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人形浄瑠璃における平家物語受容のあり方を巡って 付・『仏御前扇軍』論

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(1)

人形浄瑠璃における平家物語受容のあり方を巡って 付・﹃仏御前扇軍﹄論

伊     藤

V;

はじめに

本稿は'浄瑠璃作品の素材とされた平家物語の説話の側から浄瑠璃作品の分析をお

こない、浄瑠璃作者が'平家物語をはじめとする軍記から'どの説話を取‑上げ'ど

のように加工したかを考察することにより'浄瑠璃作者による素材選定の様相や作劇法を検討するものである。

本稿における考察の対象としては、平家物語(「源平盛衰記」を含む)と、平家物語

を主な素材としている浄瑠璃の作品(いわゆる「源平物」) を取‑上げる。平家物語は

作品を構成する説話の種類が豊富な上にその性格が明確で分類しやす‑、かつ一つ一

つの説話の形が非常に明瞭で切り出しやすいため、本稿でおこなう検討には最適と判

断し

た。

なお'平家物語とほぼ同時代'同素材を扱う軍記物語に「義経記」がある。平家物

語と「義経記」は登場人物や話材が重なり合う部分もあり'どちらを素材としている

かで考察対象を区切ることには問題なしとしないが'本稿では'中心となる話材が平

家物語によると思われる作品のみを考察の対象とする。その理由は、今回'先に述べ

た視点からの分析を試みるにあた‑、作品を構成する説話ができる限り単純(あまり

多‑の内容を含みこまないという意味で) かつ作品の文脈における位置づけが明確で

あり'浄瑠璃においてどのような解釈・加工・脚色が施されているかという点をはっ

きり読み取ることのできる作品を対象として選択する方が'分析のモデルとしては適

当ではないかと考えたためである。

()「義経記」は室町時代物語の影響を色濃‑受けており、「系譜的には中世後期の御伽

草子などの文学的世界につながる側面を見せている」とも言われ (﹃日本古典文学大

辞典﹄ 「義経記」 の項。執筆は梶原正昭氏)'平家物語とはかな‑異なる要素を含みこ

んでいると考えられる。本稿は'ここで試みるような分析が果たして浄瑠璃作品を論ずる上で有効かどうか瀬踏みをするという意味もあり、今回は論点を単純化するため'

対象を平家物語に絞った。 「素材としての平家物語

周知の如‑、平家物語には五十種を超える諸本が存在するが、本稿では、以下に逮

べる検討の結果、平家物語のテクストとして'原則的に流布本と「源平盛衰記」(以下'

「盛

衰記

」)

を用

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こと

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以下

、本

稿で

'「

 」

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家物

語と

言っ

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合'

「盛衰記」「源平聞静録」等'「平家物語」とは呼称されていない諸本も含めた平家物語

全役を指す。書名が「平家物語」であることを特記すべき場合は、「 」をつけて記すか'

「〇

〇本

」と

一本

の名

称を

付す

)。

平家物語に限らず'軍書(中世の軍記物語'近世に製作された通俗軍書) の類が近

:g:世の庶民に愛読されていたことは間違いないが'これらの平家物語諸本のうち、近世

の大坂に在住していた浄瑠璃作者が目にすることができたものはどれであったかを判

断することは、ほとんど不可能であろう。しかし、当時の書籍目録・解題を参考に'

ある程度の推測をおこなうことはできるのではないかと考え'諸文献に記述が見られ

る平家物語諸本を抜き出してみたところ'次のような結果となった。

I{,l

○﹃

群書

1覧

﹄ 

(尾

崎雅

嘉著

、享

和二

年刊

)

G 3

源平盛衰記 四十八巻/平家物語 十二巻/平家物語長門本 写本 十六巻 或は

十二巻/平家物語嵯峨本 十二巻

J○﹃参考源平盛衰記﹄ (水戸彰考館編纂'享保十六年に精撰本完成) の凡例

十1本が掲出される.清水真澄氏によれば、この十1本は、流布本・現在の鎌倉本・

伊藤

本・

八坂

本・

現在

の康

豊本

・如

白本

・佐

野本

・南

都本

・南

都異

本・

束寺

本・

T o

門本に該当する。caO﹃新編鎌倉志﹄ (水戸彰考館編纂、奥書よ‑貞享二年成立) の引用書目

Iv ,)

源平盛衰記/平家物語/異本平家物語 (八坂本・鎌倉本・長門本)

3→九EO京都鼻殊院の蔵書目録

(

平家物語 片仮名本 十二策 八巻日嗣一画/源平盛衰記 附目録一策 四十八

巻 甘四策一画/平家物語 平仮名絵入 十二策

鼻殊院は最澄によって比叡山に建立された天台宗の寺院で'文明年中に伏見宮貞常

(2)

親王の皇子慈運親王が入寺して門跡寺院とな‑'明暦二年'現在の寺地に移った。清

水氏は「﹃平家物語﹄ の伝本が、こうした貴顕のもとでも流布本と思われる十二巻本と

( := !

)

﹃源平盛衰記﹄ の二種にとどまる事は注目される」と指摘している。

( 3)

O「

今大

路家

書目

録」

平家物語 十二冊 善本/同 二十冊 書本

冊 同 片仮名雑/源平閑静録 不足五冊 書本 長府本/源平盛衰記 二十四

一ノ上下 五八ノ上下斗

福田氏によれば'﹃今大路家書目録﹄ の「おおよその原型は江戸初期に成立し'江戸

中期に現存本の形に整えられたと思われる」とされる。今大路家は徳川のお伽衆を務

めた家柄で'室町末期の名医曲直瀬道三の流れを汲み'二代目道三が江戸に招かれて

( 3)

徳川の典薬になって以来'今大路家と改めた。福田氏は、今大路家について「医家で

ありながらも'かかる芸能や文芸とからんで‑る文化圏・交流圏の一つの発信地であっ

た」「治癒の謝礼として貴人よ‑書籍が送られるといった事情も考慮されるべきであろ

う」と指摘している。また'仮名草子や舞の本といった俗書'日常に使用していた医

学の実用書などは記載されず'もっぱら稀親書'家の誉れとなる喜ばか‑を記してい

るという。

( 3)

O「

大惣

蔵書

目録

平家物語 十二冊(二種。そのうち一種は延宝五年刊の流布本系統)/平家物語 長

門本 二十冊/源平盛衰記 二十四冊(二種)

大惣の目録では'長門本が貸本として装備されているのが興味深い。近世の一般の

人々は'読み物的な書物(小説や軍書の類) は蔵書とするより貸本屋で借りて読むの

( 3)

がもっぱらであったという指摘もあ‑、そうした事情を踏まえれば'近世'長門本が

庶民の目に触れる機会は思いのほか多かったのではないだろうか。

以上へ瞥見した目録類は、門跡寺院や国学者'お伽衆のような蔵書家の蔵書目録や'

水戸徳川家が総力を挙げておこなった書物編纂作業の際に用いられた引用文献である

など'庶民には手に入れられないような文献が多‑含まれているであろうことが想像

される。また、これらの目録類から確認されることは'これらに共通して確認できる

のが「盛衰記」と流布本である、ということ‑らいである (この他'六つの目録のう

ち五つに長門本が記載されていることにも注目すべきか)。しかし'そうした点を考慮

に入れたとしても、人形浄瑠璃の観客たる大衆は'平家物語諸本のうちでも特に流布

本や「盛衰記」に何らかの形で接する機会が多かったと考えることはできるのではな

かろうか。以上の推定は内容的に偏った目録によるものではあるにしろ'少な‑とも

近世芸能である浄瑠璃を考える場合には、流布本'さらには長門本にも目配りするべ

きではないかt ということは言えるだろう。

続いて'平家物語の構成について整理してお‑。平家物語が説話の集積から成ると いうことは、夙に指摘されてお‑、現在、平家物語が多‑の説話から構成されていること'そのことは挿話的なもののみならず'合戦部分など平家物語の本筋をなす部分にまで敷宿して考えてよいということは'大方の認めるところであろう。

( )

平家物語の説話については'すでに多‑の研究者によって論じられているが'本稿

では'平家物語を構成する説話の性格を'「あらゆる領域に遍在するメディアであり'

世界を認識する方法であり'また'ある言説'事柄'事件に含まれる情報のうちから、

説話管理者の価値観に基づいて伝えるべきポイントをつかみ出し'コンパクトな形で

まとめた一まとまりの話柄」として捉えている。

重要なことは'説話にはすでになにがしかの価値観が含まれているということと、

口承にしろ書承にしろ'それほど大きな改変を受けることなしに伝承されてい‑ため

には'ある程度の短さが要求されるということである。重要なポイントのみをつかみ

取る説話が長大化するということはありえない。逆に言えば'ある説話を素材として

新たな浄瑠璃作品を作ってい‑とき'説話の含む価値観をどう捉え返していくか'ま

た、非常にコンパクトにまとまった話柄をどう展開させてい‑のか'そこに浄瑠璃作者の新たな価値観や方法論の入り込む余地がある、ということである。

さて'前述のとおり'平家物語は多‑の説話から構成されている。しかし'一概に「説

話」といっでもその内容にはさまざまなものがあり'すべてを一括りで捉えることは

(lll適当でない。本稿では'諸先学の説話分類を参考に'平家物語の説話を'本系説話(主

筋を構成する説話)'合戦詳'傍系説話、背景説話の四種類に分類する。

合戦薄は本系説話に属するものであるが'軍記という作品の性格'および謡曲にお

ける戟語りなどとの関連も踏まえ、分類を別に立てることにする。また'本系・傍系

にかかわりな‑'ある個人に関する説話をまとめて捉えることも可能である (例えば'

文覚についての説話は本系と傍系のどちらにもまたがっているが、「文覚説話群」とし

て考えることもできる)。背景説話は'平時息を辞して「楊貴妃が幸し時、楊国息が栄

えLが如し」 (巻一「清水炎上」) と述べるごと‑であるが'あま‑に断片的なものが

多いため、本稿での検討の対象から外す。本系と傍系のどちらに目をつけるか'説話

どうLをどう絡ませてい‑か'と言うことも'浄瑠璃作者の平家物語受容のあり方や'

作劇意図が現れるところであろう。

ただし'平家物語は説話から構成されていると言っても'平家物語は「説話集」 ではなく'平家興亡史を大きな見通しの下に述べる 「物語」 である。平家物語が説話的

発想を物語の文脈に位置づける手段の一つとして、「記録的記事」「編年体的な叙述様

(

)

式」が考えられる。「事柄の内容の具体的な描写」を伴わず、「そうしたできごとが起き'

おこなわれたということを日付との対応関係のもとに書きとどめている」だけとされ

る記事である。しかし'これが純粋な「事実の記録」とは言えず、物語の意図する文

(3)

脈にそった意識的操作(日付の改変など) がおこなわれていることはしばしば指摘さ

れるとおりである。つまり'物語の文脈が意図する方向に叙述の道筋をつけるのが記

録的記事であ‑、その道筋に沿って'物語に肉付けをし'展開してい‑のが説話だと

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*

そうだとすれば'浄瑠璃作者が平家物語を素材として新たな作品を作る場合'いっ

たん物語を説話のレベルにまで読みほどいて平家物語の文脈から説話を解放し'説話

が物語の文脈に沿う形で持っていた価値観や切‑口を一度削り取った上で'今度は自

分の作品の文脈に沿って、新たに説話を再構成していく必要がある。説話をどのよう

に捉え返し'新たな意味を与えてい‑か'作品の文脈にどう位置づけてい‑か'その

方法が浄瑠璃作品のありようを規定してい‑ことになろう。

また'能や舞曲と異なり'長編化が進んだ浄瑠璃の場合'一つの説話だけで作品を

構成することは (できないことではないが) かな‑難しいと思われる。だとすれば'

いかに説話を組み合わせ'展開してい‑かという点に、作者ごとの作劇法の特徴が表

れることになろう。説話が措かない部分を補うという方法もあれば'説話に書かれた

ことはそのままに'新しい意味を付与するという方法も考えられる。説話の組み合わ

せを変えることで、別の読み方を展開してい‑場合もあるだろう。また、先行芸能で

ある能や舞曲等の作品を媒介とする場合も少な‑ないであろう。その具体的様相につ

いて、次節以下で検討をおこなう。

二、

近松

の源

平物

本節では、近松の作品について考察する。検討の対象とした近松の作品は表1に挙

( S)

げたとおりである。この他にも源平物と隣接する作品が八作ある。それらの作品で平

家物語の説話がまった‑利用されていないわけではないが、主立った部分が平家物語

( 8)

以外の素材から構成されていると考えたため、除外した。

さて'ClからC10まで挙げた作品のうち、C3とC4t C5とC6ほほほ同内容

であり'少なくともococ̲wについては竹本座上演作を一部改作して宇治座で上演

( 53 )

したものと考えられるので、まとめて扱う。またへ C8 ﹃津戸三郎﹄ は角太夫座で上

漬された﹃門出八島﹄と密接な関係を有してお‑'信多純一氏によって、元禄二年五

月に竹本座で上演された ﹃津戸三郎﹄を一部改作したものが﹃門出八島﹄ であること

( S3 )

が考証されている。

これらの作品に含まれる平家物語関係説話を切‑出してみたものが表2である (巻

数・段名は流布本による)。このうち'巻数と段名に( )をつけたものは'平家物語

に直接該当する説話がないものである(1部分でも重なるものにはつけていない)。ま

た、

段名

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ほか

」と

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もの

は、

「鬼

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島流

人説

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「文

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話」

「藤

戸合

戦説

話」

などとまとめられる説話群である。このほかへ⑥⑧'⑦⑨⑲はそれぞれ「忠度説話」「熊

谷説話」としてまとめることができる。

もちろん、ここに挙げたもの以外にも'平家物語に登場する人物が現れる局面はあ

る。例えば、﹃平家女護島﹄第三「朱雀の御所」は、男らを色仕掛けでたらしこむと見

せて、実は源家再興のための兵を集めている常盤と'それを知った弥平兵衛宗清が常

盤・牛若らを落と.すという場面である。しかし'この「常盤を見逃す宗清」という設

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家物

語」

十「三日平氏」などより'むしろ「義経記」 や舞曲﹃伏見常葉﹄ などから着想を得て

J

いるのではないかと考えられるので'そうしたものは除いてある。

*Iは流布本には該当説話がないが'長門本巻二〇か、あるいはそれに拠ったかと

される謡曲「盛久」などから素材を得ていると考えられる。*2は'謡曲「景活」「大

仏供養」、舞曲「景清」などにある'平家残党の後日譜を景清1人に集約した内容の先

行作品に拠るもので'「景清物」とでも言うべき作品を形成する伝承群であるが、平家

物語に直接の典拠はない。*3の津戸三郎往生弾の部分は、﹃法然上人伝記﹄ や﹃法然

上人伝﹄ といった一連の法然上人の伝記に書かれる津戸三郎の事蹟に拠るものである

( 3)

ことが'倍多氏によって明らかにされている。

表2を1見してわかるとおり、近松は、O'‑JOまでは平家物語の説話 (群) を'

組み合わせることな‑単独で用いているが'元禄以降の作品では'説話を複数組み合

わせて作品を構成している。特に、平家物語を素材とする最後の作品﹃平家女護島﹄

では、鬼界が島流人説話、文覚と頼朝との出会いt の二つの流れに'重衡の南都焼き

討ちと清盛あっち死に'常盤・牛若と弥平兵衛宗清などを絡ませており'それ以前の

作品に比べ'説話の組み合わせが複雑になっている。いずれにしろ、作品数が十に対

して'素材とされた説話が十六という点からも'近松は一つの浄瑠璃作品でそれほど

多くの説話を組み合わせてはいないと言えよう。

( S3 )

また'これらの説話を'本系・傍系に分類すると'本系に属するものが②〜⑤⑬⑭'

( S)

合戦課に属するものが⑦⑨⑪⑩'傍系に属するものが①⑥⑧⑲'平家物語に直接典拠

が見出せないものが⑮⑯とな‑'本系説話に分類されるものが圧倒的に多い。

以上'十六の説話のうち、⑮⑯は平家物語に見出せない内容なので省略するとして'

残る十四の説話の受容のあり方について簡単に見ていきたい。

まず、説話の文脈にそれほど手を加えずに用いていると考えられるものは'②〜⑲

⑬である。紙幅の都合上すべてを論じることはできないが'い‑つか例を挙げる。

②では、「俊寛'成経'康顔の三人が鬼界が島へ遠流になり、俊寛以外の二人は赦免されるが'俊寛は一人島に残される」という説話の骨格には'ほとんど手が加えられ

ていない。また、この説話に海女千鳥、俊寛妻の東屋というキャラクターを絡ませて

(4)

秦‑ 検討作品一覧 (作品番号は本稿での検討にあたり、便宜的に付与したもの)

近聡門左衛門

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*検討の対象としたのは﹃近松全集﹄(岩波書店刊)第一〜十三巻に収録された作品のうち'平家物語中の説話が作品の中心となっていると考えられるもの。初演年月・劇場は﹃義太夫年表 近

世篇

﹄・

﹃近

松全

集﹄

解題

に拠

る。

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松松松谷 松

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左門

宿門

添削

(5)

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(9)

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「清盛悪逆・女人哀話型説話」 のモティ17を取‑入れることで'清盛の横暴を際立た

せてお‑'もともと鬼界が島流人説話の置かれていた文脈からも外れていないと考え

られる。説話の文脈ということから言えば、この作品では、それを変える手続きはお

こなわれていない.しかし'近松は'俊寛が島に7人残される理由を'俊寛自身が葛

藤の末に選択した行為であるとした。それによ‑'鬼界が島流人説話自体の骨格は生

かされたまま'俊寛が主人公のドラマとして再構築されたと言える。

⑤は'清盛の凄絶な死に様を、清盛に殺された二人の女性の亡霊によるものとする。

清盛の死は'「すは仕つるは'さ見つる事よ」と京中で噴かれ'二位殿 (「盛衰記」 で

は内の女房) の夢に閣魔王官からの迎えが現れるなど、清盛の死に様は日ごろの悪逆

の報いだと誰もが考えていたであろうことが'すでに平家物語に書かれている。﹃平家

女護島﹄ では、その悪逆が東屋・千鳥の死という形で現れており、彼女たちの亡霊が

清盛を苦しめ、最終的に死に追いやるというのは'平家物語における「清盛の死」 の

背後にあるものを'作品の中で完結する形で示したものと言える。

⑦⑨⑲の熊谷説話については'周知の熊谷発心説話に舞曲﹃敦盛﹄、古浄瑠璃﹃こあ

3 榔E

つもり﹄ ﹃熊谷先陣問答﹄ などのモティーフを取り合わせたものと考えられる。﹃大原

問答﹄自体は、出家後の蓮生に焦点が当てられており'熊谷発心説話は第一で用いら

れるに過ぎない。しかし'そのためにかえって'「あはれ、弓矢取る身程口惜しかりけ

る事はなし」「其よりしてこそへ熊谷が発心の心は出さにけれ」 (流布本)という思い

を熊谷に抱かせる敦盛との合戦辞は'熊谷出家の因縁を明らかにするために欠かせな

いものであることがはっきりする。こうしたことを踏まえれば、出家後の蓮生に焦点

を当てる作品においてもこの説話が必要であり'それは文脈の変容を意味するもので

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はないと言えよう。

一方、何らかの説話の読み替え'文脈の変更がなされているとみなしえるのは、①

⑪⑩⑭の四例である。

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ともに、主眼は盛綱より盛綱に殺害された浦人とその家族にあるが'「盛衰記」では浦

人を殺す記述は見られず、浦人の殺害は(少な‑とも「盛衰記」作者にとって)説話

の眼目ではない。﹃藤戸﹄ の作者のみならず現在の我々も'盛綱よ‑は各な‑して不当

に殺された浦人とその家族の方に関心がい‑のだが'古代・中世武士の感覚からする

(

J)

と'この説話の眼目たるべきは殺された庶民ではな‑、「馬にてうみをわたす事。かん

か本朝ためしなきとぞ。源平共にかんじ」た (「盛衰記」第四十一)盛綱の先陣の見事

さにあるのだろう。そういった意味では、能を媒介にしているにしろ、近松はこの説

話の眼目を、中世武士の視点から近世庶民の感覚に添って読み替えていると言える。

また'⑭は、前述のとおり、長門本巻二〇「主馬八郎左衛門尉盛久事」や謡曲﹃盛久﹄ などから素材を得ている。しかし、長門本にある清水観音霊験欝の様相へ謡曲に見られるような「一人の凡人が仏教的な教養にすがって得た落着き'しかもその中に浮き

(5

5)

沈みする小さな不安」や観音の利生に対する感嘆は'﹃主馬判官盛久﹄ では大き‑扱わ

れず'むしろ盛久、常夜の前と堀弥太郎へ 土屋三郎との間にあるような'敵対する人

間関係における「情」 の存在や、堀・土屋と小山太郎武者宗重に象徴される善悪の対

立構図が強調されている。霊験説話を必ずしも中世的と断ずることはできないが'中

世的な色合いが強いことは確かである。﹃主馬判官盛久﹄は'観音霊験葦を主要モティ1

7として持ちながら'それ以上に情・恩・義理といった人間同士の関係を前面に押し

出しているという点で'長門本の盛久説話を近世的に捉え直したと言えるのではない

だろうか。

以上'近松作品中に見られる説話の具体例について、非常に大まかな整理をおこなっ

た。メインモティ17となっている説話に大きな読み替えが加えられているのは⑪⑩

3

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⑭の三例であり'全体から見ればご‑わずかと言ってよい。もちろん'物語中の説話

の文脈を強調するため'あるいは関連性を強化するために新たな登場人物を加えたり'

事件が起こった日時を変更したりという操作はおこなっているが、近松の場合'説話

の骨格や構成にはそれほど手を加えず'説話と物語の文脈を生かす形で利用すること

が多いと考えられよう。

三㌧享保七年〜寛保二年の源平物

次に'享保七年から寛保二年の間に初演された源平物を'表1に挙げる (作者ごと。

角書は省略)。宗輔の作品として挙げたものは、すべて宗輔が立作者と見なし得るが、

文排堂の作品として挙げたもののうち、﹃三浦大助紅梅鞄﹄ の立作者は長谷川千四であ

3 甜m E

る。なお'立作者の所掌について'本稿では内山美樹子氏の見解(≡段目切︹合作の

状況に応じ、三段目切と深‑関わる端場、序切、二段目切、四段目切なども執筆︺を

執筆する、全体の構想・構成について責任を持つ'場合によっては自身の担当以外の

3 矧E

部分にも発言︹または加筆︺する権限を有する) に従うが'合作における執筆者分担

の問題には'最小限しか踏み込まない。

この二十一年間'竹豊両座ではほぼ毎年のように平家物語に取材した作品が上演さ

れており'再演も含めれば'さらに上演頻度は高‑なる。この時代'源平物の人気は

非常に高かったと考えられよう。

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大将鎌倉実記﹄の三作は義経記物と見なして'本稿の検討対象からは除外した。ただし'

検討対象とした作品の中にも、﹃御所桜堀川夜討﹄ ﹃清和源氏十五段﹄ ﹃待賢門夜軍﹄な

ど純粋な源平物とは言い難いものもあ‑、採否の判断に窓意的な要素がまった‑ない

(10)

とは断言できないが'作品内容における平家物語の説話の比重等を勘案し'個々の作

品に別して判断をおこなったつもりである (特に、「土佐房被斬」は義経都落ちの一因

として平家物語の中でも重要な意味を持ってお‑'この説話を扱っている作品は基本

的に

取り

上げ

た)

0

( 那)

続いて'近松作品と同様、以上の作品に含まれる平家物語関係説話を表2に挙げる。

この中にも'文耕堂②〜⑤(以下、「BO」と表記) のように、説話群と見なせるもの

が多い。文耕堂で言えばt B②〜⑤は宇治合戦説話t B⑧⑨は石橋山合戦説話t B⑫

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では、T①〜④は宇治合戦説話t T⑥⑦は清盛説話、T⑤⑨は木曽義仲説話'となる。

文耕堂の作品数が七、宗輔・その他の作者がそれぞれ五つで'平家物語を扱った作

品数にそれほど違いはないが、素材となった説話の数が'文耕堂二十八㌧ 宗輔十三'

その他の作者十四と'文耕堂が突出して多い。近松は作品数が十で説話数が十六であ

ることと比較すれば'他の作者の作品も、作品数に対する説話の数が多‑なっており、

享保〜寛保期の作品では、文耕堂を筆頭に'よ‑多くの説話を組み合わせた複雑な内

容になっていると'まずは単純に考えられよう。組み合わされた説話が少ない作品も

あるが'﹃御所桜堀川夜討﹄ ﹃清和源氏十五段﹄などは、平家物語以外から義経千人斬

‑や伊勢三郎山賊伝承'義経都落といった「義経記」 の説話を素材としており、単独

( S5 >

で用いられているわけではない。

3 岨E

次に、利用された説話の本系・傍系を表にしてみると、次のようになる。

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近松の場合'本系六㌧合戦鐸四'傍系四、その他二であるのと比較すると'文耕堂

の作品では合戦帯を素材とするものが多‑'傍系説話も、数としては本系に比べさし

て多くはないものの'作品によっては大き‑扱われることが増えている。またへ 「その

他の作者」とした五作のうち'竹本座初演の﹃伊勢平氏年々鑑﹄ ﹃太政入道兵庫岬﹄は

ほとんど平家物語中の説話には拠っておらず、﹃加賀国篠原合戦﹄は主に篠原合戦を題

材とする。豊竹座初演の二作は'一作が景清物で'残る一作は宇治川の合戦を扱って

おり、平家物語に直接該当する説話が見えない三作の外は、どちらも合戦帯を主たる

素材としている。以上のように'宗輔以外の作品はいずれも合戦辞の比重が高‑なっ

ているが'宗輔の場合は特にそうした傾向は見られない。 では'実際の作品の中で'説話は具体的にはどのように扱われているのだろうか。続けて'各作者が平家物語をどのように受容しているか'全体的な傾向を見ていく。(

一)

文耕

まず'文耕堂の作品として挙げた七作のうち、B2 ﹃三浦大助紅梅鞄﹄ の立作者は

長谷川千四のため'文耕堂の分析をおこなうについては'﹃三浦大助紅梅鞄﹄を他の作

品と同列に扱うことはせず'参考程度にとどめる。ただし、文耕堂の作品の多‑は'

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千四が享保十七年ごろに大和太夫・文三郎らと独立を企てるまで千四との合作がほと

んどであり'﹃三浦大助紅梅鞠﹄自体についても、「その他の作者」ではなく文耕堂の

作品の一つとみなした。

文耕堂の平家物語説話受容の特色として挙げられるのは'すでに触れたとおり'一

つの作品の中で素材として組み合わされる説話数が多いt ということである。平家物

語を素材とする説話を切り出しただけでも'各作品に四つから五つの説話が組み合わ

されている(例外として﹃御所桜堀川夜討﹄ ﹃壇浦兜軍記﹄があるが'﹃御所桜堀川夜討﹄

は「義経記」 の説話を利用しているし、﹃壇浦兜軍記﹄ は近桧の ﹃出世景清﹄を改作し

た景清物であるから、他の作品とは多少その性格が異なる)。さらに'その組み合わせ

においては'平家物語の中ではまった‑関連を有しない説話を持ってくることも多‑'

5 E2 E

ある一点を媒介として二つの説話をうま‑結びつけている作品もあるが'それとは逆

に'作中で用いられている複数の説話を同一作品中で組み合わせる必然性が最後まで

明確でなく、一つの作品の中で相互に関連のない二つの筋が進行している印象を与え

る作

品も

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また'複数の説話を組み合わせて作品を構成するために、個々の説話は平家物語の

文脈からは切‑離され、作品の文脈に沿う形で再構築されている。例えば、﹃須磨都源

平麟掲﹄ 初段で'狐川から俊成館に引き返してきた忠皮は'六弥太の情けで俊成との

対面が叶い'「師弟の対面敷島の道に寄り‑る身の望み。晴行‑空も明近し」と和歌の

望みを述べてはいるが'ここではむしろ六弥太・裡菊との関係を措‑ことに焦点があ

り、この場面からは、和歌への執着やみがたく'都落ちという切羽詰まった状況にも

かかわらず'和歌のためだけにわざわざ都に引き返してきた歌人忠度の姿は読み取‑

に‑い。この他の作品でも'平家物語の説話を捉え直して新たな意味を与えるtとい

うよりは、平家物語にかかれていない部分をふ‑らませて'別の物語を展開してい‑

という傾向が強い。文耕堂が﹃源平盛衰記﹄ (傍系説話を過剰なまでに盛り込んでおり、

ネタ本としては利用価値が高いが'文学としての完成度は低い) に拠ることが多いの

もへ 彼が'平家物語を作品の素材集として捉える傾向が強かったことを示しているだ

ろう

(11)

文耕堂作品に用いられている趣向の特色などは'すでに諸先学によって論じられて

( 3)

いるが'説話という面から見ると'前述のように'関連性のない説話を組み合わせる

ことで'意表をついた人物や局面の結びつきを狙い'説話の周囲をふくらませながら

物語を展開させる手法を取っていると言える。

例えば'﹃ひらかな盛衰記﹄ の樋口次郎兼光は'自分が河内に向かっている間に主君

が討たれたことを知り'一旦「我君の御さいごの欝憤すぐにかけ入。一軍」とは思い

ながらも'現在は'何とか自分の忠心を証明するために'摂州福島の船頭権四郎の家

に入婿して時節をうかがっているt という設定である。しかし'この設定は明らかに

平家物語の枠から逸脱し、独自の物語を構成している。平家物語の樋口は'最後に都

へ上って討死しょうとは言うものの、主の仇を討とう'あるいは義仲に対する自分の

忠誠を見せようtとする積極的な行動はない。彼は義仲討死の直後に投降Lt その後、

元暦元年正月二十五日 (「盛衰記」 では二十七日) に'五条西朱雀で斬首されているの

であ

る。

一方、﹃ひらかな盛衰記﹄ 三段目は「義仲が討死したとき'樋口は十郎蔵人行家追討

のため河内へ行っていて別行動だった」という説話の一部分をふ‑らませて'「だか

ら義仲討死の後も生き延びることはできたかもしれない」という視点から新たな物語

を編み出している。﹃ひらかな盛衰記﹄ の樋口は'「取られし此腕もぎ離は安けれど。

‑‑ともかくもはからはれよと弓手の腕を押廻せば」と'平家物語で運命に翻弄され'

本意ならず縄をかけられたのとは対照的に'自ら進んで縄にかかるが'これも'平家

物語の樋口が河内から戻って義仲最期の報を聞いて以降'ほとんどまった‑その意思

が見えてこない'あるいは意思が生き方に反映されてこないのに対して'﹃ひらかな盛

衰記﹄三段目では'彼は一貫して自分の意思に従って行動していると言えよう。つまり'

﹃ひらかな盛衰記﹄ 三段目において、文耕堂は平家物語からある程度距離を置‑ことで、

樋口に「自らの意思に従って行動を選択する生き方」をさせる新たな物語を作り出し

ているのである。

また

'﹃

御所

桜堀

川夜

討﹄

 で

は'

土佐

坊の

名に

「昌

俊」

「正

尊」

 の

二種

の伝

承が

ある

のを利用し'「昌俊」は頼朝と義経の和解を目指す忠臣で'義経に夜討をかけたのは「正

( 3)

尊」こと番場忠太であったという設定にしており'そこに独自性は見られるのだが'

それは登場人物がみずからの意志と決断で選び取った行動ではな‑'結局は「昌俊が

名をかつて殺さるゝは傍レが損。其損を名に取て。正尊と付てこます」と'合作者三好

桧洛好みの地口に収赦してしまう。

このように、文耕堂の作品全体の傾向として見る限りでは'登場人物や説話(局面)

の結びつきや展開に意外性を感じさせることはあっても'それはあ‑まで個々の説話

が持っていた文脈に対する意外性であり、平家物語という「歴史」そのものを大き‑ (S)捉え返すダイナミックな構想はさして顕著ではないと言える。しかしながら'これだけ多‑の説話を'大した破綻もな‑結びつけて作品をまとめ上げる構想力や'説話をふ‑らませて新たな物語を編み出してい‑ストーリーテリングの上手さは'評価されてよいだろう。(二)並木宗輔並木宗輔は'享保十一年から宝暦元年まで、二十六年間に及ぶ作者生活(寛保二年から二年間、歌舞伎作者に転じる)の中で八作の源平物を著している(義経記物とみI=[なした﹃義経千本桜﹄﹃奥州秀衡有管堵﹄を含めると十作)。このうち'本稿で考察対象とした時期は'彼のいわゆる「第一次豊竹座時代」に当た‑'この時期に八作のうち五作が執筆されている(先の二作を入れれば十作中六作)。彼の作風が歌舞伎役者にlL'.L・'転じていた二年間を挟んで大き‑変わることは夙に論じられているところだが'説話の面からこの時期の宗輔の作品を見てみると'どのようなことが言えるであろうか。まず、第一次豊竹座時代の彼の作風に関して'越前少操の美声を生かした華やかな3mE芸風にあわせ、「男性中心の論理によって疎外され傷付けられる女性主人公」を設定し、(SO女方人形の見せ場を際立たせる設定を取る、という指摘があり、平家物語を素材とした作品で言えば'﹃蒲冠者藤戸合戟﹄のしがらみ'﹃那須与市西海硯﹄の水谷・みたらし等にそうした設定が見られる。しかしながら、ここでひとつ興味深いことに'この時期の宗輔の作品では女主人公に焦点を当てることが多いにもかかわらず'平家物語の'女性が重要な役割を果たす説話をそれほど扱っていないのである。作品の性格上、平家物語そのものに女性が主役となるような説話(特に本系説話)は少ないのだが'宗輔の作品では「盛衰記」の(娼)「菖蒲前事」'「千手」が取‑上げられる程度である。文排堂が﹃仏御前扇軍﹄で扱っている「小督」は男社会の身勝手に翻弄されているだけだから(この当時の女性の生き方としては普通だったとも言える)'これはむしろ、彼女の苦境を救う立役の側に焦点を当てる竹本座の作品にこそふさわしいだろうが、妓王や巴'小宰相のように、限られた選択肢の中とは言え、自分の人生に立ち向かっていった女性が'平家物語の中にいないわけではないのである。しかし'宗輔はそうした女性たちの中から素材を取ることはしていない。文耕堂が「妓王」「小督」や「盛衰記」の「巴関東下事」などを主要モティ17として利用しているのとは対照的であるが、要するに宗輔は'そうした'女性がクローズアップされるような説話には'大して創作意欲をそそられなかったということになる。それは何故だろうか。ここでいったん'平家物語の中の女性像に眼を転じたい。平家物語に措かれる女性

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