商業近代化地域計画の
策定における論理の一例
八 十 川 陸 夫
I はじめに 「商業近代化地域計画」における「商業近代化」とは,地域の商業が環境の変 化に対応してゆくことだと考えられ,商業をめぐる諸環境と商業の最適適応行 動とを結ぶ論理を手がかりに地域商業のあり方を方向づけるのが地域計画の役 割なのであるが,地域計画の策定作業にも,それをめぐる経緯と状況というも のが存在し,それらに対応して,計画の目的,計画の役割,計画の構成など計 画の性格を適合させてゆかねばならないことは自明の理である。そして,そこ にも,環境と適応行動(策定作業)とを結ぶ論理があり,それに導かれた計画 策定作業の基本的方針が存在すべきは当然であろう。本稿は,筆者が参画した 徳島地域の実施計画策定作業において,作業自体を方向づける立場にあった筆 者がたどったJ思考の過程を再度整理し,一つの論理のパターンを明らかにした ものである。このような研究を,地域を変え,時期を変えて重ねることが可能 であれば,あるいは,商業近代化地域計画策定作業が置かれている状況をパター ン化し,それぞれのパターンについて策定の指針を対応させ得ることになるの ではなかろうか。 II 商業近代化地域計画の策定 昭和4
6
年度に行われた地域計画策定作業が準拠すべき上位計画としては,ま ず,その時点での「徳島東部都市計画」があり,用途地域など主として規制的-18- 第60巻 第3号 480 な面で開発・再開発計画とかかわることとなる。公定上位計画の第
2
としては, 同年12月に「徳島市総合計画J(4J
が作成され,まちづくりの諸目標が掲げ られるとともに,開発的手法の導入可能性を持つ地区が提示されたのである。 この基本計画においては,地域の広域性商業の整備に関しては,次のような考 え方が貫かれていて,それが地域計画に受け継がれていった。 ① 総合的一体的市街地の形成を図る。 ② 商業地区の整備は既存の集積を生かすこととし,広域性商業機能の郊外へ の拡散は行わない。 ③ 商業の充実は,都市再開発によって実現する。 そして,その再開発事業として, 1 徳島駅周辺地区の再開発2
中心部商庖街の再開発3
八万地区区画整理4
新町川の浄化 が提示されており, これらの事業は全て,1
4
年後の商業近代化実施計画C19
J
の策定とも現実に深いかかわりを持つこととなった。 すなわち,徳島駅周辺地区の再開発では r城山を中心とする徳島公園から新 町川を経て眉山山ろくにいたる徳島市のシンボルゾーン」という表現によって, 城山から眉山に至る道路およびその沿線が,基本計画のキャッチフレーズであ る「光と緑と水の人間都市」の都市景観軸として位置づけられただけではなく, 再開発の細目の『歩行者専用道路』において,中心市街地再開発の主軸として, 新町川沿いの公園を有効に連絡する歩行者専用道路と一体として計画されるべ きものとして示された。これが後に r徳島市中心商業地買物動線整備基本計画」 C12
J
のプロジェグトを生むこととなる。また,細目『内町小学校跡地および その周辺地区』においては rこの地区は,立地条件からみて高度利用をはかる べき地区である。そのため,公共施設をはじめ,業務・商業関連施設などの有 機的な配置をはかる」とされ,これが下位計画「徳島市徳島駅西地区市街地再 開発事業基本計画」となり,商業近代化実施計画が負わされる基本課題を決定481 商業近代化地域計画の策定における論理の一例 -19-する伏線となるのである。再開発プロジェクトの第2としての中心部商屈街の 再開発では,徳島駅から元町・東新町・両国本通りを循環する商庖街およびそ れらに接続する一帯の商庖街を含めた中心商屈街は,広域を対象とする小売商 業機能を担う地区であり,-高級専門庖街としてのショッピングセンターとする ために,再開発を必要とする地域である」と規定された。そして,国・県の各 種助成制度の導入と市の助成措置を推進す!るものとして,行政の助成が予定さ れたのである。第3の八万地区区画整理は,国道55号線バイパス沿いの農地を 主とした約128ヘクタールを対象としたもので,公共施設として, 55号ノミイパ スの他に幹線街路
3
線と幅員4-8
メートルの区画街路を適切に配置すること が計闘されており,これが後に,マイカー立地の,しかも面的拡がりを持つ良 好な商業地形成の基盤となり,モータリゼーションが都心性商業に与えるイン パクトを助長することになる。第 4の新町川の浄化は,前述のシンボルゾーン の一要素である m水"にかかわるもので,-きれいな新町J
I
I
J
の再現を図ること が定められていて,後に「地方都市中心市街地活性化計画」のうちの新町川水 際公園整備事業と一体化するものとなったし,また,実施計画において「東船 場リバーサイド・ストリート」が主要プロジェクトの一つに設定される根拠と もなっている。 昭和46年度事業としての商業近代化地域計画策定は,市の総合計画の作成作 業との連携をとりつつ進められ,小売業の近代化に関しては,商庖集団の階層 が広域性と近隣性の二段階構成に近づくとの予測を前提に,まず小売商業機能 配置のマスタープランを定め,次ページの概念図を示した。 これにもι
づいて,商庖集団別機能分担のフレームワークとして「徳島駅前 より眉山にいたる駅前大通り沿いの大型プロジェクト区域を都心型百条地区と する」とし,その範囲を徳島市域において広域性商業機能を担う唯一の地区と して位置づけた。この計画区域は,市の総合計画C
2
J
の産業振興の基本方針 (1) 地域計画の内容に関する記述 ft.参考資料C1Jの136-142ベージに拠る。 (2) C1J
の報告書では,広域畦商業のことを「都心型商業」と表現しているが,このレ ポートの中では,市街地内立地における「都心J.いわゆるダウンタウン,と「ターミナ ノレ」とを区別するために,機能の階層を示すときは「広域性商業」で統ーした。-20ー 第60巻 第3号 482 第l図 小売商業機能配置概念図 で示された「イ 商庖街の整備」の対象区域とほぼ一致するもので,この区域 については,新町川より南の東新町を中心とする商庖街群(新町地区〉とJII北 の国鉄徳島駅の駅広場を囲う商屈街群とが有効競争の形態をとりながら広域性 商業地区として発展してゆくことを図った。これが,城山,新町川,眉山の自 然、を採り入れたシンボルゾーンを軸とする,いわゆる「ニ眼レフ構想」である。 この大型プロジェクトの内容を要約すると,計画区域全体を対象として地区 イメージを確立するため,ニ眼レフにおける南のレンズを核とする街区をスト リート型ショッピングゾーン,北のレンズを核とする街区をワンストップ型 ショ yピングゾーンとして,ニ眼レフにおける機能分担を明らかにした。そし て,重点地区としては,市道の東新町線,銀座通線,篭屋町線に閤まれた「三 角地区」を南の核,内町小学校跡地を中心とする元町地区を北の核, として設 定し,それぞれの再開発について,基本方針とモデノレプランが策定されている。 元町地区再開発の基本方針のーっとして r大型プロジェクトの土地利用計画に 適合する総合的用途構成を図るとともに,容積率は
600%
にとどめ,過大な商業 床の供給はさけなければならない」ことが示されているが,後日に,この2
0
字 の表現の重みが明らかになるのである。 ( 3 ) この「二眼レフ」とL、う言葉は,その後,徳島市中心商業地区の整備におけるキィー・ ワードとなることになる。国街宣匝4星 ~t;"I(";:ロメ薩¥ 困
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一
485 商業近代化地域計画の策定における論理の一例 -23ー III 実施計画策定作業開始に至るまでの経緯 地域計画完成直後における市街地および商業施設の整備に関する会議,調査, 計画等の動向は以下のとおりである。 昭和47年4月 地域計画の推進を目的として「商業近代化促進協議会」が発足。 昭和47年5月 市長が内町小学校移転を含む「徳島駅周辺再開発構想」を発表。 昭和48年4月 市に都市開発課が新設。市街地再開発,国鉄高架化を担当。 昭和48年7月 「新町地区市街地再開発基本計画」調査着手。 昭和48年8月 鉄道高架化の推進を目的とする「国鉄高架化促進協議会」が発 足。 昭和48年11月 「新町地区再開発懇話会」が発足。 昭和49年4月 中心市街地整備構想の策定を目的として各界代表による「都市 問題懇話会」が発足。内部に「デザイン委員会」を置く。 昭和49年6月 「徳島市新町地区市街地再開発基本計画」が懇話会に報告され る。 昭和49年9月 「徳島市内町地区市街地再開発基本計画」調査着手。 以上の動向から指摘できることは,商業近代化地域計画が「二眼レフ構想」 を打ち出した昭和47年3月から僅か2ヶ年半の聞に,多くの商業者の利害関係 にかかわる内町地区の調査事業にまでこぎつけたスピードの速さと,手順を尽 くした組織的な進行の見事さとである。このあたりに行政主導型の再開発事業 のモデルを見るのであるが,反面,この点が,内町地区再開発問題に関して行 政と一部商業者との聞に認識のずれが発生する一因となったようである。新町 地区では,昭和48年度に策定された上記の基本計画をもとに,地元懇談会を主 体とする官民(市,商工会議所〉一体となった事業の促進を図り,昭和49年に は,具体的な事業化検討のための準備組合結成段階まで進んだが,結成には至 らなかった。これの原因としては,オイル・ショックの影響,連帯意識の低調 さ,新規事業に対する消極性等の理由があげられるが,問題は,これらの事業 不成立の原因に対する認識のずれだけではなく,この新町地区の再開発と内町
24ー 第60巻 第 3号 486 地区の再開発との関連性をどう見るかという理解の差にも存在するようであ る。行政とすれば,新町地区の基本計画を先行させ,相当の努力を傾注したの であるが,見方によれば,内町地区再開発の布石であると解釈することも可能 だからである。 地域計画策定後の経緯の第
1
のポイントが,地域計画の「ニ眼レフ構想」の ごつの重点地区について,再開発の基本計画策定が急テンポで進行した点であ るとすると,第2
のポイントは,市街地整備が極めて体系的に計画され実行さ れていることであろう。地域計画の「ニ眼レフ構想」は,前述のように二つの 再開発基本計画に具体化されただけではなく,昭和5
0
年7
月にまとめられた 「中心市街地の整備に関する報告書JU
7Jに採り入れられ,商業施設に関する 部分ではあらまし以下のような内容となっている。 ① 整備目標を「徳島地域商業近代化計画の実現」におく。 ② 整備は既存の集積を生かし,その機能分担を推進する。 ③ 中央商業地区の整備は,商業近代化の実現の核となる地区会重点的に設定 する。重点地区は新町地区・駅前西地区とする。 ④ 中央商業地区の整備にあたっては,施設の配分と構成は,現況施設量の偏 在を是正し,かつ,各地区が有効競争を行い得るように配慮する。 ⑤ 物販機能のみの商業地区から脱皮し,関連施設の集積を図り,多様性を求 める市民のための環境づくりをすすめる。 このC17Jをうけて,昭和5
0
年には,徳島市長を議長とする「徳島市中心市 街地整備推進会議」が発足し,その下部組織として「市街地再開発推進小委員 会」が設けられた。小委員会では,再開発事業施行区域,市の参加方式,事業 実施のための計画が検討され r徳島市徳島駅前西地区市街地再開発事業実施の ための基本計画J(7Jが策定された。また,徳島駅周辺の土地利用,交通体系, 施設配置についての検討からは r徳島駅周辺整備構想JC10
J
が生まれ,駅前 の商業的再開発の影響については r徳島市中心市街地商業影響調査報告書」 (4) 参考資料(17)の4ベージ。487 商業近代化地域計画の策定における論理の一例
-25-C
2J
が提出された。このレポートでは r駅前再開発ピ)レを申請面積通り認め ても中心市街地の商業集積との共存共栄が可能である。」として商業床の過大供 給の可能性を否定しており,内町地区での再開発に商業者の同意、をとりつける 状況づくりの内容となっている。これが昭和5
4
年4
月のことであるが,これを 契機として「二眼レフ構想」は,南北両商業ゾーンの機能分担によるバランス ある発展およびそのための重点地区整備というそれまでの連立方程式的取扱い を離れ,専ら,北の核の規模・機能を前提とした中心市街地および商庖街の整 備という方向に性格づけされることとなった。そして,同小委員会の商業専門 部 会 で は , 翌 日 年3
月には,上記の方向にそったこ眼レフ構想実現のための具 体策として「徳島市商業近代化実現のための方策に関する報告書J(11Jを作成 し商業者に提示したが, この報告書作成の過程にも商業者を参加させ,駅前再 開発事業への協力体制を固めていったのである。 さらに昭和5
6
年3
月には,前記0
1]のうちの街区整備のための方策をうけ て「徳島市中心市街地買物動線整備基本計画J0
2
J
が策定されたのであるが, 以上,昭和5
0
年から5
5
年に至る聞の行政の取組み方は,正に整然とした体系 と合理的な過程に従ったものであって, この点についても,手を尽くしたと感 じるか,あるいは論理に圧倒されたとみるか,手際がよかっただけにかえって 認識にずれが起こり得るといえよう。 実施計画の策定に至るまでの経緯についての第3
のポイントは,商庖街およ び周辺の街区整備が急ピッチで進行したことであり,この点については関連者 の闘では「環境整備先行型まちづくり」とさえ言われている。前述の買物動線 (5) 大型庖進出の影響については,田村らの [22Jに先だって,徳島商工会議所の依頼に よって八十川 (23)が作成・公表されている。このレポートのポイントは以下のとおり である。 ① シミュレーション結果として,大規模な商業施設が建設された場合,既存商業に大 きな影響がもたらされる可能性がある。 ② 新町地区には,商業床追加許容面積のうちから相当量の増床部分を長期計画のため に留保しておかなければ,街区の衰退を防止することは不可能である。 ③ 大型商業施設の立地が「ニ限レフ構想」における中心商業地区を離れる場合は,想 定される公定計闘の時点修正に相反するものとなる。 (6) 参考資料 [2Jの59ベージ。-26- 第60巻 第3号 計間Cl
2
J
等に関するものとしては,以下が事業化されている。 昭和56年度1
両国橋南商屈のアーケードおよびカラー舗装の全面改装2
内町新町歩道橋の架設 昭和57年度 3 紺屋町地下駐車場整備事業 (289台〉4
銀座商庖街オープンモール5
西新町1
丁目商庖街のアーケード,カラー舗装およびゲート新築 昭和58年度 6 新町川第2連絡橋「あいせん橋」の架設7
一番町商庖街オープンモール 4888
東新町1
丁目商庖街のアーケード,カラー舗装の全面改築,コルネの泉 新設 昭和5
9
年度 9 紺屋町シンボルロード整備事業(紺屋町公園〉 10 シンボルロードモニュメント(カラクリ時計)の設置1L
元町商庖街のアーケード,カラー舗装の全面改築 昭和60年度 12 東新町2丁目商庖街のアーケード,カラー舗装の全面改築 以上のうち, 2, 3, 6, 9は公的な施工であり,その事業費は約35億円に 達しているし 4については相当額の特別助成がなされている。 さらに,実施計画策定の年,昭和60年6月には,建設省の新規モデル計画 「シェイプアップ・マイタウン」の計画認定都市に選ばれ「徳島市中心市街地 活性化計画」がオーソライズされた。主な事業としては,新町川水際公園整備 事業,シンボルゾーン整備事業,紺屋町シンボルロード整備事業(当時は継続 事業),商庖街活性化事業(継続〉の四つの核的事業,自転車駐車場整備事業, (7) 参考資料C19Jの25ページ。489 商業近代化地域計画の策定における論理の一例 -27ー 新町川公園整備事業等の関連事業,紺屋町地区等において建築協定又は地区計 画の導入などのソフト施策があり,新町川の水際公園については
6
1
年度に着工 されている。I
V
実施計画策定作業が置かれた状況 前述の経緯に関する論述の一部を要約しつつ,昭和6
0
年6
月にスタートした 「商業近代化実施計画策定事業」をめぐる地域の状況を整理しておこう。 まず,商業施設の整備事業の進捗状況をみると以下の 3点が重要である。 ① 基盤となる環境整備については,新町地区に直接関連した公的な事業が, 昭和4
6
年度完成の新町地下駐車場(
1
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2
台〉をはじめとして,着々と進行し つつあった。また,アーケード,カラー舗装の新・改設等の従来型の商屈街 整備共同事業もかなり活発に行われてきている。しかし,その反面,新町地 区においては,下記②のごとく,商業施設自体の整備にこれといった進展が みられず,環境整備独走という状態であった。 ② 地域計画において,南のショッピングゾーンの核施設整備重点地区とされ た三角地区は,対象区域を拡大して昭和4
9
年の市街地再開発事業基本計画C5J
で採り上げられたが,行政も含む関係者の努力にもかかわらず,実現 化を見ないままとなっていた。また,昭和5
9
年の紺屋町の再開発事業基本計 画C13Jは,合計32億円以上の工事費を投入した紺屋町地下駐車場とシンボ ルロードと連動すべきものであるにもかかわらず,地元の動きは極めて消極 的であった。 ③ 上記に対して,北のレンズにおける重点地区プロジェクトは,小学校跡地 利用という開発条件に恵まれたためもあって,行政主導のもとに「徳島駅西 地区市街地再開発事業JC
6
J
として推進され,昭和5
8
年1
0
月には,域外資 本の都市百貨屈を核とする売場面積約2
4
.
0
0
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m'の小売施設に飲食庖群,シ ティ・ホテル,シビァクセンター,大規模駐車場などが加わった巨大な複合 施設としてオープンした。 さて,ターミナル地区に出現したこの大型商業施設が与えたインパクトは,-28- 第60巻 第 3号 490 立地条件が潜在的に悪化していたにもかかわらず環境変化への対応が遅れてい たダウンタウン地区〔新町地区〕の中心商屈街にとっては,予想、を上回る影響 をもたらした。行政による市街地整備や商屈街近代化事業といった対応にもか かわらず,通行量の減少(第
1
表参照),年末商戦における売上激減,核庖舗で 第1表 新 町 地 区 へ の 流 入 量 の 惟 移 ¥年¥、次¥¥『¥、¥¥¥¥¥隈、¥日 金 隠 日 日 通 行 量 率C
%
)
通 行 量 49年 22,197 100 0 39,980 52年 16,113 726 27,374 54年 14,201 64 0 24,023 57年 14,596 658 19,821 59年 8,475 38 2 15,472 L 〔注) 参考資料Cl6Jの98ページより,流入震は下記の合計値とした。 ① 丸新前を東新町に入るもの ② 篭屋町南入口から東新町に向かうもの ③ 銀座東入口から東新町に向かうもの 隈 日 率 ( % ) 100 0 685 60 1 49 6 38 7 ある地方百貨屈の一般商庖以上の苦戦,空局舗の増加(西新町を除く新町地区 で16庖〉といった急激な衰退現象を呈していた。この状況を商業統計(第2表〉 によって確認すると,昭和57年から同60年にかけて次のような変化が起こっ ている。 ① 徳島市全体では,販売額が155%増加したにもかかわらず,新町地区では, 156%とし、う大幅な減少となっている。 ② そごうを核とするアミコが立地する内町地区は538%という大幅な増加 を示した。 ③ その結果,市内での販売額シェアーは,新町地区が205%から 15,0%へ, 内町地区が131%から 174%へと変化し,新町地区は首位の座を奪われた。 (8) 具体的数値に関しては,データもソースも公表を控えたい。概況についてはC
3 J Cl8J が参考になる。第 2 表 徳島市内行政地区別小売業年問販売額および市内ンェアの推移
;;i
入
47 年 49 年 51 年 54 年 57 年 60 年 商品 市内 商品 市内 商品 市内 商品 市内 商品 市内 商品 市内 販売額 /ェア 販売額 /二乙ア 販売額 ザ〆"-司 1 販売額 ンェア 販(万売円額 ) ンエア 販(万売円額 ) J ェア (万円) (%) l 万円) (%) (万円) (%) (万円) (%) (%) (%) 内 IIIT 1 , 016 , 647 13.25 1 , 889 , 109 l7 .58 2 , 651 , 055 16.37 2 , 929 , 037 15.83 3 , 197 , 789 13.06 4 , 9 l7, 233 l7 .40 11 日 有 l 619 , 907 8.08 1 , 055 , 894 19.82 1 , 200 , 613 7.41 1 , 083 , 378 5.00 1 , 581 , 472 6.46 1 , 967 , 679 6.96*
{i{回 485 , 161 6.32 707 , 130 6.58 1 , 139 , 166 7.03 1 , 492 , 033 8.07 2 , 266 , 243 9.26 2 , 230 , 163 7.89 i 型高田 14 1. 289 1. 84 235 , 919 2.19 735 , 423 4.54 347 , 627 1. 88 448 , 877 1. 83 389 , 713 1. 38 新 町 I 1 , 958 , 698 25.52 2 , 344 , 365 2 1. 81 3 , 879 , 450 23.95 4 , 322 , 538 23.37 5 , 019 , 528 20.51 4 , 234 , 358 14.98 {主 ziI 604 , 314 7.87 857 , 789 7.98 1 , 547 , 773 9.56 1 , 305 , 623 7.06 1 , 630 , 934 6.66 1 , 623 , 036 5.74 加 I /f 642 , 098 8.37 236 , 780 2.20 507 , 372 3.13 502 , 180 2.71 753 , 678 3.08 825 , 107 2.92 4 官 ~t 426 , 730 5.56 565 , 669 5.26 974 , 272 6.02 953 , 971 5.16 1 , 243 , 969 5.08 1 , 529 , 242 5.41 i 目 東 211 , 659 2.76 401 , 744 3.74 472 , 534 2.92 664 , 900 3.59 971 , 403 3.97 1 , 006 , 819 3.56 洲 59 , 254 0.77 75 , 254 0.70 121 , 742 0.75 191 , 865 1. 04 879 , 844 3.59 1 , 132 , 912 4.01 凹 101 , 421 1. 32 l7l , 887 1. 60 401 , 029 2.48 442 , 864 2.39 693 , 733 2.83 826 , 580 2.92 /¥ 万 135 , 922 1. 77 158 , 724 1. 48 307 , 699 1. 90 380 , 450 2.06 889 , 568 3.63 1 , 365 , 262 4.83 加交名 333 , 009 4.34 678 , 640 6.31 770 , 506 4.76 911 , 139 4.93 1 , 090 , 921 4.46 1 , 270 , 585 4.50 不 品力 81 , 350 1. 06 16 , 416 0.15 31 , 208 0.19 3 , 912 0.02 76 , 237 0.31 122 , 874 0.44 応 神 81 , 426 1. 06 136 , l7l 1.2 7 341 , 213 2.11 805 , 036 4.35 579 , 844 2.37 621 , 094 2.20 111 内 54 , 486 0.71 63 , 429 0.59 123 , 384 0.76 246 , 388 1. 33 469 , 062 1. 92 667 , 398 2.36 q 事 I~j 548 , 241 7.14 864 , 702 8.04 526 , 814 3.25 1 , 111 , 558 6.01 1 , 599 , 410 6.53 2 , 3 l7 , 481 8.20 多家良良 13 , 509 0.18 24 , 329 0.23 34 , 862 0.22 35 , 867 0.19 59 , 495 0.24 128 , 267 0.45 上八万 159 , 971 0.21 28 , 728 0.27 56 , 710 0.35 68 , 921 0.37 77 , 767 0.32 95 , 686 0.34 人 Al 8 , 833 0.12 14 , 322 0.13 15 , 622 0.10 20 , 006 0.11 25 , 943 0.11 26 , 161 0.09 ì3~ Iff 134 , 475 1. 75 221 , 775 2.06 277 , 857 1. 72 475 , 369 2.57 677 , 755 2.77 794 , 612 2.81 rtj .1j: J: 49 , 673 0.31 102 , 408 0.55 177 , 494 0.73 127 , 917 0.45 北対」二 31 , 202 0.19 46 , 220 0.25 56 , 628 0.23 44 , 345 0.16 二 2 塁二 > 7 , 674 , 401 100.00 10 , 748 , 776 100.00 16 , 197:179 100.00 18 , 498 , 900 100.00 24 , 477 , 594 100.00 28 , 264 , 524 100.00 AHAWH 判制鴻出会4F荏第盟国九﹀滞尚行設3NV野誠九)122 N、。
-30- 第60巻 第3号 492 勿論,都心立地型商庖街としての新町地区の衰退の外部要因は,ターミナル 立地型百貨届の進出だけではない。まず,人口のドーナッツ化による近隣需要 の減少,昭和
4
6
年頃から始まった周辺市町村での第2
種大型届出庖ラッシュ,5
5
年頃からのバイパス沿いロードサイトピジネスの急展開,5
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年のペリフェ リー型〔外縁部立地〉ショッピングセンターの建設2
件, といったようにネガ ティブな要因が重合して存立地盤が沈下しているところへ,都市型百貨屈の進 出で大きいダメージを受けたのである。このことは,第2
表で新町地区のシェ アーの推移を4
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年よりたどれば確認できるであろう。 また,新町地区はれ街11 としても,暗く,閉鎖的で息づまるような空間であ るし,伝統的な物販と欽食以外の機能に乏しく,新しいニーズへの対応が1で引き ておらず,時代の変化に合わせて街全体をリニューアルすべき時期になってい た。すなわち,地域が育ててきた伝統的なれ商業11 も m街11 "6,問題を積み残 してきたので,都市型百貨屈との競合で矛盾が一気に噴出したとみるべき状況 であった。 徳島地域商業近代化実施計画は,地域最大の商庖街がこのような危機的状態 に置かれている中で策定作業が始まったのであり,計画の目的が,この新町地 区の活性化におかれるべきであることは衆自の一致するところであった。ただ, 地域計画(基本計画〉と実施計画との関連性を問われるとき,地域計画の大型 プロジェクトが目指していた「二眼レフ」の南のレンズを整備す町るのだとすれ ば,論理的には基本計画の大枠をうけての実施計画だと言えるのであるが,現 実的には,そのような整合性の論理は虚ろに響くような状況になっていたので ある。すなわち,問題のレベルは「内町地区と新町地区との一体的な発展」な どを超えたものになっており,実施計閣の目的は,二眼レフの完成というより (9) 典型的な例が,沖の浜の新商業地である。統計の行政地区では「八万」にあたるが, 市内における販売額シェアーは, 54年の 21%から 60年の 48%に急伸している。 60年 末現在で,ホームセンター1庖, コンビニl庖,自動車関連4庖,書籍,カメラなどの 専門庖10庖,飲食活11庖,サーピス庖3庖がバイパス沿いに出腐しており,その後も, 大型書庖r,ビジネスス -',;1 ファーストフード, レンタノレ・レコードなど郊外型新業態 の小売,飲食,サービスが10庖ばかり出庖し,モータリスト,サイクリストが集い深夜 まで賑う新しいれ街"が形成されている。493 商業近代化地域計画の策定における論理の一例 -31-は,むしろ,地域最大の商業集団が「活路を聞く」ことであり,市民県民のた めに崩壊に瀕した「ふるさとのまちを救う」ことであると定義されるべき局面 に至っていた。 また理論的にみても,.二眼レフ構想」は,南北の両地区に,ストリート散策 型とワンストップ型との性格の相異はあれ,徳島市の広域性商業機能をふり分 けるというものであったが,その後の商業地図の変化をみると,近隣性を超え た商業機能集積としては,市内に, ① ダウンタウン立地のもの(新町地区〉 ② ターミナル立地のもの(アミコユ ③ ペリフェリー
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(ニチイ,ジャスコ) ④ ロードサイド型のもの(沖の浜など) の四つのタイプが存在しており,商業的にはこ眼レフ論では語れない空間構造 になっていたの!で‘ある。つまり,街としてのこ眼レフ構造は,依然生かさるべ き整備目標であるにもかかわらず,その器に盛り込む広域商業機能は,地域計 画策定後の変化が大き過ぎたと言わざるを得なし、。そして, このような計闘前 提に変化が起こった場合,実施計画が地域計画の見直しという課題を負うので あるが,徳島地域では,新町地区のポテンシヤノレまで低下す'るとL、う予想外の 変化があったため,商業機能の空間配置計画の修正といったストレートな見直 しでこと足りるというような状況ではなくなっていたのである。かつては,商 業が新町地区をつくり,街の生態系を支えてきた。しかし今や,買物動線計画 などが想定している新町の商業地区を維持できるだけの商業量が残されている のか,それが危ぶまれているのである。V
実施計画の基本的役割および計画の構成 計画対象区域となった新町地区商庖街が住民に支持されるに足りる都心立地 商庖街として再生することは,以下のような諸条件よりみて極めて困難な事業 であると思われた。 ① かつての繁華を街が広域商業機能を独占する時代は終わり,ダウンタウン〈都32- 第60巻 第3号 494 心)地区,ターミナル地区,郊外ないしは外縁部の
s.c
, ロードサイド・ビ ジネスの4
者に分担され,それぞれが消費者のニーズに対応している現状か らみて,新町地区が小売商業(物品販売)活動のみにて地区全域の繁栄を維 持することは極めて困難である。 ② 地区内での空間的多様性確保のために街区の個性化を重視するためには, 現在の用途のままでの改善では不充分であり,それぞれの立地と土地条件に 応じた用途転換を活発に行わなければならないが,これは容易なことではな L 。、 ③ 商庖街活性化の鍵は用地であるとよく言われるが,新町地区には,インパ クトを持った事業の m種11となるような公共用地もしくは跡地が存在しなし、。 ④ 新町地区では全般的に土地が細分化されており,商屈街改造に最も効果が 高いと思われる最重点地区においてもその状態は同じである。 ⑤ 現在のところ,商業ポテンシャルに対し、て地価が異常に高く,現時点での 実勢価格を前提にしては事業採算性を確保することが不可能であるといって よし、。 ⑥ 戦線の区画整理事業によって生み出された内部基盤は,今の時代のまちに 期待される環境と機能を盛り込むには貧弱であり,この基盤改善までを含め ての事業を行わないと近代化の目的は達し得ないと思われる。 ⑦ 地区の発展ポテンシヤルを客観的にみるとき,外部からの投資誘導と内部 からの流出防止がどこまで可能なのかの見通しが立ちにくい。また,①と関 連することであるが,地区に不足している業態の多くが,主要道路沿いに展 開を終えつつある。 以上のような問題点をかかえた徳島地域における実施計画は,実施計画本来 の姿とはかなり性格の異なったものとならざるを得なかった。結論的に言えば, 開発条件を整理し,実現可能性のチェックと採算性の検証を経てプロジェクト を特定するとし、う作業は,当地域においてはあまり意味を持たないものであっ た。実施計画本来のあり方にそった手続きで摘出されるような厳密なプロジェ クトでは,それらをいくら積み上げてもどうにもならないような危機的状態に495 商業近代化地域計画の策定における論理の一例 33 あったのである。前述のように,新町地区を維持するだけの商業量が残されて いるか極めて疑わしい。とすると,物販以外の来街誘因諸機能の進出を得て, 商業と一体化したコンプレックスを形成するのが最も有効な方策なのである が,文化,情報,娯楽,健康関連などの諸機能からみても,新町地区は立地条 件が悪く,内部基盤,周辺環境の水準も低く,魅力ある投資先とは言えない。 すなわち,街全体の mよみがえり11 のためには,採算性,経済合理性を超えた ファクターが必要だったのである。街の復権に向けて商業者の主体的努力を引 き出し,その盛り上がりが,行政や地元産業界の共感を呼ぶような状況づくり を誘発することが,計画が負わされていた最大の課題であったと言えよう。 このような考え方から,計画策定の方針は「新町地区の再生にとって最も実 効性の高いものは何かを明らかにすること」であるとした。つまり,実現可能 性よりも実効性に力点を置いたのである。そして,個々の商業者が容易に理解 できるように,街の全体像とプロジェクトのイメージを提示し,商業者のイマ ジネーシヨンを刺激して意欲を盛り上げ,近代化の努力を正しく方向づけると ともに,その商業者の熱意、を軸にして地域パワーを結集することを狙ったもの である。商業者からみれば,駅前の大手百貨庖に十分対抗できると確信できる 商庖街,市民からみれば,楽しさの期待と暖かし、声援をもって見守れるまちづ くり,行政からみれば,相当の労力と財源、を投入するに足るやりがし、のある整 備事業,地元産業界からみれば,地元のため一肌脱ごうという気概の出るプロ ジェク人となるようなビジョンを提示することが計画全体の目的であろうと 考えられた。したがって,この実施計画でいう実現可能性における「実現」と は,商業者が活路を聞くために実際にm動き出す11ことであり r採算性」とは, 、、採算がとれるような手だてを考える11 という地域ぐるみのれ意志11の問題で あると考えた。計画の内容には,かなり高いレベルの盛り上がりがないと実現 しないものも含まれているが,そのように「ビジョン的」である方が,かえっ て,この地域この時点での実施計画の目的にふさわしいであろうと判断された のである。要するに,本計画は,新しい時代の中心街として再生するための革 新性と共感のイメージプランであり,ダウンタウン再生ドラマのシナリオとし
-34- 第60巻 第3号 496 ての一面を持っており,商業者の積極性を引き出せるかどうかによって,計画 自体の実効性が測定される性格のものである。 以上のような役割を担った実施計画であるから,計画内容を提示する形式・ 手法については,全ての関係者が共通した街の将来像とプロジェグトのイメー ジを抱けるように配慮hすることが肝要となる。そこで,計画自体にも「エキサ イティング・ぺンタゴン計画」という名称を与え,計画全体の性格および内容 についてのイメージ形成を促進し,計画の構成については,関係者の理解を助 けるために,以下のようなこ段階構成とした。 第
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段階は,今回の近代化における目的と目標を定義し,その目標の全体像 と部分像を明らかにすることである。したがって,計画区域の全域を各街区に ついてのコンセプトづくりを行うとともに,そのコンセプトのイメージ化を多 元的に構想した。 第2
段階は,計画対象区域が目標として与えられたれまちH として再生して ゆくに必要かつ実効性の高いプロジェクトを摘出して,そのガイド・プラン, パイロット・プラン, もしくはモデル・プランを提供することである。プロジェ クトの全体構成は r基本プロジェクトJr共通プロジェグトJr主要プロジェグ トJr先導プロジェグトJrその他のプロジェグト」から成るものとし, まず, 計画区域が近代化の目的にそった再生を遂げるための部分的目標となるものを 五つに整理して,それらを「基本プロジェクト」とした。基本プロジェクトは, ここでは,それ自体が独立した事業となるものではなく,個々の具体的な事業 (10)新町地区のうち,今回の計画対象区域として設定されたのは,新町橋通り,大工町通 り,紺屋町,両国橋通り,新町川の五つの線に図まれた五角形の地区である。 (11) この実施計画の特徴の一つは,計画にはなじまないとされる"意欲H ゃれ感性1/を計 画領域の中に取り込む新しい試みを加えたことであろう。その一つは,近代化の目標と してのコンセプトづくりだけではなく,近代化のテーマを商業者に与えるとともに,ま ちづくりのコンセプトをキャッチフレーズの形成で提示したことであり,その二つは, イメージ形成を助けるために,写真やイラストに加えて iベンタコン物語」という,カ メラの限を擬人化した物語風の文章によって,望ましい街の心象風景の形成を助けたこ とである。 (12) 計画作定の事後であるが,基本プロジェクトとして「立ち寄り手段の強イ乙」を加える べきであると考えられる。497 商業近代化地域計画の策定における論理の 例 -35ー の組合せによって実現される性質のものであり,個々のプロジェクトからみれ ば,その目的となるものである。また,全てのプロジェクトの実現の前提もし くは計画過程でのチェック・ポイントとなるものを「共通プロジェグト」とし て三つにまとめた。さらに,この近代化において最も実行性が高いと思われる プロジェクトを三つ選び,それらを「主要プロジェクト」として位置づけた。 またさらに,計画区域内において最も開発意欲の高い地区について,今後の検 討材料となるパイロット・プランを二つ作成したが,これらには, まちづくり における先導的役割を果たすことを期待して「先導プロジェグト」の名称を与 えた。(第
1
段階のイメージ構想の一例として,報告書Cl9
J1
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ページより「街 区別整備イメージ」を末尾に掲載しておく。〉V
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あとがき 地 域 計 画 策 定 時 に お け る 当 該 地 域 の 状 況 と し て は , 本 稿 で 論 じ た よ う な フォーマルな議論になじむものだけではなく,真実ではあるが客観化が困難な ものや,語ることをはばかられるものも多し、。もし,それらに対して,データ 化する手法の開発や語るに耐える用語の創出が実現すれば,地域計画策定の一 般的論理の体系化が可能となるであろう。C
ー 〆
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製 品表 [ l g19 主 母 国 ヤ喜 怒 8 6 1 ' 円 むOJ i 3 -E 主 管 暴 0 9 ~毎499 商業近代化地域計画の策定における論理の一例 -37ー 参 考 資 料 ClJ 商業近代化委員会徳島地域部会「徳島地域商業近代化地域計画報告書j,昭和47年3 月。 C2J 田村正紀・日本統計センター「徳島市中心市街地商業影響調査報告書j,昭和54年4月。 C 3 J 徳島県他「大型庖進出総合実態調査報告書j,昭和59年3月。 [4 J 徳島市「徳島市総合計画j,昭和46年12月。 C 5 J 徳島市「徳島市新町地区市街地再開発事業基本計画報告書j,昭和49年3月。 [ 6)徳島市「徳島市徳島駅前西地区市街地再開発事業基本計画概要書j,昭和50年3月。 [ 7 J 徳島市「徳島市徳島駅前回地区市街地再開発事業実施のための基本計闘j,昭和53年3 月。 C 8 J 徳島市「都市整備計画j,昭和53年8月。(総合計画の見直し〕 [ 9 J 徳島市「徳島市観光開発基本計画j,昭和54年2月。 ClOJ徳島市「徳島駅周辺整備構想j,昭和54年3月。 Cl1J 徳島市「徳島市商業近代化実現のための方策に関する報告書j,昭和55年3月。 C12J 徳島市「徳島市中心商業地買物動線整備基本計画j,昭和56年3月。 Cl3J 徳島市「徳島市紺屋町地区市街地再開発事業基本計画j,昭和59年3月。 Cl4J 徳島市「徳島市中心市街地活性化計画j,昭和60年6月。 C15J 徳島市他「徳島市商業環境総合実態調査報告書j,昭和60年3月。 Cl6J 徳島市都市景観構想委員会「徳島市都市景観構想、報告書j,昭和60年2月。 C17] 徳島市都市問題懇談会デザイン委員会「中心市街地の整備に関する報告書j,昭和50年 7月。 Cl8J 徳島商工会議所「大型庖進出総合実態調査報告書j,昭和59年3月。 Cl9J 徳島地域商業近代化委員会「徳島地域商業近代化地域計画報告書(実施計画)j,昭和61 年3月。 C20J 八十川隆夫「徳島市域における大型!小売商業施設適正配置に関する基礎調査報告書j, 昭和52年1月,未公刊。