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真宗研究18号全

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(1)

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員宗連合準曾研究紀要

一 一 第 十 八 輯 一 一

昭 和 49年 3月

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渇毛主事モテ辱喜重ヨ

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木 像 了 源 上 人 坐 像 例 光 寺 蔵

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︵ 口 絵 解 説 ︶ 伸光寺第七世 木 像

了源上人坐像

悌光寺蔵 了源上人が伊賀国で延一克一冗年︵一三三六︶正月八日に死去さ れたあと九年して作られ、像内には上人の試作の頭部像が遺骨 とともに﹁康永三・八月八日﹂としるした白紙に包んで納めら れ て い る 。 像内に遺骨を納めたのは当寺の重要文化財聖徳太子像に先例 があるが、試作の頭部像が保存されているのも珍らしい。作者 は不明であるが、作は優秀で活動的であった上人の性格をよく 表出している。南北朝時代肖像彫刻の代表作である。

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について:::::::::上場顕雄︵一︶

江戸後期における

特に﹁化身土巻﹂を中心として

﹃教行信証﹄信巻における善導教学の受容について・:矢田了

真実教の原理としての二廻向について::−

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ー御本典と和讃について|

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::::稲垣不二麿︵七三

における広開性の原理

﹁浄土真宗﹂という

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教行信証における﹁往生﹂

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証の内容としての第十一願と第二十二願とのかかわりあいについて

ー 往 相 と 還 相 と の 相 即 関 係 に つ い て 義

︵ 一 ニ

八 ︶

教行信証の書写と印刷

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江戸後期における

について

− 1 1 特 に ﹁ 化 身 土 巻 ﹂ を 中 心 と し て | |

︵ 大 谷 派 ︶ ﹃教行信証﹄の研究は江戸後期に活発に行なわれる。その研究された史的性格を考え、 そして各学僧の﹁佑身土 巻﹂|特に後序の解釈をめぐって近世真宗の社会観へアプローチする一つの指標を見いだしたい。近世真宗にお いて数多くの学僧が、歴史とのかかわりで常に問題となるいわゆる世俗倫理を説く中で、﹁王法為本、仁義為先﹂と 真宗との関係が一つの課題となり、 いかに対応していったかを考察する場合、﹃教行信証﹄との関係を看過できない からである。特に蓮如が﹃御文﹄において、﹁外には王法をおもてとし、内心には他力の信心をふかくたくわへて、 世間の仁義を本とすべし L というように王法仁義の問題は、蓮如によってその位置付けが具体化され、近世を通じ て継承かつ強化され、儒学などの影響を受けつつ教義化していったのである。つまり、この問題は真宗の政治規 範、生活規範に闘する重要な意味が内含していると同時に、教化上においても﹃御文﹄が主として引用され、信仰 の依り拠ともなっている。それ故、近世真宗思想史において蓮如が中心であり、 その思想的基礎は主に﹃御文﹄に 江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に つ い て

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江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に つ い て 依っているといっても過言ではあるまい。 以上のように蓮如中心主義ともいえる近世真宗の大きな特色の中で、親驚の主著﹃教行信証﹄の研究が有力な学 僧によって江戸後期に活発化してくるのである。したがってこの小論においては、近世における﹃教行信証﹄研究 の性格を考察し、各学僧の﹁化身土巻しの解釈を通じて近世真宗の社会的対応への一視点を見いだしたいと考える。 江戸後期になり守教行信証﹄の研究が活発化するのであるが、まずそこに至るまでの研究の跡を簡単に窺ってみ w ﹄ ︼ O J 7 J ’b ﹃ 教 行 信 証 ﹄ の 研 究 は 早 く は 在 覚 の ﹃ 六 要 紗 ﹄ 、 あるいは覚如または存覚の著といわれる﹃教行信証大意﹄ が あ る。その後、戦国時代を前後して、社会的不安定などもあり、 ほとんど研究の跡を見ることができない。といって も、等閑視されていたわけではない。 その聞は研究というより延書を行なったり、 伝授されたりしているのであ る。延室日は可教行信証﹄を和文に書下したもので、親驚が経論釈を独特な読み万を行なうので、読解をわかりやす くするために、あるいは宗門教学上、正しい読み万に統一し、伝授するために行なわれたといわれ旬。伝授につい ては﹃天文日記﹄天文六年二月二十九日の条に、 ﹁飛川照蓮寺此問教行信証読たきよし申候ツ。白唯今又望申問、此方市には比疏柳爾に不免事に候へ共、馳走共 ① にて候閥、免するよし市出候。使上野山。︵中略︶照蓮寺木疏読謂事免候。不自申て、百疋礼し候﹂ ま た 、 同 年 三 月 一 一 日 の 条 に 、 ① ﹁ 照 蓮 寺 よ ミ 候 本 疏 、 自 今 日 左 衛 門 督 一 一 羽 目 候 。 御 堂 う し ろ の 座 敷 に て 也 ﹂

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とあるように、照蓮寺の例であるが、﹃教行信証﹄拝読を容易に免許されておらず、 御堂の後座敷で行なわれたこ とも知ることができる。また、﹃本願寺作法之次第﹄によると、 っ教行信証は蓮如上人の何には廿歳より内にはよますべからず候。若時は何としても脚隔に存ずる問、廿より以 ③ 後よますべし、との仰候閥、愚老も廿五にてよみ申候﹂ とあり、二十一歳以後になって初めて読むべきことを明確に蓮如が述べたといっている。 以上のように、宗門内において司教行信証﹄を扱う場合、延書や伝授法式が定められたりするように、慎重かっ 注意深い考慮がなされ、また宗祖聖人の著書として仰がれると共に権威ずけられ、ごく限られた人に伝えられてい くという制限が加えられたのである。 それ故、司教行信証﹄を研究し、広く門戸を開放し、 一般化していくという傾 向は未だ行なわれてはいない。 それは、室町時代は和歌などの諸道の伝授、あるいは秘伝というようなことが重要 祝された時代背景があり、 その影響が多分にあるといえよう。 江戸時代に入り、幕府は幕藩体制の確立と共に文治政策をとり、強い規制を加えつつ学聞を奨励したのは周知の ごとくである。仏教界全体も宗学が奨励され、 一般諸学問と同様に発展した。 それは幕府が各宗統制のために連発 した寺院法度からもわかるように、幕権が宗学の内面まで干渉を加えたのである。しかし、統制下におかれつつも 一万では宗学が研究され、整備されたことも事実である。 それは各宗の宗学研究機関設置などによって具体化して くるのである。真宗においても学林、学寮の設立が行なわれ、宗学研績が活発佑し、学事組織が整備されていった。 このような背景をもって、 はじめて﹃教行信証﹄の研究も行なわれだすのである。江戸初期の研究室日として、高田 派普門の﹃教行信証師資発覆抄﹄、本願寺派円性の﹃教行信証冠履妙﹄、大谷派慶山の﹃教行信証笹耀録﹄などが有 名 で あ る 。 し か し 、 それらはいわゆる初期的なものであって、研究が本格化してくるのは十八世紀中頃から十九世 江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に つ い て

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江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に つ い て 四 紀にかけてである。すなわち本願寺派智逗の﹃教行信証樹心録﹄、同派僧錯の﹃本典一補録﹄、同派柔遠の﹃教行信 証 頂 載 録 ﹄ 、 同 派 大 講 の ﹃ 教 行 信 証 義 例 略 讃 ﹄ 、 同 派 興 隆 の ﹃ 教 行 信 証 徴 決 ﹄ 、 同派僧叡の﹃教行信証随門記﹄ な ど があり、大谷派においても、慧琳の﹃教行信証六要紗補﹄、 同 派 鳳 嶺 の ﹃ 教 行 信 証 報 恩 記 ﹄ 、 同 ﹃ 広 文 類 聞 書 ﹄ 、 同 派深励の司教行信証講義﹄、同派宣明の守教行信証聞誌﹄、 同派法海の ﹃ 教 行 信 証 指 授 紗 ﹄ 、 同派法住の﹃教行信証 金剛録﹄など、数多く著わされ、 その研究の跡を窺うことができる。それぞれの内容について今ここで詳論できな いが、全体的にいうならば﹃六要妙﹄を重要視し、 それにほとんど依っているもの、あるいは自由に解釈している ものなど種々であるが、相互に参考にした点は随所にあらわれている。それではなぜ﹃教行信証﹄研究が江戸中期 以降活発になってきたのかを考えたい。まず、先述したように幕府の学問奨励により宗学が発展し、中期頃になる とその隆盛期をむかえるのであるが、 いわゆる中央の学僧は僧侶教育機関の指導的立場であり、 一派の教学万面の 責任者でもある。したがって、他の余乗とともに﹃教行信証﹄の研究も余儀なくされたのであろう。特に、寛永一本、 正保本といわれる刊本が出され、漸次普及するにしたがって、 なおさらその研究を深めねばならないといえる。次 に、儒学、国学などの学問一般の隆盛を考えねばならない。特に儒学の中でも古学派の拍頭に注目しなければなら ない。すなわち、伊藤仁斎は学聞の基本的万法として、 ﹁ 学 者 、 不 レ 可 下 於 ニ 聖 人 言 語 上 一 増 中 一 字 ヘ 不 レ 可 レ 誠 二 字 ザ ﹂ と述べ、古文辞学派といわれる荻生担保も、 ﹁ 読 レ 書 之 道 。 以 下 識 ニ 古 文 辞 一 。 識 中 古 一 一 一 一 口 ム 為 レ 加 し というように、朱子学や陽明学を媒介とせず、直接に孔孟の古意に帰ろうとし、儒学の道を孔孟の原典の中に直接 求 め 、 これを生活規範として社会組織の中に具現しようとした学説が朱子学批判の中で生まれてきたのである。ま

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た、これらの学派はその学問的方法において国学とも通じることはすでに丸山真男氏が指摘されたとおりであ旬。 国学の大成者本居宜長も、 ﹁古言をしらでは古意はしられて古意をしらでは、古の道は知りがたかるべ切﹂ : 、 A ︼ 、 ] に y u v ’L V その学問的精神の中心は、古典を通じて主観的歪曲のない古意の再現ということができ初。 いいかえるな らば、わが国の民族精神の根元である古道を古典の中に追求しようとした、 いわば復古主義的文学運動といえよ ぅ。このように江戸中期からの学聞の万向が一種の復古的性格をもち、歴史的考証的研究の傾向があったのである。 したがって、真宗の学僧も宗学研究の中で、以上のような学問一般の方法論において少なからず影響を受けたと考 えてよいだろう。すなわち、原典研究の新機運を時代思潮として吸収し、 そ乙に﹃教行信証﹄が研究される理由の 一っと考えられるのである。又、復古的性格、すなわち親驚自身に直接スポットをあてる傾向は、親驚の一段菊とい われる二十四輩に関係する寺々を巡礼し、 その記録を編纂されることからも、教団内における親驚への思慕の念が 強く出てきた事証として考えることができる。 つ ま り ﹃ 親 鷺 聖 人 御 直 弟 散 在 記 ﹄ 、 ﹃ 二 十 四 輩 散 在 記 ﹄ 、 ﹃ 招 衆 抄 ﹄ 、 ﹃御旧跡二十四輩記﹄、﹃大谷遺跡録﹄などの巡礼記録が著わされたのである。 これらは先述した学問的方法論と通 じる要素があり、一般信徒が、その精神を学問研究としてではなく、 巡礼としてそれを具体的に行なったといえる。 蓮如中心といわれる近世において、蓮如に関係ある寺院ではなく、親鷺に関係ある寺院に視点をあてることは当時 の時代精神の傾向と考えあわせて注目すべきことである。また、有名な本願寺派の三業惑乱事件の対立の背景から も同様な点が考えられる。 つまり、問題を起こした﹃願生帰命弁﹄の著者七代能化の功存、 その継承者智洞などの 学林派と在野派の大編、道隠らとの対立であるが、薗田香融氏は、 ﹁功存、智洞を新義派とよぶのに対し、 かれら を 古 義 派 と す る の は 、 その主張が親驚への復帰をめざしたものであろう。両派の対立は中央対地方、学林教権対在 江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 託 ﹄ に つ い て 五

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江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 託 ﹄ に つ い て 一 ノ ⑮ 一両では蓮如主義対親驚主義の争いであったともいえる﹂と指摘され、その 野自由派の抗争であったといえるが、 思想史的背景を示唆されているように、時代思潮の影響を当然考えるべきである。 以上、江戸後期になり有力な学僧により﹃教行信証﹄の研究が活発に行なわれた跡を窺い、 その理由として、宗 学 研 究 の 発 展 、 そして当時の学問一般の万法論あるいは復古主義的性格が、真宗においては親驚への復帰として影 響したことを指摘した。すなわち、親驚を他の媒介を経ず、親驚自身をとおして理解していこうとする方法であ り、その具体化として﹃教行信証﹄の研究が、蓮如中心主義の中で活発佑したといえるのである。 そこで次にそれらの研究内容を﹁化身土巻﹂について考えてみたい。最初に述べたようにつ化身土巻﹂に注目す るのは、近世真宗の社会観あるいは王法観を考える上において一つの指標となり、まだそれらの根底的背景と考え ⑮ られるからである。十八世紀中頃以降の本願寺派、大谷派の有力な学僧を中心にみてみたい。 ﹁化身土巻しは文字通り万便の教えについて述べたものであるが、全体の方向として、一二願転入を説き、 つ づ い て聖道門の教えが時機相応でないことを説きつつ末世における反省を告白し、 いわゆる末法観を提示している。 そ して邪教に迷わされない様に戒めているのである。最後にいわゆる後序が﹃教行信証﹄全体を結んでいるといえよ ぅ。特に、従来種々の問題が合んでいて注目される後序、すなわち、 ﹁ 縞 以 盟 道 諸 教 行 証 久 廃 、 浄 土 真 宗 証 道 今 盛 、 然 諸 寺 釈 門 昏 コ 教 二 今 不 正 知 ニ 真 仮 門 一 戸 二 裕 都 儒 林 迷 ニ 行 一 今 、 無 一 一 一 弁ニ邪正道路一、斯以興福寺学徒奏達、太上天皇、今上、型暦ポ元丁卯歳仲春上旬之候 ⑬ 結怨、因蛮真宗興隆大祖源空法師井門徒数輩不考罪科:::云々::﹂ 主上田下背法違義成念

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とある聖浄二円の興廃から吉水教団の法難について述べている部分に対し、各僧の見解を列挙しつつ考察したい。 なかでも﹁主上臣下背法違義﹂という部分に注目したい。大谷派鳳嶺は、 ﹁諸寺諸山一統に三公九卿まで尻持をして奏達すれば、詮万もなく御流罪にあひ給ふ。御流罪にあひ給ふに付き ⑮ 種々因縁あれとも之を略すし と述べ、同派法海も同様に、 @ ﹁ 御 流 罪 − 一 逢 給 フ モ 、 種 々 因 縁 ア リ 。 略 レ 之 ﹂ と全く鳳嶺と同じ解釈である。本願寺派玄智も、 ⑮ ﹁ 主 上 臣 下 者 。 経 日 主 上 不 レ 明 。 任 ニ 用 目 下 こ というように簡単に片付け、主上とは何か、﹁法に背きしの法とは何か、義とは何か、あるいはこれらの問題につい いて真宗の立場はどうあるべきかなどについては明確に答えていない。 この部分については﹁之を略す﹂というよ うな簡単なものか、あるいは全く触れていないものが多い。 一般に、近世真宗教学は学寮︵学林︶ を中心として強 い統一意識の下にあり、伝統的な教理を自由に辻究するという態度は成立しなかったと考えられる。すなわち、独 創的な新教理、あるいは新学説を提示することは容易にできなかった。というのは教学は安心の基本的問題でもあ ったからであり、異安心として調理されるからである。したがって一つの解釈をめぐっても統一されるのも当然で あった。以上の点は近世仏教、すなわち封建仏教というパターンで片付けられる所以でもある。しかし、全く伝統 を継承していくというのみではなく、各学僧グてれぞれの問題意識までは統一されてはいないし、すぐれた見解を提 示 し て い る 場 合 も あ る 。 この﹁主上回下﹂以下の点についても同様であり、二、三の注目すべき解釈もある。大谷 派 宣 明 は 、 江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 託 ﹄ に つ い て 七

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江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に つ い て 入 ﹁背法違義成窓結縁とは﹁経道滅尽トキイタリ、如来出世ノ本意ナル、弘願真宗ニアヒヌレパ、凡夫念ジテサト ⑮ ルナリ﹂等なり L といって和讃を引用し、 ﹁義は成仏することをおしへるが義なり。仏法の所詮は成仏のおしへなり。孔子のおしへは人聞の道なり。 目鼻さへあれば人聞の様におもふても、仁義の道を知らねば人間にあらず。依りて仁義を教内﹂ − F − よ 回 J J J J といって仏法の説く立場と儒学の立場を鮮明にし、義というのは成仏を教えることであると明確に述べ、そして﹁念 仏成仏は是れ真宗なり﹂と基本的問題を前提にしつつ、 ﹁仏法の所詮は成仏することをおしへるが所詮なるを知らずして、誹詩をなす故に背法等といふなん刈﹂ という解釈である。すなわち、法に背くというのは仏法の所詮を知らないで誹諒する故にいうのであると宣明は説 く。乙れは法を仏法という意味で解釈しているのである。先の義についてもいわば仏法の道理という内容で説き、 単なる法律や道理というよりも、終始仏法の立場を貫いての見解といえよう。 一方、本願寺派興隆は次のように注 釈している。すなわち、 ﹁ 主 上 指 ニ

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一 一 帝

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臣 下 議 ニ 許 認 奏 一 之 諸 卿 也 。 背 法 等 者 、 乱 謂 法 則 。 義 謂 義 理 。 大 経 一 一 首 ,

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順 法 度 、 叉 言 町 民 思 違 義 。 韓 非 子 一 事 百 レ 法 中 十 九 ん 曳 則 乱 ・ : : 意 謂 君 臣 迷 謬 。 不 随 聖 賢 現 法 一 一 不 レ 順 ユ 天 理 所 宜 一 。 横 一 芳 ニ 中 品 川 知 山 一 、 苦 一 責 ニ 無 罪 一 サ というように、個々の言葉を具体的に説き、法に背く法は天下の法則であり、義は単なる道徳的義とし、先の宣明 と違った解釈といえよう。 そしてこの匂になった言葉は親驚が大経や韓非子から引用した如く、 その例をあげて説 明を行なっている。親驚が﹃教行信証﹄の中で多くの経論を引用している事実から考えて、 この部分も引用したこ と は 充 分 考 え ら れ 、 そのような見解は興味深い。次に本願寺派僧叡、同派芳英はそれぞれ次の様に述べている。

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下モ興福、延暦ノ学徒モ、 ﹁南北ノ僧徒、当時ノ主上臣下、有モ仏法ニ帰スル上ハ此浄土ヲ捨テ\外ニ従フベキ万ハ無シ。其レデ主上回 ⑫ 一 度 ヒ ハ 過 リ テ 答 メ タ ﹂ ﹁ 及 還 俗 左 遷 之 事 実 、 其 結 怨 過 失 広 大 、 略 以 ニ 数 句 二 不 之 。 甚 妙 可 レ 駒 ﹂ というように、主上臣下、興福寺などが明らかに過ちを犯したことを認め、消極的ではあるが当時の支配階層への 批判を行なっている。しかし、前者の僧叡は、この浄土門を捨てて従うべき道はないといい、単なる過失ではなく、 当時の支配層の心が仏法に暗く、 いわば心が閉ざされていたといっている。すなわち、 ⑧ ﹁洛都儒林、主上臣下ノ人心ニ取テ時ニ開閉アリ、昔シハ閉塞ノ心ナリ﹂ という如く、若干弁護的に述べている。 つ ま り 、 一方では主上臣下以下は過ちを犯しているとして消極的な批判を 加えつつ、他方において弁護的説明を表裏一体として行なっているのである。しかし、批判的にしろ、弁護的にし ろ、その基準としているのは仏法であることは認めねばならない。 先の大谷派鳳嶺も洛都儒林をさして、 ﹁ 彼 等 は 仏法の尊きことも外道も分らぬなり﹂というような批判をしている点からも明らかであろう。最後に、時代は少し 下るが大谷派法住は例外的な説き方をしている。すなわち、 ⑧ ﹁ 臣 下 と は 関 白 を 初 め 大 学 寮 の 学 者 ま で を 指 す : : : ︵ 中 略 ︶ : : : 明 法 道 と は 天 下 を 治 め る 法 政 、 万 人 断 罪 の 法 ﹂ と し 、 ﹁ そ の 法 律 の 書 は 律 令 格 式 と 分 れ る 故 に 、 守 令 義 解 ﹄ と 云 ふ 幸 一 日 あ り 、 ﹃ 光 仁 格 ﹄ 等 の 害 あ り 、 ﹃ 延 喜 式 ﹄ 等 の 書 あ り。その中法律の書は今絶えて、略して出すのは﹃法曹指要妙﹄あり。 @ ひ、﹃令義解﹄を義を指して﹁義 L と 云 ふ ﹂ その明法道のことを指して﹁法﹂との給 と述べているように、法に背く法はいわゆる天下を治める法政といい、先にあげた本願寺派興隆も同様であったが、 江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に つ い て 九

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江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に つ い て

法庄の万はその考証を明法道によって行ない、義については養老令の注釈書である可令義解﹄の義としているので あ る 。 このような典拠の示し方は他に例がない。 そ し て 最 後 に 、 ﹁今元祖吾祖の御流罪は何の法をおかし何れの法に違ひたぞ。ただ三帰戒の仏勅を守り、三経三仏の正意たる一 向専修の宗意から廃立し給ふ、仏法の正見如実修行の真仏弟子なるものを、明法道の学者は法道に普く、上国政 を犯したる罪のなきものを死罪流罪に行ふと云ふ事、﹃法曹﹄にありや、﹃義解﹄にありや。明法道の学者の軌則 ⑧ から押すときは、明法道の学者も時の関白もみな古の法にそむき義に違ふと、破し擢かねばならぬ﹂ といい、自らの不満を述べている。 そしてその立論の根拠は法律論的解釈の立場をとり、むしろ、明法道の学者な どが法律に昏いとして、罪なきものを罰するのはおかしいと述べ、もしその様に罰するのならば、明法道の学者、 時の関白も同罪であるとして、法住の憤りを告白している。 この内容のよき、あしきは別として、自らの意見を根 拠を一不し明確に述べている点は、実証的でもあり、まだ江戸時代の教団統制下において当時の支配層に対して積極 的に批判的意見を述べていることは注目してよいだろう。法住の師、霊臨もこのような見解を述べておらず、独創 的でもある。しかし、基本的には先述したように法は天下の法則という解釈に変りない。 つ づ い て 、 ﹁ 成 レ 念 等 は 言 の 本 拠 に 二 あ り 、 一には守大経﹄の﹁念成怨結しを取らせられたもの、 ごには上の二十願下の御 引用の五濁増時多疑誘の文がよく此の御流罪の因縁に合する故、住蓮安楽も死する時に是を称へ、元祖も﹃登山 @ 状﹄にこれを載せり﹂ と い っ て 、 念を成し怨を結ぶという部分が﹃大経﹄から引用したというのである。先にあげた興隆も﹃大経﹄など からの引用を強調していたが、彼の場合、﹁背法違義﹂という部分であり、同じ引用でもその個所が違うのである。 以上、﹁主上臣下、背法違義、成念怨結﹂という点について江戸後期の主な学僧の解釈をみてきた。 この部分のみ

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についても様々な形で表現し、近世的特色の統一性の強い中で、種々の見解を示していることは注目しなければな らない。法に背く﹁法﹂の解釈についても、簡単に事実を述べて流罪の因縁とし詳しく説明せず避けてとおろうと する見解、あるいは法を仏法と解釈し、 その立場を強調しようとする見解、法を天下の法則とし、 そしてその頭山 を﹃大経﹄などを引用したとする見解などに分けることができる。どの解釈も単に王法に迎合するのでもなく、ま た王法に対決し批判するのでもない。 そこには真宗の正依である﹃大経﹄をあげたり、親鷺の和讃を引いたりし、 仏法的、真宗的立場である法そのものを常に媒介にしようとしている姿勢があることを見逃せない。 ひるがえって考えてみるに、親驚は後序の部分でいわゆる承元の法難を示す前に、聖道諸教と浄土真宗とを対比 する中で、浄土真宗は﹁証道今盛﹂といっているが、今盛んとは教団形成の規模や信者数をいうのではなく、末法 の世において浄土真宗の教法のみが証道として栄えるのだということを聖浄を判決しながら自信をもって標誘した のである。それ故、単なる現実的問題における聖道の実体的事実を批判したというより、﹁諸寺釈門、洛都儒林﹂の 教えに昏いことを親驚自身が嘆いたというべきであろう。すなわち、親鷺における末法観は単に客観的な時代観で ⑨ はなく、自己の問題として観じ、自己の主体的なものとして捉え、いわば仏教的終末観を悲嘆的に把握しつつ、そ の悲嘆的把握がさらに止揚され、 そ れ が 厭 世 観 で は な く 、 そこに絶対的普遍的な光明の世界に転化されていくとい え よ う 。 その転化の契機を生み、根底的にあるのが法そのものである。 したがって、親鷺が批判し、悲嘆したりす る基準となり根底となるものは仏法そのものであることはいうまでもない。それ故、先にあげた各学僧が真宗の立 場を認識し、世俗的問題に対する解釈において、世俗に埋没せず、 その中に仏法を生かそうとした姿勢が窺えるの である。特に近世真宗においては、排仏論への対応から儒仏道の三教結合した牽強付会的な書が多く著わされ、妥 協的姿勢がとられる中で、 このように真宗の立場で一貫していこうとする姿勢が窺える解釈でもあり、 その意味で 江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に つ い て

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江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に つ い て 評 価 す べ き で あ る 。 それは次の点でもより明らかとなろう。すなわち、 ﹁爾者積悪濁世群生不知末代旨際、盟僧尼威儀、今時道俗思量己分 L という、﹁己れが分﹂についての解釈であるが、先の大谷派法海は、 ﹁ 所 詮 戒 行 一 一 堪 ヌ 身 ナ リ 卜 深 ク 思 量 セ ヨ ト ナ リ : : : ︵ 中 略 ︶ : : : 末 代 ノ 道 俗 ハ 戒 行 ニ 堪 サ ル コ ト ヲ 示 シ 、 末 代 無 戒 ⑧ ノ 義 ヲ 募 ル ﹂ といい、本願寺派興隆も、 ー ﹁ 是 誠 レ 致 レ 他 、 勧 レ 顧 レ 己 世 ﹂ といい、他のほとんどの学僧も同様の内容で説いている。末代の旨際を知らず、僧侶、比正尼の威儀が乱れたと致 しるのをやめて、各自の分を思い量るべきことを説いた部分であるが、 それをすなおに自ら顧ることと内省的に考 ぇ、凡夫としての自覚を強調し、決して近世的身分秩序の分として説いてはいない。以上の点からも先に指摘した こ と が 明 ら か で あ る 。 四 ﹃教行信証﹄の延書や伝授の跡を顧みつつ、江戸後期にその研究が活発に行なわれた史的性格を考え、またその 研究内容を﹁化身土巻﹂を中心に考察してきた。江戸後期に研究が活発化する理由として、宗学そのものの発展、 あるいは一般諸学聞の隆盛による刺激、特に当時拾頭してきた儒学の古学派、国学などの方法論が少なからず宗学 研究に影響を与えたことを指摘した。 す な わ ち 、 古学派がいうように儒学の道を孔孟の一原典の中に直接求める方 法、あるいは国学の古道を古典を通じ古典の中に求めようとする万法は、 それはそのまま、親驚の精神を親鷺を通

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して直接親驚自身の中に求めようとする方法であったと考えられるのである。その結果、宗学者においては﹃教行 信証﹄研究が行なわれ、一般信徒においては親驚直弟とされる二十四輩の巡礼が行なわれることがそれらを如実に 示しているといえよう。したがって、宗学史の発展も思想史の流れと関係していると同時に、宗門内においては、 蓮如中心主義が大勢を占める中に、新たな問題意識が生まれつつあることを物語っているのではないだろうか。 そ の要因が、教学的問題なのか、あるいは教団的問題の矛盾なのか、あるいは双万の行詰まりなのか、今後それらを 検討する必要があろう。﹁主上臣下 背法違義 成念結怨﹂の解釈においても、様々な見解を述べているが、先述し た研究姿勢と同様のことが見いだせる。すなわち、盛行する排仏論への対応から真宗が幕務体制に果している役割 を 明 示 す る た め 、 いわゆる世俗倫理として儒学などと融合し、付会的解釈が多い中で、あくまでも親驚の主張する ところを認識し、親驚を通して解釈を試みようとしたのである。 つまり、仏法そのものを媒介として世俗に対処 し、世俗に埋没せず、その中に法を生かそうとした解釈であったのである。まだそれは﹁己れが分を思量せよ﹂と いう点についても指摘したように、近世的分限にとらわれず、真宗における内省と、自己への凝視に視線を向けて いるのをみても明らかである。 一般に﹁主上臣下、背法違義﹂という語から念仏弾圧に対する親驚の政治への強い憤りとして考えられ、

J ﹁ JKMY P U A 4 M m v る反権力思想といわれる根拠にされるのであるが、 その語の根底的背景を充分吟味しなければならないことを江戸 時代の学僧は意識的でなかったにせよ示唆しているといえよう。したがって、親鷺の権力に対峠する仕方が、現代 における権力に対峠する仕万とそのままつながり、同様に扱ってよいものかどうか、 一 考 す べ き 問 題 で あ る 。 註 ① 日 下 無 倫 氏 ﹃ 真 宗 史 の 研 究 ﹄ 第 二 編 、 宮 崎 円 遵 氏 ﹃ 真 宗 書 誌 学 の 研 究 ﹄ 、 藤 島 達 朗 氏 ﹁ 教 行 信 証 の 書 誌 ﹂ ︵ ﹃ 顕 浄 土 真 実 教 行 一 社 文 類 影 印 本 解 説 ﹄ 所 収 ︶ な ど を 参 照 。 ③ ﹃ 石 山 本 願 寺 日 記 ﹄ ︵ 清 文 堂 刊 、 上 巻 二 三 五

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一 三 六 頁 ︶ 。 ③ 右 に 同 じ 。 一 三 六 頁 。 江 戸 後 期 に お け る ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に つ い て

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江戸後期における﹃教行信託﹄について ① ﹁ 木 願 寺 作 法 之 次 第 ﹂ ︵ 稲 葉 日 日 丸 編 ﹃ 蓮 如 上 人 行 実 ﹄ 所 収 、 二 一 六 頁 ︶ 。 ⑤﹁南子問﹂巻之中︵﹃日本倫理実編﹄第五所収︶。 ⑥ ﹁ 弁 名

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日 本 倫 理 実 編 ﹄ 第 六 所 収 ︶ 。 ⑦丸山真一男氏﹃日本政治思想史研究﹄一円 O 頁 以 下 。 ③ コ つ ひ 山 ぷ み L ︵ ﹃ 本 屑 宣 長 全 集 ﹄ 第 四 ︶ 。 ⑤村附典嗣氏﹃続日本思想史研究﹄一四頁。 ⑬ 薗 田 香 融 氏 J 兵 宗 学 史 上 に お け る 親 驚 と 蓮 如 ﹂ ︵ ﹃ 近 世 仏 教 ﹄ 第 二 巻 第 一 号 、 一 二 五 頁 ︶ 。 ⑪大谷派において、当時の学僧では深励、徳竜が有名であ る。深励は﹃教行信証講義﹄を著わしているが、﹁化身土 巻 L についてはその見解を示していない。後に南条文雄が ﹁励師之講義止子教行信之三巻而不及証巻以

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誠 為 可 惜 失 ﹂ というごとくである。また徳竜は、特に﹃教行信託﹄につ いては若わしていない。それらのことを付記しておく。 ⑫﹃顕浄土万便化身土文類六﹄︵岩波﹃日本田川組大系﹄親 驚

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四 一 一 一 二 民 ︶ 、 以 下 、 原 文 は こ れ に よ る 。 ⑬ コ 弘 文 類 聞 書 L ︵ ﹁ 仏 教 大 系 ﹄ 教 行 信 託 第 九 、 六 八 凶 頁 ︶ 。 ⑬ ﹁ 本 山 一 指 侵 紗 ﹂ ︵ 吉 一 一 山 一 川 全 書 ﹄ 第 三 円 、 一 一 七 内 氏 ︶ 。 四 ⑬﹁教行信証光融録﹂︵﹃真宗令書﹄第二五、玉間五頁︶。 ⑬ ﹁ 教 行 信 証 聞 古 川 ﹂ ︵ ﹃ 仏 教 大 系 ﹄ 教 行 信 託 第 九 、 六 八 二 頁 ︶ 。 ⑫右に悶じ、六八三頁。 ⑬右に同じ、六八二頁。 ⑬ ﹁ 教 行 信 証 徴 決 ﹂ ︵ ﹃ 仏 教 大 系 ﹄ 教 行 信 証 第 九 、 六 八 八 頁 ︶ 。 ⑫﹁教行信託文類随門記 L 第 四 ︵ ﹃ 真 宗 全 書 ﹄ 第 二 九 、 四 七 三 頁 ︶ 。 @﹁教行信証集成記﹂巻七イ五︵﹃真宗主同主 H ﹄ 第 三 二 、 五 五 七 頁 ︶ 。 ⑫﹁教行信証文類随門記﹂第四︵﹃真宗 4 1 書 ﹄ 第 二 九 、 四 七 二 頁 ︶ 。 ⑧﹁教行信託金剛録﹂︵﹃続真宗大系大系﹄第八、四三間︶ Q ⑫右に同じ、岡三四 J 四 三 五 頁 。 @右に同じ、四三五十具。 ⑧右に同じ、岡三五頁。 ⑫柏原和泉氏﹁耕輔周における末法観の構造﹂︵大谷学椴三九 i 二 、 − 一 七 J 二 八 百 ︶ 参 照 。 ﹁ 本 山 県 指 授 紗 ﹂ ︵ ﹁ 真 宗 全 主 日 ﹄ 第 三 問 、 一 七 二 頁 ︶ 。 ﹁ 教 行 伝 説 徴 決 ﹂ ︵ ﹃ 仏 教 大 系 ﹄ 数 行 信 託 第 九 、 三 一 二 頁 ︶ 。 ⑫ ⑧

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﹃教行信証﹄信巻における

善導教学の受容について

︵ 龍 谷 大 学 ︶ 親鷺における信が、浄土教における親驚教学の特色を顕著に示すものであることは、すでに周知の如くである。 と こ ろ で 、 乙の信について親鷺は、﹃教行信証﹄信巻で詳説しているわけであるが、信巻が﹃教行信証﹄の他の巻と 同様、多数の経論釈の引用によって構成せられていることからすると、 それらの経論釈からなんらかの影響を受け ていることは明らかである。しかし親鷺が﹃教行信証﹄のいたるところで行なっている経論釈の﹁訓みかえ﹂の事 実からも知られるように、経論釈を引用したからといって、その経論釈における信の主張そのままを受容したわけ ではないことも明らかである。それ故、親鷺教学における信を、浄土教の中で位置ずけようとするとき、それぞれ の経論釈からどの点を受容し、どの点を己証したのかを明確にする必要が生じるのである。 さて、信巻には百八の文が引用されているのであるが、 そのなか約四分の一の二十八文は善導の著述からの引用 ︵玄義分一、序分義三、定善義一二、散善義八、往生礼讃四、法事讃ゴ一、般舟讃五、観念法門一、計二十八︶ で あ っ ﹃ 教 行 信 証 ﹄ 信 巻 に お け る 善 導 教 学 の 受 容 に つ い て Ji

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﹃ 教 行 信 証 ﹄ 信 巻 に お け る 誇 導 教 学 の 受 容 に つ い て 一 」 ノ 、 て、このことから考えると、親驚の信は善導教学より少なからぬ影響を受けていると想像できるのであるが、前に も 述 べ た よ う に 、 このことのみで善導の主張をそのまま受容したとは断定できない。 そこで親驚における信の構造を明すところの信巻大信釈下に引用された善導の﹃散善義﹄の三心釈をとりあげ、 議口導の三心釈における主張が如何なるものなのか、またそれと親驚の受容がどのような関係にあるかを考察して、 浄土教における親驚の信を位置ずけたいと思うものである。 そこで、まず、善導の﹃散善義﹄の三心釈がいかなるものであるかを明らかにしなければならない。 ﹃散菩義﹄の三心釈とは﹃観経﹄の上品上生を明すところに、 ﹁若し衆生有りて、彼の国に生れんと願ずる者は、一二種の心を発して即便ち往生す。何等をか三と為す。 一 に は 至誠心、二には深心、三には回向発願心なり。一二心を具する者は必ず彼の国に生ずし ︵ 真 堅 企 一 ー l 六 O ︶ と示す至誠心、深心、回向発願心の三心についての釈である。 善導は至誠心について次のように解説している。 ﹁一には至誠心なり。至は真なり誠は実なり。 一切衆生の身口意業に修する所の解行は、必ず須らく真実心の中 に作すべきことを明さんと欲す。外に賢苦精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。責唄邪偽好詐百端に して悪性侵め難き事、蛇蝿に同じければ、一二業を起すと雄も名づけて雑毒の者と為す。亦慮仮の行と名づく。. ・:不善の三業は必ず真実心の中に捨つべく、叉若し詳の一一一業を起さば必ず真実心の中に作すべく、内外明闇を筒 ばず、特真実なるを須ふ L ︵ 点 型 全 一 f l i l − 五 三 二 一

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五 三 四 ︶

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いかに浄土往生の行業を修したとしても、行者の心が虚仮不実であれば無意味であり、行者の至誠心、即ち真実心 において一切の浄土往生の行業を修すべきであることを述べている。 回 向 発 願 心 に つ い て は 、 ﹁三には回向発願心なり。回向発願心と言ふは、過去及、以今生の身口意業に修する所の世出世の善根と、及び他 の一切の凡聖の身口意業に修する所の世出世の善根とを随喜して、此の自他所修の許根を以て、悉く皆真実の深 信の心の中に回向して、彼の固に生ぜんと願ず。故に回向発願心と名づくる也﹂ ︵ 真 聖 全 一 | 五 三 八 ︶ と 述 べ 、 いて浄土往生の行業を実践すべきであるというのに対して、 一切所修の浄土往生の行業を真実深信の心において回向すべきことを明している。至誠心では真実心にお ここでは真実深信の心において修すべきであると説い て両者に相違が存在するようであるが、前掲の回向発願心釈の次下において﹁叉回向発願して生ずとは、必ず須ら く決定して真実心の中に回向して、願じて得生の想を作すべし﹂︵真塑全一 l 五三八︶と、至誠心釈と同様真実心にお いて実践すべきであることが述べられており、真実深信は真実心とも言い換え得るものであることが解るのであ る 。 さて、至誠心釈、回向発願心釈においては、 ともに虚仮不実を懐かざる真実心において、浄土往生の行業を実践 すべきであると主張しているわけであるが、問題はこれらの二心と深心の関係である。深心について、善導は、 ﹁ニには深心なり。深心と言ふは即ち是れ深く信ずるの心なり、亦二種有り。 一には決定して深く自身は現に是 れ罪悪生死の凡夫、蹟劫よりこのかた常に没し常に流転して、出離之縁有ること無しと信ず。二には決定して深 く彼の阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して疑無く慮無く、彼の願力に乗じて定んで往生を得と信ず:::﹂ ︵ 真 型 全 一 l 五 一 二 四 ︶ ﹃ 教 ﹁ 狂 信 証 ﹄ 信 巻 に お け る 善 導 教 学 の 受 容 に つ い て 七

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﹃ 教 行 信 証 ﹄ 信 巻 に お け る 善 導 教 学 の 受 容 に つ い て 入 と述べて、深心とは罪悪なる自己を深信すること即ち機の深信と、阿弥陀仏の本願を深信すること即ち法の深信と ① であることを明かしている。この深心をいかに解釈するかが問題であるが、従来の理解によると藤原凌雪氏が﹁二 種深信は矛盾相の直観形式ではなくて、落ちるものが救われるという、もっとも具体的な信心の内容を示すものに 外ならないのである。古来真宗に於いてこれを捨自︵信機︶帰他︵信法︶ ① するのも両者の不可分を意味している。﹂と述べるように、 の語で表現し、あるいは二種一具と解明 機法二種の深信を二種一具と理解し、 法の深信によっ て自己の虚仮不実なる罪悪的存在性を信知することになると説くのである。 このような伝統的解釈は親驚の深心に 対する見解とまったく同じであるが、 乙れによって深心を理解すると、前に述べた如く、至誠心、回向発願心のニ 心においては虚仮不実ならざる真実心において往生行を実践すべきであると説くのであるから、法の深信において 自己は虚仮不実にして真実心などありょうのない存在である乙とを信知する深心と、他の二心の聞には、明かに矛 盾が生ずることになるのである。 とすれば、深心をどのように理解すれば良いのか。従来の伝統的解釈は、﹁この二種深信の相互の関係というに、 ③ 善導の上に明文なきためしと考えられていたことと、善導教学を親驚眼的立場において理解しようとしたところに 生じたものであるから、親鷺眼的理解をやめ、もう一度善導の著述を注意深く読まなければならない。 乙の作業を 行なうとき、﹃散善義﹄の上品下生釈にある次の如き文が注目される。 ﹁信ずと雄も深からず、善心数しば返し悪法数しば起る。此れ乃ち深く苦楽の因果を信ぜざるに山りてなり。若 し深く生死の苦を信ずる者は、非業畢克じて重ねて犯さず。若し深く浄土無為の楽を信ずる者は、善心一たび発 り て 、 水 く 退 失 す る こ と 無 き な り ﹂ 門 真 聖 全 一 l 五 四 六 ︶ これによれば、生死の苦を深信ずれば罪業を再び犯すことはなく、また浄土無為の楽を深信すれば善心相続して往

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生決定となることが一示されている。即ち、前者においては止罪、後者においては詳心相続と、それぞれ別の機能を もっていることが明記されているのである。 こ の 文 は 千 五 日 導 が 信 に つ い て 、 二種深信と同一の形態で論じたものであ り、しかもそれぞれの深信の機能をも明示した唯一のものである。モれ故、 こ の 文 が 存 す る 限 り 、 二種深信もまた これと同様に理解しなければならない。即ち、生死の苦を深信するとは機の深信、浄土無為の楽を深倍するとは法 の深信のことであるから、善導は機の深信即ち、自己が罪悪的存在であると深信することによって、再び坪を犯さ ないようになり、法の深信によって善心が相続され浄土往生が決定するものと考えていたと、解釈するのが正しい と言わざるをえない。とすると善導はこのような二種深信即ち深心において、はじめて衆生に真実心が生ずること になると考えていたといえる。 そ れ 故 に 善 導 は ﹃ 仲 間 生 礼 讃 ﹄ で ﹁二には深心、即ち是れ真実の信心なりし と、深心を﹁真実の信心﹂であるというのであろう。 ︵ 真 聖 全 一 六 四 九 ︶ このように深心を考察するとき、 それは伝統的解釈のように、至誠心や回向発願心と矛盾は生じはしない。要す るに、善導にこの至誠心、深心、回向発願心の三心で、自己の罪悪なる存在性を深信すること ︵ 換 言 す れ ば 慣 悔 ︶ と、阿弥陀仏の本願を深信することによって、自己の内に生ずる真実心において、浄土住生の行業を実践すべきこ とを主張するのである。 そ し て 、 この三心を守観経﹄の説示の如く上品上生の住因のみに限らず、 上品生・中品 性・下品性のそれぞれに、 ﹁三心を弁定して以て正因と為す﹂ ︵ 点 型 全 一 ll 五 三 一 了 五 内 七 ・ 五 五 一 ︶ と 示 し 、 ま た ﹁ 此 の 一 二 心 は 亦 定 善 の 義 を 通 摂 す し ︵ 血 ︵ 型 全 一 ー ー 五 四 一 ︶ ﹃ 教 行 信 証 ﹄ 信 巻 に お け る 善 導 教 学 の 受 容 に つ い て 九

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﹃ 教 行 信 証 ﹄ 信 巻 に お け る 善 導 教 学 の 受 容 に つ い て 二 O と述べるように、広く定散ニ善の機の往因とするのである。これは善導が彼の著述の処々で、浄土往生行の基本形 @ ① 態について、﹁悪を属して以て善を修す﹂、﹁悪を捨て仏を称す﹂等と述べる廃悪修善の立場を強調するものであると い え よ う 。 以上善導の三心を考察してきたわけであるが、次にこれを親驚が如何に受容したかを考察してみたい。親驚は善 導の三心釈を信巻大信釈下に引用していることは前にも述べたのであるが、 そ の 大 信 釈 と は 、 ﹁ 爾 れ ば 、 若 し は 行 、 若 し は 信 、 一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふ所に非らざること有るこ と元し。因元くして他の因有るには非らざる也と。知る可し﹂ ︵真聖全二五八︶ と述べる如く、往生の行、信すべてみな衆生の所修ではなく、阿弥陀仏の他力回向されたものであることを明かす も の で あ る か ら 、 そこに引用された三心釈は、信が他力回向されたものであることを立証するためのものである。 即ち、三心は他力回向の信を顕わしているとの見解が、親鷺の上に成立していたことになる。 と こ ろ が 、 このような親驚の見解は、前に述べた善導のそれとは一致しない。議口導では三心はあくまで衆生が浄 土往生の行道において、自己の心中に生ぜしめるものであったから、一ニ心を阿弥陀仏が成就し、 それを我等衆生に 回向されるものとする親驚の理解は、善導の三心釈そのまま︵善導の文当面︶ の引用においては不可能である。 そこで親驚は善導の三心釈を引用するにあたって、次の如き尺度から真仮を分別し引用するのである。即ち、 付引用するものは ④ 善導の文当面のままでも他力回向の信を顕わすと考え得るもの

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@文当面と訓点をかえることによってそれが可能なもの 伺 削 除 す る も の は u v の④・@によっても他力回向の信を顕わし得ないもの で あ る 。 u v の④にあたるものは、大信釈に引用する大部分がそれであるが、 その中特にあげると深心である。例えば前に 述べた如く、機法二種の深信は苦導当面では他力回向の信を示したものと理解し得ないが、深心釈の二種深信のみ に限ると両者の関係及びその機能が明示されていないため、他力回向の信として受けとめることも可能である。 @にあたるものは至誠心及び回向発願心でみられる。 これについては既に多くの先輩により指摘されているが、 二 、 一 ニ の 例 を あ げ る 。 ( 主主仁I 導 ︶ ︵ 親 驚 ︶ 一切衆生の身口意業の所修の解行は必ず須らく真 一切衆生の身口意業の所修の解行は必ず真実心の 実心の中に作すべきことを明さんと欲ふ 中に作したまへるを須いることを明さんと欲ふ 外に賢善精進の相を現じ内に虚仮を懐くことを得 外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に段 ざ れ 似を懐けばなり 回向発願して生ずる者は、必ず須らく決定して真 回向発願して生ずる者は、必ず決定して真実心の 実心の中に回向し、願じて得生の想を作すべし 中に回向したまへる願を須いて、得生の想いを作 せ これらの例は、善導が段仮不実の心を懐くことを戒め、 これを遠離して真実心を成就し、 この真実心において浄 ﹃ 教 行 信 証 ﹄ 信 巻 に お け る 許 導 教 学 の 受 容 に つ い て

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﹃ 教 行 信 証 ﹄ 信 巻 に お け る 汗 導 教 学 の 受 容 に つ い て 土往生の行を実践すべきであると主張するのに対して、親驚はこれを訓点を改めることにより、自己は虚仮不実、以 外にはありょうのない ︵即ち真実心とはかけはなれた︶存在であって、 だだ、阿弥陀仏の回向される真実心による 以外に往生の道のないことを明らかにされるのである。 伺にあたるものは、至誠心では白利真実を明す文。深心では第七深信における就人立信の﹁建立自心:::諸仏言 行不相違矢﹂と、就行立信の開列五正と﹁若修前正助二行:::雄可回向得生﹂。削向発願心では、最初の回困向果の 文 で あ る 。 これらは如何にしても直接的に他力回向を顕わすものとは考えられないものばかりである。 さ て 、 それでは何故に大信釈に引用するような三心観を、親鷺は成立し得たのであろうか。 それを一言でいえば その深い信体験によるとでも言い得るであろうが、実は信体験を基底にした隠顕の思想によるものである。 こ れ は ﹃観経﹄の解釈万法として、親驚が最初に用いたものであって、善導、法然に伝統する廃立の思想を母体として成 ① 立したものである。化巻で﹃大経﹄の三心と可観経﹄の三心の一異いかんという聞に対して、 ﹁釈家之意に依りて無且一寿仏観経を按ずれば、顕彰隠密の義有り。顕と一一首ふは即ち定散諸善を顕し、ゴ一輩・三心 を聞く。然るに二善・三福は報土の真因に非ず。諸機の一二心は自利各別にして、利他の一心に非ず。如来の異の 方便、折慕浄土の善根なり。是れは此の経の意なり。即ち是れ顕の義なり。彰と言ふは如来の弘願を彰し、利他 通入の一心を演暢す。達多闇世の悪逆に縁りて、釈迦微咲の素懐を彰す。立提別選の正意に因りて弥陀大悲の本 願を開闘す。斯れ乃ち此の経の隠彰の義也:・:﹂ ︵ 真 聖 人 上 二 | 一 円 七 ︶ と答釈し、最後に ﹁良に知んぬ。此れ乃し、此の経に顕彰隠蜜之義有ることを。二経の一一一心、将に一旦︵を談ぜんとす。苦く思量す ぺきなり。大経・観経、顕の義に依れば異なり。彰の義に依れば一なり。知るべし L ︵ 良 型 全 二 ! 一 四 八 ︶

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と 結 ん で い る 。 これによれば J 働 経 L には隠・顕のふたとおりの解釈が可能であることが解る。顕とは﹃観経﹄当 面の表面的主張、山ち定散二善であり、隠彰とは顕説の内にあらわす深法、即ち弘願他力である。即ち一、隠顕の思 想で、﹃観経﹄の至誠心、深心、回向発願心の三心に対するとき、﹃観経﹄当分の表面上は第十九願の定散二善を説 くものでありながら、それは実は、第十八願の他力回向の信に誘引せんとするものであったと受けとめられる。こ ① のことは﹃観経﹄のみならず、表面上は第二十願を説く﹃小経﹄にも准用されており、他力回向の信を領受したと こ ろ に お い て 、 それまでの三願転入の過程が、すべて阿弥陀仏の我れを調機誘引せんとはだらきかける大悲そのも のであったと信知し得るのである。 た文を中心にして、第十九願要門を表わすもの 親鷺はこのような隠顕の思想に立脚するが故に、﹃散菩義﹄で示す﹃観経﹄の三心について、信巻引用から削除し ③ と受けとめつつ、それと同時に信巻に引用する如く、第十 ︵ 顕 説 ︶ 八願弘願、他力回向の信を顕わすもの ︵ 隠 説 ︶ とも把握することができたのである。 四 以上のように、善導及び親鷺の三心観を考察してきたのであるが、主口導においては、 三心は自己を慨悔し仏の本 願 を 信 じ 、 それを相続することによって、即ち廃悪修千五川によって、衆生の心中に生ずる真実心を意味していた。と ころが、親驚が信巻に引用して述べるところでは、衆生は虚仮不実で真実心はあり得、ず、阿弥陀仏のみがただ真実 心をもちうるものであることを顕わしていた。 このことか=りする限り両者の見解はまったく異るのであるが、しか し隠顕の思想により善導の三心に対するとき、善導の廃悪修善を基本的立場とする一二心は、 その主張の通り、定散 ニ善を説く第十九願要門と把握され、 しかも同時にその中に衆生を調機誘引せんとする深い仏意を見出して、第十 ﹃ 教 行 信 証 ﹄ 信 巻 に お け る 許 導 教 学 の 受 容 に つ い て

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﹃ 教 行 信 証 ﹄ 伝 巻 に お け る 来 日 導 教 学 の 受 容 に つ い て 八願他力団向の義をも顕わすものであると受けとめられるのである。

位置ずけられるのである。 それ故、親驚においては、善導の主張は単に廃捨せられるのではなく、あらためて調機誘引のためのものとして それを立体的に把握し ここに、親驚の信が善導・法然等の浄土教の伝統をふまえつつ、 る

て、その根底に存する阿弥陀仏の本意を開顕することになるのであって、浄土教はこ乙に極まるといえるのであ 註 ① 散 来 日 義 で は こ れ に 続 い て 五 穏 の 深 信 を 示 し て い る が 、 こ れ は と も に 法 の 深 信 を 聞 い た も の と 考 え る 。 信 楽 峻 麿 氏 一 善 導 教 学 に お け る 伝 の 意 義 ﹂ ︵ 良 宗 学 一 二 二 了 二 一 間 同 併 号 ︶ 参 3 1 A

︸ 、 ② 藤 原 凌 雪 氏 ﹁ 筏 ソ 説 教 学 と 三 心 釈 の 地 位 ﹂ ︵ 古 h h A 小 学 三 七 号 、 九 頁 ︶ ③藤原凌雪氏﹃往生礼讃概説﹄六七頁。 ④ 玄 義 分 ︵ 真 聖 全 一 | 阿 四 一 二 ︶ ⑤ 玄 義 分 ︵ 真 邸 主 全 一 ! l 五 六 ︶ ⑥ 藤 原 幸 章 氏 ﹁ 宗 祖 の 三 経 観 ﹂ ︵ 親 鷺 教 学 二 一 目 立 、 桐 渓 順 忍 氏 ﹁ 廃 立 と 隠 顕 L ︵ 龍 大 論 集 三 五 三 弓 ︶ 、 普 賢 晃 寿 氏 ﹁ 親 鷺 に お け る 三 経 隠 顕 釈 の 研 究 L ︵ 諮 大 論 集 四 00 ・ 四 O 一 併 号 ︶ 参 照 。 ⑦化巻︵真聖全二

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一 五 六 以 下 ︶ 参 照 。 ③ 化 巻 ︵ 庄 一 袈 全 二 | 一 四 九 以 下 ︶ 参 照 。

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真実教の原理としての二廻向について

︵ 大 谷 大 学 ︶ ﹃教行信証﹄﹁教巻﹂の境頭に、親驚は﹁謹案浄土真宗有二種廻向一者往相二者還相﹂と掲げた。 教が真実たる ことの内容を述べるに先立って真実教成立の根拠とも言うべき原理を二廻向として出している。時機相応を理山に 出すとか、教相判釈の正当性を挙げるというようなことをせず、静かに二種廻向によって真実教の宣言を始めてい る乙との意味を少しく考察したい。 苦悩の群萌が、悪を転じて徳を成じ、疑を除いて証を獲ることができる道理、即ち凡小修し易き真教が成立しう るのは、二種の廻向にあるとされる。教のみならず教行信託という仏道体系の全体が回向成就によって成立してい るというのである。浄土真宗なる凡夫直入の仏道が成立する構造の中枢ともいうべきものを往還二廻向に見出した ところに親驚の仏教理解の基点がある。 この二廻向によって、凡夫の上に仏道を成立せしめることができる。 つ ま り教が真実たることを得る。真実教の内容はこのニ廻向を支柱にして建設せられた家の如く、 このこ廻向はその家 を支える二本の大黒柱の如きものであるといえよう。 往・還という動的な方向性を表わす言葉を教学の基本概念にするということは、教が真実たる乙との根底に、愚 真 実 教 の 原 理 と し て の こ 廻 向 に つ い て 二 五

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真 実 教 の 原 理 と し て の 二 廻 向 に つ い て 」 」 ノ 、 凡の衆生が如実修行相応して満足功徳の在在たることを得るという修道的な人間理解があることは言うまでもな ぃ。人間存在が万向性を完うするところに苦悩得脱の光明界が聞かれるとするは、聖道浄土を問わず仏道の基本的 態度である。従って真実教は、求道的存在としての人聞が、遇法によって満足成就しうるという道理を、二種廻向 によって明らかにしたのであるということができよう。木願と名号を以って衆生の志願を満足せんとする﹁大経﹄ の 根 底 に 、 ﹁ 回 向 ﹂ と い う 事 実 が あ り 、 それによって宗教心の成就があることを親驚は見抜き得た。普ねくもろとも に清浄仏国に生ぜんとの往生浄土の願心と、彼土に生じ巳って還来横圃して一切衆生と共に仏道を成就せんとの願 心が﹁廻向 L の 二 相 で あ る 。 これが真実教成立の根本原理であるというのである。 ニ相を以って教学の基礎的な原理とするというところには、仏道と菩薩道を以って人間の悲願を成就せんとする 求道心の歴史による仏教理解があろうと思われるが、更には、人間存在が満足成就しうる為には、 この二相を原則 に立てねばならないという求道心そのものの必然性があろうと拝察される。 苦悩の寄在たる我等が、真に苦悩からの解脱を願うとき、横身横土から彼岸の浄固に対して、 その関係を一方向 的に持とうとする。厭離心を背にした願生心がこれである。我等が苦悩の身心を実感する限り、 この一方向性への 志向から逃れることは殆ど不可能である。しかもこの志向は一方向的なるが故に、永久に満足することがない。横を 捨て浄を欣わざるを得ないにもかかわらず、煩悩具足の我等には、被を捨てるということは全く不可能である。自 力無効とはこの謂である。 しかれば一方向性の欠陥は、実は方向性の如く見えて、五︿の万向に成っていないことであろう。往相の如くみえ て、往生浄土の真相になっていない。願生心といっても欲生心の内なる雑心に気付いていないことである。方向性 あるところにはすでにして方向を与える道理がある。道のところに方向が成り立つ。道なきところには方向は到底

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ありえない。往相あるところに必ず還相がある。万向性が確立するところにはその反対方向の志向が存在せねばな らない。上求菩提・下化衆生と表現された志願も、実は、 乙の方向性が常に二相を持たねば止まないことを示して いる。しかもこれは二つの行為というのでなくどこまでも一事実の二相でなければならない。時を異にし、場所を 異にするものに、二相ということを言う必要は更にない。 一事実のうちに二相を具現せんとするところに大菩提心 の現行がある。菩提心を離れて二相を考えるから時と場所を異にして住相と還相を措くことになるのであろう。大 菩提心が一一事実の内に二つの万向性を満足することによって、真に衆生の方向性を満足せんとするのであろうと思 ぅ。脱苦の神万は、一二千大千世界を焼きつくす炎火の中にも、清涼の空気を呼吸せしむる大菩提心の事実にある。 往還というニ方向の相を人間存在の根源に見るということは、二つの世界と二つの時、浄土と横士、現在と未来 という二つの概念によって、無明の暗夜に流転する有情が、光明の広海に浮んで難度海を渡るという事実を表現し またそれを実現せんことを見据えているのであろう。 一事実のうちに二方向性を見出すというところには、時と所 を絶対に異にする如き領域の間にあって、 それを互に包摂せんとする宗教の悲願がある。すなわち、どこまでも背 反 す る も の が 、 一事実として関係するごとき宗教心の事実を二相として見出すことである。 つ ま り 往 還 二 相 と は 、 方向性によって存在の成就を一示さんとする願心の事実を表わす言葉である。 二つの世界、ニつの時の関係を実現せ るものが、二相として表現された廻向である。 つまり人間存在の満足が往還という両方向性において成立するので あ る 。 一方的な関係によって成就するのでなく、住くということが還るという面を何らかの意味で見出してくるこ とによって、方向性そのものの成就がある。関係ということは、存在の交互的な作用のあり方から起るものである。 所謂、縁起とか因縁という仏教独自の存在把握も、干仔在そのものが関係的に成立していることを示唆している。 こ の関係的存在をより動的に宗教的要求の実相に即して把握するものが、往還二廻向の了解なのではなかろうか。 真 実 教 の 原 理 と し て の 二 廻 向 に つ い て t:;

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真 実 教 の 原 理 と し て の 三 廻 向 に つ い て 入 願生心が真実たることを得るのは、往還二廻向の成就による。往還の願心を成就しないならば、人間存在を満足 せしむることはできない。十仔在の満足は真実の世界との交互的な動的関係の上に成立する。群萌救済の事業を法蔵 の名によって語らんとする釈尊の真意は、往還二廻向の成就こそが人間在在の成就たることを示すところにある。 言い換えれば、真に方向性を完うした人間存在の成就は、二廻向によって成立せる﹁浄土真宗 L にあるのだという のが、親鷺の﹃教行信証﹄作製の基点だったのではないかと思う。 住と還という方向性を示す言葉は、しかして、単に空間的に異なる場所の聞の方向性を示すものではない。もし 空間的表象を以って語るなら、超越的に次元を異にする世界への万向性であるから、内在から超越、超越から内在 という如き表現で語るしかないであろう。しかしここに注意すべきは、往還二廻向という事実が人間存在の根源的 満足を表わすというからには、空間的意味も勿論だがそれよりも、むしろ時間的意味の方向性を有たねばならない ということである。無誰代者の身心不﹄今現在に有して悩み苦しむ凡夫にとって、異なる場所として描かれた救済の 世界は、実は未来なる自己の希望的世界に写されて、凡夫をして願生心を惹起せしむるものとなる。空間的表象と しての彼岸は、願生心の創造的な内容となることを得るならばそのとき、純粋未来の象徴としての世界となる。住 還は而して時間的に次元の異なる場との関係性を示す方向概念であるといえよう。超越といい、次元というも、空 間的な性格を多分に有する言葉であり、方向という語は更に空間的意味あいが強い。而してこれを時間的意味に使 用する場合は、時闘を空間化して了解しかねないという危倶が存するが、人間存在における救済への意欲を表現せ んとする場合には、現在と未来という時間の範鴎を積極的に取り込む為に、敢えて空間的表象を用いざるを得な ぃ。現在の一念に至心信楽して欲生我国の勅命に乗托するという信念の絶対満足は、行の一念に事実として現前す る。その一念の事実とその一念歓喜慶所聞の内景を産み出す源泉を、空間的にも時間的にも充分に表現していかね

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以 な る ま い 。 しかして横土と浄土の聞を往還するということは、現在と未来との関係のニ相性を示している。 一 般 に 現 在 か ら 未来への一万向に時が流れる如く、宗教的世界へ一方向的に帰入せんとする厭離穣土の願生心は、現在の迷妄の情 に芽生えた微かな願いとしての欣求心に過ぎない。人間寄在にとっての未来は、単に現在の延長上にあるべきもの ではない。現在が本当の意味で未来と関係するときには、未来はむしろ現在を意味づけ、現在を変革せしめ、現在 を充実せしめる原動力となることができる。真に人聞にとって意味ある未来は、現在を支え現在を未来へと力付け て止まないものである。人聞を生かしめる大自然の悲願ともいうべき根本意欲としての法蔵菩薩は、現在の成就の 根元に願心の二相を見出した。ニ相の願心の成就こそ衆生救済の志願の成就であると。過去と現在を完うして未来 に無限の精進力を与える為には、未来と現在を重層的に成就せしめなければならない。現在から未来への関係が同 時に未来から現在への関係と成って来るような二相性を成就することによって、未来が現在を超越して、純粋未来 となって、却って現在の基底となることを得る。 煩悩具足の凡夫にとって永久に不可能なる度彼岸の、更に彼方に還来積国の時を描いて、愈々現在の我等の生死 罪濁なるを知らしめるのは、未来の更に未来なる還相が、実は従如来生せる如来の利他の正意であることを示さん が為である。即ち無上浬繋そのものの、現在の苦悩せる我等に対するはたらきを示さんが為である。しかれば、親 鷺 は ﹁ 証 巻 ﹂ に 、 ﹁然るに二仏の神力また斉等なるべし。但し釈迦如来己れが能を申べずして、 ことさらに彼の長ぜるを顕わした ま う こ と は 、 一切衆生をしてひとしく帰せざること莫らしめんと欲してなり。 乙の故に釈迦如来処々に嘆帰せし めだまえり。すべからく比意を知るべきなり。﹂ 真 実 教 の 原 理 と し て の 二 廻 向 に つ い て 二 九

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