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札幌大谷短期大学紀要08号 柴田 泰「浄土教関係疑経典の研究(一)」

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(1)

浄土教 関係疑 経 典の研究  (

97

      

 

 

 

  

ミ 諸 教の讃 ずる ところ、 多く弥

に在 り。

Yl

  中国

に おい て厖 大に訳

さ れ た経 典の

土思 想に言 及 す る経 典の非 常に多い こ とは

この言

葉を

俟つ ま でも無 く

、古

くか ら知 ら れてい た そ うし た

で も浄土思 想

を中

心 と して

成さ れ てい る所 謂

浄+三 部 経

とくに日

におい 法 然

によっ て浄

i

二宗

浄+

宗が開 宗されて 以 来、 浄 土 正

の経 典 と し て圧 倒 的 支 持 を 有 して信

され

今日に至っ てい るこ とも周知の こ とで あ る。 イン ド

、中

国の

土教に おい て も

浄 土三部 経

とい う

定 は 無かっ た が

矢張

り宅

典 とし ての位 置 を 占 めてい こ と は

り で は無い。 しか しなが ら、

土思

及 する他の経 典の 非

に多 く存 在 することは

浄土 三部経

ば か りで な く

様々 な経 典の教 えによっ て浄 土 教

した 人々 の

在 を

っ てい る。 た と え ば

、中国

浄 十 教の大

要 を

思 想 的 特 徴と し て理 解 す る と き、

〈中国浄

土 三

とし て考 え れ ば 非 常に

好 便

で は あ るけれ ども

、中

国で は その よ うな 見 方 をさ れ てい かっ た し、 往生の

行業

に し て も

名 念 仏

以 外に様々 な

法が

さ れ て いた こと も

す で に指 摘されてい る〔

) こ の ように考え る とき

わ れわ れ は

土教の 実

を研 究 する

の基

的 資

と して

浄 士思 想言 及 す漢 訳 経 典如 何 程 あ り

よ うな教

教 と関

係 を

もっ て説か れ てい たかを探 ら ねばな ら ない

も と より 、 それ らの

には単に

及されてい る と い うだ け に過 ぎ ない 経 典 も多い わけである が

、〈

i

の 如何 なる経 典 を 所

と し てい た か

またそれ らに説か れ てい

中国

の独 自の

土思

で あ る か

等 を

知る為の最 初の

段 階

と し て

+教 関 係 漢 訳 経 典 を 考え ねば な らない であろ う。 こ うし た点

し て

土思

に言 及 す る

訳 経 典 を 集 録 した典

籍 を求

めれ ば

後 述 する よ うに

くは 『阿

陀 仏

説林

矢 吹 慶 輝 博士 の研 究に見 出せ るが

年藤

達 博士 によっ て指

された浄土思 想に

及する関

と して

訳 経 論

>290

部が考 え られ るであ ろ う

しか しながら

、藤

士 の研 究はイン ドにおけ る 原 始 期 の

土思

の解明 とい

におい て

さ れ たもの であり、 それ 故 サ ン ス ク リッ ト本

チベ ッ ト訳 と 校

さ れ

、漢

訳 経 論に おい て浄土思

と 見 做されて

サン ス ク リッ ト本、 チベ ッ ト訳 に認め られ な い 経

論、或

い はイン ド

撰述

の 疑 わ しい ものは

厳密

除 さ れてい る。 ところが

そ う したかっ て

土思

と 見做さ れ

或い は

中国

降創作

された疑 経 典こそは

中国浄

土教の関

係 資料

と し て は

かせ ない

f

耐 直を 有 しい る と思われ る。 わ れ わ れは

土教 研 究の基

料 として 、 ま

ず藤

士 によっ て除 外さ れ た浄土思

に言及 す る経 典 を広 義浄 土

係疑

経 典 と名づ け 、 その

内容

明 する必 要が あ るで あ ろ う。

 

以上が

研究の 意 図す る 必

要性

と第

の 手 が か り で あるが、 第二 に こ うし た除 外さ れ た経 典 を通 し て、 イン ド浄 土 教 研 究に おい て は全 く無 視 さ れ て い た 多 数の疑 経 典の

る浄 土 思 想

在に気づ かさ れ る。 む しろ

こ れ ら疑 経 典に認め られ る

土思 想こそ 、

本稿

の意 図 する

主要

経 典 で あり

歴 史の

h

には大きく 表わ れて こ ない が

、中

国 浄土教の実態 を示す

形 態

独 自の思想 と考 え て

い で あ ろ う。 イン ドか ら中

へ と 仏教が伝え ら れて以 来

後 漢 よ り

宋 ・

元 代 頃に 至 る ま で の 十二 、 三世紀 に渉っ て

、様

々 な原 語か ら厖 大な経 典が 訳 出さ れ 、 中 国 仏教 は そ うし た漢 訳 経 典 を依 り どこ ろ と し て独 自 な 成 、 展 開 を辿 っ た。 こ れら訳 出 経 典の歴史

われ われ は諸 経 録 を通 し知 るこ と が

来る が 、 すで に最初の経

で あ る 「道 安録 において失 訳 、 異経

疑 経 典の

在 が認め られ

以 後 経 録に おい て知 られ る 数 だ け でも 非 常な部 数である こ と を知 るこ と が

来る。 ま し て予

(2)

98

柴     田 泰 想

来ない

に載らない疑 経 典 を想 像 す れ ば 莫 大 な数 量であ ろ う。 こ うし た疑 経 典につ い ての 研 究 と して は

、後

に述べ る よ経 録に よ り 、 或い は経 典の思 想

容の検 討 により

盤 大

、林

屋 友 次 郎

望 月 信 亨 博士等によっ て考証 さ れ

ま た敦

か らの研 究 と して は矢 吹 慶 輝

そ して最 近で は牧田諦 亮 博 士 等の 研究に おい て 多 大 な稗 益 を

,て い る

そし て こ れら疑 経 典の中 に も弥 陀 信 仰の 記

が しば しば

め ら れ るこ とが

摘されてい

か しながら

弥 陀 信

仰 を

記 述 する疑 経 典の 多い こ と は指 摘 されてい る が

それ で はそれ らが 如

程 あっ て

ど の よ う な思

想内容

を有 し てい た か

等 を

的 に取扱っ た研 究 と なると

、個

々 の

徴あ る経

につ い て は検 討 されてい て も、 未 だ すべ て に渉っ ては為さ れ てい ない よ うで あ る。

 

以 上の

土思

及 する

経典

研 究、 疑 経 研 究の 二 つ の分 野

と して

資 料 篇

におい て は

まず現在 披 見し えた 文献 を検

、浄

+教に 関 係 する疑 経

のすべ を取 上

げ、

諸 先学の研 究 を参

しなが ら

その

々につ い て考 証 して行こう と思 う。 更に

研 究

に お い て は

そ れ ら

通 し て成 守

写 経 年 代

態 、各経

典の 変 遷

え て みたい

そして これ らの

中国

浄 土

教関係

疑 経 典の研 究は

それがそのま ま中

浄 土 教の隠 された実

の解 明に な る こ と で あ り

また従 来 考え ら れてい た

土教

にお け る

たな解明を も た らす

資 料になること と思わ れ る。 E1) 湛 然 Fr卜観輔 行 弘 決t 巻

二 (大

IE46

182下)。 〔2:1

 

r

部 経 ) 名称法 然選択 本願 念 仏 集』 (大

rE83・1

下)か らといわ れる

親 鷽 『 西方 指南抄」 巻 上 (大  1

L

83 ・849

中下)参 照

〔3} 中国浄± 教を三流 (慧 遠 流

善 導流

慈愍流)に分類す るのは 法然 (『選択 本 願 念 仏 集 』大

fE83・2

下)か らで あ

 

後の諸 先 師がそ れを 特徴づ けた

中 国においては

む しろ慧 遠の自蓮 社の 遺 風 を継い で 発 展 し た蓮 宗の系譜と

 

して考 え られ て お り

従っ て中国浄 土 教は多様 性 とい う点で特徴が あっ た。 『 楽 邦文類』 巻三 (大 [

E47 ・

192中

193

 

下)

祖 統 紀 』 巻 二 六 (大IE49

・260

265 ヒ}

小 笠賑宜秀 『 中国近 世浄+教の研 究』 pp

 173

〜185.

参 照

ま た

 

中国浄土教の様々 な 行 業につ いて は

道端良秀 『唐 代 』pp

190

〜197、

拙 稿 「 中国にお け る密 教 系浄

t

 

思想」 (『印仏 研』 第19巻 第2号)参照。

C41

藤田宏達 「原始 浄土思 想の研究』 pp

136

164

(5) 第=

章第二節 第二項 参照

料 篇

       

 

教 関係 疑経 典

用 語

 

そこで

ず本稿

で用 い る

浄土教 関 係 疑 経 典

とい う用 語 につ い て

従 来こ うし た 用 語 は

使

わ れ て い と思わ れ るので

、考察

する必 要があ ろ う。 こ の 言

は じ め に指 摘し た 二っ の研 究 分 野に

る用 語である が

夫々 の研 究 分 野で の 用 語につ い て 、 従 来の用 法

辿っ て みよう。 第

_

訳紕 経 典の研 究 分野で

そ うした経 論 を

し た名 称 を 挙げ る と

〔11 『楽 邦 文 類 』 宗 暁 『

t

憑 経 論 章 疏 目録 』 長 西 『 阿

陀 イム説 材こ』

 

継成 「 傍 説 浄 土教経 論 集』 浄土宗

典 刊 行 会 「思 想言 及 す経 論 」 藤田宏 達 『

要 集 』 源 信 『蓮 門類 聚 経 籍

』 文 雄 「 傍明浄土の経」 望月信 亨 「

経 論 表 」 矢 吹 慶 輝 など が 用い れ てい る。 こ の

中、

近 代 以 降の 用 語 に つ いて 考え れば

 

傍 明

或い は

傍 説

の 用 語 は 明 らかに正

依 ・

E

明 の

浄土三 部経〉 を前 提 とし た ものであり

 

漢 訳 浄土経 論

の 用 法 は そ の 表 を見 る限り

阿 弥 陀 仏

極 楽

或い は その 異 称

を記 述す る漢 訳 経 論 を 意 味 してい る。 し か し

(3)

浄土 教 関係 疑 経 典の研究

 

一一

99

な がら

、本

稿の

図 す る ところは、

傍依 ・傍

明 と して の

来 指

さ れ てい ない

経典

を扱 うわ け で はない し

、疑経典

を 考え る点で は

とい う用 語は

然の ことで あ り

その

意味

で は、 い

れ も本

稿

する 用語で はない 従っ て

最 新の ミ

思 想

弥陀

極 楽

或い はその異 称

に言 及 する経 謙 とい う藤

士の 表現 が最 も適 切 と思わ れ る。 し か し、 以下の考 察で指

さ れ る ように

本 稿で取 上 げ る経 典 は厳

な 意 味 での阿

弥陀

極 楽 等の み の

土思

及 する経 典に は と ど まら ない

本稿

摘す る経 典に は浄上思

に言 及しない 経

ま れてい る。

fm

っ て

こ こ では そ うした

土思 想に

及し ない 経 典 も

めた 浄 土 教に関 係 する経 典 とい う意

浄 土 教 関

経 典

とい う 表 現 を とっ たのである

 

第二 に

、疑経

研 究の分野で の用語にっ い て 考 えて みる と

ず中

国において

述され た 諸 経 録の 用 語が挙

られ る。 そこ で は

 

疑経 ・偽撰 ・

全 非 経 愚 人

妄称

・衆

疑惑 ・

経偽

偽 経

疑 惑

再詳 ・

疑 妄 乱

な どの用 語が用い られ てい る。 次に、 日本の浄七教 関 係 目

では

 

偽 妄 録 」 長 西

       

「 偽

真類

」 文 雄 とい う名

が 使わ れてい る。

 

更に近 代の 経

研 究

の用法で は

 

疑 偽 経

雑 経 疑 偽

異 経

偽 経

・疑

・偽

など

、従来

の疑 経 録の名 称に準 拠 して用い て お り

その

疑 偽 経

とい う用 語が多い

また

最 近の 諸 論 文 で は

ほ ぼ

とい

で統

よ う 。 そこで

こ のよ うに

々 に用 い ら れてい る疑 経 典の概 念で あ るが

こ の 分 野で 多 くの

業績 を

残さ れた望 月

亨博

士の

につ い

明に よ る と sN 偽 経 と称せ られ るものは全 く

梵本

か らの翻 訳で な く、

支那

け る

事 者の

妄作

に係る もの をい ひ

疑 経 と は

真偽

未詳

の もの で、 必 ず しも皆 支 那 撰 述 と断 定 す ることは

来ぬ。

とい うこ と で あ り、

して

と して

使

わ れ る場 合は、 支 那 撰 述

・真

偽 未 詳 を 含め た印 度 撰 述の疑わ しい 経 典 とい うことに な る。 し か しなが ら、 次

で指

さ れ る よ うに、

本稿

で取 挙 げる経

従来

用い られてい る

密 な意 味で の印 度 撰

の疑わ しい

疑 経

だけには 限 ら ない。 本

稿

で も

も と よ り

、浄

土教 に

及 す る印 度 撰 述の疑 わ しい経 典が主 要で はあ るが

その或 る数 部に は

明らか に

経で あっ て

印 度で は浄土思 想

予 想 しなか っ たにも

わら

ず、中国

土教

に とっ て

土教 経

と解

さ れ

された経 典

IE

確には 疑

土思

の経 典 も含 ま れる

しか しながら、 こ う した

容 を 持っ 経 典 につ い て

、殊更 〈

浄 土 教 関

典〉

とい 用語

使 うこと は

、従

来全 く

さ れ てい ない し

、本稿

におい も それ らの

め る比 重はそれ

程大

きくはない こ こで は

そ うし た広い

経 典

とい う表 現 を用い る点 を注 意 するに と どめ る。

 

疑 経 研 究の分 野におい て

次に考 慮 すべ 、 現 存 疑 経 典

或い は

経 録に

る疑 経

の研 究 だけに限 らず、 所

謂 〈

c5) の研 究 も

ま れ ること で あ る。 それ らは

今 日 その 全

うこ と の 来ない

教の 諸典籍に

部が引 証 さ れて 知 ら れてい る経典であ るが

その多 くは

佚 疑経 と して

摘 されてい る 以外に現存 経 典の異

部 分と予 想 さ れ るもの も認められ る。 また、 こ うし た

性格

を 有 する

佚 経の には

従 来 指 摘されてい 浄 土思想 に言及 す るもの も 新たに認め ら れ るの で あ る。 本

稿

で検 討 する疑 経 典の 中に は

そ れ らの古 佚 経 も

めて論 考 するこ とに し たい

 

以上、

浄 土 経

典〉

、 〈

疑 経典

の二つ の 研 究 分 野につ い て の概 念

用法 を辿 っ て み た。

来の これ らの用 法か ら受 ける

浄土教 関 係

経 典

の概 念は

、〈

阿 弥 陀仏

(或 い は そ の異 称

に言

(4)

100

柴 目ー 泰 及 する印 度 撰 述の疑 わしい 経 典

とい こ とに な ろ う。 本 稿で も

そ う した経

の研 究 が

心 で は ある が

す で に

摘 し た よ うに

次章 以 降で取 挙 げ ら れる経 典に は

弥 陀

・極

楽に

及しない 経 典

、或

い は印 度におい て浄上思 想 を 意 味 しなか っ た にも

ず、中

国 以 降に

+思 想 と 考 え られ た

経 も広い 意 味で含 ま れる。 また

、〈

疑経典

の概 念で も

な 意 味での印 度 撰 述の疑わ しい 経 典の み に限ら

ず、所

古佚

に認め られ る或 る真 経の異 本 な ど も考 慮 される。 その

々 の経 典 につ い ては

次 章 以 降で立 証 される で あ ろ う。 ll)

々の典 拠につ いて は

次章参照

12:1 諸 経 録

並 びその出 典 個 所つ いては

すで に経 録 研究論文に お いて屡々指 摘さ れてい る から

こ こでは註記   し ない   ま た

中国に おい て厖大に訳 出された経 典の中に は

或る時代にす でに訳者の不 明 な 経 典

大 部の経 典 を抄 略 し  た もの

全 くその存 在 が闕けた経 典 も 多数 認め られ

それ らの中には

撰 者の指 摘通 りの経 典 以外に真偽未詳

疑   義の有 する経 典 も指 摘されている。 そう した経 典 を 考慮 すれば

失 訳雑 経

失 訳 経

古 異 経

異 訳経

別 訳経

別  牛経

抄経

闕 本経 などの用 語 も広 い意 昧 で 疑 経 研究の分 野 に含 ま ることにな る

{3

1 た と え ば

 小 野 玄 妙 「録 外 経 典 考 」 (「

f

!、書解 説大 辞典」 第 十二 巻所収 昭

11

年 )

 

常盤 大 定 『

響趨

る訳経総録s 昭

13

 

林屋友次 郎 『経録研究』前編

 

昭16 年。

   

  

『異訳 経究 』 昭

20

年。

 

望月 信亨 「異 経 及疑 偽 経 論 の研 究」

 

(『仏 教 経 典 成 立 史 論』所収

 

昭21年 )

 牧田諦 亮 「 中国仏 教に おけ る疑経研 究 序 説、 ( 『 東方学 報』 京都

35

 昭

39

年)。

  

  

「松 誉 厳的疑 経 観 」 ( 『

鷲雛

浄」:教の思 想 と 文化』 所 収

 

昭47年〉

 な ど

更に個々の経 典につ い て の諸 研 究 を 考 え れ ば

多 くの諸 論 文に認 め ら れるが

こ こ で は指 摘 し ない   就中

疑経 研 究の諸論考は第二章第 二節 第二 項参照。 〔4〕 望月 信亨 『諸 研 』 p

150n

なお望

lj

博 士の研 究につ い て は

次章で指 摘 する

〔5}

 

(古 佚経〉の名 称は

望月信 亨 『仏教史の諸研究』 pp

124以下に依る。 常盤大 定博士は 〈逸 存 経 典〉 ( 『

1

 

訳 経 総録』 pp

258以 下 )

林 屋 友 次 郎 博十は 〈逸存 経

別 存 経〉 (『経 録 研究』前編pp

192以下)な ど を 用い て いる。  牧円諦亮 博士は

こ う し た諸 典 籍に認められ る経典 も含め て 〈疑 経 〉 を取 扱わ れ る

(「 中国仏 教にお け る 疑 経 研究

 

序 説」pp

338

344

345etc

    なお

  ぐ古佚 経 〉にっ いて は

次 章参 照

章 関係資料

研 究

節 

 

 資 料

第一

 

大 正

蔵経 ・

蔵経 ・

な ど

 

定し た

浄土

疑 経 典

の研 究におい て

最 初に 問 題になる諸 資 料で ある が

今日

わ れ わ れが容 易に披見 しう るまと まっ た資 料と して は

正蔵 経 〉

 

〈続 蔵経〉

 

埠 文 献

が ある

 

その

中、

正蔵 経

1420

部につ い ては殆ん ど が真経 と して収 録 さ れ た経 典と考 え られてい るが

しか しその数 部は す でに経 典研究の分 野で疑 義が

さ れて お り(

V

更にその中には浄土思 想に言 及 す る経 典 も含ま れてい る。 ま た

今日疑義の無い と さ れてい る真 経にっ い て も言 及された

土思 想に 限り、 問題の あ る経 典

た と え ば附加

入 な ど

も 考えら れる

但 し

、〈

大正

経 〉 す べ て につ いて の 検 討は 不 可能で あり

こ こ で は すで に指 摘されて い る経 典

かつ て

土経 典 と 見做 さ れたが藤田 博士

覧 表

では削 除さ れ た経 典

更に そ れ らとの関 係経典に限っ て摘 出す るに とどめ る。

(5)

浄土 教関係 疑 経 典の研究

 

(う

101

 

次に

続蔵経〉

にっ いて

えば、

未 収 経 典 が 主に第

一輯

第三

第五冊

第八七

套 第

四 冊

第二編 乙 第二三 套 第 四 冊 等に四 〇 余

め られてい る。 その

で も 『無 量

寿

名号利

益 大

事 因

縁 経』 康 僧 鎧 訳

『十 往生 阿

陀 仏

経』 な ど

13

部 に は浄土思 想 が

め ら れ

そ うした

には

土 教 研 究 資

と して は極め て重

経 典 も

ま れ てい る  。

 

三 に指

さ れ る

敦 煌 文 献

にっ いて は

大 正 蔵 第 八 十 五 巻 疑 似

に主 要 な経

め られ

その 中にも

土思 想 に言及する疑 経

数 多 く

め ら れ る。 それ らの敦

経 典にっ い て は矢 吹 慶 輝 博 士 『鳴 沙 余韻 解

』 に殆ん ど説 明さ れ てい るが

本稿で は更に

筆者

の披 見 し え たス タイン影 印

に限 り、 その原 本

校正本

更に敦 煌 目録に よ る諸

写本

を 検 索 し た (

1

〕 ま た

ス タイン

に関 し て は

Lionel

 

Giles

Descriptive

 

Catalogue

 of the 

Chinese

 

Manuscripts

 from 

Tunhuang

 

in

 

the

British

 

Museum .

London

 

1957.

が あ り

ズ はの分

に際 して

Other

 uncanonical  sUtras  

No.

5145− 5205,

Apocryphal

 sUtras  

No.

5206

− 5472

, 

Unidentified

 

fragments

 of apocryphal  sUtas

No

5473− 5486

と計

342

部の

未収

蔵 経、 疑 経

不 明 疑 経 断 片 を

摘 して い る

cl

} それ らの 中には

正 蔵 第八

五巻

収の経 典

或い 大 正 蔵

原本

に は欠 けて お

首 尾

依 り)

、他

写本

に よ っ て知 ら れ る

土思

に言 及す る疑 経

め られ る。 そ して、 逆にその

土思

によっ て ジャ イルズ が 不 明 とし た断 片 も経

明 する場

も ある。

 

以 上が今日 わ れ わ れが

易に検

し うる現

疑 経 典の第

であるが

、第

二 に考 え ら れる資

と し て は、 今 日

散逸

してその全 体 を知 るこ と は

来 ない が

諸典籍

に 引 用された

部分

によ っ て

そこ に

土思

が言及 されて い る所 謂

佚 経

が ある。

佚 経

につ い て、 最

も多

くわ れ わ れ に資

料 を提

供 して くれる典

  

』 五 〇 巻

 

宝唱

      

『法 苑 珠 林

 

道 世 撰

  

集』 二〇 巻

 

唐 道 世 集

       

『釈 氏 六 帖 四 巻

 

五 代 義 楚 撰(5) など で あり

す でに望 月 信亨

・常

盤 大 定

士等に よっ て その総

的 研 究は

さ れ て い る

、 そ れ らの

々 につ い

る と

新 た教 関 係 疑 経 典 と 予想さ れ る もの が認 め ら れる。 ただ し、 こ うし た

佚 経の

には 厳

に は

疑経

典では 無 く

或る経 典の同 本 異 訳 経 、

い は 経 録には無 い改 変 され、 取 意

略 出

の経 典 も認め ら れ

その点 注

意 を要

する が

こ こで は広 義疑 経

うこと にする(6

〔1) 望月 信亨 『 教の起原 及 発 達』 第四章

 

支那 撰 述の疑 偽経 pp

133

−−

257

で は

九部の経 典 を考 証 さ れ

更に 『 戴 硬 論・ 黼 異綴 礙 偽経 論の研究 ,P

・299Ll/

T

に紳 て

・千臂千鑼 殊室利 経、 金 剛智讃

 

加えて再 論 される。 ま た同書 「 異経 及疑 偽 経 表」 pp

 

315〜339

う ち

IF蔵 経経 部 第 二 十

巻 迄 収め ら れ て  い る経 典は

8

部で あ る

〔2} 〈縮 〉 所 収 中

大 臓 未 収撒 のみ を扱・ た 研究は ない

13

うち

と く1、

 

国 撰 述疑 経典は敦 煌 写 経と密接な関 係 を有 す る が

そ れ らにつ い て は 研 究 篇 〉指 摘 す

〔3〕 従・ て

ペ リ わ 北 躰 をは じめ調 人戸職

大 学 臓 つ ・・て 瞰 き な か 。 た

本 脱髄 後 北京 影 躰 喇 敦 圃 が北 大 図 書 館に入 庫 し た

北 大 黻 蜘 宏囀 士の

1

卸好 意によ り

後日 検索 し

ま と める   ことに したい

(4> 王重民 『敦煌遺書 総 目 索 引』 附 録

一、

Giles: 博物館 蔵 敦 煌 巻子 分類総目 (p

 

493.

で は

 apocryphal  sUtras を偽経

U・iden・

ifi

d

 f・・g・ ・ ・

f

・p・cryph ・l s ・・t… を其 他不 明 偽 経 と訳 して 斌 本稿で

1

揃 章で 騾

 した 如 く <疑 経〉と訳す

  

ジャ イルズ目録に は

更にE・1・gi・ ・ (讃 文)N・

6101・

62・8

 

P

・ay … (驪 文 )・。

6248

−−

6506の写 本 が あり

そ の中に胴 弥 陀 仏

驟 等につ ・・て の讃 文

祈 黻

(とくに ・・ A・… bh・  and ・

S

kh

(6)

102

柴     田 泰   多く認められ る

こ う した 資 料につ い て は適宜関 説 する が

号「教 関 係 敦 煌 資 料 として考察す る

P

定 で あ る 。  なお

そ う した資 料の概 要に つ い て は拙 稿 「⊥ 教 関係 敦 煌 写 経i こ関 す る二

三の問 題」 〔『宗教 研究』 第218 虜  参照。 (

5

 

「釈氏 六帖』 は披見出来 な かっ た

Lt

 

常盤 大 定博十 による と

古 佚 十二遊 経に 「

阿 弥 陀∬冷 宝応声 吉 祥二菩 薩

 

」 の記 述が指 摘 さ れて いる

 

( 『

難愨

る訳 経総録』 pp

316

349)

6

稿で扱 う古 佚経に限っ て は

その引 証文の中に阿 弥陀仏

極 楽の記 述 が 認めら れるものの み を 対象とし たい

 この点 は 現存経 典 と扱いは異な る

第二

項 

証 経 典 概 観 (

1

 

項の

蔵経 ・続

蔵 経

・敦

煌 文献に収 め られ た現

疑 経 典

・古佚経

浄 土 思 想に言 及 す る経 典の検

が本稿の 第

の 資

になる わ けだが 第二 に

それ らの依 用

・流

布とい う点と関連 し て

、中国 ・

浄 土 教 史 上 代 表 的 典 籍の

で の取

或い は重 要な比 重 を

め て解 釈さ れ

浄土 思 想と 見

さ れ た経典を考 える必要 が あ ろ う。

土教 典 籍における引 証 経 典の

に は、 以下に指 摘 す る よ うに阿 弥 陀 仏

に言 及 してい ない の もあ る が

今日

L

思 想に言 及す る経

論〉

と査 定 され てい

実 際には浄 上 教

にとっ て 全 く依

lll

さ れ た

の無い 経

1} に較べ る な らば

ら は、 は るか に

十教

ヒ重

な経

である。

 

そこ

、中

につ い て考える と意 図 的に浄 土 経 典 を 集録 し た もの は

楽邦

』 が挙 げら れ る程 度で他に は認められない         t

 

以下、

中国

浄 土 教 史

L

代 表 的 典

の概

を 辿る と、 その 最 初 期の高僧 と して廬 山 慧

遠 (

334〜416

また 日本 浄

L

教に大き な影 響 を与え た点での最

の 高僧 曇 鸞

476 〜542 )

につ い て は、 前 者は 「

舟 三 昧 経』 による定 中 見 仏

後者

は主 著 『浄 土 論 註』 に引 証 さ れ る 『無 量

寿

経』 『観無量 寿 経』 『十

婆沙 (

)』

 

『大

度 論』 等 が指

さ れ る が

13

) 本稿 に関 係 する経

は認め られない

 

浄+教 関 係 疑 経 典にっ いて

、中国

浄 土 教 史 上

最初 に注 目さ れ る典 籍は道 綽

562〜

645

の 『

楽 集

』 であ ろ う。 「観 無 量

寿

』 の綱

書とも言 わ れてい る

書は

ま た

引証

経 論の多い こ とで も 知 ら れてい るが

そ うした

に は以 下の疑 経 典

・古佚

経が

げ ら れてい る。

 

方 随 願 往 生 経

 

「十

生経』

 

『浄 度 菩

経』

 

『目 連

問経』

 

『惟 無 三 味 経』

 

弥 四 域 経』

 

王 皇 帝 尊 経 』 これ らの疑 経 典

・古佚

経は

単に

十教 典

に お け る最初 と して価 値が あ るだけ で な く

、後

に指

する ように疑 経研究の分 野に おい て

t

,最 初 期に 当る経

と し て

しば し ば取 上 げら れ る もの であ り

その 点で も 『安楽 集』 は貴 重な資料を提供 し て い る。

 

の影

響 を

多く受けた とい わ れ る迦 才の 『

士論』 に は

1

? ’  

h

教 所 依の経 論と して

 

卜二経 七 論

が 「 第五 引聖教為 証」 に挙 げら れて い るが

その

の 『十 方 往 生 経

『潅

随 願 往 生 十 方

土 経』

X

『藥 師経』

潅頂抜除

過 罪生死 得 度 経』)は経 典自 体 も浄土思 想の 記 述も疑 義のあ る経 典である。

 

浄 土教に最

t

,大 きな影

を 与え た善

導 (

613

681

五部 九巻 〉にっ い て は、 古 今 楷 定の 『観 経 四 帖 疏』 を 挙 げる まで も な く

量 寿 経 』 を筆 頭に 〈浄土三 部 経

心 で あ る が

意 図 的に浄土諸経 論 を 集 録す る記 述は無い しか し

こ うした引 証 経 論の中には、 『観 念 法 門 』に『十 往 生 経』 r浄

昧 経』 r憮 三 嚇 呈、、 また ・

・ にも 『+ 往 生 糸蚤・ の

臑 め られ

善 導の場合に は

こ の よ うにそれ程 引証 経典の 本

稿

で 問題にする比 重は大きくは ない が

む し ろ、

(7)

浄 t

教 関 係疑経 典の研究 (

103

浄 土

に与え た

影響

に よ り、 数

い 註

釈 書

に、 しばしばこれ

経典 を含

め た

見 解 が

め られ る点に特 徴が あ る とい え よ う

 

善 導の弟 子 懐 感

懐 憚に よっ て撰 述 さ れ た 『

浄 上二

』 七 巻 は

その 当

までの

土教に関 する多 くの疑 難に対し て法 相 系の立

で解

し た もの とい わ れ る。 その巻 七に

 

H

学 浄十

業者、

既 行 念 仏三昧。 未 知 此 法 定 有 何 教。 今 諸 方 道 俗 多生 疑 惑

将 無 聖 教

偽行

 

、誘

引 凡 愚

増 誹 謗

請 陳 至 教 以

疑 網c71 とい う問があ る

こ の 間 は浄 土 教所

の経 論

的に

ねた わ け で はな く、 } 現 今の浄

ヒの行 業 を 学ぶ者は既に念 仏 三 昧 を行っ てい る が 、 そ れが何 教に

る か陳べ よミ と

土の行 業は念 仏 三 昧で あ るとい う前

に立っ て

その所

典を

問 うあ るが

と し て

 

釈 口。 諸 大

経 説 此三

文極衆

。 如華 厳 経 数 処 皆 説念 仏 三

、 其 文

広。 及 湿 槃 経

観 仏 三 昧

 

・賢護 ・般舟

昧 ・

観 経

・鼓音

声 王

大 集 月蔵

分 ・

十 輪 経

察 経

般 若

・花首

 

大智

論等

説Q

……

。 と経 典

引 証 する。 とこ ろがこ の

『 地 蔵 十 輪 経』

 

占察

経』

 

『文 殊

若 経』

 

『花 首 経』 は

信 仰

・一

行 三

思想 などの代 表 的 経 典 と して

中国

仏 教史の上で極めて 重

で は あ る が

具 体 的に は 浄 土 思 想の説か れ ない経 典で あ る。

 

中国浄

十教にお け る善

流の

れ は

唐 代 後 期以

降、

宗融合

の風

に染っ て い くが

そ う した 融

土教の 先駆

と考えられ てい の が慈 愍三

蔵 慧

日 (

680

−一

 

748

あ る

日の

土教の特 色は浄土往 牛の

の行

すべ を 兼

す る っ た故

その 意

で 多 くの経 論 を

証 する と予 想されるが

す る 『往 生 浄 土

』 巻 上だ け で は窺えない(

ξ

) た だ、

述の 意 図は慧日自か ら、

 

初巻 先

異 見 以 教及 理逐 遣 知 非。 次 第二巻 広 引聖教 成 立 浄 土 念 仏正

次 第 三 巻

会釈 諸

今 疑

 

校 量 諸 行 出離 遅 疾

と述べ る如 く、

二巻に広 く聖 教が引か れ てい た と 思 わ れ る が欠 除 し て窺えな 。 更に慈

流の

土教は承 遠

法照

或い は飛

錫 等を

経て

明延

寿 (

904〜

975

に 至 り

、宋

代 以 降の融

的 浄土教へ と展開 さ れ る が

そ う し た代表的

教 家

述の中に は、 すで に取 上 げ た

引証

は あっ て も、 新た な意 図 的に浄 土

所依

の経 典 と 見做 し たもの

経は認 め ら れ ない よ うで ある

ま た

それ以

の浄 土 教 典

で も 引

い こ と で知 られ ている 『

西

合論

 

指帰集

』 な ど を検

して も、 疑 経 典 とい う点で特 筆 すべ きこ と は認 め ら れ ない

ae

 

そ うした

で、 初めに指 摘 した 石 芝 宗 暁

1171〜

1214

の 『楽 邦 文

』 五巻

1200

楽 邦に関 する轍

献 臆

図 的に編 集 し た もの と して

と くに経 呪 謙

収録

して・・る 点特 筆 す

の で ある。

 

書 巻

には

「 大 蔵 専 談

土経 論 目録」 と し て

経 典

46

数、 呪

10

、論

6

数 を 挙 げ 経 典に関 して は 『 無 量

寿

経』

1

〔個

 

『 観 無 量 寿 経』

6

所が圧 倒的 に多い が、 そ うし た中で、

日浄 土 経 典 とされ て 、 或 いは古 佚 経が挙 げら れて い る 更に

暁は その い く か に諸 先 師

釈、

或い は出典

自釈 を附記し て

その摘 出 意図 を 明 らかに してい る。 ここで それ らの経

と宗 暁の

出理 由 を 挙 げるとω、

 

『 文 殊

若 経』

 

行 三

昧専称

仏 名

   

天台 止 観云 、

……

   

車甫行

・攤 不 齢 向西 方

既 令

仏 言

鐓 所讃

多 在

5

方 而 為

_

(8)

104

柴     旧 泰

 

経』

  娑婆

西方

 

大 集蔵 経

 

念 仏 随 心

見大 小

   

此 経 所明念 仏

雖不定

指西

糲 見慈 雲 孅

i

三念 仏 方 法

引 証 念 仏 大 小 之 義

故 此 録

彼 文

    者、

知 経 始 末。

 

『 日連 所 問 経」

 

無 量

寿

国 易

易 取

 

卜往

 

念 仏 之人

薩 守

 

善 信摩親 経

 

信厭

生浄土

婢驚

 

守護国

界 主 経」

 

命 終 善 悪 感 報 優 劣

       

である。 こ の中

『 文 殊

般若

経』

一一

行三昧

の思 想は、

暁の

摘に

る ま で も な く

訶 止

に述べ ら れ る

種 三 昧 〉

常坐 三 昧

の典 拠 として知 られ る ば か りで な く

初期禅 宗 史の 上で も重 要 な 思

である

 

ところが

、中国浄

fl

教 史の上で 耄、そこに述べ られる 「専 称 名 字

は道 綽の 『安楽 集」1 をは じめ として ほとん どすべ ての典

に重

な比 重

を占

め て

引証

されてい るの であ り

   

その

で (,善

によっ て 「往 生 礼 讃 におい て 「 又如 文 殊

若 云

行 三 昧

、唯

勧、 独 処 空 閑

捨 諸 乱 意

係 心

不 観 相

貌、専称

名 字

即 於 念

中、

得見彼阿

陀 仏及

切仏 等。 閥 日

何 故 不

令作

直 遣 専 称 名

有 何 意 也n

乃由

、……

観 難 成 就 也。 是以大 聖 悲 憐

称 名

字.

正 出 称 名 易 故

続 即生

〔14}と阿 弥 陀 仏へ の 称 名 念 仏 と

通さ れ た こと は

、古

無 観

と言わ れ る観

想 ・

観心0)仏 か ら

称 名

念 仏へ 崚 別 れた重 要 な

典 拠 とし て知ら れ る点で ある。

 

『 文

般 若 経』 の念 仏は あ くまで も十 方 諸仏 の

あ り

過 現 未 来 三 世

仏、 を 見るこ と であっ たが

善 導がこ の よ うに解 釈 し、 或い は

然 に よ っ て も } 経に

西

方に局 ら

と雖 も、

教の讃 ずる所 多 く弥 陀に在 り。 故に西 方

以て

“ と解 釈 され たの で あ り

宗 暁 もわ ぎわざ それ

を援

用 して浄 土 経 典と見做 したので ある。 この よ うに {「 文

殊般若繊

につ い て の

中国

仏 教

の 理解 を辿れば

こ の経典 は

中国

仏教全

に おい て主 要 な役 割 を 有 し た 経典で あ る ば か りで な く

そこに は阿 弥 陀 仏の語が認 め られない にも

、 浄 土 教

に とっ て

土所

の経

と考えら れてい た こ とが知ら れ るc

ただ

こ う した経 典の

い は

夫々 の浄 土教家の引 用 経 論 とい う研 究 分野に人 っ て くる の であり

、本稿

で は とくに著 述 者 自身が浄⊥経 典 と 明 白に意 図 し た も の に 限っ た が

既に指 摘 し た よ うに浄

i

激 徒の依 用の点 を 考 慮 するな らば 単に阿 弥 陀 仏

の記 述が あ る とい うだけ で取 ヒ

られてい る多 数の浄 土 経 典よ りも

は る か に多大な影 響 を 与 えた経 典で あ る

そして これ らの経 典 につ い ての研 究は モ阿

陀 仏

極 楽に言 及 する経 典 とい う従 来の

漢 訳 浄土経 典

の概 念 を超 えて

、 〈

浄土経 典

の研 究 を進めなけ れば単 なる経

だけの研究にと ど ま り

そ うした経 典 を依 り どこ ろ と して 多様に展 開 し た 生 き た

中国

浄七教の 解明に は な ら ない こ とを 意 昧 し てい る

 

浄土思 想に言 及 してい ない 『大 集日蔵 経』 を挙 げるの も同 じ理 由で あ る。 宗 暁は 「 雖不定 指 西 方」 と

わ り な が ら

、遵

式の 「念 仏 方 法」 {IS を 引 証 と して挙 げてい る

護 国 界 主経』

二つ い ても 同 様 の こ と がい えよ う. 『随 願 往 生 経 』 「目連 所 問経』 『十往 牛 経』 はすで に 『安楽 集』 等に引 証 さ れ てお り、 『

信 摩 親 経 』 も 〈古 佚 経

と して知 ら れ るもので あ る。

 

本 稿に 関 係 する疑 経 典の引証 とい う点

考慮 しなが ら

中 国 浄 七 教典 籍の 引証 経 典につ い て の概 要 を 辿っ た が

更に

古 佚 経

の 引証 とい う点で留 意さ れる

一一

典 籍 を挙 げる と 、 『安 楽 道』 元暁 撰に 『弥 勒 発 問 経』 を 引証 して 「 爾 時 弥 勒 菩 薩 白 言

如 仏 所 説 阿 弥 陀仏 功

利 益

若 能 十

(9)

浄土 教関係 疑 経 典の研 究 (

105

念 相

念 彼 仏 者

即 得

当 云 何 念。 仏 言

、……、

即得 往 生 安

国土

、有

凡十 念、 何

等為十

……、

」 ae とい う 記述 があ る。 ま た 『

西

方 要 決

基撰 (

にも 「

弥勒

問 経 云

念 仏 者 非凡愚 念、 不 雑 結 使 念、 得 生 弥 陀

」   と あ る。 し か し く弥 勒 経 類

には

土 思想は言 及 さ れてい これが

の 引

で ある が、

引証者

作為

によ るか、 とり わけ 『 西 方

決』 を

め た基 撰と される

連の

土教 典

義が あ る〔

また

基撰

と さ れ る 『

陀 経 疏 』 には 『 目連 問経』 の 引証 があ り

 

現存 『目連 所 問経』 と は 相 応 しない だ けに

古佚

引証

の点で

異 な典

で ある。

 

以上

、中国

浄十教 典 籍の 引証 経 典 にっ い て

、従

」二経

摘されてい 経 典

意 して

えた が

、一

々 の経 典の 考 証にっ い て は

摘 するこ と に して、 結 論 的に言 えば

意 図 的に

土 経 典 を集 録 したものは『楽 邦 文 類』位で あ り

他には認め ら れ ない。 個々 の典 籍に関し て言 えば

の 『安 楽 集』 が単 に

中国

浄 土 教 史の

k

で の み な らず

疑 経 研 究の分 野で も最 初 期の

古佚

証 する点で極め て 重

著述

で あ り

、更

に 『浄 土 論』

 

『釈 浄 土 群 疑 論』

 

『西 方

論』 等に挙

の数 部の経 典

日本 浄土教へ 影 響 を考 えるな らば

導の 「

礼讃

 

念 法 門』 に認め られる 引証 経 典の理解が

意 さ れ る と

るで あ ろう。 〔1) た と え ば

今 日査定さ れ てい る大正蔵 所 収の浄土思想に言 及 する経典

266

部の 中

135部と半数 以 ヒは密教経 典で  あ る 〔藤

LLI

宏 達 「土 思 』 pp

138〜139

しか し

そ れ らの密教 経典のすべ てを浄 土教徒が依用 し た   とは認 め 難いu 拙稿 H 中 国にお け る密 教系浄土 思想

(「印 仏研』 第19巻 第2号)参照。     「

r

蔵 記 集 』 巻

.一

「梁 高僧伝」 巻 六

「 念仏 三昧詩集 序」〔『広弘明菊 巻 三〇所収〉、 『大 乗 大義章 』第

11

など。   な お

藤 吉慈 海 「 慧 遠の浄土 教 思想

(「 慧 遠 研 究』 研 究篇)参照。 (

3

} た と えば

〈難 易二 道〉 〈八番問答〉(大 正

40 ・826

、833

ト以下)な ど、、 な お

『 阿 弥陀 経」 は 「舎衛 國 所 説無量 寿

 

経」(

827

中 )として 引 用 する

真 宗教 学 研究 所編 「浄+論 註 総索 引J 参照

 

引 用経 論につ いて は

山本 仏 骨道 綽 教 学の研 究』 pp

78〜

蹄参 照

(5)  〈十二 経 七 論〉とは

無量寿経

観経

小 弥 陀 経

鼓音 声 王経

称 揚 諸 仏 功 徳 経

発覚 浄心経

大 集 経

十 方 往  生 経

薬師経

般舟 経

大阿 弥 陀 経

無 量清 浄 覚経

往 生 論

起 信 論

十住 毘 婆 娑 論

弥 陀 偈

宝 性 論

龍樹 十二  礼

摂 大 乗 論 〔大 IF

47

・91

〜97

上)

  

な お

『 浄上 論」 の 引用 経 論につ いては

名畑 応順 「迦 才

』 論攷篇pp

43

52

末 尾「引用 経 論

覧」   参照

〔6) 大 正

47 ・24

25

中下

28

中。

447

下。 〔7} 大rE47

73中。 (8)

 

往 生浄 』 巻 上に認め ら れ る 引証 経 典にっ いて は

拙 稿 [ 慈愍三蔵慧日 に関する 二

二の 問題」 (『印仏研』   第17巻 第2号) 参照

〔9) 大正

85 ・1236

〔10) た と えば

 

『 西 方合論』 明袁 宏道 撰 (大

M47 ・395

398下 )に浄上所 依の経 典 を経緯四類 して 代表的 経典 を 引   証 する が

新しい摘 出は無い

〔11〕 大 正47

150上

157下

160上

161中

(12)  「 楞 伽 師 資記』 に四祖道 信 (驂0

651)の思 想 と して

   

要依 楞伽 経

諸仏心 第一 又依文殊 説 般 若経

、一一

行 三 味

即 念 仏 心 是 仏

妄 念是凡 夫。(大 正85

・1286

下 )。

 

とい う記述が 知 ら れ てい る。 道信の念 仏に対 する 理解は 〈坐禅 観心〉 として の念 仏で あ り

浄土教と くに善 導の称

 

名 と は 全 く異 なる。 な お

初 期禅 宗につ い ての 研究は 宇井 伯 寿

鈴 木 大 拙

関凵真 大博士

柳田聖山 教 授等非常に  多い

々挙げない

柳田聖山 「 初 期 禅宗史 書の研 究』 「文献 索 り

1

1 参 照

13

} た と えば

『 安楽集』 巻 ド〔大 止47

14下〕

『釈 浄t群疑 論』 巻 七 (大 正47

73中

X

『念 仏鏡』

 

(大 正47

122

 

上天

 

念仏 三 昧 宝 王 論 』 巻 下 (大正47

142⊥)

『万善岡 帰 集』 巻上 (大正

48 ・962

N

『西方合 論 (大47

(10)

106

柴     囲 泰  3981t)など

14

} 大正

47 ・439P.

な お

 

集諸経 礼懴 儀 』 巻 下 (大 止47

466

ド)参照。

q5

 

1

念仏 方 法

(『 楽 邦 文類」 巻 四 所取

大陀47

210下 }

なお

『大 集 日蔵経」 の こ の個 所がすで に 「釈 浄土 群 疑論』  巻 七 〔大正47

・76

下 }に引証さ れている こ と は

遵 式 自身が指摘 し てい る

 

 

ただ

当該文 は 現存 『 守護 国界主 陀羅 尼 経』 般 若 訳

には相 応しなし  林五邦 訳 『楽 邦 文類』 (『国訳

切 経」 和

 

漠 撰 述50

諸 宗部 七 p

68

)の註に 沃 1Tll9

574

上に相 当こ と ある が極 く

部で あ り疑わ しい

こ の個 所は他に 「蓮  宗宝鑑』巻 八 (大IE47

341

中)にその ま ま 収録され てい る。 なお 「 守 護国界主 陀羅尼経』 の浄

t

思 想 1大 正19

530  下〕 は継成 『説 林 』 巻 四

矢吹慶輝 「 漢訳浄

L

緯 論 表 1

藤田宏逆 「浄

ヒ思想に言及 す る経 論

 〈

覧 表〉にすで に

 

指摘さ れてい る が

そ れ と は異な る

継 磁よ そ れ と は別に 『説林』 巻 七 「楽 邦 文類 所 挙也

而今経無 此文。 恐有 異  本乎

i

と 自 註 して挙げてい る。 第 二章第二 節 第 四 項p

t4L 参 照

IZ

 大]

E47

・114

ド。 なお 元 暁撰 『寿宗 要 』 〔大[

E37 ・

29

上 )の引証も同じで あ る

当該 文の く十 念〉に

 

つ い ては 「無 量寿経』 の ぐ十念〉との関 連 か ら 諸 先師によっ てすで に論 考されて いる

また 『釈 浄 巻 五

 1

ff.

47 ・61−

L

中 )にも『弥 勒 所 問経 』ぐ十 念 〉の引証が あ るが区切 り型に椙違がある。 第三章 第 節 第二項pp

138−

139参照

〔餅 大

i

}:

47

05 。 〔19) 望月信 亨 1慈恩大 師の浄

tz

に関 する菩書及 び 其の所説

 

(『 浄」: 所 月又)

〔20}大 正37

318F

319 

Eo

   

本浄

教典籍

 

中国

浄 土 教 典 籍に認 め られ る以 ヒの 引 証

経典

の概 要に対 し で

それで は 日本におい てはど うで あ ろ う か。

 

日本

土教

の変 遷

み る と き

法 然

親 鸞によっ て開か れ た浄十

宗 ・

浄十真 宗が そ れ 以降 今日 に至る まで 日

仏 教の

で も最 も大きな発 展 を遂 げてい るこ とは 周 知の 通 りで あ る が

それ 故 に

浄 七三 部 経

〉 ・

イン

国 浄土教 典 籍

著 述 等につ い ての

註 解は

枚挙

にい とまがない ほ ど お びただしい

数になっ てい る。 そ うした

でもと くに 『 安

集』 の末 疏

或い は 『安 楽 集』 を

証 する 『 選 択 集』

 

『教 行 信

』 の諸 註 解 をは じめ とし て

、浄

ヒ教 関

疑 経 典の解 釈 も数 多 く認め られ る わ け で あ るが

そ れ らにっ いては 各

経 典の

考証

の際に 必要の ものを

参看

するこ とに し て

こ こ で は意 図 的に

土 経典 を

録 してい る代 表 的 もの の み を取 挙 げる に

め たい

 

その意 味で考 え られ る典

と して

初 期の浄 土 教か ら『

生 要 集』

ま た

土経 典 収

の集 大 成 と し て 『阿

弥陀

林』 を挙げ るこ とには異

ない で あ ろ う。

 

源 信

942

〜1017)

が序 文に おい て …

生 極

之 教

」 の 為に 「聊 集 経 論 要 文 、 と 自か ら意 図し た 『往 生 要 集』 三 巻には

総 数

回に近い経 律 論 疏の引 文が典

と して挙 げられてい る が

その

で もと くに源

自身が ま とめ て挙

た経

と しては

 

大 文 第三

明極 楽 証 拠

と して

迦 才 「浄土論』

 

トニ 経 七 論〉 を引い た後に

 

私加 云

王品

四十

厳 経 普 賢 願

目 連

間経

三千 仏 名 経

無 字 宝 篋 経

千 手陀 羅尼

 

面 経

不 空 羂 索

如 意 輪

随 求

尊 勝

無 垢 浄 光

光明

阿 弥 陀 等 諸顕 密 教

中、

専 勧 極   楽 不 可称 計。 と挙 げ

 

大 文 第 九

明往生諸 行 〉の第

一 〈

明 諸 経

として

 

四 十

華厳

経普 賢 願

三 千 仏 名 経

無 字 宝

経 等 諸 大 乗 経。

随求、尊

勝、 無垢 浄 光

如意

 

力迦

不 空 羂

索 、

光明

阿 弥 陀

及龍 樹 所 感 往 生 浄土等咒。 更に、 『大 阿 弥 陀 経

 

f

生弥陀仏

経』

 

『弥 勒 間 経』

 

『宝

経 第 九

トニ』

 

『観 経』

 

『双 観 経』 の

参照

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