商
一︑序論満洲の問題
二︑
資本
総出
の意
義・
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Jj i−
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回
①資本総出の時四来的地位明資本輪出︒方向川市安本輪出の形惑明資本総出の終済的殺畑一本
三︑資本総出と外交政策:e−
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E・E・
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向
凶︑野潟投資紛争
∞イギリ兄とロシア 盟主
・~
諭 叢
吾.£:>
担問
満 洲 問 題
の 基
礎 第
‑L..
ノ、
叢 被
的 考 察
河
太
げh μ
尚H品
西
(ll./
日本とロシア
(盟)
日本とアメリカ
五︑列国投資の主及び質・:
∞ 列 図 投 資 総 額
④ 日 本 投 資
⑮
六︑満洲事鑓の必然斡
七︑満洲闘の成立と図際関係国;:
号表h
両nu
言受
満洲問題︒某礎的考築
‑"'
m u
− − ・ 己 実
他国投資日本投資の特徴
両.
尊重
論 叢 第 ノム
、 強
序 論 満洲の問題
一九コ二年九月十八日午後十時四十分︑奉天北郊北大替に駐屯せる東北軍主以哲族の一部が柳保
溝に於℃浦鎖線を爆破し︑虎石墓守備隊川島中隊と衝突す︒乙れが今同の所謂満州事避の接端であ
る︒乙れに針し支那側は日本軍北大替の替合攻撃を何等挑殺によるものに非ず︑全然奇襲に出でた
るものと急し︑又9ヅトシ報告書は乙れに信を置いて︑日本軍の蛍夜の軍事行動は正嘗なる自衛手
段と認むるを得ず︑と断じて日本特に軍部の憤政を買っ
τ
ゐることは改めて運べるまでもない︒︑た
が乙れは問題の本質から言へば︑要するに技葉末節に麗し︑大した事柄ではない︒問題は寧ろ︑教
択の線路の爆破といふが如き言はビ一些事が動機となっ
τ
何故に満洲事特捜から引いては満洲園の成
立といふが如き歴史的大事件を展開せしむるに至ったかの結に・なければなら在いのである︒﹃若し乙
の出来事がなかったならば︑必らず他の出来事が殺生したであらう︒舞墨は悲劇を演ずる準備が出
来っ︑あった︒役者は何れも出幕︒乞待ってゐた︒唯見物人のみは荒唐なる喜劇の世界に住んでゐた
の だ
︒ ﹄
かやうに満洲事麓は畢寛殺生すべ−きものが営然に殺生したものに過ぎねとすれば︑その殺生の其
の原因は呆し℃何慮に横はってゐたのであらうか︒我冷は先づ此鈷ど冷静且つ遁確に把握しなけれ
ばならぬ︒此劫に関する透徴したる見解ど持つことなくし
τ
︑満洲問題ど論じ︑その将来をトせんとするが如さは︑要するに猶木に稼つ℃魚を求むるにも類しゃう︒
満洲は日本の生命線であると謂はれる︒何故に然るか︑叉如何なる意味に於℃然るか︒乙の描も
亦満
洲事
持般
の起
因を
深く
堀
b
下げ℃行く乙とによって始めてその正嘗なる認識に到達する乙とが出来る
であ
らう
︒
兎もあれ満洲閣は成立した︒そして日本は列闘に先
λ
じて之れに承認を典へた︒だがその前︑途は多難であらう︒内には︑先づ以て治安保持の問題︑其後に来るべき経済的建設の問題︑それに闘聯
する日浦経済統制の問題︒乙れど外にしては︑例のリノットン報告書を中心とし℃近く展開せらるベ
3列闘の艶満洲闘態度の問題︑乙れに関聯せる日本封世界の問題等︒
筆者の見解によれば︑揃洲事費の起因の問題にし℃も︑叉右の諸問題はし℃も︑列闘の満洲に卦
する経済関係︑就中投資闘係が宜質上最強力の要素とし℃もの底に積はってゐるものと思惟せられ
る︒それ故に筆者の借越は営然乙の結を中心とし℃展開されるであらう︒
か﹂る見地よ
b
もの注れる此の小篇が︑若しも上越の諸問題の基本的把握並に展望の上に聯かにても役立つところある攻らば︑汗牛充棟も菅ならぎる現時の満洲問題諸論著の中に向微かながら存
ム仕の理由が容認せられることになるであらうか?
論
叢
満洲問題の基礎的考察
商 翠 論 議
第
ムノ、
磁
四
一
一資本輸出の意義( J )
資本輪出の歴史的地位︒資本主義は自由競争をその特徴とする産業資本主義の段階から濁占
をその特徴とする金融資本主義の段階に進む︒而して乙れを園際的経済闘係に就℃見るに︑前者の
段階にあ
b
℃は商品の輪出が典型的なものであったのであるが︑後者の段階に入ると資本の輪出が特徴的なものとなる︒それは何故であらうか?
世界資本主義の先駆たるイギ?ス︑が十九世紀の中葉に自由貿易制度を採用した乙とは周知の事貫
である︒乙れ蓋し︑自由貿易乙そ営時暦倒的の卦外競事力を把持し℃ゐたイギリス資本主義をして
世界市場を征服せしめん︑かための恰好の武器であったからである︒郎ちイギリスは︑依
b
℃以
τ
︑その所謂﹁世界の工場﹄たる地位を確保し︑他の諸闘にはその完成品を提供し︑他園をし℃専ら原
料生産岡たる地位に停滞せしめんと試みたのであった︒だがそれはやがて後遺の大陸諸閣に於て保
護関税運動を惹起せしめた︒元来保護関税の使命は︑礎展の初期にある比較的幼稚なる自園産業資
本の保護のために︑
競争の歴力を阻止せんとする所謂育成闘税たるにあった︒従つ℃保護関税なるものは︑その性質上︑ 一般消費者の利盆を犠牲とし
τ
︑既によく接展したる外園産業資本の優勢なる園内産業育成の目的を遣するや否や︑郎ち換言すれば︑被保護産業が園内需要を充し︑且つ轍出を
開始し得る時期に遣するや否や営然廃棄忌れ℃然るべきものであったのである︒然るに︑関税壁の
被護によっ
τ
︑後遺諸園︑就中ドイヅ︑アメリカん口衆閤等の園内産業が念速に接展し℃闘際的競争水準に注し︑かくしてイギヲスの世界市場に於ける濁占的地粒が十九世紀の最後の四半期に入つ℃打
破
3
れて了ったにも拘らず︑保護関税は一官に腰棄呂れまかったのみでは在く︑奮来の保護関税の担論から言へば全く保護の必要のなく在った極め℃有力な轍出能力ある諾産業によって最も熱心に支
持され始めたのである︒蓋し保護関税は︑優勢なる外国産業の競争を抑制し℃園内産業のカケプY
化︑トラスト化を異常に促進するのみならず︑か︑る濁占的資本をし℃岡内市場に於℃は闘就の高
3
の程度︑までその生産物を高債に販賢して特別利潤主将るととを可能ならしめるものであるから︑乙の意味に於℃濁占資本ほど高卒闘技の最も熱心なる希求者となる誇なのである︒而もその結果濁
占費本の闘際的競宰能力をも増進せしめる之とは云ふまでもない︒といよのは猫占資本は園内に於
て獲得せる特別利潤の範圏内に於℃岡際市場に於ては所謂ダンピングをも行よ飴カを有する乙とに
なるからである︒かくして保護関税は今や﹁外周産業による内地市場の征服に針抗する防衛手段﹄
から竣じて﹁内地産業による外園市場の征服の手段とな
b
︑弱者の防禦武器は援じτ
強者の攻撃武器と
なっ
た︒
﹄ハ
ヒル
7ア
デイ
シグ
著︑
林一
嬰誇
﹃金
融資
本論
﹄六
一三
止頁
︒
v換言すれば︑保護関税は︑その職能を全く
麓じて︑元来の所謂育成関税から︑高度資本主義時代の所謂カw
て プ
w y関税に轄化するに至ったので
瀦洲問題の基礎的考察
論
書室
五
向
警主
論 議
第
ムノ、
競
ムノ、
ある
と ︒
乙λで一因の関税壁は直ちに他闘の関税競争を誘起するから︑世界市場は結局高率閲稜壁によ
つ℃夫ムザ遮断せられる乙とになる︒そうなるとダンピングの如3
外岡岡市場征服政策もその威力を接
揮する乙とが漸ゃく困難となる︒而も岡内に於ける濁占資本乃至金融資本の集積は盆々頴著である
から所謂資本の過剰を来たし︑その結果利潤率の低落を惹3起きゴるを得ない︒乙れは勿論資本に
とっては此上ない痛手であるから︑そ乙で過剰なる資本はヲワ高3利潤を求め℃図外に輪出
3
れる
乙とになる︒かくして資本輪出︑艶外投費は猫占資本主義時代の特徴的現象として項はれ来るので
ある
︒
一般に資本主義の指導精神が替利主義にある乙とは言ふまでもない︒郎ち
資本の情動は利潤の獲得を唯一の動機とするものであるから︑費本︑が利潤に封して極めて敏戚なる ︶ 官阻
︵
資本
轍出
の方
両︒
乙とは営然であって︑荷くも利潤率に差等の存する限
b
︑ぞれが如何に僅かであっても決して乙れを見逃すものではなく︑水流とは反封に︑常に低きょ
b
高きに向って移動せA
とするのである︒資本の
総出
も亦
勿論
之の
一般
的軌
道に
則る
もの
なる
乙と
は一
一一
一日
ふま
でも
ない
︒郎
ちそ
はヨ
ηノ
高き
利潤
を
求め℃の資本の卦外的進出に外・ならない乙とは師に前にも一言せし如くである︒
然らば査本輸出の方向は具躍的にはどういラ乙とになるか︒資本主義的先進同よ
b
後遺闘へ!乙れが一般的法別である︒蓋し︑利潤率が前者よ
b
も後者に於℃ヨヲ高いのが普通であるから︒然らば何故に然るか?理由は簡草である︒日く︑後準園に於℃は︑先進闘に比し
τ
︑資本は少なく土地が比較的に安く︑持賃が低廉で︑原料が安債であるからである︒殊にその製品が営該被投資岡
を市場とするが如き場人口には︑運賃︑関税等の鴎係上︑尚一一暦有利となる詳である︒
勿論資本が︑乙れとは反卦に︑後遺闘よ
b
先進岡に向って輪出される場合も決し℃絶無ではない︒だがそれは前者に於ける政治的不安や貨幣制度の動揺等に起因する例外的場合に限られる︒
四 皿
接投資とに二大別せられる︒前者は資本所有者︑が自ら同外に於て事業を行ふ場合をいよ︒印ち銭道︑ 資本輪出の形態︒外周に輪出せられる費本は︑その投資形態の如何によっ
τ
︑直接投資と問鑑山︑製造工場︑商店︑銀行等を自ら経替する場合であっ
τ
︑従つ℃その日的は企業利潤の獲得にある︒︵時にはミヅジョンの如主教化圃腫の活動や︑道路︑公園等の踊利施設をもこれに包含せしめ
る乙ともある︒︶乙れに封して後者は自ら事業投資を焦すにあらず︑政府及び自治躍の公債又は民間
企業の祉債その他の誼雰に投ずる場合︑又は銀行預金とする場合であっ
τ
︑要するに利子を追求する種類の投資を指栴するのである︒
恥資本輸出の経済的致果︒一般に資本の輪出は︑貿易が関税障壁によっ℃困難を加へ来ると共
民︑現はれ来る過剰資本の解決策とし℃濁占資本主義時代の特徴的現象たる之とは前述の如くであ
雪ι
回i珊
叢
満洲問題の基礎的考察
七
商
聖昼
ヲヌh linD
業
第
ムノ、 競
,
,
、
るが︑而もy資本の轍出はそれ自身叉商品の聡出を促症する一手段ともなるのである︒蓋し︑資本の
聡出図は︑最早醤来の自由競争による寅買によってでは者く︑借款契約の場合に信用授典の候伴と
して強底的にその借款の幾分を自闘の生産物就中鍛造材料や機械や舶舶や軍需品等の購入に充てし
める乙とが出来るからである︒かく壬資本の輪出は︑輸出岡白身に於ける資本主義的生産主一層促
遣し℃其濁占化を更に政官民せしめるのみならず︑叉其輸出の結果は輪入闘に於ける資本主義の護展
に大なる拍車を加へる︒此後の賄に就てはヒ
Y
フアデイングは極め℃正営に共の如く述べてゐる︒﹁資本の輸出は︑別し℃それが産業資本友ぴ金融資本の形態でなされるやうになって以来︑あらゆ
る古
B枇命日闘係の持煙草と地球の資本主義化とを素晴らしく速めた︒資本主義の接展は︑各個冷の園
に於て自生的に行はれたのではなく︑寧?の資本と一絡に︑資本主義的の生産と搾取関係とが轍
λ
昌れ︑しかもそれは常に最先逝闘に於て到達苫れ力段階に於℃であった︒恰かも今日︑新たに生ずる産
業が必ずしも手工業的主端緒左技術?とを鰹℃・初めて近世の大経停に礎展するを要し−ないで︑最初か
ら高度の資本主義的企業として創立されるのと同じく︑資本主義も亦今日では︑その時冷は完成さ
れたる段階に於て一の新たなる闘に輸入
3
れるから︑従つ℃それは︑例へばオランダやイギヲスの資本主義的義展︑が必要としたよ
b
も︑
蓬か
にヨ
首ノ
大・
なる
童塵
と遥
かに
ヨ首
ノ短
かい
期間
とに
於て
︑そ
の革
命的
作用
を展
開す
る︒
﹂ハ
ヒル
フア
デイ
ング
︑前
掲雲
︑六
六三
lt
大大同宵HUO
一一
一
資本輪出と外交政策草なる貿易に比し℃資本の輪出が蓬かにヨ司ノ大なる利害関係を相手園との聞に設定するものなる
乙とは云ふまでもある・まい︒蓋し︑他闘に鍛道を敷設し︑士地を獲得し︑港湾を築造し︑錆山等を
開始経替するに至れば︑危険の負携は︑草に商品の貢買される場合よ
b
も一層大となるからである︒かくして貿易は単なる経済闘係として止まb得るに反し︑費本の輸出は梢もすれば図家的権力の稜
動を要請するに至る︒換言すれば︑投資は貿易よ
b
もヨリ積極的なる︑ヨヲ強硬なる外交政策を必要とするのである︒以下此勤を少しく解説しゃう︒
貿易にあ
b
ても︑或る図の市場を猫一占する乙とは勿論輪出者の渇望すると乙ろであb
︑而し℃そのためには︑他園の商品を排斥するために︑関税同盟その他の政治的手段に訴へる乙とは甚だ有利
である︒だがそれは特殊闘係のある図々の間に於てのみ可能なるに過ぎぎる上に︑元来貿易なるも
のは自由競争の下に︑債格及び品質で押して行くのがその一般的︑自然的形態なのである︒そうし
て侵令その競争に破れて了ったと乙ろで今迄買った物︑までを損することな3は勿論︑更に他に代
b
の市場を求める乙とも必らずしも不可憶ではない︒だ・から貿易の場合は︑大胆阻に於て経済的闘係と
してのみ止ま
b
︑特に相手園の政策に干渉するが如きことは必ずしも強要されはしないのである︒言 論
叢
満洲問題の基礎的考察
;IL
商
等量
論 議
第
占,
、
事昆
。
然るに投資の場
A
口には乙れと大いに異なる︒第一に︑投資は︑投資園左被投資閤左の関係を長期に一日一って設定するものであって︑貿易の如く一同の取引闘係で一先づ完了するが如主ものではない︒
一例とし℃満鍛を取って見ると︑現行の候約では︑同畿道は紀元二
OO
二年まで日本が経替し特る
ことになってゐる︒然る以上日本は共間満州の政治的︑経済的事情をして漏鍛の経替を有利ならし
むる肢態に導かんとする要求を官然に生ずるであらラ︒即ち先づ畿道財産の破壊を防止し・なければ
ならね︒そこで若し支那が自ら治安ど維持し得者いといよのであれば︑日本が守備兵を置い℃自ら
守らねば左らんといよ乙とになる︒即ち満鍛沿線の政治的秩序は日本兵をしてその維持に営らしめ
るといふ之とになる︒更に進んでは浦鍛の利盆を侵害する︑が如き並行線の建設はこれを阻止したい
といよ要求を生ずる︒かくて結局一繍銭投資利盆の立場のみからしでも︑日本は満州全櫨の政治的
経済的事情並にその麓動に封して決して無関心ではあh得ず︑出来得ベくんば白図の権益の確保並
に政官展のために寓全の政治的方策を講ぜんとするであらう︒之れは勿論以とb
満畿
の場
合に
限ら
ず︑
一切の投資利盆に就℃然Aソである︒かくて結局投安閣による被投資闘権力の懐柔左左
b
︑或は進λ
でその破壊にすら至h
得る
ので
ある
︒
右は投資閤封被投資閤聞の闘係に就℃遮べたのであるが︑弐に被投費闘を遣しはさ
λ
での投資岡間の関係を見るに︑此場合には一投資園が他の競争投資闘を排除せ
λ
とする要求は極めて強烈であつ
τ
︑貿易の場合の却さは到底乙れに比すべくもない︒といよのは︑貿易の場合には︑前にも述べたるが如く︑仮令競事代破れても以前の取引までを無授にするものではないに反し︑投資の場合に
於℃は︑既存の投費は新たに現はれたるヲリ優勢なる競宰投資のために︑重大なる打撃を受け︑元
も子も無くされ℃了ム虞れがあるからである︒か
hh
る場合には被投資闘をさしは忌んで競争投資闘
間の紛宰は説化し︑奉句の果ては武力に訴へる之とすらあh
得る
ので
ある
︒
乙れは︑例へば銭道経替の如き直接投資の場合であるが︑借款投資の場合に於℃も亦多くの強硬
政策が要求せられるのである︒例へば支那の政治借款に就℃見るに︑その捨保として多くの場合盤
税︑関税等が提供せられると︑債権園は︑その櫓保確保の意味で︑その捨保物件の管理主要求し︑
現にそれが行はれさへした︒叉鍛道借款の場合には鍛道財産やその牧入を携保とするのが普通であ
るから︑債権者は鍛道曾計の監督を要求し︑更比進んでは経替の閥奥櫨をも要求する場合がある︒
又同一物件による措保は︑
いふまでもなくその櫓保力を弱めるから︑既得債権者は後の債権者排除
を強要する乙とが普通に行はれる︒
要するに封外投資は長期に豆つ℃その地の政治的秩序に関心主持ち︑営該投資部門の濁占を要求
せんとするのであるο而して乙れを最もよく保障するものは云ふまでも君く嘗該地域の領有に外攻
らない︒かくして投資はその性質上︑投資地域の領有若くは領有近似の政治的闘係郎ち例へば保護
論
叢
満洲問題の基礎的考察
商
考皇
言首
叢
M,: = ノム
、
競
岡乃至勢力範閏の如きものを必然的に要求するに至る傾向を有するのである︒再びヒ
wy
プア
デイ
ン
グをして語らしめやう︒﹃他岡に利害関係を有する凡ゆる査木家は︑強大在る岡家擢力がその槽威に
よって︑世界最速摘の一隅に於℃も彼等の利盆を保護せん之とを呼ぴ求める︑郎ち︑商業旗が到る
庭に樹立当れ待えがために︑戦争旗が到る庭に仰ぎ見らるぺ3乙とを求める︒がしかし輪出資本が
自ら最も居心地よく戚ずるのは︑乙の査本聞の図家権力によ
b
新領域が完全に支配注れると3であ
る︒け︑だし︑この場合には他の諸国の資本輪出は排除されて︑かの資本は一の特擢的地位を享有し︑
その利潤は出来持べくんば同家の保護をも梓るからである︒かくて資本の輪出も全た帝園主義政策
を助
長す
る︒
﹂ハ
ヒル
プア
ヂイ
ング
︑前
翠昔
︑六
六三
g c
即ち知るべし︑図際的経済関係に於て最重要の地位を占めるものが即ち資本輪出に外ならない乙
とを︑そうし℃叉資本聡出が必然的に園家的権力の接動を要請し︑従って園際紛議の焦黙とな
b J 得
るもの在ることを︒然らぱ︑東洋のバYカンと稿せられた満洲の問題を根本的に解剖する手引きは
設に典へられたと謂つ
τ
ぃ︑であらう︒そ乙で我々は此の見地から先づ満洲を舞牽とする困際紛議を歴史的に同顧し︑然る後その視在並に持来の考察に移ることにしゃう︒
四
掛到
満投
資紛
争
満洲に於ける列闘の投資中最も重要なるものは銭道である︒元来銭道はそれ自身最も大規模な投
資封象売るのみならず︑殊にこれが所謂直接投資の形態で行はれる場合︑即ち投資者自らが鍛道を
所有︑経告する場合に於ては︑他の投資及び貿易のために多大の便宜を提供するのである︒例へば
銭一道附属地に於ける工場の建設を可能ならしめ︵時には満銭や嘗ての東支鍛道に於けるが如く︑鍍
山経管搭や行政権にまで及ぶ乙とがある︒︶叉運賃政策にょっ℃自閤資本の商品に特殊の便宜主典へ
る乙とも出来るのである︒向鍛道に閲する間接投資卸ち鍛造借款の一場合に於
τ
も︑その借款の捨保として鰹替の一部に参加した
b
︑或は吉長線に於けるが如くその経替を引受ける︑か如き時には︑同じく他の投資や貿易に便宜を輿へ得るのである︒故に満洲のみならず︑支那に於℃も︑銭道投資が
列闘の封支外交の事賃上の極軸を矯し︑所語勢力範固に閲する紛争乃至協定が主としてこれに就て
行はれ来ったことは嘗然であったのである︒今満洲に於ける満洲投資を中心とする列園紛争の主要
・な
るも
のを
概観
して
見ゃ
う︒
イギリスとロシア︒資本主義の組閣イギ9スは支那との通商燦約に於
τ
も先頭を切った︒時は一八四ニ年八月︒︵困に日支通商僚約の最初の締結は一八七一年︑即ち明治四年の之とである︶︒
m
畿道投資に於ても列闘に先立ち︑肢に一八七六年に上海ーーー英治鍛道を敷設した︒︵但し此の鎖道は
間も
なく
破壊
芸れ
た︶
︒
論
叢
満洲問題の基礎的考察
商
尋差
自命
叢
第
ノ、ム
競
四
満洲
に於
℃も
イギ
司ノ
スは
︑ロ
︑
yアと共に︑最初の鍛道投資者とし℃乗
h
出し℃来た︒即ち一八九八年に︑今日の北平||奉天銭道への借款二百三十高時間︵今年の始めに於ける残額は七十五高藤︶
に臆
じた
︒
他方
ロシ
アは
︑
一八九六年九月に東支鍛道の東西線の敷設擢及び鍛道附属地に於ける行政擦を獲
得し︑更に一八九八年七月には︑同南部線に関する同様の権利並に遼東宇島租借権を獲得した︒
かくて雨園の銭道は南満州に於℃角逐せんとする形勢を馴致するに至った︒ロシアは金浦洲をそ
の勢力範固とし︑選んでは乙れをその領土たらしめんとする野心を抱いて居たので︑イギ司ノスの上
速の技資に反劃した︒そ乙で雨園は一八九九年四月に所謂スコット・ムラグイエア僚約を締結し︑
長江沿岸と寓里長城以北とを夫冷鍛道敷設に関するその勢力範固となす乙とに協定したのであっ
?
命序でながら奮ロシアが事賃上フランスの投資上の植民地であった乙とは周知の事貫である︒即 と
ちロシアの外岡債は一八九五年には十七億三千高
Y
Iy一八九九年には二十二億六千高
プ
︑y I
プ
Yであったが︑その大部分はフランスよ
b
乙れを仰いでむた︒叉諸企業の外債二十億yIプY︵ 一
九一四年﹀の中三割はフランスの占むると乙ろであった︒又かの露清銀行の如きもその資本の大部
分はフランスよ
b
融通芯れてゐたのである︒か﹂る事情であったから︑英露間の紛宇は宜は英偽問の投資事びでもあったのである︒
官且
日本
とロ
シア
︒
ロシアが東支銭遣に依
b
てその甥翼を遼東半島にまで延ばし来った乙とは翫に上述したと乙ろであるが︑それが一見に伸びて朝鮮半島をも蓋はんとするに至る可能性は充分にあ
b
得る乙とであっ向︒ところでロシアの勢力が碕鮮一帯に確立する乙とになれば日本の一海外進出は会く不可能とならぎるを特ない︒而も乙の乙とは漸ゃく力を充貫し来れる新興日本資本主義の到底
堪乏得ると乙ろではない︒所謂不倶戴天の敵手の正面衝突が爆殺して日露戦争となったことは改め
℃云ふまでもない︒而し℃此戦争の結果ポIツマス焼約によって満洲に於ける日露関係は一醸清算
せら
れ︑
ロシアは北浦の一隅に後退し︑南端は日本の勢力範固に障する乙ととなった︒
日本
が日
露−
載事の結果としてロシアよ
b
継承したる擢盆は左の如さものであった︒(乱)
日露矯和倹約︵一九O五年九月五日調印︶
第五依露西斑帝園政府は済問問政的の承諾を以て放順港︑犬山世並に其附近の領土及領水の租借樋及該机併挺に関係し︑えは英一
部を組織する一切の権利︑特柿位及譲奥を日本帝岡幽政府に移将一諜波ナ︒︿以下略﹀
第六依露西市川帝闘政府は長十称︵究妓子︶放順口問の銭遭及其一一切の支線並岡地方に於て之に附属する一切の槌利︑特権及財産︑
岡地方に於て該銭道に属し又は共利盆の伐に経管せらるL一一切の炭坑を補償を受くること無︿且前回政府の承認を以て日本清
図政府に移韓譲渡すべきを約す︒
︹備
考︺
本線約によワて一九O六年十二月七日南満洲織論一舎一世が創立されたo
b 満洲善後倹約及附属協約︵一九O五年十二月二十三日調印︶
論
議
潟洲問題の基礎的考察
玉
.
I j
E
発宮髭
一六
論 議
第
ムノ、
繁一候ー清岡政府は一鰐闘が日露勝利傍約第五晶体及第六依に依り日本間に謝して伐したる一切の譲波を承諾す0 0 右二依約に基き日本の取得せる機利︑利盆の中︑前記租傍穂︑銭活経替纏以外の重要なるものは次の如しo
銭遵附属地行政権︒満鍛併行紋敷設禁止の椛利︒安泰銭道経得権︒浦銭材料免除の利谷︒鴨緑江浮採木令掛川纏︒満韓国境貿易
に関する最恵図の待遇︒犬山迷港関税免除機︒銭道守備兵駐在様︒満洲中立地帯に閲する権利︒
何 此 機 曾 に
︑ 右 以 後 に 日 本
︑ が 繍 洲
︑ 同 島
︑ 東 部 内 家 古 に 関 し
℃ 得 た る 権 盆 の 主 要 な る も の を 暴 じ れ ば 左 の 如 く で あ る
︒ (a)
第一俊
第二候第(副
総 第二候l'f!C 目
線
(c)第
四 自 主
第五線
第六後(d)
新奉及古口長銭遣に悶ずる協約ハ一九O七年同月十五日調印︑一九O八年一月十二日縦約調印︶
清国政府は新来銭廷内新民府より奉天府に至る銭道Uの国民枚︑使格臼賃金登百六十宮内岡︑該銭道O遼河以東に要する交
会の満鍛よりの借款承諾︒
き長
銭道
︵−
t口林より長森に去る鍛冶︶に要する資金の牛額の満織上習の傍款の承諾︒
満洲協約ハ一九O九年九月四日調印︶
新民也︑法庫門間の銭道放誌に就て商議を受︿る利盆︒
大石橋︑轡口聞を満銭の支線とたすこ主の承認︒
撫限及蝿蓋雨山川餓探堀桜︑採決積率︑総出精率に就ての利盆︒
安車中鍛冶沿線及満銭沿線の鍍務︵掠順︑煩牽を除︿︶に関する令妹催︒
間島に閲する協約︵一九O九年九月間日調印︶
間制江北懇一地に於ける朝鮮入居住総︒
国側江北雑居区域内に於ける朝鮮人の土地家屋に就て保護を受︿るの機利︒
本渓糊煤銭合鉾契約ハ一九一
C
年五月二十二日︶仙川満蒙四銭治一覚書ハ一九一八年九月二十問日調印﹀
︵イ︶関原︑海龍︑吉林問︑︵ロ﹀長示挑南問︑︵ハ︶挑南熱河問︑︵−一︶泌南熱河向︒一地黙よりJ海港に至る間の銭道建設に就
て日本資本家より借款するに閲する利盆︵ハ︑一一︑は後遺の如︿ワシシトシ令議に於て日本はとれを新借款問に譲渡すること
を産関した︶0
的一南満洲及東部内蒙古に開聞する僚約ハ所謁二十一ケ保々約||一九一五年五月二十五日調印﹀
第一線
旋順︑大蓮の租借期限︑満鎖︑安車中銭越の紹皆様の期限を九十九ヶ年に延長ナ︒
第二
位陣
日本間区民は南満洲に於て自由聞に居住往来し各様︒商工業︒建物を建設する掛川又は産業を経轡する矯必要なる土地を繭
和するを得︒
第三
脇陣
日本図区民は南満洲に於て自由に居住往来し各種の商ヱ業其他の業務に従事することを得︒
第六依支那凶政府は成るぺ︿速に外倒人の居住貿易の銭白ら議みて来部内家古に於ける過賞なる諸都市を開放すべきことを約
す ︒
第七保古口長銭遂に闘する誌協約常一に契約改訂の件
附属公文南満洲に於ける銀山試城並に採掘允可の件︒満洲に於ける鍋遵に闘する件︒南満州に於ける政治︑財政︑軍事等踊
問傍聴の件︒
倫この僚約総盆の一部がワシシトン曾議によって溌更を交けたζとは後遺の如くである︒
lg)
安来線品輸入減税の契約三九O五年の善後協約第十一僚に関聯す︒一九一三年︶
(hi
古口長銭建委任協約︵一九一七年十月︶
︶ −1 ︵ −吉田一一雨省林鍍借款契約︵一九一八年八月二日民国政府封濯業銀行︶O
ハ﹁
日本
都市
昨年
報﹂
繁問
韓︑
ニOl
一ご
ニ頁
︶︒
論
叢
満洲問題の基礎的考祭
』じ
商
害毒
論 議
第
ムF
、
宮昆
/~
日本とアメリカ︒日露戦争以後満洲を舞牽とする列因調立の中心は日米のそれであb︑三れ
三そは爾後今日に至るまで満洲に闘する列囲外交の極軸をなし︑往冷世間に於℃問題とせらる︑日
( ] J I )
米間闘交危機の最大原因をなすものである︒乙れは︑日支聞及び露支間の紛争すらその背後には賞
質的に日米問︑露米間の卦立が棋はってゐると一五はれる事買に照し合せても忠ひ宇ばに遁ぎるもの
があ
らう
︒
日米関の卦浦投資紛争は既にポI吋ノマス僚約締結常時に尖端が切られた︒以下その主要なるもの
を列奉して見ゃう︒
a 日露戦争による我闘の財政難に乗じ℃逸早く碕鍛買牧計童を立℃たのがアメη
ノカ
の鎖
道玉
川帽
ノマ
川首
ノマ
シの
浦鍛
及び
満洲
利権
問貝
牧計
童︒
ン︵
珂号
5江
2︶であった︒彼の買牧運動は機敏を秘め︑﹁日露の金権がアメηノカに到着するかしない
中に渡日の準備にか﹂
b
︑購和談剣が非常に緊張し℃何れに落付くかわからね一九O
五年八月中旬には早くもアメ司ノカを出殺し℃日本に来b︑支那︑朝鮮を視察した後︑ポIヅマス保約調印の日た
る九月五日の翌月卸ち十月十二日には早くも桂首相と滴鍛買牧の珠備覚書を結び︑小村金権の蹄闘
以前に日本を立去った
o h
東亜経済調査局刊﹃米国の翠丸一終済政拍車﹄六七頁︶0
この珠備管書の妥結は︑浦鏡並に乙れに関連する炭坑︑その他満洲に於ける凡ゆる企業の礎展に
つい℃は︑日米雨間資本が共同且つ平等に所有経替すると云ょのであるから︑若しこれが寅現すれ
ば︑満洲は全く日本の勢力範国ではなくな
b
︑投資に於℃も︑又一蹴企業に於℃も日米平等の原則の結果は︑事責上資本力のヲ9強大在るアメ凶ノカの優勢を来たすべきは必然の形勢であった︒従つ
τ
︑日
本政
府が
︒ホ
I
吋ノ
マス
よ掠れる小村全権の寅却反卦意見を容れ
τ b
︑桂
月廿
ノマ
ン諜
備覚
書を
破
棄した乙とは極めて営然であったのである︒
L υ
満洲
銀行
計童
︒
アメヲカ費本は︑上遣の満鍛買股失敗後は︑日本資本が自己と提銑し︑己れの柔順なる使用人た
ることに甘えぜざるものなることを知つ
τ
︑爾
後そ
の
J態
度を
一四
捜し
︑日
本資
本と
競争
的地
位に
立ち
︑
異正面よ
b
とれを屈服せしめんと企つるに至った︒その最初の視はれは一九O
七年の満洲銀行計重であ
った
︒
乙れは奉天駐在のアメヲカ総領事ストレイト︵EE
山的
︸与
︶と
奉天
巡撫
唐紹
儀と
の間
に交
渉が進められ︑同年八月始めに珠備交渉︑が纏まった︒それによると︑満洲銀行の資本金は米貨二下
高弗とし︑アメ可ノカ資本家によって設立せられ︑満洲通貨の安定︑及︑以畿道︑工業の振興︑特に滴
鎮の並行線たる新長屯1i珪揮畿道敷設への融資主主たる目的としたものであった︒だが此の計童
は︑翌一九O八年十一月に支那皇帝及川い皇太后が念日処し︑ために唐紹儀の頼れる支世凱一波の失脚
の結果︑八九分通
b
まで纏全b
−な
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挫折
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た︒
さ提言ゐ 同掴
議
満洲問題︒基礎的考察
まL
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号主
害,,.a岡
叢
策
ノム、
強
。
(c)
錦段
鍛造
利権
︒
乙れは︑京奉線錦州から満鍛及び東支鍛道南線に並行し℃北道し︑番伊培爾に於℃東支鍛道を横
切
b
︑遠くUFベリノア園境の段嘩に至らんとする大鍛道計童の利権であっτ
︑一 九
O
九年十
月の
支︑
米︑英聞の環備協定︑及び米︑英雨資本聞の畳書に依つ℃成立したのであるが︑羽在に於℃は有名
無買に隠し℃ゐる乙とは後速の如くである︒
(d)
満洲諸鍍道中立案︒
米岡冷務卿ノックスは︑
一 九
O
九年十一月︑先づ前記錦唆銭道利権につい℃共同の利害闘係を有するイギリス政府に針し℃一の通牒を殺し℃乙れが賛成を求めた︒満洲諸鍛道中立案とし℃有名な
るもの乙れであっ
τ
︑そ
の骨
子は
左の
如︑
きも
ので
あっ
た︒
ィ︑満洲に於ける一切の銭道主支那政府の所有に移す︒
ロ︑乙れがために支那政府よ
b
現在の鍛道所有者に支挽ム賠償金その他の資金は参加希望の利害闘係諸園よλ
ソの
借款
によ
る︒
月︑借款参加諸園民は︑借款期間中是等の鍛道を共同に管理し1関係諸園政府はその期間は︑そ
の図民及び材料の供給につ3︑相互に平等の基礎に立ち第三闘に卦し優先穫を持つ︒
ホ︑右の参加園とし℃嘗然皐げらるべ3ものは︑現在満洲に鍛道を所有する日露雨園は勿論︑﹃錦
投畿道契約によっ℃特殊利害を有する英米両闘いも亦乙れに加はるべきであるひ
最後に乙の遁棋は︑若し右の中立案が宜行不可能な時は︑錦︑攻鍛道建設を環定通b賀行し︑門戸
開放を支援する諸外闘をもこれに参加せしめ︑﹃営該鍛道及び今後商業後達が必要とする追加鍛造に
投資し︑叉建設に従事し︑同時に上記と同↓系統に包含せらる﹂ものとし℃提供せらる︑乙とのあ
b
得る現
存銭
一道
が︑
支那
によ
AYて買牧せらる︑場合︑その資金を供給せ
λ
と欲
する
︒﹄
・右の案が滞洲に於ける門戸開放及川い機合均等主義の椋勝の下にな
3
れた乙とは勿論であるが︑賞質的にはアメリカがイギηノ子乞誘って日露の既存勢カ範国への割込みを策したものであることは特
に説明主要しないところであらう︒
右の提案は同年十二月に至って日本に提示せられ︑叉略同時に露︑満︑怖の諸国にも提示せられ
たu而して之れに卦し℃関係列闘中直接民既得催盆を脅やか芯れる地粒にある日露雨闘が反封した
乙とは勿論であった︒イギヲスは日英同盟の閥係もあって︑事賃上中立案には反艶し︑フランスも
ロシアとの同盟関係並に債権関係上中立案反封の同窓口をなした︒ドイヅは日露雨闘の既得権を積極
的に支持しはしなかったけれども︑睦原則に於い℃アメヲカの提案を支持すると云よ同窓口以上には
出な
かっ
た︒
向錦
暗記
線問
題に
就て
は翌
一九
一
O年に日露雨固かち支那政府に到し℃要求すると之ろがあった︒
論
叢
満洲問願の芸礎的考察
商 率 論 議
第
ムノ、
競
日本の要求は︑錦竣線には必らず日本ども参加せしめ︑且つ同線上の一曜から満銭への支線を作る
乙と
にあ
った
︒
乙れに反し℃ロジアの要求は強硬で︑錦或銭道はロシアの政治的利盆及び東支鍛造
の経済的利盆を侵害するのみならず︑一八九九年支那政府がロジア政府に封して奥へたる約束
ll
北京以北の銭道のための外安轍入はロシアのみよ
h
之れをなすと云ム1
ーを破るものとしτ
︑錦稜銭道利擢の取泊を要求したのであった︒アメηノカ政府は︑乙れに卦して強硬なる反駁を加へると共
に︑他方支那政府民封し
τ
はその借疑契約の具賠化に努力した如くであるが︑しかし前速の一九O
九年の諜備協定以上には進むことが出来なかった︒
かくし℃アメリカの借款擢は︑金額其他の細目︑が未定の偉取残
3
れ℃
ゐる
中に
︑
一九
一三
年十
月
日本は支那よ
h J
満蒙五銭遣に閲する利擢を獲得し︑更に一九一八年九月には満蒙四銭遣に閲する契J約を以℃右の利権ど一一層確買にすると共に更に乙れを蹟大した︒その中︑錦設課定線の一部をなし
日本よ
b
の借欺三千七百高国を以て建設せられたる四挑鍛造は一九二四年七月よb
︑叉右四銭道には含まれないが︑同じく錦段諜定線の一部を侍す挑日却畿道lーー一九二四年九月の契約によってその
敷設資金約千三百寓国は満鍛が立替へた
l l
は一九二六年七月よ
b
開業してゐるから︑アメリカの錦政銭道利擢は事賃上無致と立ったーと見る外ないのである︒
や)
封支二十一ケ保問題︒
世界戟争中日米雨周は︑事賃上中立悶の地位にあったために一切の好傑件に恵まれ
τ
経済的に大礎展を魚し︑従来の資本橋入国よb一麗し℃強大なる封外投資能力主有するに至った︒その結果は
満洲に於℃も雨図の艶立開係主一一階尖鋭化せしむるに至つわパ乙左は嘗然であった︒但し雨閣の封支
地理的関係上日本が支那を殆んど唯一の投資闘として之︑に海外諜展の最電貼を置くに反し
τ
︑ア
メリカの主党る投資地はカナダ及︑以南米並に欧洲協商諸問であったから︑日本の所謂生命線的進出
に劃してアメリカは常に牽制的地位に立ち︑更に進んであはよくば投資割込に成功せんと努力し来
ったのである︒而して雨闘の正面衝突は所謂二十一ケ傑問題を中心として展開されるは至った︒
一九一五年一月日本は支那に到して所謂二十一ケ伎の要求を提出した︒その中主要なるものを奉
ぐれば次の如くである︒︿1︶山東省に於けるドイツの利躍の譲渡︑︵2︶満載及び放大の租借権延長
ハ3﹀南端及び東部内蒙古に於ける土地商租︑居住︑企業経待の諸椛利︑︵4﹀南浦の一定鏡山採掘権︿5︶満洲及び東部内蒙古に於ける借款優先権︑︵6
︶南
端外
人顧
問優
先擢
︑︵
7
︶漠
治芹
公司
会解
催︑
︵8
︶一
珊建
省不
割譲
及川
日同
省に
於け
る外
資輸
入の
優先
模︑
︵9
﹀腹
州潜
開放
︑そ
の他
兵器
輸入
︑警
察共
同等
︒
これに封しては支那政府の依頼を受けたる駐支米関公使−アインジユの活躍とならJ
︑米
図ん
吋務
卿プライアンの卦日抗議書となったが︑結局五凡七日の日本の卦支最後通牒とな
P9
︑幾分の修正を
加へられて︑同月二十五日に日文俊約が調印せられたのであった︒だがアメヲカの妨害的策動は乙
論
叢
満洲問題︒某礎酌来祭