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近代中国における子ども観の社会史的考察 (3) : 国民国家形成期における子ども観 : 近代的子ども観実現への試みと現実

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全文

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説 〕

近 代 中 国 に お け る子 ど も観 の 社 会 史 的 考 察(3)

国民 国家形成期 にお ける子 ども観

近代 的子 ども観実現 への試 み と現実

ト ミ子

目次 1幼 児 教 育 制 度 の整 備 (1)幼 児 教 育 の学 制 化(2)幼 稚 園 教 育 の 実 施 状 況 (3)幼 稚 園 教 育 の課 題 2教 育 家 た ち の 試 み (1)陶 行 知 と教 育 活 動(2)陳 鶴 琴 の教 育 論 (3)張 宗 麟 の 教 育 論(4)張 雪 門 の教 育 思 想 (5)民 族 の 課 題 と幼 児 教 育 3国 民 政 府 に よ る幼 児 教 育 の制 度 的 整 備 (1)幼 稚 園 教 育(2)家 庭 教 育(3)義 務 教 育 制 度 の 整 備 4中 国 親 族 法 と家 族 観 (1)親 族 法 の 制 定(2)現 実 の家 族 状 況 (3)家 族 調 査 と藩 光 旦 の 家 族 論(4)「 母 の息 子 た ち」 の結 婚 (5)ソ ビ エ ト区 の法 規 定 5働 く子 ど も (1)児 童 労 働 者("童 工")(2)児 童 労 働 の状 況 (3)児 童 労 働 規 定 五 四 新 文 化 運 動 以 降 、 児 童 中心 主 義 の 教 育 を 中 国 に実 践 す る道 と方 途 を 求 め て、 教 育 家 に よ る さ ま ざ ま な試 み が な され た。20年 代 後 半 に は、 「党 を も って 国 を治 め る」 こ とを 掲 げ た 国 民 党 政 権 が誕 生 し(1927年)、 国民

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国 家 と して の 形 態 を満 た す べ く、 教 育 、 文 化 、 法 律 な ど、 制 度 面 で の整 備 が 進 め られ た。 そ の4年 後 、1931年 に は、 江 西 省 瑞 金 を 首 都 とす る 中華 ソ ビエ ト政 府 も誕 生 し、 農 村 革 命 根 拠 地 に よ る共 産 党 勢 力 とそ れ を包 囲 す る国 民 党 軍 に よ る第 二 次 国 内 戦 争 が始 ま っ た。 本 節 で は、 児 童 中 心 主 義 の 教 育 思 想 の実 現 と普 及 を 目指 す 教 育 家 た ち の試 み 、 国 民 政 府 に よ る幼 児 教 育 制 度 、 家 族 法 の 制 定 、 そ して 広 大 な 中 国 に お い て 圧 倒 的多 数 を 占 め る働 く子 ど もの状 況 と法 規 定 か ら、 制 度 、 理 念 と大 き く乖 離 す る子 ど もた ち の 現 実 につ い て 取 り上 げ る。(1) 1幼 児 教 育 制度 の 整 備 (1)幼 児 教 育 の 学 制 化 辛 亥 革 命 の成 果 を 奪 い、 中 華 民 国 の 実 権 を手 に した 軍 閥 政 権 は、1920 年 代 初 頭 ま で 、 北 京 を 中心 に激 しい権 力 闘 争 を繰 り広 げ た。 覇 権 争 い の戦 火 に民 衆 が疲 弊 して い くな か 、 教 育 界 で は、 軍 閥 の 干 渉 が相 対 的 に緩 ん だ こ と を 背 景 に、 中 華 民 国 初 期 の 学 制 度(壬 子 癸 丑 学 制1912年 ∼)を 改 革 した 壬 戌 学 制(1922年)が 公 布 さ れ た。 これ に よ り、 幼 児 教 育 に も大 きな 変 化 が現 れ た。 幼 稚 園 教 育 は、 清 末 に家 庭 教 育 の補 完 と して 公 教 育 に 組 み 込 ま れ、 以 来 、 慈 善 機 関(育 嬰 堂 、 敬 節 堂)の 付 属 施 設 と して 開 設 さ れ て き た。 壬 戌 学 制 に よ り、 名 称 を 蒙 養 園(蒙 養 院 か らの 改 称)か ら幼 稚 園 に改 め、 施 設 ご と に不 統 一 で あ った 入 園 年 齢 を6歳 以 下 に 定 め て 、 初 等 教 育 の 一 段 階 と し、 学 校 系 統 の な か に正 規 に組 み 込 ん だ(「 学 校 系 統 改 革 令 」)。(2)もち ろ ん、 軍 閥 政 府 の 統 治 下 で は、 制 度 的 な 設 置 令 にみ あ うだ け、 幼 児 教 育 に対 して 十 分 な尊 重 が 払 わ れ た わ け で はな い。 教 育 事 業 と して幼 稚 園 の 設 置 が 推 奨 さ れ 、 一 定 の発 展 が 見 られ る の は、1927年 国 民 政 府 成 立 以 降 の こ とで あ る。(3) (2)幼 稚 園 教 育 の 実 施 状 況 不 完 全 な 統 計 で は あ る が 、1908年 に92箇 所 に す ぎ な か っ た 幼 稚 園 数 は 、1924年 に は190箇 所(公 立27、 私 立7、 教 会156)に な り 、 園 児 数 も 2,664人 か ら倍 以 上 の5,940人(公 立 私 立 園 児 数1,591人 、 教 会3,349人) ま で 増 加 し た 。(4)しか し、 そ れ で も幼 児 教 育 を 実 際 に 受 け え た 児 童 数 は6, 000人 に 満 た ず 、 全 人 口4億 、 幼 児 人 口15%と い う状 況 か ら見 て あ ま り に

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微 少 な数 値 で あ っ た と言 わ ざ る を え な い。 ま た、 幼 稚 園 数190箇 所 の うち キ リス ト教 会 に よ る幼 稚 園 が80%に 上 る こ と も 当 時 の現 実 を 映 しだ して い る。 そ れ ゆ え 、1920年 代 に入 る と、 中 国 人 自 身 に よ る 幼 稚 園 開 設 の試 み と幼 稚 園教 育 の 中 国 的展 開 を探 求 す る教 育 者 の 連 携 に よ る教 育 実 践 の試 み が 積 極 的 に 行 わ れ た。 民 間 の教 育 家 に よ る教 育 実 践 、 科 学 的 教 育 の た め の 研 究 組 織 、 政 府 の 奨 励 策 な ど が 功 を 奏 して 、1930年 代 に は、 幼 稚 園 組 織 は前 時 代 に比 べ て 飛 躍 的 に増 加 した 。 中 国 人 に よ る 幼 稚 園 は、24年 の 34箇 所 か ら20倍 の630箇 所 、 園 児 数 は 約170倍 の26,675人 に も の ぼ る。(5)こう し た幼 児 教 育 の 普 及 を 支 え、 教 育 内 容 の 進 化 を は か る上 で 大 き な 力 と な った の が 教 育 家 た ち の活 動 と思 想 的 営 み で あ る。 そ の な か に新 た な 子 ど も観 の 展 開 を読 み取 る こ とが で き る。 (3)幼 稚 園 教 育 の 課 題 清 末 に導 入 され た 日本 型 モ デ ル の 幼 稚 園 教 育 は、 民 国 初 期 に導 入 さ れ た プ ラ グ マ テ ィ ズ ム教 育 、 世 界 的 な新 教 育 運 動 の影 響 下 で 欧 米 型 に変 化 し、 1920年 代 以 降 は、 中 国 の 国 情 に合 わ せ た 内 容 と形 態 の 実 現 に 向 け て、 更 な る探 求 が続 け られ た。 背 景 に は、 教 育 の恩 恵 と は ほ ど遠 い 貧 困 に あ え ぐ 広 大 な農 村 の 現 状 と迫 り来 る帝 国主 義 諸 国 の侵 略 に よ って増 長 され る民 族 危 機 が あ った 。 民 族 の未 来 を 切 り開 き、 支 え る こ と の で き る国 民 新 世 代 を育 成 す る こ と は、 清 末 以 来 、 「教 育 救 国 」 論 と して 希 求 さ れ て き た課 題 で あ る。 そ の 起 点 と して 注 目 さ れ た 幼 児 教 育 は、 次 第 に 制 度 化 さ れ 、 1922年 に学 校 教 育 の 一 系 列 に組 み 込 ま れ る に い た っ た。 さ らに、20年 代 は、 有 識 者 に お いて 幼 児 教 育 は不 可 欠 の民 族 的 課 題 と して 強 く認 識 され 、 幼 稚 園 教 育 と家 庭 教 育 の相 互 補 完 の 実 現 が 目指 され た。 しか し、 理 想 、 願 望 、 要 望 とは るか に異 な る現 実 の前 で 、 中 国 に お いて 実 現 され う る幼 児 教 育 の 形 態 と内 容 と は な に か 、 あ る べ き幼 児 教 育 を 実 現 す る に は ど う しな け れ ば な ら な い の か 、 大 き な課 題 が 立 ち は だ か って い た。 そ の結 果 、1920 年 代 か ら1930年 代 ま で、 幼 稚 園 教 育 の 中 国 化 と大 衆 化 とい う二 っ の 方 向 が 認 知 さ れ、 よ りよ い家 庭 教 育 の実 現 と あ る べ き幼 稚 園 教 育 の 実 施 に 向 け て 、 教 育 実 践 が 進 め られ た 。

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2教 育 家 た ち の 試 み (1)陶 行 知(1891-1946)と 教 育 活 動 ① 生 活 教 育 と郷 村 教 育 運 動 デ ュ ー イ来 華 時 期 に通 訳 を 務 め、 中 国 に お け るプ ラ グ マ テ ィ ズ ム教 育 の 受 容 、 展 開 の 中 心 人 物 と な っ た 陶 行 知 は、1920年 代 に、 デ ュ ー イ の プ ラ グ マ テ ィズ ム教 育 理 念"教 育 即 生 活"、"学 校 即 社 会"を 中 国 の実 情 に あ わ せ た 教 育 理 念"生 活 即 教 育"、"教 育 即 社 会"に 読 み 替 え た 独 自 の教 育 活 動 を創 出 した。 「生 活 か ら出 発 し、 生 活 を 基 礎 と して 、 生 活 の 必 要 を満 たす 」 こ と を基 本 とす る"生 活 教 育"、 「学 校 を 小 社 会 」、 「社 会 を 大 学 校 」 と見 て学 び の 場 を学 校 に限 定 せ ず、 社 会 へ と拡 大 し、 さ ら に活 動 と学 ぶ こ と を一 体 と見 なす 実 践 的 な教 育 方 法("教 学 倣 合 一")で あ る。 こ れ らの 考 え 方 に よ り、 戦 時 下 の 中 国 に 固 有 の 子 ど も観 が 生 み 出 され て い っ た。 陶 行 知 自 身 は、"生 活 教 育"の 考 え 方 に立 ち、1926年 以 降 、 広 大 な 農 村 に焦 点 を 合 わ せ た 郷 村 教 育 運 動 を 提 唱 し、 そ の 一 環 と し て 幼 児 教 育 の 普 及 を は か っ た 。(6)陶に よ れ ば、 幼 児 生 活 は人 生 の 中 で も っ と も重 要 で あ り、 人 生 の重 要 な 習 慣 、 傾 向 態 度 が 決 ま る6歳 以 前 に適 切 な教 育 を得 れ ば 社 会 の優 良 な 分 子 と して の 生 育 が 得 られ る。 しか し、 幼 苗 と同 じよ うに幼 児 期 に損 傷 を 受 けれ ば天 折 し、 そ の後 の 是 正 は む ず か しい。 幼 児 教 育 は、 人 生 の な か で も っ と も重 要 な もの で あ り、 「小 学 教 育 は建 国 の根 本 、 幼 児 教 育 は 根 本 の 根 本 」 と して 普 及 して い くべ き もの で あ る と主 張 して い る。 ② 幼 児 教 育 の 課 題 と改 革 当 時、 中 国 で 行 わ れ て い た 幼 児 教 育 に対 して 、 陶 行 知 は、 三 っ の 弊 害 「外 国 病 」、 「金 銭 病 」、 「富 貴 病 」 を指 摘 した 。 同 時 期 の 教 育 家 に も同 様 の 指 摘 が 見 られ るが 、 陶 は、 三 っ の弊 害 を 「中 国 的 な 、 経 費 を 抑 え た、 平 民 の 幼 稚 園 」 に 改 革 す べ きで あ る と して 、 中 国 の幼 児 教 育 の具 体 的 な改 革 を 明 示 し、 実 践 した(「 創 設 郷 土 幼 稚 園 宣 言 書 」1926年)。 特 に、 幼 児 教 育 が も っ と も必 要 と さ れ る場 と して、 母 親 に よ る家 庭 教 育 が十 分 に行 わ れ え な い工 場 と農 村 を挙 げ、 こ こ に幼 稚 園 を普 及 し、 「す べ て の 幼 児 が 幼 稚 園 を 享 受 で き る」 よ うに す る こ と を 目指 した(「 幼 稚 園 之 新 大 陸 工 場 与 農 村 」1926年)。 そ の先 駆 け と して 、 南 京 燕 湖 磯 幼 稚 園、 暁 庄 幼 稚 園 を創 設 し(1926年)、 さ らに 郷 村 幼 稚 園 の 創 設 を 政 府 に建 議 した(「 推 広 郷 村

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幼 稚 園 案 」1928年)。 ③ 子 ど も観 の 特 徴 陶 の教 育 活 動 の 基 本 方 針 は、 「教 育 が 児 童 を 創 造 す る」 の で は な く、 「児 童 の 想 像 力 を 啓 発 し、 解 放 す る」 こ と に あ った。 陶 の教 育 方 法 で は、 教 師 は あ く まで も 「児 童 の 伴 侶 」 で あ り、 「児 童 自身 の基 礎 の上 に、 環 境 の影 響 を 濾 過 し、 運 用 し、 想 像 力 を養 い、 強 め、 発 揮 させ 、 力 を 備 え る よ うに 育 て 、 民 族 と人 類 に貢 献 す る」 こ とが 求 め られ た。 ま た、 当 時 の 社 会 状 況 に立 ち、 「苦 界 の な か に成 長 す る」 中 国 の 子 ど も を 見 っ め 「児 童 の 苦 界 を 児 童 の楽 園 に 創 りあ げ」、 「成 人 が子 ど も の隊 列 の 中 に生 き、 子 ど もと と も に創 造 す る こ と」 を 求 め た。⑦児 童 の 想 像 力 を 重 視 し、 そ の 啓 発 と解 放 を 求 め る教 育 観 、 児 童 の 隊列 の な か に成 人 が 入 る こ と を求 め る思 考 は、 定 型 の 育 成 モ デ ル を 拒 否 す る。 民 族 の未 来 を 担 う教 育 の あ り方 を 認 知 し、 求 め な が ら、 そ の た め の人 づ くり と い う枠 組 み 、 特 定 化 さ れ た人 間 モ デ ル に制 約 され ず 、 い か な る 目的 か ら も自 由 な 主 体 と して 、 子 ど もを と らえ よ う と す る と ころ に 陶 行 知 の教 育 思 想 の大 きな 特 色 が あ る。 子 ど もの 可 能 性 を子 ど も 自身 の な か に見 出 す 子 ど も観 、 生 活 教 育 の 理 念 は、1930年 代 、 山海 工 学 団 、 報 童(新 聞 売 りの 少 年)工 学 団 、 流 浪 児工 学 団 な どの 大 衆 普 及 教 育 運 動 を生 み 出 し、 戦 時下 で の育 才 教 育 、 子 ど も 自身 の創 造 的 な 活 動 と し て 普 及 す る小 先 生 運 動 、 新 安 旅 行 団 な ど の諸 活 動 を 生 み 出 す 根 源 と な った (詳 細 は本 論 文 の続 編(4)に 記 述 予 定)。 (2)陳 鶴 琴(1892∼1982)の 教 育 論 ① 家 庭 教 育 論 陶 行 知 と同 世 代 で あ る陳 鶴 琴 は、 児 童 心 理 学 者 と して、 幼 児 教 育 の科 学 的 研 究 分 析 を 基 盤 に、 幼 稚 園 教 育 の 中 国 的 展 開、 開 拓 、 普 及 活 動 に力 を 注 ぐ と と もに、 家 庭 教 育 を重 視 し、 父 母 の 子 ど もに 対 す る あ り方 に多 くの提 言 、 研 究 業 績 を残 した。 特 に、1920年 よ り 自 らの 家 庭 で 、 実 子 一 鳴 を対 象 に行 っ た家 庭 教 育 、 な らび に1923年 に 自宅 に開 設 した南 京 鼓 楼 幼 稚 園 で の教 育 実 践(1923年)は 、 家 庭 教 育 、 幼 児 教 育 そ れ ぞ れ の発 展 に 大 き く寄 与 した。(8) 陳 鶴 琴 の主 張 の 要 件 は、 幼 児 の心 理 的 精 神 的発 達 を理 解 せ ず 「大 人 の ミ ニ チ ュ ア」 と見 なす 中 国 の 旧 い子 ど も観 の誤 謬 を正 し、 児 童 期 の 固 有 性 と

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児 童 の個 性 、 人 格 を尊 重 す る こ と、 な らび に子 ど も を父 母 の 私 有 財 産 と見 な し、 父 母 との 関 係 に よ って の み価 値 付 け る こ とを 厳 し く批 判 した点 に あ る。 幼 児 期 の 固 有 性 と可 塑 性 、 子 ど もの 社 会 的存 在 を認 知 す る考 え 方 に立 ち 、 幼 児 教 育 を す べ て の教 育 の基 礎 と見 な し、 将 来 の国 民 と して の素 養 を 左 右 す る重 要 な 意 義 を もっ も の と して 、 高 く位 置 づ け た。 幼 児 教 育 を 構 成 す る の は、 家 庭 教 育 と幼 稚 園 教 育 の共 同作 業 で あ る。 家 庭 教 育 は、 国 家 の 未 来 、 全 民 族 の 資 質 に関 わ る偉 大 な国 家 事 業 で あ り、 重 要 な 社 会 的意 義 を 有 して い る。 家 庭 教 育 の担 い手 で あ る父 母 は、 最 初 に子 ど も を教 育 す る人 生 最 初 の 教 師 で あ る、 こ う した 考 え 方 の も とで 記 さ れ た 《家 庭 教 育 論 》(1925年 、1981年 重 版)は 、 科 学 的 児 童 観 を 根 拠 に置 き、 101条 に渡 って 父 母 が 果 た す べ き役 割 、 行 うべ き育 児 法 を 、 具 体 的 か っ 詳 細 に論 じて い る。 国 家 との 結 びっ きを 重 視 し、 子 ど も を家 庭 の 枠 内 に置 き っ っ 、 父 母 の専 有 か ら解 き放 っ こ と を 目 指 した 教 育 観 、 子 ど も観 に よ り、 中 国 家 庭 教 育 の バ イ ブル 的 存 在 と して 、 現 在 に ま で 至 る ロ ン グ セ ラ ー と し て 版 を重 ね て い る。 ② 抗 戦 期 の 「活 教 育 」 論 1930年 代 抗 戦 期 に入 っ て か らは 、 幼 児 教 育 と国 家 社 会 と の 関 わ り を さ ら に強 化 した 「活 教 育 」 が 生 み 出 さ れ 、 陳 鶴 琴 の 教 育 思 想 の 基 本 支 柱 と し て 確 立 され た。 「活 教 育 論 」 が 提 起 さ れ た 背 景 に は、 国 家 存 亡 の危 機 の 時 代 に、 戦 時活 動 に参 加 で き な い幼 児 教 育 は無 用 で あ り、 破 産 し、 解 散 す べ き もの で あ る と い う認 識 が あ る(「 非 常 時 期 的 児 童 教 育 」1937年)。 そ の 基 本 主 張 は、 「国家 の 強 盛 と民 族 の 復 興 」 とい う時 代 の使 命 の も とで 、 「国 家 と民 族 意 識 に富 む 新 国 民 」 と して、 高 い環 境 適 応 能 力(「 環 境 に適 応 し、 環 境 を制 御 し、 環 境 を利 用 で き る」)を 備 え た 人 材 作 りを 実 現 し、 「人 間 と して、 中 国 人 と して、 現 代 中 国 人 と して 」 の あ り方 を 追 求 す る と こ ろ に あ っ た。 この 主 張 の も とで 、 抗 戦 期 間 中 、 児 童 保 育 会 を組 織 して 自 ら会 長 を 務 め、 児 童 保 育 院 、 報 童 学 校 な ど を 創 設 し、 被 災 児 童 の救 済 活 動 、 孤 児 保 育 実 現 に あ た っ た。 組 織 の 一 部 は 中 国 共 産 党 の 地 下 組 織 と して 、 抗 日運 動 推 進 の 役 割 も果 た して い る。 抗 戦 期 の 教 育 理 論 と して 生 ま れ た 「活 教 育 」 論 は、 中 国 社 会 の 現 実 条 件 に 緊 密 に 結 合 し、 中 華 民 族 の 自 由、 平 等 、 独 立 、 解 放 を 求 め る現 代 中 国 の 代 表 的 な 教 育 理 論 と な っ た が 、20年 代 の 思 想 に比 べ、 児 童 を将 来 の 国 家 、 民 族 の 担 い手 と して 見 な す 枠 組 み が よ り

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鮮 明 に な り、 育 成 モ デ ル に向 け て幼 児 を 定 型 化 す る方 向性 が 強 化 さ れ て い る。(9) (3)張 宗 麟(1899∼1976)の 教 育 論 ① 家 庭 教 育 論 陶 行 知 、 陳 鶴 琴 の思 想 的 影 響 を受 け、 か っ 民 族 性 を重 視 し、 幼 児 教 育 の 中 国 化 を 探 求 した 教 育 家 張 宗 麟 は、1934年 に、 時 代 の潮 流 に そ ぐわ な い 父 母 の 事 例8種 類 と時 代 の 潮 流 に 応 え る父 母 の 条 件5種 類 を 挙 げ た 一 文 「ど の よ うに 時 代 の 潮 流 に あ う父 母 とな る か」(「悉 様 倣 合 乎 時 代 潮 流 的父 母 」)を 発 表 して い る。 時 代 の 潮 流 に そ ぐわ な い事 例 の う ち に は、 「子 ど も の 売 買 」、 「女 児 の 間 引 き」、 「子 ど もの 養 育 に科 学 性 、 衛 生 を 重 ん じな い」、 「多 産 を 奨 励 す る」、 「私 生 児 を 蔑 視 す る」、 「子 ど も に 宗 教 を 信 じ さ せ る」 な ど が あ り、 時 代 に 呼 応 す る父 母 の 条 件 に は、 「健 康 な体 」、 「時 代 の 要 求 に あ う思 想 」、 「子 女 に対 す る私 有 観 念 の 打 破 」、 「養 育 と教 育 を 請 け負 う 自 覚 を 持 っ 」、 「児 童 の保 健 教 育 に初 歩 的 な 科 学 知 識 を もっ 」 な どが 挙 げ られ て い る。 時代 の 潮 流 に そ ぐわ な い要 件 と して挙 げ られ た 「子 ど も の売 買 」、 「女 児 の 間 引 き の禁 止 」、 時 代 の潮 流 に 見 合 う条 件 に挙 げ られ た 「子 女 に対 す る私 有 観 念 の 打 破 」 に は、 当時 の 家 庭 状 況 の深 刻 な現 実 が 如 実 に反 映 さ れ て い る。 ま た 、 この家 庭 論 の末 尾 で は、 一 刻 も止 ま らず に 進 歩 す る世 界 に対 して、 自 らが 時 代 の 潮 流 に呼 応 せ ね ば な らな い上 に、 さ ら に子 ど もを 時 代 の 潮 流 に あ うよ う に育 て て い か ね ば な らな い こ と、 「子 ど もが 人 類 に 貢 献 し、 人 類 に対 す る搾 取 を 行 わ な い よ うに指 導 す べ き で あ る」 と結 ん で い る。 民 族 化 の 追 及 と と も に、 子 ど もを 人 類 の一 員 と して育 成 す る方 向 を 志 向 して い る点 に、 偏 狭 な 民 族 意 識 を 越 え る教 育 へ の契 機 、 子 ど も観 の特 徴 が 読 み取 れ る。 ② 張 宗 麟 の 教 育 思 想 と 「児 童 解 放 論 」 張 宗 麟 の教 育 思 想 の特 色 で あ り、 そ の 重 要 課 題 と な った の が 民 族 性 の重 視 と強 化 で あ る。 民 族 と して の 自主 性 、 中 国 固有 の 特 色 、 民 族 の 風 格 を 独 立 国 家 と して の 教 育 精 神 と見 て 、 帝 国 主 義 国 の教 会 に よ って 専 有 さ れ た教 育 主 権 を取 り も ど し、 自主 独 立 の幼 児 教 育 を打 ち 立 て る こ と、 欧 米 の模 範 に よ らず 、 中 国 の 幼 児 教 育 を 生 み 出 す こ と を 目指 した。 さ ら に、 第2点 の 特 色 、 課 題 とな っ た の が 幼 児 教 育 の大 衆 化 で 、 幼 児 教 育 を富 裕 層 の付 属 品

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とせ ず 、 労 農 大 衆 に奉 仕 す る幼 児 教 育 と して振 興 し、 労 農 大 衆 の 子 女 の苦 難 を 軽 減 す る こ とを 求 め た。 陶 行 知 の 郷 村 幼 稚 園 の 創 設 、 振 興 に も賛 同 し、 郷 村 に お け る幼 児 教 育 の 進 展 を重 要 な教 育 事 業 と見 な して 、 そ の実 現 の た め に大 量 の 調 査 研 究 と科 学 的実 験 を 行 い、 幼 児 教 育 を担 う教 師 の育 成 に力 を注 い だ 。 こ う して、 民 族 性 、 大 衆 性 、 科 学 性 を備 え た 幼 児 教 育 の方 向 が 追 求 さ れ た 。 張 も他 の教 育 家 同 様 、 幼 児 教 育 を 各 種 の教 育 の 起 点 に置 い て い るが 、 児 童 を 託 せ る第1の 場 を家 庭 で あ る と見 な し、 父 母 と の接 触 を 第1の 教 育 事 業 に掲 げ た。 ま た、 児 童 の 発 展 の た め に は、 児 童 の 自我 の社 会 化 と心 身 の 正 常 な 発 展 が 必 要 に な る と して 、 そ の 重 要 性 を 強 調 した。 特 に、 児 童 の 口、 手 足 を縛 り、 大 人 の 決 め た ル ー ル で 児 童 を束 縛 す る こ とを 厳 し く糾 弾 す る児 童 の解 放 論 を説 い た 。 民 族 性 と中 国 の 自主 独 立 を 目指 した 教 育 観 で あ り なが ら、 児 童 を定 型 モ デ ル に育 成 す る こ とを 画 一 的 に求 め る もの で は な か っ た点 に 、 張 宗 麟 の教 育 思 想 の もっ 子 ど も観 の 特 徴 が読 み 取 れ る。 (4)張 雪 門(1891年 ∼1973)の 教 育 思 想 若 く して 中 国 の 幼 児 教 育 事 業 に 志 し、21歳 に お い て 校 長 職(漸 江 省 寧 波)に 就 い た の を 皮 切 り に幼 稚 園 の 開 設 や 幼 児 師範 学 校 の振 興 に力 を尽 く し、45年 以 降 、 台 湾 に活 動 の 場 を 移 して 、 生 涯 を 幼 児 教 育 の 進 展 に貢 献 した 。 そ の教 育 思 想 の基 本 は、 児 童 の 心 身 の発 展 と社 会 環 境 の 統 一 を重 ん じ る こ と に あ る。 張 に よ れ ば 、 中 国 に お け る幼 児 教 育 の 課 題 解 決 に は、 幼 稚 園 にお け る児 童 の 心 身 の発 展 と社 会 の現 状 を連 係 して 、 社 会 の 現 状 に根 ざ した 民 族 の解 放 、 児 童 の要 求 に あ わ せ た 社 会 の基 礎 的 建 設 を行 う こ と が必 要 と な る。 幼 児 の 心 身 の 発 展 の み を重 ん じて 社 会 の 現 状 を軽 視 した り、 社 会 の 現 状 を重 ん じて 児 童 の心 身 の 発 展 を 軽 視 した りす れ ば、 児 童 の心 身 が 損 な わ れ る。 教 育 の対 象 で あ る児 童 と幼 児 教 育 の 目的 は、 と も に軽 視 で きず 、 幼 児 教 育 の 目 的 の確 定 と幼 児 を ど の よ うな 人 に 教 育 す るか は、 不 可 分 の 課 題 で あ る。 こ う した 認 識 の も とで 、 国 家 の雪 辱 を原 点 に して 、 民 族 振 興 の 出路 を 幼 児 教 育 に求 め 、 民 族 の次 世 代 とな る幼 児 は、 た とえ 幼 くて も現 在 の 中華 民 族 の使 命 を 負 う もの と見 な さ れ た。 張 に お い て は、 現 在 の 民 族 の置 か れ た 状 況 に よ り、 幼 児 の使 命 が 規 定 さ れ 、 幼 児 教 育 の 目的 と内 容 、 方 法 が策 定 され た。

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張 に お け る民 族 、 民 主 教 育 の 目 的 は、 具 体 的 に は民 族 の 劣 っ た資 質 を取 り除 く こ と、 民 族 の 自信 を 喚 起 し、 労 働 と客 観 的 な 習 慣 の 態 度 を養 成 し、 中 華 の 自 由平 等 を 獲 得 す る た め に、 帝 国 主 義 に対 して 戦 う決 心 と実 力 を も っ よ う に鍛 え る こ と に あ る。 「幼 児 教 育 の 目的 は、 完 全 に児 童 本 意 で あ る べ き」 で あ る と しなが ら、 環 境 へ の適 応 を要 請 し、 社 会 と児 童 を 連 係 して 一 体 の もの と見 なす た め、 児 童 中心 主 義 の観 点 は、 あ くま で も民 族 の必 要 とす る次 世 代 創 出 の た め の 方 法 論 と して 成 立 す る こ と に な る。 民 族 的主 義 的 要 素 が 強 ま れ ば 、 強 ま る ほ ど、 対 象 と して の児 童 は、 民 族 の 興 亡 を担 う 人 間 モ デ ル へ と作 り上 げ られ て い く。 民 族 性 と幼 児 教 育 の連 関 性 が き わ め て 強 固 な教 育 観 と い え る。 (5)民 族 の課 題 と幼 児 教 育 以 上 の よ う に、 中 国 の 国 情 と社 会 環 境 に即 した 幼 児 教 育 の 探 求 は、1920 年 代 か ら1930年 代 、 そ して 抗 戦 期 に か け て、 さ らに 進 展 し、 しだ い に民 族 意 識 が 強化 され て い った 。 特 に、 中 国 に対 す る 日本 の侵 攻 に よ り、 民 族 の 危 機 意 識 が 強 化 さ れ る ほ ど、 新 国 民 と して の民 族 モ デ ル が よ り強 化 さ れ 、 幼 児 教 育 の モ デ ル と して 追 及 さ れ た 。 ま た、 戦 時 下 の厳 しい生 活 状 況 の な か で、 幼 稚 園 教 育 の 中 国 化 、 大 衆 化 を 目指 す 教 育 家 た ち は、 普 及 の難 しい 幼 稚 園 教 育 の 現 状 に 立 ち、 家 庭 教 育 を 重 視 し、 家 庭 教 育 の 向 上 、 進 化 、 発 展 を求 め て 、 思 想 的 営 み を 強 め 、 思 索 を深 め て い った 。 3国 民 政 府 によ る幼 児教 育 の 制度 的整 備 (1)幼 稚 園 教 育 1927年 、 南 京 国 民 党 政 府 成 立 後 、 幼 児 教 育 制 度 の 法 的 整 備 が 進 ん だ 。 1931年 の 第3回 国 民 党 中 央 委 員 会 で 決 定 さ れ た 「三 民 主 義 実 施 原 則 幼 稚 園 之 部 」 に お い て 、 幼 稚 園 教 育 の総 目標 と して 「倫 理 知 識 を 重 ん じ、 多 く 実 践 し、 児 童 の 忠 孝 仁 愛 信 義 平 和 の徳 性 を育 て る」 こ と が掲 げ られ た。 そ の 具 体 的 目標 に は、 児 童 の 心 身 の す べ て を三 民 主 義 教 育 に 融 合 す る、 児 童 の 個 性 と集 団 性 を 三 民 主 義 教 育 の指 導 の 下 で バ ラ ンス よ く発 展 させ る、 三 民 主 義 教 育 の 下 で 、 児 童 を 実 際 の生 活 に適 合 す る初 歩 的 知 識 を 備 え る よ う に さ せ る こ とな ど、 三 民 主 義 の 教 育 方 針 の 徹 底 が 挙 げ られ た。 翌32年 、 国 民 政 府 の教 育 部 が 「幼 稚 園 課 程 標 準 」 を 領 布 し、 さ ら に国 内 外 の経 験 、

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陳 鶴 琴 、 張 雪 門 、 張 宗 麟 ら教 育 家 な どの 幼 稚 園 課 程 の実 践 的 経 験 も吸 収 し て 、1936年 に 修 正 案 を 公 布 した。 これ に よ れ ば 、 幼 稚 園 教 育 の 総 目標 と して 幼 児 、 児 童 の 心 身 の 健 康 の増 進 、 幼 児 、 児 童 の 快 楽 と幸 福 の 追 求 、 人 生 の 基 本 的優 良 習 慣 の養 成 、 幼 児 児 童 の 家 庭 養 育 へ の協 力 と改 良 は か る こ とが 挙 げ られ て い る。 ま た、 「幼 稚 園 課 程 標 準 」 と と もに 交 付 され た 「幼 稚 園 設 置 弁 法 」(1943年 に修 正 して、 公 布 実 施)に よ り、 幼 稚 園 制 度 を通 じて 児 童 期 と児 童 の存 在 を 尊 重 す る こ とが 求 め られ た。 清 末 よ り民 国 初 期 にか け て導 入 され た児 童 中 心 主 義 の思 考 が 、 こ こ に至 って よ うや く制 度 的 に も尊 重 さ れ る よ うに な っ た と言 え る。 (2)家 庭 教 育 ① 家 庭 教 育 の 制 度 整 備 1932年 の 「幼 稚 園課 程 標 準 」、 及 び そ の 修 正 案(1936年 公 布)で は、 家 庭 教 育 は、 幼 稚 園 教 育 を 助 け る もの で あ り、 社 会 的 意 義 を備 え た 機 関 とみ な さ れ て い る。1940年 の 「推 行 家 庭 教 育 弁 法 」 は、 政 府 の 教 育 主 管 部 が 制 定 した家 庭 教 育 に対 す る専 門 的 な法 規 で 、19条 か ら な り、 家 庭 教 育 の 管 轄 責 任 部 門 と業 務 遂 行 の 詳 細(管 理 、 経 費 、 監 督 、 検 査 な ど)を 規 定 し、 各 レベ ル の 行 政 機 関、 団 体 との 関 係 、 家 庭 教 育 の推 進 、 振 興 の た め の 諸 活 動 な ど の 活 動 内容 を 挙 げて い る。 家 庭 教 育 の推 進 、 振 興 の た め に、 講 習 班 の 実 施 を 掲 げ て お り(8条)、 こ れ に 基 づ き 「家 庭 教 育 講 習 班 暫 行 」 (1941)を 公 布 し、 民 族 意 識 の 啓 発 、 家 事 常 識 の 普 及 、 家 政 管 理 の 改 善 を 目指 す 講 習 会 活 動 が 行 わ れ た。 家 庭 教 育 に お け る教 育 責 任 は 、 父 母 に あ る と見 な さ れ て い るが 、 実 際 に行 わ れ る講 習 班 の対 象 はす べ て 女 性 と規 定 さ れ て お り、 家 政 の 管 理 と子 女 の育 成 を 女 性 の役 割 とす る性 別 役 割 分 担 の状 況 が 明 確 に反 映 され て い る。 そ の ほ か 、 「家 庭 教 育 実 験 区 設 施 計 画 要 点 」 に よ り、 四 川 省 に2箇 所 の 家 庭 教 育 の 実 験 基 地 を 作 り、 家 庭 教 育 の進 化 を 目指 す 実 践 的 、 試 験 的 な事 業 も行 わ れ た 。(10) ② 家 庭 教 育 論 全 国 の家 庭 教 育 事 業 の 管 轄 部 門 で あ っ た教 育 部 社 会 教 育 司 が 全 国 の社 会 教 育 機 関 と社 会 教 育 事 業 者 に推 薦 した家 庭 教 育 の 補 導 用 教 科 書 に、 《家 庭 教 育 》(王 鴻 俊 著1940年 非 売 版 、1942年 初 版 正 中 書 局)が あ る。 も と も と社 会 教 育 事 業 の発 展 の た め に社 会 教 育 司 に よ り編 ま れ た 《社 会 教 育 補

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導 叢 書 》 の1っ で 、 全3章(家 庭 教 育 の 意 義 、 要 項 、 遂 行)13節 、 付 録 (関 連 法 令 、 参 考 書 目)か らな る。 児 童 の 生 活 の 中 心 で あ る家 庭 教 育 の重 要 性 を基 礎 に 置 き、 父 母 、 家 長 の役 割 、 家 庭 教 育 の 種 々 の任 務 を 説 き、 さ ら に家 庭 教 育 の 担 い手 と して 必 要 と さ れ る父 母 教 育 に っ い て説 い て い る。 あ る べ き父 母 の理 想 像 と は、"良 父 賢 母"で あ り、 「"良父 賢 母"を 訓 練 す る こ とが 、 家 庭 教 育 を行 う基 本 事 業 で あ る」 との考 え 方 が 基 本 にす え られ て い る。 目指 す べ き父 母 像"良 父 賢 母'の 条 件 で 、 筆 頭 に 挙 げ ら れ て い る の は、 「宗 法 の 放 棄 」、 「家 父 長 制 の徹 底 的 な放 棄 」 の 要 請 で あ る。 「夫 権 観 念 が あ る た め に、 児 童 は父 母 の 間 に あ る不 平 等 を感 じ取 り、 男 尊 女 卑 が あ る た め に相 互 の待 遇 の 違 い を感 じ取 り、 父 権 の 観 念 が あ る た め に、 父 親 を特 別 に 荘 厳 で 恐 る べ き もの と感 じる。 児 童 を 私 産 と見 な し、 父 母 の 付 属 品 と す る た め に、 独 立 した人 格 が失 わ れ る。 父 母 教 育 で は、 父 母 と して の 正 しい観 念 を 注 入 し、 家 庭 に お い て 一 切 の権 力 と権 勢 、 不 平 等 性 を取 り除 き、 合 理 的 民 主 的 な制 度 を 実 行 し、 各 種 の溝 を 取 り除 き、 児 童 の親 愛 で 活 発 な精 神 を 養 い、"児 童 私 有"の 観 念 を"児 童 国 有"の 観 念 に換 え るべ きで あ る。 児 童 を 深 く理 解 し、 学 び、 行 動 し、 社 会 に 献 身 して、 民 族 の栄 光 を 増 し、 民 衆 の た め の福 利 を はか り、 た だ1人1家 の た め に生 計 を は か る こ と の な い よ う にす る。 ひ と た び国 家 に事 が あ れ ば 、 個 人 の 自由 、 家 庭 の 幸 福 を犠 牲 に して 、 民 族 、 国 家 に献 身 で き る よ う に す る」、 と述 べ て い る(第4節 「家 庭 教 育 与 父 母 教 育 」 甲)。 40年 版 の 出 版 時 に は、39年 非 売 版 に は な か っ た民 族 意 識 が 挿 入 さ れ て い る第2章 「家 庭 教 育 の 要 項 」 で は、"家 族 、 宗 族"の 意 識 が 強 く、"国 族" の 意 識 が 弱 い 中 国 人 の考 え 方 を変 革 す る必 要 性 を説 き、 民 族 国 家 の生 存 を 勝 ち取 る た め に、 個 人 と家 の 利 益 を惜 しまず 犠 牲 にす べ きで あ る と説 い て い る。 特 に、 児 童 の民 族 意 識 を啓 発 し、 「民 族 至 上 、 国 家 至 上 」 の 観 念 を 養 成 し、 民 族 の 健 全 な成 員 と して、 国 家 の た め に 忠 を尽 く し、 民 族 の た め に 「孝 」 を 尽 くす こ とを 強 く要 請 して い る。 「国 家 未 来 の 主 人 公 で あ り、 民 族 の継 承 者 」 で あ る児 童 は、 未 来 の 国 民 と して の 資 質 を優 良 にす る た め に、 児 童 時代 か ら養 成 訓 練 しな け れ ば な らな い。 社 会 の基 本 組 織 で あ る 家 庭 に と って、 幸 福 の基 礎 は児 童 で あ り、 親 子 関係 の 基 本 は、 父 母 に対 す る 「孝 」、 子 女 に 対 す る 「慈 」 に あ る。 子 女 を産 み、 育 て 、 教 え 、 一 人 前 に す る父 母 の 恩 徳 の 大 き さ に比 べ られ る もの は な く、 「孝 」 は人 類 に お け る理

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想 、 道 徳 の最 高 原 則 で あ る。 以 上 の よ う に、 儒 教 倫 理 を 基 本 に しっ っ 、 「児 童 私 有 」 か ら 「児 童 国 有 」 を 目指 した 王 鴻 俊 の 《家 庭 教 育 》 は、 父 母 と子 女 か らな る 「家 の 子 」 を基 礎 に置 き、 「民 族 の 子 」、 「国 家 の子 」 の創 出 を 目的 に掲 げ て い る点 に大 き な 特 色 が あ る。 宗 族 の子 と して の役 割 を 否 定 し、 父 母 と子 の 関 係 の み を対 象 と す る 「家 の 子 」 と 「国 の 子 」 を 直 接 結 び っ け る 考 え 方 は、 「家 」 と 「国」 の 直 結 に よ り、 国 の 強 化 を は か る国 民 党 政 府 の 家 族 観 と一 致 す る。 国 民 党 に よ る国 家 政 策 の意 向 を忠 実 に 反 映 した家 庭 教 育 論 、 子 ど も観 の典 型 と言 え る。 (3)義 務 教 育 制 度 の 整 備 清 末 以 来 の 幼 児 教 育 に一 定 の発 展 が 見 られ た が 、 初 等 教 育 で は、 国 民 政 府 の 所 在 地 で あ る 南 京 の就 学 率 が 全 国 で も っ と も高 く30年 代 を 通 じて 69.6%、 そ の 他 の 章 で は30年 代 の 上 海56%、 広 東 、 漸 江43%、 湖 南22.2 %、 安 徽14.4%、 遼 寧33.1%黒 竜 江14.5%で 、 辺 境 の 少 数 民 族 地 帯 は さ ら に低 く新 彊 氏3.0%、 チ ベ ッ ト3.2%で あ る。(11)1935年に は国 民 政 府 行 政 院 よ り 「実 施 義 務 教 育 暫 行 弁 法 大 綱 」、 「実 施 義 務 教 育 暫 行 弁 法 大 綱 施 行 細 則 」、1937年7月 に は 「学 齢 児 童 強 迫 入 学 暫 行 弁 法 」 が 公 布 さ れ た。 これ に よれ ば、 学 齢 児 童 を もっ 家 長 が貧 困 で あれ ば、 学 費 免 除、 公 費 援 助 な ど に よ り児 童 に 就 学 の機 会 を 保 障 す る こ と、 児 童 労 働 者 の雇 用 主 に よ る就 学 期 間 中 の給 料 減 額 の禁 止 、 寄 付 な ど に よ り貧 困 児 童 の衣 食 を 解 決 せ ね ば な らな い義 務 な どが 定 め られ て い る。 さ らに、 入 学 す べ き児 童 を 就 学 さ せ て い な い場 合 、 家 長 に一 定 の 処 罰 が下 され 、 無 断 欠 席 、 無 断退 学 に も相 応 の 処 罰 が 下 さ れ る な ど、 法 規 上 は義 務 教 育 の普 及 に 積 極 的 な 内 容 が 盛 り込 ま れ て い る。 しか し、 実 際 に は多 くの 未 就 学 児 童 が 存 在 して い た 。 そ の事 実 が こ の法 令 の 無 力 さ、 実 効 性 の な さ を 見 事 に物 語 って い る。(12) 4中 国 親 族 法 と家族 観 幼 稚 園 教 育 、 家 庭 教 育 、 義 務 教 育 の 施 行 、 と国 民 国 家 と して の 教 育 体 制 の 制 度 整 備 が 進 め られ た の と平 行 して 、 民 族 、 国 家 の基 本 とな る家 族 制 度 にっ い て も法 整 備 が 進 め られ た。 以 下 、1929年 よ り1930年 に か けて 行 わ れ た国 民 党 政 府 に お け る法 整 備 の な か で 、 親 族 法 に注 目 し、 親 子 関 係 、 結

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婚 問 題 に つ い て 、 そ の特 色 を 取 り上 げ る こ とに す る。 (1)親 族 法 の制 定 ① 親 族 法 と 家 制 度 1931年 に国 民 政 府 に よ り制 定 され た民 法 親 族 法(1930年 交 付 、31年 修 正)は 、 他 の 多 くの法 規 同 様 、 公 布 され た もの の 、 法 規 定 と して 実 質 的 に 機 能 す る に は い た らな か っ た。 しか し、 父 母 と子 女 の関 係 に つ いて 、 旧 時 代 と は明 確 に 異 な る親 子 観 、 家 族 観 が 示 され て い る点 で、 当 時 の 法 に お け る親 子 観 の 考 え 方 を知 る手 が か り とな る。31年 制 定 の 民 法 は、 ドイ ツ法 にな らい、 総 則 、 債 権 、 物 権 、 親 族 及 び継 承 の五 編 か らな り、 第4篇 親 族 に は、 通 則 、 婚 姻 、 父 母 と子 女 、 監 護 、 扶 養 、 家 、 親 族 会 議 の7章 が あ る。 家 制 を と る こ と にっ い て は、 第1次 草 案 か ら成 立 ま で の4回 の 草 案 で 、 二 転 、 三 転 した結 果 で あ る。 す な わ ち、 清 代 法 律 館 編 纂 の 旧 法 で は 家 族 主 義 を採 り、 家 規 定 が設 け られ て い た が 、 新 法 で は、 第1次 草 案 で個 人 主 義 を採 り、 家 制 を廃 棄 、 第3次 草 案 で 再 び家 族 主 義 を採 り復 活 、 第4次 草 案 で 個 人 主 義 を と りま た 廃 棄 、 最 終 的 に人 々 の観 念 に根 強 い 家 制 を残 す 方 式 が 採 択 され た。 二 転 、 三 転 の背 景 に は、 家 族 主 義 か ら個 人 主 義 へ と進 展 す る時 代 の 趨 勢 を認 識 しなが ら、 な お 中 国 社 会 の 社 会 組 織 形 態 と して根 強 い家 を廃 止 す る こ とに対 す る社 会 的 懸 念 、 社 会 秩 序 の保 持 に関 す る危 惧 が 強 か っ た た め で あ る。 中央 政 治 会 議 の 決 定 で は、 「中 国 の 家 制 度 は数 千 年 来 社 会 組 織 の 基 礎 を な して き た もの で あ り、 これ を ひ とた び 根 本 よ り覆 そ う とす れ ば 、 そ の行 い が た さ は疑 う と ころ な く、 あ る い は また 社 会 へ の 影 響 が あ ま り に は な は だ しい。 事 実 上 、 この組 織 を 保 留 す る こ と を も って 宜 と し、 法 律 上 に お い て は、 自 ず か ら家 制 の 存 在 を 承 認 す べ き で あ る」 (親 族 法 審 査 意 見 書 第8点 の説 明)と して い る。 こ う して 家 制 の規 定 は残 され たが 、 内 容 面 で は、 祖 先 祭 祀 の条 項 の削 除 を は じめ、 家 族 主 義 と異 な る個 人 主 義 の 立 法 を と り、 親 子 関 係 、 家 長 の規 定 な ど に、 新 時 代 の観 念 が 反 映 さ れ て い る。(13) ② 民 法 上 の 年 齢 規 定 、 婚 姻 年 齢 民 法 の権 利 能 力 は、 胎 児 か ら個 人 の 利 益 が 発 生 す る もの と見 な し、 行 為 能 力 は 満12歳 か らを 成 人 と して 認 め て い る。 ま た、7歳 未 満 の 未 青 年 は 行 為 能 力 を もた な いが 、7歳 以 上 の未 成 年 に は これ を認 め、 未 成 年 で 結 婚

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して い る もの の 行 為 能 力 も認 め て い る。 しか し、 婚 姻 事 態 は、 男 満17歳 未 満 、 女 満15歳 未 満 の 婚 約 、 男 満18歳 未 満 、 女16歳 未 満 の 結 婚 は認 め ず 、 未 成 年 の 婚 約 、 婚 姻 は、 と もに 法 定 代 理 人 の 同 意 を必 要 と した。1915 年 北 洋 政 府 の 草 案 段 階 で は、 男16歳 未 満 、 女15歳 未 満 を結 婚 不 可 能 年 齢 と して い た か ら、1歳 で は あ る が 結 婚 可 能 年 齢 を 引 き上 げ た こ と に な る。 また 、 早 婚 の 改 善 を は か る と と もに童 養 娘 も禁 止 した。 ③ 家 制 ・家 長 ・親 子 関係 民 法 上 の い わ ゆ る家 は、 同 一 戸 籍 に属 す る者(日 本)、 戸 籍 に 関 わ りな く共 同 生 活 を 営 む 者 な ど、 各 国 の 立 法 に よ り異 な る。 中 華 民 国 親 族 法 で は、 旧法 は 同 一 戸 籍 に入 る者 を基 準 とす る形 式 主 義 を基 本 に した上 で、 同 居 者 を 含 め る 実 質 主 義 を 採 用 して い た。 これ に 対 して 、 新 親 族 法 で は、 「永 久 の 共 同 生 活 を 目 的 と して 同 居 す る親 族 集 団」 と規 定 し、 実 質 主 義 を 採 用 して い る。 家 長 の定 義 で は、 旧 法 の 権 利 に重 い規 定 か ら義 務 の観 点 を 強 め る規 定 に 修 正 し、 親 子 関 係 の規 定 も子 女 に対 す る父 母 の権 利 を 示 す 「親 権 」 か ら、 両 者 の 平 等 の 関 係 を 示 す 「父 母 と子 女 の 関 係 」 に 変 更 し た 。 こ う した 変 更 点 に よ り、 親 族 法 の 基 本 思 考 が 従 来 の家 族 主 義 か ら個 人 主 義 へ と変 化 した こ とが読 み 取 れ る。 祖 先 祭 祀 の 廃 止 を規 定 し、 家 制 を父 母 と子 女 の 関 係 を核 に し、 財 産 継 承 権 を 男 女 に認 め た(未 婚 者 を 含 む)こ と は、 男 系 血 統 を偏 重 す る伝 統 的 家 族 制 度 を打 破 す る原 理 を制 度 的 に導 入 した意 味 を もっ 。 ま た 、 親 子 関 係 に お いて 、 子 に 対 す る親 の専 有 権 を認 め ず 、 婚 姻 に お け る子 女 の 主 権 を規 定 した こ と は、 子 の 親 に対 す る独 立 した 人 格 を保 障 す る意 味 を もっ 。 法 制 度 上 にお け る親 子 関 係 、 子 ど も観 の大 きな 変 化 とい え る。 そ の ほか 、 童 養 娘 の 禁 止 に よ り、 女 児 に対 す る保 護 観 念 を 成 文 化 した こ と も進 歩 的 な側 面 と い え る。 しか し、 納 妾 を 禁 止 し、 家 族 の 構 成 員 に妾 を認 め な か っ た こ とに よ り、 従 来 保 障 され て い た 妾 の法 的保 護 が 奪 わ れ る結 果 が生 じる な ど、 新 た な 民 主 的規 定 の 誕 生 が正 負 二 重 の意 味 が 生 じ る問 題 を も って い た こ と も 理 解 して お く必 要 が あ る。(14) (2)現 実 の家 族 状 況 旧 法 の親 権 、 家 長 権 の 強 い家 族 制 度 を 改 め た新 時 代 の親 族 法 は、 法 観 念 に反 映 さ れ た 子 ど も観 、 家 族 観 と して は画 期 的 で あ り、 重 要 な 意 義 を も っ

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て い る。 しか し、 この親 族 法 は、 上 述 した よ うに 公 布 さ れ な が ら、 実 際 に 法 的 効 果 を生 み 出 す こ とが で きず 、 そ の 存 在 が都 市 で の み知 られ た有 名 無 実 の 存 在 で あ っ た。 ま た、 オ ル カ ・ラ ング や、 民 国 期 の社 会 学 者 、 優 性 論 者 藩 光 旦 の 調 査 で は、 若 手 の 間 で も家 族 制 度 に対 す る保 守 的 な 思 考 が 強 く、 主 婚 権 を もっ べ き当事 者 自身 が 父 母 の意 向 を重 視 す る傾 向 が 強 く示 さ れ て い る。 「孝 」 の 観 念 に よ って 支 え られ て い る扶 養 義 務 に っ い て も子 ど も世 代 が 自 ら積 極 的 に支 持 す る思 考 を 示 して い る。 こ れ らに っ いて は、 次 項 にお い て、 や や 時 代 を遡 る もの で あ るが 、 意 識 調 査 を参 考 資 料 と して取 り上 げ た。 (3)家 族 調 査 と 藩 光 旦 の家 族 論 1)《 時 事 新 報 》 意 識 調 査(1927年) 1927年6月 、 《時 事 新 報 》 「学 燈 」 で 読 者 に 募 っ た家 庭 問 題 に関 す る意 識 調 査 が 行 わ れ た。 前 後3回 の 調 査 で 、 計317(女 子44人 、13.9%、 男 子273人 、86.1%年 齢14歳 ∼57歳 、30歳 ま で の 青 年 女 子41人 、 女 子 青 年 男 子233人)の 回 答 を 得 た(調 査 デ ー タ の 対 象 、 範 囲 な ど、 詳 細 は、 『成 践 法 学 』 次 号 掲 載 予 定 の参 考 補 助 資 料(3)の 後 半 を 参 照)。(15)《時 事 新 報 》 の販 売 部 数 の百 分 の 一 と い う数 値 なが ら、 家 族 問 題 に 関 す る社 会 世 論 の 傾 向 を 物 語 る も の で あ り、 溢 光 旦 が 調 査 結 果 に 分 析 を 加 え て い る (《中 国 的 家 族 問 題 》1936年)。 2)家 族 制 度 家 族 制 度 に つ い て 、 下 記 の4問 が あ る。 数 値 は そ れ に対 す る回 答 で あ る。 ① 家族形態 1、 中 国 の大 家 族 制 度 に は、 い ろ い ろ な価 値 が あ る か ら、 保 存 され るべ きで あ る。 賛 成 者9129.0(男79女12) 不 賛 成 者22671.0 (男194女32)

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2、 欧米 の小 家 庭 制 度 に は い ろ い ろ な価 値 が あ り、 完 全 に採 用 す べ きで あ る。 賛 成 者12640.5(男106女20) 不 賛 成 者18559.5(男162女23) *未 記 入6(男5女1) 3、 欧 米 の小 家 庭 制 度 は 採 用 して よ いが 、 祖 父 母 、 父 母 は子 あ る い は 孫 の 代 と順 番 に 同居 し、 扶 養 を受 け る べ き で あ る。 賛 成 者20564.7(男174女31) 不 賛 成 者11235.3(男99女13) 4、 小 家 庭 制 取 り入 れ 、 祖 父 母 と父 母 の生 計 は 子 あ る い は 孫 の代 が 受 け 持 つ が、 同居 は しな い 賛 成 者19461.8(男167女27) 不 賛 成 者12038.2(男104女16) *未 記 入3(男2女1) *大 家 族 制 は、 祖 孫 父 子 の ほ か 兄 弟 叔 父 甥 な ど が 長 期 に暮 らす か 生 計 が1っ で あ る もの、 小 家 族 制 とは夫 婦 及 び少 数 の子 女 か らな る場 合 を想 定 して い る。 上 記 の結 果 を 基 に して、 播 光 旦 が提 出 した の が 家 族 に 関 す る2種 類 の公 式 で あ る。 す な わ ち、 親(基 本 世 代)が 子 ど も(第2世 代)を 養 育 す る の み で 、 子 ど もか らの扶 養 が な い家 族(小 家 族 制)と 、 親 世 代 が 子 ど もを養 育 し、 か っ子 ど も世 代 か ら扶 養 を受 け る家 族 制 で あ る。 後 者 は、 中 国 の伝 統 的 な大 家 族 の もっ 枝 葉 を 取 り除 い た(夫 婦 と子 ど も)形 態 で 、 欧 米 小 家 族 制 と 同 じ く小 家 族 を基 本 と して構 成 され る。 中 国 の伝 統 的 な 家 族 と異 な る点 で 、 折 中 型 と名 づ け られ て い る。 親 子 間 の相 互 扶 養 方 式 を と らな い西 欧 型 の小 家 族 に対 して、 親 子 間 の相 互 扶 養 方 式 を 採 用 しな が ら中 国 の伝 統 的 大 家 族 制 の 煩 雑 さ を 避 け、 核 家 族 を と る小 家 族 制 は、 中 国 の 状 況 に 見 合 っ た妥 当 性 を もち、 か っ 望 ま れ て い る 家 族 モ デ ル と評 さ れ て い る。(16)こ の 比 較 方 式 は、 本 論 文(2)(『 成 践 法 学 』82号)に も記 述 した よ う に、 現 代 中 国 の社 会 学 者 費 孝 通 が 、 現 代 中 国 の家 族 と西 欧 社 会 の 家 族 の比 較 公 式 と して取 り上 げ た もの と同 一 で あ る。 費 孝 通 の 理 論 モ デ ル で は、 親 子 間 の 扶 養 の有 無 で は な く、 扶 養 役 割 が義 務 権 利 関係 と して法 規 定 を もっ か否 か に、 公 式 成 立 の 要 件 が 求 め られ て い る。 播 光 旦 は、 法 規 定 の 有 無 を根 拠 と して い な い が 、 中 華 民 国 民 法 に お け る 扶 養 規 定 、 現 代 中 国 の 憲 法(80 年)、 開 国 以 来 の 婚 姻 法 に お け る扶 養 規 定 を 見 れ ば、 中 国 の 家 族 公 式 と し て の 普 遍 的 な 意 味 が 見 出 せ る。 民 国 期 以 来 の長 い ス タ ンス を も っ た この 家

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族 モ デ ル は、 都 市 型 核 家 族 が 増 え るな か 、 今 後 変 動 す る可 能 性 を は らん で い るが 、 中 国 にお け る家 族 の 公 式 と して 、 歴 史 的 に保 持 さ れ て き た息 の長 さ、 そ の持 続 性 に注 目 した い(播 光 旦 分 析 、 及 び 費 孝 通 の理 論 モ デ ル に っ い て は、 『成 践 法 学 』 次 号 掲 載 予 定 の参 考 補 助 資 料(3)の 後 半 を参 照)。 ②祖先祭祀 5、 祖 先 の祭 祀 に は、 十 分 な 宗 教 的 神 秘 的 価 値 が あ り、 に す る の が よ い。 これ を維 持 し、 よ り大 切 賛 成 者4614.5(男37女9) 不 賛 成 者27185.5(男236女35) 6、 祖 先 は記 念 す べ き で あ る が、 祭 祀 の 方 式 は と らず 、 他 の 方 式 を用 い て こ れ に 変 え る の が よ い。 賛 成 者25681.5(男223女33) 不 賛 成 者5818.5(男48女10) *未 詳3 上 記 の 回答 に よれ ば、 祖 先 祭 祀 へ の 観 念 は抱 か れ て い る もの の 、 宗 教 的 な 観 念 に よ る もの で は な く、 違 和 感 の ほ うが 強 く も た れ て い る。 祖 先 祭 祀 に よ る宗 族 、 家 族 観 念 の形 成 要 素 は、 少 な く と も重 視 さ れ て は い な い もの と読 み 取 れ る。 ③婚姻 の裁 可 33、 完 全 に父 母 あ る い は そ の他 の親 族 中 の 目上 の者 が決 め る のが よ い。 賛 成 者200.7(男2女0) 不 賛 成 者26899.3(男268女44) *未 詳3(男3) 34、 本 人 が決 め、 父 母 の 同意 を得 な け れ ば な らな い。 賛 成 者13241.8(男107女25) 不 賛 成 者18458.2(男165女19) *未 詳1(男1)

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35、 本 人 が決 め、 父 母 の 同意 を求 め な け れ ば な らな い。 賛 成 者25380.6 不 賛 成 者6119.4 (男216 (男54 女37) 女7) *未 詳3(男3) 36、 完 全 に本 人 が決 め る の が よ い。 賛 成 者10734.4 不 賛 成 者20465.6 (男93 (男175 女14) 女29) *未 詳6(男5女1) 婚 姻 に 関 す る決 定 で は、 父 母 、 目上 の 者 に よ る決 定 に は 強 い 反 対 が あ る もの の、 当 人 の み の決 定 に も な お反 対 が 多 い。 婚 姻 にっ い て 本 人 の決 定 を 重 視 す る と と も に、 父 母 の 同 意 に っ い て 、 あ る ほ うが よ い で はな く、 得 な けれ ば な らな い もの と考 え て い る点 に 特 徴 が 読 み 取 れ る。 婚 姻 は、 な お 本 人 の 問 題 で あ るだ け で な く、 父 母 の 存 在 と不 可 分 で あ る。 子 ど も を完 全 な 個 人 と は見 な しきれ な い子 ど も観 が 父 母 の側 ば か りで な く、 子 ど もた る子 女 の 側 に も根 強 い こ とが わ か る。 播 光 旦 の 分 析 で は、 父 母 の 意 見 に 対 し て 、 子 女 が判 断 の 妥 当性 を 期 待 して い る一 面 が指 摘 さ れ て い る。 青 年 層 で は、 人 生 の大 事 に対 して、 父 母 の判 断 力 に信 頼 感 を 寄 せ て い る側 面 もあ る と推 察 さ れ る。 (4)「 母 の 息 子 た ち」 の 結 婚 前 項 で 取 り上 げ た 「婚 姻 の 裁 可 」 に 関 す る意 識 調 査 に も うか が え るが 、 子 ど もの個 性 を 尊 重 し、 子 ど もの人 格 の 独 立 性 を尊 重 す る気 風 は、 五 四新 文 化 運 動 以 降 の 社 会 思 潮 と な っ て い た 。 しか し、 そ う した主 張 を 提 唱 した 清 末 民 初 の知 識 人 層 が 、 自 らの結 婚 に お い て は、 必 ず し も 自己 の 意 思 を貫 徹 しえ て は い な か った。 父 母 、 特 に 寡 婦 と な った母 の意 向 を 受 け入 れ て 旧 式 の結 婚 に 同 意 し、 そ の 後 、 自 らが 自 由恋 愛 に よ り、 新 た な伴 侶 を選 び、 二 重 婚 の 悲 劇 が 生 ま れ る状 況 が か な り多 く見 られ た。 た とえ ば 、 「犠 牲 者 で あ る 女 性 の 道 連 れ と な り、 後 の 世 代 を 解 放 し よ う」 と提 起 し た魯 迅 は、 母 の 選 ん だ 旧 式 結 婚 の相 手 に対 して経 済 保 障 の責 任 を果 た した も の の 「母 の 嫁 」 と 呼 ん で は ば か らず 、 「母 な け れ ば子 は強 し」、 感 謝 は 人 の 生 き る 力 を 奪 う もの で あ る と の思 い を 一 度 な らず 吐 露 して い る。 ま た 、 胡 適 は結 婚 に あ た り、 自 らの た め で は な く、 母 の た め の結 婚 で あ る こ とを 従 兄 弟 宛 の

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手 紙 に も ら して い る(以 上 、 魯 迅 、 胡 適 の関 係 文 献 は 『成 践 法 学 」 次 号 掲 載 予 定 の 参 考 補 助 資 料(3)の 後 半 に収 録)。 西 欧 近 代 の思 想 の洗 礼 を受 け、 女 性 の抑 圧 の 歴 史 を知 れ ば こそ、 伝 統 社 会 に お い て女 性 抑 圧 を受 け止 め な が ら自 らを 慈 しみ育 て た母(特 に 寡 婦)に 対 す る思 い が 、 息 子 と して の 自 由 な行 動 を 規 制 す る大 き な力 とな って い た。 父 母 の意 向 、 特 に寡 婦 と な っ た母 の 決 め た 旧 式 婚 姻 と 自 らが 選 ん だ 新 伴 侶 と の二 重 の婚 姻 悲 劇 は、 個 別 の事 情 、 個 人 の資 質 に関 わ る と は いえ 、 当 時 の 社 会 構 造 、 近 代 中 国 の 歴 史 的 構 造 よ り生 じる 問題 で あ る。 この こ とは、 旧 式 の子 ど も観 が 父 母 の 側 だ け で な く、 子 ど もの 側 に も強 く存 在 し、 成 人 に な って もな お 親 子 関係 を 強 く規 定 して い た こ との 例 証 で あ る。 旧 中 国 の 子 ど も観 は 、 親 の意 向 に 自己 の意 志 を 反 映 で きな いば か りか、 む しろ 自 らの 意 志 で 自己 の 要 求 を放 棄 す る子 ど も 自身 の 内面 を 形 成 す る もの で あ った。 (5)ソ ビエ ト区 の 法 規 定 共 産 党 の支 配 す る根 拠 地 で も、1928年 以 降 各 地 の 革 命 根 拠 地 で 婚 姻 条 例 が 作 られ、1934年4月 に 「中華 ソ ビエ ト共 和 国 婚 姻 条 例 」(1931年 版 の 修 正 版)が 公 布 さ れ た 。 ま た、 同 年12月 に は 「中 華 ソ ビエ ト共 和 国 憲 法 大 綱 」(31年11月 の修 正 版)も 公 布 さ れ、 婚 姻 、 離 婚 の 自 由 、 離 婚 後 の 児 童 の養 育 に 対 す る保 護 、 早 婚 と童 養 姐 の禁 止 、 児 童 労 働 の 制 限 、 可 能 な 範 囲 で の無 償 義 務 教 育 な ど、 児 童 の生 活 、 婚 姻 、 労 働 上 の保 護 、 文 化 教 育 に関 す る 条 項 が 規 定 さ れ た。 離 婚 後 の 児 童 養 育 で は、 女 性 が 養 育 し た場 合 、 男 性 側 は16歳 まで の 養 育 費 の3分 の2を 負 担 す る こ と、 女 性 の 再 婚 時 に養 父 と な る もの が 養 育 を 希 望 す る 場 合 は ソ ビエ ト政 府 に 届 け 出 る こ と、 成 人 に な る以 前 に養 育 を 放 棄 す る こ と を禁 止 す る な ど、 児 童 保 護 策 が 明 記 さ れ て い る。 婚 姻 条 例 は、 各 地 で 内 容(細 則)が 多 少 異 な る面 が あ り、 憲 法 大 綱 も 「陳 甘 寧 辺 区 施 政 綱 領 」 は1941年 、 「陳 甘 寧 辺 区 憲 法 原 則 」 は1946年 に、 そ れ ぞ れ 批 准 さ れ、 婚 姻 政 策 、 児 童 保 護 、 教 育 政 策 に っ いて 憲 法 に よ る保 障 が 提 出 さ れ た。 5働 く子 ど も 児 童 中心 主 義 の 子 ど も観 、 子 ど もの 独 立 した存 在 を認 め る近 代 的 な法 観 念 な ど に近 代 的 な子 ど も観 実 現 へ の試 み を見 る こ とが で き る。 しか し、 幼

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稚 園 教 育 を受 け られ る幼 児 は余 りに 微 少 で あ り、 家 族 法 の規 定 に守 られ る 幼 児 が ど れ ほ ど存 在 しえ た か と い う点 で は、 現 実 にお け る機 能 は あ ま りに も弱 か った と言 わ ざ る を え な い。 国 民 国 家 と して の 建 前 と して 掲 げ られ た 制 度 の裏 で は 、 多 くの貧 しい子 ど もた ちが 貧 困 の な か で あ え い で い た。 そ の 根 底 に は、 子 ど もの労 働 が 稼 ぎ 出 す わ ず か な給 料 で も手 放 せ な い家 庭 経 済 、 粗 悪 な食 物 で も得 られ る だ け ま しで あ る と い う劣 悪 な 生 活 状 況 が あ り、 子 ど もを 資 産 と見 な し、 そ の 労 働 に 頼 ら ざ る を え な い 極 度 の貧 困 が あ っ た。 幼 児 労 働 は、 雇 用 者 に と って は廉 価 で有 用 な労 働 力 で あ り、 貧 し い 労 働 者 家 庭 か ら成 人 と幼 児 労 働 の2っ を 引 き出 す た め に、 大 人 と子 ど も の 賃 金 を抑 え る こ とが 必 要 で あ った。 以 下 、 当 時 、 大 多 数 の 子 ど もが 置 か れ て い た過 酷 な 現 実 、 児 童 労 働 と これ を め ぐ る法 規 定 に っ い て 取 り上 げ る。 (1)児 童 労 働 者("童 工 「「) 農 村 地 帯 の 貧 しい 中、 雇 農 と都 市 の 下 層 民 が人 口 の大 多 数 を 占 め る 旧 中 国 で は、 多 くの 子 ど もに と って 、 生 き る こ とそ の も のが 生 存 を 得 る た め の 戦 場 に ほ か な らなか った。 貧 しい農 村 で は、 親 が生 き延 び るた め の方 途 と して 子 ど もが 売 られ た。 女 児 は童 養 姐 、 あ る い は娼 婦 や小 間 使 い、 男 児 は 徒 弟 や 鉱 夫 、 そ して 男 女 と も タバ コ、 紡 績 、 マ ッ チ、 電 球 な ど の 工 場 な ど、 彼 らが働 け る と ころ な ら、 ど こに で も売 られ た 。 旧 中 国 に は び こる児 童 労 働 の 多 さ に、 ア メ リカ 人 ジ ャ ー ナ リス トニ ム ・ウ エ ー ル ズ は、 「中 国 は児 童 の労 働 に依 存 す る国 だ 」、 「あ らゆ る階 級 の あ らゆ る親 が 子 ど もを 自 分 の た め に働 か せ る とい う、 古 い権 利 に執 着 を も って い る」、 「私 は、 中 国 人 民 の約 半 数 は児 童 労 働 に巣 食 う、 怠 惰 な寄 生 虫 で は な か ろ うか と考 え る と き が し ば し ば あ る」、 と 語 っ て い る(邦 訳 「人 民 中 国 の 夜 明 け』 1965)。(17)児童 労 働 の過 酷 な 現 実 に っ い て は、 フ ラ ンス人 作 家 ボ ー ヴ ォ ワー ル 、 社 会 学 者 オ ル カ ・ラ ング は じめ 多 くの 記 述 が 見 出 され る。(18)これ ら外 国 人 の著 述 に 引 用 さ れ、 旧 中 国 の児 童 労 働 状 況 に っ い て貴 重 な 資 料 を提 供 して い る の が 、1923年 上 海 工 部 局 か ら 「児 童 労 働 委 員 会 」 の委 員 に任 命 され 、 幼 児 労 働 の 状 況 を調 査 したM・ ア ン ダ ー ソ ンの 著 述(邦 訳 『支 那 労 働 視 察 記 』、1939年)で あ る。(19)これ に は、 解 放 前 の 中 国 社 会 の 幼 年 労 働 者 の悲 惨 な 状 況 が 驚 き と嘆 き を込 め て 記 さ れ て い る。 以 下 は、 こ れ らの 著 述 、 及 び 関 連 資 料 か ら抽 出 した 解 放 前 の 幼 児 労 働 の 概 況 で あ る。 な お 、

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児 童 労 働 の規 制 を め ぐる法 規 の一 部 は、 『成 践 法 学 』 次 号 掲 載 予 定 の 参 考 補 助 資 料(3)の 後 半 に 収 録 す る。 (2)児 童 労 働 の 状 況 幼 児 労 働 者 の 年 齢 は、 通 常 は10歳 ぐ らい で あ るが 、 早 けれ ば5、6歳 の 者 さ え も少 な くな か っ た。 労 働 時 間 は、 成 人 と 同 じ12時 間 か ら長 い場 合 は16∼18時 間 に ま で 達 した が、 給 料 は成 人 の 半 分 だ った 。 しか も、 農 村 な どか ら売 られ て き た場 合 は、 請 負 人 が3年 か ら5年 の住 み 込 み 賄 い っ き で 、 給 料 を 出 さ な い 契 約 が 交 わ さ れ 、 本 人 に は身 柄 を 自 由 に す る権 利 が ま っ た くな か っ た("包 身 工")。 請 負 人 は、 毎 月 工 場 か ら出 さ れ る 給 料 4∼5元 の う ち、1∼2元 を親 に支 払 うの み で、 本 人 は 無 月 給 で 、 年 季 が あ け て、 能 力 が あ れ ば給 料 を も らえ る よ う に な れ る仕 組 み で あ った 。 しか し、 劣 悪 な労 働 条 件 、 生 活 環 境 の な か で 、 健 康 な 成 人 に成 長 で き る か ど う か じた い が 不 確 実 で あ り、 将 来 に対 す る保 証 と は な り え な い の が 実 情 で あ った 。 労 働 が 激 しい 上 に、 しば しば 工 場 主 や 現 場 責 任 者 か ら虐 待 を受 け、 殴 り殺 され る者 す ら珍 し くな か った 。 一 部 の記 述 に は、 蒸 し風 呂 の よ う な製 糸 工 場 で 、18ミ リの 鉄 線 を 束 ね た ムチ を もっ 監 督 が12時 間 労 働 を す る幼 児 労 働 者 を 背 後 か ら打 っ と い っ た 光 景 が 見 られ た と の 記 録 も あ る。⑳ 子 ど も た ち が 働 く職 場 に は、 マ ッチ 、 電 球 、 ね じ、 紡 績 、 お も ち ゃ 工 場 、 洗 濯 屋 な ど が あ っ た。 紡 績 工 場 で は、 長 時 間 熱 湯 を 使 って 繭 を紡 ぎ、 指 や 目を 充 血 させ る子 ど も、 マ ッチ 工 場 で は無 防 備 に素 手 で 有 害 物 質 (リ ン)を 塗 り、 そ の手 で 物 を 食 べ る子 ど も な ど の 状 況 が 記 さ れ て い る。 過 剰 な 長 時 間 労 働 に加 え 、 休 日 は も ち ろ ん 休 息 時 間 す ら満 足 に と れ ぬ た め 、 疲 労 の た め 機 械 の上 に倒 れ こん で 足 を切 断 す る も の、 機 械 に巻 き込 ま れ て 死 亡 す る もの な ど、 過 労 に よ る労 働 災 害 も多 発 し、 工 場 内 に怪 我 や病 死 に い た る者 が 多 数 見 られ た とい う。(21)さら に、 鉱 山 に は、 大 人 に で き な い 極 端 に狭 い 坑 道 で の作 業 を 強 い られ る幼 年 鉱 夫 た ちが い た 。 労 働 は非 常 に過 酷 で、 た ち ま ち の う ち に生 育 を 阻 まれ 、 病 気 に な る者 が 多 か っ た とい う。 無 給 、 あ る い は薄 給(成 人 男 性 の ほ ぼ3分 の1)の 上 、 休 み 時 間 もな く長 時 間 続 け な け れ ば な らな い 激 し い過 酷 な 労 働 、 劣 悪 な労 働 、 生 活 環 境 、 飢 え や寒 さ、 虐 待 な ど、 ま さ に牛 馬 に等 しい 労 働 を 強 い られ て い た の が 、 中 国 の児 童 労 働 実 際 に は幼 児 労 働 で あ った 。 しか し、 どれ ほ ど過 酷 な 条 件 で あ って も、 ま た 低 額 の賃 金 、 残 飯 に等 しい よ うな 食 べ 物 で あ っ

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て も 口 に で き るだ け、 家 庭 に い る よ り ま しで あ った と い う。 生 存 に足 る だ けの 環 境 す ら得 られ な い こ う した児 童 労 働 者 が学 校 教 育 に無 縁 で あ った こ と は言 うま で も な い。 (3)児 童 労 働 規 定 ① 北 京 政 府 の 工 場 法 に み る児 童 労働 規 制 児 童 労 働 に関 す る規 制 は 国 際 的 に は19世 紀 半 ば に は じま り、1890年 の ベ ル リ ンで 、 英 米 仏 独 伊 ス イ ス、 デ ンマ ー ク、 ノ ル ウ エ ー な ど12力 国 が 参 加 した 国 際 会 議 で、 最 低 労 働 年 齢 の 共 通 認 識 を め ぐ る論 議 が 行 わ れ た。 残 念 なが ら、 決 議 と して の 一 致 を見 る こ と は で きな か った が 、 そ の後 の各 国 の幼 児 労 働 に対 す る法 規 策 定 に 大 き な 影 響 を 与 え た 。 さ ら に1921年 の ジ ュ ネ ー ブ会 議 で、 農 場 労 働 は学 齢 児 童 の 学 習 時 間 内 で の み 認 め る、18 歳 以 下 の 航 海 労 働 を 禁 止 す る、 農 場 、 工 場 労 働 で14歳 以 下 の 者 に は毎 晩 連 続10時 間以 上 の休 み を 与 え、18歳 以 下 の児 童 労 働 者 に も9時 間 以 上 の 休 息 を与 え るな どが 決 め られ た。 これ らの規 定 はあ くま で基 準 で あ り、 実 施 は各 国 の 自 由 裁 量 に付 され 、 批 准 時 期 の制 限 も な か っ た が 、1920年 代 前 半 に な っ て か ら は、 各 国 で 相 次 い で 相 応 の 対 応 が 見 られ る よ うに な っ た 。 北 京 政 府 も 「暫 行 工 廠 法 通 則 」(『成 践 法 学 』 次 号 掲 載 予 定 の 参 考 補 助 資 料(3)の 後 半 を参 照)を 公 布 し、 そ の な か で 男 子10歳 、 女 子12歳 未 満 の雇 用 を禁 止 し、 男 女18歳 未 満 を幼 年 工 と して、 軽 便 な 業 務 に 従 事 さ せ る こ と、8時 間 以 上 の労 働 、 夜 間 労 働 の禁 止 、 毎 月3日 間 の 休 息 、 有 害 物 質 か らの 保 護 規 定 、 毎 週 幼 年 工 及 び未 就 学 の 職 工 に対 して 雇 い主 が10 時 間 以 上 の補 習 教 育 を受 け させ 、 そ の 費 用 を負 担 す る こ とな どが 盛 り込 ま れ て い る。(適 応 工 場 は労 働 者100人 以 上 の工 場 と危 険 を伴 う あ る い は有 害 な 衛 生 環 境 を もっ 工 場 と され た)。(22)また、 同年 農 商 部 が交 付 した鉱 夫 待 遇 規 則 の 児 童 労 働 者 に 関 わ る条 項 に は、14歳 以 下 の 男 子 は鉱 夫 と して の 雇 用 を 禁 じ、12歳 以 上17歳 未 満 の幼 年 工 は 坑 外 の 軽 便 な労 働 に従 事 さ せ 、17歳 以 下 の 男 子 と18歳 以 下 の女 子 は毎 日8時 間 以 上 の労 働 を 禁 じ る こ と と して い る。(23)しか し、 他 国 の 場 合 に も見 られ る が、 これ らの 法 規 は、 実 際 に は ほ ぼ 机 上 の もの で あ り、 ほ とん ど実 効 性 は なか った の が 実 情 で あ る。 国 民 政 府 時 代 に成 立 した 「工 廠 法(草 案)」 で は、14歳 未 満 の 男 女 の 雇 用 禁 止 、 及 び14歳 以 上16歳 未 満 の 男 女 を幼 年 工 と して、 軽 便 な作 業 に の み従 事 で き る と規 定 して い る。 しか し、30年 代 の こ の 法 規 も ま た 実 質

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的 効 果 を 持 た な い 空 文 で あ り、10歳 前 後 の子 ど もが 各 地 の工 場 で 働 く姿 は一 般 的 に見 られ 、 一 部 の工 場 で は 相 変 わ らず6歳 未 満 の 子 ど も が 働 き、 鉱 山 機 械 な どの 重 労 働 に14歳 の 児 童 労 働 者 が 使 わ れ、 労 働 時 間 も12時 間 以 上 、14時 間 、16時 間 の状 況 が 続 い て い た 。 ② 上 海 租 界 地 区 の 労 働 規 定 M・Aア ン ダ ー ソ ンが 任 命 さ れ た 上 海 工 部 局 に よ る 「児 童 労 働 委 員 会 」 は、 上 海 租 界 に お け る幼 児 労 働 を 規 制 す る た め、1923年 よ り上 海 租 界 の 児 童 労 働 状 況 にっ い て 調 査 を 始 め 、 翌24年 の 報 告 書 提 出 ま で の 期 間 に大 が か りな 調 査 を 行 っ た。 そ して、 ①10歳 未 満(4ヵ 年 以 内 に12歳 に達 す る児 童 の 雇 用 禁 止 、 ②14歳 未 満 の 児 童 の1日12時 間 以 上 の 労 働 禁 止 、1 日1時 間 の休 憩 義 務 、 ③14歳 未 満 の 児 童 の14日 ご との24時 間 休 日、 ④ 14歳 未 満 の 児 童 の労 働 条 件(安 全 設 備 の な い機 械 、 危 険 な 場 所 、 健 康 上 有 害 の恐 れ の あ る任 務 の 禁 止)と い った 勧 告 要 項 を 取 り決 め た 。 規 定 の策 定 にお い て は 、 児 童 労 働 の 禁 止 が貧 困 家 庭 の収 入 を さ らに圧 迫 す る こ とに な る、 児 童 雇 用 は親 に対 す る慈 善 的事 項 で あ る とす る な ど の 見 解 が 見 られ た 。(24)実際 に 、 成 人 男 性 の3分 の1以 下 の 賃 金 は、 雇 用 者 側 に廉 価 で 有 用 な 労 働 力 で あ る と と もに、 どれ ほ ど 廉 価 で あ って も貧 困 家 庭 に と っ て は生 活 の た め に は 不 可 欠 な収 入 で あ った。 結 局 、 この 労 働 規 定 は 、 国 内 勢 力 の 反 対 、5.30事 件 の 影 響 で 、 実 現 す る に は い た らな か っ た。 しか し、 委 員 会 が 決 め た10歳 未 満 の 労 働 禁 止 令 は、 当 時 の 国 際 基 準14歳 を は るか に下 回 る もの で あ る。 数 え年 を と る 中 国 の 年 齢 法 か ら見 れ ば、 立 って い る こ と さえ お ぼ っ か な い よ うな 幼 児 、 嬰 児 が か ろ う じて 雇 用 対 象 に な らな か った にす ぎ な い。 労 働 禁 止 の対 象 に な った の は、 児 童 労 働 と い うよ り、 幼 児 労 働 で あ る。 中 国 に お け る成 人 の労 働 条 件 の劣 悪 さを 世 界 最 悪 と見 なす 記 述 は多 いが 、 幼 児 労 働 の状 況 は こ れ を さ らに上 回 る過 酷 さ で あ っ た。 状 況 か ら見 て 、 お そ ら く5歳 が 実 質 的 な労 働 可 能 年 齢 で あ っ た と推 察 され る。 な お 、 上 海 に 隣 接 す る江 蘇 省 に も上 海 の 租 界 と同様 の 児 童 労 働 規 定 を実 施 す る こ と を 求 め る交 渉 が 行 わ れ て い る。1度 は承 認 さ れ た も の の 、 こ ち ら も 戦 乱 に よ り実 施 さ れ る に は至 らな か った(『 成 践 法 学 』 次 号 掲 載 予 定 の参 考 補 助 資 料(3)の 後 半 を 参 照)。

参照

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