ふ 事 並 に 此 の バ ジ 島 は マ ヂ ア バ ヒ 湖ノ ト 王 國 の 一 部 分 を 形 成 し て ゐ た が 、 亦 其 れ ご は 別 に 地 理 的 關 係 上 佛 印 二 敷 は 種 々 な る 因 線 を 以 て 既 に 々 々 早 き 時 代 よ り 此 慮 に 導 き 入 れ ら れ て ゐ だ 事 は 些 少 の 疑 義 も 無 い こ い 憾 事 ご で 有 る 。 さ る に て も 瓜 畦 島 に 横 溢 せ し 此 等 二 宗 敷 が 回 々 敷 徒 に 汚 さ る ど 事 無 ぐ 現 に 今 日 に 至 る ま で 存 綾 し て 各 自 其 の 崇 拝 儀 式 及 び 器 具 の 使 用 浩 を 異 に し な が ら 、 各 自 の 蹄 趣 を 尊 重 し て 、 悉 地 成 就 を 所 つ て を る 事 實 は 我 等 に 取 つ て 唯 趣 昧 の 問 題 に 非 す し て 、 印 度 本 土 に 大 乖 ハ佛 教 否 三 密 宗 の 跡 影 だ に 見 得 ざ る 今 の 時 に 在 っ て 寧 ろ 進 ん で 大 い に 研 究 す る 必 要 が あ る 。 私 は 今 シ ヤ カ 族 の 末 爵 な る ペ ダ ン ダ ( バ リ 島 の 信 侶) の 印 契 を 解 説 紹 介 す る に 先 き だ ち 更 に 瓜 瞳 の 佛 敷 に 就 い て 二 三 の 小 註 を 加 ふ る 必 要 が あ る ( 此 の 小 註 は 紹 介 者 明の 附 言 で あ る) 。 西 暦 六 〇 三 年 頃 前 述 の 通 リ シ ア カ 族 末 育 の 大 い な る 一 隊 が 印 度 か ら 瓜 畦 に 渡 つ た こ い ふ 事 實 に 關 す る 南 方 側 の 記 録 を Hoessein Djajan の 瓜 畦 史 中 よ り 考 ふ る に 、 瓜 畦 の 佛 激 は 西 暦 四 三 一 年 支 那 の 南 京 で 物 故 し だ 迦 編 彌 羅 の 太 子 グ ナ フ ル マ ン (Pedaanda) の 傳 へ し も の で 有 る こ い ふ ( 此 れ は 此 の 文 書 家 が 支 那 宋 朝 の 歴 史 か ら 取 つ た 説 で あ る) 。 今 私 は 此 の 事 實 を 謹 す る 他 の 文 献 を 持 た ぬ が 、 更 に 瓜 畦 の 文 書 家 は 、 印 度 の グ ヂ ア ラ ー ト 及 び ラ ヂ プ タ ナ の 南 方 マ ー ル ワ ー ル に 於 け る 傳 記 を 支 持 す る も の ど し て 、 西 暦 六 〇 三 年 西 印 度 か ら 大 い な る 一 團 が 瓜 畦 に 入 來 し た こ 言 つ て を る 。 年 號 が 多 少 違 ふ の で 困 る が 更 に 濯 羅 國 の 記 録 に 依 ら ば 西 暦 六 八 五 年 ( シ ァ カ 暦 の 六 〇 七 年) に 此 の 移 住 の 事 實 が 有 つ た こ 傳 へ て を る 。 V. ス ミ ス は 丁 度 此 の 年 代 頃 に 當 つ て 印 度 に 勾 奴 (自 包) の 侵 入 に 次 ぐ

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デ ヅ カ ン の 政 憂 あ り 其 の 爲 婆 羅 門 四 族 は ソ ニ ラ ラ か ら 東 方 緬 旬 、 ペ ク 、 ラ オ メ (Laos-詣 蒔-鰍 趨 ?) 諸 地 方 、 邊 羅 及 び 東 甫 塞 に 向 け て 移 佳 し た こ, 言 ふ 事 を 古 代 印 度 史 中 に 流 べ て を る。 今 印 度 ご 瓜 畦 こ の 關 係 が 古 代 に 於 い て 動 何 に も 繁 く 親 し く 殆 ご 想 像 以 上 で 有 つ た 一 一 三 の 史 實 を 墾 考 の 爲 更 に 述 べ て 畳 く。 巳 に 西 暦 一 三 二 年 と い ふ 早 き 時 代 に デ ー フ ソ ル マ ン な る 印 度 族 の 瓜 ㌦睦 王 が 有 つ て 貢 物 の 使 節 を 支 那 に 瀕 遣 し て を る ( 後 漢 書 南 攣 列 傳) 、 此 の 王 の 名 は 茜 暦 四 又 は 五 世 紀 頃 の も の ざ 考 へ ら る 、 碑 文 中 に 見 ね る が 其 の 碑 丈 の 字 騰 が 南 印 及 の パ ラ ワ 字 器 で あ る。 瓜 瞳 古 代 タ 〃 マ 國 の 碑 交 に 依 ら ば 法 顯 三 藏 は 西 暦 四 一 四 年 樗 伽 即 ち 今 の 錫 蘭 島 か ら 一 商 船 に 投 じ 支 郷 へ の 露 塗 九 十 日 の 難 航 を 経 て 瓜 畦 に 動 着 し 、 五 ヶ 月 間 共 の 颪 部 に 留 錫 し だ が 、 佛 国 記 に 依 ら ば 此 の 時 西 瓜 畦 に は 多 数 の 外 蓮 ( 先 佳 民 ス ン グ を 意 味 す) ご 婆 羅 門 (印 度 入) が 住 ん で ゐ た の み で 佛 敷 徒 は 皆 無 で 有 つ だ こ 述 べ て を る ( 西 部 瓜 畦 時 代 は 毘 灘 肇 紳 の 崇 舞 が 行 は れ 犯 や う で 有 る が 大 多 数 は 先 住 民 の 信 仰 で あ る 精 難 激 で あ つ て 、 同 時 に 組 先 の 難 を 尊 崇 し 供 養 し 且 つ 轄 生 を 信 じ て ゐ 元 か ら 新 入 の 印 度 宗 数 徒 は 彼 等 に 罰 化 し 易 い 繹 で あ る) 。 併 し 瓜 瞳 の 中 央 部 に 佛 敏 の 行 は る ど に 至 つ た の は 文 獄 に 依 て 今 我 等 の 知 り 得 る 限 り 法 顯 三 藏 の 後 西 暦 四 三 一 年 に 物 故 せ る グ ナ ワ ル マ ン の 功 に 依 る こ ご 前 記 の 通 り で あ る が 、 此 慮 に 瓜 畦 の 傳 説 的 歴 史 に 依 ら ば 、 其 の 後 第 六 世 紀 の 始 め 頃 印 度 人 は 大 い な る 一 團 を 爲 し て 中 央 瓜 睦 に 移 住 し て 來 た 、 當 時 通 商 の 外 人 等 は 此 等 印 度 人 の 定 佳 せ し 地 方 言 は ゴ 其 の 国 家 を カ ジ ン ガ ご 呼 ん で ゐ た が 、 此 の 名 鵬 は 彼 等 が 東 印 度 の 詞 陵 迦 国 よ り 來 た れ る 事 を 意 昧 す る も の で あ る 。 然 る に 先 佳 民 ス ン ダ 人 の ス ン ダ 語 で 書 い た チ ン ガ ル の 碑 文 に 依 ら ば 、 砥 ﹂暦 七 ⋮二 二 年 の 少 し 以 前 に ず ン ジ ア ヤ ご い ふ 印 庚 人 系 の 王 統 が 有 つ て 彼 の 徒 は 撮 婆 紳 を 崇 拝 し 、 又 南 印 度 ク ン ジ ア ラ ク ン ジ ァ よ リ ジ ン ガ ( 男 女 二 根 の 交 會 せ し 標 章) を 請 摩 し て 崇 拝 せ る 事 、 或 は 西 暦 七 三 二 年 頃 に 着 手 し ヌ は 同 八 〇 九 年 に 翫 來 上 か つ だ 多 く の 繰 婆 紳 殿 堂 の 存 じ た 事 な ご を 述 べ て を る が 、 他 方 印 契 の 研 究 書 三 五

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印 契 の 研 究 書 三 六 佛 敷 の 事 績 に 關 し て は 多 く を 語 つ て ゐ な い 、 蓋 し 此 の 邊 の 消 息 に 就 き て は 次 ぎ の 事 實 を 知 る 必 要 が あ る。 即 ち 義 浄 三 藏 の 室 利 佛(Srivijya) 今 の ス マ ト ラ に は 此 れ よ り 先 き 久 し き 以 前 か ら 印 度 人 系 の 王 国 が 成 立 し て ゐ た が 、 中 央 瓜 畦 の カ ラ ず ン ( 今 の ジ ヨ ク ヤ カ ル タ の 東 方) に 佛 敷 寺 院 の 建 築 せ ら れ た の は 大 乗 佛 敷 に 蹄 依 し て ゐ だ シ ヤ イ レ ン ド ラ 王 朝 の 疇 で 、 其 れ が 西 暦 七 七 入 年 で 恐 ら く 此 の 王 族 の 建 築 し た も の で あ ら う こ の 事 で 有 る 。 そ こ で 前 記 中 央 瓜 畦 を 占 領 せ し 灘 婆 宗 徒 陀 る 印 度 入 系 の 主 族 は 七 三 二 年 頃 か ら 七 七 入 年 頃 の 間 に 曲 シ ヤ バ レ ン ド ラ 王 統 の 佛 徒 だ る 一 印 度 人 系 の ス マ ト ラ 王 に 征 服 せ ら れ た も の で あ る こ い ふ 事 を 言 ひ 得 る の で あ る 。 但 し 此 れ は 僅 か な 材 料 か ら 瓜 畦 ご 室 利 佛 逝 こ の 間 に 起 こ つ た 政 治 的 關 係 に 佛 印 二 敷 の 消 長 を 結 び つ け て 考 へ た ま で の 事 で 、 宗 敷 の 實 際 勢 力 は 斯 か る 一 蓬 の 記 事 に 依 て 容 易 に 最 後 の 断 案 を 下 だ す べ き で 無 い 事 は 無 論 で あ る 。 唯 一 つ 印 度 人 は 総 じ て 秘 呪 、 秘 術 若 し く は 幻 術 を 好 み 、 亦 其 等 に 堪 能 な る 性 質 を 具 し て ゐ だ か ら 、 兎 角 羅 魂 輪 廻 の 信 仰 や 原 始 的 宗 敷 で あ る 精 難 圭 義 の 思 想 を 殆 先 天 的 に 奉 じ て ゐ た 瓜 睦 人 ご 容 易 に 融 和 し 得 る 方 便 を 有 し て ゐ た 事 だ け は 確 か で 有 る。 バ リ 島 に 於 け る 佛 印 二 激 の 僧 侶(Pedaanda) が 現 に 實 修 し つ 、 有 る 方 法 及 び 其 の 究 覧 の 目 的 ざ す る こ こ ろ は 喩 伽 の 悉 地 を 成 就 す る に 在 る が 総 て 此 等 が 彼 の パ タ ン ジ ア リ (紀 元 前 二 〇 〇 -一 五 〇 年) に 起 原 を 登 し て を る こ い ふ カ ム ベ ル 氏 の 意 見 に は 私 は 全 部 賛 成 す る も の で は 無 い 。 從 て 後 に 更 に 一 言 す る 如 く 佛 敷 の 三 密 双 修 は 特 に シ ァ カ 族 の 牝 印 度 に 於 け る 原 住 地 ご 考 へ ら る 、 健 陀 羅 の 一 部 分 で 迦 灘 彌 羅 の 北 方 に 蓮 な れ る 玄 奨 三 藏 の 謂 は ゆ る 烏 杖 那 (Pedaanda) 法 顯 三 藏 の 烏 長 に 其 の 流 れ の 源 泉 を 登 し て を る と 思 ふ の で あ る。 此 腱 に カ ン ペ ル 氏 の 陳 遍 に 依 ら ば 今 パ リ 島 に 見 得 ら る \ 佛 教 の 實 修 は 喩 伽 の 餐 照 こ し て 毘 盧 遮 那 佛 を 有 し 、 且 つ 此 の 如 來 の 繹 定 よ り 涌 出 す る 、 普 賢 菩 薩 が 重 も な る も の で あ る。 但 し 印 度 敷 に 至 つ て は 灘 婆 即 ち 大 自 在 天 即 ち 摩 醗 首 羅 天 を 喩 伽 の 封 照 ご し て を る 。 斯 く て 氏 の 所 見 を 総 括 す れ ば 、 西 暦 第 七 世 紀 に 相 當 襲

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達 せ る 大 乗 佛 敷 を 瓜 畦 に 導 き 入 れ た シ ァ カ 族 は 現 在 の 材 料 に 由 て 知 り 得 る 限 り 喩 伽 師 涙 (Yogadeeee Tya) に 厩 す る も の と や う で あ る 、 ご 言 ふ の は 檜 侶 が (私 に 云 は く ・佛 敷 信 侶) が 實 修 の 時 に 使 用 す る 縛 折 羅 即 ち 金 剛 杵 に 依 て 蜥 く 考 へ 得 ら る \ の で, あ る が 、 此 の 金 剛 杵 を 盛 ん に 使 用 し だ 起 源 地 は 今 迦 灘 彌 羅 の 北 方 に し て シ ァ カ 族 の 印 度 に 於 け る 最 初 の 根 篠 地 で 、 希 臓 風 の 佛 激 藝 術 の 中 心 で も あ る 古 代 健 陀 羅 國 に 隣 接 せ る 烏 陀 耶 那 で あ る 。 此 所 は 今 の ス ワ ー ト 河 の 浩 岸 で あ る こ い ふ 。 私 は 此 の 地 に 就 い て 更 に 数 言 を 費 し た い 。 即 ち 禁 児 、 妖 術 に 長 じ 陀 羅 尼 の 秘 義 に 通 せ る 西 藏 紅 帽 派 の 開 租 巴 特 薦 緻 婆 囎 (Padasbha) 即 ち 蓮 花 生 三 藏 は 實 に 此 の 烏 杖 那 の 入 で 、 西 暦 七 四 七 年 西 藏 に 入 り 秘 密 敷 の 基 礎 を 据 わ 陀 事 は 人 の 知 る 逼 り で 有 る 。 我 が 玄 弊 三 藏 は 西 暦 六 三 〇 年 (長 安 出 登 の 翌 年) 此 の 烏 侯 那 國 を 巡 歴 し 、 西 域 記 第 三 に 次 ぎ の 如 く 述 べ ら れ て を る 。 今 は 唯 必 要 な る 文 句 の み を 抽 出 す る (以 下 此 の 項 に 關 す る 附 言 は 紹 介 者 で 有 る) 。 梵 呪 爲 ニ 藝 業 一⋮ ⋮ 語 言 錐 ゲ異 大 同 二 印 度 一 文 字 禮 儀 頗 相 参 預 ﹄ 云 云 ﹃ 崇 二重 佛 法 一敬 二 信 大 乗 一⋮ ⋮ 奮 有 二 一 千 四 百 伽 藍 一 多 巳 荒 蕪 昔 僧 徒 一 萬 八 千 今 漸 減 少 並 學 二 大 乗 寂 定 爲 ン 業 。 善 諦 二 其 文 一未 ソ究 二 深 義-戒 行 清 潔。 特 閑 二 梵 呪 一律 儀 傳 訓 有 二 五 部 一 ⋮ ⋮ 天 祠 十 有 飴 所 。 異 道 雑 居 ﹄ 云 云。 此 れ に 依 て 観 る ご 烏 佼 那 國 の 佛 敷 が 大 乗 で 而 も 禁 呪 即 ち 陀 羅 尼 や 眞 言 な ぞ を 唱 へ 、 叉 繹 定 を 修 し て ゐ だ こ ご は 事 實 で あ る。 西 域 記 を 蓮 じ て 私 の 知 る 限 り 玄 躰 歴 遊 の 佛 敏 國 申 専 ら 繹 定 を 修 し 隆 ん に 梵 呪 を 論 じ 而 も 其 れ が 大 乗 佛 敷 國 で 有 る こ い ふ の は 唯 此 の 國 の み で 有 る ご 思 ふ 。 叉 此 の 國 の 記 事 中 三 藏 が 親 自 在 菩 薩 を 祠 れ る 精 含 に 墾 舞 し て を ら る と の は 共 に 注 意 す べ き 事 で あ る 。 併 し 此 れ よ り 二 百 歎 十 年 前 に 入 竺 し た 法 顯 は 此 の 烏 杖 國 に 佛 敷 甚 だ 盛 ん で 凡 そ 五 百 の 俗 伽 藍 が 有 り 彼 等 は 皆 小 乗 を 學 ん で ゐ た こ 述 べ 、 更 に 玄 算 よ り 歎 十 年 後 の 慧 超 傳 に 依 ら ば 、 此 の 國 に 大 乗 が 行 は れ 僧 徒 は 民 衆 の 票 敬 を 受 け て を る ご 有 る が 何 れ も 善 い 墾 考 で あ る 前 述 の 事 實 及 び 記 録 を 綜 合 す る に 烏 陀 耶 那 の 大 乗 佛 敢 は 學 文 の 討 究 よ り も 却 て 秘 密 激 の 性 質 を 滞 印 契 の 研 究 書 三 七

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印 契 の 研 究 書 三 八 べ る 實 修 門 の 佛 敷 が 隆 盛 で あ つ だ 事 は 否 定 し 得 な い や う で あ る 、 從 て 金 剛 杵 を 使 用 す る 起 原 が 此 の 烏 杖 那 國 の 而 も 喩 伽 師 涙 の 僧 徒 で 有 つ だ と い ふ 氏 の 意 見 も 一 概 に 拒 む こ ご が 出 來 の。 左 右 二 道 の 異 な り は 有 つ て も 尼 波 羅 、 西 藏 、 日 本 而 し て 瓜 畦 の 金 剛 栗 は 果 し て 此 の 擾 に 其 の 源 流 を 獲 し て を る の で あ ら う か 。 斯 く て 多 く の 史 家 は 、 烏 杖 那 の 人 で 金 剛 阿 閣 梨 耶 ご 呼 ば る と 蓮 ⋮華 生 三 藏 が 前 記 の 通 り 西 暦 七 四 二 年 西 藏 に 入 つ て 喩 伽 師 涙 を 開 い だ こ と を 言 ひ 、 叉 彼 れ が 秘 呪 を 唱 へ 金 剛 杵 を 使 用 す る こ ご に 依 て 土 著 の 宗 漱 だ るボ ン ・ パ 敷 徒 の 恐 怖 及 び 妖 怪 悪 鬼 を 鎭 定 し だ 事 を 記 し て を る 、 蓋 し 蓮 花 生 三 藏 の 西 藏 に 入 る 以 前 金 剛 杵 は 知 ら れ な か つ だ や う で あ る 。 金 剛 杵 を 使 用 し 印 契 を 結 び 眞 言 を 諦 す る 喩 伽 師 派 は 斯 く て 、 西 藏 に も 支 那 に も 而 し て 第 九 世 紀 の 始 め に は 日 本 に 右 道 が 傳 は つ だ の で あ る が 、 南 方 に は 唯 一 つ 此 の バ リ 島 に の み 行 は れ て を る 。 西 藏 で は 佛 敷 各 派 に 通 じ て 金 剛 杵 及 び 印 契 が 使 用 せ ら る と が 日 本 で は 特 に 眞 言 宗 に 限 つ て を る 、 ( カ ム ペ ル 氏 は Arthu Lloyd のThe Greed of Half Japan の 中 に 眞 言 宗 の 敷 義 ご 實 修 ご は 古 代 の 紳 秘 的 知 識 激 で あ るGncst ご 後 代 の 埃 及 宗 敷 か ら 導 き 出 さ れ だ も の で 有 る こ い ふ 圭 張 を 引 い て 、 若 し 此 れ が 正 し い こ す れ ば 古 代 の 西 方 冠 近 代 の 東 方 こ の 聞 に 存 す る 切 つ て も 切 れ の 關 係 は 實 に 此 シ ァ カ 族 に 在 る 。 而 し て シ ァ カ 族 の 印 度 移 住 以 前 の 根 櫨 地 は バ ク ト ジ ア で 其 の 主 都 は バ ル ク (Balkh) で あ る が 、 其 の バ ル ク は 地 中 海 ご 極 東 と の 問 を 往 復 し て ゐ だ 商 隊 の 重 要 な る 商 品 補 充 虚 で あ つ だ こ 言 つ て を る) 。 そ こ で 更 に 一 考 す べ き は 、 此 の 金 剛 乗 の 放 射 的 中 心 地 こ も 見 得 ぺ き 健 陀 羅 の 烏 杖 那 に 特 殊 信 仰 の 登 表 で あ る 喩 伽 師 の 大 乗 佛 敷 が 起 こ つ て 、 西 藏 も 日 本 も 而 し て バ リ こ の 各 異 な れ る 國 々 に 於 い て 現 に 相 似 だ る 佛 器 を 使 用 し 、 同 一 實 修 を 繰 り 返 し て を る と い ふ 事 實 は 如 何 に も 驚 愕 に 堪 ね ざ る こ と で 、 日 本 の 眞 言 宗 は 少 な く と も 進 ん で 西 藏 は 無 論 更 ら に バ リ 島 の 金 剛 乗 を 樵 究 す べ き で あ る 。 三 密 具 足 叉 は 双 修 ご 言 へ と 、 印 は 最 も 實 際 的 に

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且 つ 根 本 的 の 意 味 に 於 い て 人 間 の 心 か ら 即 ち 言 語 以 前 に 起 こ つ て 而 も 言 語 以 後 を 確 謹 す る 力 用 を 具 し て を る 、 原 始 的 に 言 はと 言 語 は 技 工 的 叉 は 第 二 次 的 で あ る 。 即 ち 例 へ ば 儒 言 は 容 易 に 吐 き 得 る が 間 蓮 へ る 實 行 は 即 座 に も 親 破 し 得 ら る と も の で あ る 。 併 し 我 等 が 三 密 と 言 ふ 時 、 印 契 も 眞 言 も 共 に 三 摩 地 心 に 其 の 根 底 を 看 出 し 得 べ き で 有 る が 、 其 中 婆 羅 門 敷 の 眞 言 は 吠 陀 か ら 抽 出 し だ も の で 、 其 の 究 覧 の 目 的 と す る こ こ ろ は 騨 に 關 係 せ る 言 語 の カ に 依 て 何 等 か 紳 礎 不 思 議 の 悉 地 を 猶 得 せ む ご す る に 在 る か ら 、 其 の 終 局 の 心 理 は 途 に 簡 盟 丁な る 而 も 多 く の 蕩 合 無 意 義 の 語 を 捉 ら へ 來 だ つ て 統 一 せ る 意 識 ご 力 に 満 て る 身 禮 ご を 暴 げ て 唱 へ る と い ふ 事 に 成 つ だ の で 有 る 。 現 代 の 修 験 涙 の 行 者 の 態 度 が 將 に 之 に 相 當 す る で も あ ら う が 、 無 論 正 當 に 螢 達 せ る 右 行 密 敷 の 三 麿 観 に 就 い て は 此 所 に 容 易 に 立 言 し 得 可 き も の で は 無 い 。 今 は 唯 原 始 的 の 意 味 に 於 い て 述 べ だ ま で と 有 る 。 バ リ の 百 姓 等 が 俗 侶 を 畏 敬 す る 所 以 は 彼 等 が 僧 侶 に 依 頼 さ へ す れ ば 其 の 金 剛 杵 や 印 契 に 依 て 山 や 川 や 谷 や 森 な ざ に 佳 ん で を る 恐 ろ し い 敵 で あ る 悪 魔 妖 羅 を 塵 伏 す る 力 を 具 へ て を る ご 信 す る か ら で あ る 、 ご 言 は と 相 當 原 始 的 で 僧 侶 の 償 値 も 此 慮 に は 相 態 に 認 め ら れ の 事 も な い 。 直 接 必 要 の な い 黙 は 総 て 省 略 す る が 、 更 に 二 言 ﹁ 附 加 し て 置 き だ い の は 、 バ リ の 僧 侶 が 現 時 讃 諦 し て を る 土 語 の 眞 言 は 最 初 無 論 サ ン ス ク リ ッ ト 語 で 有 つ だ の が 轄 々 地 方 化 し て 土 語 に 下 落 し だ の で あ る か ら 、 現 に 彼 等 の 結 ぶ 印 契 ご 其 の 置 言 ご が 何 腱 ま で 原 始 的 に 一 致 を 保 つ て を る か を 知 る は 蓋 し 困 難 な 事 で 有 る が 、 併 し 日 本 密 敷 徒 に 取 つ て は 差 し 迫 つ だ 研 究 上 の 責 任 で あ ら う 。 第 島 印 契 の 剋 源 は 巳 に 私 が ﹃ 高 雄 山 夜 話 ﹄ の 中 に も 二 言 し だ 通 り 、 言 語 の 前 に 起 こ る 性 質 を 有 し て を る 。 而 し て 其 の 起 源 は 日 常 生 活 に お け る 或 特 殊 の 蕩 合 に 身 振 り で 直 ち に 心 持 ち を 表 徴 し だ も の 、 其 れ が 即 ち 印 契 の 起 源 で 、 施 無 畏 、 與 願 、 鯛 地 印 、 定 印 は 無 論 の こ と 説 法 、 合 掌 の 印 ま で が 其 れ み と 其 等 を 意 味 す る も の で あ る 。 ク リ ン 嬢 が 此 の 書 に 印 契 の 研 究 書 三 九

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印 契 の 研 究 書 四 〇 於 い て 印 契 を 表 徴 的 又 は 慣 用 的 藝 術 で 給 書 彫 刻 等 の 以 前 に 起 こ る 藝 術 で 有 ら う ご 言 つ て を る の は 舞 躇 の 究 硫 者 將 書 家 と し て 興 味 あ る 言 ひ 方 で あ る 。 梵 語 の Mudra 印 契 は Seal を 意 味 す る が 、 此 の 印 契 も 此 れ に 件 ふ 翼 言 も 高 等 な る 敢 養 を 有 す る 入 に 取 つ て は 、 総 て の 身 振 り と 言 葉 は 共 に 印 契 で あ り 眞 言 で あ る 。 私 は 今 バ リ (Bali 梵 語 で 御 供 物 を 意 味 す ) の 位 置 を 一 言 す る 必 要 が あ る 。 即 ち 現 に 印 契 を 使 用 せ る 此 の 島 は 東 印 度 群 島 中 に 在 る 、 甚 小 さ い 島 で 、 瓜 畦 の 直 ぐ 東 に 當 り 南 緯 八 度 及 び 九 度 の 問 に 位 置 す。 而 し て 面 積 二 〇 九 五 李 方 哩 で 、 人 口 萱 百 萬 以 王 あ る が 、 人 種 は 頗 る 混 雑 し 、 大 李 洋 の 小 群 島 人 瓜 痙 人 叉 び 印 度 人 系 統 を 以 て 形 成 せ る 一 團 で あ る 然 る に 紀 元 第 十 五 世 紀 ( 一 四 七 八 年 ) 回 々 殺 徒 が 瓜 畦 を 征 服 し だ 爲 マ ジ ア バ ー ヒ ッ ト な る 古 代 印 度 入 系 の 瓜 畦 王 朝 ( 前 記 ) は 顛 伏 し だ 、 其 の 際 敷 養 無 き 劣 等 階 級 の 者 等 は 其 の 儘 瓜 畦 に 獲 つ て ゐ だ が 、 回 々 激 徒 の 有 す る 印 度 文 化 、 宗 敷 及 び 藝 術 に 改 宗 す る 事 を 嫌 忌 せ る 高 等 階 級 即 ち 聖 典 を 支 持 せ る 婆 羅 門 族 、 各 階 級 の 佛 印 二 敏 徒 、 王 族 及 び 貴 族 等 借 て は 他 の 藝 術 を 破 壊 す る 回 々 敏 徒 を 好 ま ざ る 藝 術 家 等 は 暴 げ て バ リ に 移 往 し だ の で あ る 。 實 に 彼 等 の 不 幸 は 今 の 我 等 に 取 つ て 生 き た 興 味 を 惹 起 せ し む る も の で あ る。 そ こ で バ リ の 僑 侶 (Paskhan ) を 見 る に 、 ク リ ー ン 嬢 の 實 地 観 察 に 依 ら ば 灘 婆 涙 と 佛 激 と は 無 論 各 別 で 有 る ご は 言 へ 其 の 僧 侶 は 往 昔 印 度 か ら 渡 來 せ る 常 時 の 純 粋 な も の こ は 大 い に 其 の 形 式 を 異 に し 今 は 相 互 の 差 異 が 十 二 分 に 認 め ら れ の 有 様 で あ る 、 と 言 ふ の は 彼 等 が 大 李 洋 の 小 群 島 入 の 古 來 の 信 仰 で あ る 精 羅 圭 義 に 同 化 し て を る 、 事 が 其 の 原 因 の 一 つ で も あ ら う が 、 同 時 に バ リ に 於 け る 一 般 人 の 宗 敷 は 佛 敷 で も 灘 婆 敷 で も 無 く 、 實 は 殆 ご 純 一 に 精 羅 敏 で あ る 事 は 今 も 術 昔 し に 異 な ら 澱 こ い ふ 其 れ は 彼 等 が 善 悪 の 精 難 (Ueca 及 曳 切 劉 夢 ) を 信 奉 し 其 の 爲 に 肚 殿 を 建 立 し て 供 養 を 怠 ら の 事 實 に 徴 し て も 解 る。 唯 佛 印 二 激 の 俗 侶 等 が 一 般 バ リ 入 か ら 超 人 間 の 如 き 奪 敬 を 受 け て を る の は 、 偲 侶 が 神 憂 不 可 思 議 力 を 有 し て を る と 堅 く 信 せ ら れ て を る か ら で あ る 。 宜 な る 哉 、 彼 等 は 参 詣

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人 に 加 持 滞 水 (Taijeita) を. 買 り 、 寺 院 の 祭 事 を 指 揮 し 、 葬 式 に 關 す る 諸 儀 式 に 導 師 役 を 勤 め 、 土 人 の 法 魔 に 立 て ば 裁 判 官 ご 成 り 蒲 し て 特 に 王 子 等 に 饗 し て は 敷 導 職 で あ る 。 斯 く て 青 年 が 僧 侶 こ な る 順 序 を 此 所 に 一 言 す る と 、 先 づ 鯉 侶 希 望 の 青 年 は 一 般 バ ヲ 入 に 取 つ て 李 意 な 聖 典 を 早 く か ら 研 究 し 始 め る 必 要 が あ る 。 而 し て 其 れ を 幾 年 の 間 も か と っ て 讃 む の で あ る か ら 僧 侶 と な る 時 は 最 早 や 幾 年 でわ る 。 欝 侶 生 活 に は 食 物 其 の 他 種 々 の 制 限 が あ る か ら 彼 等 が 先 づ 青 年 期 を 纒 過 す る ま で は 僧 侶 と 成 る 事 が 六 ハ つ か し い 、 其 は 即 ち 僧 侶 る 禁 慾 主 義 が バ リ 人 の 特 性 に 醤 し て 何 事 も 趣 昧 相 反 す る か ら で あ る 。 斯 く て 長 年 月 の 訓 練 の 後 其 の 志 望 者 が 愈 僧 侶 と 成 る 事 を 決 56 す る と 、 直 ち に 彼 は 偲 偲 の 漱 師 即 ち 阿 閣 梨 耶 に 申 し 込 ん で 共 の 子 息 と し て 探 用 せ ら れ ん こ と の 承 認 を 得 る の で あ る 、 そ こ で 既 定 の 方 針 に 從 て 種 々 の 儀 式 の も と に 僧 列 に 加 へ ら れ 且 紳 聖 な る 法 規 を 守 つ て 宗 敏 生 活 に 入 る の で 有 る 。 爾 ほ 此 所 に 二 言 附 加 す べ き は 、 バ リ に は 尼 僧 即 ち Hednueni Istti が 有 つ て 彼 女 等 は 男 僧 と の 外 一 切 結 婚 す る こ と が 出 摩 の 、 但 し 男 儒 は 如 何 な る 婦 入 ご 結 婚 し て も 可 い こ い ふ 事 ご 、 僧 侶 は 通 則 と し て 輩 羅 門 族 に 属 し 特 に 漁 婆 涙 檜 侶 よ り も 一 暦 高 級 で あ る 佛 漱 僧 侶 に 在 つ て は 殆 ご 必 然 的 に 婆 羅 門 族 で 有 ら ね ば な ら の こ い ふ 事 と で あ る 。 術 佛 教 僧 侶 は 季 日 頭 を 剃 髪 し 、 左 石 の 耳 に 新 鮮 な る 花 を 著 け て を る が 、 調 婆 涙 僧 侶 は 長 髪 を ぐ る く ご 捲 き 東 ね 其 の 中 に 花 を 擁 む で を る 、 但 し 爾 敷 の 僧 侶 等 が 寺 院 内 で 行 ふ 諸 儀 式 即 ち マ ヅ ヱ グ (Paskhan) の 時 に は 各 自 異 な れ る 遣 言 を 論 じ 、 印 契 を 結 び 且 彼 等 の 使 用 せ る 器 其 も 少 々 異 な つ て を る の は 無 論 で あ る 次 ぎ に 器 具 に 就 い て 流 べ る 。 ク リ ー ン 嬢 の 解 説 に 依 ら ば 彼 等 が 儀 式 の 際 に 使 用 す る 器 具 は 億 の 宗 敷 9 の も の に 類 似 し て を る 。 例 へ ば 香 耀 、 杯 、 珠 数 、 鈴 、 澤, 水 及 び 燈 明 は 羅 馬 加 持 力 激 と よ く 類 似 し て を る 。 又 羅 馬 激 も バ ソ の 僧 侶 も 正 式 の 時 に は 自 衣 ( 即 ち 羅 馬 のsto バ リ のselinmeepet を 著 る が 、 其 れ は 黒 叉 は 白 色 の 幅 の 廣 い 帯 で 、 僧 侶 の 左 の 肩 に 掛 け 胸 の 周 團 を ぐ る く ご 摂 ぢ 廻 は し て 前 ご 後 と に 其 の 端 を ダ ラ ソ ご 垂 ら し て 麗 く の で あ る 。 斯 印 契 の 研 究 書 四 一

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印 契 の 研 究 書 四 二 く て 叉 バ リ 信 の 使 用 す る 深 紅 色 の 法 冠 び 碧 診 も 羅 馬 敢 の も の と 比 較 せ ら る と で 有 ら う 。 特 に バ ソ の 佛 敢 俗 侶 は 眞 鍮 製 の 五 鈷 金 剛 杵ghantta を 使 用 す る が 此 外 灘 婆 涙 信 侶 の 間 に 見 得 ざ る 用 具 は (ghantta) ご 言 つ て 毫 の 上 に 立 て だ 旗 で 眞 言 を 唱 へ て を る 間 に 其 れ を 四 方 に 向 け る の で あ る 。 佛 激 信 は 亦 種 々 の 形 を し て を る 金 叉 は 銀 製 の 而 し て 其 れ の 外 側 が 寳 石 で 飾 ら れ て を る 小 杯 を 用 ゆ る が 、 其 の 中 に 米 粒 や 或 は 香 の 粉 末 が 入 れ て あ つ て 印 契 を 結 ぶ 時 に 必 要 で あ る と い ふ か ら 、 塗 香 器 兼 飲 食 で も 有 ら う 。 借 て 佛 敷 儒 が 杯 を 使 用 す る 代 り に 灘 婆 俗 は 灘 婆 の 水 (ghantta) を 使 用 し 而 し て 硝 子 の 鉢 に 澤 水 の は い っ だ も の が あ る が 其 の 水 を 入 々 に 振 り か け る の で あ る 。 但 し 此 の 硝 チ 鉢 は 銀 や 竹 や 草 や 叉 時 と し て 綜 欄 の 葉 ( 此 の 場 合 に は 上 に 花 を 挿 む) で 作 る 事 が あ る 。 此 の 湿 婆 水 の 次 ぎ に 杯 が 一 箇 有 つ て 其 の 中 に 自 檀 の 粉 が 入 れ て 有 る が 、 こ れ は 香 櫨 (Paskhan) に 薫 す る 即 ち 焼 香 の 用 具 で あ る 。 眞 鍮 の 燈 明 器 (Pedilan) に は 椰 子 の 油 が 一 パ イ つ い で 有 る が 之 れ は 大 底 信 侶 が 法 服 を 著 飾 つ だ 時 の 如 き 非 常 の 場 合 に 使 用 す る の で あ る 。 此 の 燈 明 皿 は 亦 の 冒 ぢ 即 ち 太 陽 と も 稻 せ ら れ 、 龍 や 水 牛 な ぞ の 飾 り が 施 さ れ て を る 。 そ こ で 此 等 崇 拝 の 器 具 は 正 規 に 從 て 偲 侶 の 前 に 配 列 せ ら る と の で 有 る が 、 此 の 瘍 合 漁 婆 信 は 眞 鍮 の 鈴 (Ghanta) 以 外 の 物 は 二 個 の 壷 附 皿 の 上 に 置 く 。 但 し 鈴 は 左 側 の 籠 又 は 木 製 の 箱 の 上 に 置 く の で あ る 。 佛 敷 僧 侶 は 此 れ 等 を rarapam ご 稽 す る 小 さ き 机 の 上 に 置 く が 、 又 机 ご 二 個 の 壷 附 皿 と を 共 に 使 用 す る 場 合 ひ も 有 れ ば 、 更 に 土 ベ タ に 直 接 置 く 嘉 も 有 る 。 特 に 印 度 敏 の 一俗 侶 は 祭 事 中alangalaange ご 稽 す る 草 の 縣 を 頭 の 周 園 に 縛 り つ け る 。 バ ソ に 特 殊 な 事 は 儀 式 中 に 新 ら し い 花 を 扱 ふ 大 行 事 で 有 る が 、 多 く の 印 契 は 指 ご 指 と の 間 に 花 を 支 持 し な が ら 結 ぷ 、 而 し て 各 印 契 を 結 び 終 る ご 其 の 式 瘍 (檀) の 四 方 に 多 く の 花 を 擾 遣 し 、 終 に 周 園 は 花 辮 の 水 を 撒 き 散 ら し だ や う な 盤 梅 に 成 る 。 此 等 の 花 は 式 の 始 ま る 少 し 前 に 、 僧 侶 の 家 族 中 の 或, 人 叉 は 同 階 級 の 誰 れ か や 摘 み 取 る の が 通 則 で あ る

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が 、 斯 く 最 も 紳 聖 な る 目 的 に 使 用 せ ら る と 花 は チ ア ム バ カ で 乳 色 の 花 で あ る 。 此 の 外 匂 ひ の 善 い カ ム ボ ヂ ア 、 ケ ン ヱ ン 、 ゼ ム ピ ー リ ン グ 及 び 深 紅 色 の ビ ゼ ス カ ス も 使 用 す る 。 併 し 破 壊 の 女 魔 紳 な る 突 伽 (ghantta) の 祭 つ て あ る ﹃ 死 の 寺 ﹄ で は 夕 顔 の 花 が 使 用 せ ら れ 、 又 信 侶 が 夜 間 勤 行 す る 時 に も 此 の 花 を 使 用 す る 。 崇 拝 の 儀 式 即 ち 祭 事 をghantta 巴 い ふ 。 此 の 祭 事 は 早 朝 戸 外 に 在 る 一 定 の 拝 殿 で 行 は る と の で 有 る が 、 規 定 と し て 眞 言 を 諦 じ 印 契 を 結 ぶ 。 そ こ で 先 づ 僧 侶 は 沐 浴 し て 身 騰 を 清 め 、 亜 麻 綜 の 衣 服 を 着 け て 莚 叉 は 座 蒲 團 の 上 に 宇 跣 践 座 し て 座 は る (或 は 右 を 上 に し 左 を 上 に し 一 定 し て を ら の) 而 し て 顔 を 東 万 に 向 け な が ら 祭 事 に 限 つ て 使 用 す る 自 色 叉 は プ ラ ダ の 前 掛 け (羅 馬 加 特 力 で は 此 の 布 切 れ をghantta こ い ふ) の 上 に 税 線 を 落 こ す 姿 勢 で あ る 。 此 の 前 掛 け は 赤 な ぞ で 著 色 し だ 絹 の 切 れ で 、 手 で 膠 附 け に し だ 金 ピ カ の 木 の 葉 の 模 様 が あ る 。 儀 式 は 先 づ 水 を 清 め 即 ち 加 持 し て 其 の 水 を 清 浄 に す る 事 か ら 始 ま る 、 漉 水 と 考 へ て も 可 か ら う 。 祭 事 中 信 侶 は 頭 、 身 膿 足 等 総 て 不 動 の 姿 勢 を 取 つ て を る が 、 唯 手 が 動 く の み で 雨 眼 は 牢 ば 閉 ぢ て を る 。 梢 歌 ふ や う な 聲 で バ リ 語 の 吠 陀 を 諦 じ 叉 同 時 に 音 ご 綴 り ご で 出 來 て を る 眞 言 を 印 契 に 件 ひ な が ら 諦 す る の で あ る 。 斯 か る 儀 式 が 二 十 一分 か ら 三 時 間 も 績 く 。 一循 て ク ー ヲ ン 嬢 は 得 意 の 書 筆 に 依 て 六 十 一 葉 の 印 契 其 の 他 法 具 使 用 に 關 す る 維 書 霧 眞 を 掲 げ て を る が 、 其 の 中 二 十 七 集 が 佛 激 に 圏 し 、 三 十 二 葉 が 婆 羅 門 敷 、 二 葉 が 特 殊 の も の に 属 す る 。 今 其 の 解 説 を 私 の 意 見 を 交 へ な が ら 次 ぎ に 述 べ る で あ ら う 。 ( イ) 佛 教 の 離 △ 第 三 葉 ( 佛 敷) 皇 族 を 火 葬 に 附 す る 時 、 竹 で し つ ら へ だ 壷 の 上 (養 塗 }じ に 死 骸 を 乗 せ 其 れ を 火 の 上 に 置 く の 、で あ る が 、 此 の 時 其 の 死 髄 に 臼 い 綿 の 紐 、 (龍 の 形 に 作 る) を 縛 り つ け 、 其 の 端 を 地 上 に ダ ラ ヲ ご 垂 ら し て 貴 く 、 之 れ は 入 の 羅 魂 が ま だ 地 上 を 離 れ の こ ご を 意 味 す る も の で 、 其 の 紐 に い よ / 、 火 が つ い て 燃 え 始 め る ご 羅 は 其 の 人 の 膿 を 去 る と い ふ の で 有 る 。 そ こ で 竹 の 壷 に 火 が つ く ご 、 僑 侶 は 尖 頭 が 四 個 の 花 で 尖 ら し て あ る 矢 を (弓 に 交 へ 印 契 の 研 究 書  四 三

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印 契 の 研 究 書 四 四 て) 火 葬 瘍 の 四 方 に 放 つ 。 而 し て 更 に 最 後 の 一 矢 を 前 記 籠 の 頭 に 向 け て 射 る 。 此 の 際 其 の 綿 の 紐 が 矢 で 切 れ る 刹 那 に 其 の 人 の 羅 魂 は 自 由 に 成 る 。 此 の 役 を 勤 め る 佛 敏 僑 侶 は 花 で 飾 つ だ 矢 を 放 つ 慈 悲 の 紳 (内 診 5 慾 箭 菩 薩 の 意 昧 に 成 る) を 表 は す ご 言 ふ 。 △ 第 四 及 び 五 葉 ( 同 上) 信 侶 は 鈴 (ghantta) を 左 右 に 取 つ て 肩 ご 水 李 の 位 置 に 引 き 上 げ 、 五 鈷 杵 を 右 手 に 握 つ て 膝 の 上 に 置 く 。 △ 第 六ハ 及 び 七 葉 ( 同 上) 毫 形 の 杯 (ghantta) の 浮 水 (Toja-tita) 中 に 花 を 浸 す 、 但 し 左 手 に 杯 を 持 ち 、 右 手 の 頭 中 二 指 に 花 を 挿 む 。 之 れ は 行 者 自 身 や 、 他 の 人 々 や 、 周 園 の 地 上 に 漉 水 す る だ め で あ る 。 △ 第 八 乃 至 十 三 葉 (同 上) 珠 数 を あ や な す 仕 草 で あ る が 、 之 れ は 正 念 諦 の 作 法 に 相 當 す る で あ ら う 。 此 の 中 第 八 及 び 九 葉 は 一 層 に せ る 珠 敷 を 左 右 雨 手 の 大 指 と 頭 指 と の 間 に 置 き 、 其 の 儘 左 を 下 に 右 を 上 に 雨 腕 を 相 交 へ て 雨 の 肩 ご 水 李 の 位 置 ま で 引 き 上 け 、 乃 ち 右 手 の 掌 を 左 の 肩 に 、 左 手 の 掌 を 右 の 肩 に 安 す ( 之 れ は 加 持 念 諦 の 作 法 か) 。 第 十 及 十 一 葉 は 一 層 に せ る 珠 激 を 前 の 如 く 左 右 雨 手 の 大 指 ご 頭 指 の 問 に 置 き 、 其 の 儘 胸 の 前 に 捧 ぐ 、 ( 之 れ は 観 念 の 時 の 作 法 か) 。 第 十 二 及 十 三 葉 は 前 の 珠 数 を 更 に タ ス キ 掛 け の 形 に も ち り て 胸 の 前 に 廣 げ 捧 ぐ 、 ( 之 れ は 興 言 を 葡 す る 時 の 作 法 で あ ら う 。) 珠 歎 (genieiei) は 一 般 に 百 八 珠 で 、 果 實 と 石 或 は 硝 子 玉 で 作 つ て あ る。 而 し て 眞 ん 中 の 虞 に 一 個 の リ ン ガ 郎 ち 男 根 の 形 せ る 物 が 附 い て を る 。 此 の ジ ソ ガ の 外 特 に 緒 止 と 達 磨 が 見 え す 叉 我 が 徒 の 四 天 が 八 天 ご 成 つ て を る 。 △ 第 十 四 乃 至 十 七 葉 ( 同 上) 諸 作 法 の 間 に 度 々 繰 り 返 へ さ る と 入 定 の 印 契 で 、 恐 ら く 入 我 々 入 観 の 時 の 定 印 に も 相 當 す る 所 作 で あ ら う 。 此 の 中 第 十 四 及 十 五 葉 は 左 の 肘 を 上 げ 、 掌 を 喉 の 前 に 貴 き 、 頭 指 ( 他 の 四 指 は 横 に 眞 直 ぐ に 伸 ば し て) を 縦 に 鼻 の 尖 き に 立 つ 。 此 の 時 右 の 手 は 肘 を 張 り 五 指 を 伸 ば し て 横 に 胸 の 下 に 當 つ ( 寂 静 心 に 住 す る だ め 呼 吸 を 統 一 す るRajayga の 法 式 か ら 出 だ も の で あ ら う) 。 第 十 六 及 十 七 葉 は 珠 数 を 膝 の 上 に 置 き 、 左 右 の 手 を 五 指 を 伸 ば し だ る 儘 仰 向 け て 膝 の 上 に 貴

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く 。 △ 第 十 入 及 十 九 葉 ( 同 上) 金 剛 護(Vajra-aksh) の 印 ご 稻 し 、 雨 腕 を 頭 上 に 上 げ 、 左 右 各 大 指 ご 中 指 を 捻 す ( 他 の 各 三 指 は 開 き 立 つ) △ 第 二 十 乃 至 二 十 三 葉 (同 上) 此 の 中 第 二 十 及 二 十 一 葉 は 前 印 の 儘 、 右 を 下 に 左 を 上 に し て 爾 腕 相 交 へ 、 胸 の 前 に 置 く 、 第 三 十 二 及 二 十 三 葉 は 前 印 の 儘 爾 腕 を 引 き 別 ち 、 膀 の 前 の 左 右 に 置 く 、 但 し 印 を 下 向 き に す 、 第 十 入 葉 以 下 は 説 法 印 の 愛 化 を 示 す や う で あ る 。 △ 第 二 十 四 乃 至 三 十 葉 ( 同 上) 総 て 十 種 の 印 契 が 示 さ れ て を る 、 而 し て 此 の 十 種 の 印 契 は 通 じ て 拳 印 が 本 ご 成 つ て を る が 、 更 に 此 の 拳 印 の み は 佛 印 二 数 に 共 通 で 有 つ て 而 も 其 等 の 説 朋 は 相 互 に 異 な つ て を る と 言 ふ の は 本 よ り 其 の 筈 で あ る 。 斯 く て ク リ ー ン 嬢 の 説 明 に 依 ら ば 灘 婆 振 の 僧 侶 が 拳 印 の 三 指 を 握 る は 梵 天 、 毘 紐 天 及 び 漁 婆 の 三 位 一 禮 を 示 す も の で 有 る と 言 ひ 、 佛 敷 僧 侶 は 男 女 爾 性 の 原 理 の 結 合 を 意 昧 す る も の で 有 る ご 言 ふ 、 此 れ に 就 い て 嬢 は 佛 法 僧 の 三 寳 を 表 徴 す る も の で 有 ら う ご 述 べ て を る 。 △ 第 一 圖 -右 の 拳 を 左 の 拳 に 添 へ て を る ( 六 種 拳 印 の 何 れ で も 無 い) 例 へ ば 右 の 五 指 を 伸 ば し 沈 こ ぶ し 何 物 か を 摘 ま む 如 く 各 尖 頭 を 一 つ に 集 め 、 其 の 拳 を 左 手 の 伸 ば し だ る 五 指 ( 頭 指 は 右 の 拳 の 尖 頭 に 鰯 る) に 添 へ だ る 拳 印 で 有 る 。 第 二 圓 -前 印 の 各 指 を 外 に 向 け て 開 く 、 但 し 左. 右 の 各 頭 指 の み 相 鯛 る 。 第 三 固-二 手 外 縛 し て 二 中 指 を 立 て 劔 形 に す 。 之 れ は 胎 界 北 門 劔 形 の 印 、 叉 は 除 擬 惟 菩 薩 の 印 に 似 て を る 。 第 四 岡-二 手 外 縛 し て 二 頭 指 を 相 国 れ て 立 て 、 一 一小 指 を 開 き 立 つ 。 こ れ は 胎 界 摩 醗 首 羅 天 の 印 で あ ら う 。 第 五 圃 -内 縛 し て 二 頭 、 二 無 名 二 小 指 を 立 つ 。 之 れ は 胎 界 普 光 の 印 に 似 て を る が 、 寧 ろ 南 門 の 印 と 見 だ 方 が 適 當 で あ ら う 。 第 六 圖 -正 に 降 三 世 の 印 で あ る 。 第 七 圖-胎 界 轄 法 輪 の 印 に 似 て 、 唯 雨 の 頭 指 を 燭 れ の 。 印 契 の 研 究 書 四 五

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印 契 の 研 究 書 四 六 第 入 圖-降 三 世 印 の 小 指 を 申 指 に 換 へ て を る 。 第 九 圖-合 掌 の 印 な り 。 二 手 仰 げ て 相 並 べ 上 に 向 け て 合 す 。 之 れ 正 に 艦 多 那 苦(Dhyaua Yoga) で 顯 露 合 掌 で あ る 。 第 十 圃 -二 朋 右 を 上 に し て 相 交 へ 、 二 掌 各 反 封 に 藏 け て 十 指 を 開 き 立 つ 。 口 、 猶 羅 門 識 の 藻 最 初 の 五 葉 は 俗 侶 が 寺 院 内 に 於 け る 大 法 要 の 時 こ か 皇 族 の 邸 宅 で 儀 式 を 行 ふ 時 と か に 盛 装 し て 修 す る 作 法 で あ る 。 即 ち 身 禮 、 腕 、 耳 に 珠 数 や 飾 玉 の 縣 を 藩 き つ け 、 頭 にDhyaua Yoga な る 僧 帽 を 頂 く 、 此 の 帽 を 形 容 す る と 縁 の 無 い シ ル ク ハ ッ ト の 上 に 男 根 の 形 せ る 物 が 附 い て ゐ て 総 禮 は 深 紅 色 の 地 に 鍍 金 し だ 水 牛 の 皮 (金 や 亦 石 で 飾 つ て を る の も あ る) の 鉢 窓 が 四 筋 も 五 筋 も 附 い て を る 、 但 し 其 の 前 部 に は 花 の 模 檬 や 叉 稀 れ に 立 像 の 附 い だ の が 有 る 。 △ 第 三 〇 及 三 一 葉 -1 右 手 に 柄 香 燃 を 取 り 、 左 手 の 鈴 を 其 の 香 煙 に 薫 す 。 之 れ は 振 鈴 の 前 に 清 め て 置 く 作 法 でDhyaua Yoga と 調 す 。 △ 第 三 二 及 三 三 葉 -右 手 に 柄 香 櫨 を 持 ち 、 左 手 に 鈴 を 取 る ( 五 鈷 鈴 に し て 水 火 風 塞 の 西 指 に て 握 る) 之 れ をNarpana Mantraと い ふ 。 ム 第 三 四 及 三 五 葉 -浮 水 の 中 にNarpana Mantra を 浸 す 。 之 れ は 周 園 に 其 れ を 散 す る だ め でNarp こ い ふ △ 第 三 六 及 三 七 葉-佛 敷 の 第 十 四-十 五 葉 ご 同 印 で 、 喉 左 右 の 手 が 彼 此 反 樹 で あ る 。 之 をNarpana Marpana M こ い ふ 。 △ 第 三 八 及 三 九 葉 ー 塗 香 の 作 法 に し て 、 ﹁ 解 股 々 々 の 智 拳 し と 爾 手 を 別 つ 時 と 洞 印 な り 、 但 し 彼 等 は 各 指 を-な に 清 む る ご 岡 時 に 、 一 々 に 異 な れ る 眞 言 を 唱 ふ 。 之 れ をNarpana Mantra こ い ふ 。 △ 第 四 〇 及 四 一 葉-右 手 に 花 を 摘 ま み (佛 激 は 五 鈷 を 持 っ) 左 手 に て 振 鈴 。 之 れ をNarpana Ma こ い ふ 。 ク ソ ー ン 嬢 の 解 説 に 依 ら ば 苑 の 圓 は 尼 僧 の 修 法 を 示 し だ も の で 、 尼 僧 は 男 僧 と 総 て 同 二 師 契 を 結 ぶ が 唯 習 慣 上 男 儒 ご 国 様 に 雨 足 を 交 へ て 座 は ら の 、 之 れ だ け が 違 ふ と 言 つ て を る 、 乃 ち 見 る に 右 の 足 の み は 日 本 人 の 如 く 座 つ て を る 。 △ 第 四 二 及 四 三 葉-Narpana Mantra こ い ふ 珠 撒 の

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作 法 な り 、 即 ち 珠 数 を 三 度 引 く 、 一 度 は 呼 吸 に 向 け 、 一 度 は 音 聲 に 向 け 、 一 度 は 羅 に 向 け て 引 く 心 で あ る 。 之 れ をDhyaua Yoga) と 稽 す 。 外 儀 だ け は 我 が 正 念 諦 に よ く 似 通 ふ. て を る 。 △ 第 四 四 及 四 五 葉-呼 吸 を 調 齋 す る 法 式 で 鷲 言 匿 Yama ご 総 す る が 、 之 れ は 佛 敢 の 一第 十 四 -十 五 亜某 に 酷 似 し 唯 左 右 の 手 が 反 封 に 置 か れ て あ る だ け で あ る 。 期 ち 左 手 の 五 指 を 開 い て 膀 の 邊 に 置 き 、 右 手 の 頭 中 二 指 を 立 て と 鼻 孔 の 一 方 に 加 ふ 、 斯 く て 此 の 作 法 は 心 力 を 得 右 だ め の 重 要 な る 外 儀 こ し て 印 度 敷

のDhyaua Dhyaua Yoga

及 びDhyaua Yoga あ 實 修 ご 同 一 名 義 で 呼 ば れ て を る 。 私 に 言 ふ 、 先 づ 二 指 を 以 で 一 方 の 鼻 孔 を 閉 ぢ 、 他 の 鼻 孔 を 通 し て 塞 氣 を 充 分 に 吸 ひ 込 むDhyaua Yoga 次 ぎ に 他 の 鼻 孔 を 閉 ぢ 最 初 の 鼻 孔 を 通 じ て 塞 氣 を 充 分 に 排 出 す (Dhyaua Yoga) 而 て 終 に 雨 の 鼻 孔 を 閉 ぢ て 呼 吸 を 止 む (Dhyaua Yoga ぎ) 。 之 れDhyaua Yoga ご 稔 す る も の に し て 彼 等 喩 伽 師 のDhyaua Yoga 即 ち 連 績 し て 此 等 の 三 過 程 を 繰 り 返 へ す 可 き 實 修 法 で あ る 。 借 て バ リ の 儒 侶 は 祭 事 の 際 に は 此 の 方 法 を 實 際 行 は す し て 唯 眞 似 だ け す る の で あ る が 、 季 時 の 儀 式 に は 四 回 繰 り 返 す ご い ふ 。 △ 第 四 六 及 四 七 葉-僧 侶 が 左 手 に 水 瓶 を 持 し て 、 右 手 の 掌 に て 澤 水 の 数 滴 を 飲 む 、 之 れ 自 心 を 清 く す る だ め で あ る 。 之 れ をDhyaua Yoga こ い ふ 。 △ 第 四 入 及 四 九 葉-雨 手 の 指 尖 き に 一 輪 の チ ヤ ン パ ヵ 花 を 取 り 、 先 づ 自 の 膿 に 燭 れ 、 上 方 に 孚 圓 を ゑ が き な が ら 頂 上 に 至 る 、 花 は 羅 魂 を 表 徴 す ご 言 ふ が 彼 等 櫓 侶 は 羅 魂 の 在 所 を 自 己 の 胃 で あ る ご 信 じ 、 棘 の 叢 の 宿 る 所 を 頭 で あ る と 信 じ て を る 。 斯 く て 彼 等 は 眞 言 を 唱 へ な が 塗 灘 婆 帥 ご 一 致 融 合 し て 神 と 成 る こ い ふ 。 此 の 儀 式 は 花 で 表 は し だ 羅 魂 が 胃 か ら 頭 に 移 輻 す る 事 を 示 す も の で 、 藤 定 喩 伽 Dhyaua Yoga で 有 る 。 而 し て 呪 講 が 終 る ご 此 の 作 法 を 反 封 に 繰 り 返 し て 鑑 魂 の 還 着 本 座 を 示 し 、 花 を 投 じ て 再 び 人 間 に 蹄 る の で あ る 、 之 れ を MDhyaua Yoga こ い ふ 。 △ 第 五 〇 葉 の 一-拳 印 を 結 び 、 其 の 右 手 の 指 尖 き に 花 を 挿 む 。 先 づ 花 を 香 に 薫 じ 、 次 ぎ に 眞 言 を 唱 へ な が ら 拳 印 を 結 び 、 最 後 に 其 の 花 を 壇 の 四 方 に 印 契 の 研 究 書 四 七

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印 契 の 研 究 書 四 八 散 す 即 ち 四 度 繰 り 返 す な り ( 樵 遣 の 儀 に 似 だ れ ご も 羅 を 清 む る 意 な ら む) 。 之 れ をMgaen Sekar こ い ふ 。 △ 第 五 〇 葉 の 二-右 手 の 指 尖 に 花 を 持 し 、 左 手 に 鈴 を 取 る ( 二 手 を 手 頸 の 所 に て 鯛 る) 之 をSivik Oivik こ い ふ 。 △ 第 五 一 葉 の 一 ! 定 慧 二 手 の 各 五 指 を 密 著 し て 立 で 頂 戴 の 形 に す 、 之 れ 大 自 在 天 が 天 を 劇 造 す る こ ご を 示 すSivik と い ふ 。 △ 第 五 一 葉 の 二-前 印 を 下 に 向 く ( 十 二 合 掌 の 中 の 阿 鉢 羅 駄 合 掌 に 似 て 唯 二 大 指 を 鯛 れ す) 之 れ 大 自 在 天 が 地 を 創 造 す る 事 を 示 す 。 前 と 双 印 な れ ば Tara Sivik こ い ふ 。 △ 第 五 二 葉 の 一--金 剛 合 掌 し て 二 大 指 の 間 に 花 を 挿 む 。 先 づ 花 を 取 つ て 精 氣 を 附 す る 爲 米 の 中 に 浸 し 、 次 ぎ に 梅 檀 香 の 中 に 浸 す 。 而 し て 香 に 薫 じ だ る 後 眞 言 を 唱 へ な が ら 前 流 の 如 く 二 大 指 の 間 に 挿 む 。 之 れ をSivik 又 はSivik 影 養 と い ふ 。 △ 第 五 二 葉 の 二 ⋮ 前 印 を 下 に 向 く 、 即 ち 阿 鉢 羅 駄 合 掌 の 形 に し 、 次 ぎ に 花 を 浮 水 の 瓶 の 中 に 投 す 。 之 れ をSivik こ い ふ 。 △ 第 五 三 葉 の 一-眼 を 清 澤 仁 す る 印 に し て 、 二 手 金 剛 拳 に し 各 二 頭 二 小 指 を 立 て 、 右 を 左 の 上 に 添 ふ 。 之 れ を じBang Metari こ い ふ 。 △ 第 五 三 葉 の 二-拍 掌 な り 。 但 し 薗 の 掌 を 相 互 等 量 に 鯛 れ 合 は し て 音 を 登 す る な り 。 之 れ をSivik Petti と い ふ 。 △ 第 五 囚 葉 の-二 手 内 に 向 け て 相 井 べ 、 各 二 大 二 中 を 醐 れ 合 は し て 圓 形 に し 、 二 無 名 指 の 尖 相 接 し 二 頭 二 中 を 開 き 立 つ 。 之 れ を 客 鴛 夢 鍵 と い ふ 。 △ 第 五 四 葉 の 二-左 の 掌 を 仰 げ 、 右 の 掌 を 其 の 上 に 覆 ひ 、 右 の 無 名 指 の 尖 き を 左 の 掌 に 鯛 る 。 之 れ 塗 香 の 印 相 で 有 る 。 先 づ 左 手 の 掌 に 量 言 を 唱 へ な が ら 香 を 置 き 、 右 手 の 無 名 指 を 以 て 其 の 香 に 燭 れ 吹 ぎ に 頂 上 、 爾 眉 の 間 、 咽 喉 の 前 部 、 左 右 の 肩 、 爾 肘 及 び 其 の 他 の 關 節 に 香 を 塗 る な り 。 之 れ を Mabasma こ い ふ 。 △ 第 五 五 葉 二 、 二)-第 二 は 二 手 各 指 を 開 き 立 て 右 の 大 指 の 尖 を 左 の 大 指 頭 指 の 尖 に 添 ふ 。 第 二 は

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右 の 大 指 及 び 頭 指 の 尖 を 左 の 掌 に 鯛 る 。 之 れ を Takrsadhaaednius こ い ふ 。 掌 の 内 部 を 相 互 に 打 ち 合 ひ 更 に 各 指 尖 を 清 む る 爲 各 指 を 別 々 に 打 ち 合 ふ 、 花 を 以 て す る 事 も 有 れ ば 花 無 く し て 行 ふ 時 も 有 る △ 第 五 六 葉 二 、 二) 1 第 一 は 二 手 掌 を 丼 べ て 外 に 向 け 、 各 大 頭 中 の 三 指 を 鯛 れ 合 は し て 立 て 、 二 小 二 無 名 指 を 開 き 立 つ 。 之 れ は 紳 ご 一 昧 に 成 る 事 を 示 す 喩 伽 の 印 で Sivikarad こ い ふ 。 第 二 は 二 手 掌 を 井 べ て 仰 げ 、 各 地 水 火 風 の 四 指 を 交 ゆ 。 之 れ を Antes Sivikarad い ふ 。 △ 第 五 七 葉 の 一-左 手 、 水 火 の 二 指 を 以 て 鈴 を 持 ち 、 右 手 風 塞 二 指 を 以 て 鈴 の ﹃ 振 り ﹄ の 尖 き を 摘 ま む 。 之 れ は 振 鈴 の 印 で あ る 。 行 者 先 づ 鈴 に 浄 水 を 灘 ぎ だ る 後 、 右 手 の 指 に 花 を 拓 み て 三 度 鈴 を 打 ち 次 ぎ に 振 鈴 に 成 る 。 振 鈴 が 鳴 り 止 む ま で は 脱 文 を 唱 ふ る 代 り に 歌 を 歌 ふ の で あ る 。 之 れ をSivikarad Glareinwiee こ い ふ 。 但 し 此 の 歌 ご 言 ふ の は 伽 陀 に 音 譜 の 附 い だ も の で 有 ら う 。 △ 第 五 七 葉 の 二-入 葉 蓮 花 の 印 で あ る 、 此 の 印 を 結 ぷ 時 、Aunei Sivikarad な る 眞 言 を 唱 ふ 。 之 れ をSivikarad こ い ふ 。 灘 婆 即 ち 大 自 在 天 の 亦 の 名 稽 で あ る 。 △ 第 五 入 葉-偲 侶 の 朝 の 勤 行 後, 村 人 が 御 加 持 水 叉 は 香 水 を 買 ひ に 來 る 。 而 し て 爾 手 に 其 の 御 香 水 を 漉 い で 貰 ふ 圖 で あ る 。 △ 第 六 〇 1 六 ハ 二 某 ﹂ 首 陀 羅 族 ( バ リ で は 農 業 家) の 僧 侶 がSivikarad 即 ち 悪 難 を 追 ひ 挑 ふ 圓 で あ る 。 之 れ は 尼 波 羅 佛 敷 で も 現 に 行 つ て を る が 呪 諦 の 間 に 他 の 承 事 者 等 が 種 々 の 難 音 を 打 ち 鳴 ら し て 悪 魔 を 追 ひ 沸 ひ 得 こ す る 儀 式 で あ る 。 其 の 道 具 は 法 螺 貝 (Sivikarad)Sivikarad す る 小 鼓 (梵 のSivikarad で 左 右 に 振 り 廻 す ご 爾 面 が 鳴 る や う に 草 紐 で 縛 つ だ が 小 球 が 附 い て を る) 及Sivikarad と 稽 す る 圓 板 の 下 の 四 方 に 鈴 の 附 い だ 道 具 ご で あ る 。 ( 完) ( 昭 型 二 年 四 刀 廿 一 日 記) 印 契 の 研 究 書 四 九

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