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ドキュメント内 真宗研究18号全 (ページ 98-102)

真 理 二

一﹁

1 1 1 4 1 1 1 1 l l a

− 二

| 真 理 と 自 己 と の 関 係

﹁一吾々を仏たらしめる真理て

一仏

によ

って

説か

れた

真理

の一

コ 言 葉 コ

| 仏 教

| 一

/ 丁 自 己

︵ 仏

﹀ と 他 の 人 々 と の 関 係

︵教︶一﹁引劃動配劃川引劃刻到一

一に

成る

こと

がで

きる

教え

︵ 還 ︶

リ 仏 道

日 浄 土 宗

・ 真 宗

・ 浄 土 真 宗

﹁謹按浄土真宗﹂以下所謂﹁一宗の大綱を挙げる文しに就て特に﹁真宗﹂の語義に就て﹃六要抄﹄には詳しい解

釈が施されている︒その初めには

真宗ト一首フハ即チ浄土宗也

と記されている︒今日﹁宗﹂の本来の意味が見失われて︑真宗も浄土宗も一つの宗派︵セクト︶としてのみ考えら

れている状況の中にある吾々にとって︑この﹁六要﹄の解釈はいさh

か奇異な感じさえ与えるのである︒しかし

﹁化身土之巻﹂に︑﹁真宗興隆ノ太祖源空法師井ビニ門徒数章罪科ヲ考ヘズ狼シク死罪ニ坐ス︑或ハ僧儀ヲ改メテ︑

姓名ヲ賜テ遠流ニ処ス︒予︵われ︶ハ其ノ一リ也L

と宗祖親驚えでの人が述べられているように︑法然上人によって

興隆せられた真宗︵H

浄土

宗︶

の門徒として自らの位置を定められていたのが親驚型人であった︒そしてその場合

浄土宗と真宗とは全く同義であったのである︒

次にコハ要﹄は真宗という語が仏道の腫史に於てどのように用いられてきたかを記している︒そこには﹁真宗ハ 即チ仏教ナリ﹂︑﹁般若ヲ以テ真宗ト名クルカ﹂︑﹁法華ヲ以テ名ケテ真宗ト日フ

L等の用語例が見られる︒このこと

乗が真宗と呼ばれてきたということであり︑ から明らかになる乙とは︑外道に対して仏道が真宗と呼ばれ︑小乗に対して大乗が真宗と呼ばれ︑大乗の中でも一

それは決して一つの宗派を意味するものではなく文字通り﹁真実ノ宗

回目しという意味で用いられていたということである︒即ち真宗は全仏教の歴史を一筋に貫く赤い糸であり︑

いわ

ば 仏教の精髄であって︑様々な宗派として現象した仏教をその根底に於て支え︑

それを仏教たらしめているもの︑

わば﹁仏教そのもの﹂こそが﹁真宗﹂と呼ばれてきたのである︒その意味で

浄土宗こそ真宗である

という宣言こそが宗祖親驚による浄土真宗の名告りでありそこにこそ浄土真宗の立教開宗があるのである︒そして

此の名告りを当時の歴史的状況に照してみるならば︑此の﹁浄土宗こそ真宗であるLという浄土真宗の名告りは明

らかに︑﹁念仏ノ真宗ヲ嶺セリLと﹃選択集﹄を弾効した﹃擢邪輪Lに応えているのであり︑そして亦その終りを

④ 

﹁永ク破法ノ邪執ヲ止メテ︑還ツテ念仏ノ真道ヲ知一フン﹂と結んでいる﹃興福寺奏状﹄に応えているのである︒つ まり﹁浄土宗乙そ真宗であるしというこのマニフェストには生命を賭した真偽の決判があるのである︒先輩の所謂

﹁真仮明断﹂である︒何故ならば仮が真であると主張されるとき︑

その仮は偽となってしまうからである︒

では︑宗祖親驚は何に依って﹁浄土宗こそが真宗であるLと言い切ることができたのであろうか︒法然上人によ

﹁浄

土真

宗﹂

とい

う︒

こと

hq

の意

に味

つい

﹁浄

土真

宗﹂

とい

9

とば

︒の

怠味

につ

いて

九 って独立した浄土宗こそが真宗であると言い切ることのできる根拠の探究︑

そこに法然上人が﹁偏依善導一師﹂と

言われたその善導大師の更に本源を尋ねて所謂上三祖を見出された宗祖親鷺の歩みがあったということができない

であ

ろう

か︒

そして﹁二廻向L

﹁一心﹂﹁現生住正定取県﹂等の真宗教学の基本的立場を明らかにせらると共に︑

3

に﹃大無量寿経﹄を真実之教・浄土真宗として見出し︑同時に﹃華厳経﹄と﹃浬繋経﹄︵釈尊一代の全教説︶を﹁木 願を説きたまえる経しである﹁大無量寿経﹄の内容として見開かれたのではないであろうか︒そしてそのことによ って︑﹁誓願一仏乗﹂に帰入する専修念仏こそ︑

龍樹菩薩以来の課題であった大乗菩薩道の成就を凡夫にもなお可

能にする道であることを明示し︑専修念仏がそのような内容を持つ故にこそ浄土宗は真宗であると言い切られたの

では

なか

ろう

か︒

そのことを﹃六要﹄は先の解釈の最後で次のように結んでいる︒

但シ

真宗

ノ名

︑念

仏門

ニ於

テ殊

ニ其

ノ理

有リ

大︒

経一

一ハ

説テ

真実

ノ利

ト為

シ︑

小経

一一

ハ亦

説誠

実一

言ト

一一

首フ

︒ 代教ノ中ニ実一一凡夫出離ノ要道タリ︑真実ノ宗旨其ノ義マサニ知ルベシ︒︵十一丁左︶

私はこの﹃六要﹄の解釈に依りながら︑凡夫という語の原意︼

V 1 H E m

γE

︵異

生︶

に着目しつ﹄︑次のように言

うことができると思う︒

疎外されてある人聞が︑

その疎外を克服して︑様々な矛盾対立︵生死︶を超え離れて︑菩薩と同じ存在構造を

持つ人聞の在り万を成就して︑限りなく無上仏道を成就してゆく歩みとしての人生を可能にする根拠︑

それが浄

土真

宗で

ある

︑ と

念仏往生ノ願ニヨリ

等正

覚一

一イ

タル

ヒト

スナワチ弥勤ニオナジクテ 大般浬繋ヲサトルベシ

真実信心ウル故

スナワチ定緊一一イリヌレパ

補処ノ弥勅ニオナジクテ 無上覚ヲサトルナリ

かくして吾々は一一一口うことが出来る︒﹁凡夫を機としてそこに大乗菩薩道を成就するもの︑それ乙そが浄土真宗で

ある

︑ と

ところで徳川期に入ると︑この浄土真宗という宗名について論争が起り︑老中︑公卿︑はては大奥まで動かす大

事件となる︒所謂﹁宗名論訴﹂である︒その時期に於ては徳川幕府を初めとして︑寺詰証文其の他の公文に於ては

多く一向宗の名を用いることになっていた︒そのため両本願寺並びに専修寺・仏光寺等合議の上︑安永一二年︵一七

七四

八月︑幕府に向って浄土真宗という称号に改められるように要求した︒寺社奉行松平伊賀守忠順はこれを寛

永寺︵天台宗︶及び増上寺︵浄土宗︶に諮問してその可否を質した︒寛永寺はとれを可としたが︑増上寺はこれを

拒み︑翌安永四年には四箇条からなる﹁故障害﹂を呈出した︒その趣旨は浄土宗を浄土真宗と称するのであり︑若

し強いて他門にて浄土真宗と称する時は

①真偽の詩論となり::::::︵宗教︶

⑨ 

自讃

捜他

の基

とな

り:

:・

::

︵倫

理︶

﹁浄

土真

宗﹂

とい

う︒

こと

hq

の意

味に

つい

jL 

﹁浄

土真

宗﹂

とい

う︒

こと

hq

の意

味に

つい

九四

①公

儀の

制禁

にも

障る

:・

::

:︵

政治

とい

うの

であ

る︒

その後事件は粁余曲折するのであるが︑幕府は寛政元年︵一七八九︶両者に宗名は旧慣によるべ きことを達し︑同三年には両本願寺へ︑追て沙汰あるまでは訴願中と心得るよう申渡す︒結局幕府は﹁封建的秩序 の維持の目的から両者の抗争を避け︑あくまで現状維持の方針でおしきった︒﹂︵圭室諦成監修︑﹃日本仏教史﹄園︑

一 O

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