﹁わが国の資源問題研究﹂
大
畑
ホ 弓
七
一、
竭閧フ視点
わが国の資源問題研究
過去一五年間のわが国の統計によると︑実質GNPは四・三七倍に︑一次エネルギー供給量は五・三六倍に︑石油
供給量は一九・二三倍になっている︒さらに実質GNPに対するエネルギー原単位の計算では︑一・二一二倍に︑石油 ︵3312︶に関しては四・四九倍に達している︒このようにわが国では経済活動の内容がエネルギー多消費型であり︑とくに石
油を中心としたエネルギーの供給量増大によって︑しかも低廉にして豊富なエネルギー供給源の確保によって過去の
高度成長が達成されてきた︒
ところが最近の中東情勢の変化から石油資源に大きな動揺がもたらされた︒いわゆるOPECの原油値上げ︑さら ︵42︶︵49︶︵51︶にOAPECの原油生産削減である︒すでに一九七一年の石油戦争なる表現をもって示された産油国の原油値上げ攻
勢以来︑わが国でもエネルギー資源の危機が主張されてきたが︑今回のアラブ産油国の原油生産削減のもたらす影響
は︑危機が国民生活︑経済活動全般に及んできている︒無資源国日本のエネルギー教書ともいうべき﹁日本のエネル
︵11︺ギi問題﹂が広く世に問われ︑国民的合意をめざしているが︑その時点︵四八年一〇月︶で︑はたしてこのエネルギ
147
i危機感がどれほど理解されたか疑問である︒エネルギー庁の新設をはじめとして︑無資源国の資源問題は︑以前か
ら重要課題であるのに︑はたしてその危⁝磯はどのようにその度合を深めてくるであろうか︒
本年四月︑米国ではニクソン大統領のエネルギー教書が発表された時︑その背後にひそむ国際戦略について論議さ
︵541〜11︶れたが︑この重大さは貫目の世界情勢︑つまり中東戦争を推測した上での報告ではなかったかとの疑念をいだかせる
ふしもある︒もっともわが国のごとく石油資源が皆無に近い国では︑始めから対外依存度が高いため世界情勢の成り
行きにまかせる方式がとられている︒しかし︑エネルギー白書での世界の新しいエネルギー情勢の分析では現在の状
況見通しがなされてはいるものの︑こうした危機をふまえての政策転換がなされていたかどうかはきわめて疑問であ
る︒エネルギー対策はたとえ短期的な変動にそなえるものであっても︑長期的展望に立っての政策策定でなければな
らないので危機感につられての対策では︑直ちに妙薬とはならないであろう︒
しかし中期・長期の危機とみられていた石油問題も︑短期的な危機に転換されてきている︒米国でさえ最近︑エネ
ルギーの対外依存度が急上昇する見通しに応じた自給体制崩壊の危機意識を教書で訴えなければならない情勢が生じ
ている︒わが国のごとき無資源国であれば︑さらにきびしい危機意識が︑国際情勢の変化に応じてより一層明確化さ
れなければならないはずである︒たとえば︑コ九七〇年を中心としてこれまで軟調だった原料・エネルギー価格が
硬調に変化したのは︑世界的な重化学工業生産がロジスティック曲線の変曲点を通過したことを示す兆候であろう︒
このように理解すれば︑買手市場から売手市揚へというのは︑まさに長期的基調の変化であって短期の市場変動では
︵32︶ない﹂︑といった理論的な帰結から導かれた結果も出ている︒したがって産油国の売手市場による価格の硬調という動
向と︑さらに石油のもつ国際商品の戦略から導き出される市場変動との検討から長期的な展望を誤ってはならない︒
148
わが国の資源問題研究
また︑こうしたエネルギー論議の北且尽には天然資源のもつインプリケーションを十分に考慮すべきことも重要であ
る︒それは今日のごとく資源がただちにエネルギーとして考えられ︑さらに原料といった視点から事えられることに
対する注意である︒このことはわが国の原料不足国としてダウン・ストリームのみならずアップ・ストリームにまで
進出しようとする開発志向が︑明らかに資源供給を原料としての供給と考えるからである︒ところがこの原料獲得に
だけ進むと技術開発は軽視され︑産業構造はそのまま肥大するので︑環境汚染はさらにはなはだしくなる︑つまり資 ︵18︶源の誤った解釈による資源問題の危機が生ずる︑との見方である︒したがってこうした資源問題の本質論をわきまえ
たうえで︑エネルギー問題を論議すべきである︒
そこで︑本稿では現実的なエネルギー危機の意味と︑エネルギー資源の本質をふまえて︑日本の資源問題を論ずる
が︑最近の資源問題に関する著書・論文を通じて︑わが国の資源問題の問題点がどこにあるかを究明してみるのが︑
本稿の目的の第一点である︒もっともそれは資源問題全般にわたるものでなければならないが︑ここでは特に資源論
の本質的問題がどう取り扱われてるいかを展望し︑最近の資源論議の焦点を通じ︑わが国の資源の意味するものと資
源論の根本的問題をさぐり出し︑さらに資源問題とは学問的にどのようにして究明されるべきものであるかを考察す
ることにする︒
これらについては︑最近の著書・論文から整理し︑わが国の資源問題の論議をとりまとめてみた︒但し︑三つの論
点に焦点をおいているため︑これ以上の多くの著者・論文が見受けられたが︑これらについてはまたの機会に整理す
ることにしたい︒さらに︑最近のエネルギー問題︑とくに石油問題が中東戦争を契機として新しい世界情勢をひき起 四しているが︑そうした予測は別として︑ここでは資源問題の本質的な問題を取り扱うことにする︒
第二点は︑こうした資源問題の基本的課題を通じて︑本年四月十八日に出されたアメリカのニクソン大統領の﹁工 励ネルギー教書﹂および﹁日本のエネルギー問題﹂ ︵通産省︑十月︶と現実に当面しているエネルギー資源の危機につ
いての二つの白書が提出されたので︑それから問題点をとりあげ︑とくにわが国としてのエネルギー問題の再検討が
是非なされるべきであることを前提にして整理してみたい︒
二点とも資源問題という現実には世界経済をゆさぶる大きな要因であるのに︑学問的にはまだ解明されない多くの
問題をかかえている︒それも一国の生命ともなるべき資源でありながら︑まず一国の政策にひきづられて引き出され
てくる理論化という感じで︑明確なものが見出されていない︒
またわが国のごとき無資源国が資源政策を論ずるにはあまりにも定式化されたものがあり︑とどのつまりは共存共
栄をはかる塵朧加影約されてくるし・世界的には国馨源会議の設立とい・た点に薯いてくる︒・れを資源問
題の﹁新しい﹂とか﹁再編成﹂とかいう言葉で表示したところでどれだけの意味内容なり︑評価がなしえるであろう
かとさえ考えさせられる︒むしろ一国の産業政策とか︑国際的な産業組織といった観点からの分析視点が確立され政
策化されるべきであろう︒
しかし︑現実はきびしくも危機がせまり︑石油においては国際石油資本と産油国︑さらには大量消費国という三つ
どもえの戦争が展開している︒一国の安全保障の鍵をにぎるエネルギー資源や広義の資源といったものの変動が生き
たものとして人間の正面に立ちはだかっているにもかかわらず︑遠い存在のように思われるのは何故であろうか︒こ
れもわが国の資源産業なり︑石油産業がいびつな産業体制一つまり採掘︑精製︑販売といった︷貫体制がないil
をとっているからであろうか︒
二︑最近の資源論議の展望
わが国の資源問題研究
資源問題は理論として取扱われるよりもむしろ政策論からの接近を招きやすい︒特にわが国では高度成長を達成す
るための資源獲得論議がはなばなしく展開され︑その本質は見過ごされがちであった︒わが国でも本質論について論
︵15×18︶ ︵23︶じられていたにも拘らず︑漸くローマ・クラブによる﹁人類の危機﹂レポートによって︑資源論の本質に目を向ける
ようになったのは皮肉なことである︒
またこうした方向とは︑別に︑資源問題がすぐれて政治経済的問題であり︑国際関係的な問題であることから︑資 ︵1︶〜︵5︶︵34︶源問題を全般的・体系的に取扱うといった﹁国際資源学﹂の構想がうち立てられ︑その体系化がすすめられている︒
こうした資源問題をここでは次の三つの視点から考察し整理することにする︒第一は資源とは何か︒第二は資源論
議の本質はどこにあるのか︒第三は資源問題のわく組みをどう把握するのか︒こうした三つの問題をこれまでの論議
から整理してみよう︒ .
わが国では高度経済成長の目的意識にかられて資源を恰かも鉱物︑エネルギー資源に限定し︑原料確保に焦点をお
いている︒したがって資源11原料といった観点から資源問題が論じられている傾向が強い︒とくにそうした解釈は政
︵5︶︵6×8︶︵10︶︵11×12︶府機関の報告において強く感じられる︒もっとも一国の経済成長にとって無資源国日本では何が最も重要であるかと
いえば︑生産物を生み出す原料が不可欠であり︑もっぱら鉱物木材資源に焦点がおかれるのは当然である︒資源問題
が表面化するや政府当局は︑産業構造に占める資源産業の地位を明確化し︑﹁資源を採取し︑これに製錬︑精製等の二 ︵10︶次加工をくわえることにより消費財︑耐久材︑エネルギー等を生み出す産業に素原燃料を供給する産業﹂を資源産業
151
と定義づけている︒これはもっとも一国の産業構造からの分析視点であり︑わが国に必要なエネルギー資源︑工業用
原材料資源に中心をおいた分析である︒
しかし︑高度成長のひずみが生み出した環境汚染が人間の生命に危険をまねくや︑資源に対する見方も変ってき ︵11︶た︒それは最近出された﹁エネルギー白書﹂に見ることができるし︑高度成長と資源との関係をほり下げ︑そこから へ7︶人間第一主義を主張した﹁将来の資源問題﹂にもうかがわれる︒
そこで資源についての再検討が望まれるわけである︒つまり︑資源の誤った解釈から資源問題の危⁝磯が生じてくる ︵18︶との警告がなされる︒その石光氏の要点はこうである︒資源を原料だときめつけるような現在の解釈だと︑原料の安
定供給重視に偏向し︑一方では原料と釜揚を兼備する勢力圏が過大評価され︑他方では原料獲得競争から技術開発は
軽視され︑産業構造はそのまま肥大するので環壌汚染はますますひどくなる︑という資源問題の危機が生ずるという
わけである︒これらは過去の事実から証明されるところであり︑資源の意味が誤って使われている被害である︒そこ
で石光氏は︑資源は静的に存在するものではなく︑目的と能力をもつ人間が︑文化を介して自然に働きかける動的作
用から︑つまり天然資源と文化資源と人中資源との動的な三重の相互作用から生まれると主張する︒だから資源とは
地下資源生産物をいうのではなく︑その有形な物質が果たしうる機能︑あるいはその機能を発揮させる諸作用をいう
と︒そこで資源は人間の評価と能力を反映する概念であって究極的には︑人間の頭脳の働きにあることが強調される︒ ︵15︶ また一〇年前に﹁資源論﹂を世に出した黒岩氏は︑これまでの資源論は一国の政策の必要から問題が出され︑一時
的な部分的な対症療法に終り︑学問として理論として資源問題が論じられていないという︒そこでの資源問題の取扱
いは︵現在ほど注目されていなかった分野で次のような立場から資源問題を取り扱った点で意義があろう︶︑生きた
152
わが国の資源問題研究
ものとして取扱うべきで︑その視点からω人間の自然への働きかけ︑②働きかけられた自然の人間への反作用︑鋤古
い資源問題から新しい資源問題の発展が資源問題アプローチの基本的課題であるとする︒そのうち最も重要な側面と
して人間の自然への働きかけを強調する︒これも人間と資源との関係を十分考慮した立場であり︑それは現在にいた
っても黒岩氏の甦によく読みとれる・・とができる︒・のように資源問題を人間と自然甕との基本的な相互関係と
して把握し︑人間が自然と調和して︑これをうまく利用することによって人間が快適に幸福に生きていける環境.条 ︵3414︶件を作り出すという︒さらにこれらを資源概念として把握し︑綜合的に整理されている︒
こうした広義の解釈に対して資源産業という一定のわく組みを設ければ︑それはむしろ狭義の資源の意味というこ
とであり・再生産不可能な地下墨黒ピ限定されているが・少くとも環境汚染という社会問題を引き出した以共資源
のインプリケーションを再検討すべき時に来ていると考えてよいであろう︒
次にこうした資源の意味の検討が︑現実問題にどう生かされているのか︑という第二の資源論議がとりあげられ
る︒一九六七年以降世界第一の資源輸入国のとるべき姿が︑国内の経済発展に足並みがそろわされたため︑その発展
テンポが直接対外資源依存度を高め︑さらに誤った資源論を展開するにいたったことにある︒これは政府機関の資源
エネルギ薪讐よ・て知られるところであるが・また関係機関必ずしも璽のものではない︒それは皇開発を進
展させることや︑資源保有国との協調が先決であるとか︑その開発パターンは異なっても望むところは必要不可欠な
資源の安定価格を望むための手段として考えられたものである︒しかし資源の意味から考えると問題がでてくる︒
それは地球的規模での限りある資源に対するわが国の経済成長をまかなうに足りる増大する資源需要との対応関係 ︵5︶ ︵38︶をどうみているのか︒これがつまり自主開発のすすめとなり︑その考えるところは経済審議会や鈴木氏の論文にて明
153
︵10︶ ︵31︶︵34︶︵48×55−3︶確であり︑さらに資源白書にて表現は変っているもののその本質は自主開発論であった︒それに対しての批判がなさ ︵43︶れたが︑わが国の資源論議に三つの疑問があると投げかけた高橋氏の論議は︑それなりの意義が見出される︒それは
わが国の資源産業が消費拡大による資源の危機を訴えていながら︑他方で消費需要の増大を進めているとの矛盾か
ら︑第一に︑資源需要は実は増大するのではなしに︑増大させられているのではないかとの疑問をいだいている︒そ
の例を鉄鋼業について実証する︒それによると一番基礎となる生産技術体系ですでに浪費をすすめ地下鉱物資源を大
量に消費して生産を拡大する体制を完成しているという︒これがさらに自主開発を押し進める要因となり︑資源保有
国のナショナリズムの厚い壁がありながらも押し進めるのはなぜか︒それは増大する需要に見合う資源を今迄通り原
料供給国からえられるものと考えているのではなかろうか︑といった第二の疑問を展開している︒このあたりの考え
が︑産油国に対していだかれいていたとすれば︑たとえメジャーが間に入った第三者的立場とは言え︑原油生産削減
によって直ちに国内エネルギーを節約しなければならない状態に追いこまれる立揚を十分に認識すべきであろう︒
さらに米国は中東依存度が高まる危険性から自ずと国内資源の開発に向けることを強調したが︑高橋氏の議論は︑
わが国では石炭から石油に全面転換が行われたが︑理由はともあれ国内に鉱石や石炭があるうちは︑その原料を利用
する技術がうち立てられるものであると強調する︒したがって国内資源の放棄︑つまり石炭の放棄は直に国内での自
立的な開発・利用技術をはぐくむ根源を立ち切ることに連ながるといった危惧の念をいだかせるというわけである︒ ︵44︶これが第三の疑問として提出される︒そこで全体としてわが国の誤った資源論に︑さらにはゆがんだ資源観への疑問 ︵40︶が提示される︒さらにかかる視点はこれからの新しい代替資源についても言えることであろう︒
ただしこうした疑問も︑実際は現実を見きわめての鋭い洞察力による資源多消費の分析が必要となる︒そこでわれ
154
わが国の資源問題研究
われはわが国が必要不可欠とするエネルギー資源の確保について明確なる論議をもたなければならない︒それには開
発とか協調とかの一方の方途をとるわけではなく︑わが国がエネルギー資源の危機をどのように対処すればよいかを
論議する必要がある︒
こうした論議を抑制型と開発型の二つのパターンに区別し︑さらに四項目をつけ加えて︑そのいずれかに要点をお ︵3312︶く政策体系を提起する正村論文は︑その当時のエネルギー資源論議がどちらかといえばきわめて不明確なものに終っ
ている点からすれば現実をよく見きわめた分析であり︑明確な構想である︒その二種類四項目とは︑次の通りであ
る︒A.エネルギー消費量それ自体の増加を抑制すること︒ω経済成長率を低下させること︒②GNPに対するエネ
ルギー消費の﹁原単位﹂あるいは﹁弾性値﹂を低下させること一いわゆる ﹁省エネルギー化﹂︒B.エネルギー消
費量の増加を前提として対策を論ずること︒ωエネルギー供給を円滑に増大させるように開発を促進する︒②エネル
ギー消費一単位当りの汚染物質の量を減少させること︑があげられる︒これには勿論︑補足的説明がつき結局はB型
の開発型の施策をかなりの程度まで重視しなければならないということである︒少くともエネルギー資源を臨本で考
える場合にはたとえこれらが対立的︑択一的なものでなく補完的なものであっても︑政策にウェイトを置く︒パターン
としてはその時点では︑こうしたところに求めざるをえなかったとみるべきであろう︒現在では︑石油供給の削減と 原油価格の高騰から必然的にもたらされる経済成長率の低下を余儀なくさせられるとすれば︑当然Aの方途がとられ ︵ることになる︒中・長期の視点を明確化したうえで︑わが国のエネルギー危機に対処する根本問題が解決されていく
わけである︒ ︵3612︶ 55 これは需要面からの分析視点であるが︑さらに石油を中心に︑その供給体制を考慮すべきである︒その供給不安定 −
要因を考えたうえでわが国のエネルギが安定的に供給されるかどうかを考えてみようという向麹の論点も・われ
われが石油を取り扱う揚合の論議の重要な対象となりうる︒ここであげられた不安定要因は次の四つである︒ω国際
的な石油供給構造に大きな変化が生じていること︒⑧アメリカが大量の石油を輸入する傾向が強まること︒㈹石油を
めぐる国際的摩擦が起る可能性があること︒⑯産油国が資源保存政策に転換すること︒ωこうした不安定要因を十分
に検討することによってエネルギー危機の本質に突きあたり︑そのための政策を前もって考慮する必要が大切である︒
以上のように資源論議については︑先ずどのような疑問点があるかを明確化し︑しかる後に消費需要面からの分析
視点を究明し︑それにともなって供給面からの分析視点をも明らかにし︑それらを綜合したうえで資源問題を分析す
ることが重要である︒ここでは断片的に問題点を取りあげてきたが︑それは最近の資源論議の焦点がどこにあったか
を展望する意味で三つの論点を取りあげたわけである︒
そこで第三の問題である資源問題についてのわく組みについて考察してみる︒これは板垣氏による﹁国際資源学﹂
の慧であり︑﹁資源ナシ・ナリズム﹂の研究によ・て袋的菰野それはまた深海氏による資源問題の理論的な分
︵34>析にも見出される︒これらは現実に進み行く資源問題をどのように把握したらよいかという︑ある意味ではきわめて
複雑な理論化の方向であるが︑資源に関する国際資源学の一つの方向づけがなされれば︑自ずと資源問題のわく組み
も構築されよう︒
この点︑板垣氏の﹁トランス・ナショナリズム﹂と﹁資源ナショナリズム﹂との関係から現代の資源問題がどのよ
うに究明されるか︑一つの国際資源学の方向が示されているだけに今後の発展が望まれている︒さらに深海氏は資源
問題と国際経済学の立揚から貿易パターンの変化と資源との関係を究明し︑﹁天然資源の貿易決定書としての重要性
156
が漸減しつつあるはずなのに︑なぜ現段階で再び資源の重要性が復活したのか︑逆にこの資源問題がある意味では従
来の国際経済学の常識に対して︑ 一つの挑戦を行なっているとも考えられる﹂︑との前提から﹁資源と経済発展﹂の
新しい分析視角を求め︑資源問題の新しい境地を開拓している︒これらは資源の稀少性を重要視した古典学派の研究
との関連から導き出される問題でもあり︑これらの研究によって資源の国際経済学がどのように体系づけられるか︑
きわめて興味ある問題でもある︒ただし国際資源学に対しては︑経済学プロパーの外側に範囲が拡大されていること
から︑経済学プロパーに立ちもどり︑それを中心にすえての構築が必要である︑との反省が示唆されている︵四六年
の国際経済学会における深海氏の報告に対する小島清氏のコメント︶︒
本来はこうした資源問題︑資源学のわく組みが構築され︑これに基づいて政策論が展開されることがのぞましい︒
そこで︑以上のような理論的わく組みをおきながら現実に展開するエネルギー問題を考察してみよう︒
わが国の資源問題研究
三︑エネルギー問題の再検討
︵18︶ 一九七一年を資源元年と呼びたい︑との如く七〇年代は初めから世界が資源戦争の渦中に入りこんでしまった︒世
界の資源が欧米資本の寡占体制のもとに支配されていた現状は大きく揺れ動き︑石油を中心とするエネルギーの寡占
状態が産油国の強力な団結の下に︑ゆらぎはじめた︒このことは一九六二年の国連における﹁天然資源に対する恒久
的主権﹂の確立が認められた後に︑すでに今日の状態を招いたもので︑産油国ナショナリズムの台頭は当然の趨勢で
もある︒ 一九七一年のOPECの石油攻勢に対して資源戦争の実態究明にのり出したわが国でも︑﹁世界の資源がいぜん欧
ユ57
︵17︶米資本の寡占の下に置かれている事実﹂を再認識し︑改めて資源保有国のナショナリズムの方向を考えるという報告 58がなされたほどである︒ 1
︵33⁝1︶ しかしこうした現状認識をふまえて︑わが国の海外資源の開発は︑正村氏の指摘のごとく︑ωこうした一部少数の
独占企業の支配を打破する要因となるのか︑②その国際的寡占支配の構造に組み入られるのか︑㈲いずれかの国際的
な寡占支配の系列化に入って開発された資源の︼部分を領有するのか︑といった選択を余儀なくさせられる状況にお
かれていることからの分析が明確化されない状態では依然︑混沌たる資源政策になりかねない状況である︒こうした
立場をきめかねられないところに現在起っているエネルギー危機が︑さらに深みにはまっていこうとしているわけで
ある︒目本のような無資源国で多消費資源国であれば︑メジャーと産油国の両方の選択に板ばさみになる恐れは十分 ︵31︶にある︒これは自主開発論や協調的開発論では究明できない問題でもある︒しかしエネルギーの危機が拡大すればす
るほど︑この二者択一的な選択にせまられることは必然であり︑費そうした立場を決めない限り明確なエネルギー政
策も出てこないであろう︒正村氏の構想のごとく︑こうした国際資本の寡占支配の構造を突きくずしたあとの国際経
済の構造の中に︑日本の位置の確立という産油国との新しい関係の構築という方向が打ち出されない限り︑今後の石
油戦争を通じてわが国の方向のない不明瞭なエネルギー政策が存続するであろう︒
こうした明確なる態度を採るべき時が到来していることに付加して︑資源そのものについて再び考えてみることで
ある︒・れは本稿の第二節で取扱・たように・資源自体の基本問題を考えてみることである・長洲暴こうしたこと
とは別に﹁資源哲学をどこに求めるか﹂という根本問題の究明にあたっている︒これは世界的な資源再編成の到来に
あたって必要欠くべからざることであり︑この根本問題の上に︑政策が展開されるべきである︒エネルギー白書では
わが国の資源問題研究
こうした基本的な哲学がないままに政策的策定がなされるため資源問題の方向の設定が出来ないわけである︒
長洲氏はこれを文明論︑国際政治︑南北問題という三つのレベルで考える︒この第一のレベルで︑資源の長期的な
面での枯渇を前提とし︑経済活動の目標全体がフローよりもストックへと転換しているので︑資源多消費型の産業構
造.生活構造を続けることは進歩とはいえないときめつける︒そしてこれをふまえて新しい資源政策とか資源観を考
えるべきだと示唆する︒この点は十分に検討を要するところであり︑こうした前提条件をふまえての資源論の展開で
あれば︑一応の資源政策の方向も出てくることになる︒
このように一つは日本のエネルギー危機がどのような立場におかれているのか︑その本質論の展開と︑さらに新し
い資源哲学といったものの再検討がなされなければならないことを知ったうえで︑アメリカのエネルギー政策との比
較から日本のエネルギー問題を考察してみよう︒
第一にいえることは︑アメリカのエネルギー教書で強く表面に出されていることは︑その危機感の真因が現実のエ
ネルギー不足ではなしに︑その対外依存度の急上昇にあるとの見通しからくるものであり︑他の要因は国際石油産業 ︵54︶の動揺にあるとの見方がなされている︒アメリカのエネルギーは豊かな国民生活に全くビルト・インされてしまって
いるため︑エネルず問題が国民経済的視野と切り離して考えることがで輪麓であろうが・それにしても呆の危
機度はその数十倍にもおよんでいるわけである︒図ωからわかるように︑主要国のエネルギー・石油の海外依存度を
みても︐二本はアメリカとけた違いの危険度をもっている︒にもかかわらアメリカのエネルギー教書の出現によって
にわかに危機意識が到来したかのごとき日本の資源観には︑全く奇妙なものを感ずるの稿訓罷︒アメリカのエネルギ
ー海外依存度は一九七〇年に一〇%︑高いときでも三〇%にすぎないといわれている︒
159
輸入先はほとんど︵全輸入量の八一%︶中東地域に偏っている︒国際石油資本の相対的な地位の低下にともない原油 とでのエネルギー政策を考えればよかったわけである︒ところが中東石油戦争に入った現在︑図②の示すごとく原油 ところが日本はこれまでメジャーの支配体制に依存していたため︑また低廉・安定的な︑かつ豊富な供給体制のも 第1図 各国のエネルギーおよび石油の海外依存度
96 100 90
口引エネルギーの麟依存度α970年)
60
囮石油の海外依存度(1971年)70
6Q
50 40 30 20
ユ0
日 本 イタリア フランス イギリス.酉ドイツ ア〆リカ
資料:エネルギーの海外依存度については,国際連合「WorH EnerBy Supplie5」
石油ρ海外依存度については,OECD「Ou St直tisti。s」
.(注).エネルギーの麟鮪臣レ。監う鋒謂 石油の海臓醸一玉、油+編薮響、製購入
出所:「日本のエネルギ「問題」輯年10月.通商産業省
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第2図 わが国の原油地域別,国別輸入比率(昭和47年度)
(2.9)
(2.7)
インドネシア(13・7)
その他(9.5)
, ,
, 中立地帯
(8.3>
ノ ! ,
︑
南方地域
(16.4)
イラン
(37.3)
中東地域 (80,7)
/ノ \
ノクウエイト サウジアラビア 、、
,、.,、1(1・,,
ノ
資料:通商産業省「石油統計月報」
(注) ( )内は構成比(%)
出所:「日本のエネルギー問題」48年10月,通商産業省
160
わが国の資源問題研究
産出の削減によって一五%台の低下のもたらす供給不足をどう乗りきるか︒つまり日本の資源政策も供給不足時にお ︵54110︶ける綜合エネルギー対策を立てる必要にせまられてきたことになる︒
アメリカの教書がエネルギー政策の課題に安全保障をかかげ︑そのために自給率を高めようとするのに︑わが国の
白書ではいかに海外から安定的な供給を促進させるかに主点をおいている︒ところが前述のごとくメジャーか産油国
かの二者択一となると全く方向を見失ってしまう︒白書にも国際石油資本によるこれまでの石油の供給支配体制がく ︵11︶ずれて︑将来において産油国が国際石油資本とならぶ石油の供給者としての地位を占めることが明示されるにもかか
わらず︑安定供給の道をどこに求めてよいか︑少くとも国際協力という共存共栄の大原則によるとしても︑現在では ︵21︶これ以上の方策が求められている︒ ︵13︶ すでに世界先進国のそれぞれの国のエネルギー政策の基本問題が石油政策に集約されているが︑その石油問題をと
りあげてみても︑現時点では国際石油資本と産油国さらに大量輸入国といった三極構造がどのようなルールにしたが ︵35︶って行動すべきであろうか︒これらを桔抗力︵Oo三①辱美並αq勺︒≦2︶の理論モデルで考えてみる斎藤氏の考え方も興
味がある︒しかしOPECをもって強者への桔抗力としてバランス・オブ・パウアーを計る産油国に対して︑わが国
のごとき消費輸入国は︑どういつだ桔抗力をもって対処したらよいのか︒むしろ大量消費国間での過当競争がOPE
Cの交渉上の立話を強め︑価格の不合理な値上げを招くといった国際資本側の不安も見逃がせない︒消費国間の過当
競争はメジャーの交渉上の立揚を弱め︑それは同時に消費国にとっても不利益になるという考え方からすれば︑消費
国の安定供給確保の桔抗力は何をもってすればよいのであろうか︒
産油国の狙いとする事業参加の最大の目的がメジャーの産油会社の経営に参加することであり︑それによって石油
161
の利権が満了したとき自力で操業するに必要な経営的︑技術的経験を修得することにある︒しかし問題は事業参加か ︵22︶らコスト・オイルを取得し︑自国の経済開発と工業化を飛躍的に進めることにあるわけである︒
だがここでメジャーも消費国も考えなくてはならないことは︑結局産油国は有限な地下資源をもって自国の経済開
発と工業化の方向を進めなければならないのに︑過去においてそうした開発が少しもなされていなかった事実が︑現
在の先進工業国のエネルギー危機をもたらしているともいえる︒それは消費国の桔抗力はむしろ資源を輸入するだけ
でなく︑資源開発のリスクを負担する直接投資を意欲的に進めるところに見出すべきである︒それには小島教授の構
︵29︶想である南北貿易再編成基準と直接投資コスト低廉化基準にのっとった開発途上国直接投資を十分に考慮してなすべ ︵20︶きであろう︒一九世紀末から二十世紀初期にかけての世界の石油開発の大きなリスクを知るほどに︑その莫大な欧米 ︵25︶資本にして始めて開発可能であったことがわかるが︑先進工業国の現地企業へのダイベストがなされなかった事実を
かえりみると︑産油国の事業参加への熱望は全く無視できないことである︒さらに産油国の原油の価格と生産・販売
に対して自主的決定権を与えるという方向が資源問題を解決していく鍵である現状をよく認識すべきであろう︒こう ︵26︶〜︵28︶したことは多国籍企業の研究がわが国でも漸くその緒についた感じがあるが︑こうした面からの資源問題の究明が︑
これからの課題であろう︒さらに資源保有国が開発途上国である点から︑資源開発︑現地での資源産業については︑ ︵9×37︶︵50×5314︶その国の発展段階に応じた先進工業国の開発援助政策がとられるべきであることも十分に考慮すべきである︒
162
四︑む す び
資源問題は中東産油国の石油をめぐって世界を大いに動揺させている︒そこには国際石油資本・産油国・消費国の
わが国の資源問題研究
微妙な関係によって危機を大きくもまた小さくもする要因をかもし出している︒その理由はともあれ︑石油の最大輸
入国であるわが国は︑エネルギー危機の真中に浮び出てきたことになる︒これまで国際石油寡占体制の下で低廉にし
て豊富な安定的供給によって︑高度成長を達してきた状態から︑不安定な供給不足状態に転換した現在︑その問題の
核心をどこに求めるべきであるか︑わが国の資源外交の真価が問われる時でもある︒またある意味ではこうした危機感.
によって新しい資源開発への思い切った移行がなされる一つの契機ともなるべき時期を迎えているとも考えられる︒
こうした転換期に再度︑資源問題を根本的に考えてみようというのが本稿での狙いであった︒その分析のために当
面︑重要とみなされる問題を設定して︑それに関する論議の焦点を︑これまでの著書︑論文から整理しそれなりの意
義を展開してみようとした︒
それらの帰結は︑資源問題の本質を十分に究明することであり︑人間と自然・環境条件の関連から把えなければな
らない資源の意味を︑これからどのように生かすべきであるか︒いたずらに増大する資源需要に合わして資源供給を
考えるといったこれまでの資源問題を改めて考え直す時期に至ったとも思われる︒さらに資源哲学をどういつだ側面
から考えてみるのか︑といったこともこれまでの資源産業をわが国の産業構造のなかで別の角度から考えて再検討す
べきである︒それには塗ネルギ需要の構造と長期予測を経済成長との関連において・計重る前に資源問題から
みた産業構造のこれからの変革を考慮したうえでおこなうといった方法がとられるべきであろう︒つまり︑資源需給
予測に必要な経済システムを作成し︑これからの産業構造がこのシステムの中でどのような方向で関連するかの点を
考察し︑さらに可採埋蔵量とか技術開発︑採鉱・開発投資などを折りこんだシステム・マップを作成して︑一国の経 63済発展との関連で予測されることがのぞましい︒もっともこの基礎となるべきことは資源の本質をふまえての分析が ー
なければならないことも忘れてはならない︒ ︵42︶ 脳 もっとも鉱物資源にしても︑その材をどのような型で把握すべきか︑さらにそれをどのような型で︑つまり加工過 ︵5312︶程をどの程度にした材として国内産業に取り入れるか︑などの点も十分に考慮して資源産業構造を変革すべき時期で
あるとも考えられる︒それにはエネルギー白書に強く出された環境汚染も含めてのものでなくてはならない︒
本稿はわが国の資源問題に対する一部分をある問題に対して整理し︑考察したにすぎないが︑このあたりで資源問
題に関する認識がきわめて高まってきたので整理すべき時期にきたと思われる︒それには資源論の体系的な論議がの
ぞまれるわけである︒さらにわが国が無資源国だけに国際的立場から展望しなければならず︑現実の問題としては国 ︵21︶際的なオイル・マンによる活動をのぞむとともに︑資源学の研究もさらにのぞまれるところである︒
︵1︶ 資源問題に関する著書
1110987654321
) ) ) ) ) ) ) ) ) ) )
板垣興一編﹃日本の資源問題﹄外務省経済局︑昭和四五年六月︒
板垣興一編﹃日本の資源問題﹄日本経済新聞社︑昭和四七年七月︒
板垣興一編﹃日本の海外資源開発政策﹄︑外務省経済局︑昭和四六年七月︒
板垣興﹂編﹃世界の資源と日本の経済・貿易﹄︑世界経済研究協会︑近目刊行︒
経済審議会資源研究委員会編﹃国際化時代の資源問題﹄︑大蔵省印刷局︑昭和四五年三月︒
経済審議会資源研究員会編﹃変化の中の資源問題﹄大蔵省印刷局︑昭和四七年十一月︒
科学技術庁編﹃将来の資源問題 人間尊重の豊かな時代へ一﹄︑大蔵省印刷局︑昭和四六年十二月︒
経済同友会編︑﹃転換期に立つ資源政策﹄︑経済同友会︑昭和四六年二月︒
日本貿易振興会編﹃国際的資源政策の現状と開発の課題﹄︑日本貿易振興会︑昭和四六年十二月︒
通商産業省鉱山石炭局﹃資源問題の展望﹄︼九七一年︑通商産業省調査会︑昭和四六年十一月︒
通商産業省編﹃日本のエネルギー問題﹄昭和四入年︼○月︒
わが国の資源問題研究
︵12︶ 自由民主党政務調査会﹃資源政策への提言﹄︑昭和四六年三月︒
︵13︶ 有沢広己編﹃エネルギー政策の新秩序﹄ダイヤモンド社︑昭和四一年三月︒
︵14︶ 向坂正男監修・日本エネルギー経済研究所著﹃国際石油情勢とエネルギー問題﹂︑ダイヤモンド社︑昭和四七年一月︒
︵15︶ 黒岩俊郎﹃資源論﹄勤草書房︑昭和三九年︒
︵16︶ 西尾 滋編﹃金属資源−開発の利用の戦略1﹄金属加工出版会︑昭和四六年二月︒
︵17︶ 朝日新聞経済部編﹃脅かされる資源﹄︑ダイヤモンド社︑昭和四六年十一月︒
︵18︶ 石光 亨﹃人類と資源﹂︑日本経済新聞社︑昭和四八年二月置
︵19︶ 鎌田 勲・高垣節夫﹃日本のエネルギー危機﹄日本経済新聞社︑昭和四八年入定︒
︵20︶ 小松直幹﹃石油資源戦争﹄三省堂︑昭和四八年二月︒
︵21︶ 藤原 肇﹃石油危機と日本の運命﹄サイマル出版会︑昭和四八年︒
︵22︶ 牛島俊明﹃OPEC新石油帝国の誕生﹄︑日本経済新聞社︑昭和四七年十一月︒
︵23︶ U出.ζ①巴︒≦︒・℃①﹃9︒一■︾§Q喬ミ駐きOさ罎き導﹀男90答︒︒︷自匪①Ω毎oh男︒日①︑ω中ε①簿83①牢①象Bヨ①艮
o︷ζ四昌臨昌匹 Z①≦団O﹁渉目り刈bQ. ︾ ︵大来佐武郎監訳︑︑ローマ・クラブ﹁人類の危機﹂レポート︑﹃成長の限界﹄︑ダイヤモンド社︑昭和四七年五月︶
︵24︶ ○ほジρ=①首部働=層寄︑ミミ完象︒ミ鳶§︑ミミ軌§誉︑肉ら§o︑︑§b塁無尽ミ§ひ↓冨﹄oゲ冨国︒冨一塁℃器㏄∬這$︒
︵25︶ ≧げ①暮○■出軍9ヨ四戸さ起馬ob﹄籠怠ミQミ冒トミミ出ミミ賊轟§駄ぎ讐国︒︒︒︒選︒・ぎぎ一①ヨ餌二8巴国89ρ20●①メ
20<.H㊤①㊤ ℃ユ⇒O①8口⊂ロ一く■HO①り齢 博︵26︶ ζ一錘転出断ロ9§馬肉ミ亀蕪ミ里門ミミ翫§嵩§ミ肉ミQ愚ミ辞=震舜adづ凶く.雷霧︒・H㊤ざ︵江夏・米倉訳﹃多国籍企
業の史的展開﹄ミネルバ書房︑昭和四入年︶
︵27︶ O訂ユ①ω即塞ぎ臣①げΦお①﹃&.§Qぎ鷺§ミ帆ミミOo愚ミミご§︾魯悪婆ミミ目冨ζ⇔ω︒︒自警ロω①欝H冨葺三①oh
↓①︒ぎ︒一︒σqざ6雪.︵藤原・大和田訳﹃多国籍企業﹄日本生産性本部︑昭和四六年︶
︵28︶ 菊二日︒暴く臼ロ︒P恥︒籠ミ賊逐一ミミしdδ︑1§馬ミミ職謹識§ミ愚︑§匙ミ︐q・鯵肉ミ鴨港蕊2目㊤謡︵窪見芳浩訳﹃多国籍 65 1 企業の新展開−追いつめられる国家主権﹄ダイヤモンド社︑昭和四入年︶
︵29︶ 小島清﹁世界貿易と多国籍企業﹂創文社︑昭和四八年六月︒
︵H︶ 資源問題に関する論文
︵30︶ 向坂正男﹁世界と日本のエネルギー問題﹃転機に立つ日本経済﹄︑経済展望談話会︑昭和四入年一〇月︒
︵31︶1 行沢健三﹁日本経済と資源の外国依存﹂﹃日本貿易のゆくえ﹄日本経済新聞社︑昭和四七年十二月︒
2 ﹁主要国の資源輸入先と目本﹂︑﹃アジア経済﹄一九七三年二月︒
︵32︶ 辻村江太郎﹁七〇年代の資源エネルギー問題﹂﹃経済政策とインフレーション﹄︑東洋経済新報社︑昭和四八年︒
︵33︶1 正村公宏﹁理念に欠ける日本の資源政策﹂﹃エコノミスト﹄昭和四五年一〇月六日号︒
2 ﹁エネルギー危機と日本の対応⁝取組むべき根本問題﹂﹃朝日ジャーナル﹄︑昭和四八年三月三〇日号︒
(
R4︶1 深海博明﹁国際経済学における資源﹂﹃経済評論一特集︑日本の資源問題の視角﹄昭和四六年五月号︒
2 ﹁資源問題と日本の貿易政策﹂国際経済学会意﹃転換期の日本貿易政策﹄一九七二年︒
3 ﹁国際経済学における資源問題﹂﹃三田学会誌﹄六三巻︑一〇︑=一号︑六四巻三号︑昭和四六年︒
4 ﹁日本の資源問題﹂1連載講座﹃経済セミナー﹄昭和四八年十一月号︑第入回目︑資源問題研究小史︒
5 ﹁資源と経済発展﹂﹃三田学会誌﹄一九七三年六月号︒
︵35︶1 斉藤 優﹁国際資源問題解決のために﹂﹃世界経済﹄世界経済調査会︑昭和四五年一〇月号︒
2 ﹁国際資源経済秩序の再編成﹂︑一九七三年︵未刊行︶︒
︵36︶1 古沢 実﹁農林水産資源開発輸入の現状と問題点﹂︑﹃世界経済評論﹄世界経済研究協会︑昭和四四年九月号︒
2 ﹁海外資源開発の歴史と国際的供給体制の確立﹂︑板垣興﹁編﹃日本の資源問題﹄日本経済新聞社︑昭和四七年︒
︵37︶ 逸見謙三﹁発展途上地域の資源開発iインドネシアー﹂︑﹃日本の海外資源開発政策﹄外務省経済局︑昭和四六年七月︒
︵38︶1 鈴木英夫﹁わが国資源問題の新展開﹂﹃世界経済評論﹄世界経済研究協会︑昭和四六年三月号︒
2 ﹁資源政策の新展開﹂︑板垣興⁝編﹃日本の資源問題﹂︑日本経済新聞社︑昭和四七年︒
︵39︶− 黒岩俊郎﹁技術革新と資源問題﹂﹃日本の資源問題﹄昭和四七年目
2 ﹁目本鉄鋼業の資源問題﹂﹃経済評論﹄一九七一年五月号︒
3 ﹁将来の人間︑自然︑資源﹂﹃世界の資源と日本の経済・貿易﹄刊行予定︒
166
わが国の資源問題研究
︵40︶ 1 大町北一郎﹁天然資源利用の将来予測﹂︵未刊行︶︒
2 ﹁天然資源と循環資源﹂﹃世界の資源と日本の経済・貿易﹄︑刊行予定︒
︵41︶座談会﹁資源開発の新秩序を考える1問い直される国際協調の条件一﹂﹃エコノミスト﹄昭和四七年﹁二月二六日号︒
︵42︶ 寺本光朗﹁イラク石油国有化以降i国際石油セミナーに出席して﹂﹃エコノミスト﹄前掲書︒
︵43︶ 高橋 昇﹁資源論議に三つの疑問ーコスト主義から脱皮できるか﹂﹃エコノミスト﹄ 一九七三年三月二七日号︒
︵44︶ エコノミスト編集部﹁ゆがんだ日本入の資源観一外ばかり見て一〇〇年1﹂﹃エコノミスト﹄一九七三年三月二七日号︒
︵45︶ 長洲一二﹁迫られる資源再編成への適応﹂﹃エコノミスト﹄一九七三年一〇月三〇日電︒
︵46︶ 特集.エネルギー危機と経済協力シンポジウム﹁資源経済協力への新しい戦略﹂﹃エコノミスト﹄ 一九七三年一〇月三〇
日号︒
︵47︶1 小宅庸夫﹁これからの資源政策のあり方﹂﹃経済と外交﹄︑経済外交研究会︑一九七一年七月号︒
2 ﹁国際石油情勢と目本の進路﹂﹃世界経済評論﹄︑世界経済研究協会一九七三年三月号︒
︵48︶ 玉置正美﹁非鉄金属の政治経済学﹂﹃経済評論一﹄九七﹇年五月号︒
︵49︶ 高垣節夫﹁原油値上げと産油国の資源政策﹂﹃経済評論﹄︼九七一年五月号︒
︵50︶ ﹁中南米にみる資源争奪戦﹂﹃東洋経済﹄一九七三年九月二九日号︒
︵51︶ ﹁中東新情勢と石油危機﹂﹃東洋経済﹄一九七三年十︼月三日号︒
︵52︶ 菊地勇夫﹁海外資源開発と国際協調﹂﹃世界経済評論﹄一九七二年︼月号︒
︵53︶1 大畑弥七﹁資源問題と国際協力﹂板垣興︸編︑﹃日本資源問題﹄日本経済新聞社︑昭和四七年七月︒
2 ﹁資源問題の新しい視覚﹂外務省経済局監修︑﹃経済と外交﹄一九七一年七月号︒
3 ﹁資源問題の意義と性格﹂﹃早稲田社会学研究﹄︑昭和四七年三月︒
4 ﹁日本の資源問題と低開発国の経済発展﹂﹃世界経済﹄昭和四八年四月︒
︵54︶ アメリカのエネルギー教書に関する資料
1 ﹁エネルギー戦争﹂﹃週刊ダイヤモンド﹄﹇九七三年四月十四日号︒ 67 2 ﹁国内資源見直す米エネルギー教書﹂1宮嶋信夫一﹃エコノミスト﹄一九七三年五月一目︒ 1
3 ﹁石油危機﹂ージェームズ・E・エイキンズー︵﹁フォーリン・アフェアーズ﹂四月号に掲載の論文︶﹃世界週報﹄ 一九
七三年五月百︒瓦 鵬
4 ﹁アメリカのエネルギー危機﹂︑高垣節夫﹃経済セミナー﹄一九七三年五月号︒
5 ﹁米国のエネルギー教書﹂﹃週刊ダイヤモンド﹄ 一九七三年五月五日号︒
6 ︵エネルギー特集1︶︑﹁無資源国日本のエネルギー教書﹂︒﹃東洋経済﹄一九七三年五月五日号︒
7 ﹁教書がふれなかったその国際戦略﹂1井口東輔﹃東洋経済﹄一九七三年五月五日号︒
8 ﹁アメリカのエネルギー問題﹂﹃東京銀行月報﹄第二五巻第六号︼九七三年六月︒
9 ﹁アメリカのエネルギー教書と日本﹂⁝高垣節夫︑﹃世界経済評論﹄一九七三年七月号︒
10 ﹁世界の中の目本のエネルギー問題﹂︑近藤晋一︑﹃世界の経済評論﹄一九七三年八月号︒
11 ﹁ニクソン大統領のエネルギー教書と米国のエネルギーー現況﹂一内藤沓直︒﹃世界経済﹄一九七三年八月号︒
︵55︶ ﹃国際経済﹄九月号︵第十巻九号︶11︵資源特集号︶11
1 ﹁地滑り起こる世界の石油地図﹂︑富館孝夫
2 ﹁燃え盛るアラブの資源ナショナリズム﹂︑志村嘉一郎
3 ﹁海外膨張主義の危険をはらむ石油自主開発﹂︑井口東輔
4 ﹁エネルギー危機下の日本石油産業の海外進出ラッシュを見る﹂︑瀬木勇人
5 ﹁省資源経済に立つ新たなエネルギー政策を確立せよ﹂︑︵座談会︑石油の安定供給確保の道を語る︶
︵一九七三年十月三十日︶
︵付記︶本稿執筆後︑中東情勢の変化により︑目茶のエネルギー源の大半を占める石油政策に大きな変化をもたらしてきた︒その
危機感の深まりによりエネルギー論がたかまり︑国民一般の資源観も身近なものとなり︑新たなものとなった︒石油に関するも
の︑中東問題に関するものの論議も多く出版されているが︑そうした情況とは別に資源︑エネルギーについての根本問題を取り
扱った優れた二つの論文が発表されたので付記しておく︒
・向坂正男﹁エネルギー政策﹂篠原︑馬揚編﹃現代産業論㈹産業政策﹄日本経済新聞社︑昭和四入年十一月︒
・今井賢一﹁国際産業組織と資源問題﹂﹃現代経済﹄十一︑日本経済新聞社︑昭和四八年十二月︒