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契約講の社会人類学的研究Ⅱ-山形県最上郡および西村山郡の事例- 利用統計を見る

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(1)

契約講の社会人類学的研究?-山形県最上郡および西

村山郡の事例-著者

高橋 統一, 清水 浩昭, 芳賀 正明, 高尾 公矢, 松

本 誠一

著者別名

TAKAHASHI Toichi, SHIMIZU Hiroaki, HAGA

Masaaki, TAKAO Kimiya, MATSUMOTO Seiichi

雑誌名

アジア・アフリカ文化研究所研究年報

16

ページ

35-94

発行年

1981

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00010226/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

||

山形県最

上郡お

よび西

村山郡

の事

lま ヵミ し き 本稿は 「契約講 の 社 会人類 学的研 究

〕 の 続 篇 で 、前稿が 山 形県南 部(西 置賜郡小国町) の 調査事例報 告を主 な内容 と し た の に つ づ き 、 同県北 部及 び 中 部 に つ い て 、 そ の 後 に 調 査 し た 諸 事例 の 報 告 で あ る 。 北部 の 最上郡大 蔵村 と 金 山 町 を 一 九 七 九 J 八 一 年 、 中部 の 西村山郡 大江町 と 河北町を 一 九 八 O l 八 一 年 に わ れ わ れ 五 名が 共同 で 調 査 し た の だ が 、 す べ て の 調 査地 に

(2

)

各時期 、 全員が揃 っ て 参加 し た わ け で は な い 。 〔下 図参照〕 し た が っ て 以 下 の 執 筆分 祖 に も み ら れ るよう に 、 各調査地 へ の 各 人 の 関 わ り あ い は、 お の ず か ら 濃淡 が あ る が 、 本稿全般を 通 じ て の 叙 述 で は、 資 料情報 の 交 換や執筆 調整を行 っ た の で 、全員 が 関 わ り あ っ て い る 。 そ の 際 、 全体的 な討論も い ろ い ろ し た が 、 最終的 な と り ま と め は 高 橋が 行 っ た 。 た だ し 執 筆期限 や紙数 の 制 約 か ら完全 な論稿を達成 す る こ と が で き な か っ た の で 、 い わ ば 中間報 告 の か た ち を と ら ざ る を 得 な か っ た 。 い ず れ他日、 前 稿 と も 併 せ て 総 括的 な研 究 に し た い と 考 え て い る 。

契約講

の社

会人

類学的研究

E

1

松 芳 高

本賀橋

誠正統

一 明一

最 上 111 調査町村内位置

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高 清

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」ノ�,.1 - 調査地 契約講 の 分 布 と 諸形態 に つ い て は 、 前稿 の 冒 頭 に 「 ケ イヤ ク 慣行事 例集」 い わ ゆ る 村 で 従 来 の 文 献 ・ 報告 に よ る 七 十 例 か ら 、 や や 詳 し く概 説 し 且、 方南 部 と く に 宮 城 ・ 山 形両 県 に み ら れ 、 契約 に 当 る (株講及 び講組 的 な も の を含 む) 契約講 の 主 な分布が、 東北地 ま た 調査報 告 は 三 陸 ・ 牡鹿や置賜 -最 上 に 多 い こ と を指摘 し た 。 本稿は わ れ わ れ 自身 の 山形 南部 (置賜) の

(3)

契約講

の社

会人

類学的研究

H

調査事実 に 、 北部 (最上) と 中 部 (村山 ) を追加 す る こ と に よ っ て 、 資料 の 蓄 積 を は か る と と も に 、 前稿 で の 研 究視角を さ ら に 拡 充深 化 し よ う と 意 図 し て い る 。 前橋 で 触 れ た 従 来 の 諸 研 究 に み ら れ る 問 題点及び わ れ わ れ の 置賜調 査 で の 問題点が、 本稿 に お い て 右 の 意 図 に 沿 っ て 進展 し た か ど う か は 、 現段 階 で はあま り 明 確 と は 云 え な い が 、 若干 の 前 進 は な し 得 た と 思 ぅ。 こ れ に つ い て は あ と 、が き で 言 及 し た い 。 各調査地 で は 、 お 名前をあ げ き れ ぬ ほ ど 多 く の 方 々 の 御 好意、 御便 宜 を い た だ き 心 か ら感謝す る 次 第 だ が 、 特 に 御 世話 に な っ た 若 干 の 方 に つ い て は 、 そ れ ぞ れ の 調 査報 告 の 中 で そ の 旨 、 記し て あ る 。 ま た 、 調査 地選定 の 段階 で 有 益 な 一示 唆 を 賜 っ た 山形 県 の 代 表的 な地方 史家 ・ 民 俗学 者 の 今 回 信 一 及 び 大 友義 助 の 両 先 生 及 び 東洋大学文学 部 の 大 島建彦教授 に あら た め て 御礼を申上げ る 次 第 で あ る 。 執筆分 担 は 次 の 通 り で あ る 。 各章 の 執筆分担 は 章 末 に 付 し て あ る 。 は し が き ・・・ ・・・ ... ... ... . ・・ ・・・高 橋統 第 部 : ; ・: j i --: : 芳賀正 明 ・ 高 尾 公 矢 第 二 部 ・ : j i --: ・: ; 松 本誠 一 ・ 清 水浩昭 第 三 部 : ; ; : j j i --松本誠 一 ・ 清 水冷昭 第 四 部 : ; ・: j i --; 松本 誠 一 ・ 清水浩昭 あ と が き ・: ・ ; : : -aa ---高 橋統 な お 、 本稿 は 昭 和 五 十 五 ・ 五 十 六 年度 の 文部省科学研究費 に よ る 研 究報 告 の 一 部 で あ る 。

ノ、 i主

高橋

一・

清水浩昭

・高尾公矢

・松本誠

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の社

会人

類学的研究

I

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西置賜郡市野

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『社会

人類

学年報

5・

25』

一七

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二O

六頁

(2)

調査

にはわ

れわれ五名の他に、

東洋大学大学院学生

の林

秀光

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留学生

)と佐野正彦

、小沢

康則、

大学院聴講生

の宇治伸、

学部学生

の石合義昌、

栗山

充敬、

土屋

一、

芝本和代、

金井しず子らが随

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(1

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一部

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金山町

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ナノ

マチ

トウ

マチ

こ の 第 一 部 で は 、 最上郡金 山 町 の 中 心部を な す 四部落 ( 七 日 町 ・ 十 日 町 ・ 羽 場 ・ 内町) に 現 存 す る 契 約講 の 調査結果 を報告 す る 。 調査 は 、 昭和 五 十 四 年 七 月 、 同 十 一 月 、 昭和 五 十 五 年 八 月 、 同 十 一 月 、 昭和 五 十 六 年 八 月 の 計 五 回 行 い 、 の べ 日数は 二 十 日 を 越 え る 。 実地調 査 に 入 る 前 、 我 々 は 、 金 山 町 の 羽 場 と い う部落 に 昔 か ら の 形 態を留 め た 契 約講が 存 在 し 、 か っ こ の 契 約 講 に は 羽場部落 の 全 戸 が 加 入 し て い る わ け で は な い と い う 情報 を 得 て い た 。 そ こ で す ぐ に 頭 に 浮 ん だ の は 、 こ の 契 約講 は 「 株講」 的性格 の も

(4)

の で は な い か と い う こ と で あ っ た 。 そ ん な い さ さ か の 期 待 を 持 ち な が ら現 地 に 赴 い た の で あ っ た が 、 第 一 回 の 調 査 か ら 我 々 は 予 想 外 の こ と に 出 く わ し て し ま っ た 。 ま ず 第 一 に 、 調査予定 地 に し て い た 羽 場部落 は 、 従来我 々 が 調査対象 に し て き た い わ ゆ る 農 村部 と は 異 な り 、 他 の 一一一 部 落 ( 七 日 町 ・ 十 日 町 ・内 町 ) と隣接し て 金 山 町 の 中心部 を構成す る 商 庖街・住宅 街 の 一 部 と い っ た お も む き の 強 い 地 域 で あ っ た と い う こ と で あ る 。 第 二 に 、 我 々

モ卜

が 聞 き 及 ん で い た 契 約講 (本 文 で 触 れ る が 、 こ の 契 約講 と は 「 元契約」 の こ と で あ っ た ) は 、 確 か に 羽場部 落 に 存 在 し 、 か つ 羽 場部落 の 一 部 の イ ヱ し か 加 入 し て い な か っ た こ と は 事 実 な の だ が 、 話 を 聞 い て み る と 、 む し ろ こ の 契約 講 は 隣 の 十 日 町 を 中 心 に 形 成 さ れ た も の で あ り 、 現在 の 講 員 は 、 全 四 十 戸 の う ち 、 十 日 町 二 十 四 戸 、 羽場十 五 戸 、 七 日 町 一 戸 と 三 部 落 に 分 散 し て い る こ と が 判 明 し た の で あ る 。 さ ら に ま た 、 聞 き 取 り を 続 け て い く 過程 で 、 内 町 を も 加 え た こ の 四 部落 一 帯 に は 、 そ の 他 に か な り 多 数 の 、目 的

(1

)

・ 機 能 を 同 じ く す る 契 約講が 存在 し て い る と い う 事実 を 知 っ た の で あ る 。 は っ き り 言 っ て 、 こ れ は 驚き で あ っ た 。 そ し て 、 我 々 は 当 初 の 調査計画 の 変 更 を余 儀 な く さ れ た 。 こ の 地 域 の 契 約講 の 実 態を把揮す る た め に は 、 羽 場部 落 だ け を -調 査 し た の で は 充分 で な く 、 四部落 一 括 し て 調 べ る 必 要 に 迫 ら れ た わ け で あ る 。 調 査 は ま ず 、 こ の 四 部 落内 に 一 体 い く つ の 契 約講が 存 在 す る の か を 確認す る 作 業 か ら 始 ま っ た 。 こ の 作 業 は 実 の と こ ろ 、 か な り の 困 難を 極 め た 。 と い う の も 、地 元 の 人 は 、自 分が 加 入 し て い る 契 約 に つ い て は 知 っ て い て も 、 他 の 契 約 に つ い て ま で は 正 確 に 把 握 し て い な い こ と が 多 か っ た か ら で あ り 、 さ ら に は 、 第 一 章 で 述 べ る よ う に 、 同 一 契 約が 二 つ の 名 称 で 呼 ば れ る 場 合もあ っ た か ら で あ る 。 結果 的 に は 、 四 部 落 に 合 計十

契約講

の社

会人

類学的研究

H

二 の 契 約講が 存在す る こ と を確認 し た わ け で あ る が 、 こ の 確 認作業を 通 じ て 、 我 々 は こ の 地 域 の 契 約講 が 、 現状 を み る 限 り 、 最上地方 一 般 に み ら れ る 契 約講、 な ら び に 同 じ 金 山 町 で も 周 辺 農 村 部 に 見 い 出 さ れ る 契 約講 と は 、 組織・機能 の 面 で 若 干性格を異 に し て い る と い う 認 識を も つ に 至 っ た の で あ る 。 そ の 理 由 の 大 部分 は 、 こ の 四 部落が い わ ゆ る 農 村部 と は 異 な り 、商

マチ

底 ・ 住宅を中心 と す る 「町」 を形成し て い る こ と に 求 め る こ と が で き る で あ ろ う 。 事実、 こ の 金 山 町 は 江 戸 時代 か ら新庄藩 主 戸沢氏 に 仕 え る 丹 一 族 (現 在 で も そ の 子孫が内 町 に 住 ん で い る ) が 代 々 城を構 え て い た 城 下 町 で あ り 、 現在 の 内 町 は 以 前城前 と 呼ば れ 、 ま た 七 日 町 ・ 十 日 町 は 秋 田 湯 沢藩 に 通 ず る 旧街 道筋 の 宿 場町 で も あ っ た の で あ る 。 つ ま り 、 江戸期 よ り こ の 四 部 落 一 帯 (た だ し 、 羽場 は 金 山 川 を は さ ん で 川 向 こ う に あ り 、 以前 は 戸 数も少な くli明治 五 年 の 記 録 で は 五 戸 の み !l' 十 日 町 の 一 部 で あ っ た が 、 昭和 二 十 六 年 一 部落と し て 独 立 し た ) は 、 「町」 的性 格を有し て い た こ と に な る 。 そ の よ う な わ け で 、 こ れ か ら 以 下本 文 で 報 告 す る 契 約 講 の 事 例 は 、 従来 ま た 他 の 多 く の 研 究者 た ち に よ っ て も な さ れ て き た 契 約講

マチ

研究と は 、 多少 ニ ュ ア ン ス を 異 に す る 。 言 わ ば 「町部」 に お け る 契 約講 の 我 々 も 発表 し 、 社会人 類学的研究 と 呼 ん で も よ い で あ ろ う 。 も ち ろ ん 、 最上地方 一 般 に み ら れ る い わ ゆ る 農 村部 の 契約 講 と 全く違う と い う わ け で は な い の で 、 通 時 的視点 か ら 農村 部 と の 対 比 も 含め て 記 述 し て い き た い と 思 う 。 最後 に 一 点付記 し て お き た い 。 今回 の 我 々 の 報 告 に お い て は 、 調査対 象 を 先 に あ げ た 十 二 の 契 約 だ け に 限 定 し て あ る 。 地 元 の 人 か ら 間接 的 に 聞 い そ の 他 に 「塀契約」 た と こ ろ に よ れ ば 、 こ の 金 山 町 「町部」 四 部 落 に は 、

(5)

契約講

の社会人類

学的研究

H

と か 「 念仏講契 約」 と い っ た 、 目的を異 に す る 「契約」 が い く つ か 存 在 し て い る よ う で あ る 。 本来 な ら ば 、 そ し て ま た 我 々 の 従 来 よ り の 関 心 か ら す れ ば 、 そ う し た 「契約」 を も 含 め て 調 査 ・ 研 究 す べ き も の で あ る が 、 今回 は 残 念 な が ら 手 が 届 か な か っ た 。 他 日 、 機会 が 許 せ ば 、 調査 ・ 検討 を 加 え て み た い 。 な お 、 今回 の 調 査 に あ た っ て は 、 現地金山町 の 多 く の 方 々 に お 世話 に な っ た 。 な か で も 、 金 山 町教育委員会 の 斎藤忠 氏 、 な ら び に 同 町 町史編集委 員会 の 三 上 十郎氏 に は 多方 面 に わ た る 御 協力を賜 っ た 。 ま た 、 各契 約 の 代 表者 (講長) の 任 に あ る 方 々 も 、 我 々 の 数 度 に わ た る 訪 問 に 心 よ く 応 じ て 下 さ っ た 。 そ の 他 、 御名前 を い ち い ち 記 せ な い が 、 我 々 の 意 図を御理解下 さ り 、 調室協 力 を 惜 し ま れ な か っ た 方 々 は 枚 挙 に い と ま が な い 。 記 し て 感 謝 の 意 を 表 し た い 。 ま た 、 一 連 の 調 査 な ら び に 資 料整 理 に お い て は 、 東洋 大学 の 学 生 石合義昌、 栗山 充敬、 土 屋 健 一 の 三 君 に 、 さ ら に 「分布図」 作 成 ・ 古文書整理 に あ た っ て は 、 東洋大 学 ア ジ ア ・ ア フ リ カ 文化研究所 の 竹 内 老 子 氏 に 御 協力を 仰 い だ 。 あ わ せ て 感 謝 申 し 上 げ た い 。 (芳賀) 第 一章 金山町 の 概 況 1 調査地 の 概 況 金 山 町 は 、 山形県北部 に 位置 し 、 北 と 西 は 真 室 川 町 、東 は 秋 田 県 雄勝町 、 南 は 新 庄市 に 接 し て い る (「 は し が き 」 付図参 照 )。 現在 の 金 山 町 は 全 部 で 三 十 一 の 部 落 か ら 成 り 立 っ て い る が 、 我 々 の 調 査

マチ

は 町 部 四 部 落を中 心 と し て 行 わ れ た 。 「 は じ め に 」 で も 述 べ た よ う に 七 日 町 か ら 羽 場 に か け て の 旧 街道 沿 に は 七 日 町 ・ 十 日 町 ・ 羽 場 ・ 内 町 の 四 部落 八 が 一 ケ 所 に あ つ ま っ て お り 、 役場 ・ 商 庖街も こ の 一 角 に あ っ て 、 「町部」 は い わ ば 金 山 町 の 中 心 部 と い え る (写真参照。 な お 、 四 部 落 の 位 置 に つ い て は 、 「金 山 町 契 約加入 世帯分布図」 l以下 「分布図」 と 略す ーを 参照)。 「町部 」 は 奥 羽 本線 新庄駅 か ら パ ス で 三 十 分 の 距 離 に あ る 。 現在 の 「町 部」 四 部 落 は 行 政区画 で あ り 、 外見 上部落ご と の 境 界を 知 る こ と は 困 難と な っ て い る 。 地 域 住民 は 日 常生活 に お い て こ の 四 部落を 同 一 視 し て い る よ う で あ る 。 現在 の 金 山 町 は 江 戸時代 ( 一 六 二 二 年 ) に新庄藩 主 戸 沢 政 盛 に よ っ て 支 ーじ レミ:し 、

羽目

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そ れ 以 後明 治 四 年 の 廃 藩置県 に 至 る ま で の 二 五 0 年間、 新庄藩に 属 し て い た 。 現在 の 「町部」 は 、 江戸時 代 に は 城 下 町 の 内 町 と宿場町 の 七 日 町 ・ 十 日 町 か ら 成 り 立 っ て い た 。 明治 期 に は 旧 街道 沿 の 七 日 町 ・ 十 日 町 を 中 心 と し て 発 展 し て き た の で あ る が 、 明治 三 十 八 年 の 奥 羽 本線開通 に 際 し 、 住民が 金 山 町 通 過 に 反 対 し た た め 、鉄道 は 金 山 町 を 迂 回 し て 敷 設 さ れ 、 そ の 結 果 人 の 流 れ が 大 き く 変 っ て し ま っ た 。 そ れ 以 後 「町部」 は 宿 場 町 と し て の 性 格を次 第 に 失 っ て い っ た が 、 金 山 町 の 中 心 部 で あ る こ と に は 変 り が な か っ た 。 明治五年 の 壬 申戸籍 に よ れ ば 、 「町部 」 は 七 日 町 ・ 十 日 町 ・ 内 町 (当時 は 城 前 と 呼 ば れ て い た ) の 三 部 落 で 構 成 さ れ 、 戸数 一 一 一四 、 人 口 一 O 七 二 と な っ て い る 。 大部分 の 人 が 農 業 に 従 事 し て い た が 、 大 工 ・ 木挽 ・ 日 雇 ・ 鍛冶屋 ・ 豆腐行 商 ・ 医 師 ・ 質 屋 ・ 染物行 商 な ど も み ら れ る 。 戦後 の 世帯数 お よ び 人 口 の 動 態を み る と (表 1 )、 「町 部」 全体 の 世帯数 は 、 昭和 二 十 五 年以降増加 の 傾 向が み ら れ 、と く に 七 日 町 の 増 加 が 著 し く 、 羽場も昭 和 五 十 年 に 若 干減少 し て い る が 、 こ の 三 十 年間 に 二 十 戸 ほ ど 増 加

(6)

減少 し て い る 。 し た が っ て 、 「町部」 し て い る 。 十 日 町 は 昭 和 四 十 五 年 以 降 に 停 滞 の 傾 向 が み ら れ 、 内 町 は 漸 次 の 戦 後 に お け る 世 帯数 の 増 加 は 七 日 町 が 中 心 で あ り 、 そ れ に 羽 場 ・ 十 日 町 が 若干 か か わ っ て い る こ と に な る 。 こ う し た 世 帯数増加 は 、 正 確 な 裏 付け資料 が あ る わ け で は な い が 、 役場や 住民 か ら の 聞 き 取 り に も と やつ け ば 、 主 と し て 「町部」 内 の 世 帯分離 に 起 因 し 、 部分 的 に は 金 山 町農村 部 か ら の 転 入 に よ っ て い る 。 一 、 「町部」 全体 の 人 口 は 、 戸数 の 増 加 と は 逆 に 昭和 三 十 五 年 を ピ ー ク に 漸次減少 の 傾 向が み ら れ る が 、 昭和 五 十 五 年 は 増 加 に 転 じ て い る 。 部 落別 で み る と 、 七 日 町 は 昭 和 四 十 年 ま で 増 加 し 続 け 、 以後 わ ず か に 減少 し 、 昭和 五 十 五 年 で 再 び 増 加 し て い る 。 他 の 三 部落 は 昭 和 玉 十 年 ま で 漸 次減少 し 続 け 、 や は り 昭和 五 十 五 年 に は 増 加 に 転 じ て い る 。 平均世 帯員数 は 、 「町 部」 全体 で 、 昭和 二 十 五 年 の 五 ・ 四 人 か ら 昭和 五 十 五 年 四 ・ O 人 と 一 ・ 四 人減少 し て い る 。

契約講

の社

会人

類学的研究

E

部落別世帯数 ・ 人 口

1\

昭和25年 昭和四年 昭和お年 昭和40年 昭和45年 昭和印年 昭和田年

世帯数 人口 世平帯均

世帯数 人口 世平帯均

世帯数 人口 世平帯均

世苦数 人口 世平帯均

世帯数 人口 平世帯均

世帯数 人口 I平世帯均

世帯数 人口 世帯買

平 均

七日町 143 777 5 . 4 175 924 5 . 3 218 989 4.5 230 1023 4.4 お4 996 4 . 3 242 目2 4 . 1 272 10倒 3 . 9 十自町 152 8幻 5 . 4 155 815 5 . 3 164 768 4.7 171 731 ι 3 160 652 4 . 1 163 627 3.8 167 648 3 . 9 羽 場 93 日l 6 . 0 9 6 549 5.7 103 549 5.3 l出 521 5 . 0 112 482 4 . 3 lω 439 4 . 1 112 476 4 . 3 内 町 78 365 4.7 71 360 5 . 1 7 3 346 4.7 69 296 4 . 3 6 8 277 4 . 1 “ 262 4.0 64 271 4 . 2 �t 466 2530 5.4 497 2648 5 . 3 日 8 2652 4.8 575 2571 4 . 5 574 2407 4 . 2 577 お却 4.0 615 2463 4.0 表 1 昭和 五 十 五 年 の 国勢調査結果 な ら び に 農 林 業 セ ン サ ス に よ っ て 、 「町部 」 の 農 家比率を み る と 、 農 家が 八 十 九 戸 、 非農家が 五 二 六 戸 、 農家比率 は 十 四 ・ 五 % で あ る (金 山 町 全 体 で は 、 農家 一 O 五 O 戸、 非農家 七 一 一 戸 、 農 家比率 五 十 九 ・ 六 %、 「町部」 を除 い た 農 村部 だ け で み る と 、 農家 九 六 戸 、 非農家 一 八 五 戸、 農家比 率 八 十 三 ・ 九 % で あ る 。 こ の 数字 を み た だ け で も 、 「町部」が い か に 非 農村 的 で あ る か が わ か る で あ ろ う )。 部落 別 で は 、 七 日 町 は 農 家が 三 十 戸 、 非農家が 二 四 二 戸 、 農家 比 率 は 十 一 ・ O % で 、 十 日 町 は 農 家が 十 六 戸、 非農家が 一 五 一 戸 、 農家比率 は 九 ・ 六 % で あ り 、 両 部落 と も 農家比 率 は 二 十 % 以 下 で あ る が 、 羽場は 農家が 二 十 三 戸 、 非農家 が 八 十 九戸、 農家比率 は 二 十 ・ 玉 % 、 内 町 は 農 家が 二 十 戸、 非農家が 四 十 四 戸 、 農家 比 率 は 三 十 一 ・ 三 % で 、 羽場 と 内 町 の 農 家比率が 七 日 町 と 十 日 町 に 比 べ 高 く な っ て い る 。農家 の う ち専業 農家は 七 日 町 と 十 日 町 に 各 ご戸、 羽 場 と 内 町 に 各 二 戸 が あ る だ け で 、 兼業化が 進 ん で い る 。 兼業農家 の な か に は 出 稼ぎ に 出 る 世 帯 も あ る 。 山形県北 部 は 全 国 で も 出 稼ぎ者を 多く輩 出 し て い る 地 域 と し て 知 ら れ て い る 。 こ の 地 域 の 出 稼 ぎ の タ イ プ は 「冬型」 と 呼 ば れ る も の で 、 十 月 下 旬

〈2

)

頃 か ら 翌 年 四 月 下 旬頃ま で 出 稼ぎ に 出 る 。 金 山 町役場 の 調査 資料 に よ っ て 、 出稼ぎ の 実 態 を み る と (表 2 1 出稼ぎ は 近 年減少す る 傾向が み ら れ 、 金 山 町 の 「町部」 以外 で は 昭和 四 十 七 年 か ら 急 激 に 減 少 し 、 そ れ 以 降も漸次 減 少 の 傾 向 が み ら れ る 。 と こ ろ が 、 ーっ 町 部」 で は 昭 和 四 十 五 年 か ら 漸 次出稼 ぎ が 減 少 し 、 昭 和 四 十 七 年 か ら急 激 に 減少す る と い う 傾向 が み ら れ る 。 「町部」 の 出稼ぎ世帯数を部落 別 に み る と 、 時期を 問 わ ず 十 日 町 の 出 稼 九

(7)

ぎ 世 帯数 が も っ と も多く、

契約講

の社

会人類

学的研究

E

次 い で 七 日 町 と 羽場が ほ ぼ 同 数 で あ り 、 内 町 が も っ と も 少 な く な っ て い る 。 と く に 十 日 町 の 場 合 に は 他 の 部 落 に 比 べ 一 世 帯 か ら複 数 の 者 が 出稼ぎ に 出 て い る 世 帯 の 多 い 点 が 注 目 さ れ る 。 各部落 に つ い て 部 落世 帯数 に 対 す る 出稼ぎ 世帯 の 割 合を算 出 す る と ( 表 3 参 照)、 昭和 四 十 五 年 で は 、 七 日 町 は 十 三 ・ 二 % 、 十 日 町 は 二 十 九 ・ 四 % 、 羽 場 は 二 十 五 ・ O % 、 内 町 も ニ 十 五 ・ O % ( 四 部 落全 体 で は 二 十 一 ・ 四 % ) の 世 帯、 が 出 稼ぎ に 出 て い る こ と に な る 。 昭 和 五 十 年 で は 、 七 日 町 は 八 ・ 一 二 % 、 十 日 町 は 十 一 ・ O % 、 羽 場 は 十 八 ・ 九 % 、 内 町 出稼 ぎ世帯数 ・ 人数

昭和45年 昭和47年 昭和 50年 昭和53年 世帯数 人 数 世帯数 人 数 世帯数 人 数 世帯数 人 数 七 日 町 3 1 3 3 31 32 20 2 1 17 1 8 十 日 町 47 55 42 52 1 8 2 1 21 27 羽 場 28 31 25 31 20 23 19 20 内 町 1 7 1 9 1 6 1 6 1 1 1 1 6 7 「町部」 の 合 計 1 2 3 1 3 8 1 1 4 1 3 1 6 9 7 6 6 3 7 2 金 山 町 の 「町部」 以外 852 1 236 855 1 267 659 860 599 721 金 山 町 975 1374 969 1 398 728 936 662 793 表 2

四O

出稼 き、世帯 の 割合

一一一一一~

昭和45年 昭和 50年 七 日 3 1 2 0 234 ( 1 3 . 2 ) 242 ( 8 . 3 ) 47 1 8 十 日 160 ( 29 . 4 ) 1 6 3 ( 1 1 . 0 ) 場 28 20 �� flV2 ( 25 . 0 ) 106 ( 18 . 9 ) 内 町 1 7 �� ( 25

.

0 ) 一1 1 6一� ( 16 . 7 ) 「町部」 の 合 計 574 ( 21 . 4 ) 577 ( 1 2 . 0 ) 123 69 「町部」以外の 金 山 町 1 1 54 852 ( 73 . 8 ) 659 11 47 ( 57 . 5 ) 金 山 町 全 体 1728 975 ( 56 . 4 ) 728 1724 ( 42 . 2 ) 表 3 出稼 ぎ世帯数 表示 は 総世帯数 ( 割合、% ) ( 注 ) れ を 、 金 山 町全体及 び 、 は 十 六 ・ 七 % ( 四 部 落全体 で 十 二 ・ O %) の 世 帯が 出稼ぎ に 出 て い る 。 こ 「町部」 を除く農 村部 と 比 べ て み る と 、 昭 和 四 十 五 年 で は 、 金 山 町 全 体 五 十 六 ・ 四 %、 農村部 七 十 三 ・ 八 % 、 昭 和 五 十年金 山 町 全体 四 十 二 ・ 二 % 、 農村 部 五 十 七 ・ 五 % で 、 「町部」 の 二 十 一 ・ O Mm (昭 和 四 十 五 年 )、 十 二 ・ O % (昭 和 五 十年) と い う 比率が き わ め て 低 い も す る も の で あ る 。 の で あ る こ と が わ か る 。 当然 こ れ は 、 前述 し た 農 家世帯 数 の 少 な さ に 対 応 金 山 町 の 出 稼ぎ の 実 態 を み る 限 り 、 出稼 ぎ は 地 元 に お い て 兼 業機会が 少 な く 、 農業収 入 だ け で は 生活 水準を維 持 で き な い た め に 、 恒常的 な 所 得獲得手段 と な っ て い る よ う で あ る 。 そ れ 補 う た め の 「町部 」 に お い て 出 稼ぎ 世帯比率 が 低 い の は も と も と農家戸数 が 少 な い う え に 、 兼業機 会 が 得 や す

(8)

い か ら だ と 考 え ら れ る 。 そ の 一 つ と し て 、 冬期 に お け る 交 通 の 便 が あ げ ら れ る 。 つ ま り 、 金 山 町 一 帯 は 冬 に な る と 、 積雪が 一 メ ー ト ル か ら 二 メ 1 ト ル に な り 、 通勤が 不 便 に な る が 、 「町部」 か ら 新庄市 へ 通 じ る 国 道十 三 号 続 は 、 除雪車 に よ っ て 確 実 に 足 が 確 保さ れ る の で あ る 。 そ れ に 反 し て 、 周 辺 農 村部 は 交 通が 遮断さ れ 、 一 時 的 に 「陸 の 孤島」 に な る こ と も し ば し ば で あ り 、 こ の 点 か ら も 、 出稼ぎ を余 儀 な く さ れ て い る と い え る の で あ る 。 2 契 約 の 概 況 「町部」 に は 、 苅 契約 (十 日 町契 約 と も呼 ば れ る ) ・ 村 契約 ・ 七 日 町 契 ヤ ナ ギ マ チ シ ン タ イ シ ョ ウ グイ . 内 町契 約 ・ 柳町契 約 ・ 新契約 ・ 正 契 約 ・ 第 カ ミ ガ ワ ラ へ イ ワ シ ン セ イ ・ 上 河原契約 ・ 平 和契約 ・ 新生契 約 ・ む 三t 約 契 ( 約 元 ( 契 昭 約 和 と 契 も 約 呼 と ば も れ 呼 る ば ) れ る \J つ み 契約 と 呼 ば れ る 十 二 の 契 約が あ る (表 4 参 照)。 各契約 の 成 立時期に つ い て は (表 5 参照)、 古 い 契 約 の 場 合記録 ・文書が 焼失 な い し 紛失 し て い る た め に 正 確な成立時 期を知 る こ と が で き な い が 、 現存す る 記 録 ・ 文書 の 内 容 か ら 推 し て 、 元契約 ・ 中 契約 ・ 七 日 町契 約 ・ 内 町契約が 江戸時 代 に は 成 立 し て い た と み る こ と が で き る (写真参 照 )。 大 正 期 に 新 し く 一二 つ の 契 約が 結成さ れ 、 昭和初期 に 一 つ 、 昭和 三 十 年 か ら昭和 三 十 二 年 に 四 つ の 契 約が 結成 さ れ て い る 。 昭和 三 十 二 年 に 結 成さ れ た 契 約 を 最 後 に し て 、 そ れ 以 降 に 結 成さ れ た 契 約 は な い 。 各契 約 の 加入戸 数 は 、 最大 で 四 十 戸、 最 小 で 十 八 戸 で あ る 。 「町部」 の 契約 に つ い て み る 限 り契 約 の 戸 数 は 四 十戸が 最 大 限 で あ り 、 四 十 戸 を 越 え る と 機能的 に 困 難 が 生 じ る よ う で あ る 。 契約 の 戸 数 は 必 ず し も固定化 さ れ て い る も の で は な く て 、 「町部」 の 世

契約講

の社

会人類

学的研究

H

昔日 必別 契約}]日 入状況 ( 昭和55年 1 1}-J 現在 )

---ー-ー---ー

七 日 町 十 日 町 羽 場 内 町 百十 7じ 契 事句 1 ( 2 . 5 ) 24 ( 60 . 0 ) 1 5 ( 37 . 5 )

(

) 40 ( 1 00 . 0) 中 契 品ヲ 7 ( 29 . 2 ) 1 3 ( 54 . 2 ) 3 ( 12 . 7 ) 1 ( 4 . 2 ) 24 ( 100 . 0) 七 日 町 高ヲ 35 ( 1 00 . 0 )

(

) (

)

(

-

) 35 ( 100 . 0 ) 内 町 1 ( 2 . 5 )

(

) (

-

) 39 ( 97 . 5 ) 40 ( 1 00 . 0 ) 相1 町 来甘 28 ( 100 . 0 )

-

(

)

(

-

)

(

) 28 ( 100 . 0 ) 新 契 ネヲ 1 ( 2 . 6 ) 1 7 ( 44 . 7 ) 20 ( 52 . 6 ) (

-

) 38 ( 100 . 0) 大 正 契 品ヲ 1 5 ( 83 . 3 ) 1 ( 5 . 6 ) (

-

) 2 ( 1 1 . 1 ) 1 8 ( 100 . 0 ) 第 契 品ヲ 1 ( 3 . 3 ) 1 7 ( 56 . 7 ) 1 1 ( 36 . 7 ) 1 ( 3 . 3 ) 30 ( 100 . 0 ) 上 i可 原 契 品百 3 ( 1 5 . 8 ) 1 6 ( 84 . 2 ) (

) (

-

) 1 9 ( 100 . 0 ) 平 手口 契 主力 2 ( 6 . 2 ) 1 5 ( 46 . 9 ) 1 5 ( 46 . 9 )

(

) 32 ( 1 00 . 0 ) 京庁 生 契 ボ包 2 9 ( 96 . 7 )

(

) 1 ( 3 . 3 ) (

-

) 30 ( 1 00 . 0 ) む つ み 品甘 1 9 ( 100 . 0 ) (

-

)

(

)

(

-

) 1 9 ( 100 . 0 ) 百十 142 ( 40 . 2 ) 103 ( 29 . 2 ) 6 5 ( 18 . 4 ) 43( 12 . 2 ) 353 ( 100 . 0 ) I 昭和30年 「町部」世帯数 175( 8 1 . 1 ) 1 5 5 ( 66 . 5 ) 96 ( 67 . 7 ) 7 1 ( 60 . 6 ) 497 ( 71 . 0 )

I

昭和55年 「町部」世帯数 272 ( 52 . 2 ) 167 ( 6 1 . 7 ) 1 1 2 ( 58 . 0 ) 64 ( 67 . 2 ) 川 57 . 4 )

I

表 4

(9)

契約講

の社

会人類

的学

研究E

(9)総会場所 (副総会当 番 ((101総戸会当 り費) (12:不幸当 番 ((11火野葬若場勢建・設ツ以プ前ン) ワωラヮ代ラ金((火(1火葬戸葬場当場建り建設)設以以前後)) 側蒸 し番 {(IH1蒸戸 当し り料)

に ま

は一本 同を 1 車坦- 4 主車坦且の ( 昭費間和I5,31立0年0金円) 500円 不す幸る 宅机が所属 不(ツ昭幸プ和当シ40番金年3以0)外0円の 30人 ワ ラ 6 戸押 し で10 蒸 等自 餅持し 番米町1升10人・野が菜各 担う 当ち ひ と カず ワ ラ 代 500円 ( 昭和50年) ち 出 L 町公 原則和民で[土館5流開と5し て 当 番の

東tうE組当ち ~北組組の 賄年( 昭費間和積I5,O4立O年O金円) な し 不す幸る 宅組が所属 不幸ヴ当 番な以外的 18人 ワ フ 104束金

年1 な し な し 家 昭 催年 はし十か日(し今町

ひ と が ツ ン し (ワ昭ラ和代�f�ijbOOO円 公 で開的催) 今 後 動 七 {崖

日 町公民館で開

1 最良- 5 主組宜的 践 は廃止徴収、 折詰代 不す幸る 宅組が所属 不異 幸 当 番 を 含む全講 ワ ラ 8 束 屋押 し で10 現((出i昭責米金物し25) は 050合3蒸円

年・し

か野

ら菜

持) ち fうE当ち ひ と が と し て ツ ブ シ金。年300円 ワ ラ 1�]'i:100円 戸 ( 昭和40"f- ) 内町公民館で開催 1 組- 0組喧の 賄年(昭費間和積l5,O3立7年0金円) 200円 不す幸宅が所属 不幸 当 番金以外当 の 30割人 ワ ラ 6 束 ((そ13計計

組れ置22 と 2

車E

餅 現 野菜米金25・0合漬0円物・小'f/_ ' っ ち ひ と カず る 組 ツ ブ シ 的 7 ワ ラ 1�]'i:50円 日と戸4) 主、主 担 当 。 戸 ) が ぞ れ ひ

と 車

E に

と な り

交 担当 昭和35年保年館ま で 当 番 1 組- 4 組高且の 賄 は時 、N

折詰代 不f宅力、所属 不幸 当 6番全'1以10) 0外円的 21 人 ワ ラ �J宋p 荘U1)[組 っ J~ち旦iU4f 車とR 餅米 5 介i(; ・ 小豆 l 宅 で 開 担うi 当ち ひ と カ、 土 し て 徴 す る 剥[ ヴ ブ シ ワ ラ 代 1501'] ( 日目和54ヰ ) mL ' 型F 昭和36 か り 七 日 年 間相,\1: '",500ドj ( 1昭和3 現( 目白金和10408年円か ら ) 町 公 民 で 開 催 日日平J37�9 主 で は 日 ・ l 品目- 4 紺lの 時(年 Hj日間肯和7積0502立ド年金j ) 300円 不手宅力、所属 不十 当 番以 外 的 会議 Tノ ラ 6 束金( 昭和37昭年和) 以和止前47年 に

な し

添f別和li' 々 に 当 需'も で う ち ひ E 品目ノ1;;' す る 組 H ワ ラ jï;{ l1:700r] ( DBfD51'1') H開� . D38年場か ら ト 日 担 当 ( 昭和37'1' )ソ ブ ン7金ヰ250ドi し で10戸は 屋jlll 町か羽 の 公民館 で開催 昭宅和50年問 ま で は 当 原押 し で 4 ド 総会 は 温 }fi -(",開 く 蒸 し 番用と あ わ 不幸 当 番以外の 11人 ワ ラ 10束 不幸 当 番 と 餅某米 1 ki U 金 責zj ノト!.J_ ・ 番 で 催 u と t世ヵ、i"H. �!1 の で か か ヮ た 費用 せ て 押 し で ソ フr ンなし 蒸0し円代( と あ わ せ て あ わ せ て 屋 !'f#; ( 物 は i H 昭和主51年 か ら は 催当 を 徴問収 6 円 50 昭和52年 ) 押 し で 6 戸 番持 ち し ) 番 か 1見泉てヂ悶 ゴヰ 憤立金 な し (てワ日目現ラ和f金t5 と あ わ せ500fll 2年 昭和和宅50ヰ年問 ま で は 当 1 組- 6 組の 賄(年昭費間和絹I5,4立1 5年0fK円 ) 300Fl 不幸宅 が所属 不 幸 当 番金以 外当の25 人 ワ ラ B 束金( 昭和円33年 ) 屋押 し で10 餅米物l升 野菜 園 番 で 催 Jう日 当ち ひ と 車R が す る 組 ツ プ ン 日 の半額 ワ ラ イt:ffio100 4古 AM D51 カh り は 1日 町 か 羽 現金 は 当 番持 ち :U 催場 内 公 民 し 館 で開 当 番宅 で 開催 urr- 3 車組R の !1(出Af{費11肝4Hl責5 ,200I11 不 '? 宅 が所属 不 幸 当 番 を 含 む 全議 ワ ラ 101金車 1 組- 3 組 餅煮現物1 金 : 3 合 ・ 漬物 ・

f)ii 当ち ひ と か 4}/叶令)な し す る irr H ソ プ ン 全 日 当 分 ワ ラ 代 200円 *.Ilが担当の っ ち ひ と 100円

十 日 町 か羽場町 公 1 組- 4 組の

3的(1Hf資�i利jl柏 ド)

1j 0011j 不幸宅が;iJ1}f.者 不 幸 当 番 を 合 む全議 昭 i(ワ可i日目和ララ干代I58125年金1車年1(よ 昭 0ま0 り和F で l ワ 38"1' ) 1 車且 - H世 餅米物全 1 升' �Ll:: ' 民 館 で 開 催 初っ 当ち ひ と 科1が す る 剖1 員ツ ブ ン 全 日 当 の半紙 品の丑がう ち ひ担当

4責現 50円 ラ 代 金 を 悦 七 日 町公民館 で 開 1 斜1- 5 111の i賄 ( T日目間肯干[千l1賞5,41、 0 f年0tケI)II な し 不思V 宅が所属 不只 Y ブ幸 当ン 番::'t をH 当 のf午全講前l ワ ラ 8 東金 1 組 - 5 品世 餅野ノ、

F

5・ 合漬物 ・ 4 、立 ・ {正 相 当) ち ひ と 科l ヵ す る 訓l ワ ラ 代 1001'1 111が担当の う ち ひ と 現 200111 j且Qll と し て 当 番宅 1 紺l- 3 品孔町 3間7! 費間情L0JI00ibド1 不主主 宅 が所属 不 幸 当 品以外的 全議 ワと ラし積。ワ阿現5立ラ0不物代0金幸円金よ宅( 集はりへ和な出4全 ずし0す年体ワ ) ラ 代 1 五世- 3 品世 餅米 5 合d当貢物番・持野菜 ・ で開催 ( 溢泉町 場 っ ち ひ と ま11が す る 車且 民 の う ち ひ と 小豆 '告 も あ る ) f旦当 1 , 200円 ツ ブ ン 全 日 当 分 現在 車丑が担当 現し金 は ち 出 l 年間 で 3 , 00

(10)

契約 の 概要 (31成立時期 ( 主(6なH蕗も品の ) 契約の 名 称 (11戸数 (21分 布 (現記載すさ れる 記る 録範囲に ) (41組の 構成 (51加入金 ・ 脱退金 (7)1.荷品保管場所 (81総会期 日 40戸 七 日 町 1 6(2 5%%οb ) ) ) 文前久 2 年(18621 以

討今議本途さ

二三二開

5 戸 10 組戸1 加脱入H令B・ 特権 に な し 繕銘椀30人前枚 一講を 依員 の 蔵 に 保

凶E

tS治

1 S 1 初 月

I

主 で 卜 日 町場24 ( ( 0 0 5 戸 ( 1 退 町 利放棄 々 盆30 管 制 |日 20 日 元 契 町約

)

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15 1 37 . 5 5 戸 10 戸1I {ム 風呉半双式 新 g 新 昭 開H手暦和暦会 日 1 Fj 1かか5.0正日ら日り午

(�寸契約

H 5 戸 1(02 紺 組 組戸1 ) ) 5 戸 5 戸 ( 3 5 戸 10 5戸 ( 4 24戸 七 日 前 7 (((29 2%%%% ) ) ) ) 寛氷5 年 ( 16281 脱入時金 ' 特権に な し 総蔵 会ま 当た 番はに 保曾町 組庫管 問の 明 暦治4待4112031費年年月月i ま で 十 日 土 町 品13 1 54 . 2 退 . 利放棄 瞬 問 柑 仏 〕臥 具 お ノ y 悌 狩 2ー人5釘式的耐人 5 人前 !日 20 日 中 契 約 J" 'i! 3 (12 . 5 あ る 家 新明開会治暦 か ら 内 町 1 ( 4 . 2 前 人前 20 日. 正午 35Fi 七 日 町35( 100

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0%1 (明帳叩焼治失あ32り年り以捌し前か 台し) 力脱11 入時金 ' 特枕に な し 一銘茶t拍属L 稿 共々中 40 胤 共(じ柳倉同町庫倉・庫新) に 保管 昭 相 会和暦暦 百35年年月月 まで 七

(

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契と約

)

3 組 各 7 戸2 最坦 退 : 千'I放棄 盆40枚 生 と [百J R新開ßtu36 i日 1 0 !l 20 日か ら

4 車坦 35 ヶ 1 11'1 20 日 5 車五 飾一台式 な と 時期j 正三f 40戸 七 日 町 1 ( 2 52j 天保) 以年前間 ( 1830 脱入時金 : 15分, 000円 膳平 黒椀銘404人々0前盆人前 専 用 脅庫 に保管 昭暦和不後11に09新変年月 ま で 内 町39 ( 97 . 5 44 2 品世 各10戸 退 ・ 2 の 1 | 日 20 日 43 主品坦且 返却 2そ0の日 麿更11(年月 内 町 契 約 赤銘 々 盆30人前 度 は 明月 十ど三仏具仏2掛9

軸式人前な 新昭開和暦会49 時刻 . 正午11 !l 10 日か ら 28戸 七日 町28( 100 . 0%1 大正2 年 4 )] 加脱退入金時 権3 . 0利0放0円棄

皆同し

共(同七同じ日倉倉町庫庫・新)に 保生管と 昭和勝 和 19 。 0年年月 ま で 2 組 各 7 戸 l日 10/l20 日 3 長唖 新 日昭目 謄和暦22時11401刻会年月月2~02日3年 4 車昆 柳 町契 約 か ら l日 20 日 開 . 正午 38戸 七 日 町 1 1 2 . 6 % 1 大正 2 年1 1 月 脱退入金時 ・ 3権,0利00放円 鰭 30主 半人主前 専用意庫 に 保管

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十 日 町場 17 ((44 7%% ) (4123定最組組宜担託 員1! }J 各10戸 銘 々 30干x �8 '$;20 1 52 . 6% 1 時f凡メ事L、

H

風長16 双快 か ら 新 契 約 8 戸 20 日 ま40戸 ) 具一11.鐘式 な ど仏 か ら 10 日 1目1 : 正午 18戸 七日 町15 (83 3%% )) 大正10年 組は 固総定化会き れ て 加脱退入金時 : 6寸,0志0贈0円呈 膳椀20人前 に 約保代 表者向 家 新結開1( 昭1 成暦会E寺和1時当05時月から 十 日 町 1 ( 5 . 6 お ら ず 当 番 は 昨 十 J 風 三中 呉 仏 飾 ー掛軸 20 日 大 正 契 約 内 町 2 1 11 . 1% 犀組押 し で 4 戸 ひ と 主'1 : 午前 不幸 当 番 は 崖押 し 忌仏 式台 な ど 。年 ま で ) で 6 戸 ひ と 組 301" 七 日 町 1 (3 3 % %? " 〆ao ) ) 昭和廓 8 年 加脱入金時 I0 , OOO円 古木銘膳々 盆30 枚薄 契に 保約代官 表者の 家

最間出“2

I ま で 十 日 場町町17 (( 56 7 |日 1 0 !l 20 日 23車t丑丑 各5 退 :500fTlí亙 30人前枚 10 !l 20 日 羽 内 1 1 36 7 ) ) まH 畳15 46 か り 第 (*éJ三酬契契約) 1 ( 3 . 3 45 車t且丑

刀 な と 仏具nR30枚 1 1 /l 10 日51 カ孟 ら 6 主主 11 第 1 ,1 時刻 ' 午前 19戸 七 日 町 3 ( 1 1 8%%) ) 昭和30年10 月 25 日 1 組 7 戸戸 脱退入金時:: 2権0利, 00放O円来 銘 時 陪 重 箱風(々(大小盆-( ))52 A 2 5 I 055 重 l 人人人) 前前前 専用金庫 に保管 開成当 時月か ら 十 日 町16 ( 84 . 2 2 主[ 7 10/l 20 日 上河原契約 3 組 5 戸 時刻'1 : 正午 間 IL、共 式 32戸 七 日 町 2 (6 1%%%) ) ) 昭和31年 1 月 7 日 脱退入金時 権5 , 0利0放0円 端l30 人前 専 用 倉 庫 に 保 管 十 日 町1 5 (( 46 3 2 組 各 8 戸 柄拘人的 珊

酬開 (開

会41時4

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時年

月20 8 羽 場15 ( 46 . 9 3 車且 銘重々 式拡(

5 重ム30 人1 1前組 か ら 平 和 契 約 4 品世 20 日 天箱固 な どが、 : 1正1時午) 異L 30戸 ヒ 日 場町29 ( 96 7%% ) ) 昭和32年10月 初 日 脱退入金時 権4 . 0利00放円棄 膳 尻箱具椀風一3(05式人重吉'J 共同( 七同じ日倉倉町庫庫・抑)に 保町管と 結新開暦会成 当 時月か ら *1 1);, 1 ( 3 . 3 4235 車 組 組 主坦且 各 6 戸 10 !l 20 日 新 生 契 約 重イム ) 時刻 . 正午 19戸 七 H 町19(100 . 0% 1 昭和32年10月 25 日 21 五品世世 76 F戸

Z

加H見入金退時 : 特: 立金返積に な L円 膳膳重仏((々小大盆一))22式5055人人人前前前専用意庫 に 保 管 新結開暦会成 当 時10/l 25 日月か ら む つ み契約 大 (3規組2約0戸に)6よ戸れば最 30% 却 待刻 : 正午 表 5

契約講

の社会人類

学的

研究

E

(注) 各項 と も 特 に 断 わ り が な い場合 は 、 昭和55年 1 1 月 現在の も の で あ る 。 項 目ω、 (141に関 L 、 火葬場使用 開始 は昭和42年 1 月 1 日 か ら で あ る 。

(11)

契約講

の社

会人類

学的研究

H

帯数増 加 に 伴 っ て 契 約 の 戸数を増加さ せ て き た 契約も あ る 。 例 え ば 、 内 町 契約 の あ る イ ン フ ォ l マ ン ト に よ れ ば 「内町契 約 の 戸 数 は 現 在 四 十 戸 で あ る が 、 五 十 年 ほ ど 前 は 二 十 戸 ほ ど で 構 成 さ れ て い た 」 と い う 。 江戸時代 に は 結 成さ れ て い た と 考 え ら れ る そ の 他 三 契 約 の 戸数が 結成当 初 か ら 固 定化 さ れ て い た か ど う か は 定 か で な い 。内 町 契約 に つ い て は 、右 に 述 べ た よ う に 結成当初 か ら 固定化 さ れ て い た も の で は な い と い う 情報 を 得 て い る か ら 、 こ の こ と を 一 応考 慮 し な が ら 「町部」 の 戸 数 の 変 遷 と 契約加 入戸数 の 関 係 を み る と 、 前 節 で 触 れ た よ う に 、 明治 五 年 の 「町部」 の 戸 数 は 一 一 一四 で あ り 、 明治期 に は す で に 結 成 さ れ て い た と 考 え ら れ る 契 約 の 戸数を合 計 す れ ば (元契 約 四 十 、 中契 約 二 十 四 、 七 日 町契 約 三 十 五 、 内 町 契約 二 十 llo と り あ え ず 内 町 契約 の 加 入戸数を 二 十 と み な すが 、 実際 に は 、 も う 少 し 多 か っ た と 思 わ れ る 〉、 一 一 九 戸 で あ っ て 、加 入 し て い な か っ た 戸 数 は わ ず か 玉 戸 で あ る 。 し た が っ て 、 明治初 期 で は 「町部」 の ほ と ん ど の イ エ が 契 約 に 加 入 て い た と 考 え て よ い (前記、 内町契 約 の 加 入 戸数を 二 十 五 と 考 え れ fま 「町部」 の 世帯数 と 契 約加入戸数 は 完 全 に 一 致す る ) 。 大 正 期 に つ く ら れ た 三 つ の 契 約 と 昭 和初期 に つ く ら れ た 一 つ の 契 約を み 同山 ギよ 、

i

t

い ず れ も 十 日 町 (昭 和 二 十 六 年 に 十 日 町 か ら 分 れ た 羽 場を含む ) と 七 日 町 を 中 心 に 結 成 さ れ て い る 。 こ の こ と は 大 正 期 あ る い は そ れ 以 前 か ら 、 十 日 町 と 七 日 町 を 中 心 に 戸 数が 増加 し 、 以 前 か ら あ っ た 契 約 に 加 入 で き な い イ エ が 集ま っ て 新 し い 契 約を つ く っ た と 考 え ら れ る 。 と い う の は 、 古 い 契 約 の う ち内 町契約を の ぞ き 、 他 の 三 つ は 七 日 町 ・ 十 日 町 に 作 ら れ て い た の で あ る が 、 元契 約 ( 日 十 日 町契 約) と 七 日 町契 約 は 当 時す で に 講 員数が 限 度ぎ り ぎ り で あ っ た た め に 、 新規加 入者を 受 け 入 れ る こ と が で き な か っ た

四四

と み ら れ る か ら で あ る 。 中契約 の 場 合 も 、 七 日 町 ・ 十 日 町を中心 と し て い た が 、 こ の 契 約 は 、 「町部」 の 富 裕層を核 と し て 構 成さ れ て い た た め に 、 議員 数 は 二 十 四 戸 と 少 な か っ た に も か か わ ら ず、 補充以外 の 新 規加 入 を 認

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め な か っ た も の と 思 わ れ る 。 昭和 三 十 二 年 ま で に 現 在あ る 契 約 の す べ て が 結 成さ れ て い る が 、 そ の ム口 計戸数 三 五 三 ( こ れ は 、 表 3 に 示 し て お い た よ う に 、 我 々 が 調 査 し た 昭 和 五 十 五 年 十 一 月 現在 の も の で あ る 。 欠員 の 関 係 で 、 昭和 三 十 二 年 当時も こ れ と 同数 で あ っ た と は 言 い き れ な い が 、 誤差が あ っ た と し て も 、 五 戸 以内 と 考 え て よ い 。 な お 三 五 三 戸 と い う の も 、 定数を 満 た し た 数 で は な い ) に 対 し て 、 昭和 三 十 年 の 「町部」 の 総 戸数 が 四 九 七 (昭 和 三 十 二 年 の 世 帯数 資料が 得 ら れ な い た め 、 と り あ え ず 、 近 い と こ ろ で 昭 和 三 十 年 の 資 料 を 利 用 す る ) で あ る か ら 、 昭和 三 十 三 年 当時 は 、 「町部 」 の 約 七 十 % ほ ど の イ エ が 、 い ず れ か の 契 約 に 加 入 し て い た と 考 え ら れ る 。 さ ら に 、 昭和 五 十 五 年 で み れ ば 、 新 し い 契 約 の 結 成 が な い 一 方 で 、 総世帯 数 は 昭 和 三 十 年 よ り 一 一 八 戸 増加 し て い る た め 、 当然加入 率 は 低 く な り 約 五 十 七 % と な っ て い る 。 つ ま り 、 現在 で は 四割以 上 の イ エ が 、契 約 に は 加 入 し て い な い わ け で 、 単純 に 考 え れ ば 、 以 前 に 比 べ て 、 契 約 の 必要性が 少 な く な っ て い る と い う こ と に な る で あ ろ う 。 た だ 、 こ の 点 を と っ て 、 今日 で は 、 契約 の 意味が 失 わ れ て い る と 結論守 つ け る こ と は 、 で き な い よ う に 思 う ( こ の 点 に つ い て は 、 第 四 章 の 総 括 で あ ら た め て 検 討 す る こ と に し た い )。 次 に 、 各契 約 の 加入世帯 の 分布状 況 に ふ れ て お こ う (「 分布図」 を 参 照 し て 頂 き た い )。 「分布図」 を 見 れ ば わ か る よ う に 、 今 日 、 各契約 に 加 入 し て い る イ エ は 、 四 部 落内 の 各 所 に 点 在 し て い る 。 つ ま り 隣同 土 の イ エ で あ っ

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て も 契約 は 異 な る と い う 例が 、 随所 に み ら れ る わ け で あ る (な お 、 こ の 「分 布図」 に は 非 加入 世帯が 、 記入さ れ て い な い の で 、 図 の 上 で 隣同 土 で あ っ て も 、 実際 に は 、 そ の あ い だ に 、何 軒 か の イ エ が 存 在 し て い る こ と も あ る 。 さ ら に 、 「分布図」 作成 に 際 し て 、 分布状 況 を 明 確 に す る た め 、 一 つ の ド ッ ト を か な り 大 き く し て あ る 。 そ の 結 果、 実際 の イ エ の 配 置 と 若干ズ レ て い る 箇所 も あ る が 、 御了解 頂 き た い )。 そ う し た な か で も 、 内 町 契 約 だ け は 、ほ ぼ 一 ケ 所 に ま と ま っ て い る の が 特 徴 的 で あ る 。 表 4 を み て も わ か る よ う に 、 内 町 契約 全 四 十 戸 の う ち 三 十 九 戸 が 内 町 に あ り 、 残 り 一 戸 は 七 日 町 に あ る 。 こ の 二戸 は 、 内 町 か ら 移 転 し た イ エ で あ る (後述 す る よ う に 、 「町部 」 内 で 移転 し て も 、 契約 は も と の ま ま 加 わ っ て い る こ と が で き る 〉。 ま た 、 内 町 (部落) の 場 合、 他 の 三 部 落 に 比 べ て 、 内 町 契約以外 の 契 約 に 加 入 し て い る イ エ が 非 常 に 少 な く 、 中契約 二戸、 大 正 契 約 二 戸 、 第 三 契 約 二戸 だ け で あ る 。 こ の う ち 大 正 契 約 の 二 戸 は 七 日 町 か ら の 、 第 三 契 約 の 一 戸 は 十 日 町 か ら の 移 転 で あ る (中契約 の 二戸 は 不 明 )。 つ ま り 、 内 町 に は (も と も と 戸数 が 少 な い と い う 事情 も あ る が 〉、 こ れ ま で 内町契 約 し か 成 立 し な か っ た の で あ り 、 内 町 の 住 民 に と っ て 、 契約 と い え ば 、 そ れ は 内 町 契 約 の こ と だ っ た と 考 え て よ い 。 同様 の こ と は 、 元契 約 と 七 日 町 契 約 に も い え そ う で あ る 。 元契 約 は 全 四 十 戸 の う ち 、 三 十 九戸が 十 日 町 と 羽場 に あ り 、 羽場も か つ て は 十 日 町 の 一 部 で あ っ た か ら 、 例外 は 、 七 日 町 の 二戸 ( こ れ も 、 移転 で あ る | こ の 一 戸 は 、 町営 の 団 地 に 住 ん で い る ) だ け で あ る 。 七 日 町 契約 は 、 現在 で も 全 戸 七 日 町 に 住 ん で い る (た だ し 、 国道十 三 号 線 と の 分 岐点 よ り 以 南 に あ る イ エ は 、 移転 な い し 新 規加入 で あ っ て 、も と も と は 、 分岐点 以北 の 旧 街道沿

契約講

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会人

類学的研究

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の イ エ だ け で 構 成さ れ て い た と 考 え ら れ る 。 分岐点 以 南 に 家 が 建 ち 始 め た の は か な り 最 近 の こ と で あ る ) 。 図 だ け み る と 、元 契約 と 七 日 町 契 約 は 、 内 町契 約 ほ ど に ま と ま っ て い な い よ う に み え る が 、 こ れ は 、 そ れ ぞ れ の 部 落 内 で の 移 転 に 加 え て 、 後続 の 契 約が 、 両契 約 に 加 入す る イ エ の あ い だ を 縫 う よ う に し て 、 成 立 し て き た た め で あ る 。 も う 一 つ 、 古 く か ら あ る 契 約 の 中契 約 は 、十 日 町 と 七 日 町 が 中 心 で 、 羽場 の 三 戸 は 十 日 町 よ り の 移 転 と 分 家 で あ り 、 内町 の 二戸 は 理 由 が は っ き り し な い が 、 移転 と 推 、 制さ れ る 。 明治以降 に 成 立 し た 契 約 の う ち 、 柳町契 約 は 全 戸 七 日 町 に あ り 、 分布 の 中 心 は 、 七 日 町 の な か で も 国道 と の 分 岐点周 辺 と そ れ 以 南 で あ る 。 以 前 か ら 、 分岐 点 周 辺 の 七 日 町 は 、小字名 で 柳 町 と 呼ば れ 、 そ れ が 契 約 の 名 称 に も な っ て い る 。 新契 約 は 十 日 町 と 羽場が中 心 で 七 日 町 の 二戸 は 移 転 で あ る 。 大 正 契 約 は 十 日 町 の 二 戸、 内 町 の 一一 一 戸 ( と も に 移 転) を除 い て 、 す べ て 七 日 町 に あ る が 、 七 日 町 の 南 端 に あ る 一一 戸 は 七 日 町中心部よ り の 移 転 で あ る 。 こ の 大 正 契 約 は 、 も と も と 、 七 日 町 契約 に 加 入 し て い な い 旧 七 日 町 沿 (分 岐点以北) の イ エ を 中 心 に 結成 さ れ た も の で あ る 。 第 三 契約 は 、 新契約 と 同様、 十 日 町 と 羽場が 中 心 で 、 七 日 町 の 二戸、 内 町 の 一 戸 は と も に 移転 で あ る 。 戦後 に で き た 四 契 約 に 目 を 向 け て み よ う 。 上 河 原契 約 は 、 十 日 町 が 中 心 で あ る 、が 、 な か で も 十 日 町 の 北 東部 ( こ の 地 域 は 、 小字名 で 上 河 原 と 呼 ば れ る ) に あ る イ エ か ら 成 っ て い る 。 こ の 地 域 は 戦 前 ほ と ん ど 家 の な か っ た と こ ろ で 、 戦後 に な っ て 道 路 沿 い に 家 、が 建 ち 始 め た わ け で あ る が 、 そ う し た 新 し い イ エ の 人 々 が 集 ま っ て つ く っ た の が 上 河 原契約 で あ る 。 な お 、 七 日 町 に 点 在 す る 残 り の 三 戸 は 移 転 に よ る も の で あ る 。 平和契約 は 、 戦後十 四 五

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類学的研究

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日 町 と 羽場が 分離 し て 以 後、 両部落 に ま た が っ て つ く ら れ た 契 約 で あ る 。 十 日 町 と 羽場 に は 、 戦前 す で に 、 四 つ の 契 約 ( 元 ・ 中 ・ 新 ・ 第 一ニ ) が 存 在 し て 、 加 入 世帯も各 所 に 分 散 す る 傾 向が み ら れ た け れ ど 、 こ の 平 和契 約 は 、 さ ら に そ の あ い だ に 割 り 込 む 形 で 結 成 さ れ た た め 、 十 日 町 と 羽場 の ほ ぼ 全 域 に 点 在す る こ と に な っ た 。 ま た 、 新 し く 家が 建 ち 始 め た 羽 場西 部 の 六 戸 の イ エ の 加 入 も 特 徴的 な 点 で あ る 。 な お 、 七 日 町 に あ る こ 戸 は 移 転 で あ る 。 次 に 、 新生契 約 で あ る が 、 「分布図」 か ら も わ か る よ う に 、 七 日 町 の 分 岐 点 周 辺 と 七 日町南 端 に ま と ま っ て 分 布 し て い る 。こ の 契 約も戦 後 新 し く で き た イ エ を 中心 に し て 結成さ れ た も の で あ る 。 羽場 の 二戸 は 移 転 で ゐ る 。 最後 に 、 む つ み 契 約 は 、 十 九 戸 す べ て が 七 日 町南部 の 新興住宅地 に あ る イ エ か ら 成 っ て お り 、 ほ ぼ 一 ケ 所 に か た ま っ て い る 。 こ れ は 、 む つ み 契 約 の 代表者が 、 我 々 に 語 っ て く れ た よ う に 、 戦後 の 町内会的な隣組を基盤 に し て つ く ら れ た こ と に よ る も の で あ る 。 一 番 新 し い 契 約 で あ り な が ら 、 江 戸 期 か ら あ る 古 い 契 約 の 成 立 と 似 た と こ ろ が あ る 。 以 上 の 説 明 か ら 、 ほ と ん ど の 契 約が 、 い ず れ か の 部 落を中心 に 結 成さ れ た こ と 、 が わ か る の で あ り 、 一 種 の 地 縁的結び つ き を基礎 に し て い る と い え る よ う に 思う (例外 的 な の は 中 契 約 で あ り 、 ま た 、 戦後羽場が 一 つ の 部落 と し て 成立後、 十 日 町 と 羽 場 に ま た が っ て で き た 平和契 約も例外 と い え ば 、 い え な く も な いーーー こ れ ら の 諸 点 に つ い て は 、 第 四 章 で 検 討 す る ) 。 そ し て 、 こ こ に 、 「町部」 の 契 約 の 特徴が 色濃くあ ら わ れ て い る よ う に 考 え ら れ る の だ が 、 詳 し い こ と は 、 第 四 章 に 譲 る こ と に す る 。 な お 、 言 い 忘 れ た が 、同 じ イ エ が 二 つ 以 上 の 契 約 に 加 入 し て い る 例 は な い ( か つ て 、 あ る イ エ が 、 一 時 期 二 つ の 契 約 に 加 入 し て い る よ う な状況 が 生 じ た が 、 こ れ は 移

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転 に よ っ て 、契 約を変わ っ た 際li こ の こ と自 体が 珍 し い ケ l ス || 、前 に 入 っ て い た 契 約 の 脱 退 が 、時期 的 に 遅 れ た 結 果 生 じ た も の で あ る )。 (高尾) 第 三 章 契 約 の 組 織 「町部」 の 契 約 は 、 不 幸 の 際 の 相 五 扶 助 を 目 的 と し て 組 織 さ れ て い る 。 七 日 町契 約 の 規 約 で は 、 「本組 合 ノ 事 業 ハ 組合員不幸死 者 ア ル 場 合 ハ 互 協力之 ヲ 救 済 シ 葬 祭 ノ 事 務 ニ 尽 力 シ 擢 災者 ヲ 慰 籍 ス ル ヲ 以 テ 目 的 ト ス 」( 昭 和 三 年 に 改 正 さ れ た 規 約 の 一 部 ) と 定 め ら れ て い る 。 こ の 規約 は 一 例 で あ る が 、 我 々 が 「町部」 の 他 の 現 存す る 契 約記録を分 析 し た 限 り に お い て は い ず れ の 契 約も 七 日 町 契約 と ほ ぼ 同 様 で あ る 。 契約 の 組 織 は 、各契約と も 五 戸 か ら 十 戸程度 の 単 位 で 組 を 構 成 し て お り 、 契約 内 に は 三 組 J 五 組 の 組 が 存 在 す る 。 こ の 組 が 実 際 に は 契 約 の 重 要 な 役 割を担 う の で あ っ て 、 組 の 主 な 役割 と し て は 次 の 三 点 が あげ ら れ る 。 ①組 内 に 不 幸が 出 た 場 合 種 々 の 手 伝 い を す る (以下 「不幸当番」 と 呼 ぶ ) ②契 約総会時 の 準 備を受け持 つ (以 下 「総会当番」 と 呼 ぶ ) ③ い く つ か の 契約 で は 、 不幸 の 際 、 不幸宅 の 会葬 者 に 出す食事 の 準備を す る (以下 「蒸 シ 番 」 と 呼 ぶ ) 。 組 の 戸数は 各契約内 で 平 均化 さ れ て い る (表 5 参 照 )。 例 え ば 、 中契約 で は 東 組 ・ 商 組 ・ 南 組 ・ 北 組各 六 戸 と い う よ う に 構 成 さ れ て い る 。 組 の 戸 数 が 平 均化 さ れ て い る の に は 、 そ れ な り の 理 由が あ る 。 つ ま り 、 仮 に 組 の 戸 数 に 極 端 な ア ン バ ラ ン ス が あ れ ば 、 不幸当番 ・総会当番 ・蒸 シ 番 な ど の 際 に 人 手 不 足 に よ っ て 支 障が 生 じ る こ と に な る か ら で あ る 。 現在、 新契 約 ・ 上 河原契 約 ・ む つ み 契 約 の 三 契 約 で は 組 の 戸 数 に 若 干 の ア ン バ ラ ン ス が み ら

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れ る (表 5 参 照 )。 新契 約 の 相場 合 に は 規 約 で は 講 員 数 四 十 戸 で 、 組が 合 計 四 組各 十 戸 と 定 め て あ る が 、 現在 は 四 組 の 二 戸 、が 転 出 し た こ と に よ っ て 欠 員 が 生 じ て い る 。 我 々 の 調 査中 に 加 入 希望者 が い る と い う こ と を 耳 に し た の で 、 近 い う ち に は ア ン バ ラ ン ス が 是 正 さ れ る も の と 思 わ れ る 。 上 河 原契約 と む つ み 契 約 の 場 合 に は 、 結成当 初 か ら 組 の 戸 数 に 若 干 の ア ン バ ラ ン ス が あ っ た 。 上 河 原契 約 は 講 員数 十 九 戸 、 計 三 組 で 結 成 さ れ た か ら 、 も と も と 組 の 戸 数 に ア ン バ ラ ン ス が あ り 、 そ の 上 転出 に よ っ て 現在 で は 一 組 と 二 組 が 七 戸、 一ニ 組 が 玉 戸 と な っ て い る 。 む つ み 契約も 規約 で は 二 十 戸 三 組 と な っ て い る が 、 結成以来 二 十 戸 に な っ た こ と は な く 、 現在 で は 一 組 だ け が 七 戸 で 二 組 ・ 三 組 は と も に 六 戸 と な っ て い る 。 組 の 戸 数 に 一 戸 な い し 二 戸 の ア ン バ ラ ン ス が あ っ て も 不幸当番 ・ 総 会当番な ど の 際 に 支 障 を き た す と い う よ う な こ と は な い よ う で あ る 。 ヤ オ 十 二 の 契 約 の う ち 大 正 契 約 だ け 、 組が 固定化 さ れ て お ら ず、 屋押 し (家 並 を 基 準 に し て 順 番 を 割 り ふ る し く み ) に よ っ て 、 不幸当番 ・ 「蒸 シ 番 」 お よ び 総 会当番 の 組 が 構 成 さ れ て い る (詳 し く は 表 5 参 照 )。 組 の 役 割 に つ い て は 他 の 契 約 と 同 様 で あ る 。

イチグミ

グミ

組 は 通 例 一 組 ・ 二 組 と 呼 ば れ る が 、 現在み ら れ る 例 外 と し て は 、 元契約

モト

ソエ

ヒガ

シグミ

孟シ

グミ

ミナミグミ

キタグミ

の 本 ・ 添 と 中 契約 の 東 組 ・ 西 組 ・ 南 紐 ・ 北 組が あ る 。 中契約 の 場 合 は 一 組 -ニ 組 と い う 名称 と 同 様 で あ っ て 特 別 な 意 味 は な い 。 と こ ろ が 、 元契約 の 本 ・ 添 と い う 名称 に は 特 別 な 意味 が か つ て は あ っ た 。 と い う の は 元 契約は 講員 数 四 十 戸 で 、 本 一 組 ・ 添 一 組 各 五 戸 (計十戸) が ひ と 組を構 成 し 、 全 部 で 四 つ の 組 が あ る が 、 昭和 四 十 四 年 以 前 は 本 二 十 戸 と 添 二 十戸が 別 々 の 場所 で 総 会 を 開 催 し て い た か ら で あ る ( そ の 理 由 に つ い て は 後述す る 〉。 か

契約講

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会人類

学的研究

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つ て は 新契約 ・ 第 三 契 約 に も この 本 ・ 添 と い う名称が あ っ た 。 第 三 契 約 の 場合 は 、 元契 約 に 加 入 し て い た 人 が あ る 事 情 か ら 元 契約を脱退 し 、 当時 い ず れ の 契 約 に も 加 入 し て い な か っ た 人 を 集 め て 新 し く 契約を 結 成 し た と い う経緯 が あ っ た た め 、 第 三 契 約 の 規 約 は 元 契 約 の 規 約 に 準 じ て い た 。 そ の 結果、 第 三 契 約 に も 元 契 約 の 本 ・ 添 と い う 名称が 持 ち 込 ま れ た わ け で あ る が 、 第 三 契 約 の 場 合 に は 組 分 け の 際 の 名 称 と し て だ け 用 い 、 総会 は 、 本 ・ 添 に 関 係 な く 合同 で 開 い て い た ( か つ て は 本 五 戸 ・ 添 五 戸 が と も に 不 幸当 番を担当 し て い た が 、 昭和 四 十 二 年 に 町営火 葬場が 建 設 さ れ た こ と に よ っ て 、 入 手 が い ら な く な り 、 昭和 四 十 三 年 以降 ひ と 組 玉 戸 が 担 当 す る よ う に 一 方 、新 契約 は 元 (新契約 は 「 一万 」 を使用) な っ た )。 添 と い う名称が 昭 和 四 十 七年頃ま で 使 わ れ て お り 、 元契 約 の よ う に や は り 総会 を 別 々 に 開催 し て い た 。 元契約 ・ 新契 約 と も に 本 っ さ ・ 添 と い う 名称は総会を別 々 に 開 催 し て い た 当 時 は 実 質的 な意味を持 っ て い た の で あ る が 、 一 同 に 会 し て 総 会が 開 催 さ れ る よ う に な っ て か ら は 名 称 の 持 つ 意 味 は 失 わ れ た 。 し た が っ て 、 現在新契 約 で は 一苅 ・ 添 と い う 名称は 使 わ れ な く な っ て い る し 、 元契約 の 場 合も名 称 だ け が 残 っ て い る に すぎ な い 。 次 に 、 契約 の 加 入資 格 で あ る が 、 い ず れ の 契 約 で も 「町部」 に お い て 一 戸 を 構 え 「町部」 の 成 員 と し て 認 め ら れ た イ エ で あ れ ば 、 誰 で も契 約 に 加 入 す る こ と 、が で き る こ と に な っ て い る 。 と こ ろ が 、 「町部」 で は 昭和 三 十 二 年 以降 新 し い 契 約が 結成 さ れ て お ら ず、 現在 で は 一 、 二 の 契 約を除き各 契約 と も 許 容 し 得 る 最 大 の 戸数を守 っ て い る の で 、 脱退者が い な け れ ば 加 入 す る こ と が で き な い 状 態 と な っ て い る 。 契約を脱退 す る の は 「町部」 以 外 の 地 域 に 転 出 し て い く 場合 で あ っ て 、 「町部」 内 で 移 転 し た 場 合 に は 脱

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契約講

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会人類

学的研究

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退 し な く て も よ い こ と に な っ て い る ( こ の 点 、 必 ず し も各契約 の 規 約 と 一 致 し て い る わ け で は な い 。 と い う の は 、 ほ と ん ど の 契 約が 成立時 に は 、 構 成員を 各部落 に 限 定 し て い た か ら で あ る 。 た だ し 、 他方 で 部 落 内 よ り 移 転 し た 場 合、 脱退 し な け れ ば な ら な い と い う 「移転条項」 が 明 記 さ れ て い な い 契 約も多 い 。 結 局、 規約云 々 よ り も 、 四部落 の 一 体化 を ふ ま え て 、 部」 内 で の 移 転 は 脱退条件 に し な い と い う 方針を と っ て き た 「町部」 の 契 約 の あ り 方を こ そ 問題 に す べ き で あ ろ う ) 。契 約 に 加 入 す る 場 合、 正 式 に は 契約総会 の 席 で 承 認 さ れ る わ け で あ る が 、 事前 に講員 の 内 諾 を 得 る よ う 根 回 し し て お く の が 一 般 的 で あ る 。 ま た 、 契約 に 加 入 す る こ と は 、 講員と し て の 権 利を獲得す る こ と で あ る か ら 、 契約 の 権 利 を メ ン バ ー の 自 由裁量 に よ っ て 勝 手 に 他人 に 譲 渡 す る こ と は 、 各契 約 と も規約 に よ っ て 厳 重 に 戒 め て い る 。 例 え ば 、 七 日 町契 約 の 規 約 で は 「本組合 ノ 権 利 ハ 売買譲与 ヲ 禁 止 ス 、 家系相続者 ニ 於 テ 永 久 継承 ス ル コ ト 」 と 定 め て い る 。 し た が っ て 、 脱 退者 が 出 た場合に は 脱 退 者 の イ エ の 分 家を中心 と し た 親 類が 加 入 す る 場 合 が 多 い よ う で あ る 。 契約 に 加 入 し た 場 合 の 主 な 権利 と し て は 、 ①自 分 の イ エ に 不 幸 が 生 じ た 場合 「不幸当番 」 の 人 々 か ら 種 々 の 手 伝 い を し て も ら え る ② 「蒸 シ 番 」 の 人 々 か ら 弔 問客 に 出す食事 の 準 備 を し て も ら え る ③ 契約 の 備 品 (膳椀 ・ 仏 具 一 式 な ど ) を 必 要 に 応 じ て 借 り ら れ る 、 の 三 点 を あ げ る こ と が で き る が 、

ワカ

「野若 勢」 の 手 伝 い も し て も ら え た ( こ の 点 町営火 葬場が で き る 以 前 は 、 に つ い て は 第 三 章 で 触 れ る )。 各契 約 と も 契 約 の 財 産 は 、 膳椀 一 式 ・ 仏 具 一 式 な ど の 葬 式 に 使用す る 道 具が 中 心 で あ り 、 田 畑 ・ 山 林 な ど は 所 有 し て い な い 。 古く か ら あ る 元 ・ 中 -七 日 町 ・ 内 町 の 四 つ の 契 約 の 場 合 は 、 過 去 に お い て 田 畑 ・ 山 林 な ど を 所

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有 し て い た 可 能性も考 え ら れ な い で は な い が 、 現存す る 契約記 録 に は そ れ に 関 連 す る よ う な 記 述が 見 い 出 せ な い し 、 ま た 古 老 か ら の 聞 き 取 り に よ っ 「町 て も そ れ を 裏付 け る 情 報 は 得 ら れ な か っ た 。 各契 約 と も備品 の 内 容 は ほ ぼ 同 様 で あ っ て 、 量 は 契 約戸 数 の 大 小 に よ っ る ) を 掲 げ て お く 。 て 相 違 す る が 、 参考ま で に 第 一ニ 契 約 の 備 品 の 内 訳 (昭和八 年契約台帳 に よ 備 ロ 口口 一 、 銘 々 盆 薄 同 内 畳 紋七 朱 入寸 小 五五 惣 段分 膳 重 箱 一 、 念仏鐘 一 、 鍋 五 升 焚 一 、 コ シ キ 一 、 塗 箸 一 、 木 皿 一 、 扉 風 一 、 内朱揃椀 一 、 階 段 一 、 打 敷 一 、 仏繕椀 三 十 枚 箱 付 十 人 前 11 高且 // 十 五 枚 // 個 シ モ ク 付 個 蓋付 斗 個 十 人 前 三 十 枚 半 扉 一十 人前 忌中用 枚 一 人 斗削

参照

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