浄土教 関係疑 経 典の研究 (
一
〉97
問
題
の
所
在
ミ 諸 教の讃 ずる ところ、 多く弥
陀
に在 り。Yl
)中国
に おい て厖 大に訳出
さ れ た経 典の中
で浄
土思 想に言 及 す る経 典の非 常に多い こ とは、
この言葉を
俟つ ま でも無 く、古
くか ら知 ら れてい た。 そ うし た中
で も浄土思 想を中
心 と して構
成さ れ てい る所 謂く
浄+三 部 経〉
が、 とくに日本
におい て法 然、
親鸞
によっ て浄i
二宗、
浄+真
宗が開 宗されて 以 来、 浄 土 正依
の経 典 と し て圧 倒 的 支 持 を 有 して信奉
され、
今日に至っ てい るこ とも周知の こ とで あ る。 イン ド、中
国の浄
土教に おい て もく
浄 土三部 経〉
とい う規
定 は 無かっ た が喫
矢張
り宅要
な経
典 とし ての位 置 を 占 めてい たこ と は誤
り で は無い。 しか しなが ら、浄
土思想
に言
及 する他の経 典の 非常
に多 く存 在 することは、単
に〈
浄土 三部経〉
ば か りで な く、
様々 な経 典の教 えによっ て浄 土 教を
信奉
した 人々 の存
在 を物
語っ てい る。 た と え ば、中国
浄 十 教の大要 を
思 想 的 特 徴と し て理 解 す る と き、〈中国浄
土 三流
〉
とし て考 え れ ば 非 常に好 便
で は あ るけれ ども、中
国で は その よ うな 見 方 をさ れ てい なかっ た し、 往生の行業
に し て も〈
称
名 念 仏〉
以 外に様々 な方
法が為
さ れ て いた こと も、
す で に指 摘されてい る〔邑
) こ の ように考え る とき、
わ れわ れ は中
国浄
土教の 実態
を研 究 する為
の基礎
的 資料
の一
つ と して、
まず
浄 士思 想に言 及 する漢 訳 経 典が如 何 程 あ り、
どのよ うな教 えが浄
土教 と関係 を
もっ て説か れ てい たかを探 ら ねばな ら ない。
も と より 、 それ らの中
には単に言
及されてい る と い うだ け に過 ぎ ない 経 典 も多い わけである が、〈
浄i
三部
経〉
以外
の 如何 なる経 典 を 所依
と し てい た か、
またそれ らに説か れ てい ない中国
以降
の独 自の浄
土思想
が何
で あ る か等 を
知る為の最 初の段 階
と し て浄
+教 関 係 漢 訳 経 典 を 考え ねば な らない であろ う。 こ うし た点を
考慮
し て浄
土思想
に言 及 す る漢
訳 経 典 を 集 録 した典籍 を求
めれ ば、
後 述 する よ うに古
くは 『阿弥
陀 仏説林
』、
矢 吹 慶 輝 博士 の研 究に見 出せ るが、
近年藤
田宏
達 博士 によっ て指摘
された浄土思 想に言
及する関係
資料
と しての漢
訳 経 論〈
一
覧
表>290
部が考 え られ るであ ろ う響
しか しながら、藤
田博
士 の研 究はイン ドにおけ る 原 始 期 の浄
土思想
の解明 とい う点
におい て為
さ れ たもの であり、 それ 故 サ ン ス ク リッ ト本、
チベ ッ ト訳 と 校合
さ れ、漢
訳 経 論に おい て浄土思想
と 見 做されても
サン ス ク リッ ト本、 チベ ッ ト訳 に認め られ な い 経論、或
い はイン ド撰述
の 疑 わ しい ものは厳密
に削
除 さ れてい る。 ところが、
そ う したかっ て浄
土思想
と 見做さ れ、
或い は中国
以降創作
された疑 経 典こそは中国浄
土教の関係 資料
と し て は欠
かせ ないf
耐 直を 有 してい る と思われ る。 わ れ わ れは中
国浄
土教 研 究の基礎
的資
料 として 、 まず藤
田博
士 によっ て除 外さ れ た浄土思想
に言及 す る経 典 を広 義の浄 土教
関係疑
経 典 と名づ け 、 その内容
を解
明 する必 要が あ るで あ ろ う。以上が
本
研究の 意 図す る 必要性
と第一
の 手 が か り で あるが、 第二 に こ うし た除 外さ れ た経 典 を通 し て、 イン ド浄 土 教 研 究に おい て は全 く無 視 さ れ て い た 多 数の疑 経 典の中
に認
め られる浄 土 思 想の存
在に気づ かさ れ る。 む しろ、
こ れ ら疑 経 典に認め られ る浄
土思 想こそ 、本稿
の意 図 する主要
経 典 で あり、
歴 史のh
には大きく 表わ れて こ ない が、中
国 浄土教の実態 を示す一
形 態・
独 自の思想 と考 え て良
い で あ ろ う。 イン ドか ら中国
へ と 仏教が伝え ら れて以 来、
後 漢 よ り宋 ・
元 代 頃に 至 る ま で の 十二 、 三世紀 に渉っ て、様
々 な原 語か ら厖 大な経 典が 訳 出さ れ 、 中 国 仏教 は そ うし た漢 訳 経 典 を依 り どこ ろ と し て独 自 な 成立 、 展 開 を辿 っ た。 こ れら訳 出 経 典の歴史を
われ われ は諸 経 録 を通 して知 るこ と が出
来る が 、 すで に最初の経録
で あ る 「道 安録」 において失 訳 、 異経、
疑 経 典の存
在 が認め られ、
以 後 経 録に おい て知 られ る 数 だ け でも 非 常な部 数である こ と を知 るこ と が出
来る。 ま し て予98
柴 田 泰 想出
来ない、
経録
に載らない疑 経 典 を想 像 す れ ば 莫 大 な数 量であ ろ う。 こ うし た疑 経 典につ い ての 研 究 と して は、後
に述べ る ように経 録に よ り 、 或い は経 典の思 想内
容の検 討 により、
常盤 大
定、林
屋 友 次 郎、
望 月 信 亨 博士等によっ て考証 さ れ、
ま た敦煌
文献
か らの研 究 と して は矢 吹 慶 輝博
士、
そ して最 近で は牧田諦 亮 博 士 等の 研究に おい て 多 大 な稗 益 を蒙
む一
,て い る響
そし て こ れら疑 経 典の中 に も弥 陀 信 仰の 記述
が しば しば認
め ら れ るこ とが指
摘されてい る。
しか しながら、
弥 陀 信仰 を
記 述 する疑 経 典の 多い こ と は指 摘 されてい る が、
それ で はそれ らが 如何
程 あっ て、
ど の よ う な思想内容
を有 し てい た か等 を
総合
的 に取扱っ た研 究 と なると、個
々 の特
徴あ る経典
につ い て は検 討 されてい て も、 未 だ すべ て に渉っ ては為さ れ てい ない よ うで あ る。以 上の
浄
土思想
に言
及 する経典
研 究、 疑 経 研 究の 二 つ の分 野を
背景
と して、
〈
資 料 篇〉
におい て は、
まず現在 披 見し えた 文献 を検索
し、浄
+教に 関 係 する疑 経典
のすべ て を取 上げ、
諸 先学の研 究 を参看
しなが ら、
その一
一
々につ い て考 証 して行こう と思 う。 更に〈
研 究篇
〉
に お い て は、
そ れ らを
通 し て成 守・
写 経 年 代、
思想
形態 、各経
典の 変 遷等
を考
え て みたい。
そして これ らの中国
浄 土教関係
疑 経 典の研 究は、
それがそのま ま中国
浄 土 教の隠 された実態
の解 明に な る こ と で あ り、
また従 来 考え ら れてい た浄
土教史
にお け る新
たな解明を も た らす一
資 料になること と思わ れ る。 E1) 湛 然 Fr卜観輔 行 弘 決t 巻.
二 (大IE46
・
182下)。 〔2:1く浄上
r
部 経 )の 名称は法 然 『選択 本願 念 仏 集』 (大rE83・1
下)か らといわ れる,
、
親 鷽 『 西方 指南抄」 巻 上 (大 1.
L
三83 ・849
中下)参 照ロ
〔3} 中国浄± 教を三流 (慧 遠 流、
善 導流、
慈愍流)に分類す るのは 法然 (『選択 本 願 念 仏 集 』大fE83・2
下)か らで あり
、
後の諸 先 師がそ れを 特徴づ けた。
中 国においては、
む しろ慧 遠の自蓮 社の 遺 風 を継い で 発 展 し た蓮 宗の系譜として考 え られ て お り
、
従っ て中国浄 土 教は多様 性 とい う点で特徴が あっ た。 『 楽 邦文類』 巻三 (大 [E47 ・
192中〜
193下)
、
「仏祖 統 紀 』 巻 二 六 (大IE49・260
下〜
265 ヒ}、
小 笠賑宜秀 『 中国近 世浄+教の研 究』 pp.
173〜185.
参 照。
ま た中国浄土教の様々 な 行 業につ いて は
、
道端良秀 『唐 代仏教史の研究 』pp.
190〜197、
拙 稿 「 中国にお け る密 教 系浄t
思想」 (『印仏 研』 第19巻 第2号)参照。
C41
藤田宏達 「原始 浄土思 想の研究』 pp.
136〜
164。
(5) 第=.
章第二節 第二項 参照。
〈
資
料 篇〉
第
一
章
浄
土
教 関係 疑経 典
の用 語
そこで
、
まず本稿
で用 い るく
浄土教 関 係 疑 経 典〉
とい う用 語 につ い て、
従 来こ うし た 用 語 は使
わ れ て い ない と思わ れ るので、考察
する必 要があ ろ う。 こ の 言葉
は、
は じ め に指 摘し た 二っ の研 究 分 野に渉
る用 語である が、
夫々 の研 究 分 野で の 用 語につ い て 、 従 来の用 法を
辿っ て みよう。 第_
の漢
訳紕 経 典の研 究 分野で、
そ うした経 論 を賜
し た名 称 を 挙げ る と、
〔11 『楽 邦 文 類 』 宗 暁 『浄t
依
憑 経 論 章 疏 目録 』 長 西 『 阿弥
陀 イム説 材こ』継成 「 傍 説 浄 土教経 論 集』 浄土宗
宗
典 刊 行 会 「浄土思 想に言 及 する経 論 」 藤田宏 達 『往
生要 集 』 源 信 『蓮 門類 聚 経 籍録
』 文 雄 「 傍明浄土の経」 望月信 亨 「漢
訳浄土経 論 表 」 矢 吹 慶 輝 など が 用い られ てい る。 こ の中、
近 代 以 降の 用 語 に つ いて 考え れば、
〈
傍 明〉
或い はく
傍 説〉
の 用 語 は 明 らかに正依 ・
E
明 のく
浄土三 部経〉 を前 提 とし た ものであり、
〈
漢 訳 浄土経 論〉
の 用 法 は そ の 表 を見 る限り、
阿 弥 陀 仏・
極 楽(
或い は その 異 称)
を記 述す る漢 訳 経 論 を 意 味 してい る。 し か し浄土 教 関係 疑 経 典の研究
(
一一
)99
な がら、本
稿の意
図 す る ところは、傍依 ・傍
明 と して の従
来 指摘
さ れ てい ない浄
土経典
を扱 うわ け で はない し、疑経典
を 考え る点で は〈
漢
訳〉
とい う用 語は当
然の ことで あ り、
その意味
で は、 いず
れ も本稿
に適
する 用語で はない 。 従っ て、
最 新の ミ浄
土 思 想(
阿弥陀
仏・
極 楽、
或い はその異 称)
に言 及 する経 謙 とい う藤田博
士の 表現 が最 も適 切 と思わ れ る。 し か し、 以下の考 察で指摘
さ れ る ように、
本 稿で取 上 げ る経 典 は厳密
な 意 味 での阿弥陀
仏・
極 楽 等の み の浄
土思想
に言
及 する経 典に は と ど まら ない 。本稿
で指
摘す る経 典に は浄上思想
に言 及しない 経典
も含
ま れてい る。fm
っ て、
こ こ では そ うした浄
土思 想に言
及し ない 経 典 も含
めた 浄 土 教に関 係 する経 典 とい う意味
で〈
浄 土 教 関係
経 典〉
とい う 表 現 を とっ たのである。
第二 に
、疑経
研 究の分野で の用語にっ い て 考 えて みる と、
まず中
国において撰
述され た 諸 経 録の 用 語が挙げ
られ る。 そこ で は喚
疑経 ・偽撰 ・
非真
経・
全 非 経 愚 人妄称
経・衆
経疑惑 ・
衆
経偽
妄・
疑偽
経・
偽 経・
疑 惑再詳 ・
疑 妄 乱真
な どの用 語が用い られ てい る。 次に、 日本の浄七教 関 係 目録
では、
「偽 妄 録 」 長 西
「 偽
妄
濫真類
」 文 雄 とい う名称
が 使わ れてい る。更に近 代の 経
録
研 究者
の用法で は軌
疑 偽 経
・
雑 経 疑 偽・
異 経・
偽 経・疑
経・偽
妄経
など、従来
の疑 経 録の名 称に準 拠 して用い て お り、
その中
でも
く
疑 偽 経〉
とい う用 語が多い。
また、
最 近の 諸 論 文 で は、
ほ ぼ〈
疑
経〉
とい う名
称で統一
されてい るよ うで ある 。 そこで、
こ のよ うに様
々 に用 い ら れてい る疑 経 典の概 念で あ るが、
こ の 分 野で 多 くの業績 を
残さ れた望 月信
亨博
士の〈
疑偽
経〉
につ い ての説
明に よ る と sN 偽 経 と称せ られ るものは全 く梵本
か らの翻 訳で な く、支那
に於
け る好
事 者の妄作
に係る もの をい ひ、
疑 経 と は真偽
未詳
の もの で、 必 ず しも皆 支 那 撰 述 と断 定 す ることは出
来ぬ。響
とい うこ と で あ り、一
括
してく
疑
経〉
と して使
わ れ る場 合は、 支 那 撰 述・真
偽 未 詳 を 含め た印 度 撰 述の疑わ しい 経 典 とい うことに な る。 し か しなが ら、 次章
以降
で指摘
さ れ る よ うに、本稿
で取 挙 げる経典
は従来
用い られてい る厳
密 な意 味で の印 度 撰述
の疑わ しい〈
疑 経〉
だけには 限 ら ない。 本稿
で も、
も と よ り、浄
土教 に言
及 す る印 度 撰 述の疑 わ しい経 典が主 要で はあ るが、
その或 る数 部に は、
明らか に真
経で あっ て、
印 度で は浄土思 想を
予 想 しなか っ たにも拘
わらず、中国
以降
の浄
土教徒
に とっ て浄
土教 経典
と解釈
さ れ、
信奉
された経 典、
IE
確には 疑浄
土思想
の経 典 も含 ま れる。
しか しながら、 こ う した内
容 を 持っ 経 典 につ い て、殊更 〈
疑
浄 土 教 関係
経典〉
とい う用語を
使 うこと は、従
来全 く為
さ れ てい ない し、本稿
におい て も それ らの占
め る比 重はそれ程大
きくはない 。 こ こで は、
そ うし た広い 意味
でく
疑
経 典〉
とい う表 現 を用い る点 を注 意 するに と どめ る。疑 経 研 究の分 野におい て
、
次に考 慮 すべ き点は 、 現 存 疑 経 典・
或い は諸
経 録に依
る疑 経典
の研 究 だけに限 らず、 所謂 〈
古佚
経>
c5) の研 究 も含
ま れ ること で あ る。 それ らは、
今 日 その 全貌
を窺
うこ と の 出来ない、
仏教の 諸典籍に一
部が引 証 さ れて 知 ら れてい る経典であ るが、
その多 くは古
佚 疑経 と して指
摘 されてい る 以外に現存 経 典の異訳
異本
の一
部 分と予 想 さ れ るもの も認められ る。 また、 こ うし た性格
を 有 する古
佚 経の 中には、
従 来 指 摘されてい ない浄 土思想 に言及 す るもの も 新たに認め ら れ るの で あ る。 本稿
で検 討 する疑 経 典の 中に は、
そ れ らの古 佚 経 も含
めて論 考 するこ とに し たい 。以上、
〈
漢訳
浄 土 経典〉
、 〈
疑 経典〉
の二つ の 研 究 分 野につ い て の概 念・
用法 を辿 っ て み た。従
来の これ らの用 法か ら受 ける〈
浄土教 関 係疑
経 典〉
の概 念は、〈
阿 弥 陀仏・
極楽
(或 い は そ の異 称)
に言100
柴 目ー 泰 及 する印 度 撰 述の疑 わしい 経 典〉
とい うこ とに な ろ う。 本 稿で も、
そ う した経典
の研 究 が中
心 で は ある が、
す で に指
摘 し た よ うに、
次章 以 降で取 挙 げ ら れる経 典に は、
阿弥 陀
仏・極
楽に言
及しない 経 典、或
い は印 度におい て浄上思 想 を 意 味 しなか っ た にも拘
らず、中
国 以 降に浄
+思 想 と 考 え られ た真
経 も広い 意 味で含 ま れる。 また、〈
疑経典〉
の概 念で も、
厳密
な 意 味での印 度 撰 述の疑わ しい 経 典の み に限らず、所
謂〈
古佚
経〉
に認め られ る或 る真 経の異 本 な ど も考 慮 される。 その一
々 の経 典 につ い ては、
次 章 以 降で立 証 される で あ ろ う。 ll)一
々の典 拠につ いて は、
次章参照。
12:1 諸 経 録、
並 びにその出 典 個 所につ いては、
すで に経 録 研究論文に お いて屡々指 摘さ れてい る から、
こ こでは註記 し ない。 ま た、
中国に おい て厖大に訳 出された経 典の中に は、
或る時代にす でに訳者の不 明 な 経 典、
大 部の経 典 を抄 略 し た もの、
全 くその存 在 が闕けた経 典 も 多数 認め られ、
それ らの中には、
撰 者の指 摘通 りの経 典 以外に真偽未詳・
疑 義の有 する経 典 も指 摘されている。 そう した経 典 を 考慮 すれば、
失 訳雑 経・
失 訳 経・
古 異 経・
異 訳経・
別 訳経・
別 牛経・
抄経・
闕 本経 などの用 語 も広 い意 昧 で 疑 経 研究の分 野 に含 ま ることにな る。
{3’
1 た と え ば、
小 野 玄 妙 「録 外 経 典 考 」 (「f
!、書解 説大 辞典」 第 十二 巻所収 昭11
年 )。
常盤 大 定 『
奚
響趨
る訳経総録s 昭13
年。
林屋友次 郎 『経録研究』前編
昭16 年。
ク
『異訳 経類の研究 』 昭
20
年。望月 信亨 「異 経 及び疑 偽 経 論 の研 究」
(『仏 教 経 典 成 立 史 論』所収
昭21年 )
、
牧田諦 亮 「 中国仏 教に おけ る疑経研 究 序 説、 ( 『 東方学 報』 京都35
昭39
年)。〃
「松 誉 厳的の疑 経 観 」 ( 『
鷲雛
浄」:教の思 想 と 文化』 所 収昭47年〉
、
な ど。
更に個々の経 典につ い て の諸 研 究 を 考 え れ ば、
多 くの諸 論 文に認 め ら れるが、
こ こ で は指 摘 し ない 。 就中、
疑経 研 究の諸論考は第二章第 二節 第二 項参照。 〔4〕 望月 信亨 『仏教史の諸 研究 』 p,
150n
なお望lj
博 士の研 究につ い て は、
次章で指 摘 する。
〔5}(古 佚経〉の名 称は
、
望月信 亨 『仏教史の諸研究』 pp.
124以下に依る。 常盤大 定博士は 〈逸 存 経 典〉 ( 『馨
1黎
る訳 経 総録』 pp
.
258以 下 )、
林 屋 友 次 郎 博十は 〈逸存 経、
別 存 経〉 (『経 録 研究』前編pp.
192以下)な ど を 用い て いる。 牧円諦亮 博士は、
こ う し た諸 典 籍に認められ る経典 も含め て 〈疑 経 〉 を取 扱わ れ る。
(「 中国仏 教にお け る 疑 経 研究序 説」pp
.
338、
344〜
345etc.
)。
なお、
ぐ古佚 経 〉にっ いて は、
次 章参 照。
第
二章 関係資料
と
諸
研 究
第
一
節
関係
資 料
第一
項大 正
蔵経 ・
続蔵経 ・
敦煌
文献
な ど前
章
で規
定し た〈
浄土教関係
疑 経 典〉
の研 究におい て、
最 初に 問 題になる諸 資 料で ある が、
今日、
わ れ わ れが容 易に披見 しう るまと まっ た資 料と して はく
大
正蔵 経 〉〈続 蔵経〉
〈
敦
埠 文 献〉
が ある。
その
中、
〈
大
正蔵 経>
1420
部につ い ては殆ん ど が真経 と して収 録 さ れ た経 典と考 え られてい るが、
しか しその数 部は す でに経 典研究の分 野で疑 義が為
さ れて お り(V
更にその中には浄土思 想に言 及 す る経 典 も含ま れてい る。 ま た、
今日疑義の無い と さ れてい る真 経にっ い て も言 及された浄
土思 想に 限り、 問題の あ る経 典(
た と え ば附加挿
入 な ど)
も 考えら れる。
但 し、〈
大正蔵
経 〉 す べ て につ いて の 検 討は 不 可能で あり、
こ こ で は すで に指 摘されて い る経 典、
かつ て浄
土経 典 と 見做 さ れたが藤田 博士〈
一
覧 表〉
では削 除さ れ た経 典、
更に そ れ らとの関 係経典に限っ て摘 出す るに とどめ る。浄土 教関係 疑 経 典の研究
(う
101
次に
く
続蔵経〉
にっ いて言
えば、大
正蔵
未 収 経 典 が 主に第一輯
第三套
第五冊・
第八七套 第
四 冊、
第二編 乙 第二三 套 第 四 冊 等に四 〇 余部
程収
め られてい る。 その中
で も 『無 量寿
仏名号利
益 大事 因
縁 経』 康 僧 鎧 訳、
『十 往生 阿弥
陀 仏国
経』 な ど、
13
部 に は浄土思 想 が認
め ら れ、
そ うした中
には浄
土 教 研 究 資料
と して は極め て重要
な疑
経 典 も含
ま れ てい る 。第
三 に指摘
さ れ るく
敦 煌 文 献〉
にっ いて は、
大 正 蔵 第 八 十 五 巻 疑 似部
に主 要 な経典
が収
め られ、
その 中にも浄
土思 想 に言及する疑 経典
が数 多 く認
め ら れ る。 それ らの敦煌
経 典にっ い て は矢 吹 慶 輝 博 士 『鳴 沙 余韻 解説
』 に殆ん ど説 明さ れ てい るが、
本稿で は更に筆者
の披 見 し え たス タイン影 印本
に限 り、 その原 本・
校正本、
更に敦 煌 目録に よ る諸写本
を 検 索 し た (1
〕 ま た、
ス タイン本
に関 し て は、
Lionel
Giles
:Descriptive
Catalogue
of theChinese
Manuscripts
from
Tunhuang
in
the
British
Museum .
London
1957.
が あ り、
ジャイル ズ はその分類
に際 してOther
uncanonical sUtrasNo.
5145− 5205,
Apocryphal
sUtrasNo.
5206
− 5472
,
Unidentified
fragments
of apocryphal sUtasNo
.
5473− 5486
と計342
部の未収
蔵 経、 疑 経、
不 明 疑 経 断 片 を指
摘 して い るcl
} それ らの 中には夫
正 蔵 第八十
五巻未
収の経 典、
或い は大 正 蔵原本
に は欠 けて おり(
首 尾欠
等に依 り)、他
の写本
に よ っ て知 ら れ る浄
土思想
に言 及す る疑 経典
も認
め られ る。 そ して、 逆にその浄
土思想
によっ て ジャ イルズ が 不 明 とし た断 片 も経名
が判
明 する場合
も ある。以 上が今日 わ れ わ れが
容
易に検索
し うる現存
疑 経 典の第一
資料
であるが、第
二 に考 え ら れる資料
と し て は、 今 日散逸
してその全 体 を知 るこ と は出
来 ない が、諸典籍
に 引 用された一
部分
によ っ て、
そこ に浄
土思想
が言及 されて い る所 謂〈
古
佚 経〉
が ある。〈
古
佚 経〉
につ い て、 最も多
くわ れ わ れ に資料 を提
供 して くれる典籍
は、
「経
律
異相
』 五 〇 巻梁
宝唱等
集『法 苑 珠 林』
一
〇〇
巻唐
道 世 撰『
諸
経要
集』 二〇 巻唐 道 世 集
『釈 氏 六 帖』 二四 巻
五 代 義 楚 撰(5) など で あり
、
す でに望 月 信亨・常
盤 大 定博
士等に よっ て その総合
的 研 究は為
さ れ て い る。
そ して 、 そ れ らの一
々 につ い て検索
する と、
新 たに浄土教 関 係 疑 経 典 と 予想さ れ る もの が認 め ら れる。 ただ し、 こ うし た古
佚 経の中
には 厳密
に は疑経
典では 無 く、
或る経 典の同 本 異 訳 経 、或
い は 経 録には無 い改 変 され、 取 意略 出
の経 典 も認め ら れ、
その点 注意 を要
する が、
こ こで は広 義の疑 経に含
めて取扱
うこと にする(6!
〔1) 望月 信亨 『浄土 教の起原 及 発 達』 第四章支那 撰 述の疑 偽経 pp
.
133−−
257.
で は、
九部の経 典 を考 証 さ れ、
更に 『蹶 経 戴 硬 論・ 黼 異綴 礙 偽経 論の研究 ,P.
・299Ll/T
、
に紳 て、
・千臂千鑼 殊室利 経、 金 剛智讃加えて再 論 される。 ま た同書 「 異経 及疑 偽 経 表」 pp
.
315〜339
の う ち、
〈大IF蔵 経〉経 部 第 二 十一
巻 迄に 収め ら れ て い る経 典は8
部で あ る。
〔2} 〈縮 〉 所 収 中・
大 臓 未 収撒 のみ を扱・ た 研究は ない ようである。
また、
橢 で扱 う13
部の うち、
と く1、中国 撰 述疑 経典は敦 煌 写 経と密接な関 係 を有 す る が
、
そ れ らにつ い て は 〈研 究 篇 〉で指 摘 する。
〔3〕 従・ て・
ペ リ わ 北 躰 をは じめ調 人戸職・
大 学 臓 等の原本に つ ・・て 瞰 合で き な か 。 た。
尚、
本 脱髄 後、 北京 影 躰 喇 敦 圃 が北 大 図 書 館に入 庫 し た.
北 大 黻 蜘 宏囀 士の1
卸好 意によ り、
後日 検索 し、
ま と める ことに したい。
(4> 王重民 『敦煌遺書 総 目 索 引』 附 録
一、
Giles: 博物館 蔵 敦 煌 巻子 分類総目 (p.
493.
)で は、
apocryphal sUtras を偽経・
U・iden・ifi
・d
f・・g・ ・ ・…f
・p・cryph ・l s ・・t… を其 他不 明 偽 経 と訳 して照 斌 本稿で1
揃 章で 騾した 如 く <疑 経〉と訳す
。
ジャ イルズ目録に は
・
更にE・1・gi・ ・ (讃 文)N・・
6101・
・
−
62・8、
P
・ay … (驪 文 )・。.
6248−−
6506の写 本 が あり、
そ の中に胴 弥 陀 仏゜
驟 等につ ・・て の讃 文・
祈 黻(とくに ・・ A・… bh・ and ・
S
。kh・102
柴 田 泰 多く認められ る。
こ う した 資 料につ い て は適宜関 説 する が、
号「」に浄土教 関 係 敦 煌 資 料 として考察す るP
定 で あ る 。 なお、
そ う した資 料の概 要に つ い て は拙 稿 「浄⊥ 教 関係 敦 煌 写 経i こ関 す る二、
三の問 題」 〔『宗教 研究』 第218 虜 参照。 (5
】「釈氏 六帖』 は披見出来 な かっ た
Lt
常盤 大 定博十 による と
、
古 佚 十二遊 経に 「.
阿 弥 陀∬冷 宝応声 吉 祥二菩 薩…
…
」 の記 述が指 摘 さ れて いる( 『
難愨
る訳 経総録』 pp.
316、
349),
(6
) 本稿で扱 う古 佚経に限っ て は、
その引 証文の中に阿 弥陀仏・
極 楽の記 述 が 認めら れるものの み を 対象とし たい.
この点 は 現存経 典 と扱いは異な る。
第二項
浄
土教
典籍
の引
証 経 典 概 観 (1
)中
国浄
土教
典籍
前
項の大
正蔵経 ・続
蔵 経・敦
煌 文献に収 め られ た現存
疑 経 典・古佚経
の中
で、
浄 土 思 想に言 及 す る経 典の検索
が本稿の 第一
の 資料
になる わ けだが、 第二 に、
それ らの依 用・流
布とい う点と関連 し て、中国 ・
日本
浄 土 教 史 上 代 表 的 典 籍の中
で の取扱
い 、 或い は重 要な比 重 を占
め て解 釈さ れ、
浄土 思 想と 見做
さ れ た経典を考 える必要 が あ ろ う。浄
土教 典 籍における引 証 経 典の中
に は、 以下に指 摘 す る よ うに阿 弥 陀 仏・
極楽
に言 及 してい ない もの もあ る が、
今日〈
浄
L
思 想に言 及す る経論〉
と査 定 され てい て く,、
実 際には浄 上 教徒
にとっ て 全 く依lll
さ れ た形
跡
の無い 経典
1} に較べ る な らば、
それ ら は、 は るか に浄
十教史
ヒ重要
な経典
である。そこで
、中
国につ い て考える と意 図 的に浄 土 経 典 を 集録 し た もの は、
『楽邦
文類
』 が挙 げら れ る程 度で他に は認められない 。 t以下、
中国
浄 土 教 史一
L
代 表 的 典籍
の概要
を 辿る と、 その 最 初 期の高僧 と して廬 山 慧遠 (
334〜416
)、
また 日本 浄.
L
教に大き な影 響 を与え た点での最初
の 高僧 曇 鸞(
476 〜542 )
につ い て は、 前 者は 「般
舟 三 昧 経』 による定 中 見 仏掣
後者
は主 著 『浄 土 論 註』 に引 証 さ れ る 『無 量寿
経』 『観無量 寿 経』 『十住
眦婆沙 (
論
)』『大
智
度 論』 等 が指摘
さ れ る が13
) 本稿 に関 係 する経典
は認め られない。
浄+教 関 係 疑 経 典にっ いて
、中国
浄 土 教 史 上、
最初 に注 目さ れ る典 籍は道 綽(
562〜
645
)
の 『安
楽 集
』 であ ろ う。 「観 無 量寿
経 』 の綱要
書とも言 わ れてい る木
書は、
ま た引証
経 論の多い こ とで も 知 ら れてい るが轡
そ うした中
に は以 下の疑 経 典・古佚
経が挙
げ ら れてい る。『
十
方 随 願 往 生 経 』「十
往
生経』『浄 度 菩
薩
経』『目 連
所
問経』『惟 無 三 味 経』
「
須
弥 四 域 経』『
善
王 皇 帝 尊 経 』 これ らの疑 経 典・古佚
経は、
単に浄
十教 典籍
に お け る最初 と して価 値が あ るだけ で な く、後
に指摘
する ように疑 経研究の分 野に おい てt
,最 初 期に 当る経典
と し て、
しば し ば取 上 げら れ る もの であ り、
その 点で も 『安楽 集』 は貴 重な資料を提供 し て い る。道
綽
の影響 を
多く受けた とい わ れ る迦 才の 『浄
士論』 に は1
? ’−
h
教 所 依の経 論と して、
〈
.
卜二経 七 論〉
が 「 第五 引聖教為 証」 に挙 げら れて い るが蝉
その中
の 『十 方 往 生 経 』(
『潅頂
随 願 往 生 十 方浄
土 経』X
『藥 師経』(
『潅頂抜除
過 罪生死 得 度 経』)は経 典自 体 も浄土思 想の 記 述も疑 義のあ る経 典である。日
本
浄 土教に最t
,大 きな影響
を 与え た善導 (
613
〜
681
)
の著
述〈
五部 九巻 〉にっ い て は、 古 今 楷 定の 『観 経 四 帖 疏』 を 挙 げる まで も な く、
『観無量 寿 経 』 を筆 頭に 〈浄土三 部 経〉
が中
心 で あ る が、
意 図 的に浄土諸経 論 を 集 録す る記 述は無い 。 しか し、
こ うした引 証 経 論の中には、 『観 念 法 門 』に『十 往 生 経』 r浄距
昧 経』 r憮 三 嚇 呈、、 また ・餬
・櫨 ・ にも 『+ 往 生 糸蚤・ の彊
臑 め られ誰
善 導の場合に は、
こ の よ うにそれ程 引証 経典の 本稿
で 問題にする比 重は大きくは ない が、
む し ろ、浄 t
.
教 関 係疑経 典の研究 (一
’
)103
日木
浄 土教
に与え た影響
に よ り、 数多
い 註釈 書
の中
に、 しばしばこれら
の経典 を含
め た諸
見 解 が認
め られ る点に特 徴が あ る とい え よ う。善 導の弟 子 懐 感
・
懐 憚に よっ て撰 述 さ れ た 『釈
浄 上二群
疑論
』 七 巻 は、
その 当時
までの浄
土教に関 する多 くの疑 難に対し て法 相 系の立場
で解釈
し た もの とい わ れ る。 その巻 七に、
問
H
。今
学 浄十業者、
既 行 念 仏三昧。 未 知 此 法 定 有 何 教。 今 諸 方 道 俗 多生 疑 惑、
将 無 聖 教偽行
仏法
、誘
引 凡 愚大
増 誹 謗。
請 陳 至 教 以除
疑 網c71 とい う問があ る。
こ の 間 は浄 土 教所依
の経 論を
具体
的に尋
ねた わ け で はな く、 } 現 今の浄一
ヒの行 業 を 学ぶ者は既に念 仏 三 昧 を行っ てい る が 、 そ れが何 教に有
る か陳べ よミ と浄
土の行 業は念 仏 三 昧で あ るとい う前提
に立っ て、
その所依
の経典を
問 うのであ るが、
その答
と し て 、釈 口。 諸 大
乗
経 説 此三昧
其文極衆
。 如華 厳 経 数 処 皆 説念 仏 三昧
、 其 文極
広。 及 湿 槃 経・
観 仏 三 昧海
・賢護 ・般舟
三昧 ・
観 経・鼓音
声 王・
大 集 月蔵分 ・
地蔵
十 輪 経・
占
察 経・
文殊
般 若・花首
経・
大智
度論等
説Q……
。 と経 典を
引 証 する。 とこ ろがこ の中
『 地 蔵 十 輪 経』『
占察
経』『文 殊
般
若 経』『花 首 経』 は
、
地蔵
信 仰・一
行 三昧
思想 などの代 表 的 経 典 と して中国
仏 教史の上で極めて 重要
で は あ る が、
具 体 的に は 浄 土 思 想の説か れ ない経 典で あ る。中国浄
十教にお け る善導
流の流
れ は、
唐 代 後 期以降、
諸宗融合
の風潮
に染っ て い くが、
そ う した 融合
的浄
土教の 先駆者
と考えられ てい るの が慈 愍三蔵 慧
日 (680
−一
748
)
であ る 。慧
日の浄
土教の特 色は浄土往 牛の為
の行業
すべ てを 兼修
す るこ とにあ っ た故、
その 意味
で 多 くの経 論 を引
証 する と予 想されるが、
現存
す る 『往 生 浄 土集
』 巻 上だ け で は窺えない(ξ
) た だ、本
書著
述の 意 図は慧日自か ら、初巻 先
叙
異 見 以 教及 理逐 遣 知 非。 次 第二巻 広 引聖教 成 立 浄 土 念 仏正宗
。 次 第 三 巻会釈 諸
教古
今 疑滞
校 量 諸 行 出離 遅 疾馳
と述べ る如 く、第
二巻に広 く聖 教が引か れ てい た と 思 わ れ る が欠 除 し て窺えない 。 更に慈愍
流の浄
土教は承 遠、
法照、
或い は飛錫 等を
経て永
明延寿 (
904〜
975
)
に 至 り、宋
代 以 降の融合
的 浄土教へ と展開 さ れ る が、
そ う し た代表的浄
土教 家の著
述の中に は、 すで に取 上 げ た引証
経論
は あっ て も、 新た な意 図 的に浄 土所依
の経 典 と 見做 し たもの、
古佚
経は認 め ら れ ない よ うで ある。
ま た、
それ以降
の浄 土 教 典籍
の中
で も 引証
経論
が多い こ と で知 られ ている 『西
方合論
』『
浄
土指帰集
』 な ど を検索
して も、 疑 経 典 とい う点で特 筆 すべ きこ と は認 め ら れ ないae
。そ うした
中
で、 初めに指 摘 した 石 芝 宗 暁(
1171〜
1214
)
の 『楽 邦 文類
』 五巻(
1200
年
編)
は、
楽 邦に関 する轍献 臆
図 的に編 集 し た もの と して、
と くに経 呪 謙収録
して・・る 点で特 筆 すべ きも
の で ある。本
書 巻一
には、
「 大 蔵 専 談浄
土経 論 目録」 と し て、
経 典46
数、 呪10
首、論
6
数 を 挙 げ、 経 典に関 して は 『 無 量寿
経』1
〔個所
、『 観 無 量 寿 経』
6
個
所が圧 倒的 に多い が、 そ うし た中で、今
日浄 土 経 典 とされ てい ない もの 、 或 いは古 佚 経が挙 げら れて い る。 更に宗
暁は その い くつ か に諸 先 師の解釈、
或い は出典・
自釈 を附記し て、
その摘 出 意図 を 明 らかに してい る。 ここで それ らの経典
と宗 暁の摘
出理 由 を 挙 げるとω、『 文 殊
般
若 経』修
一
行 三昧専称
仏 名天台 止 観云 、
……
車甫行
釈
日・
’
一
・攤 不 齢 向西 方・
既 令鮒
一
仏 言鐓 所讃
多 在弥
5
它故、
晒 方 而 為_
準、
…
。104
柴 旧 泰『
随
願往
生 経』娑婆
濁悪
偏讃
西方『大 集日蔵 経 』
念 仏 随 心
覯
見大 小此 経 所明念 仏
、
雖不定指西
方、
糲 見慈 雲 孅i
三念 仏 方 法、
引 証 念 仏 大 小 之 義、
故 此 録之
庶覧
彼 文者、
知 経 始 末。『 日連 所 問 経」
無 量
寿
国 易往
易 取『
卜往
生経 』念 仏 之人
菩
薩 守護
『善 信摩親 経 』
善
信厭
女求
生浄土糲
婢驚
『
守護国
界 主 経」命 終 善 悪 感 報 優 劣
一
である。 こ の中、
『 文 殊般若
経』〈
一一
行三昧〉
の思 想は、宗
暁の指
摘に依
る ま で も な く、
『摩
訶 止蜘
に述べ ら れ る〈
四種 三 昧 〉のぐ
常坐 三 昧〉
の典 拠 として知 られ る ば か りで な く、
初期禅 宗 史の 上で も重 要 な 思想
であるところが
、中国浄
.
fl
教 史の上で 耄、そこに述べ られる 「専 称 名 字ゴ
の思想
は道 綽の 『安楽 集」1 をは じめ として ほとん どすべ ての典籍
に重要
な比 重を占
め て引証
されてい るの であ りその
中
で (,善導
によっ て 「往 生 礼 讃』 におい て 「 又如 文 殊般
若 云、
明一
行 三 昧、唯
勧、 独 処 空 閑、
捨 諸 乱 意、
係 心一
仏、
不 観 相貌、専称
名 字、
即 於 念中、
得見彼阿弥
陀 仏及一
切仏 等。 閥 日、
何 故 不令作
観、
直 遣 専 称 名字
者、
有 何 意 也n答
口、
乃由衆
生障
重、……
観 難 成 就 也。 是以大 聖 悲 憐、
直
勧専
称 名字.
正 出 称 名 易 故相
続 即生」
〔14}と阿 弥 陀 仏へ の 称 名 念 仏 と会
通さ れ た こと は、古
来〈
無 観称
名〉
と言わ れ る観想 ・
観心0)念仏 か ら称 名
念 仏へ と崚 別 された重 要 な一
典 拠 とし て知ら れ る点で ある。『 文
殊
般 若 経』 の念 仏は あ くまで も十 方 諸仏 の中
の一
仏で あ り、
是の念中
に」
過 現 未 来 三 世諸
仏、 を 見るこ と であっ たが、
善 導がこ の よ うに解 釈 し、 或い は湛
然 に よ っ て も } 経に西
.
方に局 らず
と雖 も、諸
教の讃 ずる所 多 く弥 陀に在 り。 故に西 方を
以て一
準
と為す “ と解 釈 され たの で あ り、
宗 暁 もわ ぎわざ それを援
用 して浄 土 経 典と見做 したので ある。 この よ うに {「 文殊般若繊
につ い て の中国
仏 教徒
の 理解 を辿れば、
こ の経典 は中国
仏教全般
に おい て主 要 な役 割 を 有 し た 経典で あ る ば か りで な く、
そこに は阿 弥 陀 仏の語が認 め られない にも拘
らず
、 浄 土 教徒
に とっ て浄
土所依
の経典
と考えら れてい た こ とが知ら れ るc、
ただ、
こ う した経 典の扱
い は、
夫々 の浄 土教家の引 用 経 論 とい う研 究 分野に人 っ て くる の であり、本稿
で は とくに著 述 者 自身が浄⊥経 典 と 明 白に意 図 し た も の に 限っ た が、
既に指 摘 し た よ うに浄一
i
激 徒の依 用の点 を 考 慮 するな らば 単に阿 弥 陀 仏・
極楽
の記 述が あ る とい うだけ で取 ヒげ
られてい る多 数の浄 土 経 典よ りも、
は る か に多大な影 響 を 与 えた経 典で あ る。
そして これ らの経 典 につ い ての研 究は モ阿弥
陀 仏・
極 楽に言 及 する経 典 とい う従 来のく
漢 訳 浄土経 典〉
の概 念 を超 えて、 〈
浄土経 典〉
の研 究 を進めなけ れば単 なる経典
だけの研究にと ど ま り、
そ うした経 典 を依 り どこ ろ と して 多様に展 開 し た 生 き た中国
浄七教の 解明に は な ら ない こ とを 意 昧 し てい る。浄土思 想に言 及 してい ない 『大 集日蔵 経』 を挙 げるの も同 じ理 由で あ る。 宗 暁は 「 雖不定 指 西 方」 と
断
わ り な が ら、遵
式の 「念 仏 方 法」 {IS を 引 証 と して挙 げてい る。
『守
護 国 界 主経』軌
二つ い ても 同 様 の こ と がい えよ う. 『随 願 往 生 経 』 「目連 所 問経』 『十往 牛 経』 はすで に 『安楽 集』 等に引 証 さ れ てお り、 『善
信 摩 親 経 』 も 〈古 佚 経〉
と して知 ら れ るもので あ る。本 稿に 関 係 する疑 経 典の引証 とい う点
を
考慮 しなが ら、
中 国 浄 七 教典 籍の 引証 経 典につ い て の概 要 を 辿っ た が、
更に〈
古 佚 経〉
の 引証 とい う点で留 意さ れる一一
、
二の典 籍 を挙 げる と 、 『遊心安 楽 道』 元暁 撰に 『弥 勒 発 問 経』 を 引証 して 「 爾 時 弥 勒 菩 薩 白 言、
如 仏 所 説 阿 弥 陀仏 功徳
利 益、
若 能 十浄土 教関係 疑 経 典の研 究 (