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ドイツで学んだこと

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Academic year: 2021

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目 次

■ はじめに 理事長 稲本 隆壽・・・・・・1 ■ 第 15 回青少年海外派遣事業に参加して 団 長 池田 洋助・・・・・・2 ■ 派遣団OG・プランナー・引率として臨んだ 10 日間 引率者 久保理恵子・・・・・・4 ■ 10 日間の反省 通 訳 ドレーン・アルント・・6 ■ 研修旅程 ・・・・・・9 ■ 第 15 回内子町青少年海外派遣事業派遣団員の記録 ① ドイツで学んだこと ② ドイツで学んだこと ③ ドイツ旅行 ④ ドイツの生活と人々のあたたかさ ⑤ ドイツでの生活の豊かさとコミュニケ ーション ⑥ ドイツ派遣を終えて ⑦ Dankeschön! ⑧ ドイツの学校生活 ⑨ ドイツでの生活 ⑩ 環境と人々の優しさのつながり ⑪ ローテンブルクでの生活 ⑫ ドイツに行って ■ 団員名簿 ■ 編集後記 小田高等学校1年 亀内 美希・・24 小 田 中 学 校3年 神岡 美咲・・26 五十崎中学校3年 中本 健太・・28 五十崎中学校3年 船田 真結・・30 五十崎中学校3年 吉岡 若菜・・32 内 子 中 学 校3年 上田 桃果・・34 内 子 中 学 校3年 田丸咲貴子・・36 内 子 中 学 校2年 大宇根千宏・・38 内 子 中 学 校2年 平松勇一郎・・40 内 子 中 学 校2年 畑野 史奈・・42 内 子 中 学 校2年 山本佳恵名・・44 内 子 中 学 校1年 武岡 志文・・46 ・・・・・・48 ・・・・・・49

第 15 回ローテンブルク市等訪問使節団報告書

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   お陰様で、本事業は今回で 15 回目を迎えました。まずはこの有益な事業が持続可 能なものであることに、衷心より感謝を申し上げます。若い世代から世界に目を向け、 異文化に触れることは、多少なりとも個々にとって何事にも変えられない貴重な経験 であろうと思います。国際感覚を持ち得る、力強い青少年を育成するため、本事業は 当協会にとって要の事業でもあります。特に、ローテンブルク市には本事業に対する ご理解、ご協力をいただいており、市長をはじめ幾度もホームステイを受け入れてく ださるご家庭や学校関係者、各研修場所での案内人等、滞在プログラムを企画・運営 してくださる関係者の皆様方に対して深く感謝しています。皆様の支えがあってこそ の事業であると改めて感じております。 派遣団員の対象は、中学 1 年から高校 3 年までの広き門としておりますが、今回は 中学 1 年から高校 1 年生の 12 名を派遣しました。10 日間という短い期間ではありま したが、彼らなりに言葉や文化の違いに戸惑いながらも、多くを学び取って帰国した ものと信じています。この報告書には、各人からの率直な驚きや発見が集約されてい ます。本事業が、団員自身のこれからの人生のステップアップのきっかけになれば幸 いですし、ご家族をはじめ、団員を取り巻く多くの方に波及され、意義あるものにな れたならば大変光栄です。 末筆になりますが、当協会は町民皆様からの基金で成り立っております。基金造成 にご協力いただいた関係者の皆様に感謝を申し上げます。当協会では、今後もより充 実した事業内容となるよう努める所存ですのでご理解・ご協力を改めてお願い申し上 げます。 財団法人内子町国際交流協会 理事長

稲 本 隆 壽

はじめに

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   第15回青少年海外派遣団 団 長

池 田 洋 助

このたびの内子町青少年海外派遣ドイツ・ローテンブルグ市訪問団の団長として選 任をいただき、10 日間の派遣事業に参加することができました。(財)内子町国際交 流協会ならびに内子町に対しまして心からの感謝を申し上げたいと存じます。 この事業を通して一番うれしく思ったのは、言うまでもなく 12 名の生徒たちが事故 や怪我もなく無事に帰ってこられたことであり、また個人的には 19 年ぶりのローテン ブルク訪問と元国際交流員のスフェン・マイゼと再会をしたことでありました。途中 若干の事件等はありましたが、全員元気で内子に帰れたときは緊張が途切れたのか、 あるいは次の日からの貯まった仕事のせいか寂しい気にもなりました。 さて、今回のローテンブルクでの 5 泊 6 日の滞在は、初めて体験する冬のヨーロッ パというのか外は非常に寒く、昼短く日没も 5 時ぐらいで寒さの中の一足早い幻想的 ならライトアップされたクリスマスツリー風景があちらこちらで見ることができまし た。 ドイツでは、クリスマス前の 4 週間はアドヴェント(待降節)と呼ばれ、クリスマ スのイベントがスタートします。そのイベントの中心ともいえるのがクリスマスマー ケットで、ツリーのデコレーションやクリスマスグッツ、ソーセージやグリューワイ ンを売る出店立ち並び、マーケット会場には美しいイルミネーションが光り輝き、ロ マンティックな雰囲気を感じることができました。実際、12 月はどの家庭にとっても 「盆と正月がいっぺんに来た」という感じのようで、忙しい期間中よく内子からの訪 問に協力していただいたことに深く感謝をいたしました。 また、今回取り入れた環境学習では「地球温暖化対策」の施設見学を行い、バイオマ スエネルギーと太陽光エネルギーについて子供たちとともに学習することができまし た。特にローテンブルグの 1 つの下水処理場では家庭排水を浄化するばかりでなく、 汚泥からメタンガスを抽出して、発電効果と発熱(家庭用暖房)効果を生み出してい ました。設備投資額も 14 億円というから経済的であり、内子町の取り組みについて研 究する課題となりました。太陽光発電は広い農場でシャープ製のソーラーパネルが設 置され、その下を羊が走っていたのは印象的でした。農場主は「農業より発電と売電

第 15 回青少年海外派遣事業に参加して

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   じゃ」と言わんばかりで説明をされていました。 ローテンブルク最後の夜、市主催の交流会ではハルテル市長の真向かいでローテン ブルグの現状についていろいろお尋ねすることもできました。2000 年をピークに観光 客が減少していることや世界的な経済危機のこと、4 月の内子町訪問のことなど英語 がお上手でよく理解することができました。そして、今回の子供たちの出し物につい ては重ねての賛辞いただき、それぞれのホストファミリーともわきわいわいと楽しく 過ごすことができと思います。4 月の内子訪問誰と再会できるかわかりませんが、内 子を楽しんでもらえるようみんなで盛り上げたいと思います。 最後に、(財)内子町国際交流協会の理事として子供たちとともに経験できたのは大変 意義深く、これからの国際交流に対する新たな視点や価値観を見出せるのかなと感じ ております。改めて協会の活動がどうあるべきかと、いう点についても今後検討しな がら、「世界に開かれた内子町、世界に羽ばたける内子人」を築き、育てていくか考え たいと思います。

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   第15回青少年海外派遣団 引率者

久 保 理 恵 子

12 月 7 日、午前 5 時 10 分。スーツケースに荷物、そして 「引率」という大役を担う責任を詰め込み、集合場所である 内子分庁に到着しました。そこへ、この日を楽しみに待って いた派遣メンバーたちがちょっぴり緊張した顔で次々に集ま る姿を見て、私は 14 年前の自分を思い出していました。私は第 2 回青少年海外派遣事 業の OG なのです。また、7 年前から国際交流協会プランナーをしていることもあり、 この事業には特別な思いがありました。その事業に今回は引率として関わる事ができ、 大変感謝しています。 引率として、団員全員が安心して学んだり楽しんだりできるようサポートすること、 また全員が元気に全日程を終えることが私の役割だと思い 10 日間過ごしてきました ので、全員無事に内子へ帰る事ができて今は本当にホッとしています。 団員のみんなは、数回行われた事前研修でドイツ語やホームステイでの心構え、内 子とローテンブルクの関わり、ベルリンの壁の歴史などを学び、また交流会での出し 物である南中ソーランの踊りを一生懸命練習してこの 10 日間に臨みました。事前研修 でのおとなしい姿に少し心配したこともありましたが、会を重ねるごとに少しずつ打 ち解け、現地では、メンバー同士が助け合い、一つのチームとして研修に取り組むこ とができました。 ローテンブルク市に着いた日、ホストファミリーとの対面の際に期待と不安で緊張 しながらも、覚えたドイツ語で一生懸命挨拶や自己紹介をする姿、学校訪問で体育の 授業に参加し、サッカーやバスケットを通じて体全体で生き生きと国際交流をする姿、 下水処理場や太陽光パネル・バイオガス農場の見学で熱心に質問したりメモをする姿、 交流会で南中ソーランを堂々と踊る姿など、団員の頼もしい姿に引率として誇らしい 気持ちになると共に、このメンバーでこの事業に参加できて良かったと感じました。 ローテンブルク市に滞在中、私たちはホームステイをしました。最初は少し不安も あったようですが、帰る日には「もっとここに居たい」「何年後かは分からないけれど、 また必ずホストファミリーのところに遊びに来たい」という思いが強い団員がたくさ

派遣団OG・プランナー・引率者として臨んだ 10 日間

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   んいました。その言葉を聞くたびに、14 年前の自分を見ているようでとても懐かしく、 また嬉しい気持ちになりました。団員のみなさん、ぜひまたローテンブルク市に訪れ てください。そして、ホストファミリーとのつながりを大事にしてくださいね。 ドイツの首都である第 2 訪問地のベルリンでは、今年がベルリンの壁崩壊から 20 年という記念の年であることから、旧東ドイツや壁崩壊に関わる歴史について学びま した。イーストサイドギャラリーや DDR(旧東ドイツ)博物館、ブランデンブルク 門、壁博物館など実際に見たり触れたりすることで歴史を肌で感じることができまし た。特に印象的だったのは、DDR 博物館に展示されている旧東ドイツ時代の家を再 現した部屋の中で、実際にリビングのソファーに座ったりしながら旧東ドイツ出身の ドレーンさんの体験談を聞いたことでした。買えるものが制限されていたためどの家 のリビングもつくりや家具はほとんど同じだったこと、自動車は紙からできているも のを買うことができるが、注文してから 10 年以上かかることや、ドイツが統一されて から初めてキウイフルーツを食べた時のことなど、どの話もとても興味深いものでし た。ドレーンさんの話を聞き、また展示物を見たり触ったりして、旧東ドイツの生活 を想像することができました。実際に現地で、物に触れたり目で見たり、体験談を聞 くことは本当に貴重であり、私を含め団員全員にとって印象深い体験となりました。 今回、この事業に参加させていただいたことで、この事業がたくさんの人に支えら れて続いているということを再認識しました。国際交流協会スタッフはもちろん、ロ ーテンブルク市のハルテル市長や担当のグレーナさん、ケンプターさんほか、携わっ ていただいたすべての方々に深く感謝しています。 この経験を、これからのプランナー活動に生かし、これまで以上に協会へ恩返しを していきたいと思っています。

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  第15回青少年海外派遣団 通訳

ドレーン・アルント

今回の海外派遣は私にとって 4 回目でしたし、訪問プロ グラムの流れや内容などに慣れているはずですが、何回も ドイツへ行っていても緊張と不安が残ります。「無事にロー テンブルクに着ける?」「通訳は足りる?」「準備が十分で きた?」という心配が毎回山ほどあります。だから、こうしてみんなさんと一緒に無 事にドイツへ行って帰ってきて、プログラムもスムーズに実現ができて大変うれしい です。 今回は、海外派遣のテーマは特に決まっていませんでしたが、せっかくドイツへ行 くので、ドイツでの環境対策に関わる見学が多く取り入れてありました。「環境の一日」 というプログラムの 4 日目は、通訳をする私にとって大変でした。午前中に下水処理 場もソーラーパネルの施設もバイオガス施設も訪問して、見学しました。正直に言う と、半日で 3 ヶ所の通訳は限界でした。行く前に内容も専門用語も調べて、心の準備 もして、当日も一生懸命頑張ったのに、この時の通訳は私にとってあまり上手くいか なかったと思います。時々案内人は何を言ったか全然分からないこともありましたが、 案内人にお願いして、丁寧に分かりやすく説明してもらったので、そのことが目に浮 かぶように理解できる時もありました。みなさん、バイオガス施設に行ったときの案 内人の説明を覚えていますか?あの時案内人は、難しいバイオガスについての説明を、 泥の中に住んでいるバイ菌がおならをして、おならと共に出てくるガスが何かに使わ れる、という分かりやすくて想像しやすい例え話を使って説明してくれました。その おならとの比較は、通訳をする私にとって、本当に助かりましたし、一生忘れられな いと思います。通訳が上手にできなくて、もしまだ不明なところがあったら、本当に すみませんでした。 ローテンブルクで過ごした 6 日間のプログラムは、私を含めた内子の担当者とグレ ーナさんたちローテンブルクの担当者がいろいろと相談して、知恵を出し合って決め ました。今回はバランスの面を考えると、研修は結構ハードなスケジュールだったと 思いますが、一方で、みんなさんのためにできるだけたくさんの自由時間を作りたか

10日間の反省

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   ったです。それは成功だったのか失敗だったのかどうかは派遣メンバーしか答えるこ とができません。 ローテンブルクの担当者、ホストファミリー、訪問プログラムの関係者や市長さん に「今年の青少年はドイツ語をよく頑張っているね。発音はきれいですよ。」と毎日毎 日言われました。みなさんは実際に学んだドイツ語を使うことができましたね。朝集 合したときには Guten Morgen! と、お礼を言ったときには Dankeschön! と、夜解 散したときには Tschüss! と、ちゃんとドイツ語で言いましたね。それを聞いていた ドイツ人には、みなさんのことを何回もほめられたし、いろいろな人に驚かれたので、 私はそのことをとっても誇りに思っています。事前準備のミニドイツ語会話は大成功 だと思います。 ドイツ語能力だけではなく、みなさんのマナーも良かったです。いつも礼儀正しく て、笑顔で話を聞いてくれましたが、ちょっとおとなしかったですね。みなさんの反 応はとってもうすかったと思います。何か聞いた時や何か決めたい時も、みなさんは 非常に静かで、黙っていて、自分の意見や考えなどをあまり教えてくれませんでした。 私はよく迷っていました。みなさんはちゃんと話を聞いたのかな?私の日本語がちゃ んと通じたかな?みんな興味がないかな?みんなつまらないかな?という心配がよく ありました。反応がないと、判断ができませんので、これからは勇気を出して、大声 で答えてほしいです。 高校の体育の授業への参加とソーラン節の披露は大大大成功でした。体育の授業で ドイツ人の生徒と一緒にバスケットボールをしました。特に女の子たちのバスケの能 力は高かったので、先生たちが順番で私のところへ来て「すごい!上手!信じられな い!学校全員が内子の子のプレーを見てほしい!」と言ってくれました。耳が痛くな るほどほめられました。本当に素晴らしかったと思います。そして、ソーラン節も非 常に上手くいったと思います。踊ってから、いろいろな人に声をかけられて、これ何 の踊りですか?本当に踊りですか?体操じゃないですか?もっとたくさん見たい!と 聞かれました。みなさんは本当に一生懸命踊ったので、素敵な披露になりました。 ベルリンにも行きましたが、みなさんがベルリンで学んだドイツの歴史を忘れない でいてほしいです。ドイツの分割と統一、旧東ドイツの様子や社会主義についてなど、 上手に伝わったかどうか、みなさんは本当に分かったかどうか分かりませんが、一応 ドイツはこんな歴史を持っているという意識を頭に入れていてほしいです。 最後にみんなさんに伝えたいのは、この海外派遣は人生の中で貴重で一生に一度し かない経験ですから、忘れないで、永遠に記憶に残してください。この経験は誰にで

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  もできる当然のことではありません。内子町やローテンブルクのたくさんの人の協力 のおかげであることを忘れないでください。 内子町とローテンブルク市でお世話になったみな様に心から感謝を申し上げたい と思います。第 15 回青少年海外派遣メンバーと理恵子さんと池田さん、10 日間どう もお世話になりました。ありがとうございました。Dankeschön!

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研修旅程

第15回青少年海外派遣事業旅程表

月 日 スケジュール 12/7(月) 05:40 内子分庁発 07:35 松山空港発→08:50 羽田空港着 13:20 成田空港発(LH715)→17:45 ミュンヘン着 22:30 頃 ローテンブルク市着 (ホームステイ) 12/8(火) 市内観光、聖ヤコブ教会見学 市長表敬訪問、犯罪博物館見学 (ホームステイ) 12/9(水) 学校訪問(授業参加) クリスマスクッキー作り体験、クリスマス博物館見学 ちょうちん行列に参加 (ホームステイ) 12/10(木) 下水処理場見学 ソーラーパネル見学、バイオガス施設見学 (ホームステイ) 12/11(金) ジンスハイム技術博物館 ハイデルベルクのクリスマスマーケット見学 (ホームステイ) 12/12(土) ホストファミリーと一日過ごす お別れ会(出し物披露) (ホームステイ) 12/13(日) 08:45 ローテンブルク市発→14:21 ベルリン着 国会議事堂見学 (ホテル泊) 12/14(月) ベルリン市内研修 (DDR 博物館、フンボルト大学、ブランデンブルク門、 壁博物館、イーストサイドギャラリー 他) (ホテル泊) 12/15(火) ベルリンの地下鉄体験 13:05 ミュンヘン発 (機内泊) 12/16(水) 11:25 成田空港着 17:30 羽田空港発(NH595)→19:00 松山空港着 松山空港発→(バスにて内子へ)→20:45 内子着

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Á ÂÃ Á

ドイツで学んだこと

小田高等学校1年

亀 内 美 希

私の研修テーマは、ドイツで行われているエコ活動を学ん でくることでした。 まず私たちが見学したのはローテンブルクの下水処理場です。この施設で処理され た水は川に流されるので、とても水質検査が厳しいそうです。またこの施設では、下 水処理だけでなく、そこに集まった泥からガスが、そのガスから熱や電気も作られて いるそうです。全て利用されていてムダがないのですごいと思います。 次に太陽光発電のソーラーパネルが設置されているところへ行きました。もちろん 日本にもありますが、私たちが見学させていただいたところは、広大な敷地にたくさ んのソーラーパネルを個人が設置し、管理しているところでした。このソーラーパネ ルを設置された方は「役に立ちたい」という気持ちから、この太陽光発電を始めたそ うです。「役に立ちたい」と思うだけでなく、その思いを実際に行動に移せる行動力が すごいなと思いました。 またバクテリアを使ってガスを作るバイオガスについても学びました。温度の管理 や、1時間に2回のかき混ぜなど細かいところまで気を配らなくてはいけないようで、 とても大変そうでした。 しかし、ただ一つ残念だったのは、ローテンブルクの街中にタバコの吸殻が捨てら れていたことです。ローテンブルクの街並みは本当にきれいで、また歴史ある建物が たくさんあります。そんなきれいな街並みに、このようなことがあるのは本当に残念 に思います。しかし、私もその吸殻を拾うことができなかったことを今後悔していま す。 全体的にドイツは日本よりエコへの意識は高いように感じましたが、マナーを守っ ていない人たちが全体値を下げているように私は感じました。きれいな街並みを保つ ためには現地の方々だけではなく、観光者など訪れた人みんなの協力が必要だと私は 思います。 私がドイツで出会った方は、みなさんとても良い人ばかりでした。まず、行ってか

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÂÄ Á らローテンブルクを離れるまでの一週間、毎日おいしいご飯を作ってくれ、また細か いところまで気を使ってくれたホストファミリーのデーラさんご夫妻。お二人のおか げで、寂しいと感じることは一度もありませんでした。また途中立ち寄った本屋さん では、探していた物が見つからなかったとき、店員さんが声をかけてくれ、商品を出 してくれました。片言で単語をつなげたような英語だったのかもしれないけど、本当 に良い経験ができました。 こんなにも良い人、また良い経験をさせていただけたことに感謝したいです。そし て、またどんな形でもドイツとずっと関わりを持ち続けられたら良いなと思います。 お世話になったローテンブルク、ホストファミリーの皆さんにも何か恩返しができた らいいなと思います。

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Á ÂÅ Á

ドイツで学んだこと

小田中学校3年

神 岡 美 咲

私は今回の研修で、ドイツの環境に配慮された多くの取 り組みについて知ることができました。その中でも特に気 になったのが、太陽光発電です。太陽の光をエネルギーと し、二酸化炭素を排出することなく発電できるのがこの方法の良いところです。環境 にとても優しいため、今世界中で注目されるようになってきました。 その中でもドイツは、太陽光発電量が現在世界一の国です。私がホームステイさせ ていただいた家には、屋根にソーラーパネルが取り付けられていました。また、見学 しに行った農家には、広い土地を覆うようにたくさんのパネルが設置してありました。 街でも、多くの家の屋根に取り付けられているのを見かけました。このように多くの 人たちが個人でパネルを買って発電をしています。その訳は、国が資金の補助をして くれること、発電した電気の買い取り制度ができたことなどがあり、国民がパネルを 買いやすくなっているからです。国の補助のおかげでだんだんと安く買えるようにな ってきているので、さらに普及が進んでいるようです。 農家の方が太陽光発電を始めた理由は、「環境のために役立つ、良いことをしたい」 という思いがあったからだと話されていました。また、近年農家の高齢化が進んでい て、仕事をすることが以前よりも大変になり、苦労されているお年寄りの方が増えて いるようです。しかしその方たちもこの発電をすることで、仕事ができないときでも、 体に負担をかけることなく副収入として生活のためのお金を手に入れることができま す。これも太陽光発電を始められた理由の一つだと思います。 また、その農家で使用されているパネルは日本製だということを聞いて驚きました。 日本は良いパネルを作る技術を持っているのに、設置しているところはドイツに比べ て少ないです。これはとてももったいないことだと感じました。限りある自然のエネ ルギーを無駄なく利用することは、今問題とされている地球温暖化の解決に必ずつな がっていると思います。この体験を通して、日本はドイツを見習って、まずは私たち 国民の環境に対する意識をもっと高めていくべきなのだということを強く感じとるこ

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÂÆ Á とができました。 さて、ホームステイのほうは、私はローテンブルク市内から数キロ離れたところに あるリタロ家にお邪魔してきました。奥さんは日本人、旦那さんはイタリア人で、二 人の娘さんがいる明るく元気な家庭です。夫婦それぞれの出身国が違うから、家の中 ではドイツ語、イタリア語、日本語の三ヶ国語での会話が飛び交っていたのでびっく りしました。さらに、娘さんたちもその三ヶ国語を話すことができ、学校では英語や その他の言語も勉強しているそうです。私と歳は同じなのに、もう既にこんなにもた くさんの言語を使いこなせているということにまず驚き、それから二人に対する尊敬 の気持ちを持ちました。また、「習うより、慣れることが大事」とホストファミリーの お母さんに教えてもらいました。日本は島国だということもあって、他の国との密接 な関わりがありません。だから私の中では、外国の人と関わるということは慣れない ことだ、難しい、と思い込んでいる部分が心のどこかにあったと思います。でも、今 回の研修でたくさんのことを学び、外国の人と関わる、話をするということはとても 楽しく、おもしろいことなんだと知り、自分の考えを変えることができました。10 日 間、初めてのことの連続でとても充実していたと思います。そして一つ、英語だけで ももっと勉強して、いつかまたタリロ家の皆さんと再会した時には、英語でおしゃべ りしたいという夢ができました。

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Á ÂÇ Á

ドイツ旅行

五十崎中学校3年

中 本 健 太

僕の研修テーマは、ドイツのことについて知ることでし た。ドイツのことについてびっくりしたことやすごいなあ と思ったことなどいろいろあります。 まず飛行機に乗って約 12 時間かけてドイツに行きまし た。飛行機でのご飯は初めてでした。飛行機には、たくさんの人が乗っているのに全 員の分があってすごいなあと思いました。 そしてドイツに着きました。待ち合わせのホテルで初めてホストファミリーの方と 会いました。僕を泊めてくださった方は、おじいさんとおばあさんで、子供はいませ んでした。僕は一人だったからとても不安でした。でもホストファミリーの方は僕が 分かるように話してくれました。毎回ご飯を作ってくれて、集合場所まで連れて行っ てくれました。だから全然心配することなどありませんでした。ホストファミリーの 方に集合場所まで連れて行ってもらうと、そこからはローテンブルクを観光したり、 博物館を見学したり、市長を訪問したりしました。ローテンブルクには馬が普通に道 路を歩いていてびっくりしました。 高校に行った時もびっくりしたことがあります。それは高校なのに小学生や中学生 がいたことです。そして服が自由だったことです。日本では考えられないと思いまし た。 ちょうちん行列ではみんながちょうちんを上に上げて暗い中オレンジに光ってとて もきれいでした。 環境を勉強する一日は下水処理場を見学したりしました。下水処理場の話は難しか ったけど、分かったことがあります。それはこの施設がないと大変になるということ です。それとヨーロッパの中でもドイツの水道水は、一番きれいだということです。 日本の水もきれいだけどドイツもきれいなんだなあと分かりました。ソーラーパネル も見学しました。ソーラーパネルは全て日本製だと聞いて、すごいなあと思いました。 ソーラーパネルは傾きや方向を考えていることが分かりました。

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÂÈ Á ホストファミリーと一日過ごす日は、ホストファミリーの友達二人とローテンブル クを散歩しました。お菓子を買って帰ってみんなで話をしながら食べました。楽しか ったです。ホストファミリーと過ごす日はこれが最後の日でした。お別れをする時に 僕は日本語で「ありがとう」と言われました。とても悲しくなりました。僕は一生こ の言葉のことを忘れません。 ローテンブルクでホストファミリーと別れて、ベルリンに行きました。ベルリンで は大学を見たり、壁を見ました。大学は有名なところで日本人も多くいると分かりま した。ドレーンさんもこの大学を出ていてすごいなあと思いました。ベルリンの壁は とてもいろいろな絵が描かれていてすごかったです。その中に、日本の絵もあってう れしかったです。 僕はドイツに行って本当に良かったです。すごい経験をすることができました。日 本に帰る時、ドイツを離れるのがさみしかったです。ドイツはとてもきれいなところ で思い出がたくさんできました。またいつかお金をためてドイツへ行きたいです。そ してホストファミリーの方に会いたいです。

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Á ÉÊ Á

ドイツの生活と人々のあたたかさ

五十崎中学校3年

船 田 真 結

私は、この十日間とても素晴らしい時間を過ごすことが できました。 私が学んだことは、ドイツでの日常生活です。私のホームステイした所の家族は、 お母さんが日本人、お父さんがイタリア人でした。初めはすごく緊張しましたが、お 父さんの「コンバンワ」という優しい言葉。お母さん、カティちゃん、ノエちゃんと 日本語が通じるという安心感。私はすぐに慣れることができました。 この海外派遣では、一日一日することを決め、夜はホストファミリーが迎えてくれ ました。ドイツでの毎日は、新鮮でいつもワクワクしました。そんな楽しい毎日の中 で特に心に残ったのが、ホストファミリーとのふれあいです。家に帰るときに「今日 は何したの?」と声をかけてくれました。夜になると「一緒に遊ぼう」と言って Wii をしたり、トランプをしたりしました。日本の遊びの、坊主めくりや花札を知ってい たことに驚きました。 ある日の晩ご飯、お父さんがトマトパスタを作ってくれました。実は私はトマトが 苦手でした。しかし、お父さんの作ったパスタはすごくおいしくて、全て食べました。 食べれて嬉しかったです。他にはパンの上にチーズをとろかせたものを食べたりもし ました。また、ドイツの食事には炭酸水があるのですごいなと思いました。そしてド イツではウインナーが有名なのでよく出ました。ガチョウの肉も食べましたが、クリ スマスに食べるそうです。日本の食事とは全然違うなと思いました。 そして私が、ホームステイの家族から教えてもらったことはたくさんあります。 1つ目は、「学校」についてです。ちょっとした軽食をもって行って、休憩時間に 食べること。午前中に学校が終わることが多いこと。ドイツでは学校のことが法律で 堅く決まっていること。日本のような制服ではなく私服ということ。いろいろなこと を知る度に、驚きとワクワクした気持ちになりました。

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÉË Á 2つ目は「言葉」です。ドイツにも方言があると聞き、びっくりしました。そして ドイツでは、何カ国語も喋れる人がたくさんいるそうです。ドイツは環境でもそうで すが、いろいろな事に対して先進国だなと思いました。 その他にも、ローテンブルク市では外国人は、日本人が1番多く住んでいることを 教えてもらいました。クリスマスが近かったので、色々なところにクリスマスツリー があり、ちょうちん行列も見ることができました。クリスマスの日までカウントダウ ンをしたりするそうです。毎日が新しいことを知れる、楽しい日々でした。 ドイツの人々は初めて知り合った人でも気軽に、温かく抱きしめてくれる心の優し い人たちばかりでした。本当にドイツに行ってよかったです。日本を離れて、世界と いう大きい存在に触れることができ、一生の思い出になりました。同時に、日本の良 さも知ることができました。また大人になって行く機会があれば、ホームステイ先の 家族みんなと会いたいです。

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Á ÉÂ Á

ドイツでの生活の豊かさと

コミュニケーション

五十崎中学校3年

吉 岡 若 菜

海外派遣の約一週間前、ホストファミリーの中村さん から葉書が届きました。事前研修会で、宿泊先の住所と 家族構成が分かり、翌日葉書を出したら、その返事が来たのです。葉書は英語だった けれど、四人家族でお父さんが日本出身で若菜に会うことを楽しみにしています、と いうことが書いてあり本当に安心しました。コミュニケーションは、言葉がすべてだ と思っていたからです。そして、希望していた海外派遣のメンバーになれはしたもの の、言葉以外にも心配なこともたくさんあったからです。 葉書が届いてからは中村さん一家のことで頭がいっぱいになり、持参するアルバム などの準備で、あっという間に出発になっていました。 ローテンブルグは、とてもきれいでテーマパークのような古い街並みでした。道路 は石畳で馬車が走っていて、建物を見ても交通手段を見ても、そこにあるものを大切 に使い続ける環境に優しい国だということがわかりました。中村家もその古い建物の ひとつにありました。内装はきれいに整えられていて、大切に使われていました。そ して、家の中は物が少なく、本当に必要なものだけで生活していました。私には、「物 質的に恵まれていれば豊かな生活をしている」というような感覚があります。でも、 中村家では、精神的にもゆとりのある生活が「豊かさ」であるということがわかりま した。近所の知り合いの方のお誕生会に家族全員で出かけたり、お母さんのアントニ アさんが大きなサーモン一匹を丸ごと料理してみんなでゆっくりいただいたり、とて も充実した楽しい時間でした。 ドイツの学校は、授業時間も少なく、制服もなく髪形などおしゃれも自由です。学 校はお昼すぎに終わります。午後は、中村家の八歳のナミちゃんはバイオリン教室に 行っていました。同級生のヒデちゃんは、フルートを習っています。学校での部活動 ではなくて、自分がやってみたいことをする時間が十分ありました。私は、自由でい

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÉÉ Á いなと思いましたが、二人の様子を見ていると、楽なようにも見えるけどすべて個人 に任されている、ということがわかり、そこに生活している人たちの責任の重さを感 じました。 中村家の方は、ドイツ語・英語・日本語が話せます。私は着いた日に、練習してい ったドイツ語で自己紹介をしました。発音は自信がないし、緊張していたからきっと めちゃくちゃなドイツ語だったと思います。でも、中村家の方は、とても喜んでくだ さいました。上手でなくても、一生懸命伝えようとする気持ちが大切なんだと思いま した。そしてその後、一緒にトランプをしたり、クリスマスの街を歩いたりしている と、言葉が十分通じなくても、コミュニケーションは取れるようになりました。共通 した言葉を話すことができても、表情やしぐさによって、相手は全く違う受け取り方 をします。逆に、共通した言葉に頼らなくても、自分のできる範囲で気持ちは通じる ということがわかりました。私は、春からは高校生になり、今までとは違う人間関係 を作っていかなくてはなりません。ドイツで学んだ「気持ちの豊かさとつながり」を 第一に生活していきたいと思います。 中村家とは、帰った後もメールや葉書で交流が続いています。距離はあっても、心 がつながっているように思います。派遣事業に参加しなかったら、知り合うことので きなかった人たちです。ずっと大切にしたいと思います。そして、この貴重な機会を 与えてくださった町の方々や、引率の方々に感謝します。ありがとうございました。

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Á ÉÃ Á

ドイツ派遣を終えて

内子中学校3年

上 田 桃 果

私は今回の青少年海外派遣事業に参加することがで きて本当に良かったなあと思っています。たくさん勉 強もでき、ローテンブルクやドイツの文化を自分自身で学ぶことができました。そし て楽しい毎日を過ごすことができました。 特に思い出に残っていることは、やっぱりホームステイです。英語は好きですが、 ホームステイ先の人とちゃんと話せるか・・・とか、相手の英語を理解できるか・・・ などたくさん不安がありました。しかし、ホームステイさせてもらったデーラさん一 家はとてもとても親切で優しい二人でした。最初の一日目は緊張してあまり話すこと ができませんでしたが、二日目からは徐々に会話が増えていきました。ドイツではク リスマスは日本以上に大きなイベントであることが分かりました。日本にはない、ク リスマス(12 月 24 日)までのカレンダーや、クリスマスまでの 4 回の日曜日に火を つけるろうそくなど、初めて知るものがたくさんありました。一日ずっとデーラさん と過ごした日は本当に楽しかったです。午前中は一緒に買い物へ行きました。日本で も聞いていたとおり、スーパーマーケットでレジ袋はもらえませんでした。本当にエ コな国だなあと改めて実感することができました。午後からは一緒にワッフルを作っ て食べました。とてもおいしかったです。親戚の子とも遊ぶことができて楽しい思い 出ばかりできました。英語はきちんとはしゃべれなかったけど、理解してもらうこと ができました。私はもっとリスニングを勉強しないといけないなあと痛感しました。 ホームステイの人たちと別れる日は本当に悲しかったです。でもいつかまた、絶対ロ ーテンブルクを訪れようと思いました。 ローテンブルクは人も町もとても良いところでした。ローテンブルクの町並みは内 子町の町並みとはまったく違いました。オレンジの屋根にレンガの細道。日本の家の 造りとはイメージも全く違いました。市庁舎から見たローテンブルクはとても素敵で した。マルクと広場のクリスマスマーケットもたくさんのグッズが売っていてかわい いものばかりでした。写真などで見るより、自分の目で直接見た方が何十倍も何百倍

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÉÄ Á も良いところです。市長さんもとても良い方でした。 そして、今年はベルリンにも行けました。“ベルリンの壁 20 周年記念研修”という ことで、DDR博物館を見学したり、壁博物館を見学したり、ベルリンの壁について も詳しく学ぶことができました。特に壁博物館では、当時の人々のさまざまな場面で の写真などたくさんのものが展示されていました。その中にはショックを受ける写真 が何枚もありました。あらためて、平和の大切さを実感しました。 私は今回の第 15 回青少年海外派遣で数え切れないほどたくさんのことを経験し、学 び、楽しむことができました。今後それを思い出だけにするのではなく、社会の役に 立てられるようにしていきたいと思います。本当にためになった十日間でした。

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Á ÉÅ Á

Dankeschön!

内子中学校3年

田 丸 咲貴子

私は、ドイツに行って本当に多くのことを学び、私の中 で貴重な体験ができたと思います。そしてローテンブルク に行ってこの目で見たかった古い建物は、想像を超えた、 本当に素晴らしい建物ばかりでした。市庁舎の上に上ったとき見た景色は、絶対に忘 れません。雪が降っていなかったので、オレンジ色の屋根が見え、風がとても吹いて いて、空には一瞬でしたが虹が見えました。こんなにすごい景色は、生まれて初めて 見たと思います。そして、ローテンブルクのお店には必ずついている、日本でいう看 板みたいなものが私は気に入りました。どこのお店も全部違う形で、同じものは一つ もなくて、キラキラしていてきれいでした。内子とローテンブルクでは、全く違う文 化や習慣もあるけど、どちらも古い建物とかを大事にしていて素敵な町だと思いまし た。 そして、ベルリンの壁が崩壊して、二十周年という記念の年に、ここに来られたこ とはとてもよかったです。ドイツの歴史に少しでも触れた気がしました。そしてもっ と知りたいと思いました。 私が一番楽しみにしていたこと、そして不安であったことは、ホームステイです。 ホストファミリーに会うまではとても緊張し、言葉も通じるかどうか心配でした。で も家に行ってからは、そんな不安はなくなりました。ドイツ語と英語で、色んなこと を教えてくれました。まず始めは、家についてです。何もかも私のために用意してく れていて、「私達は家族よ。」と言ってもらい、本当にうれしかったです。朝食も夕食 もとってもおいしかったです。そして何より、家族のみんながたくさん話しかけてく れ、向こうも慣れない英語を使い、私はもっと下手な英語を使い、チグハグな感じで したが、それがまたおもしろくて、みんなずっと笑っていた気がします。本当に楽し い時間でした。そして私が一番困ったことは、家に洗濯機がなかったことです。普段 は一週間分くらいためて、コインランドリーに行くと言っていたので驚きました。そ のことで、私は毎日洗濯するものだと思っていたので、なかなか言葉が通じず、お母

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÉÆ Á さんと二人で辞書や片言の英語、身振り手振りで会話をしました。時計を見ると一時 間以上話していて・・・。ここでも私達との習慣の違いがあるのだなあと思いました。 でも、これも楽しかった思い出です。他にもこの作文には書ききれないくらいたくさ んの楽しい出来事がありました。最後の夜、家族のみんなでした UNO も楽しかったで す。みんな本当に仲良くて、冗談で色んなことを言ったり、面白いことをしたり、私 も本当に楽しかったです。あの時に戻りたい、と何度も思います。別れる時は本当に 寂しくて、ずっとここにいたいと思いました。お母さんは、「またいつか必ず来てね。」 と言ってくれました。この六日間、こんな私のために良くしてくれて本当に感謝の気 持ちでいっぱいです。私はいつかもっと英語力を身につけて、また、この家を訪れた いと思っています。 今回ドイツに行き、最高のホストファミリーに出会えたこと、それは私の一生の宝 物になると思います。そして、ローテンブルクやベルリンという町は、私に色々なこ とを教えてくれ、感動を与えてくれました。一緒に行ったメンバーのみんなとは、初 めはそんなに話したりもできなかったけど、ドイツに行って仲良くなれて、本当にう れしかったし、楽しいこともたくさんありました。そして、両親や、ローテンブルク との友好都市関係を作ってくれた人達、私達のためにいろんな準備をして下さった人 達、一緒にドイツに行った団長さん達、すべての人にたくさんのありがとうを言いた いです。この経験をこれからの私の人生に生かせるように努力していきたいと思いま す。Danke Schön!!

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Á ÉÇ Á

ドイツの学校生活

内子中学校2年

大宇根 千 宏

私の海外派遣事業の研修テーマは、「ドイツと日本での学 校制度の違い」でした。私のホームステイ先には、私と同 い年で 14 歳のヴェレナと、15 歳のお姉さんマリナという 姉妹がいて、実際に朝学校に見送ったりしていたので、そのことがすごく分かりやす かったです。 初めてホームステイ先の人に会ったときにドイツの人なのに、ドイツ語も含めて英 語がぺらぺらに話せるのが私にとっては不思議でした。同い年くらいの二人が、ドイ ツ語が分からない私に積極的に英語で話しかけてくれたので、何とか話の内容を理解 することができました。後で聞いたら、私よりずっと前から英語を学校の授業でやっ ているということでした。中学一年生から英語を本格的に習い始めた私は、道理でつ いて行けないのかというのを実感しました。 私たちが 3 日目に訪問したライヒシュタット高校は、15 歳のマリナが通っている学 校でした。学校に行く前にホームステイ先のお母さんからパンと、炭酸水をもらいま した。わたしが、何に使うのだろうと思って首をかしげていたら、 「お腹が空いたときに食べるのだよ。」 と、教えてくれました。学校に食べ物を持っていって空いた時間に食べるそうです。 さて、訪問した高校は、私が思っていた以上ににぎやかでした。学校では、4 人ず つ分かれて授業に参加しました。 私たちの 1 時間目の授業は、音楽でした。音楽室という様な部屋は私が見た中では 2 つくらいありました。中はピアノがあって、生徒たちの座る椅子が置いてありまし た。授業は、ドイツ語だったので聞き取れなかったのですが、一緒に歌わせてもらっ た歌はベートーベンの第九などで、少しなら歌えました。 2 時間目は英語の授業でした。私よりも年下の子たちのクラスで、その授業中に 「日本語で自分の名前を書いてみて下さい。」 と先生が私たちに言ったので、畑野さんが名前を書いてみると、子どもたちが一斉に

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÉÈ Á 写真を撮り始めました。その後はサイン会のように生徒が私たち 4 人の前に来て順々 にノートの切れ端を渡してくるので、ここは快く、せっせと自分の名前を漢字で書き ました。 3 時間目は、体育の授業。バスケを生徒の人とチームになって試合をしました。最 初はなかなかゴールが入らなかったのですが、途中奇跡的にゴールできました。その 時はチームの人も喜んでいてくれたので、本当に良かったです。 私が気付いた日本とドイツの学校制度の違いの中で一番印象深かったのは、学校に 制服や指定の鞄がないということです。わたしが家族紹介の時に持っていった自分の クラスの写真を見せたら、 「これは、あなたの学校のユニホーム?すごいね。」 というふうに言われて、何でなんだろうと思っていたら、学校に行く前の二人を見て、 その理由がよく分かりました。2 人とも私服で自由な鞄を持って学校に向かっていた ので、そういうことなのだなと思いました。 マリナと、ヴェレナを見ていたら、ドイツの人は自由に個性を生かして学校に行っ ているというようなイメージがわいてきました。それは、日本とはやっぱり少し違う ような気がします。私は、今の自分の学校生活もとてもいいと思います。でも、ドイ ツのようにそれぞれの生徒が服や鞄などの自分の個性を生かすような学校もまたいい と思います。 今回の派遣事業で、私はやはり「自分自身の考え」を表に出すということは、国際 的にも大事なことなのだというのをよく知らされました。あまり意見をはっきり言わ ないような私でも、ホームステイを通して前より少しでも自分を変えられたと思いま す。

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Á ÃÊ Á

ドイツでの生活

内子中学校2年

平 松 勇一郎

僕が海外に行くのはこれが初めてです。一番最初に見た ものは無数のライトで、空港に近づくにつれ、どんどん町 が見えてきて、押さえきれないくらいワクワクし、空港に 着き楽しみだって思っている時、目の前で洋助さんが警備員に連れて行かれ、改めて 海外にいることを思い知らされました。 ミュンヘンからローテンブルクへ行くまではバスで移動しました。十時半頃にホー ムステイ先のブッケル家と合流し、とても緊張していたけど、しっかりあいさつがで きました。シュランネから家までの移動の車の中では正直つらかったです。家に着い て、みんなとしっかりあいさつをかわし、これから本格的なドイツの生活が始まろう としていて、とても舞い上がっていました。一日目の夜はそれからすぐ寝て明日から の研修にそなえました。 二日目はまず市庁舎に登って市内を眺望しました。とてもいい景色でした。昼食を 食べ、市長さんと会って、ドイツの歴史を学びました。中世犯罪博物館を見学し、犯 罪の重さを知りました。自由時間では自由とあって、行きたい店にいっぱい行って、 いっぱい買い物して、ドイツだけに本当にクリスマスショップが多くて、とても楽し かったです。帰るときのスーツケースの重さのことはすっかり頭の中にありませんで した。自由時間も終わり、ブッケル家に帰り、晩飯を食べて、食べ終わった後に、ク リストファー君が「あそぼ」と言ってくれて、プレステやサッカーなどをして遊びま した。初めてにもかかわらず、気軽に声をかけてくれてとてもうれしくて、尊敬しま した。とてもすぐ仲良くなれそうな人だと思いました。夜には志文くんといろいろ話 をして、知らぬ間に寝ていました。 三日目は、楽しみにしていた高校の授業に参加しました。十二歳くらいから十八歳く らいまで、とても幅広い年齢でたくさんの人がいました。英語では、発音が良すぎて 聞き取れなかったけど、すぐに仲良くなれました。音楽では、クリスマスの曲をいっ ぱい歌いました。特に楽しみにしていた体育では、ほとんどサッカーをしました。本

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÃË Á 場だけにすごかったです。少しだけしたバスケでは、身長の高さに圧倒されました。 でも、とてもいい経験ができました。クッキー作りでは、うまく作れておいしかった です。この自由時間では、昨日いっぱい使ったから今日はひかえめにしました。夜は クリストファーくんと一緒に十二時くらいまで遊んで、ぐっすり眠り、四日目は環境 の一日でいろんな環境のことを学びました。 五日目は、一日遠足でジンスハイム博物館を見学し、昔使っていた飛行機にのるこ とができました。降りるときの滑り台がとても怖かったです。悲しかったのが、ロー テンブルクで買ったジョッキが 15 ユーロしたのに対し、博物館では 5 ユーロで売って いたのでびっくりしました。 しかし、そんなことも忘れるほど夜は遊んで、六日目はホストファミリーと一緒に 一日を過ごし、エミフルみたいなデパートに行って買い物を楽しみました。商品など は、あまり日本と変わりませんでした。でも、ここで食べたホットドッグは、食べる と涙がふきでるくらいにおいしくて、今でも印象深く残っています。何本でも食べた いです。ホストファミリーとの最後の日なので思いっきり遊んで、写真もいっぱいと って楽しい日になりました。 七日目の朝、ホテルでのお別れがとてもつらかったです。本当に感謝の気持ちを込 めて「チュース」と言って、ベルリンに旅立ちました。 ベルリンでは、都会らしい高層ビルや交通量でした。一つの店で 70 ユーロも使って しまうくらい、良い物がありました。ベルリンの壁も印象深いです。ホテルでも楽し く、トランプをしました。あっという間に四日間が過ぎ、気がつくと内子に帰ってき ていて、大勢の人々が迎えてくれました。 本当に良い経験をさせていただきました。

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Á ÃÂ Á

環境と人々の優しさのつながり

内子中学校2年

畑 野 史 奈

私がこのテーマにした理由は、ドイツの環境が良いわけ を実際に見て、それがとても心に残っていたのと、ホーム ステイでの経験も環境に関わっているのか考えてみようと思ったからです。 環境についての見学をしたのは、下水処理場と太陽光発電、バイオガスです。 下水処理では、一万五千人分の下水を処理していて、その下水からガスが作られ、 そのガスから電気と熱が作られているそうです。その電気は、停電の時にも使われて います。他にもきれいになった水は飲むことが出来るそうです。 私は、下水がこのように工夫されて、また水になったり、新しいものになったりし ているということを知って、とても驚きました。それと同時に、この仕事を毎日して くれる人がいることで、私達はきれいな水で生活できているということも知れたので、 その人達に感謝して、これからは水を大切にしようと思います。 次にバイオガスです。ここではバイ菌が材料を食べて、それからガスがでてきてそ れが電気になります。いろいろな調整やバランスが必要らしいです。 最後は、ソーラーパネルを見に行きました。ここはフェンダさんという人がやって いるそうです。ソーラーパネルは黒と白のパネルがあり、私が知っている屋根に付け るような物とは違い、大きいものでした。 フェンダさんが、なぜソーラーパネルを設置したのかというと、土地が多かったか らというのもあるけど、環境のためを思ったのと、役に立ちたかったからだそうです。 この理由を聞いて、私はすごく尊敬しました。人々の役に立ちたいと思ってそれを実 行している人がいるから、ドイツの環境の良さは保たれているんだなあと改めて感じ ました。 見学の後、フェンダさんの家に招いて頂き、お菓子なども用意して頂いて、本当に 心の優しい方だなあと感じました。 ホームステイ先の方はゼベリーニさんという夫婦2人の方のところで、この 2 人も 本当に優しい方でした。昔、私の父が泊まっていたこともあったそうで、初めて会っ

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Á ÃÉ Á た時は緊張したけど、毎日生活していると段々話せるようになりました。 ゼベリーニさんに、毎日朝食と夕食を用意して頂いていて、とても美味しくて本当 に嬉しかったです。言葉が通じなくて困ったり、迷惑をかけることもありましたが、 一生懸命伝えようとして伝わった時は、倍の喜びがありました。 これからも、本当に感謝の気持ちを忘れずに、関係を続けていきたいです。 ドイツの環境が良い理由は、このように人々の優しさにあるのかなあとドイツに行 って感じることができました。 この経験を生かして、たくさんの人に伝えていきたいと思います。

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Á ÃÃ Á

ローテンブルクでの生活

内子中学校2年

山 本 佳恵名

私の研修テーマはローテンブルク市の町並みについてです。 ローテンブルク市の町並みは、同じような建物が並んでい て、すごく魅力的でした。建物は、内子の白壁の建物と違い、窓が多くつけられてい ました。古くからある建物も多く、とてもきれいな状態で残っていました。 市の中には広場などもあり、クリスマスマーケットでお店がたくさん出ていたり、 クリスマスの時期だけ開店するお店があったり、文化が違うだけで、建物とかもこん なに違うんだとすごく思いました。また、内子に似て、古く良い建物と共に、人々も とても優しかったです。一度道に迷ってしまった時も、とても親切に道を教えて頂き ました。 一つ一つの建物が似ていて最初はすごくおどろいたけれど、逆に統一されていてき れいだったことが印象に残りました。 ホームステイ先の方々にはいろいろ迷惑をかけてしまいましたが、とても優しくし ていただいて、楽しく過ごすことができたと思います。疲れて帰り、ご飯を食べて寝 るような感じで、あまり話したりすることができなかったのですごく後悔しています。 でも、お土産などをすごく喜んでもらって、すごく嬉しかったです。お孫さんの誕生 日パーティーに連れて行ってもらったり、親にメールを送らせてもらったり、様々な ことに気を使っていただきました。たどたどしい英語で、伝わらなかったりもしまし たが、何日かいるとだんだん慣れてきて、友達と話している時になにげなく英語が出 てきたりもしました。主食はパンで、ナイフやフォークを使っていたので、一緒にホ ームステイした畑野さんと「日本に帰って、お箸が使えなくなってたらどうしようね。」 と話していました。また、お水に炭酸が入っていてとてもびっくりしました。飲む物 にはだいたい炭酸が入っていて、中でもアップルジュースの炭酸のきいたものなどが おいしかったです。学校見学に行くときに、サンドイッチとそれを持たせて頂いて、 とてもおいしかったです。ホームステイ最後の日にはスーパーマーケットへ連れて行 ってもらいました。そこはとても大きくておどろきました。お肉屋さんみたいなとこ

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÃÄ Á ろでもらったハムがすごくおいしかったです。また、クリスマス用のもみの木が売っ ていたりしてすごくびっくりしました。その後、中華レストランへ連れて行ってもら ったり、いろいろな場所を案内してもらったり、すごく楽しかったです。その後の交 流会のおどりをほめてもらったりしてすごくうれしかたです。 別れるときはすごく悲しかったです。でも大人になってからや、もう少ししてから もう一度行きたいなと思いました。まだよく見れていない所や、セベリーニさんにも 会いたいからです。でも、もう少し英語やドイツ語を勉強し、今度はちゃんと話が伝 わるようにして行きたいと思います。

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Á ÃÅ Á

ドイツに行って

内子中学校 1 年

武 岡 志 文

僕は今回の青少年海外派遣事業に参加できて本当によかっ たと心から思っています。この派遣事業を通して、たくさん の人とかかわることができ、またたくさんのことを学ぶこと ができたからです。12 月 7 日から 16 日までの 10 日間は、あっという間に過ぎました。 なぜそう感じたかと言うと、まず一つは、ホームステイをさせていただいたブッケル さんが、とてもよくしてくださったからだと思います。ブッケルさんの家族は、みん なとても優しく、まるで家族のようにかわいがってくださいました。また、クリスト ファー君という 12 歳の息子さんがいたのですが、平松先輩と僕と 3 人で毎日兄弟のよ うに楽しく遊びました。僕は「遊ぶ」ということはお互いのことを知る一番の近道だ と思いました。また、僕はいい仲間に恵まれたと思います。事前研修では、緊張して いて周りにいる先輩たちになかなか話しかけることができませんでした。でも、海外 で一緒に行動しているうちに自然に話しかけることができるようになりました。今回 の海外研修がとても楽しく短く感じたのは、一緒に行った皆さんと仲良くなれたこと がもう一つの理由だと思っています。 次にローテンブルクの町並みを見て僕が考えたことを書きます。ローテンブルクと いう町は城壁で囲まれた美しい町でした。屋根の色はオレンジっぽい色が多く、青空 に映えていました。路地という路地はどこからみても絵になり本当に美しい町でした。 事前研修でローテンブルクは第二次世界大戦の時に町四割が焼失したと聞いていまし た。でも、僕が見た町はずっと昔から続いている歴史のある町に見えました。市庁舎 の塔から町を一望すると、写真で見た景色より迫力がありました。みんなで力を合わ せて美しい町を復活させ、ずっとそれを守ってきたローテンブルクの人々の心意気を 感じ、とても感動しました。そして、町を作るのはそこに住む人々の「この町が大好 きだ、この町を大切にしよう。」という気持ちなのだということが分かりました。また、 建物と同じくらい僕が気になったのは、町の看板でした。ある本によると、ローテン ブルクでは看板をつける位置や大きさなどが統一されているのではないかと書かれて

◆◆◆青少年派遣団の記録◆◆◆

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Á ÃÆ Á いました。統一感があるのだけれど一つ一つが形・色が違ってとても繊細でした。看 板を眺めながら、「ここは何の店なのだろう?何を表しているのだろう?」と考えるの がとても楽しかったです。 僕が海外研修で一番学んだことは「知る」ということの大切さです。今まで遠いよ その国であったドイツという国が、今は僕にとって身近で大切な国になりました。い ろんなものや出来事でドイツが出るととても気になります。それは僕がドイツのこと を知ったからだと思います。ドイツの人々の暮らし、ドイツの町の様子を肌で感じ、 知らなかったことを知ったからです。僕は内子に住んでいても内子の知っていること は、ごくわずかです。だからもっと内子のことを知らなければならないと思いました。 そうすれば今以上に内子のことを好きになると思います。 僕は、ローテンブルクにずっといたいと思うくらい良い町でした。また、ドイツと いう国に行って自分の世界が広がったと思います。この貴重な体験が今の自分だけで なく、将来の自分にも役に立てられるよう、これからもいろいろなことを学び続けて いきたいと思っています。このような機会を与えてくださった全ての方々に、心から 感謝しています。本当にありがとうございました。

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Á ÃÇ Á

第 15 回青少年海外派遣団員名簿

氏 名

学 校 名

学 年

性別

亀内 美希

小田高等学校

神岡 美咲

小 田 中 学 校

中本 健太

五十崎中学校

船田 真結

五十崎中学校

吉岡 若菜

五十崎中学校

上田 桃果

内 子 中 学 校

田丸咲貴子

内 子 中 学 校

大宇根千宏

内 子 中 学 校

平松勇一郎

内 子 中 学 校

10

畑野 史奈

内 子 中 学 校

11

山本佳恵名

内 子 中 学 校

12

武岡 志文

内 子 中 学 校

役職

氏 名

所 属

性別

団長 池田 洋助

国際交流協会理事

引率 久保理恵子

国際交流協会プランナー

通訳 ドレーン・アルント 国際交流員

参照

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