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共通テーマ「北京オリンピック雑感」 : 記憶の中の オリンピック

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共通テーマ「北京オリンピック雑感」 : 記憶の中の オリンピック

著者 苅谷 春郎

出版者 法政大学体育・スポーツ研究センター

雑誌名 法政大学体育・スポーツ研究センター紀要 = The

Research of Physical Education and Sports, Hosei University

巻 27

ページ 89‑89

発行年 2009‑03‑31

URL http://doi.org/10.15002/00007199

(2)

第27号

共通テーマ

「北京オリンピック雑感」

79

(3)

法政大学体育・スポーツ研究センター紀要27.89-89(2009)

記憶の中のオリンピック

苅谷春郎

私の記憶の中に登場するオリンピックは、中学2年生、

1960年のローマオリンピックからである。それ以前のオリン ピックは、全く記憶の中にない。現在のように、オリンピッ ク情報が氾濫する時代でもなかったし、育った環境もスポー ツとは全く縁のない家庭であったせいもある。中学1年生か ら始めた陸上競技ではあったが、オリンピックは、あまりに も遠い遠い存在であり、知るよしもなかった。たまたま、布 団にくるまりながら寝床の中で、ガーガーと雑音ばかりの中 で聴いた鉱石ラジオによる、オリンピックの中継放送が、オ

リンピックを知る始まりであった様な気がする。

そして、ローマオリンピックが閉幕し、しばらくすると本 屋にオリンピック特集号の雑誌が店頭に並び、その中の-冊 が、現在に至るまで私の宝物の-冊となる。

薄っぺらな雑誌「月刊・陸上競技マガジン・10月号・ロー マオリンピック特集号」が、オリンピックなるものを目で知 り脳裏に焼き付ける契機となった、私にとって宝物の-冊で ある。100Mの反射神経の天才・ハリー(独)、女子100.

200M,400Mリレーの三冠を制した黒い真珠・ルドルフ (米)の脚線美等々、百回以上読み返したであろうモノクロ グラビアによって、ゴールドメダリストの存在を認識し、私 をスポーツの世界へ、さらにスポーツの指導者への道へと誘 ってくれた貴重な-冊なのである。

高校入学後、休部になっていた陸上競技部を若い体育の先 生と再建する部活動に熱中し、青春を躯歌していたが、そこ にやってきたのが、1964年の東京オリンピックである。1960 年から64年の4年間は、オリンピックの開催準備で東京の街 並みが一変した。民家が壊され、国道246号が拡副され、高 速道路が建設された。さらにオリンピック会場も次から次と 新設され、国立競技場、代々木競技場、駒沢競技場が完成し、

三波春夫の五輪音頭が街中に流れ、いやがうえにも日本国中 オリンピックムード一色に包まれていった。

1964年10月10日、「世界中の青空を東京に集めた」と開会 式の実況中継が伝えるように、青空にくっきりと五輪マーク の飛行機雲が描かれ、整然とかつ躍動感に包まれた入場行進、

高校三年生の脳裏に強烈に植え付けられた東京オリンピック の始まりである。

数日後、聖火がともる聖火台の真下の団体席のスタンドに て、人類初の10秒の壁を破る100M.9秒9(追い風参考)

をこの目で目撃し、全身電気が走るような衝撃を受ける体験 をした。黒い弾丸と云われたボブ・ヘイズ(米)の100M、

バックスタンド最上段の席から肉眼で目にした筋肉の塊に圧

倒された。(実際は、スタート地点を遠くから傭敵している ので米粒ぐらいにしか見えないのだが)世界とのあまりの差

に衝撃を受け、高校で陸上競技は終わりにしようと決めたの もこの瞬間だったと記憶する。

さて、青春時代に遭遇したローマと東京オリンピックの記 憶、何の資料に当たらなくとも、いまだに鮮明、かつ正確に 選手の名前も記録も蘇る。

さて今夏の北京オリンピック、一党独裁国家が催すオリン ピックショー、過剰にデコレーションされた開会式、これで もかこれでもかと多角的にテレビカメラが写しだす選手の姿 や競技映像、ただただ甘ったるくてボリュームだけが売りの アメリカのケーキの様に、60歳過ぎた者にとって、胸につか える重苦しさを感じ、テレビのスイッチを切ってしまう。そ していつ閉会式があり、オリンピックが終わったのか…。

そして6ヶ月たったいま、オリンピックの映像が全くとい って脳裏に沈殿していないのは、私の老化による記憶力の退 化なのか、あるいはマスメディアの過剰な演出によるアレル ギー反応によるものなのか定かではない。何事も過剰なるも のはあきられ、記憶として沈澱しにくい事を教えてくれたの が、北京オリンピックであったと思えてならない、へそ曲が

りな私だけが感じた雑感であろうか、気がかりでもある。

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