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雑誌名 教育科学セミナリー

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生活綴方の教育思想 : 自己表現・自己解放の根 :  中野重治と生活綴方との関わりについて

その他のタイトル The educational thought of

'Seikatu‑Tudurikata': Nakano Sigeharu and education

著者 玉田 勝郎

雑誌名 教育科学セミナリー

巻 42

ページ 85‑99

発行年 2011‑03

URL http://hdl.handle.net/10112/4863

(2)

生活綴方の教育思想ー自己表現・自己解放の根—

—中野重治と生活綴方との関わりについて一一

筆者は、これまで文学者・中野重治の〈教育 論〉一狭義の国語(日本語)教育、文学教育 にとどまらず、彼の教育観、子ども観、児童文 学論、教師論、教育実践論、教育イデオロギー 批判、等を含む一ーに関する論稿を公表(I)して きたが、本稿では、〈生活綴方〉とよばれる教 育と中野重治との関わりについて論じる。

生活綴方、その教育は、「教育実践の財産目 録の筆頭に懺かれるべきもの」(福地幸造)と いわれ、「日本の教師が生んだ世界迫産」(太田 発)とさえいわれる。文学者・中野重治も文学 と教育とを串ざしにして高い評価を与えてき た。そうした評価ないし位置づけが〈生活綴方〉

実践のどこから引き出されてくるのか、その要 所を見定め、特定し、考察したい。

I 生活綴方

ー「ひろい解放運動の地下水」

昭和期に入って、鈴木三重吉主宰「赤い鳥」

誌上の綴り方作品一ーそれは「文芸主義」、「童 心主義」と批評される特質を強く持つものだっ た一を批判的にくぐり抜けることで、社会的 な存在としての子どもの生活現実に立脚し、子 どもの「ありのまま」の生活事実・実感を表現 させる「リアリズム重視」の立場に立つ〈生活 綴方〉教育運動が、主として鹿村部の尋常小学 校の教師たちによって展開された。こんにちで は国語科における「書くこと」の指導(「作文 指導」)として教科内的に、限定的に解される 場合が多いが、生活綴方教育という実践は、も ともと子どもがその〈生活〉を綴ることをとお

玉 田 勝 郎

して、彼/彼女らの多面的な〈生活意欲〉――

それは好奇心、生活事象への働きかけ、「微小 なもの」の発見、喜びや悲しみの情感、不当な ものへの抵抗感覚、あるいは切実な訴え、等々 となって表れる一ーを引き出し、生活に対する 認識とその表現力を高め、そうした固有の営み

(指導)によって〈生活に根ざした知性〉(思想・

感情=「ものの見方・考え方.感じ方・行動の 仕方」)を育んでいく、という特質を共通にも った教育であった。要約的にいえば、その教育 は、子どもの〈生活〉そのものの吟味・ふり返 り(反省)という面と、生活の〈認識ー表現〉

の指導という面との、二つの(相互媒介的な)

構成契機を含むものとして実践されてきたので ある。

中野重治は、この生活綴方に依拠した教育の 実践とその「綴方作品」に対して、文学者の立 場から持続的な関心を示し、彼独自の教育観や 子ども観、日本語教育、文章表現指導の視点か らそれを高く評価した。子どもの側につかみ取 られる〈生活の理法〉に注目し、そこに子ども をたくましく成長させる学ぴと教育との〈根〉

を見てとり、生活綴方教育運動を「ひろい解放 運動」の「地下水」と見たてたのである。ここ にいう〈生活の理法〉とは、自然の摂理、社会 の矛盾を含むが、主として生活事象(対象)に

「働きかける」際の合理、行動や作業の手順、

不当なものへの抗議や反発の根拠、さらには理

(ことわり)を追いかける「ねばり強さ」、等を 指す。実践知のもつ必然性(生きた論理)とい ってもよかろう。中野は、いうところの〈生活

(3)

の理法〉という用語を、生活綴方、とりわけ子 どもの綴方作品を批評・理解する際のキーワー ドとして用い、「現実の事象から本質的なもの と付随的なものとをふるいわける力」とも述べ ている叫

同時に中野は、生活綴方の指導に当たった教 師たちの指導法に散見される一面的な偏り、と

りわけ綴方作品に表われてくる、教師の側のセ ンチメンタリズムー「生活に即してというモ ットーが、じめじめしたことや米味噌のことを 歌うことだというふうに理解されてる傾き」や

「社会階級の問題を教えこもうとする精神」(「子 供の芸術と大人の指導」)ーに対して、手厳し い、同時に温もりのある批判を行なうことを忘 れなかった。子どもの内側から生きた〈言葉〉

が生成し拓かれていく契機・可能性を、綴方諸 作品の中に発見し、生活事象への子ども自身の 能動的な〈働きかけ〉を洞察・重視し、「言葉 づかい」の指導法に関わる具体的で鋭敏な提言 を数多く残している。「子供の芸術と大人の指 導」という文章に書き込まれた、彼の美しい子 ども像、その詩的な表現は、かのセンチメンタ リズムヘの批判であると同時に、〈綴方教師〉

たちへの彼の大きな(「大きすぎる」といわね ばならぬほどの)期待の表明でもあったろう(3)

盤根錯節は鼻たらしを待っている。それ はおやじと世界との経験に照らしてあきら かだ。要はそれを打ちやぶるに足る強い肉 体と弾力ある精神との蓑成だ。もし子供に おける空想の奔放、汎神論者かのような万 物に対する無差別、冒険心、美醜の原始的 な識別と、美を愛して醜をにくむ心、算術 的な英雄主義……場合によっては頑固もの でありおどけものであることの尊敬、利

(き)かぬ気—特に理性的なものに執念 ぶかくかじりつく精神、こういうものが思 いきり養われないで、そのかわりに、ひね

くれた解釈ずき、センチメンタルな同情心 などが蓑われるとすれば、そういう子供の 未来は知るべきである。(「子供の芸術と大 人の指導」、「教育・国語教育」・ 1936)

くりかえすが、中野は、「生活綴方の運動と いうものは、ひろい解放運動の内部部分とし て、ひろい文学運動の内部部分として、地下水 のような歴史をたどってきた」(「「母の歴史」

の背景」・ 1955)と述べて、高く評価した。生 活綴方への、彼のそうした評価、位置づけは動 かない。

これと同類・同質の評価は、戦前・戦後をと おして生活綴方教育の実践者、理論的指琳者と して持続的な活動を積み重ねてきた国分一太郎 はむろんのこと、多くの実践者・研究者によっ てなされてきた。たとえば、同和教育を「解放 教育」へと引き上げた福地幸造は、生活綴方を

「いつも(教育実践の)財産目録の筆頭に置い てきた」と繰り返し語っていたし、蔵本穂積は 柳田國男を引きながら「千年にわたってなお保 たるべきもの」 (1991)と呼び、教育学者の太田 鹿は、「文を書くことで、その子その子の設計 図を引き出して行く。そういう教育の原型、

……自己表現を助けるアート。教育における世 界遺産だと思っている。」と語っている(2010)叫

生活綴方(教育)への、こうした評価・位置 づけというものは、どこから引き出されてきた ものだろうか。中野重治は、どのような教育の 論理・理法によって、この生活綴方をとらえ、

かくも高い評価を与えたのだろうか?生活綴方 教育の固有の論理、その指導・営みの本質をど こに求めるか?こうした問いに答える前に、こ んにちでは、生活綴方、それを基軸とする教育 についていくらかの説明・解説が必要だろう

(本学の教職課程を履修している学生でさえそ の大部分が「何も知らない」という現状を想起 されたい)。

(4)

II  生活綴方の定義

ここでは、中野重治が再三紹介し、引用しも している(たとえば「愛と研究」・ 1963、「全集」

二十二巻)、国分一太郎の「生活綴方読本」(百 合出版、 1957年)から、国分が行なった「生活 綴方の定義」を抜き出しておきたい。本害は、

生活綴方の時代と総称された1950年代におい て、「生活綴方的教育方法」という用語の下で 陰に陽に醸成された「綴方万能論」的発想への

「反省」を「しっかりと頭において」著わされ たものである(本書の第五章は、「生活綴方の 限界」と題されている)。

A 今日ノ生活綴方トハ、 (1社会ノナカニ 生キル生活者トシテノ子ドモタチガ、 (2)自 分ヲトリマク外界(自然オヨビ社会・人間)

ノ事物カラ働キカケラレタリ、マタ、自分 カラソレニ働キカケル過程デ、 (3)ソノ心身 ノ発達卜環境ノチガイニ応ジテ、 (4)考エタ コトヤ感ジタコトヲ、 (5)ソノ考エヤ感ジガ デテキタモトデアル外界ノ事物ノ具体的ナ 姿ヤ動キトイッショニ、 (6)自分ノモノニ ナッタコトバ、体験卜思考卜感動ニウラヅ ケラレタ生活ノコトバデ、 (7)日本語ノ文法 上ノ約束ニモ合ッタコトバデ、 (8)日本ノ文 字デコトバヲ表記スル上ノサマザマナ約束 ニモ、ホボシタガイナガラ、 (9)ダレニモワ カルヨウニ、ハッキリト表現サセタ文章デ アル。コウシテウマレタ文章ヲ生活綴方ト ィッタリ、生活綴方ノ作品トイッタリス ル。

コノヨウナ文章ヲカカセルスベテノ過 程デ、マタ、ソノ作品ヲ集団ノナカデ研究 シ吟味シ、ソレニツイテ話シアイヲサセル 過程で、子ドモタチニ、 (1)事物ノ姿ヤウゴ キャソノ相互ノ関係カラ意味・ネウチヲ見 イダシ、事実ニモトヅイタ思想.感情ヲ形 ヅクル態度ヲシダイニックリアゲ、 (2)自然

ヤ社会ノ事物ニツイテノ正シクユタカナ見 方、考エ方、感ジ方ヲシダイニ姜イ、 (3漕: キ手自身ノ観察カ・想像カ・思考カヲノバ シ、頭脳ノ能動性・創造性ヲシダイニ発達 サセ、(4)コノコトニョッテ、子ドモタチニ、

自由ナ個性的ナ自我ヲ確立サセルトトモ 二、 (5)人間的ナ社会的ナ連帯感ヲ、シダイ 二育テテイクコトヲ目ザスノデアル。 (6)日 本語ヤ日本ノ文字ニツイテノ意識的ナ自覚

ヲウナガシテイク。

C  コノヨウナ目アテヲモッテスル仕事ヲ 生活綴方ノシゴトトイイ、コノシゴトニ ハ、マタ(1)子ドモノ生キタ生活・心理ヲツ プサニ、キメコマカク知ルコトガデキルト イウ便利ガアリ、 (2)子ドモノ内部ニヒソム 可能性ヲヒキダシッツ彼ラノタメニ将来ノ 生活ノ準備ヲハカッテヤル効果ガアルノデ アル。

こうした「定義」に示されている生活綴方の

「仕事」・実践というものは、こんにちにおいて

(も)、国語科における作文(文章表現)指導を はじめ、子どもの日記や生活記録、「児童詩」

等の指導、学級づくりにおける協同的学び(「学 級文集」・「学級通信」の活用)、「人権作文」等 における訴え、さらには成人の識字学級や在日 外国人の「日本語教室」における自己表現、等々 の学びの場面において継承され、実践されてい る。さらには南 悟「生きていくための短歌」

(岩波ジュニア新書)に示された、定時制高校 生の、定型を媒介にした生活の表現をも、そこ に加えてもよかろう。共通して、そこでは〈生 活事実ニモトヅイタ思想.感情の形成〉がめざ されているのである。筆者は、南悟の実践、

そして生徒たちの歌に強い感銘を受けた。そこ には中野重治のいう「素朴・野暮」、ぬくもり と痛み、そしてそれを通しての、はがねのよう な〈訴え〉がある。厳しい生活の理法にかじり

(5)

つくことで、生活が言葉を引き寄せ、言葉が生 活を拓いていく力が表現されているといっても 過言でない(5)

要約していえば、生活綴方の固有の仕事、そ の教育の核心部は、〈生活を綴る営み(文章表 現)による、主体(生活者・学習者)の内側か らの、思想と感情の形成(創造)〉というとこ ろに求められる。それは、教科教育でなされる ところの、「所産・所与」(文化遣産)としての 知識・思想.感情の教授や伝達(受容)ではな い。自己の生活を綴らせることで、「自然や社 会や、自己を含む人間の生活について、その意 味と美をつかみとらせ、自分の感情や意見・意 志・行動を、現実生活のなかで位龍づけさせ る。同時に子どもたちの観察カ・思考カ・想像 カ・感応力を、文章表現の活動とむすぴつけて のばしていく。」(国分一太郎、「作文と教育」

1976 ・ 4月号)。

生活綴方のなかにこのような特質をみること によって、中野重治はそれを「ひろい解放運動、

文学運動の地下水」と呼び、太田 発は「自己 表現を助けるアート」と名づけたのである。

生活綴方における表現

ー「桶を桶という」

筆者は、先の論稿(「素朴.ぬくもり・肉感 性」・ 2010)において、中野重治の「文学的(創 造的)なものと真実」と題する、生活綴方およ びその教育に関する文章を引用した。その一部 を再度引用することを許されたい。

〈文学的、創造的、芸術的といったこと を、「生活綴方運動」ということに結びつ けて眺めた場合、それは何を指している か。何を指すものと心得ていいのか。私は それを、ひどく簡単に、「物に即して」、「感 覚をとおして」というところで考えたいと 思う。そしてこのことを、人間の教育のた

め、人間が真実にたどりついて行くために 根本的に大切なことに考える。人間が、こ とに幼年・少年期に、こういう傾向を精一 ばい伸ばすか伸ばさぬかはその人の生涯に 関係する。めいめいの生涯に関係するだけ でなく、はたのもの、まわりのものにも深

く関係する。〉

〈ところで、科学的な行き方、正しい概 括ということが難重されている。それはそ うあるべきことであって、論理的な行き 方、科学的な行き方というものなしには人 間はそもそも生活することができない。ま して進歩することはできない。しかし私 は、それと全く同じほど、具体的、感覚的、

経験的な生き方が尊重されなければならぬ と思っている。特に今の日本でその必要が 大きい。〉

〈いずれにしろ、私たちはものをあるが ままに見て行く力をやしなわなければなら ない。砂糖は甘い。しかしこれは砂糖だか ら甘いというのでなくて、なめてみてあま いと知る。……何ものかを、何ごとかを、

手でさわって知って行く。眼で見て知って 行く。舌でなめて知って行く。できあがっ た知識、手足そろった学問を賄重しないの ではない。それはあくまで尊重する。しか し知識だけで万事完了とはしない。またど ういう知識も、つまるところ脚で歩いたも の、手でさわったもの、眼で見たもの、舌 で味わったもの、耳で聞いたものの集積の 上にあることを知って、さらにそれを自分 でたしかめようとする。これが「文学的」

の具体的な中身である。〉

(日本作文の会編「講座•生活綴方 5」所 収、 1963。なお、この文章は、「中野重治 全集」にはなぜか収録されていない。)

この文章での、中野の考察は、人間(子ども)

(6)

の〈想像力〉(空想力)の働き、その大切さの 指摘へと移っていくのであるが、上記引用文に おいて、中野重治は、「感覚的なもの/経験的 な行き方」と「論理的・科学的な行き方」との、

双方の「弗重」について言及しつつも、その眼 目は、両者(両極)の〈間〉(あいだ)、ないし その〈根底〉に置かれていることを見逃しては ならないだろう。中野のまなざしは、「真実に たどりついて行くために根本的に大切なこと」

に注がれている。とりわけ両者・両極の〈間〉

に介在する、自己省察や吟味をはじめとする厳 しい緊張関係を見落としてはならない。生活者 たる書き手自身との生きた〈関わり〉を棚あげ してはならぬ、蒸発させてはならぬ、というこ とが示唆されている。

このことを(子どもの)〈生活と表現〉の問 題に即して言い換えれば、つぎのように言いう る。子どもの主体的(主観的)な生活実感が〈表 現〉へと対象化・客観化されるとき、あるいは

〈生活/経験〉から〈表現〉へと移行ないし転 位するとき、その表現・追求過程において、書 き手自身の棚上げ(ないし消去・脱落)をどこ までも許さないという視点、すなわち「自分で たしかめようとする」こと、「言葉を生活に近 づける方向で使うこと」、「生きることの表現と して言葉を使うという実践的立場」(「美しい日 本語とただの日本語」)が、「十分頑固に」守ら れねばならぬ根本態度として、そこには力説さ れているのである。「あの社会科、あの何々テ ストというのにうまくはまるような構造の文章 は、文章として首尾一貫したときにしばしば生 きた人間からはなれて行った。……人間の行動 は、結局は論理的であるだろう。しかしそれは、

紆余曲折を経てそうなって行く。その道行き は、わるい意味での教科書言葉のようなもので はない。言葉は飛び、飛びこし、反対方向へ逆 もどりし、つまってしまうこともある。その総 体をふくめての論理的である。」(「子供のため

の、少年少女のための文学について」・ 1957)。 中野の、こうした視点は、「今の日本」(近・

現代日本の公教育)における〈教化〉(インド クトリネーション)―たとえば、中野が繰り 返し指摘しつづけた「不当に抽象化された言葉」

としての、「客観的」知識なるものの脱状況(脱 文脈)的な伝達・注入・憶えこみ一ーの学習構 造を想起するならば、くりかえし強調され、省 察されてしかるべき問題であるだろう。

〈綴方教師〉の多くは、目の前の子どもたち が「学校向け」の貌と「生活者」の貌とをもち、

その両者の亀裂と断絶のもとで、後者(「小さ な百姓・労働者」)の内部に芽生えてくる感性 と理法が前者によって絶えず抑止(封印)され ていくという、学校教育の制度的特質に敏感で あった。教室の中では、その小さな生活者たち は、〈育ちざかり〉の身体をかがめ、公認の「よ そ行き言葉」を口真似し、腹が立っても「体全 体で怒る」ことから遠ざけられ、「ものの言え ない」・「学習意欲のない」存在へと押しやられ ていた。綴方教師を絶えず悩まし続けた、そう

した〈学校学習〉の現実一一「生活綴方の父」

ともいわれる小砂丘忠義はそれを「教育の煙幕 的効果」(6)と呼んだ一一の真っ只中から、いわ ばそれへの対抗的実践として、綴方教師たちは その子どもたちに「自分の言葉」を取りもどさ せ、〈理性的なものに感性的にかじりつく〉(中 野)「粘り強さ」を求めたのである。

生活綴方(教育)は、後に述べるように、子 どもに「ありのまま」の〈生活〉を「ありのま まに」綴らせるという〈文章表現〉指郡をとお して、書き手自身の、生活と表現(言葉)との

〈間〉に生起してくる(引き出されていく)様々 な緊張関係に鍬をうちこみ、そこから〈生活知 性〉を耕して行くという教育思想・方法であっ た。子どもの学びと成長の〈根〉を、そこに見 いだし、そこを耕そうとしたのである(7)0

ところで、小説「村の家」の、転向作家・勉

(7)

次は、ひとたび筆を折って「百姓せえ」とせま る父・孫蔵の説諭に対して、「何の自信もなか った」が、「やはり書いて行きたいと思います。」

とのみ答えた。この〈書く〉という千金の重み を持つ勉次の言葉は、〈書くこと〉すなわち文 章表現に全身をかけようとする文学者・中野重 治の決意の表明にほかならなかった。彼は、そ の後、晩年の大作「甲乙丙丁」にいたるまで、

まさしく「日本革命運動の伝統の革命的批判」

に挑み続けることになるのだが、 1935年以降、

戦時体制下においては「なだれかかる」、「出来 あいの言葉」たる国家・国民の公用語や、時流 に迎合・屈服していく文学者、転向作家たちの 言説に対峙して、それらに顕現してくる「痙攣 的なセンチメンタリズム」や「一般的なものに たいする呪い」(非合理主義)、そして「不当に 抽象化」された公式(「党組織」の政治的言語)、

それらの虚偽意識をしぶとく痛撃する文学的実 践—抵抗を強いられたのだった。彼はまさし く包囲された、「でき合い」の公用語の網の目 の中で、しかも〈伏字と発禁〉の検閲システム に縛られながら、〈書く〉ことの営為を追求せ ねばならなかった。

このとき、彼が肝に銘じ、虚偽意識に対抗し ていく表現方法の原基として採用し押し出した 言葉が、〈私は田舎者であり、桶を桶といふ。〉

との格率.公理であった。「すべて文学は、文 学自身の言葉によって正確に研究せられねばな らぬ。研究者は、「私は田舎者であり、桶を桶 といふ。」という気組みを持ち保たねばならぬ。」

「われわれ自身には、一つの出来あいの言葉も 与えられてはいぬことを合点せねばならぬ。桶 を桶と言い、桶にたいして桶という言葉を見だ すためには、われわれは往きつ戻りつをいやが らずにねちねちと行かねばならぬのである。」

(「ねちねちした進み方の必要」・ 1939)。 中野重治が「村の家」の主人公・勉次に「書 いて行きたい」と答えさせた時期より 4(5)

年前、 192930年に、生活綴方の成立史の道標 ともいうべき二つの教育実践・研究誌一「綴 方生活」と「北方教育」一ーが相次いで創刊さ れた。この時期、日本の教育界・学校教育にお いて、〈綴方〉(科)という国語科の一指導分野 の「すき間」一一綴方には〈国定教科書〉がな かった一に食い入って、子どもたちに自らの 生活経験、そこでの事実と感情を「ありのまま」

に綴らせようとする実践にとつおいつしながら 取り組む一群の教師たちがいた。その多くは尋 常小学校の青年教師(訓郡)だった。彼(彼女)

らは、限定されたその綴方科を活用し、国定教 科書が押し付けてくる不当な(観念的な)「概 念語」—たとえば忠孝イデオロギーを核とす る出来合いの国家語一ーに対峙して、〈書く〉

ことの指導をとおしてそれを砕いていく実践と その理法を追求した。それは〈概念くだき〉と よばれた。とりわけ「綴方生活」や「北方教育」、

両者の交流をとおしての実践研究に結集した教 師たちは、それ以前の綴方実践史上における

「自由選題」綴方や鈴木三重吉主宰「赤い鳥J

綴方(文芸主義・「童心」主義的傾向)を批判 的にくぐる中で、そこから脱皮し、なによりも 生活の現実・事実を〈書くこと〉の意義・意味

―子ども自身による内発的な思想.感情の形 成、すなわち自己表現—における、自分の〈言 葉〉のとり戻し・創造と、それにともなう〈社 会性〉の再発見と伸長をめざしたのである。

「自分の言葉」の奪還・創造とは、「言葉に生 活台の真実から出発した意味をはらませるこ と」であり、「言葉を生活に密着させること」

を意味した(国分一太郎「国語実力への北方的 工作」、「北方教育」・ 1935)。それは、中野重治 が主張した「桶を桶という」行き方、進み方と 重なる表現法=教育方法だったといってよい。

そこから、彼らは子どもの〈生活意欲〉を引き 出し、そこに根ざした〈生活知性〉のたがやし、

高まりを模索し追求しようとした。追求しよう

(8)

と苦心をかさねたのだった。

「北方性とその指導理論」(北日本国語教育連 盟)に語りだされている以下の文言は、生活綴 方運動が到達した教育思想とそこでの実践課題 とを明確に示すものである。そして、〈ねちね ちと〉という用語に示唆されている粘り強さと

「意欲性」(元気)は、まさしく中野重治自身の 志向性でもあった。

〈私たちは、北方の子どもたちに、はっ きりと、この生活台〔「子どもたちの肉体 の現場」〕の事実をわからせる。暗さに押 し込めるためではなく、暗さを克服させる ために、暗いじめじめした恵まれない生活 台をはっきりわからせる。わかったために 出てくる元気はほんとうのものであると考 える。「生活性」を握ることが正しければ 必ず「意欲性」に突きあたる。そして「生 活の認識」によって「意欲性」に前進の鞭 を与える。……ねちねちと生き抜いていく 苦難の中にほのぼのとした自分たちの文化

を、私たちは私たちの子どもに握らせたい のである。〉(「綴方生活」、 1935・ 7月号)

〈鹿村の現実は恐ろしく暗い。暗い暗い とばかりいっていては駄目だという文学者 などもあるが、しかし実際には動かしがた く暗い。そういう暗黒に子供たちが正面か らぶつかるのはいいし正しい。しかし子供 のぶつかる調子そのものが暗くなってはい けない。飯米がなくなっても税金が納めら れなくても、子供たちの気持ちは根本的に 元気に保たれねばならない。私は子供たち にだけ何か特別な童話風な世界が残される べきだといおうとするのでは決してない。

その反対であって、この子供たちにこそ間 を見透かす強い視力が養われねばならぬと 考えるものだ。〉(中野重治「股村児童の綴 方について」、「実践教育講座J、1937・ 4

「全集」第十一巻所収)

しかしながら、こうした綴方教師の実践課題 と志向性は、 1940年に入るや、治安維持法体制 下の検閲と弾圧によって、許容されざるものと なり、圧殺され、子どもの綴方は「国策作文」

という「口真似」と概念文によって制圧されて いったのだった。中野重治についていえば、「書 いて行きたい」というぎりぎりの選択と決意、

そして〈桶を桶といふ〉「ねちねちと進む」「野 暮な」進み方それ自体が、綴方教師とその指導 の下で〈書く〉子ども同様に、もはや許されぬ

ものとなっていたのである。

「ありのまま」表現の生活綴方的意味

生活綴方の表現法は、一般に「リアリズム重 視」といわれ、子どもの生活事実やそこでの子 ども自身の「対象へのはたらきかけ」、率直な 実感・情感を「ありのまま」に綴ることを求め た。むろんのこと「ありのままに綴る」といっ ても、それは、子ども主体・表現主体の、生活 事象(対象)との生きた関わりによって構成・

再構成されたものであり、いわば「純客観」の ごとき静的な「映写」ではありえない。「北方 教育」の綴方教師・佐々木昂の表現を借りれば、

「一つの事象と個人意識との関渉(関わり)に よって構成されたものだ。」(「北方教育」.

1932、第9号)。

これを中野重治流にいえば、つぎのように言 うことができる。

さきざきでは抽象の領域にもはいって行 くが、そもそもの出発のときには肉体的

〔肉感的〕、物質的なところで言葉が生きて 働く。それが文学の言葉である。むろんこ れは、「文学の」とことわる以前の、およ そ言葉というものの最初の姿でもある。

……結論があってそこからこっちへ来るの

(9)

ではなくて、手ぶらで出かけてこっこっと 研究コースを進む。それをそのままに追 う。結論は、それがどう出るにしろ、書く 方、読む方がわれとつける。自分でそれを 引きだす。……そこへ行く道行きが、すべ て目で見ること、耳でさわること、鼻でか ぐこと、舌でなめて味わうことなどをとお して進む。(「文学と言葉」・ 1966)

ここに中野の言う、「こっこっと研究コース を進む」その肉感的な道行き、「後先き矛盾し たりしながら本体に次第に近づいて行く姿」、

そこでの表現(言葉)上の「混線」と「舌足ら ず」、要するに「対象をそれに即して追って行

く野暮な精神」(「日本語の問題」・ 1939)一ーま さしく、これが生活綴方のいう〈ありのまま〉

表現の要点・内実であったという点を見逃して はならぬだろう。〈「アメバ、アメナテ/カゼバ、

カゼナテ/ダレ、ッケタンダベナ/イツバンハ ヤク、ダレッケタンダベナ」、「こんち(昆虫)

とは、中がやこくて、外がかたいむしです。」、

「私の顔はまっ赤になり、私の心はおこりまし た」〉と書く子どもの、「文章として客観化しよ うとする初歩のふるまい。これをたえまなくみ ることなくして、認識の発達、意志や感情のね りなおし、ひいては世界観の形成に助けをあた える教師の役割」が「はたされるであろうか」(国 分一太郎「新しい綴方教室」・ 1952)。そしてそ の道行きは〈科学〉のそれでもある。プリミテ イープではあっても科学の精神と撞着しない。

それゆえその「道行き」の指導は、手間ひまか けた認識—表現指郡の工夫、当の子どもを知 ること、中野の言葉でいえば子どもと言薬(日 本語)への〈愛〉を必要不可欠とする。生活綴 方的リアリズムは、つまるところそこに行き着 く。それが、いわゆる〈綴方教師〉の実践の作 風となる。戦後のいわゆる「生活綴方復興」を 担った無着成恭(「山びこ学校」)にしろ、東井

義雄(「村を育てる学力」)にしろ、小西健二郎

(「学級革命」)にしろ、そうした作風の体現者 にほかならなかった。

先述したように中野重治は、恐慌.冷害・凶 作に苦しむ東北典村の子どもの綴方作品に深い 関心を示し、それを指導する教師たちの実践 に、文学者として厳しくも温かい助言・提言を 送り続けた。彼は岩手県下の凶作地の、一人の 小学校児童が書いた綴方(それは「徳永直が見 つけた」作品だったが)を繰り返しとりあげ(8)、 子どもの表現指導に関して、ひかえめながら、

つぎのような要望を記している。まずその綴方 を紹介する。

冬がつかぞいてきた。今から大そう雪が ふってくるので、けかつのやうなものに、

こんなにけかつなものではないか。/どこ のうちでもこまっていますのでこめがとれ ないので、どこのうちでもいねをこかない うちはゆきのしたになっているので、大そ うきもちがわるいが、まだこめをついてこ ないのでいるうちでは、どうしてくらして いるだらう。/がうちでもまだこめがたり ないのでまことにぞんじます。 xxとまう す神様ををがんでをりますが……

これを読んだ中野は、「この綴方は、「その子 は頭が悪いので」と「傍から女の先生がしきり に」いったにもかかわらず、生活の理法を喘ぐ ばかり追っているために、文学の域、むしろ詩 の域に近づいている」(「日本語の問題」・ 1939)

と批評し、つまりこの子どもの心理・情感に内 在しつつ、世に横行する、生活の月並みな掴み 方の代表たる「随筆的」「茶話的」文章に(こ の綴方を)対置している。そして、その綴方を 指導した女教師に対して、彼女の労苦を認めた 上で、次のように要望を述べている。

(10)

「けかつ」は飢渇であろう。飢饉である。

子供がそれを怖れているのである。それも 概念としてのそれを怖れているのではな ぃ。今年の、目の前の、頭からかぶさって くる、足もとへ這いあがってきているその 飢饉への恐れである。今年は雪が早く来た のである。「うちでもまだこめがたりない のでまことにぞんじます。」一一問題はここ で高潮点の一つへ来ている。「まことにぞ んじます」のひとことは、人間以外のもの にさえすがりつきかねないところへこの子 供たちの恐れが来ていることを語っている のだろう。「xxとまうす神様ををがんで

をりますが」—ほとんど正視するに忍び

ぬような状態である。

(飢渇が)暗鬱な、人間の力で払いのけ られそうにない重醤で圧服的にのしかかっ てくる、その下に一人の子供がいて、それ をちゃんと感じとって、それを彼なりに書 きとめている。教師が、もう少しその子の 身になって、問いつ問われつして、これに もう少し適当な表現をあたえるようにみち びくべきではなかったか。私は、この女の 先生を非難しようとするものではない。彼 女に、愛が足りなかったなどというつもり

はない。ただ私は、彼女の愛がほんのもう 少し大きかったことを望む。……彼女の愛 がほんのもう少しねばり強いものであった ことを望むというのにとどまる。(「愛と研 究」・ 1963)

ここで中野は、文学者の立場・視点から、少 なくとも二つのことを「要望」している。それ らはこの教師への、外部からの「非難」といっ たものでは決してない。その一つは、子どもの 綴方(「混線と舌足らず」の表現)の中に表わ されている、飢渇に対する恐怖感、その肉声・

肉感、「あえぐばかりの」訴えを、あたう限り

の想像力を働かせて、「その子の身になって」

読み取る(聴き取る)ことの必要性である。そ こから子どもへの共感や励ましも出てくる。教 師としての働きかけの課題も具体化されよ

(9)。そして、もう一つは、この子のなまり、

方言、表記法、等を含めて、混線した、舌足ら ずの〈言葉〉を、とつおいつして「粘り強く」、

適当・適切な表現へと高めていく日本語指導の 必要性である。むろん二つのことは不可分に結 びついている。子どもへの愛と日本語への愛。

子どもの生活(学び)と表現指導の研究。中野 は「愛と研究」と呼んで両者を結びつけたが、

それはつまるところ一人ひとりの子どもの生活 と学びのなかから内発してくるものに寄り添い ながら、その成長を気づかい、対話をかさね、

日本語の基礎と表現方法を「個のリアリティ」

(佐々木昂)に即して高めていく実践の要請に ほかならなかった。

いうまでもなくこうした指導は、文字通り手 間ひまのかかる、中野の使った言葉で言えば、

「なんとも面倒な、なんとも厄介な、一心にや ってもなかなか利き目のあらわれない」〈いぶ せい仕事〉であるだろう。彼は教師の仕事に対 して、くりかえし述べている。「それだけに、

私は、教育の仕事、教師の仕事、この全く割に 合わぬ、世にもいぶせい仕事にあたってくれて いる人たちに大きく感謝している。こうした仕 事に当たってくれている人たちにたいする感謝 に嘘はない」と。(「文学と言葉」・ 1966)

教育という仕事、教師の仕事を、「世にもい ぶせい仕事」と認識していた中野重治は、それ だから「愛と研究とこそが事の土台である」と 言い切ったのであった。こうした中野の教育認 識というものは、教育という営みが不可避的に もつ〈いぶせい特質〉一その複雑さ(複合性)、

不確実性、状況性、さらには価値葛藤性—を 踏まえていたろう。それゆえ、それらの特質を 消去すること(つまりは事務的、機械的に単純

(11)

化・標準化すること)でマニュアルやプログラ ムにしたがって実践され進行していくものであ るかのようにみなす教育(あるいは教師)モデ ルと鋭く対峙・対立する位相に立つ。綴方教師 たちは、総じてそうした後者のモデルを信用し なかったといってよい。

文学者中野は自身の教育体験をふりかえりな がら、自身の教育観、ないし教師論といいうる 問題にふれて、つぎのようにのべている。

〈学校の教室で、また学校へ行けない少 年、青年がその人生の教室で受ける教育と いうものは、それは常に知識ということに 結びついてはいるが、その知識が、どうい う因縁で、どういう人から、どんなふうに してあたえられるか、あたえられたかとい うことに同時に結ぴついているということ を言いたい。「三角形ノ内角ノ和ハニ直角 デアル」ということの教育は、自然と人生 とに人がどんな態度で立ちむかって行くか ということのなかでなされるとき、人間に とっての教育となる。そしてそこに、教育 と芸術との内面的にふかい血縁関係がある とわたしは思う。〉〈教育とは人間に知識を あたえることであるけれども、それは人間 についての知識を、人間が人間として生き るには、というコースの上であたえること である。〔「生きるための表現として言葉を つかう」を想起されたい。〕そしてそこま で問題を持って行けば、それはそのまま芸 術の、また特に文学の問題となってしまう

という性質のものである。生活綴方、作文 教育の運動が本質的に大きな成績を見せて きた近年の日本の実際も、つまるところこ こから来ているものとわたしは考える。〉

(「藪術の心」・ 1953)

先に私は、南悟の「生きていくための短歌」

に示された定時制高校生徒の「生活表現」と、

それを永年にわたって指導してきた南の実践 を、〈生活綴方〉の系譜を引くもの、むしろ生 活綴方教育の実践特質そのものととらえ、本書 が私たちに呼び起こす感銘と理法との出所を示 唆しておいた。誤解を怖れずに言い切れば、そ れは、定時制高校生徒の、歌の定型—日本 語・日本文学の追産―を借りた、生活綴方で ある。中野の凝縮された言葉でいえば、まさし く「生きるための表現として言葉をつかう」言 語的実践の所産一ー創造である。

本稿では、生活綴方、その教育実践に向けら れてきた、誤解や認識不足にもとづく、いわば 故なき批判・非難一ーたとえば「状況主義」(鶴 見俊輔)や「経験主義」(数学教育研究協議会)、

さらには「自由主義」(「虚構でもなんでも自由 に書かせろ」派)からの「批判」、等々への吟味、

反批判については論及できなかった。また、日 本作文の会の一部や、「人権教育」運動の中に 見られる根強い〈概念主義〉の傾向に対しても、

具体的な考察を省略した。これらの問題への批 判的論究は、別の機会に行ないたい。

(1)  玉田勝郎「素朴.ぬくもり・肉感性」.

中野重治と教育(第一回)、「書評」 133号 関西大学生活協同組合「書評」編集委員会、

2010 

玉田勝郎「「村の家」の父母と息子一〈道 義〉への問い」・中野重治と教育(第二回)、

「書評」 134号、関西大学生活協同組合「書 評」編集委員会、 2010

(2)  「生活の理法」という用語は、中野重治 が生活綴方の特質、とりわけ子どもの綴方 作品(そのすぐれた性質)について論じる 際のキーワードである。彼は「現実の事象 から本質的なものと付随的なものとをふる

(12)

いわける力」とも述べている。「生活と生 活にたいして責任ある位置にいることが、

現実をつらぬく理法を彼ら(子ども)に見 つけさせ、これを表現するにふさわしい生 きた言葉を見つけさせたのである。」(「日 本語の問題」)。〈生活にたいして責任ある 位置にいること〉というこの捉え方が、重 要である。それは、「言葉の具体的な肉感 性」に関係しており、その〈肉感性〉は「現 実(対象)にたいする能動的な働きかけか ら」出てくる。「概念的な言葉」は「とも すれば傍観者的であることに起因してい る。」それゆえ、「言葉の選び方の研究がも っともっと重要に見られねばならぬ」とい うことになる。(「歌集「生活の歌」」・ 1937 年)

(3)  ここに引用した中野の〈子ども像〉、そ れの詩的な表現は、子どものための文学や 文学教育に関する論考、提言の中で、言薬 を変えてくり返されている。たとえば、〈上 等の風刺精神〉〈とんでもない大笑いの精 神〉〈おかしさの精神〉〈洒落、滑稽の健康 な力〉〈はつらっとした精神〉〈万物を生か す根源の力〉一「こういうものに強い教育 の力のあることに目を注いでほしい。」「子 供の感受性というもの」は、「一般的に信 頼していいと信じている」(「ー作家として 文学教育に望む」)

(4)  蔵本穂栢「千年にわたって保たるべきも の」、 「解放教育JNo2761991

太田 発「「たくましき原始子ども」を とりもどす」、 教育科学研究会編「教育J・ 2010 ・ 12月号

(5)  南悟「生きていくための短歌」(岩波 ジュニア新書)・2009

(6)  雑誌「綴方生活」・昭和63月号、「今 日の子供がいかに目かくしされ、いかに物 の正体を見誤っているかは、彼らの書く綴

方を見てもその一班を想察される。」

(7)  周知のように、柳田國男は、「小賢しい 者が中味をよくも考えずに形ばかりを模倣 して、心にもないことを書くようになる」

〈「口真似」と「片言」〉の国語教育を批判 してやまなかった。その上で柳田は言う。

「(言薬の)真似は誤って居らぬ場合にも、

手本がぐらついて居るのだから滑稽なこと が多い。こういう状態に処する最も賢こい 方法は、根本に立ち戻って心の姿を省み、

それをどうすれば安らかに、また有りのま まに表白しうるかを、各自に考案させるよ り他はあるまいと思うのだが、それは今の ところただ一つの理想といふに止まり、さ ういう練習をするだけの手段が、不幸にし てまだ備わっていない。将来の国語教育の 最もむつかしく且つ大きな問題は、この方 面に潜んでいるらしく私には感じられる。」

(「国語の将来J• 1939)。ここには、柳田と

綴方教師、そして中野重治に通底する、共 通の課題意識を見ることができる。

(8)  岩手県の子どもが書いたこの綴方(1937) については、中野は、強い関心を示し、「日 本語の問題」・「国語と方言」・「愛と研究」

等の中で引用し、それぞれ鋭敏な考察と問 題提起を行なっている。

(9)  ここで中野重治が文学者の想像力を介し て提起している、「その子の身になって」

作品を読み取ることの必要性について、現 代の「綴方教師」(と私が呼ぶ)坂田次男は、

そのことをつぎのように語っている。

(子どもの綴方を)どう読むかとい うことが大切やのに、その力のない教 師は、先に「子どもへの質問」が頭に うかぶがよ。できる限りの自分の読み 取り力で先に読んで、質問はその後に こないかんのに、逆になっちゅうが ょ。子どもに文章表現力がついちゃあ

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せん場合、書こうとしたことが書きき れてないことは当然あるろう。そのと きでも、教師はまず自分の読み取った 結果を子どもに知らせて、それで子ど もが書きたかったことをたずねて、そ こにずれがあれば推敲段階で正確に直 す指導をせないかん。」「まだ表現にな りきらん表現を教師がどれだけ読みと れるか、拙い表現や切れ端のことばに 子どもの姿を読み込み、それを当の子 どもに返し、確かに表現させていくカ をつけることが教師に求められちゅう がじゃ。(坂田次男編「どうすれば子

どもは書くか」、解放出版社・2005) 中野は、子どもの作品・表現に現れてく るある種の説明の〈混線〉一一「ロクロを押

してゆく力というものは、すばらしく力の

いるものです」一に目を留め、その背後 には「対象(ロクロ)への活発な働きかけ」

が潜在している場合のあることをとりあ げ、つぎのように指摘している。〈彼は、

その力を自分の肉体からしぽり出して(ロ クロを)「押してゆく」当の人間の立場に 立っていた。自分が力を出した。そのとき えらく力が要った、これからも、彼が自分 の力を出して押してゆかねばならぬのだと いうことから来た説明の混線であっただろ う。……ここの「混線の能動的性格」とい うことは、それはそれとしてはっきり評 価、観賞されるべきだ。〉(「日本語を大切 にするということ」、全集第二十二巻)こ こでは、まぎれもなく中野重治はすぐれた

〈綴方教師〉の一人である!

(14)

2 0 1 0 年度関西大学教育学会大会の報告

今年度の大会は、 2011年1月29日(土)千里 山キャンパス第1学舎C101教室において開 催された。全体テーマは「子どもの貧困と教育

—強まる〈貧困〉状況と子どもの居場所—」

であった。

大会の前半は、南悟氏から「生きること・学 ぶこと・歌うこと〜短歌に刻む青春〜」という テーマでの講演であった。兵庫県内には現在、

定時制高校が28校あり、そこに約6,000人が学 んでいる。生徒の年齢の幅は広く、 15歳から70 歳まで、不登校やひきこもりの経験がある生 徒、荒れていた生徒や身体に障害がある生徒、

病気と闘いながらの生徒や外国籍の生徒など、

さまざまな挫折の中から自らの再生のために働 きながら学んでいる。

南氏は、長年、定時制高校の国語科教諭とし て地道な教育実践を積み重ねてきた。講演で は、教え子である数名の定時制高校生の短歌を 紹介しながら、その生徒のこれまでの人生を解 説していた。生徒たちは「定時制は人生の再生 をかけた場所」という気持ちもとに、 5‑7‑5

‑7‑7の31文字のリズムの中に歌い込んでい く。また南先生は、「勉強はしんどいが学校は 楽しい」という文章をもとにして、「免、免れる、

分娩、勉強」というように、象形文字から漢字 を教える工夫を凝らしている。

阪神淡路大雛災のつらい体験について、ある 生徒は「窟災で止まった時間今日からは変えて 見せるぞ名に恥じぬよう」と歌っている。また、

過酷な労働に従事している生徒たちは、「ワイ ヤーの手編み作業しんどいが俺の稼ぎで妻と子 支える」「足場にて可愛い娘見とれて踏み外し 番線からまりニッカびりびり」「黒板屋根性無 しかと親父に言われ辞めるに辞めれぬ時給500

円」「俺は今大工の花咲<‑五才足場に上がり 破風板を打つ」と歌っている。

全体を通して、定時制高校に学ぶ生徒たちの リアルな生活体験が短歌に描写され、同時に南 氏の人間味ある語り口に貫かれた感動的な講演 であった。なお、南悟氏は「生きていくための 短歌」(岩波ジュニア新書、 2009年)を著して いる。ぜひお手にとってお読みいただければさ いわいである。

大会の後半のシンポジウムは、本学会の玉田 勝郎会長の司会で、 4名のパネラーから発題が あった。まず、本学教育文化専修教員の広瀬義 徳氏からは、「子どもの「貧困」と教育をめぐ る現状と政策課題」というテーマで、発題がな された。パワーポイントの印刷資料を参照しな がら、マクロな視点から中曽根政権以降、現代 日本社会の不平等化と、出身階層と教育達成

(学歴)の再生産が進行し、現代日本における 子どもの「貧困」が生み出されているメカニズ ムについて解説された。そして、貧困層に少年 犯罪の割合が高く、日本は諸外国に比べて授業 料の私喪負担率が高く (33.3%、2009年)、所 得格差是正策とセットで教育費公費負担率.公 財政支出を高め、教員や子どもに対するエンパ ワーメント支援策を打つことが重要であること が提言された。そして、知識基盤社会への移行 に伴う学力競争の激化により、貧困児などの重 い課題を抱えた子どもの教育支援策が周辺化さ れる事態が危惧されると主張された。

次いで、本学教育学科OBで高槻市立北清水 小学校校長の西久保信一氏から「子どもの現状 と学校づくり」というミクロな視点からの発題 があった。西久保氏によると、教育現場では、

給食黄を支払えない家庭が増えており、担任が

(15)

出向いて交渉するが埒があかない、給食費を支 払っていないにもかかわらず子どもが給食を食 べている実態があり、相談を必要としている保 護者ほど学校に来ない、自分の子どもに無関心 な保護者が増えていることが報告された。その 上で、学校に何ができるかという問題が提起さ れた。

3番目に本学教育学科OBで本学大学院M l 院生の吉野修ー氏からは「こどもの SOSが聴 こえますか」というテーマで発題があった。吉 野氏は長年にわたり大阪市社会教育主事および 社会教育関連施設職員としての経験から、大阪 市の中学生の100人に約4人が不登校状態(4.39

%)にあり、全国平均の2.86%を上回っている こと、厚生労働省平成18年度調査によると、お おむね3日に 1人が虐待死している状況がある こと、ユニセフ・イノチェンティ研究所「先進 国における子どもの幸せ調査 (2007年)」によ ると、中学校3年生の約18%が「よそ者のよう な感じ」をもっており、約30%が「孤独感」を 感じており、いずれも24か国中24番目であるこ とを報告された。そのうえで、統計だけでなく、

実際にフィールド調査などを通して生の子ども をトータルに見ることの大切さを強調された。

4番目に南悟氏からは、現在、定時制高校の 存続を求める運動をしており、生徒の進級率が 低いと言われる定時制高校には、リストカット

している子ども、家庭内暴力で虐待を受けた子 ども、しんどい子どもが来ており、改めて「命 の再生の場としての定時制高校」という観点が 提起された。ある女子生徒について、家に居場 所がない一家で満たされない愛情を男に求め る一一その男に利用されて風俗業界に入れられ る一そこでクスリ漬けになっていくという痛

ましい負の連鎖の事例が紹介された。

議論の時間では、司会者から、 1960年代の古 典的貧困(貧乏、経済的な貧しさ)と今日の貧 困(ネグレクト、いじめ、孤独感)の対比がな され、今日では、人と人の関わり、人間関係資 本、感情資本(意欲・自腺感情)に困難な問題 が引き起こされている状況があり、子どもたち のためのセーフティネットの構築が必要とされ ていることが提起された。

フロアからの発言者A氏は「貧困は経済的な 貧しさであるが、それが子どもを過酷な状況に 置いている。経済的な貧困に対して、学校は何 もすることができない。子どものたちのやせ細 った心の貧困にどう関わっていくかが鍵であ る。子どもたちの心の貧困を解放することが学 校の役割である。学校教育を通して子どもを幸 福にしていくことがもっとも重要だ」という趣 旨の発言をした。これに対して司会者から、「問 題を心だけに限定していくのはどうか」という 疑問が提示された。

本シンポジウムで問われたことは、子どもの 貧困状況に対して教育は何をなしうるかという 問題であった。経済的な問題と同時に心の問題 の両面に取り組む必要があり、アメリカでは、

福祉と教育の問題を同時に解決していくための スクール・ソーシャル・ワーカーという仕事が クローズアップされつつある。これが今後どの ように日本において展開していくのかも問われ てこよう。経済資本一文化査本一社会関係賽本 の連関性といったトータルな観点から子どもた ちを見ていく必要があるのであり、今後も私た ち教育学を学ぶ者と教育に携わる者が、子ども たちにとって何ができるかについての知恵と実 践を積み重ね検証していく必要があろう。

(16)

南悟氏の講演

シンボジウムの様子

参照

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