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企業戦略におけるカルトの気配--科学と神秘の結合による経営革新---香川大学学術情報リポジトリ

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香 川 大 学 経 済 論 叢 第72巻 第 l号 1999年6月 63-165

企業戦略におけるカルトの気配

一一科学と神秘の結合による経営革新一一

原 田

I は じ め に 人類が新たなミレニアムを迎えるにあたって,また眼下におげる 21世紀の到 来への準備を行うべく,社会の多様な領域において従来とは異なる価値観の模 索が行われている。このような状況下で,企業経営においてもまさに例外では なくいよいよ 21世紀型ビジネスモデルともいうべきものを探求すべく多様な 試みが展開されている。すなわち,現在では未来の経営を確固たるものにすべ く多くのニューパラダイムが提言されている。そこで,ここにおいては従来で は経営学としてはいくぶん思避してきた領域であるカルトの影響についての考 察を試みることにした。 さて,本論に入る前に,ここにおいては経営戦略におけるカルトの気配を感 じ取るために,新世紀を迎える時代の変わり目における精神世界についての概 括的な総括を行っておく。現在では,我が固においても,多くの精神運動が展 開されているのだが,ここにおいてはこれらの流れは大きくニューエイジの流 れについては海野弘の言説によっ‘て規定を行っておく。なお,このニューエイ ジの定義についても数多くあるのだが,以下においてニつの代表的な捉え方に ついて紹介を行っておく。 前者の代表的な捉え方に‘ついては,以下のようなニューエイジ運動の内部か ら捉えたものである。このニューエイジとは古代から伝わる霊的なものの見方 をいい,またその紀元はイエス・キリストの死後までさかのぽれる。現在では,

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-64- 香川大学経済論叢 64 ちょうど第2次ニューエイジブームの最中にあって,多様な領域においてこの 運動が展開されている。なお,これらの運動には,例えばチャネリング,クリ スタル・ヒーリング,ホリスティック医療, トランスパーソナル,エコロジー 運動,ニューサイエンス,など多様な側面をみてとることができる。 後者の代表的な捉え方については,以下のようなニューエイジの運動の外部 から捉えたものである。このニューエイジとはそもそも高度消費社会の価値が 不適当であることを見いだした

1

9

9

0

年代の価値観を指し示すものなのである。 ニューエイジとは,社会的関心への回帰,露骨な物質主義の拒否,エコロジー への興味の復活,

1

9

6

0

年代の主張,例えばオルタナティブなライフスタイルへ の共感,といったものなどを示唆している。 そして欧米においては,このニューエイジについては新たなミレニアムの到 来との関係において語られることが多くなっている。また,このニューエイジ のカバーする領域においても,現在では次第に拡大しつつある。それは具体的 には,宗教から科学,身体から精神,私から宇宙までの広大な時空に広がりを 見せ始めている。 これらのことから,現時点におけるニューエイジ運動を定義づければ,以下 のニューエイジ・アルマナックのそれが最適であると考えられる。第

1

には, ニューエイジ運動はトランスフォーメーションを第

1

義的な体験としているこ とが特徴なのである。第

2

には,ニューエイジは共通の正当神学を持っている わけではないが,東洋のリインカーネーション(再生)の考えを取り入れてお り,ここには人聞が神性に参加できるという強い信念が読み取れる。 したがって,企業経営にとってもこのようなニューエイジ的な影響を受けな (1) ホリスティック医療:ホリスティック思想、に基づく医療である。ホリスティックとは 日本語に訳すと全体的とか全人格的とかいう意味になる。すなわち,従来の心臓,胃,腎 臓などの身体の一部をみる治療ではなしもっと人間らしく患者を捉えようとする考え 方に立脚した医療なのである。また,これは自然治癒力例えば覇軍しということからもおお いに注目されている。 (2 ) トランスパーソナル:人と人との境界を超えるという意味である。この考え方に基づ いた運動のダイナミックな魅力とは何よりも識域外に隠された心理的要因の分析に変性 意識を積極的に研究し鷹揚することなのである。

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65 企業戦略におけるカルトの気配 -65-がらカノレト経営が模索されてきた。そこで以下において,このような状況下で 企業経営に対してカルトが一体どのように有効なメリットを現出させうるかと いう観点に基づいた考察を試みる。カノレト自体には,良い点もあるが問題点も 多く抱えていることは周知のとおりだが,ここではカノレト自体の社会学的な意 味での評価はほとんど行っていなし、言い換えれば,ここでのカルトへの言及 は経営者が苦難を乗り越え未来へ向けた企業の発展を実現するための経営戦略 の領域に絞り込まれている。すなわち,カルトの概念をいわば企業経営の場に 持ち込むことで閉塞下にある厳しい経営状況が切り聞かれることを祈念した, いわば

1

つのエッセーの提示なのである。 その意味から,本稿においては企業経営へのカルトの気配という論題をつけ たわけである。なお,副題にもあるように,本稿については戦略における科学 的な側面と神秘的側面を経営の場において超状的にかつ有機的に統合させるこ とによる企業経営のメタモルフォーズを狙いとしている。なお,本稿について は,前半のIIからVにおいてははカルト経営の必要性を理解するための論述, また後半の

V

I

から沼においてはカルト経営の実践事例についての紹介を行うた めの論述,という構成がとられている。 具体的には,

1

1

ではカJレト経営の戦略与件,

I

I

I

ではカノレト思想、の世界的潮流,

I

V

ではカルト経営のパラダイム, Vではカノレト経営における戦略思想,

V

I

では ヤマギシが志向するユートピア農業,

V

I

I

では船井幸男のオカルト的労務管理,

V

I

I

I

では稲森和男に見る宗教的経営,

I

X

ではネットワークビジネスに見る戦略教 義,

X

ではソニーにおけるエスパー的経営,Xlでは

GE

における進化型経営組 織,という構成なのである。 なお,ここで取り上げた事例については,

V

I

I

V

I

I

I

,の各節においては概ね人 物を中心にした取り上げを,

V

I

I

X

X

X

I

,の各節においてはやや組織に重 点を置いた取りあげかたを行っている。また,

V

I

については非営利組織の事例 であり,そして,

V

I

I

I

についてはベンチャービジネス,

I

X

についてはニュービジ ネス,そして

X

,沼についてはグローパルな大・企業についての事例と考えるこ とも可能である。

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-66- 香川大学経済論叢 66 II カノレト経営の戦略与件 現在,我々は世界的には新たなミレニアムの到来という時代の転換期に遭遇 し,短期的には日本を含めたアジアの大混乱の中において危機的な状況に立た されている。このような状況下で,企業経営においても,従来の合理主義一辺 倒ではない,いわば超感覚的なアプローチに対して多大な期待が持たれるよう な現象が散見されている。そこで本節においては,このようなまさにカルト的 アプローチを基軸とした超感覚的経営のいわば戦略与件のついての概括的な理 解を深めることを試みている。それは具体的には,第

1

はビジョン駆動を志向 する強い企業,第

2

はエコロジー的アプローチの重視,第

3

は資本主義におけ るカルトへの接近,という 3点についての考察である。 ビジョン駆動を志向する強い企業 (1) 強い会社に見る戦略思想 ここにおいては特に企業における強さの秘密についての考察を行ってみる。 ところで,長期にわたって成功する企業には明らかにそれにふさわしい事業の 根幹を成す思想や理念というものが存在している。実際に企業の創成期には必 ずや創業者の意識の中に企業の意思があるのだが,次第に時代が移るにつれて 例えば創業者が引退した後において例えば引き続き企業の意思を明確に保持し ていくことは必ずしも容易なことではない。例えば,事業空間が拡大するに伴っ て,第

1

は企業間競争の激化,第

2

は製品と市場の激しい変化,第

3

は新たな 組織形態の出現,第

4

は競争力ある資産としての知識に対する重要性の高伸, などが次第に散見されてくる。 このことが,まさに第lに市場主導型の戦略,第2にカスタムメイド,第3 に継続的改善,第4に顧客ニーズへの対応,第 5にエンパワーメント,などの 概念に代表される新たな企業戦略における構想を確立することの必要性を痛感 させている。しかし,昨今のような企業を成功に導くために創造性や社員の自 主性が不可欠になる激しい競争下においては,単に従来のような命令とコント

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67 企業戦略におけるカルトの気配 -67ー ローノレの技法だけではもはや不十分な状況になっている。すなわち今後におい ては,第

l

は人員の増大や組織の拡大,第

2

は多様な従業員の参加,第

3

はグ ローパルな規模での事業活動範囲の拡大など,企業の成長にしたがってその理 念を的確に伝達することで組織のベクトルを合わせていくことが大切になって くる。 さて,広範なかっ複雑な活動を展開している企業においては,一体いかにそ の経営目的の継続性を維持していくのだろうか。現実には,経営環境が加速度 的に複雑化しているために,多くの企業や産業においては社員が自社の組織の 持つ目的や方向性が理解しにくいような状況が現出している。また,特に大企 業やグローパル企業においては,経営者が経営の意思を自社の隅々まで浸透さ せることはきわめて困難なことでもある。しかし,絶え間ない挑戦と変化こそ を常とする企業経営の環境下においては,企業の存続と組織の安定を実現する ためにもまさに強固でかつ根本的な価値の獲得が必要になっている。もしも, 企業に明確な理念があるならば,その理念は必ず、やマネジメントに反映される ことになり,これが経営戦略や経営管理の拠り所になるわけで,そしてそれが また組織の軌道を定めることになり,結果的には企業を成功の道へと導くこと を可能にする。そして当然のことながら,ほとんどの場合にはそのことは企業 の長期的な業績に的確に反映されることになる。 メノレクの創業者においてはすでに

5

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年以上も前に薬は人々のための製品で あって利益の為ではないということを述べていた。また,そのためこのメノレク においては人聞の生命を維持し改善することを長期的な目的としており,この 理念を徹底することによって長い間企業における利益を高め続けている企業と して著名である。 スカイマーク・エアラインを設立した旅行代理屈大手エイチ・アイ・エスの 社長である沢田秀男は,危機の時代は同時にチャンスの時代であるとして大胆 な挑戦を行い続けている。そして,この沢田は,企業組織には創業時の哲学や 理念を刷り込むことができる,そしてその理念を全員で共有‘すれば強い組織に なれる,という企業経営における哲学の重要性についての強調を行っている。

(6)

-68 香川大学経済論叢 68 トヨタの奥田社長においては昨今まさに従来のトヨタイズムの根本的な転換 を模索している最中にある。すなわち,昨今奥田社長は従来のトヨタイズムの 考え方から脱却するために以下のようなことを強調している。具体的には,こ の主張とは,企業の将来を見据え長く生き残るために,第

1

は決してヒトを傷 つける車を作らない,第

2

は環境保護と安全を追求することが必要である,と いうことなのである。このことは, トヨタイズムと呼ばれるまでに生産システ ムを突き詰めてきたトヨタ自動車でさえもモノづくりに根ざした過去からの成 功体験を完全に否定することの重要性を認識していることを証明している。ま た, トヨタの奥田社長の持論によれば,会社は必ず衰退するため延命を図るに は組織を揺さぶ、り続け改善から改革の道へ進むことが必要である。このような 考え方に立脚しながら, トヨタを貫くイズムについては次第に確実に新たな次 元と進化しつつある。 (2) ビジョナリーカンパニーの登場 このように大企業として揺るぎない地位を築いてきた企業までもが,

2

1

世紀 に向げていかに企業を存続させていくかに苦心している。そして,そこにはい わばビジョナリーカンパニヱ)へのメタモノレフォーズを予感させるものが存在し ていると感じられる。 そして,実際に長年にわたり利益の最大化のみを目的としてきた企業よりも, 第lには基本的な理念の追求を最上位におく企業,第2には明確なミッション もしくはビジョンをもっ企業の方が,言い換えればこのようなビジョナリーカ ンパニーの方が,むしろ長期的には高い利益をあげていることが多いようでも ある。 さて,日経ピジネスによれば,このビジョナリーカンパニーは,第

1

にその 基本理念,第2に大胆な目標,第3にカルトのような文化,第4に目的のもと (3 ) ビジョナリーカンパニー:コリンズとポラスが提唱した企業が時代を超える生存する ための法則である。これは,単に長く続いているとか成功しているとかという次元ではな くいわば特別に際立ったエリート企業を意味している。すなわち,それはそのほとんどの 企業が業界の超一流企業であり,またそれらの経営手法がモデルになっている企業であ る。

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69 企業戦略におけるカルトの気配 69-での進化,第5に経営の継続性,第6には不断の改善,という 6つの視点から 見た場合においては,そのポイント数値については比較対照企業と比べると高 い数値を見せていることが理解できる(図表1)。 このビジョナリーカンパニーが用いる経営手法には,第

1

に社運を賭けた大 胆な目標を立てる,第2にチャレンジを推奨し多くの戦略や製品を試す,第 3 に失敗を歓迎し失敗を共有する,ことなどがあげられるが,そこにはいずれも 決して現状に満足しない考え方が底流に存在していることが容易に理解でき る。 ところで,ビジョンとは企業を長期にわたって存続させるとともに,変化を 図表 1 ピジョナリーカンパニーと比較対照企業の企業体質の差異 基 本 大J的目経営 不断 理 念 な ト の の の ビジョナリー の も 継 続 性 改善 カンパニー よ と 本 基 理 大胆カ 的ル 目 経営 不断 な ト の の の 念 の も 継 続 性 改善 よ と 比較対照企業 う で な の な の 文化 進化 文化 化進 満点 12 9 1 9 9 112 12 12 9 1 9 9 112 12満点 スリーエム 8 1 5 5 1 7 9 1 6 8 1 5 6 1 4 8 1 7 ノ}トン アメリカン・エキスプレス 11 9 1 7 5 111 10 6 1 4 5 1 5 6 1 6 ウェjレズ・ファーゴ ボーイング 8 1 9 7 1 7 11 10 6 1 5 5 1 3 7 1 7 マクダネル・ダグラス シテイコープ 8 1 9 7 1 7 11 10 8 1 5 7 1 4 6 1 6 チエース・マンハツタン フォード 10 8 1 7 6 1 9 8 6 1 7 5 1 6 9 1 7 ゼネラル・モーターズ ゼネラlレ・エレクトリック 9 1 8 8 1 6 12 11 7 1 7 4 1 5 7 1 7 ウエスチングハウス ヒュ}レット・ノトyカード 12 6 1 9 9 112 11 6 1 8 7 1 6 9 1 9 テキサス・インスツルメンツ IBM 10 8 1 9 6 110 9 4 1 3 4 1 3 6 1 5 バロース ジョンソン&ジョンソン 12 6 1 8 8 111 9 7 1 6 6 1 6 107 プリストル・マイヤーズ マリオット 12 7 1 9 7 110 11 6 1 4 6 1 4 6 1 7 ハワード・ジョンソン メルク 12 8 1 9 6 110 11 7 1 6 5 1 8 10 8177イザー モトローラ 12 9 1 7 9 112 11 7 1 6 4 1 4 5 1 5 ゼニス ノードストローム 11 6 1 9 6 111 10 8 1 6 5 1 6 9 1 8 メルビル フィリップ・モリス 8 1 7 6 1 5 7 1 8 7 1 6 6 1 4 7 1 5 R'J ・レイノルズ プロクグー&ギャンプル 11 8 1 9 5 112 11 8 1 6 6 1 4 6 1 6 コルゲート ソニー 12 9 1 8 8 1101 8 7 1 5 5 1 6 8 1 8 ケンウγド ウォルマート 10 9 1 8 9 110 10 4 1 5 4 1 3 5 1 5 エームズ ウォルト・ディズニー 11 8 9 5 1 6 10 4 1 5 4 1 4 4 1 4 コロンビア・ピクチャーズ 日経ビジネス編『なぜこの会社が強い』より

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-70- 香川大学経済論叢 70 促すための原動力であり経営者の意思でもある。実際,企業における成長につ いては経営者の成長しようとする意思に負うところが大きいのである。その理 由は,組織における経営の意思を実行に移すには多様な経営技術が必要である が,しかしこの技術については外注や提携や外部委託により得ることが可能で あるのに対して,意思については自らの組織が生み出す以外に獲得できないか らである。したがって,この意思と技術が一体になることで初めて成功する企 業が誕生すると考えることができる。 ゆえに,長い間その企業の理念を学びその重要性を熟知している生え抜きの 経営者の存在とは,ある意味でビジョナリーカンパニーとなるためには不可欠 な条件なのである。それは,例えば創業者が亡くなった後も,その理念を継承 し長期的に組織全体にそれを浸透させ影響力を持てる経営者を育て上げられる 風土が企業には必要であることを意味している。そして,このような価値観を 維持しながら組織を変化させられる経営者を生み出すメカニズムを持っている ことが,百年以上を生き抜いてきたビジョナリーカンパニーに散見される特徴 なのである。 実際,株価をベースにした

ROR(

R

a

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)

ランキングから,現時点で 最も強い会社が将来にわたってその地位を継続して維持できるかどうかを判断 することはきわめて困難なことである。それは,この

ROR

が株価をペースにし た指標である以上,実際にはそのランキングが句の企業を高値買いした内容で あることは否めないからである。ところが,短期の業績をまったく考慮せずに 基本的な理念を追求するピジョナリーカンパニーをみると,これらの企業は過 去 65年聞において実際に概ね市場平均の15倍という株価の上昇ωを勝ち取って いる。すなわち,このことは結果として株式市場に内在する神の見えざる手は 無視できないことを意味していると考えられる。 (4 ) 例えば,ゼネラル・エレクトロニック社(GE)において多様な改革を断行したジャツク・ ウエルチ会長はGEの基本理念のみならず同時に変化の重要性を知っている生え抜きの 経営者であった。また,彼は基本的な理念を堅持した上で会社を変革することに成功した ことで多大な評価を勝ち得ている。

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71 企業戦略におけるカルトの気配 -71ー ところで, RORから見た 21世紀の強い企業を多角的に考察すると,これか らの 21世紀における強い企業の条件としては概ね以下の 3点をあげることが 適切であると思われる。 第

1

は世界に繋がる市場原理の中においてその力を十分に発揮していること である。実際に,ポラスが選択したビジョナリ}カンパニーのほとんどについ ては,その活躍の場を世界に置いている企業なのである。その理由は,世界市 場において探まれた企業のほうが時を超えて生き残っていく確率が高いからで ある。 第2は現状に留まることなく不断の改革を実行し変化を活力に転じているこ とである。企業にとって絶対のベンチマークである市場は常にその姿を変えて いることに特徴が見いだせる。ゆえに,強い会社には現状に甘んずることなく 変化を活力として生かす,まさに強さについても不可欠な条件なのである。 第3は事業の目的やコアになる技術などについて時代を経ても変わらない理 念を守っていることである。例えばロームや村田製作所や不動建設などの他社 には存在しない固有の技術や製品を持っている企業が,まさに RORランキン グにおいて上位を占めていることは偶然のことではない。また,業種こそ異な るが,西松建設やジャックスなどがパブ'ルの傷を追わなかった理由は,他社の 動きに惑わされないだけの原理原則を持っていたからと考えることができる。 すなわち,市場を熟知し市場に強くなること,そレて変化を活力にできると 同時に時代に流されない原理原則を守ること,このような条件を満足させるな らば新たなエクセレントカンパニーになることが十分に可能なのである。言い 換えれば,ビジョナリーカンパニーを目指す企業こそが,時代を超えて常にエ クセレントカンパニーとしての地位を確立することが可能なのである。 2 エコロジー的アプローチの重視 (1) 地球におけるエコロジーの危機 ブエリックス・ガタリによるならば,我々は今科学技術による時代の変化の 真っ只中にいながら,同時に恐るべきエコロジー的なアンバランス状況に直面

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-72ー 香川大学経済論叢 72 している。もしも適当な治療が施されなければこのエコロジー的アンバランス は,地上における生命の存続を脅かすほどのものになる。こうした激変と平行 して,個人的かつ集団的な人間の生活様式も次第に悪化の一途をたどっている。 すなわち,親族のつながりは最小限になりまた家庭内の生活はマスメディアの 消費のために蝕まれている。家族生活は一種の行動の画一化によって形骸化し 隣近所との付き合いも次第に希薄になっている。ガタリは,これに対して,主 観性と外部との関係が一種の内部破裂と小児的退行の全体的動きに巻き込まれ ている状態であるという表現で説明を行っている。 もちろん,政治団体や行政機関は自然環境を脅かす危険について部分的に自 覚し始めているが,それはせいぜい公害の領域に対しテクノクラート的な見方 からのアプローチに過ぎないものである。ゆえに,そのようなものは社会的労 働の究極の目的が利潤経済と権力関係によって一面的に制御されている限りで は袋小路にしか行きっかないことになる。 もしも,事態を地球規模で捉え,物質的や,非物質的な有形無形の財を生産 する際の目標を新しく設定し直す正真正銘の政治的,社会的,文化的な革命が 行われない限り,我々はエコロジー的な危機に対する真の答えを見いだしえな い。したがって,このエコロジー革命は単に自に見える諸力の力関係だけでは なく,同時に感性,知性,欲望の分子的領域にも当然かかわりを持つものにな る。 さて,我々を取り巻く環境の危うさを見るにつけても,人間活動の価値化の 支配様式に対する同一性についての問い直しが必要になる。言い換えれば,こ のことは実は,第

1

には個々別々のシステムというものを押しつぶ、して圧延し てしまう,いわば物質的な財,文化的な財,自然的な地勢といったものをある 同一の価値次元におく世界市場の至上的支配性に対する聞い直しなのであり, 第

2

には社会的諸関係と国際的諸関係の総体を警察機構,軍事機構の覇権の下 におく支配的様式の聞い直しなのである。国家はこの二重の締めつけの中で本 来の社会的諸関係と国際的諸関係の媒介装置としての伝統的役割を次第に縮小 し,今や世界市場と軍事そして産業複合体の機構的結合に奉仕するに過ぎない

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73 企業戦略におけるカJレトの気配 73-存在になっている。このような状況では,東西対立の後ろ楯の下に置かれてい た時代が過ぎ去ろうとしており,現在ますます逆説的な矛盾を苧んだものにな りつつある。例えば,今日施されているような現状のままでの国際援助がやが て問題の解決に辿りつくなどと考えるのはまったくの妄想であり,そのような ことでかたづくような問題はなにひとつないといっても過言ではない。 (2) 3つのエコロジーへの理解 ガタリによれば,こうした問題にはいわばエコゾフィーと呼ばれる3つのエ コロジー的な作用領域の倫理,すなわち,第1は環境,第2は社会的諸関係, 第

3

は人間的主観性,というような

3

つの作用領域の倫理を政治的に接合する ことによってそれ相応の光をあてることができる。 今後においては,極度の社会的,経済的,国際的な複雑化に対応するために, この3つのエコロジーを軸とした多極的戦略の重要性がますます重要になるこ とは確かである。先進諸国の内部では,恒常的な失業や若者,老人,非差別労 働者など,周辺化の克進により絶望を糧とする社会的な緊張と刺激の機能原理 が息づき始めている。一方では,新たな科学技術的な手段の継続的発展があり, それは現在支配的になっているエコロジー的な諸問題を解決し社会的に有用な 諸活動のバランスを回復させる潜在的な能力を持つてはいるが,他方では,こ のような手段を手中におさめて機能させようとしている社会的に組織された勢 力や集団はまったく無能である。しかし,今やこうした主観性や財や環境がロー ラーで圧延されたような最悪の局面が衰退期に入りつつあると見なすこともで きる。それについては,例えばつい最近まで周辺に押しやられていた少数派民 族の要求が増大し政治的な部隊の前面を占めるようになりつつあるといった現 象に見いだすことができる。この少数派民族の問題の高揚はいずれ東西関係に 深い変化をもたらし,とりわけヨーロッパ全体の政治地図を塗り替えることに (5 ) エコゾフィーガタリが唱える概念であり,エコロジ}とフィロゾフィーを組みあわ せた造語である。環境=生態的哲学と考えることができる。ガタリにおいては,あらゆる レベルにおける生態,環境の生体にくわえて社会の生態とか心の生態を組み合わせて考 えることに特徴がある。

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-74ー 香川大学経済論叢 74 なる。すなわち,今後においてはヨーロッパの重心は中立、的な東へ向かつて決 定的に移行していくと考えられる。 現在では,若者は経済的諸関係の網目の中でおしひがれ,またマスメディア の集団的主観性の生産によって精神的に操作され不安定な状況に追いやられて いるが,しかし標準化された主観性に対しては独自の特異性のスタンスを保と うとしている。例えば,国境を超えて青年大衆層に指示される音楽などは若者 に擬似的な文化的アイデンティティを与え,結果的にいわば最小限の実在的領 土の自己形成を可能にする一種のイニシエーション儀式の役割を果たしてい る。 また,現在では社会思想、並びに地政学的な地図を先導してきた伝統的な二元 論的な対立図式はもはや過去のものとなっている。もちろん,紛争そのものは なくならないが,実はそれは善悪二元論的なイデオロギーの旗の下に部隊を編 成するといったやり方とは相いれない多極的システムを総動員したものとして 展開されている。 すなわち,多様な対立構造並びに特異化の過程の噴出,中心からのずれまた はその波及効果が発生する中において,いよいよ新たなエコロジ}問題が浮上 しつつある。このような状況下で,ガタリはこの新たなエコロジー的問題が他 の様々な分子の切断線を統合する必然性をになっていると主張するのではな しこのエコロジ}的問題が他の分子的な切断線を貫通する様なテーマ設定を 求められているという 1つの見方の提示を行っている。それは,言い換えれば 新しい歴史の中で人間の存在はいかにあるべきかという点に帰着することにな る。したがって,社会的エコゾフイ}は夫婦問や家族間,あるいは生活や労働 の場などにおける人間存在の方法を変革したり再創造したりする特別な実践を 発展させる場にはどこにおいても必ず成立するものである。他方,精神的エコ ゾフィーの方は身体や幻想,過ぎ行く時間,生と死の神秘,などに対する主体 の関係を再創造する方向に向かうことになる。そして,エコロジーにおける

3

(6 ) イニシエーション:当事者の社会的ないし宗教的地位の変更を伴う一連の行為をさ し,一般に儀礼を伴うことからも加入儀礼あるいは通過儀礼と訳される。

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75 企業戦略におけるカルトの気配 -75-つの基本的作用領域の再接合がないかぎり,人種差別や宗教的ファナティズ、ム, 少数民族の自閉への逆行と反動化,児童労働からの搾取,女性の抑圧,という あらゆる危険や脅威の増大を残念ながら予測せざるをえない。そこで,個別シ ステムを重視し支配的な様式を聞い直すことで,自ずと統合的な世界資本主義 から脱却すべくまたこ元的対立からも脱却すべく,個人と主観性の関係の再検 討を行う必然性が生じてくる。 3 資本主義におけるカルトへの接近 (1) 経営における超感覚への傾斜 先進国においては,ややもすると社会が閉塞状態に陥ると週末思想やオカル テイズムが流行しがちである。例えば,ソニーにおける超能力研究家やヤマギ シ会の隆盛などは,いずれもニューエイジ運動,あるいは新霊性運動と呼ばれ る世界的な潮流における地域的現象と捉えることができる。すなわち,わが国 の歴史風土はそうした潮流と相性がよいのか,結果的には斎藤貴男によればカ ルト資本主義と呼ばれる新たな価値の体系が発生していると考えられる。 このカルト資本主義は以下に見られるような特徴を持っている。第1はオカ ルト的な神秘主義を基本的な価値観とする。第2は西洋文明を否定してアンチ テーゼとしてのエコロジ}を主張する。第3は個人を軽視し全体の調和を重視 する。第

4

は情緒的,感覚的であり,論理的,合理的ではない。第

5

はバブル 崩壊後急速に台頭してきた。第6は企業経営者や官僚,保守党政治家ら,現実 社会の指導者層に属する人々が中心的な役割を担っている。その支持者たちも, 一般にエリートと目される高学歴の人々が多い。第7は無我の境地,ポジテイ ブ・シンキングなど,個々人の生活信条に属する考え方が普遍的な真理として 扱われる。第8は現世での成功とりわけ経済的な利益の追求を肯定する,むし ろことさらに重んずる。第9はナチズムにも酷似した優生学的な思想傾向が見 られる。第10は学歴などに対して普通以上に権威主義的なところがある。第11 は民族主義的傾向が強いことである。 こうしたいわばオカルト的な観念や思想がビジネスマンに浸透していること

(14)

76- 香川大学経済論叢 76 も否定できない現実が到来しつつある。そもそも,日本的経営とは就業員が企 業に対して全人格的なロイヤルティを伴う労働を捧げる見返りに終身雇用に代 表される生活の安定を与えられるシステムであった。しかし,リストラという 便利な言葉の下に首切りが容易になったため終身雇用制が当たり前の雇用慣行 は既に完全に喪失してしまっている。 それでトも,多くの経営者たちは従業員たちのロイヤルティを失いたくはない のは確かであり,そのためには例えばニューエイジや新霊性運動はきわめて好 都合なものである。多くの経営者は,なんとか社員や部下の価値観をもっと深 いところから揺さ振り,これまでの考え方を根底から覆すことによって表面的 な働きがいの向上に留まらない本質的な心の変化を生じさせたいと考えてい る。ゆえに,実際に何人かの経営者がカルト的な経営に飛びついたことも容易 に理解することができる。 (2) カルト経営者時代の到来 現在,日本の資本主義はまさに新霊性運動の装いも新たに凄まじい方向に進 展しようとしているが,これこそがここでいうところのカルト資本主義の興隆 を意味している。今更いうまでもなしこのいわばニューエイジ系カルト集団 の恐ろしさは自ら考えることのなくなったそれらの構成員たちがグルの一声で 他者を殺めて恥じもせず集団自殺さえ厭わないことなどに見いだせる。カノレト 資本主義に犯された企業の従業員たちも,また会社のため社長という名のグル のためならば反社会的な行為も犯罪も辞さないという懸念が感じられる。すで に従来型の日本的経営の下でも若干散見されたこのような兆候が今後とてつも なく深刻化していく危険性がないと完全にはいいきれない。 実際には,管理する側のエリート達が新霊性の潮流を生産性向上のための方 便として利用するのに対して,管理される側の人々は実はされる側なりの処世 術としてこの流れに巧みに乗っているように思われる。従業員が無我執,かっ ポジティブシンキングで働けば生産性が上がるため,管理する側は熱心にいわ ばオカルトを説くわけである。そして,一方,従業員たちは無理を重ねたり酷 い自に遭った時の精神的な痛みを和らげるために,無意識のうちに次第にこれ

(15)

77 企業戦略におけるカJレトの気配 -77-を受け入れていく。これは本人にとっては現実逃避なのであるが,現実を生き るための効果的な処世術である。 現在においてはいつ職を失っても不思議ではない状況であり,多くの我が国 の企業人は自我を確立した個人として自立した存在になれずに,次第に日増し に冷酷になっていく会社に対して一方的に譲歩を余儀なくされている。たとえ, どんな理不尽な命令を与えられようと酷薄な処遇を受けようと,我執を忘れて 前向きにすべては必要であり必然でありベストであると自らに暗示をかけてい こうとしている。このような状況下で,確実に企業経営においてもカルト的要 素を避けて通れないような現実が現出している。 III カルト思想の世界的潮流 前節において,超感覚的経営が要請される戦略与件についての考察を行った のだが,ここではこれを踏まえながら,この超感覚的思想、を経営戦略に活用す べく超感覚的思想、の世界的な潮流について概括的な整理を行ってみる。それは 具体的には,第lは神秘主義の世界的な台頭,第2は意識における進化的な変 容過程,第

3

はシュタイナーに見る神秘経済学,という

3

点についての神秘主 義に立脚した考察である。 1 神秘主義の世界的な台頭 昨今,急速に発展しつつある神秘学においては意識の統合化へ向けた

2

つの 具体的な道が伝えられている。この神秘的な道について,ここでは秘儀という 言葉で表現するならば以下のとおりになる。第

1

は我々が外へ向かつて感覚を 聞いている場合にその世界がベールに覆われていることである。そして,その ベールをかかげる行為がこの秘儀の行き方になりこれがアポロン的秘儀と表現 されている。第

2

は人間は自分の内部に感情や意志や表象など多様な内面の世 (7) アポロン:ニーチェによれば,これはギリシア的な理性の代名詞として光に溢れた形 態の原理であり,規矩正しい秩序を体現し,同時に日常の現実を越えて夢の中に浮かぶ美 しい姿を生み出す。

(16)

-78- 香川大学経済論叢 78 界が存在している場合その世界はベマルで覆われていることである。このベー ルを掲げる道をディオニソス的秘儀と表現するわけである。したがって,一方 のアポロン的秘儀とはいわば外なる世、界に向かつて寄在の秘密を探究する道で あり,他方のディオニソス的秘儀とはまさに自分の内面の道を無意識の世界の 奥底にまでおりて行こうとする道なのである。 さて,外部の世界で出会う神を明らかなる神という意味で顕神,そして,内 部の世界で会う神を幽神と呼ぶ、ことで顕界の神と幽界の神とを区別してきた。 また,一方のアポロン的秘儀については秘儀に於ける大道,他方のデ、イオニソ ス的秘儀については秘儀における小道とも表現することができる。 一方の安全なアポロン的な外へのおおいなる秘儀は一般に知られており,他 方のディオニソス的な内部に向かう秘儀は危険な道なため一般に対してはきび しく隠されている。すなわち,いろいろな行を積んだ後で初めてこの秘儀への 参入が許される仕組みになっている。ゆえに,より安全なアポロン的な外への おおいなる秘儀の方がディオニソス的な秘儀に比べて一般的には知られていた のである(図表2。) そもそも,アポロン的とかディオニソス的という言葉は実はロマン派の神話 学に端を発しており,実はニーチェの『悲劇の誕生』において取り上げられて から有名になったのである。このニーチェにおいては,人間は地獄の中を生き ているわけであるが,ゆえにそれに見合うだけの美的な仮象の世界をつくらざ 図表2 神秘i学における意識の統合化の2つの道 アポロン的秘儀 ディオニソス的秘儀 我々が外に向かつて感覚を開いてい 人聞は自分の内部に感情とか,意志 る場合に,その外の世界がベー1レに とか,表象とか,様々な内面の世界 覆われていた。 がある。 明らかなる神「顕神」 内部の世界で出会う神「幽神」 顕界の神々 幽界の神々 秘儀におげる大道 秘儀における小道 高 橋 巌 r神秘学講義』より (8) ディオニソス:ニーチェによれば,これは生の根源にうごめくほの暗いものの総称で あり,酒と狂乱の神であり躍動と情念の代名調である。

(17)

79 企業戦略におけるカルトの気配 -79-るをえないというわけである。そして,ニーチェはまさに苦悩する人間の見る 美しい夢の世界に対してアポロン的と名付けたわけである。例えば,拷聞を受 けた人間の夢,人生が地獄のような苦悩の中に進んで自分を一体化しようとす る熱狂,この2つこそがニーチェにとって最も秘儀に近い世界であった芸術の 2つの類型だったと解釈できる。 アポロン的秘儀をいかに理解しどのように現代の問題として捉えたのかにつ いて,ルドノレフ・シュタイナーにおいては,初期にはこうした秘儀に参入して いくための具体的な4つの方法として,第1に読書法,第2に自然の形象の解 読,第3にオカルト文字の解読,第4に意志、や感情や思考のコントロール,と いう行を特に強調している。 第

1

の読書という行は自分の精神を外に向け外となる多様な思想と自分の思 想を結び・つける根本的な学習でる。例えば,シュタイナーは読書がこの意味で できなければ現代文明の社会の中に生きる者にとってアポロン的秘儀は成り立 たないと考えていた。ただし,秘儀の道としての読書法とは普通の読書法とは まったく意味が異なっている。すなわち,どんな書物に対してもその書物には その書物の存在する根拠があるはずだという観点から何が書いてあるのかに注 意を向けるのではなしその書物の中に展開されている思考プロセスを追体験 することが大切なのである。 第

2

の自然の形象の解読という行は我々はどのような形象の中にもその象徴 的な意味を見つけ出すことができるという視点に立っている。すべての存在は 見方次第で多様な様相を表してくるが,その意味ではどのような存在も多層的 なあり方をしていると考えることができる。例えば,雲を見ながら天候の推移 を読み取ることも可能であり,また雲の形に様々なイメージを重ね合わせたり する行為などによって我々は主観的な感情をそこに投影することも可能であ る。あらゆる形象に対してそうした態度で接しようとする時に,それが自然形 象の解読や比轍の解釈を可能にしている。例えば文章を読みながら背景や行聞 を創造するというのもその1つということができる。 第3のオカルト文字の解読とはいわば霊界からの語りかけを読み取ろうとす

(18)

-80 香川大学経済論叢 80 ることである。霊主体従という考え方からいうと,アポロン的世界は体の世界 であり必ず形があるがその形の中に霊の作用を読み取ろうとするのである。体 的な存在も霊的な世界からの委託を受けているからこそ,そこに存在するのだ という観点、をユングは晩年徹底的に追求したのである。ユングは物理学者であ るパウリとともに,霊主体従的な問題についてオカルト文字の解読のために共 時性という概念を適用している。すなわちユングは,非常に確率の低い事象が 何度も重なったりした場合,そこにある偶然以上の意味や法則性の存在を解き あかそうとしたのである。したがってユングにおいては日常生活の中で,第

1

にともすれば偶然として見過ごされたりする様な事柄の中にこそ意味があるの ではないかと改めて考えること,第

2

に因果論では結びつきょうがないところ に結びつく可能性の意味を見いだすことが,まさにオカルト文字の解読を意味 していた。 第

4

の意志や思考や感情のコントロールは自我の働きを通して行うものであ る。しかし,これは感情や意志とも関係してくるため半分はディオニソス的秘 儀の領域であるともいえる。因果論的に説明のつかない問題を考えるというこ とは,オカノレト的な態度を採ることに通じると考えられるが,オカルト的な読 書方に集中していくと我々の内部で今までに使われていなかったエネルギーが 使われることになる。そして,その使い方によっては自分の気力や体力の疲労 を回復させるエネルギーと同様なエネルギーがそちらに流用されていくことも ありうる。このように日常行わない集中力を使い始めると,そのエネルギーは 今まで他に流れていたため健康についてもより意識的に気をつける必要が生じ てくる。 突然に内面生活に変化が生じると,その内面の変化に応じてより大きな力が 一方に流れていくため魂をコントロールする自我がパニック状態に陥ることに なる。ゆえに,ユングのいうように自我を成長させて自我のコントロールする 力を強めていく必要が生じてくる。 人間において一面化が現れてくるのは思考と感情と意志という三大能力に よっている。全体としての結びつきをもたない能力とは,そこに自我の働きを

(19)

81 企業戦略におけるカルトの気配 81 通して意志と感情と思考のコントロールが働いてないことに起因している。ゆ えに,自我のコントロールするためにも魂の生活のリズム化が重要なのである。 それは,広い意味でのリズムを日常の魂における営みのなかに生み出し,生体 を維持するために流れていた力を魂が必要としていたとしても,こうしたリズ ムを魂の生活のなかに導入することでその力を必要とせずとも魂の活動が次第 に活発化してくるからである。 2 意識における進化的な変容過程

(

1

)

生態的意識へ向けた意識の進化 オカルト的な神秘性は今日のポップカルチャーにおいては特別な媒体となっ ているが,それらは伝統的な知性に対する反逆であることを垣間見ることがで きる。同時に,そこでは奇跡的なものの到来を求めていることが見いだされる。 そこで以下において,このような問題意識に立脚して,ロ}ザクの f意識の進 化と神秘主義』により意識の進化経路についての考察を行ってみる。 昨今,急速に進化的変容という考え方が現在というまさに歴史的な瞬間を解 釈するにあたって主勢となりつつある。そのため,精神療法などの治療技術や 意識探究などの新宗教といった急進的な流れとともに,この領域において動く 者の数が増加しつつあるが,そこにおいては実は人間的可能性の進化的イメー ジをめぐってひとりでに

1

つの一致した見解が生じてきている。そのことは, 全地球的に精神に突然変移が生じて,それが我々の正体の奥底に長らく熟しつ つあった意志のエネルギーと洞察力を解放しようとしていることを意味してい る。すなわち,我々はその証人になるのだという意識が今日の民衆神話になっ たともいえるわけである。 さて,新しい生態学的意識の興隆は総体としての地球に対する忠誠感覚の高 まりと共に時代の大転換が到来していることの兆候を表している。このもう

1

(9 ) シュタイナーは魂のリズムを作る上で決定的に重要であるとする 6つの行をあげてい る。シュタイナーは6カ月を魂の一つの周期と考えて特定の能力を開発するためのリズ ムを各月のなかに組み込む方法を掲示している。

(20)

-82- 香川大学経済論叢 82 つの兆候とは実は古くからの形而上学的学問の諸分野と現代精神療法との急速 な統合なのである。ところで,進化的変容の概念を精神的な伝統に結びつける ことによって捉えがたいこの現代を理解する鍵となすことは不可能であろう か。言い換えれば,このことは例えば,第

1

に生物学や神経生理学や何らかの 形の精神療法によっては考えられることのない意識の進化の意味,第2に進化 論的宿命という考えを持つ人々の多くが未だ認識していないような意味, を捉 えようということの試みである。 (2) 霊的なものに対する知の認識 近代西欧の主な

3

つの文化時代において,最初の時代であるルネッサンス期 では際立つた創造的少数がその逆流に沿って仕事をすることで人間性の限界を 広げようとした。そして,その後の時代である 18世紀の後半から 19世紀初頭 にかけてはロマン派運動が展開され,第3の時代が今実際に我々の世代が生き ている現在なのである。 この3つの時代に多様な相異があるにもかかわらず,それぞれの時代の最も 革新的な人物違の生活様式の心理的な傾向を見ると非常に類似していることが 理解できる。すなわち,それぞれにとってそれぞれの時代がこの上もなく不安 な時代であるが,同時にこの上もなく野心的で精力的な時代なのである。この

3

つの時代のいずれもが,個人のオリジナリティと天才の異常を称賛し霊感そ して,を受けた個人を文化の創造者として特別扱いしその価値を力説している。 いずれの時代も不満やニヒリズムや悪魔的不均衡状態などの極端に走る傾向 が散見される。しかし,いずれの時代も人間の能力に対する我々の知識をおお いに拡大し,何よりもオカルト研究と外来宗教などに熱中している点できわめ て類似している。 このような時代の流れの中において何よりも重要なこ まさにカノレト的なものを単なる異常心理学の限界を超えた

1

つの宇宙的 また, とは, 現実と認めたことなのである。 こうして,秘境的な伝統に熱心な宗教や結社が西欧社会に再出現し,賢者の 石や消えたエホバの姿や異境の神を大昔きながらに求めるようになるのだが, このようなことが起こったのは実はロマン主義を通りすぎた後からである。そ

(21)

-83 企業戦略におけるカルトの気配 83 ロマン主義の果たした役割はきわめて多大であると考えるこ そして例えば,パリのエリファス・レヴィのグループ, キーの神智学芸,ルドノレフ・シユクイナーの人智学,02) の銀星教還などに代表される初期オカルトグループが示したのは, 識の回路にいたる重要な導管であるということに他ならない。今日,多様な時 代のあらゆる神秘的な官険記やオカルト的狂騒がヨガの行や急進的な内観療法 とともに脚光を浴びつつある。かつては伝統的キリスト教の低下した霊性にも, 非宗教的なヒューマニズムの進行にも対抗したアウトサイダーの訴えが急速に 大きな文化運動の次元に躍り出て,人間性の知られざる隅々に大規模かつ無分 マダム・プラヴァツ アレイスター・クロウリー それらが意 の意味において, とができる。

J

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i -! i 別に広がることとなったのである。そのような混乱の中から,まさに混成され た可能性が新しい種族を作るために多様な材料を導き出すことで発展の支配的 なパターン内における淘汰と総合が起こってくる。 こうしたことから,今我々が求めるのは霊的なものに対する知ともいうこと それがなければ人間の意識の回路は異常な娯楽や安易な療 法レトリックや事大・主義的なグノレの行うトリップや悪魔的な破壊になってしま ができる。もしも, (10) エリファス・レヴィのク。ループ:エリファス・レヴィは古代の秘教を復興し統合したこ とで著名な魔術理論家で彼を中心にして組織化が行われていた。また,彼は『高等魔術の 教理と祭儀』の著者としても著名である。 (11) マダム・ブラヴァツキーの神智学会:へレナ・ぺトロヴナ・ブラヴァツキーの主催する 神秘的集団である。彼女は20世紀神秘学の根幹をなしたロシアの女性霊媒である。 1875 年にオJレコットらと創設したのが神智学協会である。主著に『ベールを脱いだイシスJ, 『シークレット・ドクトリン』カまある。 (12) ルドルフ・シュタイナーの人智学:ルドルフ・シュタイナーの唱える神秘主義である。 彼は,隠された秘教知識を万人に解放した巨人である。彼の主張の根幹には,全宇宙は人 間精神の内に含まれ,この人間精神は今の公式心理学がいっているところとは桁外れの たいへんな能力を持っているという考え方を感じ取ることができる。ドJレナッハに精神 科学教授のためのゲーテアヌムを設立したり,子供の内的生命と自発性を尊重した教育 を志向してシュタイナ}学校を創設した。また,ヒットラーとの命がけの闘争についても 有名である。 (13) アレイスター・クロウリーの銀星教団:アレイスター・クロウリーは20世紀最大の魔 術師といわれた男で自らが主催する銀星教団を組織化した。彼の使命とはキリスト教の 誤った教義に代わる新たな時代の霊的原理を確立することであった。

(22)

-84ー 香川大学経済論叢 84 フ。 そこで,我々にとってはいわば聖なるパラダイムとそうでないものを識別し 見極めるための知を探索することが必要になってくる。ところで,我々の社会 の精神的知性は精神療法と伝統的な智慧とを創造的に融合するところから生じ ると考えられている。このような観点に立脚するならば,この融合によってこ そ意識の進化論的な官険を完成するために必要な光を見いだすことが可能に なってくる。 3 シュタイナーにみる神秘経済学 (1) 精神生活と経済活動 ここでは,近年翻訳されたルドノレフ・シュタイナーの『経済学講義』によっ て神秘主義的経済についての考察を行ってみる。このルドルフ・シュタイナー は既にその主著である『社会問題の核心』の中で価格について以下のような論 述を行っている。それは,例えば誰かが何かを作った場合に,それと同じもの を再び作るまでの聞における本人やその家族を養うための必要額こそがその製 品の公正価格であるという価格観である。 経済学講義においては,このような考え方が詳細に論述されている。この考 え方は,言い換えれば生産者が同一製品を作るまでの聞の必要な対価を満足さ せなくてはならないということを意味している。ここで注意すべきは,シュタ イナーがいうところの公式の本質が実は過去にではなく未来にあるという点な のである。すなわち,経済は過去のプロセスから未来のプロセスへ移行するこ とで成立するが,未来のプロセスを実行するのに過去のプロセスをそのまま使 用すれば価値の混乱が起きてしまう。 例えば,ある製品を売る時に,その製品を作るのに要した時間が国民経済的 な基準になるのではなく,次の製品を作るまでの時聞が基準になるという観点 がシュタイナーのいう価格に関する眼目なのである。ゆえに,シュタイナーは 前述の公式の中に経済プロセス全体がいかに収まるかを理解する必要性こそを 重要と考えたわけである。

(23)

85 企業戦略におけるカルトの気配 -85ー また,シコタイナーにおいてはこの経済プロセスについては特に生産と消費 に目を向ける必要があると主張している。そこで,第

1

に精神労働は一体どれ くらい経済的に生産的なのか,そして,第

2

に精神労働はそもそも経済的に見 て生産的なものなのかどうかという聞いに対しては,シュタイナーは,ただ単 に過去のみを統計的に振り返るだけならば過去から直接派生するものすべてに かんして精神労働については非生産的である,と述べている。その理由は,過 去から未来への流れの中においては純粋に物質的な労働のみが生産的だからで ある。 ここで未来に自を向けて見ると,一転して精神は未来に向けて生産的ではな いとはいえないことになる。それは精神労働者は過去に対してはただ消費する のみであるが未来に対しては生産者だからである。このように,シュタイナー は未来を過去と同じ意味で考察することはできず,したがって精神労働すなわ ち思考行為を計算に入れない国民経済的考察は現実的な考え方ではないという 考え方を提示している。 もちろん,経済プロセスの純粋に物質的な過程からするならば,精神労働者 は過去に対しての消費者でしか過ぎないわけである。しかし,国民経済的に思 考し経済の有機体全体に着目するならば,その労働は本来的には別の経済プロ セスになる。ゆえに,シュタイナーにおいては,純粋な消費者なしには経済プ ロセスの前進は不可能であるという考え方を主張している。言い換えれば,こ れは,もし皆が生産するならば生産されたすべてのものを消費することはでき なくなるため,純粋な消費者がいることによって経済プロセスの前進が可能に なるという考え方である。 (2) シュタイナーの唱える経済宿環 ゆえに,経済プロセスの中に純粋な消費者がいることを明らかにする必要が ある。シュタイナ}においては決済と融資と贈与の経済プロセスの輪にいかに 国民経済の過程や国民経済の事実を組み込むかが重要であると述べている。す なわち,国民経済においては,個々の概念が絶えず、動き合い全体的な現象や全 体的な事実は複雑な要素の複雑な相互作用から生じているという考え方であ

(24)

-86- 香川大学経済論叢 図表3 シュタイナーの経済循環の基本概念 贈与 Schenken 自然 Natur 決済 Zahlen 融資 Leihen 労 働 Arbeit 86 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナー経済学講座』より る。すなわち, シュタイナーにおいては第

1

は決済,第

2

は融資,第

3

は贈与 という循環が行われ,最後に第4は自然に戻っていくことになる(図表3。) 第

1

の決済段階については,購買にあたって代価を支払うことを意味してお り, これによって,実は商品の価値が決定される仕組みになっている。そして, このような決済行為から,経済プロセスが始まっている。第

2

の融資について は何かを行うにあたって金銭を借りることを意味している。そして, この{昔り た資本に対して我々は多様な才知を用いることが可能である。第3の贈与につ いては国民経済においては,決済,融資と三位一体の概念と考えることが可能 な概念である。言い換えれば,このことは,例えば何かを子供たちに与えること は子供への価値の移転を意味していると考えるようなことである。こうして, これらの段階を踏むことによってシュタイナーの主張する経済の循環が行われ ていく。 ここで大切な観点は,経済活動が精神活動によってこそ生動化されるという 認識を持つことなのである。それは自由な精神生活を営むものは過去に対して は純粋移な消費者だが未来に対しては間接的なのだがきわめて生産的な存在だ からである。すなわち,自由な精神生活は社会有機体の中で本当に解放されて, その能力を発揮することができれば自由な精神生活は,物質の生産にかかわる 不自由な精神生活に対して好影響を与えることができるからである。 このよう

(25)

87 企業戦略におけるカルトの気配 -87-に,精神的自由人は,精神性を他の人々に提供することで人々の思考を柔軟にし て,結果的に人々がよりよい形で物質的なプロセスに関与できるようになって いる。 また,土地問題に見られるように資本は担保になる傾向を持ったものである。 そこで,資本が自由な精神機構の中に流れ込ませるのが大切である。すなわち, 担保として束縛されがちな貨幣が自由な精神的機構へと復帰する道を見いだせ るように経済連合体を配慮することが大切なのである。こうして,まさに経済 連合体の活動と一般生活との関連が生じることになる。この結果,経済連合体 によって資本を自由な精神的機構へと導けるわけで,そのため過剰な資本を自 然から引き離すことが可能になってくる。

I

V

カlレト経営のパラダイム 世界中において宗教を始め多くの神秘主義的な思想、が日常の人間生活に浸透 している。このような状況下で企業経営においても厳しい競争を勝ち抜くため には,超感覚的な領域へ踏み込むことはおおいに効果を発揮するものと期待で きるという考え方もある。そこで以下においては,このような観点に立脚して 企業経営における超感覚的なアプローチを行う際のパラダイムについて考察を 行ってみる。具体的には,第1は宗教思想、における意義と概要,第2はビジョ ナリーカンパニーの特徴,第3は企業におけるカルト文化の定着,第4はカル ト志向のビジョナリtーカンパニー,という 4点についての論述である。 1 宗教思想における意義と概要 超感覚的経営のパラダイムを考察するにあたって,ここにおいては,脇本平 也の言説によってまず宗教という言葉が指しているものは一体何であるかにつ いての考察を行う。この宗教という言葉には,実は,第1に教義,第2に儀礼, 第3に教団,という 3つの側面が含まれている。この教義や儀礼や教団という 3要素はまさに文化や社会の集団現象にかかわるものである。一方,これに対 して,個人現象において捉えられるものが人間一人ひとりの宗教体験というこ

(26)

-88 香川大学経済論叢 88 とができる。言い換えれば,このことはあらゆる宗教現象の根本にあるのは個 人の内的な宗教体験であり,そしてそれが外側へ表現される場合に教義や儀礼 や教団といった形式をとると考えられることを示唆している。 宗教思想の内容については人間意識にとって問題となる多様な事柄が含まれ ているが,それは人間観,世界観,実在観という 3つに大別することができる。 しかし,これらの,人間とは何か,世界とは何か,究極的な聖なるものは何か, というような問題は相互に緊密に組み合わさることで宗教思想の全体像か、構成 されている。こうした内容をもった宗教思想が表現される形式を類型的に整理 するならば,第lには口伝伝承,そして第2には文書伝承の2つに整理するこ とができる。 宗教思想の表現形式は,口伝においても文書においても時の流れとともにや がて組織的に整理されていく。そこで,仮定に沿って宗教思想の表現形式を分 類すれば,第

1

は神話,第

2

は教説,第

3

は教義,という

3

点に整理できる。 第

1

の神話(ミス)は神々の物語であり,体系的に整っているとはいいがたい が宗教的な智慧を秘めており,この神話の表象を通じて人々は自分たちの人生 の意味を悟ることができる。 第

2

の教説(ドクトリン)とは宗教的創唱者などの説いた教えのことである。 (14) シカゴ大学のワッハは宗教を構成する中心的な要素にまず宗教体験を上げている。すな わち,ワツハによれば宗教を構成する諸要素の相互関係については宗教的体験が概念的・知 的な方向で表現されるところに成立するものが信念や教義などの宗教の思想面にすぎない ことになる。言い換えれば,そのことはいわば宗教的な体験が実践的な行為の側面で表現さ れやがて定式化する段階まで高められることが不可欠であることを意味している。 (15) 人間観:宗教的人間観とは人間とは何かという根本問題に対して,それぞれの宗教が 用意している解答の全体である。 (16) 世界観:世界観とは人聞を取り巻いている世界の全体についての見方や考え方のこと である。 (17) 実在観:宗教的実在観とは,本当であるものや本物についての思想のことである。それ らは日常世俗の世界を超えて超越的なるものであり,また相対有限の世界を超えて絶対 的なるものとされることが多い。すなわち,それは単に哲学的,思弁的に探究されるだけ ではなくて自己が生の真っ只中で出会う宗教的な客体として問題にされている。このこ とは,言い換えれば自己の最終的根拠としての聖なるものが個々での中心問題になると いうことである。

(27)

89 企業戦略におけるカルトの気配 -89 第

3

の教義(ドグマ)は思想、の体系化と組織化がもっとも進んだ、ものといえ, この組織化や体系化は教団が形成され確立される過程と平行して展開するのが 普通である。すなわち,教祖を中心とする弟子たちの集団が教祖なき後も宗教 的社会集団として存続確立されていくにつれ,それぞれの教団において制度的 にはっきりと規定された教義が成立していく。そして,これが次第に一般信徒 に対して公布され信仰の規範として権威を持つものに進化していくわげであ る。 2 ビジョナリーカンパニーの特徴 コリンズとボラスの『ビジョナリーカンパニー』によれば,昨今企業経営に おいては,世界中においてビジョナリーカンパニーが多大な注目を浴びている。 そのことは,実際には以下のようなことを物語っているわげである。例えば,

HP

ウェイを熱心に学ぶ気持ちになれなければヒューレツト・パッカードの一 員にもなれない。顧客へのサービスに熱狂的になれなげれば,またウォルマー トの流儀に居心地の悪さを感じるのであればウオノレマートの一員にはなれな い。品質向上の聖戦に加わろうという気持ちがなければたとえ社員食堂で働く にしてもモトローラの一員にはなれない。健全さや魔法や妖精のおとぎ話に熱 中できなければディズニーランドで働くことはできない。 このように,ピジョナリーカンパニーは勤務成績やイデオロギーの信奉とい う点において社員に対する要求が著しく高くなっている。すなわち,このビジョ ナリ}カンパニーにおいては,優しくて,かつ居心地のよい環境が整っておら ず,また自由奔放を許すこともまったく考えられない。したがって,ビジョナ リーカンパニーは自社の性格や存在意義や達成すべきことを明確にしているた め,その厳しい基準にあわない社員や合わせようとしない社員が働ける余地は 少なくなる傾向が顕著なのである。 ビジョナリーカンパニーにおいては,普通の企業よりはむしろカルトと共通 した点があることが特徴なのである。それらについては,具体的には,第

1

は 理念への熱狂,第2は強化への努力,第 3は同質性の追求,第 4はエリート主

(28)

-90ー 香川大学経済論叢 90 義,などを考えることができる。これらにおいて,特に優れている企業が,今 後におげるエクセレント・カンパニーとして大いに期待できるわけである。 3 企業におけるカルト文化の定着 そこで,ここではビジョナリー・カンパニーとして著名な企業の紹介を行う ことで,カノレト文化は企業に定着しつつあることの理解を深めることにする。 それらは,具体的には,第

1

はノードストローム,第

2

IBM

,第

3

はウォル ト・ディズニー,第 4はプロクター&ギャンブル,についての考察である。

(

1

)

ノードストローム 第

1

のノードストロームにおいては,顧客中心主義に立脚したいわゆる逆三 角形組織で著名な企業である。ここにおいては,入社後顧客サービスの英雄の 話を聞かせたり,壁には標語をはりつけたり,宣言について何度も唱えること を教えながら,英雄に対して拍手と喝采を以って讃えるという,まさに徹底し た社員の教化を継続している。また,ここにおいては,可能な限り若者にシフ トした雇用を追求することで社員に対して早い時期に自社の流儀を教え込み, 同時にノードストロームの基本理念に忠実な社員だけの昇進を行っている(図 表

4

。) また,ここでは同質性についても厳しく追求されており,ノードストローム の流儀に適合的な社員については給料や資格や表彰などでの面において!次々に 図表4 ノードストロームの企業構造 顧 客 販売員と販売支援担当者 部門責任者 説,電子マネジャー,時担当者

可ぎ多/

ジェームズ・ C・コリンズ,ジエリー・ I・ポラス rビジョナリー・カンパニー』より

参照

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