わが国税務会計発達史の研究(上)――第二次世界大
戦前の税務会計――
著者
高橋 志朗
雑誌名
東北学院大学論集. 経済学
号
135
ページ
1-18
発行年
1997-09-25
URL
http://id.nii.ac.jp/1204/00024264/
わが国税務会計発達史
の
研究(上)
一 第 二 次 世 界 大 戦 前
の
税務会計
一高
橋
志
朗
目 次 はじめに 1 ・ 1 先達による税務会計発達史研究と時代区分 1 ・ 2 初期の税法の所得計算規定にみられる特色と間題点 1 ・ 3 賦課課税制度下の税務会計の実態と問題点 1 ・ 3 ・ 1 減価償却の取り扱いをめく'る間題点 l ・ 3 ・ 2 株式プレミアムの取り扱いをめく・る間題点 ( 以 上 , 本 号 )は
じ め に
税務会計研究は,近年,実にめさましい発展を遂げてきた。 し か し , こ と税務会計の歴史的発展については, 残念ながら, これまで十分に研究さ れてきたとはいい難い。
と り わ け , わが国における税務会計近代化の歴史 の核心を的確についた研究は数少ない。
本研究では, そ う した数少ない貴 重な研究として, 下記の二人の先達の業績をとりあげて1 ), その研究成果 を紹介し, さ ら に , それらを踏まえて, わが国における税務会計近代化の 歴史にっ
いて独自の分析を試みる。 1 ) なお, わが国における税務会計発達の歴史を, 企業会計制度発達の歴史と の 関 速 に お い て 明 ら か に し た 研 究 と し て , 畑 山 紀「税務会計と企業会計」 (黒沢 清監修・富岡幸雄編集「税務会計体系 第 1 巻 税務会計原理』ぎ ょ う せ い , l 9 8 4 年 , 4 1 - 6 8 ベー ジ ) が あ げ ら れ る 。 東北学院大学論集 経済学第135号 1997年9月 - l-東北学院大学論集 経済学第135号 長谷川忠
一
『五訂 近代税務会計論』ダイヤモンド社, l975年。
武田 昌輸「
税務会計の史的発展とその現代的意義」,税務会計研究学 会(編)『税務会計研究 創刊号 税務会計研究の基本的課題」
第一
法規出版,l990年,3l-
5lページ。
ただし, 紙幅の都合上, 本稿では, この研究の前半部のみを論ずること と す る。
すなわち, 上記の先達による研究成果をもとにした筆者の
試論的 時代区分を提示したの
ちに, 第二次世界大戦以前の
税務会計の特色を指摘 するにとどめる。
税務会計近代化の歩みが本格化するそれ以降の
歴史につ いては, 稿をあらためて論じたい。
1 ・ 1
先通による税務会計発達史研究と時代区分 まず, 長谷川教授は, 近代的税務会計の普及・ 啓豪をめさす先駆的著作 となった上記の著書において2) 税務会計を「
国民の納税義務を金額的に 確定するための会計」3 ) と 定 義 し た う ぇ で , 税 務 会 計 が「税制ないし税 法とともに生成発展してきた」事実に注目する。
同教授は, 税務会計発展の
歴史のなかで, と く に , わが国に申告納税制度を定着させる契機となっ た「シ
ャ ウプ動告」
4 )の発表前後の税務会計の変化を「変質」 5 ) と よ ん で重視し, その意義をっ
ぎのように説明する。
「
いずれにしても, 成課課税の
下では, 政府が一
方的な課税権を行使 することをたてまぇとしていたので, 当時の税務会計も課税権者側の
みに必要な課税技術に終始し, その内容も, 主として課税損益項目に 2 ) こ こ で と りあげた長谷川教授の著書の初版本が発行されたのは, 税務会計 研究が未だに黎明期を脱しない昭和4l年 (l966年) の こ と で あ る。
3 ) 長谷川,l975, 3 ベ ー ジ。4 ) Shoup Mission
.
ReportonJlap
m ese
「antioa,GeneralHeadquarters'.
Supreme Commander forthe Allied Powers
.
l949.
5 ) 長谷川,l975, 5 ベ ー ジ
。
-わが国税務会計発達史の研究(」
1
l 対する税法の解釈適用を税務官庁側に集積された税務慣習によって判 断してゆくといったものであった。
--これを要するに, 成課課税当時の税務会計なるものは, 税法の体系 を中核とし, その解釈適用のしかたを税務慣習に求めたところの課税 技術の
解釈にすぎなかったのである。
こ れ に 対 し , シ ョ ウプ 勧 告 [「
シャウプ勧告』 の こ と : 高 橋 注 ] 以 後の申告納税制度においては, 納税者自身が自らの
所得を計算し, こ れを納付しなければならないことになったから, 税務会計も当然, 課 税権者の手から離れて, 納税者側のものとなった。
一一
いいかえれば,, 納税義務のある者は, すぺて税法理論とその解釈基準を適正に理解す ると同時に,
自己の所得計算に必要な会計処理が合理的になしうるだ けの素養をっ
けなければならないことになったのである。 か く て , 納 税 者 の た め の 税 務 会 計 は , 単 純 に 『 税 務 』 と 『 会 計 』 と い う も の を一
つにつなぎ合わせたというべきものではなく, 両者が混 然一
体となって, 独立した研究分野をもっ
『税務会計』 と い う も のが 誕生したと考えるぺきである。」
6 ) 上記の引用からあきらかなように, 長谷川教授は, 『シャ ウ プ 勧 告 』 を 契機とした税務会計の発展を,税務当局による「徴税技術の
解説」
7 ) か ら, 納 税 者の
ための「社会科学」
へ
の進化と理解し,それを「変質」と呼 6 ) 長 谷 川 , l 9 7 5 , 6-
7ベー ジ。
7 ) 「シ ャ ウ プ 動 告」の発表(昭和24年9月)以前の税務会計の実態について,, 昭和24年当時,大蔵省調査査索部長だった患 佐市氏は,「私は, 税務官庁 における租税法規の解釈についての態度は, 実定法規の企図する真にあるべ き姿を具体的事実について実現させ, 実定法規を補充して一
体と してのa
税 法体系を形成するための努力をなすことにあったのだと考えたい。
ただ惜し むらくは,こうした合理的な十分の考慮を欠いていたために, 解 釈 の 集 成 に 客観性を付与し, 判例法と相まって有力な法体系の一
部を形成せしめるとい う自覚にまでは到達しなかったわけである。 そして, こ の こ と は ま た , 納税 者及び学界の自覚の不十分さがその一
半を分担すべきものかとも考えられ る。」と述べている。
忠 佐市「税 務 計 算 と 会 計 原 則 (-
)」「企業会計」 Vol.l,No.ll,November,l949,p.34.-
3-
3東北学院大学論集 経済学第l35号 ぶのである
。
わが国税務会計発達史上の画期的断面を初めてあき らかに し たという意味において, 長谷川教授の研究が有する意義は大きい。 も っ と も , 税務会計の普及・啓蒙を主要な任務とするこの著書では, 残 念ながら, 歴史研究のための十分な紙幅は割かれていない。 その歴史的記 述は,税務会計の「変質」という歴史の一
断 面 を 示 す に と ど ま り , 税 務 会 計の歴史的発展過程の全貌を示す通史とはなっていない8)。
一
方, 上記の
武田教授の論文では, 明治初期から昭和後期にいたるまで のわが国税法の課税所得計算規定の歴史的変遷が簡潔に取りまとめられ, 税務会計発達史上のメルクマールとみなされるぺき一
連の重要な史的事実 があきらかにされている9)。
この歴史研究の結論のひとっ
と し て , 武田教 授は, 「税務会計学」'°
)の誕生が『シャ ウ ブ 勧 告 』 に も と づ く 税 制 改 正 後 の新税制に求められるとする見解をっ
ぎのように述べている。
「一
・一私は課税所得金額の計算にっ
いて企業会計を前提として, その 差異等にっ
いて体系的に研究され出した時期をもって税務会計学の誕 生と考えている。
これは, 一応シャウプ勧告に基づく税制において課税所得金額の算 定のための税務会計が学として成立したとみるのが適当ではないか, と考えるものである。」1 l ) す な わ ち , 武田教授は, 『シ ャウプ勧告』 の発表ならびに 「シャ ウ プ 税 8 ) 長谷川, 1975, 3-
7ベージ を 参 照 の こ と。 なお, 長谷川教授による研究の 空白都分ともいうぺき税務会計発展通史の研究が後に本格的に着手されるま でには, 相当の歳月の経過を待たなければならなかった。 9 ) 武田教授は.
上記の論文に 先 だ っ て , 「 課 税 所 得 論 」 と 題 す る 論 文 ( 西 野 嘉一
郎・字田川增仁(編)『現代企業課税論 その機能と課題』東洋経済新報 社 , l 9 7 7 年 , 第 3 章 , 1 0 0 - l52ベージ に 収 録 ) を 発 表 し , わ が 国 法 人 税 法 上 の課税所得計算規定の歴史的変遷を詳しく紹介している。 この論文は, わ が 国における税務会計発展通史の先駆的研究と呼ぶべき内容のものとなってい る。なお,既述の1990年発表の論文は,税務会計研究学会第1回大会(1989 年 7 月 l 日 , 成 藤 大 学 ) に お け る 武 田 教 授 自 身 の 報 告 を 取 り ま と め た も の で あ るo 10) 武 田 , 1 9 9 0 , 3 l ベー ジ。 l l ) 武田,1990,32ベージ。 4 - 4-わが国税務会計発達史の研究
0
:1
制」の成立を契機として近代的企業会計の手法が税法に導入された事実を 重 視 し , そ の 時 点 を も っ て , 「税務会計学の誕生」
と よ ぶのである。
武田 教授は, この論文において, 企業会計の尊重ならびに税務会計の近代化を 求 め た 『 シャウプ勧告』 l2)の
画期的提案のい くつかを簡潔に紹介しl3), それによって, 『シ ャウプ勧告』がわが国税務会計の発展に及ぼした影響 を説明している。
さらに,武田教授は,『法人税基本通達』 の公開が『シャウプ勧告」
に もとづいて実現された事実に注日して, つぎのように述べる。
「
昭和25年には, シャウプ税制に基づく法人税の
改正について「法人 税基本通達』 が公表された。
これによって課税当局の課税所得計算に 関する内容が公開されたことになる。
逆にいえば課税当局における法 解釈の内容が公開されたことになり, その意味では一
般の国民の批判 の材料が出描つ た こ と に も な っ たのである。
私は, この
昭和25年のシ ャウプ税制をもって 『税務会計学』 の震生とみてよいのではないかと 考えている。」
l4) 以上のように,武田教授は,長谷川教授が「
変質」とよんだ「シ
ャ ウ プ 勧告』 前後における税務会計の変化を具体的な事実に即して説明し, それ によって, その変化の歴史的意義を明示することに成功している。
この点 において, 武田教授の論文は, 既述の長谷川教授による研究の空白部分を 補完する待望の税務会計発達通史となっている。
ここで検討した両先達の研究は, 発表された時代とアプローチを異にし ている。
それにもかかわらず,その結論は,fシャウブ勧告』 の発表なら びに 「シャ ウプ税制」の成立によって, わが国税務会計の近代化が大きく 前進した事実を指摘する点において一
致している。
いま, こ れ らの研究成 果をふまえつつ,
わが国税務会計発達の歴史の時代区分を試みるならば, l 2 ) 上記の武田教授の論文では, 大蔵省主税局 (編) 「シ ャ ウ プ 使 節 団 日 本 税 制第二次報告書」 (日本a
税研究協会, 1950年) の一
部も引用されている。
l3) 武 田 , l 9 9 0 , 3 8-
40ベー ジ。 l4) 武田,l990.
40ベージ。-
5-
5東北学院大学論集 経済学第135号 『シャウプ勧告』が発表された昭和24年 (1949年) ならびに 「シャ ウ プ 税 制」が成立した翌昭和25年(l950年)を境として,その歴 史 は , い わ ば
「
税 務会計近代化前史」 と 「税務会計近代史」 と に 大 き く 二 分 さ れ る ぺ き こ と に な ろ う 。1
・2
初期の税法の所得計算規定にみられる特色と間題点 わが国所得課税制度の
歴史は, 明治20年 (1887年)の
所得税の創設によ って幕を開けた'
5。所得税創設の主な目的は, 国防充実のための財源の確 保ならびに地租と酒税を中心とした従来の税体系のもとで発生していた租 税負担の業種間の不公平, と り わ け , 農業者と商工業者との間の租税負担 の不均衡を是正することに置かれ,一
定額以上の所得を有する個人に対し て軽度の累進税率で課税する総合累進所得税制度が導入されたl 6。
この所 得税法は, 所得計算の方法を定めたつぎのような規定を設けている。 l5) 諸外国における所得税の歴史をみる と , 所得税が最も早く創設された国は, 所 得 税 の 母 国 と 呼 ば れ る イ ギ リ ス で あ り , 1842年には,恒久税としての所得 税 が 早 く も 創 設 さ れ て い る。し か し , そ の 他 の 諸 国 に お い て 国 税 と し て の 所 得税が創設されたのは, いずれも, 20世紀に入つて か ら の こ と で あ り , わが 国 よ り も 遲 い。 た と え ば , ア / リ 力と ド イ ッ に お い て 連 邦 税 と し て の 所 得 税 が創設されたのは,それぞれ,19l3年と1920年のことだった。も っ と も , ド イ ッ 連 邦 成 立 以 前 の プ ロ イ セ ン で は , 1 9 世 紀 の 中 葉 に は , す で に , 所 得 税 法 が 施 行 さ れ , その後の改正を経て, 発達を遂げている。 わが国の明治20年の 所得税は, 当 時 の ブ ロ イ セ ン の 所 得 税 法 の 影 響 を う け た も の と い わ れ て い るc 高橋 誠「初期所得税の形成と構造一日本所得税史論 その一
一」 法 政 大 学経済学会,『経済志林』Vo1.26,No.1, January,1958,pp.47-82.なぉ, 当時の主要先進諸国の税制の実態は, 汐見三郎 『各国所得税制論』 有斐関,, l934年, 7 - 8ベージ に 要 約 さ れ て い る。 l6) 明治20年の所得税の納税義務者は, 年間300円以上の所得を有する個人と さ れ , 3 0 0 円 以 上 の 所 得 を 5 段 階 に 区 分 し た う え で , 最 低 l%か ら 最 高 3 %ま での累進税率が適用された(明治20年3月19日, 勅 令 5 号 , 第 1 条 な ら び に 第 4 条 ) 。 な ぉ , 明治20年の所得税法創設の日的, 草案作成の経総ならびに 議会における審議経過については,汐見,l934,247-
260ベージ , 林 健久 『日本における租税国家の成立』東京大学出版会,1979年,第5章,294-
335 ベー ジ な ど が 詳 し い 。-
6-わが国税務会計発達史の研究国
「
第二条 所得ハ左ノ定則=
依テ算出ス可シ 第一
公債証書其他政府ヨリ発シ若クハ政府ノ特許ヲ得テ発スル 証券ノ利子, 営業ニアラサル貸金ノ利子, 株式ノ利益配当金,, 官私ヨリ受クル俸給,手当金,年金恩給及割賦賞与金ハ直二其 金額ヲ以テ所得トス 第二 第一
項ヲ除クノ外資産又ハ営業其他ヨリ生スルモノハ其種 類=
応シ収入金若クハ収入物品代価中ヨリ国税,地方税,区町 村費,備荒儲蓄金,製造品ノ原質物代価,販売品ノ原価,種代.
肥料,営利事業二属スル場所物件ノ借入料,修結費,展人給料,, 負f
資ノ利子及雑費ヲ除キタルモノヲ以テ所得トス 第三 第二項ノ所得ハ前三箇年間所得平均高ヲ以テ算出ス可シ但 所得収入以来未タ三年二満タサルモノハ月額平均其平均ヲ得難 キモノハ他二比率ヲ取リテ算出ス可シ」 (明治20年3月l9日,
, 勅 令 5 号 3 条 ) 上に掲げた第2条第1項は, 公債ならびに政府が発行する証券および私 債の利子, 貸金利子のうちの営 業 活 動 に よ ら な い も の'
7), 株式の配当金, 給 与 , 手 当 , 年 金 , 恩 給 , 賞 与 の 8 種 類 の 所 得 を あ げ て , そ れ らの所得の 計算においては, 収入金額をもってただちに所得の金額とすべきこととし て い る 。 つ づ く 第 2 項 は , 第 l 項 に 掲 げ ら れ た 8 種 類 の 所 得 以 外 の 所 得 を , 「資産」 から生じた所得,「
営業」 か ら 生 じ た 所 得 , 「 其 他」 か ら 生 じ た 所 得の3つに分類したうえで, 所得の種類ごとに, 租税公課ならびに諸経費 l7) 第 2 条 第 1 項 は , 収入金額をもってただちに所得の金額とすべき所得のひ と っ と し て 「営業一
ア ラ サ ル 貸 金ノ 利 子 」 を あ げ て い る こ と か ら , 「営業一
ア ラ サ ル 貸 金ノ利子」以外の貸金利子,すなわち,貸金業者等が営業活動に よって獲得する利子所得の計算については, 第 2 項 の 規 定 が 適 用 さ れ る こ と に な る 。 明治20年の所得税法において, 営業活動によって獲得される所得と それ以外の所得との所得計算上の区分が重視されていた事実は, こ の 点 か ら も ぅ か が え よ う。なお,貸付金利子への課税間題は,明治20年の所得税法の 元老院における法案審識の主要な論点のひとっと な っ て い る。
その論争の詳 細については.
林, l 9 7 9.
303-
326ページを参照されたい。-
7-
7東北学院大学論集 経済学第l35号 等を収入金額から控除した残額をもって所得とすべきこ と と
し,
控除対象 たる租税公課ならびに諸経費等の範囲を定めている。 なお, 第3項は, 第 2項の細則とも呼ぶべき内容のものであって, 第2項にあげられた所得の 算定にあたって, 原則として, 前3箇年の所得の平均値を用いるべきこと としている、
8。
こ れ らの
規定によれば,
収入金額をもってただちに所得の金額とすべき 所得は,第l項に列挙された8種類の所得に限られ.
その他の
所得の計算 においては.
租税公課ならびに一
定の
諸経費等の控除が認められることに なる。
第2項に列挙されたそれらの経費の多くは, 当時の商工業者の
営業 上の必要経費とみられ, そのなかには, 製品の原材料費や売上商品の原価 を は じ め と し て , 事 業 所 の 賃 借 料 , 修 結 費 , 給 料 , 雑 費 , さ ら に は , 負 債 の利子までが含まれている。
これらの経費等を「必要経費」 として定義す る こ と な く , 個々に限定列挙しただけの第2項の規定方法は, いかにも素 朴ではあるが, 事業経営にかかわる主要な必要経費の控除を指示する点に おいて, 同項の
主たる目的が, 商工業者の
利潤の算出にあったことはあき らかであろう。
このように,事業活動に対する課税において,わが国所得税法は,その 創設当初から, 果実たる純利益に対する課税を予定しl 9 ), その算出の
ため の損益計算の実施を求めていたもの
と 解 さ れ る1°
、
。
この事実は, 明治20年 の所得税の他の優れた特徴と同様に注日されるべきであろう2,)。
l8) 上記第2条第2項に規定された平均実積主義は, 明治32年の改正に よ って.
予算主義へ
と改められたが, その後.
大正l5年(l926年)改正に よ っ て , 再 度.
改正され, 前年実技主義へ
と戻された。
19) 林教授は.
明治20年の所得税法の草案作成の段階で,「元来所得税なるも のは, 人民が収入をうるうえに要するa
税や負l
資もしくは原材料などを控除 したのこりの純収入に課するものである。」
との認識が.
起草者側にあった 事実を指摘している。
林,l979,303ベージ。
20) 明治20年の所得税法が, 所得計算にあたって損益計算を要請していた事実 は , 清 水 勇「税務会計の基礎理論」中央経済社,l987年.
49ベージでも指 摘されている。
2 l ) 明治20年の所得税法が, 当時としてはきゎめて近代的な総合累進所得税/'
' 8-
8-わが国税務会計発達史の研究(」:11 も っ と も , 明治20年の所得税法は, 納税義務者の範囲を,
一
定額以上の 所得を有する個人に限定していたから22), 法人形態で営まれる事業は, 第 2項が定める「
営業」 からは除外されている。 法人の所得計算規定を具備 した税法の誕生をみるのは,法人所得に対する所得税の課税が開始された 明治32年 (l899年) の こ と で あ る23'。
明治32年に実施された所得税法の全文改正を契機として,わが国所得税 は , 従 来 の総合所得税制度から,一
転 し て , 所 得 分 類 主 義 に も と づ く 分 類 、、
、.
制度と しての優れた特色を有していた事実は, 多くの先達に よ っ て.
す で に ,, 指摘されてきた。後発の資本主義国だったわが国が, そうした近代的所得税 制度を先進諸国の多くに先き駆けて持ちえた理由を, 汐見三郎教授は, つぎ の よ う に 説 明 し て い る 。 「明治二一t一
年 の 営 時 に あ っ て は , 我 國 の 組 税 制 度 は 固 定 し た る 制 度 (established o r d e r ) と し て 存 在 せ ず , 従つて我が財政は新制度を樹立 すぺき處女地であった。 而して我が先覚者が的外国人等の進言を容れ当 時最も進歩したと考へられている所得税制度を何の遠慮なしに其の處女 地の上に植えっけ た の で は な か ら う か。-
一
我國の財政が租税制度の處 女地であった事が, 営時の我國に不釣合に進歩していた所の所得税の制 度を助け且つ其の發達を促した事となるのである。」(汐見,l934, 9 ベー ジ。) 22) 明 治 2 0 年 の 所 得 税 法 は , そ の 第 1 条 に お い て , 「 凡ソ人民ノ資産又ハ営業 其 他 ヨ リ生スル所得金高一
箇年三百回以上アル者ハ此税法=
依 テ 所 得 税 ヲ 納 ム可シ」( 明 治 2 0 年 動 令 5 号 1 条 ) と 規 定 し て い た が , この条文中の「人民」 と い う 用 語 は.
白然人たる個人の意味に用いられていたものと解される。 な お, 法人に対する所得税課税の是非は, すでにふれた貸付金利子への課税間 題 と 同 様 に , 明治20年の所得税法の元老院における法案審識の主要な論点の ひ と っ と な っ た 。 審 識 の 過 程 で は , い わ ゆ る 「法人実在説」に立脚した法人 課税構想を盛り込んだ修正案が, い っ た ん は 浮 上 し た も の の , 最終的には,, 法人を非課税と した原案が逆転成立している。 法案審議の詳細については,, 林 , l 9 7 9 , 3 0 3-
326ベージ を 参 照 さ れ た い。 23) す で に 紹 介 し た よ う に , 長 谷 川 教 授 は , 税 務 会 計 を 「 国 民 の 納 税 義 務 を 金 額的に確定するための会計」 と定義する。 この定義に代えて, 今日, 重要性 を增している法人所得計算の歴史的系譜に注国する立場から.
税務会計を 「法人の納税義務を金額的に確定するための会計」 と 定 義 す る な ら ば , 税務 会計の生成 ・ 誕生は, 法人所得に対する所得税の課税が開始された明治32年 以 降 に 求 め ら れ る べ き こ と に な ろ う。なぉ, 武田昌輔教授は,税法固有の会 計手法ならびに会計思考の生成を税務会計誕生のメ ル ク マ ー ル と し て 重 視 す る 見 解 を 示 し た う え で , 昭 和 2 年 に 示 達 さ れ た「主秘第一号」 と 呼 ば れ る 総 合通藤をもって.
税務会計の誕生とみる見解を, 前記論文において示してい る 。 武 田 , l 9 9 0.
34-
35ページ。 - g-東北学院大学論集 経済学第135号 所得税制度
へ
と転換された。
新たに採用された所得3分類方式のもとで, 所 得 は , 法 人 所 得 ( 第 l 種 所 得 ) , 公 社 債 の利 子 ( 第 2 種 所 得 ) , さ ら に , 公社債の利子以外の個 人 所 得 ( 第 3 種 所 得 ) に 3 分 類 さ れ , 所 得 の 種 類 ご と に 異 な る 税 率 が 適 用 さ れ る こ と に な っ た2u。所得3分類方式の導入に伴 って , 所得計算規定もっ
ぎのように改正された。
「
第四条 所得ハ左ノ区別=
従ヒ之ヲ算定ス ー 第一
種ノ所得ハ各事業年度総益金ヨリ同年度総損金,前年度 繰越金及保険責任準備金ヲ控除シタルモノ依ルー一
二 第二種ノ所得ハ其支払ヲ受クへ
キ金額二依ル 三 第三種ノ所得ハ総収入金額ヨリ必要ノ経費ヲ控除シタル予算 年額二依ル但シ此ノ法律施行地二於テ支払ヲ受ケサル公債社 債 ノ 利 子 , 営 業 二 非 サ ル 貸 金 , 預 金 ノ 利 子 , 此 ノ 法 律=
依 リ 所得税ヲ課セラレ
サル法人ヨリ受タル配当金, 俸給, 給料,, 手当金,割賦賞与金,歳費,年金,恩給金ハ其ノ収入額ノ予 算年額二依リ田畑ヨリノ所得ハ前三箇年所得平均高ヲ以テ算 出スへ
シ。一一
」
(明治32年2月10日,法律第17号) 上に掲げた第4条の規定において, 現行の所得税法の所得計算規定なら 24) 第 1 種 所 得 ( 法 人 所 得 ) に は , 2.5%の比例税率, 第 21ff
所 得 ( 公 社 置 利 子 ) に は 2.0%の 比 例 税 率 , そ の 他 の 所 得 については, 1%か ら 5 . 5% までの 累進税率が適用された(明治32年2月l0日, 法律第l7号, 第 3 条 )。 こ れ ら の 所 得 の う ち , 公 社f
資 の 利 子 ( 第 2 極 所 得 ) へ の 課 税 は 源 泉 課 税 と さ れ , 所 得の支払者側に納税義務が課されていた。こ の た め , 所 得 税 は , 納 税 義 務 者 の 異 な る 3 極 類 の 所 得 税 , す な わ ち , 法 人 所 得 税 ( 第 1 極 所 得 税 ) , 利 子 税 ( 第 2 種 所 得 税 ) , 個 人 所 得 税 ( 第 3 種 所 得 税 ) に , 事 実 上.
3 分 さ れ て い た こ と に な る 。 な ぉ , 明 治 3 2 年 の 所 得 税 法 は , 法 人 所 得 を 所 得 税 の 「 第 l 種 所 得 」 と し て 課 税 す る一
方 に お い て , 法 人 の 受 取 配 当 な ら び にl日法のもとで 総合課税の対象とされてきた個人の受取配当を非課税所得としている点にお いて ( 第 4 条 な ら び に 第 5 条 第 7 項 ) , 法人所得へ
の課税を個人の受取配当 への源泉課税ないしは代替課税とみなす考え方に立脚していたものと言われ て い る。法 人 課 税 の 仕 組 み , な い し , そ の 基 本 原 理 は , そ の 後 , 数 次 の 変 更 を経て今日に至つて い る。 その歴史的変遷ならびに時代区分については, 吉 国 二 郎・ 武 田 昌 輔 『 法 人 税 法 〔 理 論 編 〕 』 財 経 詳 報 社.
l975年,89--
l00ペー ジ , 西 野・字田川,l977, 73-92べージ な ど を 参 照 さ れ た い。 10-
l 0-わが国税務会計発達史の研究(」
1
l びに法人税法の通則規定のいくっ
かの原型の誕生をみている。
まず, 既存の
所得計算規定の改正点として注目されるのは, 公社債の利 子の計算方法を定めた第2項において, 「収入金額」
を意味するものと解 さ れ る 「支払ヲ受クへ
キ金額」
という概念が登場している点である。
これ に 加 え て , 第 3 項 で は , 所 得 を 「総収入」
と 「必要経費」 と の
差額概念と する定義方法が初めて採用され, 同項但し書きに列挙された例外を除く第 3種所得は, 損益計算後の純利益とすべきことが明示されている。 また, これに伴つて, 必要経費の範囲を定めた旧法第2条第2項の規定は所得税 法の
本法から削除され, 所得税法施行規則中に次のような規定が設けられ ているo「
第一
条 所得税法第四条第一
項第三号二依リ総収入金額ヨリ控除ス
へ
キモノハ
種苗副巴料ノ購買費, 家畜其ノ他ノ飼養料,
仕入品ノ 原価,原料品ノ代価,場所物件ノ修結費,其ノ借入料,場所物件 又ハ業務二係ル公課, 雇人ノ給料其ノ他其ノ収入ヲ得ル二必要ナ ル経費=
限ル但シ家事上ノ費用及之 ト關聯スルモノハ之ヲ控除セス」
(明治32年3月29日, 動令第78号)一
方,法人所得へ
の課税開始に伴つて新たに創設された第l項では,「益 金」 と「
損金」との差額概念として法人所得を定義する今日の規定の原型 の震生をみている。
ここで,税法は,個人所得の計算規定において「必要 経費Jの範田を詳細に定めたのとは対照的に,「益金」 ならびに 「損金」 にかんする定義規定を全く設けず, 法人の所得金額決定の手続きを定めた つぎのような規定だけを置いている。
「
納税義務アル法人ハ各事業年度毎二損益計算書ヲ政府=
提出ス
へ
シ-
一
」
(明治32年2月l0日, 法律第l7号, 第 7 条 )「
第一
種ノ所得金額ハ損益計算書ヲ調査シ政府之ヲ決シー一
」
(明治 32年2月l0日,
法律第l7号, 第 9 条 ) 上記の第7条ならびに第9条の
条文中の 「
損益計算書」 は , 当時すでに 施行されていた商法において作成が要求されていた損益計算書をさすもの
_
l l-
l l東北学院大学論集 経済学第l35号 と 考 え ら れ る25
。
したがって, これらの規定は, 課税所得計算の基礎を商 法上の確定決算に求める, い わ ゆ る 「確定決算主義」を表明しているもの と 解 さ れ る26。
こ の よ う に , わが国税法の
企業所得計算の基本的仕組みは, 税法創設後 間 も な い 段 階 に お い て 形 成 さ れ て い た こ と に な り , 法人所得の計算につい て も , 商法に基づいて作成される確定決算書上の損益計算に所得計算の出 発点を求める方式が27), 法人課税の開始当初から採用されていたものとみ られるのである。 しかしながら, 当時の商法は, 唯一の会社会計基準とし て, 財産日録作成のための財産評価規定を置くだけであり28), 今日の税務 会計の基盤とされる近代的企業会計は, 制度上, まったく未確立の状況に 25) 明治23年の商法 (明治23年3月27日, 法律第32号) では, 「会社ハ毎年少 ナ ク ト モ一
回計算ヲ閉 鎖 シ 計 算 書 , 財 産 目 録 , 貸 借 対 照 表 , 事 業 報 告 書 , 利 益又ハ配当金ノ分 配 案 ヲ 作 リ監査役ノ検査 ヲ 受 ヶ 総 会 ノ認定ラ得タル後其財 産日録及ヒ貸借対照表ヲ公告ス其公告一
ハ取締役及ヒ監査役ノ 氏名ヲ記收ス ル コ ト ヲ要 ス」との定めが置かれ,商葉帳簿規定の誕生をみている。商法創 設前後の財務諸表体系の特色とその変1選については, 片野一
郎 『日本財務諸 表制度の展開』同文館,1968年が詳しい。なぉ,明治23年の商法の実施は延 期 さ れ , 会社会計を規定した会社編については, 明治26年から実施された。 26) こ こ で と り あ げ た一
連 の 規 定 を も っ て , 税 法 に よ る 「確定決算主義」の表 明 と み る 見 解 は , 忠 佐市「確定決算主義の原則と法第22条第4項」『税経 通信』Vol.34,No.11,September,1979, p . l 1 を は じ め と し て , 畑 山 ,, 1984,41ベー ジ , 高 田 正 淳・武 田 隆 二 他 ( 編 ) 『 テ キ ス ト プ ッ ク 会 計 学 ( 6 ) 税務会計(改訂版)』有斐関,l985年,第2章「税務会計の制度的基礎」,11 -l9ペー ジ , 清 水 , 1 9 8 7 , 5 0 ページ な ど に み ら れ る。 27) 川端保至講師は,わが国税法の確定決算主義の「淵源」として,1874年ド イ ッ ・ザクセン所得税法の「税務貸借対照表に対する商事貸借対照表の基準 性の原則」をあげている。な ぉ , 同 講 師 は , こ の 「 基 準 性 の 原 則 」 の 本 質 を ,, 「『法的拘束力のない生成的規範と しての正規の薄記の原則』 (公正なる会計 慣 行 ) と , 税 法 の 課 税 所 得 計 算 と の 結 合」 と み て い る。高 田 ・武 田 他 ( 編 ) ,, l 9 8 5 , 1 2-
13ベージ , 1 5-
l6ベージ。 28) 明治23年創設の原始商法および明治32年の改正商法は,それぞれ,つぎの よ う な 規 定 を 設 け て い る。 「 財 産 目 録 及 ヒ 貸 借 対 照 表 ヲ 作 ル ニ ハ総 テ ノ 商 品 ,f
資権及ヒ其他総テノ 財産一
当時ノ 相 場 又ハ市場価値ヲ附ス」 (明治23年法律第32号, 第32条) 「財産目録ニ ハ動産, 不動産, 價権其他ノ財産=
其日録調整ノ時一於ヶ ル 価 格 ヲ 附 ス ル コ ト ヲ要 ス」(明治32年法律第48号,第26条) 12 - 12-わが国税務会計発達史の研究
a
1l あ っ た2'
'
。
そ う し た 状 況 は , 戦 後 ま で 基 本 的 に 変 わ る こ と な く 継 続 し?) ), その間, 課税の実務や行政裁判所の判例を基にした税務当局独自の所得認 定 の 方 法 が , 賦 課 課 税 制 度 の 下 で , 次 第 に 形 成 さ れ て い く こ と に な る'
'
)。
1
・3
賦課課税制度下の税務会計の実態と間題点 法人の所得計算にかんする税法独自の
所得計算思考は,昭和初期には, 生成・確立されていたものとみられている32)。 減価償却ならびに株式プレ ミアムの税務上の取り扱いをめく・って争われた一
連の行政裁判は, この時 期.の税務会計の間題点を端的に示す証拠として, 従来から多くの先達によ っ て 取 り 上 げ ら れ て き た33'
。 29) 当時の企業会計の実態については, 片野, l968を参照されたい。 30) 法人税法上の所得計算規定が本格的に整備されたのは, 昭和25年の「シ ャ ウ プ 税 制 」 以 降 の こ と で あ り , 「益金」の額に算入すべき収益の額ならびに 「損金」の額に算入すべき原価・ 費用・損失の額の計算の原則を「一般 に公 正妥当と認められる会計処理の基準」に置くことを定めた法人税法第22条第 4項の規定が創設されたのは昭和40年のことであった。 また, 商葉帳薄の作 成に関する規定の解釈にあたって 「公正ナ ル 会 計 慣 行 」 を 斟 酌 す べ き こ と を 定めた商法第32条第2項の規定が創設されたのは, さらに後の昭和49年にな っ て か ら の こ と で あ っ た。 3 l ) 戦前の税務会計の特質を「税務個習の集積」ないしは「官僚税務会計」 と と ら え て.
今日の税務会計と区別する見解は,長谷川,1975, 6 ベージ を l:l1 じ め と し て , 畑 山 , l 9 8 3 , 4 2-
43ベージ , 吉 国・武 田 , 1 9 7 5 , l 0 0-
102ペー ジ , 畑 山 紀(福著)『税務会計研究の現代的課題一富岡幸雄博士古編記念論 文 集 一 』 第一
法規, l995年, 3-
4ページ な ど に も み ら れ る。 32) 武 田 , l 9 9 0 , 3 4-
35ベージ。 な お , す で に 指 摘 し た よ う に , 武 田 教 授 は ,, 昭 和 2 年 に 示 達 さ れ た 「 主 秘 第一
号」 と 呼 ば れ る 総 合 通 際 を も っ て , 税務会 計の誕生とみている。武 田 , 1 9 9 0 , 3 4-
35ベージ。 33) この時期の税務会計の間題点を早期に指摘した文献としては, 東実'
五郎 「 減 価 償 却 に 関 す る 会 計 間 題 ( 上 ) 」『 会 計 』 V o l . 1 , N o . 1, A p r i l , l 9 1 7 ,, pp.51-
59, 上田真次郎「会社の課税に関し疑間となりたる二つの点」『 会 計 』 V o l . l , No.2.
May, l 9 l 7 , pp.16-
42などがある。な ぉ , 比 較 的 近 年 に お い て , これらの税務訴訟の判例の意義ならびに問題点を取り上げた研究 と し て は , 木 村 和 三 郎 「 日 本 に お け る 会 計 学 の 生 成 発 展 」 ( 山 下 勝 治 ・ 古 林 喜楽『会計学の発展と課題』中央経済社, l960年, 137-
150ページに収録),, 佐藤 進 「 法 人 税 原 理 の 変 遷 」 ( 西 野・字 田 川 , l 9 7 7 , 第 2 章 , 3 2-
99/'
' l 3 -l 3東北学院大学論集 経済学第l35号
1 ・ 3 ・ 1
減価償却の取り扱いをめぐる間題点 減価償却会計は, わが国における 「近代会計の
先導的試行」
;u) として, まず, 明治初期に一一
部の
国立銀行に導入された後, 国立銀行条例や政府の 行政指導を通じて, 他の国立銀行や幾つかの商業銀行にも伝播し, さ ら に は, 政府による補助金給付の条件として会計方法の改善を迫られた海運会 社においても, 明治中期には実施されるに至つたものとみられている35:)。
たとえば, 明治20年代には, 日本郵船会社ならびに大阪郵船会社によって, 船舶の
推定耐用年数に基づく定額償却がすでに実施されていたことが知ら れている3ln
1o ところが,税務当局は,明治32年の法人所得へ
の所得税の課税開始当初, 海運会社が船舶の推定耐用年数に基づいて計上した減価償却費を損金とは 認めなかったことから37) これを不服とする海運会社によって, 明治34年 から翌35年にかけて一
連の行政訴訟が提訴されることとなった38L
こ れ ら、
、
‘ベージに収録), 高寺貞男 「減価償却会計の1事入と定着」 (高寺貞男・配翻 聴「大企業会計史の研究』同文館,l979年,第l4章,239-
256ページに収録),, 黒澤 清『日本会計学発展史序説』雄松堂書店,l982年,54-
62ベー ジ , 武 田.
l990,34ペー ジ な ど が あ る。 34) 高寺,1979,243-
246ベー ジ。 35) 高寺,1979,241ベー ジ を 参 照。 36) 高寺,l979.
248ペー ジ。なぉ, 日本郵船会社は減価償却の方法を.
商法 が創設された明治27年を契機と して, 利益処分方式から費用計上方式へ
と 切 り書えているが, その歴史的意義と間題点については,片野, l968, l20-
122 ベージが詳しい。 37) 明治33年1l月l4日の行政裁判所の判決では, 「会社の器械建物償却金」は 「役員賞与金」と全く同様に課税所得とすべきものとされている。
も っ と も ,, 減価償却費の損金計上が, 当時, まったく否認されていたわけではなく, 減 価償却の会計処理上, いわゆる直接法をとって, 貸借対照表上の固定資産価 額を減少させる形式で減価償却費を計上した場合は, その損金計上が一
定の 範 田 で 認 め ら れ て い た も の と い わ れ る。 木村, l960, l42ベージ, 高寺,, l979, 252-
253ベージ参照。
38) 提訴したのは,東洋汽船, 日本郵船,大阪商船の各社であった。
こ れ ら の 裁判の判決の要旨については,木村, l 9 6 0 , l 4 3-
l45ベージ,高寺,l979,254 ベージなどを参照されたい。
l4-
l4-わが国税務会計発達史の研究〇
の
裁判の判決は,いずれも,商法が表示を求める資産時価の
測定上の困難 性 を 指 摘 し た う ぇ で , 減価償却を時価の
測定に「相当」 する方法と認 め39), 減価償却費の損金計上を否認した税務当局の処分を不当とした。
これらの行政裁判を契機として,税務当局は,船船の
推定耐用年数を基礎 とした減価償却を容認するに至り, さらには, そうした税務上の取り扱い の対象が船船以外の資産にも拡大されるに及んで, 「減価償却会計の定着 化」
が一
挙に加速したものとみられている'
ol。
もっとも,税務当局ならびに行政裁判所は,当時,
固定資産の「減価マ イナス定額法により算定した減価」
◆l)が資産時価の
相当額であるという 事実を認めたにとどまり, 減価償却後の資産価額をもって資産の貸借対照 表価額とみる原則を承認したわけではなかった。
その後,
製造後20年を超 える船舶の減価償却が税務当局によって否認されるに及んで, 日本郵船会 社は, 所得金額決定不服の行政訴訟を提訴するに至つた。
この
訴えに対し て大正8年(l9l9年)に下された判決において,行政裁判所は,船舶の評 価は時価によるべきこととしたうえで, 製造後20年を超える船能の時価を 製造価格の25分の5とした税務当局の判断を支持し、 原告の訴えを退け た'
2。
この
判決を契機として,船船の
耐用年数を25年とし,耐用年数20年 を 超 え る もの
については減価償却を認めないという税務上の原則が確立さ れたものとみられている4:;)。
減価償却の
本質を認めようとしない司法当局の保守的態度を, 上田貞次 39) 木村.
l960,l43-
l45ページ,高寺,l979,254ページ参照。
40) 高寺,l979,254-
255ページ。
4 l ) 高寺.
l979,253ページ。
42) 木 村 , l 9 6 0 , l 4 6-
l47ベージ参照。
43) 木 村 , l 9 6 0 , l 4 8 ベ ー ジ。な ぉ , わ が 国 商 法 が.
取得原価主義の立場から 減価債却を義務づけるようになったのは, 昭和37年商法改正以降のことであ る。
ち な み に,昭和37年の商法改正に よ っ て.
会社の計算に関する次のよう な減価償却規定が, 初めて創設されている。 「固定資産二・付テハ其ノ取得原価又ハ製作価額ラ附シ毎決算期=
相当ノ 償却ラ:為 ス コ ト ラ要ス」(昭和37年法律第82号,第285条ノ 3 ) 会社および商人全般について, 減価償却を義務づける今日の商法の減価債 却規定(商法第34条第2号)は.
この条文に由来する。
-
l5-
l 5東北学院大学論集 経済学第l35号 郎教授は
っ
ぎのように痛烈に批判している。
「
概して我邦には法律が実業の為に作られずして, 実業が却つて法律 の為に拘束されるの嫌 い あ り。
此場合にも行政裁判所の
判決は神聖 な り と 難 も , 条理は判決以上の権威を有すべきものと余は信ずるな りo」
'
4 )1 ・
3
・2
株式プレミアムの取り扱いをめぐる間題点 株式プレミアムの税務上の取扱いをめ ぐる間題は, 明治32年の商法改正 を契機として, 株式の額面以上での発行が認められたのと同時に, 次のよ うな規定が創設されたことに伴つて発生した。
「
第百九十四条 会社ハ其資本ノ四分ノーニ
達スルマテハ利益ヲ配当 スル毎二準備金トシテ其利益ノ二十分ノ一
以上ヲ積立ツルコト ヲ 要ス 額面以上ノ価額ヲ以テ株式ヲ発行シタルトキハ其価額ヲ超ユル金
額ハ前項ノ額二達スルマテ之ヲ準備金二組入ルルコ トヲ要ス」(明 治32年法律第48号) 上記の第l94条第l項の規定は,今日の 「
利益準備金」の積み立てを義 務づけたものであり, 続 く 第 2 項 は , 株式プレミアムを, 同 じ く 「法定準 備金」 として積み立てるぺきことを規定している。
しかし,この規定は, 株式プレ ミアムの積み立てを義務づけるだけで, その会計上の性質, すな わち, それが資本なのか利益なの
かに関する判断を示してはいない。
その ため, 明治32年の商法改正直後から.
株式プレミアムへの課税の可否につ いての行政訴訟が提訴されるようになり, さ ら に , 司法判断の是非をめぐ る論争が展開されることになる45。
44) 上田.
l 9 l 7 , l 9 ベ ー ジ。
な ぉ , 黒 沢 清教授は,上国論文のこの結論を,, 「けだし至言である。」と賞費している。
黒澤.
l982,59ページ。
45) この論争の内容と展史的解 に つ い て は , 荒 井 益 太 郎「企業会計の資本/'
' l 6-
l 6-わが国税務会計発達史の研究(」:
1
1 株式プレ ミアムの取り扱いについて, 税務当局ならびに行政裁判所は, 当初から一貢して利益説をとり, 株式プレミアムを益金とみなした。
その 論拠は,その後の若干の変節はみられるものの, 主 と し て , 資 本 は 株 式 の 額 面 に 限 定 さ れ る と い う 考 え 方 と , 純資産の增加原因の一
切を益金とみる, いわゆる「
純資産増加説」
に求められていたことが知られている''
6。
税務当局ならびに行政裁判所が支持する利益説に対して, 会計学者の間 から強い批判が浴びせられた。
たとえば,上田貞次郎教授は, 先に引用し た論文において47), 株式プレミアムを利益とみる明治41年 (1908年) な ら び に 大 正 4 年 ( l 9 l 5 年 ) の 行 政 裁 判 所の判決を批判して, ブレミアムを資 本とみる主張を展開している。
この問題は, その後の大正時代さらには昭 和初期を通じて, 先達による多く の研究が重ねられ, 株式プレミ ア ム を 払 込資本の一
部とみる資本説が承認されるにいたっている48。
しかし, 株式プレミアムを資本準備金とみなしたうぇで, 株式プレミ ア ムの資本準備金組み入れを要求する規定が, 商法上, 創設されたのは, 第:
二1次世界大戦終結後の昭和25年(l950年)になってからのことであった49。
、、、.
取引と法人税法の資本取引一その沿革を中心と して一」 『日税研論集』 Vol. 29, December,1994, pp.l5-
53が詳しい。 46) 新 井 , l 9 9 4 , 2 3-
27ベージ , 武 田 , 1 9 9 0 , 3 5 ベージなどを参照されたい。 な お , 昭 和 2 年 ( l 9 2 7 年 ) に 大 蔵 省 主 税 局 か ら 各 税 務 監 督 局 に 示 達 さ れ た「主 秘第一
号」通際には,「純資産增加説」を特色とした当時の税務当局の課税 所得計算思考が端的に表現されているといわれている。 新井益太郎 「会計理 論と税法規定との交渉序説一その歴史的変遷について一」 『企業会計』 Vol. 32, No.2, February, l980, pp.11-l8ならびに武田, l 9 9 0 , 3 4-
35ベー ジ参照。 47) 上田,l917.
24-
26ページ 。 な お , 上 田 説 に つ い て は , 黒 澤 , l 9 8 2 , 6 0 - 6 l ベージ に お い て , 簡潔な解説がなされている。 48) ぃわゆる「資本説」台頭の歴史は.
わが国における剰余金研究発達の歴史 と し て も 興 味 深 い。 新 井 , 1 9 9 4 , l 8-
36ベージ参照。 49) 昭和25年の商法改正に よ っ て , 次の条文が加えられた。 「左一掲グル金額ハ之ヲ資本準備金ト シ テ 積 立 ツ ル コ ト ヲ 要 ス ー 額面以上ノ 価 額 ヲ之テ額面株式ヲ発 行 シ タ ル ト キハ其ノ額 面 ヲ 超ユ ル額 二-
一」(昭和25年法律第l67号,第288条ノ 2 ) l 7 -l 7東北学院大学論集経済学第l35号
明治32年に株式プレミアムの間題が登場して以来
,
「
利益説」
が公に否定されるまでに