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明 治 期 「修 養 」 を め ぐる一 考 察 升 信夫

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研 究 ノ ー ト】

明 治 期 「修 養 」 を め ぐる一 考 察

升 信夫

1.魚 住折蘆 な どにお け る 「修養」 と 「教 養」

2.清 沢 満 之 にお け る エ ピ ク テ トス語 録 と 「修 養 」 3.内 村 鑑 三 と 「修 養 」

今 日の 「教 養 」 につ い て考 察 す る前 提 作 業 の 一 つ と し て、 先 に 明 治 期 の 「修 養 」 に係 わ る論 考 を纏 め た*1。 た だ し、 そ の 際 、 紙 幅 、 時 間 の 制 約 上 、 少 な くな い 論 点 に つ い て 触 れ る こ とが 出 来 な か っ た 。 そ の う ち の 幾 つ か の 点 につ い て論 じた い 。

1.魚 住 折蘆 な ど にお け る 「修 養 」 と 「教 養 」

「修 養 」 「教 養 」 と も に 明 治 期 以 前 か ら存 在 し た 言 葉 で あ り、 そ の 意 味 の 違 い は 、 動 詞 的 表 現 と して の 「修 め る 」 と 「教 え る」 の 意 味 の 違 い に 主 と して 由 来 して い た 。 明 治 期 に入 っ て も、 「修 め る 」 が 「先 修 其 身 」 を 即 座 に想 起 させ る こ とか ら、 「修 養 」 は 、儒 教 的 道 徳 と深 い 関 連 性 を 持 つ 言 葉 と考 え ら れ た 。 一 方 「教 養 」 は、 「教 え る 」 と い う こ と か ら、

しば しばeducateの 訳 語 と して 用 い られ た 。 そ う した 中 、 「修 養 」 は 、 明 治20年 代 以 降 、 反 欧 化 思 想 や 日本 主 義 的 思 潮 を背 景 と して 、 次 第 に 使 用 頻 度 を増 す よ う に な り、20年 代 末 か ら30年 代 以 降 は 、 日本 主 義 に 限 定 さ れ ず 幅 広 く用 い ら れ る言 葉 とな る 。 そ して 遂 に は 修 養 ブ ー ム と もい わ れ る状 況 が 訪 れ る 。 そ の後 、 「教 養 」 が 、 あ る部 分 で 「修 養 」 に取 って 代 わ る よ う に な る が 、こ の変 化 につ い て、筒 井 は、和 辻 哲 郎 が 大 正6年(1917

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桐 蔭 法 学21巻2号(2015年)

年)『中 央 公 論 』4月 号 に発 表 した 「すべ て の 芽 を培 え」が 一 つ の契 機 と な っ た と して い る*2。 た だ し、 「教 養 」 をcultureの 訳 語 と して 、 今 日に近 い 意 味 で 用 い る とい う こ とに な る と、 和 辻 か ら遡 り、 明 治 の 時代 か ら、 そ の 例 を見 出す こ とが 出来 る 。た とえ ば 北 村 透 谷 は 明 治26年7月 の 「国民 と思 想 」 の 中 で 、 「教 養 」 に カ ル チ ュ ー ア とい う ル ビ を ほ ど こ して い る*3。 あ るい は 綱 島 梁 川 は 、 『病閒 録 』 で 明 治37年 か ら38年 に か け て 次 の よ う に 述 べ て い た。

「真 理 は 貴 ぶ べ し、 真 理 を求 む の 心 は 更 に 貴 ぶ べ し。 美 わ し き も の を慕 い あこ が る る 如 き一 種 の 真 情 を以 て 真 理 を慕 い 求 め る は 、 如 何 ば か り貴 き事 業 な る ぞ 」 「是 の 如 き人 に於 い て 真 理 は 始 め て 能 く其 の 貴 き趣 味 とな り、 力 と な り、 生 命 とな り、 人格 と な り、 品 藻 とな る 。 真 理 貴 き乎 」 「真 理 其 の もの が 是 の 如 く心 を操 る もの に於 い て 真 個 教 養(カ ル チ ュ ー ア)の 意 味 を帯 び 来 た る也 。」(明 治37年11月)(梁 川 全 集5‑130頁 〉*4

「予 輩 は真 理 其 の も の を貴 ぶ と共 に、 レ ッ シ ン グ と共 に真 理 を無 限 に 追 求 して休 ま ざ る研 究 心 其 の もの を更 に貴 ぶ 、真 理 をか ち え る こ と、

若 し貴 き事 功 な ら ば、 真 理 の 追 究 に熱 す る の心 、 亦 是 れ 貴 き事 功 に あ らず や」 「自家 の 徳 器 を成 就 す る、 是 れ又 事 功 に非 ず して何 ぞ 、 偉 い な る社 会 的 事 業 に あ ら ず して何 ぞ 、 自己 を 完 成 す る、 是 れ や が て 社 会 の 一 点 一 角 を 完 成 す る もの に あ らず や 」 「他 を救 わ ん とす る も の は 、 先 ず 自 ら救 わ ざ るべ か らず 、 先 ず 深 切 な る 個 人 的教 養 の 基 礎 な く して 、遑々 と して 利 他 を い い 博 愛 を い う、 果 た して 能 く其 の 謂 う 所 の 事 功 の 目的 を達 し得 べ しや 」(明 治38年1月)(下 線 引用 者)(梁

川 全 集5‑131頁)

この 二 つ の 用 例 で の 「教 養 」 は 、 今 日 に 近 い 意 味 で 用 い ら れ て い る 。 梁 川 の 『病 間 録 』 が 反 響 を呼 ん だ 書 で あ っ た こ と を考 え る と、 今 日に 近 い 意 味 の 「教 養 」 が 、 こ の 頃 か ら一 定 の 地 歩 を 得 て き た と も想 像 出 来 な

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明 治期 「修 養 」 を め ぐる一 考 察(升 信夫)

くは な い 。 た だ し、梁 川 の 場 合 、魚 住 折蘆 の 場 合 と違 い 、 「教 養 」 「修 養 」 な どの 言 葉 を意 識 的 に使 い 分 け た 形 跡 は 見 い だ し難 い 。 た と え ば 、遡 り、

明 治28年9月28日 付 け の 日記 に は 、 「わ が 品 性 の修 養 の 一 方 法 と な し 得 る 也 」 とい う記 述 が 見 られ る が(梁 川 全 集8‑342頁)、 一 週 間 も経 過

しな い10月3日 に は 、 「characterの修 練 に全 力 を 用 い よ。 修 練 に 修 練 を 加 え 、 勇 猛 に し精 進 して や まず ば 我 が 理 想 の 十 分 の 一 だ に 実 現 す る の 期 あ ら ん 」 と書 き記 し、 「修 養 」 で は な く 「修 練 」 を 用 い て い る*5。 明 治 30年 代 に入 る と、 「品 性 の 修 養 」 と い う表 現 は 、 か な り熟 し た表 現 と な る が 、 こ こ で 梁 川 が 「修 養 」 を 用 い な か っ た こ とは 、 「修 養 」 とい う言 葉 が 梁 川 に と っ て特 別 の こ だ わ り を持 つ べ き言 葉 で は な か っ た こ と を思 わ せ る 。 ま た 、 梁 川 は 、 時 を 下 る と、 「修 養 」 で は な く、儒 教 的 伝 統 に よ り忠 実 な 「存 養 」 も用 い て い る。

「宋 儒 の存 養 論 は禅 門悟 入 の 内観 と通 ず る所 あ っ て 、 しか も其 の 空 寂 に堕 ち ざ る もの と い うべ し。彼 等 は 心 若 し くは 性 を以 て一 切 天 理 を 包 蔵 せ る 霊 明 の 本 体 と な し、 こ の 霊 明 の 本 体 を だ に存 養 す れ ば 、 応 物 処 世 、 一 と して 大 公 至 正 の 道 に 中せ ざ る な し と見 た る な り。」(明 治36年11月)(梁 川 全 集4‑237頁)

こ れ に 対 し て 、 魚 住 折蘆 は 、 「修 養 」 と 「教 養 」 に つ い て 明 ら か な 意 味 の 違 い を 込 め て 使 い 分 け た 。 明 治30年 代 の 折蘆 の 書 簡 で は 「修 養 」 が 頻 繁 に 登 場 す る が 、 「教 養 」 と い う言 葉 は 登 場 し な い 。 た と え ば 、 明 治35年 11月 の書簡 に あ る よ う に 、 「小 生 は ヤ コ ブ を 修 養 の 人tth man  of cultureと 申 し た く候 」 の よ う に 、cultureに も 「修 養 」 が あ て ら れ て い る*6。 と こ ろ が 、明 治42年 の 秋 か ら43年 に か け て 、一 時 的 に 、そ し て 意 図 的 に 、「教 養 」 「修 養 」 に 代 わ っ て 用 い ら れ る よ う に な る 。

「今 の私 に学 問 は 自 己 の教 養(カ ル チ ュ ア)の 外 何 の 目的 も ない 。 世 に 貢 献 す る の が 目 的 で は ない 、信 仰 も ま た 人 を救 わ ん た め な らず し て 自 己 を救 う も の で な くて は な らぬ 。 一 生 か く して 古 来 の 天 才 の 深

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桐 蔭法 学21巻2号(2015年

き 経 験 を 少 し で も 多 く味 わ う て 暮 らせ ば よ い と 思 う て い る 。 一 個 の man  of cultureた ら ん と こ と が 私 の 今 の 最 大 の 望 み で あ る 。」(明 治42 年10月26日 、 書 簡 集452頁)

「僕 は 学 者 の 資 で は な い 、 専 門 的 研 究 は 出 来 ぬ 。 学 問 はス タデ ィ で は な い 、 た だ カ ル チ ュ ア だ。」 「僕 は 学 者 ぢ ゃ な い 、 又 学 問 に よ っ て 貢 献 し よ う と は 思 わ ぬ 、 一 個 の マ ン ・ノ ブ ・カ ル チ ュ ア と して ゼ ン ト ル マ ン と して、 一 日で も一 刻 で も此 の 世 に在 らん 限 りは 、 古 来 の 光 栄 あ る 人 類 の天 才 が 残 した 偉 大 な る精 神 生 活 の 跡 を たづ ね て 其驥尾 に 附 して彼 等 の 尊 き生 活 の 光 を仰 ぎ匂 い を 嗅 ぎ、 以 て天 才 な らぬ 自 己 の 憐 れ む べ き生 活 を少 し に て も賑 わ し深 め 清 め た い と思 う。」(明 治43年1月3日 、 書 簡 集463頁)

折蘆 は 、 哲 学 や 宗 教 な ど の専 門研 究 者 と対 比 的 に存 在 す る も の と して 教 養 人(man  of culture)と い う概 念 を設 定 した 。 折蘆 に とっ て教 養 人 は 、「古 来 の 聖 賢 天 才 が の こ して 行 った 深 き深 き精 神 生 活 の 跡 を た つ ね て 、 彼 等 の 呼 吸 した 空 気 を吸 い 彼 等 の 嗅 い だ 匂 い を か ぐ」 存 在 で あ っ た(明 治43 年5月 、 書 簡 集481頁 。)そ して 折蘆 は次 の よ う に説 明 して い る 。

「私 の 趣 味 は 転 々 した 。 文 学 よ り宗 教 に行 き、 宗 教 よ り哲 学 に転 じ、

哲 学 よ り美 術 に移 っ た。 然 し文 学 、 宗 教 、哲 学 、 美 術 、 どれ も今 日 は 同 等 の 興 味 を も っ て 私 の 心 を 支 配 して い る、 其 の 一 つ に こ りか た ま っ た は しま せ ぬ が 、 つ ま り私 の 趣 味 は広 く淡 くな っ た ら しい 。 か よ う に此 の 趣 味 が 人 間 の精 神 的生 活 の 殆 ど各 方 面 に行 き亙 る に及 ん で 、 私 は専 門 の 文 学 者 に あ らず 又 宗 教 家 に 非 ず 又 哲 学 者 に非 ず 、 さ り と て また 美 術 評 論 家 に も非 ず して 、 之 を ひ っ くる め た 文 明 史 の研 究 者 とな っ た 。 私 は今 後 主 と して 西 洋 文 明 史 の研 究 に生 涯 を さ さ げ た い と考 えて い る 。」(書 簡 集459頁)

こ う した 変 化 が 現 れ た 明 治42年 は 、折蘆 が 大 学 を卒 業 し、 大 学 院 に 進

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明治 期 「修 養 」 をめ ぐる一 考 察(升 信 夫)

ん だ 時 期 に対 応 して い る 。 折蘆 は、 哲 学 な ど を 専 門 的 に研 究 す る力 は 自 分 に は な く、 た だ、 西 洋 の 古 今 の 学 識 ら に接 して 、 い わ ば 自分 を慰 め る 人 生 を送 っ て ゆ こ う と、 こ の 時 心 に 決 め て い る。 「修 養 」 か ら 「教 養」 へ の用 語 の 変 化 は、 こ う した 心 境 の変 化 の 中 で 意 図 的 に な され た 。 そ して cultureと して の 「教 養 」 で は 、 人 格 を 形 成 す る 、 内 面 を陶 冶 す る と い っ た側 面 は 希 薄 化 し、広 範 囲 な 人 文 的 知 識 を渉 猟 す る と い っ た 意 味 が 前 面 に躍 り出 る こ と に な っ た 。

しか し、 翌 年 の 西 田 天 香 との 出 会 い が 契 機 と な っ た の か 、 明 治43年9 月14日 付 け に、 「生 命 は人 格 、 信 念 、 実 行 に外 な らず 、 生 が 些 少 の知 識 的教 養 は 今 は も は や 惜 しか らず 、 之 を一擲 して 西 田 師 の靴 の 紐 を解 か ん こ と生 が 願 に候 」(書 簡 集503頁)と 述 べ た後 は 、折蘆 の書 簡 か ら は 「教 養 」 の言 葉 は 消 え る。 そ して 、 文 学 、 美 術 、 宗 教 等 に つ い て 幅 広 く知 識 を身 に つ け る と した ラ イ フ プ ラ ン は放 棄 さ れ 、 折蘆 は 求 道 的生 活 へ の 回帰 を 模 索 す る こ と に な っ た 。 こ れ に対 応 し、 書 簡 に も、 「私 も これ か ら段 々 修 養 させ て も らい ます 」 「け れ ど も私 の 心 も ち は変 わ りま した よ。 私 の 現 世 に対 す る欲 望 は 日の 前 の 氷 の 如 く、 今 盛 に溶 け つ つ あ ります 」 「私 は財 産 も心 の底 か ら不 要 に な っ て来 ま した 。 第 一 に書 物 が不 要 に な っ て き ま し た」(書 簡 集508頁)な ど、再 び 「修 養 」 とい う言 葉 が登 場 す る よ う に な る 。 こ の 頃 に書 か れ た 「自伝 」 で も 「修 養 」 は 頻 出 の言 葉 で あ っ た。

折蘆 の 場 合 の 「教 養 」 は 、 文 学 、 宗 教 、 哲 学 、 美 術 な ど に つ い て 幅 広 い知 識 を持 つ こ とい う意 味 で 用 い ら れ た 。 そ して 、 冷 め た 諦 観 と と も に 消 極 的 な ニ ュ ア ンス を色 濃 く持 っ て 用 い られ る言 葉 で あ っ た 。 一 方 、 阿 部 次 郎 の場 合 、 「教 養 」 は 、 今 日 に 近 い ポ ジテ ィ ブ な 意 味 で用 い られ て い る。 た だ しそ う した 用 語 法 は 、 一 定 の 変 化 を経 た後 に確 定 して お り、 そ の変 化 を確 認 して み よ う。 なお 、 魚 住 折蘆 と阿 部 次 郎 は 、 と も に1883年 の生 まれ で 、一 高 時 代 以 来 交 流 が あ り、梁 川 が 他 界 した 明 治40年 の夏 に は 、 数 人 と連 れ だ ち 、信 州 に旅 行 に 出 か け て もい る。

先 ず 、 阿 部 次 郎 のcultureの 用 語 法 を見 て み よ う。 以 下 は 、 大 正2年12 月 の 書 簡 で あ る。

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桐 蔭法 学21巻2号(2015年)

「僕 の底 の 方 に光 っ て い る 「自然 」が 多 少 の 才 気 多 少 のKulturの 偏 っ た レ ンズ を通 じて 外 に現 れ て い る こ と も疑 い が な い よ うで す 」 「自分 は 此 等 の才 気 此 等 の 人 為 的 なKulturの 底 に僕 の 本 当 の 「自 然 」 が 生 きて い る つ も りだ け れ ど も、 そ れ は神 様 の 眼 か ら見 た ら ち っ と も な い の か も知 れ ませ ん 。」*7

こ こで は 、 英 語 のcultureで は な く、 ドイ ツ 語 のKulturが 、訳 語 を あ て ず に用 い られ 、 そ の 意 味 は 、 「文 化 」 に も通 じ、 内 面 の 陶 冶 、 個 人 人 格 の 確 立 と い っ た側 面 は希 薄 で あ る。 あ る い は 「僕 の 本 当 の 自然 」 と対 比 さ れ て い る 限 り に お い て 、 こ こ で のKulturは 、 む しろ 消 極 的 意 味 を 帯 び て い る と い っ て よ い 。 ま た 、 「教 養 」 とい う言 葉 につ い て は 、 「平 出君 は弁 護 士 と云 う職 業 を 有 し、 弁 護 士 とな る よ う な 教 養 を受 け られ た為 か 、 此 の方 面 に 深 き興 味 を持 ち 」 と い う表 現 の よ う に 、educationの 意 味 で 用 い

られ て い た*8。

な お 、 この 時代 、 カ ル チ ヤー 、 カ ル チ ュ ー ア と い う言 葉 は 、 一 高 生 や卒 業 生 の 間 で し ば しば 用 い られ た言 葉 で あ っ た よ う だ。 矢 内 原 忠 雄 は、 大 正2年5月 の 日記 に次 の よ う に書 き記 して い る。 「新 渡 戸 先 生 よ り例 の如 く有 益 な る御 話 あ り。1,い つ 迄 も理 想 を失 わ ぬ事 、2,専 門 セ ンス の み で は な く、 コ モ ン セ ンス を養 い 、 殊 に 哲 学 宗 教 文 学 的 の カ ル チ ュ ー ア を 怠 ざ る こ と、3,互 い に理 想 を語 りか わ しお く事 等 な り。 他 の 諸 先 生 よ り も 面 白 き御 話 あ り、高 等 普 通 教 育Allgemine  Bildungの 貴 む べ き を教 え られ ぬ 。」*9つ ま り、Culture/Kulturと い う言 葉 は 、 一 方 で 折蘆 や初 期 の 阿 部 次 郎 に 見 られ る よ う に 、 自 己 の 内 面 とは 区 別 さ れ る広 範 囲 な 知 識 と い う 意 味 で 用 い ら れ る 場 合 と、 他 方 、 「修 文 」 「修 養 」 と訳 され る よ う に、 人 文 的教 育 に よ り陶 冶 され た 内 面 とい う意 味 で 用 い られ る場 合 とが あ っ た。

こ の よ う に一 方 で 教 育 の 意 味 で の 「教 養 」 とい う用 語 が あ り、 他 方 で Kulturに は肯 定 的 意 味 と否 定 的意 味 が 存 在 す る とい う状 況 で あ っ たが 、 こ の や や 錯 綜 した 状 況 は 、 「教 養 」 がKulturの ポ ジ テ ィブ な側 面 の訳 語 とな る こ とで 、 決 着 を見 て 行 く。 阿 部 次 郎 も、 『三 太 郎 の 日記 』 の 大 正6年5 月 と記 され た 部 分 で 、 以 下 の よ う に 「教 養 」 と い う言 葉 を用 い る よ う に

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明 治期 「修 養」 を め ぐ る一考 察(升 信 夫)

な っ た。 これ は和 辻 の 「す べ て の芽 を培 え 」よ りも少 し後 に あ た って い る。

そ こで 阿 部 次 郎 は 以 下 の よ う に 「教 養 」 とい う言 葉 を用 い て い る 。

「お よそ 我 らに と っ て教 養 を求 む る努 力 の根 本 的 衝動 とな る もの は 普 遍 的 内 容 を獲 得 せ ん とす る憧 憬 で あ る。 個 体 的存 在 の 局 限 を脱 して 全 体 の 生 命 に参 加 せ ん とす る 欲 求 で あ る 。 ゆ え に我 らは 民 族 と い う 半 普 遍 的 な る もの の 生 命 に参 加 す る こ と に よ っ て こ の 渇 望 をみ た す こ と はで きな い。 我 らの 目標 とす る 教 養 の 理 想 が ひ っ き ょ う神 的 宇 宙 的生 命 と 同化 す る と こ ろ にあ る こ とは 、 自 己 の 中 に 教 養 に対 す る 内 面 的 衝 動 を感 じ た こ とが あ る ほ どの 者 の 何 人 も疑 う こ と を得 ざ る とこ ろ で あ る。」 「日本 人 と して の教 養 は 「人 」 と して の 教 養 の 一 片 にす ぎ な い 。 民 族 的 教 養 が 唯 一 の教 養 で あ り え な い こ とは 、 教 養 の 本 質 よ り見 て 自明 の 道 理 で あ る。 ゆ え に わ れ らが 教 養 の 材 料 を 求 む る と き、そ の 材 料 の 価 値 を定 む る標 準 は 、そ れ らが 我 らの祖 先 に よ っ て 作 ら れ た もの で あ る か な い か に あ る の で は な くて 、 そ れ らが 神 的 宇 宙 的 生 命 に浸 透 す る こ との 深 さ に依 従 す る の で あ る。 この 意 味 に お い て 我 らは我 らの 教 養 を釈 迦 に キ リス トに、 ダ ンテ に、 ゲ ー テ に、

ル ソ ー に 、 カ ン トに 、 求 む る こ と につ い て 何 の 躊 躇 を感 ず る義 務 を も持 って い ない 。」*10(強 調 引 用 者)

魚 住 折蘆 と綱 島 梁 川 は 、親 密 な 交 際 が あ り相 互 の 書 簡 も多 く残 され て い る。 阿 部 次 郎 と折蘆 に つ い て は 既 に 触 れ た とお りで あ る 。 和 辻 哲 郎 と折 蘆 の 問 に も先 輩 後 輩 の 密 接 な 関 係 が あ っ た。 ケ ー ベ ル に和 辻 を引 き合 わ せ た の も、ケ ー ベ ル の周 辺 に い た 折蘆 で あ っ た 。 そ う した 関 係 を考 え る と、

「修 養 」 か ら 「教 養 」 へ の 転 換 は 、 梁 川 → 折蘆/(阿 部 次 郎)→ 和 辻 、 と い う流 れ の 中 で 、 次 第 に生 じ た と考 え て よ い だ ろ う。 も ち ろ ん、 こ れ に つ い て は、 明 治 国 民 国 家 体 制 の イ デ オ ロギ ー 強 化 な ど の外 部 的 要 因 も検 討 しな け れ ば な ら な いが 、 そ れ は別 の 機 会 に譲 る 。 「修 養 」 の 「教 養 」 へ の転 換 が 徐 々 に準 備 され た と考 え る こ とが で き よ う。

と こ ろ で 、 ア メ リ カ の カ レ ッジ教 育 の 経 験 を持 つ 内 村 鑑 三 の場 合 、 明

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治27年 の 段 階 で 、cultureは 、1iberal educationの 結 果 と して 得 られ る もの とい う理 解 を して い る*11。そ して こ の教 育 の 重 点 は 、 古 典 語(ギ リ シ ア ・ ラテ ン語)と 数 学 に置 か れ る も の と理 解 して い る。 こ れ に対 して 折蘆 の 「教 養 」 は、 「文 学 、 宗 教 、哲 学 、 美術 」 で あ り、和 辻 哲 郎 の 「教 養 」 も、 「芸 術 、 哲 学 、 宗 教 、 歴 史 」 で あ り、 阿 部 次 郎 も 「教 養 」 を 「釈 迦 、 キ リス ト、ダ ン テ、ゲ ー テ、ル ソー 、カ ン ト」 と して い る 。 「一 般 教 育 」 と 「教 養 」 は 交 換 可 能 な言 葉 と さ れ る 場 合 が 少 な くな い。 しか し、 ア メ リ カ に お い て も、ヨー ロ ッパ で も、内 村 が 理 解 して い た よ う に 「一 般 教 育」 に は数 学 、

自然 科 学 が 含 まれ て い た が 、 魚 住 折蘆 や 阿 部 次 郎 の 「教 養 」 か ら は 、 数 学 や 自然 科 学 が 完 全 に抜 け 落 ち て し ま っ て い る。 こ の こ と に は 十 分 に留 意 してお く必 要 が あ る だ ろ う。

2.清 沢 満 之 に お け る エ ピ ク テ トス 語 録 と 「修 養 」

清 沢 満 之 の 「修 養 」 につ い て は 、 先 行 研 究 も多 く存 在 す る*12。清 沢 の 思 想 に つ い て は 、 終 生 一 貫 して い た とす る 解 釈 、 幾 つ か の 段 階 を経 て 変 化 す る とす る もの な ど多 様 で あ る が 、 そ の 「修 養 」 につ い て は 、 あ る程 度 の 一 貫 性 を も っ て 理 解 さ れ る傾 向 にあ る 。 た と え ば 安 富 は 、 「清 沢 の修 養 は早 くか ら心 が け られ た 。 明 治27年 発 行 の 『宗 教 哲 学 骸 骨 』で は 「修 養 」

と い う語 は用 い て い な い が 、信 仰 は 「修 徳 」 へ と進 む と述 べ られ て い る」

と論 じて い る*13。確 か に 、 「修 徳 」 と 「修 養 」 は か な り類 似 した意 味 で 用 い られ て お り、 そ う した 自力 的傾 向 も清 沢 の 思 想 に は一 貫 して 存 在 して い た とい う こ と は重 要 な 要 素 と い え る 。 しか し、 明 治20年 代 に は 「修 養」

とい う言 葉 は 日記 、 書 簡 で も用 い られ て い な い の に 、30年 代 に入 る と そ の使 用 頻 度 が 著 し く増 大 して い る こ とに つ い て は、 な ん らか の 説 明 が 必 要 だ ろ う。 一 貫 性 の み に 着 目す れ ば 、 「修 徳 」 を ど う して 「修 養 」 とい う言 葉 に 変 更 した の か とい う こ とは 明 らか に な らな い。 そ もそ も「修 徳 」は 、『宗 教 哲 学 骸 骨 』 で は 、 「安 心 」 と一 対 を なす 重 要 な概 念 で あ り、 そ の 言 葉 を 変 更 す る とい う こ とは,な ん らか の 思 想 的 枠 組 み の 変 更 を予 想 させ る。

ち な み に 、 安 心 と は 『宗 教 哲 学 骸 骨 』 に代 表 さ れ る 明 治20年 代 の 清

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明 治期 「修 養」 をめ ぐる 一考 察(升 信 夫)

沢 の 理 論 的 枠 組 み で は 、知 的 に 無 限 を覚 信 す る こ とで あ り、「修 徳 」 と は、

こ れ を行 い にお い て 実 現 し よ う と す る こ とで あ っ た 。 「信 す れ ば愈 愈 其 の 進 達 の 実 行 に 従 事 す る は 自然 の順 序 」 で あ り、 「吾 人 は 無 限 に対 し智 解 的 よ り意 行 的 に 進 ま ざ る 能 は ざ る」 を え ず 、 「此 実 行 を 名 け て修 徳 或 は修 行 と」 清 沢 は 名 づ け て い る。 そ して この 過 程 は、 「正 に有 限 の 吾 人 が 無 限 の 懸 隔 を 断 消 して 無 限 の境 界 に到 達 す る雲 梯 」 な の で あ っ た*14。

そ の 際 、 自力 門 で は 自 己 の 裡 に無 限 を見 出 す こ とが で きる と措 定 す る た め 、修 行 に よ っ て 無 限 の 位 置 に到 達 し よ う と し、 そ れ が 安 心 につ なが る 。 こ れ に対 して 他 力 門 の場 合 、如 来 大 悲 に よ る 救 済 を信 ず る こ とで 安 心 が 得 ら れ 、 行 に つ い て は 「無 限 の 方 に 於 い て 之 を成 就 せ る故 に有 限 は 毫 も 修 行 を要 」 し な い こ と に な る(清 沢 全 集1‑30頁)。 そ の 結 果 、 「自力 門 の 方 で は 修 徳 が 主 に な り、 他 力 門 で は安 心 が 主 に な る。」(清 沢 全 集1

‑272頁)た だ し、他力 門にお い て も、世俗 的 な社 会生活 は安 定 的 にな さ れ る必 要 が あ る。 つ ま り、 他 力 門 で は 、 「一 方 は 無 限 に対 す る宗 教 的 の 関 係 を了 し一 方 に は他 の 有 限 に対 す る 倫 理 的 の 関 係 を知 り所 謂 宗 教 、 道 徳 の 分 斉 を認 識 して 其 宗 教 的 方 面 に於 て は他 力 の摂 取 を仰 ぎ其 倫 理 的 方 面 に は 人 世 の 正 道 を実 践 せ ん こ と を勤 」 め ね ば な ら な い の で あ る(清 沢 全 集1‑34頁)。

と ころ が 、明 治31年 以 降 、清 沢 の文 章 か ら 「修 徳 」 は ほ ぼ消 え 、「修 養 」 が 前 面 に 登 場 す る こ とに な っ た 。 こ う した 変 化 の 直 接 の契 機 と な っ た の は 、31年9月 の エ ピ ク テ トス 語 録 との 出 会 い で あ っ た こ と は 想 像 に 難 く な い*15。 「臘扇 記 」 に は 、 「己上 エ ピ ク テ ー タ ス 氏 」 と して 語 録 か らの 抜

き書 きが 記 さ れ て い る が 、 そ こ に は、 「修 養 を妨 害 す る 」 「修 養 を遂 ぐる 能 わ ざ る な り」 「修 養 の 精 神 を 失 却 した る も の な り」 と、 これ ま で 殆 ど用 い られ て こ な か っ た 「修 養 」 とい う 言 葉 が 、 突 然 、 頻 繁 に用 い られ て い る(清 沢 全 集8‑356〜357頁)。 そ して 、 そ れ 以 降 、 「修 養 」 とい う言 葉 は、 清 沢 の 中心 的 な語 彙 の 一 つ と な る。 語 録 の どの よ う な 単 語 を 「修 養 」 と訳 した の か は 、 清 沢 の 抜 き書 きが 逐 語 訳 で は な い た め に確 定 す る こ と はで きな い 。cultureな どの 表 現 は語 録 に は見 当 た らず 、 む しろprogressや educated等 を そ れ にあ て た可 能 性 もあ る が 、訳 語 とい う よ り も、 全 体 的 な

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桐 蔭 法 学21巻2号(2015年 〉

趣 旨 を くみ 取 り 自 らあ て た可 能 性 も高 い*16。

で は 、清 沢 に と り、 エ ピ ク テ トス 語 録 の どの 部 分 が 琴 線 に 響 い た の だ ろ う か。 エ ピ ク テ トス が 語 録 を通 じて 、 度 々 指 摘 し て い る の が 、 自 己 の 権 内 に あ る もの とそ うで な い もの 、 清 沢 の 言 葉 で 言 え ば 如 意 、 不 如 意 と い う区 分 で あ る。 エ ピ ク テ トス は 次 の よ う に論 じて い る。

「君 は欲 望 を全 く棄 て ね ば な ら な い とか 、 忌 避 をた だ 意 志 的 な もの に の み 向 け ね ば な らな い と か 、君 は身 体 や 、財 産 や 、 名 声 や 、 書 物 や 、 喧噪 や 、 官 職 や 、 無 官 職 な ど の 一 切 を 、 諦 め ね ば な らな い とい う こ

とを幾 度 も聴 い た こ とは な い か 。 とい うの は も し君 が そ れ ら に惹 か れ る場 合 に は 、君 は奴 隷 で あ り、 臣下 で あ り、妨 げ られ る者 とな り、 強制

され る者 とな り、全 く他 の人 々 の権 内 にあ る こ と にな るか らだ。」*17

これ を清 沢 は次 の よ う に訳 して い る。

「如 意 な る もの と不 如 意 な る も の あ り、 如 意 な る もの は意 見 動 作 及 び 欣 厭 な り、 不 如 意 な る もの は 身体 財 産 名 誉 及 官 爵 な り、 己 の 所 作 に 属 す る もの と否 ら ざ る もの と な り、 如 意 な る もの に対 し て は 吾 人 は 自由 な り制 限 及 妨 害 を受 くる こ と な き な り、 不 如 意 な る も の に対 し て は吾 人 は 微 弱 な り奴 隷 な り他 の 掌 中 に あ る な り」(清 沢 全 集8‑

356頁)

他 力 門 で の 「安 心 ・修 徳 」 は 、 無 限 に係 わ る 行 は 、 如 来 大 悲 に よ っ て 果 た さ れ 、有 限 な る もの は そ れ を信 ず れ ば よ く、 「修 徳 」 は 自力 門 の 場 合 と異 な り、 世俗 社 会 の 安 定 を果 た す た め の 道 徳 に 同 一 化 され た 。 そ して、

「他 力 門 に あ りて は吾 人 有 限 者 の 宗 教 的 要 事 は 只 顕 的 無 限 者 の他 力 摂 取 の 信 受 す る もの な る が 故 に 有 限 者 の 自力 を奮 て勉 む べ き所 は唯 其 道 徳 的 事 行 に 」 あ る とい う こ とに な る(清 沢 全 集2‑318頁)。 と こ ろ が 、 エ ピ ク テ トス は、 有 限 者 が 自力 で 励 む事 柄 に は、 如 意 、不 如 意 の もの が あ り、 こ れ を 区別 しな け れ ば な ら な い と語 る 。 以 前 の 「安 心・ 修 徳 」 の 枠 組 み で

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明 治期 「修 養」 を め ぐる一考 察(升 信 夫)

あ れ ば 、 宗 門 改 革 が 果 たせ な い とす れ ば 、取 り組 み に つ い て の 修 徳 が 欠 け て い る こ とに な り、 健 康 を害 せ ば、 身 体 的 自 己 管 理 が 行 き届 い て い な い とい う点 で 徳 が 欠 け て い る こ とに も な る。 比 喩 的 にい え ば 、 そ こ で は 厳 し く、 厳 密 な 「義 」 が 求 め られ る。 これ に 対 して エ ピ ク テ トス は、 権 内 に な い こ とに 結 果 を要 求 す る こ と は賢 明 で は な く、 可 能 な もの と そ う で な い もの とを 明 確 に し、 可 能 な 事 柄 につ い て真 摯 に取 り組 ま ね ば な ら な い と諭 す 。 これ は 、 あ る 意 味 で は 「義 」 が 「愛」 に よ っ て 宥 和 さ れ る の と類 似 して い る と い っ て も よい 。 また 、そ れ を受 け容 れ る な ら ば、「修 徳 」 の対 象 範 囲 と さ れ た 有 限 的 事 項 に 、如 意 、 不 如 意 の 区 別 を 設 定 し な け れ ば な ら な い こ と に な る。 如 意 な る こ と は 、 自己 の 意 志 的 な もの に限 定 さ れ た。 有 限 的 事 項 で 如 意 的 で あ る、 意 志 的 な もの が 、 他 力 門 に と っ て 自 力 的要 素 を発 揮 す る領 域 とな る*18。

お そ ら く 「修 徳 」 は 、 自 力 的 な要 素 を多 分 に残 し、 ま た如 意 、不 如 意 の 区 別 を伴 わ な い 観 念 と して 放 棄 す べ き で あ る と考 え ら れ た の だ ろ う。 そ して 、 よ り内 観 性 の あ る言 葉 と して 「修 養 」 が 選 択 さ れ る こ と にな っ た 。 した が って 、清 沢 にお け る 「修 養 」 は 、 まず 第 一 に、 こ う した 如 意 、 不 如 意 の 区 分 を受 け容 れ る諦 観 を意 味 す る。 清 沢 の 明 治36年 の 最 後 の 日記 に あ る 「宜 し く修 養 の道 に 進 み て 有 限無 限 の 分 限 に安 住 す る」 場 合 の 「修 養 」 とい って よい(清 沢 全 集8‑454頁)。 あ る い は 、 「愈 修 養 を進 め て 天 命 に安 ん ず べ きこ とを 学 」 ぶ こ と とい っ て も よい(清 沢 全 集8‑419頁)。

清 沢 に と っ て の 「修 養 」 は、 第 二 に、 如 意 た る領 域 で あ る意 志 的 領 域 で 心 霊 を研 く こ とを 意 味 す る 。 こ う した 「修 養 」 を平 易 に 表 現 す れ ば 、 至 誠 の 心 、 満 足 の 心 、 小 欲 の 心 、 克 己 の心 、 不 動 の 心 、 無 畏 の 心 、 精 進 の 心 、 忍 辱 の 心 、 不諍 の 心 、 従 順 の 心 、 和 合 の 心 、 自 由 の念 、 とい う こ と に な る だ ろ う(清 沢 全 集7‑277〜309頁)。 あ る い は、 もっ と も抽 象 的 に表 現 す れ ば、 「自己 を省 察 して 、 天 道 を知 見 す る」 とい う こ と で もあ る 。

これ は カ ン ト的 な 実 践 理 性 が 置 か れ た 境 遇 と も類 似 し、 「天 道 」 は儒 学 的 な 「道 」 の み な らず 、 「普 遍 的 立 法 」 を思 わ せ もす る 。 清 沢 は 、 次 の よ う に記 して い る 。

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桐 蔭法 学21巻2号(2015年)

「各 個 人 の道 徳 進 歩 は 天 凛 と修 養 とに よ りて 差 等 あ る な り  天 凛 に属 す る も の は 吾 人 の 如 何 と も し能 わ ざ る 所 な り 吾 人 の最 も 要 とす べ きは 修 養 の 事 に属 す  修 養 は 人 生 の 第 一 義 た る も の な り  修 養 の 方 法 如 何  曰 く 須 く自 己 を省 察 す べ し  自己 を 省 察 して 天 道 を 知 見 す べ し 」(清 沢 全 集8‑423頁)

とこ ろ で 、 エ ピ ク テ トス 的諦 観 は、 や や もす れ ば、 「不 如 意 な る もの に つ い て は 、 無 条 件 に こ れ を 感 受 す べ きで あ る」 と い う解 釈 に傾 くこ と も あ る。 そ うな る と、社 会 的 不 平 等 や不 正 、あ るい は 国 家権 力 に よ る暴 政 を、

不 如 意 な る もの と して 甘 受 す る こ と を清 沢 が す す ん で 認 め た こ とに もな り、 そ う し た解 釈 も清 沢 批 判 に は 見 られ る。 た とえ ば安 丸 良 夫 は 、 清 沢 の思 想 は 、 「現 実 の 社 会 的 政 治 的 な 改 革 を あ らか じめ 断 念 し、 「吾人 は吾 人 現 在 の境 遇 の 中 に於 い て 満 足 の 見 地 を発 現 せ ざ る べ か ら ざ る な り」 な ど とす る もの で あ り」 清 沢 は 、 「じ っ さ い に は 明 治 日本 の 社 会 的 「現 実 」 に 苦 しめ ら れ なが ら、 しか もそ の 「現 実 」 を無 条 件 に受 容 し よ う とつ とめ た 」 と して い る*19。 しか し、そ う した解 釈 は 、「有 限無 限 録 」 「転 迷 開悟 録 」 な ど に見 られ る実 践 、実行 へ の溢 れ る 意 欲 を思 えば 、適 切 と は言 いが た い 。 清 沢 は次 の よ う に書 き記 して い る。

「福 利 の 増 進 は進 歩 の 大 目 的 な り、 故 に 之 を普 遍 的 に云 え ば吾 人 は福 利 増 進 の 事 に従 事 せ ざるべ か らず 」(清 沢 全 集2‑127頁)

「円 融 無 擬 の 境 界 は吾 人 の現 在 に あ りて は全 く理 想 的 な り、 然 れ ど も 吾 人 は此 理 想 を実 現 せ ざ る べ か らず 、 而 して 其 之 を実 現 し得 る は 現 社 会 の未 来 に 在 るべ く亦 個 人 的 生 活 の 未 来 に在 るべ し、 其 何 れ に 在 る に 関せ ず 吾 人 は現 在 に 於 い て 之 に 向 進 す る の 事 に着 手 せ ざ る 可 か らず 、 之 を名 け て 実 行 と云 う」(清 沢 全 集2‑146頁)

清 沢 に と って は、 不 如 意 な る こ と につ い て は 、 そ の 結 果 は 甘 受 しな け れ ば な ら な い と し て も、 賢 者 は 政 治 に は係 わ らな い とい う よ うな エ ピ ク ロ ス 的 姿 勢 を と る こ と を意 味 した わ け で は な か っ た 。 人 間 の 日常 の社 会 生

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明 治期 「修 養 」 を め ぐる 一考 察(升 信 夫)

活 は 、 不 如 意 な こ と と係 わ っ て しか 成 り立 た な い 。 意 志 的 な事 柄 も、 頭 の 中 で 図 形 を思 い 描 くよ うな 完 結 的 な 事 柄 か ら だ け か ら成 り立 つ の で は な く、 社 会 生 活 の 具 体 的 な 事 象 に 係 わ ら ざ る を え な い 。 次 の 文 を見 て み よ う。

「生 命 は仁 義 の 為 に犠 牲 に供 せ ら るべ きや 、 仁 義 は生 命 の 為 に使 用 に 供 せ ら るべ きや 、 此 問 題 の 解 答 は、 修 養 上 に於 て は、 全 く内 心 の 裁 決 に委 せ ざ る べ か ら ざ る な り、 是 に於 て か 、 一 人 は仁 義 よ り も生 命 を大 切 な り と し、 一 人 は 生 命 よ り も仁 義 を大 切 な り とす る こ とあ る べ し、 此 に至 りて は 、 外 部 の 批 評 は 、 其 効 な く、 学 理 の使 命 は、 其 用 な し、 内心 の 決 定 は、 最 高 の裁 判 な り」(清 沢 全 集7‑209頁)*20

こ こ に は生 命 と仁 義 の ど ち らを 優 先 す る か とい う 問題 が 取 り上 げ ら れ て い る 。 こ れ を 内 心 の 決 定 に 委 ね よ とす る結 論 は 、 数 理 に類 似 す る 観 念 的 な次 元 で個 々 人 が 決 め て 良 い とす る 決 裁 に も思 え る。 と は い え生 命 と 仁 義 の い ず れ が 優 先 す るか とい う問 題 は、 具 体 的 な 状 況 下 で 実 践 的 な 問 い か け と して 発 生 す る。 「実 際 の 行 為 に就 き 内心 の 決 定 を為 し省 察 の 反 復 に よ りて 意 志 を 強 固 に す る は修 養 の本 体 で あ 」 り、 内 心 の 決 定 と は、 実 践 性 を多 分 に帯 び て い る(清 沢 全 集2‑190頁)。

こ う して 清 沢 の 「修 養 」 は 、 内観 、 反 省 と い う極 め て 内 向 的 性 格 を持 つ 心 霊 の 鍛 錬 で あ る 一 方 で 、 第 三 の 意 味 と して 、 有 限 的 で 不 如 意 な 事 柄 に対 して の 実 践 の あ り方 を導 く性 格 を有 して い た 。 そ れ は 、 「精 神 界 を し て 物 質 界 を克 伏 せ しむ る」 こ とを 目指 す もの で あ り、 「制伏 と は 強 ち物 質 界 を排 斥 す る こ と」 で は な く、 「物 質 界 を研 究 して 精 神 界 の 需 要 にserve せ しむ る」(清 沢 全 集2‑145頁)こ と で あ っ た 。 この こ と は避 悪 就 善 に 帰 着 す る 。 清 沢 に よれ ば 、 「吾 人 の 行 為 は 内 心 の 決 定 と意 志 の強 弱 と に よ りて 支 配 せ ら る る も の で あ る が 、其 修 養 上 の 心 念 の 聯 結 に付 て 吾 人 が 最 も注 意 す べ きは 善 悪 の 二 念 で 」 あ っ た(清 沢 全 集2‑190頁)。 清 沢 は次 の よ う に纏 め て い る。

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桐 蔭法 学21巻2号(20」5年)

「是 れ 避 悪 就 善 の事 に従 は ざる べ か らず 、何 とな れ ば避 悪 就 善 は有 限 差 別 の 間 に無 限 的 境 界 を連 接 す る唯 一 法 な れ ば な り、 乃 ち避 悪 就 善 は畢竟 社 会 の 有 限 差 別 の 境 域 に於 い て 窮 悶 せ る もの を して其 窮 悶 を 脱 却 せ しめ 以 て 無 限 界 に遊 ば しむ る 余 地 を 生 ず る もの な れ ば な り」

(清 沢 全 集2‑126頁)

そ して そ う した観 念 を もっ て の 実 践 に お い て は 、 い か な る 困 難 に も怯 ん で は な ら な い とい う こ と に な る。

「此 の如 く四 顧茫 々 の 中 間 に 於 い て 吾 人 に亦 一 円 の 自 由境 あ り  自 己 意 志 の範 囲乃 ち是 な り  自己 と は何 ぞ や  是 れ 人 世 の 根 本 的 問 題 な り  自 己 と は 他 に し 絶 対 無 限 の 妙 用 に乗 托 して 任 運 に法 爾 に 此 の境 遇 に 落 在 せ る も の即 ち是 な り  只 夫 れ 絶 対 無 限 に乗 託 す  故 に 死 生 の 事 亦 憂 うる に足 らず  死 生 尚 且 つ 憂 う る に足 らず  如 何 に 況 ん や 此 よ り而 下 な る事 件 に於 い て お や  追 放 可 な り 獄 牢 甘 ん ず べ し 誹謗擯 斥 許 多 の 陵 辱豈 に意 に介 す べ き も の あ らん や  否 之 を 憂 う と錐 も之 を意 に介 す と難 も吾 人 は 之 を如 何 と もす る 能 わ ざ る な り 我 人 は 寧 ろ只 管 絶 対 無 限 の 吾 人 に賦 与 せ る もの を楽 し ま ん か」

(清沢 全 集8‑362頁)

翻 っ て 考 え て み て、 明 治32年 以 降 の 清 沢 の 宗 教 哲 学 の枠 組 み は 、 カ ン トを強 く連 想 させ 、 ま た 「精 神 界 を して 物 質 界 を 克 伏 せ しむ る」 とい う 点 で は ヘ ー ゲ ル を彷 彿 させ る*21。 そ して 、 そ の 実 践 、 実 行 へ の 強 い 意 欲 を くみ 取 る な らば 、 エ ピ ク テ トス の 如 意 、 不 如 意 の類 別 の 受 容 は何 で あ っ た の か と い う思 い もわ く。 しか し、 清 沢 に と っ て は、 エ ピ ク テ トス の 語 録 は 三 部 教 の 一 つ で あ り続 け た 。 一 方 で不 如 意 な る物 質 界 へ の 諦 観 、 他 方 で そ の 物 質 界 を精 神 界 に服 属 させ るべ く実 践 、 実 行 を怠 ら な い とい う こ と、 こ の 矛 盾 す る事 柄 を止 揚 して い る 、 あ る い は併 呑 しつ つ 屹 立 させ る と こ ろ に清 沢 的 「修 養 」 の 特 徴 が あ る とい っ て よい だ ろ う。 清 沢 的 実 践 とは以 下 の よ う な もの で あ った 。

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明治 期 「修 養 」 をめ ぐる一 考 察(升 信 夫)

「応 無 所 住 而 生 其 心(住 む と ころ 無 きに応 じて そ の 心 生 ず)」 「是 れ 公 共 心 を以 て 活 動 す る もの の 心 地 な り」 「何 事 を も為 さず と云 う にあ ら ず  活 発 々 地 に社 会 に行 動 す 其 の 思 念 の 盛 ん な る や 勿 論 な り」 「無 念 無 想 な れ と云 うは 執 着 的 偏 個 的私 我 的 の 念 想 を絶 せ よ と云 う こ と な り 決 して 枯 木 死 灰 と な れ と云 うこ と に あ らず」 「深 く修 養 を加 う る に あ らず ば 達 し難 き所 な り」(清 沢 全 集2‑133頁)

3.内 村 鑑 三 と 「修 養 」

清 沢 満 之 の 生 まれ は1863年 で あ っ た 。 同 年 生 まれ に徳 富 蘇 峰 が お り、

前 年62年 生 まれ に新 渡 戸 稲 造 、森鴎外 、 前 々年61年 生 ま れ に 内村 鑑 三 が い る。 彼 らの 多 くが 、 幼 い 頃 に は伝 統 的 な教 育 を受 け、 そ の 後 、 西 洋 の 学 問 を 学 び、 伝 統 的 な もの と西 洋 的 な もの との 関係 性 、 あ る い は 取 捨 選 択 をい か に構 想 す るか を生 涯 の 課 題 と し た とい っ て よ い 。 こ の う ち 、 信 仰 と 「修 養 」 と の 関 係 性 とい う観 で 、 清 沢 の そ れ と比 較 す べ く、 内村 鑑 三 の思 想 を取 りあ げ る 。

内村 鑑 三 は 、 キ リ ス ト教 信 仰 につ い て は オ ー ソ ド ックス な立 場 を堅 持 し た が 、 そ の 宗 教 的 実 践 に つ い て は 、 無 教 会 思 想 に あ ら わ れ る よ う に 、 独 自の 道 を歩 ん だ。 そ の 信 仰 の あ り方 につ い て 内 村 は 、 「言 辞 を共 に す る者 が 我 が 信 仰 の 友 で は な い 、 信 仰 の 目 的 物 に対 し心 の態 度 を 同 じ うす る 者 、 其 者 が 我 が 信 仰 の 友 で あ る 、 神 と称 び 、 キ リス トと唱 え 、 天 国 と云 う者

に して 、 我 が 信 仰 の 敵 が尠 くな い 、 之 に反 して 弥 陀 と称 び、 如 来 と唱 え 、 浄 土 と云 う者 の 中 に、 我 は 我 が 信 仰 の友 を見 る の で あ る 」 と述 べ(内 村 全 集21‑344頁)て い る。 つ ま り、 宗 教 の 中 心 核 に信 仰 心 が 置 か れ 、 そ こか ら、 「我 が 信 仰 の 友 は 惟 り独 逸 の ル ー テ ル に 限 ら な い 、 英 国 の ウ ェス レー に止 ま ら な い 、 米 国 の ム ー デ ィー を以 て 尽 きな い 、 我 国 の 源 信 僧 都 、 法 然 上 人 、 親鸞 上 人 も亦 我 が 善 き信 仰 の 友 で あ る」 と語 られ た 。(内 村 全 集21‑343頁)。 そ して 、 内 村 は行 為 本 意 の 宗教 と信 仰 本 位 の 宗 教 とい う 類 型 をあ げ、 次 の よ う に ま と め て い る 。

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桐蔭 法 学21巻2号(2015年)

「宗 教 に 二 種 あ る 、 二 種 以 上 は ない 、 行 為 本 意 の 宗 教 と信 仰 本 意 の 宗 教 と是 で あ る 、仏 教 は素 々 行 為 本 意 の 宗 教 で あ る、 基 督 教 は 本 来 信 仰 本 意 の 宗 教 で あ る 、 然 し乍 ら同 じ仏 教 の 内 に も禅 宗 の 如 くに純 行 為 の 宗 教 が あ る に対 して 真 宗 の 如 くに純 信 仰 の宗 教 が あ る」(内 村 全 集25‑246頁)

内 村 は 、 法 然 、 親鸞 か ら続 く真 宗 の他 力 は、 信 仰 本 位 で あ る と と らえ 、 自己 の キ リス ト教信 仰 との類 似 性 を見 い だ して い た。 清 沢 の信 仰 も他 力 で あ り、 そ う した 点 で は内 村 の 目か ら は、 清 沢 に は 親 近 性 を見 出 し得 た はず で あ る。 とは い え、「修 養 」 の位 置 づ け は、内 村 と清 沢 は考 え方 を異 に した 。 清 沢 の場 合 、 無 限 に 関 わ る宗 教 は、 有 限 の 道 徳 と連 携 す べ き もの で あ り、

両 者 の 間 に 断 裂 は な く、 「修 養 」 は 道 徳 、 あ る い は そ う した 連 携 に 関 わ り 涵養 され るべ き能 力 で あ った 。 そ れ に対 して 内 村 の場 合 は、信 仰 と 「修 養 」 は カ テ ゴ リ カ ル に 区別 す べ き も の で あ っ た 。

内村 鑑 三 は 、 晩 年 に さ しか か っ た 大 正4年5月 、 「福 音 に 修 養 と云 う が 如 き者 は 無 い の で あ りま す 。 随 っ て 自分 で 仕 上 げ た 品 性 と云 うが 如 き者 は無 い の で あ りま す 、 唯信 仰 が あ る の み で あ り ます 」 と論 じて い る(内 村 全 集21‑298頁)。 内 村 に と っ て は 、 「修 養 」 は 、 あ く まで 道 徳 に属 す 概 念 で あ り、 超 越 的 な ヌ ミノ ー ゼ に 係 わ る信 仰 との 間 に は 、 大 きな へ だ た りが あ っ た 。 内村 に は 、 ル ター のsola fideの 如 く、 信 仰 こそ が す べ て の 始 点 で あ っ た 。 そ こか ら内 村 の 「修 養 」 に対 して の 消 極 的 評 価 が も た ら され た 。 た だ しそ れ は 曲 折 な しに 確 立 した わ け で は な か っ た 。 そ の 経 過 をた ど っ て み よ う。

明 治27年 か ら30年 に か け て は 、 「修 養 」 に込 め られ る意 味 は 一 定 して い ない 。あ る場 合 に は、Cultureを「修 養 」と して い る(内 村 全 集4‑284頁)。

当 初 、 内 村 に は 、 「修 養 」 は 、 特 に顧 慮 す べ き言 葉 で は な く、 強 い て 言 え ば肯 定 的 な 意 味 で 用 い られ て い た。 明 治31年8月 に は、 「道 徳 は財 産 の 如 き も の な り、其 実 行 と な りて 世 に あ らは る る は 、永 き修 養 と蘊蓄 と の 後 に あ り」 「国 民 の 道 徳 心 亦 然 り、 之 に数 百 千 年 に 渉 る修 養 あ りて 、 始 め

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明 治期 「修 養」 を め ぐ る一考 察(升 信 夫)

て偉 大 な る事 業 は 出 来 得 る な り」 と論 じて い た(内 村 全 集6‑83頁)。 ま た 翌32年1月 に は 、 「文 明 国 に在 りて は 外 国 語 の 研 究 は 人 士 た る 者 の 修 養 の 最 も肝 要 な る 部 分 と して認 め らる」 と し(内 村 全 集6‑321頁)、 あ る い は、 「仏 教 復 興 は其 字 義 の如 く聖 釈 迦 牟 尼 の教 理 其 の儘 を復 興 す る こ と な り、 則 ち彼 の 如 き清 浄 な る 、 忍 耐 深 き、慈 愛 に富 め る、 宏 量 な る生 涯 を導 くに あ り、仏 教 復 興 は 先 ず 政 治 的 た らず して 道 徳 的 た るべ し、 社 会 的 た らず して修 養 的 た るべ きな り」 と してい る(内 村 全 集6‑390頁)。

しか し、 「修 養 」 と い う言 葉 が 世 間 的 に も しば しば 用 い られ る よ う に な る 明 治32年 頃 か ら変 化 が 見 られ る よ う に な る 。 そ れ ま で で あ れ ば 「修 養 」 を用 い た と こ ろ で 「養 成」 とい う言 葉 を用 い 、「修 養 」 は 、これ まで と違 い 、 信 仰 と対 比 して消 極 的 な 意 味 を 持 たせ る よ う に な っ た*22。 そ して 明 治33 年7月 に は、 「修 養 鍛 錬 の結 果 と して 神 を信 じ、 神 の 愛 を受 くる に至 り し 人 は あ りま せ ん」(内 村 全 集8‑250頁)、 「若 し私 共 の 克 己修 養 を以 て し ま し た な ら ば 、 私 共 は と て も神 の 救 済 に与 る価 値 の あ る もの で は あ り ま せ ん」(内 村 全 集8‑262頁)と 言 い 切 り、 「修 養 」 は信 仰 と は切 断 され た 存 在 で あ り、 そ こ に価 値 は 見 出 しが た い とい う姿 勢 を とる よ う に な っ た。

「修 養 」 が 明 治 期 の キ リス ト教 関係 者 の 間 で 、 内村 と 同様 、 否 定 的 に 評 価 さ れ た わ け で は な い 。 現 在 に 至 る ま で 、Retreatを 「修 養 会 」 と訳 し、

実 践 して い る ミ ッ シ ョン系 の 学 校 は 少 な くな い 。 あ る い は新 渡 戸 稲 造 に

『修 養 』 が あ る こ と を想 起 して も よい だ ろ う。 ま た 、内 村 に も、「修 養 」 に 、 一 定 程 度、棹 を さす 必 要 が 感 じ られ た局 面 が あ った 。 明 治35年 の 次 の 記 述 は、 「修 養 」 が 大 い に もて は や さ れ る よ うに な っ た 当 時 の状 況 と、 内村 の そ れ へ の対 応 を伝 え て い る 。

「基 督 教 に も修 養 な る もの が あ ります 、 然 し是 は儒 教 や 禅 宗 で 云 う修 養 と は全 くそ の 趣 を異 に 致 し ます 、 基 督 教 で 云 う修 養 な る もの は胆 力 鍛 錬 で は あ りま せ ん、 又 喜 怒 哀 楽 の 情 を 自 由 に 支 配 す る と云 う事 で も あ りませ ん、 或 い は 山 に立 て 籠 も り或 い は禅 寺 に 入 っ て 、 身 を 責 め 、 欲 を制 す るが 如 きは 基 督 教 の 修 養 で は あ りませ ん 」 「基 督 教 の 修 養 第 一 は祈 祷 で あ り ます 、 是 は神 と と もに在 る事 で あ ります 」 「我

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桐 蔭 法 学21巻2号(2015年)

等 の 修 養 第 二 は聖 書 の研 究 で あ り ます 」 「我 等 の修 養 第 三 は 労 働 で あ ります 」(内 村 全 集10‑22頁)

とは い え 、 「修 養 」 に対 して の 消 極 的 姿 勢 が 根 底 的 に 覆 る こ とは な か っ た。 む しろ 、消 極 性 は強 ま った と もい い うる だ ろ う。 明 治37年2月 の 『聖 書 之研 究 』 で は次 の よ う に論 じて い る。

「修 養 は神 に依 らず して 自 ら高 く昇 ら ん とす る の 法 な り、祈 祷 は神 に 依 っ て直 ち に 潔 め ら ん とす る の 途 に り、 修 養 は 人 の 法 に して 、 祈 祷 は神 の途 に り、 我 等 は プ ラ トー 、 シ セ ロ 、 孔 子 、 王 陽 明 に倣 っ て 聖 人 君 子 と成 ら ん と欲 せ ず して 、 パ ウ ロ、 ア ウ グ ス チ ン、 ル ー テ ル 、

コ ロム ウエ ル に倣 って ク リス チ ャ ン た らん こ と を求 うべ き な り。」(内 村 全 集12‑43頁)

ま た 明 治41年2月 に も、 「智 識 の 修 養 を の み 惟 れ 努 め て居 る 今 の 学 生 に は其 衷 に 基 督 教 を収 容 すべ き場 所 が な い 」(内村 全 集15‑407頁)と し、

そ の姿 勢 を堅 持 して い る 。

内村 に とっ て 「修 養 」 は 、 絶対 的 存 在 で あ る神 へ の帰 依 を疎 か に し、 人 間 が 自分 の 力 で 理 性 的 に 救 済 に近 づ く こ とが で き る と思 い 込 む こ と を 意 味 した 。 信 仰 は、 思 索 とは カ テ ゴ リカ ル に異 な る特 別 の もの なの で あ る*23。

あ る い は 「修 養 」 は 、 安 心 を与 え る もの で あ る と して も、 キ リス ト教 の 信 仰 は、 そ う した安 心 を 与 え くれ る もの で は な い 。 内 村 は 以 下 の よ うに 論 じて い る。

「安 心 を獲 る途 は 一 に して足 りな い 、仏 法 が 其 一 で あ る 、儒 教 が 其 二 で あ る 、所 謂 「修 養 」 が 其 三 で あ る 、 静 坐 法 が 其 四 で あ る 、 安 心 を 獲 る に必 ず し も キ リ ス トの 福 音 は 要 ら な い 、 基 督 教 に 由 らず して 安 心 を獲 た人 は世 に夥 多 居 る。キ リス トは人 に安 心 を与 え給 は な い 」(内 村 全 集22‑185頁)「 此 事 を 解 せ ず して 基 督 教 に於 い て 仏 教 に謂 ゆ

る 安 心 、儒 教 の 薦 む る修 養 を 求 め ん と欲 す る者 は木 に縁 りて 魚 を求

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明治 期 「修 養」 をめ ぐる一 考 察(升 信 夫)

む る者 の 類 で あ る 。」 内村 全 集22‑186頁)

更 に 、 内 村 は次 の よ う に論 じ、 個 人 の キ リス ト教 信 仰 に は 、発 展 過 程 が あ る と した。

「先 ず 第 一 に洗 礼 を受 け て教 会 に入 り、其 制 裁 に依 りて 救 を得 ん とす る、是 ペ テ ロ の 時代 で あ る 、次 に斯 か る制 裁 の効 の至 て 少 な き を見 て 、 独 り克 己勉 励 に 由 りて 己 を 潔 うせ ん とす る 、 是 れ ヤ コ ブ の 時 代 で あ

る、 次 に 己 で 己 を潔 うす る 能 わ ざ る を悟 りて単 ら に神 を信 頼 して 救 わ れ ん とす る、 是 れ パ ウ ロ の 時 代 で あ る 、 終 わ りに救 い は 己 を 潔 う す る こ と らあ らず 、 進 ん で 神 と人 と を愛 す る こ と で あ る を 識 る に 至 る、 是 れ が ヨハ ネ の 時 代 で あ る、 健 全 な る 信 仰 の 進 歩 は此 の 経 路 を 経 る を常 とす る。」(内 村 全 集15‑214頁)

こ れ に 従 え ば 、 克 己 勉 励 的 な 「修 養 」 は ヤ コ ブ 的 な も の で あ り、 こ れ はパ ウ ロ 的信 仰 、 ヨハ ネ 的 愛 に よ っ て止 揚 され ね ば な らな い

信 仰 は 、自 己 と神 との 関 係 に お い て 成 立 し、そ こ に は他 者 が介 在 しない 。 清 沢 的 用 語 を用 い れ ば 、 信 仰 は無 限 と係 わ り、 有 限 な も の の 限 定 的 集 合 で あ る世 俗 社 会 で どの よ う に振 る舞 うの か につ い て の 論 理 を直 接 に与 え て くれ る もの で は な い 。 内村 は この 問 題 に つ い て は どの よ う に考 え た の だ ろ うか 。そ れ に は先 に引 用 した 、信 仰 の段 階 説 が ヒ ン トを与 え て くれ る。

信 仰 に とっ て 日 々 の 実 践 は 、 祈 祷 、 聖 書 、 労 働 で あ っ た が 、 そ こ に他 者 が 介 在 す る 余 地 は乏 し い。 た だ 内 面 的 な世 界 に 生 きる の で は な く、 有 限 的 な 世 界 に積 極 的 に 関 わ る の で あ れ ば 、 信 仰 に代 わ る 別 の 原 理 が 求 め ら れ る 。 内 村 は 、これ を 当初 は 、や や 「義 」 に傾 斜 して理 解 した が 、後 に 「愛 」

を中 心 的 と して 理 解 す る よ う にな った*24。

註 】

*1  升 信 夫 「「修 養 」、「教 養」、paideia‑清 沢満 之、新 渡戸 稲造 、ソク ラテス」

(『桐 蔭 法 学 』41号2014年)な お 、明 治 期 の 「修 養 」お よ び 、そ こか ら「教 養 」

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桐 蔭 法 学21巻2号(2015年)

へ の 変 化 は 、 明 治 国 家 組 織 の 組 織 目的 の 遂 行 と の 関 係 を 、本 来 は 避 け て 通 る こ とは で き な い 。 清 沢 満 之 に つ い て 、大 き く二 つ に 分 か れ る 評 価 は 、 お お よ そ 、そ う した 視 点 の 有 無 を軸 に分 岐 す る 。19世 紀 後 半 の 欧 米 で は 、 国 民 国 家 が 成 熟 しつ つ あ り、教 育 制 度 な ど を 通 じて 、 総 動 員 可 能 な態 勢

を 整 え つ つ あ っ た 。16世 紀 以 来 続 い て い た 主 権 的 権 力 の 生 き 残 り の 争 い は 、 鉄 道 、 通 信 、 火 器 の 発 達 を通 じて 、 戦 場 に動 員 で き る 兵 員 の 多 寡 を焦 点 と して い た か ら で あ る 。 明 治 国 家 は 、 そ う した 中 に 、 新 た な近 代 的 主 権 国 家 と して 誕 生 して い る 。 国 家 組 織 は 、 主 権 的 存 在 と して 生 き残 りた い な ら兵 員 増 員 強 化 の 道 を進 ま ざ る を え な か っ た 。 そ う した 組 織 目 的 と個 人 へ の 役 割 の 強 制 の 中 で 、 個 人 と し て ど の よ う な 思 想 を把 持 す る の か と い う 観 点 か ら、 「修 養 」 も捉 え る 必 要 が あ る が 、 そ れ に つ い て は 別 の機 会 に 譲 りた い 。 た だ 敢 え て 一 言 付 け加 え て お く と、 組 織 目 的 の遂 行 と の 関 係 で い え ば 、 最 小 の コ ス ト(犠 牲)で 最 大 の 効 果 を あ げ る こ と を 目指 す の が リー ダ ー の 使 命 で あ り、 そ れ が 出 来 な い な ら 冒 険 的 試 み は 控 え ね ば な ら な い 。 そ れ が 、組 織 と して 自然 で 合 理 的 な 思 考 で あ り、リ ー ダ ー に そ う した 思 考 力 が 無 か っ た の で あ れ ば 、 そ こ に こ そ 最 大 の 批 判 を 向 け る べ きだ ろ う。

*2  筒 井 清 忠 『日本 型 教 養 の 運 命 』(岩 波 現 代 文 庫 、2009年)101頁

*3  透 谷 全 集 第2巻 』(岩波 書 店 、1950年)275頁 。あ るいは、国木 田独歩 は 「欺 か ざ る の 記 」に 、「深 く観 察 せ よ 、静 か に 修 養 せ よ」(明治28年4月1日 」)、

神 よ希 くば わ れ を して 此 処 に 修 養 せ し め 給 え 」(明 治30年2月24日) と記 して い る 。

*4  綱 島 梁 川 の 著 作 に つ い て は『 梁 川 全 集 』(大 空 社 、1995年)全10巻 利 用 。 以 下 全 集 か らの 引 用 に つ い て は 、(梁 川 全 集 ○‑○ ○ 頁)と 記 載 す る。 前 者 は 巻 数 、 後 者 は 頁 数 を示 す 。

*5  梁川 は生 涯 を通 して、「修養」 という言葉を用いている。 「回光録」に は以下 の よ うな記述が あ る。 「曾 て は吾 れ、道 徳的動 機 よ り信仰 に入 り、

道 徳 的修 養 と して聖 経 を読 み、道 徳 的完 成 の 理想 と して天 の父 を仰 ぎ ぬ」 「今 然 らず、信 仰 は人生 に於 け る唯一 根本 の厳 粛 なる大 事実 に して 倫 理 道徳 は、 こ こ に立 脚 して始 めて 真個 の生命 を有 すべ きこ と を見 た

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明治 期 「修 養 」 をめ ぐる一 考 察(升 信 夫)

り。」(明 治40年2月)(梁 川 全 集5‑441)

*6『 折蘆 書 簡 集 』(岩 波 善 店 、1977年)20頁(明 治35年11月10日 付 け)。

以 下 、 書 簡 集 か ら の 引 用 は 、(書 簡 集 ○ ○ 頁)と 記 載 す る 。

*7『 阿 部 次 郎 全 集12巻 』(角 川 書 店 、1962年)199頁 。 な お 、 こ の 時 代 、 カ ル チ ャ ー 、 カ ル チ ュ ー ア と い う言 葉 は 、 一 高 生 や 卒 業 生 の 間 で 、 しば し ば用 い られ た 言 葉 で あ っ た と思 わ れ る 。

*8『 阿 部 次 郎 全 集12巻 』203頁(大 正3年5月(3/21述 、4/15記))『 太 郎 の 日記 』 に も 、 大 正3年6月 の記 述 と し て 以 下 が あ る。 「同情 と 助 力 と に値 す る ほ ど の 自己 教 養 の 努 力 を見 た 。」 「あ る 者 は さ しあ た っ て の 社 会 的 経 済 的 独 立 の欲 求 に 心 奪 わ れ て 、感 情 上 霊 魂 上 の教 養 を忘 れ て い た 。」 「両 者 を通 じて 、 精 化 さ れ た る 感 情 と教 養 と の 欠 乏 が あ っ た 。」 『新 版 合 本 三 太 郎 の 日記 』 角 川 選 書 、186〜187頁

*9『 矢 内 原 忠 雄 全 集28巻 』(岩 波 書 店 、1965年)361頁

*10『 新 版 合 本 三 太 郎 の 日記 』409頁

*11『 内 村 鑑 三全 集3巻 』(岩波 書 店)75〜79頁 。 内村 はliberal educationを 「広 闊 なる 教 育」 とし、cultureを 「修 文 」 と訳 して いる 。 なお 、 『内村 鑑 三 全 集 』 か らの引 用 につ い て は(内 村 全 集 ○‑〇 〇頁)と 記 載 す る。

*12 宮 川 透 清 沢 満 之 に お け る<修 養>思 想 」 『近 代 日本 思 想 史II』(古 田 、 作 田 、 生 松 編 、 有 斐 閣 、1971年)、 加 来 雄 之 「清 沢 満 之 と 宗 教 言 説‑自 足 と修 養‑」 『現 代 と親鸞(23)』親鸞 仏 教 セ ン タ ー 、2011年 、安 富 信 哉 「信 仰 と 自律‑清 沢 満 之 に お け る 「修 養 」 の 位 置‑」 大 谷 学 報73(2)』 谷 学 会 、1994年

*13  安 富 前 掲 論 文 、20頁

*14『 清 沢 満 之 全 集 第1巻 』(岩 波 書 店 、2002年)29頁 。 以 下 『清 沢 満 之 全 集 』 か らの 引 用 は 、(清 沢 全 集 ○‑〇 〇 頁)と 記 載 す る 。

*15「 三 十 一 年 九 月 東 上 、沢柳 氏 に寄宿 し、 同氏蔵書 中 よ りエ ピクテタス氏教 訓 書 を借 来 す 」(清 沢 全 集8‑441頁)。 同 年10月10日 付 け の 書 簡 に は 、

今 回沢 氏 方 に て 羅 馬 の 大 哲 「エ ピ ク テ ー タ ス 」 氏 の 遺 著 借 来 読誦 致 居 候 ゆへ 二 三 節 入 御 覧 候 」 と い う記 述 が あ る(清 沢 全 集9‑177頁)。 エ ピ ク テ トス の 語 録 が 清 沢 の 思 想 に 大 きな 変 化 を もた ら し た とい う こ と は 、 清

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桐 蔭 法 学21巻2号(2015年)

沢 自 身 が こ れ を 自分 の 三 部 教 の 一 つ と言 っ た こ とか ら も推 測 で き、 ま た 度 々指 摘 さ れ る と こ ろで もあ る。 た と え ば 加 来 雄 之 は 、 「清 沢 の 宗 教 言 説 の 語 りが 大 き く変 わ る の はエ ピ ク タ テ ス と の 出 逢 い 以 降 で す 」 と述 べ て い る(加 来 前 掲 書 、103頁)。 た だ 、 「修 養 」 とい う言 葉 の 使 用 と エ ピ ク テ トス 語 録 との 関 連 に つ い て は こ れ ま で 指 摘 さ れ て きて い な い 。

*16  清 沢 が 援 用 して い る エ ピクテ トス につ いて は、 今村 の紹 介 が ある。 今村 仁 司 「浦 論 と資 料  清 沢 満 之 とエ ピクテ トス」 『清 沢 満 之 と哲 学 』(岩 波 書 店 、 2004年)

*17  エ ピ ク テ ー トス(鹿 野 治 助 訳)『 人 生 談 義(下)』(岩 波 文 庫 、1958年) 172頁 。 あ る い は 次 の よ う に も語 ら れ て い る 。 「教 養 を 身 につ け る と い う の は ど うい う こ と な の か 。 そ れ は 自然 的 な 先 取 観 念 を個 々 の も の に 、 自 然 本 性 と合 致 す る よ う に 、 適 用 し た り、 ま た 今 後 諸 物 の う ち 、 或 も の は わ れ わ れ の 権 内 に あ る が 、 或 物 は我 々 の 権 内 に な い とい う こ と を 区 別 し た りす る こ と を 学 ぶ こ と で あ る 。 意 志 や す べ て の 意 志 的 活 動 は 、 我 々 の 権 内 に あ る が 、 肉 体 、 肉 体 の 部 分 、 財 産 、 両 親 、 兄 弟 、 こ ど も

ま た 祖 国 、 簡 単 に 言 え ば社 会 的 な もの は 、 我 々 の 権 内 に な い 。」 エ ピ ク テ ー トス(鹿 野 治 助 訳)『 人 生 談 義(上)』(岩 波 文 庫 、1958年)89頁 訳 文 の 教 養 はpaideio、 及 びeducatlonに 対 応 さ せ られ た も の 。

*18  有 限 的 事 項 で 不 如 意 なる もの につ いて は 、他 力的 に対応することになる。31 年 の10月 に、 清 沢 は 「彼 に或 もの に対 して は 唯 他 力 を信 ず べ きの み 、 我 に 或 る もの に対 して は専 自力 を用 うべ きな り」 と書 き記 してい る(清 沢 全 集8‑

360頁)

*19  安 丸 良 夫 『日本 ナ シ ョナ リ ズ ム の 前 夜 』洋 泉 社 、2007年 、88頁 〜89頁(原 著 は 、 『岩 波 講 座 日本 歴 史16巻 』1976年)ま た 、 「精 神 主 義 」 や そ の 導

き手 と し て の 清 沢 を批 判 す る論 者 は 、 こ う した 点 を 取 り上 げ 、 清 沢 の 論 理 、 そ し て 「精 神 主 義 」 は 天 皇 制 国家 の 宗 教 的 な基 盤 を 強 固 な も の と す る の に 重 要 な 役 割 を果 た し、 結 局 、 国 民 を 無 謀 な総 力 戦 に 動 員 して 死 に 至 ら しめ る こ と に寄 与 した とす る。 た とえ ば 、 近 藤 俊 太 郎 『天 皇 制 国 家 と 「精 神 主 義 」 清 沢 満 之 と そ の 門 下 』 法 蔵 館 、2013年 。 確 か に 、 清 沢 死 後 の 「精 神 主 義 」 が そ う した 方 向 性 を 辿 っ た こ と、 そ の 原 因 の 一 端 が

(23)

明 治 期 「修 養 」 をめ ぐる一 考 察(升 信 夫)

清 沢 の 教 理 に あ る こ と を否 定 す る こ と は難 しい。 と は い い つ つ 、 清 沢 の 教 理 で は 、 「現 実 全 般 が 肯 定 す べ き対 象 と」 な り、 「現 実 に は ど の よ う に 関 わ っ て も 「よい 」 とい う こ と」 に な り、 そ こ か ら清 沢 が 「状 況 に対 し て 受 動 的 に 追 随 す る こ と」 を容 認 した とす る に は 無 理 が あ る(近 藤 前 掲 書 、39〜43頁)。 特 に 、 「信 仰 主 体 に 規 範 意 識 を成 立 さ せ 」 な い と い う 批 判 は 、 清 沢 が 生 涯 を 通 じて 課 題 と した こ と と対 極 の位 置 に あ る と い っ て よ い 。 また 、 清 沢 の 精 神 主 義 を 雑 誌 精 神 界 』 を手 が か りに解 釈 す る 場 合 は 、 清 沢 の 名 で 掲 載 さ れ た 論 考 が ど れ ほ ど清 沢 自 身 の 手 に よ っ て い た の か は 、重 要 な 問 題 で あ る 。こ れ に つ い て は 以 下 を参 照 。山 本 伸 裕 『「精 神 主 義 」 は 誰 の 思 想 か 』(法 蔵 館 、2011年)

*20  次 の ように も論 じられ て い る。 「仁 の為 に は、 生命 を捨つる覚悟 が必 要 なり、

義 の為 に は一 死 を 辞 せ ざ るの 決 心 が 必 要 な り、 と云 うは、 一 種 の 主 義 た る な り、 而 して、 生 命 は仁 義 の 為 に犠 牲 に供 せ らるべ きや 、 仁 義 は 生 命 の 為 に使 用 に供 せ らるべ きや、 此 問 題 の 解 答 は、 修 養 上 に於 い て は 、 全 く内 心 の 裁 決 に委 せ ざるべ か らざる な り、 是 に於 て か 、 一人 は仁 義 よりも生 命 を大 切 な りとし、 一人 は生 命 よ りも仁 義 を大 切 な りとす る こ とあ るべ し、 此 に至 り て は 、外 部 の 批 評 は、 其 効 な く、学 理 の 指 命 は、其 用 な し、 内 心 の 決 定 は、

最 高 の 裁 判 な り、 仁 義 と生 命 との み な らず 吾 人 の 実 際 的 行 為 は、 皆 此 の 如 き方 式 に従 うもの た らず や 、」 「吾 人 が 日々夜 々 に 、実 際 に行 動 す る場 合 は、

皆 悉 く内 心 の 決 定 に左 右 せ らる る もの た め に あ らず や」(清 沢 全 集7‑209

〜210頁)

*21「 有 限 無 限 録 」 に は 、 冒頭 近 くの善 悪 につ いての 記述 で は、「汝 の行為 を し て 一 般 に対 す る 法 則 た ら しむべ し(カ ン ト氏 無 上 命 令 是 な り)」(清 沢 全 集2‑102頁)と あ る。 「有 限 無 限 録 」 を書 き記 す 際 に カ ン ト哲 学 の 構 図 が 念 頭 に置 か れ て い た こ と を予 測 さ せ る 。

*22「 精 神 養 成 」(内 村 全 集7‑415頁)、 「品 性 養 成 」(内 村 全 集7‑466頁)、

「人 格 養 成 」(内 村 全 集7‑488頁)

*2

3「 何 故 に、 使 徒 行 伝 の 著 作 論 が 欧 米 諸 国 の 基 督 信 者 の 信 仰 まで を動 か す に 至 った の で あ る乎 、 夫 れ は彼 等 が 信 仰 を信 仰 と して見 ない か らで あ る、 信 仰 が 歴 史 的 証 明 の上 に立 つ 者 で あ ると思 うた か らで あ る、 即 ち信 仰 が 思 索 に負

参照

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