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戦後詩における「死」のイメージ

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Academic year: 2021

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後忌

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現代人の人間的悩みは、その現実性において、前世紀末の個人的 世界苦よりも、はるかに人類の共向性と連帯意識に結びついてい る。その原因はいうまでもなく、今世紀の二つの世界大戦と、現夜 も終らぬ戦争の惨劇、また現代社会の根深い病状に反応する、現代 人の心性にもとづいている。たとえば乙乙にそのような詩がある。 予 感 田 村 隆 一

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::世界の悩みが彼を一個人に追ひ込む世界の悲しみが彼の 両の眼を扶り出す:::乙の二十年間戦争と戦争との間に雨は地 上を濡らしている街はいくども形を変えたそして彼の幼年時 代の記憶の街は ζ の街から拒絶されている e イ 見 : タ 同 ,その男は、わたしの父ではない、それに、わたしの孤独な友人 だというわけでもない.ただわたしは、彼と同じ存在であり、経 験であザーまた共同のイメジをもつものにすぎない。そして、わ たしは彼のように、第一の大戦のとき生れ、第二の大戦できっと 死 ん で し ま っ た の だ . ・ : ・ : : : 週 末 の 夜 の 、 秋 か ら 冬 に か け て 流 れ る 霧 の 中 か ら 彼 が 現 わ れてくるとき、わたしは叫ばずにはいられない、﹁きみはどこか ら 来 た の か ! ﹂ ・

世界の悩み、世界の悲しみが、かれを一個人に追いこむにして も、かれの内部が人間共同のイメージとなるのが、現代という世界 の 特 性 で あ る 。 戦争の犠牲と責任と悔恨、そしてその惨禍!その渦中から死にそ こなって帰ってきた幾多の若い詩人たちの傷口は、一様にその怨 念、その抗議、その悔恨において永久に消すべくもなく共通してい 一 九 四

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年 代 ・ 夏 同 .﹁一九四::年/強烈な太陽と火の蓋の戦線で/おれはな んの現由もなく倒れただが/おれの幻影はまだ生きている﹂/﹁ おれはまだ生きている/死んだのはおれの経験なのだ﹂/:::わ れわれは乙の地上をわれわれの爪でひっかく/星の光りのような 汗を額にうかべながら/われわれはわれわれの死んだ経験を埋葬 す る / わ れ わ れ は わ れ わ れ の 負 傷 し た 幻 影 の 蘇 生 を 夢 み る / : : ・ 彼女の限は崩壊と滅亡だけを憤めてきた人の悲劇的イロニイでみ ちている/:::彼女の批評は都会のなかに沙漠を人間のなかに 死んだ経験を世界のなかに黒い空間を覚醒するそして/われ われのなかにあの未米の傷口を! e とれらの死と米米のイメージは、個人のものであると同時に、わ

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れわれすなわち人類共同のイメージである。それは、次の回想の戦 後 詩 の 一 傑 作 に も み ら れ る 。 死 ん だ 男 鮎 川 信 夫 砂たとえば霧や/あらゆる階段の建音のなかから、/遺言執行人 が、ぼんやりと姿を現す。/||これがすべての始まりである。 埋葬の日は、言葉もなく/立会う者もなかった、/憤激も、悲 哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。/空にむかつて限をあげ/ きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったの だ。/﹁さよなら、太陽も海も信ずるに足りない﹂/

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ょ 、 地 下 に 眠 る

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よ 、 / き み の 胸 の 傷 口 は 今 で も ま だ 痛 む か 。 e 右の﹁太陽も海も信ずるに足りない﹂は、人間破壊の戦争の犠牲 者 ︵ 死 者 ︶ に 対 す る と さ か の 神 も 大 自 然 も 何 一 つ 信 ず る に 足 り な い と いう、作者の近代文明の無力さに対する烈しい不信のあらわれであ ヲ ゐ 。 田村も鮎川も、戦後の詩誌﹁荒地﹂︵昭包︶グループの詩人であ る。かれらはまさに共同的に、あの強制された戦争体験をもとに、 戦争ヘの近代文明への抗議をなげつける ζ とによって、失なわれた 人 間 性 の 回 復 そ 烈 し く 欲 求 し て い る の で あ る 。 戦後詩壇に荒地グループが画期的に提出した共同的マニフエスト 八

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へ の 献 辞

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︵無署名ではあるが実は鮎川信夫執筆、一九五一荒 地 詩 集 ︶ は 、 と う 発 言 し た 。 ﹁ 現 代 は 荒 地 で あ る 。 : : : 破 滅 か ら の 脱出、亡びへの抗議は、僕たちにとって自己の運命に対する反逆的 意志であり、生存証明でもある。僕達や君に末来があるとしたら、 現 在 の 生 に 絶 望 し て い な い 乙 と に よ っ て で あ る 。 ’ ﹂ と 。 鮎川はさらに、右の詩集に載せた詩論八現代詩とは何か

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に お い て、乙うも立言している。﹁われわれにとって唯一の共通の主題 は 、 現 代 の 荒 地 で あ る 。 : : : 戦 争 と い う 共 同 体 験 を 持 つ 乙 と に よ っ て戦後の荒地に生き残ったわれわれは、われわれ自身の生活と共 に 、 新 ら し い 時 代 の 課 題 に 直 面 す る こ と に な っ た の で あ る 。 ﹂ ﹁戦後の破滅的要素に満ちた社会をめぐって、現代の知性の感受 性と行動性の限界は、ニヒリズム、ヵトリシズム、コミユニズムの 図式の上に描くのが常識であるが、現代を全く荒地化せしめた終末 的近代の自覚という歴史意識が根本にあるわけである。われわれが 常に外部からの問題を否定的に受け取ってきたという懐疑的傾向に は、近代主義がベルグソンやフロイト以後、一般的な社会的危機や 政治の圧力による人聞の不安、苦悩、絶望、不満等に対して殆んど 無力であり、その度にマルクス、レ 1 ニ ン が 担 ぎ 出 さ れ た り す る 乙 と に 対 す る 不 信 の 感 情 が 含 ま れ て い る 。 ﹂ ﹁われわれはいまだにわれわれの不安な荒地の幻影から遁れると とは出来ない。死んだ経験を埋葬し、負傷した幻影を夢みるわれわ れ は 、 失 わ れ た 人 間 的 価 値 た る 正 義 、 真 実 、 愛 、 美 を 夢 み る 。 ﹂ ﹁われわれの荒地に対する愛とは、単に滅びつつあるブルジョア 文明に対する愛ではなく、とりもなおさず現代そのものに対する愛 を意味する。それは文明の伝統の危機を招き、荒廃と狂気と不信に 焔っている世界に耐えつつ、われわれを救う永続的価値をなんとか して見出そうとする一つの詩人の態度である乙 ﹁詩人の精神は生々とした人々の間や生気に満ちた地球の上を活 動しながら、人間の精神が内心ひそかに承認しているところの無名 にして共同なる世界を見出そうとするのである。われわれの生活の

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-向 上 に と っ て 、 最 も 必 要 な も の は 、 : : t 互に連帯して進み得るよう な 源 泉 的 感 情 の 基 礎 を 発 見 す る と と で あ る 。 ﹂ と 。 ζ れ ら の 発 言 は 、 ﹁ 荒 地 ﹂ の 詩 人 た ち の 戦 後 の 良 心 1 1 ﹄ 人 間 平 等 の、すなわち共同と連帯の世界を発見しようとする

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ぞ 代 表 的 広 諮っでいる。そしてその内容を玩味するとき、乙乙に語られた人間 的芯精神と感情は、まさに上掲諸詩の内容とぴったり一致している の を 知 ろ う ・ ︵ 鮎 川 自 身 右 の 文 章 の 聞 に 、 ず 田 村 の 作 品 八 一 九 四

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年 代・夏

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な ど を 引 用 し 、 解 明 し て い る 。 ︶ 鮎川信夫・田村隆一・三好豊一郎・木原孝一・黒田三郎・北村太 郎・衣更着信・加島祥コ了中桐雅夫ら﹁荒地い派の人々の詩には、 死のイメージが充満している乙とを直ぐ感ずるだろう。その理由 は 、 か れ ら の 生 ・ 運 命 が ﹁ 荒 地 に 生 き て い る と い う 暗 い 経 験 世 界 の 終 末的な幻滅感﹂ハ

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への献辞︶と密着しているからである・しかし かれらが現在の生に絶望していないのは、乙の終末的な幻滅感に陥 没せず、そ乙から﹁一条の光線を摘みとる﹂︵向︶決意を有してい るからである。ゆえに、﹁亡びの可能性は、一種の救いに外なら ぬ : : : 。 破 滅 か ら の 脱 出 、 亡 び へ の 抗 議 は 、 僕 た ち に と っ て 自 己 の 運 命 に 対 す る 反 逆 的 意 志 で あ り 、 生 存 証 明 で も あ る 。 ﹂ ︵ 前 出 ︶ 乙 と に 帰 着 す る の で あ る 。 ーこうして、かれらの詩にくりかえし、おびただしくあらわれる死 ・ 死 者 ・ 屍 体 、 あ る い は 自 殺 ・ 射 殺 な ど の 死 の イ メ ー ジ や 用 語 は 、 今次大戦後の実存の状況や内商の表現に不可欠なものとして、現代 人の不安や虚無感や危機感のシンボルである。例を﹁一九五一荒地 詩 集 ﹂ か ら 引 用 し て み よ う 。 苦痛と、/屈辱と、ひき裂かれた符裂に眼を吊りあげて彼は死ん だ 。 ハ 墓 地 の

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、 北 村 木 郎 ︶ 橋 の 下 の ブ ロ ン ド の 芯 が れ 、 〆 −

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べてはながれ、〆われわれの腸 広死はながれる。ハ雨、同︶ ひどく降りはじめた雨のなかを〆おまえはただ遠くへ行乙うとし て い た / 死 の ガ l ドをもとめて︵繋船ホテルの朝の歌、鮎川信 夫 ﹀ 死の中にいると僕等は数でしかなかった臭いであり場所ふさぎ であった死はどとにでもいた︵死の中に、黒田三郎︶ 田 村 隆 一 の 詩 に は 、 と く に 衝 撃 的 な イ メ ー ジ が 多 い 。 −窓から叫びが聴えてくる/誰もいない部屋で射殺されたひとつ の 叫 ぴ の た め に / 世 界 は あ る ・ ︵ 幻 を 見 る 人 、 一 九 五 二 荒 地 詩 集 ︶ e わたしの屍体に手を触れるな/おまえたちの手は/﹁死﹂に触 れることができない e ︵ 立 棺 、 同 ︶ 戦後新じく興った詩劇の世界でも、戦争を告発するために死は不 可 欠 の テ 1 7 で あ っ た 。 , わ た し は 知 っ て い ま す ノ 屍 体 の な い 多 く の ﹁ 死 ﹂ を : : : わ た し は知っていますノ見わけのつかない多くの﹁死﹂を e : : : ・ わ た しの﹁死﹂はわたしたち葬られざるすべての/死者のもの/あ なたの愛にはこたえられない/あなたたちが一発の銃弾を射った とき/故郷では/罪のない女がひとり死んでいった/あなたたち がひとつの村を襲ったとき/故郷では/罪のない多くの乳児が死 んでいった︵島、木原孝一、﹁詩と詩論﹂第一︶ 人間の屍体を思うとき、ぼくはボ l ド レ l ル の 詩 集 ﹁ 惑 の 華 ﹂ の 中の作品八腐屍

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の 戦 傑 が 忘 れ ら れ な い 。 ,想い起そう、恋人よ、僕たちの見たものを、/晴々と美しい夏

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の朝に、/小径の角に、ぞっとするような腐った屍体が、/散り 敷く小石を臥床にして、/ 淫蕩な女のように、両脚は空ざまに、/毒の汗を参ませて火と 燃え上がり、/その形は厚かましくまたしどけなくて、/悪臭を 放つ腹を曝していた。/ 太陽はこの腐れ肉の上に燦々と輝く、/程よくあぶって焼乙う とするのか、/偉大な﹁自然﹂が嘗て一つに混ぜ合せたものを/ 百 倍 に し て 返 し て や る た め の 親 切 心 か 。 / : : ; ||ああけれどもいつか、あなたもこの汚物に、/乙の恐るべき 腐敗物に似るだろう、/僕の限の星よ、僕の内なる太陽よ、/僕 の 天 使 、 僕 の 情 熱 、 あ な た も ! ︵ 福 永 武 彦 訳 ︶ この十九世期末象徴詩は、肉体のはかなさと自然の冷酷を二つの 世界苦としてうたっている。しかし最後に、砂その時に、美しい人 ょ、告げ給え、あなたに/くちづけを惜しまぬ姐虫に、/昔の愛は 腐敗し果ててもその愛の形と/その神聖な精華とは僕がとれを保っ た と ! e とあるように、作者は主体的愛の深さ、精神化怠れた愛の 永遠性を確信しているが、ここにみる腐屍の戦懐は必ず新しい読者 を も と ら え る で あ ろ う 。 しかし、原爆その他科学兵器による殺教の時代である二十世紀後 半期の現代人の世界苦は、その悲惨さと社会的現実感において、前 世紀末象徴詩をはるかに越え、しかも無名の共同意識を確保してい る。||われは問時にわれわれであり、おまえは同時におまえたち で あ り 、 お ま え は 同 時 に わ れ で あ る 乙 と に お い て 。 w わたしの屍体を地に寝かすな/おまえたちの死は/地に休むこ とができない/わたしの屍体は/立棺のなかにおさめて/直立さ せよ/地上にはわれわれの墓がない/地上にはわれわれの屍体を いれる墓がない u ︵ 立 棺 、 田 村 隆 一 ︶ 共同に安らかに死ぬことのできない世界︵現代︶は、また共同に 安らかに生さることのできない世界である。この詩は、死も生も 拒 否 さ れ た 現 代 を 告 発 し て い る 。 詩人の世界苦が、巨大な科学的兵器の戦争に烈しく抗議したの が、峠三吉の﹁原爆詩集﹂であることはすでに周知だが、もはや忘 れかけている人がありはしまいか。その一つ、ー− e むせぶようにたち乙めた膿のにおいのなかで/憎むこと怒る 乙とをも奪われはてたあなたの/にんげんにおくつた最後の 微 笑 そのしずかな微笑は/わたしの内部に切なく装填され/三年五 年圧力を増し/再びおしてきた戦争への力と/抵抗を失ってゆ く人々にむかい/いま爆発しそうだ。︵微笑︶ この抗議の精神は、峠と同じく﹁荒地﹂派以外の詩人たちにおい て も 同 様 だ っ た 。 砂子等を焼きチンパ・片自の化物にしたのはダレ!天使に化け た狐の仕業とい’つがいずれはひとのおどりです無為とい う お ご り の 八 あ あ 乙 の 椴 堕 救 い 得 ぬ 神 等 何 者 ぞ

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︵ チ ャ ル メ ラ ・ 7 l チ 、 山 本 太 郎 ﹀ 日本の敗戦からすでに二十余年の現在、ぼくらの脳裡からあの戦 争体験は知らず知らずに忘れられゆきつつある。むしろ観念的に、 いまだ終らぬベトナム戦争に心を痛めている。それも現時点におけ るぼくらの世界苦の、現実的なあらわれではある。しかし、折りも

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-折 り 、 人 々 の 忘 れ ゆ き つ つ あ る 戦 時 下 の 悲 惨 な 体 験 を 、 ま と も ? に 薪 しく歌い上げている詩と詩人を発見した感動は、ぼく一人のもの芳 あろうか。その詩人は石垣りんである。見よ! 弔 詞 職 場 新 聞 に 掲 載 さ れ た 一

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五 名 の 戦 没 者 名 簿 に 寄 せ

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乙乙に書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる あ あ あ な た で し た ね 。 / あ な た も 死 ん だ の で し た ね 。 活 字 に す れ ば 四 っ か 五 つ 。 そ の 向 乙 う に あ る ひ と つ の い の ち @ 悲 惨 に と じ ら れ た ひ と り の 人 生 。 たとえば海老原寿美子さん。長身で腸気な若い女性.一九四五 年三月十日の大空襲に、母親と抱き合って、ドブの中で死んでい た 、 私 の 仲 間 . あ な た は い ま / ど の よ う な 眠 り を 、 / 眠 っ て い る だ ろ う か 。 / そ ” して私はどのように、さめているというのか? 死者の記憶が遠ざかるとき、/同じ速度で、死は私たちに近づ く。/戦争が終って二十年.もうとこに並んだ死者たちの乙と を . 覚 え て い る 人 も 職 場 に 少 な い 。 死者は静かに立ちあがる./さみしい笑顔で/乙の紙面から立ち 去 ろ う と し て い る . 忘 却 の 方 へ 発 と う と し て い る 。 私は呼ヴかける・/西脇さん、/水町さん、/みんな、乙乞へ戻 って下さい。/どのようにして/死なねばならなかったか・語 q て / 下 さ い @ 戦争の記憶が遠ざかるとき、/戦争がきた/私たちに近づく。/ そ う で な け れ ば 良 い 。 八月十五日。/眠っているのは私たち。/苦しみにさめているの は/あなたたち。/行かないで下さい、皆さん、どうかここに居 て 下 さ い 。 ︵ 詩 集 ﹁ 表 札 な ど ﹂ か ら ︶ 乙の詩について笹原常与︵詩学、昭

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﹀ は 、 ﹁ お そ ら く 人 々 は、人聞の美しさやかがやかしさを、心ふるわせながら乙乙に読み とるだろう。そして人閣の真実の生き方はどうあるべきかについ て、改めて患いをいたすだろう。そうさせる力を乙の詩は持ってい る 。 ﹂ と 述 べ 、 さ ら に ﹁ 静 か な 語 り か け を 還 し て 、 や が て こ の 詩 は 、 私たちに、人間の美しきゃかがやかしさを葬り去る戦争について深 く考えさせていくのである己と語っている. ぼ く は と ζ まできて、上掲の戦後詩の多くが、いかに戦争に対す る近代文明の無力と、人間破壊の暴力とを、主題的に把握し、死屍 のイメージをもって、乙れに烈しく抗議しているかを明かしえたこ とと思う。さらに、破滅的要素の満ちみちている現代社会におい て、詩人たちがとれにいかに対処し、その詩的表現そのものを自己 の生存証明たらしめているかを、提示しえた乙とと思う・しかもそ の個人的生存意識が。田村の詩や鮎川の立言のごとく、それぞれ戦 後という不安の時代のさ中で、人間的共同と連帯の意識に支えられ

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て い る こ と を 、 強 調 し た か っ た の で あ る 。 要するに、入閣の運命にとり、死また破滅という終末観に立つて の 、 真 実 な る 生 の 回 復 と 人 間 復 興 の 詩 想 ! 戦 後 詩 に 氾 濫 す る ﹁ 死 ﹂ のイメージの真価は、実に乙乙に存し、このほかにはありえないだ ろ う . 田 村 隆 一 の 詩 に つ い て は 、 拙 稿 八 田 村 隆 一

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︵ 国 文 学 、 昭 付 制 ・

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︶ を 見 ら れ た い 。 注

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山 本 太 郎 の 詩 に つ い て は 、 拙 稿 人 山 本 太 郎 ﹀ ︵ 解 釈 と 鑑 賞 、 昭 初 ・

1

︶ を 見 ら れ た い 。 注

3

戦後詩・﹁荒地﹂などについては、拙著﹁現代詩の視点﹂︵ 昭 お ・

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︶を参照されたい@ー!?一九六九・七・二ハーー ︵ 本 学 教 授 ﹀ 注

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参照

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図版出典

ヨーロッパにおいても、似たような生者と死者との関係ぱみられる。中世農村社会における祭り

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